日韓夫婦の心の旅もよう

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ぱーるひょう

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韓国・身近な人シリーズ


(1)大家のおばちゃん


(2)スーパーの店員さん


(3)鶏肉屋のおじさん、八百屋のおばさん


(4)そのほかの商店街の人たち


(5)パリパリな義父


(6)ホットな義父


(7)オープンマインドな義父


(8)義兄 誕生日おめでとう


(9)堪忍してくれ義母


(10)気を遣う義母


(11)最後は義母で


ディープ!! 韓国生活


夫とのなれそめ


市議選のようす


地下鉄のようす


義母の母の墓参り


韓国人が聞く日本語(1)


韓国人が聞く日本語(2)


ある夏の夜


麦茶はお茶か水か


ワールドカップ熱狂日記


最初に、ブッたまげたこと


どのくらい愛している?


韓国人が書く日本留学の志望動機書


モゴバ攻撃・同居時代の思い出


おでかけベビー@ケアンズ


生後4日目の乳飲み子がスーパーにいる!


某環境団体職員ならわかる内輪ネタ


趣味は自転車こぎ


ジョナサンでボケをかます


ハローワークに行く


送別会でもらった文章です


意図的に生きる


「私が決める」


とっておきの魔法の言葉


すべての人はつながっている


■バックパッカーな夫


■ナルちゃんな夫


■人目を気にする@韓国


場当たり的な夫


場当たり的夫婦(1)韓国脱出


場当たり的夫婦(2)ケアンズへ


全財産すっちゃいました@ケアンズ


夫の奇行@東京


ユンソナと結婚していただとぉ


オープンな父子関係


2006.12.02
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<連載 16回目>

「―――でも、先生」

 義母は食い下がった。

 わずかにわかる単語と身振り手振りからは「嫁はちっとも食べないし、これではお腹の子によくない」ということが伝わってくる。

 私は黙ったまま下を向いた。

 ソウルに来てからというもの毎日、義父と義母から「モゴ(食べなさい)」「モゴバ(食べてみて)」と言われていたので、義母の突っ込みには戦々恐々だった。

 特に義母は3人いる子どもたちとそれぞれの配偶者に食べさせることに執念を燃やしているようで、私は密かに「モゴバ攻撃」と呼んでいた。

 とにかく食べろ食べろと勧められる。

 満腹感とともにノルマを達成しなければならない気分で椀の中身を頑張って食べたのに、空になった途端、ガサーと入れられて「モゴ」である。



 遠慮しているのではない。本当にもう食べられないのだ。

 だが、いくら「お腹がいっぱいです」と言ってもモゴバ攻撃は続く。

 どうかすると義母は「(お前は)食べていない」と言い切ったりもする(だれの基準だろうか。もちろん義母である)。

 自分の好きな量を食べるという自由が、両親と一緒に暮らすとないのである。

 何の挨拶も挙式もなしに、日本ですでに入籍だけして、いきなり嫁としてソウルにやって来た私を歓待してくれるのはありがたかったが、モゴバ攻撃が毎日、3度の食事のたびにある。

 ソウルに来て1ヶ月も経たないうちに6キロ体重が増えてしまい、食事の時間が恐怖になったほどである。

 だが、ポロシャツ先生は「つわりの間は、みんな食べたくても食べられないんです」と援護射撃をしてくれた。

 私は安堵して心が軽くなった。義母の手前、うっかり微笑まないようにする。

 これで先生までも「頑張ってしっかり食べなさい」なんて言おうものなら、義母のモゴバ攻撃はますます勢いを得て、脂汗を流しながら食べ物を口の中にねじ込むしかなかっただろう。

 それにしても先生はまたしても、ピシャリとした物言いで、義母は二の句がつげなかった。バトルの軍配は先生に上がった。



 その後の妊娠生活では、韓国、日本、オーストラリアの3カ国に滞在し、それぞれの国の先生に診てもらうことになるのだが、韓国のポロシャツ先生が一番感じがよくて、好感が持てた。

 しかし、ポロシャツ先生にも相性のよし悪しがあって、たまたま義母とは悪かったのだろう。

 帰宅してしばらくの間、義母は毒づいていた。

「病院を替えなさい」

 夫には厳命が下り、次回の検診には義母は同行しなかった。



 後は何を言われても「ハイハイ」「わかりました」とのらりくらりと聞き流して、私たちは相変わらずボム病院へと通った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「モゴバ攻撃」などと勝手に名づけて失礼しているが、「お腹いっぱい食べさせる」というのが義母の愛情表現である。

 なんでも義母が若くて、まだ義父の両親と一緒に暮らしていた頃は、ロクにご飯を食べさせてもらえず、残り物を泣きながら食べていたらしい。1世代しか違わないものの、韓国の昔の姑と嫁の関係は、私だったらとてもではないが耐えられないものだったと想像する。

 胃袋の記憶とは忘れることはできないのだろう。

 義父の両親はとうに亡くなっているが、今でも義母は、子どもたちや私のような嫁には絶対にひもじい思いやつらい思いをさせたくない一心で、たくさん料理をつくり、食べさせる。

 しかも量が多いだけではなく、いろいろなものを手間隙かけてつくっている。

 昔はどこの家でもキムチは手作りだっただろうが、今ではキムチは市場やスーパーで簡単に手に入る。お惣菜もいろいろな種類が並んでいる。

 しかし夫の実家では、キムチもお惣菜も自家製が当たり前である。キムチも白菜のキムチだけではなく、魚介類を入れたキムチ、チョンガッキムチ(チョンガは大根に似ているが小型)、ムルキムチ(爽やかな酸味の冷たいスープのようなキムチ)、カクテキ(大根の角切りのキムチ)、オイキムチ(キュウリのキムチ)などいろいろな種類のキムチをつくる。お惣菜も各種あるので、卓袱台の上はいつも料理でいっぱいだった。

 夏の名残りを留めたある日のこと、義母が大量にブドウを買って来た。

(だれがこんなに食べるんだろう)と不思議そうに眺めていたら、大量のブドウはジュースに変わった。

 義母が妊婦である私のために、そしてお腹の子どものために、わざわざ絞ってつくり、「飲んで」と勧める。

 手作りのジュースは市販のものよりもはるかにおいしい。後に残らない上品な甘さである。ブドウジュースがこんなにおいしいものだと初めて知った。

「料理とは愛情表現なのだ」

 義母お手製のジュースを飲んで、私は当たり前のことに気がついた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 5ヶ月目の超音波の検診では、子どもはもう人間のかたちになっているのが見えた。

 産婦人科からの帰り道、私は無性にうれしくなった。

 夫の手を握り締めて顔を見上げると、夫もやはりうれしそうな顔をしている。

 私たちは何も言わなくてもお互いに同じ気持ちになっているのがわかった。

「子ども大きくなったね」

 私は毎月、血圧と体重を計り、超音波検査を受けていた。

 35歳で妊娠した私は高齢出産となる。母親が高齢になるほどダウン症の子が生まれる確率は高くなるので、その検査を追加で受けるかを夫に相談した。

 だが聞いてみると、即座に「しない。どんな子どもでも受け入れる」という返事が返ってきた。

 夫がそう覚悟を決めているのなら安心だ。私も障害をもった子どもが来てもうれしく思うだろう。

 二人で大切に育てよう。

 追加検査の必要はなくなった。


(続く)






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Last updated  2006.12.02 21:14:54
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Comments

seoulカツラ @ Re:おひさしぶりです!(12/28) きょろっちさん  正月は、あの!ヤギち…
きょろっち@ おひさしぶりです! 沖縄で元気にやってらっしゃるようですね…
seoulカツラ @ Re:書きこみありがとうございました!(12/28) 豆森さん  仮の住まいだと、余計そうな…
豆森 @ 書きこみありがとうございました! パンドラの箱、我が家にもかなりあります…
seoulカツラ @ Re:つんどらの資料(12/28) 泡 盛窪さん 「つんどら」状態ですか。…
泡 盛窪 @ つんどらの資料  仕事場から持ち帰った資料が整理されず …

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