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赴任地での出来事。最初の年は、4年生の担任。11人の生徒を受け持つ初めての体験であった。まあ、親から地域からすべて知り合いという、田舎ならではの教育環境。このときの子ども達もいまでは高校2年生。たまに新聞に活躍が出ていたりして感動的な紙面上の再会を果たすこともある。。しかし、子どもの成長はびっくりするほど早い。。。この時の生徒とは、ベランダで一緒にご飯を食べたり川に飛び込みにいったり、つりに行ったり。村祭りの時は、みんなでお化け屋敷をやったりとたいへんおもしろい経験ができた学年だった。ちょっと、男子がわるさすることがあったけれども、そこがかわいらしい学年だった。そんなこんなで1年過ぎた頃、次年度となった。本来ならば持ち上がってもよかったのだけれども、また同じ4年生を持つようになった。これがぼくの最初の転機となるTくんとの出会いである。この学年は、未来少年コナンにでてくるジムシーのような野生児のKくん。それと、婆ちゃん子で、漫才師のべかこにやや似た顔立ちながら、さわやかなHくん。それに大阪からの転校生で、ちょっと挙動不審な、天才バカボンに登場してくる「れれれのおじさん」ぽいRくん。そして、今回の主人公である、NHKの人形物語劇「プリンプリン物語」にでてくるルチ将軍のような顔立ちのTくんの4名である。さて、この4人。まったく個性の異なる4名で、またジムシー・べかこと、ルチは仲が悪い(これから愛称で呼ぶことにするが、これはあくまでイメージしやすいように名付けただけ)。なぜかといえば、ルチくんは、いまふうでいうところの「多動児」であった。気に入らないことがあると、教室中を走り回る。集中すると、ひたすら集中する。この子には本当に手を焼かされた。それに加えて、この子を守らなければという意志の強いお母さん。このお母さんともよく対立しました。こんなことがありました。1学期に一度の参観日。この小学校の場合、いつ見に来てもいいぐらいの状態で授業を公開されていたけれども、最初の授業参観のときです。授業は忘れもしない国語。保護者も来てくれました。そこで事件は起こります。自分が参観日で答えたい箇所で、ぼくが違う生徒に意見を求めてしまった。それで一気に腹を立ててしまい、授業を妨害し始め、席を立ち、走り回るという状況になった。授業自体は、けっこう練って作ったものであったので中身的にはよいものであったけれども、ハプニングですべてがふっとんだ。さらにルチ将軍の暴走は止まらず、母親が見ているのにも関わらず止めず、授業は崩壊していったのである。。。母親は、兄のいる6年生の教室へと向かったのである。。授業が終わって、ほっとひといきして、反省に浸り、どうやって対応しようか考えていたところ、事件は翌日起こった。ルチ将軍は家でも、授業参観が納得できず、とにかく母親にいいところを見せたかったということで暴れていたらしい。それがクレームで校長先生のもとにはいり、「大西先生はうちの子どもの事を理解してくれていない。」ということで、事件がスタートしたのである。 さあ、放課後、ルチ将軍の母親も参加して、校長室で、三者会談が始まった。 ルチ母の言い分としては、 「子どもがかわいそうだった。」 「理解してうちの子どもをサポートしてくれていれば、 あんなに騒がなかったはずだ。」 「うちの子どもは本来おとなしい。」 「ああいう行動をとる子どもではない」 のだということを、延々と聞いた。 結局、大西の生徒理解の甘さと対応が、参観授業の崩壊を招いたのだというクレームであった。 いまおもえば、ボクモ若かったし、教育技術が甘かった。 いまなら、ある程度、収まったかも知れない。 けれども、当時のぼくは、憤りを感じていた。 「そんな主張があるか!!」 「ルチを大事にすることも大事だし、ほかの3人も 大事にしないといけない。」 「必ずしも、自分がいいたい箇所でいいたいことが いえるかどうかはわからないし、そのことで、授業を 妨害するなどということが正当化されるのか。」 「それを止めることすらしなかった、お母さん、あなたの 問題もあるのではないのでは。。。」 みたいなことが頭のなかを巡り巡った。 ほかの保護者からも、じつは裏ではルチくんに対して 「どうにかしてほしい」 もっと、きちんと学習できる環境にしてほしいと、クレームが出てきたのを、担任の自分が矢面に立って、どうかそういう理解をしないでほしいし、自分ががんばるのでご心配なさらずに、と体をはって食い止めていたのが、逆にどかんとやられてしまった。 生徒理解の力が甘い、授業が甘い、と言われたことも怒りを覚えたけれども、自分をいちばんかばってくれているのは誰かと言うことをわきまえずに、どかんどかんと絨毯爆撃のように、教師としての力量を否定される言葉をはかれる。。。さすがに、まいりました。よかれと思ってきたことも、かばってきたことも、たった一度の挙手を拾えなかったことで、逆襲を受ける。これに似た体験はいくつかあります。この子のためにと、裏側でがんばってきたにもかかわらず、そのことが逆に自分を追いつめ、そして、そのかばっている人・保護者からもクレームがやってくる四面楚歌の状態。この体験は、のちのち、保護者対策を考えるときにいろいろ役に立ちました。この数年後にも、保護者達との対立と言うことで、ぼくは矢面に立つことになりましたが。。。この対立の後、なんだかんだいいながら、教師としてなにをすればいいのか。保護者からの信頼を得られない、子どもからの指示を得られないことはやはりプロとして失格であろうということで、一から考え直すきっかけとなった出来事でした。また、「~くんのために、教育をしているのだ」という恩着せがましい考え方をやめるようにしました。ややもすると、教師は理想に燃えるがあまりに独善的になります。自分がやっていることにたいして 無批判に教育作用や教育効果を信じ込んでしまう怖さに対して、鈍感になると、本当に怖いものになってしまいます。そのあたりの、教師が持ちやすい独善性と向き合うようになったのは、この事件からでした。最後には、ルチ君のお母さんが「御世話になりました。」と言われたときには、やはり胸に熱いものがこみ上げてきました。続く~
2005.01.31
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今日、オヤジのセノビ塾をやった。ナンのこっちゃと思う人もいるかもしれない(笑)ぼくは教師だ。学校は子供を大人にするための装置だと思っている。男の子風にいうと、仮面ライダー・ウルトラマンのように「へんし~~~ん」して、いまの自分とは違う、「魅力のある存在」となる。女性ならば、化粧かな。男も女も、すごく「自分を違う存在」にしたい・なりたいと思っている部分がある。そこに「何らかの形」と「方法」で「訴えること」。これがぼくは教育を行うときに必要な、教育を受ける人のなかにある「源泉」だと考えている。この「源泉」を掘り当てれば、必ずみんな「へんしん」する。この「源泉」を刺激するイベントがオカン・オヤジのセノビ塾 なのだ。もうひとつキーワードがあって、「せのび」だ。教育は、その人が持っている「現状」の位置から約10~20%セノビできる位置にもちあげるように補助すると、けっこう伸びる。マラソンの高地トレーニングのように負荷をかける方法だ。なかには、一気にあがることで、一気にそこまで能力を開発させるやりかたもあるけれども、ぼくはセノビをしかたをいろいろやりたいと思っている。ま、そういうことでね、粋な大人が行っているやっていることをマネできる範囲でやってみようという試みが、オヤジのセノビ塾なわけ。基本的に教育もビジネスもそうだけど、「欲望に訴える」のがいい。「成長したい願望」に火をつけるのがいい。そこで、すしや。なぜすしや?すしやは粋の象徴。粋な職人の握る、食と職のセッションポイント。そこでの立ち居振る舞い、は、まさに、粋でないとかっこわるい。安くておいしいすしをたべながら、いろいろな話題で盛り上がる。これこそ、オヤジの遊び方。ちょっと大人の遊び方をやってみたくなるではありませんか。できればカウンターで。粋に頼みたい。最後のあがりを頼むまで。それとね、食事って、どんな金持ちの食事でも意外に安いんです。たしかに5万円の食事って言うと高いですが、けっして5万円は出せない金額ではない。けど、ほかのことってなかなか手が出せないものあるでしょ。ゴルフの会員権とか(笑)道具一つとってもそうですし。ああいうのは遊び方として粋ではない。(負け惜しみ)そういう大人文化をどんどん広めていきたいと考えています。みなさんも今度いかかがですか??
2005.01.30
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風が舞うビジネス街を歩いていると、妙に自分が写されているビルの窓を見てしまうことってありません?ぼくはいつも自分を見ていて思うのは、「顔がでかいな」「太ったな」「こりゃまた、ぶさいくになったなあ」なんて自虐的なことを思いつつ(笑)、見ているわけですよ。すると、やせようかななって思いつつ、無反省に激安の殿堂、私の必須アイテム「ドンキほーて」にいって399円のお弁当(揚げ物が多い)を食べているわけです。教師をやっていると、同じように自虐的になることも多いです。若いころもいまも問わず、一番ショックを受けたのは、 「うまく生徒の気持ちをつかめない」つまり、生徒に映っている自分の姿が「だめ」だということです。僕には3度、自分の教師人生をゆさぶる出来事があります。 1つは、3度目の赴任地での小学校での出来事。 ある1人の生徒との衝突。 2つめは、4度目の赴任地である中学校で 女子生徒に総スカンをくらったこと。 3つめは、6度目の職場である中学校で 3年生全員に総スカンをくらったこと。です。 今日のお話は、1つめの小学校教師の時代の話です。 ぼくは、さも、あたかも教師として成功しているように、見られている部分もありますが、いろいろと不成功なこともたくさんあります。 ただですね。 この小学校教師時代もすごく恵まれた環境で、最高の教師人生を送らせてもらった時期でした。 50歳超えても、サーフィンも、絵も、パソコンもすべて指導者クラス的にやってしまうカリスマ教頭のもと、良き先生に恵まれて、自分の実践の華が開きそうな時期の黄金期でもありました。 徳島の山の中の、さらに山奥。 過疎のまっただなかにある小学校。 http://www.shikoku.ne.jp/yachiyo-syo/ *いまだに、当時教頭と一緒に作ったホームページが のこってあります・・ ほんとうに子供を育てる環境としては最高です。 目の前に小川。夏には飛び込みもできます。 釣りもできます渓流です。 後ろには山。 すぐに自然の遊びができます。 そして、 地域は教育に熱心。 地域の行事は、学校を中心。 全校生徒で、50人もいないような学校。 上級生が下級生の面倒をみるのが当たり前の学校。 そこには、教育の原点が全てありました。 そこでの2年目のことです。 4年生。たった3人の生徒の担任をしました。 1人、個性が強すぎて、授業中でもかけだしてしまう 子供がいました。 というか、全員個性は強いのですが、ややいまふうでいうと多動児でして、ほんとうに大変な生徒がいました。 そのことの出会いが、高校でのぼくの天国のようでただ楽しい思いをしてきたぼくの教師人生を、最初に揺るがせてくれた、彼、Tくんとの出会いでした。続く・・・・・・・・
2005.01.27
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さて、おひさしぶりの来歴シリーズ。最初の赴任地の話でしたよね。。。今日はね、美人教師の想い出を語りましょう、ふふ。母校に勤務していたときに、同じく1年間工業高校にいっていました。ここでは日本史を担当。工業高校時代、二人の綺麗な女教師がいたんですよ。たまにね、どぶ川に咲く大輪のバラやかすみ草があるんですね。そう、それがR先生とH先生です(すべて仮称)R先生はデスね、大学出て2~3年目の綺麗な先生。もち、英語です。。。ショートで茶髪。軽めのウエーブがかかっていて。若いころの黒木ひとみ風なんだけど、ちょっと甘えた感じにした美人。スタイルが良くて足が綺麗です。これがね、いつも、スリット入りのロングスカートとかはいてきてくれるのですよ。。工業高校なんて野蛮のかたまりですからね。もうアイドルです。奪い合いです。なぜか暴れん坊たちも宿題をきちんとやってくる。そんな卑怯な美人先生でした。。。若かりし日の私。いまでは想像もできないほど、シャイでしたのでほとんど喋ることもなかたですが、一度カラオケにみんなで打ち上げにいきまして。。そこで喋ったような遊んだような。。。。めっぽう小さな女の子と熟女以上のばあちゃんには強い男ですが、ストライクゾーンの女の子達にはほんとからきしでした。。。。もう一人の先生が、すいませんが、胸にスイカを抱えてらっしゃった、熟女のおねいさまです。年は当時で4つ上ぐらい。29歳でしたでしょうか。いつも、胸を隠す服装をされるのですが、これがまた私をそそるのであります、上官殿!!ついつい興奮しましたが失礼いたしました。このかたは、顔はあっさりとした「かたせりの」系のかた。確か国語だったような。。。この2年後ぐらいに、まったく違う場所で会うのですが、そのときもまだ独身のようで。。。いまの度胸と力があれば、一気に仲良くなれたはずなのに。。ああ、若いときにおっさんのソウルフルな厚顔無恥トークができていれば。。。。ぼくは、どうも女性に苦手意識がありまして、大学の時も大学時代のアイドルが失恋の痛手でさみしくなっておりまして、血迷ってぼくとドライブデートしたときがありましたが、そういう「弱っている時の女性」でさえも、強くいくのがなんだか武士道に反している、いやいや武士でもないからなんでもいいんですけど、やなもんで、そのときにスルーパスして、本当に相談にのってだけいたら、翌週には一番行ってほしくはなかった優男(やさおとこ)にとられてしまうという大失態を犯していましたね、おもいだせば。また思い出しました。。。。失恋話なら山ほどあります、おおにし。大学2年のときも、そういえば、大学祭の委員長をしていたときに、最初の彼女と別れ失意の中でやみくもに実行委員会を切り盛りしていたときに、おなじ実行委員でダンス部だったMちゃんに告白したときも、あと一歩のところで、やっぱりぼくのいけ好かない奴にとられてしまうというアクシデントもありましたね。。。何度もデートに行って、晩ご飯まで作ってくれたこともあったのに、最後には僕よりもイケメン男にとられたあのトラウマ(笑)このあとの実行委員会が荒れたのは言うまでもありませんが、当時は、本当に連戦連敗の男でしたね。。。惚れやすく、いつも失敗。このころはですね。自虐的でしたよ(笑)。けどね、もてない男がイケメンに勝つためには努力して、努力して、絶対的にイケメンが勝てないものを作り上げようと誓ったのも、このころでしたね。いま、しゃべりのうまさをみなさんが評価してくれるし、「四国のかたなのに、関西のノリがすごいですよね」ってわれますけど、それはこの失恋連敗ショックのおかげです(笑)。人間、恋愛で学ぶことは多いです。このころか、さりげない男のやさしさの美学とか、粋な行動とか、料理とか、デートスポットの開発のしかたとかね。いろいろ考えて考えて、自分を改造しようとがんばりましたね。けど、それも、当時の職場では発揮されませんでした(笑)ま、そんなに簡単にはいきません。けど、この美人教師を実ながら、何を工業高校でしていたかというと、相変わらずおもしろい男でとおっておりました。ストライクゾーン以外の子供には最強です!!授業も笑い。本気。そして、しまいには、生徒と一緒に教室で鍋パーティーやってました。これすごいんですよ。教室の真ん中にコンロ。その上に、鍋。なぜか4時間目に 鍋を作っているんですよ(笑)。冬の時だから、部屋を密室にして、においを流れ出さないようにしてね。そして、みんなで鍋をつつきながら、トークしてました。授業の終わりと同時に、パーティーも終わり。そんな高校生達とじっくりと遊んで授業してました。このときの生徒達は、いま、27歳ですかね。恋愛も部活もいろいろ話しましたよ、ほんと。なかには、ドロップアウトしてけっこう危ない橋を渡ろうとしていた奴もいたけどね、そいつらがまたいろいろ仲良く喋りに来て、悪さから徐々に卒業していってくれる。すごくいい時代でした。つながっている感覚があった、いい教師時代でした。ほんとうにおもしろくてしょうがなかった、学校にいくのが生徒に会うのが楽しくてしょうがない時期でした。続く・・・・
2005.01.26
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みなさん、こんにちは。^^おおにし@オヤジノセナカプロジェクトです。今日は、イベントだけでなく、みなさんにちょっとお願い毎があってメールします。↓ここが<重要☆☆☆>****************************【第1回<会員制オヤジのセノビ塾> ~板前が握ってくれる寿司屋に行ってみませんか?~】 予告 第2回<会員制オカンのセノビ塾> 未定 ~名湯秘湯に行ってみませんか?~ 【オヤジノセナカプロジェクトを自分でやってみませんか?】**************************** キーワードは 【教育・粋な大人のなりかた・自分の天職・粋な遊び方】 です。 ☆第1回オヤジのセノビ塾 +++++++++++++++++++++++++ ○1月30日土曜日夕方5時。 ○集合場所 JR大阪駅中央改札口 ○お寿司屋さん これは秘密です。 ○費用 初回 入会費無料 (第2回めより1000円徴収です。) 費用 3500円(ビール含む) ○お問い合わせ 事務局 info@oyajinosenaka.com 〆切1月29日です。 先着3名 のこり2名を公正なる抽選で選びます。 ++++++++++++++++++++++++ 以下関心のあるかたはお読みくださいね。<実は・・・> 2004年6月6日新宿のとある喫茶店。 ニートが増えていく。 なんか大人になるのって、かっこよくないのかな・・・ 「粋な大人になるモデルの不在」 <どうも> 大人になるのがわかりにくい。 自分の生き甲斐がわからない。 そもそも夢中になったものがない。 だから、 なにが自分にあっていてあってないのかも、 実はよくわかっていない。。。 あせっている自分とのんびりしている自分が同居 して<不安>に押しつぶされそう。 そんな環境にぼくらは置かれている。 <そんななかで、> 成功哲学や勝ち組負け犬の言葉がどんどんでてきて、いつの間にか自分が「負け組」になっている気がしてくる。 勉強もある程度できたし、スポーツもそこそこできるし恋愛もそこそこ。 けど、その「そこそこ感」がすごく自分を焦らせる。 情熱大陸・プロジェクトX・トップランナーなどなど。 いっそのこと、めちゃくちゃ金持ちかめちゃくちゃ貧乏かとことんストーリーが描けるような環境の方がよさそう。。 なんて、本末転倒な心理システムに実は若い人たちだけでなく、30代40代の人にまで陥れている。 そう、世の中がとにかく「成功者」に注目がいってしまう構造になっている。 だから、これからニートもどんどんでてくるだろう。 大人でさえも、いつ落伍者感覚を味わってしまい、引きこもりになっていくかもしれない・・ この「不安増加回路」に陥ってしまいがちな社会に、「お多福増幅回路」を提供し、粋な大人になろうというのがオヤジノセナカプロジェクトです。<では> 「お多福増幅回路」とは何か。 つまり、粋な大人になるための【方法】ですよね。 これには5つのアプローチ(段階)があります。 ******************* 1つ。 粋な大人のオーラを「感じる」こと。 (情熱大陸などのアプローチ) 【見習い・アプローチ】 2つ。 粋な大人に「接してみる」こと。 【手習い・アプローチ】 3つ。 粋な大人と「同じ体験をしてみる」こと。 【丁稚・アプローチ】 4つ。 粋な大人になったつもりで「イベント」 を行う。 【番頭さん・アプローチ】 5つ。 粋な大人として「でびゅー」する。 【のれんわけ】********************* まず【見習いの時期】 とりあえず、粋な大人を見るということですね。 *粋な大人とは自分から見てて、すごく 「こんな生き方してみたい。背中をみているだけで かっこいい。」 という大人の人のことです。 これは情熱大陸などがやってくれています。 輝いている人を紹介し続けてますから。 けど、これだけをすると、お多福回路には行きません。 不安をあおることもあります。だから、幸福をもたらさない回路になる可能性もあります。 お多福回路は、いろいろな小さいものから大きなものまでの幸せの集合が自然に生まれ出てきて、ちっちゃな不幸や大きな不幸が来たときに、助け船を出してくれる自発回路のことです。 人が助けてくれるのは、すごくいいけど、自分でどんどん幸せになる回路があればさらにいいですよね。 それを自分で生み出せすことができるようになるのが「お多福回路」です。<去年までは> 第1段階から第2段階の回路作りでした。 粋なオヤジオカンを紹介して、実際に「接してみる」というのがオヤジノセナカプロジェクトの目標でした。 粋なオヤジオカンも、情熱大陸のように、輝かしい太陽のようなモデルでなくて、身近に咲いているひまわりのような粋な大人を紹介していくというコンセプトでした。 どうしても太陽は眩しすぎて近寄れない、という性質を持っていますから。 次に第3段階の【丁稚】 実際にインターンではないですが、粋な大人と同じような体験を、未熟ながらも「やってみよう」という段階です。 今年は、この段階として 【会員制オヤジ・オカンのセノビ塾】をやろうと考えています。 粋な大人がやっている「遊び」に注目して実際に「体験しにいこう」というものです。 基本的に会員制にして、少数人数で楽しめる内容にします。 粋な職人のいる懐石料理・寿司屋に行く。 粋な大人のいるジャズやお酒を飲んでみる。 着物を着て、粋な秘湯を探すための小旅行 にいってみる。 いやいや、お水の花道も見てみよう。 オカマバーで恋愛を語るというのもどうかな。 表の道から裏道(笑)まで。とにかく、一つまちがうと粋じゃないかもしれない世界まで、一挙に視野を広げにいきます。 「大人の世界」を教えてくれるナビゲーターをゲストに10人以内の少人数で実際に試してみる。 セノビしてみて、少しだけ「粋な大人の世界」をのぞきにいくというものです。 これが今年の【テーマ】です!! それでです。 第1回オヤジのセノビ塾をやります +++++++++++++++++++++++++ ○1月30日土曜日夕方5時。 ++++++++++++++++++++++++ これを第1回にしたいと思います。 そこで。 今年は、いっしょにオヤジノセナカプロジェクトをやってくれる第1期生を募集したいと思います。 実はほかにも隠れプロジェクトがあるので、特に教育関係のお手伝いもお願いしたいと思います。 ○募集(期間 1月から6月まで or 1年間の選択制) ☆大学生スタッフ 男女2名程度(合計4名) ☆社会人スタッフ 男女1名程度(合計2名)○条件 ・自分で教育系イベントを運営したい情熱を持っている人。 ・できれば大阪近郊がよいです。。 どうしてもミーティングを頻繁に行いたいので。 *臨時スタッフはイベント毎にお頼みします。○詳細など問い合わせ オヤジノセナカプロジェクト事務局 info@oyajinosenaka.com まで。 よろしくお願いします!!
2005.01.25
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『恋愛すれば人は成長する。』これは昔からいわれていたことだけれども、どうしてなんだろうね。燃えるような恋。失恋。やってはいけない恋。みなさん、恋愛やってますか?何気ない一言ではじまった恋。気分まぎらしにいってみたデートでもいい。寂しかったときに、偶然入ったメール。コンパでも出会い系でもよし。最初のアプローチがどんなものであれ、始まれば、相手のことを考えることがすごく楽しくなる。みんな一つや二つ、エピソードありますよね。ぼくでさえありますからね~(笑)相手の声や温度が感じたくなる時。つきあっていくうちに、相手のことが少しづつ見えてくる時。ええじゃないっすか。こういう感覚。ここで冷めちゃえば、終わりなんだけど、優しい言葉や、笑顔、さりげないけど自信に満ちた表情やしぐさ。男も女も自分だけの恋愛ストライクゾーンに酔いしれていく。そんなことを考えているうちに、どんどん自分と相手が同化していく。そう、まるで、相手がいないと自分が存在できないような。逆に、そこまでいけなくて、ほんと自分の恋愛感情を試すような、人を好きにあるだけのエネルギーを試すような恋愛もあるけれど、そんな体験がね、人を成長させますね。けど、一番成長するのは、やっぱり 「振られる」 「別れる」 ときだろうと思う。。。なぜか(笑)。手痛いだけの恋愛じゃあ、痛いだけでぜんぜん良くないけど(笑)。振られて振られていけば、もうそれこそいっぱい妄想の虜になる(笑)別れるときもそう。シチュエーションにあわせて、いろんなことを考えると、もう、妄想の戦いだね(笑)。+にも-にも妄想は激しく揺さぶられる(笑)こんなことを考えるだけでも、なんだかいろいろな想いや考えが出てくる。それだけ恋愛は、自分の全ての感情を使ってするものだから。いやがおうでも、そのときは真剣勝負だからね。恋愛と同じ構造をもてば、人はきっと成長する。そう、+と-の作用がおおきいもんね。振り幅の大きい恋愛はいいかもしれない。。そうなるとやね。いまの学校はつまらんね~。うん。もったいない。
2005.01.23
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教育って、いろいろ定義できる。 知識でいうと、「知識の高い人から低い人へ知識を伝達する」。であったり、 「子供を大人にさせる」であったり、 「前の自分とは違う、新しい自分になる」とかねえ。 目線を変えると、 地理的にいえば、「現在地点から、上方移動させる。」 宇宙的にいうと、「無に有を生じさせる」。 とかね。 どちらにせよ、何らかの形で 「過去の自分」が、何らかの作用で、「新しい自分に変わる」ことをいうわけですよね。 その何らかの作用が、つまり **** 「教育」 ****なわけですよ。 この「何らかの作用」って曖昧に書いたんですが、何でもね、実は「教育作用」あるんですよ。 ただ、成長しなければ「教育効果がない」ということでそう思われていないだけで。 こう考えると、私達がすごく感情を揺り動かすものはすべて「教育作用の高いもの」なのですね。 そのなかで、「+に作用するもの」。 それも歴史的に妥当されたものが、学校のなかで残っている教育内容となるわけです。 例えば、9教科はそうですわ。 国語も理科も社会も家庭科も習えば必ずプラスになりますもの(笑) 「+になるのか、-になるのかわからない」 あるいは常識として 「-になるもの」というものは除外されてるんですよ。 けど。 ぼくは、ここで、 「-のもの」 「+か-かわからないもの」 にこそ、一番教育効果が高いのではと思うのですよ。 一番「-のもの」 これ戦争ですよね。 戦争は一番「教育効果高い」です。 応仁の乱以後の戦国の世を終わらせたあとの「江戸の平和」 黒船来航以後の幕末の混乱から生まれた「明治維新」 日清日露戦争で生まれた「日本の列強国化」 戦後50年後の「平和憲法と戦後民主主義」 いや話題を変えてもいい。 今年10回目の阪神大震災。 大震災は、震災以後の日本のボランティア定着においてエポックメイキングな出来事となった。 そう、人間は「-の教育」のみ、異常なまでの教育効果を発揮する。 ここ最近の児童殺傷事件もそう、犯罪の低年齢化もそう。 サカキバラ事件以後の少年法改正論議は、以前とはまったく異なるものにしてしまった。 教育界にも実は同じことが起きていた。 3つ紹介しよう。 1つは、部落解放教育。 2つめは、戦後の「平和教育」 そして3つめは「命の授業」というものである。 1から2まではいうまでもない。 部落の凄まじい差別の歴史が多くの差別撤廃のための団体を作り上げ、法案をつくり、実際の学校現場でもたくさんの授業がおこなわれてきた。 授業では結婚差別や就職差別の事例を読み物にして授業化された。実話ものなので、非常に大変なことなんだというのを子供ながらに感じた記憶がある。 戦後の平和の授業もそうだ。 日本の侵略の歴史、そして日本軍の残虐性にスポットをあて、いかに戦争が愚の骨頂か、そして、我々の先祖が犯した戦争犯罪はいかに凄まじかったと自虐的に行われた実践がある。 こういうふうに、-の作用をもったものは、非常なまでの教育効果を持っている。 これと同じ-の作用で「命」ヲ学ぼうとする授業がある。 それが命の授業で、これは鶏を飼育し、育て、そして最後に、自分たちでしめて鳥鍋にして食べるというものである。 生きることの「宿業」にスポットを当てた、大変な実践である。 ただ、ぼくは昔から、こういう-の作用を露骨に使う授業は嫌いだった。 こういうのって、精神的トラウマを作ることで、歯止めを作ろうとしているyりかたで、すごく暴力的な教育だなと言う気がして、あまり気が進まなかった。 「命の授業」も、生きることの宿業性にスポットを当てるのはいいことなのだが、だからといって、わざわざ自分で育てて殺さないと、生きることの宿業がわからないものかどうか。。 身近なところから「死」がなくなるからといって、死に対面させるというダイレクトなやり方も、いまひとつスマートに感じない。 戦争のひどさを教えるのに、いきなり戦地に連れて行かれるような感じがする。 だからぼくは、 「+か-かどっちかわからないもの」 にこそ、教育作用の高いものがあるのではと。 だって、-の教育手法って、-に振り子をふっておいて+の行為につなげていくというやつですよね。 だったら最初から+か-かで「迷うもの」を題材にすればいいんですよね。 たとえば、-4のことを題材にして+にしようというのは教育効果によって人に与えられる効果は「+4」です。 けれども、+2と-2の間を揺れるような題材だと同じく「4」の間をゆききするわけですから、同じだけの効果があると思うのです。そう考えると、ぼくは、学校で教えない教育効果の高いものとして「恋愛」があると思うのです。~続く~
2005.01.22
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日記の内容が変わった。どうも、人の相談を受けているうちに「負の転移」があったらしい(笑) 負の転移とは、相手の抱えているマイナスの感情を共感して考えているうちに、自分も負の状態に陥ることをいう。 なんか、自分が負の転移ができるほど、まだまだ繊細なところがあったのかと自分でかわいく思う。 今日は、高野山へ行く日だった。 最初は、みんなで行く予定が変更変更となって自分1人で行くことにした。 そのときは、すごく空海さんのポジティブなひらめきをもらいにいくというコンセプトであったが、どうも、違ってきた(笑) 一人旅を無性にしたくなり、負のお払いにでも、という気分に。 こういう気分を楽しむために、いろいろ考えてみた。 もっと、こうさみしく、切なくなる自分を演出しつつなにかできないかな。。。。。と。 「オヤジ一人旅~酒とたばこと涙の高野山~」 う~ん。キャッチコピーが今ひとつ(笑) ちょっと「引きこもって考えよう」 だな。 週末は暗めにいこう。 よし、ちょっと「暗めシリーズ」 ********* 「ふ」に犯される ********* という感じで楽しもうかと思う。 孤独を楽しみ、そして孤独から生まれるえもいわれぬ「なにか」に出会おうと思う。 ふふ。
2005.01.21
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今日の朝のめざめはすごかった。。。。ひさしぶりに、脳味噌が炸裂するような体験だった。普通、起きたばかりって、まどろむ時間がいいじゃないですか(笑)最近早く起きては1時間近くまどろむのですが、布団でまどろんでいるときに、ふっと頭の中に「なぜブログに自分の弱いところのさらけだしをするのか?」「なぜ引きこもりたがるのか?」という問いがおこり、その問いがすぱ~~~~~と自分のなかで解決することができる仮説ができた。そのプロセスが劇的で、非常に気持ちよかった。おもわず。四国遍路に旅立とうかと思ったぐらいである(笑)。その仮説とはこうだ。 まず、我々は多様な価値観のシャワーを浴びている。 そのなかで、我々自身も「多様な存在」(オンリーワン)になりつつある。 そうなると、逆に非常にさみしくなり、「自分と同じ価値観をもつもの」を探したくなる。 そのときに、自分の弱いところや共感できる範囲をどんどんさらけ出していけば、その部分で共感してもらえる人や自分を受け止めてくれる人が登場するのを待っている。 そして、受け止めてくれる人や、自分の細部に渡る感覚が同じ人が登場したならば、その人とすごく「一体化」したくなる。 この「一体化」の感覚。 恋愛でも究極はその人と一つに「溶けあいたい」という感覚が芽生えるが、それと同じようなことか。 神との一体化も「霊肉との一体化」である。 なんかスピリチュアルな感覚だけど、すごくみんなほかの自分を受け止めてくれる「相手」を探し、そして「一体化」しようとしている。 そんな気がしてきた。 なにか、「一体化」というのがキーワードな気がしてきた。 ぼくは、昨日までブログで「孤独のすすめ」を説いた。 孤独になりきれない甘さがブログに出ていると、批評した。 しかしながら、これは「一体化のための儀式」としてブログを見直してみると、すごく、みんなの詩のようなブログに、その儀式を見てしまう。 あの詩へのコメントで、「自分と溶けあえるかも知れない」度数を判断しているのかも知れない。。。 そう思うと、新たな感覚が目覚めてきた。 すごく、孤独によって自分をみつめなおして、そこから自分と溶け合えるような存在の「だれか」に会いにいく。。。 同性でも異性でも、この「溶けあえる感覚」が互いに持ちあうことができれば、最高のパートナーとなるだろう。 *アニメ『エヴァンゲリオン』が「溶けあう」を主題に した物語であったことを思い出してほしい。。。 四国お遍路では、「同行二人」という。 そう空海さんと一体になって旅するというコンセプトだ。 けど、これもそうなんでは。 旅によって、自己をとぎすまし、孤独な内省へと入る。 そのなかで、狂おしいほどの寂しさと対決する。 対決の中で、いろいろな気づきを体験する。 その気づきが空海さんのものに近づけば近づくほど考えれば考えるほど、空海さんと「溶け合える」。 そんなことを考えながら、布団と一体化しようとしたぼくは、遅刻しそうになったけれど。。(笑) 22日。 ぼくは空海さんがいる高野山へと旅をする。 空海さんと溶けあえるのか、すごく楽しみだ。 それ以上に、現世の世界での「溶けあう感覚」を大事にしたい。 きっと、おもしろい人生が待っているはずだ。 この感覚、わかってもらえるだろうかな(大笑)
2005.01.20
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最近、なんかブログの主張が変わってお恥ずかしい・・・昨年から思っていたことを、すぱっと書いちゃったが、いつもと違ったはなしのせいか、反響があった。いつもの2倍以上の訪問者がいたし(笑)さて、今日のテーマは「ふざけるな。」ぼくは基本的に、怒ることはない。というか怒る気力があれば、人と楽しんだり、ほめる方に力を使いたいからだ。けれども、怒らせるやつが入るんですよね・・・それはですね。批評家面して、ああだこうだコメントしてですね、実力者ぶるわけですわ。それがね。実際に、やらしてみたら、ほんといいわけばっかりで、しょぼいやつ(笑)こんなん、いっちょ嫌いですわ。批評家面するやつって、いちばん嫌いなんですわ。去年もね、ある事件があったんですわ。飲み会です。職場の人間ばかりで行った打ち上げです。そのあとの3次会ですかね。おなじ職場ですが、しゃべったことのないある先輩がデスね、ぼくにこういったんですわ。「君はでたらめなひとやなあ」初めてしゃべった俺にこういうんですわ。酔ってるから、最初はあんまり気にしないんですけどね。これを繰り返すんですわ。スナックで。その先輩が帰り際にこういうんですわ。「君はうちにずっとおりたいのか?」「おりたいように思えないなあ」「うちの子ども達から、きみの授業の声とか評価とかきかないなあ」「おまえ、ほんまにうちにずっとおりたいんか?」これ10分間。スナックの真ん中で説教タイムですわ。こんなんが若いのにも、オトナにもいるんですわ。えらくでかいことをいう。けど、現実となると、「おまえなんなん」、みたいなの。口だけ大将は、いちばん許せませんわ。いま、コンサルタントばやりですけど、一つ間違えばこれもそうですよ。学生でもいっぱいコンサルタント目指すやついますけど、「経営したことあんの?」「何アドバイスすんの?」それに、英語を駆使して、よその事例ばっかり説明してそれがコンサルかいなと。。。。どこか、アドバイスを生業とするシゴトには、この 「批評家で終わらせてはいけない誠実さ」が問われているような気がしますわ。 話かわるけど、 最近多い、モチベーションアップや、元気にしようという言葉もイベントで乱立してますよ。 夢とか、目的を見つけようと言うセミナーも多い。 けど、どうなんだろうね。 モチベーションがあがるって、「自分のエネルギーを燃やす」ことデスよね。なにかやりたいという気分にさせるという。 けど、けどですよ。 その燃えるだけのエネルギーが少ない状態のクライアントを「燃やす」とどうなるのか。 燃えた後は?? 結局、「毎回相手を燃やしてあげる」ことで「その気にさせているだけ」なんではと。。 これ「依存」させてるわけですよ。 自分で「燃える回路」を作れていないんですよ。 「燃えるためのエネルギーの作りかた」教えてます? 「燃え続けるしんどさ」は、教えてますか? そういう誠実なことしてますか? なんか、いまの風潮をみていて、そう思います。 ほんま口ばっかしはあかんで。 →今日の故事成語 "有言実行"
2005.01.19
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覚悟を決めた人間は、すさまじい。夜回りで有名になった水谷先生。彼がいつも、著作本の最後に書いている言葉が「いいんだよ。」そ、ありのままのきみを「ボクハ好きだよ」というメッセージ。けど、彼の言いたいことはホントに伝わっているのだろうか。 ***昨日、なぜ人は「悩む」のかということで、つらつらと書いた。知らぬ間に、自分は「勝ち組」になりたい。 他の人よりも自分は優秀なんだ。 弱っている自分はかわいい・・・・と思っていることに気付かず。そこから、自分だけ勝手に焦り、そして苦しみ、ブログという環境で、自分の弱さを吐き出し、人に自分の考えるべき荷物を預けてしまう。そんな「不安の亡霊」にとりつかれている人に辛口なメッセージを送った。去年からたくさんのオトナ達に、そして就職活動をしている学生や、インターンで燃えさかっている、熱意ある学生に多く会ってきた。けれども、その多くは、「不安の亡霊」と戦っていた。勝ち組になりたくて、なりたくて。テレビに出ている成功者のように、お金をもってリタイヤしてみたい。年収1000万円をクリアーしてがんばろう。。成功哲学にふりまわされて、夢に日付を付けよう。日記を付けよう。そんな人にたくさんあった。就職活動で、自分よりもすごい人に出会い、焦る。自分が思っているほど、就職活動で発揮できていない自分。イベントに参加して、共通体験をもつことで励ましまうことで、ついつい人のエネルギーでがんばる力をもらってごまかしてしまう自分。田舎でがんばっている自分を認めてくれない、意識の低さをなげく学生。けれども、意識の低い環境で囲まれているから自分が田舎で目立っていられることに気付いていない、そして田舎で勝ち組になっていることでプチ満足している自分。そう、みんな、オトナも学生も、けちな成功哲学に毒され、勝ち組負け組の言葉に踊らされている。 ***そんな人たちに、水谷先生の「いいんだよ」という【達観】を伝えたい。彼はまもなく死ぬ運命だろう。ガンであるらしいから。家族を犠牲にしてまでも、他の人を救おうとした水谷先生の行き着いたところは、【達観】。彼は成功を目指しているわけではない。また彼は勝つとか負けるとかのところにはいない。毎日、彼にすがって生きようとしている人々に、「いいんだよ」そう、君がもっているありのままの「グラウンドゼロ」の「生きる原点」を認めるよ。だから、そんなに自分を否定しないで。そういうメッセージのこもった言葉が「いいんだよ」それは、いろいろな虚飾を削ってでてきた【達観】のことば。けど、彼のメッセージは伝わっていない。自分が作った「不安の亡霊」を彼に押しつけようとしている人々がいる。彼はそういう人にも「いいんだよ」と伝えるであろう。けれども、俺は許さない。「よくないんだよ」どうして、そんなに「甘える」んだよ。おれが「いいんだよ」っていいたいのは、 「もくもくと自分を信じて生きている人たち」なんだよ。 身の回りにいる「名もなきひと」にいいたいんだ。 たぶん、水谷先生は、甘えることすらわからなくて、「翻弄されている子ども達」に伝えたいんだ。 「いいんだよ」に甘えるやつにはやれないんだよ。 ぼくが伝えたいのも、そういうことなんだ。 確かに、勝ちたいよ、人生で。 楽天やライブドアの社長達のように、何百億とほしいよね。 リゾートで好きなこと、やりたいよね。 その欲望に向き合うのはいいんだよ。 けど、それは君の本当の「やりたい欲望」かい? 「うらやましい」 と 「欲望」 は違うんだよ。 オトナになるっているのは、「自分の本当の欲望」と向き合い続けること。 やりたいことがみつからない。 それは「自分の本当の欲望」がないんだよ。 飢えたことがないんだよ、きみは。 だから、自分1人で引きこもって飢えてみたらいい。 絶対「グラウンドゼロ」が見えるよ。 飢えずに、ただ甘えて引きこもれば「枯れる」だけだよ。 そこまで自分を見つめることができて、初めて、自分にいえるんだよ。 「いいんだよ」って。
2005.01.18
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最近、いろいろなことで相談を受ける。みんな「悩んでいる」ようだ。ぼくにしゃべってどうになるのかわからないが、それでもいろいろ喋ってくれている。たぶん、みんな「不安」なんでしょうね・・・進路のこと。自分に対しての焦り。やりたいことが見つからない。どうしていいかわからない。いろんな相談を受けて、正直、みんな「自分にうざったくならないのだろうか」。ぼくは一切相談はしません。不安も人一倍もってますよ(笑)。収入のこと。前よりもがっちり減りました。地元にある、たくさんの人脈も捨てて来てます。まだまだ大阪がホームグラウンドでもなく、落ち着き場所も少ない。いつも孤独に家でいます。教師という安定のあるものを一度捨てて、好きなことだけしている自分がいる。が、それはいろいろな代償の上に成り立っている。いまの勤務先だって、「きちんと奉職します」といえば、一気に年収はいまの3倍近くになる。先日のセンター試験での成績も、自分の教えているクラスがもっとも平均が良かった。けれども、年収はみんなの3~5分の1以下。実際、なんも考えずに公立教師になっていれば、変わらなければらくちんだった。。。。。ま、こうやって、相談したくなるように自分を追い込みはじめればいくらでも、いくらでも相談したくなるような「不安」はある。正直、去年の9月なんか「眠れない日々」が続いたものだ。けど、こんな問題、本当に本当に自分を追い込んで考えれば、べつに「なんでもないこと」。「どうでもいいこと」。しょせん、人と比べたり、勝ち組を意識するから。焦る。そう、人一倍、自分のプライドを増幅させて、不安回路を育てているのは、「じぶん」なんです。だったら、逆に「じぶん」のおもしろ回路を増幅させて徹底的に「じぶんを信じ切る」。ブログに不安をぶつけて解消なんかするなよ、みんな。人に相談して、気軽に人に自分の荷物をあずけんな。弱い自分を見せて、同情されるなよ。「強さ」を求めて、「勝ち組」目指して勝手に不安になっているくせに、おかしなことを悩むな。いいわけがましいブログが多い。ブログを自分で自分の弱さの掃き溜めにすんな。自分をとことん追い込めよ。ほんとに死抜きで自分を追い込め。ちゃらちゃら勝ち組めざすから 不安になるんだ。そういうことに気付いてないから、不安の亡霊にまとわりつかれる。1人で悩みきれ。引きこもれ。そして、おもいっきり、これっていうぐらい1人になってみろ。ほんとうに、汚い格好で、誰にも相手されないような姿にまで自分をおとしてみろ。きっと、 水を飲もうとする自分がいる。 トイレにいこうとする自分がいる。 体は生きようとしてる。 そして実は心だって、生きようとしている。 その生きようとしている「むきだしの自分」 原点のエネルギーにふれあってみろ。 きっと、それがあなたの「グラウンドゼロ」なのだ。
2005.01.17
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最近のマイブーム。【空海】やたらと、四国88カ所に来ている人がいる。42歳の時に空海が歩いた道のりを、のちに弟子がお遍路化したという。けど、何を求めて??そんなことをいろいろ考えていたら、昨年からどうも癒しの構造を、元気の出る構造を88カ所はもっているのではと。 その構造はみなさんが思っている構造とはひと味違う(笑) この話は、ちょっと秘密なので直接聞いてね(うふ)そんなこんなで、空海さんがすっかりキーワードになっている。最近も、ぶらっと本屋に行けば、ぼくの好きな作家である夢枕獏さんが17年の連載を完成させて、空海さんを主人公にした本を出した。すぐに買う。全4巻。またぶらっと図書館にいって、江戸時代の勉強をしようと本棚をみていたら、郷土のカメラマン三好和義さんの高野山の写真集が目の前に。さっそく借りる。今日もぶらっと高野山に1人で下見にいこうと準備していたらTBSのテレビ番組「世界遺産」で高野山特集。あっと思って、見てみる。どうも、空海さんに呼ばれているらしい(笑)。今年は、どうもぼくにとって【空海元年】だ。資料を開いてみると、彼が亡くなって1170年めの今年。「117」は「いいな」と読める。 もっと妄想ふくらませると「1170」→「いいなゼロ」になるって・・そう、今年は、ゼロになることがいい年。 「何か」の元年になる年のようだ。なんか今年がどうなるのかワクワクしてきた。そこで、1月22日にぶらりと高野山に行こうと思っている。そして、一服うまいたばことお茶を飲みにいこうかと。みなさんもいかがですか?一緒に土曜にいける方は、メール下さいね。以下詳細*********************○ぶらり高野山へ一服ツアー 目的;ぶらぶらしながら空海さんに会いに行く。 ひよう;ぜんぶ電車と徒歩 片道1280円だから2560円。 それに、参拝なんかで1000円ぐらい だから4000円ぐらいかな。 交通;南海高野線にのって片道2時間かな まちあわせは南海難波駅改札口 集合時間;行きたい人はぼくにメールを。 帰ってくる時間;適当 姿:歩ける格好でね。************************** という感じです。 ただし、大人数はだめです。 だからキタとしても先着4名以内です。 あ、そうそう、 「京都でぶらっと一服 豆腐を食べに南禅寺に行く」というのももうじきやります(笑)。ps そんなことをいっている間にカウント数も 17777 2005-01-17 00:45:32 ksh2003さん 7が並びました!!いいことあるぞ!!どうも。
2005.01.16
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最初の赴任地、池田高校での話。教師としての最初のスタート。授業も、大学院までに、ああだこうだといろいろ研究もしたし、実際に見聞きもしにいった。家庭教師での経験もあったし、それなりに、自信をもって望んだスタートでしたね。最初にもった池田高校での生徒は、高校3年生。進学クラスと普通クラスに、部活動をしている生徒が多い私学クラス。まず進学クラスが、大変だった。何が大変って、おもしろいことをいっても、うんともすんとも笑わない(笑)もう、ばりばり勉強モードになっていて、ぼくのおもっているような、のりのりの雰囲気が出ない。現在のぼくを知っている人には、そんなまじめな雰囲気での授業などとうていできようもないことは想像つくでしょう(笑)。そこで、とにかく授業の工夫です。まずは、授業の構成。教材を2つに分けました。まず**************************** (1)教材それ自身がおもしろい内容をもっているもの。 (2)教材におもしろい内容が含まれていないもの。**************************** たとえば、古代史で言うと邪馬台国とかはおもしろいネタがたくさん含まれている教材です。どこにあったのかというオーソドックスな視点もさることながら、当時入れ墨をファッションの基本にしていたとか、文献も多いから、おもしろい視点で授業を組み立てやすいものはやりやすいんですよね。 こちらもおもしろい説とかいろいろしゃべれるし、考えてほしい部分の問いに、生徒も関心が起きやすいですよね。 こういうところの授業構成は、大学時代に研究してきた内容のことをよくやっていました。 たとえば、 「加曽利塚の貝塚に埋められた犬は、食用かどうか」のような内容ですね。 現代社会の授業では、いまビジネスゲームとしても名高い「貿易ゲーム」や、生命倫理学で有名な「救命艇状況」をもとにした授業をしたり、臓器移植の模擬体験的なものやとにかくいろいろやりました。 ま、このパターンでは問いの設定をして、仮説をたてて考えさせるとかをよくやってました。 授業構成としては 「つかみの笑い」 「問いの設定」 「仮説の紹介」 「判断・意見を述べる」 「まとめる」みたいな感じで、授業をするのです。 ところが、どうにもこうにもなりにくい内容のところも正直あります。それにどうも、日本史などでは事件ばかりで、事件ばかり扱っていると切り口も同じようになってくるなんてこともあります。 まあ、細かく見ればおもしろいのも発掘できるのですが、細かくみすぎると、よけいにわかりにくくなるもの。そういうのは一工夫しないといけませんから、授業構成を変えないといけません。そこで、授業をおおまかに5段階に分けて、 「つかみの笑い」 「授業へのいざない」 「授業と山場」 「休憩」 とにかく、つかみで生徒の気持ちをぐっと引き寄せないといけません。ぼくの得意ネタは、時事問題です。たとえば、ライブドアと楽天の話が出たときにはライブドアの創業時代の話と室町政権の類似性とか時事問題と歴史的な問題の類似点から授業を始めたりたんなる世間話で会話を楽しんでから授業に入っていきます。次に、授業をしていくのですが、テンポ感を大事にするのでクイズなどをまぜながら授業を進めていきます。こういう感じで、とにかく子ども達に「社会のおもしろさ」「社会科って覚えるだけじゃなくて、今の時代のことを理解するためにやっているんだ」「歴史の積み重ねでいまがある。」というのを大事にしてきました。 こんな感じで、生徒とも年が近かったので、すごく人気はありました、自分でいうのもなんですけど(笑) いつも生徒が群がってきていましたし、うちの家にも遊びに来たがる生徒も、恋愛話もよくしましたね。。 そんなときですよ、恋愛相談を受けていたあのころ。 いや~今思えばもったいないことをしたものです。。。(笑) ショートカットで、ハンドボール部でいちばんのかわいい子。 名前は「秘密ちゃん」(仮名)にしておきましょう(笑)。 彼氏ができるとべったりになってしまう。それが重くなって彼氏にふられそうになっている。 なんて相談を受けました。 なんか、かわいい子がね、必死になって、彼氏に振られないようにしようと努力してるんですよね。 ぼくも先生ですから、相談をまじめに受けていましたよ、最初(笑) 職員室に帰ってくると、いつも、ちっちゃい折り紙みたいなメモ用紙を折り紙風に折り畳んで、手紙をおいていくようになってきました。なんだか交換日記のようです(笑) このころからですよ、なんだか恋愛相談から、徐々に妙な感じになり始めたのが・・・・ 手紙も家に送ってくるようになり。。。 それをうちのかあちゃんも見て、「気をつけなあかんで。」なんて人が生徒に手を出すかのように注意する始末(笑) そんなこんなときに、手紙の中に 「先生の恋人に立候補します!!」みたいなことを書いて送ってきたのですねえ~。 いやあ。これはびつくりですよ。 まあ、そこらへんからは、結局先生という立場もあり、彼女もいたので、どうもなりませんでしたが、その女の子は卒業後自衛隊に入って2~3年後に結婚してましたね。 いまおもえば、いい思い出です。 そういえば、バレンタインもけっこうもらいました。 いまは男子校。男臭いだけ。。。 ああ、おもしろくも何ともないなあ。。。 以下続く・・・
2005.01.15
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さて、ついに、教師時代に突入です。ぼくが教師になったのは大学院を出ました1995年。最初の赴任地が母校池田高校でした。池田高校といえば、かつての甲子園常連校。ぼくの5つ上の世代には、春夏連覇を果たした畠山・水野の世代。それからも、ずっと甲子園の常連校でした。いまでは、見る影もないですが(泣)さて。母校に帰ると、教えてもらっていた先生もまだいたりして、なつかしい想いでと、初めての教師人生と言うことで、肩に力の入った状態でスタートしました。ただ、このときも採用試験に受かっていたわけではないので講師としてのスタート。授業だけの関わりしかもてませんでしたが、一生懸命授業に取り組みました。担当は、高校3年生の倫理と日本史。国立系と私学系の2コースを持ちました。同時に、工業高校のほうにも講師ではいり、高校2年生を教えていました。このまったく異なる高校と異なる学年を同時に教えるのはよい体験でしたよ。まずは池田高校のころの話をはじめますね。池田高校のときには、はじめて生徒から好きだと告白される事件もあり(笑)、スリリングな教師人生のスタートなのでした。以下続く
2005.01.14
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ぼくの知人であるまめさんがはじめたのがショットバーでの様子を配信するというもの。http://casty.jp/hikarisou/index_mypage.php?owner_id=363589ここの常連であるぼくの姿が、徳島に帰省したときだけ見えます(笑)一度ごらんあれ。
2005.01.02
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ことしもよろぴこりん!!
2005.01.01
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