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日本では英語に関する様々な教材が出回っている。ダイエットグッズに関しては世界中で売れ続けている。全く異なるジャンルのプロダクトのようであるが、それにはしっかりとした下記のような共通した理由がある。1. 購入したものを自分には合わないのではと思う人が多い2. 『楽』、『短時間』というキャッチの新製品が次から次へ出回ることもあり種類が多いので目移りするなどなど、いろいろ考えられるが、要はどれも続かないからだ。だが、本当の理由とはなぜ続かないかということなのである。それは、もっと違うとこにあった。始める前はやる気だけはあるのだが、『やりたい理由を考えずに、出来ない理由を考える』ので、『やりたくなくなる』のである。だからどれも続かないだけなのだ。実は自己啓発の本などもそのパターンに当てはまる。単純なようでかなり深刻な問題である。出来ない理由とは、例えばこういうことである。英語の場合は『今日は疲れたから明日からまたやろう』ダイエット場合は『これだけ食べて明日からまた我慢しよう』あるいは、『こんなことをしていて本当に自分の英語力は伸びるのか?』『あまり食べたいものを我慢しているとかえってストレスが溜まり、余計に肥満するのではないか?』という自問自答を繰り返すうちにやりたくなくなるのではないかと思う。誰だって、自分がかわいい。なので、それを認めたくない気持ちはある。その矛盾をうまくついて、結果としてそれらの産業が潤っている。それらの業界が繁栄することは悪いことではないが、購入する人にとっては悪循環ではないかと思う。以前私はこのブログで『理由』というタイトルで同様のことを書いた。http://plaza.rakuten.co.jp/shikoujikken/diary/200507120000/全ての事に共通しているのだ。だから、アメリカのトニー(アンソニー)・ロビンスのプロダクトが世界中で売れ続けているのである。(この意味は深すぎるので後日説明します)
July 30, 2005
自宅のPCのADSLが4日目にしてやっと治った。結果として電話回線自体がおかしかったようだ。一昨日は夜中までプロバイダーのヘルプデスクの担当とああでもないこうでもないと試行錯誤した。こちらが最初から回線がおかしいといっていたのだが、一応マニュアルどおりに原因をひとつずつ潰さないといけないポリシーらしいので付き合った。その担当はかなりのインド訛で聞き辛かったが、ヘルプデスクにはなぜかインド訛の英語を話す人が多い。多分IT関係にインド系の人が多いのだろう。一応、2進法を発見した国だけのことはある。ちなみに、インド人の日本で言う掛け算の九九は22×20まであるらしい。銀行員とか、経理担当にインド系の人が多いのもうなずける。私のプロバイダは日本で言うともともとはNTTのODNみたいな位置づけでNZ(ニュ-ジーランド)中の電話回線を殆ど牛耳っている。プロバイダの数はたくさんあるのだが、電話回線は全てこの会社が管理しているということだ。NZといえば、市内の通話料が電話の基本料金に含まれていることもあり、少し前のダイヤルアップ時代には世界でも数少ないインターネット天国といわれていた。普及率も世界1、2位を争っていた時期もあった。それが、ADSLが普及し始めると、国中の電話回線の権利を全て1企業が握っている為、ほぼモノポリー状態になったのだ。だから、競争がない分価格が下がらないこともあり、ADSLの普及が大幅に遅れ、サービスも当然良くない。今では残念ながらインターネット地獄になり下がってしまったのである。(笑)携帯電話もそうだった。日本ではまだ自動車電話がようやく普及し始め、ポケベルが主流だった頃、NZでは携帯電話がビジネスマンだけでなく一般にも既に普及し始めていた。おまけに日本に比べると当時はかなり安い通話料で利用できたのだ。その後は携帯電話機の性能は日本に多少の遅れはとるものの、一応進化しているのだが、なぜか当初安かったはずの通話料金はほぼ据え置きとなっている。この国は市場がかなり小さい。人口でいえば400万人にも満たない。ちょうど日本の静岡県の人口くらいだ。だから、この国ではこの種のサービス価格はは殆ど下がることはない。据え置くだけなのだ。理由は単純である。経費が同じなのに売り上げが落ちるということは、企業にとっては死活問題なのだ。つまり、マーケットが小さいということは、そうならざるを得ないのだと思う。競争がないと、企業努力が必要なくなってくる。特にこの国は他社が何かをやれば慌てて、追従する感じなのだ。日本の商売を営んでいる方がよく遣っていた『勉強させていただきます』というフレーズがある。つまり、こういうことの為に遣われるべきなのだと思った。
July 29, 2005
以前、私のコラム(タイトル:エントロピーの増大)で触れた、子供の成長過程においてネガティブに思考される理由というのを後日ご紹介するということだったので、ここで、ご紹介させていただきます。いつもながら、これは私個人の意見であり考えなので、特に育児書を参照したり、有名な学者が唱えているとこではありませんので、ご了承願います。私の上の息子は2歳半の反抗期真っ盛りのやんちゃ坊主です。(関係ありませんが、子供は幼いですが、私はあまり若くありません)私が子供に接していると、息子はじっとしてなく、いたずらばかりするものですから、ついついネガティブな表現を多用してしまいます。『やめて~!』、『だめ~!』、『それにさわらない!』........等など。ある日思ったのです。これは、子供に良くない。ネガティブな表現ばかり親が使ってると、子供がポジティブに思考し辛くなるのではないかと。また、良くこういうことがあります。家族で出かける前に急に子供が愚図ったり、玩具で遊びはじめる事があります。親は時間に追われているわけですから、子供の要求が我侭に思えます。しかし、よく考えるともともと親の都合だけで出かけるのです。親の都合もあるように、子供の都合もあるということです。でもついつい怒りたくなりますよね。昔から『子は親の背中を見て育つ』と言われています。この意味は、子育てをしてるとわかるのですが、子供は親や自分が見た画像、音楽しか覚えません。脳が無垢の状態なのですから外から情報を記憶します。(特に言語関係については)もし、全く親に身に覚えのない事をもし自分の子供が知っていたとしても、それは必ず過去に見たり聞いたりしたことであるということです。ヨーロッパ社会ではたとえ子供でも人権を尊重し、一個人として扱います。その考え方には大賛成です。しかし、私は子供が何をしても基本的には親の育て方に原因があると考えています。ただし、全ての責任が親にあるかどうかは一概には言えません。特に学校等に通うようになると、交友関係により親がコントロール出来ない部分が多く出てくることも事実だと思います。厳密に言えば、その学校(環境)を選んであげるのも親次第です。それは、経済的な理由もあるのかもしれませんが、経済的な理由で理想の環境を与えられないのであれば、その変わりに何かをしてあげればいいだけなのです。かといって、責任を感じろと言っているのではありません。『子供の年齢に関係なく何歳からでもいい、今からでも子供に何か親のメッセージを伝える事は可能であり、重要なのではないか』と思うだけなのです。(私の思考に『手遅れ』という文字はありません)では、実際にネガティブな表現を使わずにやんちゃ坊主に接するにはどうすればいいかというと、単純です。ポジティブな表現を多用するのです。2、3歳の子供は、なぜ自分が怒られているのか理解していないといわれてます。もちろん、ダメな理由も説明しないよりはしたほうがいいのですが、理由も理解できるとは限りません。そもそも私も随分かってな要求を子供にいていたなということに気づきました。ただ、いきなり『ダメ!』では大人だって納得しないだろうし、子供は何がいいのかもわかりません。親が遊びなどの提案をしないのに、子供任せで、やって欲しくないことだけを指摘してもフェアじゃないのです。これでは、文字通り子供を看るではなく、見てるだけと変わらないのです。子供がして欲しくない行動を起こす前に、して欲しい行動をするように最初からすればいいのです。これは、実際には簡単ではない事なのかもしれませんが、これは勉強と同じで、やらないと結果が出ないだけなのです。もう一度言います。『今からでも十分間に合います』我々人の親としてやらなければならないことの一つに、自分達が考えている事をDNAを受け継いだ子供たちによりたくさん伝える事が挙げられると思うのです。
July 28, 2005
『水戸黄門』は今回で確か34部作目を向かえ、10月には35部作目がスタートするらしい。30年以上続いている超長寿番組である。毎回ドラマの終盤になるとお約束のように『この紋所が目に入らぬか~!この方を...................!』といっていつもハッピーエンドで終結する。悪徳商人や悪代官、性悪家老などが悪面並べてひれ伏すという毎度のパターンである。誰が見ても大体ストーリーの展開は想像がつく。もっとも、傾向として基本的なスタイルが変わらないということも長寿番組の特徴でもある。しかし、この番組には日本人の気質に大きく関わるとんでもない陰謀?が隠されていることに気づいてる人は少ない。(と思う)そもそも、ご存知の方も多いと思うが、水戸光圀は生涯の殆どを『大日本史』という歴史書の執筆活動に費やしており、ドラマのような全国行脚の旅は実際には実施していない。伝説としてのみ残ってはいるが実際は講談や歌舞伎の題材のみ話だったようだ。もっとも事実でなかったからこそ、ドラマの構成が楽だという発想もあったのだろう。余談であるが、彼は意外にもラーメンや餃子、チーズなどを日本で初めて食された人のようだ。これは私も知らなかった。さて、皆さんは実は日本人が某TV局とスポンサーであるM(NともPともいう)社に知らず知らずのうちに洗脳されていることをご存知でしたか?と書くと大袈裟なのだが、言い換えるとそ『葵の門の印籠』ではなく、『水戸黄門というブランドの印籠』に脳のある部分がひれ伏しているのである。我々日本国民は幼少の頃からあの歌を聞かされ続けている。『♪じ~んせ~い~♪ら~く~あ~りゃ、♪く~もあ~る~さ~♪...........』お年よりも時代劇が好きな分、かなり聞かされているので、あらゆる年齢層に浸透しているといっても過言ではなかろう。そもそもこの歌詞が良くない。『人生いい事もあれば悪いこともある』こういう意味にも取れる。一見当り前な事なのであるが、実はここに大きな落とし穴があった!つまり、このフレーズからネガティブな思考が生まれやすくなるというのである。この歌詞が妙に人間の脳波にシンクロしてしまう。文字通り『脳波』というものがある。これは『波』である。『波』とは通常上上ったり下ったりしているものだ。『波』があるなら皆乗りたいものだ、と考える。なので、当然人間は本能のように『体調』、『感情』、『人生』、『運』、『脳の働き』etc.あらゆるものに『波』をわざわざ作って生活している。またそうなのだと信じて疑わない。実は私も以前は例外でなくそうであった。もう頭の良い読者の皆様ならもうお解りでしょう。ちなみに私は自分の親に私の成長過程において『全ての事に対してプラス思考することが人生で最も重要なことの一つだ』と教えられたことはない。(自分の息子達には教えようと思ってはいます)しかし、実際には『水戸黄門』を毎週見せられたかどうかは記憶にないが、例の主題歌は歌えるつもりでいる。『人生とは波があり、いい事の次には必ず悪い事が起こってしまうものだ』とつい数年前までは勝手に思い込んでいたのです。だが、実際は『人生にも何に対しても波なんて全くないのです!』自分がどん底に落ちたと錯覚して後は上るしかないという一見前向きな(実は非常にネガティブな)開き直りの精神も、こんなにいいことが続いて何か後で悪い事が起きそうだという心配も何も要らないのです。『波』などないのですから。普通の人は『そこまでは誰も思わない』と考えるかもしれませんが、それは自分を知らないというか、『そこまで思わない』のではなくて、『考えた事がないだけ』なのです。洗脳とはそういうものだと思っています。洗脳された人に洗脳された自覚がもしあれば、その洗脳は大失敗です。すけさんとかくさんが黄門様の横に立ち印籠を出した瞬間に視聴者の脳内にドーパミンに似た快感物質が分泌される。それが洗脳に近い効果を倍増していると考えられる。その結果日本人特有のネガティブさ、占い好き、流行好き、飽きやすさ、などなど数え切れないほどの気質に影響していると考えるのです。もちろん、『水戸黄門』だけが原因ではないと思いますが、お年寄りがいわれる『最近の若いもん』とは『水戸黄門世代』のことなのかもしれません。オープニングの主題歌を変えてさえくれれば良いドラマなのだが、少し残念である。この先、いったいどれくらいの人が先の印籠の魔力から開放されるのであろうか。
July 27, 2005
昨夜、家のADSLが繋がらなかった。プロバイダに電話してもモデムの所為にされてしまう。たまにこういうことがあるので、翌日まで待つ事にした。しかし、インターネットがないとかなり不便を感じる。だから、ほのぼの101さん(http://plaza.rakuten.co.jp/20oz1lia3n0m/)のブログタイトルではないが思いついたときに書いとかないと書けないかもと思った。だから今日は以前から気になってることを書かせて頂きます。約1ヶ月前に思った事があります。ただ閃いたっていうかこうじゃないかなって思った事があったんですが、なぜか気になってしょうがないので、どなたか下記の件で知ってたら教えて下さい。ちなみに私はもともとソフト屋でなく電気屋(ハード)なのであまりソフトウェアのことはわからないし、プログラムの中身の事までは全く興味がなかったということを前提に読んでください。ある日、PCで動画のデータをエンコードしていたんです。HOLONって会社のDavideo Hypervideo2ってソフトで。普通、エンコードやデコードには時間がかかるから、それらの処理終了後に『処理終了後にコンピュータをシャットダウンする』って項目があって、それをティックできるようになってるんです。今まで使ったことはないんですけど、なぜか気になってました。それで、その時ふと思ったんです。『これティックすれば、OS(Windows)のシャットダウンを自動でしてくれるんだ』って。(当たり前なんですけどね)そして、ちょっと考えてみたんです。つまり他社のアプリケのコマンドでOSを操作する事ができるってことですね。そうだとしたら、コンピュータウィルスってこの種の機能を使って、アプリケの代わりであるウィルスが、ある種の操作またはクリックなどのトリガーをきっかけにコマンドを出してOSに影響というか操作してるんじゃないかと思い始めたんです。違ってたらアホみたいなんですけど。(笑)もし、そうだったとしても勿論私はハッカーになろうと思っていませんし、なれるわけないと思ってますよ。つまり、マイクロソフトがOSの機能情報(コマンド等)の一部(こんなのあるのかも知らないんですけど)をアプリケーション会社や一般?に公開(提供)していて、この応用でDOSとかを操作するコマンドをアプリケーションソフトとしてプログラミングすれば、それがいわゆるウィルスとなり、ファイルを改ざんしたり、OSに対していろんなことを操作できるようになってるのかなと考えたんです。ということは、よく耳にする『セキュリティーホール』って、要は上記の操作をすると例えばウィルスのプログラミングによってはOSの内容を書き換える事ができるような部分も公開してたのかなと思ったんです。公開していなくても詳しい人が見たら容易にわかってしまう部分だったのかなと考えたんです。だから、OSを更新して、セキュリティーホールを埋めると今まで使えてたアプリケが動かなくなったりすることも納得かなとも思うんですよね。もし、この考えが正しかったとしてもこんなことちょっと詳しい人なら常識なのかもしれなんですけど、脳を使うことによって自ら出てきた発想なので、無性に誰かに確認したかったんです。つまり、勉強しなくても考える事によって知識は身につく事もあるんじゃないかと思ったりするんです。本当はどうなってるのか、もしわかる人がいたら教えて下さい。よろしくお願いします。m(._.)m
July 26, 2005
私は脳内に『無意識』という領域の存在を認めていない。その単語も極力遣わないようにしている。もし『無意識』という領域が存在するとしたら、下の記述の通り、矛盾が生じてしまう。『無意識でそれをやった』と『それをやったことを全く忘れてしまった』はそれぞれの『それ』をしている間は全く異なる意味なのだが、結果として考えると、全く同じ意味になってしまう。例えば、『昨夜寝る前に電気を消したことを全く覚えてない。きっと無意識に消したんだろう。』といういうことだ。(ここまで何度も読み返してゆっくり考えてくださいね)ということは、『あることをやったことを全く忘れてしまった』ということは、その瞬間は自覚があったという可能性もあることになる。でも、皆さんはそれはただ忘れただけで無意識とは別物なのではないかと思われるかもしれない。しかし、良く考えてください。『無意識』という単語は過去(後から考えて発想したこと)に対してしか適用されない単語なのです。(ここ強調したい部分なのにタグ講座やっとくんだった)ということは、未来に対して存在しない(使えない)単語は現在にも存在しないのです。(ここも強調なのに........)『実は今私は無意識です』って言う人がいたら危なくて近寄れませんよね。(笑)よく、ボーっとして、人に『今何考えてたの?』って聞かれると『いや何も...無意識だった』なんて答えることもありますが、あれって実は必ず何か考えてるんですよ。それらが妄想なのか白日夢なのか、過去の記憶の回想なのかはall depends(時と場合による)ですが、人に言うまでもないこととか、またはいえない事を考えているだけなのです。そろそろ結論しましょう。私だけでなく、人間は常に未来に対して思考することが理想だと思うのですが、なぜ過去にゆかりのある、いいえ、過去にしか関係していない『無意識』という領域のためにわざわざ脳内に指定席を設けることはないと強く思うのです。『無意識』とは過去の記憶の一部として、位置づけすれば良いんじゃないか。だから存在するではないかと思われる人もいらっしゃるかもしれません。そう思われたい方はそう理解されても全く問題ないと私は考えています。でも私は知ってます。無意識という領域を無理に存在させても、後の自分の言い訳にしか遣われないことを。このコラムにどんどんコメントやトラックバックをしていただき、皆さんのご意見をうかがってみたいです。
July 25, 2005
眞鍋かをりさんのブログがなぜ人気なのか、今やっとわかった。誰が考えてもすぐわかることなのしれないが、私のような思考をする人は少ないのではないだろうか。次の条件を全て備えているからだ。1. 清純派有名人タレント2. なかなか文が面白い3. トラックバックは必ず読むと宣言している4. ブログのタイトルが絶妙5. もともとファンがついている6. 書き方がフレンドリーで、気さくな感じがする。具体的な書き方や話の内容のテクニックは眞鍋さんの過去の日記を読めばわかりそうである。また、ちょっと考えてまた違う発想がでた。眞鍋さんが本を出そうと思った推移を逆から辿ればいいのだ。つまり、本を書こうと思ったのは、アクセス数やトラックバック数が多く、数多くの人に認められたからという理由であろう。実績があるということは、その理由を知っているということである。理由を知っているという事は、遅くても試行錯誤を繰り返しているうちに最良の書き方を見つけたか、あるいはブログを始めたときからすでに実行していたということである。(実績は偶然ではないと自負している)推移を逆に辿るその法則は何にだって適用(応用)できるのである。『ものには必ず理由がある』これが私のポリシーでもある。
July 24, 2005
このコラムはhollyfrogの日記のトラックバックです。眞鍋かをりというタレントさんのブログが大人気らしい。そういえば先日のYahooのニュースにも出ていた。ブログの書き方に人気の秘密があるということである。テクニックを公開する書物も出版予定らしい。(一種のセンスなのであろう)私は、最近自分の頭があまり良くないのではないかと思う時がある。(本当はいつもなのだが)しかし、頭は悪いが脳はたくさん使っているつもりである。(あくまで自己申告)右脳で発想したことが、うまく左脳で文章にできない時に特にそう思う。右脳で発想したことは、すぐにメモを足らないと忘れることが多い。一応文章に出来はするのだが、思考の60%くらいの部分しか書けない。勿論自分で発想したことなので、自分が読み返すとその発想時のことは鮮明に思い出されるのではあるが、読んでいただいてる方にはわかりづらいのではないだろうかと思う。本当に申し訳ないと思っています。私のブログというか、私の視点、考え方は一風変わっていると強く思うときがある。良い書き方とは読み手の立場を考慮する書き方ということらしい。私も見習いたいのであるが実は思考のイメージを文字に、文章にすることだけで、いっぱいいっぱいなのである。いや、書き方よりも日本語勉強し直したほうが先かな?
July 24, 2005
先日足跡をたどらせていただいたかたの中に『ネッ○でのお○儲け方法講座』というようなタイトルがあった。そんな講座がどうして世の中に存在するのかわからなかったので、紹介文を読んだ。実は『ここから先は........有料です』のパターンだった。同時に思った。こんな商売があるんだと。ネット歴長い人なら当たり前なのだろうが、『なぜITが普及したのか』を今頃真剣に考え始めた私にとっては純粋に興味があった。かといってアフィリエイトを今すぐ適用しようとは思わなかった。読むと内容がわかった。説明が核心の周りを行ったり来たりしていた。しかし、それだけで内容を理解することは容易だった。(これはあくまで私の考えの推測に過ぎないので、事実とは異なる場合もあります)世間がほしい物、流行、等を検索エンジンで、調べることとブログの書き方を変えれば良いということはわかった。具体的にどういう風に変えるのかは有料というのだが、私にとってはそのブログは十分に当初の約束を果たしていた。一般の検索エンジンで例えば世間が欲しいものを検索すればよい。それもできるだけ抽象的なキーワードで。ここまで書けば、もうお解りですね。また、書き方は多分、じらす様な書き方(その書き方のテクが載ってる)にする。そして早く続きを読みたくなるような内容で、順に導くような手法が説明されているのではないかと推測します。最後は○○メールを送るだけで効果が現れるのは、多分『更新』メールなんだと思います。(ここまで書いてその書き方がわからないという人がもしいれば、それは感覚の差又はイメージの差だけなので例えわからなくても何も心配することはありません。また、その思考力の差がそのまま彼らの収益に影響します。つまりその分が彼らの売り上げにつながるということだと思います。)この時なぜ日本で英語や外国語取得の講座や技術が後を絶たず、売れ続けるのかわかった。自分では考えない人の為の講座なのである。えさは、多く撒いたほうが獲物はよってくるけど、それだけ餌だけ持っていかれることになるが、確実に釣れるということの典型なのである。つまり、思考の差、見解の差が世の中を動かしているということになるのである。
July 22, 2005
ほのぼの101さんの日記の内容のトラックバックです。なかなか興味深い内容ですね。これは、私の考えなので、合ってるかどうかはわかりません。ですから専門家は何も知らないでと思うかもしれません。(いつものことながら)しかし、私の中では『間違いない!』ということです。(関係ないけどちなみに私はお笑い好きです)何年か前までは脳についての本を読んでいた時期もあります。しかし、誰一人として明確な理論を持っていないんです。脳の事ですから健康な人の脳を人体実験することは不可能ですからね。実験結果の考察の一部のような結論付けしかしていないんです。その実験というか治療もたまたま脳のある部分に障害がある人の脳をいじったらこういう結果だったということが多いんです。例えばわかり易く説明すると、こういうことです。ある言語障害を起こした人の脳を調べて、開いてみると左脳のある部分の細胞が出血または、他の原因によって死んでいた。その部分を外科的手術により取り除いた結果、なぜか後日その患者の数学的思考の部分がかなり発達した。ようなことなんです。現在わかってることでさえ、脳の事が明確になったのはここ20、30年くらいの事だそうです。まだまだ他の身体の部分に比べると未知の世界なのです。そもそも人間の脳の事を知るのに医者も心理学者も科学者も脳の事を誰一人こうだと言い切れる人はいないのではないかと思うんです。医者も学者も脳の事を知るのになぜ、人の脳ではなく、自分の脳を覗こうとしないのかが疑問に思えてしょうがないんですよ。学者ですから、論文にするには勿論それなりのデータと周囲を納得させるだけの理論が必要なのはわかります。しかし自分の(脳)を覗けば、そこから必ず仮説というものがでてきます。その仮説に基づいて証明すればいいだけなのではないかと思うんですよ。当事者からすると、『簡単にいうなよ』という事だと思いますが、とりあえず人の脳より自分の脳でしょう。ということで、私が無知(無恥?)なくせに自信満々なのは誰を憚るわけでもなく、自分でそう思考したという事実があるからです。本題に入りましょう。いつもながら、前置きが長くて申し訳ありません。子供の脳は生まれたときは『純白無垢』(記憶や習性、人格等)の部分と、『あらゆる機能や環境適応力を備えており、成長過程でシナプス等の回路を最適に機能するよう簡素化する』(音声周波数のフィルタや環境適応力や本能)の部分を両方備えていると思うんです。(思いついたまま書いたので本当かどうかわかりません)お子さんがいらっしゃる方はお分かりだと思いますが、子供って見てて飽きないんですが、成長過程でいろんな事を取得していきますね。例えば、危ない事を経験すると次にそれに近い状況になれば、瞬時に過去の痛かった記憶の経験値と照合して、距離を測ったり、強さを調整しながら、それを繰り返さないように色々な事を学んでいきます。これが、人間の学習能力だと思うんです。少し話しが逸れますが、この学習能力が人の成長に最も重要なのですが、逆にこの過去経験値と照合する習慣というか脳の機能が人をネガティブにさせる原因でもあるのだと私は考えています。この内容は今後私のブログで証明したいと思います。つまり、大人になるに連れて、一度に処理する情報量が大きくなるのは必然ですね。その為に過去の経験値や情報を簡略化(グループ化)して処理してるんでしょうね。
July 22, 2005
『私は基本的に嫌いな人がいない。』と書くと『そんなばかな』と思われる人がいるかも知れませんが、実は本当なんです。その理由を今からご説明します。これは、理由を説明される事により、段々と納得する過程をご理解いただけるのではないかと発想しました。(もし納得しなかったらごめんなさい)私にとって嫌いな人がいない理由は、先ず、誤解していただきたくないのですが私は好きな人しかいないとは言ってません。ということは、苦手と思ってる人を好きになる必要は全くないということです。次に、以前までは自分でも単にポジティブなだけなのかと思っていたのですが、よくよく考えるとそれだけではないことに気づきました。私は自分以外の人と対話したり接する時、あるいはその人を考える時は必ず自分より優れている所(部分、箇所)しか見ていなかったのです。なぜならば、私はその人の自分より優れているその部分を少しでも吸収したいと常に考えているからだったなのです。例えば、苦手でどちらかというと嫌いな人と30分間打ち合わせをしなければならないとイメージして下さい。それを30分だけ我慢すればと思うのが普通の人なのかもしれませんが、私はその打ち合わせの間はその人の良いところだけを見つけて考えるようにしています。そうすることで、その嫌なひと時が嫌でなくなり、有意義な時間を過ごす事につながるのです。また更に、その人を違う視点で見ることも可能なのです。嫌いな人は各人の思考の中に度々登場するはずです。私は実は嫌いな人を考える時間は好きな人を思う時間に匹敵するぐらい意識しているのではないかと考えます。皆さんのなかで、もしこれを実践されても尚且つ『嫌いな人は嫌い』とか、『どうしても好きになれない』と思うようであれば、もう一度考えて下さい。本当にご自分より優れているまたは、尊敬できる見習うべき所だけを見ていますか?同時に『嫌な部分』も常に念頭にあるのではないでしょうか?最後になりましたがこの理論は『人』だけに限った事ではないことにもうお気づきでしょう。
July 21, 2005
私は『玉の輿』などという言葉は不要なのではないかと思っている。いや、不要ではないが、世間一般では不適切に使用されているのではないかと思う。先日の日曜日に10年来の友人の結婚式とセレモニーに出席させていただいた。その友人は女性であるが、この国の航空会社でフライトアテンダントをしている。彼女の容姿は日本人離れしており、性格も気取らず陽気で、おまけにこの国の同職の人には珍しく(失礼)美人である。余談であるが、何年か前にタレントのD川T郎がこの国に来た時に、彼女に電話番号をそっと渡したという話も聞いている。ちなみに西洋社会ではスッチーは空飛ぶホステスさんなのでアジア系の航空会社とは若干採用のポリシーが違うらしい。その彼女が日本で自社ビルで開業している歯科医と結婚した。車は最高級クラスののポルシェが2台車庫に格納されているとのことである。それらの資産はご本人お一人で築かれたものらしいので大したものだ。とにかく非常におめでたい話なのであるが、周りは『玉の輿』という風に見ている人もかなりいたようだ。そこで私は思った。本来全ての生物の究極の生息目的はより多くの子孫をこの世に残すことにあるはずだ。それも少しでも優秀で自分のDNAをより多く受け継ぐ子孫を望むものだと。その為に人間をはじめ全ての動植物は本来保持している能力を最大限に引き出そうと並々ならぬ努力をすることもあるだろう。少しでも優秀な異性を得るために。人間で言うと容姿やセンスを磨く事もその為であり、財産を築くことも大目標を達成する手段の一つなのであろう。フェロモンというものがメジャーでなくなった今、そういうものが現代社会のフェロモンに成り代りつつある。いやもう成り代っているんだろうと思う。結論付けると、お互いが各自の能力を出し合って射止めた異性なのであるから、『玉の輿』や『腰の玉』もとい『逆玉』などというのは考えものだ。また、良く考えていただきたい。親から引き継いだ財力でビジネスを展開し、成功した2代目、3代目あるいは、ただのボンボンがきれいなモデルや女優さんを射止める事の方がそれこそ本当の玉の輿だったりするのかもしれないのである。各自が能力を発揮することが優秀な子孫を残す最短の近道なのだ。
July 19, 2005
なぜ、『禁煙』ではなく『止め方』なのかというと、個人的に『禁煙』はどうも『一時的に』というイメージがどうも拭い切れないのである。そんなことはどうでもいいが、私は数年前にタバコを止めた。理由は高騰するタバコの値段と健康に良くないと思ったからだ。理由は月並みなのであるが、要は買うお金がなかったのである。タバコの値段とその上昇は日本の比ではない。私が住んでいる国は日本のように肺がんになったら各自の保険で治しましょう、という自業自得という考えの社会ではない。肺がんになれば政府の費用(税金を遣って)で治療しなければならない(全てのケースではないが)。なので当然タバコ代の殆どが税金である。大袈裟に言うとタバコを吸ってる人は医療積み立て保険のようなものに入っているのである。将来それが原因で癌になる可能性があるために。さて、日本でタバコを止めるにはかなりの努力が必要であろう。私のように金銭的に困ってる人も少なく、街中至る所にタバコの自動販売機があるのだ。例え止めていても、誘惑は多いだろう。前置きが長すぎたが、私のタバコに対する考えは以下の通りである。次のケースに全て当てはまる人はタバコを止める必要はないと思っている。というよりもむしろ吸い続けた方が良いと思う。1. タバコを吸うとなぜか落ち着いて幸せな気分になれる人2. タバコを止めることを一度も考えたことがない人3. タバコは実は秘かに健康に良いと思っている人あるいは健康に悪いと思ったことがない人4. とにかく自分がタバコを吸って不都合なことはないと思う人以上のような人達はタバコが原因で健康を害することはないはずである。しかしながら、下記のような人は今すぐに止めないと将来必ずタバコが原因で健康を害する人であると思っている。1. タバコを一度でも止めよう(止めたい)と思ったことがある人、あるいは止めれないと思っている人2. 周囲や家族に気を遣いながらタバコを吸っている人(多少なりとも罪悪感がある人)3. タバコを吸う煙は嫌ではないが、副流煙の煙を嫌いな人(特に人の煙が気になる人)4. タバコは本当は健康に良くないと思っている人特に副流煙についてはかなり前から問題視されているのであるが、副流煙とはたばこの先から立ち上る紫煙のことである。タバコを吸う人は当然自分の副流煙も肺に吸収していることは間違いないはずなのであるが、副流煙が原因とされ肺癌を発祥されている人はだいたい、喫煙者の家族や喫煙者が多く集まる環境で仕事をしている人達なのも不思議な話である。少しでも、タバコを吸うことにより、健康に悪影響を及ぼすのではと考える人はタバコを吸うと当然脳に猛毒に近いストレスホルモンを発生させ、タバコのニコチンやタールよりも、タバコを吸う罪悪感のようなものが火付け役となって、身体を蝕むのである。人は他人や自分には嘘をつけても、脳への嘘は通用しない。そのまま全身へ影響するはずなのだ。言い換えると、タバコを吸うなら健康に良い、吸わないと身体の調子が悪くなるくらいに思わないと、健康を損なうといっても過言ではないのである。
July 18, 2005
『思考の差とはどういうことか』を考えてみた。連想思考しながら考えてみた。当たり前のことを考えるのかもしれないと思ったが、とにかくやってみた。 思考の差とは→考え方の差のことである→考え方の差を見つけるには→何か同じものについて考えればいいんだ→アインシュタインの相対性理論について差を見出そう(何でも良いと思ったが、なぜかこれだった)→誰かに何かを考えさせる場面をイメージした→『一般相対性理論を一般の全く知らない人にわかりやすくできるだけ簡潔に説明しなさい。』という問題が出た→(どのように)簡潔に説明するということは→情報量が限られている→情報量が限られているということは→伝える情報量も限られてくる→(誰に)一般の全く相対性理論を知らない人に説明するということは→あまりそれに興味がない人に説明する→(何を)一般相対性理論の特徴の説明→どんな種類→『要約』して、内容の概略の説明する→『性質』の説明→『比較変更』の説明→が考えられる。→1.『要約』…『質量を持つ物質が周囲の時間と空間に影響を与えることを証明した理論である』 2.『性質』…『一般の人には直接関係ないことで、どうでもいいことだが、専門化には天変地異が起きるくらいの大理論である』3.『比較変更』…『特殊相対性理論では考慮されていなかった物体重力が働く場合を説明した理論である』→どれもうそはいってない→思考した人が違うだけだ→それが思考の差だったという結果です。ちょっと例題が悪かったのでわかり辛かったかもしれませんね。大事な点は、何かを見たり聞いたりした感想の差ではなく思考の差って事です。答えはどれも間違いではないのに、学校のテストでは○はくれない。完全に芽を摘まれれていると思った。いろんな人の才能を。残念~~~。
July 17, 2005
昨夜自分の脳の構造について覗いてみたらある結論に達し、タイトルのような疑問が湧き、下記のフレーズが右脳から左脳へ到達した。 『最も人間らしい思考法とはデジタル的な思考だ。』 一般的には人間はアナログ的といわれているのが普通なのかもしれない。 私も最初は左脳が論理(デジタル)右脳が比較、増幅、減衰(アナログ)だと考えた事も過去にあった。 または曖昧さ(ファジー)なのが人間らしい温かみのある思考なのかと思ったこともあったが、良く考えるとそれは言葉だけの印象であくまで左脳だけでの考えである事に気づいたのである。それではどうも自分の脳が納得してくれないのも事実だった。 一見デジタル的な人間と聞くとかなり冷たい気がする。しかしそれは言葉だけの印象に過ぎず、実際の脳の機能は極めてデジタル的に処理されているのではないかと私は考え始めたのだ。 理由はいくつかあげる事ができる。これは私の考えなので、絶対ではないこともご了承願いたい。 1.2進法はインド人(人間)が発見した。なぜ、発見という表現を使うかというと、元々脳の構造(思考)が2進法で処理されているのではないかという仮説を考えたからである。脳は脳の事しか知らないので、人間の発想は全て脳の構造に準じている。 2.人間の脳内にひしめく膨大な情報量を処理するのにアナログではとても処理できないと考えられる。近年、情報処理の方法が情報量の増加に伴い、デジタル化されてきている事実は否定できない。 3.人間の行動はその瞬間は極めてデジタル的な判断だけで行われている。例えば、好きではない(嫌いな)野菜を食べる時であっても、それを食べたくないと思っていても、身体にいいからと思い、食べる瞬間は食べたいという思考が働き、その結果手や口に脳からの命令が下り、食べるという行為を行うのである。 以上のような理由により私は人間らしい思考とは『デジタル的』なのではないかと思い始めた。 くれぐれも誤解していただきたくないのだが、『デジタル的』=『1か0』ということではない。この1と0とのデータが脳の中に大量に溢れていて、常にそのデータを判断し、処理しているという事を理解していただきたい。 例えば、赤い絹の生地に刺繍がある洋服を見たとする。その時、脳の中で瞬間的に何が起こっているかというと、便宜上『好き』を”1”、『嫌い』”0”としよう。仮にある人が赤い色は好き”1”、服のデザインは嫌い”0”、絹の生地は好き”1”、刺繍のデザインは嫌い”0”しかし、刺繍の糸の色は好き”1”などなど、データとしては数え切れないくらいの処理が脳内でそれも瞬時に行われていると考えられる。しかし、結果は好き”1”か嫌いか”0”にはあらわれず、時にはどちらでもないという曖昧な結果になってしまう事が少なくないのである。故に普通はこの結果だけを考察するので、アナログ的な処理が行われていると誤解されやすいのではないかと考えてたのである。しかしながら、こう思う人がいるかもしれない、赤い色一つに対しても、あるいはもっとくすんだ色を判断する時、好きか嫌いかどちらとも言えない人もたくさんいるのではないか。その瞬間では全くその通りである。しかし、何度も述べるが人間らしい思考とはそういう低レベルのスピードでは働かないということを理解していただきたい。また、どちらとも言えない曖昧な事は、その時の状況や気分によって、”1”か”0”に必ず処理されるというのが私の考えである。今回、便宜上好きか嫌いかということを例として挙げたが、物事をプラスに受け止めるかかマイナスに受け止めるかということも瞬時に行っている。だから、そのデータの違いが人格の違いに大きく関ってくるのだと思うのである。
July 16, 2005
コラムは思いついたときに書きたいものだ。だから、日本との3時間の時差が時には長く感じる。要は明日になるまで待てないのだ。だから、今日は2つ書くことにする。先日、プロレス界の「破壊王」こと橋本真也さんが他界された。90代後半からの激動のプロレス界を盛り上げた立役者のひとりだった。ニックネームとは異なり、性格は「吉本新喜劇」にゲスト出演されていた事実からも陽気な気質であった事が容易に想像できる。本当に残念だ。ご冥福をお祈りいたします。さて、ここからが掲題にふれることになる。ただし、上記の橋本氏にはあまり関係ないかもしれない。スポーツ、特にプロスポーツ選手が極端に短命と長寿に分れるわけを考えてみた。『病は気から』と言われている。医者も世間も認めている周知の事実である。ある著名な医者に言わせると成人病の80%以上はストレスまたは、考え方が原因であると豪語しているほどだ。華やかなプロスポーツの世界だ。お金もあり、「球界の番町」のように暴飲暴食を繰り返すことや、引退後の急激な筋肉の衰えなども関係するのかもしれない。しかし、私はなんといっても、思考が変わる事が最大の原因ではないかと思うのである。思考が変わるとはどういうことかというと、現役時代はもちろん毎日のように身体を鍛えている。だから現役時代は勿論のこと、引退してしばらくの間は『自分は若い頃から身体を鍛えていたから病気はしないし、普通の人よりかなり丈夫なはずだ。何よりもあれほど苦しいトレーニングに耐えたじゃないか。』と誰でも思うはずである。だから若い時は一般人よりも元気なのも当然だ。ところがそう思っていたにもかかわらず、年をとるにつれ人間誰でもある年齢層(人によるが)を境に、あるいは一度病気などを経験すると急に弱気になり、思考が不思議と180度変わってくることもある。仮に50代になったとしよう。今まで上記のようにいつまでも同じ身体能力を脳が期待しているにもかかわらず、実際は思うように動けなくなった自分を認識し始めると『自分は若い頃かなり無理をして、酷使したから長生きできないのではないか』という不安材料に変わる時が来るのではないかと考えた。体力や精力の衰退のグラフを思い浮かべると若い時が高いので老後はかなりの落差があるはずだ。この法則はなにもスポーツ選手だけに当てはまる事ではない。一般の人にとても全く例外ではないが、理解し辛い事ではある。ちなみに長寿の人はいつまでも思考が現役のままで自信に満ち溢れ、ネガティブに考えないために老後も軽いトレーニングを欠かさない人もいるのだろう。また、思考の変化も含めて生甲斐を見つけられなくなることも身体や寿命に影響するのではないかと思う。
July 14, 2005
私は養老孟司先生の考え方が大好きである。全く同じではないが基本的には同じ考えである。それで今日、思いついた。 『コミュを検索してみよう。』 あるソーシャルネットのコミュニティーサイトを検索したらやはりあった。それも2つも。中に入って行った。計約400名の方が参加されていた。 『これに参加すれば、養老先生の事をいっぱい知ることができる』と思った。 私も参加しようと思った。しかし、そこで思いとどまった。 『まてよ (って自分に)、これに入ったらご本人の事は良くわかるかもしれないけど、はたして俺は思想は似ているが、全てが似てるわけでもなく、また、養老先生の生き方をまねて少しでも近づこうとしているわけではないぞ。』と、かなり長いが思った。だから止めた。後で良く考えてみた。 『養老先生の考え方や知識は素晴らしい。だからその素晴らしい部分を他の思想と関係ない部分の情報で汚されたくなかった。いつもその人の一番尊敬できる部分をみていたい。』という理由もあった。私が『バカの壁』を読まない理由も実はそこにあった。
July 14, 2005
先日、ジブリの『思いでぽろぽろ』という映画を見た。(かなり古い作品なのだが)その中で、いくつかの発見があったのでご紹介したいと思う。ストーリーの概略は都会でOLをやっている20代後半の主人公が姉の夫の実家(山形)へ機会があるごとに有給休暇を取り農作業を手伝いにいく。その旅路の途中で自分が小学生くらいに家庭や学校であった出来事をところどころ回想し思い出してしまう。そして、田舎の暮らしに憧れていると公言していたにもかかわらず、いざ長期的に暮らす事を勧められると、急に自信がなくなり、戸惑い、実際は田舎に憧れていたわけではなく、都会の生活に息をつきたかっただけなことに気づいてしまうという話である。そこで、先ずなるほどと思ったのは、小学生くらいの思い出って、勿論楽しい事もあるのだが、実際は『もっとこうすればよかった』とか、『あの時どうしてあんな事を』という出来事の方が深く記憶にあるような気がする。この映画も例外ではなく、実に心理をついていると感じた。また、次に主人公の回想の中で分数の割り算をどうしても理解できず、単純に分子と分母をひっくり返して掛け合わせるという法則をわかっていながらイメージできないので、テストはできなかったというくだりがあるのだが、なるほどと思った。分数の割り算は極めてイメージし辛いのである。例えば、1/3÷2/3は、りんご3分の1個はりんご3分の2個の何個分に相当するかという問題をイメージするのは困難なのである。本来ならそれをもイメージして計算すれば忘れる事はないし、分母をひっくり返す作業もらくらくなのであるが、殆ど我々はそこまでイメージせず単純に『分母を.....』と記憶しているだけなのである。結論づけると、数学の計算は実は右脳と左脳をバランスよく両方使ったほうがより効率的に理解でき、また計算できるのであるが、左脳だけで行おうとすると公式や法則を記憶していないと、全く対処できないのである。
July 13, 2005
また、閃いた。正しいかどうかはわからないが、今はそう思っている。地球上の全ての動植物を含めておそらく何でもかんでも理由を考えたがるのは人間しかいないのではないかと思う。人間に近い霊長類については定かではないが、専門に研究している人なら知ってるのかもしれない。だが、私はこう考えている。人間以外の霊長類を含めた全ての動植物は行動そのものには勿論理由はあるが、彼らは理由を考えた後に行動することはないと思っている。今度は人間について説明すると、人間はあることを『やりたい理由』、『やりたくない理由』等を常に行動の前に思考し、とにかく理由なくしては行動できない生き物である。ということである。それはどんなに高性能で優秀なコンピュータやロボットでも流石に理由だけは考えない。それらが考慮するのは理由ではなくて、条件なのだ。ちなみに私の閃きが正しければ理由を考えるコンピュータ(ソフトウェア)が開発されれば、より人間の思考に近いということになるはずだ。ある有名な哲学者が言ったんだと思うのだが、『生きる為の理由を考えるのは人間だけだ』、果たしてそうなのであろうか?と思ってしまう。確かに生きるために考えるのであるが、生きるために考えるのは動植物も同じなのではないだろうか。実は『生きる為の理由を考えるのは人間だけだ』と考える人は『死を真剣に考えた人間』だけであると私は考察する。むしろ『生きる為の理由を考える』暇があるなら他のことに脳を使って『長生きをしたい理由』などを考えてほしいと思うのである。(爆)人気blogランキングへ:そこをなんとかプチッとお願いします
July 12, 2005
以前の私は小説以外の専門書や自己啓発の本を読む時、本を読んでいたのではなく、実は読まされていたのではないかと思う。何を読んでも、その時は没頭して筆者の云わんとしている事を理解していたつもりだった。読んだ後はなるほどと思うのだが、結局読んだという事実しか残らず、後には何が言いたかったのかも忘れていることが多かった。自分の記憶力の無さを痛感した時期もあったのである。もしかすると、あの頃は読むことに意義があっただけなのかもしれない。しかし、数年くらい前から本の内容を把握していないのは実は記憶力や理解力の無さだけの問題ではなくて、実は本の読み方が悪かったことに気づいたのである。それは自分の頭が良くないことを前提にして読んでいた(本当のことではあるが)ので、筆者や作者が絶対であり、正しいと思って読んでいたのである。もっとも当時は筆者を信じきって読むこと、没頭することが読書の一番の楽しみ方だと思っていたのである。つまり途中『ん?』って疑問に思うところもあるのだが、疑いを持って本を読むことほどつまらなく、また内容の理解に苦しむことは無いと思っていたので、自分でもその部分は曖昧にしていたのであろう。いわゆる本に読まれていたのである。そこで、近年どういうふうに読書しているのかというと、先ず筆者が絶対正しいことを書いているとは限らないことを念頭において読む。次にデータ類や事実関係と筆者の見解や思想を完全に切り離して考える。つまり、その本を読みながらにして、筆者と自分の見解を比べるように結論づけるのである。私の読書の一番の目的は情報を得ることである。情報を得るということは、自分が知らないことを知ること、あるいは自分がその本で何を重要視するかということである。よく本や教科書に線やマーカーを付ける人がいる。一度線を引き始めると止まらなくなるので線だらけになり、後でどこが重要なのかわからなくなる可能性がある。そこで、私はたまに本を読む前に線の種類やマークを10種類くらい予め用意しておく。最初に大事だと思った部分あるいはその本の主題である(筆者が言いたいこと)だと思った部分にある種の線を引く。途中読んでいて、実はこっちかなと思ったら、また異なる種類の線を引く。そうやって読んでいき、最終的には最後に引いた線の部分が自分にとって一番重要、あるいは筆者が言いたい事ということになる。本は読む人によって目的が違うので、線を引く部分も各人が決めればいいのではないだろうか。書物はお金を出して購入するのだからどうせ読むのなら読まされるのではなく、是非とも読みたいものだ。
July 11, 2005
先週末まで、ロンドンで全英オープンテニストーナメントが開催されていた。私はテニスが好きなので、ライブではないがビデオに撮り一試合一試合を丁寧に見ている。(今週に入っても時間をつくって見ている)もちろん、日本にいた頃でもTV放映されれば、観戦していたのであるが、一つだけ日本とこちらの見所というか見せ所が明らかに違う所があることにふと気づいた。ちなみにこちらとはニュージーランドなのだがTV中継局はオーストラリアのチャンネルの電波を引っ張ってきている。 話を戻そう。何が違うかというと日本では少なくても10年位前までのテニスの試合ではポイントとポイントの間にVTRを毎回のようによく流しており、特に素晴らしいプレイの後には2、3回同じ物を流すので、異常なほどのプロの身体能力に感心させられた記憶があるのだが、こちらでは、超高速カメラを導入しているという事実にも関わらず、ポイントを決めた後の選手の表情のアップや、ガッツポーズ、あるいは感情をあらわにした言動などを超スロー高画質再生で流してくれるのである。おまけに、『プロ野球珍プレー大賞』顔負けの珍プレーを何度も流すのである。 テニスファンとしては、折角のハイテクカメラを使っているのだから、ファインなスパープレーを再生して欲しいのだが、残念ながらお国柄なのか毎回期待を裏切られている。 しかしながら、ウィンブルドンといえば世界でも最高峰の一つである。いわば、テニスをやる人にとってもただのファンにとってもお祭り的な存在なのである事は否めない。 それに普段プレースタイルしか目にできないプロ達のそれ以外の部分を垣間見る事にもなるのである。 そのお陰で、プレイヤー達の心理状態が彼らのプレーにどのように影響しているかも手に取るようにわかってきた。 現代スポーツの殆どは全体の練習量を技術的なことよりメンタルな部分にかなり多く費やしている。メンタルを制す者が世界を制すといっても過言ではなく、今では常識となっている。 これは感覚の違いが単なるマイナス面で終わらず、新たなる発見につながった一例なのである。
July 9, 2005
いきなり東スポのようなタイトルで失礼しました。 何はともあれ、先日2012年のオリンピック開催国が決定した。 ロンドンが最有力候補地のパリを接戦で見事勝ち取ったかたちとなった。このニュースだけを聞くと、只のオリンピック開催地が決まった事実だけに留まるのだが、考えようによっては裏舞台ではとんでもないディールが交わされていた可能性もあることに気づいてしまったのだ。 その決定日をさかのぼること数日前、フランスのシラク大統領が仏独ロの3者首脳会談でイギリスの文化や気質を侮辱したことが問題となり物議をかもし出している。マスコミにはフランスに対抗し農業補助金見直しを主張したブレア首相を皮肉ったという風にとられているが、私には単にそれだけの理由だけではない様な気がするのである。シラク大統領がパリ市長を務めていた時代から数えて今回オリンピック開催誘致の落選は3回目を数えるという事実は単なる偶然の結果ではないように思えてきたのである。それも、今回の問題発言により彼の政治生命まで危うくなることも相殺できるようなビックなディールがどこかで交わされている懸念が拭い切れないのである。 普通誰が考えても、もし彼が今回3度目の正直で真剣に誘致したいと考えていたなら、この大事な時期にわざわざマスコミの神経を逆撫でする様な問題発言をする必要があるのだろうかと疑問に思っても不思議ではない。それもフランスという大国の大統領を10年も歴任している人が考えないわけはないはずなのである。 そういう風に考えると私は政治のジャーナリストではないがより一層深く調べてみたい、考察してみたい衝動に益々駆られ、思考する事の喜びを改めて感じるのである。 その背景には騰勢が衰えない原油相場の問題や昨日のロンドンでのテロ事件にも絡んでいるのかもしれないのである。
July 8, 2005
巷では今『電車男』がブームとなっているらしい。 書籍から映画化、TVドラマ化で韓流ドラマにはいまひとつ100%共感できず、中年層にある意味ついていけなかった若い世代が『これだ』と思った結果なのかもしれない。実に現代的で今っぽい純愛(?)なのである。 もともと2chから発信したドキュメンタリーらしいが、新潮社ほどこの件で得した企業はないのではないだろうか。 通常小説やノンフィクションには作家というものが存在するのだが、今回の場合全く存在せず、おまけに2chというメディアのお陰で、マーケティングリサーチまで不要だったのである。これに話題性の宣伝効果も加えるとまさに『一攫千金』、『一石二鳥』、『漁夫の利』(しつこい?)などの言葉はこの種のことに適用されるべきなのであろう。 この莫大な利益をもたらしたのは、何を隠そう情報なのである。新潮社がこの件に関し、どこまで情報を入手したかは定かではないが、一企業の企画として内部を納得させるにはそれなりの情報量(具体的なアクセス数等)を得ていたことは容易に想像できるのである。 今後このような情報化社会の産物は後を絶たないだろう。 一部ではこの著作権を問題視しているが、後の祭りである。もっとも、当初新潮社がこの純愛の主人公たちが後に権利を主張しないと予想したかどうかはわからないが、少し考えれば、誰も主張できないことは明らかなのである。
July 7, 2005
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