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サブタイトル:『一石二鳥』げっ! サブタイトルの方が題名が短く、抽象的。意味もそのまんまだし、......まあいいか。先日、脳に効く肩こり解消法を見つけてしまった。(とはいっても、後悔をしているわけではない)こんないいこと発見して後悔するわけがない。(笑)例えば首をできるだけ後ろに持っていくには、両手を頭の上に伸ばして、全体的に上体を反らすのか、あるいは両手をだら~んと垂らしたまま、首を反らすのか、......。様々なやり方がある。また、そのやり方により、首の曲がる限界角度が異なる。実は首を無理なくできるだけ後ろに反らす事が、首と肩に一番いい首の反らし方になる。先ずはじめに両手をだら~んとしたに垂らして、首だけを後ろに反らす。次に、そのままの姿勢で両手を真直ぐ前に伸ばして、首を更に少しずつ後ろに反らし、両腕も調整しながら、両腕と首の角度を対称にする。この時、両肩と要腕を真正面に伸ばすようにして、その後両肩をすぼめるようにする。また、この時肩にもどこにも力や緊張がないようにしなければならない。体の前後左右のバランスが取れているので、一番体勢に無理がない。だから長時間その体勢でいられ、その結果、力を入れる部分と力を抜く部分を脳に認識させる事が可能になる。結局は脳に認識(学習)させる事により、今後の肩こりを減少させると共に、これらの感覚を初めて知る事になる。真新しい感覚を知ると言うことは、今まで使ってなかった脳の細胞がまた一つONになるということである。つまり、この運動は肩こりにもいいし、脳の活性化とコントロールにも良い運動なのだ。一石二鳥なのである。私の思考に少しでもご賛同いただけましたら、ここをプチッとお願いします。
September 30, 2005
サブタイトル:『やっぱりイメージは現実になってしまう』私は以前のコラム(タイトル:『イメージと妄想の違い-Vol.2』)で、異性の理想について、触れさせていただきました。今回はこの理想のイメージ(本当は異性だけに対する理想ではなく、全てに応用できます)をどう思考し、実現させるかと言う事について少し説明させていただきます。本来は、ビジネスなどに結びつく題材が良かったのであるが、できるだけ多くの方にわかっていただける例をあえて挙げさせていただいた。なので、多少苦しいところもあるが、お許しください。しかしながら、この理論は全ての事に応用できるので、是非ともご自分でアレンジして、実行していただきたい。私がいつも唱えているプラス思考とは他の方が言っている起こった不幸を楽しみに変える事ではなく、不可能を少しでも可能にする事である。そういった意味では、少し次元異なるかもしれないので、ご理解いただけないかもしれないが、そこはポジティブに受け止めていただきたい。さてこのプラス思考を使って、プラスイメージ思考理論(またまた私の造語です)にどう応用するかを、例を挙げてご紹介したいと思う。物事には理想というものがある。例えば、自分の好みの異性のタイプを挙げる場合。たいていは、女性の場合、『背が高い人』、『高収入』、etc。ここで私は思うのだ。もう一度考え直して別の発想でイメージして頂けないだろうか、と。こういうのはどうだろう。『私にとって背が高いと思わせてくれるような人』とか、『私にとって高収入だと思わせてくれる人』と考えて頂きたいのだ。ここで、少しでも『なんだよ、意味同じじゃないか』と思われた人、その方はもう一度読んでいただきたい。あるいは、『好みや理想かどうかはその人を見ていつも判断しているので、そんなのはインスピレーションであり、日頃から考える必要なんてない』、という人がもしいらっしゃいましたら、もう一度考えていただきたいのだ。『背が高い人』と『私にとって背が高いと思わせてくれるような人』は意味は同じでも、その理想の人が全く違う人物像である可能性もあるのだ。これは、妥協とは全く違う。ということは、自分の理想を変えないでその理想のイメージに近い人が現れる確率がグ~ンと高くなるのである。つまり、理想のイメージが現実に近づくことになるのである。これが、少しでも現実に近くなるプラスイメージ思考理論といえるのではないだろうか。余談だが、中にはこういう人もいる。『私の友達や周りの人に背が高いと思わせてくれる人』とか、『私の友達や周りの人に、高収入だと思わせてくれる人』それは、ご自分の価値観でご判断いただければよい。(爆)ただし、『私と私の周りの人全てに背が高いと思わせてくれる人』と考えないようにしていただきたい。これは単に『背が高い人』と同じである。また、男性の理想も同様である。『かわいい人』、『優しい人』、『肌がきれい』、etcそれぞれ、『自分にかわいいと思わせてくれる人』、『自分に優しいと思わせてくれる人』、『自分に肌がきれいと思わせてくれる人』などと、変換すればよい。そして、それを実現したければ、自分の理想を口にすればよいのだ。よく、『願い事を言い続けるとその願いが叶う』というようなことを耳にする方もいらっしゃると思うが、これはそういった意味では正しいのである。またこれも以前のコラムでご紹介させていただいたが、理想の異性とは一種のイメージである事は、お分かりいただけると思う。当然そのイメージは他力本願では実現しない。ではなぜ他力本願なのかというと、背の高い人という条件は自分には全く関係ないイメージだからである。それが理想なんだといわれれば、私は何も言えないが、それは理想ではないくて、ただの妄想なのではないかと思えてしょうがないのだ。最後にこれを『成功したい』という思いに応用してみたい。『自分にとって、成功と思える事だけをただ実行すれば良いのだ』皆さんも1日一つでもいいですから、この理想を現実に変えてみるプラスイメージ思考理論の習慣づけをしてみてはどうでしょうか?人気blogランキングへ:今癒し系の人気ブログタイトルはなに?
September 29, 2005
サブタイトル:『言語は思考に影響する』私の職場のハーフの女性スタッフは英語、日本語、ドイツ語、タイ語などを操る、いわゆるマルチリンガルである。今日、彼女とたまたまドイツ語について話していたら、意外な事実を知った。ドイツ語は日本語と非常に似通ったところがあるらしいのだ。ドイツ語といえば、私も学生の頃に習ったという記憶だけはあるが、情けない事に、全くと言っていいほど覚えてない。英語は名詞によって動詞が活用(変化)するが、ドイツ語は動詞によって名詞が活用(変化)するのだ。名詞が活用するのは語尾だけではない。単語の頭も変化するのである。辞書を引いても出てくるかどうか怪しい単語がごろごろしている。ドイツ語の件は後述するとして、先にドイツと日本について触れておきたい。これは以前から私が思っていた事でもあるが、日本とドイツにはたくさんの共通点が存在する。先ず、公共の交通機関である、電車やバスなどが基本的には必ず定刻どおりにくる。こんな国は世界広しといえども、日本とドイツだけではないだろうか。余談だが世界レベルや人口比率で考えると、日本とドイツがただ異常なだけなのかもしれない。次に、ご存知の通り、世界でも有数の自動車メーカが日本とドイツに多く存在する。高性能かつ比較的信頼性が高い車種を製造するメーカが日本とドイツに集中している。また、精密機械や、測定器、精密機械等を製造加工する技術も日本とドイツは世界でもトップレベルである。つまり、手先の器用さもトップレベルである。これは、国の一部でドイツ語が公用語として、話されているスイスにも共通する内容である。更に、第2次世界大戦前には日本とドイツは友好関係を結んでいる。思想もある程度類似しているのかもしれないのだ。そして、ドイツは1次大戦及び、2次大戦での大敗から、また日本は2次大戦での敗戦から、それぞれゼロに近い状態からの国を復興させた。その復興力の著しさは、国民の勤勉さという点で両者引けを取らない。これだけ、人種もローケーションも気候も異なる国で類似する点が多いのは偶然ではないような気がしていた。それが今日、それらの謎が解けたような気がしたのだ。私は日本語とドイツ語は全く言語学的にも文法的にも、全く違う言語だと思っていた。 しかし、先の彼女曰く、ドイツ語は非常に日本語に似ているというのである。特に言葉のニュアンスや、気持ちや言葉を酌んでくれるところ、短いフレーズがいろんな意味を含んでいるところ、などが似ているそうである。おまけに彼女に言わせると文法も類似しているというのだ。私も自宅に帰って半信半疑でネットで調べてみた。なかなか両者の類似点を述べているサイトはなかったが、ようやくそれらしいサイトが見つかった。ようこそドイツ語学の世界へというサイトだった。やはり、言語も人間の脳から生まれたものだ。大して変わりはないのかもしれないと、妙に納得もしたが、英語とかにはない特徴である。そこで、一つの結論に達した。脳が言語を司る。そして、その言語が脳を育てる。ということは、常識となっている。 故に、言語がそのまま思考に影響し、その思考が国民性と文化、経済力、科学技術力を創り上げるのに影響しているのではないだろうか。人気blogランキングへ:今癒し系の人気ブログタイトルはなに?
September 28, 2005
昨日のコラムでいろいろな意見の方がいらっしゃる事を再認識し、改めて思考というものの面白さを知った。そこで、全く脈絡がないが、評論及び評論家という職業というものについて考えてみた。また、くだらないことで恐縮してしまうが、私はこのブログの主題がそうさせてしまうのだ。評論家の人の思考には、実はポジティブよりネガティブの人の方が合っているのではないだろうか、と思った。それは、評論家とは結果について、論じる機会が多々あるからだ。結果論も多いという事だ。結果とは、過去である。過去について思考することはネガティブな思考に通じることになりかねない。この辺りの説明が非常に難しいところであるが、決して過去を忘れるという事ではない。とにかく、良いものと、悪いものの差を指摘した方が評論し易いのでは、と思ったからだ。しかし、それは直ぐに私の中で否定された。ポジティブに考えてこそ、微妙な実力差を見抜くことができるのではないか、と思った。なぜならば、ポジティブに考えれば考えるほど、あらゆる方向からものをとらえることができ、主観が入る要素が少なくなるからだ。人気blogランキングへ:今癒し系の人気ブログタイトルは何?
September 27, 2005
サブタイトル:『勇気があれば何度でもできる!』、もとい『勇気があれば何でもできる!』(爆)必要な言葉があれば、当然不要な言葉(感情や思考)も存在するかもしれない。先ず、不要な言葉から挙げてみたい。それは、『ジェラシー』、『嫉妬』、『妬み』(ほぼ同意語である)ではないだろうか。嫉妬という感情が起こるという事は、自分でその対象に素直に負けを認めたことになる。 勝ち負けではないのだが、嫉妬が生まれるということ自体、勝ちたい証拠なのだ。嫉妬と羨ましいとは、全く違う。嫉妬は新たに憎しみを生み。憎しみからは何も生まれない。人間を醜くする要因の一つに、この感情が影響していることは、いうまでもない。また、妬みが人の才能の開花を邪魔したり、『幸福貧乏性』を誘発しているのだ。また、私が考えた中で、人間にとって一番重要なボキャブラリーは『勇気を与えること』だと思う。これは私だけかもしれないので、皆さんが各自でご自分に合ったボキャブラリーを見つければ良いと思う。私はこれさえあれば、怖いものはないと思っている。自分と人に物事をプラスに考える勇気を与えること。自分と人に問題を考える勇気を与えること。自分と人に考えた事を行動する勇気を与えること。自分と人に恐怖を克服する勇気を与えること。自分と人に何かを失う勇気を与えること。自分と人に聞く(問いかける)勇気を与えること。自分と人に知る勇気を与えること。自分と人に(いろんな意味での)投資をする勇気を与えること。この勇気を与えることは自分だけでなく、人にも与えることが出来るのだ。勇気とは自分一人では限界がある。人に与えることにより自分にも勇気を与えることになるのである。では、この勇気をいったいどうすれば、自分と人に与えることが出来るのだろうか?それは、各自が考える事である。おいっ!なんやねん、って聞こえてきそうだが、まるっきり冗談ではない。人により、考え方が違うのだ。それを私がこうしたら良いと100万回コラムにして伝えてもそうならないのではないだろうか。なので、今は何事も最初に挙げたプラスに思考する勇気を自分にも人にも与えていただきたいものである。人気blogランキングへ:今癒し系の人気ブログタイトルはなに?
September 26, 2005
今日不意に自分のブログのカテゴリーを見たら、『NZ(ニュージーランド)』というのがあった。 『というのがあった、って、お前のブログだろう!』、と自分でもツッコミたくなるくらい、存在価値がないカテゴリーなのだ。それもその筈である。過去に1件しかない。それでは少し寂しいと思い、今回はNZの事について少し、書かせていただきます。ニュージーランド(以下NZ)は人口400万人足らず、日本で言えば丁度静岡県と同じくらいの人口である。静岡県といえば、よく製菓メーカーや食品メーカーが試験的に新製品を発売する県である。実はお菓子ではないが、NZでもワールドプレミアといって、よく映画の新作興行を世界でもいち早く試験することがある。この400万弱の人口は何を意味するのか、現在の世界の人口64億5千万人から、考えてみようと思った。しかし、今回は面倒なので止めた。(爆)NZは自然と羊の国という以外、世界に誇れるものはないかもしれないが、政治家のクリーンさだけは、日本の政治家達も見習ってもらいたいくらい、潔白なのではないかと思う。何年か前、警察の上層部の役人が携帯電話を私用で使いすぎたという理由でマスコミに叩かれていたことがある。そもそも汚職するにもそのお金がない。人口も少ないので、当然、税金も高い。税金が少ないのに、道路も橋も大学も国会議事堂も税金でどうにかしなければならない。金持ちの国でも、貧乏な国でも必要なものは同じなのだ。文字通り血税なのである。いつも不思議に思うことがあるのだが、政治家の決断力が凄い。国家予算委員会でもめない、ということはないと思うが、割と直ぐに使い道が決まってしまう。単にいい加減なのかもしれないが.....。当然だとは思うが、今の日本の政治家達がNZの規模の収支を想定した予算を組む国家予算委員会を開催するとしたら、2~3ヶ月くらい国会から出てこれないかもしれない。(笑)私はオークランドというところに住んでいる。NZは元々英国領であった。だから、郷土料理?というかNZ料理というのは特にないような気がする。だから、NZ料理のシェフの殆どは創作料理が多いのも事実である。また、NZにはヨーロッパ圏の人達同様、アジア圏の移民が非常に多い。私はNZに来て良かったと思う事の一つに世界各国の料理が手ごろな値段で食することができる点を挙げたいと思う。だから、アジア料理を中心に様々な国料理のレストランが至る所に並んでいる。値段もかなり安い。日本のアジア料理のように、日本人好みの味にはなってはいないが、その代わり本場のそのままの味が楽しめるのだ。また、スーパーに陳列されている季節の野菜もうれしい。NZでは、カルチャーなのか、単にレイジーなのかわからないが、旬の野菜が殆どを占めているのだ。よく言うと、視覚的にも味覚的にも季節感がある。その中でも、春のグリーンアスパラガスが今大量に市場に出回ろうとしている。グリーンアスパラガスと言えば、なぜかオシッコに変な臭い(匂い)が混ざる事は、意外にしられてない事実である。私は、約10年前に知り合いからその話を聞いて、『まさか?』と思って気にしてみたら、結果はその通りだった。人によって影響が出ないと言う説もあるらしいが、実は人によって普段との違いに気づかないだけらしい。アスパラガスは栄養満点だ。カロテン、ビタミンC、ビタミンB群、ミネラルなどがふんだんに含まれている。日本でもアスパラガスの季節には、是非皆さんいっぱい食べていただき、尿の話が本当か試していただきたい。人気blogランキングへ:今癒し系の人気ブログタイトルは何?
September 24, 2005
サブタイトル:『ものを知るということは、そのものの全てを知ることである』脳細胞について少し考えてみた。(いきなりか~!)脳細胞の視覚野の細胞は各自認識する部分が担当制になっているらしい。例えば、色でも赤担当と青担当の細胞が存在するということだ。形も同様で、○を認識する細胞もあれば、□だけを認識する細胞もあるのだ。そこで、通常見ない角度から見た場合や、視覚だけでなく特別に多方面から考えた場合の脳細胞はあるのかと疑問に思った。いつもの事のようにどうでもいいことなので、兎に角ざっと思考してみたら、面白い事を閃いた。『ものの見方は一方向だけでなく、いろいろな方向からみないとわからない。(本当に理解できない)』『こんなベタな事は、言われなくても誰でも知っているよ。』と思われるだろう。しかし、皆さんはこう考えた事があるだろうか?何かを見るという行為は、そのものを知る(認識する)という事でもある。故に一つの物、者、ものを知るという事は、それらを3次元での全ての方向から見る(眺める)ということにならないだろうか。『なんだよそれ』と思われる方もいるかもしれない。ここが、言葉のマジックとプラス思考のトリッキーなところではないだろうか。ここで、ビジュアル的なことだけ先に触れておく。例えば、小学生の夏休みの宿題の一つである、ひまわりの観察日記を考えてみよう。通常は鉢植えされたひまわりを上や横、後ろから観察するのであるが、もしこの植木鉢が無色透明だったとすると、どうだろう。成長過程で重要な根の成長も同時に観察でき、素晴らしい観察日記になることは請け合いではないだろうか。つまり、上記の『ものの見方は一方向だけでなく、いろいろな方向からみないとわからない。』というフレーズには、一見真理を突いているように思われがちだが、これでは、ありふれた自己啓発本と同じで、頭ではわかっていても、脳には伝わりにくいこともあると思うのだ。『え~意味は同じでしょう』と思われるかもしれないが、世の中にはいくら正当な事をいっても、世間に伝わらない事が多いのである。どういうことかというと、先のフレーズは当たり前且つ、表現が抽象的過ぎて脳が受け付けないのと、語尾をネガティブな表現で締めくくっているので、次にどうあるべきかが、脳に伝わってこないのだと思う。脳に伝わらなければ、時間が経てば忘れてしまう。私が自己啓発本に例えた理由もそういうことだ。時間が経てば忘れるということは、一時記憶をしたに過ぎず、そのものに対して真の理解をしていないことになる。どうせ忘れる事に時間をかけるのは無駄ではないが、もったいないという考え方もある。なかには『いやいや、時間が経って忘れても、たまに良く思い出すこともあるよ』という人もいらっしゃるかもしれないが、ある程度ご自分で思ったとおりに行動されている方(ご自分である程度成功していると思っている方)ならおわかりいただけるだろうが、志やポジティブな思考、自己啓発などは、たまに思い出すだけで、上手くいくほどそんなに甘くはないと思うのだ。では、こういう場合はどういう脳内編集(私の造語)が必要かというと、『全ての方向から物事を見たり、考えたりすることにより、そのものを初めて知ることになる』という表現に置き換えたいのだ。また、ものだけではない。人も、出来事も、全ての物理的なものだけでなく、思考的なものにまで同じことが言えるのだ。ということは、これを問題や悩みに適用すれば、逃げずにその問題点や悩みの理由をあらゆる方向から見たり、考察することができ、必ず解決するという事に繋がるのではないだろうか。ここで、もう賢い読者の皆さんならおわかりかもしれないが、この思考法は自分を知るということにも、大いに役立つ。つまり、自分自身をあらゆる角度から見る(認識する)、判断する事に応用できるのだ。ただし、自己分析には決して適用しないでいただきたい。鬱病の原因になってしまうのだ。また話がそれてしまうが、殆どの鬱病は極端な自己分析による自己嫌悪からきていることが多いと私は考えている。(ちなみに専門家はどう言っているのかは知らない)話を戻そう、この思考法は単にビジュアル的な視点からだけとらえるのではなく、相手の立場からどう自分が見えている(映っている)とか、あるいは目標達成のイメージをするときなどに応用していただきたいものだ。そのものを知るという事は、問題点や解決策等、そのものの未来を含めた全てを知るということなのである。人気blogランキングへ:今癒し系の人気ブログタイトルは何?
September 23, 2005
サブタイトル:『各人が皆ある程度はプラス思考であると思っている理由』タイトルは『脳の未来』とは書いたが、『SFチックなもの』でも、『脳の将来』という意味ではない。要は一瞬先に脳が実行する命令と、プラス思考のプロセスについて、少し考えてみただけである。プラス思考とは、これから(例えば1秒後に)脳が命令する事(自分がとる行動、あるいは脳が思考する事)について、どう考えて行動すれば、自分にとってどうプラスになるのかを考える事だと思っている。極端にいえば、『どうなりたいか』ということを常に考えることである。ということは、各人にとってプラスになる事がそれぞれ違うと思うので、ここで感覚や考え方の差、つまり思考の差が生じるというわけだ。わかりやすく説明すると、例えば、世の中には戦争や様々な問題を少なくする為に、宗教というもの自体を廃止して、神より自分を信じることが、世界中の人達のためであり、プラス思考につながる、と考える人もいれば、宗教こそが世の中の為であり、プラス思考になるには、宗教こそが必要不可欠だと思っている人もいるということだ。このように180度違う全く対照的な思考を、人によりプラス思考だと思っていることも少なくないのだ。ちなみに、この思考の差は利害関係とは全く異なるので誤解しないでいただきたい。人により、望んでいるポジティブな事、もの、人、場所、アイテムなどが異なるのである。何がポジティブで、何がプラス思考なのかがわからなくなるのも当然である。だから、基本概念として、自分の為だけを考えるプラス思考か、あるいは家族の為だけを考えるプラス思考、日本の為のプラス思考、はたまた世界中の人の為になるようなプラス思考なのかにより、全く異なるプラス思考が存在するということになる。 そう考えると、人それぞれがある意味皆プラス思考なのかもしれないという、新説も提唱できるのだ。『なんだよ!わかなくなってきたぞ』と思われた方、ご安心ください。私のブログを読んでいれば、必ず真のプラス思考に辿り着く事ができますから。人気blogランキングへ:今癒し系の人気ブログタイトルはなに?
September 22, 2005
サブタイトル:『身体をコントロールできないから肩が凝る』先日、うちの嫁が目が疲れたから肩が凝ると言うので、私が数ヶ月前に考案した独自の肩こり解消法(首編)を教える事にした。しかし、最初は単純な動作なので、口頭の説明で十分と思っていたが、あまりにも理解してくれなかったというか、上手くできなかったようなので、手取り足取り、首取り?教えることにして、やっと効果を得るような動きになってくれた。その時、私は思った。『指示通りに身体を動かせないから肩が凝るのかも』、と。本当に簡単な動作なので、よかったら皆さんもお試しください。(1)身体は椅子に座っても、立っていてもどちらでも良いが、楽な姿勢にする(2)首を真直ぐ左に倒す(3)首の角度を変えないで、右肩を首につけるくらいに、上に上げる(肩をすぼめるような感じ)(4)そうすると首と肩の間の筋に張りがなくなり、余裕ができるので、更に首を左に倒す(この時身体全体が多少左に傾く感じがよい)(5)左肩と腕全体が更に下にさがるように、力を抜く(6)首と身体の角度は変えないで、ゆっくり右肩だけを下ろして元に戻す(7)首を逆に倒して、(1)~(7)の動作を繰り返す(8)上記の動作をゆっくり2~3回繰り返す嫁が戸惑ったのは(3)の部分であった。翌日、違う人にもやってもらった。その人も肩こりが激しいといっていた。結果は、嫁の場合と同じであった。通常、伸ばす動作が、凝りに有効だと思っていたのだと理解した。つまり、縮めて伸ばす動作を普段やらないから、肩や首が凝るのである。もし、この通りにやっていただき、直ぐにできた人で、この動作の意味がわかった人は、おそらく元々肩こりには無縁の人が多いのではないだろうか。また、逆に慢性的な肩こり症の人は、なかなかご理解いただけなく、効果がないと思われるかもしれない。必ず、効果があるので、諦めずにやっていただきたい。私は、幼少の頃から首をぐるぐる廻し、ボキボキを音を立てないと、スッキリしなかったが、このようなまたくだらない方法を思いついてからは、それらの動作がいかに無意味だったかを知った。私の事を、お前は本当に暇でおめでたい奴だ、と思われる方もどうかお試しください。人気blogランキングへ:今癒し系の人気ブログタイトルはなに?
September 21, 2005
サブタイトル:『筋肉痛も脳のコントロールが原因だった』下らないことを考えさせたら、もう止まらない。(爆)久し振りに、体をコントロールする事について考えてみた。一部は実際に正しいかどうかはわからないが、思考したまま書きおろしてみる事にする。筋肉痛には二通りの原因があるのではないだろうか。一つは瞬間的に過剰な負荷がかかり、束になっている筋肉繊維の一部が切断されるパターン。もう一つは継続的な運動により同じ筋肉を使うことで、疲労することが原因のパターンである。前者は脳が身体や筋肉の動きをコントロールする準備が出来ていない状態や、脳が予想(期待)していた荷重よりも負荷が大きい場合に起こることが多く、後者は運動を継続的に行う為に、神経が麻痺状態になり、筋肉のコントロールができなくなるため、体内で矛盾を発生させてしまう。本来は延ばさなければならない筋肉を縮めてしまうこともあるのだ。だから、それが顕著に影響すると、痙攣が起こってしまうこともあるのだ。また、その他の主な原因としては、疲労による乳酸が溜まるという事もあるが、それは鍛えることでしか、予防できないと思うのでここでは触れないでおく。そもそも筋肉痛とは、筋肉繊維に亀裂が入り、切断され、その部分が炎症を起こす為に起こるものらしい。では、どういう時に筋肉痛になりやすいのか、一般的に言われているのは、筋肉に力を入れながら、その筋肉を伸ばす時に最も筋肉痛になりやすいという。いわゆる力加減が難しく、コントロールし辛い動作に起こりやすいということである。だから、登山も登る時より、下る時の方が足腰に負担がかかるし、重いものを持ち上げる時より、下ろす時のほうが圧倒的に筋肉痛になりやすいのだ。そこで、実際にある運動をしている時に、閃いたことがあった。それは、階段を上る時に2段飛ばしに上ると、脳が身体を運動させている(コントロールしている)事が体感できるということだ。この1段ではなく2段か3段を、可能な限り跳ばすところに意味がある。先ず、2段もの階段を跳ばすには、例えば右足から踏み出す場合には、できる限り右足を振り上げて、伸ばす動作が必要になる。(当たり前だ)ということは、右足を伸ばす運動(筋肉の使用)以外に力が入ると、バランスを崩す事になるので、そこ以外はどこにも力を入れてはならない。(ここが当たり前ではない)次に、右足の踵が着地した瞬間に今までと逆の筋肉を使い、蹴り上げる動作により、体重を持ち上げなければならない。当然、この踵が着地した時点でタイミングを間違えると、筋肉痛になると言うわけだ。つまり、脳で一つ一つの動作を理解しながら、上らないと(動作を行わないと)負担がかかり過ぎるのである。この動作を、考えながらやる場合と、あまり考えてやらない場合とで比べると、筋肉痛になる確率が無造作に運動する場合の方が、高い事に気づかれるのではないだろうか。試しに、ご自分でやってみてはどうでしょうか。私が言っている、わけがわからない事の一部がご理解いただけるかもしれません。そして、自分の脳が自分の身体さえもコントロールが難しいことも同時に体感いただけるかもしれません。このように、人から見ればどうでもいいようなことを発見する事が楽しい今日この頃なのだ。(爆)人気blogランキングへ:今癒し系の人気ブログタイトルは何?
September 20, 2005
サブタイトル:『左脳学習には意味がある』前回は閃くシチュエーションについて皆さんにご協力いただきながら考えてみましたが、今回は右脳で閃き始めてから、左脳で何かを閃いたと認識するまでの過程について考えてみたいと思います。いきなりだが例えば、ある発想や閃きにより、『**** は ○○○ である。』というような、結果や法則が見つかったとする。閃きとは、なぜこういう結論に達したかという証明や理由を一瞬のうちにイメージにより、結論付けるということでもある。つまり、『風が吹くと桶屋が儲かる』的な経緯を含んだ連想思考を瞬時に脳でイメージすることなのだ。(少し例えがよくないかもしれないですが)だから、『風が吹く事は桶屋が儲かる事につながる』という意味の事を右脳がイメージして閃き、左脳で文章にしたということである。しかし、その閃きが、例えどんなに素晴らしい発見であっても(桶屋の話は大した事ないですが)、他の人に文章や図によって、理論的に説明しないと、誰も理解してはくれないし、ただの独りよがりになってしまう。その経過を理論立てて説明する必要がある。だから、右脳と左脳の連携と、閃いたイメージを表現できる必要最低限の知識が必要なのだ。只の脳内の思考実験だけなら、もしかすると、アインシュタインと同じ理論を、あるいはもっと斬新なアイディアを閃いた人が過去にもいるかもしれない。しかし、それらの閃きを公式や文章で極めて理論的に、世間にわかりやすく、あるいは合理的に説明することができたのはアインシュタインだけだったのではないだろうか。右脳での閃きを左脳でスムーズに表現するには物事やものの名前を知らないと、文章等で表現し辛いと思うのだ。これが、学問の基礎になっている。要は学問とは名前と機能(使い方)を習うことなのだ。解剖学などはその典型で、学者にいわせると、人間の身体の部分部分を細かく分類して、名前をつけることが、解剖学の存在価値でもあるらしい。その為に、我々は勉強したり、本を読んでいるのかもしれない。人気blogランキングへ:今癒し系の人気ブログタイトルは何?
September 19, 2005
サブタイトルは『閃く時はどんな時?』、って、『閃いた時だよ』と答えないでね。(爆)前から思っていたのですが、楽天のブログをリンクさせていただいている人が1日に連続で2件以上日記を更新すると、最新の日記は表示されますが、その前の日記は注意しないと見逃す事が多いのです。昨日は私も珍しく2件UPしたので、折角の力作?『自信とプラス思考の相乗効果(Vol.-2)』が日の目を見なかったのではないかと懸念しています。だからなんだと言われると、非常に困るので、なんでもありません。さて、そんな事はどうでもいいので、本題に入りましょう。私は右脳で閃く時の条件を自分なりに考察しました。そもそも、閃くとはそれほど大袈裟で、難しいものではありません。多分、皆さんが普段、日常行っている作業や動作の途中で必ず何かを発想したり、思いついているものなのです。(それらが過去の回想でない限り)ただ、それらについて追考しなかったり、メモらない場合が多いので、結局そのままになっている事が多いと思います。人により、生活習慣やイメージ、実行する事が異なるので、各人がバラバラという結果になるかもしれません。兎に角何でもいいので、発想する時、閃く時の条件を教えてください。つまり皆さんがよく何かを思いつく時、閃く時はどこで何をしている時か教えていただきたいのです。私は大体、バスルームでシャワーを浴びている時、トイレで座っている時、電動歯ブララシで歯を磨いている時、車の運転中、単純作業中、歩いている時などに多く閃きます。または、何かテレビ番組などを見ている時や本を読んでいる時に、その内容がヒントとなり、閃いたり発想する場合もあります。結果として私の場合は、周波数にあまり変化がない振動が脳に伝わるような時に多く閃くことがわかりました。これらは、私だけかもしれないので、皆さんのご経験をお伺いしたいと思います。皆さんはどうですか?
September 17, 2005
本日2つ目です。ほのぼの101さんから夢バトンをいただいたので、正直に書かせていただきます。Q1.小さい頃、何になりたかった?幼少時代:よく覚えてないのですが、小さい頃は(も?)全くクリエイティブな脳ではなかったので、情けない話、多分特になかったと思います。小学生時代:コメディアンだけど、授業中クラスで聞かれたときには、見栄張って政治家と書いた記憶も.....。中学生時代:心理カウンセラーQ2.その夢は叶ったか?学生時代、落語研究会にいたこともあるので、今でもお笑いは好きですが、プロは考えませんでしたね。先輩には仁鶴師匠のところへ弟子入りした人もいましたけど。最後の心理カウンセラーについては、日本では全く畑違いな分野にいましたが、NZでは一応カウンセリングをしていますので、近いですね。でも、私はカウンセラーには向いてないかもしれません。なぜならば、悩みや不安、問題を抱えている人の話を聞くと、ご本人達は他人に聞いてもらうだけでスッキリするとわかっていながら、ポジティブな考えの素晴らしさを伝えたくなるのです。なんか損をしていると自分の価値観で勝手に思い込んで、そいう人をほっとけない性質なんです。``r(^^;)ぽりぽりQ3.現在の夢は?一杯あり過ぎるのですが、世界で悲惨な争いと不幸、そして人を傷つける言葉と暴力がなくなることと、脳に直結型の携帯の自動翻訳機のような物が出来て、世界中のどこの人とでもでコミュニケーションができるようにしたいですね。同じ言語を操る人とでも、言葉やボディーランゲージに加えて、誤解がないようにイメージが脳に伝わるように設計したいです。Q4.宝くじで3億円当たったら?ハワイに小さな家かアパート買って、家族で移住したいです。Q5.あなたにとって夢のような世界とは?宇宙の話かな?宇宙は現実なんですけど、不思議過ぎて、どうも深く考えると幽体離脱しそうで.....。Q6.昨晩見た夢は?覚えてません。今朝は嫁が次男を横に持ってきたのでそれで目が覚めました。Q7.この人の夢の話を聞きたいと思う5人は?以前はあまり、人の夢には興味なかったのですが、人のを読むと面白くなりました。会う人全ての人と、私が訪れる楽天のブログの管理者の人全て。
September 16, 2005
サブタイトル:『継続は力なり~』って、キテレツ大百科でも、オタクでもありませんよ。ある分野で成功を収めたり、その分野を極めたような人は、本来多方面でもプラス思考が出来るはずなのであるが、実質はそうでもないことが多い。元々人間はあまり自信がない分野に関しては、プラス思考になりきれない(イメージしきれない)ようだ。ただ勢いがあれば、何にでもポジティブに考えられる傾向にあるが、継続は難しいのである。例えば、秋葉系の人がコンピュータやソフト関連にはポジティブに物事を処理できるにも関わらず、こと恋愛に関してはポジティブになりきれないということもある。しかしながら、一度自信を持ち続けることにより、『電車男』のように本当に欲しいものが手に入ることもあるのだ。では、この自信というものが、どうすれば継続されるのかというと、一般にはその為に何をしたかという事が重要になってくるのであるが、極端にプラス思考ならば、何もしなくても考え方次第(何をしようか)で自信というものは継続されることもある。つまり、自信とは、根拠があり、綿密で鮮明なイメージからでも、永遠に続く事が可能なのだ。ここで、何を言ってるんだ、何もしなくても考え方次第で自信なんて湧き起こり、継続するわけがない、と思う人もいらっしゃるかもしれないが、実は自信をつけるのに実際に何かをする事と脳内でそれをシュミレーションするのとあまり変わらないのだ。私は、脳内で何度も鮮明なイメージでシュミレーションするほうが、むしろ結果がいいことの方が多いと思うのだ。スポーツ選手が最近フィジカル的なトレーニングに加え、メンタル面や、イメージトレーニングに時間を費やすことからも、理想の動きには、鮮明なイメージが必要なのだ。シュミレーションを繰り返す事により、実際の練習よりも良い結果が生まれるらしい。これはスポーツに限らない。例えば、勉強するのにも、結局は自分の手で本を開き、目で文字を読み、脳で理解するのである為、結局は身体を使わなければならないのである。以前私のコラムでもご紹介した、イメージと妄想の話の補足にもなるが、全く可能性がないことをイメージすることは、妄想になってしまう。だから、当然そうなる自信はないはずだ。しかし、多少なりとも可能性があるイメージは、それを繰り返す事によって、自信も生まれ、実現も可能であると脳が期待し続けるのだ。期待をするから、楽しくイメージができ、更なるイメージが膨らむ。だから当然実現する自信も生まれるのだ。『継続は力なり~』、紛れもなく物凄い力なり~。あっ、やっぱり秋葉系だ。おあとがよろしいようで。 m(__)m
September 16, 2005
これは、田中昌浩さんのトラックバックです。私が、楽天のブログを始めてから、早いのか遅いのかわかりませんが、9週間が経ちました。その間、色々な方とネット上ですが、出会うことが出来、様々な意見、考え方を知る事が出来て、非常に嬉しく思っております。また、いろいろな分野で勉強にもなります。私のブログの冒頭でも謳っている『知る事の喜び』を与えてくれるのです。大袈裟に表現すれば、本を買って読まなくても、読んだ気にさせてくれるブログもありますし、時には行った事がない場所にも連れて行ってくれます。全く知らない分野を覗かせてくれるのです。それらは、決して客観的な意見や感想ではなく、極めて主観的な内容かもしれませんが、紛れもない一人の意見です。参考にならないわけがありません。逆に皆が皆、全く同じ意見ならブログを読む醍醐味がないかもしれませんね。先日の台風や総選挙について、どれだけの方がその話題に触れていたのかということも、考えると、改めてインターネットの素晴らしさを実感しますね。立派な世論ですね。また、ブログで伝えたい内容の主題が明確でないとコメントはいだだないのも、事実です。自分でも後で読んだ時(あまり読み返したくないのですが)、何を言いたいのかわからないと、これはコメントに困るなと思ったりします。(苦笑)伝える事の重要性もわかります。ちなみに、私はコメントを頂いたり、掲示板に書き込んでいただいたり、私書箱にメッセージを頂いた方への返信(コメント)は、その方がブログを所持している場合は、時間が許す限り、その人のページへ飛び、その人がその時どういう気持ちや状況で書き込みをして頂いたのか、必ず調べるようにしています。そうすることにより、今まで一度もお会いしていない方でも、私なりに勝手なイメージが膨らむのです。その人の人物像、思考等、かなりの勉強になります。最近気づいたことですが、楽天だけではないと思いますが、プログをやられている方の低年齢化にも驚かされますね。高校生や中学生、中には小学生かもという人達もたくさんいます。時代なのかもしれませんが、私の中高生時代ではPCやネット自体の普及もままならない状態だったので、当り前ですが考えられない事です。しかしながら、考えられないのは技術の進化によることではありません。普段接点が全くないであろう、若い世代の人達が主婦の方や、ビジネスマン、起業家の方々と堂々と意見を交し合う事が、良い意味で驚きなのです。一方ではネットや携帯(メール)社会の影響で対面しないで、会話をすることが、問題視されていることもありますが、私は悪い事ばかりではないと思います。逆に人を育てる事だってあるのです。今まで、誰にも言えなかった悩みや、意見、精神的な苦痛を公開する事によって、今までとは違う方向へ歩き出す事だって可能なのです。情報が早く安く手に入る時代です。ご老人がオレンジレンジの曲を聞きながら歌ってても、あるいは『最近HTMLのタグ設定が楽になってよかったよ。』などという台詞を聞いても、誰も不思議に思わない時代になりました。最後に、インターネットは会話と同じコミュニケーションの一つです。故にブログも一つの社交場です。どうすれば、人がどう思うということも十分に学ぶ事ができるのはないでしょうか。未来のあなたの目標のために。
September 15, 2005
サブタイトル:自信があれば宗教はいらない(言っちゃった!!)昨日は、次男のことで皆さんにご心配していただき、また温かいお言葉をいただき有難うございました。お陰さまで、昨日もファミリードクターにフォローアップをしてもらい、もう心配ないだろうという診断をいただきました。では、ここからが今日の本題です。人間はどんな人でもプラス思考の時が必ずある。それは、自分が好きな事を考えたり、好きな事をしている時ではないかと思う。また、各人の得意分野では殆どの人がプラス思考で行動できるのではないだろうか。なぜならば、それは、その事に自信があるからだ。自信、つまり自分を信じているのであるから、逆にマイナスに考える方が難しいくらいで、これはプラス思考に欠かせない要素の一つである。ちなみに、ネガティブな思考や精神病は自信がない為に、間違った自己分析や自己嫌悪から始まる事が多い。宗教に嵌っている人同様、何でもいいのでそれらを信じている時は、ある意味プラス思考である。どうせ何かを信じるなら、自分を信じた方がいいんじゃないの、ということなのだ。自信は経験と実績を積む事により、更なる自信を生む。しかしながら自信を手に入れるには、必ずしも苦労や辛い思いをする必要はないと思うのだ。なぜならば、同じ経験(苦労とは書きたくない)をしてそれを辛く思う人もいれば、楽しく思う人もいるからだ。そうでないと、苦労しないと自信が得られないと言うことになる。それでは、若い人達にとってあまりにも悲しすぎる未来だと思うのだ。だが、決して楽をするという意味ではない。また、過信では困ってしまう。この辺がこの思考の非常に難しいところなのである。もっとも、結果として、過去を振り返った時(あまり振り返って欲しくはないが)に限り、経験や苦労、修行や精進などから、確たる自信というものが備わるのも事実である。つまり、何かを手に入れる為にある事をしなければならない場合、そのある事をするのに億劫と思ってやるか、楽しくやるかの違いが、結果につながるということなのだ。例えば、司法書士になる為に試験勉強をする場合、苦労や億劫と思って勉強するのと、興味があるので面白いから勉強するのとでは、もし次に弁護士になりたいと思った時、前者はもうこんな苦労は嫌だと思うかもしれないし、後者は全く苦にならないかもしれないのだ。後々の結果の差が歴然と現れるのではないかということだ。苦労をしないと欲しいものは手に入らないという、脳内に刻まれたレコードが、次に何かをする時の躊躇につながるかもしれないのだ。私は過去に何人もそういう人達を見てきている。同じ事を経験するのに、ある人は先の為の苦労や試練だと割り切ってはいるが、その経験自体は苦労や苦痛以外の何ものでもないと思ってやる人、またある人はその経験自体も楽しみながらやるので、全く苦労や試練とは思ってやらない人がいる。前者はその経験をしている間は正直ハッピーではない。例えると、お金の為に働く事や、ノルマ達成の為に仕事をする事などである。故に、これらの状況は脳内で矛盾が起きている。この脳内の矛盾がストレスの元凶ということも忘れてはならない。勿論お金の為に働くのであるが、その仕事を嫌いでは悲しいということなのだ。また、長くなりそうなので後は次回に持ち越します。
September 14, 2005
サブタイトルは『脳の集中力』タイトルは昔、さだまさしの10分以上ある、なが~い歌と同じですが、私がこの歌を初めて聴いた時、『お前の一番長い歌』に題名変えたほうがいいんじゃないか、と思ったくらい長いんです。しかし良く聴いてみると題名に納得で、本当に良い歌でした。ちなみに、この歌と今回の内容とは全く関係ありません。実は今回はそんなくだらないこと言ってる場合ではなかったのです。事件は先日の土曜日から日付が変わって、日曜日の深夜のこと。私がいつものように嫁の白い目を尻目に深夜におよび、PCに向かって、プラス思考について真剣に考えていた矢先の事だった。生後8ヶ月になった息子がここ2週間くらい調子が悪かった事もあり、目を覚まし泣き始めた。ちなみに、うちは子供二人とも別室で寝かしている。早速、私は次男のベッドムールへ行き、抱かかえて、真っ暗なリビングの方へ向かった。リビングにはバランスボールが置いてあり、そこに座って、上下に軽く跳ねると直ぐ寝てくれるので、その時もそうしようと思った。その日は、抱き上げると同時に泣き止んでくれた。どうしようかと思ったが、それでもダメ押しにバランスボールを目指した。リビングへは5段くらいの階段を下りなければならない。毎日往復30回くらいは行き来する慣れた階段である。私は、努めて起こさないように、そーっと次男を左腕に頭を抱いたまま、息子の耳元で『よしよし』と囁きながら、その階段を降りていった。一段一段とゆっくり下っていった。そして、最後の階段を下りきって、右足を伸ばそうとした瞬間、なぜかそこには床(カーペット)はなく、右足は空を斬った?かたちとなった。私は、『やばい』と思ったが、遅かった。その時の状況ははっきりと覚えていないのだが、自分の脳が何を考え、何をしたのかは、なぜかはっきりと覚えている。これは、良く事故の直前や瞬間に走馬灯のように脳がフル回転するのと同じだと思った。 自分でもその集中力の凄さにびっくりした。全く予期していないことだったので、脳がイメージしていた身体の動きと実際のバランスが、全く異なっていた為、コントロール不能になってしまったのだ。それでも『やばい』と思った瞬間、一段間違えたと思ったので、一段飛ばせば、そこには床があると咄嗟に考ることができた。しかし、実際何段踏み間違えたのかはわからないが、一段だけではないようだった。感覚では二段残していたら抱いている息子が危ない、と思ったので、できるだけ大きく右足を伸ばす事にした。しかし、バランスを崩しているので、そのまま右足で着地を試みたが、次の瞬間『グキ』と言う感覚。同時に『あっ』と思った。このままいけば右足が確実に折れるような気がした。その刹那、自分の思考は完全に右足の骨折を回避することに集中してしまったのだ。これが、反射というものなのだと、後で思った。それでも、息子を抱いている事を忘れていたわけではない。時間にしたら、0.1秒か0.2秒の事だと思うが、息子を守る自信はあった。結果として、右足の骨折の代わりに、左肘と腕を同時に突いた。『やった』と思った。しかし、それは儚い一瞬の安堵だったのだ。息子の頭を抱えていた方の左腕をついて、その時は1秒後くらい思えたが、実際はもっと早かったのであろう、息子の後頭部がカーペットに『ゴン』と大きな音を立てて、ぶつかったのがわかった。その直後は一瞬、一連の出来事が理解できなかったが、息子のけたたましい鳴き声で、それが事実であると直ぐ認識した。嫁も起きて来た。状況を一通り説明している最中も息子は泣き止まない。目の前が暗くなった。『息子にもしものことがあれば、......』などど、自分でも信じられないくらいネガティブな思考に傾きかけた。しかし、自分の責任を逃れるわけではなかったが、こういうときにこそポジティブに考え行動しなければとも思った。ただ、自分が反射とはいえ、一瞬でも足をかばってしまったという事が、ただ悔やまれた。結果として私の方の怪我はその時は気づかなかったが、軽い捻挫ですんだ。嫁が授乳をさせて、一応落ち着いたように思ったが、その直後嘔吐した。その時には、どうすればいいかを思案していた。自分いうのもなんだが、プラス思考はだてではないと思った。また、『大丈夫よ』と、全く慌ててない暢気な嫁の性格にも助けられた。結局、明日まで様子をみようということになった。しかし、風邪を引いていても、今までは熱はなかったが、その直後から熱が出た。心配だったが、本人は寝たので、しばらく私は起きていたが、やがて眠りについた。翌日、昼間少しぐずったがそれでも幼いながらに笑顔を時折見せてくれた。夕方になり、高熱が出て、2度吐いた。通常、頭を打つと脳の血管が切れ、くも膜下出血の場合は、それまでいくら元気でも突然の嘔吐などをきっかけに死に至る事も少なくないのだ。夕食もそこそこに『スターシップ』という小児科専門の救急病院へ連れて行った。それが、日曜日の夜の8時前だった。待たされるとは思ったが、心配で不安になるよりは、待って安心する方を選択した。その日は生憎通常時より混んでおり、終わったのが11時半を回っていた。病院の待合室で待たされる事ほどつらい事はない。周りでゴホゴホいっている。私はいいが、長男と嫁も本調子ではなかったので、その心配もあった。その間、長男は元気なので、歩き回り落ち着かない。診察の結果は、頭を打ったのと嘔吐は関係ないとの事だった。その日偶然流感にかかったのではないかとの診断だった。本当かなと思ったが、安心する材料を得るために病院に来たのだ。素直に受け入れようと思った。とりあえずは、安心したが、まだ2日くらいは、完全に安心はできないらしい。とにかく、その日は時間的にも精神的にも非常に長かった。しかし、なにより父親として一番長い日だった。私のコラムも長いですね。切腹ぅ~!
September 13, 2005
今回のサブタイトルは、『誰でも楽々簡単プラス思考』です。なにやら、掃除用品のキャッチみたいになってきましたね。(笑)前回は私の過去の経験からなんちゃってプラス思考をご紹介させていただきました。今回は私が考え出した、あるいは経験した真のプラス思考というものについて、書きたいと思っています。考え方にはプラスな考え方とマイナスな考え方がある。これは、どうしてもプラス思考ができない人でも認めている事実である。皆さんこういうご経験はありませんか?いい事が続いたり、全てが順調な時、つまりプラス思考をしている時、この元気や幸せを誰かに分けてあげたい。元気がない人を元気づけてあげたい。また、逆に悪い事が続いたり、悩みや不安につきまとわれている時、つまりマイナス思考をしている時に、誰かに笑い話を聞いたり、元気な人に励まされたりした結果、他人から元気や幸せを分けてもらった、って気になったことはありませんか?この2つの状態は傍から見ると、何も違いはありません。実は自分の中にだけ存在する思考の差なのである。(当たり前ですね)この話からもわかるように、感情の起伏というか幸福度の標準値が『±0』だと考えている場合が一般的なのだ。つまり、自分の余分なプラス分は誰かにわけてもいいが、不足のマイナス分はもらいたい、という思考なのだ。それは、脳のリズムなのか波なのかはわからないが、そういう風に遺伝子的にプログラムされているのかもしれない。余談だが、私は脳で何かを思考する時には、(言葉では表現しきれないが)このゼロ軸を基準とした、サインカーブのようなイメージが頻繁に乱舞するのだ。まあ、私の脳の中の話はどうでもいい。とにかく、思考というものは放って置けば、『トータルでゼロ』が大好きなのだ。だから、一般には平均や標準を好む習性があるのも頷ける。私の以前のコラム水戸黄門症候群でも触れているが、『波』を好むのだ。そう考えれば、今まで全ての事にポジティブになりきれない理由がお分かりいただけたのではないだろうか。そこで、プラス思考、マイナス思考というのはどういうことなのか考えてみた。例えば、一つの事実を説明するのに、プラスの項目を挙げて説明する人と、マイナスの項目を挙げて説明する人がいる。言い換えれば、ある一つの事実について考えるのに、その事実(本当は長所だけなら思想なのだが)を、短所を強調して記憶しているか、長所を強調して記憶してるか、その人次第である、ということなのかもしれない。ちなみに、私は人に何かを伝える時に、その人の欠点を告げることが、必ずしもマイナス思考につながる、とは考えない。その人のその部分を本当に直して欲しいのであれば、長所も多く告げることを前提に、直して欲しい短所も伝えるべきであると思う。それが、後々に両者にプラスになることはいうまでもない。だから、私は、私の欠点を指摘してくれる人は私のそこを直せば、もっと良くなると言ってくれている、と解釈する。だからいろんな人がいて当たり前なのだ。ここまで考える人はいないかもしれないが、私は当たり前の話をしている。つまりマイナス思考の人は短所の部分の方を多く、プラス思考の人は長所の部分を多く覚えているだけなのだ。だから私としては、できるだけ長所の部分を選択したいだけなのだ。実際に、自分で脳をイメージしてプラスに思考させるとしたら、脳細胞の、短所と感じる部分の細胞をオフにし、長所だと感じる部分の細胞をオンにすればいいのだ。その結果、そう考えるだけで、または、そうイメージするだけで、プラス思考を実行するのに、特別なテクニックはいらないと思えないだろうか?私がお薦めする考え方の一例をご紹介しよう。常に考えることを、『本当に自分がハッピーになるんだったら、次は何をする?(どっち?)』と自分に問いかけながら様々な選択肢を選んで生きていけば、必ず幸せになってしまうのだ。自分だけで選んだ道だから、後悔はないであろう。ここで、またちょっと余談だが、『なる』と『なれる』という2つの言い方の意味も考えてみた。もし、『なれる』と書くと、なってない人でなりたい人だけ、を対象としてるニュアンスに近いが、『なる』と書くと、全ての人に適用されるという意味になる。更に、『なってしまう』なら、放っておいても幸せになるというニュアンスも含んでいる。こんな些細な思考もプラス的要素をふくんでいるのだ。最後に私が考える究極の理想とは、普段から思考と言動に『not』(否定形)を使用しないことである。とここまでいけば、超完璧ではないだろうか。しかしながら、実際には人とコミュニケーションが取れなくなるのでご注意を!(爆)
September 12, 2005
私のブログでもたびたび登場するが、巷でも『プラス思考』や『ポジティブに考える』というようなことが重要視されている。しかし、一口に『プラス思考』といっても、一体どれだけの人がその真の意味をわかっているかは、いささか疑問である。時には何がプラスで何がマイナスなのかの境界線も難しい場合もあるのだ。この『プラス思考』についてだけでも、1年分くらいは書けそうなほど、ボリュームが在り過ぎてしまう。私も何年か前までは、起こった出来事をネガティブにとらえずに、プラスに持っていくことが、ポジティブな考え方やプラス思考だと思っていた。なんちゃってプラス思考だったのだ。その更に数年前までは、赤面するくらいひどかった。ある行動を起こす前に、常に最悪の状況に備え、次のオプションにいち早く対応できるよう、今から推測される可能性があるストーリーを事前に予期(準備)することが、ポジティブな考えなのではないかと思っていた時期もあった。なんだかんだ言っても、自分には甘い。だから、最悪の事態を想定して、その自体をイメージする事により、実際に起こった時、ショックを軽減したいという思いも手伝ったのかもしれない。だから、当然最悪の事態が起こるのだ。それで、よくお決まりのセリフを自慢げに吐いていた。『自分のいやな予感は当たるんだ』当然である。自分がイメージした事だ。実際に起こって然るべきなのだ。我ながら、全くおめでたかった。今から思えば、とんでもないことである。マイナス思考の典型であったのだ。それでも、一般的には起こった不幸や悩み、不安、怒りなどを別のもので発散し、口に出して解消して、直ぐに立ち直ったり、克服したりすることがプラス思考だと思っている事が多いのだ。それらは、プラス思考ではなく、プラスマイナスゼロ思考ではないだろうか。私はそれが決して悪いとは思わないし、それだけでも、難しい事だと思う。しかし、もっとハッピーになれる考え方で、真のプラス思考というものがある。誰にでも経験があると思うが、自分が順調な時は、プラス思考なのだ。だから、腹式呼吸と同じで、問題なければ何も考える必要などないかもしれない。ちなみに、腹式呼吸とは意識しないと胸式呼吸になってしまう為、意識という脳のコントロールが必要なのだ。ただ、何かが起こった時に慌ててプラスに考えても、上述したプラスマイナスゼロにしかならない。なかにはそれでいいじゃないかと思う人もいるかもしれないが、私もそれでいい人はそれでいいと思う。何事も無理はいけない。プラス思考とは決して無理をしては逆効果(かえってストレスなどを溜めてしまう)の結果がでる場合が多いのだ。では、真のプラス思考とはどういうことなのであろうか。それは、次回にご紹介させていただきます。
September 10, 2005
はじめに、今回は少し私のアイディアを伝えづらいかもしれません。よって、説明が分かり辛いかもしれませんので、予めご了承願います。私は思考するということは何かの『理由』を考える事だと思っている。本来なら、『必要』という事が思考を催促すると考えてもいいのだが、世の中必要な事ばかりあるとは限らない。それに発明ならいいが、思考するにはやはり、『理由』ではないかと考えたのだ。あの偉大な科学者や物理学者達の閃きや発明も元々は何かの理由を考えた結果だと思っている。例えば、エジソンが蒸気機関を閃いたのは、なぜ、当時の最良の動力源である牛や馬あるいは人力が必要なのかを考えただけであり、言い換えれば、それらの代わりになるものを考えただけなのかもしれないのだ。もちろん、当時から少しの力で大きい出力が得られる機関は考案されてはいたと思うが、蒸気機関ほどの高率の動力源(エナジーを放出するもの)はなかったのだ。(ここでちょっと、なぜ当時牛や馬や人力が必要だったかを良く考えていただくと、更に良くご理解いただける筈です。『牛や馬と人力.....、そうだ他に代わりがないからだ』ってことになるでしょう?) このことは、現代に於ける動力機関の基本開発コンセプトも同じである。地球上の資源が限られている以上、開発の需要(開発が必要な理由)はつきないであろう。『ちょっと待てよ、代わりになるものを考えただけで、あんな複雑な蒸気機関車の構造が発明できるわけがない』、とお考えですか?では、こうは考えられませんか。『じゃー、それ以外に(代わりのものを考えるという事以外に)発明のモチベーションとなった事があったのか?』と。私は他には思い浮かびませんでしたが、皆さんはどうでしょうか?例えば、エジソンが単にそれを発明したのは、お金儲けをしたかっただけだ、というモチベーションだったと仮定しましょう。良く考えてくださいよ。なぜそれが、お金儲けになるのかを。そうです。代わりになるものを考え出す事によって、コストが削減できるからお金儲けになるのです。 結局は代用品を見つけることに到達するのである。また、アインシュタインの一般相対性理論も、今の世の中(地球や宇宙)がこうなっている法則を考えて、公式などにしたのだ。言い換えれば、我々の世の中が、こうなっている理由を考えだし、理論付けただけなのだ。ということは、上記を合わせて考えると、閃きとは理由がわかったという事、になる。または、閃くという事は理由を考えた、という事である。また、何かが閃いたということは何かの理由がわかった、という事である。ということは理由を考えるという事が閃きを誘発する、ということにもなる。だから私は常に『理由』を『プラス』に考えたいと思うのだ。言い換えれば、『プラスの理由』を思考したいのである。
September 9, 2005
前回は『イメージ』というもの自体について書かせていただきましたが、今回は、『実現するイメージ』と『実現しないイメージ』の違いについて書きます。考えてみれば、『イメージ』という言葉自体あまりにも抽象的過ぎて、受け手に様々な解釈と誤解を与えてしまいます。さて、通常のイメージとはどういうものなのだろうか。初めて海外での長期滞在で、英語を学びにいらっしゃる方から、『イメージと違った』などというセリフを良く聞く。正確には、『現地で英語を習ったら直ぐに英語が上手くなるのかと思っていたが、実際は違った』ということなのであろう。その気持ちは非常に良くわかるし、私も最初に渡航した当時はそう思ったこともあった。 この過去の私や留学生達の『イメージ』は本来脳内で処理されるべき『実現するイメージ』(理想の『イメージ』)とは完全に異なるのだ。では、何が違うのであろうか。例えば、海外の語学学校で勉強する事に対し、一見ポジティブなイメージを抱くとしたら。殆どの人が『楽しい学校で、楽しい先生と愉快なクラスメートに囲まれて、おまけにホームステイのファミリーは家族みたいに扱ってくれる。日本語は殆ど話さないつもりだから、自分の語学力はグングン伸びる一方だ。帰国する頃にはペラペラになっているだろう。』という具合だ。自分もそうだったが、実はこれは非常におめでたい妄想なのである。では、何がいけないのだろう。先ず、イメージの視点も関わってくる。これは、後述するとして、次に挙げるとすれば、他力本願的なイメージであるということだ。他力本願的なイメージとは、あくまで自分はそのままの状態、考え方で、環境が変化する事により、自分が理想に近づくという思考である。この考えでは、いくら強く、鮮明にイメージしてもなかなか理想には近づけないだろう。 イメージと妄想は違うのだ。これが、『実現しないイメージ』なのだ。余談だが、お金持ちになりたいと思っているだけで、実際になれないのは、上記と同様なイメージを抱いてるだけなのかもしれない。ではどういうイメージが理想的なのかというと、自分自身だけが何かをしているイメージを抱くのである。例えば、自分が楽しく単語を覚えているイメージとか、自分が学校で大勢の人の前で、現地の言葉(英語等)でスピーチをしているイメージ、自分がホームステイでファミリーと会話を楽しみながら食器を洗ったり、家の雑用を手伝ったりいているイメージなのだ。言い方を変えると、環境や相手は全く関係ない。つまり、『実現するイメージ』とは自分自身だけを思い描くのである。そういうイメージを抱く事によって、次に何をすれば、その理想のイメージに近づけるかということも、同時に発想できるのである。つまり、次の道が開けるということに繋がる。もっと、身近(?)な例を挙げると、異性についてのイメージはどうだろう。自分に理想の異性像を問いかけてみる。女性なら『優しくて、思いやりがあり、背も高くて、顔は特に気にしないがイケメンに越したことはない、おまけに年収もそこそこあるといいなあ。』等々また、男性なら『明るくてかわいくて、性格が良くて、よく気がつく、スタイルも.....etc』まあ、ここまではただの理想に過ぎない。しかしその願望を少しでも現実に近づけるにはどう考えればいいかというと、更にその理想の異性と楽しいデートをする相手として、十分ふさわしくなっている自分が鮮明にイメージできれば、理想の相手を見つけることに近づくのではないだろうか。あとは、実行するだけである。また、このコラムの途中で触れた、イメージの視点はどうであろう。例えば、イメージも自分の通常の視点でイメージするのがいいのか、自分を非常に小さくとらえて、全体(イメージの規模にもよるが)を眺めるイメージがいいのか、あるいは、自分の少し斜め後ろくらいからの視点のイメージがいいのか、という事も考慮したいところである。私は人それぞれ一番鮮明にイメージできる方法がベストであるとは思いますが、最初の通常の視点でのイメージは自分が登場していない(写っていない)ので、あまりお薦めは出来ない。自分をイメージするという事は、自分をあらゆる角度から見つめ直すということにもなる。私のお薦めは、最後の自分の斜め後ろくらいからの視点というか、視界でイメージするのがいいと思います。試しにやってみると、イメージする事が楽しくなりますよ。
September 8, 2005
『強くイメージすれば必ずそれが現実になる』どこかで聞いた様なベタなフレーズである。しかし、これにはしっかりとした根拠がある。今や一部の方々の間では常識となっているのだ。この『実現するイメージ』とは何か、という事を最近本気で考察してみたので、本編は次回にご紹介したい。(書き下ろすと超長そうなのでご勘弁を)その前に今回は、『イメージ』というもの自体について触れておきたいと思う。脳内で感じたり、創造されるイメージはたくさんの種類があるのではないだろうか。私は、五感を通してそれぞれ脳で感じたセンスも立派なイメージではないかと思うのだ。例えば、耳から入り、脳内に取り込まれた音楽、音(厳密に言えば可聴帯域以外の周波数も含む)をセンスすることによって、脳に何かのイメージとして感じる。味覚や触覚についても、同様である。また、逆に脳内で創造されたイメージも音の表現や味の表現として、何らかの形になることは言うまでもない。何が言いたいのかというと、要はイメージとは決して脳内の視覚野だけを通して、脳内に記憶された情報(データ)を基に、過去にない情報を創造することだけではないのだ。どうしても視覚にとらわれると、脳内で限界が生じてしまい、本来の脳力が発揮できない。と、ここまではまだ本題ではない。次回は、『実現するイメージ』と『実現しないイメージ』の違いについて、書きたいと思います。
September 7, 2005
今ここ南半球では、春を迎えようとしている。春になると、今まで伸びをとどめていた芝が急激に成長し始めるのだ。当然今からの季節には2、3週間に1回の割合で芝刈り機で芝を刈らなければならない。これが、平坦な土地なら毎週やってもいいのだが、如何せん我家の庭は土地が傾斜している部分が多い為、大仕事なのだ。冬場は雨が多い為、サボってプロの業者に頼むこともあるが、彼らも終わった後は息を切らしている。はっきりいって苦痛以外の何ものでもなかった。(なぜ過去形なのかは後でわかります)家の建坪と家屋は小さいくせに、土地だけは広い。おまけに傾斜がきついところもあるので、上側約4分の1の土地は諦めて、雑草を育てている状態になっている。これが、もし全てフラットな土地なら最近の地価の高騰も手伝って、資産が倍増するのであろうが、世の中そんなに甘くはない。(苦笑)さて、今から数年前になるが、私はこの芝刈りをしている最中にある重要なことに気づいた。 それは、芝刈りを黙々としている時に発想する事や、思い出す事が、あまりハッピーなことではなかったり、どちらかといえばネガティブな考えに近いということだった。また、終わった後の身体の筋肉痛も激しいように感じた。最初は芝刈り機のエンジン音のノイズや振動が脳内に影響しているのかと思ったが、どうやら違っていたようだ。ノイズや振動は不快にさえ思わなければ、悪影響はないと悟ったからだ。それは、ちょっとした事がきっかけで思考と動作や行動の関係に気づいた。私はそれまでしゃがんで物を拾い上げる動作が、異様なくらい嫌いだった。特に机の下に落ちたペン等を拾い上げること等に嫌悪感を抱いていたのである。また身体が触れてはならない狭い場所を通る時も同じだった。だから、当然無理な体勢で物を拾い上げたり、拾い上げる途中で頭をぶつけたり、筋を痛めたりすることもあった。狭いところを通る場合も身体に余分な力が入るため、逆にスムーズに通り抜けできないこともしばしばだった。(今はそんなことはないが)普通の人は上記のような事はないと思うのであるが、私は埃っぽい所が苦手なのだ。軽いとはいえ、ハウスダストのアレルギーを持っていたからなのかもしれない。ある日、物を机の下から拾い上げる時にいつもとは違う体勢で拾った。身体の筋が伸びて、心地よかった。『あれっ?』と思った。その日以来不思議な事に今まで嫌でたまらなかった動作が嫌でなくなったのだ。これを、芝刈りに適用してみようと思った。芝刈りをする事で得るメリットを挙げて、芝刈り自体を好きになろうと思ってみた。普通は嫌いなものは簡単には好きにはなれないが、思考の仮説を証明する為には全く苦ではなかった。すると、顕著に結果が現れた。芝を刈っている最中に発想する内容が楽しい事に変わった。そして、終わった後に筋肉痛も残らなかったのだ。一つの結論に達した。人は嫌な事、嫌だと思っている事、または苦手と思っている事をやっている時はネガティブな発想が思考の大半をしめ、その逆はポジティブな思考が脳内を占めるのだ。これは、対人関係にもいえることだ。嫌々何かをやる事ほど、ナンセンスな事はないのだ。どうせやるなら好きになってやれば能率も上がるのだ。このようにして、ここ数年で私の思考実験を行動を伴うことで、一つずつ証明してきた。故に、プラスに思考する事ほど素晴らしいものはないと考えることが、楽しくてしょうがなくなったのだ。
September 6, 2005
ここ2、3日嫁をはじめ、息子2人が風邪を引いている。去年までは、めったに風邪も引かなかった嫁が夜になると喘息のように咳き込んでしまう、今回のは特に性質が悪い。嫁の場合は、最近子育てが忙しいこともあり、2、3年分の疲れが出たのかもしれない。 これで私以外の残りの家族だけが風邪を引くのは、今年で3回目くらいだ。なぜか、私だけがいつも免れている。ここ6年くらい風邪らしい風邪は引いたことがない。それにはしっかりとした理由がある。とはいっても、そんなに誇れるほどのことはない。(苦笑)先ず、危ないと思ったら予防をしている。当たり前の事だが、これがタイムリーにできない事が多い。また、こんな事を書いたら、『いい加減なことを』と思われるかも知れないが、周りの誰かが病気になり、その菌が移って病原菌が体内に侵入しそうになったら、脳をコントロールして、余計に免疫力を高めている。そして、それが近年、旨くコントロールできるようになった。ということだ。あっ、ひとつ忘れていた。 プロポリスの存在だ。毎日ではないが、危ないと思ったら、その時は殆ど飲んでいる。プロポリスとは、蜂の巣を常に無菌に保つ為に必要な物質で、自然からとれた抗生物質のようなものである。医薬品ではないが、どちらかと言えば健康食品の方が近い。これは、副作用やアレルギーが一切ない。ということは、妊婦さんや母乳をあげているお母さんでも飲めるのだ。効能は、全体の免疫力を高め身体の内外両方における傷や炎症系に優れている。特に気管支系の炎症や、口内炎、胃の粘膜に入り込んでいるピロリー菌などには顕著な効果がある。このプロポリスのお陰かもしれない。または、単なるプラシーボ効果なのか。プラシーボ効果とは私の解釈では、患者に良く効く薬だと偽り、体内に取り込んでも何も役に立たない物質(生理食塩水等)を注射したら、一時的にでも症状が治まったり、回復に向かうという現象のことである。ちなみにプラシーボ(Placebo)の語源は『喜ばせる』という意味を含んでいるらしい。私は、上述の3つを全部取り入れています。だから、どれが一番効果があるのかは問題にしていません。目的は風邪を引かないことですからね。皆さんの風邪対策はどうされていますか?
September 5, 2005
私の知り合いに、若くして甲状腺癌を発症し手術をして、病巣を克服したり、直腸癌を克服したりした人達がいる。その人達にとっては、我々には計り知れない苦労や葛藤があったと思う。彼らに共通する事がある。それは、皆それぞれがプラス思考なのだ。私は、その人達を含め、難病にかかって死に直面したり、事故や災害で九死に一生を得、生き延びた経験がある人はポジティブな思考の人が多いのではないかと思っている。一般に人は何かを失う事に対し、恐怖という感情が芽生える。そのなかでも、死という究極の損失を超越する恐怖はないのではないだろうか。彼らは、命の尊さを誰よりも知っているし、それ以外のものを失うことへの恐怖にも耐える事が可能なのだ。また、自分の命より大切なもの(最愛の子供や嫁、旦那etc)ができた時には更に物事をプラスに考えることができるのではないだろうか。だからといって、わざわざ死に直面する必要はないが、本当に大切なものを知る事と、その価値(尊さ)を知る事は重要だと思うのである。
September 3, 2005
世界中で日本人ほど占い好きな人種はいないのではないかと思う。その証拠に、日本には血液型占いというか血液型別性格診断、というようなものが存在する。私が知っている限りでは、日本特有のものである。ヨーロッパ社会では血液型占いや性格診断どころか、自分の血液型さえもよく知らない人の方が多いくらいなのだ。しかし、日本では自分の家の電話番号より、自分の血液型のほうを覚えている人のほうが多いのではないかと思うくらい、血液型はメジャーである。血液型占いが流行った理由はいくつかあるらしいが、残念ながら専門家に言わせると全く根拠はないらしい。今回はその理由をまとめてみたいと思う。先ず、日本人の気質にも関係しているのではないだろうか。日本では古来から『和』というものを非常に大切にする。これはこれで素晴らしいカルチャーであると思う。そして、何かに所属することに安心感を覚える。会社やサークルなど社会自体がそうなっている。逆にどこにも属していないと、変人扱いされても仕方ないくらいである。例えば、初めて会った人がたまたま同郷だったり、同じ趣味を持っていたりすると、なぜか、直ぐに打ち解けてしまうのだ。(これは、日本に限った事ではないが)日本人にとっては血液型も例外ではない。特に自分と同じ血液型の人になぜか親近感を抱いてしまう。私は仕事柄、歳もバックグランウンドも全く違う人が初めて会って話をするところをよく目にする。初対面では、殆どの人が先ず、日本からいつ来たかを知りたがる。次に直接聞くかどうかは別にして、相手の歳を気にする。その後、話が弾むと、出身地、血液型の順に情報を交換する事が多い。知らず知らずのうちに自分との共通点を探しているのだ。そもそもこれが、日本人の『和』なのだ。話を戻そう。今回の結論は日本人いや世界中の何十億の人がたった『A』、『B』、『O』、『AB』の4種類の性格(人格)に分かれる事自体が不可能なことは猿が考えてもわかりそうなことだ。(猿はここまで考えるか定かではないが)しかしながら、占いイコール統計であるのだから何らかの根拠というか、ヒントはあるはずなのだ。強いて言えば、こういう意見もあるらしい。(これは私が思考した事ではない)血液の細胞レベルの形がそれぞれの血液型により、違うということだ。当然、形が異なるということは、免疫システムにも差が出てくる。各血液型の形状が異なる事により、ある特定の細菌やウィルスと見分けがつかなくなることが生じ、侵入を許可する。その結果特定の病気にかかりやすくなるという。日本では一番『A型』の人が多いらしい。欧米人では『O型』ということである。ちなみに南米のインディオは100%『O型』だという。過去に、この地域にO型以外の血液型が全滅したような、細菌かウィルスが蔓延(はびこ)っていたのだろう。このデータは過去の蔓延(まんえん)した病気や疫病により、血液型別の人口分布が出来上がった結果でもあると考えられるのだ。これらの結果を性格に結びつけると、『A型』の人は風邪やインフルエンザにかかりやすかったりするらしい、だから、『A型』の人が割りと神経質で几帳面、清潔好きなどという性格診断や、『O型』の人がは大らかで、細かい事を気にしない等の診断は病原菌に対する抵抗力だけの違いなのかもしれない。しかし、これもまだ仮説の域を抜け出せないでいるのだ。皆さんはどう思われるだろうか?
September 2, 2005
女性の身体が男性より一般的に柔らかいわけを良く考えてみた。自分でも『そんなど~でもいいことを考える暇があれば、もっとマシな事考えろよ』と一瞬ツッコミ入れたくなったが、あまりにたくさんの事にこのアイディアが応用できるという事にも気づいたので、やはり考えてよかったと思う。その結果、女性の日常のしぐさ、動作が女性的なほど、身体が柔軟なのではないかという一つの仮説が浮かんだ。つまり、女性でも完全に女性的な振る舞いを忘れてしまった方は身体が硬いかもしれないのだ。私の仮説が正しければ、ゲイやニューハーフの方は柔軟な身体である可能性が大きいということだ。物腰が柔らかいという表現もよく聞く。実に女性的な表現だ。しかしながら、身体が柔らかい男性は女性的なしぐさや振る舞いをしているのかという逆説が成り立つわけではない。先ず、女性特有の内股は開脚時にかなり有効である。試しに、やっていただくとお分かりいただけると思う。足のつま先を外に向けた場合の開脚角度と、中に向けた時の開脚角度と少し違いがあることにお気づきいただけると思う。総合的にいうと、女性というもの自体に外見からも内面からも、柔らかさを表現(深い関係)するのが、一種の本能として、あるいはDNAレベルで組み込まれているものなのかもしれないのだ。これは、ルネッサンス時代の芸術作品などに『女性』として数多く表現されていることにも証明されている。男にない柔らかさ(ソフトを含む)は男にとってもっとも女性の魅力な部分の一つなのだ。要は女性的な振る舞いを実行するというよりも、その身体の動きを脳が知っていてコントロールできる人が柔軟性に富んでいるのではないかと思うのだ。以前のコラムでもご紹介したが、身体の柔軟性は筋肉の硬さの問題ではなくて、そのポーズになる事をいかに鮮明にイメージでき、そうなるようにコントロールしているか、していないかに関わってくる。これを日常生活に置き換えて考えると、曲げたい柔軟のポーズをとりあえずの人生の目標とした場合、鮮明なイメージと少しの思考と実践ということになるのだろう。 これを言いかえると、悪いイメージはその通りになるということです。ということは、これはまさにイメージする事が現実に近づくことを証明するということです。上記のことを信じるだけで、そうなる可能性は十分にありますが、信じなければ目標を達成する可能性(要素)をイメージなしで他に探しに行かなければならないかもしれませんね。
September 1, 2005
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