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サブタイトル:『何が普通の生活なんだろう?』普通の生活といっても、生活レベルの事ではない。ここ最近、忙しくじっくり物事を考える時間がない。時間は作るものなので、厳密にいうと、最近物事をじっくり考える気が起こらなかった。いわゆる、普通の生活を送っていた。もともと、次男が生まれたばかりということもあり、ブログの更新も週に2、3回を目安に始めたのであったが、ついついいろいろなことを考えると面白くて止まらなくなり、当初の予定よりハイペースになっていた。しかしながら、最近は日常様々な出来事が公私にわたって起こり、その対応で一日が過ぎていく。これが一般的な極普通の生活なのだと思った反面、少しもの足りない気もした。物事をじっくり思考する余裕が、自分そのものの余裕になっている事に気づいたのだ。私の普通の生活とは日常に追われることではなく、思考するゆとりを得る事なのだ。その為に、今何をするかだけなのかもしれない。人気blogランキングへ:少しでもなるほどと思われたら、プチッとお願いします
November 28, 2005
サブタイトル:『左脳と右脳を感じるとやめられまへんな~』最近良く左脳と右脳について考える事が多い。近年誰が言い出したのかわからないが、右脳を開発することが、なぜか人間の能力開発につながると信じられている。だから、何も知らない人は自分の右脳の殆どは使われてないと信じきっているのだ。悲しい事実であり、大変残念な思い込みでもある。なぜならば、自分で自分の脳が使われていないと信じているのであるから、使われないのは当たり前である。へたをすれば、一生使う気が起こらないかもしれない。右脳の数パ-セントしか使われてないと思うのは、非常に自分自身癪なので、その世間の思い込みを打破する為、今日は左脳と右脳が自分の脳をどう共有しているのか、考えてみた。題材は誰でも一度は見たことがあるだろうと思い、『車』にした。先ず、『車』と思うことで、左脳は活動を始め、『車ってどんなものだっけ?』とか『車には何がついてるだろうか?』と思い始めることにより、右脳が動き始める。つまり、車自体に対する普段の自分のイメージを右脳の一時記憶場所(メモリのS-RAMと言いたいが、D-RAMのようなもの)に記憶させるのである。車のメーカ及び車種、色や形の単語は左脳で考え、それを形や色を含めたイメージにするのは右脳である。そして、やはり『おっ、タイヤがあるぞ』と見つけてくれるのは左脳だ。しかし、そのタイヤの形状のイメージ(あくまで自分の普段抱いているもの)がしっかり右脳にイメージデータとして一時記憶に追加されるのである。また、『ドアを開けて中を覗いてみよう』と思うのは左脳で、実際に中を見ている(イメージする)のは右脳である。更に、これを繰り返していくうちに、イメージというものが鮮明になるのである。こんなことは、普段意識してやらないかもしれないが、特に無意識に行っているわけでもなく、いつでも誰でもやっていることなのである。現在、信じられている右脳開発は、上記のDRAM(一定時間毎に記憶保持のための再書き込み(リフレッシュ)を行なう必要があり、コンピュータの電源を落とすと記憶内容は消去されるメモリ)から訓練によりSRAM(記憶保持のための動作を必要としないメモリ)にするようなものだと思う。つまり、人間の脳のデータの一時記憶処理は通常DRAMのようなもので、常にデータが入れ変わっている。なのでそれを、意識的にSRAMのようにすることができれば、能力を向上させることができる。つまり、速読などはその顕著な例である。右脳にデータ(文章の内容)を記憶保持させるのだ。故に、私は脳力開発は右脳だけにこだわらず、左右の脳のバランスが重要で、簡単に誰にでもできるものだと思っている。ただ、普通の人は自分にはできないとか、特殊能力者や、特別な厳しい訓練ではなくても絶対に訓練をしなければならない、と思っているだけなのかもしれない。人気blogランキングへ:少しでもなるほどと思われたら、プチッとお願いします
November 26, 2005
サブタイトル:『ブログは就職活動もする』私は、特に楽天のまわしもの(死語?)というわけではないが(笑)、ブログを続けると、アフィリエイトの類以外の、思わぬ低収入サイドビジネスにつながるかもしれないと思うのである。なぜかというと、私もブログを数ヶ月やらせてもらって、いろいろな方とお知り合いになれた。その中にはビジネスをやられている方達もいらっしゃる。当然、全く交流のない近所のそれぞれ同じ職種の人達より、親近感はある。例えば、中古PCのことならGさん、公務員試験を受けることになったり、教授法を学びたければ超さん、美味しいレトルトハヤシや洋食屋さんの味を楽しみたければチさん達(以上良くコメントをいただく方の中の内、早くリンクしていただいた方順になってますのでご了承願います)にお世話になりたいし、人にも勧めたいと思っている。これは、私以外にもそう思っている方はいらっしゃるはずである。ということは、ブログのアクセス数を伸ばす事で顧客や売り上げが増えるという事は確かである。こんな事は当たり前なのであるが、ここで発想を変えてみたい。つまり、ブログで売り上げが伸びるのであれば、企業(起業家はもちろん)が人を雇ってもいいのではないだろうか。企業は企業でも大企業では、全くではないが顕著な効果が現れない。だから、雇うメリットが見つからない。例えば知名度が上がることにより、売り上げが著しく伸びる業種、特に単価が高い業種にとって、ブログのプロを雇って、その会社の社員やその道のエキスパートや専門家になりきってもらい、複数のサーバーに同様の日記やコラムなどを書いてもらうと、給料やバイト料を支払っても十分ペイ(林家ではなく、Pay:相殺してもお釣りがくることである)できると思うのだ。これが、本当のブローカーかもしれない。(爆)これからは、学歴も資格も要らない、ブログがあればいいのだ。(再爆)人気blogランキングへ:少しでもなるほどと思われたら、プチッとお願いします
November 23, 2005
サブタイトル:『第六感は特別なものではない』人間には五感というものが備わっている。視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚である。そこで、思った。『錯覚』とは五感のどれに対していうのだろうと。どれでもない。ということは、この錯覚が第六感なのかと思ったが、ちょっとこれは強引過ぎる。(笑)そこで、第六感についてもう少し考えてみた。第六感とは学術的には検証されてない感覚である。(ここでは能力とは言わないでおく)触ってないものに対し、何かがどこ(ロケーション)にあるという感覚は五感には備わっているない感覚である。これを一般的に第六感ともというのではないだろうか。例えば、我々は皮膚から5mmや10mm程度の距離なら、少し集中すれば、何かがあるくらいなら感じることができるだろう。だが、例え5mmや10mmの距離でも五感で認識できない感覚は第六感なのではないだろうか。実は、これは五感の全てを集中しイメージすることにより、第六感というものを得る事が可能なのである。言いかえると、第六感自体が元々五感を同時にフル活用することなのかもしれない。しかし、段々と遠くなってしまうと、その距離に比例してわかりにくくなる。例え、その第六感が何かについての閃きだとしても、目に見えない、耳に聞こえない、........などの五感が効かない次元や場所での思考は全て第六感なのである。ただし、只の妄想や想像などとは異なり、五感を同時にフル活用する事が条件である。ここで、五感を集中させるだけで、そんな閃きができるんだろうかと思われるかもしれないが、例えば、何かのイメージをしようとする時や考え事をしようと思った時に、マツタケご飯の香りが、ぷ~んと香ってきたら、一瞬でも『おっ、マツタケご飯だ(^^)』と思わないだろうか。つまり、五感のそれぞれを集中させなければ、鮮明なイメージは抱けないということになる。世の中、説明できない事が多いように感じるかもしれないが、案外説明できる事の方が多いのかもしれない。人気blogランキングへ:少しでもなるほどと思われたら、プチッとお願いします
November 22, 2005
サブタイトル:『時間はどこで感じるもの?』アルバート・アインシュタインが特殊相対性理論を打ち立ててから、それまで唯一全ての人に平等に与えられる絶対的なものであった時間が、実は人により時間に対する認識が違うという衝撃的な事実が判明したことは周知の事実である。相対性理論では光速度に近づかないと理論上時間のずれは認識できない。と、ここまでは物理学的な話である。しかしながら、心理学においては、なにも光速度に近づかなくても人により時間の進む速さが違ってくるものである。これは心理的時間というもので、人が時間を短く感じるときは、大きく分けて3通りあるといわれている。1. 一定時間内に受ける刺激がまとまりを持っているほど、時間は短く感じられる。2. 作業をする場合は面白くて複雑であるほど、時間が短く感じられる。3. 感心や興味があるほど時間が短く感じられる。またある心理実験によると、人は赤い色で囲まれると時間を長く感じ、青い色で囲まれると時間を短く感じるという。これは実際にあった話であるが、ニュージーランドのオークランドにスカイシティーホテルというカジノが経営しているホテルがある。そのホテルの壁が、以前は赤系の色だった事がある。赤は情熱の赤である。当然、部屋にいても落ち着かないし、興奮し、アグレッシブになる。また、時間も普通より長く感じるから、泊り客が部屋にいたくないからカジノへ降りていったと言われている。さて、話を戻すと、私は心理的時間と脳が感じる時間は異なると思うのだ。ここら辺が、私の独創的であり、勝手気ままな理論である。(爆)上記の心理的時間はお分かりいただけると思うが、どちらかといえば受動的な感覚である。ある事実について自分がどう感じたか判断しているだけなのである。ところが、脳が感じる時間は受身ではなく、能動的に考えるべきである。人間は一極ではなく、多極に集中する時、物凄く頭の回転が速くなる為に、思考する主題がパラレルに数多く処理できてしまう。つまり、脳のデータ処理速度が速くなるので、複数の処理やストーリーが展開されるため、時間が長く感じられることがある。しかしながら、これが複数ではなく、ひとつの事に一極集中すると、逆に時間が短く感じるのではないかと思うのだ。兎に角、人により時間の流れが一定でない事は確かなようである。人気blogランキングへ:少しでもなるほどと思われたら、プチッとお願いします
November 21, 2005
サブタイトル:『今回のコラムは脳で読んでください』先日、ある方から『頭と脳の違い』というのは具体的にはどういうことなのかというご質問がありましたので、今回はそれについて触れてみます。これは、私のブログのフリーページの冒頭にも書いてある『頭ではなく、脳で考える』と同じ事です。先ず、頭で考えるという事は、外部情報や知識から判断して、ある一点や狭い範囲で思考することだ。いわゆる『頭ではわかっているが、実行できない、あるいは行動に移せない』ということになる。つまり、『♪わかっちゃいるけどやめられない~♪』状態のことである。(笑)一見わかっているようで、実はわかっていないのだ。真の理解とは、行動が伴って初めて理解といえるのではないだろうか。本当に理解していれば、アクションを起こしているわけである。例えば、タバコを止めたいと思っている人がいる。しかしこれが、なぜやめたいのかを頭だけで考えると、やめなければならない理由が自分に認識できない。その結果、やめても直ぐにまた吸い始めてしまう。ダイエットも同じである。対する脳で思考するということは、自分でシミュレーションや思考した結果、真の理解により、ある事実と一致することが明確になった(実感した)状態、大袈裟に言うと、その思考した部分について悟りを開くことである。これをタバコを止めたいことに適用して考えると、脳で思考し、理解を始めると、吸わなければならない理由を探す方が難しいのである。これは、意思が強い弱いということは余り関係ない。むしろ意志が弱いと思っているだけで、実はタバコを止めたいということを脳で理解していないだけなのである。タバコを止めようかと思われている方は、以前のコラム『タバコの止め方』をご参照願いただくと、逆にやめる必要がなくなるかもしれない。(笑)また、自己啓発についての本をいくら読んでも、読む人が脳で理解しなければ、本を閉じた瞬間にその内容を忘れてしまう。いくら、我々が物事をプラスに考える方がいいと説いても、脳での理解がないと、『確かに言ってる事はわかるが.....』となってしまうのではないだろうか。そうなると時には、マイナスだって必要だろうと思ってしまうこともある。その結果、同じような書籍を何冊も購入することになるのだ。だから、シビアな事を言うと、セミナーなどを開催して、リピーターの方がいらっしゃることは一見嬉しい事のように思うが、実は残念な事でもあるのだ。更に『英語教材とダイエットグッズが売れ続ける理由』の最後に触れた、あのエリン・ブロコビッチも受けたといわれるアンソニー・ロビンスのセミナーやCD/DVDが、飛ぶように売れ続ける理由は、どれもたった一つの『基本的な思考』を説いているにもかかわらず、『禁煙』、『ダイエット』、『成功』、『ビジネス』、『健康』etc.とジャンル分けをしているので、それぞれのタイトルについてやり方を学ばなければならないからである。脳で理解していないと、何かするのにまた最初から学ばなければならない。お金と時間がある人ならいいが、私のような一般人にとっては、使えるのはお金ではなく、脳だけなのだ。ちなみに、私は全く興味はないが、彼のセミナーは高額ということだ。フィージーで開催される3日間のセミナーはセミナー代だけで、AUS$8,000(日本円で当時約64万円)くらいらしい。もっとも、それくらい払えば、脳が理解してくれるかもしれない。(爆)そこまで、考えられているプログラムだとしたら流石である。人気blogランキングへ:少しでもなるほどと思われたら、プチッとお願いします
November 19, 2005
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November 17, 2005
サブタイトル:『ジョークは世界を救......わないか?』いきなり堅いのから砕けた内容になったな、と思われるかもしれないが、もともと私はこちらの方も実はかなり好きなのだ。特に○ネタを考えることについては、かなり自信がある。こんなことで自信があってもしかたないのだが、自分の中でこれだけは誇れる事があるといういうことは、例え何であっても悪いことではない。(爆)くだらないとはいっても、ユーモアのセンスとジョークの深さも、しっかりと脳の活性化に役立つことも忘れてはいけないのだ。そこで、ふと先日、独身の時代にはいろいろと馬鹿なことをやっていたなあ、と記憶が甦った。その一つに、まだ、私が東京に住んでいた頃、よく仲間達と事あるごとにファミリーレストランに出向いていた。5人以上でくだらない事を話す時には駐車場もあって非常に便利である。スキーの帰り、テニスの帰り、合宿の集合場所等など、事あるごとにファミレスを利用していた。あの頃はファミレスのコンセプトとは程遠く、家族連れというよりも、どちらかといえば、若者や主婦のグループ、カップルが多かったような記憶がある。今の『ガストロ』がまだ『スカイライク』といわれていた時で、他にも『デズーニ』、『ロイヤルホストクラブ』、『いまさらジローフィオーレ』、『スエヒロポン』、『スエヒロファイブミニ』、『カサ』、中華の『ボエーミヤン』、和では『味の民芸人』、途中なくなったが、『京タルタルソース』、『アイヤー』などが乱立していた。(以上事情により実名は変更しています)当時はバブル経済(死語?)絶頂期で、外食産業が急成長しており、一兆円産業と騒がれていた時である。なので、一時はどこのファミレスも週末の夕食時には必ずといっていいほど満席で、待合室にも人が溢れていた。我々も毎度のキュー(並ぶこと)には飽きていたところだった。そこで、どうせ待つなら少しでも楽しもうということで、仲間内で考えたのが、次のようなしょうもないことだった。(本当に)ファミレスの受付では、以下のようなやり取りが行われていた。ファミレスの店員:『ただいま満席ですので、少々お待ちいただくことになりますが、よろしいでしょうか?』私:『いいですよ。』店員:『お客様のお名前とお連れ様を含めた人数を伺ってよろしいでしょうか?』私:『音野で、8名です。』店員:『オトノサマ、8名様ですね。かしこまりました。』(約15分後)店員:『オトノサマー!、オトノサマーいらっしゃいますか~』その瞬間、それぞれ雑談して待っている客達が一斉に我々の方を見てうけていた。そんな些細なリアクションが楽しみであった為、待っている時間が余り苦にはならなかった。(本当か?)また、『小影(オカゲ)』、『天神』、『夏田(夏だサマー)』、『綾小路(アヤノコウジ)』、『白鳥沢(シラトリザワ)』などのバリエーションを交えて、ほぼ自己満足に近いユーモアー?を披露していたのだ。まあ、誰にも迷惑をかけているわけでもないのでいいか。(爆)人気blogランキングへ:プチッとこちらもお願いします
November 16, 2005
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前回『思考へ影響する脳のリミッター(1)』では上下80%のところでプラスとマイナスが反転する事を述べた。前回のコラムを補足させていただくと、この達成や飽和状態前の反転は負け癖がついていたり、勝つ事や達成する事に慣れていないと、例え勝利目前でも足元を救われることになるらしく、いわゆる大逆転をくらうことになる。 相撲に例えると勇み足というところであろう。(これは単に油断とは違うような気がする)つまり、ドラマは終了間際にクライマックスをむかえ、劇的な終末にしたほうが快感を得る事請け合いなのである。さて、今回は別の角度から捉えた脳の思考へ影響するリミッターについてご紹介したい。『パッチ・アダムス』という、実話を元に構成されている映画がある。ロビン・ウィリアムス扮する主人公アダムスは『ユーモアによる治療が重要』という説を実践し、医学界の常識を覆すという彼お得意のユーモアと温かな視点で、現代医学の問題点をさり気なく突く。ストーリーは自殺未遂の果て、自らの意志で精神科に入院したアダムス。彼はそこで目覚め、医学の道を志す。2年後、ヴァージニア大学の医学部に入学したアダムスは、規則に背いては患者をユーモアで楽しませていた。冷ややかな視線を向ける学部長や同僚を後目に、やがて彼は恋人カリンとともに、夢に見ていた無料治療院を開設するが・・・。全ては順調に思えた矢先、最愛の恋人カリンが自分達が診ていた精神病患者に殺害されてしまう。何に対しても常にポジティブに思考してきたアダムスが、その事件を機に何もかもどうでもよくなってしまう。全てをネガティブにしか考えられなくなるのだ。ここで、このアダムスはリミッターを自ら設定したのである。それはどういうことかというと、それまではいろんな困難な出来事もポジティブに思考し解決してきたのだが、あまりにも耐え難い悲しいできごとと判断した為に、リミッターを超えてしまったのだ。その後、生きる気力も一次的に失うが、また立ち直り、当初の目標をクリアするという展開になる。このリミッターは度合いこそ異なるが全ての人が設定している事なのである。ここまでは、プラス思考でいけるが、ここから先はいくらなんでも......、という具合になるのだ。当然このリミッターには個人差がある。これが、個性につながることはいうまでもない。そこで、前回の波であるサインカーブを思い出していただきたい。初めてお読みになる方は前日のコラムをご参照願います。その波の振幅の大小がリミッターにより決まってくるのだ。ネガティブな思考であればあるほど、プラス領域での振幅が小さく、マイナス領域の振幅が大きくなるはずである。また、ポジティブな思考であればあるほど、プラス領域での振幅が大きく、マイナス領域の振幅が小さくなる。私はこのリミッターを外す、あるいは設定しないことを真剣に考えている超大馬鹿者なのである。(爆)皆さんも境界線のようなリミッターをもっと広げると、視野も世界ももっと広がりますよ。全てのリミッターは自分自身が決めているのですから。人気blogランキングへ:プチ、プチッとお願いします
November 15, 2005
脳には身体に対するリミッターと同様に、当然思考に対するリミッターというのもある。思考に対するリミッターには実は2つの種類がある。先ず今回は、『8割(80%)の法則』というリミッターについてご紹介したい。人間の身体は脳も含めて波に作用されると一般には信じられている。この波が実在するかしないかについては、賛否両論であり、個人の見解の差によるが、世の中の90%以上の人がなんらかの周期のような波には逆らえない、と考えているのではないだろうか。脳波やバイオリズム、月の引力や太陽系惑星の配列、12星座の配置、女性の場合は月経の周期、時間、季節、など等、波についてあげると枚挙にいとまがない。また、1年を12ヶ月や52週に、1ヶ月を30日、1週間を7日に分けるのも波を創造している原因の一つではないだろうか。これだけあると、何か良い事や悪い事があれば、波の影響であると思いたいのは仕方ないことかもしれない。ただ一つだけわかっていることは、『波は存在する』と思考する脳には必ず存在してしまう。この波は私のブログでしばしば登場する。『水戸黄門症候群』とほぼ同じようなものであると解釈していただきたい。とにかくここでは、この波が存在するかしないかは、私がいくら存在しないと言い張っても皆さんが存在すると思えば、それぞれに存在してしまうのだ。だったら、存在している人の立場で思考すれば、今回のコラムは説明しやすいと考えた。だから、波が存在する事を前提に話を進めさせていただくことにする。もし、波なんてないと本気で思っている方がいらっしゃれば、ご了承願います。(今回はリミッターのお話なので)感情の変化の周期を数学のサインカーブに当てはめてイメージしていただきたい。これは0(ゼロ)を中心(平均)として頂点(好調)を+100%、低点(不調)を-100%とし、右方向のX軸は時間軸と考えていただきたい。人により振幅の大きさに差はあるものの、一見きれいなサインカーブのようなものを描いているつもりでも、実は人間の習性として、上と下とそれぞれ20%くらいを残して、反転しているのである。つまり、マイナスに行ってたらプラスに、プラスに行ってたら、マイナスに切り換わるポイントがあるということだ。これが、私が唱える思考のリミッターである。不調やストレスを受けた場合に、8割(80%)の法則により、リミッターが働くのはわかりそうだが、好調な時になぜリミッターが働くのか疑問に思われるかもしれない。しかし、殆どの人は『幸福貧乏性』である為、幸福でいることがそんなに長く続くわけがないと思っている。故に、思考がそうなれば、自ら下(不調)へ向かって反転するのである。ちなみに、これは以前読んだ専門書か、何かの本からの知識であるが、人間は、あと少しで何かが達成されたり、飽和状態になる時、突如台無しにしたくなる習性があるらしい。以上のことから、脳の思考にもリミッターが働いていると結論付けてもいいのではないだろうか。次回はもう少し別の角度から思考のリミッターをご紹介したい。人気blogランキングへ:プチ、プチッとお願いします
November 14, 2005
サブタイトル:『火事場の馬鹿力は脳のリミッターに関係していた』車のエンジンパワーの制御に『リミッター』と呼ばれる機能がある。法定内のエンジンパワーで公道を走行させる為、速度または回転数を制御する為に簡単な?論理回路(OR)によりエンジンの一定の回転数または速度を超えると自動的にエンジンにガソリンを送る機能を停止させるようなシステムである。これは、予め自動車メーカにより、それぞれの車種のROMにプログラムされている。厳密にいえば、このROMの中身のプログラムを変更する事は違法ではあるが、技術的には十分可能なのである。いわゆる、改造車などはこの部分を変更している場合が多い。下手に目立つ部品を取り付けるより、外観的にはわかり難い為、車検にも差し支えない。 さて、今回は車の説明をする為に、このコラムを書いているのではないが、のちほど関連付けるので、最初に予備知識として説明させていただいたのだ。尚、今回は私の自由奔放な思考実験はあまり含まれていないので、かなり信憑性はある。ご安心を。(爆)脳の機能の一つとしても『リミッター』という機能がある。これは思考にも機能しているのであるが、今回は先に身体へ影響する脳のリミッターについて述べてみたい。私が脳に興味を持った理由の一つに脳は自分の思考と身体の事は知っているが、意外にもコントロールの仕方については知らないということが挙げられる。特に、脳と身体については思考以上に理解しづらいのである。世の中の極少数の人が火事場の馬鹿力というものを体験する。これは『いざ』という時に脳のエマージェンシー(緊急)システムのようなものが作動し、普段セーブしている人間本来の身体の機能を100%近く引き出すことができる、という現象である。このエマージェンシーシステムを私は『脳のリミッター機能』と呼んでいる。これは、意識レベルで起こる現象ではなく、後から回想するとどちらかというと無意識に近い状態(実際には集中し過ぎているのでそう思うだけであるが)で起こる。普段我々人間のフィジカル的(体力的)な限界といわれる能力は、本当のMAXの能力の70%~80%くらいしか出していないそうである。なぜかというと、人間には自己防衛本能というものが備わっている。常に健康な身体をキープする為には、常に限界に挑むわけにはいかない。いつもハッスルして100%近い能(脳)力を発揮していると、筋肉や骨を傷つけることになる。なので、ある程度リミッターを設定し、余裕を持たせている。また特に通常の筋肉運動については、せいぜい60%が限度ではないだろうか。リミッターが外れる状況では、自己防衛本能の制御は能力の限界を引き出す制御(火事場の馬鹿力)に比べて、優先順位が一時的に低くなるのである。その結果、女性が通常考えられない、速度である距離を駆け抜けたり、上空から降ってくる人や物を、重力にすると100Kg以上あるものを怪我もなく受け止めたりすることができるのである。これらは全て、脳のリミッターが外れたことになる。そこで、冒頭の車のエンジンのリミッターのように意識的に脳のプログラムを変更することにより制御できれば、かなりの身体能力を発揮できるのである。例え、リミッターを外しても身体に悪い影響があるという実験結果はないらしい。世界一流のスポーツ選手がメンタルトレーニングをする理由の一つとして、このリミッターを外すトリガー(スイッチのようなもの)を習得するのである。人気blogランキングへ:プチ、プチッとお願いします
November 12, 2005
サブタイトル:『今日もまたどうでもいいことを考えてしまった』インターネットやブログが今のように普及する前は、皆それぞれ、日常の仕事や生活があった。当然今でも日常の生活はあるのだが、それなりの時間の使い方があったという意味である。だから、以前はオンラインネットに参加する(時間を費やす)人は、余程暇か、あるいは、余程好きなのかのどちらかであったと思う。それが近年、高校や大学、今では、中学生の頃からネットが習慣づけられる為、ネットに費やす時間は日常のルーティーン(ローティーンじゃないですよ、日課という意味ですよ(笑))として組み込まれているのである。その為、オンラインにステイする絶対時間は変わらず、外での行動の時間が全体的に減る傾向にあるのではないだろうか。また、最近若い人や主婦の間で起業家になりたい人、なる人が急増しているといわれている。先ず、楽天のようなブログサイトに登録されている人は家か、外出中でも頻繁に自分のHPをチェック出来る環境にあったりする人が多いのかもしれない。ということは、普段仕事が忙しいビジネスマンやOLの人は、よほど好きでなければ寝る時間を削ってまでも、続かないような気がする。考えられる職種の人を羅列してみた。主婦、IT関係、自営業、学生、マーケティング関係などの職種が浮かんだ。そこで、マーケティングとIT関係者を除いてみた。残ったのは自営業と主婦と学生だけだ。仕事を持っている自営業の人は除外するとして、主婦と学生が残った。どおりで、主婦と学生の起業確率が一番高い筈である。ここでイメージしていただきたい、中学生や高校生のころから少しずつ、起業した方達やそれらのアドバイザーの方達とやり取りをしたり、または起業家の人達の日記やコラムを読んでいたら、起業が当たり前に思えてきても、仕方ないのではないだろうか。特に、今はIT時代である。そもそも、我々中年層の感覚とは違い、二十歳前後の人達の感覚では、普通のサラリーマンのように、働く為に身だしなみを整えたり、化粧をして長時間かけて通勤する必要があるということはもはや、過去の事なのかもしれない。言葉が変化してきてるように、常識も着々と進歩?を遂げているのだ。今から10年後どうなっているか、少し楽しみである。人気blogランキングへ:プチ、プチッとお願いします
November 11, 2005
サブタイトル:『以外に知らない自分の感覚』ゲシュタルト崩壊という心理現象がある。ゲシュタルトとは、なにやら強制連行されてしまいそうな響きではあるが、(それはゲシュタポか?)実はドイツ語で『まとまった全体の形』というような意味らしい。私のブログにしばしば登場する『脳細胞のパターン認識』とは少し異なりはするが、『脳の視覚的なパターン認識』の機能は、全ての視界に入るものに反応することは無駄なので、静止しているものより、特に動いているものに反応するようにできている。赤ちゃんの視線を追ってると、顕著にこの習性を証明してくれる。今日見た友人から借りたビデオに『トリビアの泉』が入っていた。その中にこのゲシュタルト崩壊が紹介されていた。このゲシュタルトという現象の崩壊が日本語の文字、特に漢字に起こるらしい。どういうことかというと、ある漢字を約20秒ほどじーっと見つめていると、『こんな漢字だっけ?』とか、『○って漢字こんな形してたっけ?』などという現象が起こるらしいのだ。いわれてみれば、前からそうは思っていたが、そう思うのは自分だけで誰しもそう思うものであると考えた事はなかった。人間の脳は知るということに異常なほど喜びを感じる。(これは私のブログの目的にも準じている)その反面、知っているという感情が薄れると変化がないので、その文字自体の認識力が低下する、つまりわからなくなるというのである。そこで、番組で紹介された、ゲシュタルト崩壊し易い漢字ベスト3を下記にご紹介したい。第3位粉第2位若第1位借だということである。私にとっては『へー』、『へー』、『へー』.......と、『10へー』くらい押したいところであるが、考えてみれば、自分の脳のことなのに、不思議に思うこと自体が不思議なのかもしれない。情けない限りである。人気blogランキング:『へー』と思った方はプチッとお願いします
November 10, 2005
サブタイトル:『目標の軌道修正はどうする』前回は、目標を設定した後どう自分をコントロールするかということについて、簡単に述べてみた。今回はそのコントロールがうまく行かなかった時の目標に対する軌道修正の仕方について触れてみたい。前回から続くとはいっても、マウスの例はあくまで右脳でイメージする場合である。今回は左脳で思考する場合での目標の軌道修正をどうするかについて考えてみた。例えば、何か人生の目標を決めたとする。その目標はできるだけ、最終目標が望ましい。現在とその最終目標の間に、いくつかの小さなゴール(イメージレベル:主に右脳で設定)と目標(意識レベル:主に左脳で設定)を設定する。イメージレベルや意識レベルは別にして、ここまではどの安っぽい自己啓発本でも勧めていることではないだろうか。ちなみに私の最終目標は、いつどの時点で自分の人生を振り返っても、現在も過去もそして未来も自分は幸せであると疑いなく思えることである。決して、起業やビジネスの成功、財産、地位、名声などを得る事ではない。ただそう思考し生きる結果として、それらの一部を、あるいは全てを得る事になるかもしれないだけである。目標に向けて初めの一歩を踏み出すとする。(もし、はじめの一歩を踏み出すことができないのであれば、先ずやりたい事の情報を得るしかない)その一歩は次の小ゴールや小目標に向けての一歩なら何でも良い。しかしながら、もしその一歩の結果が、直ぐ近くのゴールや目標に対して、一見思わしくなくても、その一つ上の目標に対して再度見直せばよい。それに対してもだめならその上、と続け、最終的には最終目標に対してその一歩で差し支えない(まるっきり間違いでない)なら落ち込む事はなく、いつでも挽回できるという思考法で進んでいけば、目標に近づくのはそれ程難しくないと感じるはずである。それができると、自分で実行した事を否定しなくてよくなる。また、『難しい』という足枷がとれれば、後は前に進んで実行するだけである。言うまでもなく、ここで『手段が目的化』してしまうと、本来の目的や目標が見えなくなり、別の方向へ進んでしまう。例えば、ダイエットの目的は女性の場合はきれいになることであったり、肥満の人は健康になることである。ちなみに、ダイエット(diet)とは痩せる事ではなく、直訳すると食事制限することである。つまり、きれいになりたい、健康になりたいという事は『目的』であり、ダイエットや痩せる事、好きな物や食べたい物を我慢することは『手段』に過ぎない。要はきれいになる為に、食べたい物を我慢する必要は、絶対ではないのである。また、ついでなので触れておくが、宗教問題もそうである。本来、『神』や『絶対神』の教えに従い、自分を信じコントロールすることを目的とする事に対し、実際は半強制的な布教活動や他宗派の弾圧、政治への介入、戦争やテロなど、目的に対する手段に説得力がないではないか。何の目的に対しても、手段は常に合理的に選びたいものである。目的を頻繁に変えると達成が困難になるが、目的を達成する為には、手段は変えてもいいと思うのである。あなたの人生の最終目標はなんですか?私のコラムを読んでいただいたのも、何かのご縁です。これを機にもう一度最終目標を考えて、思考の軌道修正を試みてはどうでしょうか?人気blogランキングへ:プチ、プチッとお願いします
November 9, 2005
サブタイトル:『マイナスに考えると全てを台無しにしてしまう』不快に思ったり、嫌だと思ったりすることはマイナス思考が働いている事に他ならない。 信じられない事に世の中にはマイナス思考崇拝みたいな考え方が存在する。また、マイナス思考を崇拝しているとまではいかなくても、以外にも『たまには不快に思ったり、嫌だと思う(マイナスに思うのも)のもいいじゃないか』という考え方が多いのだ。こういう思考は、いつかは必ずマイナスに引きずり込まれてしまうので、危険かもしれない。なぜならば、思考がその方向へ流れていくからである。そうなれば、その思考を繰り返すうちに脳のニューロンがマイナスの思考に形成されてゆき、思考そのものがマイナス化されてしまう。なので、プラスに考えることを繰り返せば、脳の思考がプラス化されるのだ。ここでイメージしていただきたい。貴方が真直ぐ前(プラス方向)に進むまなければならないのに対し、時々右へずれたり左へずれたりするのは多少は仕方ないことであるが、真後ろへ向いてしまえば、どうなるであろう?真後ろを向くということは、当初の進行方向に対して最大の180度逆の方向へ向く事になるのだ。ということは、一瞬でも真後ろを向いてしまうと、正確にもとの方向へ戻るのが困難になるのである。なので例えば、我々がマウスだとしたら、とはいってもネズミのマウスではない。そのお手元にあるマウスのことだ。特に方式変更前の、中心にボールが入っているローラ式のマウスのことだ。そのマウスようなものに乗った貴方が、ご自分が立てた目標に一直線に向かって常に坂道みたいなところを駆け下りているようなものなのだ。だから、海外の著名人が口を揃えて、『人生を例えると、自分はいつもスポーツカーに乗って、運転しているんだと思っている。だから、自分で障害物を避けているし、また、避けなければならないと思うんだ。』などと言っている。また、目標を避けたり、目標から逃げる事も自分の運転しだいで幾らでもできてしまうのだ。非常に緩やかな下り坂の上の方から、マウスを操縦するのは貴方なのだ。(ちなみに、便宜上、より簡単に目標に近づくことをイメージし易いように、緩い下り坂にした。)その操縦でどこへでもいけるが、目標(方向)を設定しないと、結果としてどこにも行けない。しかしながら、ここでの目標は必ずしも、成功への目標や人生の目標などのように、重く大それたものでなくてもよい。とりあえず自分がやりたい事を考えて設定すればよいのである。要するに全ては脳の思考が上記のマウスをコントロールしているのだ。だから、人生思ったとおりになってしまうのである。 人気blogランキングへ:プチ、プチッとお願いします
November 8, 2005
サブタイトル:『キャンダルはこうして消えてゆく』今回は昨日に関連して、国家機密の漏洩やスキャンダルの揉み消しについて述べてみたい。アメリカという国はスキャンダルや犯罪を揉み消したり、うやむやにすることは、日常茶飯事である。これは、アメリカに限らず、日本や世界中に当てはまる事だ。また、揉み消す為の独特の手法もある。これは、世間がマスコミの報道や情報を鵜呑みにするという習性を見事に利用するものである。例えば、A氏という政治家がBさんというひとから彼女をレイプ未遂したということで、訴えられたとしよう。ちなみに、この事件が事実かどうかは全く関係ない。世間とマスコミが一度に注目する。その注目がピークに達した頃、誰かがマスコミに実は別のCさんという女性が以前A氏にレイプされたことがあると、情報を流す。そして、Cさんにマスコミの取材を受けてもらう。世間とマスコミはA氏をまるで犯人扱いし、Bさんへのレイプ未遂も確定であると結論付ける。しかし、A氏は余りマイナスイメージを出さずないで多くを語らず、頑なに否定し続ける。ところがその直後、実はCさんの証言は全くのでたらめで、根も葉もない事をCさんが公表する。そうなると、A氏になぜか同情が集まり、当初のBさんの事件も信憑性がなくなり、いつの間にかうやむやになるという寸法である。これは、予めCさんを仕組んでもいいが、Cさんの件が事実なら裏交渉(取引)でCさんに証言を覆すように仕組んでもよいのだ。Cさんが嘘の証言をしたことを公表するとき、証言の理由をできるだけ、信憑性があり、かつ同情されるべき理由(動機)にする。こうなれば、悪者はいなくなる。めでたしめでたし、である。なので、私は著名人のスキャンダルにはこのCさんのような人が後を絶たないと思うのだ。こうなれば、もはや何が真実で何が偽りなのかわからない。何が正義で何が悪なのかも怪しくなってくる。忘れてならないのは、このような、答えがわからない『クイズ:ほんものは誰だ(超古い)』みたいなショーを見たくなくても見せられてる被害者は、いつも一般市民(国民)であるという事である。その為に、世の中の仕組みがまた一つわからなくなるという事実が生まれるのである。 この様な情報ばかりが氾濫すれば、一般人に物事の真偽の区別や正常な判断ができなくなることも否めない。もしかすると、もうその時代に突入しているのかもしれない。(まさか.......。)人気blogランキングへ:好評上昇中!プチ、プチッとお願いします
November 7, 2005
サブタイトル:『やっぱりアメリカに真実はないのか?』先日友人から教えてもらった9.11トリック─「テロ」は起きなかったというHPを読んだ。http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/muck_raker.html映画『華氏911』のような内容で、もう少し詳しく掘り下げている。かなりの長文に少し飽きてくるかもしれないが、興味とお時間がある方は読んでみると面白いと思う。真偽のほどはさて置き、一つだけいえることは、アメリカの正義が必ずしも世界の正義とは限らない、ということだけは間違いなさそうである。また、もしあのテロにアメリカが少しでも加担していたとしたなら、(実行前にこの事をアメリカが考えてたのかどうかは、いささか疑問ではあるが)、犠牲者や死者あるいは事件に関わった人々をより多く出す事により、アメリカの正義を揺るぎないものにしたかったのではないだろうか。どういうことかというと、イメージしていただきたい、犠牲者の家族、遺族の立場から考えると、国家の嘘で塗りつぶした陰謀の為に犠牲になったというより、愛国の正義の為に犠牲になったと信じたいと思うのではないだろうか。ということは、国家からみると、どちらにしても彼らの意見が重要になってくるのである。だから被害者や遺族に対して、当然援助も惜しまないのではないだろうか。世論をコントロールする為に。などと、思考し続けると、いろんな理由づけができてしまう。もっともこんなレアなことを考えるために、本来脳は思考しないのかもしれないが.......。(爆)人気blogランキングへ:好評上昇中!プチ、プチッとお願いします
November 6, 2005
サブタイトル:『手がかかるほど癒される』ペットを飼うと癒される。では、なぜ癒されるのか考えてみた。もちろん、ヴィジュアル的にかわいい表情や仕草、あるいは鳴き声なども癒される要因であろう。また、ペットは言語を話さないので、文句も言わなければ、悪態もつかない。つまり、全てのリアクションを飼い主の都合がいいように解釈できる。以前あるテレビ番組で元コント赤信号のリーダー渡辺正行氏が『自分が夜遅く何時に帰ってきても、うちのレトリバーだけは、必ず嬉しそうに出迎えてくれる』といっていた。半分ネタのような話だが、嘘ではないであろう。(笑)しかし、私は本来の主要因(癒しの要素)は他にあると考えている。人間誰しも元気付けられる時がある。それは、自分が誰かに必要とされている時、あるいは世の中に自分が必要不可欠な存在だと感じた時ではないだろうか。ペット達も例外ではない。自分が、もしいなくなると、この愛くるしい家族の一員はどうなるのかとか、自分は彼らにとって必要なんだと感じればこそ、余計に癒されるのではないだろうか。それも手がかかればかかるほど、尚更かわいいはずである。実はそれは、ペットに限らず人間の子供はもちろん、自分が立ち上げたビジネスやお店、レストランでも同様に考えられる。自分が育てた守るべきものは、癒しを与えてくれるのである。しかしながら、これらは時には諸刃の八重歯もとい、諸刃の剣になることもしばしばある。本来癒されるべきものが、悩みの種になることもあるのだ。非常に厄介ではあるが、それがまたいいのである。これは、『失う恐怖の法則』に則っているのだ。また、現代の日本のサラリーマンの仕事は当てはまらないのではないだろうか。終身雇用が常識でなくなった今、仕事で癒される事は困難になってきている。理想としては、何をやっても癒しの肥やしにしていただきたいとは思うが。ここで、少し心理学をかじった方ならお分かりだと思うが、実際に癒してくれるのは、ペットや守るべきものではなく、自分自身なのである。要は何かをきっかけにして、自分がどう考えるかだけなのだ。癒しを与えてくれるものは、自分自身に自信を与えるトリガーに過ぎないのである。だから、巷では癒しアイテムを増やす事により、自分の周りをそれらで覆うことで、安心感を得ると考えるのは仕方ないことなのだ。今、株式投資をするなら、癒し産業だと思うのは私だけだろうか。(無責任) 皆様のお陰で、ここ2、3日でランキングが少し上がりました。有難うございます。m(_ _)m↓人気blogランキングへ:好評上昇中!プチ、プチッとお願いします
November 4, 2005
サブタイトル:『国により常識が異なる』今日、私は改めて国により、物事に対する考え方や常識というものが違うんだな、ということを再認識させられた。 ニュージーランドでは一般人が庭やビーチや公園で許可無く花火をすると法律を犯す事になる。あのきれいで安全な線香花火も例外ではない。いつ頃かは知らないが、以前花火が原因で火災が多発した為、法律で禁止されたと聞いた。その話を聞いたときも、やはり日本と西洋の常識の違いを教えられた。日本と違い、余り家と家が密集していないのにも関わらず、火事が多いということは、ある意味恐ろしいことである。余程、花火の扱いや後始末、保管等に関する知識がなかったのだろう、と思った。(今も知らない人が多いのだが)それでも、ニュージーランド国民も花火の華やかさや楽しみを知る権利はあるということで、年に1度1日だけ『ガイホークス』という花火の解禁日がある。その日が今週の土曜日なである。先週から一斉に各リテールショップで花火が売られ始めた。そして、今日の夕方である。6時のニュース番組の特集で、どこのスーパーマーケットで売られている花火が一番質が良いか検証するというサブジェクトであった。こんな話題が夕方のニュースの特集で取り上げられるということは、なんて平和な国なんだと思うと同時に、国民から見た花火に対する認識、いわゆる常識が違うんだということを再認識させられた。日本では夏の風物詩であるが、ここでは年一回のお祭りみたいなものである。それでも、違法ながら『ガイホークス』前後も昼夜を問わず花火で遊んでいる輩も多い。(何で昼間やるんだ?)また、何年か、あるいは何十年前かはわからないが、禁止になった時点から今までに火事の怖さや、花火の扱い方、その他の常識を教育するかあるいは社会に浸透させ常識化させる事は可能だった筈である。にもかかわらず、それが実施されなかった、あるいは実施されても法律を変えるまで浸透しなかったということは、西洋から見ると花火はあくまで異文化のものであり、文化(常識)の差、認識の差である、と考えさせられた。人気blogランキングへ:プチ、プチッとお願いします
November 3, 2005

サブタイトル:『夢はみるものである』『夢は叶えるためにある』と世間ではいわれている。けれども、世の中に自分の夢を達成する人はほんの一握りに過ぎない。自分に関しての夢の観念は、あくまで夢は夢であり、現実とかけ離れているものだ。夢とはチャンスや強運を掴めば実現できるかもしれないが、そうでない限り、実現しようとあまり真剣に思わないものではないだろうか。だから私は、夢は見るものであって、叶えるのは自分が目標としている現実だけだと思っている。では、叶えられそうな小さな夢はではだめなのか、というとそれも悲しいではないか、夢は常に大きくみたいものである。私の場合はこの夢(理想)と現実(目標)の境界線をはっきりしないと、何も起こせないし、何も起こらない。また、夢は『思い』とは異なる。ちなみに、『思い』と『思い込み』も少し違う。夢はみるためにあり、そのみた夢を現実にするかどうかを決めるのは自分だけなのだ。だから一般的に夢を叶えようとするのに期限は設定しない。よって、夢は永遠の夢(理想)でしかないのだ。しかし、一たびその夢の内容を目標に設定し直し、期限も同時に設定すると、その目標の達成率がグンと上がる。もし、夢に期限を決めたら、それはもう夢ではない。つまり、夢と現実の違いがここにある。例えば、私が、『自分の夢は........』といくらほざいても、人から見ると私が唱える夢は理想で、それを実現するつもりがないのではないかと思うであろう。いいかえれば、『自分の目標は.....』といった方が余程信憑性があり、期待も高まるのではないだろうか。殆どの人が、世の中のあらゆる常識や法則に洗脳され放題になっている。現に、『夢は叶えるものだ』と思ってはいても、なぜか殆どの人がそれを叶えようとはしない。これも一種の洗脳である。過去に誰かが、『夢』と『叶える』という、水と油のようなものをミックスしてしまったのだ。これが、脳内矛盾である。脳内矛盾はストレスを生じる。だから、自分の夢が叶えられないと実感すると、急にストレスを感じ始め、自己嫌悪を併発することもある。人間は考える事を止めると、無意識が脳を占領してしまうのだ。つまり、外部情報が脳を支配することになる。以前のコラムでもご紹介した水戸黄門症候群(戻ってきてね)に陥るのだ。だから、日本の共○党で構成されているメディアやマスコミに踊らされるのかもしれない。思えば現実になる。だから、私はそう思いたい、考えたいのである。ここをプチッとお願いします
November 2, 2005
サブタイトル:『解き明かされる宮崎駿のメッセージとは?』私は、以前からジブリのアニメが特に好きだったわけではないが、アニメ好きの嫁と子供ができた影響で、宮崎駿作品とオフィスジブリの作品は(動画が多いが)、殆ど手に入れた。メジャーなところで、無いのは、『猫の恩返し』と『火垂るの墓』、『アルプスの少女ハイジ』(古すぎる)くらいかもしれない。長男のジブリデビューの年齢は9ヶ月くらいの時だった。当時、家にはPS2しかなかったので、動画はコンピュータでしか見れなかった。たまたま、嫁が『となりのトトロ』をPCで見ていたら、なぜか息子が集中し始めた。 最初は30分くらいの集中だったが、段々延びてきて1歳くらいには最後までじっと見るようになった。ある場面ではめちゃめちゃ笑っていた。この時、ジブリの凄さに感動さえした。(大袈裟な)現在では、MPEG-4やDivXのファーマットが再生可能のDVDがあるので居間のテレビで楽しむ事ができる。余りテレビは見せたくはないのであるが、それでも親が楽をしたいのと本人の希望もあり、1日に数時間は見ている。私がブログを書いていたりすると、必ず息子が私を呼びに来るので、私も仕方なく各作品を何十回と見ている。トトロに飽きがくると、『魔女の宅急便』、『平成狸合戦ぽんぽこ』、『耳をすませば』、『天空の城ラピュタ』、『ルパン III世: カリオストロの城』、『ハウルの動く城』ときて、最近のお気に入りは『紅の豚』と『千と千尋の神隠し』である。『もののけ姫』と『風の谷のナウシカ』は殺戮シーンがあるのでなるべく見せていないが、それでもそのシーンを跳ばしてたまに見せてはいる。2歳9ヶ月にして、ほぼ制覇である。なぜか『未来少年コナン』は余り興味がないらしい。それでも殆どのジブリアニメは、子供に受けが非常に良い。その理由として、久石嬢のピアノ主体のミュージックがいいということもあるだろう。 トトロのサントラ盤を聞くだけで、息子は大喜びである。また、主人公が殆ど少女や女性というのも影響しているのではないだろうか。私個人としては、高畑氏の作品が、以前私が住んでいた、東京多摩の聖蹟桜ヶ丘付近の街並みの描写に妙にリアリティーがあり、懐かしくさせてくれることもあり、気に入っている。全てのジブリ作品全体にいえるが、動きに無駄がある。この無駄は見た人にリアリティーを与えてくれるのだ。人間や動物の動作に無駄が無ければ、不自然に映る事になるだろう。アートに無駄は無駄ではないのである。また、宮崎作品のなかで異色なのが『風の谷のナウシカ』ではないだろうか。以前オーストラリアを旅行した友人が『風の谷のナウシカ』はオーストラリア中央部の風景によく似ているといっていた。ちょうど、『もののけ姫』が日本の屋久島をモデルにしたという話から可能性はあると思った。そのナウシカだが、時代設定が未来とはいえ、今から20年以上も前の作品なのに全く古臭さを感じさせない。また、全体的な宮崎作品に比べると、『もののけ姫』同様、珍しく儚いストーリーだと思った。はかないといえば、先日、『風の谷のナウシカ』を息子に付き合わされて一緒に見ていたら、嫁が突然『ナウシカってノーパンだよね。』っていうので、『まさか~』って見てみたら、本当だった。だったというよりも、確かに穿いてないように見えるのだ。きっと、ネットで検索してみたら、過去にそういう論議が交わされていたに違いないだろう。しかし、自分がナウシカがパンツを穿いているか、穿いていないかを、わざわざ調べてるイメージをすると、なさけなく感じたので、結局調べない事にした。(爆)ここで、一つの仮説が、ひょっとすると『もののけ姫』もはかない(穿いていない)のかもしれないのではないだろうか。(再爆) 『自然と生物の尊さと人間の儚さ』をナウシカともののけ姫がパンツを穿かないことで何かを伝えたかったのではないだろうか。(連爆)冗談はさておき、ジブリ作品には一般的なこと以外に、必ず隠された真のメッセージが込められていることに気づいている人は、意外に少ないかもしれない。ジブリアニメは子供にも夢を与えるが、時には大人にも夢を与えるのかもしれない。人気blogランキングへ:プチッとお願いします
November 1, 2005
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