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日本から帰ってきてから、日曜日にまだ一度も働いていない。今まではほとんどなかった「週休2日」を2週連続で満喫してしまった。やっぱりね~、土曜と日曜が2日連続で休みなのはいいよ。土曜日ダラダラ過ごしてもまだ一日休みが残ってるから、リラックスできる。と、私が週休2日を満喫しているところへ、毎週日曜日に働いてたクリニックから私の携帯の留守電にメッセージが。「ハ~イ!Shima、元気にしてる??またShimaが近いうちに働いてくれないかな~と思ってるの。実は今週末(電話は金曜日にかかってきてた)シフトに入ってくれないかしらと思って。それと、11月はいつシフトに入れるか教えてくれる?留守電聞いたら至急連絡ちょうだいね!」だって。クリニックの仕事をお休みしてる(半分辞めた感じ)のはこういういきさつがあったから。なんだ、あんな感じで私からシフトを剥奪したくせに~!!でもね、分かってたんだよね。いつかこんな電話がかかってくるのは。だってシフト的にも人数的にも、私みたいに週末働く人が必要になってくるんだもん、絶対。留守電は金曜日に入ってたんだけど、メッセージは夜まで聞いてなかったこともあったし、義父のことで落ち込んでたのもあったので、結局連絡しなかった。てか、月曜日の夜現在まだ連絡してない。すんません。でも自分でもどうしたいのか良く分からなくて電話できない。もう日曜日まであんまりあくせく働きたくないんだよね、正直な気持ち。週休2日欲しいんだよね。かといって完全に「辞めます」っていうのも気がひけて。このクリニックの仕事はお金も悪くないし、がんセンターでは取り扱わない薬がたくさんあるから、薬の名前を忘れないためにもいいし、ドラッグ中毒者の変な患者がたくさんいるからエキサイティングな場面にも遭遇できる。(はたしてそれが良いことなのかは別にして)何よりも「また頑張って働いてお金を貯めよう!」という気になる日がいつかくるのでは・・・と思ったりしてなかなか「辞める」って決断がつかない。そんな気持ちの時に「シフトに入れない?」っていう電話。今は入りたくない。でも将来いつかまた入りたくなるかも。そんな曖昧な返事しか出来そうにないんだよね・・・。どうしよう。そ~~んな矢先に昔働いていた日本食のレストランからもメールが。「人が足りないから、週に一回だけでも昼間の仕事の後に働きに来てくれないかな?」って。ここのレストランの人には4年間本当にお世話になったから、断るのもすごく申し訳なかったんだけど、昼間の仕事の後に働きに行くのは体力的にもう無理。なので、こっちはちゃんと断らせてもらった。なんだか世の中には仕事がなくて困ってる人も大勢いるというのに、贅沢な悩みなのは分かってるんだけど、時間や余裕を取るか、お金を取るか、すごく迷う。そんな事を昼ごはんを食べながら、がんセンターでの同僚に相談してみた。したら即答で「Shima、考えてごらんよ。その日曜日に稼ぐエクストラのお金からどれだけ多くの税金を払っているのかを。ね、考えてごらん。日曜日まで働くのがと~~ってもバカらしくなるでしょ。そんなに働かなくていいよ。Enjoy your life!」って。う~ん、とってもカナダ人らしい意見だと思う。そしてその通りなんだよな~~とも思ったりもする。とりあえず、クリニックの方にそろそろ折り返しの電話をかけなきゃな。ああ、何て言おうかな・・・・・。時間は欲しい。でもお金も必要。心に余裕が持てるようにバランスを取るのは意外と難しい。
2006.10.30
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ダンナが実家に帰ってることもあって、すごく静かな夜。今日はハロウィン前の土曜日だから、世間ではどこでもきっとハロウィン・パーティーが行われてるんだろう。でも外は雨が降ってて、風もかなり強くて嵐っぽい。こういう日は何処にも行かず、家に居るのが一番いい。せっかく静かな夜なので、本を読むことにした。今回日本で買った本の一冊。いや、正確に言うと、友達が買ってくれた本の一冊。『出口のない海』(横山秀夫著)主人公の心の動きがなんだかとってもリアルに伝わってきて、途中で辛くなって休憩を入れないといけなかった死ぬことが決まっている人間は、本当にこういう風な気持ちなのだろうか、特攻隊の人たちは、本当にこんな気持ちだったのだろうか、と考えるとなんだかとっても苦しくなった。でも、この涙もろい私が不思議と泣かなかった。確かに悲しい場面もたくさんあるのだけど、もっと「悲しい」以外の感情が湧いたような気がする。「生きること」「死ぬこと」「戦争」「夢」「恋」「仲間」なんだか色んなことを考えた。そしてこの時代を生きた人たちの精神力は本当にすごいと思う。去年亡くなった私の祖父はこの主人公たちとまさに同じ年代だ。あの優しい祖父の顔からは想像もつかないほどの少年・青年時代だったに違いない。今はいじめや生活苦なんかを理由に自殺する人がものすごく多いけれど、私たちの苦悩なんて、この時代の人たちにしてみれば何でもないことなのかもしれない。そしてやっぱり最後に思うこと。「戦争は愚かだ」ということ。「失われた全ての命は一体何のために失われたのだろう?」「彼らの苦悩は一体何のためだったのだろう?」と考えずにはいられない。
2006.10.29
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昨日の夜、義母から電話があった。義父の容態が悪いとのこと。もしかしたら、ここ2~3日がヤマになるかもとのことで、うちのダンナは今朝、急遽実家に飛んだ。義父が脳梗塞で倒れたのは約7年前。その結果、左半身が付随になってしまった。それでも最初の1~2年はまだサポートがあれば動けていた。でも義父の体の衰えは、ゆっくり、でも確実に進行して行き、ここ2~3年はほとんどベッドで寝たきりの状態だった。毎年「これが一緒に過ごす最後のクリスマスかもしれない」と思っていたし、毎回「これが生きて会うのは最後かもしれない」と思い続けていた。覚悟はゆっくりとできていたのかもしれないけど、やっぱり心の準備というものはそう簡単にできるものではない。父親を亡くす息子(ダンナ)の姿を見るのはかなり辛かった。父親と息子という、他の家族メンバーの間にはない絆があるんだろう。延命治療をするか、という決断を家族がしないといけないと言われ、ダンナはきっぱりと「延命治療はしないで欲しい」と言った。義父は、ずっとベッドの上でもう何年間も頑張った。これ以上苦しまないで欲しいらしい。そしてその電話を切った後、大泣きしていた。私もその横で大泣きした。数日前に、うちのダンナは足の肉離れを起こし、ここ数日間ずっと起き上がれないでいた。片足を全く地面につけることができなかったので、トイレに行くにも、ずっとケンケンで行かなければならなかったくらい。数日間ずっとベッドの上に横たわっていて、ずっと自分の父親の事を考えていたらしい。数日間動けないだけでもこんなに苦痛なのに、父親はそれをもう何年もやっているんだと。そしてずっと父親の事を考えていた矢先に、昨夜の電話。なんだか偶然じゃない気がする。急遽飛行機に乗って実家に帰らないといけなくなったので、昨日の夜は松葉杖を買いにいった。本当はレンタルできるんだけど、いつ実家から帰って来られるかわからなかったから結局買うことにした。でもなかなか松葉杖がある薬局がなくて、2件目に行った所で他の薬局に電話して探してもらい、4~5件目に電話したところでやっとダンナのサイズ(長さ)の松葉杖がある薬局が見つかった。薬剤師のおっちゃんは「みんなアイスホッケーをする季節になったからね~。どこも松葉杖がよく出てるんだよ~」と、冗談か本気か分からないようなことを言っていた。(私は密かに本当だろうと思ってる)とりあえず今は、私は家で電話待ち。「悪い電話」を待つのって、嫌だね。
2006.10.28
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いつもの様に、日本一時帰国中に本をたくさん買ってきた。まずはずっと読みたかった、リリー・フランキーの『東京タワー』を読んだ。結論から言うと、私、号泣でした。途中では、オカンが一生懸命働いて仕送りしてくれているのに堕落した生活を送ってるリリー・フランキーに対して、「なんて親不孝な息子なんだ!」って憤りを感じてたけど、終わりの方はもう涙が止まらなかった。あの本を読んで泣いてしまうのは、やっぱり自分の大切な人と「オカン」とを重ねてしまうからだと思う。海外に住んでいる人のブログで「これから一年に一回日本に帰国するとしても、親に会うのはあと20回くらい」という言葉を読んで、「本当だ・・・・・」と今さらながらびっくりしたし、ショックだった。うちの父親の場合平均寿命まであと20年もないし、私も毎年帰国してるわけではないので、そう考えると会えるのはあと10回くらい・・・・?カナダ人と結婚しておいて身勝手かもしれないけど、そう考えたらやっぱりしばらくは日本に帰って日本で生活しなきゃ・・・と思う。大学卒業して一年だけ日本で働いてカナダに来たから、親孝行らしいことは本当に何もしてあげてない。ぐーたらやってたリリー・フランキーに対して「親不孝モノ」なんて思ってみても、実際は自分は彼がオカンにしてあげたことの10分の1ですら、親にしてあげれてないかもしれない。うん、そうだ、日本に帰らないと。と、本を閉じながら思ったのでした。そして、と~~ってもこじつけなんだけど、タワーつながりということで・・・。今回福岡帰省中に、福岡タワーに登ってきました。福岡タワーなんて、登ったのは何年ぶり?10年ぶりくらいか?普通に道を歩いてると、「福岡も変わったな~」と毎回思うのだけど、福岡タワーから見下ろす福岡のまちは、なんだか全然変わってないような気がした。(地形は変わらないから当たり前か?)やっぱいいよね、福岡。
2006.10.24
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時差ぼけもようやく直り、やっと元の生活リズムを取り戻しました。さて、10月もそろそろ終わりに近づいてきて、バンクーバーはすっかり秋色です秋といえばハロウィンハロウィンは、うちのダンナがクリスマスの次に楽しみにしているくらいの大きなイベントです。もちろん彼の場合は、ハロウィンの仮装パーティーが楽しみなだけですけどね。今日スーパーに行ったダンナが買ってきたもの。それはパンプキン。でっかいパンプキンを2つ買ってきたんです。もちろん日本で見る、あの美味しいかぼちゃではなく、オレンジ色の「これ、食べれないんだよね?」っていうような、あのかぼちゃ。「一緒にパンプキン・カービングしよう!」って(笑)というわけで、大人2人、土曜日の夜にパンプキン・カービングしました。まずは上を切って、そこから中身をくり抜きます。「くり抜く」といっても、中身はほとんどスカスカ。それから、パンプキンの上にマジックで顔を書き、そのとおりに彫っていきます。↑これは私の彫ってるパンプキン。やる気はあるのか?っていうくらい単純な顔で申し訳ない。私の完成作品。パンプキンの中にはキャンドルを入れて、中から光らせます。そして、ダンナの作品。ちと怖い・・・。これ、暗闇の中で見るとなかなかイケてます。これでちょっと家の中がハロウィンっぽくなったかも。*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*私が日本に帰っている間に、今年もホッケーのシーズンがスタートしてました。昨日と今日と、2日続けて我らがバンクーバー・カナックスの試合があったのだけど・・・。すごい。本当にすごかったです。昨日の試合、第3ピリオドの始まった時点では2対0で負けてたカナックス。(ホッケーは20分のピリオドが第3まである)第3ピリオドの途中で1点返し、希望は持たせてくれたのだけど、あ~あ、今日は負けちゃったかな~と誰もが思い始めたその頃。試合の残りなんと27秒ほどで、同点に追いつきました。わ~~い、わ~~~~い!!やっぱりね、これだからスポーツは面白いよね。最後の最後まで何が起こるか分からない。そしてオーバータイム。点数は入らずに時間はすぎていく。これはシュートアウト(サッカーでいうPK)に持ち越しだ~と誰もが思ったその時。残り時間、なんと0.8秒で我らがカナックス、1点入れて逆転勝ち。残り0.8秒ですよ。「10分の8秒」ですよ。もう、私たち大騒ぎでした。「最後まで諦めるな」という教訓を得たようでした(笑)そして今日の試合。また負けてたのだけど、またもや試合残り1分40秒のところでカナックスが一点入れ、試合は延長戦に。そして延長戦でもカナックスが1点入れ、逆転勝ち。なかなか良い試合でした。てかさ、もう少し早目に点数入れようや。実は今日は、パンプキンの話よりもホッケーの話が書きたくて日記を書いた私でした。(ホッケー話が面白くないことは分かってるけどね、この興奮を誰かに伝えたくなるのよね・・・)
2006.10.21
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現在バンクーバー時間午前4時50分。そんな時間に久々日記を更新している私。はい、完全な時差ぼけです。昨日無事にバンクーバーに戻ってきました。バンクーバーの昨日の気温は12~13度。紅葉も見られて、あの暑かった日本の10月から一気に秋になった感じです。日本を離れる時は、いつのもようにとっても淋しかったけど、バンクーバーに着けばやっぱりホッとする自分もいたりして、やっぱり自分はここで生活をしてるんだなぁと実感したりしました。そして嬉しいことに、昨日は夫婦で「日本に引っ越そう」計画を真面目に検討。なぜかうちのダンナも日本に帰る気満々で、もしかしたら本当に日本に帰れるかも!?なんて思ったり。今回日本で私に会う為に時間を作ってくれたみなさん、本当にありがとうございました。すごく、すごく楽しかったです。今回は楽天を通じて初めてお会いした方や、MIXIを通じてものすごく久しぶりに会えた昔の友達(中には15~16年ぶりに会った人たちも)いて、なんだか違う感じの帰国になりました。みなさんに会えて、すごく嬉しかったです。飲み会を計画してくれた人たちにも、本当にありがとう。お疲れ様でした。それと私を2週間以上も居候させてくれたmunchちゃん、本当にどうもありがとう。本当にお世話になりました。また部屋を散らかし放題にしててごめんね。日本でお会いした皆さんには、また個人的にメールしますね。
2006.10.17
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