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「未来で待ってる」「うん。すぐいく。走っていく」紺野真琴「待ち合わせに遅れてきた人がいたら、走って迎えにいくのがあなたでしょ」芳山和子というわけで、DVDで「時をかける少女」を見ました。みなさんご存知のアニメだと思います。タイトルどおり、タイム・トラベルがメイン・テーマのひとつになっていますので、タイム・パラドックスがどうのこうのと気にし始めると、それはそれは気になります。また、タイム・トラベルの動機やら、その動機となった絵やらの謎があって、それに加えて、元祖「時かけ」のヒロイン芳山和子を真琴のおばとして配置することで、謎かけがさらに複線的に深まっています。僕には、この謎かけが最後までわからないままでした。しかし、そんな有象無象を貫いて、「時をかける」よろしく、真琴は一閃の電光のごとくかけ抜けていきます。もうそれだけでいいと思える、ほんとに、ういういしい感じが心に残るアニメでした。
2011年01月31日
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「彼がよく言っていたわ・・・・・虐殺には、独特の匂いがある、って」「匂い・・・・・」「ホロコーストにも、カチンの森にも、クメール・ルージュにも、ぜんぶにそれは張りついてる、って。虐殺が行われる場所、意図された大量死が発生する国・・・・・そういうところには、いつも「匂い」があるんですって」虐殺の匂い。(伊藤計劃さん「虐殺器官」P121)
2011年01月30日
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マーク・ロスコ(1903年~1970年)は、アメリカの画家。抽象表現主義を代表する画家の一人。
2011年01月30日
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エリック・マコーマック「ミステリウム」を買書つんどく。これは、ホラーなのか、ミステリーなのか、怪奇小説なのか?「小さな炭坑町に水文学者を名乗る男がやってくる。だが、町の薬剤師の手記には、戦死者の記念碑や墓石がおぞましい形で破壊され、殺人事件が起こったと書かれていた。語り手である「私」は、行政官の命により、これらの事件を取材することを命ぜられるが、その頃、町は正体不明の奇病におかされ、全面的な報道管制が敷かれ、人々は次々に謎の死をとげていた。真実を突き止めようと様々な人物にインタビューをする「私」は、果たしてその真実を見つけることができるのか…。謎が謎を呼ぶ、不気味な奇想現代文学ミステリの傑作。」(「BOOK」データベースより)
2011年01月29日
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「ぼくは無神論者だ。だから、地獄うんぬんについては気の利いたことは言えそうにないな」「神を信じていなくたって、地獄はありますよ」アレックスはそう言って、悲しそうに微笑んだ。「そうだな、ここはすでに地獄だ」(中略)しかし、アレックスはそうじゃないと言って自分の頭を指差した。「地獄はここにあります。頭のなか、脳みそのなかに。大脳皮質の襞のパターンに。目の前の風景は地獄なんかじゃない。逃れられますからね」(伊藤計劃さん「虐殺器官」P38)あのときもアレックスは自分のこめかみを指差して、地獄はここにあるんですよ、シェパード大尉、と言っていた。ぼくらは地獄に堕ちるように構成されているんです。ここのアーキテクチャーがそうなっているんですよ、と。(伊藤計劃さん「虐殺器官」P57)
2011年01月29日
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「見たまえジェラルディーン」王子は剣を床に投げて、語りつづけた。「お前の弟を殺した男の血がついている。喜ばしい光景のはずじゃないか。それなのに、われわれ人間は何と奇妙にできているのだろう!復讐を果たしてまだ五分と経たないのに、わたしはこのさだめなき人生という舞台では、復讐さえ可能なものかどうかを疑いはじめているんだよ。(中略)ああ!この世に目的を達するほど幻滅をおぼえさせるものがあるだろうか?」(ロバート・ルイス・スティーヴンスン「自殺クラブ」(「新アラビア夜話」所収)P140)というわけで、ロバート・ルイス・スティーヴンスン「新アラビア夜話」を読みました。これまた、再読になります。これが、スティーヴンスン最初の小説になるのですが、その評判があまりよくなかったので掲載誌が廃刊になった、なんてことが「あとがき」に書かれてありました(笑)。いや、でもそんなじゃないです。まあ、主人公であるボヘミアのフロリゼル王子の、どこがすぐれた人物なのか不明ではありますが、確かに独特の雰囲気のエンターテイメント性がありますし、こういう小説を先行作品として、シャーロック・ホームズやブラウン神父が書かれていくのだと思います。当時はともかく、むしろ、現代人には親しまれる作品ではないかと、僕は思うのですが、せっかくの本が売れてない、というのはあいかわらずのようで、それは残念なことです。
2011年01月28日
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パトリシア・ギアリー「ストレンジ・トイズ」を買書つんどく。一見(表紙も含めて)、子ども向けのようにも見えるのですが、そうでなさそうですね。「9歳の少女ペットは、畏怖する長姉の秘密を知ったことで、危険に満ちた魔術的世界へと足を踏み入れてしまう。トラブルを避けるべく、両親と次姉とともにあてどない逃避行の旅に出たペットは、悪意に満ちた超自然的な力が、愛する家族に狙いを定めていることを知る。ペットだけが家族を救える─その力をもつのがどの儀式なのか、どの呪物なのか、ただわかりさえすれば…。ケリー・リンク、ティム・パワーズらが激賞。長らく翻訳が待たれてきた、禍々しい魅力に満ちた衝撃の書がついに刊行。もっとも生々しく、もっとも魅力的な悪夢だけがもつ、突拍子もない幻覚に満ちた「オン・ザ・ロード」。」(「BOOK」データベースより)
2011年01月27日
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九・一一のあと世界はテロとの戦いをはじめた。当時の大統領は自国民を盗聴する許可をNSAに与え、軍隊が街頭に立つようになり、他の国もそれに倣ったが、いくら厳しく締めつけてもテロは起こり続けた。そうした流れが何年にもわたって続き、結果としてモスレム原理主義の手作り核爆弾でサラエボが消えることになる。もはやヒロシマもナガサキも、その特権を有してはいない。サラエボの町は巨大な穴を穿たれて、死の呪いを撒き散らす不浄の大地と化した。(伊藤計劃さん「虐殺器官」P96)
2011年01月27日
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「われわれは堕落の話をしたね」王子は言った。「わたしには、この輝く透明な石の塊が、蛆虫がわいて蠢いている腐ったもののように嫌らしい。罪もない人間の血を凝固めたような、おぞましいものに思える。こうして手に載せてみると、地獄の炎で輝いているのがわかるよ。わたしが君に話したことは、この宝石にまつわる歴史の百分の一にすぎない。かつてどんなことがあったか――この石がそのかみの人々をどんな犯罪や裏切りへ誘ったのか、考えただけでもぞっとする。こいつは長年、地獄の魔物たちに忠実に仕えてきた。もうたくさんだ。すべてのものには終わりが来る。悪も善も同じ――悪疫も美しい音楽も同じだ。それで、このダイヤモンドだが――わたしのすることがもし間違っているなら、神よ、どうかお許しを――しかし、こいつの栄華は今宵限りだ」(ロバート・ルイス・スティーヴンスン「ラージャのダイヤモンド」(「新アラビア夜話」所収)P278)
2011年01月26日
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朝吹真理子さんの「きことわ」を買書つんどく。まず、こちらを買書しました。「貴子(きこ)と永遠子(とわこ)。ともに過ごした葉山の夏の日から25年――。恐るべき新鋭による瞠目の芥川賞受賞作! 葉山の高台にある別荘で、幼い日をともに過ごした貴子と永遠子。ある夏、とつぜん断ち切られた親密な時間が、25年後、別荘の解体を前にしてふたたび流れはじめる。ふいにあらわれては消えてゆく、幼年時代の記憶のディテール。やわらかく力づよい文体で、積み重なる時間の層を描きだす、読むことの快楽にみちた愛すべき小説。」(新潮社の紹介)
2011年01月26日
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ロールズ氏は小箱を開けると、恐ろしいほどの驚きに打たれて、息を呑んだ。そこには何と、緑の天鵞絨の台に、途轍もなく大きな最上級のダイヤモンドがのっていたからである。大きさは家鴨の卵ほどもあり、形は美しく、瑕一つなかった。陽射しを浴びて電光のような光彩を放ち、内部に無数の焔を含んで手の中に燃えているようだった。彼は宝石のことは何も知らなかったが、「ラージャのダイヤモンド」は誰の目にもそれとわかる驚くべき逸品だった。(ロバート・ルイス・スティーヴンスン「ラージャのダイヤモンド」(「新アラビア夜話」所収)P189)
2011年01月25日
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金原ひとみさんの「TRIP TRAP」を買書つんどく。金原さん久々の買書です。「「ねえ、何しに来たの? 海に」 逃避だよ――。日常から逸脱した旅の果てにあるものとは? 研ぎ澄まされた描写が光る、著者新境地の最新作!」(角川書店の紹介)
2011年01月25日
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フロリゼルはややぎこちなく挨拶にこたえて、その場を去った。喫煙室を通ると、共にカードをめくった面々がまだそこでシャンパンを飲んでいた。王子が注文して、金を払ったシャンパンもあった。王子は自分が心中かれらを呪っているのに気づいて、愕然とした。控えの間で帽子と外套をまとい、自分の傘を隅の方から抜き出した。こうしたあたりまえのことをするのも今夜限りかと思うと、急に笑いがこみ上げてきたが、その笑い声は耳に不愉快に響いた。部屋を出るのが億劫になって、かわりに窓をふり返った。ランプの明かりと暗闇を見ると王子は我に返った。「さてさて男らしくしなきゃいけない。ぐずぐずしていたって、しょうがない」(ロバート・ルイス・スティーヴンスン「自殺クラブ」(「新アラビア夜話」所収)P56)
2011年01月24日
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ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ(1814年~1873年)「吸血鬼カーミラ」「墓地に建つ館」「アンクル・サイラス」「ワイルダーの手」「ゴールデン・フライヤーズ奇談」「レ・ファニュ傑作集」そして、シャーロット・ブロンテ「ジェイン・エア」
2011年01月24日
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佐々木中さんの「九夏前夜」を買書つんどく。へえ~。佐々木さんの小説ですって。「この才能に戦慄せよ! 『夜戦と永遠』『切りとれ、あの祈る手を』の佐々木 中がはじめて小説を書いた。――咲いたのだ、密やかに。夜の底の底で、未来の文学の先触れが。」(河出書房新社の紹介)
2011年01月23日
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「幸運な方々だ!四十ポンドというのは、「自殺クラブ」の入会金なんです」「自殺クラブ?」王子は言った。「一体何なんだね、それは?」「聴いてください」若者はこたえた。「当節はよろず便利な世の中になりましたが、文明の利器の究極というべきものについてお話しなければいけません。(中略)さて、ご承知のように人生とは、われわれが気の済むまで道化役を演じる舞台にすぎません。快適な現代生活にたった一つ欠けているのは、その舞台から体裁良く、簡単におりられる方法です。自由への裏階段です。あるいは、さっき申し上げたように、死神の裏口です。そして、わが叛逆の同志たちよ、これを提供してくれるのが「自殺クラブ」なんです。」(ロバート・ルイス・スティーヴンスン「自殺クラブ」(「新アラビア夜話」所収)P22)
2011年01月23日
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噴火の柱は一本だけではない。何十本もの灼熱の柱が、マグマ溜まりから次々と伸びあがり、地上を目指して昇っていくのだ。それは、地下の宮殿でとぐろを巻いて眠っていた無数の竜が、にわかに頭をもたげ、天を目指して、一直線に駆け昇り始めたかのような光景だった。竜の宮――。(上田早夕里さん「華竜の宮」P262)というわけで、上田早夕里さん「華竜の宮」を読みました。タイトルの「竜」というのは、引用のとおり、地殻変動を引き起こす、マントルの上昇・下降の対流をイメージとして捉えたものです。種の滅亡を引き起こすような、大きな地殻変動が起こった場合、人類以外の生物は慫慂としてその運命に従うのでしょうが、知性を抱えてしまった人類という生物は、どのように足掻くのか、ということがこの物語の根底にはあります。人類は、海面上昇という、前回の非常事態に対応するため、海上都市を建設し、生態的にも「ヒト」と「魚舟」の双生という対応システムを人為的に生み出していくのですが、時がたち、かつての変動を上回る、さらなる大変動が予測されるに至り、再びこの世界は激震します。科学技術や政治的かけひきを駆使して、人類の存亡をかけた挑戦が始まる、というのが、この「華竜の宮」という小説です。科学技術的なことや、政治的なかけひきみたいなことは、不勉強で僕にはよくわかりませんし、関心も薄いのですが、その中で、繰り広げられる人間ドラマが、なかなか読み応えがあります。僕の考えでは、これがハードボイルドというものです。ところで、主人公である「青澄」のパートは、常に、アシスタント人工知性体「マキ」の視点から語られるのですが、この「ヒト」と「アシスタント」の関係は、「ヒト」と「魚舟」の関係と対をなしており、この観点から見えてくるものが、またあるように思われます。いずれにしても、正直いってあまり感心しなかった、「火星ダーク・バラード」から、修羅の「魚舟・獣舟」を経て、よくここまで描いていただいたと思いました。
2011年01月22日
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「またまた桜庭一樹読書日記」が更新されていますので、遅ればせながらご紹介。今回は、佐藤泰志さん「海炭市叙景」、アナ・キャンベル「罪深き愛のゆくえ」、マックス・ビアボーム「ズリイカ・ドブソン」、こうの史代さん「平凡倶楽部」などのお話です。
2011年01月21日
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――僕が、僕という確かな主体を持つ者であるというよりは、仮想的とはいえ青澄の半分である――という理屈は、確かに筋が通っているように思えた。実際、僕は青澄に対してそう振る舞ってきた。僕は青澄にとっての真の<他者>というよりも、彼の影に近い――。(上田早夕里さん「華竜の宮」P573)パートナーを失うというのは、さぞ奇妙な感覚だろうと思う。普通、それはパートナーが死ぬときにしか味わえない。でも、僕のコピーは、青澄が生きているうちに、それを体験する。僕のコピーは、パートナーなしで生きていく。アシスタント知性体として生まれるのに、パートナーを持たないのだ。にもかかわらず、彼の内部には、かつて自分にはパートナーがいたという記憶だけは存在することになる。(上田早夕里さん「華竜の宮」P574)
2011年01月21日
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道尾秀介さんの「月と蟹」を買書つんどく。う~ん。直木賞受賞作ということで買ってしまいました。「「ヤドカミ様に、お願いしてみようか」「叶えてくれると思うで。何でも」やり場のない心を抱えた子供たちが始めた、ヤドカリを神様に見立てるささやかな儀式。やがてねじれた祈りは大人たちに、そして少年たち自身に、不穏なハサミを振り上げる─やさしくも哀しい祈りが胸を衝く、俊英の最新長篇小説。」(「BOOK」データベースより)
2011年01月20日
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「夢・・・・・」「L計画が失敗して、プルームの冬で人類が滅びる――。これはある程度予想できる結末だ。そうなっても仕方がない部分もある。人間以外の生物は、地球ができて以来、そうやって何度も絶滅してきた。人類だけがその災厄から免れられる、そのための資格があると考えるのは、ある種の傲慢というものだ。しかし、人類の傲慢さは、夢を生む機関にもなり得る。ただ滅びるのを待つだけでなく、何か一つでも残せたら――。その成果を想像できる事柄がたったひとつでもあれば、人類は心安らかに滅びることができるんじゃないだろうか。夢というのは、そういう意味だよ」(上田早夕里さん「華竜の宮」P570)
2011年01月19日
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うちの柴ワンコ(♀)です。
2011年01月19日
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人ならだれもが併せ持つ善と悪との二面が、わたしの場合には人格を分裂させるほどに峻烈なものとなっていた。そのために、あるべき人の道といったことについて深く考え込んでしまうことになった。(ロバート・ルイス・スティーヴンスン「ジキル博士とハイド氏」P107)束縛から解き放たれた気分で、魂が自由になったかのようだ。初めて知る、しかし決して純粋無垢というわけではない自由さだ。(ロバート・ルイス・スティーヴンスン「ジキル博士とハイド氏」P111)というわけで、ロバート・ルイス・スティーヴンスン「ジキル博士とハイド氏」を読みました。この本は、短いということもあって(これは大きい)、折に触れて読み返しています。ところで、この本を読むときには、どうしても「ジキル」と「ハイド」という、ある意味手垢にまみれたイメージにとらわれてしまうのですが、あたりまえに読んでみると、誰もが多かれ少なかれかかえている人格の分裂と、その苦悩、また、そこから開放されようとする足掻きという、人間普遍のテーマが描かれています。特に、前にメモってみた、多重人格に関する記述は、僕の頭の中に刷り込まれていて、自分で思いついたように口走っているくらいです。また、最後のジキルの告白の手紙に呑まれてしまい、印象がうすれてしまいそうですが、この本に描かれるロンドンの街の鬼気迫るすごさは、もう一つの読みどころです。こういう街に、切り裂きジャックが跳梁し、シャーロック・ホームズが駆け抜けるというのもむべなるかなと思わせられます。
2011年01月18日
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阿部和重さんの「ピストルズ」を買書つんどく。阿部さんといえば、芥川賞を受賞したときに、自身で、「いまさら」めいた発言をしておられたことが印象に残っています。そういうものなんだろうか?「「若木山の裏手には、魔術師の一家が暮らしている─」。田舎町の書店主・石川は、とあるキッカケから町の外れに住む魔術師一家と噂される人々と接触する。その名は菖蒲家。謎に包まれた一族の秘密を探るべく、石川は菖蒲四姉妹の次女・あおばにインタビューを敢行するのだが…。そこで語られ始めたのは、一族の間で千年以上も継承された秘術にまつわる、目眩めく壮大な歴史だった。史実の闇に葬り去られた神の町の盛衰とともに明かされていく一子相伝「アヤメメソッド」の正体と、一族の忌まわしき宿命。そして秘術の継承者である末娘・みずきが引き起こしてしまった取り返しのつかない過ちとは一体─?やがて物語は二〇〇五年の夏に起こった血の日曜日事件の隠された真相を暴きだしてゆく…。読むものをあらゆる未知へと誘う、分類不能の傑作巨篇。」(「BOOK」データベースより)
2011年01月17日
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ただ今、5時46分。16回目の1.17です。それでは、行ってきます。
2011年01月17日
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じつのところ、最後が近づきつつあるという事実がハイドを圧迫し、変化させてきている。今から三十分ほどのちに自分がどうなっているかが、わたしには見える。憎むべきあの人格を永遠にみにまとうことになっているにちがいないが、にもかかわらずハイドは椅子にちぢこまって震えながら泣いていることだろう。あるいは恐怖と緊迫におののきながらこの部屋のなかを(わたしの最期の砦たるこの場所を)右往左往し、あらゆる物音におびえつつ耳をそばだてているかもしれない。(ロバート・ルイス・スティーヴンスン「ジキル博士とハイド氏」P136)
2011年01月16日
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ウィリアム・ウィルキー・コリンズ(1824年~1889年)月長石白衣の女夢の女・恐怖のベッドウィルキー・コリンズ傑作選(「ノー・ネーム」「アーマデイル」など)そして、ドロシー・L・セイヤーズ「ナイン・テイラーズ」
2011年01月16日
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だがことの真実がわかってくればくるほどに、この現象が救いがたいものであることを知らねばならなかった。いわば、自分は<一人>ではなく、心底から<二人>の人間なのだということを。今<二人>といったが、それはわたしの精神構造からしてそれ以上の数字を生みだすことができないという意味でもある。この点に関しては、同じような症状でありながらわたしをうわまわる数の人格を内在させている人もいるかもしれない。もっといえば、人間とは究極的には、多種多様な独立した人格の集合体と考えられるかもしれないということだ。(ロバート・ルイス・スティーヴンスン「ジキル博士とハイド氏」P107)
2011年01月15日
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寒い中、なかなか元気に咲いています。
2011年01月15日
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(哀れなジキル)と、道すがらに考えはじめた。(今彼は、深いぬかるみにはまってしまっているんじゃないだろうか!若いころの彼は相当に荒っぽい男だった。ずいぶん昔の話だ。だが人の世には神のさだめる法がある。神は昔のことだろうと関係なく罰する。それだ、そうとでも考えるしかない。昔犯した罪悪の報いなのだ。隠してきた不道徳が今発症しているのだ。記憶が薄れ、自惚れが昔の罪を消し去っても、罰は必ずやってくるのだ)(ロバート・ルイス・スティーヴンスン「ジキル博士とハイド氏」P34)
2011年01月14日
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「NODEと呼ばれる三つの組織――<プロテウス><ネレウス><テティス>は、ネジェスの幸福を最優先に考えるように作られている。地球に大異変が訪れたとき、彼らは、ネジェスに所属する政府だけが助かればいいと考えるでしょう。今回の危機は桁外れだから、限られた資源を皆で公平に分割すれば、共倒れになりかねない。だったら、自分の連合を生かすことだけを選ぶ――それがNODEのやり方よ。機械のように冷静に考え、最も合理的な手段をとる。そこに通常の意味での人間性は皆無だわ。冷酷なまでに理知的であることが、彼らの存在理由なの」(上田早夕里さん「華竜の宮」P500)
2011年01月14日
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マーガニータ・ラスキ「ヴィクトリア朝の寝椅子」を買書つんどく。編訳者の横山茂雄さんといえば、稲生平太郎さん名義で、「アクアリウムの夜」、「アムネジア」を書かれたかたです。「幸せな生活に満足していたメラニー。ある日、骨董屋で買ったヴィクトリア時代の寝椅子でうたた寝し目覚めると、1800年代にタイムスリップし寝椅子の元の持ち主であるミリーという女性になってしまっていた……。20世紀前半のイギリス文学を紹介する「20世紀イギリス小説個性派セレクション」シリーズ第1弾。」(新人物往来社の紹介)
2011年01月13日
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そこでは街灯の光が散在する深夜の街路が広がり、一人の男の人影が足早に歩いてくる。と同時に、医院から駆けだす女の子の姿。出会いがしら、男は女の子を踏み倒し、すたすたと歩み去っていく。人とも魔物ともつかない風体で。幼い子供が泣き叫ぶのもかまわずに。あるいはまた、ある立派な邸宅の内部が思い浮かぶ。そこではアタスンの友人のある人物がベッドに寝ている。なにかよい夢を見て笑みを浮かべている。と、不意に部屋のドアが開かれ、ベッドわきの帳が引きあけられる。友人は目覚めを余儀なくされる!そこに立っているのは、なにがしかの力を持つらしいひとつの人影だ。深更であるにもかかわらず、友人は何者かの命令に従って起きなければならない。(ロバート・ルイス・スティーヴンスン「ジキル博士とハイド氏」P26)
2011年01月13日
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ジェラルディン・ブルックス「古書の来歴」を買書つんどく。ちょっと前の本ですけど。「100年ものあいだ行方が知れなかった稀覯本「サラエボ・ハガダー」が発見された。連絡を受けた古書鑑定家にハンナは、すぐさまサラエボに向かった。ハガダーは、ユダヤ教の「過越しの祭り」で使われる、ヘブライ語で祈りや詩篇が書かれた書である。今回発見されたサラエボ・ハガダーは、実在する最古のハダガーとも言われており、500年前、中世スペインで作られたと伝えられていた。また、ハガダーとしてはめずらしく、美しく彩色された細密画が多数描かれていることでも知られていた。それが1894年に存在を確認されたのを最後に紛争で行方知れずになっていたのだ。鑑定を行なったハンナは、羊皮紙のあいだに蝶の羽の欠片が挟まっていることに気づく。それを皮切りに、ハガダーは封印してきた歴史をひも解きはじめ……。」(武田ランダムハウスジャパンの紹介)
2011年01月12日
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海面近くの外壁の上に、巨大な生物が磔になっていた。海中に尻尾の一部を残したまま、二本の帯電スピアで串刺しにされていた。黒煙はそこからあがっていた。動きはすでにない。十五メートル近い全長。魚とワニが混じり合ったような獰猛な姿。獣舟に間違いなかった。壁を昇ってくるところを発見した偵察機が上空から狙い撃ちにしたらしい。炭化した身体のあちこちで残り火がまだ燃えていた。鋭い歯が並んだ口をかっと開き、苦悶に身をよじった姿のまま活動を停止していた。巨大な口の中からは、いまにも呪詛の叫びと、異形の生物が溢れ出てきそうな雰囲気だった。立ち昇る煙の成分は、人間が直に吸えば嘔吐すること間違いなし、といったところだった。この生物が、人間の遺伝子から作られた事実を、強烈にアピールするかのように。(上田早夕里さん「華竜の宮」P38)
2011年01月12日
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「よくないのは、お腹が空いていることと、ひとりでいることだよ」陣内栄というわけで、DVDで「サマー・ウォーズ」を見ました。仮想社会「OZ」に邪悪な人工知能が侵入して、現実の世界が危機に晒される。戦いを挑むのは、信州上田に先祖代々暮らす大家族とプラス・アルファ(?)。ストーリーからいえば、それだけのことですが、背景はきれいだし、登場人物はユーモラスだし、家族で「ごはん」を食べることを中心とした、家族のつながりが心和ませます。そして、なんといってもスーパーおばあちゃん「栄」が、全体をぴりりと引き締めています。最後は、「栄」直伝の「こいこい」の勝負で世界の運命が決するという、なんでやねん!の展開ですが、プレーヤ夏希のアバターがまたかっこいいのです!これは、ほんとにターゲットの広いアニメで、嫌いになる人はいないんじゃないでしょうか?昨年7月には、テレビでも放映されたようですので、見られた方も多いと思いますが、未見の方はぜひ。
2011年01月11日
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関口良雄さんの「昔日の客」を買書つんどく。30年ほど前、松本昇平さんの「業務日誌余白―わが出版販売の五十年」を読んだことがあって、そのとき、猛烈に本屋さんになりたいと思いました。これを読んだら、僕は、古本屋さんになりたい!と、いまさらながら思ってしまうんじゃないでしょうか(笑)。「尾崎一雄、尾崎士郎、上林暁、野呂邦暢、三島由紀夫…。文学者たちに愛された、東京大森の古本屋「山王書房」と、その店主。幻の名著、32年ぶりの復刊。」(「BOOK」データベースより)
2011年01月10日
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「それがなかなかひと口にはいいがたいんです。容貌のなにかがおかしいとしかいいようがないような。なにかひどく不快な、嫌悪感をもよおさせるところがあるのです。あんないやな感じのする顔は見たことがなくて、しかもどこがそれほどいやなのかがはっきりとわからないんです。(中略)といって、人相をよく覚えていないなんてわけじゃまるでない。それどころか、今でもありありと目に浮かぶほどです」(ロバート・ルイス・スティーヴンスン「ジキル博士とハイド氏」P20)
2011年01月10日
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海上民の赤ん坊は、必ず双子として生まれてくるという。ひとりは、ヒトとして。もうひとりは、魚舟と呼ばれる異形のものとして。海上民の女性は、ヒトと彼らの乗り物を同時に産むのだ。生まれたばかりの魚舟は、扁平な頭と、大きな二対の鰭と尾鰭を持つ、サンショウウオに似た小さな魚だ。母親は、人間の赤ん坊は育てるが、魚舟はすぐに海へ放ってしまう。面倒など一切見ない。(中略)厳しい海洋環境を生き抜いた個体だけが、歳月を経たのち、その片割れがいる船団へ戻ってくる。そして、その片割れと血の契約を結んだのち、彼もしくは彼女の操船を許す舟となるのだ。(上田早夕里さん「華竜の宮」P117)
2011年01月09日
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乾緑郎さんの「完全なる首長竜の日」を買書つんどく。『このミス』大賞作品は、これまで買書したことも、つんだこともありませんでしたが、この本は書店で見かけて、気になって買書してしまいました。「植物状態になった患者と、コミュニケートするための医療器具「SCインターフェース」が開発された日本。少女漫画家の淳美は、自殺未遂を起こして数年間意識不明に陥っている弟の浩市と対話を続けている。「なぜ自殺を図ったのか」という淳美の問いかけに、浩市は答えることなく月日は過ぎていた。そんなある日、謎の女性からかかってきた電話によって、淳美の周囲で不可思議な出来事が起こりはじめる…。『このミステリーがすごい!』大賞第9回(2011年)大賞受賞作。」(「BOOK」データベースより)
2011年01月09日
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「きたか、ジム」船長がぼくにいった。「たしかに、ジム、きみにはきみの良さがある。しかし、わたしは再度きみと航海することはないだろう。きみのような生まれついての幸運児には、わたしなどはとてもついて行けない。そちらは、ジョン・シルヴァーじゃないか。なにしにきた」「おれは勤務にもどったんで」シルヴァーはこたえた。「ふーん」船長はいい、それ以上はいわなかった。(ロバート・ルイス・スティーヴンソン「宝島」P367)というわけで、ロバート・ルイス・スティーヴンスン「宝島」を読みました。僕にとって、2度目の「宝島」になりますが、やはり、ジョン・シルヴァーの造形は秀逸だと思いました。「宝島」という物語は、宝探しのロマンスとジョン・シルヴァーの2点突破で、年を経るごとに、ジョン・シルヴァーの1点突破に変化していく感じです。いや、なんとも、したたかな人物です。このジョン・シルヴァーは、最後に行方をくらましてしまい、読者の想像力を刺激し続けるわけですが、この計算高い略奪者であり、かつ欲のためには殺人すらいとわない人物が、どのような今後を持ちうるのか、興味深いところです。僕は寡聞にして知りませんが、きっと、ジョン・シルヴァーのその後を描いた、いわば「裏宝島」みたいなものも、書かれてるのかも知れません。ところで、ジム少年は、その後、トラウマのように波音やキャプテン・フリントの叫び声の悪夢になやまされることになるのですが、そんなタマですかね?それとも、こういう物語には、やはり教訓というものが必要だということでしょうか?
2011年01月08日
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ポリネシア・ホットプルームの上昇によって、太平洋海底は地面の底から押され、鏡餅のような形に丸く盛りあがった。その上にあった海水はすべて周辺へ流れ出し、本格的な海面上昇を引き起こした。二酸化炭素やメタンによる海面上昇などとは比べものにならないほどの、人類の文明を破壊し尽くす大規模海面上昇――。ゆるやかな、しかし止まらない海の拡大は、次々と、世界中の平野と海抜の低い土地を呑み込み始めた。最終的には二百六十メートル近くになると予測された海面上昇は、人類の科学力で止められるものではなかった。海の広さが白亜紀(クリティシャス)の頃の規模に戻ることから、この現象は<リ・クリティシャス>と名づけられた。(中略)<環境適応のため、地球上のあらゆる生物に、人為的に改変を加えることを容認する。この「生物」の定義には、すべての人類も含まれる――>(上田早夕里さん「華竜の宮」P22)
2011年01月07日
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マーガレット・アトウッド「オリクスとクレイク」を買書つんどく。あとがきによると、人類滅亡後の世界を舞台とした、<マッド・アダム>三部作の第一作目にあたるのだとか。ところで、分かりにくいのですが、このカバーの絵はヒエロニムス・ボスの「快楽の園」の一部です。「人類が滅びた世界でひとり生き残ったスノーマンは回想する。いまはもうない爛熟した文化のこと、最愛のオリクスのこと、そして友人クレイクが何をしたのかを……巨匠の黙示録的大作、ついに刊行。人類がいなくなった海辺で、スノーマンは夢うつつを漂っている。思い出すのは、文明があったころの社会。スノーマンがまだジミーという名前だった少年時代。高校でめぐりあった親友クレイクとかわした会話。最愛の人オリクスとのひととき――。誰がこんな世界を望んでいたのだろうか。そして、自分はなにをしてしまったのだろうか。カナダを代表する作家マーガレット・アトウッドが透徹した視点で描き出す、ありうるかもしれない未来の物語。ブッカー賞、カナダ総督文学賞候補作。」(早川書房の紹介)
2011年01月07日
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「ほらよ、ジム――おまえにはめずらしかろう」シルヴァーがいって、ぼくの前に紙きれをぽいと投げた。大きさがクラウン銀貨ほどの、まるく切り抜いた紙だった。片面が白紙なのは、それが最終ページだったからだ。裏面には黙示録の一、二節が印刷され、なかでもぼくの心を動かした聖句にこんなのがあった――<犬と人殺しは外に出され>。印刷された側は、消し炭で黒く塗ってあったが、炭はすでに落ちかけて指を汚した。白紙の側にはおなじ炭でただ一語、<免職>と書いてあった。そのめずらしい紙片は、いまもぼくの手元にあるが、書かれた文字はもうすっかり消えて、爪のひっかき傷のような線が一本のこっているだけだ。(ロバート・ルイス・スティーヴンソン「宝島」P320)
2011年01月06日
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近所の神社の狛犬です。まだ新しいので風格はいまいちかも。
2011年01月06日
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もらった写真のあの家と、違うのはわかっていた。路地との位置も違うし、玄関も窓も屋根も違う形だった。だけどこの薔薇の色があの写真の薔薇の色なのだと思った。こんなに深くて鮮やかな赤い薔薇を、わたしは初めて見た。(柴崎友香さん「その街の今は」P152)というわけで、柴崎友香さんの「その街の今は」を読みました。ベタやないねえ。しぶいねえ。ストーリーとしては、かくも変化のないお話が、なぜかここちよいというマジックやね。その秘密が知りたいねん。川上弘美さんの「あとがき」もええねん。
2011年01月05日
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大気はそよとも動かず、きこえるものは二分の一マイルはなれた外側の海岸や、岩場に打ち寄せる波の音だけだった。錨地になんだかよどんだ異臭がたちこめていた。朽ちかけた木の幹と、濡れて腐った落ち葉のにおいだ。見るとドクターも、卵の腐り加減をたしかめるように、しきりに鼻をくんくんさせていた。「宝があるかどうかはわからんが」と、先生はいった。「なにか瘴気があるのは間違いない。」(ロバート・ルイス・スティーヴンソン「宝島」P147)わたしたちはデッキへいそいだ。船板の継ぎ目からコールタールが泡粒を吹いていた。あたりの悪臭は胸をむかつかせた。熱病や赤痢がにおいでわかる場所があるなら、そのいやな錨地がそうだった。(ロバート・ルイス・スティーヴンソン「宝島」P176)
2011年01月04日
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えー、と言いつつ、電柱のてっぺんで動かないカラスをまた見上げた。百年とまではいかなくても、五十年あのカラスが生きているとしたら、わたしが探している風景を知っていることになる。あの黒い目で、焼け跡だったこの街にどんどん建物が建ってたくさんの人がやってきて店を作ったり潰したりしてきたのを、ずっと見てきたことになる。しかも、あの空中写真みたいに上空から。そうだとしたら、見てきた景色をわたしに教えてほしかった。わたしが探しているものが、目の前にいるあの黒い鳥の黒い目の中にあるかもしれない。すぐ近くにいるのに、なんで手が届かへんのやろう。カラスは、電柱の上からこっちを見ていた。その目で今、わたしを見下ろしている、と思ったら、カラスは大きな羽を持ち上げるように飛び立ち、黒い影になって白い空を横切っていった。(柴崎友香さん「その街の今は」P132)
2011年01月04日
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荒山徹さんの「友を選ばば」を買書つんどく。おお、これは「とんでもない!」お話に思えるのですが・・・・・。いや、勘違いではありますまい。「三銃士との思い出を懐しむばかりのダルタニャンに、トレヴィル殿から呼び出しがあった。盗賊スカーレット・ルピナス団を追え、と。こうして始まったダルタニャンの冒険は、フランスからイングランド、スコットランドに及び、この間、江戸から来た無敵の剣士という無二の親友を得て、無事終わりを告げた。が、二人がパリに戻ったとき、男は、さらなる驚天動地の行動に出た。彼は、天海僧正によって仕組まれた、とある使命を帯びていたのだった。」(「BOOK」データベースより)
2011年01月03日
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陸に目をやると、大きな焚き火が暖かそうに燃えているのが、岸辺の木立のあいだに見えた。だれかが歌をうたっている。単調な節回しの、古い船乗りの歌で、一節ごとに最後で調子を落として声をふるわせ、歌い手が忍耐を切らしでもせぬかぎり、いつまでもおわりがこないみたいだった。航海中一度ならずきいた歌で、こんな歌詞に覚えがあった――。 七十五人で海に出て 生きのこったはただひとり今朝がたあれほど多数のむごい死を見た乗組員には、悲しいまでに似つかわしい歌という気がした。だが、いま見るかぎり、海賊たちの非情なこと、彼らが航海する海にも劣らなかった。(ロバート・ルイス・スティーヴンソン「宝島」P247)
2011年01月03日
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