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ドビュッシー:ピアノ作品全集 のうちCD1、CD2【中古】 ドビュッシー:ピアノ作品全集 /ミシェル・ベロフ(p) 【中古】afb
2020年01月31日
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部屋には夜が満ちようとしていた。すべての輪郭を溶かしこんだ穏やかな闇につつまれた僕たちは、まるでどこにも辿りつくあてもない漂流者のように、指先をにぎりあっていた。眠ってしまった彼女の大きく膨らんだお腹は、よく見るとベッドから数センチ浮かびあがって、水のうえのボールのようにぐらぐらとゆれているのだった。そのへそのあたりから飛びだしているのは一本の毛糸で、それがまるで意思をもった生き物のようにするすると上昇し、へそのまわりからどんどんほどけはじめているのが見えた。僕は眠りに溶けそうになりながらそれを眺めていた。彼女のお腹はゆれつづけ、眠りとそれ以外のさかいめがあやふやになってしまったこの部屋の、カーテンも壁も、それからクロゼットの扉もテレビの画面も、気が付けば何もかもが呼吸する海の肌のように波うっているのだった。世界中に存在している数えきれない眠りがいつのまにかひっそりとここへやってきて、それぞれにゆるやかな渦を巻いてそっとぶつかり、やがて巨大なうねりとなって僕らを部屋ごと見知らぬどこかへ押し流そうとしていた。(川上未映子さん「三月の毛糸」(「愛の夢とか」所収)P87)
2020年01月31日
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アルゲリッチ・デビュー・リサイタル【中古】 アルゲリッチ・デビュー・リサイタル(ショパン:スケルツォ第3番/他) /マルタ・アルゲリッチ 【中古】afb
2020年01月30日
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顔をあげると、放置された自転車のわきを、猫がゆっくりと横切っていくのが見えた。ふいにどうしようもない淋しさがこみあげてきた。それはこれまで感じたことのある淋しさのいろんな部分が都合よく混ぜあわさった淋しさで、何がそんなに淋しいのか、自分でもよくわからなかった。わたしは何歳になっても、わからないことばっかりだ。それで、わからないことに安心しているのだ。そして、わからないと言いながら、ただこんなふうに淋しくなることだけがいつまでもできて、こんなことをただくりかえして、それで年をとっていつまでもこんなふうにひとりっきりでおんなじ場所に立ち尽くしたまま、そうやって、わたしはいつまでだって、そうやっていくのだ。(川上未映子さん「日曜日はどこへ」(「愛の夢とか」所収)P63)
2020年01月30日
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ハイドン:クラヴィーアソナタ集
2020年01月29日
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でもこんなにあからさまなことをするためには、たぶんもっと、きっとほかの理由が必要で、純粋な拒絶以外の、何かもっと具体的で、いやらしいものを彼は持っているのに違いないと思ってしまう。具体的な何か。何かを終わりにするためにはいつだって必要な何か。これまでとこれまでを断ち切るために用意した、あるいは出会ってしまった、あたらしい、すてきなちからが。それを使っていつかの最後、彼はわたしと彼のあいだにあるものぜんぶを、きれいに叩きのめしてやりたいと思っているにちがいない。終わりにするとはそういうこと。終わりは終わりの顔をしてわたしたちを訪れるようなことはこれまでにだってなかったし、これからだって決してない。何かとよく似た顔をしてやってきて、通りすぎたうんとあとにあれが最後だったと気づくだけ。(川上未映子さん「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」(「愛の夢とか」所収)P48)起きあがって、両手でもって、のしかかるようにして何度でもわたしは押しつける。体のぜんぶで、いちごをつぶす、いちごをつぶして、いちごをつぶす。どこで間違えたんだろう。それとも、はじまってもいなかった?それでも彼は、起きているのか眠っているのかわからない。(川上未映子さん「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」(「愛の夢とか」所収)P53)
2020年01月29日
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ビートルズ:レット・イット・ビー【中古】 レット・イット・ビー /ザ・ビートルズ 【中古】afbバッハ:ヴァイオリン協奏曲集【中古】 J.S.バッハ:協奏曲集 愛のコンチェルト /千住真理子(vn),アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ 【中古】afb
2020年01月28日
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少なくとも「葦原」と「中国」とが結びついて「葦原中国」という表現を生み、それが出雲を指向するというこの神話的構造が、当時の生活構造と無関係に案出されたものであろうとは思えない。葦原はたんなる客観的な自然ではなく、古代人の生活とかかわりを持つ環境、つまり人間がまわりにおいて出あう境域であった。そして私たちはすでに、この「葦原」が荒や醜や蕪の状態と範疇的に結びつく傾きを有し、またそれが不気味に「さやぐ」世界であった次第を見た。この基礎にあるものこそ、村落生活における中心と周辺、すなわち人の住む地域と葦の茂る周辺地帯との対立であったのではあるまいか。(中略)が、この対立は同時に統一でもあるわけで、さらにこの周辺部の外側には、死者たちの住む海または原始林地帯がひろがっていたはずで、かかる生活構造の垂直化されたものが、高天の原、葦原の中つ国、黄泉の国という上中下三重層の神話的世界に外ならない。葦原の中つ国という呼称も、中心の聖所からするならば、死者たちの住む外側の地帯にたいし、葦茂る周辺部が中間の位置にあたるのにもとづく。また「葦原」が醜や穢に汚染されているのも、死者たち世界に隣接しているからで、その証拠に、出雲は黄泉の国に至る入口と考えられていた。(西郷信綱さん「古事記の世界」P25)
2020年01月28日
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テイラー・スウィフト :ラヴァー【国内盤CD】【ネコポス送料無料】テイラー・スウィフト / ラヴァー(ジャパン・スペシャル・エディション) [CD+DVD][2枚組][初回出荷限定盤]【K2019/8/23発売】【★】
2020年01月27日
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「葦原中国はいたくさやぎてありなり」という句も、葦原の茂みが風にざわざわと乱れる音にたいする古代人の経験にもとっづくもので、しかもこのざわめきが不気味な、ほとんどデモーニッシュなものと感じられていたらしいことが、「蠅声す邪ぶる神、云々」とか「草木みな能く言語ふ」とかいう表現から推測できる。草木ことごとくもの言うを万有活物論(アニミズム)にもって行って説くのは、特殊を空虚な一般形式に帰属させようとするものであって、大して理解のたしにははなるまい。書記一書に、葦原中国を「邪ぶる鬼」の棲む地としているが、つまり高天の原から見るならば、それはデーモンどもの蟠踞する混沌たる未開の世界であり、それ故にことむけられるべき地であったのだ。この「醜めき国」の棟梁である大国主神のまたの名が葦原醜男とされるゆえんでもある。(西郷信綱さん「古事記の世界」P22)
2020年01月27日
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椎名林檎:ニュートンの林檎【楽天ブックス限定先着特典】ニュートンの林檎 〜初めてのベスト盤〜 (初回限定盤) (アクリルコースター付き) [ 椎名林檎 ]
2020年01月26日
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だがそれにしても、「葦原中国」が高天の原からの呼び名であるという(本居宣長の)指摘は重要で、この一点を見のがすならば、たんにこの語の解釈につまずくのみならず、古事記の本質がすっかい蔽われてしまうことになろう。この語は(中略)日本国の歴史上の古称ではなく、高天の原から名づけられた、そしてそのかぎりにおいてのみ存在した一つの神話的世界を意味するのであり、しかもそれは古事記の物語の展開するもっとも重要な舞台の一つであったからだ。(中略)この場合、葦原というのは葦の茂った未開野蛮の地という意で、そういう世界として高天の原から名づけられたのであり、またまさにその故にそれは天孫によってことむけられるべき世界とされたに外ならぬ。一般に原始的社会では、名づけることは対象を存在せしめ、かつ所有することを意味するが、高天の原からかく名づけられたことは、それが高天の原との関係において存在し、高天の原によって所有されることであった。そういう魔術的連関が、右の引用文にはかなりはっきりとうかがえる。(西郷信綱さん「古事記の世界」P19)
2020年01月26日
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ニルヴァーナ:ネヴァーマインド【中古】 ネヴァーマインド /ニルヴァーナ 【中古】afb
2020年01月25日
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マーサ・ウェルズ「マーダーボット・ダイアリー」を買書つんどく。かつて大量殺人を犯したとされたが、その記憶を消されている人型警備ユニットの“弊機”は、自らの行動を縛る統制モジュールをハッキングして自由になった。しかし、連続ドラマの視聴を密かな趣味としつつも、人間を守るようプログラムされたとおり所有者である保険会社の業務を続けている。ある惑星資源調査隊の警備任務に派遣された弊機は、ミッションに襲いかかる様々な危険に対し、プログラムと契約に従って顧客を守ろうとするが・・・・・。ノヴェラ部門でヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞3冠&2年連続ヒューゴー賞受賞を達成した傑作! (東京創元社の紹介)
2020年01月25日
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すなわち、神話的なものは生きつづけるけれど、それが神々の物語としての神話という形式をとって現れるのは一回きりであり、社会のまだ文明化しない特定の野蛮段階にかぎられる。かつての絶対主義的天皇制から迷信の衣を剥ぎとろうとした津田(左右吉)学の学問的勇気は、むろんたたえるべきである。しかし、だからといって一般に神話がたんに科学によって克服され、とって代わられるためにのみあると考えていいかといえば、決してそうではない。絶対主義は、神話という一回的な形式を永遠化しようとする。それに対抗するには、神話の意味をもみ消すのではなく、神話において獲得された人間的意味の何であるかを積極的にあきらかにする必要がある。(西郷信綱さん「古事記の世界」P9)
2020年01月25日
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夏川りみ:てぃだ〜太陽・風ぬ想い〜【中古】 てぃだ〜太陽・風ぬ想い〜 /夏川りみ 【中古】afbニルヴァーナ:ニルヴァーナ・ベスト【中古】 ニルヴァーナ・ベスト /ニルヴァーナ 【中古】afb
2020年01月24日
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たとえば「葦原」とか「隅(クマ)」とか、「父」とか「母」とか「産屋」とか、あるいは「天の岩屋戸」とか「天の石位(イハクラ)」とかいう種類の語が、古事記においていかなる意味を放射しているか、まだほとんど解明されていないのである。これは、言葉をその皮膜においてしかとらえず、古代語を知らぬ間に不当に現代語訳しているためである。文法の知識や辞典とかが右にいわゆる古人との対話に大して役立たないことは、幼児が言葉を覚えていく過程や、私たちが外国語を習得する過程などに徴しても見当がつく。幼児は文法を自覚していないし、また文法をいくら勉強したからと言って外国語が堪能にしゃべれるようになるわけではない。体系としての文法が導入されるのは近代になってからで、それ以前の人々は文法のことはまだ知らず、文法にたいし無意識であった。が、それにもかかわらず、個人を超えた言語社会があり、そこで人々は言語的に交通しあっていたわけで、この無意識は、文法の問題に還元することのできぬ豊かさや濃度を持つのである。(西郷信綱さん「古事記の世界」P4)
2020年01月24日
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NOKKO:colored【中古】 colored /NOKKO(REBECCA) 【中古】afb中村中:若気の至り若気の至り|ベスト選曲集/中村 中[CD]【返品種別A】
2020年01月23日
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わたしが通いだして十三度目に、テリーはやっと愛の夢を間違えずに弾き切ることができた。それはとつぜんやってきた。どうせ今日もだめだろうと、それすらとくに思うこともなくなっていたわたしが言うものなんだけど、テリーのその演奏は、すばらしいものだった。ものすごい集中力で、一度きりの何かを一度きりの何かにかけがえのないしるしをつけていくように、すべての鍵盤をふだんはふれることのできないこころのやわらかい場所にやさしく沈め、ときには激しくひっぱりあげ、すべての呼吸はテリーの指と腕と、それからテリー地震にぴったりと寄りそった。音のひとつひとつは見えない糸でしっかりとつながれ、しかしそれらはあまりに自由で、真ん中あたりの、あのまるで世界そのものがまぶしさをこらえきれずに瞬きをしているようなあのきらきらしい連打に――思わずわたしは胸をおさえた。終わらないで、ともうすこしで、声にしてしまいそうだった。(川上未映子さん「愛の夢とか」(「愛の夢とか」所収)P37)
2020年01月23日
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ノラ・ジョーンズ:Not Too Late【中古】 【輸入盤】Not Too Late /ノラ・ジョーンズ 【中古】afbノラ・ジョーンズ:Little Broken Hearts【中古】 【輸入盤】Little Broken Hearts /ノラ・ジョーンズ 【中古】afb
2020年01月22日
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毎日かならず練習して、しかもかつてはぺらぺらと引くことのできた曲を、いくらブランクがあるといってもこんなにまで弾けないってことってあるんだろうか。あるんだろう。それくらい楽器を演奏するということはむずかしくて奥深くて繊細なことなんだろうけれど、でもテリーの上達のしなさっぷりといったらちょっとなかった。わざとなのかと思うくらい、テリーはかならず出だしでつまずき、間違え、そのあとちょっとうまく流れにのったように思えても、またすぐによく似たところで止まってしまう。愛の夢という、なんだかおしりの割れ目がむずむずするようなタイトルのこの曲はとどこおりなく弾いてしまうと四分ちょっとの長さなのに、その四分をテリーは弾き抜くことができなかった。(川上未映子さん「愛の夢とか」(「愛の夢とか」所収)P32)
2020年01月22日
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ノラ・ジョーンズ:Come Away With Me【中古】 【輸入盤】Come Away With Me /ノラ・ジョーンズ 【中古】afb
2020年01月21日
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仕方ないのでうんうんと肯いて彼女の話に耳を傾けていたけれど、そのうち、彼女のしゃべり方なのか声のトーンなのか、どこかに見覚えのあるものがなんとなくひそんでいることに気がついた。でもそれが何なのかはもちろんわからなかった。布のはしっこが視界のはしっこでちょっと揺れてみせるようなそんな感じだった。色もおおきさもわからない。ただ揺れてたってことだけが目に残るようなそんな感じ。それに知らない家の知らない女の人のまえに座って知らないソファにもたれて知らない話をきいていると、喉からへそにかけての何かがゆるやかになっていく感じもした。それは誰かにとっては自分だってただの知らない人なんだというそんなあたりまえのことを、手のひらをやさしくにぎってそこを指でなぞってそっと教えてくれるような、そんなあてのないゆるやかさだった。でもそれは安心して身をゆだねられる種類のゆるやかさではぜんぜんなかった。それはかつて、わたしやわたしにかかわった数人の人たちをほとんど理不尽にくるしめた不安とか嫉妬とか衝動とか情熱とか――こうして書いてみると馬鹿みたいだけれど、そういったものはすでにあとかたもなくわたしを去ってしまって、いま見えているもの、これから触れることができるもの、かぐことのできるものはすべてそれらの残りかすにすぎないんだってことをどうじに教えてくれるからだった。(川上未映子さん「愛の夢とか」(「愛の夢とか」所収)P27)
2020年01月21日
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NOKKO’S SELECTION 【中古】 NOKKO’S SELECTION,NOKKO’S BEST /NOKKO(REBECCA) 【中古】afb
2020年01月20日
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アイスクリーム屋はそんなに暇でもなかったのに、とつぜん閉店することになったと知らされた。わたしは次のアルバイト先を探すためにあちこちを歩き回ってそのほとんどに断られ、自分が何もできないままこんな大人になってしまったことを思いしらされる日々を過ごしたけれど、歩いたり眠ったりしているうちに、そんなことも忘れてしまった。ときどき駅の冷たいベンチに座って時間をつぶした。そしてわたしのほかには誰も何もいないのに、さよならと声にして言ってみると、それは自分の声じゃないように聞こえて、でも、だからといって、自分の声がどんなだったかなんて、最初から知らないわたしには思いだせるはずもなかった。(川上未映子さん「アイスクリーム熱」(「愛の夢とか」所収)P13)
2020年01月20日
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バッハ:シャコンヌ【中古】 J.S.バッハ:シャコンヌ〜ハ−ン・デビュ−! /ヒラリー・ハーン 【中古】afb
2020年01月19日
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大宝律令以前の近江令、飛鳥浄御原令は、「令」のみで「律(すなわち罰)」はなかった。大宝律令において初めて「律」ができたという。つまり日本は、文書で規定された刑罰をもつ法治国家になったわけである。大宝律令によって規定された刑罰には「笞」「杖」「徒」「流」「死」の五刑があった。(中略)そしてもっとも重い刑が「流」と「死」であり、謀反罪などの国家の安穏を脅かす罪を犯した人間が処せられる刑であった。そしてスサノオもまた、そのような罪を犯して流罪に処され、オオクニヌシも稲佐の海に身を隠さねばならず、それはすなわち死罪に処されたといえるかもしれない。(梅原猛さん「葬られた王朝」P278)というわけで、梅原猛さんの「葬られた王朝」を読みました。梅原さんの特徴なのか、「もし、〇〇ならば。△△ということが言えるのではないか」と、しずしず始まったら、次の文脈では、「△△であるから、□□なのだ」という議論がなされるので、これ、乱暴だなあ、と思う人はたくさんいると思うし、ついていけない、とおもう人がいるのも無理はないし、人がとっくに言っていることをさも自分が言ったみたいに言ってることあるし、ほんとに梅原猛さんです。どなただったか忘れましたが、その著作のあとがきかなんかで、「梅原猛という人にボコボコにされています、と神様に毎度報告しています」みたいなことを書かれていて笑ってしまったことがあります。ほんと、梅原さんですから。でも、こういうやりかたをしないと行けない世界もあるのだと思うし、こういう人もいないとですね。ただ、『日本書紀』はともかく、『古事記』も藤原不比等が黒幕や、とゆうてはるわりに、なぜ別のもんを書かなあかんかったのか、その説得力がないんがなんでやねんでした。やっぱり、そこは無理があるんやないかな。
2020年01月19日
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ドビュッシー:ピアノ名曲集月の光 ドビュッシー ピアノ名曲集 [ モニク・アース ]
2020年01月18日
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そして繰り返すようだが、「古事記」は『日本書紀』とは違って、神話の力に力点がある。しかもその神話に出てくる神々は、当時活躍していた氏族の祖先神であり、その祖先神の評価によって氏族の未来が左右されるのである。神代において天つ神の敵となった祖先神や何の功績もない祖先神を持つ氏族は、律令社会において繁栄の見込みがないのである。(中t略)『古事記」は、神話の名において諸氏の勤務評定をしたようなものである。そしてその勤務評定において百点をとったのは藤原氏のみである。このような勤務評定を行い、かつ藤原氏に百点をつけるのは、権力者、藤原不比等以外ありえず、阿礼像と不比等像は全く重なり、稗田阿礼すなわち藤原不比等と断言して差し支えないと私は思う。(梅原猛さん「葬られた王朝」P278)
2020年01月18日
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ドビュッシー:ピアノ名曲集【中古】 ドビュッシー:ピアノ名曲集 /アルド・チッコリーニ(ピアノ) 【中古】afb
2020年01月17日
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1.17、5時46分。それでは、行ってきます。
2020年01月17日
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ドビュッシー:映像、練習曲集WARNER CLASSICS NEXT BEST 100 81::ドビュッシー:映像/練習曲集 [ ピエール=ロラン・エマール ]
2020年01月16日
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『古事記』においてはオオクニヌシの国づくりの話が詳しく語られる。オオクニヌシは多くの兄弟をもち、父の王朝において甚だ卑しめられた存在であった。そこでは、オオクニヌシがどのようにいじめられ、そのたびごとにオオクニヌシを愛する女性の力でその苦難を乗り越えたかが語られている。そして、いったん死に、黄泉の国にいるスサノオのところへ行き、そこでも苦難を経験するが、スサノオの娘のスセリヒメに助けられる。黄泉の国から帰ったオオクニヌシは甚だ強いヤチホコノカミとなり、多くの兄弟を殺し、越のヌナカワヒメをも征服して、オオクニヌシすなわちその名の通り「葦原の中つ国」という大国の支配者になる。この話が『日本書紀』では、ほぼ全部落ちている。『古事記』は文字通り「ふることぶみ」であり、アマテラスの岩屋戸隠れや国譲りや天孫降臨のときに活躍した神を藤原氏に都合のいい神々に書き換えた偽造をこそ行ったが、それ以外の藤原氏に関係のない部分はほぼそのまま昔の伝承を語っているものと思われる。それに対し、公の歴史書である『日本書紀』では、そのように前代の王朝の話など詳しく語る必要はなく、ただアマテラスとニニギを祖とする現在の王朝が前王朝から正式に日本国の支配権を受け継いだ政権であることを示せば十分だったのであろう。(梅原猛さん「葬られた王朝」P256)
2020年01月16日
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私のドリカムDREAMS COME TRUE THE BEST!私のドリカム (3CD) [ DREAMS COME TRUE ]
2020年01月15日
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ところが、『日本書紀』ではこの三貴子の禊による誕生譚が語られるのは、第六の一書のみであり、本文では、国生みの最後に、自然にアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三神が生まれている。『古事記』は禊ぎ・祓いの神道思想によって書かれている。つまりアマテラスなどの三貴子は禊ぎによって生まれ、スサノオは祓いによって追放される。禊ぎ・祓いの習慣は古くから日本にあったが、禊ぎ・祓いの神道が日本神道の中心になったのは天武・持統時代においてであると思う。その思想は中臣祝詞といわれる大祓いの祝詞によってはっきり示される。この『古事記』と『日本書紀』の違いは、『古事記』は全く禊ぎ・祓いの神道によって書かれているのに対し、『日本書紀』は合理主義をとる。『日本書紀』では、禊ぎ・祓いによって三貴子が生まれるのはあまりに不合理なことであるので、その説をとらなかったからであろう。(梅原猛さん「葬られた王朝」P253)
2020年01月15日
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ドビュッシー:海、牧神の午後への前奏曲ほか【中古】 ドビュッシー:海 /ピエール・ブーレーズ(cond),クリーヴランド管弦楽団 【中古】afb
2020年01月14日
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日本を古い国家から新しい国家に変貌させるには、中国に学んで律令制を導入しなければならなかった。そして律令制の柱は、律令の編纂、都城の建造、歴史編纂という三つの事業であったといってよい。(中略)大宝律令は唐の律令を参考にしたものであるが、内容は全く違った。当の律令は、中書省、門下省、尚書賞の三省に分かれ、それぞれ独立して皇帝に直属するものであるが、日本では太政官一本に絞られている。それによって権力は天皇より多く太政官を握る高級官僚、すなわち藤原氏に集中する。天皇は、ただ、藤原氏政治の看板に過ぎない。それは象徴天皇制に似ているといえよう。日本の律令はまさに中国の律令と違って、天皇が親政しない象徴天皇制を志向する律令であった。藤原不比等は大宝元年(七〇一)に制定された大宝律令をさらに改正し、不比等が死んだ養老四年(七二〇)に養老律令が制定されたといわれる。大宝律令と養老律令の違いはしばしば問題にされるが、養老律令において天皇の権力はいっそう弱められ、太政官の権力、すなわち藤原氏の権力が増大することになったのは確かである。このように藤原不比等によって、まず律令の編纂は完了した。そして都城も、持統天皇の死んだ大宝二年(七〇二)の八年後、和銅三年(七一〇)に藤原京から平城京に移された。これは新しい藤原権力、つまり不比等権力の確立を印象付けるものであった。(中略)さて、和銅三年にこのような都城の築造及び移転が成功したとすれば、残ったのは歴史書の編纂のみである。(梅原猛さん「葬られた王朝」P229)
2020年01月14日
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バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番、第2番、パルティータ第1番【輸入盤】無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番、第2番、パルティータ第1番 ファウスト [ バッハ(1685-1750) ]中島みゆき:Singles 2000中島みゆき/Singles 2000
2020年01月13日
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鏡はすでに春秋戦国時代から日本に移入され、愛好されていたが、南九州に本拠地を持つアマテラスを祖とする天孫族が降臨したニニギの曾孫イツセとカムヤマトイワレヒコ、すなわち神武天皇が、乾坤一擲の東征をして、ヤマトに盤踞していた物部氏の祖、ニギハヤヒとナガスネヒコの連合軍を滅ぼして、日本国の大王となったとき、前代の出雲王朝の銅鐸に代わって、鏡を最高の宝器としたのではなかろうか。、あと、鏡を最高の宝器としたのは、天孫族独自の理由付けもあったのであろう。鏡は太陽の光線を鋭く反射するものであり、太陽に似た丸い形をしていることもあって、小太陽といってよいものである。それゆえアマテラスという太陽神を祖と仰ぐ天孫族の大王にとって、鏡ほど大王を神聖化するものはなかったに違いない。こうして鏡は銅鐸に代わって最高の宝器、祭器となり、「八咫の鏡」はアマテラスの御魂として伊勢神宮に祀られることになったのである。(梅原猛さん「葬られた王朝」P214)まるで伝奇小説のような・・・・・。
2020年01月13日
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フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル:ピアノ三重奏曲【中古】 ラヴェル、ドビュッシー&フォーレ:ピアノ三重奏曲 /トリオ・フォントネ,ヴォルフ・ハルデン,ミヒャエル・ミュッケ,ニクラス・シュミット 【中古】afb中島みゆき:予感【中古】 予感 /中島みゆき 【中古】afb中島みゆき:「中島みゆき」【中古】 「中島みゆき」 /中島みゆき 【中古】afb
2020年01月12日
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先に述べたとおり、荒神谷遺跡の銅剣、銅鐸、銅矛、および加茂岩倉遺跡における銅鐸も、埋葬されたのはほぼ同時期であると考古学者は言う。それは紀元一世紀頃ではないかとされる。(中略)紀元一世紀といえば記紀に語られる南九州にいた天孫族が統制して、西日本全体を戦乱の渦に巻き込んだ時代である。とすれば、それはオオクニヌシの国譲りの時代とも重なってくる。この大量の青銅器は、稲佐の海に身を隠し、今は黄泉の国の王となった、地下のオオクニヌシに贈られたものではなかろうか。最後にもう一度、この二つの遺跡について考えてみよう。荒神谷遺跡は、『出雲の国風土記』に記された建部郷にある。建部郷は、イズモタケルを騙し討ちにしてヤマトタケルの家来が住みついた地であった。それは出雲の神の反乱を恐れたヤマト朝廷が派遣した進駐軍のような軍隊であったと思われる。おそらくそこはかつてイズモタケルが住んでいたところで、イズモタケルは、『古事記』が語るようなオオクニヌシ政権崩壊後もなお細々ながら十七代続いた出雲王朝の最後の王であったのではなかろうか。とすれば、そこはかつてオオクニヌシの住んでいた宮殿のあったところである。そしてその町はずれの小さな丘の中腹に、オオクニヌシの大切にしていた青銅器を埋めて、黄泉の国の王となったオオクニヌシに送り届けようとしたものと考えてもおかしくはない。(梅原猛さん「葬られた王朝」P202)
2020年01月12日
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中島みゆき:臨月【中古】 臨月 /中島みゆき 【中古】afb中島みゆき:寒水魚【中古】 寒水魚 /中島みゆき 【中古】afb
2020年01月11日
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前章で述べた通り『古事記』にあるオオクニヌシのヌナカワヒメに対する恋の話はただの恋の話ではなく、同時に征服の話なのである。勾玉文化の中心地、越はついにオオクニヌシの手に帰したのである。出雲の地は長年、ヒスイ王国、越の支配下にあった。その越の支配からの解放が、スサノオによる「高志」のヤマタノオロチ退治の話であり、逆に出雲による越の征服の話が、オオクニヌシの強引なヌナカワヒメとの結婚の話であろう。(梅原猛さん「葬られた王朝」P159)
2020年01月11日
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中島みゆき:生きていてもいいですか【中古】 生きていてもいいですか /中島みゆき 【中古】afb
2020年01月10日
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私は、イザナギ、イザナミは、縄文の神であると思う。縄文の哲学は「産み」の哲学である。「産み」の哲学はセックスの哲学でもある。タカミムスビ、カミムスビの「ムスビ」というのはセックスを表し、子を産むことを意味する。このような「ムスビ」の神が縄文時代においてもっとも崇拝されていたことは、縄文時代にあまねく崇拝された石棒を見てもわかる。縄文時代の男性のほとんど唯一のシンボルが男根を象徴する巨大な石棒であった。セックスによって子を産み、孫は曾孫を産む。かくして人間の生命は永遠に連なるのである。セックスはただ肉体的な快楽の行為ではなく、人間を永遠に通じさせる形而上学的なものである。これに対してイザナギ、イザナミに続く神々は明らかに弥生の神であり、農耕の神である。『古事記』では、国生みの後に神生みの話が続く。イザナギはその最後に、アマテラス、ツクヨミ、スサノオを産んだというが、この三貴神はいずれの農耕の神である。つまり、イザナギ、イザナミから三貴神の時代へと変わることによって縄文時代が終わり、弥生時代が始まるのである。(梅原猛さん「葬られた王朝」P146)
2020年01月10日
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2020年01月09日
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私は『播磨国風土記』を読み、そしてそこにオオクニヌシの伝承が詳しく語られていることに興味を覚え、播磨の国を訪ねたのであるが、この国に、出雲の国にもないような巨大で華美な「一つ山」「二ツ山」という神事が残されていることに驚いた。播磨には、深くオオクニヌシの影が差し込んでいる。そしてそこには、オオクニヌシ王国の滅びの原因が密かに語られている。さて、このように内部分裂とアメノヒボコといわれる韓の国から来た強力な神の出現によって追い詰められたオオクニヌシのもとに、ついに国譲りの使者がやってくるのである。(梅原猛さん「葬られた王朝」P122)
2020年01月09日
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2020年01月08日
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「伊藤野枝集」を買書つんどく「「私は人間が同じ人間に対して特別な圧迫を加えたり不都合をするのを黙って見てはいられないのです」-17歳で故郷を出、雑誌『青鞜』に参加。弱者を抑圧する社会の矛盾をまっすぐに見すえた伊藤野枝(1895-1923)は、大杉栄と共に憲兵隊に虐殺されるまで、嵐のごとく生を駆け抜けた。野枝の魅力を伝える創作・評論・書簡を収録。」(「BOOK」データベースより)
2020年01月08日
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こうしてオオクニヌシは、スサノオのいる根之堅洲国すなわち黄泉の国へ行く。前に述べたように、イザナミ、スサノオ、オオクニヌシなどの出雲王朝系の神々は、イザナギ、アマテラス、ニニギなどのヤマト王朝系の神々と違い、黄泉の国と縁の深い神々である。黄泉の国では、オオクニヌスの六代前の祖先であるスサノオが王であった。オオナムヂは、この世での八十神たちによる迫害を逃れて黄泉の国にやってきたはずなのに、そこでもまた厳しい試練にあう。ただ、スサノオが黄泉の国でオオクニヌシに与える試練は八十神たちの迫害に似ているようでありながら、それとは根本的に違っていた。黄泉の国でスサノオはオオクニヌシに対して、しばしば死ぬかと思われるほどの苦難を与える。しかしその苦難はむしろ試練というものであり、どこかにオオナムヂに対する期待と愛情が込められている。(梅原猛さん「葬られた王朝」P79)
2020年01月08日
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