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ちなみに、平塚らいてうは、森田草平との事件以来、夏目漱石に対しては不快の念を抱いていた。漱石は事件後、平塚家を訪れ、らいてうの父と会談する。その際に、森田とらいてうを結婚させることで世間的な後始末をつけようと提案した。新しい文学、新しい思想を論じているにもかかわらず、封建的・保守的で、新しい女への理解など全くない、とらいてうは憤慨する。さらには、漱石のすすめにより森田が書いた「煤煙」の内容も彼女にとって腹立たしいものであった。弟子を守ることに全力を傾けるあまり、らいてうへの配慮を欠いた漱石。公平な配慮をと言われても、それはきれいごとである。漱石門下に入るということは、このように、アンフェアに師匠に守られる、ということなのだ。野上弥生子が選んだのは、らいてうが見下した、この保守の道であった。(山下聖美さん「野上弥生子」(「女脳文学特講」所収)P149)
2012年01月31日
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円城塔さんの「道化師の蝶」を買書つんどく。もう一つの芥川賞受賞作。田中慎弥さんの「共喰い」が、ひょんなことから、あまりに有名になってしまって・・・・・。「無活用ラテン語で記された小説『猫の下で読むに限る』。正体不明の作家を追って、言葉は世界中を飛びまわる。帽子をすりぬける蝶が飛行機の中を舞うとき、「言葉」の網が振りかざされる。希代の多言語作家「友幸友幸」と、資産家A・A・エイブラムスの、言語をめぐって連環してゆく物語。現代言語表現の最前線!」(講談社の紹介)
2012年01月31日
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ページをあけると一枚の紙片が机の上に落ちた。四つ折りになった地図である。「長崎市原爆被災市街復元図」というタイトルが地図の上に横書きで入り、中央に松山町の地図が一軒ずつ姓を書きこまれて印刷してあった。昭和二十年八月九日、原子爆弾が炸裂する直前の町並が啓介の目の前にあった。山口、本多、辻野・・・・・啓介は探した。爆発点は町の上空およそ五百メートルである。その真下に黒い二重丸がしるしてあった。かまぼこ屋、郵便局、時計店、米屋、建具屋、歯科医、雑貨店・・・・・各戸には職業も記してある。佐古家はあった、ただし、乾物店という記入のないところをみると、その頃は商売をやめていたらしい。造船所に近いゆえにB29の落とした爆弾のそれ弾を受けるのをおそれて、当時は郊外であった松山町へ引っ越したのが、かえって被爆するうき目を見ることになったわけだ。(野呂邦暢さん「鶴」(「愛についてのデッサン」所収)P229)
2012年01月30日
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読み直してみようと、思い立ったのですが、見つけることができるでしょうか?
2012年01月30日
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田中慎弥さんの「共喰い」を買書つんどく。第146回芥川賞受賞作。作品でというより、受賞会見時の態度で、有名になっちゃいましたね。どうかなあ。「昭和63年。17歳の遠馬は、怪しげな仕事をしている父とその愛人・琴子さんの三人で川辺の町に暮らしていた。別れた 母も近くに住んでおり、川で釣ったウナギを母にさばいてもらう距離にいる。日常的に父の乱暴な性交場面を目の当たりにして、嫌悪感を募らせながらも、自分 にも父の血が流れていることを感じている。同じ学校の会田千種と覚えたばかりの性交にのめりこんでいくが、父と同じ暴力的なセックスを試そうとしてケンカ をしてしまう。一方、台風が近づき、町が水にのまれる中、父との子を身ごもったまま逃げるように愛人は家を出てしまった。怒った父は、遠馬と仲直りをしよ うと森の中で遠馬を待つ千種のもとに忍び寄っていく・・・・・。川辺の町で起こる、逃げ場のない血と性の臭いがたちこめる濃密な物語。第144回芥川賞候補作「第三紀層の魚」も同時収録。」(楽天ブックスの紹介)
2012年01月29日
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「毒」にあたらなくてもいい。奇をてらったり、はちゃめちゃであったりしなくても、普通の体温で書けばいい。漱石は弥生子の実直さや安定感に好意を抱いたのであろうか。ちなみに、漱石はこの手紙を書いた翌年の明治四一年、まさに、「毒」にあたって嬉しがるような女性の代表格を知ることとなる。その名は平塚らいてう。野上弥生子の夫・豊一郎と同じく漱石の弟子であった森田草平と心中未遂事件を起こし、世間を騒がせた女だ。漱 石は、このお騒がせ女に関係して人生を狂わされそうになっている愛弟子の後始末に追われた。世間から激しい非難を浴び、社会的に葬り去られようとしていた 弟子の森田草平を必死で守り続ける漱石の働きには、弥生子に与えた手紙とおなじような感動を覚える。事件直後は森田を自宅にかくまい、事件をまるくおさめ るための根回しに奔走し、「書くほかに、今後君が生きていく道はない」と体験を小説にすることを森田草平にすすめた。師の言葉を信じ、森田はらいてうとの 心中の顛末を描いた小説「煤煙」を書き上げる。(山下聖美さん「野上弥生子」(「女脳文学特講」所収)P148)
2012年01月29日
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桜庭一樹さんの「傷痕」を買書つんどく。「伏」、「ばらばら死体の夜」と溜まってきた。 「こ の国が20世紀に産み落とした偉大なるポップスターがとつぜん死んだ夜、報道が世界中を黒い光のように飛びまわった。彼は51歳で、娘らしき、11歳の子 どもが一人残された。彼女がどうやって、誰から生を受けたのか、誰も知らなかった。凄腕のイエロー・ジャーナリズムさえも、決定的な真実を捕まえることが できないままだった。娘の名前は、傷痕。多くの人が彼について語り、その真相に迫ろうとする。偉大すぎるスターの真の姿とは?そして彼が世界に遺したもの とは?」(「BOOK」データベースより)
2012年01月28日
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こうした言及は、文学の根本を言い当てている一方で、主婦作家のお気楽なきれいごとでもある。林芙美子のように、がむしゃらに、生活をかけて書き続ける姿勢のほうが普通に生きる人々の共感を得るだろうし、野上弥生子らの、どことなく上から目線の正論には少々疑問が残る。し かし、文学の理想は、野上弥生子の言う通りである。書きたくないことは書かずに、自分が書きたいことだけを書いて生きていく。あくまで自分の文学を貫く。 そのためには少し頭を使って自らを取り巻く環境を整えよう、頑丈な大型船に乗って航海しようというのが王道派・弥生子流だ。彼女はこの方針を曲げ ることなくものを書き続けた。時流に乗るものを無理やり書いて読者に媚びることをしない野上弥生子は、流行作家として脚光を浴びることはなかったが、七十 二歳のときに「迷路」で読売文学賞を、七十九歳のときには「秀吉と利休」で女流文学賞を受賞し、晩年にはその地道な姿勢が、自ずから世間の評価へとつな がった。(山下聖美さん「野上弥生子」(「女脳文学特講」所収)P145)いや、このかた、未完ながら、九十九歳で「森」書いて、日本文学大賞獲ってますから、すごいというか・・・・・。
2012年01月28日
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根井雅弘さんの「サムエルソン『経済学』の時代」を買書つんどく。僕にとって、「サムエルソン」といえば「教科書の人」で、すごい経済学者という認識が、あまりなかったのですけど、すごい人だったみたいですね。「古典的著作となった『経済学』の成立からバージョンアップの過程を追いつつサムエルソンの人と思想を解説する。「サムエルソンの遺産」を述べ、年譜等の資料も充実」(中央公論新社の紹介)
2012年01月27日
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明治末、抑圧されていた女性たちが自立を求めて声を上げた女権運動の波、大正から昭和初期の荒れ狂う社会主義運動の波、そ して第二次世界大戦の狂気に満ちた波。これらのビッグウェーブに、幸か不幸か弥生子は乗ることができていない。ちなみに、本書で取り上げている平 塚らいてうは女権運動の波に、伊藤野枝は社会主義運動の波に、林芙美子は第二次世界大戦の波に良くも悪くも乗ることで、時代の注目を浴びている。一 方で弥生子はというと、時代の波には決して乗らない。波乗りなどと危険なことはしない。たとえれば、彼女は頑丈な大型船の乗組員だ。安定を保ち、危険を冒 すことなく海を渡る。長期に及ぶ航海である。無理はしない。しかし、航海を終えていよいよ陸地にたどりつくときにその長丁場の旅を温かい賛美のなかに迎え られる、そんな人生であった。(山下聖美さん「野上弥生子」(「女脳文学特講」所収)P137)
2012年01月27日
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「こういう言葉をご存知ですかしら。旅は一人に限るって」「旅は一人に限る・・・・・」「戯曲を書き批評 もする日本の作家がいった言葉で す。妙に忘れられないんです、その一句が。旅は一人に限る。なぜなら、二人でしたならばもっと愉しいにちがいないと思うことができるから、というのであ う」「なるほど。で、あなたはどう思いますか。やはり旅は一人に限ると信じていますか」という啓介の質問に、恭子は微笑して答えなかっ た。(野呂邦暢さん「本盗人」(「愛についてのデッサン」所収)P202)
2012年01月26日
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ジョージ・ソウンダース「短くて恐ろしいフィルの時代」を買書つんどく。なんだか、よくわかんないけど、買ってみました。「小 さな小さな“内ホーナー国”とそれを取り囲む“外ホーナー国”。国境を巡り次第にエスカレートする迫害がいつしか国家の転覆につながって…?!「天才賞」 として名高いマッカーサー賞受賞の鬼才ソーンダーズが放つ、前代未聞の“ジェノサイドにまつわるおとぎ話”。」(「BOOK」データベース より)
2012年01月26日
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つかのま、啓介は詩集を閉じて、自分自身のもの思いに耽った。生きることが失うことであるとすれば、失うことが生きることでもあるといえるだろうか。綾部教授がヘミングウェイについて語った言葉を思い出した。長編小説の終り方は、結婚か死か二つしかないと。文学の主題は愛と別れであると。籐椅子にかけて庭の葉鶏頭を眺めながら教授はそう語った。あのとき、教授がうつろな目でガラス戸越しに見ていたのは、葉鶏頭ではなくて、彼自身を愛した女だったのかも知れない。(野呂邦暢さん「ある風土記」(「愛についてのデッサン」所収)P151)
2012年01月25日
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やっぱ人間の科学と叡智は食べても食べても絶対に太らないシュークリームに向けられるべきよゲンパツとかじゃなく80年代の女子3人の、グダグダなガールズ・トークといった感じ。現在は絶版になっているよ うです。あ、ちなみに、この2冊の裏表紙は、岡崎さんの写真になっています。
2012年01月25日
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啓介は起きあがって台所へ行き一人でお茶を淹れて戻った。(若い砂漠、か)と胸の裡でつぶやいた。自分の日常がまさしくそ うではないか。夜ふけ、好きな詩集をひもとくことで得られるささやかな歓びが日々の糧を手に入れるための戦いという砂漠のオアシスだ、と思った。啓介は煙 草に火をつけ時間をかけてゆっくりとくゆらした。詩を味わうには味わうための時間というものがある。いつでも読めるわけではない。啓介は自分が今、詩を受 け入れやすい状態になっていることを意識した。かわいた砂が水を吸いこむように詩のイメージが体細胞のすみずみまで吸収されゆきわたるように感じた。(野 呂邦暢さん「若い砂漠」(「愛についてのデッサン」所収)P108)
2012年01月24日
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アルジャノン・ブラックウッド「秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集」ブラックウッドも、何回も読んでいますが、新訳が出ると買ってしまいます。「芥 川龍之介、江戸川乱歩が絶賛した、イギリスを代表する怪奇小説作家の傑作短編集。古典的幽霊譚「空家」「約束」、吸血鬼と千里眼がモチーフの「転移」、美 しい妖精話「小鬼のコレクション」、詩的幻想の結晶「野火」などのほか、名高いジム・ショートハウスが主人公物の全篇を収める。」(光文社の紹介)
2012年01月24日
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どこかで見たことがある・・・・・啓介は立ちどまった。女もはっと身じろぎしたようだ。しかし速度を上げた列車はみるみるプラットフォームから出て行く。「――さあん」かすかにそう呼ぶ声を聞いたと思った。「啓介さん」と聞こえた。暗闇に吸いこまれる列車の窓から、女は半身をのり出したようにも見えた。トンちゃんに似ていた。あるいは夜行列車に疲れた自分の幻影かもしれない、と啓介は思った。こんな所にトンちゃんがいるはずはないのだから。しかし、トンちゃんでないとしたら、あの声はだれのものなのか。列車は闇の奥に消え、プラットフォームに静寂が戻った。(野呂邦暢さん「愛についてのデッサン」(「愛についてのデッサン」所収)P88)
2012年01月23日
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だれかあたしをたすけておねがいですもう何回読んだかわかりませんが、毎回ストーリーを忘れているおかげで(?)、いつも新鮮です(笑)。いよいよ、「岡崎京子始動!!」といった感じです。
2012年01月23日
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ウィリアム・フォークナー「アブサロム、アブサロム!」を買書つんどく。新訳ブームですね。「九月の午後、藤の咲き匂う古家で、老女が語り出す半世紀前の一族の悲劇。一八三三年ミシシッピに忽然と現れ、無一物から農場主にのし上がったサトペンとその一族はなぜ非業の死に滅びたのか?南部の男たちの血と南部の女たちの涙が綴る一大叙事詩。」(「BOOK」データベースより)
2012年01月22日
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「啓介くん、これ読んだかね」秋月老人は彼に葉巻をすすめながら一冊の本を示した。ベッドの上にページを開いて伏せていた本である。啓介は題名を読んだ。ジェイムズ・パーディー「アルマの甥」。読んだことはないが、著者の名前は聞いたことがある。アメリカの作家だろう、と答えた。「神保町をひやかした折りに何となく面白そうだから買ったんだが、読み出したらやめられない。バーナード・マラムッドよりいい作家じゃないかね」老人はサイドテーブルに積み上げた本の中からマラムッドの「フィデルマンの絵」を取って啓介にくれた。「ひまなときに目を通してごらん。ユダヤ人のものの考え方が良くわかる」(野呂邦暢さん「愛についてのデッサン」(「愛についてのデッサン」所収)P78)
2012年01月22日
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松下竜一さんの「ルイズ 父に貰いし名は」を買書つんどく。伊藤野枝さんがらみで買ってみました。「国家権力によって虐殺されたアナキスト大杉栄と伊藤野枝。父母の遺骨を前に無邪気にはしゃいでいた末娘のルイズは、父の名づけた革命家の名と“主義者の子”の十字架を背負い、戦前戦後を平凡に生きた。そして、やがて訪れた、一人の自立した人間としての目覚め。一年六ヵ月に亘る聞き取りと事実に肉迫する記録者の視線が、一女性の人生と昭和という時代を鮮やかに照射する。講談社ノンフィクション賞受賞作。」(「BOOK」データベースより)
2012年01月21日
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は、前にも書きましたが、どこかに紛れ込んで、見つかりません。シュークリームな(?)作品だったと記憶しています。
2012年01月21日
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「邦光さんが兄の原稿を手放すでしょうか」「もし手放さなかったら?」「あたくしには洋子さんがあなたを長崎によこしたということだけで十分なんです。洋子さんを兄が憎むはずがないわ。あたくしも。佐古さん、洋子さんにお会いになっても長崎であたくしと話したことは黙っていて下さい」明子は車に戻った。酒場が休みの日には一人でドライヴする。兄が走った同じ道をドライヴしていると、傍に兄がすわっているような気がする、と明子はつぶやいた。車は海を左に見て長崎の市街へ引き返しつつあった。(野呂邦暢さん「燃える薔薇」(「愛についてのデッサン」所収)P46)
2012年01月20日
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真梨幸子さんの「殺人鬼フジコの衝動」を買書つんどく。僕としては、なにか唐突感がありますが、「衝動」買いをしてしまった。「一家惨殺事件のただひとりの生き残りとして新たな人生を歩み始めた十一歳の少女。だが彼女の人生はいつしか狂い始めた。「人生は、薔薇色のお菓子のよう」。呟きながら、またひとり彼女は殺す。何がいたいけな少女を伝説の殺人鬼にしてしまったのか?精緻に織り上げられた謎のタペストリ。最後の一行を読んだ時、あなたは著者が仕掛けたたくらみに戦慄し、その哀しみに慟哭する・・・・・。」(「BOOK」データベースより)
2012年01月20日
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女性も自我を確立しなければならないと、一部の進歩的女性たちがやっきになった時代、はたして彼女たちは本当の自分を見つけることができたのだろうか。そもそも男性もまた自我の問題に悩んでいた。自分とはいったいなんなのか。自我とは、明治に入り西洋思考がなだれ込んだ末に輸入された概念であり、皆、それをつかめずに悩んでいた。この悩みは現代にまで続いていく。(中略)伊藤野枝という人は、近代に生まれたこの病を根本的に吹き飛ばしてしまう、プリミテイブな力をもっていた。炎と燃え、同じく炎のような人間たちと交錯しながら、彼女は激動の大正期を「かわいい女」として生きた。(山下聖美さん「伊藤野枝」(「女脳文学特講」所収)P132)
2012年01月19日
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マリオ・バルガス・リョサ「悪い娘の悪戯」を買書つんどく。ノーベル賞を獲って以来の、リョサの翻訳の多さには、ほんとにビックリします。なにしろ、あの「緑の家」ですら絶版だった時期が長く続いていたんですから。「50年代ペルー、60年代パリ、70年代ロンドン、80年代マドリッド、そして東京…。世界各地の大都市を舞台に、ひとりの男がひとりの女に捧げた、40年に及ぶ濃密かつ凄絶な愛の軌跡。ノーベル文学賞受賞作家が描き出す、あまりにも壮大な恋愛小説。」(「BOOK」データベースより)
2012年01月19日
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野枝は、命が限られていることを意識していたからこそ、精一杯、自分の好きなように生きた。彼女は、日々、命がけあった。 命がけのオーラは、生殖本能を刺激し、エロスの匂いを発散させる。野枝はその人生において、独特の野性のエロスを放ちながら、妊娠しては産み、また妊娠し ては産む、という生殖活動を繰り返し、二十八年の人生で七人の子供を産んだ。こうした状況で社会に対して発言することも怠らなかったのであるから、そのパ ワーたるや、ただごとではない。(中略)まさに素晴らしき脱線力ではないか。脱線して止まるのでもなく、脱線した上で、走る力。これぞ伊藤野枝の神髄である。(山下聖美さん「伊藤野枝」(「女脳文学特講」所収)P122)
2012年01月18日
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岡崎京子さんのコミック、「ボーイフレンド is ベター」、「 退屈が大好き」を読みました。両方とも短編集です。「ボーイフレンド is ベター」には、四方田犬彦さんがモデルである「四方田くん」がちょっぴり登場したり、蓮實重彦さんの息子さんと思われる作曲家、「ハスミシゲオミ」さんなんかが出てきます。また、「退屈が大好き」には、中沢新一さんがモデルと思われる「中沢くん」が登場したりもします。遊んどるな。
2012年01月18日
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高遠弘美さん訳「失われた時を求めて2 第一篇「スワン家のほうへII」」を買書つんどく。これはまだまだ続きそうで、いつフィニッシュするのかな・・・・・。「パリ上流社交界の寵児スワンは、高級娼婦オデットを恋人にする。ところが強力な恋敵が現れ、スワンの心は嫉妬に引き裂かれていく。苦悶の果てにスワンが見出したものは……。恋愛心理を鋭く描いた第二部「スワンの恋」。第三部「土地の名・名」も収録。」(光文社の紹介)
2012年01月17日
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昨年は、東日本大震災の年でしたが、僕にとっては、依然1.17は特別な日であり続けます。それでは行ってきます。
2012年01月17日
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辻(潤)は、無名の頃の宮沢賢治を激賞し、ベストセラーを出す前の林芙美子を高く評価している。彼は、まだ見ぬ新しい才能 を発掘し、育てる能力に長けていた。だからこそ、辻にとってみれば、野枝のまだかたちにならないカオスに秘められた才能は大変な魅力であったに違いない。 野枝は、「育てたい」と人に思わせる吸引力をもつ女性であった。野枝を育てたい」と思うのは、なにも男性だけではなかった。女性解放運動のカリス マ的存在・平塚らいてうもまた、野枝を育てた人物の一人である。(中略)・・・・・野枝はとてもかわいがられた。彼女は目立って若かった し、いかにも野暮ったく、貧乏くさかったが、目をきらきらと輝かせ、人の話を熱心に聞く。いろいろなことを教えてあげたい、救ってあげたい、と思わせるか わいい妹分以外の何者でもない。(中略)・・・・・わずか二年後には、明(らいてう)からもぎとるかたちで「青踏」の全権を握ることにな る。そして「青踏」は、野枝の代でその歴史に幕を閉じた。大きな口を開けた貪欲なヒナ鳥は、エサを与える親鳥をも飲み込んでしまったのか。素朴で 野性味あふれる野枝の貪欲さを、高学歴のインテリ女性たちは、軽く見てはいけなかったのだ。(山下聖美さん「伊藤野枝」(「女脳文学特講」 所収)P119)
2012年01月16日
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生年:1895年1月没年:1923年9月明治大正期の女性解放思想家。福岡県糸島郡今宿(福岡市)生まれ。周船寺高小卒業後、地元の郵便局に勤務。明治42(1909)年暮上京し、上野高女4年に編入。そこで辻潤と知る。卒業後、いったん帰郷し、結婚するが、すぐに家制度に反発して出奔。辻と同居、結婚する(画家の辻まことは長男)。大正2年(1913)『青鞜』に参加。大正4年には編集を担当、権威の否定や女性の自立を訴えた。この間大杉栄と知り、『青鞜』の廃刊(1916)後、同居。その年大杉は恋愛のもつれから神近市子に刺される(日蔭茶屋事件)。以後野枝は大杉と結婚、思想と行動を共にした。大正12(1923)年関東大震災の混乱の最中に大杉らと共に軍部に虐殺された(甘粕事件)。享年28歳。<著作>『クロポトキン研究』『乞食の名誉』『二人の革命家』(いずれも大杉との共著)、『伊藤野枝全集』<参考文献>岩崎呉夫『炎の女』(小松隆二) (コトバンクより)
2012年01月16日
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伊藤野枝は生き方があまりにすさまじかったため、そこにのみスポットが当てられ、彼女の書いたものや仕事の輪郭がどうもはっきりと浮かび上がってこない。そもそも伊藤野枝の肩書きはなんなのか。評論家、女性運動化、社会思想家、作家・・・・・そのどれもがしっくりとこないのは、彼女が「原石」のまま、あまりにも早く亡くなってしまったからだ。同時に、その生き方と彼女という存在自体が濃厚過ぎたためでもある。彼女は生前、いい小説を書きたいとか、政治家になりたいなどの具体的な将来像をほとんど語っていない。彼女は「自分の持っているものの芽をのばしたい」と言う。伊藤野枝は本物の伊藤野枝になる、ということだ。(山下聖美さん「伊藤野枝」(「女脳文学特講」所収)P110)
2012年01月15日
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「またまた桜庭一樹読書日記」が更新されていましたので、遅ればせながらご紹介。今回は、望月峯太郎さんのコミック「ドラゴンヘッド」のこと一本です。ただ、面白かったのは、桜庭さんが、人に指摘される形で、自分がなにを書いているのか気づいていくところで、それは、こんなふうです、自分がなにかを葬ろうとして、書いては、また蘇ったそれを埋めようとしてるらしいと気づいた。(中略)・・・・・まだ、“それ”を殺せてないのかな。この戦いが、続くのかな。そして、あるときふっと成功したら、もう書かなくてもすむようになるんだろうか。それとも“それ”はけっして死なないように、あらかじめ丈夫にできてるのかな・・・・・。ところで、今回、なんのコメントもなく、地味に、「最終回」なんて書かれてありましたが、どういうことだろ?
2012年01月15日
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大阪から熱烈な手紙を書いて送り続けた尾竹紅吉もいた。「大阪のへんな人」と見られていた紅吉は、男物の着物と袴に身を包んだ少年のような十九歳の少女で、その言動も含めて大変な変わり者であった。らいてうは、無邪気な彼女をまるで恋人のように、たいそうかわいがったという。紅吉も紅吉で、「らいてうが大好き!」という気持ちを隠さなかった。平塚らいてうという女性は、人を惹きつけてやまない。森田草平との心中未遂事件で世間の注目を浴び、さんざんたたかれたほんの数年後に雑誌「青鞜」とともに再び世の人々の視線を釘付けにした。このようならいてうに憧れの気持ちを抱く女性は多かった。尾竹紅吉はその代表格であるが、「青鞜」に集まる女性は、多かれ少なかれ平塚らいてうのカリスマ性に引き寄せられていた。らいてうは「青鞜」の太陽であったのだ。(山下聖美さん「平塚らいてう」(「女脳文学特講」所収)P101)
2012年01月14日
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サンティアーゴ・パハーレス「キャンバス」を買書つんどく。木村榮一さんの翻訳書だから買っている感はありますが・・・・・。「前代未聞の高額で落札された一枚の名画。しかしその除幕式で絵が披露された瞬間、作者である老画家の表情が一変する。数日後、老画家が息子に明かしたのは驚愕の事実だった…すべての読者の魂を揺さぶる、天成の物語作家の長編小説。」(「BOOK」データベースより)
2012年01月14日
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八月下旬、いよいよ発行日も間近のある夜、明は自室にて原稿用紙に向かっていた。このときばかりは、生田長江に相談することもなく、発起人たちと話し合うこともない。ただただ真っ白な紙と自らの心を向き合わせる。そしてほとばしり出たのが次の文章だ。元始、女性は實に太陽であつた。眞正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である。偖(さ)てこゝに「青鞜」は初聲を上げた。(後略)さらに続く文章を、一息に最後まで書き上げる。気がつけば夜が明けていた。書き終えた後、自らの本名である「平塚明」と署名するのをためらい、「らいてう」と署名する。遥か氷河時代から高山に住み続ける雷鳥のやさしく逞しい姿に、明は自らの未来を託した。こうして、「平塚らいてう」は雑誌「青鞜」とともに誕生した。スキャンダル・ヒロイン・平塚明は、後に日本の女性史に大きな功績を残すヒロイン・らいてうとして生まれ変わった。(山下聖美さん「平塚らいてう」(「女脳文学特講」所収)P99)
2012年01月13日
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遠田潤子さんの「アンチェルの蝶」を買書つんどく。これは、書店で見かけて、帯を読んで、即買いでした。「劣 悪の環境から抜け出すため、罪無き少年は恐るべき凶行に及んだ。25年後の夜。大人になった彼に訪問者が。それは、救いか?悪夢の再来か?母に捨 てられ、父に殴られ、勉強もできず、リコーダーも吹けない。そんな俺でも、いつかなにかができるのだろうか。河口近くの街の、掃き溜めの居酒屋「まつ」の 主人、藤太。客との会話すら拒み、何の希望もなく生きてきた。ある夏の夜、幼馴染みの小学生の娘が突然現れた。二人のぎこちない同居生活は彼の心をほぐし てゆく。しかしそれは、凄惨な半生を送った藤太すら知らなかった、哀しくもおぞましい過去が甦る序章だった。今、藤太に何ができるのか?この切な さ。この高まり。遠田潤子に注目!」(光文社の紹介)
2012年01月13日
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翌朝、明(らいてう)は森田(草平)をうながして雪山へ入る。身軽に歩く明に対して、肥満型の森田は雪に足をとられる。そのたびに明は森田を引っ張りあげる。森田はすでに、ジョルジュのようにイッポリタ(明)の死を見届けたいという気力を失っていた。雪の上にうずくまり「もう歩けない」と訴える。ここにおいて、森田の物語は破綻した。そしてこのとき、彼の構想の殻を突き破り、新たなるヒロインが生き生きと誕生した。雪のなかで眠り入りそうになる森田の命を守るため、夜を徹して彼に身を寄せ続ける明。彼女は寒さのなか、生き延びるために闘う、ひとりの強い女となった。(山下聖美さん「平塚らいてう」(「女脳文学特講」所収)P91)
2012年01月12日
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明石公園のお堀のユリカモメです。今が、一番多いくらいです。カメラを構えていたら、エサをあげるのと誤解されて、手をつっつかれます。いいんだか、悪いんだか・・・・・。
2012年01月12日
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中野美代子さんの「塔里木秘教考」を買書つんどく。「構想25年!」。ちなみに、塔里木は、「タリム」と読むのだそうで・・・・・。「マニ教教祖マーニーの聖なる預言が、1700年の闇を駆け抜け、20世紀中国の広大な沙漠に谺する!国家と民族の裂け目を鋭く穿つ、渾身の書き下ろし力作長篇。」(「BOOK」データベースより)「度重なる原爆実験とウイグル族弾圧!現代中国の現実に影を落とす謎の古写本の正体とは?<国家>と<民族>の裂け目を鋭く穿つ、渾身の書き下ろし力作長編!「魔界ノ水ハ劫火ヲ生ジ、明界ノ水ヲ得テ纔メテ、コノ世ノ水トナル・・・」マニ教教祖マーニーの聖なる預言が、千七百年の闇を駆け抜け、中央アジアを経て、二十世紀中国の、広大な沙漠に谺する!【塔里木(タリム)】中国、新彊ウイグル自治区南部にある盆地。天山・崑崙両山脈とパミール高原に囲まれ、中央にタクラマカン沙漠がある。」(飛鳥新社の紹介)
2012年01月11日
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彫りの深い顔立ち、二重瞼の大きな目、厚い唇は、日本人離れしており、さながらギリシャ神話から出てきた女神のよう。森田 (草平)の目の前に現れた明(らいてう)は、西欧の恋愛小説にのめり込んでいた彼にとって、まさにヒロインそのものであった。さらに明は母親仕込みの洗練 された物腰、背筋の伸びた気品ある姿勢、禅の修業によってつちかった、内から沸き出るような凛とした空気をまとっている。彼女はミステリアスな魅力に満ちていた。ちなみに、森田の師匠である夏目漱石もまた、弟子たちから話を聞き、平塚明という女性に興味を抱いたようだ。「三四郎」のヒロイン・美禰子は明がモデルであると言われている。(山下聖美さん「平塚らいてう」(「女脳文学特講」所収)P88)「是は何でせう」と云って、仰向いた。頭の上には大きな椎の木が、日の目の洩らない程厚い葉を茂らして、丸い形に、水際迄張り出してゐた。「是は椎」と看護婦が云った。丸で子供に物を教へる様であつた。「さう。実は生つてゐないの」と云ひながら、仰向いた顔を元へ戻す、其の拍子に三四郎を一目見た。三四郎は慥かに女の黒眼の動く刹那を意識した。其時色彩の感じは悉く消えて、何とも云へぬ或物に出遭った。其或物は汽車の女に「あなたは度胸のない方ですね」と云はれた時の感じと何処か似通つてゐる。三四郎は恐ろしくなつた。二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若い方が今迄嗅いで居た白い花を三四郎の前へ落としていつた。三四郎は二人の後姿を凝と見詰めて居た。看護婦は先へ行く。若い方が後から行く。華やかな色の中に、白い薄を染め抜いた帯が見える。頭にも真白な薔薇を一つ挿してゐる。其薔薇が椎の木陰の下の、黒い髪の中で際立つて光つていた。三四郎は茫然してゐた。やがて、小さな声で「矛盾だ」と云つた。(「三四郎」岩波版漱石全集第五巻P302)
2012年01月11日
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結局、わたしたちはそれぞれがそれぞれのやり方で、みんな鮎太朗を愛したのだ。まっとうな方法じゃなかった。でも、 鮎太朗相手では、誰でもそんなふうになるのは仕方ない。止められない。鮎太朗は、わたしたちのいびつなところをさらにいびつに伸ばしていくのし棒だ。そし てわたしたちは、そういう彼に、とことんのされたいのだ。(青山七恵さん「わたしの彼氏」P352)というわけで、青山七恵さんの「わたしの彼氏」を読みました。青山さんが書かれたものには、今までも、なにか「いびつ」なものを感じていましたが、今回、「鮎太朗」という、存在そのものが、なにか「いびつ」な人物が、主人公で、はまってしまいました。もう、「いびつ」さ全開です。ただ、今回は、本そのものは面白かったんですが、長々とメモりすぎて、僕自身、印象がぼけて、何が何だかわからなくなってしまいました(笑)。やはり、読むのには、適当な速度というものがあるようです。なにはともあれ、今のところ、僕としては、青山さんでは、やっぱり「ひとり日和」と、衝撃力の「魔法使いクラブ」の印象が、鮮明に残っています。そんなこんなで、引き続き、「あかりの湖畔」を読んでいきます。
2012年01月10日
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根井雅弘さんの「20世紀をつくった経済学 シュンペーター、ハイエク、ケインズ」を買書つんどく。僕にちょうどよい、ちくまプリマー新書ですが、この本は、「経済学はこう考える」の続編なんだそうです。「二十世紀をつくったと言われる経済学者たちは何をどう考えたのか。自由主義とは何か?社会主義とは何か?不況はなぜ起きるのか?経済学者たちが考え、苦闘した思想の痕をたどりながら、二十一世紀を生きる私たちに、資本主義の本質を問いなおす。」(「BOOK」データベースより)
2012年01月09日
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しかし明(らいてう)は、花嫁修業の授業をボイコットし、「海賊組」を結成するなど、まったく色気なしの女学校生活を送っ ている。身なりにかまうわけでもなく、顔も真っ黒。与謝野晶子の「みだれ髪」が出版され、その恋の熱情に多くの若者が夢中になっていた頃、「こんな軟派な もの」と軽蔑したという。それもそのはず、彼女に初潮がおとずれたのは十七歳。明は、精神的にも肉体的にもおく手であったのだ。年頃であるはずの娘が男性 の目を意識しないのであるから、恥じらいはない。さらに、裕福な都会の家に育ったらいてうには世の中に対する引け目がない。この世にこわいものはない、と いう状態だ。(山下聖美さん「平塚らいてう」(「女脳文学特講」所収)P83)
2012年01月09日
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「そしたら君は・・・・・?」「僕はなんでもありません」そう答えた瞬間、鮎太朗は自分の身代わりからようやく開放されたと思った。しかしかんじんの自分本体が、今こそ出番だというのにすぐに駆けつけてきてくれない。(中略)いくら一人きりで家に閉じこもってみても、海辺の街へ逃げたとしても、自分本体は迎えにこないし追いかけてきてもくれない。だったら今ここで待機している自分はなんなのか?あそこに書かれているように、「おとうと」でしかないのか、それとも・・・・・でもそうだ、自分が自分自身だけであったときなんて、今まで一度もなかった。自分は常に誰かの弟であり息子であり彼氏だったではないか・・・・・。生きている限り、自分にそれ以外のありようは許されていないようにも感じた。約束なのか、呪いなのか、はっきりしないけれども、とにかくそれは定められていることなのだった。(中略)つまるところ反復なのだ。誰かに救われたのならば、その瞬間から次の救い手を探さなくてはいけないのだ。こうして呪いは繰りかえされる。そうなれば結局、命ある限り永遠に、その連鎖を止める決定的な誰かを探さなくてはいけないことになるのだろう、・・・・・。(中略)そうだ、全部の呪いがとけたところで、自分はいったい何になりたいと願っているんだろう・・・・・。鮎太朗は、その答えをすでに知っている気がした。そしてそれが、長く待ちわびたわりには、ろくなものではないこともなんとなく知っていた。(青山七恵さん「わたしの彼氏」P375)
2012年01月08日
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恩田陸さんの「夢違(ゆめちがい)」を買書つんどく。恩田さんの小説はラストで失速してしまうことが、ままある、のですが、この本はどうでしょうか?「夢 を映像として記録し、デジタル化した「夢札」。夢を解析する「夢判断」を職業とする浩章は、亡くなったはずの女の影に悩まされていた。予知夢を見る女、結 衣子。俺は幽霊を視ているのだろうか?そんな折、浩章のもとに奇妙な依頼が舞い込む。各地の小学校で頻発する集団白昼夢。狂乱に陥った子供たちの「夢札」 を視た浩章は、そこにある符合を見出す。悪夢を変えることはできるのか。夢の源を追い、奈良・吉野に向かった浩章を待っていたものはー。人は何処まで“視 る”ことができるのか?物語の地平を変える、恩田陸の新境地。」(「BOOK」データベースより)
2012年01月08日
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元始、女性は実に太陽であった。――平塚らいてうの主張における主語は多くの場合「女性」という不特定多数である。女性たちの地位の向上を目指して世の中と闘ってきた、というイメージが彼女にはつきまとう。「チーム・女性」の代表者、平塚らいてうといったところか。しかし、彼女はそうした女性一般のグループやチームの枠を軽々と越えて、強烈に「らいてう」というひとつの個性を放つ存在であった。言うならば、ピッチャー兼四番打者のような人であり、バンドのボーカルのような存在。らいてうそのものが太陽のような人であった。(山下聖美さん「平塚らいてう」(「女脳文学特講」所収)P75)
2012年01月07日
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生年: 明治19.2.10.(1886) 没年: 昭和46.5.24.(1971) 評論家、女性解放運動家。東京生まれ。本名明(はる)。父会計検査院高官平塚定二郎と母光沢(つや)の3女。明治36(1903)年日本女子大に入学するが、良妻賢母教育に失望、哲学書に親しみ、参禅し自我を追求する。39年卒業後、成美女子英語学校に通い閨秀文学会に参加。41年森田草平と塩原(栃木県)で心中未遂事件を起こし、世間の注目を浴びる。翌42年森田は事件を小説『煤煙』に描いて発表。生田長江に勧められ、44年9月女性のための文芸誌『青鞜』を発刊。創刊の辞「元始、女性は太陽だった」は、今日に繋ぐ女権宣言となる。以後『青鞜』は女性解放思想の拠点となった。大正3(1914)年、5歳年下の画学生奥村博史と法律によらない自由な結婚を実践、1男1女をもうける。エレン・ケイの『恋愛と結婚』翻訳を契機に、その思想に共鳴、育児を社会的仕事と位置づけ、母性の尊重を主張した。7年、与謝野晶子、山川菊栄らと『婦人公論』誌上で、母性保護論争を展開。8年市川房枝、奥むめおらと初の女性による政治的市民団体・新婦人協会を結成。治安警察法案5条(婦人参政の禁止)改正を中心として対議会活動を行うが、2年後運動 から退く。昭和5(1930)年高群逸枝らの無産婦人芸術連盟に参加、『婦人戦線』に関与した。また、協同自治社会の理想をめざして、成城に消費組合を設立。第2次大戦後は,全面講和、再軍備反対の声明発表など、平和問題に発言。婦人団体連合会初代会長、新日本婦人の会代表委員なども歴任。終焉まで女性解放運動の先頭に立つ。<著作>『平塚らいてう著作集』全7巻・補1<参考文献>井手文子『平塚らいてう』 (山口美代子)(コトバンクより)
2012年01月07日
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みだれごこちまどいごこちぞ頻なる百合ふむ神に乳おほいあへず乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅ぞ濃き情熱的な恋や女性のエロスをうたって鮮烈にデビューを果たした晶子の神髄は、人間に対しての大きな愛である。彼女はいちばん身近なただ一人の夫を、ひと筋に惚れぬくことによって、恋が普遍的な愛へ昇華することを体現した。彼女の人生を振り返りながら「みだれ髪」を読むとき、一見、エロス的なものに見える「乳」という表現は、育み、包み込む、大きな母性へと姿を変えていくのである。(山下聖美さん「与謝野晶子」(「女脳文学特講」所収)P70)
2012年01月06日
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