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ふたたびペチュニア、プラスうちの柴ワンコがうしろに・・・・・。
2011年07月31日
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図書隊は正義の味方じゃないんだから、と柴崎もそれを言うのだろうか。入隊してからもう郁が何度も他の人から聞いたことを。だが、柴崎の台詞はもっと辛辣だった。「お膳立てされたキレイな部隊で戦えるのはお話の中の正義の味方だけよ。現実じゃ誰も露払いなんかしてくれないんだから。泥被る覚悟がないんなら正義の味方なんか辞めちゃえば?」鋭利な刃物のような言葉で――斬られた。甘ったれた自分を。とっさに俯くと、コタツの上掛けの上に水が二粒転がり落ちた。三つ、四つ、五つと続く。「ごめ・・・・・」ごめんなさいって、誰に。柴崎に言うのはおかしい。そう思って途中で言葉を止めた。代わりにそうだねと言おうとしたら、柴崎が黙らせるように横から抱きついた。柔らかくていい匂いがした。「嘘よ、ごめん。あんたはそうだねとか言わなくていいわ、こんなこと。ちょっと意地悪言ってみたかっただけよ」柴崎らしくないウェットさに却ってとまどう。「あんた純粋すぎてたまにいじめたくなるのよ。でももしそれであんたが物分りのいい顔したら、あたしはきっとがっかりすんのよ。他のみんなも」(有川浩「図書館内乱」P65)
2011年07月31日
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「銀座通りを歩いたわけね」「はい」「「銀ぶら」というんでしょう」「さようでございますか」「そうなのよ。ああ、兄がいってたけど、夜店が有名なんでしょう」「はあ、日没から東側にずらりと並びます。銀座八丁と申しますが、その一丁目から七丁目にかけまして、あらゆる種類の店が並んでおりました」「楽しそうねえ」「申し訳ございません」と、ベッキーさんが律儀に謝る。(「銀座八丁」(「街の灯」所収)P157)
2011年07月30日
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「春の朝」 ロバアト・ブラウニング時は春、日は朝(あした)、朝(あした)は七時、片岡(かたをか)に露みちて、揚雲雀(あげひばり)なのりいで、蝸牛枝(かたつむりえだ)に這(は)ひ、神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。(上田敏訳)
2011年07月30日
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「彼女にとって、今、一番大切なものは、守るべきあなたでしょう。いや、そうである筈だ。だとしたら、覚悟がないわけはない。そして、その覚悟が――自分自身、心地よい筈だ」わたしが子供だったら、そんな言葉はかけられなかったろう。逆に大人でも。十と二十の真ん中辺りという、わたしのどっちつかずの年齢が、そういう言葉を吸い込ませるのに適当な砂地になったのだろう。その時の勝久様は、誰かに話しかけるというより、思ったことをただ口にしているような感じだった。(「銀座八丁」(「街の灯」所収)P151)
2011年07月29日
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赤坂憲雄さん、小熊英二さん、山内明美さんの「「東北」再生」を買書つんどく。とりあわせが興味深かったので買ってみました。「「東北学」提唱者・復興構想会議委員、近代日本への大胆かつ緻密な論証で知られる社会学者、南三陸町出身の研究者によるエキサイティングな鼎談と論考。戦後社会の社会構造そのものを見据え、日本という国における「生のあり方」を問い直す。岩手出身の漫画家・吉田戦車による装画。」(イースト・プレスの紹介)
2011年07月29日
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「――こうして見ると、まさにあちらは下界だなあ」車が行き交い、また大勢の人が京橋や新橋の方からやって来ては過ぎて行く。おじいさんおばあさんから、モダンボーイ、モダンガール、お坊ちゃんにお嬢ちゃんもいるに違いない。その小さな頭が、水のように流れて行く。中の誰かが、仮に時計塔を仰いだところで、まさか、そこから今、自分を見下ろしている者がいようとは思うまい。不思議な天空の「眼」になったような気分だ。屋根裏を散歩し、下の暮らしを見つめた男も、こんな気持ちになったのだろう。(「銀座八丁」(「街の灯」所収)P90)
2011年07月28日
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また、玄関前のキキョウ。それと、ペチュニアです。
2011年07月28日
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後悔はしない。だがもう同じ真似はしない。微妙な時期に自分一人の感情任せの勇み足で原則派全体の立場を危うくした。そのことを堂上は今に至るも許していない。後先考えない軽率さと感情に流される脆弱さ。それはそのときから堂上が最も忌避する自分の欠点である。それを克服したと思ったところへ郁だ。正直かなり打ちのめされた。何でお前は今さら来る。しかも――堂上が欠点と切り捨てたものを全部後生大事に抱えて。(有川浩「図書館戦争」P331)というわけで、有川浩さんの「図書館戦争」を読みました。まるでマンガみたい。というか、マンガよりもベタかもしれない。というか、マンガよりもベタである(笑)。しかし、「図書館の自由に関する宣言」なんてものが、ほんとうに存在することには、目からうろこがバラ落ちでした。なにはともあれ、引き続き「図書館内乱」へと進んでみます。
2011年07月27日
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いや、昔はこんな据え付けのゴミ箱が各戸にあったように思います。ゴミの収集はどうしとったんやろ?
2011年07月26日
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三浦佑之さんの「古事記を旅する」を買書つんどく。これもって、旅に出たい!ところで、この三浦佑之さんって、作家三浦しおんさんのお父さんなんですね。「国生み神話発祥の地からヤマトタケル終焉の地まで日本全国75カ所を『口語訳 古事記』の著者が案内する決定版ガイドブック。古事記ゆかりの土地や神社だけでなく、祭事や神楽も紹介している。古事記編纂1300年を迎える年にぜひ、この一冊を手に神話の世界にタイムトリップしたいもの。奈良、出雲、伊勢のルートガイド付き。」(「BOOK」データベースより)
2011年07月26日
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「お前が辞めても別に困らない。他の誰でもだ。替えが効かないと思ってても抜ければその穴は誰かで埋まるんだ」言い放った堂上がしばらくしてから、「だが惜しくはなるかもな」と付け加えた。畜生。それが嬉しい。「辞めません。親にばれても大騒ぎされても絶対。あたしこの仕事好きだし」自分より肩の低い、だが大きな背中に宣言する。「あたしはあんたを超えるんです。だから絶対辞めません」お前定年来ても辞めないつもりか、と堂上は振り返らずに最大級の挑発を返した。(有川浩「図書館戦争」P337)
2011年07月25日
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うちのテッポウユリです。ちょっと花粉が散ってしまってますが・・・・・。
2011年07月25日
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禁煙2か月が経過し、長いトンネルを抜け、ようやく回復基調に入ってきたような気がします。やれやれ・・・・・。これからは、普通の生活ができるんとちゃうやろか?
2011年07月24日
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これは、ほんとうに別のお風呂屋さん。煙突がちょっと今ふう。
2011年07月24日
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「・・・・・そこで、この男の部屋を見たら、江戸川乱歩の本が、いっぱい置いてあったんですって。――ベッキーさん、江戸川乱歩ってご存じ」この名は、新聞を見ていれば嫌でも眼に飛び込んでくる。雑誌や本の広告欄だ。気味の悪い絵と共に、令嬢虐殺とか誘拐とか、吸血鬼などと大きく書かれた文字が、すぐに眼に浮かぶ。良家の子女が、存在を知っていてはならぬ人だ――という気配は感じられるので、誰にもうかつに聞けない。「探偵小説を書かれる方でございますね。この間、全集が出て、随分と派手な宣伝をしていました」「そうそう」「権田さんの、その愛読者だったわけですね」「ええ、耽溺していた。それでね、乱歩の書いたものに、お墓を暴いたり、墓穴に死体を埋めたりするのもあるんですって。そんな影響で、穴でも掘って死んだんじゃないかって書いてあったわ」ベッキーさんは首をひねる。「・・・・・それも、妙でございますねえ」「乱歩なんか読んでるんだから、猟奇の徒。何するか分からないっていう調子よ」(「虚栄の市」(「街の灯」所収)P58)
2011年07月23日
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前に、夜撮った交番です。
2011年07月23日
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応接間に入ると、椅子に腰掛けていた人が立ち上がり、深々と礼をした。若い女の人だった。髪はごくありふれた耳隠し。特別なものを着ているわけでも、派手やかな帯を締めているわけでもないのに、辺りが明るくなる感じだった。それは西欧風の、睫の長い、瞳の大きな眼のせいかも知れなかった。その眼をさらに強く見せているのが、上がり気味に弧を描く眉だった。(中略)昔なら、この人の顔が和服の上にあるのも、日本人形がきりりとし過ぎているように、取り合わせのおかしなものだったかも知れない。しかし現代風というより少し先を行ったような、はっきりとした目鼻立ちが、今の女学生であるわたしには、好ましく思えた。「うちで働いてもらう方だが、今日は、まだお客様だ。――お前とは顔合わせをしておいた方がよかろう」女の人は、涼やかに名乗った。「別宮みつ子と申します」読み終えたばかりの本のことが頭にあったから、その「べっく」という珍しい姓の響きが耳に入った時、反射的に、・・・・・あ、ベッキーさん。と思ってしまった。(「虚栄の市」(「街の灯」所収)P35)
2011年07月22日
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藤沢清造さんの「根津権現裏」を買書つんどく。あとがきは、西村賢太さん。そこでも触れられていますが、西村さんが芥川賞を受賞されたからこその、文庫化でしょう。「根津権現近くの下宿に住まう雑誌記者の私は、恋人も出来ず、長患いの骨髄炎を治す金もない自らの不遇に、恨みを募らす毎日だ。そんな私に届いた同郷の友人岡田徳次郎急死の報。互いの困窮を知る岡田は、念願かない女中との交際を始めたばかりだったのだがー。貧困に自由を奪われる、大正期の上京青年の夢と失墜を描く、短くも凄絶な生涯を送った私小説家の代表作。」(「BOOK」データベースより)
2011年07月22日
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この書は、サッカレが、弘化二年に筆を起こし、初めて一冊に纏まったのは嘉永元年初夏のことという。もう少しで、浦賀に黒船がやって来ようという頃だ。日本を太平楽に眠らせておいてくれなかった西欧は、その頃どんなだったかというと、工業が発展し、俗物どもが地に満ち、「百鬼夜行の體たらく、何うしても文字通りの「虚栄の市」であったのだ」――といわれると、教室で授業を受けているようだ。もっとも、こんな講義は、決してないだろうけれど。その「怪物共に踏み付けられて、貧に苦しみ、病に泣いてゐた」下層社会を描いたのがチャールズ・ディッケンズ。「直ちにその怪物共に取つて懸つて、その虚栄と、偽善と、可笑しさを暴露し、殆ど完膚なきまでにやつたのがサッカレその人であらう」。この書を、若き作者は「ヒイロオなき小説」と呼んだ。その意味するところは、旧式の小説におけるがごとき「内裏雛や五月人形のやうな連中は」登場させぬという、決意の表れではないかと、平田氏はいう。そしてこの「ヒイロオなき」大長編の主人公こそ、レベッカ・シャープという女性らしい。(「虚栄の市」(「街の灯」所収)P23)
2011年07月21日
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モーシン・ハミッド「コウモリの見た夢」を買書つんどく。「彼」の語りではなく、「僕」の語りですか。「「何かお手伝いいたしましょうか?」ある日の午後、ラホールの旧市街アナールカリ・バザールの近くで「僕」は何かを探している様子のアメリカ人と思しき男に声をかける。警戒する男に「僕」は、自分もアメリカのプリンストン大学を卒業し、ニューヨークの第一線で仕事をしていた人間だ、と切り出す。そして不思議な運命に翻弄された自分の半生を語りだした―ニューヨークでの生活、仕事、アメリカンドリーム、恋、そして9.11。暖かな午後が夕暮れを迎え、そして夜の帳が下りるころ、「僕」の物語は不穏な様相を呈しはじめ・・・・・。パキスタン人作家が描く、「グレートギャツビー」と「ノルウェイの森」の世界。そして、9.11後のアメリカ。ブッカー賞最終候補作。」(「BOOK」データベースより)
2011年07月21日
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「図書館は学校の延長機関ではなく、また家庭の躾の代行機関でもありません。もちろん、教育の一助となることを否定するものではありませんが、開放された多様な図書の中から子供たちが自由に本を選択できる環境を提供することが自立への支援になると考えています。そして何より、娯楽作品との距離の取り方は保護者が指導するべきものです。その責任を学校や図書館に求めることは、保護者としての責任を放棄していることになるのではありませんか?」終始決して荒げることのなかった稲嶺の声そのものが説得力となった。「「考える会」並びに保護者の皆さんには、保護者の責任を果たすことを何より優先して考えて頂きたい。そのとめの手助けが欲しいということであれば、図書館は資料の提供や児童室の読書指導ノウハウの公開など、あらゆる協力を惜しみません」(有川浩「図書館戦争」P262)
2011年07月20日
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この和風の建物は?実は公会堂なんです。この日は、空手かなんかを練習してました。
2011年07月20日
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まず、このお話の舞台は、昭和7年になっています。昭和4(1929) 世界恐慌昭和6(1931) 満州事変昭和7(1932) 五・一五事件 昭和8(1933) ヒトラーがドイツ首相に就任というような時代です。そして、このシリーズは、最終、昭和11(1936)年の二・二六事件までの話のようです。「昭和七年、士族出身の上流家庭・花村家にやってきた女性運転手別宮みつ子。令嬢の英子はサッカレーの『虚栄の市』のヒロインにちなみ、彼女をベッキーさんと呼ぶ。新聞に載った変死事件の謎を解く「虚栄の市」、英子の兄を悩ませる暗号の謎「銀座八丁」、映写会上映中の同席者の死を推理する「街の灯」の三篇を収録。」(「BOOK」データベースより)
2011年07月19日
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サミュエル・R・ディレイニー「ダ-ルグレン」を買書つんどく。また、こんな「大作」を買ってしまった。「都市ベローナに何が起きたのか-多くの人々が逃げ出し、廃墟となった世界を跋扈する異形の集団。二つの月。永遠に続く夜と霧。毎日ランダムに変化する新聞の日付。そこに現れた青年は、自分の名前も街を訪れた目的も思い出せない。やがて“キッド”とよばれる彼は男女を問わず愛を交わし、詩を書きながら、迷宮都市をさまよいつづける…奔放なイマジネーションが織りなす架空の都市空間を舞台に、性と暴力の魅惑を鮮烈に謳い上げ、人種・ジェンダーのカテゴリーを侵犯していく強靱なフィクションの力。過剰にして凶暴な文体、緻密にして錯乱した構成、ジョイスに比すべき大胆な言語実験を駆使した、天才ディレイニーの代表作にしてアメリカSF最大の問題作。」(「BOOK」データベースより)
2011年07月19日
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学校図書館は根拠法が学校図書館法になり、図書館法を根拠法とする公・私立図書館とはその系統を画する。つまり図書館の自由法の対象外であり、もともと検閲図書を収集する権限がない。司書や司書教諭が個人的に買ったものを寄贈する形で所蔵することはあるが、それにしてもその量は微々たるものであり、それゆえメディア良化委員会の検閲からは基本的に除外されている。図書隊も学校図書館との交流には日本図書館協会を介し、必要のない限り直接の交流は持たない。迂闊に図書隊と関係すると、却って良化特務機関にマークされるためである。これが大学図書館になると自治権で公権力に対抗し、これもまた図書館法の枠を外れる。(有川浩「図書館戦争」P219)
2011年07月18日
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なでしこジャパン、ありがとうございます!ところで、今度は、新しく仲間入りした、招き猫です。
2011年07月18日
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「そういうもんか」「やっぱ女の子は「キズモノ」って概念があるから。「顔に傷でも残ったらお嫁にいけなくなるよ」って女の子の親の常套句だもん」「キズモノだからって弾くような男と結婚するのは構わないのか、それ」手塚はますます怪訝な様子である。「そこまで深く考えてないって、親は。女の子は女の子らしく、危ないことはしちゃいけませんって定型文みたいなもんだし」とは言いつつ、ああ昔その返しが思いついてたらなぁなどと子供の頃を思い返す。使い古された叱り文句だが、改めて考えてみると何かと引っかかる言い分だ。(有川浩「図書館戦争」P210)
2011年07月17日
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橋爪大三郎さん、大澤真幸さんの「ふしぎなキリスト教」を買書つんどく。この本、よく売れているみたいですね。「日本人の神様とGODは何が違うか?起源からイエスの謎、近代社会への影響まですべての疑問に答える最強の入門書。挑発的な質問と明快な答え、日本を代表する二人の社会学者が徹底対論。」(「BOOK」データベースより)
2011年07月17日
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「憧れてる人がいるのよ。その人追いかけてるとこだから今は誰が好きとかそういう余裕ない」堂上のことかとごく自然に思った。「だったら俺も仲間だな」そう言うと郁はすごい勢いで目を怒らせた。「違うから。あんたは堂上教官でしょどうせ。あたしは違うから。あたしはあれは超えるから。あんたと一緒にしないで」「ふっ・・・・・ざけんなよお前!」呆れたあまり手塚は語気を強くした。「お前が超えるとか百年早ぇよ、お前が超えるこらいなら俺が先に超えるわ!」「うるさい、超えるったら超えるのよっ!」意固地な声に重ねて呆れ返り、それ以上は反駁しなかったが――こんな身の程知らずがどのように堂上に似ているというのか、小牧がこの場にいたら問い質したいような気分になった。(有川浩「図書館戦争」P199)
2011年07月16日
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歌川広重の「月に雁」「こむな夜か 又も有うか 月に雁」
2011年07月16日
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本には求める人の気持ちがいつでも寄せられている。そして著す人の気持ちも。図書隊員は本を守っているのじゃない。寄せられる人の気持ちを守っているのだ。――なんて、これはちょっと生意気かしら新米の分際で。「おねえちゃん、ありがとう」子供が笑う。本が好きだった子供の頃の自分がそこにいた。その頭をそっと撫でたのは無意識だった。その手はちゃんと優しいだろうか。あたしは少しはあの人に近づけたかしら。(有川浩「図書館戦争」P67)
2011年07月15日
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2011年07月15日
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検閲がかかると分かっているのに――何もしないなんて。「見過ごすんですか」知らず詰る口調になった郁に、玄田も厳しい顔になった。「履き違えるな、笠原。俺たちは正義の味方じゃない」言葉がガツンと脳に入った。「図書隊の権限は図書館を守るためのものだ。適用範囲を考えなしに拡大してたら三十年かけて成立した暗黙の交戦規定が崩壊しかねん。抗争範囲を市街にまで拡大する気か」玄田の言うのは確かに道理だ。だがそれを飲み込めない自分がいる。(有川浩「図書館戦争」P59)
2011年07月14日
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ピンクに引き続き、紫と白も咲き始めました。
2011年07月14日
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公序良俗を乱し、人権を侵害する表現を取り締まる法律として「メディア良化法」が成立・施行されたのは昭和最終年度である。検閲の合法化自体が違憲であるとする反対派を押し切って成立した同法は、検閲に関する権限が曖昧で拡大解釈の余地が広く、検閲の基準が執行者の恣意で左右される可能性をほとんど意図的に含んだかのごとき内容であった。(中略)そんな情勢下、メディア良化法の検閲権に対抗する勢力となることを期待されて成立したのが通称「図書館の自由法」――既存の図書館法全三章に付け加える形で成立した図書館法第四章である。図書館法第四章 図書館の自由第三〇条 図書館は資料収集の自由を有する。第三十一条 図書館は資料提供の自由を有する。第三十二条 図書館は利用者の秘密を守る。第三十三条 図書館はすべての不当な検閲に反対する。第三十四条 図書館の自由が侵される時、われわれは団結して、あくまで自由を守る。(有川浩「図書館戦争」P16)一方、メディア良化委員会に唯一対抗できる根拠法を持つ図書館もこの三十年の間にその姿を大幅に変えた。検閲を退けてあらゆるメディア作品を自由に収集し、かつそれらを市民に供する権利を併せ持つ公共図書館は、メディア良化委員会にとってほとんど唯一の警戒すべき「敵」となった。検閲における良化特務機関の示威行動は坂道を転がり落ちるようにエスカレートし、またそれに対抗する図書館も防衛力を追及し、全国の主要な公共図書館は警備隊を持つに至る。結果として良化特務機関と図書館の抗争は激化の一途をたどった。抗争の歴史は両組織の武装化の歴史でもあった。(有川浩「図書館戦争」P19)
2011年07月13日
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「またまた桜庭一樹読書日記」が更新されていますので、ご紹介。今回は、イスマイル・カダレ「死者の軍隊の将軍」、津原泰水さん「五色の舟」(「11」所収)、 佐野洋子さんのエッセイ「死ぬ気まんまん」、 ウィルキー・コリンズ「白衣の女」、 塩野七生さん「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」などです。
2011年07月13日
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「・・・・・でも――お爺さん、やっぱり甘いよ」(中略)「物語をつくるのなら、もっと本気でやらなくちゃ」その言葉に泰造は、ミチオが身を置いている世界を、一瞬垣間見たような気がした。(道尾秀介さん「向日葵の咲かない夏」P415)というわけで、道尾秀介さんの「向日葵の咲かない夏」を読みました。「ミチオ」の「世界」内部の物語なのか、現実に起こっていることなのか、よくわからない、というか、それはどうでもいいことなのかもしれませんね。僕としては、最初から「ミチオ」の「世界」として、無理に客観化しようとしていないと思えるからか、「シャドウ」よりなじみやすいようにも感じました。でも、こういう、あんまりにもわけのわからない、生きづらい「世界」には居たくない、とも思います。ミステリ、というよりダーク・ファンタジーのように思いましたが、それはそれとして、引き続き、「月と蟹」を読んでみることにしました。
2011年07月12日
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図書館の自由に関する宣言日 本 図 書 館 協 会1 9 5 4 採 択 1 9 7 9 改 訂 図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。 1. 日本国憲法は主権が国民に存するとの原理にもとづいており、この国民主権の原理を維持し発展させるためには、国民ひとりひとりが思想・意見を自由に発表し交換すること、すなわち表現の自由の保障が不可欠である 知る自由は、表現の送り手に対して保障されるべき自由と表裏一体をなすものであり、知る自由の保障があってこそ表現の自由は成立する。 知る自由は、また、思想・良心の自由をはじめとして、いっさいの基本的人権と密接にかかわり、それらの保障を実現するための基礎的な要件である。それは、憲法が示すように、国民の不断の努力によって保持されなければならない。 2. すべての国民は、いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する。この権利を社会的に保障することは、すなわち知る自由を保障することである。図書館は、まさにこのことに責任を負う機関である。 3. 図書館は、権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、自らの責任にもとづき、図書館間の相互協力をふくむ図書館の総力をあげて、収集した資料と整備された施設を国民の利用に供するものである。 4. わが国においては、図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。図書館は、この反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任を果たすことが必要である。 5. すべての国民は、図書館利用に公平な権利をもっており、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない。 外国人も、その権利は保障される。 6. ここに掲げる「図書館の自由」に関する原則は、国民の知る自由を保障するためであって、すべての図書館に基本的に妥当するものである。 この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。第1 図書館は資料収集の自由を有する 1. 図書館は、国民の知る自由を保障する機関として、国民のあらゆる資料要求にこたえなければならない。 2. 図書館は、自らの責任において作成した収集方針にもとづき資料の選択および収集を行う。その際、 (1) 多様な、対立する意見のある問題については、それぞれの観点に立つ資料を幅広く収集する。 (2) 著者の思想的、宗教的、党派的立場にとらわれて、その著作を排除することはしない。 (3) 図書館員の個人的な関心や好みによって選択をしない。 (4) 個人・組織・団体からの圧力や干渉によって収集の自由を放棄したり、紛糾をおそれて自己規制したりはしない。 (5) 寄贈資料の受入にあたっても同様である。図書館の収集した資料がどのような思想や主 張をもっていようとも、それを図書館および図書館員が支持することを意味するものではない。 3. 図書館は、成文化された収集方針を公開して、広く社会からの批判と協力を得るようにつとめる。第2 図書館は資料提供の自由を有する 1. 国民の知る自由を保障するため、すべての図書館資料は、原則として国民の自由な利用に供されるべきである。 図書館は、正当な理由がないかぎり、ある種の資料を特別扱いしたり、資料の内容に手を加えたり、書架から撤去したり、廃棄したりはしない。 提供の自由は、次の場合にかぎって制限されることがある。これらの制限は、極力限定して適用し、時期を経て再検討されるべきものである。 (1) 人権またはプライバシーを侵害するもの (2) わいせつ出版物であるとの判決が確定したもの (3) 寄贈または寄託資料のうち、寄贈者または寄託者が公開を否とする非公刊資料 2. 図書館は、将来にわたる利用に備えるため、資料を保存する責任を負う。図書館の保存する資料は、一時的な社会的要請、個人・組織・団体からの圧力や干渉によって廃棄されることはない。 3. 図書館の集会室等は、国民の自主的な学習や創造を援助するために、身近にいつでも利用できる豊富な資料が組織されている場にあるという特徴を持っている。 図書館は、集会室等の施設を、営利を目的とする場合を除いて、個人、団体を問わず公平な利用に供する。 4. 図書館の企画する集会や行事等が、個人・組織・団体からの圧力や干渉によってゆがめられてはならない。第3 図書館は利用者の秘密を守る 1. 読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法第35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする。 2. 図書館は、読書記録以外の図書館の利用事実に関しても、利用者のプライバシーを侵さない。 3. 利用者の読書事実、利用事実は、図書館が業務上知り得た秘密であって、図書館活動に従事するすべての人びとは、この秘密を守らなければならない。第4 図書館はすべての検閲に反対する 1. 検閲は、権力が国民の思想・言論の自由を抑圧する手段として常用してきたものであって、国民の知る自由を基盤とする民主主義とは相容れない。 検閲が、図書館における資料収集を事前に制約し、さらに、収集した資料の書架からの撤去、廃棄に及ぶことは、内外の苦渋にみちた歴史と経験により明らかである。 したがって、図書館はすべての検閲に反対する。 2. 検閲と同様の結果をもたらすものとして、個人・組織・団体からの圧力や干渉がある。図書館は、これらの思想・言論の抑圧に対しても反対する。 3. それらの抑圧は、図書館における自己規制を生みやすい。しかし図書館は、そうした自己規制におちいることなく、国民の知る自由を守る。図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。 1. 図書館の自由の状況は、一国の民主主義の進展をはかる重要な指標である。図書館の自由が侵されようとするとき、われわれ図書館にかかわるものは、その侵害を排除する行動を起こす。このためには、図書館の民主的な運営と図書館員の連帯の強化を欠かすことができない。 2. 図書館の自由を守る行動は、自由と人権を守る国民のたたかいの一環である。われわれは、図書館の自由を守ることで共通の立場に立つ団体・機関・人びとと提携して、図書館の自由を守りぬく責任をもつ。 3. 図書館の自由に対する国民の支持と協力は、国民が、図書館活動を通じて図書館の自由の尊さを体験している場合にのみ得られる。われわれは、図書館の自由を守る努力を不断に続けるものである。 4. 図書館の自由を守る行動において、これにかかわった図書館員が不利益をうけることがあっては ならない。これを未然に防止し、万一そのような事態が生じた場合にその救済につとめることは、 日本図書館協会の重要な責務である(1979.5.30 総会決議)
2011年07月11日
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地元では、結構有名な名水、「亀の水」です。
2011年07月11日
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「僕だけじゃない。誰だって、自分の物語の中にいるじゃないか。自分だけの物語の中に。その物語はいつだって、何かを隠そうとしているし、何かを忘れようとしてるじゃないか」一度溢れ出した言葉は止まらなかった。僕は夢中でお爺さんに向かって声をぶつけていた。頭に血が昇り、眼の奥が痛いほどだった。物も言わずに僕を見るお爺さんが憎らしかった。苛立たしかった。僕は息を吸うことも忘れそうなほど、胸の中身を咽喉から吐き出しつづけていた。「みんな同じなんだ。僕だけじゃない。自分がやったことを、ぜんぶそのまま受け入れて生きていける人なんていない。どこにもいない。失敗をぜんぶ後悔したり、取り返しのつかないことをぜんぶ取り返そうとしたり、そんなことやってたら生きていけっこない。だからみんな物語りをつくるんだ。・・・・・」(道尾秀介さん「向日葵の咲かない夏」P443)
2011年07月10日
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渡辺一夫さんの「フランス・ルネサンスの人々」を買書つんどく。こういう旧著の買書というのも、思えば久しぶりかも。「フランス・ルネサンス(16世紀)は人間の解放とともに暗澹たる宗教戦争を経なければならなかった。著者は、激動期を苦悩しつつ生きた、地位も職業も異なる12人の生涯をたどる。」(「BOOK」データベースより)
2011年07月10日
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十年と少し前――。どこで、何が死んだのだろう。いまの僕として生まれる前、僕はどんな姿をしていたのか。ふと、そんなことを考えた。ずっと昔に起こった戦争では、原爆が、たくさんの人を殺したのだという。みんな、何に生まれ変わったのだろう。また人間になった人も、いたのだろうか。テレビで、大勢で川に灯籠を流している光景を見た。子供の姿も、大人の姿もあった。もしかするとあの中には、気づかないうちに、かつての自分のために灯籠を流している人もいたのかもしれない。(道尾秀介さん「向日葵の咲かない夏」P432)
2011年07月09日
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本谷有希子さんの「ぬるい毒」を買書つんどく。本谷さんの本の買書は初めてです。芥川賞候補作でもあります。「ある夜とつぜん電話をかけてきた、同級生と称する男。嘘つきで誠意のかけらもない男だと知りながら、私はその嘘に魅了され、彼に認められることだけを夢見るー。私のすべては、23歳で決まる。そう信じる主人公が、やがて24歳を迎えるまでの、5年間の物語。」(「BOOK」データベースより)
2011年07月09日
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・・・・・「お爺さんには、わからない」と口の中で言った。「私には、分からない・・・・・そうかもしれない・・・・・」泰造の脳裏に、見知らぬ世界に迷い込んだ一人の人間のイメージが浮かんだ。しかし、自分とミチオ――いったいどちらがそれであるのか、泰造には判断することができなかった。一匹の猫を何の逡巡もなく「お婆さん」と呼ぶミチオの世界は、泰造の世界よりも、むしろずっと強固で揺ぎないもののように思えた。同じその猫が、猫そのものであったり、死んだ妻となったり、あるいは残酷な欲求の対象物になったりする泰造の世界よりも。(道尾秀介さん「向日葵の咲かない夏」P407)
2011年07月08日
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またお風呂屋さんか・・・・・?と思いきや。みそやさんでした。でも、これもめずらしい。
2011年07月08日
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「なんか――読む気しないね」S君がぽつりと呟く。僕は無言でその本をひらいた。一ページ目に眼をやる。難しい漢字が多い。ぱらぱらとページを捲りながら、内容を拾い読みしていく。この際、物語はどうでもよかった。(中略)ページを捲っているうちに、なんだか僕は、読んでいるのではなく見ているような気になってきた。自分の身体を、不快な臭いの空気が包んでいくのを感じた。それは上手くは言えないが、乾燥したミルクのような、貝の中身のような、濁った水槽のような――そんな臭いだった。(道尾秀介さん「向日葵の咲かない夏」P243)
2011年07月07日
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うちに、新しく仲間入りした、おじぎ猫です。
2011年07月07日
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「――意地悪ね。ミチオ君もS君も」スミダさんが声をかけてきたのは、そのときだった。僕は思わず背筋を強張らせた。恐る恐る、後ろを振り返る。「S君、やっぱり死んじゃってたんだ。その瓶の中にいるの、S君でしょ?」「いや、あの・・・・・」さっと周囲を見回す。教室に残っているのは、僕とスミダさんだけだった。「生まれ変わったってことは、死んじゃったってことだよね。S君、可哀想」僕は言葉を失った。「それ、何?・・・・・ああ、蜘蛛。そういえばS君、ちょっと蜘蛛っぽかったもんね」(中略)S君が「へえ、そりゃなにより」と不平そうに言ったとき、女の子が教室に入ってきた。スミダさんは最後に早口で、――平気だよ。あたし、誰にも言わないから。そう言った。(道尾秀介さん「向日葵の咲かない夏」P161)
2011年07月06日
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北村薫さんの「飲めば都」を買書つんどく。言わずもがなですが、「ベッキーさん」シリーズもつんだままです。「日々読み、日々飲む。書に酔い、酒に酔う。新入社員時代の失敗、先輩方とのおつきあい、人生のたいせつなことを本とお酒に教わった-文芸編集女子小酒井都さんの酒とゲラの日々…本を愛して酒を飲む、タガを外して人と会う、酒女子の恋の顛末は?リアルな恋のものがたり。」(「BOOK」データベースより)
2011年07月06日
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