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書きそびれていたのですが、先日、政府広報『C型肝炎ウイルス検査をお受け下さい。』で、フィブリノゲン製剤を使用していた病院リストが公表されました。 私が、平成3年に帝王切開手術で長男を産んだ病院も、案の定リストに載っていたので、「もし、C型肝炎に感染していてキャリアだったら...」と不安がよぎり、ウィルス検査を受けなければと思っていたのですが...保健師さんに訊いたら、「二人目、三人目を産む時に肝炎の検査はしているはず。その時に問題ないなら大丈夫。」とのこと。そういえば、妊婦健診の~確か6ヶ月頃に補助券をもらって血液検査を受けましたね。正直ホッとしましたが、薬害を受けて苦しんでいる方のことを思うと複雑です。
January 31, 2008
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秋のSPドラマ『我はゴッホになる!~愛を彫った男・棟方志功とその妻~』に、志功の親友役として出演とのこと。今朝、直友さんに教えてもらいました。記事も教えていただきました。こちら2つ→難しい役どころで心配にもなるけど、記事の言葉どおりたまにはイイかも~と、楽しみドラマ界きっての艶男って、くすぐったいような表現でも、なぜに秋ドラマが、こんなに早く発表なのかしら…春クールや夏クールの連ドラにも出るよねぇそちらも楽しみにしています 寒さのせいか、担当のお年寄りが体調を崩すことが多くて、忙しいし重いし~~雪かきには疲れているし~ちょっと気晴らしが必要な私…
January 30, 2008
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HDDに録画したものを整理しながら、ちょっと前のERを見ていたら、こんな場面がありました。 身体に傷のある子が受診して、虐待の疑惑があるからSW(ソーシャルワーカー)を呼んだのだけれど、治療後、SWが「もう少し聞き取りを」と言っているのに急いで帰りたがる母親に、医師のブラッドが大丈夫だろうと判断して、帰してしまった。再度、その子が運ばれた時は、もっとひどい傷で意識不明で亡くなってしまう。子供の兄が「上級生数名にいじめられていたが、仕返しが怖くて話せなかった。」と告白。自分を責めるブラッドとSW。 ブラッド:皆が、それぞれ下の者に上司風をふかせる。一番の被害者はソーシャルワーカーです。Dr.コバッチュ:そういう仕組みだよ。ブラッド:じゃあ、どうなるんですか。自分の責任は。 元々アメリカで地位の確立を目指してきたソーシャルワーカー。それでも、今でもこんな扱いなんですね。発祥の地アメリカでこうなら、日本でソーシャルワーカーの地位確立ができないのも仕方ないのか...病院でも施設でも、医療職が福祉職に威張っている現状があります。仕事で知り合った介護職員の方達が「看護師って、そんなに偉いんですか。」と涙ながらに訴えて来られることもあって...私は、最初から損な仕事を選んでいるのか、と思うことも。社会福祉士会(ソーシャルワーカー協会)では、「名刺に他の資格ではなくて、"社会福祉士"をメインに書いて誇りを持って仕事をしよう。」なんて呼びかけているけれど、そう呼びかけること自体、社会福祉士の地位が認められていないことを露呈していると思うんです。地域包括支援センターができる時に、社会福祉士をメインにしようという国の動きがあったのに、結局は保健師中心です。もし、自分の子供がSWや介護福祉士などの福祉職を選ぼうとしたら、心理職やOTなどの医療職を勧めてしまいそうです。
January 29, 2008
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今朝、次男が隣町の競技場に部活の練習に行くというので、駅まで送って行こうと車に乗ったら、車の温度計がマイナス12℃でした~天気予報より寒いじゃないの~(予報ではマイナス10℃だった)このくらい寒いと、車の中に置き忘れたペットボトルやお弁当箱が凍ります。子供達も部活にペットボトルを持っていくと凍ってしまうから、ステンレスボトルにしていますよ。それから古い家だと室内が氷点下になるので、台ふきんやシャンプーも凍ってしまうらしいの。今日、当番だったので某集会所のお掃除に行ったら、生けてあるお花ごと花瓶の水も凍っていて、解凍するのにお湯を沸かしました。一緒にお掃除に行った人が、家の中の水道管が凍ってトイレが使えない~と言ってました。寒冷地では、外の水道管は、冬季は凍結防止ヒーターのスイッチを入れてあるんですよ。でもね、あまり寒いと家の中の水道管や排水口が凍ってしまうことがあるらしいです。そして、なんと私の足の指に霜焼けができました子供の頃以来ですよ。痛痒い感じが、懐かしいですなんでだろ~ガソリン代の節約のために、車を暖房しないからかなぁ~。車に乗る時もダウンを重ね着して、膝掛け&手袋&マフラーすれば、あんまり暖房しないでも大丈夫なんです。でも、雪かきの時も暖かいブーツを履いているのに~。まあ、若い頃ほどじゃないけど、私は割と寒さに強いんです。○○なので、風邪もひかないし…思えば、子供の頃から暑い夏が苦手で冬が好きでしたよ。スキーがやりたくて、寒冷地にホイホイ移住しましたしね。夕方、車に乗ったらマイナス4℃で、朝に比べたら温かいと感じました。(冷凍庫から冷蔵庫へ移ったようなもんですよね。)
January 26, 2008
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今日は、本当に寒いです朝はマイナス10℃で、昼間は晴れているのに、職場で「寒いなぁ~」と思っていたら、お昼でもマイナス2℃だったことを知りました。→こちら諏訪はマイナス13℃で、諏訪湖全面凍結のようです。(氷を割ってワカサギを釣りたがっている寒さ知らずも我が家には約2名いますが…)これでも、マイナス30℃の旭川に比べたら大したことないんでしょうね…さすがに除雪ができてない細い道路はスケート場のようで、仕事帰りに滑ってオーバーラン(ダの車でも)こんな日に、三男はスキークラブのナイター。スキー場付近もツルツルなので、帰りの下りは、ず~っとセカンドでダラダラ走りました。7時に送って行った時の画像です。 金曜の夜なので若いボーダーもいたけれど…あとは、スキークラブの子達ばかりかな。いつも薄着の三男も、さすがに言うことをきいて、一枚多く着てネックウォーマーもつけて行きましたよ。スキー場の降雪機がフル稼働。その下を歩いたので思いっきり雪を浴びました。また暖かくなると雪が解けるので、この時とばかりに人工雪を作っているのでしょう。そろそろお迎えに行かなくては…
January 25, 2008
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昨夜からの雪は、一日中降り続きました 前回も今回も粉雪で軽いので雪かきもしやすいし、車への着雪も少ないから車も滑りにくいのだけど、昼間少し解けたので夜凍結して高速道路が通行止めになっているようです。明朝が心配除雪車は大きい道が優先のようで、なかなか小さい道まで来てくれないので、我が家の周りは雪が深いですよ~。前回の雪からダと車を交換して、ウィッシュ(トヨタ)で通勤しています。私の旧旧型のデミオは四駆じゃないので、雪の上り坂で滑って登れなくなることがあるからです。下り坂で滑るのも怖いんだけど、登れなくなるのも焦るんですよ7~8年くらい前に1300ぐらいの車を選ぶ時、一番室内が広くてステップが低く子供三人やジュニアシートも乗せやすかったのでデミオを選んだのですが、旧モデルでは四駆がなくてFFでした。(ファンカーゴと迷ったけれど、デミオの方が広かったんですよ。)デミオは、その後2回モデルチェンジをして、だんだん流線型にカッコ良くなっているんだけど個性がなくなったし室内は狭くなったんじゃないかしら...でも、広告を見ていたら、リッター24キロという低燃費だし、今度は四駆もあるし~で、やっぱり魅力的かも。そして、玉○くんのCM見る度に、直人さんも車のCMがあったらいいのになぁ~と思ったり。我が家は、新車を買って潰れるまで10万キロ以上乗るのが主義なので、今5万キロですが、ダ曰く「あと10年は乗れるよ。」とのこと。その話を上司のOさんにしたら、「私の車は、もう14万キロなの。」だってOさんのダ様は教習所の所長さんで、やっぱり新車を潰れるまで乗る主義だそう。そういえば、仕事で乗る公用車も16万キロ越えているのがあるけれど、乗りやすいしメンテナンスさえ怠らなければ、こんなに乗れるんだ~と驚いてるんですよ。いくらなんでも自分の車は、そんなには乗りたくないけど。通勤や子供の送迎で1年に1万キロ以上は乗るので、せいぜい後5年。その頃は、長男が免許を取っているから、長男の練習車にして、私は新車を買わせてもらいたい。子供にお金がかかって、自分の車が買えなかったらどうしよう、という懸念も本当は直人さんお勧めのプリウスみたいなエコカーにしたいけど、その頃は少し安くなっているかなぁ。仕事でお世話になっている民生委員さんのプリウスに乗せてもらったら、「燃費はガソリン車の半分以下だよ。」とのこと。ガソリンは、どんどん上がっているから、さらに差がついているよね。でも、我が家は人数が多いし犬も乗せるので、プリウスの値段なら大きい車が欲しいと思ってしまう。さて、ダのウィッシュですが、雪道で滑りにくいしライトは明るいし乗りやすいですデミオの方が小回りはきくのだけれど、ウィッシュには、バックが苦手な私のためにバックモニターをつけたので駐車するのが楽なんですよ。それと、デミオは数ヶ月前からエアバックマークが点滅するようになって、修理に出したら「コンピューターの不具合で部品交換に6万円以上かかる」とのことせっかくYahoo!の無料キャンペーンでETCをつけたのに、エアバックなしで高速に乗るのは怖くて、高速に乗る時はダの車か職場の車なんです。今、ディーラーで中古の部品を探してくれているのですが...
January 23, 2008
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寒い季節に...相次いで担当の方が亡くなったり、施設に入所したりしています。一昨日94歳の方が亡くなり...そして、昨日、前にも、ここに書いたKさんが、亡くなりました。→以前のことは、こちら90代の方には「今までご苦労様でした。」と思えるのですが、Kさんは70歳、1人残された息子さんは私と同年代で...Kさんの死を受け入れるのは、仕事とはいえ辛いものがあります。秋から沢山我が儘も言われたのですが、筋の通った意見も沢山持っている方で、手こずらせた後には必ずフォローもありました。呼ばれて慌てて行ったら、松茸おこわを炊いていてくれたこともありましたね。体調が回復した時には、包括主催の講演会にも来てくれました。再発の予感もあったのでしょうが...少し前に「身辺整理をしたいから家具や布団を寄付したい」、という申し出もあって...布団やベッドをいただいて、必要な方に使わせてもらいました。綺麗好きな方だったので、寄付された物は皆綺麗でしたよ。暮れに倒れて救急車で入院し、それから光栄なことに私が呼ばれて、息子さんにも看護師さんにも頼めない幾つかのお願いを聞けて...最期までお世話をすることができたのですが...酸素吸入器をつけていた最期まで「1人で倒れて、そのまま死んでいたら、村はどう責任を取るつもりだったのか。」と憎まれ口も言っていました。もう何も食べられなくなってから、「食べられるようになる時のために、箸を用意して欲しい。前向きな気持ちになりたいから。」と言っていましたね。Kさん、最期まで、あなたらしい生き様でした。いろいろ教えて下さってありがとう。痛みから解放されて、安らかに眠って下さいね。
January 22, 2008
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今日は真冬日でした。夕方から雪が降り続いているので明日の朝が憂鬱です センター試験のお子さんを送りだしたお母さん方、ご苦労様でした。こちらでは、毎年センター試験の日に雪が降るんですよ。この日程、なんとかならないのかしら…試験監督のダは、「監督する側もリスニングで緊張する。」と言ってました。 さて、ゆきりん&こあちゃんから、ママ友についてのコメントをいただいたので、参考になるかわかりませんが、私の経験について書きますね私は、東京で生まれ育って地方の文化を知らなかったので、結婚して数回新しい土地で新しい人間関係を作るのは、かなりのエネルギーが必要でした。信じてもらえないかもしれないのですが、基本的には人見知りなので、最初は居場所を探しながら頑張って馴染もうとしていましたよでも、お友達ができてからは、実家が遠く育児を手伝ってもらえない私にとって、3人の子育てをするのには、物理的にも精神的にもママ友さんの存在が欠かせなかったです。ママ友さんだけでなく、近所のおじいちゃん&おばあちゃん等先輩の方々にも、今でも子育てを助けてもらってるんですよ。人なつこい次男は、近所のおじいちゃん達と仲が良くて、畑を手伝っては収穫した野菜や果物をいただいてきたり~羨ましいほどです。私の最初のママ友と言えば、いつもこちらにコメントくれる鐘の声さんです。結婚して移り住んだ奈良のアパートでお友達になったのですが、私にとって慣れない土地での長男の子育ては、彼女なしでは考えられないほど助けてもらいました鐘の声さんの友人グループにも入れてもらって、一緒に生協をやったり、パッチワークを教えてもらったり、お花見やショッピングをしたり...長男もなついていたので、美容院に行く時に預かってもらったり、第二の母でした。そして、長男の入園の時に今の土地に転居したのですが、幼稚園では、長男&私両方の友達に恵まれて、降園後は毎日のようにクラスの誰かの家に集い、新しい土地に慣れるきっかけになりました。それから12年。3人の子供達の幼稚園や小学校、子育てサークル、習い事、地区の役員、生協、スポ少などを通して、それぞれママ友ができました。今では、三男のクラスやサッカー等の活動に初めて行っても、長男や次男の友人の弟達も数名いて、何人かのママ達と知り合いなので楽になりましたよ。三番目ならではのこと。ママ友の輪が広がると、先にママ同士が知り合いになることもあるし...ママ友でありながら、実際は自分自身と価値観の合う友人が近所にできて、子育て以外のつながりもできて、精神的な支えとなっているんです。最初は親子でお付き合いをしていても子供の成長とともに変わってくる...例えば高校生になった長男は幼稚園時代の女の子の友人とは滅多に会わなくなっているのに、母達同士は時々会っていたりするの。ボランティアをしたり、味噌造りをする仲間も、そして直友さんも、きっかけは子供だけど、今では私自身の友人ですよ。 もちろん、難しいこともあります子供の相性と親同士の相性が同じとは限らないでしょ。私も、過去にトラブルで辛い思いをしたこともありました子育てサークルを運営していた時に、育児に対する考え方が違って分裂してしまったり、知らないうちに揉め事に巻き込まれていたり...(例えばAさんがBさんの悪口を言っているのを頷いて聞いていたら、Aさんは私を味方につけたと思って「showerさんも言ってたよ。」と吹聴されて、Bさんに恨まれた時には..."言い訳"をしないで耐えましたよ。)思い出せば、サークルの揉め事で傷ついている頃に、直人さんにはまっていった私…長くなっちゃうので、あんまり具体的に書けなかったわ 書きたいことが沢山あるのに、なかなかブログが更新できないでいます。直人さんの新しい役者のお仕事が何なのかも、すごく気になっていますが…このところ、T子ちゃんの産休のために、仕事が増えて気持ちの切り替えができずに、家でも引きずってしまったり…子供の活動の送迎に追われています。今年は読書をしたり、直人さん以外のドラマを観る余裕が欲しいな~と思っているのですが…
January 20, 2008
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昨年9月に次男の喧嘩について書きました→こちら&こちらその後、まだ仲直りはしていないのですが…今日、次男&Uくんの共通の友人のお母さんが、「この間、Uくんのお母さんに会ったけれど、Uくんが強いから○○くん(次男)に悪いことしたんじゃないか、って気にしてたよ。」と教えてくれました。そして、私が気にしていることも伝えてくれたそう。良かった、お互いに気にしていたのね子供達のことは見守るしかないけれども、母同士の関係まで壊れてしまったわけじゃないことがわかって、ホッとしました実はUくん母は、上の子達が幼稚園の頃からのつき合いで、直人さんの伊那ライブにも一緒に行ってくれた仲なんです。次男もなついていたので、「Uくんのオバちゃんが、あなたに悪いことをしたんじゃないかって気にしてくれてるって。」と伝えると…すぐに「良かった~」と嬉しそうな次男。やせ我慢しているけれど、やっぱり気にしていたんだね。見守っていてくれている友達&母達に、改めて感謝です。
January 17, 2008
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連休の最終日、いつも部活に忙しい長男&次男も予定が空いたので、スキーに行きました 今日行ったのは、きそふくしまスキー場→こちら県内いろいろスキー場があるのですが、ちょっと遠出の時は木曽に行くことが多いです。木曽は高速道路から遠いので東京や関西などの遠方のスキー客から人気がなく、比較的空いているからです。我が家は、権兵衛トンネルができてからは40~50分で行くことができるようになりましたそう言えば、中央アルプス駒ヶ岳のことを木曽では木曽駒ヶ岳と呼ぶのですが、伊那谷の人達は西駒と呼ぶんですよ。(伊那谷の西側に駒ヶ岳があるからです。ちなみに、我が家が寒いのは西駒おろしのせいです。) 今日は晴れたのですが、ずっと氷点下で寒かったです こちらは、スキー場頂上付近から見た今日の御嶽山(ゴンドラ事故等があった二つのスキー場が見えます。)こちらは乗鞍。私は、とうとう三男坊にも追いつけなくなりました技術的には、まだ上かもしれませんが、運動不足の母は、長いダウンヒルは途中で休まないとゼイゼイしてくるし、膝もガクガクしてくるんです。サッカー少年の体力&こわい物知らずに勝てるわけがありません。一緒にリフトに乗っても、暴走族の三男の方が速く滑り降りるので「待ち時間が長くて疲れる。」とブーブー言われ、夕方アイスバーンになってからも上級コースに行きたがるので、最後は長男に付き添いを頼みました。「写真なんか撮ってるから遅いんだよ~」とご機嫌斜め小さい頃は、三兄弟全員抱えて滑ったのに、今では母がお荷物ですよ。でも、一日滑るとすごい運動量で、運動不足の解消にはなりました。それにしても、家族5人のスキー道具の組み合わせがパズルのようです去年の靴が入らなくなった次男が長男のを履き、長男がダのを履いて、風邪気味のダが滑るのを断念。その上、去年次男がストックを折ったようで足りず、ファンスキーの長男はストックなしでいいものの、私のを次男に貸して、自分はダの長いストックで...(長すぎて邪魔...でもアイスバーンではストックなしは怖いし~)次回行く前に買い物に行かなくちゃ長男の靴、次男のストック、三男のグローブ...etc
January 14, 2008
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今日から我が家の中高生は学校が始まり、小学生は明日から...ということで、 三男坊が1人になってしまうので、仕事は休みました。夜中に新しい雪が降ったので、初滑りがまだだったことを思い出してスキー場(駒ヶ根高原、車で10分くらい)へ行こうかと思い~「明日の学校の用意が全部できてから~」と三男坊をおどかして~お昼から半日券で夕方まで滑りましたよスキー場はガラガラで、特に夕方は貸し切り状態だったので、半日券の元を取るために、久しぶりに沢山滑りました蟻のような点が三男坊の後ろ姿。見事に誰もいない…三男は、最初アイスバーンの中斜面で転んで機嫌が悪かったのですが、後の方は暴走族と化し、母は置いていかれました彼は4年生になったので、今年から地元のスキークラブに入ったんです。部活の忙しいお兄ちゃん達は卒業したのですが...スキー場(中央アルプス側)から見た今日の南アルプスは、こんな感じ…
January 8, 2008
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直人さんがライブで環境問題について語っていたけれど…私は元々、生活クラブのノートレーの食品を購入したり、リユース瓶を使ったり…エコバックは何種類も持っているし、生ゴミ処理機も使い、リサイクルに出せる物(牛乳パック、トレー、ペットボトル、古紙、瓶、アルミ&スチール缶、古布、段ボール、プラスチック等々…)は全部やっています。時々、自分がリサイクルが趣味なのかと思う時があります。我が弱小自治体が早くからゴミ有料化だったというのもあるけれど…リサイクルが必要なペットボトルやアルミ缶はなるべく買わない、レジ袋以外の紙袋などもなるべくもらわない…と徹底しているので、うちの子達はペットボトル飲料を欲しがらないんです。さて、高騰している灯油代の節約のために、今年は久しぶり(6年ぶり)にコタツを作ったの。 寒がりのルーちゃんがコタツに住んで出てこなくなってしまうので、何年も作ってなかったのです。暮れから、コタツ敷き兼ホットカーペットカバーを探していたんだけど、絨毯風のしっかりした素材で洗濯機で洗える物がなかなかなくて...(犬と子供で汚すので、ぜったい洗えないと困るし、洗えるのは薄くてズレやすかったりするので。)お正月に長男と探しに行ったら、アピタで見つけて購入ところが、久しぶりにコタツを作ったら電源コードが見つからないでも、ホットカーペット&コタツで結構暖かいんです。私より帰りの早い三男坊のために、今までタイマーでパネルヒーターを入れていたんだけど、コタツを作ったら、コタツに肩まで入って私の帰りを待っているんだよね(時には頭から入っていることも…)ルーちゃんの小屋だけじゃなくて、子供部屋替わりにもなっているわ…なんて経済的なの…独居高齢者を訪問すると、家の中も氷点下のような日でも暖房はコタツだけしか入れてなかったりするけど、気持ちが分かったわ。最近都会の暮らしは椅子が多くて、ダや私の実家でもコタツを見なくなったけれど、寒冷地では重宝するのね。使っているお宅が多いので、昨年まで、子供達に「コタツがない家なんて、うちくらいだ~」と言われていたんですよ。それから、今年もう1つ出してきたのが、災害用に1つ用意していた昔式の石油ストーブです。今の暖房器具って殆どが点火するのに電気を使うでしょ。電気が止まるような時に、寒冷地で暖を取れないと困ると思って数年前に購入。上にヤカンを置いてお湯を沸かしたり、豆を煮たり、お餅を焼いたり、結構マルチだよね。子供が小さいうちは危ないのでしまっていました。あ~そうはいっても、田舎で家が、ある程度広いので使えるのだとは思います。そんなこんなで灯油代を節約しています。去年紹介したパネルヒーターは身体には優しいけれど、燃費悪くて経済&地球には優しくないかも…で、今年は、あまり使ってないんですよ
January 7, 2008
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上司には「休んでいいよ。」と言われたのですが、家に1人でいるのはもったいないので、今日から出勤しました。松の内なので内勤にして、年末に終わらなかった国保連請求業務や書類の整理をしたのですが…年末に例のケアマネさんと揉めた一件について、上司の提案で課長&係長と話し合うことになりました。課長も係長も口を揃えて「showerさんの言うことが正しい。」と言ってくれ~、係長がケアマネさん達に文書で見解を示してくれることになったのですが…きっと彼女から私への風当たりは強いだろうな~と思います。上司は、「怒りは私が受けるから大丈夫。」と言ってくれているのですが…こんなふうに険悪にならないで意見を交換する方法だってあるのに、情けないですそんな私に、本当に嬉しい嬉しいことが…今日、携帯に届いた写メールは、私が若い頃に初めて指導したダウンちゃんの28歳になった姿でした。年賀状にメアドを入れたので、それを見てお母さんがメールをくれたの。0歳~5歳までの就学前の超早期療育施設に勤めていたのだけど、私にとって彼はいつまでも5歳のまま。中度の知的で言葉が出なくて、合併症の心疾患で入退院を繰り返していたし、お母さんも自殺未遂をしていました。言葉が出ないから思いが通じなくて、癇癪を起こす彼。何とかコミュニケーションをとろうと、スキンシップをしたり、毎日毎日歌を歌ったり楽器を聴かせていたのだけれど、ある日、私が「おおきなたいこ~♪」と歌うと「ど~ん。ど~ん。」と初めて声が出たんです。それから、歌でコミュニケーションできるようになったの。私:「ありさんのおはなし聞いたかね~♪」 彼:「チョンチョン。」私:「あ~なたのおなまえは~♪」 彼:「○ちゃん。」もちろん、発語の機能も未熟だから、はっきりは聞き取れなかったけれど、歌のおかげで発語の機会が増えたし、ニコニコするようになったんです。そして、お母さん&お父さんが「家でも歌でコミュニケーションがとれるようになった。」と言って、すごく喜んでくれ明るくなって…いつもこんなふうに指導がうまくいくばかりじゃないけれど…彼との出会いが私に自信をくれ、これだって音楽療法なんだ~と、形にとらわれない療育を教えてくれました。今日のメールで、彼のお母さんは「おおきなたいこ♪の先生とメールしてるんだよ。」と話したそう。そして、「先生の歌が今でも聞こえてきます。」という文面に驚きました。私も、Iくんと歌う時などに、今でも彼の「ど~ん、ど~ん。」や「チョンチョン。」が聞こえていたからです。もう20年以上も前の話ですよ。それなのに、時が止まったかのよう。音楽の力って偉大だな~と思いました。彼&お母さんで、10年以上音楽教室にも通ってピアノやドラムを習っているそう。「先生のおかげだよ。」と言われて、絶対音感のない私でも音楽の楽しさを教えてあげられたことに感激しました。そうやって障害受容できるまでに、どれだけの苦労があったでしょうか。今も作業所か授産施設に通っていると思います。悪法とも言える自立支援法の厳しい風も吹いたでしょう。20年前、お父さんは、「将来は脱サラして、親子で食べていけるように屋台でもやろうかな。」が口癖でした。でもね、こんなに明るく逞しい姿を見せてくれて、私も勇気づけられました。ありがとう!(今日は、楽天サイトへの接続が重くて、絵文字も出せないですね。)
January 4, 2008
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年末に大掃除が終わらなかったので、というか、いつも中途半端なまま実家に帰っていたので、今年はちゃんとやろうとして、結局三が日も掃除していました。昨日&今日は例年どおり箱根駅伝を見ながら床みがいたり~子供のプリント類を整理したり~直人さんグッズ(雑誌やディスク類)の整理をしたり~箱根駅伝、直人さんも見ていたのね。(やっと“声”が更新されていました。)もちろん私もW大を応援していましたよ直人さんの出身校というだけでなく、うちのダもW大の陸上部だったしね。優勝候補じゃなかったW大の躍進は感動的だったけど、他のチームで途中で走れなくなった選手が結構何人もいて、棄権するのを見るのは辛かったです。さて、駅伝の話題より、直人さんの~今年は“いろいろな役にチャレンジ”、に喜んじゃいましたよちょうど、今日は、直友なばちゃんと久々にプチオフしていたのだけれど…「冬クールには出ないけれど、4月クールには出るのかな~出ないと寂しい。」と話していたところだったの。お年玉をもらったみたいに嬉しいな~ライブ終わって、すでに直人不足で禁断症状出そうで、夜中にぶちょお&ホタルのリピートしていたりしたんです。やっぱりお正月から直くんの動向に一喜一憂でしたそしてね、箱根といえば私にとって思い出の土地の1つ。親戚が保育園や福祉施設をやっている関係で、高校時代&大学時代、夏休みや冬休みの度にアルバイトに行っていました。観光地で旅館など、かき入れ時で忙しいから、年末年始も保育園がやっているんです。駅伝のコース上にある恵明学園には福祉実習にも行ったので、毎年懐かしく見るんですよ。
January 3, 2008
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