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モライア教会のあるインディアナまでの道中は大雪になり、12月の事故の記憶が否応無しに蘇ってきやがった。車線変更をなるべくしないで車間距離を空けて、とにかく安全運転を心がける。ずいぶん前の事だけど、知り合いが新車を買った時に、雨が降ると車に乗らずにバスで出かけるんだと言っていた。そのときは、完全に馬鹿にしていたけど、今となっては彼の気持ちがよ~くわかるね(笑い)。家に帰り着いたら車が真っ白によごれていて、悲しくなったもんな。来月の日本でのレコーディング第二弾に向けて始動を開始する。先日録音した音源を小生のマックに入っているLogicに落として、それに合わせていくつかリズム・ギターのアイディアなんかを録音してみる。よく考えてみれば、今まではトラッキング(実際の音を録音する作業)からミックス(全部の楽器の音のバランスや音色を調整してステレオに振り分ける作業)までの全ての作業を間をおかずに続けてやっていた。アルバム1枚を1週間くらいで作っていたもんね。そのときの勢いをそのままディスクに残せると言う利点はあったのは確か。でも今回のように、トラッキングの後で1ヶ月も時間をおいてからオーバーダブやミックス、編集に入るのは初めてだよ。じっくり録音を聞き直して次の作業のアイディアを練れると言う意味では、すごく新鮮だよな。ミドルネームを”こだわり”にしたほうがいいんじゃないか、というくらいに音の細かい部分にこだわるシンスケが今回は一緒なので、”大雑把”がミドルネームの小生にとっては実に助かる(笑い)。とは言え、ミックスのアイディアなんかもフツフツ沸いてきているよ。
2007.01.29
(Photo by Kenji Oda)悲報は突然やって来た。オーティス・ラッシュのマサキ夫人からの電話でその事を知ったのは月曜の昼過ぎだった。「かわいそうに。スーザンが土曜日に亡くなったのよ。シュンさん知ってた?」えっ・・・・・。言葉を失った。リンパ腫と言う癌だったそうで、享年44歳の若すぎる死だった。小生がシカゴに来たばかり90年によくRosa's Loungeのジャムに参加していたのだけど、その時に同店でウエイトレスをしていたのがスーザンだった。当時は彼女もブルースを知り始めたばかりで、お互い新参者として励まし合ったりもしたものだ。その後カメラウーマンに転身してブルースマン達の写真を撮り続けてきた。それらはCDジャケットに使われ、クラブ「B.L.U.E.S」の壁一面に飾られているんだ。常にブルースシーンと密接に関わってきたんだね。さらにこの5、6年はローリー・ベルの最愛のパートナーとして、ドラッグやアルコールで沈んでいたローリーを見事に立ち直らせ、アリアちゃんという女の子も授かった。彼らについては昨年の6月22日の日記に書いているので、参照して欲しい。あの日記の数ヶ月後に体調不良を訴えはじめ、さらに数ヶ月後には帰らぬ人となってしまった。まだ1歳のアリアちゃんを残しての他界はさぞ無念だったろうと思う。アリアちゃんはスーザンのお姉さんに引き取られることになったようで、ローリーはまた一人になってしまった。あまりにもブルースすぎて小生の胸までキリキリ痛い。ローリー、ここでヤケを起こさず音楽に邁進してくれ。それがスーザンへのはなむけでもあるんだから。ロードに出ていたため、水曜に行われたお葬式に出る事ができず、ここで彼女へのご冥福をお祈りしたい。
2007.01.27
本作のエグゼクティヴ・プロデューサーで先日シカゴ・レコーディングに立ちあったJamsbeeのシンスケのブログにてレコーディングの様子をアップしているので、ぜひ覗いてみよう。写真が何枚も載せてあるので、その場の臨場感がすごい伝わってくるね。レコーディングの直後から連日のギグで、昨日まで3日間に渡って中西部にロードにも出ていて、さらに昨夜は『Blue Chicago』にてギグ。ひさしぶりの休日の今日は、ひたすら寝る、寝る、寝る。日本でも報道されているだろうけど、シカゴでは新聞を見てもテレビを見てもBEARSのニュースばかり。21年ぶりのスーパーボウル進出で、史上初の黒人監督の闘いとニュースヴァリューはあるにせよ、この熱狂は一昨年に優勝したホワイトソックスの比ではないね。アメリカはつくずくフットボールの国なのだ。
2007.01.26
火曜から始まった新作のレコーディングは、昨日のホーンセクションの音入れでシカゴ編が終了。火曜のトップはJWウィリアムスだ。某カバー曲を2曲歌ってくれる。いつもながらジェイ(JWのニックネーム)のパワフルな声には圧倒されっぱなし。朝からテンションが高いのなんの(笑い)。その後小生のオリジナル曲でシカゴのハーモニカ・エース、ビリー・ブランチが思い切りブロウしてくれた。さらにインスト曲を3曲録音。初日に6曲を録り終える順調な出だしだったと言えるね。水曜にはココ・テイラーが昼前にスタジオに登場。ココ本人のオリジナル曲とは言え、もう30年も前に録音したものだ。何度も聞き返して歌詞も全部書き取って準備をしてくれた。さすがプロ中のプロのココなのだ。テイクを重ねる度に声にパワーが出て来たね。録音後も他の曲をココが歌い始めて小生がすぐにギターでバックをつけるとそのままジャムになってしまった。ココが帰った後は、シンガーのジェラルド・マクレンドンがスタジオへ。小生のオリジナルを3曲歌う。ジェラルドの声はサム・クックに似ていてソウルっぽい曲には良く合う。ジェラルドは生真面目な男で、少しでも気に入らないところがあると自己批評が始まる。おいおい充分かっこいいぞ、と何度かなだめる。こうして2日目は4曲を録音。木曜は、ジョー・ブラウンをリーダにしたJam Hornsがオリジナル2曲でホーン・ラインを録音。最近はキーボードでホーンラインを作っているアルバムも多いけど、やっぱり本物のホーンセクションはイントネーションや厚みが違うよね。朝から夜までずっとレコーディングに付き合ってくれたバンド・メンバーのマーク・マック、チャールズ・マック、アンドレ・ハワード、スタン・バンクスはみんなタイトでご機嫌なプレーを繰り広げてくれたね。ということで、シカゴでのレコーディング第一ステージは無事終了だ。このレコーディングの為にシカゴに来てくれた本アルバムのエグゼクティヴ・プロデューサー廉慎介君がシカゴの音源を持って日本へ発った。そして第二ステージは2月に宇都宮で。Yotsuba Recordsのスタジオにてギターのオーバーダブ、編集、ミックスダウンなどレコーディングの最終作業が待っている。2週間ほどかけてタップリ音を作ろうと思っているんだ。レコーディングのさらなる詳細は、慎介君がブログにアップした時にリンクしたいと思う。Check it outよろしく!!!
2007.01.19
スタジオに入る前の最後のリハをやる。シカゴは前夜から雪が降り始め、小生が事故った12/1以来の大雪になりそうな気配だ。”嵐を呼ぶ男”の本領発揮だよね。しかもベースのチャールズはジェイムス・コットンとのロードで前の晩にボストンを車で出発したばかりで、夜中に3回も電話で起こされてその都度「今、ペンシルヴァニアに入った」、「オハイオを通過中」、「インディアナだ」と報告して来る。冬のロードは道のコンディションも悪くて心配だったけど、朝の8時に無事シカゴに到着。やれやれお陰で寝不足だぞ。11時からリハに入る。先週、歌入りの曲はほぼリハっていたので、今日はインストものを中心にサっと切り上げるつもりだったけど、それでも終わったのは2時を過ぎていた。万全の仕上がりか?と問われれば、う~んと言わざるを得ないね。細かいレベルではもっとタイトにいきたいところもあったりするけど、経験でミュージシャンの連中は本番にならないと力を発揮しないというのもわかっている。さらに個人的には、あまり音を決めすぎずにアバウトさを残しておいた方が、フレッシュに曲に向かえる、つまりその瞬間だけの音を引き出す事ができると思っている。あとは神様お願いします、の心境だね(笑い)。少しずつレコーディングの様子をアップするのでCHECK IT OUTよろしくです。
2007.01.16
ココのリハーサルに続いて今日はバンドでのリハ。ドラムにマーク・マック、ベースに弟のチャールズ・マック。この二人は昨年のジェイムス・コットンの来日ライブで見た人も多いと思うし、マークはリットー・ミュージックからドラムの教則ビデオも出している。さらにキーボードにはココのバンドのスタン・バンクス。そして数曲で小生のDVD『R&Bギターの常套句』でベースを弾いているアンドレ・ハワードが参加。歌には、昨年出た『リスペクト・ザ・ストーンズ』(ジェネオン・エンタテインメント)の“MissYou"で歌っているジェラルド・マクレンドンと小生のビッグ・ブラザー、JW・ウィリアムズがそれぞれ数曲で参加してくれることになった。このメンバーで7曲音合わせを。シカゴには”You can take the man out of the Southside, but you can't take the southside out of the man"と言う諺があるんだ。直訳すると”男をサウスサイドから連れ出す事は出来るが、サウスサイドをその男から抜き出す事はできない”つまり、シカゴのサウスサイドで育った黒人男は、他の街に行ってもサウスサイドで育まれた習慣やクセが抜けないものだ、ということ。せっかく日本に行くのだから、寿司や日本料理を体験すればいいものを、フライド・チキンばかりを食べたがる。極端に言えばそういうことだね。これはモロに音楽についても言えることで、ニューオーリンズ風のファンク曲を書いて、ニューオーリンズの人々に捧げようと思っても、シカゴのミュージシャンがやるとパワーで押すシカゴ・ファンクになってしまう。白人の超有名バンドが書いたブルース曲をカバーしようとすると、オリジナルのフィーリングがよくつかめず、結局シカゴ・ブルースになってしまう。悪く言えば不器用、良く言えば個性の強い連中の集まりということでもあるんだね。そうやって結局はシカゴの音になるってわけだ。それでいいのだ。バカボンは偉い。今夜は昼にアドレナリンを出しまくったせいかよく眠れないので、ワインを1本空ける。このバカ日記を書いたら寝ましゅ。おやすみ。
2007.01.09
(写真=こんなココの笑顔をスタジオでも見たいね)昨日は、カントリー・クラブ・ヒルズにあるココ・テイラー邸へリハに行く。ゴルフ・コースのような名前だけど、サウス郊外の高級住宅地だ。今回のアルバム制作の話をして、1曲で参加してもらえないか聞くと、「私でよければ喜んで参加させてもらうわ。シュンは私のギタリストなんだし、いつでも協力するわよ」とココは言ってくれた。私でよければなんて、ココが参加してくれたら百万人力だよ。心が広く人間がデカい女王なのだ。それから彼女が所属するアリゲーター・レコードのイグロア社長に相談すると、すぐにOKを出してくれたので、ココの参加が正式に決まったんだね。30年も前に録音した曲(タイトルは発売までのお楽しみ、ということにしておこう)なのに、かなり歌詞を覚えていたのはさすがだ。2、3回も繰り返すと節回しや曲の感覚をずいぶん思い出した様だね。キーは1音半落としてちょうどいい感じ。約1時間、ギターと歌だけでリハる。あとは前日にバンドと合わせれば大丈夫だろう。この冬はココにとってもずいぶん長いようだよ。10月から2月までずっとオフだもんな。ココは歌う事しか趣味のない人で、40年以上歌う事を楽しみに生きて来た。だからオフが長いと精神的に辛いらしい。小生もギターしか趣味がないからよくわかるんだよね。皮肉な事に、大物になってギャラが高くなりすぎてブルース・クラブでは彼女を雇えなくなってしまった。だから夏場の大きなフェスティヴァルや海外ツアー、大きなカジノが主な活動場所になっているんだね。それだけに、このレコーディングで思い切りうたってもらいたいと切望する小生なのだ。
2007.01.07
みなさん、明けましておめでとう。ついに2007年の扉が開いて新年に突入だね。整体のN先生の予告通り、クリスマス明けにはライブ復活を果たし、水曜には"BLUE CHICAGO"、週末は”Sliipery"にて2日続けて、さらに日曜はゲイリーのモライア教会でもプレーする。いきなりの4連続ライブにも、腕の状態は全く問題なし。2週間後にひかえているレコーディングも予定通りやる予定だよ。今週からそのリハにも入ることになっていて、療養モードから実戦モードにすっかりスイッチが切り替わったね。それにしても、この1ヶ月間待ってくれたミュージシャン仲間達には感謝だね。JWウィリアムスは、「いつまでも待っているぞ」と言ってくれ、先日「もう大丈夫だよ」と連絡すると喜んでくれた。今週水曜には”BLUE CHICAGO"、木曜には"B.L.U.E.S"にてライブがあるので、シカゴにいる人はぜひお越しを。2000年には日本にも一緒に行ったシンガーのネリー”タイガー”トラヴィスは、12月に何度も仕事をくれたけれど、その都度できないと断ると、最後には泣き出してしまった。おいおい泣くなよなあ。ハーモニカのキャデラック・デイヴも、何度も電話をくれ復帰第一戦は、彼とのライブだったね。3月までライブが入っていないけれど、ココとも定期的に連絡をとりあい、お互いの安否を確認し合っている。「必要なものがあればいつでも言いなさいよ」と母親のように優しいココなのだ。今週はココと久し振りのギター・レッスンをやる予定でいるんだ。ジェイムス・コットンとジャクリン夫人もよくメイルをくれ、2007年に一番最初に見たのも、彼らからのハッピー・ニュー・イヤー・メイルだった。ジャクリン夫人は腕の事を気にかけてくれ、「またジェイムスとプレーすることもあるから、早く良くなって」とメイルの最後には励ましの言葉を残してくれる。たくさん水を飲んで体の毒素を外に出し、さらにビタミンを補給、N先生に教えてもらったストレッチ兼首の筋肉強化を毎日朝晩やるようにしている。腕の神経が首に集まっているから、これは大切なエクササイズなんだって。水泳にも通って体力をしっかりつけようとも思っているんだ。クリエイティブかつ力強い1年にするぞ、と気持ちを奮い立たせているよ。みなさんもよい1年を!!
2007.01.01
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