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下の娘はもうじき3歳。うえのボーズとつるんで、毎日泣かされまくっているのだが、飽きもせずにまたボーズとからむ。というよりも、ひたすらボーズの模倣なのだ。上のボーズがブロックでピストルのようなものを作り、「ペストル、できたぁ~。ばんばーん」とやれば、負けじと下の娘も、なんだかわからん物をこさえて、「ばんばーん」とやっている。上のがビデオか何かでみたのか、「ヒーファイフォーファーイ!」(なんだそりゃ?)などと叫びながら踊りまくっていると、したのも負けじと「ヒーファフォー」などと叫びながら、ソファーの上で飛び跳ねていたりする。結局、意味などはどうでもよく、兄貴のまねをしているということが彼女にとっては大きな意味があり、それが楽しくもあるのだろう。 先日下の娘が、例によってブロックでつくった何かを私に向けて、「ゲロゲロ!」と叫んでいた。ゲロゲロ?人に向かってゲロゲロはないだろう、と思っていたが、本人はいたってまじめな顔で、「ゲロゲロ、ゲロゲロ」と連発している。どうせ兄貴の模倣だろうと上のボーズを見ると、やはり手には“ペストル”が握られている。そして、「手を上げろ!」。 娘よ。模倣も良いが、ゲロゲロは勘弁してほしい。それに私は食事中だったのだしね。あまり兄貴のまねばっかりして傷だらけになる前に、女であることに気が付いて欲しいと願ってやまない父である。ゲロゲロ。
2005年08月31日
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北海道マラソンを走った。といっても、私ではない。義理の父親だ。もう60を過ぎ、会社も定年となっているのだが、これがパワフルなのだ。42キロもの距離を完走してしまうのだから、頭が下がるというか、ちっとは運動しろ、俺!って感じだ。子供たちをつれ、約20キロ付近となる24条あたりで応援をした。子供たちも沿道から「じ~じ~、がんばれ~」と、走り来る人みんなに声援を送ってはいたが、市民ランナーの集団が通過していくころには疲れてしまい、「じ~じ~、まだぁ~」と飽きてきてしまっていた。そんななか、なんともまぁ~元気な足取りで、じ~じ~は走ってきたのだ。われわれを見つけると、「おぉ~!」とわざわざ戻ってきてボーズと握手を交わし、「ほんじゃぁ!」と走り去っていってしまった。タフだ。 マラソンを沿道から見たのは初めてだったが、テレビでは気が付かない沿道のドラマがあることに気が付いた。まずは場所取りあらそいだ。沿道のいいポジションを奪うために、じわじわっと体を押し込んでくるおばはんや、人の前へ前へと体をのけぞらせてくるおばさん。なぜか私の周りにはおばさんが多かったのだ。そして、極め付けが、沿道の人々のマナーにぶーたれるおばさん。「前に出るな」「あれはなんだ」「じゃまだ」道新スポーツの旗を振りながら、ひたすら怒っている。そしてランナーが走ってくると、「ほれほれー」とか「ぽてぽてー」といったような、応援なのか、何かの呪文なのかといた感じの音を発しているのだ。例によって兄弟げんかをはじめて泣き出した下の娘には、「ほれほれー」のあいまに、「なくなぁ~!」とお叱りの声。っていうか、あんたの旗が邪魔で見えんのだがなぁ~、などと、結構沿道ピーポーのワッチングも楽しいものであった。 いずれにせよ、今の私では、マラソンの応援に行って帰ってきただけで、へとへとなのであった。「ほれほれー、俺!」
2005年08月30日
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先日、夏休みで退屈そうにしていた上のボーズ(幼稚園の年長さん)を職場に連れて行った。といっても、私の仕事を邪魔するほかに、とくにすることはないわけで、なにやらごそごそとしては、お腹すいただの、のどかわいただのと、退屈そうにしていた。それでも、「また行きたい」などといっているのだから、何が面白いのだろうか、と思ってしまう。 そんなボーズが、なにやら私の研究室に仕込んでいったようだ。というのは、研究室のあちこちから、10センチ四方程度に切り取られた紙切れが出てきたのだ。そして、その紙切れにはボーズの描いた絵が描かれている。それもカブト虫の絵。家に帰ってからボーズに、あれは何なんだ?と聞いてみると、「チケットだよ」と。 夏の暑い研究室から、カブト虫たちが生息する涼しげな森へ私をいざなうためのチケットか、はたまたカブト虫たちが研究室へとなだれ込むためのチケットか。などと考えてもいたが、きっとボーズは退屈な思いの中、ひたすら虫キングゲームがしたい。。。と思い続けていただけなのかもしれない。 隣の家の奥さんが、男の子の幼児期における発達はミニカー、電車、変身もの、昆虫なのだという、エリクソン顔負けの発達の5段階を教えてくれたことがある。うちのボーズはまさにこのとおりに発達をして、今では虫キング博士になるなどと豪語するぐらいまでに発達した。研究室にちりばめられたチケットが、ボーズをファーブルほどの虫博士へと導いてくれるチケットであればよいけどなぁ~と、期待ともつかぬ思いを抱きながら、初秋を感じさせる札幌の研究室で、今日も仕事の振りをする私である。札幌では、もうカブト虫の季節は終わりだ。
2005年08月25日
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髭を伸ばしている。別にわけがあって伸ばしているわけではないのだが、実習が終わったあたりから、不精に始まってずるずると引っ張っている。男が髭を伸ばしはじめると、軒並み女性陣からの攻撃を受ける。真っ先に文句を言い始めたのはうちのだ。汚い、髭は嫌いだ、みずぼらしい、似合わない、寄るな、髭をそるまではしない、離婚だ、などなど。まあ、色々と髭一つで言うことがあるもんだという感じだ。そうこうすると、学部長までが、「自信のない男が髭を伸ばしたがるのよねぇ~」。確かに生まれてこの方、自信などという言葉からは見放されている。かと思えば、メキシコ人みたいだとか、怪しい中国人の整体師みたいだなどと形容する同僚もいる。 だが、力強いサポーターもいるのだ。「先生、ワイルドでかっこいいっすよ」といってくれる学生。「なかなかいいんじゃない」といってくれる同僚。彼らが何の見返りを求めているのかは定かではないが、私としては、今は素直に彼らの言葉を受け止めている。 いつまで髭を伸ばしているのか決めているわけでもない。いい加減、自分でもうっとおしくなってきてもいる。もともとそんなに髭が伸びるたちでもなく、やっとこチョロチョロの髭状態なのではあるが、それはそれなりに、口の周りがもぞもぞとするし、食べ物がついたりもする。何かの目標や願掛けで伸ばし始めたわけではないので、そるタイミングがわからないといえばわからない。とりあえずもうちょっと、こんなワイルドな感じを楽しもうとは思っている。 昨日、うちのボーズと娘が、「お父さんの髭好き」といっていた。そかそかと、うちのがいやな顔をする横で、にんまり微笑みながら聞いていたが、ボーズが、「だって、髭のないのが男、髭のあるのがオッサン」とボソッと言っていた。ん?オッサン?おまえ、オッサンが好きなのか?ってか、どういう分類だ?お父さんは、男ではなく、オッサンか? そろそろ剃り時かもしれない。。。
2005年08月24日
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エリック。僕のアイデンティティーは、依然過去のものとも、現在のものとも、そして未来のものともわからない、まるで混沌とした状況の中をさまよい続けているのだけれど、時間的展望が利く地点から僕の生涯にわたる実存的なアイデンティティーをしかと眺めるべく、僕はエイジングを楽しんでいくこととするよ。なぜって、今日は君のスウィートハート、ジョーンに会ったからね。君が何を言っているのかまるでわからなかったのに比べ、ジョーンはダンサーだけあって、華麗に僕の前で舞いながらステップを教えてくれるんだ。それが8つのステップなのかどうなのかはよくわからないんだけどね。 ジョーンが言うんだ。「年をとったからといって、遊ぶことをやめてはいけない。遊ぶことをやめるから年をとるのだ。」「あなたがやっていることは、あなたを満足させている?それで笑える?歌いたい気持ちになる?そうだったら、それをしっかり掴んでいなさい。」って。いやぁ~、ビンビン届いてくるっしょ。自分が言ったことをそのまんま実行していたから、ジェロトランセンダンスが必要になったんだよね。まさに、老人力だよ、エリック。 いずれにせよ、今年度の君との学びは今日で最後になったけど、とても楽しく勉強することができたよ。君とのヴァイタル・インヴォルブメントが、また近いうちにあることを期待しているよ。ありがとう、エリック。(涙)
2005年08月22日
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以前東京に住んでいたときには、よく猫を見かけたものだ。隣の家でも、近くの家でも猫を飼っていたこともあり、よくうちにまでやってきては、うちが飼っているのか、よそが飼っているのか分からないくらい、我が家にとどめ置いて餌付けをしてみたりしたものだ。北海道に越してきてから、トンと猫を見なけない。猫を飼っている家が近所にないだけなのだろうとは思うのだが、猫のほうも、冬場雪に埋もれてしまうこともあり、あまり外を徘徊してご近所の家に上がり込んだりする習慣はないのかもしれない、などと勝手に考えたりもする。 昨日、うちのが2階で掃除機を掛けていたところ、階下にいた娘が突然狂ったように絶叫を始めたのだという。何事かと思いしたに下りると、娘は恐怖に打ち震え泣き叫んでいたのだという。娘の目線の先を見ると、なんと一匹の黒猫が、開け放たれていた我が家の庭に続く和室の大きなとびらから、丁度ゆらりゆらりと出て行くところであったそうで、うちのも思わず絶叫したのだそうな。なんでうちのまで絶叫?という疑問はさておき、 我が家の女性陣は、虫系、動物系に極めて弱い。特に娘は、虫は全部「クモいたぁ~(絶叫)」なのだ。そして今回の黒猫。娘は道産子であり、生まれてこのかた、今のエリアに生息している。つまり、猫との遭遇体験がなかったのだ。初めての遭遇体験が、突如家に忍び込んできた黒猫だったわけだから、絶叫&トラウマとなっている可能性は捨てきれないだろう。なんせ、その話を夕食のときにうちのから聞いていたときも、「いやぁ、いやぁ、きたぁ~(絶叫)」と泣き出してしまう始末。上のボーズは猫ちゃん飼いたい~とよくいっているが、とうてい我が家で猫を飼うことはできないだろう。何よりも私が猫の毛アレルギーである以上、許されるのは、時折進入してくるご近所の猫に餌付けを試みるくらいだろうか。 娘も、黒猫のタンゴが全盛だった時期にうまれていれば、突然の珍客に対しても、笑顔で迎え入れることができたのかもしれない。こんど下の娘に聞かせてみよう。黒猫のタンゴ、タンゴ、タンゴ♪。絶叫するようならば、しかるべき医療機関を受診させよう。
2005年08月20日
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時計が好きである。いわゆる機械式の時計なのだが、その精密さと緻密さの凝縮されたムーブメントと、それぞれに味のある顔を眺め、またそれを身に纏っているのが好きなのである。別にどれも同じように見えるけど、といわれることがある。わたしも、ついこの間までは、時計になんぞまったくの興味がなかった。高価な時計を見れば、時計ごときになぜこの値段?と、あきれ返ることすらあった。それが、言ってしまえば、とりつかれてしまったのだ。 今までなんとも思わなかった女性のことが、ある瞬間から妙に気になりだすことがある。きっかけは、なんてことはない。たまたますれ違ったときに、ふっといいにおいがして振り向いたときの髪の流れ方だったり、たまたま夢に出てきた翌日に偶然街で出会ったり、「お前、○×のこと、好きなんじゃないのぉ~?」などと、本とは自分が好きなくせに人に勧めたがる奴の言葉に、そっかなぁ~?なんて真剣に反応してみたりしたときだったり。 言ってみれば、なぜか急に気になりだした女性が、どうにもこうにも好きで好きで仕方がなくなり、寝ても冷めても眺めたり、愛撫したり、肌に感じたり。挙句の果てにかなりのお金までつぎ込み始めている。さらには、よせばいいのに、いろいろ顔やムーブメントの違う女性たちにまで興味がわき、ひたすらそんな女性たちを手に入れようと、躍起になっているようなものなのかもしれない。そう考えると、狂っていると、自分でも納得できる。使いこんだセイコーキネティックは6回目の記念日を迎えようとしている。十分に機能しているセイコーがあるにもかかわらず、色々な女に浮気するなんて、どおかしている、のかもしれない。 だが、どうしようもないこともある。キネティックは普段使いとして、いつも大切にしている。そして、その外の女性たちも、私の大切な妻たちなのだ。そう、取り付かれてしまっているのだし、基本的に女性に弱い性分なのだ。
2005年08月18日
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石狩浜に子供たちを連れて行った。 札幌という町は、少し走れば砂浜はあるし、こ一時間も走ればかなりのゲレンデもある。食べるものはうまいし、温泉はあるし、あるあるづくしな住みやすい町だとおもう。ないのは花粉症ぐらいと、これまた東京育ちの花粉症もちにはうれしい限りだ。 東京に住んでいたとき、海水浴に行こうと出かけたのは、湘南か九十九里。どちらも結構車を走らせなければならなかったし、かなりの渋滞にも巻き込まれた覚えがある。石狩浜は、大きさはさほどではないが、帰りには温泉にも入って帰れることもあり、子供づれにはうれしい限りだ。まったく波がないのもさらにうれしい。だが、少し汚すぎだな。もう少しきれいな海を取り戻そう活動か何かをしましょうよーと思ってしまうぐらい。ボーズがプラスチックを拾い上げて、くらげ捕まえたーと騒ぐのも無理はない。ぷかぷか浮かんでいるのは、ゴミなのか、くらげなのか、よく分からなかったりする。 夏休みもそろそろ終わりなお父さんは、肌の露出はタンクトップぐらいにしといたほうが、日に焼けすぎるのも後が大変と思ってはいたが、風も心地よく、それほどじりじりといった感じではなかったのが油断の元だった。帰ってきてタンクトップを脱いで見てびっくり。裸タンクトップ状態。というより、裸のままで裸の大将状態。画伯ほどのセンスがあればよかったが、僕には、何にも、ないんだな。。。ってな感じでまっかっかなのだ。これがまた痛い。北海道の夏の日差しも、なめていると痛い目に会うことが良く分かった。仕事に出るまでには、なんとしても赤みは抑えておきたいところだ。
2005年08月16日
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ラグーンに行った。いわゆる、全天候型室内プールだ。場所が定山渓にあるだけあり、温泉プールあり、ウォータースライダーあり、死海プールありなのだ。って、何で定山渓で死海プールなのか分からないが、とりあえず私の興味は死海プールでこの体を浮かしてみることにあった。 あまり興味ののらなそうな子供たちをつれ、私とうちのやつとだけが妙に足早に「今度はあっちに行こう!」と死海プールを目指した。なにやら目に水が入ったらすぐに洗うようにとか、色々と注意事項が書いてあるが、とりあえず浮くのかどうか、それだけが知りたいわたしとうちのとは、子供を抱いてざぶざぶと死海プールへ入っていったのだ。 すぐに変調をきたしたのは下の娘だった。「痛いよ。。。このプール嫌い」と泣き出したのだ。次が上のボーズ。「痛いよー」そして私だ。先日無謀な長距離を歩いて作った足の豆がじんじんとしみてきた。そりゃしおみずだから、傷口がしみるのは当然だ。それも死海級の塩分なのだから、傷に塩塗りこんでいるみたいなもの。ふとうちのやつを見ると、何やら微妙に顔をしかめている。「どした?」と聞くと、今朝出かけに剃ってきた部分という部分が、剃りたてでジンジンしみるのだと言う。 恐るべし死海プール。体は確かに浮かんではいたが、滲みるが沁みる。それどころではなかった。次回は無傷のまま楽しみたい。
2005年08月15日
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記録は3時間9分。予定していた3時間を、わずかに上回ってしまった。 夏休みに入ることもあり、以前から一度やってみたかった「歩いてかえる」という企画を実行した。いまは、馬鹿なことをしたと、素直に思える。なんせ、足の裏には豆、下半身は鉛のような状態なのだから。 職場までは車で大体40分。とはいっても、北海道の道での40分だから、距離にして30キロぐらいはあるだろうか。こんな距離を歩いた経験はないし、この歳で歩けるのかも分からなかった。疲れたら途中で汽車に乗って帰ってくればいいや、と思っていたこともあり、義理の父親が60歳にしてフルマラソンを走ってしまう体力の持ち主で会ったりする羨望もあり、夏やすみだぁ~といった浮かれ気分もあり、元来の企画物好きであることなどもあり、とにかく歩き始めたのだ。 楽しく歩けたのは、最初の1時間半。後半は、足の痛みとの戦いでしかなかった。筋肉痛なら何とか我慢もできそうなものだが、足裏のマメばかりは痛くてしょうがない。汽車にのろうも、駅まで歩くのが半端な距離ではない。確かに通勤路には、普段車で通っていては気が付かないさまざまなものをディスカバーできはしたが。。 だいたい、学校を出てから家に帰り着くまで、街中を抜けているとき以外は、まったく歩いている人に出くわさなかった。自転車に乗っている人でさえ、たった1人だけ。確かに民家などもそれほどなく、歩いていて溝にはまることもないと思うが、もし仮に溝にでもはまってしまったとしたら、今頃私は誰も通ることのない北海道の田舎の畑端にある溝で、澄み渡った大きな空を見上げながら、プチ・マイ企画などを立てたことを後悔しつつ、馬鹿な自分に涙していたかもしれない。すくなくとも、溝にはまりはしなかったが、鉛のように感じられる下半身を引きずりながら、後悔していることは間違いない。せめて自転車ぐらいにしておくんだった。。。
2005年08月13日
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「もうひとつの声」という本、誰か売ってくれませんか?絶版で手に入りません。べつに、フェミニズムとかジェンダーとかの研究を始めようというのではないんですが、エリックが読みなさいというもんで、ンじゃ読もうか知らんとおもったら、ないんですわぁ。うちの図書館。んで、買おうかと思ったら、ないんですわぁ、絶版で。お持ちの方で、もういらない~という方、かいま~~~す。売ってください。
2005年08月11日
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夏休みだということもあり、職場にボーズを連れて行った。アメリカでは、親の職場に子どもたちがついて行き、親の働いている様子を一緒に見ることができる日がある。別に、私が日夜どのようにして仕事もせずに、インターネットでサーフィンを楽しみ、益にもならないような本を読み、あくびの3つもしたところで家に帰るのかという実態をボーズに見せようと思ったわけではない。単に間がさしただけだ。案の定、楽しみとしているネットサーフィンもできず、マンガ本のような本を読むこともできず、ボーズに振り回されて、邪魔されて、ずーっとカリカリとしていた1日だった。こんな私を見てボーズは、父親の仕事はカリカリとすることなのだ、と思ったかもしれない。ないしは、時折父親の部屋を訪れるおねーちゃんやおにーちゃんたちと、馬鹿な話しをしてもりあがり、ころあいを見てカップラーメンを食い、インターネットでなにやらニヤニヤとしたと思ったらお菓子を食べ、2-3発息子の頭を叩いて家路につくことだと思ったかもしれない。 幼稚園では、お父さんお仕事は学校の先生だ、といっているらしい。うちのボーズが先生の仕事を誤解しているとしたならば、それはひとえに、私の背中を見て育ったためであり、全国の、私のようにではなく、日夜教育と研究に情熱を注いでおられる、きわめて正統的なというか、当たり前なというか、先生と名のつく諸先生方に、こころからお詫びいたしいわけであります。 これからは、お前のお父さんの仕事は、大学の先生だ、と言い聞かせます。
2005年08月11日
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我が家のトイレはウォシュレットである。かつて、戸川純が「お尻だって、洗って欲しい」と、なんとも捉えがたい雰囲気で訴えかけていた、あのウォシュレットだ。といっても、最近では、ホテルはもちろんデパートや病院などにも設置されているほど普及しているわけで、いまさら戸川純?誰だそれ?といったところかもしれないし、最近はトンと顔を見かけないから、戸川純がお尻の気持ちを代弁していたことなどは、今となってはもうどうでも良いのかもしれない。余談だが、わたしは戸川純の「隣のインド人」という歌が大好きだった。 我が家にウォシュレットがきてからはや5年がたつのだが、いまだに理解できないところがある。我が家のウォシュレットには、水圧の調整つまみがついている。洗って欲しいと訴えるお尻を、どれだけの水圧で洗うのかを選択する調整つまみだ。しかし、お尻といったって、洗って欲しい部分はお尻全体ではなく、言ってみれば点でしかない。どれだけの水圧で洗うかといったって、車を洗うような高圧でしか落ちない汚れなど、よっぽどのことでない限りはありえないだろうと思う。我が家のセッティングは低。はっきり言って、低でもかなりの水圧を私個人的には感じる。してみるに、低から高まで、角度にして約60度以上はあるかと思われるつまみを、グググッとまわしていくと、いかなる水圧の元にわがお尻の一点が洗われていくのかと想像すると、かなりの恐怖にも似たどきどき感を感じずにはいられないのだ。 先日、用をたしながらふと間がさした。恐る恐るつまみを高へとシフトさせてみたのだ。あ”っ・・・あ”ぁ~~~~~~あ”あ”あ”======!中までが限界だった。。。。。中でさえ、明らかに点を洗うという水圧ではなく、直腸内に食洗機に入れたようなほどの水圧であった。してみるに、高とはいかなる世界なのか。最近、ホテルやデパートのウォシュレットを利用した後に、こっそりとつまみを高に設定して出てきている。利用者のあ”~~~といううめき声が聞こえてくるようだ。。。ふふふ。
2005年08月09日
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ボーズが虫キングにはまっている。夏休みだし、いっちょう子供たちを楽しませてやるかと、スピカの昆虫王国とやらに連れて行った。本物のカブトムシがじかに触れたり、見たこともないデカイカブトムシがいたりと、お父さんはびっくりだったのだが、ボーズはときたら、「あ、虫キングゲームあったぁ~」と、ゲームにかじりつきっぱなし。カブトムシはどうでもよくって、結局は虫キングゲームかい。。。ちょっとさびしいお父さんでした。さらに、虫キングゲームに並んでいたところ、ボーズは仕切りと両替機を見つめている。そして、「これやりたい」と百円を入れようとする。百円玉がジャラジャラと落ちるさまを見て、ゲームをすれば百円がジャラジャラと落ちてくるのだと思ったらしい。何度説明しても分かってもらえず、しまいに「でもやりたい。。。」とべそをかくしまつ。やるってったって、百円が戻ってくるだけだと、しまいに私も切れてしまう。末はギャンブラーか、ただのボーっとした抜け作か。ちょっと不安なお父さんでもありました。
2005年08月01日
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