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光があるところには陰がある。陰の中に身をおこうと、光の中に身をおこうと、自らの陰ばかりを見つめて生きていては、光に背を向け続けて生きていかざるを得ない。自らが見つめるべきは、光の当たり具合によっていくらでも大きくも小さくも映りえる自らの陰という虚像なのではなく、しっかりと光に向かい、その実像を光の下に明らかにさらけ出した、本当の自分自身の姿なのだ。それがいかに人間のどん底に煮えくり返るどろどろとしたハラワタにまみれた存在であろうと、そいつをしっかりと見つめて受け止めていくこと。そこから自分自身の歩みがはじまるのだ。 来る年は、自分自身をどれだけ見つめられるのだろう。過ぎる年に、自分自身はどれだけ成長できたのだろう。今はただ、いつか至るその時に向かい、一歩一歩あゆみを進めていくしかない。今まで描いてきた人生の地図が見渡せる高台に至るそのときまで。
2005年12月31日
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覚えておこう子どもは、成長の設計図を持っている子どもは、その子の速さで伸びる子どもは、その子の時間で育つ子どもは、その子の図案で実る子どもは、その子の歩幅で学ぶ子どもは、その子の資質で生きる子どもは、その子の頭で考える子どもは、その子自身の人生の約束を果たす子どもは、みんな、違うんだ子どもを励まそう自分を大事にするように人との違いを生かすようによい実を結ぶように愛の心を感じるようにこの世の違いを認められるように命を敬うように確かな未来をつかむように忘れないでほしいその子は、この世にたった一人しかいないのだ子どもは違う一人ひとり、みんな違うそんな子どもがいるからこの世にすばらしい違いが生まれる <ドロシー・ロー・ノルト>久々に、胸を打たれた。。。
2005年12月27日
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真珠貝は汚水を浄化する作用があるらしく、大阪の道頓堀では、真珠貝を養殖して川を浄化し、そこで泳ぐというとてつもない企画が続けられているらしい。さすがに川の汚さがすさまじいらしく、真珠貝をもってしても、泳げるようになるのは2010年ぐらいらしいが、あの神秘的な輝きを放つ真珠貝に、そんな力が宿っていたとは知らなかった。 着飾るためばかりにもてはやされているかのような真珠貝も、そうした視点から眺めてみると、真珠貝を身に着けるとは、まさに自らの身を清める意味でもあるのかもしれない。 汚れちまった自分。泥沼化した人間関係の中で足をすくい、すくわれ、気がつけば泥沼と一体化したヘドロのような人間に成り下がっている。いったいこの自分が浄化されていくためには、いくつの真珠貝が必要になるのだろう。この身ばかりか、心までも浄化されるのであれば、大枚をはたく価値もあるのだろうが。。。
2005年12月26日
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人生に意味を与える道は人を愛すること自分の周囲の社会のために つくすこと自分に目的と意味とを与えてくれるものを 創り出すこと -Morrie Schwarts-
2005年12月22日
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かれこれ3年程前になる。とある物欲をそそらせようとする雑誌を眺めていたところ、モーリス・ラクロアというメーカーのファイブハンズという時計を見つけた。それが、私の機械式時計への興味を湧き上がらせてしまった瞬間だった。それまでは、時計なんて時間がわかればいい、と思っていただけだったのだが、「これは美しい」と思えてしまったのだ。 機械式の時計が気になり始めると、人が身につけている時計が気になりだす。そうすると、なるほどこの人はおしゃれだとか、この人はロレックスね、とか、いろいろと今まで見ていた人の違う面が見えてくるようで楽しくもある。本屋でも、いままでまるで気にも留めていなかった時計雑誌が、こんなにもあるということにも気が付いてしまう。先日、ある時計雑誌を眺めていたら、「そんな雑誌があるんですねぇ。好きですねぇ~」と、笑われてしまった。そう、私も時計なんて、そんな風にしか見ていなかったなぁ~、と思い出した。 ふと、昔付き合っていた彼女のことを思い出した。そん彼女は、なんと航空宇宙工学なるものを勉強していた。いったい何を学んでいるのか、私には良くわからなかったが、看護を学んでいる私が、「看護は科学なんだ」と言ったことがあるのだが、「何で看護が科学なの。バンドエイド貼ってるのが看護でしょ。」と、真顔で言われた。彼女の頭には、行動科学、社会科学、人文科学といったような分類は科学に入らないのか、そういった科学を認識していない、ないしは認めようとはしないようではあった。それは、私が時計などにはほとんど興味を示していなかったと同じぐらい、彼女も看護なんぞにそれほど興味を示していなかったのだろう。 突き詰めれば、彼女は付き合っている男が何を大学院にまで行って学んでいるのか、そんなことにすら興味がなかったのだろうし、案の定我々は、科学に対する認識の違いからか、性格の不一致からか、性の不一致からなのか、破綻を迎えたのであるから、機械式時計と私の付き合いは、これからも長く深い付き合いになっていくことだろう。 あの彼女に、「看護はアート」だ、などと、日野原先生の言葉を投げかけたなら、その場で張り倒されていたのかもしれない。コチコチとテンプを振りながら時を刻みとっていく機械式の時計も、看護に負けず劣らず、ものすごく美しいアートなのだが、それすら彼女には伝わりはしないだろうなぁ・・・なんせ、私に興味が向いていないのだから・・・
2005年12月17日
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ARIOという名前のイトーヨーカ堂が出来たので、覗いてきた。苗穂に住む女性が、「苗穂を馬鹿にしないで!ARIOだってできたんだから!」というもので、それジャーちょいと見てみましょうと思って行って来た。 言ってしまえば、ここもジャスコとさほど変わらない。ただ、でかいというだけだ。専門店部分とヨーカ堂部分とが分かれているので、もっぱら時間を潰すのは専門店なのだが、それほど個人的に目を引くお店が入っているわけではない。結局、ユニクロと丸善にいたわけで、ARIOまでこなくても、札駅で事足りてしまう。唯一、吉田鞄があったことが、プチプレジャーではあったものの、最近はまっているのは土屋鞄だけに、プチはプチどまりでしかなかった。 せっかく隣がサッポロビール園なのだから、ビールのスタンディングバーぐらいあっても良いだろう。サッポロビールグッズがあるわけでもない。ビール園の割引システムがあるようでもない。紳士服の専門店も少なすぎる。ブルックスやアルマーニとまでは言わないが、TAKAKYUやシャツ工房ぐらいあっても良いだろう。エディーバウアーやモンベルなどのアウトドア-系の専門店や、リーガルやクラークスなどの靴関係も見当たらない。 このままだと、わざわざARIOまで行く人は、結局苗穂周辺の人たちが中心となるだろう。札駅に出る方が出やすいし、物もそろうわけだから。ジャスコとさほど変わらない路線を感じざるを得ないARIOの行く末は、ビール園に集まる観光客をターゲットとした温泉部分での大型グルメシップにしか、その活路を見出せなくなるのではないだろうか。人事ながら、不安になった一日であった。
2005年12月14日
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もともと気の弱い方だ。人の顔色を伺いながら、どぎまぎと思い悩むこともある。私を知る人は、「ありえない」と思うかもしれない。でも、全くをもって、本当のことなのだ。 久しぶりに講演にいった。認知症の理解とケアというテーマでしゃべれといわれたので、とりあえずしゃべってきたが、さすがに3時間は疲れる。それに、謝金は銀行振り込みのため、終わった後になんとなく寂しさを引きずりながら帰途につかなければならない。せめて、このために3時間がんばったんだ。。。といった実感と共にかえりたい。 全員で50名程度だっただろうか。福祉センターに看護や介護の方々が集まっていた。専門職の方々を前に話をするのは、彼等のレベルがまちまちであるだけに、どのあたりのフォーカスを置けばいいのかがわからず、難しいことが多い。そんな場合は、とりあえず基礎的な話からすることにしているのだが、そうすると、「そんなこと知ってるさ」といった反応がみてとれることがある。こちらとしては、「すいませんねぇ」と思いながら、話をすることになる。 講演をしているがわから見ると、授業中の教室のように、参加者の反応が結構良くわかるものだ。その反応が、うんうんと、私の話に納得してくれているような反応であれば、わたしとしても「よしよし、届いているんだな」とうれしくもなるのだが、そうでない場合も多い。 私が何かを語るごとに、ニヤッと笑う人がいる。受けを狙ったネタの部分ではないのに、となりの仲間と、こそこそニヤッとするひとがいる。これが結構気になるのだ。小心者の私の性格からなのか、「あれ、なんか間違ったこといったかな?パワーポイントに誤字があったかな?何でニヤニヤしてるんだろう?考えが違うのかな?」などと、話をしながら余計なことまで考えてしまう。そんな余計なことを考えていると、自分の話の内容すら危うくなり、もごもごと口が回らなくなったりもするのだ。 講演などに参加することは私もあるが、自分がどんな態度で聞いているかは、考えたこともない。きっと、すっごいやな態度で聞いているのではないかともう。ニヤニヤこそしないものの、むっとした顔で聞いているんだろうと思う。もともとそんな顔だし。 講演に行くとやたら疲れる。それは3時間しゃべる疲労ばかりではなく、聴衆の反応に余計な心配をしながらしゃべってしまう心労からの疲れだろう。とりあえず今年はもう講演に出かけることはないが、来年は講演のまえに、話を聞く態度から話を始めよう。そうしないと、私の体が持ちそうにない。
2005年12月14日
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昔、東京の東村山というところに住んでいた。 あの頃、駅の改札を右に出て階段を下りると、駅前がロータリーになっていた。もうずいぶんと長い間行っていないので、駅の付近の様子もすっかり変わってしまったかもしれないが、以前、階段を下りて線路沿いに新宿方面に少し戻ると、おでんの屋台が夕方ごろからいつも出ていた。 おでん屋は年にして70近くに見える親父が一人でやっているのだが、この親父が、かなりのノンベだった。近くの居酒屋などで飲んだ後、ンじゃ行くか、といってよることが多かったおでん屋の屋台だったが、この親父がしらふで出迎えたことは一度もなかった。他の客がいようがいまいが、常に赤ら顔で、若干ろれつが回っておらず、おでんの中に自分用の熱燗が入れてあった。これで商売になるのだろうか、と心配になることもあったが、酔っ払っていることをいいことに、よく親父をからかったりして遊んだ。 あるとき、あのころ病院にいた森田先生と、屋台に行ったことがある。他に誰がいたかは忘れてしまったが、かなりよっていた私たちは、やはりかなり酔っていた親父に、「親父!今日は俺たちが残りのおでん全部買うから。¥5000円でどうだ?」などと話を持ちかけた。酔っていたせいなのか、それでも元が取れると思ったのかはわからないが、しばらく「そうだなぁ~」などといっていた親父は、自分の酒をつぎながら、「よっしゃ!」と条件を飲んだのである。森田先生も私も、「そうか親父、まあ、飲んでくれ。おごりだから」などと親父に日本酒を勧めながら、なにから食うか~などと盛り上がっていた。すると、別の客が屋台にやってきて、「親父、熱燗」などと注文を入れたのである。親父は突然すくっと立ち上がり、「ヘイ、熱燗ですね。おでんは何にいたしましょう。」などと、勝手に私たちが買い占めたおでんをその客に振舞い始めたのである。 「おいおいおやじ、おでん全部5000円で売ってくれたんじゃないのかよ~」と詰め寄る私たちに、「んじゃ、全部で1000円でいいよ。」と、どんな計算をしているのかわからないどんぶりで勘定を出してきた。散々飲んで食って、親父におごりだ、なんて酒まで飲ませて1000円ならかなり安いかぁ、と、森田先生と、「しょうがねーなーおやじー」などといいながら1000円を渡して帰ってきたことがある。 今年の札幌は、まだ雪がないが、凍てつく夜の街を歩いていると、おでんでもつつきたい気分に駆られる。札幌は雪が積もるので、さすがに屋台のおでんにありつける機会は少ない。あの親父のような屋台のおでん屋が、こんな凍てつく夜にいつもの場所で待っていてくれると、酔っ払いの親父とたわいもない話をしながら、心の中からホクホクとした暖かさを感じられるのかもしれない。
2005年12月08日
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先日、米国の学会に参加したばかりだったが、その余韻を引きずったまま、今度は台湾に国際交流という名目で出かけてきた。アジアの国といえば、韓国のソウルに学会で出かけたことはあるが、それ以来のアジアである。うちの講座にいるYOUちゃんことM先生は、アジアの諸外国を旅することに長けていて、先日もタイだかカンボジアだかバリだか、私としてはまるで区別ができない国のどこかへと出かけていた。こんな私が国際交流だなどと称して出かけてしまうのだから、まったくをもっておこがましいというか、恐縮しきりなのではあるが、それはそれ。初めての台湾を満喫すべく、米国-東京-台湾という、トータル3週間にわたる過密スケジュールを強引に押して旅立ったのである。 とは言うものの、予習もせずに台湾といえば?と自問しても「うーん。。。中華料理?」などと言った答えしか思い浮かばなかった私としては、隣でビールを飲んでいるデンタルな先生を横目に、千歳の飛行場から、「うーん。。。困ったなぁ。。。。」状態であった。 ひとことで言うならば、台湾は、というよりも、台北は、排気ガスで空気が汚い!あのスクーター軍団は何とかならんのかぁ!あれじゃ、群れていない暴走族状態。酷いときなど、100台近いスクーターが目の前を10秒ほどずーっと流れていた。中国の自転車の多さをテレビで見たことはあるが、まだチャリのほうがエコロジカルだろう。ぶらぶらと街を歩いて帰ると、のどがイガイガとして仕方がなかった。 一言で言わないでいうならば、台湾は、昔の日本を見ているようであり、その中に近代のテクノロジーを放り込んだようであり、最先端であり、レトロであり、不思議といえば不思議だが、中途半端といえばそうともいえる、つかみ所のないところであった。ただ、韓国ではまったくハングル語が解読できなかったのに比べ、漢字をなんとなく判読できるのがうれしかった。 肝心の国際交流は、なんだか高級中華料理を食べに食べてまた食べているうちに終わってしまったが、あちらに失礼がないように、勧められたものは食べる、というのが私の仕事だと思い、食べに食べに食べた。しばらく中華は見たくない。 色々な場所に、色々な人たちの生活がある。その生活は、時に自分の暮らしと似ていたり、まったく想像がつかないような暮らしだったりもする。台湾の路地裏を歩きながら覗いた家屋の中で、ぼーっと椅子に座ってテレビを眺めている老人を見ながら、そんな生活をその場所で生き抜いている、人間の力強さを感じた。台湾であれ、日本であれ、どこであれ、われわれは、自分の暮らしを、自分の場所で、力いっぱい生きているんだと。 台湾にまた行きたいか?ときかれれば、今はいいかな、というのが本音だ。でも、そのうちまた、違うアジアをみて見たいとは思っている。その延長線上で、もう一度台湾を訪れる日が必ず来るだろう。今回あった友人たちを、また訪ねてあるかなければならない。ただ、中華料理は、ほどほどにしたほうがいいだろう。。。中性脂肪がまた跳ね上がってしまう。
2005年12月07日
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僕たちは、光の子供だ。どこにでも、光はあたる。光のあたるところには草が生え、風が吹き、生きとし生けるものは呼吸する。それは、どこででも、誰にでもそうだ。でも、誰かのためにでもないし、誰かのおかげというわけじゃない。僕たちは、無理やり生まれさせられたのでもなければ、間違って生まれてきたのでもない。それは、光があたっているということと同じように、やがては風が吹き始め、花が実をつけるのと同じように、そういうふうに、ずっとずっと前から決まっている決まりなのだ。僕たちは、草に頬ずりし、風に髪をまかせ、くだものをもいで食べ、星と夜明けを夢見ながらこの世界で暮らそう。そして、いつかこのまばゆい光の生まれたところに、みんなで手をつないで帰ろう。 「光の帝国-常野物語」恩田陸
2005年12月07日
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先日、伸ばしていた髭をそり落としたのだが、ふと思い立って茶髪にした。実際に思い立ったことは、「パーマでもかけるか」、ということだったのだが、パーマ屋(うちのお袋はこう呼んでいた)にパーマを当てに(うちのお袋はこう言っていた)出かけたところ、パーマ屋のおね-チャン(別名をスタイリストというらしい)が、「いやぁ~、結構老け顔になっちゃうかもしれませんよ~」などと脅しをかけてくるのである。最初に「つぎはパーマでもかけましょうかぁ」などと調子のいい事をいってきたのは彼女だったくせにである。 老け顔などといわれてしまうと、気にならないはずがない。というのも、最近白髪が増えている。それも、なぜか前方の多く、あとは全体的にぱらぱらとまぶした感じになっている。そんなに日ごろ前頭葉を使ってはいないはずだが、なぜだか前方に集中している。ショックなことに、なんと鼻毛にまで白いものが混じり始める始末。は、鼻毛が白髪??とわが目を疑ったが、よくよく見ると、コメカミのあたりや、今まで気がつかなかったところにも、ちらりほらりと白いものが混じり始めている。 42歳ともなれば、それは白いものが混じってもおかしくはないだろうが、わかってはいてもショックはショックなのである。そこで、というわけではなかったのだが、現実逃避といわれるかもしれないが、茶髪なのである。しかし、さすがに鼻毛までは染めることも出来ず、今のところ、鼻毛に関しては抜去を繰り返している。 髭のときなんだかんだといわれたが、茶髪のときも、なんだかんだといわれるものだ。アメリカなどでは、人がどんな格好や髪型をしていようが、誰も何も言わないことが多い。それだけ、いろいろな人が独自の色をかもし出していて楽しくもある。しかし、ことわが国はとなると、髭だ、服装だ、髪の毛だ、なんだと、他と違うことに目ざとく反応する。ある意味個性が潰されていってしまうのが、日本の社会であるかのようにも感じる。 別に、私の髭や茶髪やピアスが私の個性を示す最大の特徴であるとは思わないが、鼻毛に混じった白髪が私の個性であるとだけは、人に思われたくはない。いやほんと、違いますから。。。
2005年12月01日
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