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夏ごろから伸ばしていた髭を剃った。いつ、どういうタイミングで剃ろうかと、考えていなかったわけでもない。このまま、伸ばしたままでいようかと、考えなかったわけでもない。ただ、突如として剃りたくなったのだ。 もともと童顔なため、髭を伸ばすことだけで見られ方が変わるのは髭を伸ばす一つの楽しみでもある。たいてい、髭を伸ばし始めると、どおしたの?何かあったの?といった言葉を向けられる。確かに人相は悪くなるし、汚らしい、いやらしい、といった形容詞が間違っているとは思えないような顔になる。ただ、たかだか髭を伸ばすだけで、これだけの、特に女性からの攻撃ともつかないコメントの数々を浴びせられるのは楽しくもある。 しかし、伸びれば伸びるほど面倒くさいのが髭でもある。食事に邪魔になり、鼻をかむのに邪魔になり、そのうち寝るにも気になり始めたりする。伸びた髭を切らなければ、口の中に入り込んで邪魔になり、服に引っかかって引っ張られ、そのお手入れも結構大変なのだ。 もう少し伸ばしたら、「私がイエス・キリストです」と、再再臨しようかなどとは思ってはいなかったが、そこに至るまえにいいかげん自分の髭面に飽きてしまった。何事にも根気が必要だが、髭を伸ばすのも一苦労だ。そもそも、あまり髭が濃く生えない顔であることにも問題があるのかもしれない。髭など生やさなくとも、威厳のある顔立ちになればよいのだろうが、それは髭を伸ばすより難しそうだ。
2005年10月28日
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重松清を読んでいる。エイジという中学生の物語だ。私が中学生のころといえば、そう、先日の山崎久美子ちゃんに夢中だったころだが、ある朝エイジの学校と同じように、学校に行ってみるとクラスの中が騒然としていたことがあった。それは別に、通り魔が実はクラスの中にいたと言う、エイジの体験したような状況ではなかったけれど。実はなにやら、朝から学校に隣接していた公園で、テレビの撮影をしている、というのだ。私が通っていた中学は、世田谷区にある梅中と呼ばれる中学で、隣には警察署もある代わりに、羽根木公園という梅が綺麗に咲き並ぶ公園があった。そこで朝から、いわゆるロケが行われているのだと言う。それも、興奮冷めやらぬ友達が言うには、「百恵ちゃんがねぇ~、いたのよ~」なのである。もうあと5分もすれば授業が始まるチャイムが鳴る、といった状況の中、「なんだよ~、百恵ちゃん、見たいよなぁ~~~~、かわいーんだろーなぁー」などと、何人かの友人と一緒になって、窓から公園を見やりながらぶつぶつしゃべっていた覚えがある。案の定、チャイムが鳴って先生が教室に入ってきたとき、教室の半分はまだ登校していなかった。先生も、何事なのかといった表情であったが、じきにぱらぱらと生徒が走りこんできた。なんという名前だったか忘れてしまったが、一人の男子学生が遅れて入ってきて、興奮しながら、「おれ、触っちゃったよ、百恵ちゃんのお尻!やわらけーのぉ」と言っていたのを覚えている。というよりも、「なんだよー、いいよなぁ~、百恵ちゃんのお尻かよ~、やわらけーのかぁ~~~」と思った自分を、覚えている。なんせ、なんだかわからず悶々とした時間を過ごすことの多かった中学生だったあの頃、エイジのようには、あまり考えるようなことなく過ごしていたと感じる。ただただ、ひたすら、本能に突き動かされつつ、どうしようもなく、「百恵ちゃんのおしりかよぉ~~~」だった。考えてみると、今もそれほど変わってはいないかもしれない。なんだよ~。やわらけ~のかぁ~
2005年10月27日
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ファイロファクスのバイブルサイズを使っている。といっても、店頭で同じものをトンと見かけなくなった。保障カードの記載が平成5年となっているから、かれこれ12年も使っていることになる。というか、かなり使い込んできた感じだ。しかし、かつてワインレッドだったカーフスキンは、ところどころに黒く渋みが出ており、焼け具合もかなり年季が入ってきてはいるが、それほど皮が痛んでいる様子もない。さすがファイロファクス。4つ違いの兄は、アッシュフォードという国内メーカーのバイブルサイズを、これも10年以上使い込んでいる。先日、手帳の皮の修理を依頼したところ、もう職人がいません、と断られたらしい。さすがに10年以上も使うとは、考えてもいなかったか。 そんな愛着がわく手帳ではあるが、困ったことが起きてきた。基本的にスケジュールは見開き1ヶ月のダイアリーを使い続けている。それが私には、最も使い勝手がいいからだ。ただ、このところ、バイブルサイズの見開き1ヶ月スケジュール帳だと、予定が書き込めなくなってきている。べつに、忙しくて予定が多いというわけでもないのだが、小さい字が読みにくくなってきているといったこともある。人が使っている大きなスケジュール表を見ると、そろそろA5サイズ、はたまたA4ぐらいに買い換えようかなぁ、などと浮気心をおこしたりもする。 12年も連れ添ってきた手帳だけに、なかなか手放すのも惜しく、結局相変わらず不便を感じつつも、撫でながら大切に使っている手帳ではあるが、どうしたものやら。老化のしわ寄せが、こんなところにも出始めてきた。こまったものだ。ファイロファクスに、古いバインダーの下取り、なんて、あったらいいのににあぁ~。
2005年10月25日
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もう、かれこれ20年近くなるかもしれない、山崎先生と最後に会ってから。先日の山崎久美子ちゃんではない。大学の恩師、山崎美貴子先生だ。大学を出た後は、何度か手紙を出したような気もするが、福祉から看護へと移ってしまった後ろめたさもあったのだろうか。日に日に遠ざかり、結局アメリカに行ってしまってからは、まったくといっていいほどの音信普通だった。それが、今回の学会で、山崎先生が大会長と聞き、こりゃ行かないわけにはいかないだろうと思い立ったのだ。 そもそも、学会会場である神奈川県立保健福祉大学の学長も、かつて私が白金の大学で学んでいたときに教わった阿部志郎先生だ。見回せば、ちょっと年をとったな~と思ってしまったが、あの秋山先生の姿も見える。普段看護の世界や老年社会科学会などではあまりお目にかかれない先生方が、さながら大学の同窓会のようにいるのだから、なんというか、わらってしまう。 山崎先生が大会長の挨拶をするときなど、確か特徴のある声だったよなーとは思い出せるのだが、どんな声だったかはっきりと思い出せず、わくわくしながら第一声を待ってしまった。また、驚いたことに、阿部先生はあいかわらず弁が立つというか、さらさらと心に響く話をする。死んだ親父と同じ年、大正15年生まれだというから、まだまだお元気だ。 いずれにせよ、今回の学会参加の目的は、かつての恩師にしっかり挨拶をすることだったわけで、明日の発表を待たずに、私の使命は終わったような気になっている。そういえば、大学を卒業するときにゼミのみんなで取った写真を引き伸ばし、ポスターにして山崎先生に差し上げたのだが、いまだに研究室にかざってあるらしい。うれしい限りだ。84W山崎美貴子ゼミ。たのしかったなぁ。なんだか、今日は深酒しそうである。
2005年10月22日
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久しぶりの東京である。といっても、学会が横須賀で開かれることもあり、兄の家に寄せてもらった。兄の家は神奈川県の三浦である。京急を最後までのり、三崎口という駅で降りる。初めてこの駅に降り立ったとき、「おー、ここまで引っ込んだか」という、何とも言えない郷愁にもにた思いを抱いたが、ここは東京まで約2時間の通勤圏なのだという。兄貴の場合、私と同じ大学勤めゆえ、毎日きっちり通勤するサラリーマンのようではないとはいえ、それでも羽田から三崎についた時点でぐったりな私であった。 こちらのゐでっち先生は、英文学がご専門。私が専門とする老年学とは全くと言っていいほど接点がない。(もしかしたらあるのかもしれないが、今のところ、お互いに接点をみいだそうとはしていない 笑)文学系の先生故か、やたら書籍が多い。それを収納しておく書庫もまたすごい。書斎はさながら図書館のようなのだ。それもはめ込み式ですから、何ともご立派というか、整然としているというか、美しいというか、ブラボーだ。我が家の子供に引っかき回された部屋と、こきたなく積み上げられた本と紙、そして途中で投げ出してある腕時計の分解部品の数々が並ぶ机を思い出すたびに、頭の中の状況は、生活状況にそのまま反映するのだろうなぁ~と確信する。同じゐでっち先生でも、ずいぶんと違うものだ。
2005年10月22日
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学生たちに「鬱」に関する授業をしたのだが、昔好きだった女の子に振られた時に、どっぷり暗い気もちになった話しをした。 小学校の頃、東京は世田谷区にある松原小学校に通っていた。5年生になったとき、どこからか転校してきた女の子。かわいかった。群を抜いて美しかった。わたしは、人目でハートを射抜かれた。その子の名前は山崎久美子ちゃん。今となっては、どれほどかわいかったのか、そのかわいさを測ることはできないが、それはそれは抜群にかわいかったのだ。その当時は、気が狂いそうになるぐらい好きになるぐらい、かわいかった。 わたしも山崎久美子ちゃんも、ほどなく地域の梅が丘中学校に上がったのだが、私の山崎久美子ちゃんに対する思いは募るばかり。中学1年だったか、2年だったか忘れてしまったが、ついに久美子ちゃんに告る決心をしたのだ。というのも、どうも山崎久美子ちゃんも私のことが好きに違いない、といったおろかな確信が、どこからともなく沸いてきて、そういえば朝礼の時だって俺のほう見てるじゃないか、といった妄想?まで沸いてきていたのだから、今となってはまさに恋は盲目。 結果は、玉砕。というか、本人は勝つ見込みがないなどとはこれっぽっ地も思っていなかったのだから、愕然というか、え?なんで?といった感じでもあったし、今思えば、何でそこまで自信があったの?と不思議なくらいでもある。あの日は随分と落ち込んだきがする。家に帰ってから、中島みゆきをずーっと聞いていた。親父が私の部屋をのぞいて、「振られたんだって?」とニヤニヤしながら聞いていた。私は何も答えずに、中島みゆきに聞き入っていた。 あれから30年近い月日が流れた。山崎久美子ちゃんも、生きていれば42歳。きっと、どこかで結婚して子どもがいてといった生活を送っているに違いない。かつて、一緒に交換日記をしたいとあこがれていた山崎久美子ちゃんに、ひとめ会ってみたいという思いがないわけではない。だが、別の意味でまたどっぷりと落ち込んでしまうかもしれない。こんな形で例話に引っ張り出されていることを知ったら、またしても袖にされてしまうかもしれない。 人と人とがつむぎだす織物は、その糸と糸との絡み合いによって、織り成される図柄が変わる。だが、糸と糸は、必ずしも最後まで絡み合っているわけではない。一度も絡み合わずに終わるものもあれば、絡み合っても、そのまま二度と絡み合わなくなるものもあるだろう。きっと、私という糸が絡み合う糸の多くは、織物のどこかで、私以外の多くの糸とも絡み合って、その場所の織物を描き出しているのだろう。そんな織物の図柄を、いつか離れた視点からじっくりと眺めてみたいものだと思う。そうすれば、かつて山崎久美子ちゃんに振られてしまった私の経験も、大きな織物の図柄の中で、きっとひとつの輝かしい織り目として、欠かせないものとなっているに違いない。
2005年10月19日
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講演の仕事があって滝川に行った。滝川と言えば、先日ゼミ合宿を張った場所、滝川ふれあいの里がある。ゼミ合宿では、朝方まで尾崎豊を熱唱する声が今年も聞かれていたし、×ゲームでは顔中墨だらけにしてスーパーに買出しに出かけるし、滝川市民の皆様には多大なご迷惑をかけたのではないかと、大変申し訳なく思っていたところだった。きっと、「あー、あれは先生のところの学生だったんですねぇ」などといった突っ込みがあってもおかしくはない、とは思っていた。というのも、学生ばかりではなく、騒いでいた中には、しっかりと私がいたのだから。。。 しかし、そんな心配をするまでもなく、誰も私を攻めることもなく、講演中は、皆さんとても静かに。。。寝ていてくださった。笑)そりゃ、仕事が終わってからですから、疲れますよね。それもなんと、2時間半に渡る講演。それも、私の。話をしている私でさえ、途中寝てしまって何を話していたのか覚えていないぐらいなのだから。さらには、来週にも後半分の2時間半の講演が予定されているのだから、まさに滝川地獄絵図状態。来週は、ふれあいの里でカラオケ大会にでもしたほうが、私的には非常に嬉しい限りだし、きっと参加者も、前回の半分を切る、という事態にもならないだろう。どうせなら、老年ゼミ-滝川ケアマネ合同合宿にでもして、飲み会に変更した方が、お互いもっと有益な時間を過ごせるのではないかと、ひとり帰りのホワイトアローで考える私でありました。 ちなみに、滝川からわが家まで2時間。ってことは、実習で使っていた南区にある病院から家まで2時間だったわけで、滝川って場所は、我が家からさほど遠い場所ではない??のか???
2005年10月19日
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入試のシーズンである。ご多分にもれず、うちでも入試が行われた。いわゆるAO入試というやつで、受験生が自己アピールをしてくるわけだ。まぁ、受験生といえどもいろいろな連中がいるわいなぁ~、といった感じなのだが、おいおい、ほんとうにうちの学校に入りたくて来ているの?と思えるような受験生までいるのだから、笑えてしまう。 AO入試は成績表など、事前に提出された書類による選考もあるが、面接と小論文などもかさえれている。面接があるならば、一応身なりは整えていくものだと、私は思ってはいる。だが、受験生を見ていると、一応制服を着てはいるが、裸足に革靴、おまけにズボンの裾はボロボロ。そこがあなたのアピールなのか?と突っ込んでみたくなる容姿なのだ。何らかのポリシーをもって、あえてそうしているのならば、一つの自己アピールとはなるのだろうが、往々にしてというか、決まってそういう学生の受け答えに見られるのは、好きだからっす、とった程度のものでしかなかったりする。 いろいろな学生がいてくれてかまわないのだが、入ろうと思うなら、相手がどう考えるだろうか?といった視点でものを考えることが必要だろう。すくなくとも、看護や福祉を学ぶ学校なわけで、好きだから、といった理由だけで自分を押し通していけはしないだろう。 まぁ、諸君。がんばってくれたまえ。
2005年10月16日
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先日沖縄に行ったことは、日記に書いたとおりなのだが、とかくあちこちへ出かける機会が多いと、お土産を買う機会も必然的に多くなる。 お土産を買うという行為は、確かに面倒くさい。大体、最後の最後になって、あわてて空港で、どれにしようか。。。などとばたばたすることが多いからなのかもしれないが。だが、ここ何回か、結構お土産探しも楽しいかも、などと感じ始めている自分に気が付いた。何を買ってあげようか、どんなものなら喜んでくれるだろうか、などと考えをめぐらせている自分が、なにやらうきうきしていたりするのだ。 自分という人間は、いたって単純だなぁ~と思うのは、こうしたことで一喜一憂していたり、今まで面倒くさいと感じていたことが、結構すきかもなどと感じていたりする自分に気が付くときだ。要はお土産を買う相手の問題なのだ。義務感で買って行かなきゃと感じているのか、買って行ってあげたいと感じているのか。そりゃ、大好きな人に何かを選んでいるときは、それがたわいもないご当地キティーちゃんのようなものでも、なんかうきうきしてしまうのだ。 自分の相手に対する思いは、自分の行為に対する質を変えてくる。鷲田清一の本の中にも、似たような事がかかれていた。「自分が誰かということは、自分の行為の中にしか現れてこない」と。人に関わることが面倒くさいと感じることがある。ケアを提供することがかったるい義務感の中で流されていくことがある。別に対象者を愛する必要はないだろうし、好きになれない相手がいてもおかしくはない。ただ、そこにケアの質を問うならば、自分はお土産探しを楽しんでいるのか、どんな思いでお土産を探しているのかを問いかける必要があるだろう。 自分の選んだご当地キティーちゃんが彼女に笑顔をもたらすならば、それが最大のお土産選びへの報酬となる。また何か、出かけたときには、お土産を買ってきてあげようと、次へと気持ちがつながっても行くのだ。 今度でかけたら、彼女にどんなお土産に買ってきてあげよう。。。楽しみだ。
2005年10月14日
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沖縄に行ってきた、ように思う。なんだかんだいって、沖縄はとても暑かった。空港を降りてホテルに着いたのが23時過ぎ。汗だくでホテルについて、冷蔵庫からORIONビールを飲む。あー沖縄なんだなぁ~と、とりあえずそれで感じる。翌日は朝からホテル内で仕事。昼の立食懇親会でソーキそばが置かれていたので食べる。あー沖縄なんだなぁ~と、とりあえずそれで感じる。昼過ぎにホテルをで、そのまま空港に向かう。背広の下を汗がつたう。あー沖縄なんだなぁ~と、とりあえずそれで感じる。空港でちんすこうをお土産に買う。あー沖縄だったんだなぁ~と、それで感じることにする。あー沖縄だったんだよなぁ~、本当に。。。涙。。。冷え冷えとする札幌の夜風を感じながら、スっげー満喫した沖縄での仕事を振り返るのである。 そして、涙。。。
2005年10月12日
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学会だ、ゼミ合宿だ、入試だ、などとバタバタとするうちに、ずるずるとブログもさぼってしまった。 今日はこれからサテライトキャンパスで仕事をしてから、午後から沖縄へ向かう。といっても、まだまだ暖かいのであろう沖縄で連休の残りを楽しんでこようというのではない。いわゆる父母懇談会という奴に出席しなければならないのだ。結局、ホテルにつくのが夜の11時ごろとなり、次の日は朝から懇談会で、終わったらそのまま直帰。沖縄を満喫できそうだ。。。涙 普段ほとんど仕事もせずにぶらぶらと過ごしていることが多いためか、ちょっと仕事が立て込むと、とたんに気がめいる。人によっては、今回の沖縄程度の仕事なら、ほぼ毎日のようにこなしている人だって入るのだろう。そういう人には、素直にご苦労さん、と言ってあげたい。でも、何でそんなに一生懸命働くの?とも聞いてみたい。生活のため、生きるために仕方なく働かなければならないのならばわかるが、日本中、世界中を駆け回っている人たちを見ると、生活は安定していて、かなりの地位を築いている人たちが多い。そう考えるならば、働くことが好きな人。仕事が生きがいである人。仕事が趣味なひと。に違いないと思う。残念なことに、私ははっきり言って、今の仕事にしろ、どんな仕事にしろ、働くのは嫌いだ。できることなら、毎日仕事などせずに、隠居生活でもしていたい。 そんな私であるので、休み明けに沖縄に、ソーキそばの一杯も食べることもできそうにないスケジュールで行くだなんて、絶対にありえないのだ。モチベーション下がりまくりの私である。。
2005年10月11日
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生きているものと、生きていないもの。その区別はどこにあるのあろう。ボーズと話をしていて、その明確な境がわからなくなった。カブトムシは? 生きてるよ。 トンボは? 生きてるよ。キリンは? 生きてるよ。 車は? 生きてないよー。そんなことかんたんだよ、と明快に答えを出すボーズ。魚は? いきてるよ。 お刺身は? 生きてないよ。から揚げは? 生きてないよ。 幼稚園の年長サンをなめてはいけない。ンじゃ、木は? ・・・・生きてないかな。 ぶ===。 生きています。そんなやり取りをしていると、「それじゃあ、太陽は生きているの?」とボーズ。「うーん、太陽ねぇ」「地球は?生きてるの?」「うーん、地球ねぇ」生きている状態とは、単に生命のあるなしに限ったことではない。例えば家なども、人がすまなくなった家は、どんどんと荒れ果てていくし、人がそこで生活そしていれば、家はしっかりと生き続けていく。それは生きているのではなく、人によって維持されているだけだ、というかもしれない。だが、物は人によって息吹を吹き込まれていくものだ。地球という星に息吹を吹き込んだのは神だろう。そして、生かされていくことが、人に託されたのだ。そして今、地球は生きているのだろうか? 素朴な息子の疑問に、神から託された人としての仕事を、もう一度顧みさせられた。「そうだな。ほしは、いきているんだね。しっかりとお世話をしないと、カブトムシみたいに、死んでしまうんだな。」
2005年10月09日
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小学校の国語の教科書だっただろうか、蜘蛛は出した糸を風に乗せ、ずいぶんと遠くまで飛んでいくことができるのだ、という話を読んだように記憶している。それが理科の教科書だったのか、本当に蜘蛛がそんなことをするのか、まるでわからないのだけれど、なんとなく頭の片隅に、蜘蛛というのは風に乗って飛ぶことができるのだ、というイメージがあるのは、そのためだと勝手に思い込んでいる。 風に乗ることはできなくても、風に乗せてやることは、時々できる。隣の住人は、隠れて時々煙を乗せているようだ(あ、内緒だったっけ、これ?笑)。私もときどき、誰かの噂を乗せてやることもある。なかば戦略的にだったりすることもあるので、戦争などで細菌を風に乗せてばら撒いたりすることに、共通するかなぁと思ったりもする。音も風に乗るんだろうか?風上にいるより、風下にいるほうが音は良く聞こえるのだろうか?これは誰かに聞いてみよう。そして、なによりも一番風に乗りやすいものといえば、やはり匂いだろう。 私が住む町は、時折風に乗せてかぐわしい匂いを運んでくる。昔友人が住んでいた東京近郊の町には、ブリジストンのタイヤ工場が会ったため、時折ゴムの匂いが風に乗って運ばれてきた。あの匂いは、とても鼻についたのを覚えている。私の住む町の匂いといえば、牧場のにおいだ。今日も駅からの帰り道、鼻先に牛のケツをくっつけられているような、牛の体温を鼻で感じられそうな、そんな気分になってしまった。決して近所に牧場があることを嫌っているわけではないし、牛や馬などを間近に見れる環境はすばらしいと思ってはいる。ただ、予期せずに風に乗って突然鼻先に牛が現れると、うわっ、と思ってしまうのだ。 発せられたにおいは、風に乗ってどこまでもとんでいく。そして、自分の知らないところで、誰かの鼻先に突然現れたりもする。ずいぶんとミステリアスだ。そして答えはいつも、風の中にあるのかもしれない。
2005年10月06日
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松江の街を歩いたのは、何年前のことだったろう。あの時一緒に歩いた人は、今どこで何をしているのだろう。 その当時のことがいろいろと思い出せるかもしれないといった、多少センチメンタルな気持ちを抱きつつ降り立った松江だったが、残念なことに、ここに一緒にきたんだけどなぁ~、という記憶の中の霧中を模索する事しかできなかった。鮮やかな思い出として蘇らせるには、ちと時間がたちすぎたのかもしれないし、さまざまなことが起こりすぎたのかもしれない。 仕事のほうはともあれ、念願だった小泉八雲の記念館と旧居を訪れることができたのはうれしかった。これと言って八雲の作品に惹かれていたわけではない。どちらかと言えば、恩田陸にはまっているだけだ。だから、恩田がああいった作品を書き上げるアイデアをインスパイアーされた松江や出雲の町や、小泉八雲の旧居などを、恩田が巡ったであろうように、ぽこぽこと歩いて回ったのだ。ひとつだけ残念だったのは、ジャズ喫茶がなかったことだ。看板は出ていたのだが、営業していなかった。 そんなことをして遊んでいるうちに、昔松江に訪ねた人物と、恩田陸とがだぶってきて、いったい自分は誰を追いかけているのか分からなくなり始めた。何かの拍子にお寺の角をぶらっとまがると、そこに何十年もたった、かつて一緒に松江を旅した恩田陸が立っているのではないか。そんな気がしてくるのだ。恩田陸の名誉のために付け加えておくが、私と恩田陸とは面識はない(書くまでもないことであった)。 その人の名前はシノブといった。かつて追いかけていた人だ。追いかけていたような気がするが、追いかけられていた気もしないでもない。20何年もたった今頃になって追いかけてみたところで、どこであろうが、誰にであろうが、追いつけるはずもないのだが、旅行鞄を両手に提げて歩く後ろ姿が、どこかの旧家の並ぶ路地を歩いているだけで見つけられそうで、松江にいると、ついつい細い道へと足を向けて歩いてみたくなるのだ。路地という路地に、それを奥へ奥へと入っていくだけで、シノブや八雲の姿を呼び出せるチカラを潜めているのだ。 私を誘いこんだ路地の奥の奥で、私は確かに出会ったような気がする。わたしが追いかけてきた恩田陸に。そして今の私には、その路地の奥の奥から抜け出してきた記憶はない。そこに何かを置き去りにしてきてしまったように。またいつか、忘れ物を取りもどしに、ハーンを訪ねよう。
2005年10月04日
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