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手許にある植物の株を、声をかけ合って、分ける。散った株が、それぞれの場所に根づいて、そこからまた、散る。この感じから思い浮かんだのは、植物の本ではなくて、小野和子の「あいたくて ききたくて 旅にでる」だった。 笠間直穂子 の 書評 の書き出しです。ここから、 小野和子 の本の具体的な引用があってこんなふうにまとめられます。
1969年以来、宮城県とその周辺の村々で民話採訪をつづけてきた著者が、八十歳になったのを機に手製本を制作した。「『民話』の足もとで見え隠れしたものを記し」たという、その本の増補版である本書は、著者の言葉どおり、いわゆる民話集ではなく、民話の「足もと」、つまり、民話を語り語られる関係が生まれる現場、さらに言えば、現場に立つ相手と自分の心身の動きを、丹念に見つめたものだ。(P180 ~181 )
経済状況でであれ、家庭環境であれ、その他どのような背景によるものであれーいや、突き詰めれば、背景はあまり関係なく、もっと普遍的なものかもしれない—苦しさ、寂しさをかかえた人間に、小野和子は引き寄せられるようだ。そのような土壌があってこそ、ひとは語る。 東京 から 秩父 に越してきた 笠間さん の庭先に咲く花をめぐっての近所づきあいから紹介されている本書ですが、 「読書案内」 としてボクが付け加えることは、まあ、ほとんどありませんね。ただ、 「あいたくて ききたくて 旅にでる」 という本書の題名について、
民話といえば、「むかしむかし」と語り出される「笠地蔵」や「猿蟹合戦」や「花咲か爺」を思い起こす人が多いだろう。現にこのわたしだってそうだった。そして、陽だまりの縁側で綿入れの胴着を着た年寄りが、孫に語って聞かせるのどかな風景を思い起こす人も多いだろう。
だが、実際にわたしが歩いて聞く「話たち」は、ほとんどまとまりがなくて、なにかの断片のようなものが多かった。いや、話というよりはつぶやきのような、ため息のような、傷口のようなそんなものばかりを、わたしは聞いてきたような気がする。
聞こうとするひとがいて、話は伝えられる。そして、受けとったひとの手許に残る。その話は、語るだれかにとってそうだったように、受けとるだれかにとっても、生きるつらさをしのぐ糧になるかもしれない。伝統の継承といったこととはまったく別のレベルで、受け継がれ拡散する宝物である「話たち」は、わたしにはやはり手から手へ渡って枝葉を伸ばす草木と似たものに見える。(P184~185)
ああ、そうだったんだ! という記述が、最後の 「最終話にかえて ゆめゆめのサーカス」 の冒頭にありましたから、それを載せておきます。
子どもは三人いた。初めて採訪に出た頃は、八歳、四歳の女の子に歩き始めたばかりの息子がいた。核家族だったから、子どもの面倒をみてくれる年寄りも身内もいなかった。それで、大学の教師だった夫の休日をねらって、私は旅にでるのだった。 小野和子さん が民話の採訪を始められたが 1970年代の末ごろ だそうですから、ほぼ、 50年前 の述懐です。
カレーライスを山のようにつくっておくのが習わしだった。上の娘にこれを温めてくれるよう頼んで、まだ寝起きで機嫌の悪い次女の目から隠れるようにして家を出た。夫はネンネコ半纏で息子を負ぶって、玄関の外にいて、
「気をつけて行けよ。無理をするなよ。」
と、いつものセリフでわたしを送り出してくれた。
これという明確な目的もなく、ただ喉の渇きを満たすような頼りない行為であったが、わたしは民話を求めてあてのない旅をしたかったのだ。それは三人の子持ちの主婦の無謀とも言える願いであったが、夫はそれを大事に受け止めてくれた。(「あいたくてききたくて旅にでる」P332)
「なあ、この旦那さん、スゴイやろ。」と同居人に声をかけると
「世の中には、そんな夫もいてはるんやねえ。」 と、ちょっと白い目を向けられてしまった シマクマ君 でした(笑)。
「ききたい」人がいて、「語る」人がいるという、「手から手へ」の情景 には胸打たれました。

追記
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