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想像力が未来を切り拓く

想像力が未来を切り拓く

2005/05/18
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カテゴリ: カテゴリ未分類



但し、我が子の教育費の大小を考える際に、そもそも私たちは親として教育に何を期待しているのか、そして、教育はその期待に応えているのか疑ってみることが必要だと思います。個人の不平等を拡大させるなど問題点が多い現代教育の現状を再認識することが大事だと思います。

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教育費がどれくらい掛かるか?文部省の調査によると、幼稚園から大学まですべて公立を選んだ場合で約8百万円、私立だと約15百万円となっています(学校以外の塾や習い事を含む)。「この金額を目指せば言い訳ね」と安易に貯蓄計画を決めてかかると、後で「どうも勝手が違う」ということになりかねないのです。

数字は平均金額を取っているのですが、ここから一般的にイメージする姿は、平均とその近辺が最もサンプル数が多く、そこから離れるに従い徐々にサンプルが少なくなってゆくものだと思います(正規分布)。しかし、筆者の周辺を見る限り、教育費のかけ方は明らかに2極化しており、塾・習い事などの費用を相当かける家とそうでない家との差が大きくなっているように見受けられます。そして、教育に費用をかける家の子供が難関とされる学校に進学している事実は否定できないように思います。

一般的に子供の教育に期待しているのは何でしょうか。理念的な考えから、幅広い視野をもった教養の深い人間に育って欲しいという願いをもつ親がいます。一方で、子供が将来社会人になって生活に困らないよう所得を得る能力を高めることを期待している親がいます。少子化の時代にあっても難関とされる名門校の競争率が厳しい実情は、とりわけ現代においては後者が注目される時代であると思います。

もし、教育が社会人になったときの稼ぎを良くするための修養期間であると位置づけるなら、昨今ニートとかフリーターとか呼ばれる若者が激増している事態をどう考えれば良いのでしょうか?
フリーターは今や4百万人を優に超え、若者5人に1人がフリーターと云われています。その親は、我が子を将来フリーター、もしくはパラサイト・シングルにするために教育費を払ってきたのでしょうか。闇雲に教育費を貯めるよりも前に、やはり知っておかなくてはならない現実があると思います。
現在フリーターとなっている若者の親は、自分の子供がフリーターになって欲しいと願っていた訳ではありません。ということは、教育費をかけても、我が子が期待通りに育たない可能性は決して小さくないのです。教育を親子間にわたる投資と考えるなら、極めてリスクの高いものと云うことができます。つまり教育投資は、投信など価格変動する金融商品等を買うより遥かに大きなリスクを負っていると思います。


識者の間では、学校教育が子供の格差を広げている事実が指摘されています。

<参考>
封印される不平等(橘木俊詔、東洋経済新報社)
希望格差社会(山田昌弘、筑摩書房)
教育を経済学で考える(小塩隆士、日本評論社)


日本ではかつて一時期、国民全体が中流意識をもっていたときがありました。しかし、バブル崩壊以降は中流が消滅し、貧富の差が拡大してきたことは統計的にも裏付けられています。社会学の統計に、所得の不平等の度合いを示す「ジニ係数」と呼ばれる指数がありますが、これを見ると90年以降からコンスタントに不平等が大きくなる傾向がはっきり見て取れます。

これは所謂、結果の不平等であり、努力して成功した者が報われるのだから問題ないと考える人がいます。ソフトバンクの孫氏や楽天の三木谷氏が巨額の報酬を受けても、それだけリスクを取って懸命に働いた結果であるなら誰も文句を云う筋合いではないと云う考え方です。米国ではマイクロソフトのビル・ゲイツのような桁外れの報酬をもらう人がいますが、これとても一人の天才がいてくれたおかげで文字通り世界中の人々がコンピューターソフトの恩恵を受け、また多数の人に対しその企業で働く機会を提供していることをもってすれば決して高くないという意見もあります。

但し、一方では夜の新宿駅などで見られるホームレスの群れは、高度成長期にはなかった光景であり、生活レベルにおける底辺の人口が増えています。また生活苦を理由に自殺者が増加しているのも事実であって、こうした富める者と貧しき者との光と影の差をどこまで認めるかは人により意見が分かれるのではないかと思います。

しかし、もっと問題が深刻なのは、結果の不平等だけでなく、理念的に守られるべき機会の平等もおかしくなっているという点です。しかも、教育のレベルで機会の不平等が進んでいるという事実を直視することが当欄のポイントです。

東大の学生の親が、他の大学と比べ、経済力があり学歴も圧倒的に高いことは有名な話です。東大に限らず名門とされる大学の場合をみても、同様の傾向がはっきり出ています。学費が高いことで知られる難関医学部の学生の親の多くが医者であることも周知の事実です。
もはや貧しい家の秀才が家業を手伝いながら苦学し、将来の立身出世を夢見て東大に入り、次代のリーダーになった時代からは程遠くなっています。ましてや、家の経済的理由で有名大学への進学を断念するケースは極めて稀になっています。


残念ながら、人は自分の生まれる家を選ぶことはできません。生まれた家の状況、親の経済力や学歴などが自分の教育環境に影響し、それが自分の将来の大学進学や職業選びに結びつくと考えたら、とても機会平等の社会とは云えないと思います。
上層の家庭に育った子供は学校教育を経て上層へ、下層の家庭に育った子供は下層へと分化してゆく姿は、階層社会そのものではないかと考えてしまいます。

余談ですが、上層に育ち「勝ち組」に属する者同士の男女が結婚するケースが多くなっていると云われています。「勝ち組」の男性が「負け組」の女性(容姿に優れる)と結婚するケースはありますが、「勝ち組」の女性は「負け組」の男性を伴侶に選ぶことは殆どないので、自然とその組み合わせが多くなる訳です。下層に育つ「負け組」同士の場合は、「できちゃった婚」を除けば、生活面で到底成り立たないのが見えているので、結婚しない・できないということになります。非婚が増え、パラサイト化が一層進行する危険性をみなければなりません。自分の子供に将来どういう生き方をさせたいか、自分が下層に属すると思う家庭であれば、子供の教育環境を余程真剣に考える必要があります。

不平等化の中で、それでも下層に育った子供が自分の劣後した環境を跳ね返す意気込みがあればまだ救われる気がします。しかし現実は逆であり、親が生活に追われ子供の教育・将来の職業選択問題に割く関心・時間・エネルギーが不足しているケースが多いためか、子供は上昇意向が乏しく、よりよい生活を目指して努力する姿勢に欠ける傾向が強いのです。

昨今の社会学では、インセンティブ・ディバイド(意欲格差)とか希望格差とか呼び方がありますが、要は、教育において家庭環境の差が、子供がどのように育つかの決め手になるし、なにより子供がどこまで努力の意欲を持ち得るかを決める際に、その差が重要な役割を演じるということを指摘しています。







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最終更新日  2005/05/19 03:33:14 AM


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