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*****************************「投信ポートフォリオを作って運用をスタートとしたけど、これから先はどうするの?何もしないでいいのかしら?そうは云っても上がったり下がったり、長期投資とか云ってもやはり気になるわよね。それに、いざ現金を使うときはどうするの?」投資を始める前も損するのが嫌だしどうしようか悩むものですが、始めてみれば案の定あれこれ考えてしまうものです。迷う心を振り切り、どうにかこうにか投資家として走り出した人はゴールまで完走できるか心許ない気持ちかもしれません。そんな不安にかられるあなたにぴったりの心得集を紹介します。*****************************Q: 「いざ資金が必要なときはどうするの?」 スタートする前にも多く受ける質問です。A: 実際に現金が必要になるときに必要な金額分を解約すればすみます。いつでも、しかも小口でも売買できるのが投信のメリットです。一部解約の場合は、なるべくポートフォリオのバランスを崩さないよう、アセットクラスの構成比に留意して現金化しましょう。Q: 「折角途中まで良かったのに売却する直前で暴落したらどうするの?」 A: 対策はありません。運が悪かったと思って諦めて下さい。ベストの売り時が予め分かるなら誰も相場で苦労しません。それを分かろうと願うことが余分に売買を増やします。そして売却すると市場は上がり、後追いで買うと市場は下がるケースが殆どです。却って運用パフォーマンスを下げる弊害が圧倒的に多いと思います。「そりゃ、あまりに冷たい!」?まあ、そう嘆き、憤る前に投信ポートフォリオと付き合っていくときの大事なルールを確認しておきましょう。運用をスタートしたら、ポートフォリオは定期的(1~2年に一度くらい)に見直すことを忘れないで下さい。見直す際のポイントは、(1)ポートフォリオの構成比が当初と大きく変化していないかどうか。もうひとつは、(2)自分の生活状態・将来計画に変化がないかどうか。(1) 例えば、ある特定資産が急騰した場合、その構成比が高まります。ここ3年でいえば日本株、特に小型株が大きく上昇しましたので、スタートした時と比べ構成比が大きく増えているはずです。(ファンドにより差はありますが3年間で3倍以上になった小型株ファンドは結構あります。)するとポートフォリオはその分小型株のリスクをスタート時点より多く抱えることになります。他の資産も小型株に連れて同様に上昇していればポートフォリオ全体のバランス(構成比)は崩れませんが、例えば外債は3年間でせいぜい1.1~1.2倍ですので外債の構成比は下がります。こうした資産間のリターンに爬行性が甚だしい場合、当初想定した以上の株式リスクを負う形となったり、市場急落時には思いもかけぬ価値の喪失に見舞われかねません。そうしたことを避けるべくポートフォリオの中の構成比で膨らんだ部分を削り、その売却代金でその他の資産を買い足す作業を「リバランス」と呼びます。上の例で云えば、小型株の一部を売却し、その代金を外債その他の構成比の下がった資産購入に充てることです。ポートフォリオのリスク特性を維持し、継続的に自分にあった形で保有するための作業が大切です。なお、このリバランスはあくまでリスクを自分の尺度に見合うようコントロールする作業であり、高いリターンを狙い相場見通しに応じて積極的に構成比を変えることとは異なります。(注)あまり頻繁にリバランスを行いますと、売買手数料や税金などコストが嵩みますのである程度間隔を空けて行うのが賢明です。ポートフォリオのタイプにもよりますが、シミュレーション上は1~2年程度に一度見直しすることで十分です。(2) 例えば、サラリーマンが退職した後新たな所得収入がない場合は、リスク許容度が下がりますのでそれに伴いポートフォリオの構成比を変更することが必要です。ポートフォリオ全体のリスク度合いを下げる調整を行います。リスク性の高い株式の組入れ比率を下げ、相対的に安全性の高い不動産リートや債券へシフトします。(注)一般的にリスク度合いを下げると云えますが、その人の資産保有状況や年齢・家族構成などを無視して一律に行うのは無理がありますので、その度合いなど個々のケース毎に検討する必要があります。信頼できるアドバイザーに相談すると良いと思います。従って、資金を使うスケジュールが見えている場合に、直前の急落で落胆しないためには(1)(2)の作業を怠らないようにして下さい。ソフトランディングを図りたい人は、資金化の時期が近づくのに合わせてリスク度合いを徐々に下げる方法が考えられます。また、目標金額に達した人がそれ以上欲張らずに株式ウェイトや為替リスクを引き下げることは合理的だと思います。但し一挙に全部現金にしてしまうのは考え物で、やはり長期的にはインフレのリスクは留意しておくべきでしょう。******************************長期投資はマラソンと同じかもしれません。決して楽しいことばかりではなく、途中で苦しくなり止めたくなる時期がきっとあると思います。しかしゴールに到達した時の喜びは一入であるに違いありません。一旦走り出した以上是非完走したいものです。投資初心者の啓蒙書として勧めていますが、チャールズ・エリス「敗者のゲーム」(日本経済新聞社)に投資の心得が書いてあります。最後にこれを紹介してお仕舞いにしましょう。<投資家の犯し易いミス>◎ 頑張りすぎること; 市場リターンより多くを得ようと無理をすること◎ 保守的すぎること; 短期的な相場変動に引きずられて警戒しすぎ過大な現金を保持すること◎ マーケットタイミングの予測で成功しようとすること; 底値で買って天井で売ろうとすること◎ 短期的心理的に動揺して、長期投資への決意を揺るがせてしまうこと◎ 長期的に証券投資で成功していくためには、短期的損失は避けられないと覚悟せよ!◎ 証券会社の担当者をあなたの友人と信じてしまうこと、◎ インフレーションが投資家にとって手強い敵であることに気づかないこと、◎ 運用機関をむやみに変えること- 常に最高の運用機関を求めようとすること、
2006/02/25
上げ相場だって悩ましい ~ リスクと期待感のコントロール相場が低調で下落続きの時はとりわけ投資家は考え悩むものですが、逆に強いときもこのままで良いのか迷うことがあります。資産運用などの相談に応じる投資アドバイザーの仕事は、最近は楽で良いのだろうと思いがちですが、相場が強ければ強いでまた考え悩むことがあるようです。2000年のITバブルの崩壊途中から投資アドバイザーを始めた人の話を紹介しながら、過去との対比を行い、今後の投資スタンスを考えたいと思います。 *********************(因みにこの話はライブドア・ショックが起こる前のことです。)年初に知り合いのファイナンシャル・アドバイザーから久しぶりに連絡がありました。昨年の好調な相場に評価益が大きく膨れた顧客が少し浮かれてきており、もっとリスクを取りたいと云って来ているのでどうしたものかという相談でした。彼は短期売買を推奨するタイプではなく、顧客のライフ・プランをベースにしながら、投信ポートフォリオの提案を基本に長期分散投資を勧めているアドバイザーです。彼が云うには、リスクの高い商品を売った方が販売員でもある自分にとり実入りが良いので経営上の算盤も考えると、正直な話、迷いが出たそうです。今までの投資プロセスを変えるのは自分自身の哲学の問題として、そして投資を始めて間もない顧客のためにも良くないと彼は考えているのですが、リターンの勢いに眼がくらむ周囲の人々の雑音が増幅され、従来のやり方で良いのか頻繁に疑問を投げかけてくるようです。彼とは6年来の付き合いとなります。全くの投資経験ゼロの顧客にイロハのイから教え、老後のために着実な資産形成方法として投信ポートフォリオを勧めてきましたが、今でこそ株式投資に理解が得られたものの、当初は相当毛嫌いされて困ったと云います。特に2002~03年頃は株投資に対し相当な抵抗があったらしく、今と全く逆にリスクは取りたくないの大合唱でした。とりわけ日本株に関しては当時、「日が沈んでしまった日本はもうダメでしょう」とか「国家破綻するのではないでしょうか」とか悲観論で一杯でした。彼は、自分が住み、自分の子供たちが生活する社会が健全であることを期待するように、それらを映す鏡である株式市場のメカニズムと活力を信じたいとあたかも伝道師のように顧客に訴えていました。それがこの2年の間に正反対になった訳です。彼が戸惑うのもわかる気がします。彼のコメントは以下のようなものです。 ********* 市場が強気なると、どうしてもリターンの大小に目が向きリスクの話はお留守になりがちです。周囲が同じ論調だと余計安心してしまい、より高いリターンを追い求めることになります。振り返れば、よくご存知のように常にバブル相場はこの繰返しでした。まだ慎重論を云う人がありますので完全にバブル的な領域ではないと考えますが、恐ろしいのは、こうした慎重論を唱える人が臆病者と云われ始めるときでしょうか。例えば、仮に今年も去年に負けないくらい上昇したりすると一段と強気が増すでしょう。今の時点なら今年4割上げたら絶対売却するという人も、いざ本当に上げた場合冷静に売却して相場から去ることができるかどうか、甚だ疑問です。何だかんだ理屈をつけて、逆にさらに上値を買ってしまうのが普通でしょう。2002年~03年の下落局面のときもそうですが、相場は上げであろうが、下げであろうが、問われるのはその人の哲学という気がします。一貫したスタンスで相場に臨めば大儲けはないかもしれませんが大怪我をすることはないと思います。それでいて、この6年間自分と顧客が実践してきたように相応のリターンは出るものです。相応どころか、預金よりはマシなリターンをと思って入った人にとり実際は目も眩むような高いものでした。ですが、大きく下げる、大きく上げる、しかもそれが少し長い期間一方向で続くと一度決めた自分の哲学・投資スタンスがズレてしまうというのが往々にして陥る失敗の原因です。今リスクを大きく取れば一時的には成功するかも知れません。今以上に顧客から信頼を集められるかもしれません。しかしその成功体験が次の下落局面のときに仇なすことになるかもしれないことを肝に銘ずるべきだと考えています。30年近くなる自分の投資経験から云えば、それほど器用に波を乗り切れるタイプではないので、ある意味では「愚直に」基本を貫くことにしています。自分自身の投資も含め、アドバイザーとしての職業も長期分散と心中するつもりでいます。今の環境下では、リスクを高め成功している隣の人のパフォーマンスを見てもぐらつかないくらいの信念がないと相場で長く生き続けることはできないと思います。 ***********************************この数年間であれば記憶も確かでしょう、相場の浮き沈みの過程で、自分がどうだったかを心静かにふり返ってみてはどうでしょうか。ひょっとしたら、損したこと、間違ったことなどは忘れ、儲かったこと、予想が当たったことなど自分に都合の良いことしか覚えていないかもしれません。しかし、ゆっくり丹念に自分の心理を追いかければ盲点が見えてくると思います。自分の内なる「欲」と「恐怖」に気づき、真に自分に敵するものは市場変動ではなく自分自身であることを知るのではないでしょうか。ダメな人? そうですね、リスクの把握と期待感のコントロールが苦手という方は賭け事はもちろん相場には向かないタイプです。そういう方は自分でやるのは諦めて、上記のような信頼できる投資アドバイザーに相談することが近道ですね。
2006/01/24
先週は東京地検がライブドアの捜査に入ったことを受けて、東京株式市場が随分と揺れたので驚いた方も多かったと思います。捜査がどう進むのか、ライブドアの株が今後どうなるかわかりませんが、ストップ安が続き上場廃止の可能性もあるので、つくづくと個別株投資の怖さを感じます。やはり分散が大事ですね。****************************今日は少し角度を変え別な観点で書いて見ます。今回の市場全体の下げを見て、個人的にはこれで上昇相場の息が長くなるだろうと予想するので良かったと思っています。あのまま上げ続けていたらもっと強烈な反動があったにちがいないと恐れていたからです。つまり、ライブドアの事件は大幅調整の単なるキッカケにすぎず、別に他の何であれ、売りの材料になれば何でも良かったように思います。昨年のように一本調子で上げが続けば本来リスクを負えない投資家・資金までが流入してきます。利回りの高い預金くらいの感覚、あるいは必ず当たるギャンブルくらいの気持ちで株式を購入する人が増えていました。市場変動商品は投資家がリスクを忘れかけた頃に、それを思い知らせるようにやってくるものと云ったら皮肉でしょうか。今回の急落でケガをした人はいるでしょうが、あのまま上昇し続ければ次の下落時にはもっと被害者が多くケガの度合いも大きくなるのは間違いありません。リスクを取れる人が自分に見合った投資をすれば、一本調子の上昇もなくなるかもしれませんが、市場が暴落し投資家を蹴散らしてしまうこともなくなるだろうと思います。息が長くなるとはそういう意味であり、今回の程度ですむのならむしろ歓迎すべきことと思います。市場がブームの時は、買ってはいけない人(リスクを見ない人)が株式市場に参入してきますが、下落局面はそうした投資家の手を離れ、本来保有すべき人(リスクに見合う投資を考える人)に株が戻ってゆく過程だろうと思います。**********投資とは別に、これで既成の社会秩序に挑戦する若者が減るとしたら大損失だと思います。確かにホリエモンの言動は嫌われる要素がたくさんあり、今回の地検の捜査で懲らしめられた方がいいと思っている人も多いようです。しかしあまりに旧態依然の決まりきった社会の秩序を変え、日本人、特に若者の思考にダイナミズムを齎した彼の功績は評価すべきであろうと思います。野球球団を作るとかメディアを買うとか、誰も考えもしなかったことをやろうとして失敗したにせよ、びくともしないような既成の権力を揺さぶってみせたことを数多くの若者が支持したことは確かです。そんな若者の気概を打ちのめすことになるとしたら明日の日本を憂うことになりかねません。***************************東京も週末は大雪でした。あらたしき 年のはじめの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事 (大伴家持)良いことが積もり積もってくれるよう期待していましょう。
2006/01/22
「こんなに上がるとは思ってもみなかったねえ。」 大方の予想を上回り今年の日本株は4割以上上昇しました。 どの投資家の顔もほころんでいて、バブル崩壊後の長いトンネルを抜けた人々の表情にもようやく明るさが戻ってきたようです。確かに今年は殆どの金融資産が右肩上がりで値を上げた一年であり、投資した人がこれほど万遍なく報われた年は近年珍しいでしょう。 日本株以外でも、為替(ドル円:103円->117円)が円安となり、その恩恵を受け外貨投資(外貨預金・外債・外株)も相応のリターンとなりました。 テーマを追って資源株や資源国に投資した人は2倍以上の儲けを出したかもしれません。 BRICsも中国(上海・シンセン)はダメでしたが、今年注目を浴びた中ではインドが5割上がり、ロシアに至っては2倍にまで達しました(円ベース)。上昇過程で目立った急落局面もなく調整は短期間に終わったことから投資家にとって極めて居心地の良い相場だったと思います。 買えば直ぐ上がる相場は気分のいいもので、デイトレーダーの中には10年分稼いだと自慢する人も多いようです。来年はどうなるか、経済関係誌が挙ってエコノミストの予想を乗せ始めました。 今年の年初と比べると楽観論が多数であり、悲観論はめっきり少なくなりました。但し、値上がりした土地や株価はバブルではないかとの意見があります。そんな警戒心の強い人を指して羹に懲りて膾を吹くと批判している人もいます。 どちらに軍配が上がるか、1年後の今日に再度見直してみたいと思います。予想は当欄の趣旨ではないのですが、投資を始めて間もない人や投資アドバイザーに向け老婆心ながら来年の注意点を一言書いて今年最後とします。投資を始めた方は値上がりを喜ぶ一方で、「もっと買っておけば良かった」、「あそこで思いっきり買っていれば今頃は・・・」などと考えていませんか。あるいは、「株の方が儲かったのに、毎月分配の外債ばかり買ってしまい失敗だったわね」 「一番上げたのは石油で潤うドバイ市場かな?来年はこういう所に投資しよう」と思っていないでしょうか。市場がどこもかしこも軒並み上げてくると人々が考えるのはリターンの大小ばかりとなり、大事なリスクを忘れてしまいます。急いで儲けようと焦り出し集中投資に走り分散投資を忘れてしまいます。 例えば、今年の40%超という日本株のリターンを見た私達は、来年仮に7%上昇と聞いても物足りないと感じてしまうのではないでしょうか。7%とは10年間続けば約2倍になる上昇率で、ゼロ金利に慣れた眼からは相当高いものです。しかし、今年の勢いを見てしまうともっと高いリターンが期待できるものはないか、自然と眼が他に向くことになります。 リターンが高いか低いだけで投資対象を選択する傾向となり、見通しが外れたときの備えが留守になりがちです。 膨れ上がった期待感で投資すればリスクの高いものに流れ、期待が裏切られればパニックに繋がりかねません。こういう時こそ自分の中の期待感(欲と云ってもいいでしょう)をコントロールすることが重要です。ついさっきまで、「ゆっくり時間をかけて着実に資産形成をするんだ」と云っていたのに、目の色変えて「次はどれが一番あがるのか」と探し始めたら危険信号です。 今年の成功が来年以降の失敗の原因とならないよう気をつけることが肝心です。必ずしも来年を弱気で見ているという意味ではありません。相場見通しではなく、投資の姿勢を問題にしているのです。バブルの教訓は、バブルであるかないかをそのとき判定することはできないということと、バブルに巻き込まれず、その崩壊の影響を和らげるには長期分散投資の考え方が有効であるということです。 長期分散投資とは株価の下げ局面だけのトークではなく、上げ局面でも自分に言い聞かせるべきルールなのです。それでは来年が良い年でありますように。
2005/12/31
アドバイザーの必要性は理解できても信頼に足るアドバイザーをどう見分ければ良いのか、はたと迷うのが現実です。理想的なアドバイザーが自分のそばにいれば問題ないでしょうが、実際は羊の顔をした狼と同じで、顧客本位ですと声高に言いながら心の中は手数料稼ぎで算盤をはじいているセールスマンがウヨウヨしています。じゃ、どうやったら見分けがつくのか悩んでしまいますが、赤頭巾ちゃんのように狼にだまされない方策はないものか考えてみましょう・・。******************************見分け方に関し八つポイントを挙げますので試してみると面白いと思います。金融マンにだまされないためのヒントと云っても良いもので、自分の人生と資産を守るのに役立ってくれるでしょう。1.第一印象を大事にせよ世の中慎ましやかに生活している人は謙遜するケースが多いのですが、実際あなたの眼は節穴だらけであろう筈がない。目の前にいるアドバイザー・販売員がどんな性格の人物か、それなりの印象をもつと思います。几帳面で硬いいかにも銀行員風とか、口八丁手八丁の証券マン風とか。無表情で事務的に話すタイプか、自信過剰で傲慢なタイプとか。アドバイザーから出てくるサービスの質は、その人の性格を反映していると考えて間違いないと思います。つまり、第一印象で気に入らないならやめた方が良いということ。いずれサービス内容で期待外れの時に遭遇すると、やはり最初から何となく気が進まなかったと後悔する羽目に陥ります。販売員は掃いて捨てるほどいます。気に入らない人を相手に、自分の「真剣なお金」に関し相談する必要はないと思います。2.アドバイザーからあなたに関する質問はあるかあなたのこれまでの人生、これからの目標、生き方や価値観などは殆どお構いなしで、あなたのお金に関してのみ質問してくるアドバイザーもやめた方が良いでしょう。いわんや、いきなり「これ買いませんか」と商品の説明をする者は論外です。少しでも良いアドバイスをしようと心がける者であれば、あなた自身に関すること(投資家属性)を知らずしては不可能であることを認識しています。処方を考える医者が患者であるあなたの容態を見もせずに注射をしたら驚きませんか?あなたの保有している資産しか質問してこない人は、あなたの資産から手数料を稼ぐことしか関心がないのと同義です。3.アドバイザーは良い聞き役となっているか面談の間、ずっと一方的に話してばかりいるようなアドバイザーは失格です。しかも自慢話で終始するようなら、どんなにメディアで有名な人だろうと最悪と思って間違いありません。相手が自分の話を真剣に聞いてくれていないと思ったら即刻やめたが良いと思います。仮にアドバイザーが知識や情報収集で少し落ちるにしても、顧客の声に注意深く耳を傾ける人なら、時間が経つにつれあなたに役立つアドバイスをしてくるでしょう。もちろん真剣に聞いている振りだけで、あなたの話したポイントを聞き漏らすような者は駄目ですが。 4.専門用語で煙に巻いていないか専門用語やカタカナ英語を多用し、あなたが理解できないような話し方をするアドバイザーは、あなたを煙に巻いて騙してしまおうという算段か、あるいは、単に分かり易く簡潔に説明できない無能か、いずれかです。じっと10分間説明を聞いても理解できず、自分が愚か者のように落ち込んだ気分になるなら、それ以上聞く必要はありません。複雑で難しい内容であっても、誰にでも分かり易く説明できるのがプロフェッショナルです。自分には全く理解できないような言葉を乱発しているアドバイザーを見て、有能に違いないと惚れ込んでしまう人が時折いますが甚だしい勘違いです。分からない相手から、分からないものを買うために自分の「真剣なお金」をつぎ込んではなりません。自分のレベルに合わせ、時に優しい教師のように教えてくれるのが良きアドバイザーであると思います。5.自分のポートフォリオを見せてくれるかアドバイザーが自分自身のお金で投資をしている筈であり、そのポートフォリオを見せてもらうのが良いと思います。そして、もしアドバイザーがあなたに勧める商品を、自分で購入していない場合、なぜそうなのか納得できるまで理由を聞くべきでしょう。銀行の管理職が典型で、客には投信などのリスク資産を勧めながら、自分は預金しかしないという話はよく聞きます。自分の「真剣なお金」で投資しているものを顧客に勧めてくるようなアドバイザーなら、相談してケガが少ないと云えるでしょう。6.運用や資産形成に関し明確な哲学を持っているか運用関係の教科書に書いてあるような借り物ではなく、アドバイザー自身の経験に裏打ちされた投資哲学を持っているかどうかもポイントです。それがなければ、おそらく大衆と共にマネー誌やメディアに追随し、振り回され懊悩するだけの、どこにでもいる販売員と変わりないでしょう。上司に命じるものを云われるがままに売る販売員は、あなたが求めているアドバイザーではありません。上司が変われば手の平を返したように売るものが変わってしまう規律のない人を相手にしないことが大切です。例えば、経験も成功事例ばかり話す人は避けた方が良いでしょう。失敗事例を隠さず話すタイプの方がはるかに無難であると思います。成功と失敗の両方の事例から学んだ経験こそ、次代に通用する哲学を養ってくれるものであると考えるからです。 7.取引から得られる手数料・フィーを明示しているかアドバーザーも職業として成り立つためには収益がなければ継続しません。奉仕活動ではない以上、取引に応じて手数料やフィーをもらっている筈です。個別株・投信のように顧客に見えるものもあれば、預金・債券・保険のように見えないものもありますが、商品を問わず取引から得られる手数料・フィーを顧客の前に明示できるかどうか。自分が顧客のためになるサービスをしているなら、サービスの値段である手数料を正直に話せるでしょうし、そのサービスを評価している顧客なら正当なものと理解するだろうと思います。もしそれを否定してしまえば、自分に良質のアドバイスを提供してくれる人がいなくなるのを恐れるからです。名前だけのアドバイザーは星の数ほどいますが、良質のアドバイスをしてくれる人はそれほど多くはありません。余談ですが、富裕層になればなるほど良質なアドバイスに進んで対価を払う傾向があり、真剣に顧客の利益を考えるアドバイザーほど、かけている時間給の意味を込め手数料を明らかにするようです。8.何故投資アドバイザーになろうとしたのか、このビジネスに入ろうとしたのか会社であれば企業理念、個人であれば志とでも云うべきものです。顧客の資産形成や保全の手助けをしたい、金融アドバイスを通して顧客が幸せな人生を送れるよう応援したいという熱いミッションを胸に始めた人もいれば、そういう素振りだけで自分の経済的成功を助けることのみ熱い人もいます。単に組織内の人事ローテーションで嫌々ながらやっている人もいます。何故アドバイザーの道を選んだのか、それに対する回答には人それぞれニュアンスがあるでしょう。望むらくは、プロフェッショナルとして金融の仕事に情熱を持っていることと、顧客の人としての生き方に関心を持つことが要素に含まれているべきではないかと思います。以上1-8のポイントを話すうちに、目の前のアドバイザーが信頼に足るかどうか、多少は見えてくるのではないでしょうか。自分には人を見る眼がない!と云わずに、まず試してみたらどうかと思います。少なくとも、金融マンのあなたを見る目が必ず変化することは間違いありません。
2005/11/21
Q:投信ポートフォリオで毎月分配型の外債は買わないのか?質問がありましたのでお答えします。保有していません。投信では毎月分配型の外債ファンドが一大ブームですが、自分のポートフォリオに組入れるつもりはありません。年1-2回決算の、なるべく分配金を出さない外債ファンドを選んでいます。***************************<売れている割にパフォーマンスは・・・・>売れ行き抜群の外債ですが、この3年間決してパフォーマンスが良い訳ではありません。欧州債券は為替でユーロ高円安が続いたので良かったのですが、米国債券は為替のフォローがなくパッとしませんでした。今年だけみると円安なので少し良いようですが・・。不思議なことに、この3年間でパフォーマンスは殆どゼロ、中にはマイナスなのに残高は急増している米国債ファンドがたくさんあります。一方で、基準価額がプラスどころか、2倍~3倍になっている株式ファンドの残高が伸び悩んでいるのですから世の中何が売れるのか分からないものです。年金の足しにとか、一番売れているので安心ですとか云われて買っている人が多いのでしょうか。もう少し冷静な眼で別の観点から投資を眺めることもあって良いのではないかと思います。ついでにもうひとつ。外債ファンドは保有していますが、ポートフォリオにおけるウェイト(配分比率)はほんの少し、1割もありません。大半を株式が占めています。実はこの配分が極めて重要なのですがこの話(アセット・アロケーション)はまた別の機会に触れます。<分配金をもらってどうするか?>毎月分配は税金面でも効率が悪い投資目的は老後のリタイアに向けた資金なので今すぐ使う訳ではありません。分配金をもらっても再投資しなくてはなりません。それに分配金をもらう際に税金(現在優遇税制で10%)を差し引かれ、その残金を再投資するのでは面白くありません。国民の義務として税を納めることに吝かではありませんが、道理も意味もなく取られるのはできれば辞退したいのが人情です。投信は一般事業会社の決算と異なり、ファンドの中で利益(利息収入や売買益)が出ても、分配金として払い出されなければ課税されないで済みます。つまり、今すぐ分配金を小遣いとして使いたいという人は別ですが、筆者のように10年・15年、あるいは20年以上にわたり時間を掛けて投資元本を大きくしたいという者にとっては、分配金は運用効率を下げるのでむしろ弊害となります。急に現金が欲しくなったらどうするのかって?必要金額分を解約します。その際は利益に対し税金がかかります。これは仕方がありません。しかし分配金を出さないファンドでれば、自分で解約し利益を出す時まで課税を後ろ倒しにできる点がミソです。毎月納める必要はないので、その間資金を運用できるメリットがあります。さらに他に売却損があれば、その損と相殺(損益通算)し課税を免れることもできます。折角リスクを取って少しでも増やそうと運用して頑張っているのに余分に税金を払うことは避けたいじゃありませんか。<チャラですむ筈が・・・>具体的にはこんな事例を見たことがあります。毎月分配金を受け取り課税されていたのですが、たまたま大きく円高となり基準価格が下がり元本割れとなったので怖くなって解約した。計算してみたら分配金(税込)の合計額と元本割れの金額が等しかった。「でも、チャラになる筈なのに実際に受け取った金額の方が少ない、おかしいんじゃないの、これ?」と聞きにきた個人がいました。そうです、税金分だけ手元に返ってきた金額が少ないのです。分配していなければ基準価格は当初の価格に戻っただけですので解約時に課税されません。同じ金額が手元に戻りますが、分配したおかげで手取り分をロスする格好となったケースです。<複利の奇跡を思い起こそう>金融機関の店頭においてこんな説明はされないので個人が知らなくても仕方ありません。しかし、当面使いもしない人にとり分配金はもらってもあまり意味がないという事実を考え商品選びをしてみては如何でしょうか。以前にも触れたベンジャミン・フランクリンの錬金術にあった複利の話を思い出してみて下さい。そして自分の希望やスタイルにはどういう投資商品が相応しいのか、もう一度アドバイザーや販売員の人と相談してみるのが良いと思います。*****************************
2005/11/11
「あそこで強く勧めてくれたらもっと本気で買ったのに・・」「あの時断固反対してくれれば売るのをやめたのに・・」初心者だった個人投資家も経験年数が経ってくると、営業マンやアドバイザーに対しこんなタラレバを云うことがあります。相場変動はあとから振り返れば何時の時点が売買すべきタイミングか自明のことなので、あそこで買っておいたらとか、あの時売っておけばと考え悔やむことが多くなります。よりよい成果を求める欲求は誰しも同じで理解できるのですが、欲をかきすぎ後悔のあまり他人に責任を転嫁したり、冷静な判断を見失うことがないよう気をつけたいものです。**************************<誰だってタラレバを云いたくなる>実際にあった話ですが、最初の「あそこで」とは2003年の春のことです。日本はデフレの真っ只中、イラク戦争が始まり日経平均が8千円割れの最安値を付けにゆく場面です。この時期株を買うのは狂気の沙汰、何故株の購入を勧めるのかとこの投資家に激しく反発されたことを覚えています。とりわけ、購入する株の中に日本株がかなりのウェイトで入っていたことがその投資家の神経を相当逆撫でしたようでした。雇用・設備・債務と「3つの過剰」を抱えた企業は収益構造を再構築するのに呻吟し、需給面でも持合解消や代行返上からの売却で上値が重いことが指摘されていました。また少子高齢化が進み人口減少社会となる日本の未来は暗いので日本株は上がるはずがないという悲観論が強い頃でした。結局その投資家は株全体のウェイトも日本株のウェイトも引下げ外国債券にウェイトをかけて投資することになりました。次の「あの時」は2004年の春のことです。本格的なリストラの進捗を受けて企業業績は明るさを取り戻しつつあった頃でしたが、景気は輸出主導で依然米国頼みであり、とても自律的な回復過程に入るのは程遠いので長続きするのは難しいと弱気の見通しが一般的でした。1万2千円を回復した日本株はバブルであり、また反落するに違いないという見方もありました。居てもいても立ってもいられなくなった顧客が今すぐ利食いたいと騒ぎだしたので、売却後はどうするつもりか訊いたところ、下がったところで再度買うという返事でした。次に買うタイミングはずっと難しいかもしれませんよというアドバイスも聞かず投資家は直ちに売却の電話を入れていました。売却後は下落局面を待っていたのでしょうが、さしたる調整もないまま、あれよあれよという間に上昇していく相場に結局乗れず仕舞いでした。最近久しぶりにこの客に会ったときの会話が冒頭のものです。損を出した訳ではないので雰囲気は険悪なものではありませんが、やはり物足りなさを感じているフシがありありと見受けられました。<欲をかけば落とし穴も増える>欲が深くなれば、ベストの売買タイミングを求めて右往左往することになります。残念ながら将来を読めない人間は、一時的に「当たる」ことはあっても「当て続ける」ことはできず必ず失敗することになります。ベストを求めることは困難と割り切り、失敗も一時的な軽症に止め決して致命傷とならないよう策を講ずることが肝心です。筆者が長期分散投資を勧めるのはその趣旨です。ベストのリターンはあげられませんが、最悪のケースを避けることができる投資手法なので致命的な失敗を犯すことはありません。一方、個別銘柄での短期売買は当たれば大きいかもしれませんが、外れた時のダメージが大きい傾向があります。留意して欲しい点は、リターンに対し私たちの投資の取組み方は対称ではないということです。云うまでもなく、上(プラスのリターン)は際限がありませんが、下(マイナスのリターン)は元手を失えばそれでゲームセットです。際限もなく上を狙えば、その分元本を大きく毀損するようなリスクを取らざるを得ません。全部を失わないまでも深手を負えばまともな精神状態でいられず、他人に八つ当たりしたり自棄に陥ったりして、投資を継続する気力をなくしてしまいます。ギャンブルであれ投資であれ確率の世界に入るときに重要なことは、仮に「よもや」「まさかそんな」と思われる事態が起きても致命傷を負わない備えです。その意味では、上記の長期分散という投資スタイルに加え、自分の体内に潜む「欲」をコントロールすることが肝心です。とりわけ相場の上昇が続き、周囲が強気の意見で支配的になってくると誰でも買いたくなります。ついさっきまで慎重居士だった人が別人かと思うくらいに大胆(=強欲)に変身します。しかし当人はその変身に気がつきません。いつでも自分は一貫して慎ましやかな投資家だと信じ込んでいます。ささやかな夢で買っているのだと。バブル期に買った人、理解不能のデリバティブ商品に手を出した人の中にはそんな投資家が多く、大損となった時点での発言は決まって「そんな大儲けを狙った訳ではない。少しでも儲かれば満足だったのに」と云います。しかし、第三者からみれば「所詮欲の皮が突っ張っていただけだろうに。相場や人の所為にするなよな」となります。<自分を映す鏡のような存在が必要>将来が不透明な確率の世界で生き残りたいのであれば、自分で気づかないまま慎重から大胆さ(強欲)へ変身してしまわないよう冷静で客観的な眼を養う必要があります。もし自分自身で養うことができないのであれば、自分を映してくれる鏡を周囲に置くことです。つまり自分の投資プランを理解した上で、投資方法を相談・指導してくれ、市場の荒波の中で動揺する自分に対し客観的な観点からコメントしてくれる人を見つけておくことです。時に自分の意に沿わず心穏やかでないかもしれませんが、古来良薬は口に苦いもの、自分の大切な資金を守るため心して耳を傾けることをお勧めします。致命傷を避け長期的に果実を得るには、確度の高い堅実な投資手法を守ることと、欲におぼれないため冷静なナビゲーター(相談相手)を置くことが有効だと思います。
2005/10/20
*************************日本人の行動特性でしょうが、隣の人が何しているのか気になります。家や車は目に見えるので分かりますが、金融商品となると他人が何を持っているかわかりません。それにベンツはいつ購入しても高級車であることは変らず乗る人のプライドをくすぐってくれるでしょうが、リスクのある金融商品の場合は、仮に同じものでも購入するタイミング次第で損得が変ってきたりするのでやっかいです。やはりここは一番、もよりの金融機関に聞きに行くのでしょうか。そして、「ゼロ金利で悩んでいる方には今これが一番売れています」と店頭の女性に云われると、「そうなの?それでは私も買おうかしら」とレストランの食事メニューを選ぶ感覚と同じレベルになってきました。今回は参考に自分の投資方法をメニューのたたき台にしてみます。*************************ITバブルが崩壊して以降低迷してきた投信販売が静かにブームを迎えつつあります。しかも、昔はMMFや公社債投信など銀行預金と類似の商品が主力でしたが、最近は外債ファンドの人気が高く、これに加え不動産や株式などに投資するファンドにも個人投資家の食指が伸びてきています。つまり、値動きが大きいリスク商品を購入する人が増えてきました。それだけ得する人、損する人の差が開いてきたということです。個人はリスク商品のどこをどう見て、何を考えて買うのでしょうか<種類の違う投信を継続的に買おう>どんな投信を買えば良いのか、絶対儲かる方法や秘訣を教えてくれということを期待されても、そんなものは知らないということを再度断っておきます。その上で、参考までに筆者が現在行っている投資がどんなものかをお話しますと、日本株に投資するものや外債に投資するもの、外国株に投資するものなどいろんな種類の投信を買うやり方です。これら保有しているものをひっくるめて運用資金全体をポートフォリオと呼びますが、投信で作るポートフォリオの投資方法をお勧めしたいと思います。この方法の良いところは難しいことを知らなくても気楽にスタートでき、また、気が向かなかったらいつでも止められます。因みに、いつでも換金できることを流動性と呼びますが、金融商品を選ぶ時にはこの流動性の高さに留意すべきです。とりわけ自分が投資の初心者であると思う人は、大怪我をしないために守るべき鉄則です。小泉首相の言葉ではありませんが人生いろいろな訳で、将来何が起こるか予測つきません。イベントの発生・変化に対応するのに資産の流動性が高ければ格段の支障がありませんが、換金できずに苦渋をなめる悲劇は避けるべきでしょう。それに流動性に低いものに危険な、もしくは悪質な商品が多いと思います。この投資方法をスタートしたのは5年半前(不運なことにITバブルのピーク!)でした。最初3年間の株価は下落続き、漸く2003年の春から反転上昇してきましたが、途中売却は殆どせず、ずっと保有しています。また、その間少しずつですが毎月定期的に購入し続けてきました。勘違いする人がいるので一点補足します。種類の異なる投信とは、いろんな投信会社の商品を買うことではありません。A社、B社、C社とたくさんの運用会社から投資対象の同じもの、例えば日本株に投資するものだけを買ってもあまり意味がありません。肝心なことは、何に投資しているかという投信の中身です。誰が運用しているのかという会社の選択より優先・重要度が高いものです。日本株や欧米など外国の株、日本に限らず海外の国や企業が発行する債券など、投資対象の異なる様々な種類の投信を買うことがポイントです。<そんなので儲かるの?>運用業界の友人からも驚かれます。「そんなので」とは、投資教育の世界では誰でも最初に学ぶ長期分散投資の基本をそのまま実践しただけだからです。生き馬の眼を射抜くような金融市場を相手にしようと思えば、他人を出し抜くために何か特別の工夫・努力をしなければならない筈ではないかと考えたからでもあります。そんなストレスと時間がかかる方法を採らずに収益を上げているので彼らは意外感をもった訳です。頭では基本を知っていても、いざ実践するとなると、余計な知識や情報など雑音に邪魔されてしまのは運用業界の人も同じです。なまじ職場で人一倍豊富な情報に囲まれ、緻密な分析方法を身につけているだけに、誰でも(子供でも!)参加できる投信に任せるのを躊躇うのかもしれません。雑誌社の人に聞いても、「こうやると儲かります」式の記事で紙面を覆い尽す編集方針の割には、記事に書いてある投資情報を実践している編集者の存在を知りません。雑誌が売れるように編集しているのであり、購読者のニーズに合わせているというのが口実でしょうが、他人の金のことだと何でも好き放題、適当に書けるのではないかと訝ってしまいます。知識・情報を持っていることと、実際に行動できることは別です。情報過多で何を信じて行動すれば良いのか分からなくなっている人が金融関係にはあまりに多いという気がします。<投資対象を分散し、いつ買ったか忘れるくらい長く持つ>「長期分散」を投信ポートフォリオで実践しましょうというのが結論のメッセージです。現在保有している投信の種類は、日本株(大型グロース、大型バリュー、小型株)、米国株、欧州株、アジア株、エマージング株、資源株、REIT、外国債券、日本債券などです。(聞いたことのない用語があるかもしれませんが、いつか後で触れるので気にしないで下さい)なお、ヘッジファンドは持っていません。調べても中身があまりに分からないので見送っています。当面買うこともないでしょう。これが自分の身の丈に合ったやり方だと思っています。個別株を選んで投資することも技術的には可能ですが、敢えて距離を置いています。仕事という圧倒的な時間的制約、家族や友人との時間、自分の趣味・娯楽の時間、そうした時間という最も自分にとって貴重な資源を「投資」で費やすのがあまりにもったいないと考えるからです。自分の生き方にあわせたお金との付き合い方を探そうと思えば、お金に縛られ金融市場を深夜まで追いかける生活を選ぶのは虚しい気がしてなりません。
2005/09/16
********************************★ 昨今の金融教育ブームに思う株式投資を教育の一環として採り上げる学校が全国的に広がりつつあると、先日の日経金融新聞の報道にありました。株式ゲームを通じて生徒は、企業業績や政治、外交など様々な要因が株式相場を左右することを理解すると記事に書かれています。無味乾燥な暗記モノを押し付けられるよりも、生きた政治経済社会を学ぶ良い機会であると思いますので、基本的な方向性は大いに賛成です。しかし、株式投資のゲームに走り、広くお金との付き合い方を学ぶことを疎かにするのであれば、その金融教育は問題があると思います。子供に限らず、大人も投資を学ぶ機運が高まっている今日、投資教育ブームに潜む危険性を感じています。********************************仙人のような生活を送ればお金で悩むこともないのでしょうが、俗世間にいて煩悩だらけの私たちは、飽くことを知らず、あれもこれもといろんな欲求を追い求めて決して満たされることを知りません。その際限のない欲望を叶えるためには、いくらお金があっても足りないでしょう。確かに夢や希望を叶えるためにはお金が必要ですが、お金がなくては何もできないような夢や希望を抱くというのは考え直す必要があるかもしれません。自分の幸せがお金なくして実現しないと決め付けるのではなく、そんなに多くのお金がなくても人生は十分楽しめると考えられないかどうか、その人それぞれの夢に向けた想像力と、夢の実現のための行動力が問われているだろうと思います。残念なことに、昨今は夢を訴えるよりも老後に向けた将来不安をテーマにするのが金融機関のマーケティング戦略です。しかし個人金融資産が1400兆円もあり、GDPの3倍近い金融資産という第三世界の人が見たら目が飛び出そうなお金を溜め込んでいるのに、それでも将来が不安だ、不安だと大騒ぎしている日本人の異常さは一度冷静になって考えてみるべきだろうと思います。一体お金をいくら持てば不安が解消するのでしょうか。ひょっとしたら持てば持つほど不安に駆られるのかもしれません。この地球上では、飢餓に苦しむ中でも目を輝かせて生きている人がいます。一方で、飽食に慣れ、食べすぎでお腹が脹れ、成人病に陥りがちな日本人が死んだ魚のような目をして不安がっているコントラストは、私たちが生きるうえで肝心な何かを見失ってしいるのではないかという気がしてなりません。人は、夢を実現した時よりも、その夢を追いかけている過程の時の方が生き生きと輝いています。追い求める一瞬一瞬が、自分の魂に生命の躍動を吹き込み、私たちに生の充実感を与えてくれるのだと思います。モノに執着し、その所有に拘ると、自分の生活も心もお金に支配されてしまいます。あたかもその姿はモノの奴隷、お金の奴隷のようなものです。人生の主役であるべき自分が、自らの価値観にあった生活を獲得し、維持してゆくには、お金から自由となる考え方を学ぶ必要があるでしょう。昨今の金融教育とか投資教育とか見ていると、市場での金儲けの仕方に力点を置いて教えている印象を強く受けます。今後は政府や会社に頼れない自助努力の時代ですから、自分で運用してお金を儲けましょう!というメッセージです。自助の精神を養うことは大切ですし、決してメッセージ自体は間違いではありませんが、これを政府や金融機関が大々的に云うのを見ると何となく嫌らしさが匂います。財政難のおり責任を転嫁したい政府と格好のビジネスチャンスと目論む金融機関の下心が透けて見えるようです。とりわけ子供に向けた金融教育では、株式など投資も重要なのですが、一番大事なのは自分がどう生きるかであり、お金はあくまでそのための道具であって目的ではないというお金との付き合い方の基本を見誤らないようにしたいものです。例えば、株式市場が政治や経済に反応するのを教えるのは良いのですが、それとは別に、生徒それぞれが自分の政治的意見を持ち、経済社会の一員としての自覚を教えないとなれば片手落ちと云えます。株価市場が上がる政策や経営が常に政治的・社会的に良いのだとする思考パターンを植えつけるとすれば明らかに問題であると思います。また、人はお金と付き合わなければ社会的に生きてゆけませんが、株式投資でなくても政治や経済・金融を学ぶことはできます。つまり、お金との付き合い方を学ぶことと、株式ゲームで経済や金融の知識を養う投資教育とはイコールではなく、子供が自立して生きてゆくに際し広範囲で深く知る必要があるのはお金との付き合い方であるということです。貯蓄も投資も最終的にはお金を使うために行うものであり、何に対して使うのか、それは自分と周囲の人々にとってどういう意味をもつのか、使うのは何時になるのか、またお金を生み出すために社会の中でどう働けば良いのかを、自分の夢の実現との関係で考えさせることが大切なことではないでしょうか。仮に株式投資に秀でて使い切れないお金を溜め込んでも、そのためだけに苦労するとしたらあまりに空しい生き方であり、何より大切な人生という時間を浪費することになりはしまいか。ゆめゆめ株式学習のみで金融教育もこと足れりとすることがないよう留意してもらいたいと思います。(了)
2005/08/24
市場見通しなどを話すセミナーの後の懇談の場で、個人ではどんな投資をしているのか訊かれたことがあります。筆者に限らず金融機関に勤務する方は、身近な人に訊かれることが多いと思います。偶に運用関係者の集まりや、学者の集まりで、個人資産の運用の話がでることもあります。驚くかもしれませんが、世間から見ればこの種の専門家が上手に投資しているかと云えば、答えはNOとなります。専門書を書いている「先生」や、エコノミスト・ストラテジストと呼ばれる人が、個別株投資をガンガンにやっているケースは殆ど聞きません。コンプライアンスに抵触することもありますが、なにより損するのが怖いというのが本当の理由であり、彼らの金融資産の大半は銀行預金です。投信業界にいる人も、さぞ投信で資産運用をしているのかと思いきや、やはり預金が殆どです。中には親兄弟、親戚がどの投信を買えばいいのか訊いて来たら、絶対に買うなと答えているという投信会社の人もいます。客の前では、いい商品ですと勧めておきながら自分では買わない風潮は、販売会社である証券会社や銀行で働く人も同様です。専門家の間でこんなに嫌われている投信なのですが、筆者は投信を使って運用している一人です。完全無欠の金融商品とは云えないまでも、個人が労せず、忙しくても時間的な制約もなく、無理に頭を使うこともなく、資産形成をするには、投信は便利な商品だからです。幸い、ITバブルのピークである2000年の春から始めた投信ポートフォリオも、逆境にめげずそれなりのパフォーマンスを見せてくれています。ここだけの秘訣を教えます・・・などという馬鹿な台詞を云うつもりはありません。そんなものは持ち合わせていませんが、誰にでもできる、そしていつでも始められる簡単な投信ポートフォリオの考え方をこれから書いていこうと思います。この考え方は欧州系のプライベイト・バンキングでは極めてオーソドックスです。国内でも、実際に医者・歯科医・弁護士や、果ては同じ金融業会のインベストメント・バンカーまで、富裕層と呼ばれる人の間で評価してもらっている方法でもあります。皆さんが投資・運用・資産形成を検討する際の何らかの参考になるのではないかと期待しています。
2005/08/07
少子化が進み、老齢人口は増加の一途の今日、ピラミッド型の人口構成を前提にした国の諸制度は到底存続できないとメディアは警告を鳴らしています。税金や社会保障関係の国民負担が増大するのは確実な情勢でありながら、年金基金が破綻するのではないか、国の財政は大丈夫だろうか?etc. etc.・・・定年が視野に入り自分の老後を想うと暗くなりがちな中高年の今後を明るく生きるにはどう考えれば良いか悩んでしまいます。しかし、見方を少し変えると、働く意欲と能力にあふれた多くの日本人にとり、かつての高度成長期と並ぶ世界史的な奇跡をおこすチャンスが訪れようとしています。21世紀は生涯現役の時代の幕開けなのかもしれません。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 少子高齢化の話は日本の将来を暗澹たる気持ちにさせるには十分なものがあります。老齢人口(65歳以上)が2015年頃には全体の25%を越え、4人に一人が老人になる時が目前に迫ってきました。また来年をピークに今後人口そのものが減少してゆくと予想されるなど、従来の前提が大きく変わろうとしていることは誰の眼にも明らかです。この動きは日本の経済社会に深刻な影響を及ぼす訳ですが、日頃は暗い予想ばかり聞かされているので少しウンザリしている人も多いと思います。財政危機だ、年金破綻だと騒がれると、とりわけ中高年層の人は自分の老後を考え悩んでしまいます。少子老齢化は自ずと労働人口を減らすことから、経済の停滞・縮小や、それに伴う税収の減少を招き、ただでさえ危うい財政均衡を一層不安定なものにする可能性が大となります。また老齢人口の増加は社会保障の支出を増加させる一方、その費用の担い手である若年労働人口が減ることから、このままでは到底維持不可能な状況に追い込まれます。なんだ、やっぱり暗い話じゃないか!と怒る人は、発想を変えることが、まず最初のステップとなります。当欄のひとつ「人生とサムマネー」において米国のリタイアメント事情を度々取り上げてきましたが、米国に限らず65歳を老人として扱うことは実態と合わないので、新たなライフスタイルを考えるべきだと思います。そもそも、定年を働くことを止め、引退してしまうと考えるのはおかしいと思いませんか。悠々自適に生きたいから引退という人はそれで良いと思います。しかし、悠々自適は単に経済的な意味であれば問題ないでしょうが、社会・世間から隔絶された仙人のような生活とか、無目的・無趣味な生活を意味するのであれば、不健康な生活習慣に冒され精神的退嬰に陥る危険性が大きいことを注意すべきでしょう。要は、65歳で社会から引退するには早すぎるし、「老人」という引退をイメージさせる言葉で括るのは間違いなのです。考えてみれば、働く意欲と能力のある人が何故定年で辞めなければならないのか、これも不思議とは思いませんか。米国では定年が事実上廃止されています。日本でも60歳定年を引き上げ、引続き働ける環境作りの動き(定年延長・再雇用等―>将来的に定年廃止へ)が出てきています。何か今までにない無理なこと、不自然なことをしていると考える必要はありません。むしろ、従来と同じ発想がそうさせていると見るべきではないでしょうか。つまり、働けるうちは働くという生涯現役の考え方です。現在法律は60歳を下回る定年を禁じていますが、この60歳に何か特別な意味があるのでしょうか。60歳を越えて元気に働く人は多いのに、無理やり引退を迫るやり方は長寿の時代にそぐわないと見るべきではないかと思います。高度成長期の走りである1960年当時、平均寿命は男65歳、女70歳でした。65歳以上の人口も6%弱であり、これであれば賦課方式の年金も問題にならないし、60歳定年もライフサイクルの観点で見て合理的と云えたでしょう。つまり、ほぼ死ぬ間際まで現役というのが元々の様相であった訳です。しかし、今では平均寿命は男78歳、女84歳であり、これだけ寿命が延びたのにも拘わらず、定年を60歳に拘泥し、これを変えるのに違和感を覚えるとすればおかしいと云わざるを得ません。まして老齢人口が4人に一人まで増えようかという時、働く意欲と能力のある人を労働社会から引退に押しやるのは明らかに間違った考えと云って良いと思います。ここで少し立ち止まって雇用者である企業の行動論理を見ておきます。過去日本では、終身雇用・年功序列賃金が労働慣行の特長と指摘されてきました。企業への忠誠心を高め、長期の視点に立った従業員教育が行われることから、高度成長を支えた原動力とまで評価された時代もありました。しかし、いまや成果主義が幅を利かせリストラが横行し、かつての慣行は崩壊しつつあります。これが何を意味するのでしょうか?実は、解雇権を自由に行使できない企業にとり、定年制は唯一合法的に高コストの労働者を解雇できる方法と位置づけられます。終身雇用・年功序列の時代には、定年という名の下に、能率が低下してきた老齢の高賃金労働者に強制的に立ち去ってもらい、新たなコストの安い若く効率の良い労働力に代替する経済的意義がありました。しかし、年功序列を継続する企業の場合は、依然定年制が重要な意味を持つでしょうが、成果主義の下に年功制を廃止し、リストラという事実上の解雇権を持つに至った現代であれば年齢を理由に職場を去らせる必要はなくなったと云えるのでないでしょうか。要は、企業への貢献に見合った賃金で雇う・雇われるを決める時代であり、年齢は選別の基準からその重要性を失うのです。平均寿命よりはるか手前にいる健康な定年年齢以上の人でも、働く意欲・能力が高ければ、ニート上がりの若者を雇うよりも企業にとっては遥かにメリットが大であると思います。終身雇用や年功序列型賃金の崩壊は、労働市場における規制緩和(優勝劣敗、自己責任原則)の結果といえるでしょう。経済のグローバル化が進み、海外との競争が増す中で、働く者にとって将来の不確実性は高まる一方です。安穏とレールに乗っていればOKという時代でなくなったという観点からすれば、中高年にとり厳しいことだけのようにも見えます。しかし、労働市場の規制緩和は雇用の流動化を通して、健康で元気に溢れ、働く能力と意思がある人々にとっては決して暗くなる必要はないと思います。60歳の後も自分の能力を評価されながら、世の中に貢献できるのを実感しながら働き続ける時代、つまり生涯現役の時代を迎える流れの中に私たちはいると思います。深刻な年金危機という問題も、ここから解決策が見えてみます。少子高齢化で年金問題はお先真っ暗と云われていますが、老人とはとても思えない元気でマインドの高い人に年金を与えて働く意欲を失わせる政策を真っ先に変えるべきでしょう。高齢者の勤労収入に応じて年金の支給が停止されるというのでは、年金で引退が可能という域を超えて、引退しないと年金制度上損になるということであり、この現行制度のあり方は本格的な高齢社会に相応しいとは云えません。自由な選択により引退したい人を無理やり働かせるのは論外ですが、働きたいと思う人に対し働くと損ですよという年金支給の仕方は間違いだと思います。寿命が短かった時代ならば60歳からの受給開始もわかりますが、寿命がこうまで延びた今日、何も高齢者の働く気力を削ぐような面は即刻変更すべきであると考えますが如何でしょう。また、受給開始年齢を引き上げてなお破綻が騒がれている点についても、高齢者が働くことで自らが税金を納める側に回れば財政上も劇的な変化が見られます。人口構成の変化が起きて、ピラミッド型を前提に造った制度はそのままでは存続することが難しいのですが、難しいことを破綻だと叫び、ことさら将来を不安視するよりも、高齢化社会にあわせた制度に変更することで安定した社会を築くことの方が賢明な選択であると思います。古来、長寿は人類永遠の夢でしたが、日本はその長寿を世界トップクラスの水準で達成しました。これを齎したのは、奇跡とも云われた戦後日本の経済発展・成長であり、これはどんなに誇っても誇りすぎることはない金字塔と云われています。長寿化の結果として高齢化が引き起こす問題は、日本社会の成功の副産物であり、これには当然前向きに取り組むべきです。これらの問題は、ピラミッド型の人口構造に合致するように作られた制度と、高齢化する人口構造とのギャップによるものであり、制度を変えることによって解決可能な問題であると識者が論じています。先進国はもちろん世界的に高齢化が進行する時、その対応をめぐっては日本が圧倒的に有利な要素は、高齢者の勤労意欲の高さです。要は、働き者が多いということです。欧州と比較した場合は顕著にその差が大きいことを示す統計データがあります。(早期リタイアの宣伝をする米国は意外なことに、プロテスタントの影響か、勤労意欲が結構高い。)この勤労意欲の高さを活かし、世界に先駆けていち早く高齢社会のモデルを作ることができれば、日本の後を追うように高齢化が進む諸外国にも貴重な参考となり、高度成長の奇跡に匹敵するくらいの世界史的な偉業に値すると思います。*******************************中高年に差し掛かり、来し方を振り返りながら、人生一回限りとつぶやきにも似たように心に念ずる人もいるのでしょう。50代にもなれば、住宅や教育の資金負担がヤマを越え、「お金のための仕事」から、そろそろ「自分のための仕事」に切り替えを考える時期に差し掛かってくると思います。終身雇用も年功序列も崩れたいま、ひとつの会社に居続けて得られるメリットは少なくなってきました。従来の物差しが通用しなくなり、自己責任で決断しなくてはならないし、また、自分に対する不断の啓発投資を怠れば淘汰の対象になりかねない時代です。ただ、長寿の中で、お金ではなく、自分のための仕事を念頭におくのであれば、会社の下した評価と自分の価値とは別物であり、何もリストラで気に病む必要はないと思います。長い期間まじめに仕事に打ち込んできた人であれば、必ず何らかの専門性を身につけており、また自分を信頼してくれる人脈を持つに至っている筈です。それを定期的に棚卸し、時代の変化に対応するよう再構築することで必ずや明日への活力が見えてくると思います。それこそ、40代―50代の人にとり、生涯現役の時代の幕開けに相応しい生き方であると思います。参考文献:高齢者就業の経済学(清家篤・山田篤裕、日経)五十歳からの人生設計図の描き方(河村幹夫、角川oneテーマ21)
2005/06/17
教育に一体どれくらいのお金がかかるのか、子を持つ親となれば誰しも気になります。私立に入れようか、公立に行かせるかで悩んでいる親も多いと思いますが、子供の健全な成長と将来の幸福を願う親の気持ちは同じです。そんな親の願望は、お金だけで叶うものでもありませんが、お金があった方が何かと安心です。ファイナンシャル・プランナーに尋ねるなり、官庁から統計が発表されていますのでご覧になってみることをお勧めします。但し、我が子の教育費の大小を考える際に、そもそも私たちは親として教育に何を期待しているのか、そして、教育はその期待に応えているのか疑ってみることが必要だと思います。個人の不平等を拡大させるなど問題点が多い現代教育の現状を再認識することが大事だと思います。*****************************教育費がどれくらい掛かるか?文部省の調査によると、幼稚園から大学まですべて公立を選んだ場合で約8百万円、私立だと約15百万円となっています(学校以外の塾や習い事を含む)。「この金額を目指せば言い訳ね」と安易に貯蓄計画を決めてかかると、後で「どうも勝手が違う」ということになりかねないのです。数字は平均金額を取っているのですが、ここから一般的にイメージする姿は、平均とその近辺が最もサンプル数が多く、そこから離れるに従い徐々にサンプルが少なくなってゆくものだと思います(正規分布)。しかし、筆者の周辺を見る限り、教育費のかけ方は明らかに2極化しており、塾・習い事などの費用を相当かける家とそうでない家との差が大きくなっているように見受けられます。そして、教育に費用をかける家の子供が難関とされる学校に進学している事実は否定できないように思います。一般的に子供の教育に期待しているのは何でしょうか。理念的な考えから、幅広い視野をもった教養の深い人間に育って欲しいという願いをもつ親がいます。一方で、子供が将来社会人になって生活に困らないよう所得を得る能力を高めることを期待している親がいます。少子化の時代にあっても難関とされる名門校の競争率が厳しい実情は、とりわけ現代においては後者が注目される時代であると思います。もし、教育が社会人になったときの稼ぎを良くするための修養期間であると位置づけるなら、昨今ニートとかフリーターとか呼ばれる若者が激増している事態をどう考えれば良いのでしょうか?フリーターは今や4百万人を優に超え、若者5人に1人がフリーターと云われています。その親は、我が子を将来フリーター、もしくはパラサイト・シングルにするために教育費を払ってきたのでしょうか。闇雲に教育費を貯めるよりも前に、やはり知っておかなくてはならない現実があると思います。現在フリーターとなっている若者の親は、自分の子供がフリーターになって欲しいと願っていた訳ではありません。ということは、教育費をかけても、我が子が期待通りに育たない可能性は決して小さくないのです。教育を親子間にわたる投資と考えるなら、極めてリスクの高いものと云うことができます。つまり教育投資は、投信など価格変動する金融商品等を買うより遥かに大きなリスクを負っていると思います。学校教育は個人間の不平等を拡大させている、しかも、その不平等は子供にまで影響が及び、「勝ち組」・「負け組」として社会が階層化していると云われたらあなたは驚きますか。識者の間では、学校教育が子供の格差を広げている事実が指摘されています。<参考>封印される不平等(橘木俊詔、東洋経済新報社)希望格差社会(山田昌弘、筑摩書房)教育を経済学で考える(小塩隆士、日本評論社)日本ではかつて一時期、国民全体が中流意識をもっていたときがありました。しかし、バブル崩壊以降は中流が消滅し、貧富の差が拡大してきたことは統計的にも裏付けられています。社会学の統計に、所得の不平等の度合いを示す「ジニ係数」と呼ばれる指数がありますが、これを見ると90年以降からコンスタントに不平等が大きくなる傾向がはっきり見て取れます。これは所謂、結果の不平等であり、努力して成功した者が報われるのだから問題ないと考える人がいます。ソフトバンクの孫氏や楽天の三木谷氏が巨額の報酬を受けても、それだけリスクを取って懸命に働いた結果であるなら誰も文句を云う筋合いではないと云う考え方です。米国ではマイクロソフトのビル・ゲイツのような桁外れの報酬をもらう人がいますが、これとても一人の天才がいてくれたおかげで文字通り世界中の人々がコンピューターソフトの恩恵を受け、また多数の人に対しその企業で働く機会を提供していることをもってすれば決して高くないという意見もあります。但し、一方では夜の新宿駅などで見られるホームレスの群れは、高度成長期にはなかった光景であり、生活レベルにおける底辺の人口が増えています。また生活苦を理由に自殺者が増加しているのも事実であって、こうした富める者と貧しき者との光と影の差をどこまで認めるかは人により意見が分かれるのではないかと思います。しかし、もっと問題が深刻なのは、結果の不平等だけでなく、理念的に守られるべき機会の平等もおかしくなっているという点です。しかも、教育のレベルで機会の不平等が進んでいるという事実を直視することが当欄のポイントです。東大の学生の親が、他の大学と比べ、経済力があり学歴も圧倒的に高いことは有名な話です。東大に限らず名門とされる大学の場合をみても、同様の傾向がはっきり出ています。学費が高いことで知られる難関医学部の学生の親の多くが医者であることも周知の事実です。もはや貧しい家の秀才が家業を手伝いながら苦学し、将来の立身出世を夢見て東大に入り、次代のリーダーになった時代からは程遠くなっています。ましてや、家の経済的理由で有名大学への進学を断念するケースは極めて稀になっています。経済力のある家の子弟が塾や家庭教師を利用して難関とされる進学校に入るようになり、さらに有名大学を経て、そこから高級官僚や専門職・大企業などへ就職するパターンが定着し、安定性や給与の高い職に進むことができるといわれると、果たして日本が機会均等の社会と云うのはどうも難しくなります。残念ながら、人は自分の生まれる家を選ぶことはできません。生まれた家の状況、親の経済力や学歴などが自分の教育環境に影響し、それが自分の将来の大学進学や職業選びに結びつくと考えたら、とても機会平等の社会とは云えないと思います。上層の家庭に育った子供は学校教育を経て上層へ、下層の家庭に育った子供は下層へと分化してゆく姿は、階層社会そのものではないかと考えてしまいます。余談ですが、上層に育ち「勝ち組」に属する者同士の男女が結婚するケースが多くなっていると云われています。「勝ち組」の男性が「負け組」の女性(容姿に優れる)と結婚するケースはありますが、「勝ち組」の女性は「負け組」の男性を伴侶に選ぶことは殆どないので、自然とその組み合わせが多くなる訳です。下層に育つ「負け組」同士の場合は、「できちゃった婚」を除けば、生活面で到底成り立たないのが見えているので、結婚しない・できないということになります。非婚が増え、パラサイト化が一層進行する危険性をみなければなりません。自分の子供に将来どういう生き方をさせたいか、自分が下層に属すると思う家庭であれば、子供の教育環境を余程真剣に考える必要があります。不平等化の中で、それでも下層に育った子供が自分の劣後した環境を跳ね返す意気込みがあればまだ救われる気がします。しかし現実は逆であり、親が生活に追われ子供の教育・将来の職業選択問題に割く関心・時間・エネルギーが不足しているケースが多いためか、子供は上昇意向が乏しく、よりよい生活を目指して努力する姿勢に欠ける傾向が強いのです。昨今の社会学では、インセンティブ・ディバイド(意欲格差)とか希望格差とか呼び方がありますが、要は、教育において家庭環境の差が、子供がどのように育つかの決め手になるし、なにより子供がどこまで努力の意欲を持ち得るかを決める際に、その差が重要な役割を演じるということを指摘しています。教育費が平均的にいくらかかるかを知るのは親として準備の第一歩かもしれません。それを貯めるには早くから準備を始めることが何より肝要です。以前にも書いたA子さん・B男君の強制貯蓄の話を参考にして下さい。しかし、そうしてせっかく貯めた教育資金も、今の日本社会で進んでいる機会の不平等化を認識した上で、子供のための教育環境をどのように、どの程度整えるのかを考えないと、惨憺たる教育投資になりかねないと覚悟すべきでしょう。(了)
2005/05/18
人生とサムマネー(10) 定年・老後にまつわる考え違い の続編です。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆誤解4.定年とは、純粋に経済的・金銭的なイベントである金融業界は間違ったメッセージを送り続けてきました。定年は金銭的なハードルであり、リタイアするまでに十分なお金を用意すべきであると、過去何十年も言い続けています。しかし問題は、せっかく枝の巣の中に実を蓄えるにしても、木そのものが枯れてしまっては元も子もありません。巣の中の蓄えとは老後資金であり、枯れ木とは老後の生活です。定年・リタイアとはライフイベントであり、単に経済的・金銭的なものではありません。金銭面だけで捕えるのをやめ、もっと包括的なアプローチを採るべきです。つまり、その人それぞれの希望・夢、ライフステージ、家族構成、健康問題、お金などを総合的に考えることが大切で、お金のみならず、その人の魂、一生との関係で検討することが求められているのだと思います。こうしたライフプランニングのアプローチを採る聡明なアドバイザーがいる一方で、お金しか注意を払わない単調で、短絡的なリタイアメントプランを提示する金融マンもいます。旧態依然とした「定年」の考え方に縛られているのは終わりにしようではありませんか。もっと柔軟に、経済的なこと、職業的なこと、健康のこと、気持ち・感情のこと、精神的なことなど全部を考慮したライフプランを描くことにしましょう。自分の将来をよりトータルに見るべきであり、単にお金を貯めるだけしか考えないのではあまりに無味乾燥な生き方とならないでしょうか。誤解5.安逸な生活こそ老後の目的であるリタイアした多くの人がかくも不安な毎日を送るのはなぜでしょうか?やりがいのある仕事がなければ、休暇も意味がなくなってしまうからです。最初はあなたが生活に退屈するのですが、そのうちあなた自身が退屈な人になりはててしまいます。ゴルフや釣りはすごく面白いかもしれません。しかし、殆どの人にとり、それが今後25年のフルタイムの仕事と云われたらどうでしょう。嫌でたまらなくなるのではないでしょうか。リタイアした後、気難しい老人があまりに多いのは、明らかに彼らは毎日の生活に飽き飽きしているのです。リタイアメントを謳うブローシャーによく出てくる写真、そう、一日中レジャーずくめという絵がありますが、そんな絵空事の実態は真っ赤なウソであることを暴く必要があります。私たちの多くは、仕事の中に意義や目的を、レジャー休暇の中にカタルシスを、それぞれ見つけています。どちらか一方をなくして他方だけ楽しむというのは実は難しいことなのです。我々の生活にはそうしたパラドックスが必要なのです。だからこそ、リタイアした人の3分の1が、1年のうちに何らかの仕事に復帰するのです。そのうち3分の2以上はフルタイムの仕事に就いています。そうでもしなければリタイアメントした彼らは死んでしまうでしょう。リタイア後の生活を健康で楽しく送れるよう計画すれば、医療治療や薬品代が少なくて済むという事実が、定年後に対する考え方を変えつつあります。退屈な生活は悪習を招きます。目標のないリタイア生活が病気に侵されやすいのは良く知られた事実です。なにせ自分の体や精神を鍛える気が全く起こらないのですから。老後に向けた適切な心身の健康管理が、経済的にも健康で良好な状態を作り出す事実を見直すべきでしょう。誤解6.自分ひとりで老後の準備ができる401kの普及やオンライン・トレードの出現により、自分の将来の資金計画は人の助けを借りなくても自分の手でできると考える人が多くなりました。あたかも、「自分でビタミンや薬を買うことができるので医者は要らない」といわんばかりです。しかし、必要に応じて自分で適切なビタミンや薬が買えるでしょうか。前回検査を受けたのはいつでしたか?検査を受けもせず、自分の体は心配要らないと信じ込んでいないでしょうか。体の健康はともかくお金の健康になると、容易に否定する人が多いようです。自分は必要なことを全て知っていると過信しては問題ですが、健康面の管理を自分で行おうとするのは望ましいことです。しかし、それでも医療の専門家を必要とする時と場所があるように、お金の面での専門家であるウェルス・マネージャー、投資アドバイザーが必要となるケースがあります。どんな銘柄でも上がる強気相場が続くときは、自分ひとりでなんとでもなるという思い込みが激しくなります。しかし現実は、専門知識やスキルもなければ、長期間自分で実践していけるだけの規律を持ち合わせている訳でもありません。私たちが自分の人生・お金でどう生きたいかの問題を考える時、誰かに頼んで手伝ってもらうのは、単にアドバイスに対し料金を払うのではないと思います。私たちは、アドバイザーから方向性の示唆を得たり、必要程度に応じ運用面での規律を授けてもらったり、一連の解説を受けているのです。自信家の人がいたら考えてみてください。もし今の自分が望む状況になく、また、いつ目標に辿り着けるかの目処やアイデアがないとしたら、ひとつの冷厳な事実を認識すべきでしょう。もし本当にあなたが自分ひとりでできるのなら、当の昔に出来ていたはずである、と。例えば、航空チケットを自分で買うことはできるということが、旅行代理店のアドバイスを不要とするということになるでしょうか。私はよく旅行に出かける方ですが、見知らぬ土地に辿り着いて何時間も待たされたりして、不愉快な想いをすることがあります。やはり、そこに行ったことがある人に聞いてみたいし、どこが見所か、適当な宿はどこか、どうやって行けばよいかなど、適切で安全な選択ができるよう私をガイドしてくれそうな人に訊ねたい訳です。お金の面でも全く同じです。つまり、大事なことは、適切なマネーコーチを探すことです。あなた自身について、あなたの夢や今おかれている状況について理解し、これからの人生の旅をサポートし、ガイドしてくれる人を探すことです。(了)
2005/04/30

ペイオフ関連でもうひとつ話をします。そう、金です。今までにも何度か、どうして金を取り上げないのかというリクエストもありましたので、この機会にちょっとだけ触れることにします。黄金色に輝く金の延べ棒や金貨を見ると王宮貴族を連想し夢見心地になってしまうかもしれませんが、現実である経済的な価値は別物と考える冷徹さが必要です。前回の海外口座の時にも書きましたが、どういうリスクを想定しているのか、預金との違いを把握した上で、自分にとって相応しいかを判断することが重要です。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆フィナンシャル・プランナーを対象にした年に一度の集まりであるFPフェアに参加したことがあります。スポンサー企業の中に、FP業務関連の金融機関やデータ加工・ソフト開発などの会社に混じって、貴金属商の企業がブース出展していました。意外感があったので覗いて見ると、「富裕層から金の問い合わせを受け対応に困っているFPが多いから出展するとウケますよ」と知人から云われ試しに出したという。確かに、次から次とFPが寄ってきては見本の金地金や金貨を見て、どう買えばいのか熱心に尋ねていきました。用意していたパンフレットが一挙になくなっているのをみると関心の高さは疑うべくもないようです。2002年のペイオフ(一部)解禁の際、爆発的に金の販売額が増加したことは記憶に新しいのですが、先日の新聞報道では金の人気が再燃しているとのことです。今回のペイオフ全面解禁や日本の財政赤字拡大への不安から、「安全資産」「無価値にならない資産」として見直されていることが理由のようです。何かとセールスに対し懐疑的な当欄は、ペイオフをネタに金を勧めるトークに対しても今ひとつ釈然としない気がしています。ペイオフ解禁で預金から逃げる資金は、「安全性」を求めてのことですが、金はどういう意味で安全なのかが曖昧なことです。ペイオフ解禁は金融機関の破綻リスクを預金者に負わせることを意味しますが、金の保有は、金価格の変動リスクを投資家に負わせるものです。金価格が右肩上がりでなかった事実、そして今後も上下変動を繰り返すであろう予想からは、とても金が「安全」とは云えません。仮に、安全という言葉で元本が保証されかのようなイメージを植え付け、預金者を釣るであれば許されるものではありません。しかし、価格変動を承知の上で金を保有する人たちもいます。特に富裕層に多く見られると云われています。本当かウソか、中には、金地金を1トンも購入し、貸し金庫に保管した投資家もいると聞きます。この人たちの関心事はペイオフという一金融機関のリスクではなく、日本の財政危機やそれに伴う円暴落のリスクを懸念しています。前回の海外口座開設の時と同じです。但し、気をつけて下さい。もし、日本や円に対する懸念であれば、外貨資産を保有することでリスクを回避することができます。何故保管が面倒でコストのかかる金でなくてはならないのでしょうか。日本のリスクを海外逃避するにしても、第一金は持ち運ぶのに重くて大変です。しかも、金は利息や配当などのキャッシュフローを産みません。もし金融資産に投資していたら得られたであろう利息や配当を放棄していることになります。問題は、そうしたデメリットがあっても、それを埋め合わせるだけのメリット、すなわち価格上昇があるのかという点です。ここで金価格の推移を見てみましょう。最近の価格は430ドル(1トロイオンス当り)ですが、なるほど5年前の2000年の280ドルと比べると相当な値上がりをしています。金投資で儲けたという人が話すのはウソではありません。しかし、もう少し長く見てみると、90年代中盤は400ドル近辺、80年代後半は450―500ドル、80年当初にあっては700-800ドルで推移していたことが分かります。この25年間を見る限りにおいて、金はとても長期投資として勧められるものではなかったと云って良いでしょう。それでは、今後も金投資は永遠にダメなのかと訊かれれば、これは将来のことであり何とも分かりかねるのですが、金が再度脚光を浴びるかどうかのポイントを知っておくのは参考になると思います。金価格の動きは、大まかに云うと、基軸通貨であり建値通貨でもある米ドル次第というのを理解しておくべきです。過去において金が上昇したのは、米ドルがインフレにより購買力(=1ドルの使い出)を失う時、米国の経済ファンダメンタルズが悪化し米国からの資金流出からドルがユーロや円に対し弱くなる時、テロなどの有事が発生し経済・金融活動が阻害されそうな時などです。逆に云うと、インフレが落ち着いていて米ドルへの信頼が揺らぐことがなければ、利息も産まない金をわざわざ保有する必要はないと考えて良いでしょう。80年以降金の価格が基調として下落してきたのは、70年代の2度にわたる石油ショックの猛烈なインフレが収束し、ディスインフレの時代に入り、ドルの購買力を失うリスクが縮小したことが大きな要因と云えます。インフレ懸念は大きくなくても、米国の経常収支が悪化し、財政赤字も拡大する情況になると米ドルへの信任が下がり、ドル安になるケースがあります。2000年以降のドル安もその一例ですが、こうした時は金価格が上昇し易いと云えます。この場合留意すべきは、ドル安が齎した金価格の上昇(ドルベース)は、ユーロや円から見た場合(ユーロベース/円ベース)は、ユーロ高/円高の分だけ相殺されてしまい、さほど大きな動きとはなりません。ドルの下落で齎された金価格の上昇を、金の資産価値が大幅に上がったと云って大はしゃぎするのは偏った見方と云えるでしょう。(例)1ドル=130円、金が300ドルの時(02年春)、円ベースでの金は39,000円。1ドル=105円、金が430ドルの時(05年春)、円ベースでの金は45,150円。この間、ドルベースでは43%の上昇ですが、円ベースでは16%の上昇に留まります。 *************金は信用リスクとは無縁な「非負債性」の資産であり、永遠の「通貨」であることから投資対象として見直されるべきだという論調がありますが、これも大げさな表現と思います。貴金属の実物資産である以上、発行体があるはずもなく、当然デフォルトの問題が起こり得ない訳ですが、金に限らず、銀であっても銅であってもその点では同じです。非負債性などと難しい言葉を使用して、さも深遠で重要なことを示唆しているかのような説明には一般投資家を惑わす嫌らしさを感じます。また通貨といって他の金属と区別するのも今日では問題だと思います。金が通貨であった時期はありましたし、通貨が金を本位としていた時期、つまり、自国の貨幣を一定量の金によって定義した時期がありました。銀行券を中央銀行に持ち込めば、その固定比率で金と交換してくれる時期があったのは事実ですが、今日それはできません。交換手段として金を商品の対価に差し出す人は一般的ではありません。通貨というには基本的な性格を失ってしまっているのです。ドルやユーロ・円などの通貨が機能しなくなる日が来ない限り、つまり中央銀行が信頼を失わない世界にあっては、金が通貨としてかつてのような役割を果たすことはないだろうと思われます。となれば、金に対する装飾用・工業用等の需要増加がなければ、金価格の長期的安定的な上昇は難しく、南アやロシアなどから産出される新たな金の供給で頭を抑えられ易くなるということが云えます。貴金属のひとつとして、その需給を見ながら今後の予想を行うという経済原則が当てはまるのであって、古来人類を魅惑してきた金だから資産価値の保全手段としても特別という決め付けは危険であると思います。金が意味するものは、ペイオフより遥かに大きなテーマを基にしているのであり、そうした危機感を持つ人が金投資を本来検討すべきであると思います。
2005/04/13
海外口座を開設する必要があるのだろうか?個人投資家や金融機関の販売員からここ数年よく訊かれる質問に、「預金封鎖は過去実際にあったのか」、「預金封鎖が来るとずっと前から云い続けている人がいるけど、いつ実施されるの?」というものがあります。この質問には海外口座の話が大抵ついて回るようです。オンラインで口座開設ができるとか、旅行の際についでに開設してこよう、スイスのプライベイト・バンクに頼もうかしらとか様々です。周囲がやるから自分もそうしなければと思い込む前に、海外口座が必要かどうか、その目的を認識してから判断した方が良いと思います。☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆☆★★☆★☆★☆★☆★98年4月の金融ビッグバン以降、私たちも海外口座を開き資産運用ができるようになりましたが、実際はペイオフ対策とか預金封鎖とかの文脈で語られることが多いようです。ペイオフ解禁の話は以前しました。いよいよあと2週間でスタートとなります。よく判らない上、不安でたまらないという人はひとまず、金利はゼロでも金融機関の破綻時に全額保護の対象となる決済性預金口座が拠り所となるので混乱はないでしょう。むしろ流言の類の方が危険で、銀行も佐賀銀行の例で風評の怖さを痛感した所為か、今回は相当神経を尖らせています。預金流出がおきたらのIFの事態への準備もかなり進んでいると聞いています。ペイオフと重なるようにして、消費者に対し脅しに使われているのが預金封鎖・バンクホリデーです。預金封鎖と聞いてピンと来る人は相当な年配者か、相当な経済通でしょう。殆どの人は言葉を知っているだけで、実態を理解している人は極めて稀です。預金封鎖は、国の借金(一般債務)が税収の十何年分だ、GDPの140%だと、もはや返済不可能な水準まで膨らんでいるということを根拠にするのが特徴です。国の財政が破綻すれば、国債は暴落し、円も大幅に下落し、ハイパーインフレがやってくる。そこで政府は預金封鎖をするといった論調のようです。「なんたって、日本はかつて預金封鎖を2度もやったことがある前科者だ、切羽詰れば何をしでかすか分かったものではない」ということでしょうか。預金封鎖をすると、自分の預金であっても自由に引き下ろしができなくなり、また新円が発行されると同時に、預金に対し資産課税が行われるという筋書きです。借金をチャラにするために、日本政府はあなたの預金を奪おうと狙っているという脅しでもあります。このストーリーを追うことができる人は、それだけで経済通と云えるでしょうが、多分に飛躍だらけの稚拙な論理展開で、経済分析としては聞く方が恥ずかしくなります。ただ将来は誰にも予想できない以上、可能性がゼロとは云い切れません。天が堕ちてくると叫ぶデマゴーグがいたら杞憂と笑えばよいのですが、経済社会における将来の現象は測りかねます。永遠に云い続けたら、いつか当るかもしれません。それに、米国政府とかロックフェラーの「陰謀」だとか出てきてしまっては反証のしようがありません。陰謀は明るみにでないから陰謀なのであって、それを根拠にするシナリオは信じるか信じないかの宗教と一緒で、およそ客観性を備えた見解と見ることはできません。過去に預金封鎖があったのは事実ですが、その当時の状況と似た面だけを取り上げて再現すると断言するのは、主張する人に別な魂胆があるからでしょう。通常は、海外に資金を逃がしましょう。海外にはこんなすばらしい運用商品があるので買いましょう!という尾鰭がついている筈です。そしてその商品を売ることで高い手数料が入るという仕組みです。人を脅しておいて、助かるにはこの商品がベストですと売りつける典型的な商法です。本を売って金儲け、セミナーをやって金儲け、商品を売って金儲け、すべて金・金・金の世界です。個人的には預金封鎖の可能性は極めて低いと見ています。(まじめに書くと長くなるので端折りますが、一般人が見落としがちなポイントとしては)国の借金は必ずしもゼロにしなければならないものではなく、経常収支も真っ黒け、家計に預金が溢れ、企業もネットベースでは借金がなくなっている現在の日本国内の資金循環を考えれば、財政の赤字は必要悪と位置づけられます。当たり前のことですが、誰一人借りる人がなくなれば、預けること(=貸すこと)もできなくなります。問題は赤字のレベルであり、ゼロにできなければ破綻だと決め付けるべきものではありません。云いかえれば、対GDPでの赤字率が拡散するのか、収束するのかがポイントということです。数学的には、名目の経済成長率が国債金利を上回るようであれば、赤字の拡散は止められる(「ドーマーの公債命題」)ということです。その観点でも容易に止まらないデフレからの脱却は、国民経済において大きな課題と云えます。(この点は百家争鳴、経済学者がここ数年間論争したところですが定説はありません。)話が難しくなりましたが、海外口座の話はペイオフとは次元が異なることに留意して下さい。来月から対策を取らなければいけないという喫緊の課題ではありません。つまり、ペイオフは一銀行の破綻リスクの問題ですが、海外口座は課税回避という国・政府からの逃避の問題です。国や国債、あるいは円という通貨に対する信用が問題視されるものであり、ペイオフよりも遥かに大きなリスクをテーマにしている訳です。どうもこの辺りがごちゃ混ぜで説明されているので、ペイオフ対策と混同されたり、口座開設が容易にできるようになったから周囲に流されて必要でもないのに作ってみたりしているようです。一体何のために作るのか、目的とその効果を把握してから行動すべきであろうと思います。間違っても、プライベイト・バンキングという言葉につられ、香港等に口座を作りに行ったはいいが、代理店を名乗る詐欺師にひっかかったりしないよう注意して下さい。また、その種のセミナーでは会員組織に入るようしつこく勧められるケースがあると聞きますが、資産保全など自分の目的を明確に認識しておくべきです。本を書いている有名な人が云っていたから、あるいは、信頼できそうな代理店がついているからと安心していると、とんでもないものを買わされる羽目になりかねません。事が起きてから、どうしていいか分からないと人に泣きつくのは自己責任の今日いただけません。海外口座の主要目的とされる課税回避ですが、これもよくよく専門家に相談してから始めることを勧めます。中には、外資系の銀行で預けた外貨預金は円ではないから大丈夫という人がいます。また、海外籍(ダブリンやルクセンブルグ)の外貨建ての投信を買えば、日本政府の手が届かず大丈夫だと云って販売している人もいますが、こうもお目出度い人ばかりだと国税当局も楽できます。国内の金融機関から購入した場合(=国内に口座がある)、日本政府の管轄下におかれますので、金融機関が外資系であろうが、通貨が外貨建てであろうが、購入した投信が外国籍であろうが、すべて課税回避の役に立たないと考えるべきでしょう。日本政府の手が及ばないという観点で云えば、海外口座はひとつの選択肢です。古来プライベイト・バンキングのサービスが、自国を離れ後世に財産を遺してゆく手段として海外口座で預かることをしてきました。桁外れの資産家が財産保全のために受けるプロフェッショナルのサービスですが、国(税)から守らなくてはならない程の巨額な資産があっての悩みであり、庶民やちょっとした資産家には関係ない次元の話です。ただ、筆者は税の専門家ではないので詳細は知りませんが、およそ、日本に居住している限り、海外で口座を開こうが課税は免れないと考えた方が良いと思います。マン島やジャージー島などタックスへブンなどであれば税がかからないように記載されているパンフもあるようですが、そこで得た所得は本人が居住者である限り、日本の税務署に確定申告する必要があります。確かに、サラリーマンで給与所得が2千万円以下、かつ利息収入が20万円以下というケースの例外規定があります。しかし、国からの逃避を真剣に検討する金額はもっとはるかに多額であるべきで、最低でも数億円程度の金融資産を持っていないと経済的に意味のあることにはならないと考えます。海外口座開設の際、空港で見つからないようにしながら現金を海外に持参する人がいますが、一定金額以上を無断で持ち出せば違法であり、後に判明することがあれば元も子もないことになるリスクを認識すべきです。日銀への届出書を書いて海外送金するケースでも、金額が大きいものはすべてトレースされていると考えた方が無難です。税務当局が海外への資金逃避に関し敏感になっているというのは富裕層の間では周知の事実です。しっかりしたプライベイト・バンキングであれば、あらぬ嫌疑がかかる恐れのあるような海外口座開設方法を勧めることはありません。もし脱税につながるようなことを仄めかす人が相手なら、その人との取引は即刻やめた方が身の為だと思います。ゆめゆめ国税を甘く見てはなりません。えっ!自分は真剣に考えるくらいの金融資産があるけど、法に触れないやり方で節税ができる海外口座はどうつくればいいかって?うーん、、ここでストラクチャーを書くわけにはいきませんので、どうしてもというのであれば、信頼できるプライベイト・バンキングを紹介しましょう。いずれにせよ、とてつもない資産家は格別、私たち庶民にとり海外口座はあまり真剣に検討すべきものではなく、留学・海外転勤や移住の際に考えれば十分と思います。そんなことに時間とエネルギーを費やすより、もっと優先的に考えなくてはいけないテーマが私たちの社会にはたくさんあると思いますが如何でしょう。
2005/03/16

株価を難しく考えてはいませんか。株式市場の今後の動きを読めれば一躍大金持ちになれるのは必定ですが、そんな大それたことができる筈はないとみな頭の中では知っています。そのくせ、こうすればカンタン!確実に儲かります!!式の見出しに思わず心が動いてしまうのも人情です。しかし、もし株式市場の動きが長期的に読めると云う人がいたらどうしますか?彼らは、株式のリターンは、およそ「配当利回り」と「配当の成長率」の合計で示されると云っています。但し、明日・明後日とか1ヶ月、3ヵ月ではありません。1年後でもありません。そんな短い期間ではなく、10年・20年という長期で考えた場合の株価の動きを解説しています。えっ!手っ取り早く儲けたいのにそんなものが何の役に立つかって?あなたがデイトレーダーを目指しているなら全く意味を成しません。しかし、老後に備えて今からじっくり時間をかけて準備しようとする人には貴重な指針を示すデータであると云えます。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆株価は何の要因で動くのかと訊かれてすぐさま答えられるのは金融業界の人や一部の投資家に限られるのではないかと思います。あとは大抵、「う~ん、経済かな? それとも竹中大臣かな?」等と苦し紛れに返答するのが精一杯でしょう。一般に、マクロ景気、金利、為替、企業業績、投資家動向、株式需給、財政金融政策など色んな要素が働くと云われています。しかし、それではそうした要因で株式市場の動きを整合的に説明できるかというと難しいのが実情です。メディアに出てくる専門家と呼ばれる人も後講釈で解説するのは得意ですが、個々の要因をその時々に合わせ都合の良いように使い分けしているだけであり、整合性に欠けるケースが殆どです。第一、そんな説明は分かりづらくて一般人にはついてゆけません。専門家でもない私たちは説明の必要はありませんし、その説明を聞いて分からないからと云って投資を諦める必要もないと思います。投資を始め、続ける時に大事なことは簡単であることと、実践的であることです。基礎的なデータとその背景にある法則らしきものを押さえておけば、下手なエコノミストの予想を聞くより、実務的には遥かに役立つことが理解できます。米国の株式市場を例に取りましょう。1926年から1997年までの70年間の株式投資の年平均リターンは約11%でした。余談ですが、以前、A子さんとB男くんの話 ~賢明なる投資家を目指して~ を書いた時、「こんな投資があれば良いわよねえ」(30才台の主婦)という溜め息交じりの感想をもらいました。複利の計算上人為的に数値を使ったので、とても現実には信じられないということなのかもしれませんが、10%の上昇とは日米株価の長期的な平均をとったものであり、全く根拠のない架空のものではありません。さて、この70年は大恐慌の時代を経て、それに続く第二次世界大戦と冷戦時代、ベトナム戦争やオイルショック、レーガノミックス、ベルリンの壁崩壊からソ連の解体など想像を絶する歴史的な激動期ですが、またこれは個人の生涯に匹敵する長さです。この期間の株価を説明しろと求められたら何と答えれば良いでしょうか。B・マルキールは「ウォール街のランダムウォーカー」の中であっさりと書いています。1926年の配当利回りは約5%であり、その後70年間の配当の平均成長率も約5%であった。この二つを足した数字は、実際に実現した平均リターンの11%に近いものになっている、と。長期平均の株式投資のリターン = 投資時点の配当利回り + その後の配当の平均成長率 ・・(*1)株価の短期的な上下動はとても予想しがたいものです。瞠目する歴史的な事件が発生すれば市場は大きく変動します。しかし、それでも長期で見ると、株価のリターンは実に簡単な計算で説明がつくということです。つまり、配当利回りとその成長率のたった二つが判れば良いのです。これより短い期間で株価を捉えるには、投資家の自信を示すバロメーターである株価収益率を加え3つで説明します。株価収益率とは、少しカタイ言葉ですが、株価を一株当たりの利益で割った指数です。要は、企業が1年間に稼いだ利益に対し何倍の株価をつけているかを表すもので、投資家が楽観的になると大きくなり、逆に悲観的になると小さくなります。マルキールは戦後の米国株式を、1.安寧の時代(46~68年)2.受難の時代(69~81年)3.豊穣の時代(82~98)の3期間に分け、上記の3要因で解説しています。(下表参照) それぞれの期間が詳細にどういう状況だったかは、マルキールの本を読んで欲しいのですが、長期投資家がこの表から学ぶべきメッセージは何でしょうか。株式投資を難しく考えるな、あるいは、したり顔の専門家の話す短期的な予想にいちいち惑わされなと言い換えても良いでしょう。株式のリターンは基本的に二つの要因で決まり、これを短期的には投資家心理で動く株価収益率が幻惑するようにちょっかいを出していると理解すれば事足ります。そして、長期的には、その株価収益率の影響(投機的なものと考えて構いません)も相殺され消え去り、配当とその成長率の2つが決定的に重要な要因になるということを頭にしっかり叩き込んでおくことが肝心です。企業の成長、あるいはより広範に大きく捉え、企業社会とか資本主義とかが成長発展すると考えるならば、株式市場は長期的にプラスのリターンをもたらすものと云えます。過去の歴史もそれを実証してきました。個人の投資が失敗続きなのは、明日にも儲けを出したいと短期的な変動を追いかけているケースが殆どであり、投機の波に揉まれ、自分を見失ってしまうからに他なりません。投機の誘惑から見を守る知恵が必要なのです。老後に向け10年-20年、じっくり時間をかけて投資が実るのを待つ余裕のある人は、歴史の検証を経た、しかも理論的にも裏づけのある見方・考え方(*2)を採ることが賢明であると思います。(続く)(*1,2)補注: 株価の理論価格の算定式株式の理論的な価格を算定する方式のひとつに配当割引モデル(DDM)というものがあります。投資家にとっての株式の価値は、会社が倒産しない限り無限に続く配当流列の合計(但し現在価値に割引いた合計)であるというものです。以下は文字式を使っての説明となりますが、意味することは単純ですのでお付き合い下さい。最初の投資時点の配当をD とします(配当DividendのDです)。これが企業の成長に合わせ、一定の成長率=g(成長growthのg)で毎年増えると仮定します。すると、配当流列は、 これを現在価値に割り引いたものが株価の理論価格=P(価格PriceのP)だというものです。現在価値に割引く時には、投資家の株式に期待するリターン=r(returnのr)を使います。 この無限の流列を解くと、下記のようにスッキリします。 この式を変形すると、 配当を株価で割ったものが配当利回りですから、結局、株式の期待リターン = 投資時点の配当利回り + その後の配当の成長率となります。現実に一致する理論を科学というならば、この考え方もいい加減なものではなく、科学的なものと評価することができるでしょう。今では運用業界や学会では基本的な株価評価のツールとして定着しています。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2005/02/23
定年・老後に関する常識的な考えは、もはや現実には則さないと云うべき点がたくさんあります。米国リタイアメント事情から抜粋しましたが、自分の老後の生き方を考え直す上で参考になると思います。******************************<定年・老後にまつわる代表的な誤解例>1.65歳は老人である2.定年とは、それ以降働かないということ3.60歳になるまでは自分の本当にしたいと思うことはできない4.定年とは、純粋に経済的・金銭的なイベントである5.安逸な生活こそ老後の目的である6.自分ひとりで老後の準備ができる誤解1.65歳以上は老人であるいまどき、こんなことを云ったら65歳の人から叱られるのではないでしょうか。実際、昔の65歳と今の65歳とは相当違います。70歳を超えて宇宙飛行したジョン・グレンを見たらとても老人なんて云えないと思います。活動的なシニアの典型的な例ですが、見渡せば65歳を過ぎて元気な方は数多くいます。型どおりの見方をするのではなく、私たちは少し冷静に考え直してみた方が良いと思います。皮肉なことですが、長寿社会に適応するどころか、百年以上も前、それこそ平均寿命が46歳だった時(ビスマルクの社会保障政策、所謂「飴と鞭」の飴)に作られた定年年齢を、21世紀の私たちは未だに推し進めようとしています。もっとおかしいのは、米国などにおいて早期リタイアを良しとする考えが浸透していることです。例えば55歳でリタイアするとしたら、キャリアを積んだ年数と同じ期間を老後に費やすことを意味しますが、一体リタイア後の30年をどうするつもりなのでしょうか。年を取ったというのは何歳を云うのか、その問いに対する回答は人それぞれが決めるものだと思います。少なくとも60歳や65歳ではないことは明らかでしょう。シニア層を対象にしたある意識調査によれば、老人との境目の線は75歳~80歳のどこかという結果が出ています。しかも、この線は今後も上がり続けるのだろうと予想されています。誤解2.定年後・老後は働かない近い将来、定年後は働かないという考えはなくなるだろうと識者が予想しています。老後どうするかを決めるのは自分自身であるという考え方です。近未来において労働人口の減少が予想される時、働く条件が柔軟になり、自分にあった場所と時間を選べるようになり、パートタイム的に働くなど、自分で定年後の働き方をデザインするようになるでしょう。そして、今までの硬直的なモデル、すなわち100%フルタイムで働くか、全く働かないかという区分は、いずれ過去の遺物となると見ているようです。誤解3.リタイアする65歳になるまで自分の本当にしたいと思うことはできないリタイアすれば自分の好きなことを気の向くままにできるようになる、そんな希望を胸に、今を犠牲にしていないでしょうか。あなたの人生は単にお金を稼ぐためのものなのでしょうか、それとも、お金があなたの人生を築くための手段なのでしょうか。大きく稼げる道を常に選ぶように私たちは教えられてきました。良い学校に入って、安定した大きな会社に就職するようにと。稼ぎのいい仕事をしながらキャリアを積むことに夢中で、自分の本当にしたいこと、自分の魂が安らぐことを二の次にしてきました。何故? - それは、いつか十分なお金ができたら、本当にしたいことができるようになるから。肝心なことを二の次にしてしまうこうした誤った考えが、特に米国において、人々を早期リタイアに駆り立てています。つまり、リタイアすれば何でも好きなことができると。その挙句、自分の人生(エネルギー・情熱)をお金稼ぎに使い切り、有意義な人生を築くためにお金を使うことを忘れてしまっています。難しくライフデザインということでもありませんが、人生設計の仕方、あるいは優先順位の立て方を見直すことで、自分の人生をもっと自由に、自分の望む方向に向けることが可能になると思います。もう一度子供の頃に訊かれた言葉を思い出してみましょう。「大きくなったら何になりたい?」という質問に何と答えますか。 ≪続く≫
2005/02/05
ペイオフ解禁、お金の預け先の相談はどこにしますか?「銀行のペイオフ・セミナーを聞きにいったら、よく判らなかったけど、思わずこんな商品を買っちゃいました」という時、出てくるのは凡そ外貨預金・投信・変額年金などです。時にはヘッジファンドもあるようです。そして3ヵ月~6ヶ月後、「変ね。なんで評価損が出ているのかしら?」と訝しげに思い、商品に詳しい友人に聞いて説明を受けると、「あの銀行、なんでこんな商品売りつけるのよ!」と豹変してしまうこともあるようです。従来預金しか扱わなかった銀行は近年その扱い商品の幅を急速に広げています。個人から圧倒的な信頼を集め、他の金融機関の追随を許さない銀行は、いま積極的に預金以外の商品の販売に注力しています。ペイオフ解禁を4月に控え、銀行の変化とその付き合い方を考えてみましょう。***************************ペイオフ解禁は、金融機関がキャンペーンを相当してきましたので、十分理解できていると思います。要は、銀行が破綻した場合、預金者の預金(普通預金)を全額保護してきた期間は終わりにします、ということです。北拓・長銀・日債銀などが金融危機の97-98年、その後もりそな銀行や足利銀行など破綻しましたが、いずれの時も預金者は損をすることがありませんでした。銀行が巨額の不良債権を抱え立ち行かなくなった際、一般事業会社と同じように本来の破綻処理をすれば当然に預金もカットされるところでしたが、国が税金を投入し穴埋めした訳です。しかし、今後は税金を投入してまで保護するようなことは原則しないということになり、破綻すれば預金の一部は戻らず、カットされる程度は破綻した銀行の状況に応じて、大きくなったり、小さくて済んだり差が出ることになります。ペイオフ解禁なんてピンとこない、又は、「預金」というとどうしても安心してしまう一般個人の心得としては、いっそ預金は銀行への「貸付」だと思った方が良いと思います。将来返せないような相手には最初から貸すなということです。国の政策が「銀行をつぶさない」スタンスから、「ダメな銀行には市場から退出してもらう」という姿勢に変わる以上、ダメな臭いのする銀行とは付き合わないことです。鼻が悪くて臭いが判らないという人は、最低限、S&Pやムーディーズなど格付け機関の出している格付けを、他の銀行との相対比較で見て下さい。ネットでも調べられますし、直接銀行に訊いても良いでしょう。自分の格付けすらまともに答えられない銀行なら、やめといた方が無難です。いずれにしても、預金は元本が守られるという安全性と、いつでも現金で引き下ろせるという流動性が最大のポイントです。その安全性が疑問視されるような銀行には「預金という貸付」をしないことです。ペイオフ解禁で、もはや預金は安全ではないと云われると、どうしたら良いのか不安になりますが、考えるのが面倒、もしくは、考えても判らない人はとりあえず、ペイオフ解禁後も保護の対象となる決済用普通預金口座に入れておけば良いでしょう。金利はつきませんが、銀行破綻時も金額制限なしで預金保険機構(国)が引き続き支払いを保証してくれます。自分の預金をどうすべきか、考え方が決まった時点で移せば良いのであり、慌てて何かを買うような軽率なことをしないことです。(余談ですが、個人に自己責任の時代と云いながら、この保護対象の口座を作ったのは、ダメ銀行の退出を迫る上で政策上の誤りだと個人的には考えています。)ペイオフ解禁で1千万円超の預金が安全でなくなったからと、いきなりすぐリスク商品を買いなさいと勧める金融機関が多いのですが、その姿勢には疑問を感じます。安全性を求めて預金に置いていた人に対し、その人の状況も聞かず、そうした商品を勧めるのはあきらかに論理の飛躍があります。銀行にしても、預金だけの時代は、硬直的で融通が聞かず、でも一方で堅実な正確なイメージが定着していましたが、どっこい最近は証券会社顔負けのセールス色を前面に出すところもあります。銀行も規制緩和の流れの中で競争は厳しくなり、預金・融資だけでは株主が期待する収益には到底届かないことから、様々な収益機会を探しています。その一つが個人向けのビジネスであり、預金に加え、外貨預金・投信・変額年金・株・債券を扱うことで、個人から上がってくるニーズを一手に引き受けてしまおうという、所謂ワンストップショッピング化を図ろうとしています。「当行にお出でいただければ、あなたのニーズにすべてお応えできます」というキャッチ・フレーズで、とりわけ富裕層に対しアプローチをかけています。謳い文句通りに、個人のための利便性が高まるケースもありますが、銀行にとり収益機会の獲得という動きは、勢い余って顧客のニーズを無視したセールスに結びつくことになりがちです。預金に比べはるかに高い手数料が入るこうした新商品は、厳しい経営環境下にある銀行にしてみれば干天に慈雨の如きものと云えます。特に投資用年金とか呼ばれる変額年金は、銀行において大変な勢いで販売額を伸ばしておりますが、銀行に落ちる手数料は格段に大きく、しかも投信などと違い購入者にはそれがどの程度か見えない仕組みになっていることから、銀行にとって大変「美味しい」商品となっています。ペイオフ解禁を機に、個人が重い腰を上げ、安住してきた「預金」から資金を動かすタイミングを捉え、新商品を売り込もうという作戦を銀行は採っている訳です。冒頭のストーリーは、銀行が売る以上、「預金」程ではないにせよ、安全なものに違いないと勘違いした人でしょうが、まさに恐るべきは、ペイオフ解禁そのもの、あるいはリスク商品そのものではなく、これを一大ビジネスチャンスとして手数料稼ぎに走る金融機関の魂胆ではないでしょうか。ペイオフ解禁で慌てる必要は全くないので、セミナーにつられて商品内容を理解しないまま購入し、あとで後悔するような真似は避けるべきでしょう。銀行に限らず、無料のセミナーを単なる慈善活動で行っている筈はなく、商売のネタにしようという考えから開催する訳です。つまり、セミナーの名を借りた商品キャンペーンがその実相です。情報として役立つものが多いのも事実ですが、銀行がそれを利用して商品に結びつける段階では、一呼吸置くくらいでちょうど良いかもしれません。預金しか主力商品になかった時分はお堅い銀行マンの云うことなら安心で通った訳ですが、リスク性商品の扱いを積極化するこれからの時代、そのイメージは急速に変化するものと思います。そして、ペイオフ解禁で学ぶべき点は、お金の安全な預け先が減るということの他に、相談できる相手が必要になるということです。銀行の窓口で色んな金融商品が氾濫して頭が混乱する時、一体誰に訊けばいいのかを考える契機とすべきであり、どんな商品が、どのステージで自分のためになるのかを相談できる相手は誰なのかを探すことが大切だということです。個人差はありますが、おそらく、複雑で難解な金融商品を学ぶこと以上に、自分の味方となって一緒に考えてくれる相談相手を探すことの方が大事な時期にきていると思います。収益獲得に血眼になった銀行マンよりも、あなた自身をよく理解し、転勤もなくずっと身近にいてサポートしてくれる人が相談相手として相応しいのではないかと個人的には考えます。(了)
2005/01/19
金融機関のパンフレットに近年踊っている言葉、彼らは、「定年後の老後が心配だから、今は懸命に働いて金を貯めよう」と宣伝しています。先進国である米国では、できれば定年よりもっと早くリタイアできたらいいのにと願っていると云います。本当なのでしょうか?それにしても一体、誰が定年を境に働くのをやめようと決めたでしょうか?本当に私たちは働くのをやめたいのでしょうか?★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆悲しいことに、あまりに多くの人が、嫌な上司に仕え、くだらない仕事、嫌いな職場にしがみつきながら働いています。何のために? - リタイアメントを、ゆとりある老後を迎えるために- 。だから、定年と共に、嫌でたまらなかった仕事から離れようとします。「できれば今すぐにもやめられるものなら辞めたい、しかし、好きなことをするには相当のお金が必要だ。」 やむなくその夢を先延ばしにします。将来必要な資金が手に入った時、自分の好きなことをやるのだという気持ちを、ずっと持ち続けていられると思い込みながら。でも、考えてみた方がいいかもしれません。嫌な仕事を長年続けていたら、神経をすり減らしてしまい、実際その資金が得られた時には、もはや瑞々しい希望や夢なんてとっくに失せてしまっているのではないでしょうか。私たちはある種の妄想に取りつかれていないでしょうか?いつか本当に自分のしたいことを将来できるようにするためには、今はとにかくお金を稼ぐのが必要であり、嫌いな仕事でもやらなければいけないのだ、と。それでもいいのかもしれません。しかし、若く溌剌としていられる時期の40年間を犠牲にして、体が云うことを利かなくなる人生の秋・冬に自由を得ようとするなんて・・・と思いませんか?しかも、リタイアし、一線から退いた人たちは必ずしも幸せではありません。彼らはリタイアしなければいけないと思わされていたので、そうしたまでなのです。調査によれば、41%の人が、リタイアメントが人生において適応するのが最も難しいと云っています。単調で退屈な日々、目標がなく、知的刺激もない毎日とどうやって折り合ってゆくのか、煩悶しています。何故リタイアが幸せでないのでしょうか? 答えは、リタイアメンとが自然に反する考えだからです。人間の精神に反するのです。殆どの人が「リタイア」を望んではいません。欲しいのは、自分の目標や利益を追い求める自由・気儘さです。したいことを、欲するときに、望む場所でしたいと。今のような仕事にマンネリ化してしまった生活を変えたいと思い、十分な金があればそれができると教えられてきました。だから、老後の生活のために、自由を得るには2百万ドルを貯める必要があるというようなメッセージに私たちは弱い。しかし、これは真っ赤なウソです。「老後・リタイアメント」に関する歪んだ考え方のために、人生という馬よりも、お金という荷車を前に、つまり優先順位を逆さにしてしまっているのです。いつか自分らしい生き方ができるよう今はお金を貯めていると私たちは云います。しかし、十分なお金をなんとか手に入れるまで、本当の生き方を、自分らしい生き方をするのを遅らせてしまっています。あまりにも多くの人が、あまりにも長く待ちすぎるのです。「定年・老後」を捉えなおすことで、自分の望む生き方を見つけ、そのための資金の作り方が見えてくるのではないでしょうか。自分のライフスタイル・価値観・金銭の使い方などを見直すことになり、優先順位を間違えず、先にすべきことを先に行う術を見つけることになると思います。(米国リタイアメント事情より)★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
2005/01/08
今回も米国リタイアメント事情から抜粋しました。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆「早期リタイアメントは米国人なら誰でも夢みることであり、私が55歳でリタイアした時も、同僚から随分羨ましがられたものだ。若いときから早期リタイアを目指し、太陽が燦燦と輝くフロリダのビーチとゴルフコースでゆったり寛ぐことを夢見ながら、私は一所懸命に働き、地道な投資もしてきたから達成できた。しかし、リタイア後程なくして、1番ティーに立つと必ず嫌な気分がするようになった。レジャーだけに残りの人生すべてを費やすにはまだ若すぎるし、自分のエネルギーがもったいないという気がしてきたのである。『これは勤勉に働いた自分へのご褒美なのだ。皆が欲しがっているものを私は手に入れたのだ。』無理やりそう自分に言い聞かせるようにした。しかし私はだんだん詰らなくなって、いつしか酒にのめり込むようになっていった。働いていた昔だったら到底あり得ないような悪い習性に蝕まれてしまった。そんな自分の醜い姿を気づかせる事件が起きた。ある日、かつての同僚と偶然町で顔を合わせた。彼は、私よりも5歳年上だったが、まだ現役で働いていた。久しぶりに会う彼が妙に立派に見えた。私は今年62歳になるが、見た目はもう70歳に映ったのだろう。彼は何も云わなかったが、彼の眼がはっきりとそう訴えていた。レジャーのみで他になにもすることがない生活が、いつの間にか私の老化を早めていたのだ。金融機関は盛んに早期リタイアメントを目指すよう私に勧めてきたが、パンフレットにあるような夢の生活からは程遠く、実際はこんな惨めなものだとは誰も教えてくれなかった。」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2004/12/29
90年まで上昇を続け、その後は低迷している日本の株価は、もう上がることはないのでしょうか?そもそも日本に限らず、どのように株価はあがってきたのか、歴史の長い米国の事例を使ってその事実を踏まえ、議論を前に進めたいと思います。先日、証券営業経験20年のベテランから、「株式投資を顧客に勧めるのに株価が上がらないのでは始まらない。長期的には株価が上がるだろうとおぼろげには思うのだが、今ひとつ腑に落ちない。どう考えれば良いか」と訊かれました。証券マンにとって、株価が上がることは当然の前提にしているのでしょうが、いざ面と向かって、何故?と訊かれると答えに窮することもあるようです。また、A子さんとB男くんの話 ~賢明なる投資家を目指して(1)~ を書いた時、「こんな投資があれば良いわよねえ」(30才台の主婦)という溜め息交じりの感想をもらいました。複利の計算上人為的に数値を使ったので、とても現実には信じられないということなのかもしれませんが、10%の上昇とは日米株価の長期的な平均をとったものであり、全く根拠のない架空のものではありません。いわんや、何かを買わせようとの魂胆で持ち出したウソ八百でもありません。次回から少しずつお話しますので、乞うご期待。
2004/12/12
「過ちを改むるに憚ることなかれ」と云われても、凡人の私たちは自尊心が邪魔して簡単にはいかないのが常ですが、とりわけ投資の上での失敗を認めることは難しいと云えます。身近な例で考えてみましょう。為替市場では先月の中旬から円高が進み、最近は対ドルで102円台をつけたことから、金融機関(銀行・証券・保険)がここぞとばかりにドル建て商品を勧めています。そろそろ買い時かなと考えている個人も多いようです。しかし、一方で、かつて130円台や120円台の円安水準で買ってしまった人は、評価損の拡大を気にしながら、どこまで円高が進むのだろうかと不安に思い始めています。過去の円安水準では、外貨預金や外債を購入したケースが殆どのようです。「円金利では利息がつかないが外債は金利が高い」、「外貨預金なら素人でも手軽にできる」という金融機関の誘いや、「テレビでも為替レートは毎日報道されるので分かりやすい」、「日本の景気は悪いから円安になるだろう」など色々考えて始めたのだと思います。しかし、いざ始めてみると円高に進み評価損を抱え込んでしまい、そんなに長く持つつもりではなかったにも関わらず、1~2年塩漬けになってしまったという投資家が不安感を募らせています。聞けば、せいぜい4~5円くらい円安に行ってくれれば御の字だと思っていたとか、仮に為替が横ばいでも米ドルの高金利の利息だけで十分だったのにとぼやいています。結果は予想に反し10%を優に超える評価損となり、いまさら損切りすることもままならず、そのまま放置しているとのこと。このまま円高が進むとさらに評価損が拡大してしまうので、何とか良い方法があれば教えて欲しいというのが本音なのでしょう。別な投資を考えたことはないのか尋ねると、売ると実現損となるのでしたくないという答えが返ってきました。つまり、売却しない限り、損失額として確定しないので売らないと決めている訳です。しかし、評価損も実現損も、会計上は別として、経済的には全く変わりがないことに気づくべきでしょう。あるいは、気づいていても気づかないふりをしているのかもしれません。中には、売却しない限り損失はないと思い込んでいる人もいるようですが、こうなるとやや救いがたい気もします。一般に、投資が当初の意図に沿わず、逆に損を招く事態は避けられないものです。しかし、私たちはどうしても、自分がそうした馬鹿なマネをおかしたとは認めたがらない。売却して評価損を実現してしまうと、その馬鹿を認めざるを得ない。その結果、いつまでも過去の失敗にしがみつき、反転してくるまで延々と待つことになります。(*)個人が行っている個別株の投資を見れば、この種の話は枚挙に暇がありません。いまだに売るに売れず、NTTを保有している個人投資家の話は良く耳にします。投資は、一面において、合理性を備え情報を冷静に分析できる人が、そうでない人からお金を巻き上げる合法的なゲームであると云えます。自分が合理的であると云うには、私たちはあまりに情緒的に生きていますし、また、価値観としても、時に感情に支配されることを完全に排除すべきとは考えていません。それでいて、結構自分こそ合理的な人間だと自惚れていたりします。そんなナイーブな人が金融市場のルールも十分理解できないままに参加すれば、早晩カモとなる日が来るのは避けられないと考えるべきではないでしょうか。誰にも相談せず、独りでやってみようという投資家の陥りやすい罠は数多くあります。自分がわき道に逸れるような時に指摘してくれるアドバイザーを傍に置きながら、地道に一人で頑張るのも良策と思います。また、信頼できるプロフェッショナルを探してその人に頼み、時間と知力とエネルギーを費やし、自分のためのアドバイスを提供してもらうことが有効な方法だと思います。オンライン取引が増え、マネー雑誌が氾濫し、情報洪水の中で金融機関に誘われるがままに投資に入る人が多いのを見ていると、耳に痛い諫言をしてくれるアドバイザーの存在が一層尊いものと考えることができます。決して、甘言を弄して近づいてくる金融機関のセールスマンをアドバイザーにしてはならないと思います。(*)こうした心理を逆手に取ってウソを云う金融機関がいることに注意すべきです。「外貨預金で評価損が出たら、そのまま海外旅行に行った際に使いましょう、そうすれば損しないですみます」と。人を小馬鹿にしたような話ですが、案外これを本気にしている個人が多いのには驚いてしまいます。もっとも、云っている金融機関の人が理解していないまま話していることがあるので、必ずしも悪意とは云えないかもしれませんが。因みに、千ドルを1ドル=130円で買い外貨預金をした場合、必要な円貨は13万円。その後、円高が進んで1ドル=100円になったとします。海外旅行で、千ドルの外貨預金を取り崩し使ってしまえば、3万円={(130-100)×千}の評価損を実現しないで済むというのが金融機関のトークです。しかし、甘言につられて外貨預金などをせず、普通に1ドル=100円で買えば10万円ですんだことと比較すれば、千ドルを買うのに3万円余計に使っていることが分かります。これを損と云わずして・・・と思わざるを得ません。損をしたくない、自分の誤りを認めたくないという人の心理を突いた巧妙な騙しのテクニックと云えます。
2004/11/23
米国のリタイアメント事情から抜粋してみました。 -*-*-*-*-*-*-リタイアした人を見ていると興味ある現象に気づく。リタイアしたあと短期間のうちに病気になったり死んでしまったりする。しかも、肉体的な病気や疾患が先ではなく、退屈に耐え切れなくなり精神的な病が先行してやってくる。彼らは、それまで自分の人生・生活に満足感を与えてきた大切なもの(それは自分自身の一部と言っても良い)から切り離されたようなものだ。ゴルフコースや秘境を巡る海外旅行で満たそうとしても、結局同じ問題に立ち返ることになる。日がな一日「サボって」いるには若すぎるし時間がもったいないと感じているのだ。こうした人々にとっては、気楽な老後は苦痛の生活と紙一重になりかねないのである。----------------------------------------------------<エピソード>隣に住む彼はIT業界のSEとして仕事づくめの毎日を過ごしていた。何度か一緒にゴルフでも行かないかと誘ってみたことがあるが、大きなプロジェクトを抱えていて土日も休めない状態という。とにかく文字通り忙しいという人だった。彼の話に出てくる人物は会社の人しかいなかった。ある日彼の会社がリストラに着手した。彼は早期リタイアに追い込まれる羽目になり、それが原因で一種の鬱病に陥った。日がな一日、ボーっと窓の外を眺め遠くを見ている。話しかけてみたものの、無表情で全く相手にされなかった。会う度ごとに少しずつ悪化していくようだった。彼がこう呟いていたことがあった。「自分は57歳のSEだ。57のSEなんてどこもお呼びでない。」かつて一日15時間も誰とも口をきかず働き続けてきた彼が、多少なりと付き合いがあったのは同じプロジェクトで働いた同僚である。しかし、その同僚は仕事に忙しく、彼を再び世の中に順応させる時間的余裕はなかった。9ヵ月後に彼は病気となり、その2ヵ月後儚くなった。-----------------------------------------------------リタイア後の人生において幸せのバロメーターはお金ではない。周囲の世界とどう繋がっているかが重要であり、おそらく働いていた時以上に大切であろう。あたたの心をなごませ、あなたが話す関心事に耳を傾けてくれ、あなたがリタイア後も依然として価値ある人物であると思わせてくれる人がいるかどうかで、あなたの人生は大きく変わってくるだろう。 -*-*-*-*-*-*-何のために働くのか、何のためのお金なのか、自分の幸せが何なのか、ゆっくり考えてみたいと思います。
2004/11/21
「隣の人が新規公開株で大儲けしたらしいわよ」とか、「金がいいらしい」と最近羽振りのいい親しい友人がにんまりもらしていたとか、とかく周囲がお金儲けをした話を聞くと居ても立ってもいられなくなり、思わず飛びついてしまう傾向が私たちにはあります。加えて、新聞雑誌などメディアが、したり顔した識者のコメントを載せて書こうものなら、乗り遅れてはならじと猛進してしまうことすらあります。残念ながら、楽に、しかも短期間に儲けたいという投資家の淡い期待は、過去に悲惨な結果をもたらしてきました。歴史を紐解けば、私たちが人間として持つ欲や恐怖という心理が、時に笑ってしまうような、また時に悲しくなるような愚行となってきた事例に満ち溢れています。ひょっとしてあなたも、安易に成功する魔法のカギがこの世のどこかに存在すると信じて、自分もそれにあやかりたいと願っていないでしょうか。 = = = = = = =個人投資家にとっての落とし穴は、何と云ってもこれが代表格でしょうね。投機の誘惑にかられ、群集心理に飲み込まれてしまうことです。大衆の狂気と貪欲さが演出した歴史上有名なバブルは数多くあります。17世紀初頭オランダのチュ-リップバブル、18世紀初頭イギリスの南海泡沫会社バブル、1920年代アメリカのフロリダ土地投機、同じく1920年代後半アメリカウォール街の株式投機が良く知られています。最近では、1980年代後半日本の不動産や株式、20世紀末世界中を席巻したIT関連株などもバブルの歴史に仲間入りしました。今回もB.マルキールの本「ウォール街のランダム・ウォーカー」を参照しながら、チューリップ・バブルの例を簡単に紹介しましょう。* * * * * * * * *オランダのチューリップ・バブルのピークは、いまから約4百年前の1634年から37年にかけておきたもので、「貴族も、平民も、職工も、水夫も、人夫も、メイドも、煙突掃除人も、年老いたお針子までも、チューリップ熱にとりつかれた」という。まさに「国全体が経済活動をそっちのけにして、チューリップ球根への投機に浮かれた」異常な時期である。++++ この辺は十数年前の日本の不動産バブルを思わせますね。 ++++もともとチュ-リップの球根は16世紀末にトルコから持ち込まれ、当時オランダで徐々に広まっていたらしい。ところが、球根がウイルス性の病気にかかると花弁に色鮮やかな縞模様を作り出したことから収集熱が一気に高まり、このウイルスに感染した球根の人気が爆発し、法外な値段がつき始めた。それに目をつけた商人たちが投機的思惑で買い占めるようになると、チューリップの値段は天井知らずに上昇した。球根一つで、船の乗組員全員を1年間養うに足る程の値段がついたという。「誰もがチューリップ熱は永遠で、世界中から買い手がオランダにやって来て、どんな値段でも言い値でチューリップを買ってくれると考えていたかのようだった。欲に目が眩んだ人々は、土地、宝石、家具などと引き換えにしてまで、チューリップの球根を手に入れようとしたのである。」++++ バブルに踊るようなマネをするつもりはないという自信に満ちた方が必ずいると思います。大事な箇所は次です。 ++++「たかが球根の値段がこれ以上あがるわけはないと、最初は馬鹿にしていた分別のある人たちも、友人や身内が巨大な利益をあげるのを目の当たりにして、口惜しがったものだ。自分たちもゲームに参加したいという誘惑に打ち勝つのは、並大抵のことではなかった。そして最後まで参加しなかった人は、ほとんどいなかった。」「純粋に心理的要因で急上昇した相場は、遅かれ早かれ例外なく、金融の重力の法則に」屈して潰え去る運命にあるようだ。「1637年1月に20倍に値上がりしていた球根は、2月にはそれ以上の幅で下落した。どんな投機熱の時もそうだが、価格があまりに高くなりすぎると、一部の人たちが売って利益を実現しようと考え始める。すると他の人たちがこれに続く。こうなると後は坂を転げ落ちる雪だるまのようなもので、価格の下落は加速度的に進み、わずかの間にパニック状態に陥るのである。」* * * * * * * *B.マルキールはこう結んでいます。「なぜ人間の記憶は、かくも短命なのであろうか。なぜ繰り返し起こる投機ゲームは、過去の教訓を一つも生かそうとしないのだろうか。」「市場で常に損をする人たちというのは、大小様々なチューリップ・バブルの魅力に抵抗できないタイプの人たちである。株式市場で金儲けをすることは、実際、それほど難しいことではない。(中略)むしろ難しいのは、短期間に手っ取り早くお金を儲けられそうな投機に、お金をつぎ込みたくなる誘惑を振り払うことの方である。」あなたが「賢明なる投資家を目指す」のであれば、当欄(1)~(5)に書いてきた基本ルールを守ることを忘れてはならないと思います。大衆の狂気と盲動の歴史を学ぶことで、自分の心の中に潜む欲や恐怖こそが敵であると気づき、改めて規律としてのルールが大切であることを理解できるのではないでしょうか。
2004/10/18
寓話の中から選んでみました。ー*-*-*-*-*-*-*-*-*大金持ちのビジネスマンが、ある日港で子供と遊んでいる漁師を見かけ、呆れはててこう訊いた。「もう漁には出ないのかい?」「ああ。今日の分はもう十分釣っちまったからな」と漁師は答えた。「どうしてもっと多く獲ろうとしないんだい?」とビジネスマンは尋ねた。「そんなに多く獲ってどうするんでさ?」と逆に漁師が訊き返した。「余計に稼げるじゃないか。その金でもっと大きな船が買える。するともっと深い海で漁ができ、さらに多くの魚が獲れる。お金が増えて今度はナイロンの網を買うことができ、その網でもっと大量の魚が獲れ、お金が益々増える。そうしているうちに、いずれ大きな船団を持つようになり、私と同じような大金持ちになれるよ」「大金持ちになって、どうするんでさ?」と漁師はまた訊いた。「決まってるじゃないか。その時こそ、人生を心底楽しめるさ」とビジネスマン。漁師は訝しげにビジネスマンを見ながら答えた。「あっしがさっきから何をしているとお思いだ?」
2004/10/11
古来、卵をひとつの籠に盛るなと云われます。ひとつの選択肢に持ち金すべてを賭けてはならない。一発勝負の賭けに出て運の良し悪しを楽しむカジノの世界なら、それも遊びの程度で済むのなら良いのでしょう。しかし、ゆとりあるセカンドライフを願うような真剣なお金で、賢明な投資家を目指すならば、分散投資は決して忘れてはならない基本ルールです。自分ではどんなに値上がり確実と思えるものであっても、また、自分の周囲がそう信じマスコミが騒然としていたとしても、資産運用の世界には「絶対」はありません。基本を踏み外せば、ほんのひとつの決断ミスで人生を狂わしてしまう危険性を持つ、それも投資の世界の一面です。この基本原則を知らずに悲劇を招いた例を紹介します。欲の皮が突っ張って失敗したケースは聞き飽きるくらいありますが、控えめでひたむきに生きてきた人が陥った落とし穴でした。その人は現在40代のOLですが、今では10年近く前のショックから立ち直り元気に働いています。彼女は子供頃から無駄遣いせず、もらった小遣いも貯金しておくタイプでした。学校を出て証券会社に就職した後もまじめに働き、周囲が浮かれていたバブル期は、職場の同僚が高級ブランド品を競って買うのにも同調せず、せっせと田舎で一人暮らしの母親に仕送りを続ける孝行娘でした。証券会社勤務ということもあり、蓄財の柱として、持ち株会を使って毎月の給与から定期的に自社株を買い続けました。家庭的な雰囲気を漂わせる会社であったので帰属意識も強くなり、会社が増資する時には積極的に応募していました。年数経過と共に徐々に株数が増えていくのが楽しみだったようです。バブル期には大変な評価益を産み、将来がバラ色に見えました。早くいい人を見つけて結婚し、病気がちな母親を安心させてあげようと彼女は考えていました。しかし、彼女の人生はバブル崩壊と共にバラ色から変色し始めました。会社の業績は下降線を辿り、不正経理に関する報道でメディアに翻弄され経営も迷走する中、とうとう97年には自主廃業に追い込まれてしまいました。彼女の持ち株は紙くずとなり、同時に収入の糧もなくなるという、資産(ストック)と収入(フロー)の両面でダブルパンチを招いてしまいました。本来、消費を押さえ定時定額による強制貯蓄をし、長期投資で時間を味方につけようとした彼女は、「賢明なる投資家を目指して」(1)のA子さんと同じように退職時にゆとりある笑顔をみせる筈の人でした。しかし、大きく狂わしてしまった原因は、自社株投資というひとつの籠にすべての卵を盛る方法でした。自社株に集中投資してしまい、分散投資の基本ルールを守らなかった「罰」は、彼女の20年に及ぶ蓄積を吹き飛ばしてしまったのです。金融市場は諸刃の刃です。正しい使い方をすれば自分の生活を潤す助けになるでしょうが、使い方を間違えれば火傷を負います。時にはもっと重症・大怪我をすることもあります。今まで「賢明なる投資家を目指して」で取り上げてきた基本ルール、時間を味方に長期間時間をかけゆっくりと、複利の奇跡を活用し、そして一点集中でなく分散につとめるという基本を忘れないよう留意して下さい。基本ルールさえ押さえていれば、あなたの人生をお金がもとで台無しにしてしまうような致命傷を負うことはないでしょうし、むしろあなたの人生をゆとりあるものにしてくれると思います。
2004/10/02
「A男くんは資産家の跡取でお金があっていいけど、B男くんも性格は包容力があっていいのよね。」結婚相手の候補を品定めしながら悩んでいる若い女性に、二股膏薬どころか三股でも四股でも張ることを勧めますと云ったら不謹慎かもしれません。しかし、投資の世界は数多くの良さそうなものの中から、どれかひとつに決めなければダメなどとケチで非情なことは云いません。逆に、良さそうなものをみんな一緒にまとめて買ってしまおうというのが基本です。これを運用の世界では分散投資と云います。「やっぱりお金よね」とA男くんに決め打ちして結婚した後、ダンナのとんでもない性格が分かるような悲劇を避けるのが分散のメリットです。モダン・ポートフォリオ・セオリーを提唱しノーベル経済学賞を受賞したH・マーコビッツが聞いたら呆れてしまいそうな分散投資メリットの説明となってしまいました。彼の主張はギリシャ文字を使った数式で説明されるので見るだけで頭痛がしてきますが、幸にして、そのエッセンスを簡単に例示したものがあります。左の「フリーページ」書評で紹介しているB・マルキール「ウォール街のランダム・ウォーカー」の中から拾ってみました。離れ小島に流れ着いたと想像して下さい。そこでは会社がたった2社しか存在しておらず、1社はビーチやテニスコートを経営するリゾート企業で、もう1社は傘メーカーです。両社とも業績は天気に左右され、晴れの時期はリゾート企業が繁盛するが傘は売れない、逆に雨の時期は傘メーカーが潤うがリゾートは客不足となります。あなたなら、どちらの企業の株式を買いますか?どちらか1社の企業の株を買えば、あなたの投資も天候に影響を受けることになります。つまり、ビーチが好きだからといってリゾート企業を買ったら絶好の日和が続き株価は急上昇ということもあります。しかし、いつも幸運の女神が微笑んでくれるとは限りません。雨が降り続くようだと業績不振で株価は下落することになります。それじゃというので逆を選んでみたら、今度は晴天続きということになり傘がサッパリ売れず、傘メーカーの株価が下落してしまいます。困ったなと悩んでいるときに閃くアイデアが、持っているお金を2分して両方の会社の株式を買ってしまおうというものです。そうすれば、晴天なら傘メーカーの株価は冴えなくてもリゾート企業が上昇し、雨天の時期はリゾート企業の不振を傘メーカーの株価上昇が補ってくれるので、天候がどうなろうともあなたの保有株価の合計は安定したリターンを産むというものです。これが分散投資のメリットです。天候を的確に予想しベストな選択をすれば最高のリターンが得られるでしょうが、予想が外れれば逆に最悪の結果もあり得ます。その意味では、分散投資は焦らずゆっくりと中庸を行くスタイルと云えるでしょう。同じ金融市場を対象にしていても、最近多くなったデイトレーダーのような投資スタイルとは全く別なものです。億万長者かスッカンピンかそんなギャンブルを好む人は別ですが、分散は決定的なダメージを避けることを可能にし、躓きから身を守る術となります。選択肢があっていずれかを選ばなくてはならない、しかも先が読めない時、なるべくリスクを避けたい、後悔したくないと願うケースが人生には幾度となくあります。誰しもそうした岐路に立ったことがあると思います。進学や就職、結婚など真剣に悩まざるを得ないでしょうし、その真摯な姿勢が実りある人生を彩るものだと思います。しかし、投資はその点柔軟に考えることができます。運用の世界では、特に金融市場では数多くのものに分散投資することで相対的に安定した収益を得ることができます。賢明なる投資家を目指すなら、そのメリットを享受しない手はありません。どちらか一方に決めなくてはと真剣に悩むのは、ユジンがジュンサンかサンヒョクかで揺れる純愛ドラマ(「冬のソナタ」)が似合っていると思います。恋愛でさんざん悩み抜いた賢いユジンは、きっと運用では、あれもこれも購入する分散投資を選ぶのではないでしょうか。
2004/09/17
賢明なる投資家を目指して」(1)(2)では、個人が投資する時に肝に銘ずるポイントは「時間を味方につける」ことと「複利の奇跡」を利用することでした。数字が続いたので今回は算数の計算はなしにしましょう。投資のシミュレーションではなく、また歴史上の偉人でもなく、米国に住む極めてごく一般の人が投資信託を利用した長期投資の話です。金融関連のメディアや本のタイトルには、「株式投資必勝法」とか「プロがこっそり教える狙い目銘柄」とか、その場限りの読むだけ無駄な文言が踊っていますが、こうした実のあるストーリーこそ一般個人にとり語り継がれるべきものと思います。************************米国アイオワ・シティ在住で76歳の未亡人かつ祖母でいらっしゃるジャニス・シェルドン・ボーンバックさんからの手紙『MIT御中 私は大恐慌の時期に子供時代を過ごしました。私たちにはお金はほとんどありませんでしたが、自分たちの存在や信念には誇りを持っていました。誠実さ、良い教育、愛国心、倹約、自立心、勤勉といった私たちの家族にとって大切なことを学びました。 私の父は1927年に中国の工科大学での教授の職を辞してから、次の職が見つけられませんでした。政治不安のため、私たちが中国にいるのは危険になりました。既婚女性は教師として雇ってもらえませんでしたから、母も仕事が見つかりませんでした。私たちは、父が在職中から行っていた投資から得られる限られた収入で生活しました。自動車も冷蔵庫も掃除機もなく、新しい服もほとんどありませんでしたが、私たち3人の子供はみな大学を卒業しました。 私はMITのことを聞いて成長しました。父はこのファンドの株式を1925年か1926年に購入しました。父はMITが開発したミューチュアル・ファンドという新しい概念について、私たちに説明しました。MITからの配当金やその他に所有していた債券や株の金利および配当が私たち家族のわずかな収入だったのはまちがいありません。どんなに苦しい時も、父は決して元金には手をつけませんでした。 母の死後、母の所有していた財産を2人の兄弟と私とで分けました。私は1970年にMITの株式499株を相続しました。当時の一株あたりの価値は12ドル31セントで、合計6,143ドルでした。この最初の持分に追加したのは1974年に私がマサチューセッツ・インベスターズ・グロース・ファンドで所有して2,547ドル相当をMITに振り替えた分だけです。それ以来、MITの持分を引き出すことも追加することもせず、そのままにしておきました。1999年3月26日現在、私のファンドは27万5,625ドルの価値があります。この持分のおかげで、私は安心して暮らし、旅行したり、子供や孫に分け与えたり、寄付したりできる安定した経済力を得ています。MITさん、どうもありがとうございます!』***********************MITとはマサチューセッツ・インベスターズ・トラストの略で、今から80年前の1924年3月に米国ボストンで設立された米国最古の投資信託です。因みにこの投信は今でも生きておりますが、上記の話は運用会社であるMFS(マサチューセッツ・ファイナンシャル・サービシーズ)が5年ほど前にマーケティング用に使用したパンフから引用しています。(参考:MFS日本法人のHP:http://www.mfsjapan.co.jp/com_03.htmlへジャンプ)このストーリーからは、特別の知識・情報がなければ運用ができないと思い込む必要はないことが分かります。親子二代に渡る長い時間を味方につけ、相場変動にあくせくすることなく、ジックリ腰を下ろした運用姿勢が快適な人生を送る手助けとなっています。お金に振り回される人生ではなく、消費・投資を含めて、お金との付き合い方を心得た婦人の生き方から私たちも学ぶ点が多いと思います。<MIT補足説明>MITは一般大衆に提供された初めてのオープン・エンド型投信。当初の投資対象は、一般事業会社(今でも名前が残るのはGE程度)の他、保険・鉄道・公益など数十の普通株で構成された。投資先進国であった19世紀の英国で生まれたインベストメント・トラストと同様に、解約により純資産が減らないクローズド・エンド型が多い時代にあって、純資産価額で投資家からの解約依頼に応じるオープン・エンド型は画期的なもの。また、今では当たり前でも当時は開示しないことが一般的だった時期にあって、ポートフォリオ内容を保有者に開示するというディスクロージャーが実践され、詐欺が横行した劣悪の時代環境下でMITは投資家の信頼を勝ち取ることになる。1924年生まれのMITは1929年のNY株暴落とそれに続く大恐慌の影響を避けることは出来なかった。しかし、数多くの投信が消えてゆく中でかろうじて生き残り、1933年証券法による最初の登録ファンドとなり、米国投信における歴史の証人と評価されるに至った。ちなみに当時の記録によると、1929年9月~1932年7月の間に83%値下がりしたものの(NYダウ平均は89%下落)、その間むしろ投資家及び新規資金は増加したと云う。(参考:「投資信託ビジネスのすべて」リー・グレミリオン著、東洋経済新報社)-- --- --- --- ---なお、念のため申し添えますと、このコメントは投資を学ぶ題材として書いているものであり、特定の運用会社や投信を勧めることを意図したものではありません。
2004/08/29

今から14年ほど前の1990年に、米国東部にあるボストンとフィラデルフィアの二都市は、それぞれ2千万ドル(約22億円)もの寄付金を受け取りました。その百年前にも同一人物から50万ドル(約55百万円)の寄付金を受け取っています。この送り主は歴史上大変有名な人ですが、皆さんは誰か想像できますか?答えは2百年前のベンジャミン・フランクリン(1706-1790)です。彼は米ドル紙幣にも載っているくらいですから殆どの方がご存知でしょう。初代大統領になったジョージ・ワシントンと並び米国独立革命に貢献した18世紀後半の政治家です。避雷針の発明や雷が電気であることなどを証明した科学者としても有名ですね。そこで問題です。2百年前に一体彼はどんな遺言でいくら寄付したのでしょうか? **********************複利の力----------「お金から生まれたお金が、またお金を生んでくれる」フランクリンが大好きな言葉だったものです。ベンジャミン・フランクリンは亡くなる1790年に、2百年間自分の寄付金を運用し続けるよう遺言しました。途中一回、百年後の1890年に公共事業の資金として50万ドルを引き出すことを認めただけで、原則として資金の引出しを封印したのです。そして、遺した金額はというと、5千ドルでした。彼は長期の運用がどういう効果をもたらすかを知っていて、後世に向けて壮大な実験をしました。複利運用という実験です。彼の遺した資金は、当時は主に貸付に利用されたようですが、返済された元本と利息をさらに貸付に回すことで複利の運用を継続したといいます。後年は貸付から証券投資に変わっていきますが、運用利息だからと言って頻繁にお金を引出してしまっては運用効果が減殺されてしまうのを知っていた彼の目論見は、2百年の時空を超え、2千万ドル(5千ドルの4千倍)という驚異的なリターンを産んだのでした。複利とは単利との対比で使われるものです。要は元本から利息が生まれ、そしてその利息から孫利息が生まれ、孫利息からさらにひ孫(?)利息が、、、と延々と続く利回り計算です。例えば、1万円を年10%で複利運用するとした場合、1年目の利息は1,000円です。しかし、2年目の利息は1,100円となります。当初の元本1万円からの1,000円に加え、1年目の利息で得た1,000円から100円の利息が生まれるからです。合計で1万2,100円となります。3年目の利息は1,210円で合計1万3,310円となり、10年後には2万5,937円となります。単利の場合では毎年1,000円の利息ですので、10年では合計1万円の利息となり、元本との合計で2万円にしかなりません。複利との差がはっきり出てきます。利息・孫利息は金額として小さいので軽視しがちですが、時間の経過と共に奇跡的な威力を発揮するのです。この複利の奇跡を表現するのに、20世紀の天才、アインシュタインはかつて、人類史上最大の発見は何か?と訊かれ、彼の相対性理論ではなく、複利の発見こそ最大の偉業であると答えたと云います。単利の計算では、10%の利回りで10年運用して2倍になりましたが、複利の場合にはどのくらいかかるかを暗算で出す方法があります。有名な「72の法則」と呼ばれるものです。数字の72を利回り(10%)で割った答え(72÷10=7.2年)が、2倍になるまでに要する年数となります。単利と比べて圧倒的なスピードが見て取れます。「72の法則」を使って計算すると、4倍になるのは14.4年、8倍になるのに21.6年ですが、一方、単利ではそれぞれ40年、80年です。「賢い投資家を目指して」(1)では、「時間を味方につける」がキーワードでした。大金がなくても、神様から平等にもらった時間を無駄にせず、長期間お金に働いてもらうことができれば、自分でも驚くような運用金額になること、そして、そのためには早くから始めるということを学びました。その際、忘れてならない大事なカギは「時間を味方に、かつ、複利で」というポイントです。********************参考図書「お金を働かせる10の法則」バートン・マルキール(日本経済新聞社)
2004/08/10
あなたは今マイホームを夢見て、頭金作りに勤しんでいる時でしょうか。それとも既に手に入れて自慢の我が家を誇らしげに見上げている時でしょうか。いずれにしても、家を持つことは人生の中では一大イベントに違いありません。家が一生のうち最も大きな買い物となる人が殆どでしょう。そこで質問です。あなたは「家を買う」人ですか、「家を造る」人ですか。一般の認識では家は「買う」イメージが強く、住宅メーカーが建てた家を見て買うかどうかを決めるパターンだと思います。でも、こだわり派は他人と同じものはイヤであり、設計事務所に頼んで、自分らしい、自分にあった「家を造る」のだと思います。そりゃ高いに違いないと決めつけてかかるのは早計で、設計事務所を経て工務店・建設会社に建ててもらう方が安いこともあると聞きます。一級建築士だけでも全国に30万人程度いるそうで、競争激化の中、サービス内容・料金を顧客寄りにする動きが出てきたと云えるようです。家は本来、自分の好みに合わせ、自分の家族構成を考え、その土地に相応しいものを「造る」のが自然な形ではないでしょうか。漢字では、「人」が「主」(あるじ)と書いて「住」(すまい)と読みます。主体となるべきは人の方であり、人に合わせて家が造られるべきものでしょう。せっかく大きな資金をかけるのにも拘わらず、自分らしさが発揮できないのでは、長い間住む家として少し淋しい気がします。仮に豪邸であったとしても、家に人があわせなくてはならない生活は窮屈この上ないものとなりかねません。自分ならではの個性的な家こそ、落着ける住み易いマイホームとなるのだろうと思います。そういうマイホームであればこそ、使ったお金が生きてくるのだと思います。要はあなたの嗜好や希望・ニーズを聞き分け、あなたの側に立ってそれを設計書に落とし工務店とも掛け合ってくれる建築士がいるかどうかです。お金とどう付き合うか、つまりお金を生かし快適な人生を送るには、お金を上手に使うことが大切です。その使い方を手助けしてくれる人を、この場合は建築士ですが、アドバイザー役として周囲に確保することが重要です。何を買うかという点が大切なことは云うまでもありませんが、誰から買うか、誰に相談して意見を聞くか、が負けず劣らず重要なことを覚えておくと良いと思います。大きな買い物をする際には、取り返しのつかない失敗を避けるためにも、とりわけ大事なことだと思います。まずはあなたが夢見るマイホームがどんなものか、その嗜好がなくては自分らしい快適な生活も何も始まりません。家族みんなが活き活きとした生活を送れるように、自分の家造りを想像してみては如何でしょう。 ******************
2004/08/01

今回はクイズです。少し考えてみて下さい。A子さんとB男くんは大学の同級生です。「賢明なる消費者を目指して」を読んで、成る程と思った彼らは強制貯蓄をしようと心に決めていました。(「賢明なる消費者を目指して」へジャンプ)A子さんは、就職するとすぐ給与天引きで毎月3万円投信を購入し始めました。10年間続けた時点で、出産を機に退職したので引き落としは止めにしましたが、購入した投信はそのまま保有を続けました。一方、B男くんは卒業と同時に結婚、子供も産まれたので貯蓄するのが難しく、天引きの投信購入は10年後の32歳になってから、毎月5万円で始めました。また、頑張って退職する60歳まで28年間続けました。投資額(元本)は、A子さんが10年間で360万円、B男くんが28年間で1,680万円、投信の平均収益率が年10%だったとすると、60歳のとき手にしたお金はどちらが大きいでしょうか?================================クイズと称して問題が出される以上、直感とは違う方が正解のはずと考えるのがクイズ慣れした人の一般的な反応だろうと思います。そのとおり、計算をすると、A子さんは8,716万円、B男くんは8,482万円となり、A子さんの方が大きくなります。それにしても、B男くんは毎月の積立てが5万円とA子さんの1.7倍、期間の28年間は2.8倍、積立ての元本は1,680万円と4.7倍もやっているのに、A子さんに負けてしまうのは何か不思議だなという思いを抱く人は多いでしょう。私たちの盲点が災いしているからなのですが、その前に、小学校の生徒たちが面白がっていた頓知話がありましたので参考に紹介したいと思います。ご存知の方も多いのではないでしょうか。-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-むかし豊臣秀吉のお伽衆に曽呂利新左衛門という人がいたが、秀吉のお気に入りだった彼はある日「褒美を取らす。何なりと申してみよ」と秀吉から云われて、毎日米粒を頂きたいと願いでた。今日は1粒、明日は2粒、あさっては4粒と毎日倍にして1ヶ月の間頂きたいと。これを聞いた秀吉、迂闊にも「欲のない者よのう」と快諾した。さて、1日・2日・・・10日と取るに足らぬ米粒の量だったのが、20日過ぎくらいから様相を異にし始める。20日目で52万粒に達した量が、ここからは劇的に増える。25日目で168百万粒、最終の31日目はなんと10億粒を超え、31日間の合計は21億475百万粒になる。米千俵を超える欲の深い大変な要求だった訳で、これにはさすがの秀吉も顔色が変わったという。-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-この頓知、一説では1ヶ月間ではなく、碁盤の目の数(361)の期間だったといいますから、もし361日間続いたら秀吉も間違いなく破産しており、歴史は変わっていたかもしれませんね。さて、本題のクイズに戻りますが、頓知の中の秀吉に限らず、日頃のわたしたちは大きな数字に目を奪われてしまい、小さな数字を軽視する傾向があります。米粒のような小さいものをいくら集めたところで大したことにはならないと秀吉が思ったようにです。クイズの例で云えば、1,680万円が大きい金額ですし、360万円はそれに比べて小さく取るに足らないものと映ります。中には運用に値しない金額と思う人もいるでしょう。その金額の差が、投資期間の差(A子さんは60歳まで38年間、B男くんは28年間でその差は10年)でひっくり返ってしまうことがあり得ることに気が付かない訳です。運用とか投資とか云う言葉は大きなお金をもつ人以外は無縁なものと思い込んでいます。しかし、実は時間を長く持っている人は、金額が小さくても十分大きなお金に対抗できるということに気がついていないのが殆どです。お金がないとこぼす人も、時間はあるはずです。でも、小さな金額を馬鹿にして何もしなければ、その貴重な資源である時間も失われてしまいます。親から受け継いだ財産の大小に差はあっても、与えられた時間に不公平はありません。お金は無駄にするなと云います。無駄なものに使わないということがその意味ですが、時間を空費しないようお金自体に働いてもらうこと(=運用)を考えるという意味も加えてみては如何でしょう。曽呂利の頓知話は31日間でしたが、30年とか40年という長い年月で考えることが夢物語を現実に近づけてくれる秘訣です。A子さんが投資を始めたあと10年後にB男くんは追いかける訳ですが、この10年の差を追いつくことができませんでした。もっと早く始めていればなあ、という時間の重みを、B男くんはA子さんとのOB会で感じているのだろうと思います。小さいからと馬鹿にせず、最初の一歩を踏出すかどうか。それが時間という資源を有効に使い、あなたの味方につけられるかどうかの分かれ道になると思います。次回以降で、時間と並んでもう1つ大事なカギを取り上げる予定です。 (続く)
2004/07/15
先日ある出版社の社長とお会いした時のことです。その社長は、以前大手の出版社に勤務しており、数年前に独立し自分で出版社を興した人です。「ウチはそんなに儲けなくていいんだ。嗅覚を研ぎ澄まし、読者の潜在的な知的欲求にあうよう、出版のプロフェッショナルとしての自分が気に入った本を作り、それを評価してくれる読者層に買ってもらう、そして読者からフィードバックをもらいながら次の本の構想に入る、この循環を従業員とその家族の生活を守りながら続けていける利益があれば十分であり、それ以上のものはお布施でくれてしまってもいい。たまたま2年くらい前に予想以上に売れてしまった本があった。それ以来、色んなところからこれやらないか、これだったらベストセラーになるよとか声がかかる。しかし、大量に売れるものを無理に作ろうとするとか、大量に売ろうと慣れないもの色んなものに手をつけるとかすればおかしくなる。自分や社員の作りたい本の想定する読者層は、初心者より少し上のレベルであり、そんなに数多くいる訳ではない。本の値段も初心者向けよりは多少高い。でも、彼らにとって多少の差は関係ない。内容の質が高く、価値があれば対価を払うことに躊躇しない人々である。そういう層は少数だが必ずいる。そこに向けて質の高い本を作り続けてゆくことが自分の夢である。」出版・本の世界はよく分かりませんが、自分たちのやりたいことを曲げ、内容を落としてしまったら、それで売れたとしても長くは続かないのだろうと思います。売るために読者に媚びればまた飽きられてしまう怖さもあるのでしょう。自分がやりたい出版事業を続けるために独立した社長の意志は、彼の価値観のもとで具現化しつつあります。収益だ、キャッシュ・フローだという企業経営をめぐる現代社会の喧騒とは一線を隔しており、昨今流行の株式公開で一財産を築くというような路線とも無縁です。公開企業だったら到底できない経営者の考え方ですが、彼の独自の生き方を貫こうとする姿は「お金との付き合い方」の典型を見せてくれています。つまり、利益とかお金は手段であって、目的ではないのだということを教えてくれています。こんな出版社が出す本を読んでみたいとは思いませんか。
2004/07/03

云われてみれば不思議な行動パターン「結構まじめに生活しているのにお金って貯まんないのよね」と云う声は周囲でもよく耳にします。浪費したつもりはないのに、贅沢している訳でもないのに、何故かお金が増えないというのは多くの人が実感するところだと思います。私たちは日頃、自分こそお金に関し無駄使いもせず、合理的に考え行動していると思い込みがちですが、気づかないところで意外な一面を見せるときがあります。これからいくつか例を挙げてお話したいと思いますが、そんな「ちょっと不思議な自分」を見直してみると、別な生活が見えてくるかもしれません。*****************「すてきな奥さん」(主婦と生活社)の読者も、海外旅行に出かけると、食事やショッピングの誘惑にまけて財布の紐が緩んでしまうことはないでしょうか。まして、「CLASSY」「STORY」(光文社)の読者層であれば、有名ブランドの店で、国内より安いという理由で余計に買い込んでしまった経験を持っていると思います。倹約を美徳としている人が、安売りがあるからといって遠くまで車で買いに行くのもよくある話です。確かにお目当ての品は安く買えたのでしょうが、往復の交通費まで考慮に入れた場合果たして合理的な買い物だったのかどうか疑わしいものがあります。 この辺は気づいている人も多いのでしょうが、次の例はどうでしょうか。流行語大賞にもなった「自分で自分をほめてあげたい」はマラソンの有森裕子選手の発言ですが、キャリアを積む女性が高級ブランド品を買う際に、これは仕事で頑張った自分に対する褒美なのだと言い聞かせることがあると聞きます。高価なものを買う言い訳をしているのでしょうが、浪費家ではない自分が高額商品を買うには、気持ちの中で何らかの理由づけが必要のようです。自分で稼いだお金を使うのに言い訳をするなんて不思議ですよね。合理的な行動に自信を持っていたら言い訳は要らない筈です。さらに、こんな側面もあるのではないでしょうか。交通費や出張旅費を立て替えていたお金が、後日会社から返ってくると、何故か一時金をもらったような気がして、思わず「これで飲みに行こうぜ」などど、威勢良く同僚に声をかけてしまうサラリーマンも多いでしょう。今は銀行振り込みなので、この種の被害は少なくなりましたが、昔は現金でもらったこともあり勘違いは甚だしかったようです。 ギャンブルや宝くじで儲けたお金、あるいは、幸運にも道で拾ったお金はあぶく銭と考えて大抵の人がパーッと使ってしまうものです。親からもらったお金も臨時収入なので、あまり考えもせずにドーンと使ってしまうことがあります。本来お金はギャンブルで儲けようが、働いて儲けようが同じ筈ですし、一旦自分のお金となった以上、使う場合は全体の収入・資産の中でどう配分するかを考えて消費するのが合理的な人の行動です。どうやら、私たちは常日頃とは別な消費パターンを採るときには、心の中に別な財布を作り、そちらの方から支出をするようです。いつもは合理的な倹約家が散財してしまうのは、この心の中の別な財布が一因と思います。見直しの第一歩は、あなたの心の中にある別の財布の存在に気づくことにあると思います。意識するだけでも、感情的な、または、衝動的な消費から身を守る方向性が見えてくる筈です。しかし、誤解のないように云いますと、全部が全部別な財布を否定することはありません。使い方次第では役に立つと思うからです。例えば、こんなこともあります。前年に比べ年収が下がった結果、年末調整で税金が還付された時にも、ちょっと嬉しくなるのは奇妙ではありませんか。本来自分のお金ですが、一時的にせよ強制的に、どこか手の届かない所に預けておく一方、生活はそれでも何とかなるものです。つまり、これを応用し、給与(または預金)から直接差し引き、手をつけられないような形で、日常とは別な財布を作るという方法を習慣として持つと良いからです。お金が貯まらないという人には、この給与天引きの強制貯蓄が有効だと思います。財形貯蓄をした経験のある人ならその効果がピンと来るのではないでしょうか。いざという時以外手をつけてはならない財布であり、しかも、日常生活ではその存在さえ忘れてしまうこの別な財布は、いつの間にか気づかないうちにあなたの貯蓄を増やしているに違いありません。馬鹿にせずに始めてみることをお勧めします。(続く)
2004/06/17
人生とサムマネー(1)(2)(3)からの続き。お金と夢の話で思い出すのは、むかし漫画家のサトウサンペイが、プロになるのにサラリーマンを辞めようかどうか悩んだ際のことです。今でこそサラリーマンの独立も日常的に耳にするようになりましたが、40年ほど前は相当の覚悟と勇気を必要としたに違いありません。彼は後年こう語っています。「東京に出るかどうか、ずいぶん悩みました。そういうときたまたま見た映画『ライムライト』で、足を痛めたバレリーナに『生きてゆくにはどうしたらいいの?』と聞かれたチャップリンが『三つのものがあればいいんだよ。それは希望(imagination)と勇気(courage)とサム・マネー(a little dough)だ』と言うのを聞いて勇気が出ました。多くのお金を考えているから辞められないんだ。僅かなお金でいいならやっていけると覚悟を決めて会社を辞め、プロの漫画家になりました。」どうやら夢を失ったことをお金のせいにしてるのが私たちの日常ではないでしょうか。本当は、希望とそれを持ち続ける勇気がなかったことが理由なのかもしれません。しかし、もしお金の多寡に惑わされず、お金とどう付き合うかで自分なりのスタイルを考えることができたなら、サトウサンペイと同じように希望を持ち続ける勇気がでたのだろうと思います。もちろん、彼ほど影響力があり社会に受け入れられるかどうかは別でしょうが。人それぞれが子供の頃と同じように様々な夢を語り、自分のスタイルで行動に移し、目を輝かせながら生きているのを数多く見ることができる社会こそ、子供や孫に引き継いでゆくべきものであると考えます。そういう観点で、ひとりひとりがお金とどう付き合うかを考えることに意味があるのだと思います。*(注)サトウサンペイ:1929年大阪生れ。61年上京。「フジ三太郎」は、65年から91年まで四半世紀以上にわたり朝日新聞に連載。66年文藝春秋漫画賞、91年都民文化栄誉賞を受賞。’98年紫綬褒章受章。
2004/06/03

<人生とサムマネー(1)(2)からの続き>子供の頃の夢を追いつづけ歴史に残る偉業を成し遂げた人と云えばシュリーマンでしょうか。ちょうど映画「トロイ」が上映されていますが、ブラッド・ピット演ずるアキレスなど古代の英雄の時代が実在したことを証明した人物で、高校生の時分世界史で勉強しましたね。 彼が著した「古代への情熱」を読むと驚かされます。8歳のクリスマスの時に見た一枚の挿絵がシュリーマンの一生を決定付けてしまいます。彼はトロイ落城のシーン、勇士アイネイアが父を背負い、子供の手を引きながら落ちのびてゆく場面の挿絵に感銘を受け「大きくなったらトロイを発見するんだ」と云ったそうです。シュリーマンの家は貧しく、このままでは夢は叶わないと思い、一大決心をして家を出ます。散々苦労した挙句、オランダで商人として成功しお金を稼ぎ、それから語学の猛勉強を始めます。18カ国を話したと云いますからその努力は並大抵ではなかったでしょう。さらにロシアやアメリカにも渡り億万長者になりました。金銭的な成功があっても彼は子供の頃の夢を忘れてはいませんでした。46歳のとき一切の事業から手を引き、巨万の富をトロイ発掘に使うことにしたのです。当時作り話と思われていたホメロスの叙事詩だけを頼りに、トルコ・ヒッサリクの丘こそプリアモス王の城があったところに違いないと確信し、狂気の沙汰と周囲に揶揄されるのも気にせず、発掘に邁進していったのです。そしてとうとう土の中から黄金の首飾りを見つけ出す運命の日が来ました。神話を掘り当てた歴史的瞬間です。その日金銀財宝を持ち帰った彼は、ギリシャ人の妻ソフィアがそれを着飾ってみせると、トロイ戦争の原因となったスパルタの王妃で絶世の美女と謳われたヘレンを想像したといいます。古代に夢を馳せたシュリーマンの場合、子供の頃の夢を実現するには莫大なお金が必要でした。現代ならば、考古学者となってスポンサーを探すのでしょうが、彼は商人となって自分でお金を稼ぐところから入ります。遺跡発掘という目標に向けて迂回ルートをとったようなものですが、稼ぎ、貯め、使うという観点では、とてつもないお金のコントロール力の持ち主と云えます。シュリーマンの話は、日本で云えば江戸の幕末から明治初期で、新撰組の土方歳三が駆け回っていた頃です。夢のうなされ方も尋常ではありませんが、そのスケールも大きくて圧倒されてしまいます。次回はもう一度、現代サラリーマンの話に戻すことにしましょう。(続く)
2004/06/02
団塊世代のオジサンたちは、忘れていたかつての夢を想いだし、失われた時間を取り戻すべく行動し始めたとき、本人はもちろん、周囲も認める生き生きしている自分を再発見できました。お金に支配されてしまえば、自分の夢を失い、自分らしさも忘れてしまうのはなんとも悲しいことですが、それではお金に支配されないようにするにはどうすれば良いのでしょうか。理屈は簡単です。逆にお金をコントロールすれば済むことです。お金をコントロールするとは、つまるところ、お金とどう付き合うかということですが、お金をどう稼ぎ、貯め、使うかを考えることです。当たり前のことのようでも、これらのバランスを取るのは簡単ではなく、また勘違いをしている人はたくさんいます。お金は親から貰うものと錯覚し自分で稼ぐことを知らない人、稼いだお金はすぐ使ってしまい、将来のために備え貯めることをしない人、足りなくなったら返す当てのないまま借金する人、反対に稼ぐことに夢中で仕事以外のもの一切を犠牲にしている人、お金を貯めることにのみ必死で使うことを恐れ墓場まで持っていこうとしている人など、程度の差こそあれ、多くの人がいずれか当てはまる部分を抱えているのではないでしょうか。そして、それぞれに不満や不安を持っており、生き生きとした自分を見つけることは少ないのだろうと思います。お金とどう付き合うか自分なりのスタイルを見つけ、それを実践できている人は生き生きとしているのだろうと思います。それは決して使うお金の多寡で決まる問題ではありません。夢が人それぞれに違うように、自分らしさに必要なお金は違うはずです。先ほどのロックバンドに要する資金は仮にコンサートを開いても大金ではないでしょう。また大金を使わなくても開ける工夫をする人々だと思います。でも彼らオジサン達の目は少年のように輝いているに違いありません。(続く)
2004/05/30

子供の頃の夢は、自分が周囲の人や社会のために役立ち、他人に自分の存在を受け入れられることを前提としており、金銭的な対価の大小を主眼としているものではないと思います。なにより、その夢の中で活躍する自分の姿を想像するだけで幸福感に浸れるものです。しかし、年をとるにつれ、いつの間にか、その夢はお金に支配されてしまうことが多いようです。お金の大小が現実であり、夢は常に非現実的なことで、やがては経済的に行き詰ると。生活してゆくには現実的でなければならず、夢は捨て去る方が経済的対価を得るには正しいのだと大人は自分に言い聞かせているのかもしれません。しかし、本当にそれで幸せなのか自問する時がやってくるのだろうと思います。この春に中学校の同窓会に出たという団塊の世代のサラリーマンからこんな話を聞きました。「子供の頃大きくなったら何になるか訊かれて、クラスの中でも消防士だとか、看護婦・学校の先生・医師・弁護士・スチュワーデス・プロスポーツの選手、はたまた宇宙飛行士・政治家など、いろんな答えがあった。実際その夢がかなった人もいるが、でも大半は別な職業に就いて別の人生を生きている。 あれからもう40年、定年を数年先に控え将来に不安を感じている毎日の生活は、まさに隔世の感がある。パラサイトの子供、親の介護、健康問題、リストラ、老後の不安などおよそ明るい夢がなくなっている。子供時分は無邪気さがあり素直に未来を信じることができたのに、当の昔にそんな心を失ってしまった。(中略)そんな仲間同士で昔話をしている最中に、当時夢中だったロックバンドで盛り上がり、今度一緒に練習しようかということになった。お腹の出っ張ったいいオジサン達がギター抱えて歌うのでは興ざめかと思いきや、早速この間始めてみると結構イケル(自己満足?)のでみんなノリノリだった。次の練習日が待ち遠しくなり、女房から、最近元気ねとからかわれたりもするが、こんな生活が自分でも気に入っている。もっと練習を重ねいつかコンサートでも開こうか仲間内で話していると、昔に戻った自分を発見した気がする。」(続く)
2004/05/29
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