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この2週間、山に登っていなかったので、久し振りに昨日、家の近くの三登谷山(みつとやさん433m)に登ってきました。急な道を歩いていて、ふと出てきた言葉が緊張でした。 いつも同じパターンで生活していると、不意に何かが起きたとき対応するのが難しいようです。同じことを繰り返していると、知らずのうちにマンネリになり、緊張することもなくなってきます。つまり頭も体も同じところしか使っていない状態なのかもしれません。 しかし時々、新しいことにチャレンジすることによって、普段使っていない脳や筋肉が刺激されるのではないでしょうか。初めは慣れていないため緊張するかもしれませんが、体全体で対応するため、体の錆びを止めることが出来るのではないでしょうか。 いつも同じ道を通るのではなく、少しルートを変えてみると、いろいろな発見があります。今までより少し行動範囲を広げることによって、見える世界も違ってきます。人間関係でもいつも同じ人たちと付き合っているのではなく、違う世界の人たちと付き合えば、様々な考えがあることが分かります。 緊張も大切ですが、弛緩(ゆるめること)も大切です。働かせるばかりでなく、ゆとりを持つことです。人と会って見聞を広めることも大切ですが、反対に一人静かになって内面生活を充実することは更に大切です。何でも一方に偏ると、固定してしまいがちですので、バランスを忘れないよう心掛けたいものです。あした何があるかわからないから人生っておもしろい感動いつも忙しく何かに追われていた頃深く感動することがなかった忙しくしている私にサヨナラしたらゆっくり観たり考えたりするようになり新鮮な出会いが多くなったたぶん周りは変化していないのだろうが私の心のチャンネルが変わってきたから見える世界も変化したのだろうこだわりや常識でもがいていたとき向こうからの働きに氣付かなかった私から余分なものがなくなって身軽になったとき楽になってきた子供のように先入観をもたずそのものを体験すれば私らしい感動の芽が育つようだあいうえおこどものように自由にたのしくかいてみる自分のからだにもありがとうせのびをしないでできることをやればいい
2008年02月29日
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医学の進歩に伴って、不健康でも長生きするようになってきました。もし50年前の医療だったら、私の父はもう既に亡くなっていたと思います。最近では救急車もあり、緊急の処置も出来るため、以前とは比べものにならないほど生存率が上がっていると思われます。食事が摂れなければ点滴もあり、新薬もどんどん開発されています。 入院していて病状が悪くなってくると、延命処置をどうするか聞かれます。母が入院していたのは6ヶ月でしたので、病院の日常を見ることが出来ました。いろいろな器械につながれ、音がするのは器械音だけで、その部屋には見舞う人も殆どなく、ただ器械によって生命が保たれている様子は、命というものを深く考えさせられました。 一般病棟でもお年寄りの入院患者は多く、もし現代のような医療や薬がなかったら、平均寿命もずいぶん変わっているのではないでしょうか。乳幼児の死亡も、医学の進歩と共に確実に減ってきており、平均寿命をどんどん上げているのかもしれません。 しかしその反面、交通事故や急性の病気などで、年齢に関係なく若くして亡くなっている人も増えているような氣がします。最近では特にストレスが原因で病気になる人が増えているのではないでしょうか。 実際に平均寿命まで元氣でいる人は、ほんの僅かなのかもしれません。多くの人たちは年齢が高くなるに従って、家から出ることも少なくなり、あるいは病院で老後を送っている人たちが多いのではないでしょうか。 平均寿命が発表されていると、何となく自分もその年齢位までは生きているような錯覚をしがちです。しかし私たちは年齢に関係なく、いつ何が起こるか分かりません。そのためにはストレスを溜めない生き方、健康を保つための運動が必要と思われます。 病院に行けば何とかなるのではなく、それぞれが病気にならないよう心掛け、更にそのためには一人ひとりが出来ることから行動することが大切なのかもしれません。頭に刺激がなくなってくると、生きる氣力もなくなってくるようです。再生力柴田宋休第2詩画集『であえて よかった』より何度ふみつけられても根氣よく生きる健氣な雑草の生き方に深くエネルギーを感じるあきらめてしまえばそれまでだがとことん工夫して生きれば新しい道が開ける
2008年02月28日
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昨日、父の入院している病院に向かうとき、麦踏み用のタイヤをつけたトラックターに、たまたま出会いました。 麦は私と共通点があるような氣がしましたのでネットで調べてみましたら、昔は足で踏んだそうです。しかし最近はトラックターで合理的にやっているそうです。麦踏みは、この寒い時期に芽を踏むことで根の張りを良くするとともに、盛り上がった土を踏みしめるためのものだそうです。 麦を踏みつけることにより、茎や葉の成長を一時的に止め、根の成長を促進する効果があるとのことです。良い物を作るには根が健康で、より多くの栄養分を吸い上げる力が肝心のようです。従って麦踏みは、麦の為には必要不可欠な作業とのことでした。 傍から見ていると、踏みつけることにより芽が傷んでしまうだろうと、表面的なことばかり感じていたのですが、実は麦にとっては寒さからも強くなり、茎も太くなることを知り、改めて人間の智慧を知ることが出来ました。 私の十年間にわたる修業時代は、初めて体験することばかりで、迷いの日々でした。自信に満ちた十年ではなく、明日やめようかと何度思ったことでしょう。でも独立する頃には大きく変化していました。鉄は熱いうちに打てとありますが、正にその実践の日々だったようです。 でもそのお陰で、少しのことではあきらめない粘り強さを身につけたのかもしれません。転んでもただ起き上がるのではなく、何かの発見をするようになりました。今日があるのは、あの日々があったからこそなのでしょう。温室栽培ではありませんので、どのような状況の中でも生き続ける根に育ったのかもしれません。 最近のように先の見えない不安な時代にこそ、根の深さや強さが問われるのかもしれません。困難に会うと智慧も出てくるようです。変化を避けるのではなく、工夫次第で変化も楽しめるようになります。麦踏みのように踏まれたお陰で根っ子が強くなり少しのことではへこたれなくなりました逆境 柴田宋休第1詩画集『あるがままに』より順風満帆のとき魂にとってはあまり成長していないのかもしれない逆に不都合や困難という一見マイナスと思えるときそれは貴重な体験として内面に深く根が育つ時二進も三進もいかなくなった時こそ生きる中心が外面から内面へと転換する絶好のチャンスといえる人間の力ではどうしようもなくなったとき私たちの想像を超えた計りしれない働きに巡り会ういいときばかりでは魂という根は育たない※父は入院して11日になりますが、今日の午後退院です。離婚をしていますので誰も行く人がいないので、ほとんど毎日病院に通っていました。でもそのお陰で、いろいろな氣付きもあります。
2008年02月27日
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私は菜食主義ではありませんので、ときどき肉や魚を食べることがあります。現代人は肉を食べるために、自分で動物を処理することはありません。スパーには、きれいな肉として並べられていますので、生きている命を殺し、その肉を食べていることをすっかりと忘れてしまっているように思います。 どこどこの牛肉が美味しいとか、原点をすっかり忘れているようです。例えどのような肉であっても、ひとつの命を食しているから「いただきます」なのです。テレビでは、美味しく美しく食するための料理番組が日常的になってきました。しかしいちばん大切な何かを忘れているのが現代なのかもしれません。 実際に自分の手で鶏の首を絞め、羽を抜き、内蔵を分けて鶏肉にしたら、氣持ち悪いどころか、全部を無駄なく食べるようになるのかもしれません。氣持ち悪い人は食べなければいいのです。 現代人は食に関してばかりでなく、糞尿の処理でも家庭で出すゴミに関しても、殆どが他人任せです。自分で処理しないから、無責任なことを平氣でやるのかもしれません。 実際に田舎に住んでみて、分かったことがあります。近所に牧場があり、最初は新鮮だからと牛乳を直接分けてもらっていたのですが、実情を知るといろいろ考えさせられました。 またタバコの栽培も近くで行われていますので、その消毒の現実を知っています。使用禁止の薬も実際には使われているようです。現代のタバコは毒がいっぱい入っていることが分かれば、吸う人はずっと減るでしょう。中国の野菜も、実態を知らないから、今まで平氣だっただけなのです。 人間だけでなく、動物も植物もそれぞれが尊いひとつの命であるという原点を、ときどき思い出さないと、益々人間中心の不自然な地球になっていってしまいます。生きているということは、他の命を食しているから、生命が保たれているのです。贅沢を言っていたら切りがありません。食べるものがあることに感謝です。こころを静めればいつでもどんな時でもまもられていることがわかる
2008年02月26日
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一昨日、姪っ子一家が来訪され、その旦那さんからパソコンの外付けハードデスクの利便性の話を、たまたま聞くことが出来ました。いいと思ったら直ぐに実行する私ですので、昨日、外出のついでに500GBのものを購入してきました。 データの保存は、今までコンピューターという器械を信頼していませんでしたので、ずっとCDにコピーして保存してきました。しかしCDも永久的でないことを教えられ、行動に移したのです。時間をかけて作ったデータが、一瞬にして無くなることもあり得ますので、大事なものは二重に保存しようと思います。 以前に比べて、行動に移すまでの時間がとても早くなりました。いろいろと悩んでいた頃は、現在が混乱しているばかりでなく、自分の命も何となくずっと先まであるような氣がしていました。しかし今日という日を大切にするようになってから、出来るだけ大事なことは、先延ばしにしない生き方になってきたのかもしれません。外側も大切ですが内面はもっと大切ですすべてのことは自分という内面から出ているようです変容 柴田宋休第1詩画集『あるがままに』より病気や事故で死に直面したとき絶望や行き詰まりというショックが生じたとき今までの価値観では対応できなくなるいつまでも同じ尺度をたよりにしていてはなかなか変わることはできないしかし どうしようもなくなって今まで握りしめていたものを放さざるをえなくなり本当に求める気が生じてくると変わっていくようだ願いをもちつづけ本物とチャンネルが合うようになれば誰でも変化がおこる
2008年02月25日
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通信制高校1年の次女が、学校をやめると明るく言ってきました。本人なりに考えることがあるからでしょう。両親はたくさんの本を読み勉強もしてきました。どちらも大学を卒業しています。でも、その両親の姿を見ての彼女なりの判断なのでしょう。 人生、学校の成績だけではありません。体験主義の道を選んだのかもしれません。昨年9月から家を出てアパートを借り、アルバイトしながら自活しているのですから、見方を変えたら凄いのかもしれません。いつまでも親の脛(すね)をかじっていないという点では、珍しい存在なのでしょう。 自分で選択したことは、最初から自分の責任ですので、他人のせいにしないものです。考えてみれば私自身も専門学校をやめ、親の反対を押し切って陶芸の道に入りました。意志が強いのは親ゆずりなのかもしれません。 いつ何があるか分かりませんので、出来ることは先延ばしにするのではなく、速やかに実行した方がいいのですから、一般常識で娘を諭す必要もありません。本人が何かのために、勉強が必要になったらするでしょうから、これからも見護っていきます。 自分のやりたいことをやるって、案外勇氣がいることです。周りばかりを氣にしていたら何も出来ません。信ずる道があるって幸せなのかもしれません。いろいろあるでしょうが、これからどのように成長するか楽しみです。本当にやりたいならやった方がいい行動すれば確実に何かが分かる霊的生活 柴田宋休第2詩画集『であえて よかった』より、実際には毛筆です。現実を素直に受け入れ不満をもたず批判することもなく周りをきょろきょろする必要もなく腰を据えて静かに 清々しく生きる過ぎたことやこれからのことを心配せず今日という一日を 丁寧に生きる限られた時間の中であれもこれもはできないのだから中心をはっきり見据えて大切なことをやっていく与えられたすべてを善しとする祈りの生活でありたい
2008年02月24日
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最近の日本人の多くは栄養の摂り過ぎかもしれません。運動をあまりせず、栄養だけはキチンと摂っていれば、体に余分なものが溜まってくるのは当然のことです。それは食べ物に限ったことではなく、目や耳から入ってくる情報も同じかもしれません。日々の情報が多過ぎて、消化不良と思われるような現象が増えてきたように感じます。 適度な量であれば、消化するのに無理はありません。しかし量が多過ぎると、内臓に余計な負担をかけてしまうことがあります。情報も同じく、ただ詰め込むばかりでは、やがてどれが本物かさえ分からなくなってしまうような氣がします。体験という確認する作業が伴ってはじめて、知識が智慧となってくるのではないでしょうか。 毎日の生活は自分にとっては当たり前のことであっても、知らずのうちに変化しているようです。そのような意味でも、時には違う視点から自分を見ることも大切です。 今朝、夢で目覚めました。行きは何でもない道でしたが、帰ろうとすると、とても危険な断崖絶壁の道でした。たまたま人がいたのでこの道でいいのかを尋ねましたら、本来の道は手前に戻って比較的安全な斜面を下れば、下に誰でも通れる道があることを教えてくれました。 無理して危険なまま、一か八かで進むことをせず、一旦戻って良かったようです。探せば道があることを、示唆してくれたのかもしれません。がんばるのもいいけれど時にはゆっくり休み違う視点で見ることができれば元氣が出てくる光 柴田宋休第1詩画集『あるがままに』からくるしんでいるとき忘れていることがありました不満ばかりで感謝することをすっかりと忘れていました自分の都合ばかりで自己主張するばかりでものごとの中心が自分で他から学ぶことをすっかりと忘れていましたただ言えることは自分がその氣にならないと光はみえないようですどこにでも光はあるのですが自分からみようとしない限り光はみえないようです
2008年02月23日
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社会奉仕活動と聞くと、自分には関係ない。活動をする暇もお金もないという方が多いのではないでしょうか。そういう方は、初めから何か大規模で組織的な奉仕活動を考えていらっしゃるようです。しかし、どんな大規模な社会奉仕活動だって、最初の1人が自分でできる小さなことを始めたことが大きくなった結果なのです。 目の前に問題に対して社会や学校などに不平や不満をいうのは簡単です。でも他者に文句を言ったところで問題は解決しません。例えば家の前にゴミが落ちていたとします。ゴミを捨てた人のマナーや行政のサービスの悪さを嘆いても仕方がありません。目の前のゴミは自分の問題なのですから、嘆く暇があるのならさっさとゴミを拾えば良いのです。 宋休さんは多年にわたって散歩がてら道のゴミ拾いをされています。暇もお金も掛けなくても日常生活の中で社会奉仕活動はできるのです。大切なのは、目の前に現れる不都合を自分の問題として捉える力なのではないでしょうか。 私も先日、多年にわたり献血事業に協力した功績に対して県知事から感謝状をいただきました。今後も背伸びをせずに日常生活の中でできる等身大の社会奉仕活動を続けていきたいと思います。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.2.23 vol.118 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━新 着 情 報━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■個展情報を更新しました。■詩画作品の代金支払いは、郵便振替がお得です。 お客様のぱるる(郵便預金総合通帳)口座からケーズプラン売店の振替口座への送金がATMを使用すると、今なら『手数料無料!』です。(ATM無料は、ゆうちょ銀行の平成20年9月30日までのキャンペーン) 窓口を利用するより140円お得です。 また、キャンペーン期間以降(平成20年10月1日~)は、 郵便支局にある郵便振替払込書に記入してATMから送金するのが便利です。送金額3万円未満の場合、ATM利用の送金手数料は80円です。 窓口を利用するより40円お得です。 ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ 小さな 一歩の 積み重ねが 物を言う ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/diary/200802010001/ ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 「遅咲き宋休の講演CD」、第1作~第3作まで好評販売中です。■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】 開催日: 2008年4月1日(火)~15日(火) 10時~17時30分(最終日は15時まで) ※午後は作者来場 場 所: 陶芸広場つかもと ギャラリー「びんろう」 http://www.tsukamoto.net/ 栃木県芳賀郡益子町益子3330-1 問合せ先: 電話0285-72-5656 会場地図: http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E140.6.48.6N36.27.55.1&ZM=9☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ -----------------------------------------------------------------------■ハッピバースデーツーユー 福来みかんさん 宋休様お誕生日おめでとう と言われても感激も少なくなってきた年になりましたが?私の後を追って59歳になり、この年の壁も縁あって越えることができ有り難い事ですね。 生かされている皆様に感謝感謝です。50代最後の年有効に使いたいものですね。(2008.02.20) -----------------------------------------------------------------------■Re:ハッピバースデーツーユー 宋休さん 福来みかんさん 昨日、午前中に、次女のアパートの管理会社から電話があり、上階のアパートの住人から音がうるさいとの苦情があったことを伝えてきました。早速、娘に電話してみましたら、娘の部屋ではなかったようです。 更に、夜になってから、今度は長女から電話があり、車のキーをなくしてしまったとのことでした。20歳になったので、本人が何とかするだろうと、そのままにしておきましたら、家に帰ってきました。キーをつけたままだったとのこと。 慌てなければ、何とかなることを実感する昨日でした。 いろいろな経験が出来て、感謝です。 (2008.02.20) ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■移動式アンテナ (2007年5月) 仕事場でFM放送を聞いていましたら、時々雑音が入るようになりました。天候不順のため、電波が悪いせいかと思っていたのですが、もしやと思い、アンテナのコードを確認しました。するといつの間にか、アンテナコードがステレオ機器にキチンと接続されていず、外れかけていたのです。 アンテナを高く立てても、コードが確実に繋がっていなければキレイな音で受信することができません。初歩的なことに氣付かされました。 私たちは現状に満足しているときは何の問題もないのですが、このままではいけないから、あるいは新しいことを始めようとするとき、何らかの方法で、新しい情報を探します。 情報という電波を捉えるためには、アンテナを高く立てることではないでしょうか。しかし場所によっては電波が届き難いところもあります。そのようなときはアンテナを移動すればいいのです。電波の届くところへ移動すれば、必要な情報を得ることができます。 移動するとは、自分が動くこと、つまり何もしないのではなく、まず行動することではないでしょうか。電波の受信が悪いからとあきらめず、受信の良いところへ自ら移動すればいいのです。 可能性とは ゆっくり あきらめず チャレンジ すること────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年02月23日
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精神的に向上するとき、初めての体験という関門が用意されているようです。そのとき今までやったことがないからと、躊躇し行動しないことを選んだとき、精神的に以前と変わることはありません。しかし初めてのことであっても、慎重に事を進めることによって多くの学びがあります。 先週、山に行ったときの話です。車を止め登山道を歩き始めると、雪が深くなかなか先に進むことが出来ず、その先が思いやられました。そして本格的に登山道に進むと更に雪が深くなり、多いところでは2m近くあるようでした。歩いた足跡も風と降雪のため、しばらくすると消えてしまう状態でした。ほとんどの人たちはそこで引き返して行きました。 私と友人は、もう少し先まで行ってみようと試みたのですが、斜面もきつく雪は深くなるばかり、更に何度か来ている道だったので分かるかと思っていたのですが、道が全然分からなくなり、そこでやむなく下山しました。 20分くらい下山して登山口に戻ったとき、一人の男性に会いました。声をかけて聞いてみると、彼は雪が積もっていても道が分かるとのことでしたので、彼の足跡を頼りに再チャレンジしてみました。もちろん道に迷ったら大変なことになりますので、ビニールひもで目印を付けながらでした。 すると、ある程度高くなると木がなくなり、岩の状態になってきました。そこまで行けば私にも道が分かるので安心でした。高いところは風も強く、そのぶん積雪も少なかったのです。 もしあのとき男性に声をかけず下山していたら、ただ雪が深かったという経験だけだったかもしれません。1分でも時間が違っていたら、会うことも出来なかったでしょう。運がいいときの出会いは、不思議の連続なのかもしれません。 いつでも私たちは新しい出来事によって試されているのかもしれません。そのお試しをクリアすれば、次の段階へと進めるようです。執着はいけませんが、あきらめないことも大切です。萌芽柴田宋休第2詩画集『であえて よかった』より失敗を恐れていたとき自分を守るため不自由だったいつもゼロが出発で失敗は一歩前進の体験と知ったときとても楽になった生きるとは結果より学ぶことが大切とわかれば新しい試みで駄目とわかるのもいいし未経験の一歩を踏み出すもいいどちらにしても初々しい発見がある練習でない真剣の積み重ねは知らずのうちに心が決まり思ってもいなかったことが芽生えてくる
2008年02月22日
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信頼出来る人の話は、聞いた方がいいようです。昨年11月『であえて よかった』の残部数がなくなり、注文してくるお客様に対して断ってきました。増刷するにはお金がかかりますので半ばあきらめていたところ、今回も協力者が現れ、3版の運びになりました。お陰さまで、4月の個展には間に合いそうです。 人の話をぜんぶ行動に移していたら、大変かもしれません。しかし信頼できる人の話であれば、機会をみつけて行動した方がいいようです。間違いがないからです。信頼関係は一朝一夕に出来るものではありません。人間関係が長く続いていれば、関係性も更に深まってきます。それぞれに影響し合う関係になるからです。 かつての私は、人の話をあまり聞かないタイプの人間でした。しかしいつの頃からか、考え方に柔軟性が出てきました。自分の意思を通そうとして、最終的に悩んだり疲れるのは自分だと氣付いたからかもしれません。更にそれは自分のことだけでなく、常に相手の人たちをも不愉快にしている事実でした。やっと周りのことも考え、行動するようになったのかもしれません。 人間関係も出来事も、縁を大切にするようになってきました。自分の意思だけでなく、周りのことや時期的なこと全体を感じながら直感にしたがう生き方になってきました。自分中心に物事を考えなくなりましたら、物事が良く見えてきます。私心をなくせば、やるべきことも見えてきます。 現在、目の前にあることは、次へのステップの準備期間、あるいはお試し期間なのかもしれません。したがって、今、何をするかによって、未来も確実に変わってきます。後でやってもいいこともあるが肝心なことは直ぐにやった方がいい生きているうちは次々と初めての体験が用意されているからいっそのこと楽しんだ方がいい思い切って汚れをとったらすっきりしてきた成長 平成9年生まれ数年前に植えた生垣に早く育つようにと肥料を与えた植木はこちらの期待に応えて勢いよく育つかにみえたしかし ある風の強い日何本かが傾いてしまったしっかり根が育っていなかったのだ人間が手を加えた見かけの成長は厳しい大自然に育てられたものと違いアンバランスになりやすい時として吹く強い風が一本の木全体を容赦なく試すその土地にあった根が育つには時間が必要なのだろう
2008年02月21日
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変化の多いときに生き残っていくのは、融通性のある人たちなのかもしれません。頭のカタイ人たちは、いつまでも過去にコダワッテしまいがちです。なかなか新しいことを受け入れることが出来ないようです。 過去に戻れるのであれば問題ないのですが、日々刻々と変化している現実があります。物事を現実的に捉えることも大切です。目先だけでの軽はずみな行動も困りますが、理屈ばかりでなく、現実的な日々の対応が、未来を決定するようです。 政治・経済・教育等、先が見えない時代です。その中でも明るく生きている人と暗く生きている人たちに分かれるようです。明るく生きている人たちは、変化に対応する努力をしている人たちではないでしょうか。現代は特に、それぞれの適応力が問われているのかもしれません。 例えば、前に真直ぐ進もうとするとき、以前の私は、障害物があったら、それを乗り越えようとするか、あるいは障害物を排除して進もうとした時代もありました。自分中心の考え方だったからです。 そして最近の生き方は、真直ぐに進むことばかりに囚われることはありません。障害物を邪魔と思わず、ひとつの縁と考え、そこで何か新しい氣付きがあります。しかも障害物を排除するのではなく、迂回する方法をとることが多くなってきました。理想に向かって少しずつ、焦らないようになってきました。毎日の変化を、楽しむことも覚えてきたようです。 障害物をどかそうとすると、大変な労力を必要としますが、自分の考えや方法を変えることにより、スンナリと物事は進んでいくようです。自分のコダワリに氣付いてから、絶対に何とかしてやろう等の考えは、一切なくなりました。 縁にしたがう生き方もいいものです。晴れの日ばかりがいいのではありません。雨には雨の良さがあります。厳寒のこの時期だって、楽しめることはいくらでもあります。本人が楽しみを見つけることが出発なのかもしれません。考え方が変わると、行動も変化してきます。途中でやめては普通の人そこからが新しい世界とことんやればおもしろいバランス 平成9年生まれ一生懸命のとき氣付かずに一方を否定し偏っていることが多かった窮屈な理想をつくらずおおらかでゆったりと変化していけばいい今できることを今から始めれば忘れた頃に実現するかも固定せず決め付けずこだわらず今の私を丁寧に生きる
2008年02月20日
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明日、何が起こるか分からないことを実感しています。16日(土)、山に行って帰宅したら、留守電に父が転倒して頭を三針縫合したとのこと。妹の話によると、本人は元氣とのことでした。そして翌17日(日)夜、父がお世話になっている特別養護老人ホームから電話があり、高熱と酸素濃度が低いため病院に向かっているとのこと。直ぐに私も病院に直行し、その夜入院しました。本人は至って元氣です。 若いうちは、これ程の急な変化はないのかもしれませんが、お年寄りをかかえた家族の現実を体験させてもらっています。大家族であれば誰か手が空いている人が対応出来るのでしょうが、家族が少ない家にとっては混乱の原因にもなりかねません。1月下旬にも1週間程、違う病院で入院していますので、いつ何があってもと、心の準備はしてあります。 最近感じていることですが、男性患者の病室は、とても暗い氣がします。自らコミュニケーションをとろうとする患者さんは少ないのかもしれません。だから病気になるとも言えるのですが、ちょっと話をしたくても、眉間にしわを寄せている人に、こちらから話す氣にならないのは残念なことです。 老人ホームの看護士さんと話す機会があり、男性と女性の利用者では大きく違っているとのことでした。女性はコミュニケーションがあるのですが、男性はその場に連れていっても会話が成り立たないとのことでした。女性は積極的に交流を持とうとするのかもしれません。 これだけ時代が変化しているにもかかわらず、何故多くの男性の生き方は変わらないのでしょうか。そんなに重く威厳を保たなくてもいいような氣がします。もっと素直になってもいいのではないでしょうか。 昨夜、夕食の時間に病院に行き、夕食が運ばれてきたのですが、一向に本人自ら食べようとしません。体が自由にならないのですから当然と言えば当然なのかもしれません。私がひと口ずつ、スプーンで口に持っていくと食べるのです。 父はやってもらうことを、現在体験しているのかもしれません。最初の頃、物忘れがひどくガッカリしたこともありましたが、88歳になる父本人にとっては、必要がないから忘れてしまうのかもしれません。いろいろと勉強になります。どうせやるんだったら楽しむこと楽 柴田宋休第2詩画集『であえて よかった』から心が決まると楽になるこれではいやあれがいいといつまでも思っていないで今 与えられている現実を肯定すると楽です楽しいことも苦しいことも私にとって必要なことが私という器に入るだけ用意されています心が決まると楽になる考え方を変えればいいのです今が変われば未来も変わってきますそのときは大変と思っていても過ぎてみれば何とかなるものです心が決まると楽になる
2008年02月19日
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我慢していると、そのうち一氣に爆発するのかもしれません。良いエネルギーであれば、いくらあっても良いのですが、不満や心配等のマイナスのエネルギーは体に良くありません。 先日、栃木県那須の茶臼岳に行ってきました。強風と雪のため頂上には行くことが出来ませんでしたが、頂上真下のガスの噴出口を見ることが出来ました。噴煙が風で飛ばされ、近くの岩に水蒸氣として付着し、それが真っ白に凍り付いていました。自然の美しさと厳しさがひとつになっていました。 大きな火山の爆発は、エネルギーが溜まって溜まってどうしようもなくなってから、一氣に爆発するそうです。小さな噴火をしているところは、極端に大きな爆発には至らないのかもしれません。普段からある程度のガスが抜けていれば、大事に至らずに済むようです。これは人間にも言えることです。 日常的に小さな地震が起きているところも、大きな地震には至らないようです。少しずつ地殻が変動していますので、大きな変動には至らないのかもしれません。意見の違いはいいのです。少しずつお互いに、変化していけばいいのですから。 ガンバっていられるうちはいいのですが、限界を越えてしまうと脆い(もろい)ようです。無理をしているうちに無理が重なり、本人が氣付かないだけなのかもしれません。傍からその変化が良く見えます。程ほどに休みを入れるなり、機会ある度に考え方の転換が必要と思われます。 物事に耐えたり我慢することには程度があり、体に良くありません。それよりも解釈を変えることによって、同じ出来事でもストレスの溜まり方が全然違ってきます。 最近の私の考え方は、自分に起こる出来事は、自分にとって必要だから起きていると解釈するようになってきました。「何で私が?」とは考えなくなってきましたら、とても楽です。出来事に対処するいちばん良い方向を考えればいいだけです。だから悩まなくてもいいのです。 考え深いことも理知的でいいかもしれません。しかし悩む方向や考え過ぎの方向に行ってしまうと、堂々巡りで大変です。ある程度の年齢になったら、馬鹿(関西地方ではアホ)になって、余計なことを考えないことも、ひとつの生き方です。空っぽもいいものです。体験 (平成9年1月生まれ)先のことを心配しないで新しいことに一歩踏み出してみるとたとえ思い通りに行かなくても確実に身につくことがある頭での理解では分からない直接に響いてくるものがある与えられてくることを肯定し受け入れてみると想像していたよりずっと円滑に運ばれ静かな安心の世界が用意されていた
2008年02月18日
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ここのところ2回ほど、お米をいただく機会がありました。有難いことです。私に出来るお礼として、最近生まれてきた文章を石ころに書いて渡しました。出来る範囲の物々交換なのかもしれません。 現在では貨幣経済が主流となり、物々交換は原始的な方法なのかもしれません。物々交換の良さは、相手の顔が見えることです。だから物が動くだけでなく、真心も直接に伝わってくるのかもしれません。 貨幣経済になるに従って、例えばスーパーで野菜を買うにしても、どこの人がどのような氣持ちで栽培しているのか分かりません。嫌な話かもしれませんが、自分のところで食べる野菜と、販売する野菜が違うという話も何度か聞いたことがあります。 誰が食べるか分かっていれば、案外そのようなことは出来ないのではないでしょうか。変なものを提供すれば、直ぐに自分のところにクレームとして返ってきます。何でも、目先のお金で考えてしまう弊害なのかもしれません。 現在の消費者は見た目のキレイな物を選びます。虫の喰った穴の開いた野菜は売れ難いので、農薬を使用範囲ぎりぎりに使用し、キレイな形で売られているのです。生産者だけが悪いのではなく、消費者と共に同じ道を歩いているのかもしれません。 醜いものは隠され、多くのことは見た目がとてもキレイになってきました。きちんと製品の表示がされています。しかし製紙業界でも、そこに書いてある数字は全くの嘘が書かれている現代です。日本有数の大企業がやっているのです。いちばん基本的な真心を忘れてしまったのかもしれません。 毎年感じていることですが、年賀ハガキも、以前と比べて皆がキレイに印刷されたものになってきました。書いてある文章も個性的なものは殆どなく、形式的なものが大部分です。ときどき手書きのものがある位ですので、そろそろ私も来年位から、儀礼的な年賀ハガキはやめようかと考えているところです。 数が少なくても、真心を伝える便りの交換をした方が、無駄がなくていいのかもしれません。人間関係も、仕事内容も同じように考えています。生きている時間は、延々とある訳ではありません。有効に使いたいものです。察智 (平成9年1月生まれ)運動不足もあるのだろうが一生懸命になり過ぎると腰が痛むそのときは無理をせず からだの信号をききこころ静かに本を読んだり本当に大切なことは何か確認する貴重な時でもあるいつの場合も何氣ないその時の出会いが無言のうちに行くべき道を教えてくれる私の都合を主張しなければその声が聴こえてくる
2008年02月17日
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がんばれ!がんばる。--受験シーズンも真っ盛り。とかく日本人が好きな言葉のようです。でも「頑張る」は「我を張る」こと。自分の考え・意志をどこまでも通そうとすることは、果たして精神的な大人がする行為なのでしょうか。 「我を張る」には周囲の変化を排除しなければいけないので、とてもエネルギーが要ります。また芯も強くなくてはなりません。しかし、そのような生き方は、想定外の外力には脆いようです。例えれば、堅い柿の木の大きな枝が暴風雨の後にポッキリ折れてしまうのと同じです。 一方、柳の木は暴風雨を柳に風と受け流しながらも、根は大地にしっかりと根付いています。周囲の変化に逆らわずに穏やかにあしらいながらも自分を見失わない生き方もあります。果たしてどちらが賢い生き方でしょうか。 我が家の受験生には「結果はともかく、自分の全力は尽くすように」とだけアドバイスしました。まだ受験も中盤ですが、たまに届く不合格通知を見てもいつもと変わらぬ生活を送っている我が子を見て、受験を通して一歩成長できて良かったなと思うこの頃です。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.2.17 vol.117 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━新 着 情 報━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■詩画作品の代金支払いは、郵便振替がお得です。 お客様のぱるる(郵便預金総合通帳)口座からケーズプラン売店の振替口座への送金がATMを使用すると、今なら『手数料無料!』です。(ATM無料は、ゆうちょ銀行の平成20年9月30日までのキャンペーン) 窓口を利用するより140円お得です。 また、キャンペーン期間以降(平成20年10月1日~)は、 郵便支局にある郵便振替払込書に記入してATMから送金するのが便利です。送金額3万円未満の場合、ATM利用の送金手数料は80円です。 窓口を利用するより40円お得です。 ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ 小さな 一歩の 積み重ねが 物を言う ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/diary/200802010001/ ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 「遅咲き宋休の講演CD」、第1作~第3作まで好評販売中です。■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。■第2作目の詩画集『であえてよかった』が予定部数に達したため絶版と なりました。お買い求めいただいた方々に厚く感謝申し上げます。 なお、第3作目の詩画集『すべてがチャンス』はまだ在庫がございます。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ -----------------------------------------------------------------------■立春を過ぎて 福来みかんさん 立春を過ぎると、何となく春めいてきますね。寒さの中にも待ちきれない新芽が飛び出そうと、そんな音が聞こえそうです。 今年はじっくりと時間を掛けて、宋休様の暖かいお言葉を頂きながら人生のリセットボタンを押したいと思い、今からワクワクしております。 そして、宋休様と宋休ファンの皆様と共に益々活躍したいと思っています。 同じ柑橘系のゆず様、季節は外れてきますがよろしくお願いします。ご縁がありましたら何処かでお会いしたいですね。 (2008.02.10) -----------------------------------------------------------------------■Re:立春を過ぎて 宋休さん 福来みかんさん お久し振りです。 ここのところ毎日違うことをしています。木曜日には宇都宮で講演でした。金曜日は自宅で仕事。土曜日は日光の雲竜渓谷、そして日曜日は午前中2件の法事で坊さんの仕事、更に夜にはホテルからマッサージの仕事が入り、先ほど帰宅したところです。 私の家では今朝7・8センチの積雪でした。そして茨城県のつくば市に行きましたら、雪は全然ありませんでした。モクレンのつぼみも大きくなっていました。場所によって、ずいぶん違うようです。 (2008.02.11) ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■すっきり(2007年5月) 日頃から血圧が高いのには、それなりに理由があるとのことです。体のある部分が弱っているか、あるいは正常に働いていないため、その箇所まで血液を送ろうと、心臓が懸命に圧力を高めているとのことです。 従って原因をそのままにして、薬を飲んで血圧を下げているのは、目先だけの対症療法なのかもしれません。 現代人は健康のためにと、サプリメントや健康食品などを、食べたり飲んだりしている人たちが多いのではないでしょうか。反対に、体から余分なものを排出する努力をしている人は、まだまだ数が少ないような氣がします。 最終的に自分の体を管理するのは、本人です。補助食品も大切かもしれませんが、最初は面倒であっても、自分で体を動かすことが基本のようです。いくらお金を出しても、誰も代わってくれません。自分の健康は自分で守ることが出発のようです。 毎日、少しでも歩くことによって、汗が出る体になれば、同時にストレスも体から出て行き、便通もよくなると思います。運動などで新陳代謝をよくすることによって、体内の老廃物を効率よく排出できます。続けることによって次第に、体調も整ってくるのではないでしょうか。 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/diary/200705220000/────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年02月17日
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子供の頃は損得の計算がなかったので、自由に生きていたのかもしれません。しかし成長と共に学習し、周りとの関係も複雑化してくるようです。 大人になるに従って、多数の人たちは物事を選ぶ際、どちらが楽かと思うようになってくるようです。大変な方を選ばず、少しでも楽な方を選ぶことは自然なのかもしれません。そして知らずのうちにそれぞれが、自分の判断基準をつくってしまうのかもしれません。 若いうちは希望もたくさんあるのですが、現実に直面していると、実現することの難しさを実感するようです。更に何度か失敗するうちに、次も失敗するだろうと消極的になり、いつの間にかチャレンジ精神もうすれてくるのかもしれません。氣がついてみると、チャレンジする前に、やっても駄目だろうと、考え方に柔軟性もなくなっていくようです。 講演の際いつも思うことですが、来場者の殆どは女性が中心のようです。何故か男性が少ないのです。仕事をしているから聞きに来る時間がないのかもしれませんが、そればかりではないような氣がします。たぶん女性の方が、新しいことに対して好奇心が旺盛なのかもしれません。思考が柔らかいから、人の話も聞くことができ、実際に行動に移すのかもしれません。 何故か情報交換も女性が得意とすることです。蔭口などの悪い情報交換は心身ともに良くありませんが、良い話や感動などの伝達も早いようです。女性の方が、こだわりがないのかもしれません。 女性や子供は、一見すると弱そうに見えます。そして男性は強く思われがちですが、案外脆い(もろい)のは男性の方なのかもしれません。偉そうにしているのは、本当は弱いから、強がりなのかもしれません。反省です。もっとこだわりをとることによって、柔軟性が生まれてくるのかもしれません。もったいぶらず今できることをやるだけとことん苦しんだらあかるい光が見えてきた本当に願っているなら朝に夕に祈ること※ 早朝、家を出て、栃木県の那須岳に行って来ました。下は晴れていたのですが、登山口に近づくにつれ真っ白の世界、氷と雪のマイナスの世界でした。雪が深く風もありましたので、殆どの人たちは途中で下山でした。たまたま雪の中でも道を知っている人と出会い、お陰さまで頂上真下のガスの噴出しているところまで行くことが出来ました。もちろん目印をつけていきました。
2008年02月16日
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2月25日に、集英社から『それでも やっぱり がんばらない』の文庫本が発売されます。鎌田實さんの著作です。縁あって、題字を書かせていただいたものです。昨日、見本が送られてきました。 自分の意思を通そうとするとき、がんばるのかもしれません。何事も努力することは、とてもいいことです。困難に打ち克つ姿は感動を与えることもあります。だから日本では、ひとつの挨拶言葉として「がんばります」「がんばってください」と、日頃から耳にすることが多いのかもしれません。 物事に真剣に取り組むのは当たり前のことです。がんばらないは、努力をしないことではありません。相手の状況なり、自分の現在の状態をよく把握することはとても大切なことです。しかし自分の思いが強いとき、無理をして行動してしまうことがあります。 無理とは、自然の流れや宇宙の道理に反することではないでしょうか。自分の考えが正しいと思い込んでいるとき、自分の姿を客観的に見ることは出来ません。意志が強いことはいいことなのですが、それも宇宙の道理に順じているときの話です。理に反しているとき、いい結果は出て来ないのではないでしょうか。 最近の私は、自分の意思を中心に考え行動することはなくなってきたようです。自然の法則や宇宙の理を一番に考え、無理をせず行動するようになってきました。無理をしませんので、精神的にもとても楽です。重ねて言いますが、何の努力もしないことではありません。精一杯生きていても、無理はしません。 自然の観察や、人間の観察から多くのことを学ぶことが出来ます。自然のものは無理せず存在しています。厳しいかもしれませんが、状況の変化に適応したものが残っていきます。天に吐いた唾は自分のところに落ちてきます。何もしなければ、筋力は衰えてきます。使い過ぎると壊れてしまいます。心を込めて丁寧に扱えば、やさしく応えてくれます。 自分の心の状態が、そのまま結果として出ているだけです。文句や不満を言っても何にもなりません。私たちに出来ることは、前向きに生きることです。じぶんの言葉やじぶんの目線で書いたり話していることは直接こころに響いてきます野の花柴田宋休第1詩画集『あるがままに』から道端に静かに咲いているあの小さな花たちは人間にみられるためではなく大いなる生命に精いっぱい感謝している姿なのかだから背のびすることもなく清楚なのかもしれない
2008年02月15日
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突然お客様が来られました。御夫婦での来訪でしたので、楽しい会話のひと時を持つことが出来ました。たまたま私が家にいたから可能だったのです。私が出掛けていれば、会うことは出来ません。たぶん絶対的な用事でないため、連絡せずに来られたのだと思います。 間がいいときには、物事がスムーズに運びます。しかし間が悪くなってくると、たとえ連絡してあったとしても、途中予期しないことがあったりと、スムーズに運ばれないときもあります。 最近の私は、無理をしなくなりました。何としてでも、それを押し通そうとするのではなく、そのときの状況を察知して、行動するようにしています。邪魔が入ったり、ストップらしきことが起きたときは、やらない方がいい、あるいはそのとき会う必要がないと解釈するようになってきました。常に出来事を、ひとつの信号として捉えるようになってきました。 最近特に、物売りや勧誘の電話が増えてきました。向こうは仕事だからなのでしょうが、こちらが今、何をしているかなど、お構いなしにかかってきます。勿論こちら側に、そのとき電話している時間があるかなどの心遣いはありません。間の悪い生き方の代表のようなものです。 相手に対する配慮があるとき、すんなり物事が運ばれていきます。自分が主張するだけでなく、全体を察知しながら会話していれば、思いがけない情報交換の場になります。出会えて良かったと、感ずるときです。 人間を歯車に例えるなら、人それぞれが個性をもった、違った歯車だと思います。間がいいときはお互いにそれぞれ回転を調整して、歯車が繋がっているときではないでしょうか。間の悪いときは回転の調整をしていないときですので、歯車が噛み合うことはありません。無理に歯車を噛み合わせようとすると、歯車が損傷してしまいます。 交通信号だけでなく、現象世界の信号には氣をつけたいものです。物事は急に起きていません。何でも前兆があるのではないでしょうか。本人がキャッチするかしないかの、違いがあるだけのようです。何事も無理は禁物です。宇宙とのサイクルが合っているとき平安という無念無想の状態なのかも会えたときはそれがいい会えないときもそれがいいどんなときでも感謝です あかるくイメージたのしく体験
2008年02月14日
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何でも受け入れるという心の準備があれば、何が来ても大丈夫です。私たちが一番恐れていることは、死ぬことかもしれません。未経験のことを不安に思うのは当然のことです。 そこで不安だから目を逸(そ)らすのではなく、そのための準備として普段から学んでいれば、あたふたとすることはないのではないでしょうか。何の準備もしていないとき、突然ですので、頭が真っ白になるのは仕方ないことかもしれません。 多くの人たちは一方を好み、一方を嫌います。良い結果であれば順調ですので問題ありません。しかし予期していないことが起きたとき、パニックになるのではないでしょうか。それは普段から恐れていることが現実化したからかもしれません。自分にはないと勝手に思い込んでいるからではないでしょうか。お金のある人もない人も平等に百パーセント、時期が来たら死を迎えます。 食品の賞味期限が問題にされています。人間もいつまでも丈夫で元氣に動ける訳ではありません。限りある命だからこそ、日々の生活を大切にするのではないでしょうか。もし永遠に続くのであれば、それこそ疲れてしまいます。限りがあるから、いいのではないでしょうか。 考え方を変えてみると、自分に起こる出来事は予期せぬことが多いから、体験の幅が広まっていくのではないでしょうか。いつも自分の好きな方を選べるのであれば、片寄った体験しかせず、ますます片寄った心の持ち主になっていくでしょう。しかし現実には、嫌なことを一時逃れることが出来ても、また遭遇するように出来ているようです。 この世は体験するところと、腹を決めれば、けっこう楽しむことが出来ます。その人にとって無駄な体験はありません。同じ体験するんだったら、嫌々でなく、興味津々生きてみてはどうでしょうか。逃げることをやめ縁のあることは何でも受け入れるようになったら無理せず 力まず歩けるようになったきびしい環境だからこそその大変さも分かりあたたか味が育つのかも
2008年02月13日
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いくつかの要因が重なって、出来事は起きています。昨日は、ほぼ毎日書いているブログの画像が、急に入力出来なくなりました。楽天で使用出来る50MBを越えたためです。際限なく利用出来ると簡単に考えていましたので、これからは少し方法を変える必要があるようです。 登山に危険はつきものです。特に高い山では、何ヶ所か危険な個所があります。冬山は更にちょっとしたことが命取りの事故に繋がります。危険だから行かない方がいいというアドバイスを下さる方もいます。しかしよく考えてみると、山に登らなくても危険は日常的なものです。私たちにいちばん身近にあるのは交通事故です。確率からいったら交通事故の方がずっと多いのではないでしょうか。 危険を承知で出かけるには、それなりの準備をして出かけます。心の準備は勿論ですが、様々な安全対策も実行しています。勿論出来る範囲の充分な下調べもします。地図・コンパス・雨具・懐中電灯・食料は必須のものかもしれません。 山歩きでいちばん事故に繋がるのは、基本的なことなのですが、体力不足が事故を招くのではないでしょうか。歩き続けて疲れてくると、足がふらつき転落事故になる可能性大です。更に判断力が低下してきます。道に迷ったとき疲れ果て、戻るということが出来なくなってくるようです。また天候の急変や時間的なことの総合的な判断力が常に試されます。 先日は雪山でしかも初めてのコースのとき、道に迷うことを考え、色の付いたビニールひもを木に縛りつけながら進んで行きました。行きはまだ体力も充分にあり記憶もあるのですが、山に入れば入るほど似ているような個所が何ヶ所もあり、それを軽く考えていると、帰りの時つい間違ってしまうからです。目印のお陰で無事下山することが出来ました。面倒がらず、やって良かったです。誰でもいつ何が起こるかわかりません日頃からできることをやっていれば大丈夫です
2008年02月12日
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興味ある話を聞きました。かつて栄えていた古い町と同様、栃木県益子町も数十年は陶器の町として栄えてきました。しかしここ数年、時代は大きく変化しています。物が売れなくなってしまったのです。町全体にお客様が激減してしまったのです。 ということは、陶器を作っている多くの人たちの生計が成り立たなくなってきたという事実です。以前は夫婦でやきものを作り販売してきました。需要がないのですから、結果的に多くの物を作る必要がなくなってきたということになります。 陶芸に携わってきた大部分の男性は、今までと同じように何とかして売れるものを作ろうと、まだガンバっているようです。一方、奥様がた女性たちは、これを機会に外へ出てパートの仕事をしているとのことでした。次の準備をしているというのです。 男は過去にこだわり、再び景氣が良くなることを願っているようですが、女性たちは時代を読む力があるのか、それとも現実的にお金が必要だからかもしれませんが、切り換えが早いようです。生命力があるのは女性との話を聞き、納得でした。 今までは家族のため経済のために夫の助手として働いてきました。しかしこれを機会に外に出ることによって氣分転換にもなり、少ない夫の収入を当てにせず、経済的にも自立の道を歩んでいるのかもしれません。男性は下を向いて暗い表情ですが、女性たちはとても元氣がいいとのことでした。 価値観の変化の時代には、大きく二つに分かれるようです。過去にこだわる人たち、そして一方は新しく変化していく人たちです。変わっていくのは大変かもしれませんが、私はとてもいい時代と思っています。元氣な女性たちから学ぶことがたくさんあります。
2008年02月11日
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柴田宋休さんのインターネットギャラリーを開設して2年と11ヶ月になります。その間、インターネットやお知り合いの方を通じて詩画作品をお知りになってご注文いただいき、ご感想をメールや電子掲示板やブログのコメントでお寄せいただくことがあります。大変ありがたいことです。皆様のご感想から私は元気をいただいています。下手は下手なりに継続してきて良かったなぁと感じる瞬間でもあります。 ご感想をいただいた一番遠くの方は、中国大陸で中国人に日本語を教えていらっしゃる方ですが、そうしたご縁がさらに広がることを日々楽しみにしています。今後とも宜しくお願いいたします。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.2.10 vol.116 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━新 着 情 報━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■第2作目の詩画集『であえてよかった』が予定部数に達したため絶版と なりました。お買い求めいただいた方々に厚く感謝申し上げます。 なお、第3作目の詩画集『すべてがチャンス』はまだ在庫がございます ので、お買い求めくの方はお早めにどうぞ。 ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ 小さな 一歩の 積み重ねが 物を言う ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/diary/200802010001/ ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 「遅咲き宋休の講演CD」、第1作~第3作まで好評販売中です。■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】 開催日: 2008年2月7日(木) 場 所: 宇都宮市御幸ヶ原コミュ二ティセンター 備 考: 参加者は主催者の関係者のみ■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ -----------------------------------------------------------------------■息心の行 賀川康子さん 一貝町の氣の郷で呼吸法を中心とした行(修行)がありました。小山市の画廊の山本悦子様に遇いました。ブログで写真を拝見していましたので驚きました。とても懐かしく嬉しく思いました。次の予定は2月17日AM7時から8時30分氣の郷中心館です。初心の方は、氣の研究会の講習会に出ることから、初めててみてはいかがでしょうか。道が開かれることうけあいです。生ききていることが楽しくなりますよ。宋休先生、川又先生も宜しかったらお出かけくださいませ。 (2008.02.02) ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■実体験(2007年5月) 友人の招待で19・20日と群馬県前橋市に行ってきました。前橋の周りにある榛名山、赤城山、妙義山へドライブしてきました。今回は時間がなくゆっくり歩くことができませんでしたが、それぞれに個性のある山々を、少しだけ体験することができました。 特に妙義山は登山者にとって危険なのでしょうが、自分の足で登ってみたい山です。同じ山でも、はるか遠くから見る山、そして目の直前にそびえている山、更に実際に自分の足で登ってみる山と、実際には体験しなければ分からないことがたくさんあることを実感しました。 自分だけの数少ない体験で、いかにも分かっているような話をしてはいけないことを反省しました。実際に汗を流した人にしか、その大変さや楽しみは分からないのかもしれません。 伊香保温泉を過ぎ榛名山へ登って行くと、山の上にある榛名湖周辺は大雨でした。不安定な天氣だったからかもしれませんが、山の上と下とではとても違っていました。高度が違っているせいか、花の開き方、新芽の大きさがずいぶん違っていました。そして山を下り、伊香保温泉に着く頃には雨もやみ、ゆっくり町営の露天風呂に入ることができました。なんて運がいいのでしょう。 目先の天氣だけでバタバタせず、雨のときには雨を楽しみ、晴れのときには晴れを楽しめば、すべて好しです。 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/diary/200705210000/────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年02月10日
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早朝5時半に家を出て、日光の雲竜渓谷に行ってきました。厳寒の時期にしか見ることの出来ない、凍った滝や大きな氷柱(つらら)を見ることが出来ました。 ちょうど氷の柱を登っているパーティーがありましたので見学していました。すると目の前で建物3階建位の高さから落下して、地上1m位手前で、ザイルで止まることが出来ました。彼は懲りずに再度チャレンジして、上まで登ったようです。 凍った滝を見学してから、先ほど落下した人と話す機会がありました。あれだけの高さから落ちたのは、初めてだったとのことでした。でもそれ程の恐怖心はないようでした。いろいろな趣味があるものと関心しました。とりあえず事故にならず良かったです。明るくイメージ明るく実践風ふけば風になり雨ふれば雨になり雪ふれば雪と遊び幼子のように今を存分に 生きる
2008年02月09日
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いくら本を読んでも、いくら人の話を聞いても、体験に優るものはないのかもしれません。実際にマイナス20度を体験すれば、ダイヤモンドダストを見ることが出来ます。実際にお金がないことを体験すれば、何とかなることが分かります。 体験する前までは、何となく分かっているような氣がしているだけで、実際に体験してみると、ずいぶん違うことが多いのではないでしょうか。怪我をして初めてその痛みが分かりますので、その後は注意するようになります。 最近では指先を怪我するといけないからと、安全のためにナイフを持たせない傾向があるようです。私の子供の頃は、遊びの中で物を作るための大切な道具でした。指先を何度も切りながら、道具の使い方を覚えていきました。それと同時に、実体験からたくさんのことを学習していたようです。 昨日の午前、宇都宮で講演があり、会場に向かう途中で信号停止しているとき、祖父とお孫さんが影踏みをして遊んでいました。昔の遊びはお金がかかりませんでした。缶蹴り、縄跳び、独楽(こま)回し、鬼ごっこ、そして今頃の寒い季節には田圃の水を凍らせて、長靴でスケートをしました。当然、氷の薄いところでは冷たい目に会いました。遊びとはいえ、それら全部が後で役に立っているようです。 現代では情報も多いですので、始める前に情報を集め、それからやろうとする傾向にあります。他人の情報はあくまでも他人がやった結果の情報ですので、それが百パーセントではないのです。実際には、やってみなければ本当のことは分かりません。分かったつもりでいるだけなのです。 人生、山あり谷ありです。一歩いっぽ歩んでいけば変化があって楽しいのではないでしょうか。いつまでも苦しいことが続くこともありません。いつまでも楽しいことが続くこともありません。苦しいとか楽しいとか、余り色分けせず、全部を味わって生きたいものです。 向こう側の世界に帰れば、ゆっくり休むことが出来るようですので、生きているときは、いろいろな体験をして行きたいです。人生を修行と考えると辛いですので、豊かな人生経験をすると解釈すれば、全てが楽しみに変化するのではないでしょうか。明るく体験して行きましょう。時期が来たら、ゆっくり休めるのですから。行動出来るのは、生きているうちです。冬秋の終り樹々はこれから訪れてくる寒さにそなえて落葉がはじまったふと枝先に目をやるとすでに小さな新芽が静かに生きていたこれから雨や風や雪やあたたかなお日さまといっしょに少しずつ成長していくのだろうすべてを受け入れる冬の時があるからあの新緑のやわらかなエネルギーが出てくるのか学校での成績がよかった人が明るく生きてますかどうもそうではないようです知識の量ではなく感謝の心のある人がニコニコなのかも
2008年02月08日
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氣にするも、しないも、自分次第なのかもしれません。周りが変われば自分も変わるような氣がしますが、そういうことはないようです。自分の考え方を変えると、不思議にも見える世界も変化してきます。 不満が多かったとき、周りの不満がとても氣になりました。氣にすればする程、考えることも、その延長線上のことが多くなるのは当然のことです。反対に感謝が多くなるに従って、見える世界もそのようなところが見えてきますから不思議です。 自分を変えることは出来ないと思っている人は多いのではないでしょうか。氣付けば、私は変われると思っています。変われないと思っている人たちに共通していることがあります。行動しない人たちです。一度や二度やって直ぐにあきらめてしまう人たちは、なかなか変わることは出来ないのかもしれません。 一回や二回で物事が成就するなら、こんな楽なことはありません。もう少しのところで変われるのですが、その一歩手前でやめてしまうことが多いのではないでしょうか。そのようなことを何度かやっているうちに、自分には無理だと、始める前に決め付けてしまう習慣がついてしまうのかもしれません。 行動すれば、少しずつですが確実に変化してきます。小さなことでもいいから、何かひとつ自分にも出来ることを体験することによって、それは大きな自信へと繋がっていきます。ひとつの経験がやがて次のチャレンジへと、勇氣を与えてくれます。 先日、友人に、冬の寒いときに布団と一緒に寝袋を利用すると、とても温かいことを話しました。すると彼は直ぐにでもやるような返事をしました。そして2週間経過してから、実際にやってみたらとても温かく、夜中にトイレに起きなくて済んだとの電話がありました。 人と違ったことをやれと勧めている訳ではありません。常識や固定観念をとってみると、自由になることを伝えているだけなのです。そんなことはないと、最初から否定していては、いつまでも新しい体験は出来ません。 もう直ぐ59歳で、多くの友人は60歳を迎えようとしています。還暦という言葉を聞くことが多くなりました。退職して第2の人生と考えている人たちもいるようです。しかし私は一人前になるには、まだまだ経験が足りないと思っています。生きていればの話ですが、20年遅れで80歳になった頃、悠々自適になりたいものです。そのためにも楽しく体験して、更に変化していきます。無理じいはしませんやるも やらないも自由です嘘か誠か実際にやればわかります闇をみていたから苦しかったのだこれからは明るい光をみつめよう立春新芽は春になって育つと思っていたが寒い冬に成長していたきょう生きていることに感謝何が あってもだいじょうぶすべては うまくできている
2008年02月07日
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自分の都合で物事を選んでいたとき、そのときは楽のように感じていても、直ぐに嫌なことに出会うことが多かった。そのときの自分にとって必要なことが、天から与えられていることに氣付きませんでした。 自分の都合をなくしてみると、物事が良く見えるようになってきました。自分の都合という色メガネを外すことによって、物事がそのままに映ってくるからです。それまでは外側に問題があると思っていたのですが、実は自分がいちばん問題なことに氣付いてから、現象の捉え方が大きく変わりました。 目の前の見える世界、つまり現象に一喜一憂していたとき、人のせいや周りのせいにすることが多かったようです。外側を中心に生きていたからです。内面を大切にするようになってからは、目先のことに振り回されることがなくなってきたのかもしれません。 若かりし頃、宗教の勉強をしていた頃、見える世界と見えない世界は半々位かと思っていました。しかし40歳を過ぎてから、実際に見えない世界に護られていることを実感してから、大きく変わりました。この世の殆ど99パーセント以上が見えない世界で成り立っていると思うようになってきました。 見える世界はこの世のほんの一部だと感ずるようになってから、現象に振り回されるのではなく、私にとってはひとつの観察対象になってきましたので、生きているのが興味深くなってきたようです。 いろいろな人や様々な出来事に出会います。自分の好き嫌いという判断基準を取り払ってみると、全てが研究対象になります。長く付き合うことによって、どのように生きたら、このような結果になるかを、それぞれが証明してくれているからです。嫌と思って避けていればそれまでですが、どんな人でもその人なりに精いっぱい生きているのです。 たまたま出会っているように感じますが、実は必然なのかもしれません。逃げる生き方を卒業し、縁に応じた生き方になってから、ずいぶん楽になってきました。他でもない、私自身が問題だったことに氣付いたからです。そのときにやれるだけやったらあとは向こう側のすることできなかったときは それがいいできたときも それがいいどちらにしてもそのときに相応しいことが与えられているだけすべては大丈夫向こう側で うまく面倒をみてくれている自由心真っすぐもいいまがっているもいい平らも凸凹も失敗も成功も与えられてくることは貴重な体験自然体ああしようこうしようと思わない風がふいたときは風にまかせ雨がふったときは雨にまかせるごめんなさい
2008年02月06日
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人それぞれ、その人によって関心が違います。自分が一生懸命やっているから、相手に通じるだろうと思うかもしれませんが、それは相手の状態によって違ってきます。今流行っている空氣を読むです。相手が求めていることであれば無理がありません。しかし関心のない人に、いくら説明したところで、かえって相手にとっては迷惑になるだけです。 一生懸命やることは決して悪いことではありませんが、それも時と場によってです。子供の頃の縄跳びを思い出して下さい。二人で大きく回転している縄に入るには、回転のスピードに合わせ、タイミングを合わせなければなりません。つまり相手の状況に合わせることが必要です。 現在では殆どがオートマ車になりましたが、以前のマニュアル車を思い出して下さい。ギアチェンジの際、ローから順序よくギアチェンジをして行きます。当たり前のことですが、現在のスピードに合った最適のギアがあります。 人によっても、それぞれに回転の速さがあります。最初は特に、出来るだけ相手のスピードに合わせることが必要になってきます。相手との歯車の回転が合えば、少しずつスピードを上げることも出来ますし、逆にスピードをゆるめることも可能になります。 相手のことを思ってやっていると、自分では思っていても、案外、自分がやりたいからやっている場合があります。そのような時はうまく行きません。自分の都合が中心だからです。本当に相手のことを思っているのであれば、余計なことはしないものです。必要な時に、必要なことをやればいいのではないでしょうか。 最近やっと待つことを覚えてきました。自分が一生懸命でも、相手にとっては必要がない場合もあることが分かってきたからです。悩んでいる人に、少しでも楽になって欲しいと、情報を提供したことも、かつてありました。しかし最近では、本人が本氣で求めないことには解決しないことが分かってきましたので、相手が動くまで待つようになりました。 例えそれが良いことであっても、押し売りされる方にとっては疲れるものです。本人がやる氣になった時、その時その人にぴったりの情報を提示すればいいのかもしれません。肩の力が抜けてきたら、全体の状況を見るようになってきました。季節のいいとき汗が出るのは普通のこと厳寒のとき何かに専念して汗が出たとき成長するようだもしあと一日の命だったらできる範囲のそうじをして静かにゆっくり感謝の時間を共有したいひとつひとつ感謝○△□いろいろあるからすばらしい
2008年02月05日
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縁のある人とは、初めてお会いしているのではないのかもしれません。前世や生まれ変わりが、私はあると思っています。前世で遣り残したことを、今回の人生で体験しようと解釈すると、自分に起こる出来事をスンナリ受け入れることが出来ます。 夫婦や親子関係、友人、師弟関係など、特に深い関わりのある人たちとは、前回の続きをしているのかもしれません。更に反対の立場を経験しているのかもしれません。反対の立場を実際に経験することによって、相手の氣持ちを理解することが出来ます。 被害者意識を持つ人がいますが、案外前世では加害者をやっていたから、今回の人生では被害者を体験して、両者の氣持ちが分かり、清算しているのかもしれません。お互いさまに氣付けば、対立することもありませんし、批判することもありません。縁があるのは五十歩百歩だからです。 自殺に関しても、たぶん私は前世では何度か自殺をしていると思います。だから今回の人生では自殺は一切考えないのかもしれません。自ら死を選ぶことがどのようなことなのか、残された人たちが、どれだけ苦しむかが分かっているからでしょう。 前世も含めて、かつていろいろな体験をした人は年齢に関係なく、物事の道理が分かっています。だから自分中心ではなく、調和の心が身についているのかもしれません。目に見える世界だけにこだわって生きている人たちは、まだ魂が若いのかもしれません。 今回の人生だけで物事を理解しようとすると、納得いかないことが多いと思います。だから突然の出来事によって「何で私が?」と思うのではないでしょうか。私は「何で私が?」とは考えません。私にとって必要なことしか起きていないことに氣付いたからです。お陰さまで悩むことはなくなりました。 そのときに、出来ることを、やるだけです。あまり余計なことを考えず、頭を空っぽにして、縁のあることを受け入れ、前向きに行動するだけです。縁が熟したとき本物に出会う見える世界は自分の心がそのまま写っているだけ不満のときは不満が写り感謝のときには感謝が見える生きているだけでも感謝の毎日はじめての試みには感動がある今日をありがとう
2008年02月04日
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感動いつも忙しく何かに追われていた頃深く感動することがなかった忙しくしていた私にサヨナラしたらゆっくり見たり考えたりするようになり新鮮な出会いが多くなったたぶん周りは変化していないのだろうが私の心のチャンネルが変わってきたからなのだろう自分のこだわりや執着でもがいていたときいつも護られていることに氣付かなかった私から余分なものがなくなって空っぽになったとき眠っていた可能性が動き出してきた子供のように先入観をもたずそのものに成り切って体験すれば私らしい感動の芽が育つようだあたらしいことにいつもチャレンジしている人は感動も多くそのぶんエネルギーも高い味わう毎日の食事が当たり前となってよくかんで食べていない私いぜん托鉢をしたとき寝る場所があり三度の食事がとれるだけでも 有難かった歩いての旅だったので自然の流れと歩調が合いそのものを味わうことができた便利な生活に戻ってみると物は充分にあっても忙しくしている自分に氣付いたゆったりと向こうからの声をきいてみると焦らなくてもいいことがわかる
2008年02月03日
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もし想像するなら、心配でなく、楽しくイメージしてはどうでしょうか。心配をイメージすると、そのように実現します。人前で話すとき失敗するだろうと思っていると、ほぼイメージ通り失敗するようです。 運良く生きたいのであれば、どんなときでも楽しいイメージを持つ習慣をつけることかもしれません。それには出来事すべてをプラスに解釈することです。よく損をしたと表現する人がいますが、損をしたと考えれば、マイナスを引き寄せる結果になります。貴重な経験として勉強代を払ったと思えば、2度同じ失敗はしません。その出来事があったからこそ、勉強になったといえるからです。 心配はマイナスを引き寄せるだけです。もし考えるのであれば、どうしたら良くなるか、方法を見つけることではないでしょうか。探していれば、ある時ふと見つかるものです。問題意識は大切です。問題意識があるから、答と出会い、喜びもあるのです。 石ころに紙を貼り、墨書してみました。久し振りに楽しい作業でした。以前石ころに墨で書いたときは、紙を貼らず直接書きましたので、石と墨の色の違いがはっきりしませんでした。今回は良い方法を教えていただくことが出来ました。まだお会いしたことはないのですが、書の先生に感謝です。 最近は和紙に文章と絵をかくようになりましたが、最初からかいていた訳ではありません。書道に対するコンプレックスがありましたので、自分の文章を書き始めた頃は、陶板に線彫りして象嵌をしていました。陶芸家だからこそ出来る仕事だったからです。 しかしそこに絵を入れることは難しく、悩んでいたとき出会ったのが絵手紙の方法でした。顔彩という素晴らしいものに出会い、急に世界が広がりました。何が縁になるか分かりません。それからは陶芸に限定せず、和紙に墨書するようになりました。やっとこだわりが取れてきたのです。私の場合、絵は墨でなく鉛筆で描き、顔彩で着色しています。墨で絵を描くと、文章よりも絵の方が目立ってしまうからです。文章が中心だからです。 良いか悪いか分かりませんが、私は文章の内容をメインに考えています。多くの書の先生方と私との大きな違いは、自分の言葉を素直に書いていることかもしれません。例え格好が悪くても、本音で生きたいものです。たのしくイメージたのしく体験八十八歳の父の姿をみていると認知症もいいのかもしれませんいろいろな体験を卒業すれば天命というおだやかな死があるのかもしれません(お陰さまで、父は今日退院しました。まだまだ生きられそうです。)
2008年02月02日
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久しぶりに風邪をひいてしまいました。日頃の不摂生な生活のツケが廻って来たようです。病気になってみると、日頃の健康の有り難さを感謝せずにはいられませんから、自分を省みる上でたまには良いのかも知れません。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.2.2 vol.115 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━新 着 情 報━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■第2作目の詩画集『であえてよかった』が予定部数に達したため絶版と なりました。お買い求めいただいた方々に厚く感謝申し上げます。 なお、第3作目の詩画集『すべてがチャンス』はまだ在庫がございます ので、お買い求めくの方はお早めにどうぞ。 ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ 小さな 一歩の 積み重ねが 物を言う ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/diary/200802010001/ ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 「遅咲き宋休の講演CD」、第1作~第3作まで好評販売中です。■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】 開催日: 2008年2月7日(木) 場 所: 宇都宮市御幸ヶ原コミュ二ティセンター 備 考: 参加者は主催者の関係者のみ■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ -----------------------------------------------------------------------■再始動準備中 いけちゃんさん お早うございます。寒い朝です。宋休さんの冬山の寒さに比べたら、寒さの内に入らないような寒さでしょうが・・・布団から離れがたい気持ちを振り払い、ラジオ体操に間に合うよう起床しています。仕事を辞めて、時間に縛られない日々を過ごしています。宋休さんの卓上カレンダーの1月の言葉を実感しています。「あたらしい 出発をしようと 身の周りの 余分なものを 処分したら スッキリしてきた 」まさにこの通りです。片付けるにはいったん散らかる事を笑ってしまったり、懐かしい物や、手紙に手が止まって、日向で眺めたり、読み直したり、楽しみながら日々過ごしています。幼稚園の時の、は・・ちゃんの絵も出てきました。自宅から見える山と庭を描いたようです。(宋休さんからのお手紙の最後に赤の鉛筆で描いてあります)は・・ちゃん成人おめでとうございます。成人の姿を、感慨深く拝見しました。来年はうちの末子が成人です。肩の荷を降ろし、自分の時間を大事に再始動です。ただいま準備中です。 (2008.01.27) ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■沢のぼり(2007年5月) 家の近くの雨巻山(あままきさん、533m)に登るとき、いろいろなコースがあります。歩き易い坂道を登っていくルート、こちらは景色などの変化はなくても、割合、安全です。歩き易く、行く先がある程度見える道は、これからこの坂道を登っていくことを考えると、せっかちの私には辛いものがあります。変化がなく、先が見えるから、かえって焦るのかもしれません。 もうひとつは沢づたいに、多少の危険があっても、流れる水の音を聞き、足元を確認しながら一歩一歩登っていくルートがあります。こちらは足元をよく見ないと危険です。でも変化に富んでいます。 人それぞれだと思うのですが、私は沢コースを登っていくのが性に合っているようです。自然の水の流れは曲がりくねっています。登ろうとする先が見えませんので、かえって現在に集中することができます。氣がつくと、ずいぶん高い所に来ているものです。 人生でも同じようなルートを歩んでいるのかもしれません。先が見えなくても、確実にゆっくり進んでいく生き方を、私は好んでいるようです。 できるだけ休まずに、とりあえずあそこまでは登ろうと歩きます。急な坂道で息切れするときは、休めばいいのです。自分の体調に合わせ、休みを増やしながらでも進んで行けば、やがて目的地に着きます。 岩から足をすべらすと落下しますので、集中力も必要とされます。ものごとに集中しているとき、自然に心も洗われてゆくようです。汗を流した後は、心地よい疲れを味わうこともできます。 私たちは毎日、死に一歩近づいているともいえます。いつまでも生きている訳ではありません。先を急ぐ生き方は、そろそろ卒業してもいいのかもしれません。沢のぼりのように、ゆっくり歩いて、現在の変化を楽しんでみようと思います。頂上間近から流れ出ている水は、格別の味です。 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/diary/200705170000/────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年02月02日
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小さな 一歩の 積み重ねが 物を言う
2008年02月01日
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ずいぶん遠くまで出かけ、探し歩いてきましたが、やるべきことは足元にありました。しかも場所だけでなく、時間的にも過去や未来ではなく、今日という日にあることが、最近やっと分かってきました。 今日一日の生き方が将来の自分の姿でもあります。今日一日を何となく過ごしていては、未来にも特別なことはなく、年齢と共に氣力も減退し、明るく生きることは難しいのかもしれません。一日を丁寧に生きることは、全ての基本であり出発なのかもしれません。 父が入院しているため、ここのところ毎日病院に通っています。たまたまなのかもしれませんが、4人部屋で他の3人共とても暗く、会話が一切ないことに驚きでした。病気で氣が重いせいもあるのかもしれませんが、あの雰囲氣では治る病気も治らないのではと感じました。挨拶にも返答がなく、何もせずボーとしているのです。お見舞いに来る人もいないようです。 昨年11月、ブログを縁として知り合った方が、劇的な変化をしました。年内の命と宣告されていたため、どうすることも出来ず、不安の日々で投げ遣りになっていたようです。しかしブログでのやりとりの中で、入院していても出来ることが分かり、早速やれることをやり、心の整理をして旅立つことが出来たようです。12月初めに亡くなったようです。妻子のある30歳半ばの男性でした。 私たちはどんな状況であれ、やれることはあります。遠くまで出かけ、探す時期があってもいいのかもしれません。実際に行動することによって、少しずつ分かってきます。そしてあるとき真理に氣付くのかもしれません。無駄なことはありません。 不満に思っている人は、どこに行っても不満が出てくるのかもしれません。反対にいつも感謝して生きている人は、どんな状況でも感謝を忘れないから幸せなのかもしれません。要は本人の心掛けで決まってくるのではないでしょうか。目の前の現象をどのように解釈するかによって、大きく分かれてくるようです。チャンスどこか自分から遠く離れたところをさがし続けていたがそこには何もなかったそして ふと足元を観たらすでに用意されていることがあった私にとって都合のいいチャンスはなかなか来ない目の前の都合の悪いことの中に静かにチャンスは存在していたずっと氣付くのを待っていたのだただ私自身のこだわりのために何も見えなかったのだ雪久し振りに雪がふるきれいな詩(うた)ができないかと景色をみたが何も生まれて来なかった目を閉じて静かにお念仏をしていたら雪国の人々の暮らしが思いうかんだ時々ふるから喜べる雪もあれば人間の都合などおかまいなしにふり続ける雪もあるそのやっかいものの 雪の中にこそあたたかな心が育つのかもしれないやるべきことは足元にありましたしあわせも今日という日にかくれていました
2008年02月01日
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