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ありがとう 誰もが通る 人生の坂 アクセルを ふかす 上り坂 ブレーキを きかす 下り坂 そして保険に 救われる 魔坂(まさか)の時 人生は、山あり谷ありで起伏に富んでいるからこそ素晴らしいのかも。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又)━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.8.30 vol.144 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ 天が 与えてくれることは すべてが 無駄なし すべて善し 前向き宋休☆★☆━新 着 情 報━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■講演会と個展の情報を掲載しました。今後の予定のコーナーをご覧ください。 ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■第4作の講演CD、新発売です!! (第1作~第4作、好評発売中) 遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 ■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。■詩画作品の代金支払いは、ATM利用の「ゆうちょ振替」がお得です。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】2008年11月6日(木) 19:30~21:00 ≪←開催日訂正≫ 主催:社団法人前橋青年会議所 ※一般参加できます 会場:群馬会館 群馬県前橋市大手町2-1-1 (JR前橋駅より車で約5分) 会場TEL:027-226-48502009年1月16日(金) 14:00~15:00 主催:笠間市立大原小学校 家庭教育学級 ※関係者のみ■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】2009年1月3日(土)~13日(火) 10時~19時 会期中休みなし 会場:ギャラリー加古(かご) 〒311-4153 水戸市河和田町1-1545-7 会場TEL:029-255-6005☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ --------------------------------------------------------------------■いいことを教えていただきまして ひよりこ2005さん さっそく実行します。感謝の言葉を述べたらうれしいって思います。アドバイスをいただきまして光栄のいたれりつくせりでございます。(2008.08.26) --------------------------------------------------------------------■出会いに感謝 手塚 米子さん 人生の師と仰ぐ宋休先生と看護師の師と尊敬する賀川部長との不思議な御縁に驚いています。メタボに苦しみながらも元気に働けるのは、お二人のおかげと感謝しています。生涯現役をめざして自己研鑽に努めます。今後とも御指導よろしくお願いいたします。 (2008.08.27) --------------------------------------------------------------------■Re:出会いに感謝 宋休さん 手塚 米子さん先日は引き続きご参加、ありがとうございました。ぜひ、これを機会にお互いに変身して行きましょう。願って行動すれば、いつの日か・・・・・私も何とか方法を見つけて、腰痛を完治できればと考えています。(2008.08.27) --------------------------------------------------------------------■背中を押していただきありがたいです。 ひよりこ2005さん 次回の宋休さんの山登りの時の写真を楽しみにしています。楽しんで行ってきてください。 (2008.08.29) ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■身の丈 (2007年6月) 現在の自分に合った方法で、やってみることかもしれません。背伸びをしても無理があります。今日できることを、やればいいのではないでしょうか。 そのための準備でもいいのです。頭が混乱していれば、整理することから始めてもいいのです。考えを実行に移すことが始まりです。一歩始まれば、少しずつ変化してきます。 自分の可能性を、始める前から限定することもありません。可能性に一歩近づくには、行動が大切です。 先日の講演のときに、初めて、人前でアルトサックスの演奏をしました。習い始めて約3ヶ月ですので、恥をかくことはあっても、決して上手とは言えない演奏を皆様に晒したのです。今回がまたとないチャンスと感じましたので、5分くらい4曲の演奏を試みました。演奏を聞いて貰うというより、チャレンジ精神の生の姿を見てほしかったからです。 これを切っ掛けに世界が、あるいは可能性が少し広くなったようです。以前から考えていた詩の朗読のCDを作りたいことを、偶然来訪されたパソコンの先生ご夫妻に話しました。最初、私はできるならプロの演奏家そしてプロの女優なり、声に自信のある方にお願いできればと考えていました。 しかし思いがけないアドバイスを頂くことができました。現在では、技術の優れたプロがやるのは当たり前だと提案してくれたのです。かえって朴訥(ぼくとつ)でも自分の声のほうがいいのでは、少し演奏が下手でもプロのできない心のこもった演奏を自分ですればいいことを勧めてくれました。思いがけないアドバイスにハッとしました。 もしかすると何年か先には、田舎に住んでいる私らしい野性味のあるCDが実現するかもしれません。標準語の努力をするのでなく、その時間を文章を書く時間に使ったほうがいいようです。標準語でなく、訛りがあるからいいのかもしれません。 やるだけ やったら 大丈夫 うまくいく 無理せず 今日 できることを やればいい────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年08月30日
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自動車のハンドルに遊びがなかったら、大変なことになります。もしなかったら、左右どちらかに少し動かしただけで反応してしまいますので、緊張の連続になるかもしれません。 生活の中に遊びがある人は、発想が自由ですので、ひとつの出来事に対しても一方からみるばかりでなく、いろいろな方向から考えることが出来ます。 従って解決方法を探すときも、常識にとらわれてひとつの同じ方法を繰り返すのではなく、その時に一番良い方法を臨機応変に対応出来るのではないでしょうか。 現代はあらゆる面で、過去の常識が通用しなくなってきました。新しい発想が特に必要な時代なのかもしれません。教えられたことを教えられたようにやるだけなら、ロボットの方が効率的に確実に仕事をしてくれます。 仕事以外に何らかの趣味や楽しみを持っている人は、それらの基礎知識もありますので、物事を単体で考えるばかりではなく、連携して考えるため、意外なことの中に答を見つけることが出来るのではないでしょうか。 心に余裕があるとき、たとえどんな時でも、切羽詰まることはないのかもしれません。そのような意味でも、さまざまな体験をしている人は、少しのことでは驚きません。どのような出来事でも、ひとつの新しい体験と解釈するようになると、その流れを楽しむことも出来るのではないでしょうか。 生きるとは、たくさんのことを体験する、ひとつの遊びと考えてはどうでしょうか。人生は思いがけないことの連続でもあります。それならいっそのこと、そのときそのときの出来事を、学ぶための絶好のチャンスと考えてはどうでしょうか。辛く我慢して生きるのも一生ですし、積極的に新しい体験を楽しみながら生きるのも一生です。 心に余裕があるときは、他人のことも理解出来ます。しかし自分のことだけで精一杯のとき、目の前や足元にある小さな幸せにも氣付かないようです。一見無駄と思えるようなことが、何に役立つか分かりません。ものごとを狭く限定して考えないためにも、遊び心が大切なのかもしれません。時間がかかってもあきらめなければ何とかなるものちっぽけな自分を捨て初めてのことにトライする心には新鮮なエネルギーが集まってくる出会いによって人間は大きく変わることができる※ これから、山梨県か長野県のどちらかへと出発します。いくつかの山に登りますので、天気次第で登る順序を変更します。その前に、父の病院へ寄ります。
2008年08月30日
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心と体は直結しています。体調が悪いときは心も暗くなりがちですが、体調が整っているときは心も軽く、何事も前向きに考えられるのではないでしょうか。 精神的に悩んでいるときはその結果として、体にも不調が現れることが多いのではないでしょうか。精神的にしっかりしているときは、自分の体のことも考える余裕があるものです。従って心身のどちらかに不調が出たとき、注意信号として、何らかの形で現象化するのではないでしょうか。 以前は、心がしっかりしていれば体は何とかなるだろうと考えていましたので、どちらかというと、心に重点を置いた生活でした。しかし、40歳頃から体の不調を感じ、模索する時期が続きました。ストレッチ体操・自力整体と、出来るだけ少ない時間で効率的にやろうと考えていました。 そして昨年より、ひょっとしたことからウォーキングをはじめ、それを縁として山登りを始めるようになりました。重かった体が軽く感ずるようになってから、考え方も大きく変化し、すべてのことを前向きに考えられるようになってきました。運動のおかげです。 悩みの多い方は殆どの場合、日常生活の中で体を動かすことが少ないのではないでしょうか。あるいは仕事のために体を酷使することがあっても、健康のためにと、体全体のことを考えてスポーツする人は少ないと思われます。労働は同じところを使うため、疲労が生ずるのは当たり前です。仕事で体を動かすのと、普段使っていない部分を動かす運動は、基本的に違うのではないでしょうか。 考え方を変えれば、悩みも解決するのではと考えがちですが、現実にはそう簡単に考え方を変えることは出来ないようです。それにはまずはじめに、何らかの運動をして、体を変えることがいいのではないでしょうか。体が元氣になれば、くよくよしなくてもいいことが分かり、物事に積極的になれるようです。心の前に、まず体を整えることかもしれません。 心と体は連動していますので、どちらにも配慮出来ることが理想と思われます。しかし何も行動を起こさなければ、年齢と共にますます老化が進みます。時間をつくり、運動を楽しめるようになれば、楽しみのある人生に変化してきます。 心身どちらか片一方に、偏ってはいけないようです。何事もバランスなのかもしれません。具体的に体を動かせば心も大きく変化してきます
2008年08月29日
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生き方が違うと、本質がなかなか伝わらないようです。以前お参りに行ったとき、社会的にも経済的にも立派な家にもかかわらず、その家の仏壇のリンが、今の時代では珍しく貧相なものを使っていました。そこで先日の葬儀の際、音は澄んだ音色がいいことをお伝えしました。 次にお参りに行ったとき、新しいリンに変わっていましたので良かったと思ったのですが、残念にも、リンは新しくなったのですが、鈍い音色のリンでした。私の伝えたことが正しく伝わっていなかったようです。言っても駄目な人には駄目なのかと、余計なことを言ったことに 反省しました。その人その家の価値観によって、お金の使い方が全然違うことを学ばせていただきました。 考え方が違うと、会話をしても何故か、行き違いが多いのかもしれません。しかし反対に生きる方向が似ている人とは、時間がかかるかもしれませんが、真意が伝わるようです。多少の違いがあっても、方向性が大切なのかもしれません。 同じ場所に出かけても、感動する人と感動しない人に分かれるようです。波動が合ったとき、感動するのではないでしょうか。そのような意味では自分にとって関心があることに時間もお金も使っていますし、その人の価値観によって、感動の種類も違うのかもしれません。 音叉(おんさ)という現象があります。二つの音叉の一方を鳴らすと、他の一方もたたいていないにもかかわらず、音が鳴り響きます。鈍い音には鈍い音が、澄んだ透明な音には、澄んだ透明な音が共鳴するようです。精神性の高さによって、感動の質も違ってくるのかもしれません。 ずっと雨続きでしたが、天候が安定してきましたので、30日から4日間ほど、富士山そして初めての山に登ってこようと計画しています。今回も、どのような感動に出会えるか、楽しみです。私にとっては、何があっても、すべてが善しです。ぎりぎりを体験すると何とかなることが分かりすべてに感謝できる※ 数日前、父が胃瘻(いろう)の手術をしました。口から食べることが出来なくなってきたため、腹部から直接、胃にパイプを通して栄養を入れる方法です。従って今まで世話になっていた特別養護老人ホームに戻ることが出来なくなり、病院付属の施設を新たに探す方向に進んでいます。たぶん今回も、いいところの御縁が出来ると思います。今日は父の誕生日で、89歳になりました。
2008年08月28日
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いちばん最初に、目印で助けられたのは、四国八十八ヶ所を歩いたときでした。徒歩で行くとき、何度も山道を通ることがあり、目印がある度に安心したものです。 最近では冬山に登ることも経験しているため、目印を自分でつけるようになりました。冬の山は夏山と違って雪で真っ白になるため、風景がガラリと変わってしまいます。自分の足跡さえ、風の強いときなどは直ぐに消えてしまいます。 道を熟知しているのであれば、目印など必要ないかもしれませんが、地図を頼りに初めての道を進むとき、もし迷ったとき元に戻れるようにと、要所要所に紐を結びつけておくと、帰りも迷うことなく下山出来るようです。 ほとんどの登山道の別れ道では道標が示され、私たちに安心を与えてくれます。初めての場所で、もし道標がなかったら、不安のままに急な坂道を進まざるを得ません。山の中では尋ねる人もなく、実際に経験した人にはその不安が分かると思います。 団体で行くとき、経験豊かな先導者がいれば、後をついていけばいいのですが、初めての場所を少数者で進むとき、すべてが自己責任となります。そのためにも、うっかりしたミスは直ぐに自分に返ってきますので、より慎重になるのかもしれません。 雨具を購入するとき、もし事故になったとき、目立つ色が良いだろうと登山用品の店員さんに相談したところ、どんな色を着ていても、事故になったら死に直結していることを教えられました。着る物の色で安心するよりも、事故にならないよう注意することが基本だということを、改めて知ることが出来ました。 夏山でも、転落事故が増えているとのことです。最近は特に高齢者の事故が多いと聞きました。普段から登山のためにトレーニングを積んでいれば体力もあるのですが、先導者の後をついて歩くとき、つい油断してしまうのかもしれません。また下山時に事故が多いのは、疲労が重なり体力が限界になって、ちょっとしたつまずきや不注意が大きな事故につながるのではないでしょうか。 基本的には一人で歩くような氣持ちでいれば、すべてが自己責任なのですから、注意の仕方が全然違ってくるのではないでしょうか。体力が落ちてくると、集中力や注意力が落ちてくるようです。 若いときは観察力がなかったせいか、ずいぶん怪我をしてきました。最近になってやっと、全体を見るようになり、無理をしなくなってきたのかもしれません。痛い思いは貴重な体験となり、やがて確実に身についてくるようです。無駄なことは何もありません。がんばりやさんはそんなにむりをしなくてもいいんだよときにはゆっくりじぶんにもごほうびをあげてね
2008年08月27日
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自分のことでなく、相手のことを考えられるようになると、上手くいくのかもしれません。何不自由なく順調にいっている人は案外、恵まれていることを当たり前と思っていることが多く、感謝の心を忘れていることが多いような氣がします。 しかしイジメにあった経験があるとか、人間関係で辛い思いを体験した人は、その痛みや辛さが分かるので、逆に相手のことも考えられるのかもしれません。 元氣な人は、体の弱い人の気持ちが分からないことが多いような氣がします。障害を持っていたり、長い闘病生活を経験している人は、その大変さが十二分に分かっていますので、弱者の氣持ちも理解出来るのではないでしょうか。 障害を持っている人を差別したり、イジメの対象にしたりする人たちは、たぶん前世で障害者の経験がないのかもしれません。だから平氣で差別したり、イジメたりするのかもしれません。分かり易く言えばそれらの人たちは年齢には関係なく、人生経験が少なく、霊的に幼いともいえるのではないでしょうか。 他人の痛みが分かるようになるには、それなりの体験が必要なのかもしれません。そのような意味では一見失敗と思えるようなことでも、すべてに意味があり、霊的成長の役に立っているともいえます。辛く深い体験は思いやる心を育てるのかもしれません。 知的障害を持っている人たちと生活を共にしたとき、彼らは確かに勉強が苦手であったり、説明することが下手だったりしますが、共通して言えることはそれぞれに思いやる温かな心を持っていることです。なかには生育環境によって様々な個性がありますが、こちらが本音で付き合えば、その心が分かり、とても純粋に対応するように変化するものです。 彼らは健常者が忘れてしまった大切なものを持っています。そのために今回の人生では、障害者としての生を受けたのかもしれません。私はどちらかというと、健常者といわれる施設の職員といるよりも、正直に生きている彼らとの時間が楽しみでした。 弱い立場の人や動物の方が、癒しのエネルギーを自然に出しているのかもしれません。それぞれに大切な役目があるようです。強いばかりが、いいのではありません。感動には人間を変えるふしぎな力がある和氣(柴田宋休第三詩画集 『すべてがチャンス』より)それぞれの持ち味を活かす
2008年08月26日
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チャンスに縁のないうちは、「チャンスさえあれば・・・・」と多くの人が考えます。またお金に縁のないうちは、「お金さえあれば・・・・」と、仕事の人間関係に縁のないうちは、「良いスタッフさえいれば・・・・」と、『それらのもの』さえ手に入れれば人生がバラ色になると、多くの人が考えがちです。 でも実際に『それらのもの』に縁ができた人は、必ずしもそうではないことに直ぐに気付くようです。 大切なのは、『それらのもの』のある、なしではなく、自分が『それらのもの』のに向き合う心の持ち様、すなわち、人生を生きる態度にあるのではないでしょうか。本当の幸せや心の平安は、いつも自分の内側にあるようです。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.8.26 vol.143 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ 天が 与えてくれることは すべてが 無駄なし すべて善し 前向き宋休 ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■第4作の講演CD、新発売です!! (第1作~第4作、好評発売中) 遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 ■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。■詩画作品の代金支払いは、ATM利用の「ゆうちょ振替」がお得です。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ --------------------------------------------------------------------■柴田宋休先生 賀川康子さん 毎週、先生のお言葉と写真と足跡に感動と勇氣を戴いています。従って、週明けにブログを開くことが楽しみになっています。真に有難うございます。先生の人生観、数々の作品が とても素晴らしいです。男体山頂の写真、詩集からの抜粋された詩に心が洗われました。おもわず合掌しました。宇都宮の婦長さん「米ちゃん」には心当たりがあります。何時か一緒に働いてみたいエネルギッシュで素晴らしい方です。人間皆何処かで連がっていると実感しました。先生のますますのご幸運ご活躍をお祈りしています。 (2008.08.21) --------------------------------------------------------------------■ありがとうございます。 ひよりこ2005さん ぜひやってみます。ワクワクします。 (2008.08.22) ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■体は借り物 (2007年6月) やっと最近になって、自分の身に起こることや出会う人を、さらりと受け入れていくことを覚えてきたようです。 以前はものごとの基準を、自分の好き嫌いで判断していた時期もありました。それだからかもしれませんが、その頃は辛いことが多かったように記憶しています。 自分中心にものごとを考えなくなってきましたら、肩の力が抜け、とても楽です。 一生懸命、自分中心に生きていると肩も凝ります。体だって自分のものではありません。今回の人生で、天から一時的にお借りしているものではないでしょうか。 体からの信号を聞かず、病気になっている人も多いです。病気になる前に何らかの前触れがあるものです。疲れてくると免疫力が低下し、風邪をひき易くなったりします。疲れが残るのは体から注意信号が出ているからです。 体は天からの借り物と思います。大切に使えばそれなりに長持ちしますし、乱暴に扱えば試用期間がずっと短くなります。体調が良くない方、自分の入れ物としての体を、ぜひ一度よく観察してはどうでしょうか。自分の体の現在の状態が分かれば、するべきことがはっきりしてきます。 ずっと 自分のものと 思っていたが 体は天からの 借り物だった 天が与えて くれることは すべてが 無駄なし すべて善し────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年08月25日
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仕事中心に生きていた頃、仕事仕事でいつも忙しく、心に余裕がありませんでした。もちろんその頃は自分の体のことなど考えず、仕事が第一でした。 従って目的以外の余分な雑用が入ってくると、イライラすることも度々でした。中心が自分の仕事なのですから当然なのかもしれません。仕事が順調にいっているうちはそれでも何とか良かったのですが、仕事が行き詰まってくると、今度は心身ともに行き詰まってきました。 そのようなとき、自分に問題があるとは氣付きませんでした。原因が他の人や周りにあると考えていましたので、イライラや不安は増すばかりでした。そしてどうしようものなくなってからやっと、殆どの原因は自分にあることを知りました。 それまでは人や状況を変えようと思っていたのですが、氣付いてからは自分の考え方を変えるようになったのです。忙しい忙しいと時間がないことも、実は自分でその時間をつくる氣がないことが分かったのです。 体が悲鳴を上げているのですから、心に余裕が生まれる訳はありません。もし心に余裕を持ちたいのであれば、まず自分の体力をつけることが一番と思われます。そのためには工夫して、その時間をつくることが最初の試みなのかもしれません。 考え方をちょっと変えれば、特別な時間をつくらなくても、生活の中で運動することが出来ます。出来るだけ車を利用せず歩くようにするとか、どうしたら良いかは自分で工夫することです。自分で考えるから、それがやがて自信や余裕へとつながるのではないでしょうか。 自分のことで頭がいっぱいのとき、人のことを受け入れる余裕はありません。そのようなときは呼吸も乱れていますし、正しい判断も出来ません。益々目の前の現象にアタフタとするのではないでしょうか。 目の前のことが氣になる方の殆どは、体力が低下しているのではないでしょうか。体力が低下してくると、同じように波動の低いものが集まってくるのも自然の理なのです。不運は外部から来ているように思いがちですが、実は自ら招いている場合が多いのではないでしょうか。 運動不足に氣付き行動を始めれば、体力がついてきます。するとそれまでと違って、やる氣も出てきます。更に運もついてくるようです。行動すればその行動に応じて、結果も出てきます。要は、やるかやらないかが、分かれ目のようで、健康に生きるのも不健康で生きるのも、本人次第なのではないでしょうか。感動(平成8、3、13を変更)いつも忙しく何かに追われていた頃深く感動することがなかった忙しくしていた私にサヨナラしたらゆっくり見たり考えたりするようになり新鮮な出会いが多くなったたぶん周りは変化していないのだろうが私の心のチャンネルが変わってきたからなのだろう自分のこだわりや執着でもがいていたときいつも護られていることに氣付かなかった私から余分なものがなくなって空っぽになったとき眠っていた可能性が動き出してきた子供のように先入観をもたずそのものに成り切って体験すれば私らしい感動の芽が育つようだ
2008年08月25日
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たまたまテレビのスイッチを入れたら、オリンピックのソフトボール準決勝、オーストラリア対日本戦でした。延長に次ぐ延長で、幸運にも恵まれ、日本が決勝戦へ進むことになりました。久し振りに感動を味あわせてもらいました。 一人のピッチャーが1日のうちに2試合続投し、1球1球丁寧に投げていた、あのパワーはどこから来るのでしょうか。翌日の決勝戦では強敵アメリカを破り、初めての金メダルでした。 日本に帰国してからのインタビューで、ピッチャー上野の指先は皮がむけていたことを知りました。彼女は日本で出来る全てを学び尽くし、アメリカに渡り、指導者のもとでトレーニングを受けたことに感謝していました。素晴らしいコーチとの出会いが、勝利へと導いてくれたようです。感謝の言葉が清々しく心に響いてきました。 常識を超える投球数、予想外の延長戦でしたので、普通だったら投手を変えることになるのでしょうが、彼女一人で投げ続けました。何度もピンチを迎えたにもかかわらず、チームワークの凄さに久し振りに感動しました。 あのパワーは、並々ならぬ練習量によって培ってきたものなのかもしれません。辛さも半端ではなかったと想像します。でも彼女の口からは、辛さは当然のことのように思っているらしく、あの熱戦を楽しんだと表現していたことに驚きでした。 普通の人間なら動揺し、あきらめてしまうような場面が何度もありました。しかし動揺することなく、1球1球丁寧に投げたからこそ勝利につながり、私たちに感動を与えたのかもしれません。 つい私たちは過去の失敗を引きずってしまいがちです。過去を引きずらず、心新たにチャレンジするには、それなりの訓練が必要なのではないでしょうか。私たちはあきらめることなく、本氣で思えば、次第にそのようになってくる可能性を持っています。そのためには機会を自らつくることが必要のようです。 才能は、育てるものなのかもしれません。本人の熱意に応じて良き指導者に恵まれるようです。熱意が人と人を結びつけるのかもしれません。 私たちは物事を勝ち負けで判断しがちですが、戦いは相手に勝つことではなく、本来は自分との戦いなのかもしれません。その人なりに克服すれば、自ずから道は開けることを、学ばせていただきました。最後まで柴田宋休第一詩画集 『あるがままに』より思ってもいなかった予想外のことに出会ったとき混乱や苦しさだけをみていると逃げたくなるしかし その体験が新しい発見や出会いであるとわかれば逃げる必要はない苦しさを恐れて一歩手前で逃げてしまうと不安や後悔が残るどうしようもなくなってぎりぎりになると私でない力が働く途中であきらめずじっくり最後まで体験してみると大丈夫ということがわかるどん底宋休
2008年08月24日
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暑い夏を越せないかと思っていた父(28日で89歳)の体調が、安定してきました。自ら食事を摂る意志がなくなってきたため、数日前から流動食への準備に入ってきました。言葉での明確なやりとりも出来なくなってきたため、生きているのも大変な様子です。父としては思ってもいなかった経験だと思われます。 父は日常会話の中で、老後のことなど一度も話したことがありません。もしかすると多くの人たちと同じように、考えたくもなかったから話題にすることなく避けて生きてきたのかもしれません。病気もせずに元氣だった父は、自分が入院するとは夢にも思っていなかったのかもしれません。 多くの高齢者は、入院し医療の世話になりながら、数字の上では長寿と言われています。元気で長寿ならいいのですが、実際には最後に木が枯れていくように旅立つ人は少数と思われます。ほとんどの人たちは、高度医療の末に、病院で死を迎えることがこれから益々増えてくるのではないでしょうか。 人間に生まれてきて、自分の思ったように人生を送れる人は皆無と思われます。それぞれに何らかの課題をもって人間に生まれてきたのですから、一見何もないように見えても、口にはしないだけで、何らかの問題を抱えているのではないでしょうか。 そして現実には年齢に関係なく、問題を抱えていても活き活き生きている人もいれば、目の前の問題にいつも右往左往している人たちもいます。出来事の解釈の仕方によって、受け取り方が全く別の方向へと進んでいくのではないでしょうか。 生きているのは、何かを学ぶためと考えてはどうでしょうか。出来事によっては避けて通ることは出来ません。逃げる場所があるうちは問題を先送りにしているだけのようです。それならいっそのこと、出来事をひとつの貴重な体験と考えてはどうでしょうか。 自分には問題ないと思いがちですが、本人にとってその体験が必要だから起きていると考えれば、逃げるのではなく、その対処法を自ら探すようになるのではないでしょうか。生きるとは、自分で自分の答を探すことかもしれません。 死んでからでは体験出来ませんので、生きているうちにたくさんの体験をしたいと、最近強く思うようになってきました。初めてのときは大変でも、体験を重ねていくと次第に、すべてのことは何とかなることを体得出来るようです。天から、貴重な体験をプレゼントされていると考えてはどうでしょうか。思いがけない体験は成長という天からのまたとないプレゼント機が熟してくると新しい出会いがはじまる
2008年08月23日
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子供の頃は心が自由なのですが、いつの日か常識が身についてくると、次第に自由な発想が出来なってくるようです。物事を知って覚えることはいいのですが、私たち人間は一度覚えてしまうと、そのことに関して固定して考えがちです。 その最たるものが先入観です。一度あるいは何度か失敗を重ねると、次も失敗するだろうと予想し、大人になるに従って失敗するようなことは、チャレンジしなくなってくることが多いように思われます。プラスの先入観ならいいのですが、多くの場合、マイナスの否定的なことが多いのは何故なのでしょうか。 痛い思いや辛い思いを、避けて通りたいと思うからでしょうか。子供の頃は元氣があって常に前に向かって生活していますが、体力の衰えと共に前に進むことより、身の安全のため、過去にこだわって生活することが多いからなのかもしれません。 歳を重ねるに従って過去の量が増えてきます。新しい出来事に対しても、過去の自分の体験から判断するのは自然なことなのかもしれません。経験の少ない人ほど見方も狭く、対処法も数少ないのかもしれません。 一方、失敗を恐れずにたくさんの経験を重ねてきた人は、いろいろな方向から物事を考えることが出来るため、発想も豊かなのかもしれません。失敗を恐れる人たちは、少ない経験だから、過去の出来事にとらわれるのかもしれません。 経済的に悩んでいた頃、個展会場で、あるお客様から教えていただいたことがあります。その御夫婦は戦争を経験されている方です。「お米と味噌があれば、食べていける」と、ニコニコと話してくれました。物がたくさんあるのは当たり前と考えていた私にとって、その言葉はとても楽になるひと言でした。 つい私たちは、目先の現象にとらわれてしまいがちです。辛い体験であれば早く過ぎてしまえばいいと思い、楽しいことであればいつまでも続いて欲しいと、自分の都合で物事を考えてしまいがちです。 自分の都合で生きていたとき、悩みは尽きませんでした。そして自分の都合をとり払ってからは、何故か過去に縛られることなく、毎日の出来事を新しい体験と解釈するようになってきました。新しい体験には氣付きがあります。いくつになっても新しい発見や氣付きがあるから、活き活きと生きることが出来るのかもしれません。思いもよらないいろいろなことがあるのはその体験の中から大切なことを学ぶため
2008年08月22日
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ときどき自分の体の硬さに氣付くときがあります。普段からストレッチ体操をしていればいいのでしょうが、なかなか時間がとれません。私の場合、腰が痛くなってくると、その予防のため、やむを得ずストレッチをやることが多いです。 縮んでいる部分を伸ばそうと、ゆっくり時間をかければ、次第に伸びてきます。私は肩が凝ることはないのですが、多くの場合、ストレッチ体操やその他の運動をすることによって緩和するのではないでしょうか。 自分は凝り性だからと、いつもマッサージに頼っている人たちに共通しているのは、ほとんどの人たちがそのために運動をしていないようです。自分は凝り性だから仕方ないと、自ら体を動かすことを頑な(かたくな)に拒んでいるようです。体以上に、心が硬いのではないでしょうか。 症状に合わせて何か行動する人は、症状がきっかけとなって体が改善するのではないでしょうか。そのような意味では体調不良もいいのかもしれません。そのまま放っておけば病気になるのは目に見えています。しかし、そのことをきっかけに、生活習慣を変えたり、意識を変えることによって、生き方が変わるのではないでしょうか。何がきっかけになるか分かりません。 私たちは自分を変えようと思っても、なかなか変わることは出来ません。しかし今までと同じようにしていては通用しないことが分かると、変わらざるを得ないのではないでしょうか。そのような意味では、大きな出来事や状況の変化は自分を変えるきっかけになります。 私が大きく変わったのは、40歳過ぎてからの体の不調や人間関係のトラブルでした。どうしようもなくなり、次第に生き方や物事に対する考え方が変わってきました。現在ではやっと肩の力が抜け、任せて生きる術が身についてきたようです。 1年位で急に変わった訳ではありません。20年位かかって少しずつ変化してきました。私の文章を読んで誤解している方もいるようですが、最初から物事の道理が分かっている訳ではなく、痛い思いをしたり、苦しみながら変化してきたのです。 心が柔軟になってくると、体ばかりでなく人間関係にも柔軟性が出てくるようです。頑固さが取れてくると、筋肉も柔らかくなり、対人関係も改善されるのではないでしょうか。自分中心という、自分への拘り(こだわり)が最大の原因なのかもしれません。ストレッチやる氣があればカタクテモその人なりに少しずつやわらかくなってきます急には無理でも少しずつならできるあせらないゆっくりじっくりあきらめない本人が本氣になると出会うようだ
2008年08月21日
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子供の頃、夢見ていた仕事に就いている人は少数かもしれません。学校で学んだことを生かそうと就職し、理想の仕事を続けようと思っても、何らかの原因で、現実には違う職種についている人たちが多いのではないでしょうか。 かつての私はどのような仕事をするかが重要と考えていました。しかし色々な体験を重ねるうちに、縁に応じて仕事内容が変わることが分かってから、考え方が変わってきました。 仕事の内容は様々ですが、その職種が大切なのではなくて、その仕事を通して何を学んでいくかが重要なのだと思うようになってきました。仕事はそのきっかけなのかもしれません。 一般の人たちは、食べるため、生きていくために仕事をしなければなりません。どんな仕事でも面白いばかりでなく、どちらかというと、いろいろな問題が多いのは事実です。人間関係が嫌だといっても、直ぐにやめる訳にもいかないのが現実なのではないでしょうか。 嫌だからと直ぐにやめていると、なかなか自分に合うような職場は見つからないのではないでしょうか。もしかすると職場は、仕事を通して人間関係を学習する所なのかもしれません。考え方を変えれば、家庭や夫婦関係もそうなのかもしれません。 逃げてしまえば、いったん問題から離れることが出来ます。しかしほとんどの場合、その人に問題があることが多く、他の場所に行っても違う形で問題が起きてくるようです。仕事のためや生活のため、やむを得ず逃げることが出来ないからこそ、そこから学ぶことが出来るようです。 修業を終えてから一時、人間関係が嫌になり、山の中で生活をしようと思ったことがあります。しかし縁とは不思議なもので、家の近くに知的障害者の施設が新しく建設され、7年ぐらい非常勤職員として彼らと生活を共にしました。そこで人間関係の大切さに氣付かされました。 それからというもの、山に籠ることをやめ、個展等を通して積極的に社会と関わるように変化してきました。更に最近では、思いがけず坊さんの仕事をするようになり、知らずのうちに自分のやるべき方向に導かれているのかもしれません。運がいい柴田宋休第二詩画集 『であえて よかった』より都合の悪いことから逃げているうちは次々に問題がやってきた何でも受け入れようと心に決めたらすんなり事が運ばれ無理することがへってきた何が来てもチャンスだとわかったら恵まれている私があった 楽天宋休
2008年08月20日
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森山直太朗さんの新曲『生きてることが辛いなら』の歌詞の冒頭が自殺を勧める内容にとれるとの理由から一部で批判が高まっているようですが、歌詞全体を読んだ限り「あるがままに生きよう」というポジティブメッセージを作詞家の御徒町凧さんは伝えたかったのだと私は思いました。 『生きてることが辛いなら くたばる幸せとっておけ』という歌詞が最後に出てきますが、まさにその通りではないでしょうか。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.8.19 vol.142 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ 天が 与えてくれることは すべてが 無駄なし すべて善し 前向き宋休 ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■第4作の講演CD、新発売です!! (第1作~第4作、好評発売中) 遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 ■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。■詩画作品の代金支払いは、ATM利用の「ゆうちょ振替」がお得です。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ --------------------------------------------------------------------■そばに宋休さんがおられると思うと ひよりこ2005さん なんとなく仲間のように思ってますので、いつでもお話ができて励ましていただいてるように思ってます。到底宋休さんには及びませんが心強いです。(2008.08.12) --------------------------------------------------------------------■宋休さんを紹介させて頂きました。 フナコロさん 私のブログ 生活雑貨フナコロ商店 に宋休さんを紹介させて頂きました。だつて素敵なブログですから他の方へも紹介したくなりました。ご承諾ください。 (2008.08.13) ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■不満と感謝 (2007年6月) 周りのことに影響を受け易い人は、良いことも悪いことも含めて、不安定なのかもしれません。良く言えば感受性が豊かとも言えます。しかし違った見方をすれば、自分のしっかりした考えがないため、目先のことに影響され易く、他人の所為(ひとのせい)にすることも多いのではないでしょうか。 本人は余り意識して言葉を発していないようですが、不満の言葉や否定の言葉、あるいは断定した言葉を日常平氣で使っている方がいます。それらの言葉が知らず知らずのうちに自分の潜在意識に入っていることを知らないようです。不満を口にすれば、更に不満の出来事が集まってきます。 不満のところに不満がどんどん集まってきます。反対に感謝のところには何故か感謝が集まってきます。不満の多い人、感謝の多い人をよく観察して下さい。納得すると思います。 ぜひ発想を転換して、文句や悪口や批判することに頭を使うことを止めてみてはどうでしょうか。感謝の生活に切り換えて行くのです。試しに七日間やってみてはどうでしょうか。ものごとの流れが変わってくると思います。 本人に必要のない出来事は起きていないようです。直接自分に係わることは特に、何らかの意味やメッセージが込められているのではないでしょうか。ものごとを悪く解釈するのではなく、良く解釈する習慣にするのです。最初は意識してそのように心掛けているうちに、知らずのうちに身についてきます。 不思議なもので、そうなりたいと決心すれば、変化してきます。反対に私には無理だと思っている人は100パーセント無理です。潜在意識に無理だと断定しているのですから、当然その結果が出てくるだけです。 高が言葉ではありません。言葉には言霊(ことだま)と言って、物凄いエネルギーがあります。私は称名というお念仏を繰り返すことによって、大きく変化しました。 体を 動かして ぎりぎりまで 体力を消耗すれば 余計なことを考えず 熟睡できる どんな ときでも 感謝できる ようになれば すべてのことが 無駄なし────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年08月19日
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7月そして8月中旬まで、あんなにも暑い日が続いていたのですが、ここ数日、急に涼しくなってきました。暑い盛りがこのままいつまでも続くような錯覚をしがちです。しかし過ぎてみると、日々変化していることを実感します。 目の前に大きな問題が立ちふさがっているときも、ついいつまでも同じ状況が続くと思いがちです。しかし、現実には同じ状況は続きません。解決に向かうか、更に悪化していくか、刻々と変化している現実があります。 悩んでいるとき、このままずっと続くと考えてしまいがちです。しかし何かをきっかけに、変化してゆくものです。一番問題なのは、固定して物事を考えてしまう癖なのかもしれません。 幸せいっぱいのときは、勝手なもので、このまま続いて欲しいと願います。でも現実には同じ状況はそう長くは続きません。 毎日変化しているのは自分の体です。目に見えない速さで確実に老化へと進んでいます。久しぶりに幼な友達に会ってみると、少年の頃とは打って変わって、全く別人のように変化している人もいます。 だからといって、老化を止めることは出来ないと考えている訳ではありません。年齢以上に老化が進んでいる人もいれば、同じ年齢でも若々しい人もいるのが現実です。 ウォーキングそして山登りを始めて1年半になります。同行している友人が大きく変化してきました。体が元氣になってきたら、やる氣が出てきたと言うのです。何もしなかったならば、年齢以上に老化が進んでいたかもしれません。 肉体的に余裕がなくなってくると、他人のことを考える余裕もなくなってくるようです。自分が生きているだけで精一杯だからです。口癖のように、歳だからと、好奇心もなくなっていくようです。 体力が落ちてくると、前向きに物事を考えることは難しいのかもしれません。悩みの多い方は、悩み以前に体力が落ちていませんか。たぶん自分の体を大切に考えていないのではないでしょうか。体を自分のものと思っていませんか。体は自分のものではありません。一人ひとりが神様から借りている貴重な乗り物と考えてはどうでしょうか。 自動車のように、時々は点検整備も大切です。休みなく動いていれば、疲れたり壊れたりするのは当たり前です。体を休め、ゆっくりした時間を作ってみてはどうでしょうか。お腹での深い呼吸は、どこでも出来るし、お金もかかりません。焦りは何にもなりません柴田宋休第二詩画集 『であえて よかった』より安心して下さいいつまでも強い風が 吹いている訳でもなくいつまでも 雨が降っている訳でもなくいつまでも 同じ状況は 続かないのですから安心して下さい今すぐやろうとするからうまくいかないだけで準備して待てばいいのです時間がたてば変わってきますそのときにやればいいのですから
2008年08月19日
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現在の自分の姿は、普段思っていることが実現しているだけのようです。いつも心配している人は、心配している内容が実現し易いようです。病気になりたくないと思っているのは、病気に対する恐れを繰り返しているのですから、かえって病気を招くのかもしれません。 小さなことですが、昨日、山に登っているとき、友人が短な紐が必要な場面がありました。そのようなとき私は、必要な物はどこかに落ちていると、見つけながら歩いていると、数分後にちょうどいい紐が落ちていました。しかし泥で汚れている状態でした。 でも何とかなるだろうと汚れた紐を拾い、歩き続けていると、古い小屋がありました。何かあるかもしれないと入ってみると、トタン板に水が溜まっていました。その水で紐を洗い、早速その紐を利用することが出来ました。 以前、四国での托鉢のとき、地下タビの底が破れ、小さな石や砂が入ってくるようになりました。靴を買うお金もなく、海岸の堤防で休んでいたとき、ふと下を見ると、靴が落ちていました。穴のあいた地下タビよりはマシでしたので、その運動靴に履き替え、旅を続けることが出来ました。 琵琶湖の中の竹生島に、西国三十三ヶ所の札所があります。その島に渡るためには船に乗るしかありません。お金が必要なのです。托鉢をしてもその日食べるだけで精一杯ですので、いつも余分なお金はありません。 でも不思議にもそのような場面になると、思いがけないところで、ギリギリにお金が入ってくることを何度か経験しています。本当に必要なら、天が人間を通してチャンスを与えてくれているのかもしれません。 最初から無理だと思っている人には、チャンスは訪れてこないようです。しかし日々チャンスを願い、行動している人には、準備が整ったときチャンスが訪れてくるようです。 明るいイメージは明るい現実を招き、暗いイメージは暗い現実を誘うようです。何氣なく日々考えていることが、実現していることを忘れてはなりません。思考がそのまま現実となっているようです。潜在意識には、良くも悪くも、凄い力があるようです。柴田宋休第三詩画集 『すべてがチャンス』よりたのしむ新しいチャレンジはしなやかな感性を育ててくれる
2008年08月18日
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現在住んでいる家は雨漏りがしません。現代人にとって雨が漏らないのは普通のことかもしれませんが、私にとっては、とても有難いことなのです。 現在の家に縁が出来るまで、土地を求めてずいぶんいろいろなところを探しました。今度は話がまとまるだろうと思っていても、何故か契約に至らないのです。そのとき、何て運が悪いのだろうと思っていました。 約10年近く雨漏りの家に住んでいました。大雨のとき裏山の崖が崩れ、家の中に土砂が入ってきてしまい、どうしようもなく一時しのぎのため県外の益子町に引っ越してきました。私は長男でもありますので、そのとき両親が住んでいた、茨城県内に家を建てようと思っていました。 何が縁になるか分かりません。たまたま引っ越した100年以上前の古民家に住むようになるとは、夢にも思っていませんでした。それまでは資金もないのに、土地を求めて新しい家を建てようと思っていました。 どうしようもなくなってから、坊主であることを自覚し、「坊主家持たず」ですので土地を借りてもいいと、発想を変えました。すると次第に話が好転し、現在の家を譲り受け、日当りの良い場所にその家を移動し、現代の生活が出来るよう土台から建て替えました。 何度も話がまとまらなかったのは、現在の家に縁があったから、上手くいかなかったようです。もし手近なところに土地を求め家を建てていたら、ずっと狭い家だったかもしれません。このように知らずのうちに、自分に最も相応しいところに導かれているのかもしれません。 それからというもの、もし何かで断られることがあっても平氣になりました。もっといいことがあるから、今回はうまくいかないと理解するようになったら、いつまでも悔やんでいるより、次のものを探すようになってきました。目先の現象だけで、判断してはいけないようです。 考えてみれば、現在新しい家に住んでいる人たちは、大部分の人たちが以前古い家に住んでいたのではないでしょうか。古い家だから新しい家になったともいえます。ということは、現在古い家に住んでいる人たちは、これから新しい家に住む可能性が大きいのです。違った言い方をすれば、現在新しい家に住んでいる人たちは、いつまでも新築ではなく、やがて古い家に変化していくということです。 縁に任せて生きるようになると、変化を楽しめるようです。雨漏りも貴重な体験だったようです。あの体験があったからこそ、現在があるのではないでしょうか。人生、何が起こるか分かりません。こだわりという小さな世界に限定しなければ、思いがけない出会いが待っているようです。柴田宋休第三詩画集 『すべてがチャンス』より大観何があってもだいじょうぶすべてのことはうまくできている※ 今日は日光の男体山に登ってきました。途中から雨になり、頂上では気温が12度でとても寒く、ガスのため景色も見えませんでしたので、ゆっくりせず下山しました。とてもいい経験でした。
2008年08月17日
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図書館で「氣」に関する本を借りてきました。滅多にないのですが、学生が読んだのでしょうか、数多くの頁に鉛筆で棒線が引いてありました。氣になったので消しゴムで消したのですが、棒線の箇所が半端ではありませんでした。 前書きに、氣はどんどん付け加えていく「足し算」ではなく、余計なものを排除していく「引き算」にすると、氣が出易くなると書いてありました。にもかかわらず、その本を読んだ学生らしい人は、一生懸命覚えようと、次々に棒線を引いていったのかもしれません。 受験勉強の習慣なのでしょうか、たくさんのことを頭で理解しようとしている行為は、前書きに書いてある内容とは正反対の行為であることに氣付いていないようでした。たくさん覚えれば、それが身につくと勘違いしているようでした。 私たちは本を読んだり人から話を聞いて、それで分かったような氣分になることがあります。頭だけの理解です。しかし実際には具体的にその内容を実践して初めて、真の理解につながるのではないでしょうか。 たくさんの知識を詰め込んでも、それを実際に活用して初めて、その内容が生きてくるのではないでしょうか。知識は行動して初めて、その人の身になってきます。たぶん読んだり聞いたりした内容とは、少し違ってくることが多いと思います。また実際にやってみると、それが間違いであることもあります。 大人になるに従って、分かっていると勘違いしてることが多いような氣がします。実際には本当のことを分かっていないのに、分かったような氣分になっていることがあります。私もあるとき、分かっていると勘違いしている自分に氣付き、愕然としたことがあります。 文章を書くようになってから、それを作品として和紙に墨書する際、漢字の間違いに氣付いたのです。それからは確認のため、辞書をずいぶん引くようになりました。文字の間違いだったら大した問題ではありません。しかしそれが生命にかかわるような勘違いだったら大変なことに気づき、それからは物事をよく観察するようになりました。軽々しく分かっているなどと、口にしなくなりました。 情報も物もお金も、たくさん持っているだけでは、何にもならないようです。実際に役立ててこそ、生きてきます。役立てれば生き生きしてきますが、溜めるばかりでは、そのうち古くなって腐ってくるようです。 詰め込むばかりの冷蔵庫を思い出してください。氣がつくと、古くなったものは腐っていることが多々あります。頭の中も同じなのかもしれません。時々は、いらないものの整理が必要のようです。再出発みたつもりわかったつもりの私だったもう一度新しい気持ちでやってみる柴田宋休第1詩画集 『あるがままに』より
2008年08月16日
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お盆のこの時期は、どこに行っても混雑です。本当は出かけたくないのですが、いくつかの用事が重なり出かけました。たまたま山間部の花火会場(ツインリンクもてぎ)の近くを通らざるを得ず、異常な混み具合です。 日本人は何故このように、同じような行動をとるのでしょうか。サラリーマンにとっては仕方のないことかもしれませんが、待つことを当たり前と解釈しているようです。通勤のための混雑が習慣化しているのかもしれません。 いつものことですがそのような時、私は皆と同じように主要道路を走ることはありません。地元の人であれば分かるような裏道がありますので、そちらを通ると、ほとんど混雑を避けて通ることが出来ます。カーナビがとても役に立ちます。 普段の生活の中でも、常に新しい道や方法を探しているから、私にとっては特別なことではありません。混んでいるのは仕方ないと、皆と同じ行動をいつもしているから、個性ある仕事や生き方が出来ないのかもしれません。発想が同じだと、行動も似てきます。日本人の大部分はサラリーマンで、その中の一部の人たちが経営者です。 お昼どき、ファッションモデルの山口小夜子さんがテレビで放映されていました。その中の一場面に、着物の前後を逆にしているところがありました。やはり世界的に認められるような個性ある人は、常識に縛られていないのかと、共感を覚えました。 もう直ぐ紅葉の季節が始まります。朝早く家を出て紅葉スポットに着く頃は、車の渋滞は当たり前になってきました。皆と同じ時間帯に同じ行動をしようとするから、どこに行っても混雑するのです。 ちょっと工夫して時間を半日ずらすと、車の流れが逆方向になりますので、同じ道を通ってもスムーズに車が流れます。夜のうちに家を出て、早朝から午前中に紅葉を楽しみ、午後には帰宅してしまえば、ゆっくり紅葉を楽しむことが出来ます。 普段から頭を柔らかくしていれば、どんな時でも無駄なことはありません。そのことによって、新しい何かを考えるきっかけになるからです。こうしなければならないという拘り(こだわり)をとってみると、案外、方法は見つかるものです。 観察力と更なる行動力によって、異色の生き方が出来るかもしれません。クレヨンには、様々な色があるから楽しいのです。人間だっていろいろな個性があってもいいのではないでしょうか。 過去の時代は、自分と違う色を排除してきました。これからはどのようにしたら違う色と調和できるか、地球的規模で試されているのかもしれません。自分の価値観を最高と思い、他に押し付けることに、最大の原因があるのではないでしょうか。心機一転変化は天が与えてくれたまたとないチャンス今まで氣付かなかった新しい芽が成長するとき柴田宋休第3詩画集 『すべてはチャンス』より
2008年08月15日
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交通量の多い国道の端を、二人の女性が自転車をこいでいました。前カゴそして後ろの荷台にも荷物があるので、ある程度の長い距離を移動しているように見えました。 8月のこの暑い時期に、しかも年齢が若いのであれば、どこにでもある風景かもしれません。しかし顔を見ると、二人とも中年以上のようでした。顔には日焼け止めの厚い化粧、しかも格好いいサイクリング車ではなく、普通の自転車だったことが、更に共感を覚えました。 私たちは始める前に、いい自転車がなければ出来ない。あるいはその旅のために、そんなに長く日数を取ることは出来ないなどと、出来ない理由を考えがちです。 でも考え方を変えれば、たとえ条件が完璧に揃わなくても、出来ることはいくらでもあるのではないでしょうか。格好さえ氣にしなかったら、普通の自転車でも充分に間に合うのです。1週間休むことが出来なければ、3日間でもいいのではないでしょうか。工夫次第で、本氣になってやろうと思えば、その人なりに可能なのではないでしょうか。 出来ない理由を考える習慣をやめてはどうでしょうか。どんなときでも、どのようにしたら出来るかを考えていれば、時間が多少かかるかもしれませんが、やがて達成されるのではないでしょうか。あきらめないことです。 この暑い中だからこそ、二人の女性にはまたとない貴重な体験がプレゼントされてくると思います。実際にやった人でないと分からない、感動や氣付きがあるのではないでしょうか。体験は人間を成長させてくれます。 初めてのことを行動に移すには、不安があるかもしれません。しかし何でもそうかもしれませんが、実際に始まってみると、何とかなるものです。物事を固定して考えなければ、方法は見つかるものです。初めての体験に感動があることが分かると、不安はやがて好奇心に変化していくようです。 芸術家に長生きする人が多い理由は、創造という好奇心が、活力を生み出すのかもしれません。好奇心がなくなってくると、生きる力も弱くなってくるようです。新しいチャレンジには、その人に合った、思いがけない可能性が満ちています。柴田宋休第1詩画集 『あるがままに』より関門苦しさのあまり理由をつけて真実の一歩手前であきらめてしまうと本当のところにいつまでも出会えないようです一度 自分中心という窮屈な考え方をやめてみるとあたたかさいっぱいの縁がいつも働いていることがわかります困難や逆境は真実の世界に入るひとつの関門なのかもしれません勇気という体験の先には大丈夫の世界が静かに待っているようです
2008年08月14日
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すべての出来事は、一見すると、偶然起きているように見えます。しかし過去を振り返って見ると、それぞれに意味があったのではないでしょうか。 最近の私の出来事に対する解釈は、良いことも悪いことも、自分に起こる出来事は、すべて意味があるということです。ということは逃げたり避けたりすることではないということです。 だからといってすべての出来事を、無理したり、我慢したりしてまで受け入れることもありません。どうしようもない問題に対しては、そのままにして、時間の経過するのを待つ場合もあります。絶対に何とかしようとするのではなく、流れに任せることも時には必要です。 本来出来事に良い悪いはないのではないでしょうか。それぞれが自分の都合で良い悪いと判断しているだけのようです。いったん自分にとって都合が悪いと解釈すると、不思議にもその出来事に対するイメージは暗くなります。嫌だと解釈した時点で、逃げたり拒否したりする方向へと進むようです。 しかしすべての出来事に、意味があると解釈するようになると、出来事に対し善し悪しの判断をしなくなるのではないでしょうか。すべての出来事を良く解釈するようになると、イライラや心配することがなくなってくるようです。能天気もいいものです。 これだけは嫌だという、こだわりがなくなってくると、何が起きてもいいと解釈するようになります。病気にはなりたくない、死にたくないと言ってみても、それは不安を助長させるだけではないでしょうか。 本人が大切な何かに氣付くようにと、信号として出来事が起こっていることが多いような氣がします。病気や死を恐れるのではなく、それにはどうしたらいいかということです。どうせだったら逃げる努力ではなく、積極的に探究すれば、毎日の生き方に変化が出てきます。笑顔も自然に生まれてくるようです。 いつ何があるが分かりません。今日出来ることは今日やるようになると、生きることに、しがみつかなくてもいいようになれるようです。自分を捨てると、何もなくなってしまうと思いがちですが、拘りというちっぽけな自分がなくなると、肩の力が抜け、自然体で生きられるのではないでしょうか。 まず最初に、私には無理だという拘りを捨てることが、第一歩のようです。握りしめていたものを、放してみてください。手が楽になります。もちろん呼吸も、ゆっくり深くです。柴田宋休第1詩画集 『あるがままに』より本人が本氣になると出会うようだ
2008年08月13日
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40歳の頃、知人の女性の方からハガキが届きました。ガンになったとのことでした。早速、自宅で療養していた彼女のところに、何度か見舞いに行きました。 それまで私の個展の度に来場していたにもかかわらず、生きることや生死に関わる話題はせず、彼女も焼き物作りをしていましたので、陶芸の話が多かったように記憶しています。 死を目前にしている彼女に対して、通りいっぺんの言葉でしか対応出来ない自分に愕然としたのです。一般の人だったら、それで許されるかもしれません。しかし坊主である自分の在り方を、そのとき深く反省させられました。 再び彼女から病気に関する手紙が届いてから、帰らぬ人となりました。そのことをきっかけに、私の生き方も大きく変化してきました。世間話のような、どうでもいい話はせず、本当に必要なことを話題にするよう変化してきました。彼女に出会ったお陰かもしれません。 自分の親や友人知人など、身近な人が亡くなったとき、多くの人たちは悲しみを共有し、その中には何もしてやれなかったと、悔やむ方もいるのではないでしょうか。 過去に戻ることは出来ませんが、それをきっかけに生き方を変えることは出来ます。故人との出会いをきっかけに、日々の生き方が変化すれば、見えない世界に住んでいる故人も、喜ばれるのではないでしょうか。 死んでしまったら、何もないのではありません。生前以上に私たちを護ってくれている存在に氣付くのではないでしょうか。現在の私たちの行動を共に喜び、応援してくれていることを実感出来るのではないでしょうか。 手を合わせたり、お参りすることだけが供養ではありません。一人のかけがえのない人の死を通して、生きることの大切さを実感し、日々の生き方が変わることが、本来の供養なのかもしれません。私たちは見えない多くの存在から、いつも護られていることを忘れてはなりません。柴田宋休第1詩画集 『あるがままに』より静観予期していなかった事が起きたとき元に戻そうと応急処置をとりたくなるしかし本当にしなければならないことはその根本と出会い深い確かな存在を体験することだろう現象にふりまわされあたふたと行動するかそれとも上から自分を眺め落ちついて決めるか事の進行を距離をおいて体験してみると必ず好転してくるときがある計らいを持たず待てばいい見えないだけで状況は刻々と変化し大丈夫という存在があることがわかる
2008年08月12日
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子供の頃に、友達と遊んだ縄跳びを思い出して下さい。相手が回している縄に入るには、自分のペースで入ろうとしてもそれは無理です。縄の回転に合わせ、丁度いいときに跳び込むと、上手く入ることが出来ます。回転する縄から出るときも同じ要領が要求されます。 間の取り方の下手な人は、縄の回転を止めてしまいます。ここで大切なことは、相手や周りの動きをよく観察することから始めます。上手な人のやり方を見ていれば、何となく要領が分かるのではないでしょうか。したがってマイペースで最初から相手に合わせようとしない人は、この遊びは出来ません。 餅つきなども、両者の呼吸がとても大切になります。現在では餅つき機に変わってきてしまいましたので、以前のように二人でやることはなくなってきました。便利になるにしたがって、このように相手と上手くやる機会も減っているのかもしれません。 車を運転していて感ずることですが、時々すべての動作が少しずれている人の車の後ろになることがあります。多分そのような人は、前を見ているだけで、後ろの車のことなど一切考えたことがないのではないでしょうか。周りに配慮せず、マイペースで運転しているようです。 確かに法を犯している訳ではありませんので、間違いではないかもしれません。しかし感覚があまりにもずれている車が前にあるとき、私は追い越すか、それとも休憩を入れ、その車から離れるようにします。感覚がずれているため、事故につながるからです。 たぶん車の運転だけでなく、日常生活の中でも相手に対する配慮がないのかもしれません。何人かの人たちと共にチームを組むとき、マイペースや我儘な人はその集まりから浮いてしまうようです。合わせようとしても上手くいかないのであれば仕方ありませんが、合わせる氣がない場合には、個人プレーの可能な職業を選んだ方が良いのかもしれません。 他者との関わりを持たずに生きていくことは、とても困難なことです。我慢したり、無理をしないで人間関係がスムーズに出来るようになれば、多くの問題は解決します。悩みの大部分は、人間関係にあるといっても過言ではありません。 逆をいえば、人間関係の中でこそ、数多くの体験が出来るともいえるのではないでしょうか。人間関係の中から、失敗しながらも、その対処法を身につけていくのかもしれません。自分には無理だと決めつけず、少しずつ改善していけばいいのではないでしょうか。急に変わることは出来なくても、少しずつなら可能です。柴田宋休第1詩画集 『あるがままに』よりさらりと梅雨まえの晴れた朝久し振りに庭先で仕事をすると近くの野山からウグイスやハクセキレイの囀りが気持ちよさそうに響いてくるすると突然ブゥーンという草を刈る機械音がうなりはじめそれまでの 静かな調和はどこかへ行ってしまったそこで自然の音や人間のつくり出した音をいろいろ思い出してみたが快 不快に分かれるばかりでとくに深まることはなかった数日してから聞こえてくる音をそのときの 私の都合で良い悪いを判断していることに気付かされる心地好いことも耳障りのこともそこにとどまらずさらりと生きていけばいい
2008年08月11日
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縁があるときは、偶々(たまたま)が重なるようです。先日、ある知人の自宅近くを通ったので、もしや少しの時間でもお会いすることが出来るかと、お寄りしました。しかし連絡もしていなかったので、残念ながらお会いすることが出来ませんでした。 すると翌日、彼から電話が入り、氣になっていたので暑中見舞の電話だと言うのです。そして昨夕も、先日偶然お会いしたお二人に、あるお店で偶々(たまたま)お会いする機会がありました。更に帰宅してからは、時々思い出してどうしているかと氣になっている方から、七回忌法要の依頼の留守電が入っていました。 流れに乗ってみれば、丁度いいとき、丁度いい人や丁度いい出来事に会っているようです。それは自分にとって都合のいいことであったり、反対に良くない出来事のこともあります。どちらの場合も、その時にぴったりの情報や出会いであることが多いようです。 問題意識があるとき、偶然その答に出会うことがあります。一見すると偶然のようなのですが、実は本人の意識によってそのような場面が訪れてくるのかもしれません。求める氣が生じてくると、答が目の前に現れるのかもしれません。 ぼーとしていては、目の前に大切なものがあっても氣付くことはありません。しかし本人の意識次第で、今まで氣付かなかったことでも、その存在に氣付くようです。それまで見えなかったり感じなかったことが、自分の生き方が変わることによって、氣付くことが出来るようになるようです。 同じような問題を抱えていたり、同じような方向に進みたいと思っている時、偶々(たまたま)の出会いが偶々(たまたま)でなく、それぞれにとって意味のある出会いに変化していくのかもしれません。縁を生かすも殺すも、本人次第で、どのようにでもなるのかもしれません。 先日の講演会でもそうでしたが、お陰様で良い出会いが続いています。過去にこだわらず、肩の力を抜いて、流れに乗ってみるのもいいものです。思いがけないひょっとしたことが、新しい出発になるかもしれません。 本氣にならないから、出会わないだけで、本人が本氣になると、出会うようです。案外やるべきことは、目の前にあるのかもしれません。柴田宋休第1詩画集 『あるがままに』よりきゅうり夏の暑い盛りものをよく観るために スケッチをした畑から五・六本のきゅうりをとってきてその中の一本を描こうと思ったら二本がのこってしまった一本は素直で まっすぐに育ったきゅうりもう一本は曲りくねっているがとても個性のあるきゅうりどちらにも生命が あふれていたので一緒にスケッチしたら私の心まで安心していた
2008年08月10日
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北京オリンピック2008が始まりました。昨夜は眠い目を擦りながら開会式をご覧になった方も多かったのではないでしょうか。204か国の地域から約1万6千人の選手と役員が参加する世界最大のスポーツの祭典は、たくさんの感動と興奮を見せてくれると思います。 スポーツの世界でもトップ選手となると、他の選手との戦い以上に自分との戦いが上手なのかも知れませんね。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.8.9 vol.141 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ 天が 与えてくれることは すべてが 無駄なし すべて善し 前向き宋休 ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■第4作の講演CD、新発売です!! (第1作~第4作、好評発売中) 遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 ■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。■詩画作品の代金支払いは、ATM利用の「ゆうちょ振替」がお得です。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■人間性と体力 (2007年6月) 仕事をするにあたって、自分一人だけでは成立しないのではないでしょうか。たとえ一人でやっている仕事であっても、何らかの形で相手に人がいると思われます。 技術的に、あるいはその仕事に対して能力があっても、更に人間関係がすんなり出来てはじめて、上手く行くのではないでしょうか。人間関係がぎこちないと、仕事内容も正しく評価されません。必ずといっていいほど、やがて両者の間にトラブルが出てくると思われます。つまり最終的には人間性が問題になってくるようです。 仕事をしていくにあたって人間性だけでなく、もうひとつ重要なことに、その人に体力があるかないかによって、その先が大きく違ってくることです。 いくら頭脳的に能力が高くても、人間関係が上手く出来ない人には、次の仕事のチャンスが与えられてきません。同時にパワフルなエネルギーという体力がないと、それを続行することが出来ません。予想外の困難に対処することが出来ないようです。 体力が落ちてくると、自分のことだけで精いっぱいになり、全体を見ることも出来なくなり、判断力も鈍くなってきます。更に集中力も氣力もなくなってきますので能率も悪くなり、周りと上手く歯車が合わなくなるようです。 かつての私は体力をそれほど重要とは考えていませんでした。しかし四十を過ぎてから、その重要性に氣付かされることが多くなってきたようです。その人の体力によって、明るい方向に向かうか、それとも暗い方向に向かうかが分かれてくる事実を、たくさん目にしてきました。 仕事も大切かもしれません。しかしそれ以上に人間性と体力が物を言い、その人の幸せ度を決めるのかもしれません。何事にも感謝できる人間に、なれればいいです。 周りとの 人間関係が うまくいって初めて 何事も 長続き するのかも しれない 最終的には その人の 人間性と体力が 問われるのかも しれません────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年08月09日
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自分中心に生きていた頃、悩みが絶えませんでした。一つの問題がやっと解決すると、すぐに次の問題が生まれてきました。そしてある年齢になってから、生きている間は次から次へと問題が生まれてくることを知りました。生きているうちは、問題から逃げられないことが分かったのです。 それならいっそ逃げることをやめ、正面から見つめてみようと、生き方が少しずつ変わってきました。そしてほとんどの原因が、自分にあることにやっと氣付いたのです。 それまでは他人を変えようとか、相手や場所が変われば問題が解決するだろうと勝手に思っていたのですが、周りや他人でなく、自分が問題だから、次々に問題が起きてくることに氣付いたのです。 相手を変えるのではなく、自分の考え方を変えると、同じ出来事が起きても解釈が全く違ってきました。出来事によって右往左往することがなくなり、冷静に出来事の意味を受け入れるように変化してきました。 それまではたまたま偶然に起きていると考えていましたが、自分に起こることは、必要があって起きていることに氣付いてきました。だから逃げる必要もなくなりました。だからといって全て正面から向き合うのではなく、物事によっては懸命にならず、時間の過ぎるのを待つことも覚えました。 最近の私は、何が起きてもいいと思うようになってきました。その最たるものは自分の死です。ちょうど良い時に向こうに帰れるのですから、それを何とかしようと考えなくなりました。ちょうど良い時に死ぬことが分かったからです。 生き方が変わると、目に映る風景も変わってきます。不安に生きていた頃は、それに応じて不安の材料が目に飛び込んできました。しかし物事をあるがままに受け入れるようになってから、余計な心配をすることもなくなってきたのです。 これは良いけど、あれは嫌だという、自分の都合をとり払って見ると、とても自由になれるようです。そして他人に、自分の考え方を押し付けることもしなくなりました。柴田宋休第1詩画集 『あるがままに』より転機あるとき 形や色や文様という目に見える世界を中心に生きている自分に気付きものが作れなくなってしまった精神が大切といいながら 実際には評価されやすい外側ばかりに生きていた私だったそして一年余り何も作ることができなかったあるとき ふとものづくりの原点から出発してみようと子供や素人のやるような効率の悪い 手びねりをはじめ暗中模索からの再出発だった今ふり返ってみると壁に突き当たったからこそ新しい世界に出会うことができたのだ苦しい行き詰まりがあったから無理のない生き方に出会えたのだ
2008年08月09日
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登山に危険は付き物です。特に高い山や冬山は、ちょっとした氣のゆるみから事故につながるのは昨今のニュースが伝えています。昨日、宇都宮に行ったついでに、足を延ばし、古賀志山の岩場で練習してきました。 多くの山で危険な場所には、ボランティアによって梯子が掛けられていたり、鎖やロープで登り易くしてあることが多いです。初心者は鎖があると、それはある程度安全だろうと100%近い信頼を得て、ほとんどの人たちが鎖に頼るのではないでしょうか。鎖を使った方が登り降りがし易いからです。 しかし現実には風雨にさらされていますので、鎖だからと、いつまでも安全とは限りません。そこで今回の練習では、鎖を使わずに登り降りが可能かどうか試してみたのです。実際に鎖を頼らずに、登り降りしてみました。 最初は急な斜面を見ただけで、恐怖心が起きてきたのですが、数を重ねるうちに冷静に足や手をどこに置いたらいいか、しっかりと観察している私になってきたようです。恐怖心を中心にするか、それとも落ちないためにはどこに注意すればいいか、少しずつその中心が身についてきたのかもしれません。 恐怖心が中心になれば、肝心な手足が疎かになり、それが事故につながるのではないでしょうか。このようなことは理屈で覚えても何の役にも立ちません。体で覚えるのが一番のようです。体得に勝るものはないのかもしれません。 急に変わることは出来なくても、少しずつ変わることは可能です。例えば現在20点の人が急に80点になろうとしても、それは無理かもしれません。しかし、20点が21点になることは出来ます。その繰り返しがやがて50点、更に80点になるのではないでしょうか。 他人と比べていたら切りがありません。それよりも、過去の自分より少しでも向上していけばいいのではないでしょうか。日々の一歩が、結果的に大きく人間を変えていくようです。少しずつなら、誰にでも可能性があるのです。 毎日の生活の中で、どんなことでもいいから、一日にひとつだけでもいいから、新しいことにチャレンジしてみるといいようです。新しい試みには発見があります。暑いからこそ暑さを避けるのではなく、思い切って汗を流した方が、健康のためには良いのではないでしょうか。
2008年08月08日
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昨夜は私の応援者が企画して、居酒屋で30名弱による短時間の講演会でした。その後食事、飲み会でした。初めての体験で、また新しい出会いがありました。たまたま出会っているようですが、縁のある人たちが集まっているのではないでしょうか。 そしてホテル宿泊の今朝、面白い夢で目が覚めました。何人かの女性が、空の高いところから飛び降り、飛んでいる(スカイダイビング)のです。私は初心者で、高いところから飛び降りる勇気がなく、自分の出来る範囲の高さ10メートル位から飛び降り、スゥーイ、スゥーイと空中を氣持ちよく遊泳するシーンでした。 何でもそうかもしれませんが、最初から高度なことをやろうとしても、難しいのかもしれません。しかし、自分の出来る範囲で試みることは出来るのではないでしょうか。最初は初心者であっても、続けることによって、技術や心構えも少しずつ変化し、上達してくるのではないでしょうか。 昨夜の短時間の講演の中でも、才能とは続けることと話しました。たとえ最初は素人でも、続ける人は道が開かれてきます。途中でやめれば只の人、やめずに続けることの出来る人の才能が花開くのかもしれません。見えないところでの工夫や努力は当たり前です。 私には空を飛ぶことなど出来ないと、最初から諦めてしまえば、その先何もありません。しかしちょっと考え方を変え、自分に出来ることから試みることが第一歩なのではないでしょうか。次第に高いところから飛び降りる練習をすることによって、やがてそれは自信につながるのかもしれません。 小さなチャレンジが、やがて大きな変化になってくるようです。小さな一歩がその人の未来を変えていくようです。自分に話が来るということは、何らかの可能性があるから来るのではないでしょうか。現在の自分に出来ることを、探してみてはどうでしょうか。何かは出来ることがあるものです。 現在の私は、2時間でも人前で話すことが平氣になりました。以前の私には想像が出来ないことです。最初は人前で5分話すのも大変でした。でも縁に従い続けているうちに、最近では話すことが楽しみになってきたのですから、人間どのように変化するか分かりません。昨年より山登りを初めて、更に大きく変化してきたようです。
2008年08月07日
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先日、女峰山に友人と登ったときのことです。天気予報では曇り時々晴れ、でも実際にその日その場に行ってみないと、本当のことは分かりません。 歩き始めて直ぐに、山の下の方からガスがどんどん吹き上げてきました。霧降高原という位ですから、まさしく名前の通りでした。昨年来たときはずっと霧の中を歩き、やっとの思いで頂上に着いたのですが、ほとんど霧ばかりで何も見えませんでした。 心配症の友人は前回の経験が強く印象づけられているせいか、今回もだんだん霧が深くなってくるのではないかと、早速心配でした。でも今回は頂上が近くになるに従って、私たちは雲の上の世界でした。晴れ渡ってどこまでも見える景色ではありませんでしたが、少し時間を待っていると、時々遠くの山並みを見ることが出来ました。 頂上に着く頃、今度は雷が来るかもしれないと、再び心配する友人でしたが、雷に会うこともなく、今回は明るいうち(夕方7時前)に下山することが出来ました。雷が鳴ればなったで、素早く判断することによって、計画変更は私にとっては当たり前です。 絶対にこうするんだという、拘り(こだわり)さえなければ、その都度、状況に応じて変更することが出来ます。体力も季節によって全然違います。夏は高度が低いところでは汗が半端ではありません。でも登るに従って気温が下がってきますので、汗の出方が違ってきます。 私たちは雲の下にいるとき、その雲は上空どこまでも続いているように錯覚します。今回も頂上から下を見ると雲一面、そして私たちは雲の上だということを実感することが出来ました。住んでいる世界によって、見える世界はこんなにも違ってくるのです。 目先のことでバタバタしない人は、その先まで見通しているから、慌てないのかもしれません。天気に代表されるように、現象世界は日々変化しています。だからこそ、変化に応じた生き方をすればいいのではないでしょうか。
2008年08月06日
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環境の変化に応じて、適応出来たものが生き続けることが出来ます。環境が変化しているにもかかわらず、同じ生き方をしていては、やがて滅びるのは植物だけの話ではありません。 山頂近くの岩の小さな割れ目から、小さな花が咲いていました。人間が観賞用として人工的に育てた花とは、同じ花であっても全然違います。人工のものは大きく立派ですが、高山の小さな花たちはうっかりすると見過ごしてしまうほど、小さく可憐です。 たまたま縁があって、岩の小さなすき間に落ちた種が育ったのかもしれません。大きく育とうとしても、土も少なく風当たりも強いため、精一杯小さな花をつけているのかもしれません。私の生き方と重なって見えました。 人間の場合も企業の場合も、この変化の激しい時代に、過去の生き方を続けようと思っても、困難な時代になりました。時代を察知して変化していけば、新しく生きる可能性は広がります。過去に拘らなければの話です。 生きる力とは、適応性があるかないかによって分かれてくるのかもしれません。不満を言っているだけではどんどん状況も悪化していくのではないでしょうか。どこに問題があるか検討し、速やかに行動していけば、文句を言っている暇などありません。 普段から工夫の生活をしている人は、物事を出来ないと決めつけません。あの部品があったなら出来るのだが、などと考えません。そのような時は人に頼らず、自分で他の物を利用して作ることも出来ます。あるいは発想を大きく転換することによって、全く新しいものが生まれてくる可能性もあります。何が縁になるか分かりません。 生きていると、問題が次々に起こってきます。たぶん死ぬ時まであるのではないでしょうか。問題が起こるから生きるのは大変と決めつけなければ、出来事を楽しむことも可能です。すべての出来事を、発想転換の好機と捉えてはどうでしょうか。答は一つではありません。それぞれが自分に合った答を探せばいいのではないでしょうか。 もがいた後は、冷静にならざるを得ません。苦しさを体験すれば、どのようにしたらスンナリ物事が運ばれるか、自分で答を探すようになります。すべてのことに無駄はありません。自分にとって必要だからが起きているともいえます。 ひとつ山を越えれば、それは自信につながっていきます。ふたつ越えれば、更に経験が増え、次第に対処の仕方も覚えていくようです。3つ越えれば、知らずのうちに体力もついてくるようです。柴田宋休第1詩画集 『あるがままに』よりみつめる最初のうちは逃げる場所がたくさんあったので自分に問題があるとは思わなかった逃げているうちは感謝がおこらず不満ばかりでただただ苦しかった次第に逃げる場所が少なくなりやむをえず 動き出すことをやめ自分の姿を謙虚にみつめるようになってから状況は苦から楽へと少しずつ変化し他に原因があると思っていたことが実は自分の問題であったことに気付かされる如来様は機会をみつけては私に気付くようにと何度も何度も目の前に苦しみというチャンスを与えやるべきことを示してくれた逃げからは 何もはじまらないようだ
2008年08月05日
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デジタルカメラの時代になって、お金をかけずに手軽にたくさんの写真を撮ることが出来るようになりました。以前だったら撮影後フィルムを現像し、プリントしましたので、お金もずいぶんかかりました。しかしデジタルになってからは、ほとんどはプリントせず、パソコンで見るようになりました。時代が大きく変化しているようです。 同じ場所に行って撮影するにしても、その人その人によって風景のどこを切り取るかが違ってきます。その人の良いと思う部分をそれぞれ切り取っているようです。 何に関心があるかによって、撮る内容も大きく違ってきます。構図の決め方もずいぶん違うようです。その人の生き方や感性、そして関心が端的に出てくるのかもしれません。 人前で話すときも同じことがいえるようです。長い時間話した割には、要所を押さえてない話し方をする人もいます。当然聞いている人は、早く話が終わることを望みます。反対に要所を心得た人の話は、たとえ短い時間であっても、聞いた人の心に残る内容があるのではないでしょうか。 ある出来事を長々と説明しても、聞く人にとっては疲れるだけなのかもしれません。一方その出来事の中で何かを感じ、ピントが合った話であれば、多くの時間をかけなくてもいいのかもしれません。 何を話したらいいか分からない人は、写真撮影でいえば、ピンぼけの状態です。これだという焦点が定まっていないから、いくら数多く撮影しても、相手の心に響くことはないのかもしれません。 私たち誰もが、日々の生活の中で取捨選択しているのかもしれません。それぞれに時間的制約や諸々の条件が違っていますので、関心があること全てをやることは出来ません。そこで、その人その人にとって重要と思われることに、それぞれ時間を使っているのではないでしょうか。 一生のうちに、あれもこれもは出来ませんので、本当に大切と思われることに時間を使った方が、悔いの残らない人生になるのではないでしょうか。 昨日は朝6時に家を出発し、8時前から日光の霧降高原から女峰山(2483m)へ向かいました。最初はずっと上り坂で相当の汗をかきました。頂上近くは雲の上で高度も高いため爽快でした。真夏に11時間近く歩き続けたことは疲れましたが、とても良い経験になりました。
2008年08月04日
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今年は梅がいっぱい採れたので、はじめて梅干し作りをして、昨日、何とか仕上がりました。ちょっと硬い梅干しになりましたが、料理苦手の私としては上出来かもしれません。インターネットで作り方を調べ、やってみたのです。田舎に住んでいても、便利な時代になりました。駄目元で始めたのですが、それなりに出来たようです。 今年は、庭先に梅の実がいっぱい落ちていました。枝先をよく見るとたくさんの実がなっていたので、もったいないと思い、作ってみたのです。梅干し代もバカにならないと、チャレンジする氣になったのです。更に梅ジャムも作ってみました。梅ジャムは1回目は少し焦がしてしまいましたので、再度挑戦し、2回目には程良く仕上がり冷凍保存しています。 1回でも実際に自分で作ってみると、今までに関心がなかったことでも、次に見るときはずいぶん違う目で見るようです。どのようにしたらこのようになるかと、疑問も生まれてくるようです。砂糖や塩をたくさん使っていることには驚きました。そして数を重ねていけば、少しずつ上達していくのかもしれません。 どんなことでも初めてのチャレンジは、脳にとってとてもいい刺激になるようです。もしかすると自分では知らなかった才能が動き出すかもしれません。 天気予報では今日は暑いですので、これから日光の女峰山(2483m)に登ってきます。暑い夏だからこそ、汗を出した方がいいのではないでしょうか。
2008年08月03日
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「遅咲き宋休記」のブログに、先日、宋休さんが「どん底生活」というタイトルのエッセイを書かれていました。一読して正にその通りだなぁと感心した次第ですが、さて皆さんはご覧になりましたか? 途中の宙ぶらりん状態でジタバタあがくと、不安が高まって疲れ果ててしまうようです。それよりも、腹を決めてどん底まで到達してみると、意外に新しい自分に生まれ変わるチャンスが転がっているのかも知れません。 日頃お世話になっている弁護士の先生から昨夜届いた葉書にも「どん底に到達した時に初めて、人は自分がそれまでしがみついていたものを放り出すことができる」と書かれていました。夢中でしがみついていたものを放り出して身軽になったとき、人は生まれ変わって水面の世界に上昇できるような気がします。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.8.3 vol.140 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ 天が 与えてくれることは すべてが 無駄なし すべて善し 前向き宋休 ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■第4作の講演CD、新発売です!! (第1作~第4作、好評発売中) 遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 ■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。■詩画作品の代金支払いは、ATM利用の「ゆうちょ振替」がお得です。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■雲の上は (2007年6月) 一昨日、関東地方は梅雨入りして雨でした。そして昨日は天気予報が外れ、久し振りに雲がとても綺麗な心地よい青空でした。当たり前のことかもしれませんが、雲の上は青い空だということを改めて氣付かされました。 昨日、午後から2時間ほどの講演があり、その後、何とか時間が間に合いそうでしたので、ある程度の準備を整え茨城県奥久慈の男体山(654m)に登ることができ、無事下山することができました。 往復約2時間30分かかり、下山して登山口に戻ったときは、暗くなる寸前でした。もちろん暗くなるのは予定していましたので、懐中電灯の用意はしてありました。何とか一日守られていたことに感謝でした。 いつまでも曇り空は続きません。いつまでも雨が降り続くこともありません。いつまでも晴れの日が続くとも限りません。そのときの天気に応じて、無理をせず行動すればいいようです。焦るばかりでなく、やっと待つことを覚えてきました。 今日はこれから日光の男体山(2486m)に登る予定です。 何とか なりました 雲の上は 青い空でした ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/diary/200706160000/────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年08月03日
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考え方によっては、現在のこの不景気の時期は、とても良いのかもしれません。かつてのように物がどんどん売れた時代は、それに合わせて毎日が仕事の連続でした。自分の体を氣にしたり、遊んだりしている時間がもったいないと、無視してまで全力で走り続けていたのかもしれません。 最近になってやっと健康の大切さに氣付き、それならいっそのこと、これから忙しくなるであろうことを予想して、そのための準備として体力をつけようと発想を変えました。すると不思議にも暗い不安な時代でも、前向きに明るくなってきたのですから、何が縁になるか分かりません。体力があれば、チャンスが来たとき、応えることが出来ます。 焼き物が売れないにもかかわらず、何とか売れるものを作ろうと、家に籠って制作を続けていたら、たぶん私のことですから鬱になっていたかもしれません。エネルギーのしぼんでいる人が、活氣のある作品を作ることは期待出来ないと思います。 その点、現在の私はときどき山に出かけ、自然界からたくさんのエネルギーをいただき、更にそこからたくさんの氣付きをいただいています。有難いことです。 山に登るためにも、普段からある一定時間のウォーキングを試みています。その時間があることに感謝です。おかげでこの暑い夏でも、体調は良好です。元氣でやっていると、思いがけないところから本の注文があったり、講演の依頼があったりと、確実に希望に向かって変化しているようです。 現実を否定するのではなく、今しか出来ないことをやることによって、毎日を好奇心を持って生きることが出来ます。過去に戻ることは出来ないのですから、これを機会に、新しい生き方にすればいいのではないでしょうか。 暑いからと、じっと家に籠っているのではなく、無理をしない程度に、逆に汗を思いっ切りかくことによって、スッキリしてきます。私の家には水風呂もありますので、汗を出したら水風呂です。夏にしか味わえない爽快感です。 夏には夏を楽しみ、冬には冬を楽しむようになったら、次第に嫌なことがなくなってきました。生活の中に遊びを入れると、心に余裕が生まれてくるようです。いつも同じではなく、生活に変化をもたせると、活氣が出てきます。柴田宋休第1詩画集 『あるがままに』より空っぽまず持っているものを全部はき出すことすると自然に新しいものが入ってくるようです出し入れの換気が自然にできる人はいつも心配がなく新しい出会いに好奇心でいっぱいです
2008年08月02日
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以前に録音したいくつかの講演内容を、パソコンで編集し、CD化しようとして氣付いたことがあります。聞き手によって話す内容が違ってくるということです。極端な話かもしれませんが、もし聞き手がマネキン人形のようであったなら、話し手はとても話しづらいです。反対に、真剣に聞いてくれる人たちが相手のとき、思いがけないほど話がはずみます。 今日のブログに何を書こうかと、うつらうつら寝ていましたら、ある場面が出てきました。私が話しているにもかかわらず、その青年は自分が話すばかりで、私の話は全く聞いていないのです。余りにもひどいので、彼に注意しました。あなたは自分の話は99%でも、人の話は1%も聞いていないと喝を入れました。 営業の仕事では何を売りたいかではなく、お客様が何を望んでいるかを知ることが大切なことを、夢の中で話していたようです。人の話をよく聴ける人は、人に説明する場合も、相手が理解出来るように話すことが出来るのではないでしょうか。 反対に、人に説明することが苦手な人は、人の話を聞くことも下手なのではないでしょうか。相手の立場を理解する努力を普段からしていなければ、説明の仕方にも工夫がないのではないでしょうか。分かり易く言えば、自分勝手な人は人の話も聞きませんので、説明も下手なのかもしれません。 人前で話す機会が多くなるに従って、聞く姿勢の大切さを実感するようになりました。聞き方によって、話す内容も変わるということです。私たちは知らずのうちに、相手に応じて会話しているのかもしれません。 出会えて良かったというとき、会話は一方的でなく、キャッチボールのように変化を楽しんだ時間なのではないでしょうか。一方的な会話はつまりません。聞く耳をもっている人との会話は、お互いに楽しいのではないでしょうか。
2008年08月01日
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