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こんなに頑張っているのに、何で分かってもらえないのだろうと、不満に思う人がいます。それは自分中心に物事を考えているからではないでしょうか。世界の中心が自分なのです。 本人は一生懸命やっているつもりであっても、周りの人からみたら、余計なことだったりすることがあります。知らないのは本人だけで、周りの多くの人たちはただ言わないだけなのかもしれません。 私がしてやったと、恩着せがましく言う人がいます。いつも自分が私がと、主張する人です。これを小我的生き方と言います。実際にやったことがいくら良くても、私がやったと主張することによって、後味の悪いものに変化してきます。自分から主張しなくても、誰がやったかは、周りの人が知っているのではないでしょうか。 かつての私がそうでしたが、自分の都合を中心に物事を考え生活していると、次から次へと問題が生まれてきます。不自然な生き方だからでした。そして自分の都合を考えず生きるようになったら、たとえいろんな出来事が起きても、不思議に悩まなくなってきました。 表現はいろいろあると思うのですが、宇宙であったり、神様や仏様であったり、見えない大きな働きであったりと様々です。するとだんだん、自分が私がという考えがなくなってきたのかもしれません。 お陰さまで、恥をさらすことも平氣になってきました。背伸びした生き方でなく、分相応な生き方になってきました。自分中心に物事を考えませんので、何としてでもやろうとは思いませんので、焦らなくなってきました。相手のことも多少考えるようになってきました。 自分をなくしたら、何もなくなってしまうという人がいますが、心配いりません。一度、自分が自分がということをやめて、生きてみてはどうでしょうか。実際にやってみた人にしか分からないのかもしれません。我の強い人ほど苦しみも深いのかもしれません。かつての私がそうでした。 いつまでも握りしめているのではなく、しがみつく生き方をやめれば、とても自由になるのではないでしょうか。くるしさやつらさに比例して生きるよろこびや感謝が与えられてくるのかもしれない表面だけでの判断を思い込みといいます※今日はこれから、富士山と八ヶ岳に出かけます。夜中から歩き始める予定です。
2008年06月30日
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当てにならないものを期待しているとき、いつ何があるが分かりません。急斜面の岩場を登り降りするとき、もし鎖やロープがあったなら、あまり慣れていない人は全面的に鎖やロープを当てにして登り降りするようです。実際には、しっかり握っている鎖やロープがいつ切れるか分からないのですが、切れないことを想定しての行動のようです。 今回短い距離ですが、実際に急な岩の斜面を体験してみて分かったことがあります。まず足の位置です。どんなに小さくてもいいから、つま先が安定してひっかかるところに足を位置すると、体がとても安定することが分かりました。足がかりがしっかりしていれば、必要以上に腕にも力がかかりません。 両手で鎖やロープを握りしめるのではなく、足元がしっかりしているとき、片方の手は鎖やロープ、そして反対の手は岩の持ちやすいところに手をひっかけることにより、体がぐらつかないようです。もし鎖が切れてしまっても、そのまま落下することを防御できる姿勢です。 現場の状況をよく観察すれば、どこに足や手をやれば一番安全かが分かります。大丈夫だろうとの安易な判断でなく、冷静な判断は、もしものとき、生死を分けるのかもしれません。 足がかりや手がかりがしっかりしていれば、慌てることもありません。無理が事故につながるのかもしれません。確実に物事を進めていくことも、同じなのかもしれません。 焦らないこと。物事をよく観察すること。他を当てにし過ぎないこと。無理をしないことなど、普段の生活の中でも重要なことが今回の山行から知ることが出来ました。自分の体が安定していれば、必要以上に体力を消耗することもないようです。もちろんそれ以前に、心の安定は直接の結果に結びつくのではないでしょうか。 安全な道ばかりを歩いていると、このようなことを考えることは必要がないかもしれません。しかし人生はいつ何があるが分かりません。そのような意味でも、非日常かもしれませんが、危険なところは緊張もしますが、特に貴重な体験となるようです。柴田宋休第1詩画集 電子ブック『あるがままに』より最後まで思ってもいなかった予想外のことに出会ったとき混乱や苦しさだけをみていると逃げたくなるしかしその体験が新しい発見や出会いであるとわかれば逃げる必要はない苦しさを恐れて一歩手前で逃げてしまうと不安や後悔が残るどうしようもなくなってぎりぎりになると私でない力が働く途中であきらめずじっくり最後まで体験してみると大丈夫ということがわかる
2008年06月29日
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過去を思い出し、なかなか現在のことに身が入らないとき、どのようにしたらよいのでしょうか。過去や未来の心配をしているとき、頭はフル回転で動いているのですが、体は動いていないことが多いのではないでしょうか。 私たちの体は、心身共にバランスがとれているとき、体の調子も良いようです。しかし心に偏ったり、体にばかり偏ったりしているとき、信号として体にトラブルが出てくるのではないでしょうか。 ちょっとした体からの信号を無視すれば、やがて大事に至ることも予想されます。思いがけない病気や突然死です。早めに氣付けば、生活習慣や物事に対する考え方を変えることも可能です。 多くの人たちは、あれもこれもと同時に行うことは出来ません。まず、現在の自分に出来ることを探し、行動することかもしれません。悩んでいる時間を、行動する時間に変えていくことが第一歩ではないでしょうか。 すぐに問題を解決しようと焦らないことです。物事によっては時間が必要なときもあるからです。時間を忘れるような、好きなことから始めるのもひとつの方法です。過去にこだわっている自分はそのままにして、違うことを始めてみることです。 長く生きてくると分かりますが、そのときの自分にとってとても大きな問題だったことも、過ぎてみればひとつの貴重な体験だったのではないでしょうか。過ぎてみれば何とかなるように出来ているのです。越えられない課題は与えられてきません。その人にとって必要があるから、体験させられているともいえます。 それよりもその体験を通して、私たちは自分が変化していくのではないでしょうか。経験を積むことによって少しのことでは驚かなくなっていく自分がいます。現在は辛いかもしれませんが、貴重な体験をしていると思ってはどうでしょうか。 自分を変える氣になれば、変わることが出来ます。急に変われなくても、少しずつなら可能です。まずは行動かもしれません。歩みは遅くても、行動すれば、確実に変化してきます。ゆとり向きを変えたらちがう世界が見えてきた時機到来出会いによって人間は変われる
2008年06月28日
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「金持ち父さんの投資ガイド入門編」という本の中に「人生は厳格な教師だ。まずあなたを罰し、そのあとで何かを教えてくれる。」という文章がありますが、好むと好まざるとに関わらず、これが本当の学習の過程ではないでしょうか。 失敗したこと、苦しいこと、辛いこと、悲しいことなどの辛酸を通して、人生は常に私たちに何かを教えてくれようとしています。大事なことは、私たちに学ぶ準備ができていてその何かに気づくことです。そうすれば、人間として成長して、より味わい深い人生を過ごすことができます。 辛酸のない人は可哀そうです。本当の学びのない薄っぺらな人生を送るしかないのですから。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.6.28 vol.135 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ こころを 込めた ものには まごころという エネルギーが 入っている ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 「遅咲き宋休の講演CD」、第1作~第3作まで好評販売中です。■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。■詩画作品の代金支払いは、ATM利用の郵便振替がお得です。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】 ●平成20年7月12日(土)午後1時30分~3時 「鳥取市福部町中央公民館」 会合名: 平成19年度人権・同和問題鳥取市福部町研究集会 お問い合わせ TEL 0857-75-2812 鳥取市福部町総合支所市民生活課 ●平成20年7月25日(金) 午後1時~3時 \2000円(飲み物付き) 「緑陰雪村庵」 〒319-2131 常陸太田市下村田片根204-2 お問い合わせ TEL0295-52-6800■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ --------------------------------------------------------------------■有難うございます。 ひよりこ2005さん 私の友達が、自分の命と思って、必死になって育てていたのを横目で見てましたので、本当にショックだろうと思います。宋休さんが言われてるように、それをバネに大きく成長して欲しいと念じます。 (2008.06.25) ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■もう一度(2007年6月) 茨城県筑西市で、絵手紙を勉強している人たちを前に講演をしてきました。最初は小さな部屋を予定していたのですが、人数が多くなり、市立図書館の視聴覚室をお借りすることができました。 できるなら画像を紹介しながら話ができればと、図書館に機器を申し込んだのですが、現在プロジェクター(映写機)が故障して使えないとのことでした。 講演を始める前に、視聴覚室で音も画像も使えないことはないのではと疑問に感じ、再度、今度は私が図書館の係員に直接聞いてみました。するともう一台の違うプロジェクターがあるとのことで、それを貸してくれました。 実際にプロジェクターをパソコンに接続したのですが、一向に画像が出ないのです。その機器は故障していたようです。しかし真剣に私がやっている姿を見てか、係員の方は故障しているという視聴覚室の備え付けの機器を、もう一度確認してくれました。 すると故障していたはずのプロジェクターが使えたのです。急遽でしたので、はっきりした画像までは映すことはできませんでしたが、とりあえずスライドを使用することができたのです。係員同士の連絡ミスだったのでしょうか。 ものごとはこちら側の姿勢によって、相手の対応の仕方も変わってくるのかもしれません。一回駄目だと言われたから、それで直ぐにあきらめるのでなく、再度確認してみるのもいいかもしれません。駄目で元々なのですから、聞いてみて損はないと思います。 駄目でもともと 人が駄目なら あきらめず 再度みずから やってみる こちらの 姿勢によって 相手の出方も ちがってくる────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年06月28日
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10数年使っていた洗濯機が壊れてしまい、やむを得ず、新しい洗濯機を求めに電機屋さんに行きました。急な支出なので一番安いものを購入しようと思ったのですが、最近のものは乾燥機が付いているものが主流になってきているようでした。 最初は買うつもりがなかったのですが、昨年のモデルで比較的価格の安い乾燥機付きのものを購入してきました。いつもそうなのですが、以前と同じものを購入するのではなく、時代が変化しているのですから、新しいタイプの物を購入して良かったようです。 いつまでも過去にこだわるのではなく、古くなって使えなくなったのも、とてもいい機会なのではないでしょうか。もったいない精神も大切ですが、10年過ぎると交換する部品もなく、たとえその部分が直ったとしても、そのうち違う箇所が壊れてくると、店員さんが教えてくれました。 大切に物を使うに越したことはありませんが、壊れたときは新しい物と交換するいい機会なのかもしれません。以前のように進歩の遅い時代でしたら、それほど商品の急激な進化はありませんでしたが、最近は驚くほど価格も安く品質も良くなってきているようです。 登山靴も1年経過して、雪山で多少の水が滲みてくるようになりました。そこでまた同じように初心者の物を購入するのではなく、今回は自分の足形に合った靴を注文し、約50日後に仕上がってきました。 数ヶ所の店で皮の登山靴を履いてみたのですが、どれも私の足には無理があるため、親切な店員さんに教えてもらい、やむを得ず「ゴロー」にて誂えの靴をお願いしたのです。 経験を積むことによって、どのようなところに問題があるのかも分かってくるのかもしれません。初めてのときはいいかもしれませんが、安物買いは進歩がありません。今回もそうですが、人の話は聞いてみるものです。知識豊富な店員さんに感謝です。新生過去にもどることはできなくてもあたらしくやりなおすことはできる突破口思いがけない苦手なことの中に新しい道が用意されていた得意なことの中に未来があるように思っていたがどうも そればかりではないようだ癖字で字を書くのがとても嫌だったでもそのことを通して氣付いたことを文章にして思い切って人前に発表したらそれがきっかけで短な文が生まれてくるようになった苦手なことの中にこそ大切な何かが隠されていることがわかってきた意外なことの中に突破口があるようだ※本の注文は、ホームページ「柴田宋休インターネットギャラリー」でお受けしております。
2008年06月27日
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40歳代は、まだ体力的に元氣ですが、50歳を過ぎた頃から多くの人たちは、体調の不良を我慢しながら仕事を続けていることが多いのではないでしょうか。 50歳を過ぎてからは、親類や知人等の死に接する機会も増え、それまで他人事と考えてきた自分の老後についても、少しずつ考えるようになります。親の死別に合う人も多いでしょう。知人が急にガンになり、あっという間に他界された経験も多いと思います。交通事故も他人事でなく、ずっと身近なものになってきました。 生きていれば当然のことですが、すべての人が高齢者になります。病気をしたくないと言っても、現実には体の部品が古くなってきますので、何もしなければ故障する機会も増えてきます。 心身ともに普段からメンテナンスを考えている人は、そのための準備や実践をしているのではないでしょうか。現在が大丈夫だから後も大丈夫だろうと思うのは、目先だけの判断のような氣がします。良くても悪くても、すべてはどんどん変化しています。 パソコンの善し悪しはあるかと思いますが、もし私がパソコンをやっていなかったら、ブログを書くこともなかったでしょう。使い慣れるまでは大変でしたが、現在は道具のひとつとして便利に使っています。写真の整理も楽になりました。好き嫌いにかかわらず、どんどんデジタル化が進んでいる現実があります。 このひと月くらい、キーボード操作の遅い私は、知人が教えてくれた「音声入力ソフト」を使っています。パソコンで読みとれない部分だけを後で訂正しますので、パソコンに入力する時間がずっと短くなりました。 積極的に生きていれば、情報を素早くキャッチ出来る時代です。その中で何を実践するかによって、その人の未来も違ってくるのではないでしょうか。パソコンも最初はやりたくないと思っていましたが、やってよかったです。運動苦手な私がウォーキングを始め、それが山登りへと展開してきました。お陰でフットワークが軽くなってきました。食事も酵素玄米を始めましたら、便通がとてもいいです。 人の話を聞いて実際にやる人は、確実に変化してきます。知っているだけで行動に移さない人は、何も変わることもなく、どんどん歳をとって、体も動かなくなっていくだけのようです。実行力があるかないかが、明暗の分かれ目なのかもしれません。 医療の発達と共に、これから益々高齢者の入院患者は増えてくるのではないでしょうか。そのうち病院に入りたくても、お金がないと入れない時代がくるかもしれません。人に頼るのではなく、自分の健康は、自分で創っていくものではないでしょうか。柴田宋休第2詩画集 『であえて よかった』よりとことん自分に力があって余裕のあるうちはなかなか真実に出会えないようだ逃げ場がなくなり追い詰められてどうしようもなくなってからはじめて自分との出会いがはじまり最後の最後になってほんものに出会うようだ最後は苦しいがそれが吹っ切れた時新しく生まれ変わることができる
2008年06月26日
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ひとつの結果だけを望んで暮らしていた頃、期待外れの結果が出てきたとき、大きなショックを感じました。 最近では、目的に向かって努力はしますが、出てきた結果に対して一喜一憂しなくなってきました。一方的に大きな期待をしなくなったのかもしれません。常に出てきた結果に対して、次の新たな方法をとるようになってきました。 済んでしまった過去に、いつまでも執着しなくなってきたのかもしれません。未来に対しても、過度な期待や心配をしなくなってきました。それは、現在を大切に生きるようになってきたからです。 過去も未来も、どうでもいい訳ではありません。過去や未来に執着していると、現在が疎か(おろそか)になってくることが分かってきたからです。だからといって未来のことは考えず、ただ毎日を何となく暮らしている訳ではありません。 未来に対する願望は、人一倍強いと思っています。理想の実現に向けて、毎日を精一杯生きています。絶対にこうするんだというカタイ意志ではなく、状況を察知しながら、修正や調整を試みながら柔軟に生きるよう心がけています。 自分のことも人のことも、決め付けない生き方になってきたようです。現在だけを見て、未来もそうなるだろうと、自分のちっぽけな頭で判断しなくなってきました。大きな流れに、任せるようになってきたのかもしれません。 人間は出会いによって大きく変化することがあります。本人が氣付けば、人間は変わっていきます。自分に対しても人に対しても、未来を限定しない生き方は、可能性に満ちた生き方でもあります。人生を否定する生き方でなく、肯定する生き方を歩んでいるのかもしれません。 変化を恐れるのではなく、思いがけない変化を楽しんではどうでしょうか。変化はチャンスです。明日、何があるか分かりません。今日、やれることをやっていくだけです。無理をすると長くは続かないたとえどんなときでも謙虚に学ぶことができる人は成長できる
2008年06月25日
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比較して、自分の方が正しいと思っているとき、反省することはなく、聞く耳を持たないことが多いのではないでしょうか。問題が起きていること自体、どちらにも反省することがあるような氣がします。もしかすると自分にも誤りがあるかもしれないと考えることの出来る人は、他人(ひと)の話も聞くことが出来ます。 自分の正当性を主張するとき、聞く耳を持たないようです。謙虚さがなくなったときも、他人の話が聞けないようです。また、自分に余裕がないとき、自分のことで精一杯ですので、周りのことまで考えることも出来ません。それぞれに共通していることは、自分が中心のとき、人の話を聞くことが出来ないのではないでしょうか。 他人から間違いを指摘されても、なかなかそのことに氣付く人は少ないのではないでしょうか。本人がその間違いに氣付いていないのですから、他人の意見はお節介としかとることが出来ないのかもしれません。 何度も失敗し、やっと自分の過ちに氣付いたとき、本人は自分の意志によって変わろうとします。本氣で変えようとすると変わることが出来ますが、他人に言われた位ではなかなか氣付くことが出来ない場合が多いような氣がします。 私たちは本当のことに氣付くために生きているのかもしれません。過去に思い込みによる失敗もずいぶんしてきました。何とかして他人を変えようと思ったこともありました。やっと自分が変わることに氣付いてから、不思議と悩むことがなくなってきたようです。 原因を他に求めていたとき、自分は間違っていないのですから、自分を変えようなどとは思いません。しかし問題が起きていること自体、自分にも関係があるから起きているのです。そのことによって何かに氣付くためにあるのではないでしょう。 他人の欠点を指摘できる人は数多くいます。誰にでも出来ることです。しかし長所を見つけることの出来る人は少ないような氣がします。他人の欠点を見る習慣は、他人を変えようとする生き方なのかもしれません。対立から入るのではなく、先ずは相手を認めることかもしれません。認められて氣分の悪い人はいません。
2008年06月24日
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生きていると、時々思いがけない出来事に遭遇します。この先どうなるのか心配を始めると、ますます不安が増えてきます。早めに手を打つことも大切ですが、物事によっては慌てず、少しずつ対応することが望ましい場合もあるようです。変化には時間を必要とする場合があるからです。こちらから一方的に無理してもいいことはありません。 自分を信じることが出来る人は問題がないのですが、あまりにも失敗が続いたりすると、自信を失ってしまう人も出てきます。その時、信頼出来る友人や信頼出来る親子関係がある人は立ち直っていくことが出来るのではないでしょうか。自分を最後まで信じてくれる人が一人でもいれば、それは本人にとって大きな力になります。 世間の人は、何かことが起きると、急に対応の仕方を変えることが多いように感じます。でも親は最後まで、子が立ち直ることを願い、信じることが多いのではないでしょうか。世間がどのように解釈しようと、良くなることを願うのは、祈りの姿なのかもしれません。 たった一人でも、自分を信じてくれる人がいるのは、とても心強いものがあります。心から祈ってくれる人がいれば、それだけでも幸せなのかもしれません。 信じてくれる人がいる人は、いつまでも受動的でなく、次には自ら信じていく世界へ展開していくことが次の段階かもしれません。信仰の世界などはその典型的な姿です。信ずることがある人は、目先のことだけでバタバタとしません。深い世界に護られていることを知っているからです。 よく人を信じて騙されたという話を耳にします。騙されるのには理由があります。うまい話、特に欲に絡んで信じたことは、正しくは信じたのではなく、自分が思い込んだ結果、現実にはそのようにならなかっただけなのではないでしょうか。騙す人は問題ですが、騙される人も大きな問題があるのではないでしょうか。 自分の力で何とかしようとすると、悩みは深まるばかりです。どうしようもない時は、大きな流れに任せることも一つの方法ではないでしょうか。任せるとはひたすら受け入れていくことかもしれません。相手が問題なのではなく、自分が神様に試されているのかもしれません。 逃げなければ、そのうち変化が起きてきます。すべての出来事は、何かを気付かせるために起きていると考えれば、人生は変化に富んでいます。自分だけが苦しいのではありません。自分中心が問題なのではないでしょうか。
2008年06月23日
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89歳間近の父の姿を見ていると、以前に比べて、ほとんど笑顔がなくなってきました。体力や氣力がなくなってくると、笑顔も消えてくるのかもしれません。でも、おかげさまで、数日後には退院することになりました。 どのようなとき、笑顔が出てくるのか考えてみました。心や体がやわらかいとき、自然に笑顔になってくるのではないでしょうか。心配事を考えているとき、そのことからなかなか離れることが出来ませんので、心も偏った状態と言えます。自分のことで精一杯のときも、自由に物事を考えることが出来ないようです。 元氣のない人たちが多く集まっているところが、病院の待合室です。ニコニコしている人は滅多にいません。反対に元氣がある人たちが集まっている場所では、笑顔が多く、活動的です。 笑顔はその人の健康のバロメーターなのかもしれません。笑顔が消えているとき、心や体に不調があるのかもしれません。心身ともに調子がいいとき、笑顔は日常的になってきます。 何を考えているかによっても、その人の表情は変わってきます。暗いことを考えているとき、表情も暗くなってきます。明るいことを考えるよう努めている人は、表情も明るくなってきます。心の状態がそのまま顔や体に出てくるのかもしれません。 買い物をするとき、明るい店員さんと暗い店員さんがいたら、どちらに頼みますか。わざわざ暗い店員さんに頼む人は少ないのではないでしょうか。笑顔のところに人も集まっていくようです。 意識的でも、笑顔を作ることによって、心も明るくなっていくのではないでしょうか。形から入っても心を変えることが出来ます。笑顔が身についてくると、集まってくる人たちや情報も、明るいことが多くなってくるのではないでしょうか。転んだら起き上がればいい何度でも起き上がれば方法が見つかる中途半端でなくとことんやってみると本当のことがわかる腹が決まれば毎日が新鮮
2008年06月22日
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娘の小学校PTAによるバレー大会で、アキレス腱を切断したことがあります。思いがけない出来事で、病院に行ったその日に入院でした。一週間後に自宅で計画していた集まりを急きょ中止せざるを得なくなり、入院した夜、病院から中止の電話をかけました。 以前の私だったら、予定通りに行かないことにアタフタとしたでしょう。しかしその時は、何でも前向きに体験しようと思っていましたので、入院の時にしか出来ないことをやってみようと、変な話ですが好奇心でわくわくしていたところもありました。 最初に試みたことが手術の時でした。切り開いた手術の部分を実際に見て、私がどのように反応するか試してみたかったのです。冗談を言いながら看護師さんに無理にお願いして鏡を持ってきてもらい、患部を見ることが出来ました。しかし看護師さんの配慮から、ほぼ手術が終了し、縫合する一歩手前のときでした。 車椅子に乗ることも出来ました。退院前に支払いのお金を用意しようと、病院前の銀行のキャッシュサービスに行きました。すると坂がきつくスロープがあったのですが、ドアを開けるとき、車椅子の人にとっては余裕がなく無理な構造になっていました。多分、車椅子に乗ったことがない人が設計したのかもしれません。 実際にアキレス腱を切断して分かることがありました。何でもそうかもしれませんが、実際にその身になってみないと本当のところは分からないようです。歩けなくなって初めて、自由に歩けることの有難さをしみじみ感じました。思いがけない出来事でしたが、いろいろと考えさせられる良い機会でした。 段差が多く、狭い家の中では松葉杖が不便でしたので、急な用事のときは這っての移動でした。そのようなときに生まれてきた文章があります。氣迫あるけなかったらはっていけばいいはうことができなければこえにだせばいいこえがでなければみぶりてぶりでもいいそれができなければ根氣よくおもいつづけるのだ ものは考えようで、新しい体験としての前向きな入院もあるのです。わざわざケガをして体験出来ることでもありません。歩けないのですから、歩かなくても出来ることをやればいいのです。そのようなとき集英社から題字と挿画をかく仕事が入ってきました。うまく出来ているようです。 考え方を変えれば、何があってもチャンスなのです。後日、小学生を前に講演したとき、松葉杖がいい話の材料になりました。過ぎてみれば楽しい思い出です。
2008年06月21日
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先日、下腹部に腫れ物ができてしまいました。市販薬を塗っても腫れがひかずに痛いので、近所の外科で皮膚の切開手術をしてもらい膿を出してもらい楽になりました。今日もこれからガーゼ交換のために通院です。毎日のガーゼ交換のときは、先生が傷口の膿を拭き取るので息が止まるぐらい痛いのですが、切開手術のときは麻酔注射のお陰で少しも痛くありませんでした。直接お世話になったお医者さんや看護師さんだけでなく、安全な麻酔を開発された名前も知らない偉大な先人にも大変感謝した次第です。 「本当に大事なものは 目に見えない」--- 私たちの社会は、目に見えない本当に大事なものを土台として、築かれているとは思いませんか。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.6.21 vol.134 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ こころを 込めた ものには まごころという エネルギーが 入っている ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■詩画集『であえてよかった』第3版の発売を開始しました。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/■遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 「遅咲き宋休の講演CD」、第1作~第3作まで好評販売中です。■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。■詩画作品の代金支払いは、ATM利用の郵便振替がお得です。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】 ●平成20年7月12日(土)午後1時30分~3時 「鳥取市福部町中央公民館」 会合名: 平成19年度人権・同和問題鳥取市福部町研究集会 お問い合わせ TEL 0857-75-2812 鳥取市福部町総合支所市民生活課 ●平成20年7月25日(金) 午後1時~3時 \2000円(飲み物付き) 「緑陰雪村庵」 〒319-2131 常陸太田市下村田片根204-2 お問い合わせ TEL0295-52-6800■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ --------------------------------------------------------------------■花々と山々の写真に感動 賀川康子さん 六月七日の宋休先生のお手紙の写真も美しく輝いていました。先生の心が輝いているから美しいのだと思いました。山は今、早春なのですね。 ありがとうございました。 (2008.06.07) --------------------------------------------------------------------■Re:花々と山々の写真に感動 宋休さん 賀川康子さん先日、宇都宮で、婦長さんをやっていた米ちゃん(姓は分かりません)とお会いし、楽しい時間を多くの方々と過ごすことが出来ました。賀川さんを知っていましたので驚きでした。出会いの不思議さを実感しました。 (2008.06.08) ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■すっきり頭(2007年6月) お寺の住職はしていないのですが、浄土宗の坊主ですので、頭も二十歳頃からずっと坊主頭です。今までは自分でバリカンを使い、坊主頭にしていました。 西国巡りから何十年振りでしょうか、今年の春頃、久し振りに頭を剃ったとき、安全カミソリを使い自分で剃りました。すると頭がキズだらけになったのです。次の日からは電気ヒゲソリでも大丈夫なことが分かり、ずっとそのまま毎日剃り続けています。 しかし時々、自分では見えない後頭部に剃り残しが出てくることがあります。剃り残した髪の毛は少し長く、電気ヒゲソリだけでは何度やってもなかなか剃れないのです。 昨夜お風呂に入ったときです。ふと安全カミソリで剃り残しを剃ってみたら、簡単に剃ることができたのです。こんな単純なことが分からなかったのです。電気ヒゲソリだけで済まそうとしていたから、上手くいかなかったようです。必要に応じて安全カミソリを併用すれば、時間もかからず頭もピカピカすっきりになるのです。 習慣になってしまうと、自分のやっていることを客観的に見ることができないようです。時々は普段と違う方法を試みてみるのもいいかもしれません。いつものことですが、これは電気ヒゲソリの話だけではありません。 ひとつのことに こだわらなければ 新しい方法が 見つかるものです ────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年06月21日
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どんなに小さくても、希望があるとき、私たちは前向きに生きることが出来ます。何もしないでただ待っているのではなく、そこには日々の生活の中での工夫が必要なのかもしれません。 出来事すべてを、プラスに解釈する習慣を身につけることです。行動によって出てくる結果に、右往左往するのではなく、その体験から少しずつ学んでいけばいいのです。あの時こうすれば良かったと考えるのではなく、今から何をすればいいかを考え、淡々と出来ることから行動して行けばいいのです。 過去の失敗から今度も失敗するだろうと、心配に焦点を合わせていると、再チャレンジするのも辛く、考えるだけでも疲れ、結果的にはマイナスイメージだけがどんどん脳の中にインプットされていくようです。心身ともに良いことは何もありません。 希望は周りから与えられるものではなく、自ら創造していくものではないでしょうか。同じ状況の中にあっても、希望を持つことの出来る人と、希望を見い出せない人がいます。普段どのように物事を解釈しているかによって、分かれてくるのではないでしょうか。 離婚を失敗と解釈するか、それともチャンスに恵まれていると考えるかは、本人の自由です。以前の私だったら立ち直るまでに時間がかかりました。でも最近の私は「すべては うまくいっている」と、ひとつひとつの出来事を大きな流れの一部として捉え、日々の出来事を常に新しいチャンスと解釈するようになってきました。 ちょっと考え方を変えるだけで、過去の出来事は貴重な体験になってくるのです。目の前に起きていることは、ひとつも無駄はないのです。 目を閉じて心を澄ませば、可能性という小さな光が見つかるものです。生きるということは、暗いところに焦点を合わせるのではなく、小さな光を少しずつ育てて行くことかもしれません。希望とは 日々 創造していくもの希望とは 前向きに 生きること希望とは 少しのことで へこたれないこと希望とは あるがままを受け入れ チャレンジしていくこと希望とは やることをやって 天にまかせることだいじょうぶ逃げなければ何とかなるちっぽけな自分を捨てすべてを天にまかせるとうまくいくみんなその人なりにけんめいに生きている準備ができるとチャンスがやってくる
2008年06月20日
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ずいぶん前の話ですが、高校を卒業してから、市民劇団に入ったことがありました。練習は学校や仕事を終えてからの夜でした。台詞を暗記するのが苦手な私でしたが、全く別世界のわくわくする緊張の体験でした。 最近になって人生って、一人ひとりが役を選んで、懸命に舞台の上で演じているのではと思うようになりました。良い役をやっている人もいれば、憎まれ役を演じている人もいます。主役もいれば脇役もいます。本人が理解していないだけで、生きているその姿が、お互いに影響を与え合っているような氣がします。 自分のことは見えないのですが、他人の姿はよく見ることができます。自分にとって苦手な人と会わざるを得ない時もあります。本人は氣付いていないかもしれませんが、私に何かを氣付かせるために、役目として出会っているようです。私を困らせようとしている訳ではなく、わかり易い人間の姿として、出会っているのではないでしょうか。 人の振り見てわが振り直せといいますが、私に大切なことを氣付かせるために出会っているのです。そのように考えますと、腹の立つことがなくなってきます。人を見ているつもりでも、誰もが人に見られているのです。こういう生き方をすると、このようになるんだよ、とそれぞれが生きる見本を示しているのかもしれません。 時の変化と共に舞台もどんどん変化していきます。演じている私と、観客としての私がいます。どうせ演じるなら、役になりきって楽しんだ方がいいのではないでしょうか。名優もいれば、迷う役の人もいます。 縁のある人は一緒に成長してゆく舞台仲間なのです。それぞれの生きる姿勢から、お互いに学び合えばいいのです。楽しく演じていきましょう。柴田宋休第1詩画集 『あるがままに』よりまごころうまいとかへたとかでなくそのときにできることをやればいい真剣であればいいほんとうであればいい素直であればいい背のびしていなければいい地に足がついていればいいあとになれば失敗も成功もないのだから
2008年06月19日
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梅の実の季節になりました。今年は例年になく、沢山の実が庭に落ちていました。見上げるとかなりの数の実がついていましたので、もったいないので、初めての梅干し作りとジャム作りにトライしてみました。 料理は得意ではありませんので、何とか生きていくだけのものを食しています。約半月前からは健康のためにと、主食を酵素玄米に変えました。副食をあまり多く摂る必要がないため、料理をつくる時間がずいぶん減ってきました。でも美味しいです。 もう10年以上、朝食抜きの二食の生活をしています。酵素玄米で更にシンプルな食生活になっていくことと思います。血液をきれいに保つよう心掛けています。 ほとんどの日本人は朝昼夜の三食を摂っています。しかも運動していればいいのですが、ほとんどの場合おいしいものを食べることには時間を使っていますが、エネルギーを使うことには時間を使っていません。でも現実には、食べれば食べた分、内臓は働き続けています。そして余分なものは体に残っています。 当然、栄養の摂り過ぎですので、メタボリックシンドロームの病気予備軍の人たちが増えてきています。体に必要のないほどの食事の量を摂っているのですから、当然の結果といえます。 これほど美食が理想のように、常識化されてきた時代も珍しいのかもしれません。多くの人たちはこれを疑うことなく、やがて病気になって初めてその異常さに氣付くのではないでしょうか。 飲み物の自動販売機も当たり前になってきました。私は全くといっていいほど利用しませんが、あの飲み物のほとんどには驚くほどの糖分が入っています。今回、自分でジャムを作って砂糖の多さにびっくりしました。 以前、子供と一緒にマヨネーズを作ったことがあります。その油の多さにびっくりして、それからマヨネーズは必要最小限しか食していません。どんなもので出来ているか、分からないから、平氣で食べているのではないでしょうか。 日本では一年中、様々な食べ物が食べられるのも異常ではないでしょうか。本来その季節にその土地に合ったものが、自然界では生育しています。それを人間の勝手で、無理してまで育てているのです。真夏に真冬の食べ物を体は欲していません。自己中心の頭が欲しているのかもしれません。柴田宋休第1詩画集 『あるがままに』から再出発みたつもりわかったつもりの私だったもう一度新しい気持ちでやってみる
2008年06月18日
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5日前、もうすぐ89歳になる父が緊急入院しました。それから1日に一度は病院に行き、父の顔を見に行っています。このひと月くらい前から、長男である私のことが分からなくなってきました。会話もなく、氣が抜けたような状態が続いていました。 今回の入院では自分で食事をすることが出来ず、最初の数日間は点滴で過ごし、その後すりつぶした物を、看護師さんの全介助によって摂っています。もし自分の口で食事を摂ることが出来なくなったら、流動食を考えているとの主治医から提案がありました。鼻からチューブを入れるか、もしくは直接、胃袋にチューブを繋ぐそうです。 出来れば、機器を使っての延命治療はしたくないと思っています。父もずいぶん生きてきましたので、父の体に無理してまでの治療はしたくないと考えています。母の時は喉にタンがつまり、どうしようもなく喉に穴を開け、そこから数時間おきにタンをとっていました。その時の母の苦しさを忘れることが出来ません。 父は6名の相部屋に入っているのですが、こちらから挨拶をしても、ほとんど会話のない暗い雰囲気の部屋です。看護師さんが来れば、必要最小限の短い会話があるだけのようです。暗い雰囲気の中で、それぞれが仕方なく瞑想しているように感じました。 1日中限られたベットの上で、決められた時間に食事が運ばれ、看護師さんが時々やってきます。一人ではありませんので何となく雑音も多く、本来の瞑想とは全然異質のものです。 長期入院になればなるほど、本人の考える時間は多くなります。入院生活によって生き方の変わる人もいます。それぞれが大切な何かに氣付くことを願っています。実際に自分がその立場になってみないと、本当のことが分かりませんので、軽々しく口にするものではないのかもしれません。 仕事がどんなに忙しくても、入院すればすべてのことが予定通りに運ばれなくなります。病気によっては動くことも出来ません。人生にとって予期しない出来事はたびたび訪れてきます。それを速やかに受け入れて生きる人と、なかなか現実を受け入れない人とに分かれてくるようです。 現実を受け入れ、その時できる最善を尽くすことが出来れば、天から与えられた出来事は、またとないチャンスとなるのではないでしょうか。目の前の父の姿は、将来の自分の姿でもあります。どんとかまえてあせらないなるようになる山あり谷ありいつもがチャンス自分を変える絶好のチャンス
2008年06月17日
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約20年前、フィルターのついてない強い煙草を、1日に約3箱吸っていました。子どもが生まれることと、煙草の値上がりをきっかけとして、1日だけ吸うことをやめて見ました。すると何とか1日我慢することが出来ました。もう1日やめてみようとチャレンジしたら、何とか1日が過ぎました。それらの1日1日の積み重ねで、現在に至っています。 あの時、ひと月だけやめてみようと、もし計画していたら、たぶん途中で断念していたかも知れません。目標設定を高くしてしまうと、現在との落差が大きく、自分には無理だろうとあきらめてしまうのではないでしょうか。 山登りの時も、最初から高い山に登ろうとして、理想は高くて最もなのですが、体力や経験が少ないため一度で懲りて、二度と登ろうとは思わないのかも知れません。 体力がないときは、とりあえずあそこまで行ってみようと、背伸びした設定をしない方が良いようです。それを繰り返していると、知らずのうちに体力もついてきて少しずつ自信がついてきます。更に継続することによって、確実に体力にも変化が出てきます。 小さな自信の積み重ねによって、私たちは知らずのうちに大きく変化していくようです。いつも言ってることですが、まず現在出来ることから始めてみることです。頭でっかちにならず、小さな行動を起こすことによって、次に何をしたらいいかが見えてきます。 自信をなくした時、一つのことだけにこだわらず、何でもいいから具体的な形で小さな自信をつけることではないでしょうか。自信には人間を変える力があります。それには、私にはどうせ無理だという、限定する生き方をやめることです。ほとんどの場合、始める前に既に自分には無理だとあきらめていることが多いからです。 思いは実現しています。何氣なく思っていることが実現しているだけなのではないでしょうか。明るく考え、明るく行動することによって、やがてそれが身についてきます。ケセラセラ(何とかなるさ)もいいものです。柴田宋休 第1詩画集『あるがままに』からやってみれば何とかなるもの固定して考えなければ新しいものに出会える過去にとらわれずまずやってみる
2008年06月16日
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子供が小学生だった頃、通っていたスイミングスクールに、スポーツクラブが併設されていました。時間的、金銭的に余裕があれば私も入りたいと思っていました。隣町ですので、わざわざそこまで出かけて行く余裕もなく、願望だけで実行することはありませんでした。 1年ちょっと前からウォーキングをはじめ、このふた月は平坦な道から登山道(雨巻山・三登谷山)へと変化してきました。土曜日曜は遠方からたくさんの登山者が訪れてきます。 私の場合わざわざ出かける訳ではなく、裏山のようなイメージです。スポーツクラブの限られた場所で、トレーニングマシンを使った方法ではありませんので、季節によって風景も変わり、天候によっても変化に富み、私にとってはお金のかからない大自然の運動場のようなものです。 何と恵まれているのでしょうか。すぐ近くに、こんなトレーニング場があることに感謝です。遠くに求めなくても贅沢を言わなければ、案外身近にあるのではないでしょうか。決められた場所や時間でやろうとするから、ないだけであって、本当にやる氣があれば、どのような人にも身近なところにあるのではないでしょうか。 全部の条件が揃ってから実行しようと思っていたら、いつになっても出来ません。生きていれば次々に用事が出来てきますので、いつまでたっても出来ないと思われます。 あまり大きな目標を立てず、とりあえず出来ることから実行していくことかもしれません。継続していれば、工夫することによって様々な方法を探すことが出来ます。私自身ウォーキングから始めて、それが冬山登山へと展開するとは夢にも思っていませんでした。行動することによって、条件も整ってくるのかもしれません。 最近は時間が許すのであれば、ひと月に3回位あちこちの山々に登っています。7月初旬には富士山そして八ヶ岳を予定しています。行動は人間を変えるようです。お陰さまで腰痛もなくなり、思考も前向きになりました。一心不乱にいい汗流すと氣分がすっきり体調良好楽ばかりしているとそのうち体も頭もなまってきます本当のことに氣付いたときあたらしく出発できる一度では大きな石を動かせなくてもこつこつと工夫すればやがて動く
2008年06月15日
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♪人生楽ありゃ苦もあるさ♪というのは歌の文句ですが、現実には挫折あり、涙あり、波乱あり、煩悶ありで、人生が山登りに例えられるように、その途中に「楽」はほとんどないのではないでしょうか。 でも山登りと同じに、その途中で思いがけない出会いに感動したり、これまでの道のりを無事これたことに喜んだり感謝したり、すれ違う人との会話を楽しんだりと、人生も途中の日々の過程に本当の意義と幸福がある気がします。 「辛い」と「幸い」とは一画違い、人生においても表裏一体で切り離せるものではありませんが、人生の影の部分にばかり意識が集中して人生が辛いと終止符を打つ人がいるのは非常に残念なことです。 しかし、いくら人生が辛いからと言って、他人の人生を巻き込むことは到底許されることではありません。先日の秋葉原の無差別殺傷事件で亡くなられた方と遺族の方々に心から哀悼の意を表します。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.6.14 vol.133 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━新 着 情 報━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■講演会があります。詳しくは、今後の予定のコーナーをご覧ください。☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ こころを 込めた ものには まごころという エネルギーが 入っている ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■詩画集『であえてよかった』第3版の発売を開始しました。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/■遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 「遅咲き宋休の講演CD」、第1作~第3作まで好評販売中です。■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。■詩画作品の代金支払いは、ATM利用の郵便振替がお得です。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】 ●平成20年7月12日(土)午後1時30分~3時 「鳥取市福部町中央公民館」 会合名: 平成19年度人権・同和問題鳥取市福部町研究集会 お問い合わせ TEL 0857-75-2812 鳥取市福部町総合支所市民生活課 ●平成20年7月25日(金) 午後1時~3時 \2000円(飲み物付き) 「緑陰雪村庵」 〒319-2131 常陸太田市下村田片根204-2 お問い合わせ TEL0295-52-6800■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■体力づくり (2007年6月) 知らずのうちに、体力の低下と共に氣力もなくなっていくようです。何だか分からないけれども、やる氣が起きない方、好奇心のなくなってきた方は、たぶん体調もよくないのではないでしょうか。 二十代三十代は体の部品がまだ新しいですので、健康のために特別に何かをしなくても、ほとんどの人たちは元氣でいられます。しかし四十歳を過ぎた頃からは、ストレスも溜まり体の各部品も傷み出してきます。自分の体の変化に氣付き、体力を維持しようと、努力をする人としない人では、その後が大きく違ってきます。 六十歳を過ぎてからは特に、その人の体力がその後の人生を大きく変えていくような氣がするのです。元氣のある人と元氣のない人に、はっきり分かれていくようです。何もしない人にいちばん最初に現れてくることが、足腰が弱ってくる事実です。便利で楽な生活をしていれば当然のことです。 体力がなくなってきますと、残念なことにものごとを前向きに捉えることができないようです。悩みの大半は人間関係やお金、そして健康ではないでしょうか。心身共に健康でいる人は、悩むことも少ないのではないでしょうか。 情報という知識も大切ですが、心と体のバランスがとれて上手くいくのではないでしょうか。それを実践するには、体力があって行動に結びついてはじめて、生きていて良かったという真の喜びにつながるのではないでしょうか。 できることなら、縁のある人たちと共に、楽しみながら体力づくりをしたいものです。運動が苦手でも、身近なことからやってみれば、自分に合った方法が見つかります。今日はこれから絵手紙の人たちに講演です。帰りについでに足を延ばし、加波山(709m)に登ろうかと思います。 最後には 体力が あるかないかで その先の 出会いが ちがってくる 体調の良くない方 やっと 体力づくりの チャンスがきました────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年06月14日
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陶芸で独立した25年程前、最初に制作したものが骨壷でした。でもそのときは時期尚早だったようです。当時は日々の生活の中で、死の話をすることが一般的にタブーとされている時代でした。 そして現在やっと、一部の人たちは生死というものを前向きに捉え、暗いイメージでなく、明るく自然に捉える時代になってきたように思われます。死を正面から見つめることによって、現在の生に対する考え方が大きく変わってきます。 何らか病気をもっているから、早く死が訪れるとも限らないし、反対に現在健康だから長生きするという保障もありません。交通事故も日常的になってきましたし、最近とみに地震水害等の自然災害も世界中のあちこちで起きるようになり、他人事でなく身近になってきました。 でも多くの人たちは日々の生活に追われ、真実を見ようともせず、目の前の現象ばかりに心を奪われ、将来に不安をもっているようです。死に対する心の準備もせず、学習もせず、その時が来るまで先延ばしにしているのが現状のように思われます。 目に見える世界、目先の現実だけが真実と思っている人たちは、これからの急激な変化について行くことが出来ず、どんどん生きるのが困難になっていくような氣がします。 しかし目に見えない世界があることを実感しますと、だんだんこの世の仕組みも分かり、なぜ現実があるかの意味も分かりますので、積極的に人生を味わうようになるのではないでしょうか。同じ状況の中でも、暗く考える人は益々暗い方へ、明るく考える人は明るい方へと二分化されていくようです。 生きるために仕事をしてお金を稼ぐことも大切ですが、いつまでも経済中心の生き方をしていますと、ある時期が来たとき、私は今まで何をしてきたのかと考えざるを得ません。順調で健康なときはいいのですが、思いがけず病気になったり老いてからが問題です。人生にとって大切なことが何なのか、出来るだけ早い時期に、方向性を見つけることが必要かと思います。 他人事でなく、自分にも死があるということが本当に分かってきますと、今日一日の生き方が変化してきます。一期一会の生き方が身についてくるようです。生きることに前向きになってきます。 先がどうなるか不安に思っている方、これから一緒に勉強していきませんか。多くの研究者たちによって、「人は生まれ変わる」ことが実証されてきています。現在の生き方が常に未来につながっているのです。今日の生き方が変化してくると、明日の希望へとつながっていきます。氣付いたら早速、出来ることから始めてみることかもしれません。一方的な押し付けでなく相手が望んでいることを無心にやればいい高い山に登るとき言い訳は通用しません普段の心掛けが結果として出てくるだけ
2008年06月14日
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心配ばかりしていると、それが現実のものとなってくるのではないでしょうか。自分で日々思っていることが実現しているのです。心配をしている時間があったなら、具体的に何をしたらいいかと考えている人は心配をしていませんので、それは実現しないのではないでしょうか。 うつ病が特別なものではなく、誰にでも可能性のある時代になってきたようです。それぐらい生活全般にわたって不安の材料が揃ってきたとも言えます。一度就職したら一生その会社で安泰に勤めることが出来る訳ではありません。いつ倒産するかもしれませんし、いつリストラされるかも分かりません。 大学を出たからといって、思い通りの仕事につける人はごく少数者なのではないでしょうか。食べる物も一年中豊富にありますが、ほとんどの物に農薬が使用されています。情報についても、これでもかこれでもかと次々に新しいものに振り回され、何が本物かさえ見分けがつかない人が多いのも事実です。 医療の発達と共に、益々高齢化社会になっていきます。長く生きる分、それだけ多くの体験をしなければなりません。将来に対する不安は益々増えるばかりです。 このような現実であっても、すべての人が不安に生きる訳ではありません。益々不安になってくる人たちと、前向きに希望に向かって生きる人たちとに二分されるのではないでしょうか。 考えてばかりで行動に移さない人たちは、前者の生き方になってくるのではないでしょうか。後者の人たちは、たとえ何があっても生き抜こうと、次々に新しい方法を模索し続けると思います。 人や時代のせいにして生きている人たちは不安から離れることは出来ません。もし現在そのような生き方をしているのであれば、早速生き方を変えることをおすすめします。 他人事でなく自分の問題として取り組めれば、やがて答は見つかるものです。そのような意味では、現在は自分を変えるにはとても良い時代なのではないでしょうか。明るく生きるのも暗く生きるのも、その人の考え方と行動によって決まってきます。 感謝を忘れた生活が、不安の大きな原因かもしれません。すべてのことに感謝して生きている人たちは、ニコニコしています。不満や文句にあふれている人たちは、どんどん暗い材料が集まってくるのではないでしょうか。どちらで生きるのも本人次第のようです。通せん坊真っ直ぐに進もうとしたら今までになかったものが置かれていた邪魔とは思いながらもその間をさらりと通り過ぎたらこころは静かだった川の水は自然に流れるがかつての私は大声を出してぶつかってみたり無理に越えようとしていた障害と考えれば氣になるものだがそのものを肯定すればゆっくり進むことができる
2008年06月13日
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生きていると思いがけない出来事が起きてきます。初めて体験することはどうしたらいいか分かりませんので、悩んでみたり慌(あわ)てたりするものです。しかし数を重ねることによって、だんだん動揺することもなくなっていくのではないでしょうか。 バタバタしてもいい結果が出ず、かえって慌てず、どーんと構えていた方がいいことが自然に分かってきます。事実を受け入れ、慌てなければ、どうしたらいいか方法を見つけることも出来ます。後は実行するだけです。 一番問題なのは、事実を受け入れないことではないでしょうか。何でこんなことが起こるのかと疑問に思っているようですが、実は、現実から逃げている姿でもあるのです。現実を受け入れれば、後は方法を探すだけです。自分にとって必要な体験だから、その出来事が与えられていると考えてはどうでしょうか。 どんなことでも実際に体験したことは、貴重な体験として身についてきます。私たちがこの世に生まれてきたのは、体験を通して学ぶためではないでしょうか。生きることは学びの連続でもあるのです。 自分だけ問題が多く、順調にいっている人は何の問題もないように見えるかもしれませんが、それぞれが何らかの課題を持って生きています。実際にその人になってみないと分からないのではないでしょうか。繰り返しますが、自分だけ問題が多いのではありません。 生きていれば、思いがけない色々な出来事に遭遇するのは当たり前です。ただそれを悩んで生きる人と、前向きに解決していく人との違いがあるだけです。悩んでいる人は悩む生き方を選択しているとも言えます。どちらを選ぶのも、本人が決めているのではないでしょうか。 すべては上手く出来ています。事実から逃げず、最善を尽くせば何とかなるように出来ているのです。何があっても大丈夫なのです。繰り返しますが、逃げからは何も進展しません。ただし、どうしようもない時は、一時避難するのもいいかもしれません。いつもおいしいものを食べていると鈍感になるがときどき体験するから味わいがある
2008年06月12日
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京都の山中にて、七日間にわたる行を終え、自動車で急な山道を下山するとき、事故を起こしたことがあります。 七日間の別時念仏によって私の心に変化が起こり、ひとつ決めたことがありました。物事を良い悪いと決め付けず、そのままを受け入れるということでした。特に自分にとって都合の悪いことを受け入れることでした。 私の場合こころに決めますと、直ぐに目の前に現実として起きてくることが多いようです。言葉だけでなく、本当にそうなのか、天が試してくれているのかもしれません。この時もそうでした。下山を始めて30分位たってから、直ぐに試されたようです。 雨が降っているなか、行を終えた人達を満席の状態で私が運転していました。細い下り坂になってから、対向車に合いました。雨で室内の窓ガラスが曇っていて、バックするのが難しいので動かずそのまま待っていたのですが、相手の外車も一向に動こうとしません。仕方なく私がバックしたのです。 細い道でしたので電柱が道路に突き出ていることを知らず、勢いよく死角になっている車の後部角をぶつけてしまったのです。キズを確かめるために私が車から降りたとたん、バックできなかった外車は、面白いことに一目散にバックして逃げて行きました。私の頭が坊主頭で人相がよくなかったからかもしれません。 でもそのときは心の準備ができていたせいか、相手を攻める氣もおきず、とても冷静に行動している私がいました。自分にとって都合の悪いことを受け入れる第一歩でした。車のキズは修理せず、記念にそのまま乗り続けました。キズを見る度に「都合の悪いことも受け入れる」ことを実践するようになり、少しずつ身につき今日に至っています。 自分にとって一見マイナスと思えることが、実は私の成長につながっていたのです。頭ではわかっていても、実践してはじめて身につくようです。
2008年06月11日
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特に変化の著しい現代は、すべてのことにおいて柔軟性が求められている時代ではないでしょうか。今まで通用してきたことが通用しなくなると、その変化に適応出来る人たちは生き残っていくことが出来ます。しかし過去にこだわり、変化に適応出来ない人たちは、生きること自身、ますます苦しくなっていくような氣がします。 外国のことは分かりませんが、日本の場合、結婚することによって多くの女性は姓が変わります。大多数の男性の姓は変わりません。更に子どもが産まれると、育児によって更に女性は変化を求められます。一方、男性の方は家庭を持ったにもかかわらず、仕事中心の生き方でも通用するため、大きな変化を求められることもありません。 何を言いたいかといいますと、女性の方が適応力があり、柔軟性に富んでいる事実です。問題なのは男性の方で、過去にこだわり柔軟性に欠けているため、この時代こそ、仕方なくかもしれませんが、発想を変える絶好のチャンスなのではないでしょうか。男性も変われる時代です。変わらざるを得ないと言った方が本当かもしれません。 長い進化の歴史を見ても、変化に適応したものは生き残り、適応出来なかった種は途絶え、地球上から姿を消しています。残酷なように映るかもしれませんが、これが地球上の法則のようです。 周りを変えることは出来なくても、自分を変えることは可能です。自分が変わると、同じ現象でも違った解釈が出来るようになります。先の見えない不透明な時代かもしれませんが、それだけ多くのことを体験出来る、興味深い時代でもあるのです。肉眼の目は移り変わる現象に振り回される目こころの目は真実を直接に感ずる目
2008年06月10日
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現代は印刷技術が高度になり、本やカタログでは実物よりも鮮明に印刷されていることがあります。絵画や彫刻作品など、現物を見る前に作品集などを見てから実際に会場でその作品を見ると、ずいぶん印象が違うことがあります。 いつも実物を見るように心がけている人は問題がないのですが、情報の多い現代では、直接実物を見ることなくその写真などを見て、それで実物を見たかのような錯覚に陥ることがあります。 いつも感じていることですが、風景写真は大きな感動の中の一部を切り抜いています。実際には立体的なのですが、どうしても素人の撮影では平面的になってしまいがちです。写真を撮ったときの風の動きや、氣温まではなかなか1枚の写真に表現するのは難しいのではないでしょうか。 本を読むにしても、いかにも理解したかのように一氣に読んでみても、それが自分の身につくまでは時間がかかるのかもしれません。実際に自分でやってみると、頭で分かっているつもりだったことがしばしばです。本当のことは知らないのに、いかにも分かっているように錯覚している私がいます。 美しいものへの憧れは強いのですが、自分のブログに掲載する写真は、出来るだけ自分の足で撮影したものを載せるようにしています。文章内容も出来るだけ他人の書いた文章を載せるのではなく、自分で直接感じたこと、体験したことを書くように心がけています。たとえ理想から離れていても、いいのではないでしょうか。 真面目人間ではありませんので、学校の教科書は好きではありませんでした。余りにも落ち度がなく、立派過ぎて、人間味がないところに不自然さを感じていたのかもしれません。 講演をするとき、私が教科書的で理想的な話をしたとき、多くの方々は関心を示さないのではないでしょうか。聞く人にとっては立派過ぎて、自分との距離があり過ぎるからです。話し手が鎧を外し、腹を割って話すことによって、聞く人も自分のこととして聴けるような氣がします。真理実際に自分が直接体験しないと本当のことは分からないようだ
2008年06月09日
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今年に入ってから二度、日光の白根山(2578m)に登ろうとしたのですが、雪が深く、ある程度のところまで行っては、断念していました。3週間前には雪で真っ白だった山頂も昨日は殆どなく、久しぶりに天候に恵まれ、頂上まで行くことが出来ました。五色沼の周りを一周する縦走で、白根山・前白根山・五色山を通る約8時間の山行でした。 先日、山用品の店員さんから、ザックの基本的な背負い方を教えてもらいました。肩でなく、腰と背中全体で重さを背負う方法です。ちょっとした使い方で、こんなにも体に対する負担が違うことを知りました。自己流でなく、人の話は聞いてみるものです。実際にやってみて、駄目だったらやらなければいいのですから、行動に移してみることかもしれません。 今回初めて五色沼まで下りて行き、間近に見る水の色が、さぞ美しいかと予想していたのですが、実際に目の前で見ると、高いところから見下ろしたあのブルーの色はなく、普通の水でした。実際に行ってみなければ分からないことを、今回も強く感じました。行って良かったです。 同じ場所に行くにも、出来るだけ毎回ルートを変えて行くようにしていますので、その度に新しい発見があります。何でそんなに同じところに行くのか疑問に思う人もいるかもしれませんが、季節やルート、逆回りで歩くことによって、見える風景が全然違ってきます。いかに固定観念で、毎日を生きているかを実感させられることが度々です。錆びついた私の頭にとっては、とても良い刺激です。 極端な話かもしれませんが、夏山と冬山とでは表情が全然違います。どちらも経験することによって更にその良さを実感出来るのかもしれません。人間も同じように、夏の時もあれば冬の時もあります。どちらも貴重な体験なのではないでしょうか。 私の場合、単に山に登って景色が良いだけであったら、もう既にやめていたかもしれません。それ以上に、体力的な変化や物の見方の変化があるから引かれるのかもしれません。体は疲れるかもしれませんが、実際に行った者にしか分からない、深い感動があります。
2008年06月08日
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多くの日本人は他の人はどうかを気にします。ある種の信仰と言える位、「人数の多さ」で正しいとか、勝れているとか、得だとか、を無意識のうちに判断するようです。 それゆえ、日本人に保険を勧誘するときは「皆さんこれにお入りになります」が決めぜりふになると某ホームページに書いてありました。テレビや新聞で繰り返される保険のCMも同様の効果を狙ってのことと思われます。 一方、新約聖書(マタイ福音書第7章第13節)には「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広くこれより入る者多し」という有名な一節があります。とすると先の例は、日本人に限らずに人間全般が間違いやすい癖と言えるのではないでしょうか。 そろそろ「人数の多さ」という人間のモノサシを捨てて、嘘か真かという神様仏様のモノサシで物事を判断していきませんか。 ギャラリー館長(ケーズプラン 川又) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━┓ ┃であえてよかった┃ 柴田宋休インターネットギャラリーメールマガジン ┗━━━━━━━━┛ 〔不定期発行〕 2008.6.7 vol.132 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ - MSゴシック等のフォント設定でご覧いただくと、より見やすくなります -──────────────────────────────────── 柴田宋休インターネットギャラリーより最新情報をお届けします。 ホームページもあわせてご覧ください。⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ 宋休さんのブログ「遅咲き宋休記」⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/ ☆★☆━新 着 情 報━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■講演会情報を更新しました。 詳しくは、今後の予定のコーナーをご覧ください。 ☆★☆━今 月 の 言 葉━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ こころを 込めた ものには まごころという エネルギーが 入っている ☆★☆━お 知 ら せ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆■詩画集『であえてよかった』第3版の発売を開始しました。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/■遠方の方でも柴田宋休さんの講演を聴くことができるようになりました。 「遅咲き宋休の講演CD」、第1作~第3作まで好評販売中です。■「詩画集(※作者の直筆サイン入り)」「日めくり集」「講演CD」など、 豊かな人生経験と宗教人としての立場から人の生き方を優しい言葉で語り 掛ける柴田宋休さんの芸術作品をインターネット販売しています。■詩画作品の代金支払いは、ATM利用の郵便振替がお得です。※お求めは【ケーズプラン売店】で → http://cart.lolipop.jp/LA29003943/☆★☆━柴田宋休さんの今後の予定━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ (※ご本人コメント:いつものことですが、生きていればのことです)■講演会について【いのちをテーマとした講演会を各地で行っています】 ●平成20年7月12日(土)午後1時30分~3時 「鳥取市福部町中央公民館」 会合名: 平成19年度人権・同和問題鳥取市福部町研究集会 お問い合わせ TEL 0857-75-2812 鳥取市福部町総合支所市民生活課 ●平成20年7月25日(金) 午後1時~3時 \2000円(飲み物付き) 「緑陰雪村庵」 〒319-2131 常陸太田市下村田片根204-2 お問い合わせ TEL0295-52-6800■個展について 【「柴田宋休 陶・詩画展」を各地で行っています】☆★☆━談 話 室 か ら━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ────────────────────────────────── ※皆様からの談話室へのご投稿、楽しみにお待ちしています。。。 0(^^)0 柴田宋休ファンの談話室 ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/soukyu/bbs/────────────────────────────────── ☆★☆━柴田宋休さんのエッセイ、詩━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ■持久力(2007年6月) ハガキを出すために、家から一番近い郵便ポストまで自転車で行きました。ついでに道端のゴミを拾いながら、少し遠回りして景色を見ながら帰ってきました。思いがけず新しい文章も生まれてきました。寄り道のお陰です。 以前の私だったらポストまでの距離があるので、少しでも楽に、できるだけ歩かないようにと、車で出かけました。そして寄り道せず、家に帰ってきました。時間がもったいないからと、心までも貧乏性で、精神的にも余裕がなかったのかもしれません。 山間に住んでいるため、家から商店のポストまでは、ずっとゆったりした下り坂ですので、帰りはほとんど登り道になります。最近は毎日歩くようにしていますので、ペダルを踏んでも、以前に比べてずっと持久力がついたことに氣付かされました。息切れしなくなったのです。毎日三十分から一時間歩くことによって、こんなにも違ってくるのかと私自身おどろきでした。 目標や希望があれば、それに向かってこつこつと、工夫するのかもしれません。休みながらでも行動を続けることによって、知らずにうちに持久力もついてくるようです。 子供の頃は好奇心旺盛でしたので、寄り道をしながら新しい発見がありました。仕事に追われるのではなく、ときには何氣ない寄り道もいいものです。余裕は自分でつくるものかもしれません。 行動する前から 大変と思えば 大変になり 何とかなると 思っていれば 何とかなるもの 楽しい 体力づくりは 氣力を生み出し 好奇心へと つながっていく────────────────────────────────────☆このメールマガジンは転送OKです。良かったら知人に紹介してください。★このメールマガジンの一部を転載する時は、必ず出典元を明記してください。────────────────────────────────────☆★☆[柴田宋休インターネットギャラリー]━━━━━━━━━━━━━☆★☆ ※メールマガジンの購読・受信停止の申込みはホームページから ⇒ http://soukyu.e-ksplan.jp/ ■このメールマガジンは、配信希望登録をされた方と、柴田宋休作品を ご購入いただいた方へ配信しています。Copyright(c)2005- Soukyu Shibata Internet Gallery All rights reserved. ☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
2008年06月07日
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若かった弟子の時代、新聞紙を丸めて簡単に作った刀で、松井先生とよく試合をしたことがあります。 最初の頃は剣先に目がいってしまい、相手の全体像を見ることが出来ないため、ふいに面や籠手を討たれてしまうことが多かったようです。先生はその行為を通して、目先に囚われてはいけないことを遊びの中で教えてくれていたようです。 自然体で、いつも全体を見る習慣が身についていれば、局部に囚われることなく、とっさの時でも適切な判断が出来るようです。しかしある程度の訓練をしないと、どうしても目先の変化に心が奪われてしまいます。 思いがけない出来事によってアタフタとするのは、目の前の現象だけを見ているからなのです。現象は刻々と変化していますので、そこに焦点を合わせていると、いつまでたっても心が定まりません。 胸での浅い呼吸のとき、頭であれこれ考えてしまいますので、腹も決まらず決断が鈍くなります。迷っているときの呼吸は浅く、どうでもいいことに心を奪われ易いので、肝心なものが見えないようです。 肩の力をぬき、ゆっくり腹式呼吸をすると、心が静かになってきます。静かな心のとき、大切なことが何か分かってきます。息をゆっくり吐いてみましょう。すると今度は自然にゆっくり空氣が入ってきます。繰り返していますと、外部の世界と私という存在が呼吸を通して一体化され、とても安心できます。 現代人の多くは物事を見る場合、常に自分の方から見ます。自分が中心なのです。他者から見ようとするときは、自分がどう思われるかが心配のときのようです。自分中心に地球が動いているように錯覚しがちですが、人間中心に地球が存在している訳ではありません。 現代は医療にしても教育にしても会社の仕事内容も一段と細分化が進み、目先のことは各々やっているのですが、全体を見通すという習慣がなくなってきているように思われます。今、自分のしていることが全体の中でどのような役割なのか、更にどのように他に影響していくのか、あまり考えないような氣がします。目先の自分のことばかりに囚われていると、あっという間に人生が終わってしまいます。 目に見える現象面では絶えず変化していますが、私たちは出来事を通して貴重なことを学んでいるのですから、いろいろあるのは有難いことなのです。外側は慌しくても、静かな時間を持つことによって内面が磨かれてきます。こころを込めるとその人の味がゆっくり出てくる
2008年06月07日
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普通の人は、あともう一歩というところで、やめてしまうようです。しかし物になっている人は、実現するまで自分に対する限界をつくらないのかもしれません。 途中で諦め、挫けて(くじけて)しまうことを失敗といいます。多少のことでは挫けず、たとえ途中で休むことがあっても、再チャレンジする人は失敗といわず、同じ出来事であっても貴重な体験になってきます。 予定通りトントン拍子に進まないから、人生って面白いのかもしれません。予想外のことが起こるから真剣に生きるのかもしれません。先が見えないから工夫もするのではないでしょうか。 もし死ぬ時が分かっていれば、投げやりに生きたり、あるいは最後の日まで努力を続けるかもしれません。しかし死ぬ時が何時か分からないからこそ、夢を持つことが出来るのかもしれません。 明日も同じようにあるだろうと考えている人と、明日、何が起こるか分からないと思っている人とでは、生き方がずいぶん違うのではないでしょうか。私の場合は後者の生き方になってから、人生を楽しめるようになってきました。 順調にいっている人は現在のまま維持したいと思うかもしれませんが、良かれ悪しかれ全く同じように続くことはありません。変化は宇宙の法則ですので、それに対してどのように対応するかが、生きるってことなのかもしれません。嫌々生きれば人生は苦しみになり、同じ出来事でも興味深々生きる人にとっては、変化は氣付きのチャンスになってくるのではないでしょうか。 ガンバリ続けるだけが良いのではありません。疲れた時はゆっくり休むことも大切です。追い求める生き方もありますが、与えられた出来事を味わう生き方もあるようです。 肩ひじ張らず、縁に任せて生きるようになったら、何があってもいいと思うようになってきました。自分にとって都合のいい、一方だけを望む生き方を止めたからです。本来、出来事には、良いも悪いもありません。本人がどのように解釈するかの違いがあるだけではないでしょうか。全てがチャンスです。生きるとは限界をつくらず、夢を実現することではないでしょうか。ものごとには順序があり謙虚に対応すると一段上に進めるようです
2008年06月06日
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お昼どき、自然食・酵素玄米の準備をしているとき、不意の訪問者が訪れ、自分たちのやるべきことをやったら、嵐のように去って行きました。 突然の訪問者であっても、基本的に、私は断らないようにしています。今回はそのうちの一人の方が、何度もお会いしている知人でしたので、快く迎え入れました。久し振りの再会でしたので、何の連絡もなく来たのは何でだろうとの疑問もありました。 席に着くなり機器を準備し、一方的に私に何かをしてくれるとのことでした。とりあえず言われるままにしていましたら、やはり健康機器の販売でした。私は直ぐにお断りしました。 その時の会話が氣になりました。細胞を元氣にする話でした。私の話はそこそこ聞いて、ほとんどが一方的な説明でした。私自身、普通の人よりは多くの健康に関する情報、そして実践をしているにもかかわらずです。 知識もなく暗示にかかりやすい人であれば、その機器により、効果があるような氣になってくるのではないでしょうか。人の長所をほめるプラスの暗示であればいいのですが、相手に不安を与えるような暗示の仕方に、以前の新興宗教の勧誘が重なりました。 私の現在の状況をある程度把握してから話を進めるのであれば、こちらも納得します。しかし会話の最初に、「嵐のように去っていくから」と、その言葉は不愉快でした。何氣なく口にしている言葉は、本心なのではないでしょうか。言葉には氣をつけたいものです。 もし本当に皆様の健康を願っているのであれば、訪問する前にその旨を伝えるべきです。初対面の人であれば断られるから、知人も同席したように私には感じられました。ノックなしに部屋に入るようなものです。 本来、健康にはお金がかからないのではないでしょうか。美味しいからと、たくさんの物を食べ、運動もせず、溢れる情報の中で暮らしていると、病気にならないのがおかしいのです。食品のほとんどには化学薬品等の人工物が使われています。更にストレスが溜まるような無理をした生活をしていれば、病気になる準備はほとんど揃っている状態ともいえます。 健康になるには、それらの反対のことをしていけばいいだけなのではないでしょうか。高齢化社会になるにつれ、健康に関する情報や勧誘が溢れる時代になってきました。お医者さんによって、考え方も様々です。全く反対のことを述べています。要は自分の体に聴いて、自分に合った方法を探すことではないでしょうか。どんなことでも出てくる結果がいちばんいいあきらめず新しい一歩を踏み出せばいい
2008年06月05日
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いろいろな夫婦の形があるかもしれませんが、一般には男女が出会い寝食を共にすることから始めます。そして結婚を表明することにより、それぞれに責任も生じてきます。 結婚するまでは、遠くに相手を探すことも可能ですが、いったん結婚することにより、それまで遠くに求めていた生き方を変えることも要求されるのではないでしょうか。分かりやすく言えば、腰を据え、足元に幸せや責任を見つけることなのかもしれません。 実際には結婚だけが足元に生きることではなく、どのようなことに関しても共通して言えることなのかもしれません。隣の芝生は青く見えるといいます。青い鳥探しと表現する場合もあります。本当にやるべきことは自分の足元にあるにもかかわらず、遠くにあると思い込み、現実を拒否し、理想を追い求める姿です。 違った環境で育った者が、一緒に生活を共にするのですから、日が経つにつれその違いに氣付くようです。でも多くの人たちは性格の不一致と言わず、お互いに歩み寄ることが結婚なのかもしれません。まして子供が生まれたりすれば、更に自分の思うように事は運ばないのではないでしょうか。 だから、相手を変えようとする生き方から、自分が変わる生き方に変わらざるを得ないのかもしれません。そこが重要と思われます。結婚にはいろいろなことがあるかもしれませんが、子供や配偶者によって変わることが出来るから、可能性に満ちているとも言えます。 偉そうなことを書きましたが、約20年の結婚生活のあと、私は離婚を経験しています。一度、苦い経験したから、もうこりごりとは思っていません。私にとっては貴重な出会いと実体験の連続でした。そのお陰で、文章も書くようになりました。何が幸いか、分かりません。 現在59歳ですので再出発には少し遅いかもしれませんが、縁があったら再チャレンジしようと思っています。決めつける生き方はやめましたので、何がどうなるか分かりません。縁に任せ、精いっぱい生きるだけです。分相応に与えられた縁にしたがえば天が氣持ちよく応援してくれるどんなちいさなことでもほめられるとうれしい
2008年06月04日
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山に登る機会が増えるにつれ、見る場所によって景色が大きく違うことを実感しています。麓から見る山、そして頂上から見る景色は想像をはるかに超えています。実際に見るパノラマ風景と感動は、カメラではなかなか伝えることが出来ません。 日光の山々には、この1年の間にずいぶん行きましたので、ひとつの山を見るにも、見る方向によって形が様々です。いつものことですが、行ってみなければ分からないということを特に感じています。発見や驚きの連続だから、深みにはまってしまうのかもしれません。 冬山と夏山、これが同じ山かと思うくらい表情を変えます。とくに冬山は登る人も少なく、静寂と厳しさの中にあるその姿は、神々しくもあります。冬山は体力的にも相当疲れます。更に危険と隣り合わせなのですが、あの白黒の世界は私の心を引きつける不思議な魅力があります。 おかげさまで物事の見方もずいぶん変わってきました。一方向から見て、それが全てだと思わなくなってきました。また初めてのことは特に、実際に行ったり、やってみなければ分からないことも学ばせていただきました。経験が少ないということは、いかに先入観によって日々の生活を送っているのかを反省させられました。 人間を見る場合も、自分がどの場所にいるかによって、相手の印象も違ってくるようです。一面を見て、いかにも全てを知っているかのように錯覚することの愚かさも知りました。同じ人間でも、夏の時もあれば冬の時代の時もあるのかもしれません。静かに見守ることの大切さを知りました。 毎日のように事件がニュースで流れています。ほとんどの場合、被害者か加害者どちらかの立場でしか放映されていません。お互いに相手のことを考えることが出来るようになれば、新たな出発になるのかもしれません。実際に被害に遭っている方には申し訳ないのですが、対立という憎む連鎖反応ではなく、事実を受け入れ、調和という生き方の方向に変えることで解決するのではないでしょうか。 もしかすると、前世では加害者だったのかもしれません。自分が実際に受けてみて、そのことの意味が分かるのかもしれません。過去にずいぶん人を殺したり、苦しめた体験があるからこそ、貴重な今が与えられているのかもしれません。
2008年06月03日
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昨日はふた月振りくらいに、那須連山の山々を巡ってきました。朝日岳・三本槍岳・三斗小屋温泉・牛が首・日の出平・茶臼岳・那須岳と、9時間余り歩き続けました。雪山の登山者は少数なのですが、この季節になると、余りにも登山者の多いことにはびっくりでした。私は静かな山が好きです。 山奥にはまだ残雪があるかと思ってその準備をして行ったのですが、ほとんどの雪は解け、遅い春の新緑の季節でした。途中コシアブラの新芽をとっている方にお会いし、ちょうど峰桜が見頃だからと、その場所を教えてくれました。その方は、那須山岳救助隊にも入っているとのことでした。 まさかこの時期に花見ができるとは思っていませんでしたので、偶然の出会いに感謝でした。茶臼岳を背景に、一面の峰桜が七分咲きでした。 最近このような「偶然の出会い」を、その流れに乗るようになってきました。それほどの期待もせず、もし時間が許すのであれば、とりあえず行ってみることかもしれません。話をしていて、ある程度の信頼があるなら、話を聞いてみると良いようです。お店で物を買うときも同じです。 登山を終え車で帰宅途中、あるお店に寄ろうとしたのですが、カーナビで2度ほど場所を指定したにもかかわらず、うまくナビが作動しませんでした。私はその時、今回は無理してまで行く必要は無いと判断し、早く帰った方が良いと車を進めていましたら、携帯にホテルからマッサージの仕事が入ってきました。寄り道しなくてよかったようです。夜10時前に帰宅してから12時近くまでマッサージの仕事でした。 どんな時でも小さな前触れがあるのではないでしょうか。それに氣付かず無視して行動すれば、物事が上手くいかないのではないでしょうか。最近の私は左脳での判断ではなく直感で動くことが多くなってきたためか、無理をしなくなってきました。「偶然の出会い」を大切にするようになってきたのかもしれません。あせらずこつこつ磨いているとその人らしい光が出てくる
2008年06月02日
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