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一か月前に池袋のデパート屋上のモネの庭についてブログした。その際肝心の睡蓮は咲き始めたばかりで寂しかった。6月下旬ともなると睡蓮の花が見られるのではないかと再訪してみた。今回は要領よく西武池袋駅改札口横のエレベータに乗り売り場を経ないで直接庭園を往復した。喧噪の駅から昼前で人影のまばらな緑の庭園までの直結エレベータはまるでトンネルのようであった。この庭園の正式前は知らなかったが”Water Lily Garden"と記されており、「睡蓮の庭」と言うらしい。一か月前に比べて木の影が一段と濃くジベルニーの夏の風景が良く再現されており、期待通り睡蓮の花が綺麗であった。柳の大木と言えば水際で根を深く張れる場所に生えていることが多いビルの屋上にこれほどの柳の大木をどうして育てているのだろうか。池もビルの屋上に設えたものである、木々の影を映しだせる深い池に見せるためにはかなりの工夫がなされているはずである。実際ジベルニーの庭は池とはいっても川の一部が池のように広がった構造で底が透けてような浅いものではない。ここの屋上水溜まりはその底に何か工夫がなされているのだろう。夏の雲を映した風景はなかなかのものであった。睡蓮の花はコロニーをなして水面に浮かんでいるが、多分これは大きな鉢を水底に置いているのだろう。なかなか巧みな配置である。薄っぺらな作り物と言えばその通りである。しかしあのモネの庭を思い出すには十分な造形である。
2019.06.29
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(B) 今にして思うこと(1)私が詐欺を疑った最大の要素はあまりにもたどたどしい日本語。世界企業であるMicrosoftがここまでたどたどしい日本語しか喋れない人を雇うだろうか。ただし私が問い詰めた時「MSから委託されている」と逃れていた。今から思うとあまりにもひどい日本語はあちらの作戦で、何度も繰り返している間にこちらはだんだん興奮して正常な判断がしにくくなる。かく言う私もかなり興奮して受話器に大声で怒鳴っていた。繰り返している間に肝心の単語だけ分かるように発音するのだろう。何年か前Dellのサービスセンターを呼び出し、サービスコードを告げたのち遠隔操作で回復してもらった時も分かりにくい日本語であったがあまり聞き返すことはなかった。この時の経験が生きた気がする。(2)”050”で始まるIP電話は詐欺によく使われることがあると聞いている。そこでGoogleに今回使われた"050-3185-7074"を入力してみると、この番号が詐欺によく使われていることが報告されている。google や Yahooで電話回線の興信調査ができることを初めて知った。(3)”AnyDesk"と言うソフトは遠隔操作をするために他のPCからLog-inするための便利なソフトであるが、詐欺犯にとっても便利なツールと成り得るわけだ。最も現在はクラウド保存ができるのでこのソフトの使い方は限られるだろう。”AnyDesk" +""詐欺”で調べてもいろいろ詐欺の事例が出てくる。(3)確か初期の段階で「サービスによっては有料になることもあることを承諾してください」とのメッセージがあった。ネットで調べてみると今回の詐欺はかなりプリミティーブなもので、過去の例ではクレジットカードでの支払いを勧め、カード番号とPWを聞いてくるらしい。それがだめなら電子マネーやプリペイドカードをコンビニで買い番号を知らせるよう要求するらしい。(4)遠隔操作AnyDeskの”承諾”の前に撤退したのでこちらの情報を盗まれていないことは確信していたが、念のため銀行に電話して私の口座から引き出しがないことを確認し、クレジット会社にも電話して利用暦がないことを確かめた。さらに気になったのでカードをサスペンドして新しいカードを発行してもらった。以上が今度のPhishing 騒ぎの顛末である。たまたまこのブログに巡り合った人への参考に供するためと私自身への自戒の念を込めてこの記録を認めた次第。
2019.06.28
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GASPAR社ホームページより先週インターネットで調べ物をしている時、面白いというかひどい経験をした。いわゆるフィッシングと言うやつだ。餌を巻いて大物を釣り上げる手法に似ているのでFishingと言うのだと思っていたが、英語ではFishing ではなくてPhishing と綴るらしい。fとphは全く同じ発音でフィッシングの語源も諸説あるらしい。いずれにしても迷惑な話である。顛末を記録しておくことにする。(A) やり取りを時間系列で記録すると(1)ブラウジング中に全く興味のない小さなポップアップ広告出現、消去すると突然大きな警告音が鳴り始めた。画面はMicrosoft の画面に代わり、「こちらはマイクロソフトサービスセンターです。あなたのパソコンが悪質なトロイ型ウイルスに感染しました。このままではクレジットカードの情報や他のパスワードが盗まれます。マイクロソフトサービスセンターがこの問題を解決するお手伝いができます。今すぐ下の番号に電話してください」050-3185-7074(2)一瞬マイクロソフトって「そんなに親切だったかなあ」との思いはあった。しかし画面はMSだと思わせるに十分なものであった。さらに次の一文が追い打ちを、「もしお電話をしないで画面を閉じた場合、ネットワーク維持のためあなたのパソコンをネットワークから除去いたします」(3)おかしいと思ったら電話を切ることにしてダイヤルした。この手のセンターは普通電話が一発で通じることはまれである。しかしこのときは即座に通話できた。たどたどしいと言うより単語一つ聞き取れないが日本語らしい言葉、思わず「日本語でお願いします!!」と言ってしまった。数回聞き直して何やら「指示する文字を入力してください」と言っているらしい。(4)「・・・・の a」「・・・・の n」「・・・・の y」「・・・・の d」「・・・・の e」「・・・の s」「・・・・の k」。この一文字一文字が何回も何回も聞き直さなければ聞き直さなければ聞き取れない。どうやら相手は強者で繰り返しているうちに「・・・」の部分を分かるように発音しているのであろう。当方の声はどんどん大きくなり興奮していくのが分かる。(5)結局入力したのは"anydesk.com" 「エニィデスクでいいの?」「ハイいいです、エンターキー押してください」「プチッ」「左上に出ている9桁の番号を入力してください」各ステップ4回くらい聞き直してやっと”AnyDesk”のホームページに導かれる。(6)ホームページは正規のものなのでソフトをダウンロードするとき要求される承諾事項が記されているが内容の確認よりも、まくしたてられる日本語らしい声は「承諾するのボタンを押してください!!」(7)当初からいつでも退散する心つもりで始めたので、この時点でこれはPhishingだと確信した。そこで「あなたの日本語を聞き疲れたのでもうやめます」、「お客さんここでやめたらお客さんのネットワークが壊れてしまいますよ!!!!」。声の主が女性に代わり少し分かりやすい日本語で同じ警告メッセージが繰り返される。構わず電話を切って一巻の終わりとした。続く
2019.06.25
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前ブログで記した湯島聖堂を拝観した際正門からの順序に従って記述したが実際には外堀通りと交差する本郷通りの神田川をまたぐ「聖橋(ひじりばし)」への階段を登った。都心にもかかわらず森に囲まれたちょっと大正時代をほうふつさせる景色である。本郷通りの入り口から入るとすぐ湯島聖堂の本殿・大成殿に出る。大成殿前の回廊側門の横に手水鉢のようなものがあるので覗いてみた。水鉢の上にギリシャ時代のワイン壺のような形の金属壺がつるされており、注ぎ口の付いた手酌が置いてある。壺が空で柄杓があるので水をすくい壺に注いでみた、すると最初少し傾いていた壺がシャキッと正立した、さらに注いでいっぱいになると突然壺がひっくり返り、水はすべて溢れ出て、また空の壺になって傾いた。あまり深く考えないままの行動であったが壺の上に「宥座の器」とある。さらにその上に「中国古代から・・・器」とあったが、あまり気にかけないでそばに置いてあった説明書(あまりに字が小さくレンズなしではとても読めないので現地では無視してしまった)をいただいて帰った。実は後学のためにとスマホでの動画撮影を試みたが、右手に大きな思い柄杓、左手でシャッターと撮影がうまくゆかず、ここに載せるほどの動画が撮れなかった。今にして思えば再挑戦すべきであったがあとの祭り。帰宅後虫眼鏡で説明紙を読み、Web検索してみると、大変なものだと分かった。Wikipediaによると儒教で学ぶべき4書として「大学・論語・孟子・中庸」があるが、儒教においては「徳」が最重要視され、「中庸」が最高の徳であるとしている。孔子の言葉に「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と言う言葉があり、どちらにも偏らない中庸の道は徳の最高指標そうだ。「極端に多すぎることは少なすぎることと同じくらい良くない」と言うことらしい。この中庸思想をを具現化したものが「宥座の器」と言うのだ。「宥」は辞書では「なだめる」あるが宥座とはここでは「座右」の意味らしい。なるほどこの器は空っぽでは傾き、適量の水を含むとまっすぐ立つ。そして入れすぎると覆ってしまう。昔「何事も中くらいが良い」と言う諺を聞かされたことがあるがそれを表現する道具なのだ。この「宥座の器」、文献にはあるが中国にも日本にも存在していなかった。そこで舘林の鍛金工・針生清司さんが十年余の時間をかけ平成4年に復元した。形状にバリエーションはあるが現在存在するのはほぼすべて針生さんの作のようだ。中国の孔子研究院にも寄贈されており、わが国では長崎孔子廟・岡山旧閑谷学校・東京湯島聖堂・足利市足利学校・高崎東善寺・館林市の学校や寺院に納められているとのことである。東善寺ホームページに詳しい紹介があり、いくつかのホームページに動画が紹介されている。
2019.06.17
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先週お茶の水の病院を面会訪問した時、久しぶりに湯島聖堂に行ってみた。この一帯は江戸時代儒学、洋学・医学と我が国の学問の中心であり、近代文明揺籃の地と言えるところである。江戸時代の施政者は日本人の精神骨格として儒教を重視し、その聖地としたのが湯島聖堂の起こりである。後にこの地「昌平坂学問所」がおかれ学問の中心となる。その後一帯に洋学や医学の「開成学校」が開かれ、それが発展して「大学校」となり、明治時代になると東京大学に発展する。さらに東京高等師範(東京文理大学、東京教育大学、筑波大学)や東京高等女子師範(お茶の水女子大学)がこの地で生まれている。今でも筑波大学に至る各校の同窓会を「茗渓会」と称するが、それはお茶の水の谷(渓谷?)に茗荷が茂っていたことに由来する(?)と聞いたことがある。また現在大塚にあるお茶の水大学はその誕生の地がお茶の水にあるからである。上の写真は湯島聖堂の塀であるがその手前を右に曲がった通りが昌平坂である。あの杉田玄白の「蘭学事始」の原本はこの昌平坂の古本市で神田孝平によって発見され、福沢諭吉の後援で復刻出版されたことは有名な話である。後世蘭学の歴史を伝える資料の大部分はこの書によるので、これが無ければ違った蘭学史が伝えられたかもしれない。考えてみれば当時学問的書籍はこの辺りでしか売買されていなかったのではなかろうか。通りの反対側を見ると外堀へ通じるお茶の水の堀を隔てて現在大改装中の御茶ノ水駅のホームが見える。さらにその後ろにはギリシャ正教会のニコライ堂の丸屋根が見える。「仰高」と言う扁額を掲げた門の前には「史跡 湯島聖堂」の石碑がある。儒教精神教学の聖地であるから当然境内には大きな孔子の銅像が立っている。「入徳門」の扁額を掲げた中門からは石段の上に本殿が垣間見える。石段を登ると「杏壇」と言う扁額を掲げた大成殿がある。これは神社の本殿に相当するところで中には孔子やその門人孟子、顔子、曾子などの像が祀られているが休日だけの公開。ちなみに「杏壇」は孔子の学問所の名前らしい。大成殿の屋根には後世に鯱(シャチホコ)や鬼瓦になる立派な鵄尾(しび)が取り付けられている。ここでは竜頭魚尾の生き物が水を噴き上げているらしい、また屋根の下部には沖縄のシーサのような動物が配されている。これは「鬼龍子」と言う守り獣で猫の頭でお腹には鱗があるらしい。いずれも火災や自然災害から聖堂を守る守護神である。よく見るとパリのノートルダムの屋根の像に似ている気がする。
2019.06.15
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久しく外出の機会がなく、したがってブログねた種にも巡り会えなかった。こんな時の救世主は散歩時ポケットに忍ばせているスマホの写真である。遊歩道に誰が植えたかランタナが咲き誇っている。集合花であるが一つ一つの花びらを見ると中央部の蕾や内側の花は黄色で外になるとピンクになっている。Wikipediaによると「開花後時間につれて花の色が変化する」とある。よくみると中央部の蕾はピンクに近く、内側の新しい花は黄色で開花後時間がたった外側の花はピンクである。そして外側の古い花弁は退化して散り花柄の根元に果実がついてゆく。このようにして集合花全体の大きさは変わらず、いつまでも咲き続けているように見えるが実は常に新しい花弁に取り替わっている。鮮やかに変色することから和名はシチヘンゲ(七変化)称する。散歩道にアジサイと同時に咲くのはランタナの他にビョウヤナギとキンシバイがある。この両者は樹形、葉、花どちらもきわめて類似しており注意深く観察しないと区別できない。共にオトギリソウ科オトギリソウ属の兄弟みるとサイズは小さいものの、確かに似た花をつける雑草がある。よく見かける薬草で漢字で「弟切草」と綴る。秘伝の薬の秘密を洩らした弟を切り捨てたという故事があるらしい。ビョウヤナギキンシバイ花弁はビョウヤナギが少しスリムでキンシバイは幅広いが、2者並べないと判別はむつかしい。ビョウヤナギの花: 雄蕊の数が多く長いキンシバイの花: 雌蕊の基部が釣り鐘上に盛り上がっており、雄蕊はやや短い。離れた場所にあったので私には気が付かなかったが、「葉と枝による樹木検定図鑑」と言うホームページによると両者は葉の付き方がかなり違っている。キンシバイがの葉が平面上に対生しているのに対してビョウヤナギの葉は対生ではあるが方向が交互にねじれていて上から見ると十の字に見える。ビョウヤナギの葉並びキンシバイの葉並び先月近所の寺で紅葉した新葉の写真を記録したが、今度は散歩道で生い茂った八重桜の太い幹から直接生えているサクラの桜の葉っぱを見つけた。梢の濃緑とは対照的な淡い色調に心癒される思いがしたので記録しておくことにする。
2019.06.13
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江戸の水道がすぐれていたことは前ブログで詳しく記したが、水道の負担金は大名や大家が担いほとんどの江戸市民は無料で利用できた。そんな庶民生活のインフラがこともあろうに名君・吉宗の時代(1722)に千川上水、青山上水、三田上水、亀有上水が突然中止されたというのだ。もちろん人々は「堀り抜き井戸」を掘って生活水を得たりしたのだろうが、もともと沼地や海岸を埋め立てた土地であるから地下水も塩分を含んで悪質のものであった。特に本所・深川地域をカバーしていた亀有上水の廃止は痛手となった。そこで現れたのが玉川上水や神田上水から船で水を運び売り歩く水売りである。樽に入れた水を天秤棒で担ぎ市中を売り歩くというのだ。近年生活水としてペットボトルの水を使う人が多くなったがさしずめそんな感じだろう。最もこの「水屋」もやみくもに売り歩くのは苦痛で得意先を巡回して回ったようである。貧乏人は塩分入り堀井戸からの汲み上げ水でしのいだのであろう。最も江戸開基から数十年を経て埋め立て地も固まり地下水もよくなっていったのかもしれない。特に本所・深川地区へは隅田川を渡して上水を通すことは出来ないし、千川・青山・三田上水はいずれも玉川上水からの分岐で、幕府直轄地の多い武蔵野の農業を潤すため支流に流す余裕がなくなったとか、財政がひっ迫して上水メインテナンスの費用が支出できないなどと言うバックグランドがあった。そんな時ある御用儒学者が江戸に大火が多いのは上水が土地の地脈を分断するからだとの説を取り入れて4つの上水を廃止したの言うのだ。テレビドラマの吉宗公に似合わぬ愚策である。ライオンの給水口を備えた陶器製の給水塔が展示されている。 これはロンドン市「牛馬給水水槽協会」から東京市に贈られたもので、明治39年(1906)都庁前に設置されて共同水栓として利用された後、水道局に移され昭和32年まで利用されていた。現在は同じものが新宿駅東口に設置されているそうだ。牛馬用・犬猫用・人間用と三つの給水口を持つと記されているが残念ながら私はまだ目にしたことがない。この写真は周りの景色から水道局時代のものであろう(淀橋浄水場で今の西新宿ビル街?)。人間の腰の高さの槽は牛馬用、そしてよく見るとその下に子犬が水を飲んでいる。多分人間用は敷石のある裏側にあるのだろう。水道と言えばやはり思い起こすのはローマの水道で、あの水道橋はまさしく巨大な懸樋である。また市内には猫の額ほどの小さな広場からトレビの泉まで広場にはたいてい水飲み給水栓がある。たまにここからペットボトルに給水している貧乏学生を見かける程度で蛇口に口をつけて飲んでいるのはあまり見ったことがない。ただ蛇口にはバラエティーがあって結構楽しいものである。
2019.06.02
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水道公苑を訪れた時、公苑の隅っこに「神田上水の碑」を見つけた。徳川家康が江戸に入城した時、大都市江戸を作るにはまず飲み水が必要として「上水」建設を命じた。命を受けた大久保藤五郎は「井の頭池」を水源とする神田川を利用して目白台下まで導き、そこに堰を設けて取水し、地下石樋で江戸市中に給水した。その際本郷台地から神田・日本橋へ傾斜を緩やかにして水を通じるには神田川の上に筧(懸樋、水道橋)を作り渡すしかない。中央線の水道橋駅はその水道橋があったところらしい。碑の横には発掘された石積みの地下水路と水を市中に配水した木樋水路が移設復元されている。この遺構は1987年に発掘されたもので400年を経てほとんど原形のままだったそうだ。地下石樋を通ってきた水は下の写真のような給水所で写真下部にみられるような木樋を通して再び地下で市中に配水した。この公苑と一体化して「東京水道歴史博物館」があ、無料で参観できる言うので覗いてみた。江戸の上水工事は以後も続き、その後遠く多摩川上流から取水した玉川上水(1654)亀有上水(1659)、青山上水(1660)、三田上水(1664)と開かれてゆく。貞享時代(1680年代)には下の古地図で黄色の線であらわされる網の目のように上水道が整備されていたという。冒頭で記したように懸樋で神田川を超えた上水は木製水道管を通って地下を分配されて行く。下の2枚の写真は発掘された木製水路とその断面で、丸太を削って凹型にし上に蓋をする方式である。木筒のつなぎ目は木枠を用いて、複数分岐は下のように丸い桶型分水器を使って水路を分けている。木製水道管をつなぐとき当然水漏れが起こるが、隙間には木皮や木材をほぐした繊維を詰め込んで漏水を防いでいる。木管には常に水が流れ膨れているため木材は膨れたままで意外と気密性はよかったのではないだろうか。昔の日本人は発想が豊だったことがわかる。こうやって街にやってきた地下上水は下のような取水桝から屋敷や長屋に取り入れられる。大きな屋敷では上の伊達屋敷遺構のようにさらに邸内で分水樽が使われている。そして末端では地上から井戸のような縦穴を掘り樽を沈めて水たまりを作る。人々は下の絵のようにその井戸にツルベを下げて水をくみ上げて利用していた。恥ずかしながら私は80余歳の今まで、時代劇の長屋に一つだけの井戸端は地下水の汲み上げ井戸とばかり思っていたが、そうではなくて立派な上水だったというわけだ。確かに人口密度世界一だったと思われる江戸の人達が我勝ちに地下水をくみ上げる井戸を掘ったらたちまち水が枯れてしまったことだろう。思いがけず目からうろこの「水道歴史博物館」であった。
2019.06.01
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