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京都府庁の敷地の南西角で、「一等水準点」と書かれた標識を見つけました。「三角点」は三角測量に必要な基準で、緯度・経度・標高を測定するために用います。これに対して、標高の測定精度を上げるために設けられたのが「水準点」です。最も上位が「基準水準点」で、全国に86ヶ所。すべての水準測定の基準となる「日本水準原点」は、東京永田町の国会の庭園内にあるそうです。ここの一等水準点には「二四二」の番号が付いていました。全国には、一等~三等の水準点が2万2000ほどあるそうです。標識には「京都府基準水準点」とも書かれていました。京都府としての水準原点となっているみたいですね。
2017年07月22日
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京都府庁(旧本館)京都府庁は、京都御所の西に位置します。南側に正門があり、正面に旧本館が見えます。この旧本館は、明治37年(1904年)に竣工し、昭和46年(1971年)まで京都府庁舎の本館として使用されており、知事室、議場、議長室などがありました。現在でも部局の執務室や会議室として使われています。国の重要文化財に指定されています。「京都守護職屋敷跡」の碑正門を入って右手に、「京都守護職屋敷跡」と書かれた石碑が建っています。京都守護職は、文久2年(1862年)に江戸幕府が設置した職名で、会津藩主・松平容保が就任しました。この付近に、3万坪ほどの上屋敷があったそうです。江戸時代、京都の治安維持は京都所司代や京都町奉行の役目でありましたが、幕末になると尊王攘夷派など過激な志士が集まるようになり、京都洛中の治安維持、御所や二条城の警護などを担うために、上位組織として京都守護職が置かれました。非正規ながら、京都守護職のもとで活動したのが新選組です。
2017年07月20日
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蛤御門(禁門)京都市営地下鉄烏丸線の今出川駅と丸太町駅のちょうど中間辺り、京都御所の西側・烏丸通に面して「禁門(きんもん)」が建っています。もともとの名称は「新在家御門(しんざいけごもん)」と呼ばれていました。めったに開くことのない門ですが、御所の火災の際に開いた(固く閉じていたが火にあぶられて開いた)ので、これをハマグリに例えて「蛤御門(はまぐりごもん)」と言われるようになったそうです。元治元年7月(1864年8月)、京都を追放された長州藩の勢力が挙兵し、京都市中で市街戦を繰り広げました。この門の周辺が激戦地となったことから、蛤御門の変(禁門の変)と呼ばれています。戦場となった京都市内で3万戸が焼失したといいます。まったく、迷惑な話です。このあと長州藩は「朝敵」となり、第一次長州征討へと続きます。しかし、慶応2年(1866年)には長州藩の政治的復権をねらった薩長同盟が結ばれるなど、激動の幕末・明治へと進んでいきます。
2017年07月17日
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京都御所の西側、烏丸通に面して、和気清麻呂(わけのきよまろ)を祀る「護王神社」があります。和気清麻呂は奈良時代末期から平安時代初期の貴族で、長岡京からの遷都を桓武天皇に進言し、自ら平安京の建設に尽力した人です。和気清麻呂像奈良時代の神護景雲3年(769年)、天皇の寵愛を受けて法王の地位にまで昇った僧・道鏡が、宇佐八幡宮の偽の神託を利用して皇位を狙った事件(宇佐八幡宮神託事件=道鏡事件)が起きました。和気清麻呂は天皇の勅使として宇佐八幡宮に赴き神託が虚偽であることを天皇に報告し、道鏡の野望を阻止しました。怒った道鏡は、和気清麻呂の足の腱を切った上、大隅国(鹿児島県)への流罪に処し、さらに刺客を放って殺害を図ったといいます。大隅国へ向かう途中、宇佐八幡宮に立ち寄ろうとすると、どこからかたくさんのイノシシが現れ、和気清麻呂の輿(こし=乗り物)の周りを囲んで守りながら道案内してくれたそうです。そして参拝のあとは、足の痛みはなくなり、歩けるようになったといいます。狛犬ならぬ狛イノシシここにもイノシシが・・・そんなわけで、神社にはイノシシがいて、和気清麻呂を護っているのだそうです。また、宇佐八幡宮に立ち寄ったときに、足が治り再び立ち上がれるようになったことから、足腰の守護神とされているそうです。
2017年07月11日
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更新が遅れておりますが、あせらずにやっていこうと思います。一か月以上前になりますが、京都御所の見学に行ってきました。かつて見学には事前手続きが必要で、春と秋の時期のみ事前手続き不要の「一般公開」がありましたが、昨年夏以降、通年で公開されるようになりました。ただし、月曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始(12月28日から1月4日)、および行事等の実施日はお休みです。入場終了時刻にご注意ください。入場時に手荷物検査があります。京都御所の外塀築地塀で囲まれた京都御所は、東西250メートル、南北450メートル、京都御苑の北西寄りの区域にあります。かつての内裏に属していた多くの建物と庭園が残されています。清所門西側の清所門(せいしょもん)から中に入ります。入ってすぐのところで手荷物の検査を受けます。見学順路が決められており、西側から反時計回りに進んでいきます。新御車寄新御車寄(しんみくるまよせ)は、大正4年(1915年)、大正天皇の「即位の礼」が行われたときに玄関として造られたものです。承明門承明門から見た紫宸殿承明門(じょうめいもん)は、南側に面した門です。門を通して正面に紫宸殿(ししんでん)を見ることができます。紫宸殿紫宸殿に向かって左側に「右近の橘」、右側に「左近の桜」があります。明治、大正、昭和の天皇の即位の礼はこの紫宸殿にて行われました。紫宸殿は京都御所の中でもとくに重要な建物で、五箇条の御誓文(慶応4年=1868年)の舞台ともなったところです。清涼殿平安時代中期以降、天皇の日常のお住まいとして使われたのが清涼殿(せいりょうでん)です。しかし天正18年(1590年)にお住まいを御常御殿に移されてからは、主に儀式のときに使われるようになりました。蹴鞠の庭これから行かれる方は、暑い中を歩くことになるので、熱中症にはお気を付けください。
2017年07月09日
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