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京都市の嵐山から木津まで、桂川から木津川に沿った全長45キロメートルのサイクリングロードがあります。「京都八幡木津自転車道線」と呼ばれています。京都府道801号として整備された自転車道です。案内図桂川左岸を南下してきたサイクリングロードは、京滋バイパス・国道478号の下をくぐって宇治川との合流点までやってきます。桂川上流を臨む上の写真がサイクリングロードで、桂川と宇治川の合流点付近から桂川上流方向に向いて撮ったものです。遠方、左右に横切る高架が京滋バイパスと国道478号です。桂川は写真の左手を、宇治川は右手を流れています。大山崎の山並み御幸橋北詰付近から西方向を撮ったのが上の写真です。自転車・歩行者専用道と書かれた「京都八幡木津自転車道線」はこの先で右に大きくカーブし、桂川の堤防上を嵐山へと向かっています。左端に写っているのがかわきた自然運動公園です。案内標同上嵐山・渡月橋まで19キロメートル、木津・泉大橋まで26キロメートル。八幡市内がほぼ中間地点です。暖かくなってきたら、八幡市の観光を兼ねてのサイクリングもいいですね。
2011年01月31日
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京阪・八幡市駅の北側、府道13号(旧京阪国道)の御幸橋(ごこうばし)を渡り切ったところに「かわきた自然運動公園」があります。宇治川と桂川の合流地点にある河川敷の公園です。府道13号上の写真は、公園への入口付近で、右にカーブしている府道13号を撮ったものです。道路の左側で工事をしていますが、ここは御幸橋付け替えの名残りで、元の道路の撤去をしているところです。この地点を左手に入ると公園があります。道路撤去工事公園グラウンド同上同上それほど大きくはありませんが、駐車場があり、大小3面のグラウンドがあります。同上背景には大山崎の山並みが見えています。宇治川右岸公園入口近くにある距離標です。
2011年01月30日
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京阪・八幡市駅の北東、木津川と宇治川に挟まれた場所に、「クリーンピア沢」という施設があります。洛南浄化センターの北側に隣接しています。クリーンピア沢同上宇治川の左岸堤防下にあり、堤防上の道路(府道81号)からのアクセス道路があります。同上「沢」と呼ばれるこの土地に昭和47年(1972年)、し尿処理施設「沢第一清掃工場」が建設され、1日400キロリットルのし尿を処理していました。その後、老朽化のため更新工事が行われ、平成9年(1997年)に現在の施設が竣工しました。平成17年(2005年)より、「クリーンピア沢」が工場の正式名称となったそうです。ここを管理する「城南衛生管理組合」は、京都府南部の3市3町(宇治市、城陽市、八幡市、久御山町、宇治田原町、井手町)の自治体による「特別地方公共団体」だそうで、し尿処理のほか、ごみ処理、リサイクルなどを業務としており、38万人の生活を支えているということです。新施設の処理量は1日115キロリットル。当初の400キロリットルと比べてずいぶん少ないですが、将来的に処理量が減少することを見込んでのことだそうです。現在はまだここだけでは処理しきれないので、一部は希釈処理して、隣接する洛南浄化センターに浄化を委託していますが、数年後には終了する予定だそうです。
2011年01月29日
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洛南浄化センターには、隣接して運動広場がありました。案内図多目的に使えるグラウンドと、ゲートボール場があります。この日は半面ずつ、サッカーと少年野球の練習に使われていました。運動広場同上「洛南浄化センターの建設予定地を暫定的に整備したグラウンド」という説明が、自治体系のWebにありました。洛南浄化センターの拡張用に確保している場所なのかもしれません。
2011年01月27日
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京阪本線の宇治川鉄橋の下流、御幸橋(府道13号・京都守口線)に近いところに、洛南浄化センターできれいになった水の放流口があります。大池樋門という名前です。大池樋門標示板大池樋門と宇治川樋門は宇治川左岸にあります。上の写真は向かい側(宇治川右岸)から撮ったものです。琵琶湖は近畿の水がめと言われています。そこから流れ出した水は瀬田川、宇治川、淀川を流れ、大阪湾へと流れ込みます。流域に住む多くの人は、この水無しでは生活できません。この樋門の下流にも水道の取水口があります。大切に使って、きれいにして戻す。とてもたいせつなことだと思います。
2011年01月26日
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木津川と宇治川に挟まれた場所に、洛南浄化センターがあります。下水を浄化して川に戻しているんですね。京阪電車の車窓からもよく見えています。洛南浄化センター同上同上上の写真は、少し離れたところから撮りました。真ん中を左右に横切っているのが京阪本線の線路です。お椀を伏せたといえばいいのでしょうか、あるいは卵? 球根? ちょっと変わった形の構造物が見えていますね。これは「汚泥消化タンク」というんだそうです。タンクの中で発酵させた汚泥のカスをバクテリアに食べさせ、消化ガス(メタンガスなど)を回収して発電させてエネルギーとして利用しているそうです。さらに発電時の廃熱を利用して汚泥を乾燥させ、減量しています。乾燥した汚泥はセメント工場で燃料として使用され、さらにその焼却灰はセメントの原料に使われたりするそうです。外装は汚泥で作ったタイルが使われているそうです。
2011年01月25日
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京阪の宇治川鉄橋の南側、宇治川左岸にやってきました。宇治川鉄橋同上同上この辺りは三川合流の上流ですので、川の名前は宇治川になっていると思っていたのですが、「よどがわ」と表示されています。琵琶湖から流れ出るのが淀川本流だとしたら、宇治川も広義の淀川であることに間違いはございませんが。宇治川南踏切宇治川鉄橋木津川鉄橋より少し短いですが、同じ構造のトラスト橋です。堤防下にて堤防の外側の高架橋を渡る2200系車両です。宇治川鉄橋上の写真は、京都方面に向けて撮ったものです。8000系30番台の車両が見えています。この鉄橋の向こうには淀車庫があります。
2011年01月24日
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三川合流地点一帯は、昔から洪水の絶えない場所でした。地形を見てもある程度は想像がつきますが、おそらく実際の苦労は私たちの想像をはるかに超えていることでしょう。八幡市の御幸橋の中間地点のすぐ東側に、その苦労が偲ばれる記念碑があります。記念碑上の写真、背景は男山と木津川右岸の堤防です。同上上の写真は、記念碑の正面です。後ろは宇治川左岸の堤防です。つまりここは木津川と宇治川に挟まれた場所です。碑には「八幡美豆耕地整理記念碑」と書かれていました。「美豆(みず)」は、当時の「美豆村」です。綴喜郡(つづきぐん)美豆村は、昭和10年(1935年)に久世郡淀町に編入、淀町は昭和32年(1957年)に京都市に編入、現在は京都市伏見区になっています。地図を見ると、京都市伏見区の南端は、久御山町と八幡市の間に割り込むようにして、宇治川と木津川の間の一部を占めています。この辺りが「美豆村」だったように思えます。江戸時代、木津川は現在より北を流れ、淀城の辺り(京阪本線淀駅近く)で宇治川と合流していました。つまり、かつての美豆村は木津川左岸(八幡町と同じ側)に位置していたようです。明治3年(1870年)、まず、木津川が付け替えられます。碑が立っている辺りは、付け替えによって木津川右岸(木津川の北側)になってしまった場所です。さらに明治35年(1902年)、宇治川が付け替えられ、現在の京阪・淀車庫の辺りは宇治川右岸(宇治川の北側)になってしまいました。淀川三川の流れが確定し、「淀川改良工事」が完成したのが明治43年(1910年)です。まさにその年の4月、京阪本線は開業しました。同上(裏面)碑の裏面には「大正十五年五月建立 建碑発企 地区内耕作人有志者」と書かれていました。河川の付け替え工事のあと、木津川の右岸になった土地の整理を終えた記念、ということのようです。
2011年01月23日
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先日は時間切れだったので、もう一度、木津川・宇治川・桂川の三川合流付近を歩いてみました。まずは御幸橋の中間地点の交差点から東へ、木津川右岸に沿って農道を行きました。木津川鉄橋だいたいこの辺りで特急どうしがすれ違うようです。トラス橋なので車体が隠れてしまうのが問題ですが。木津川の距離標同上同上背割堤に設置されていた三川合流0キロメートルの標識から上流へ1.6キロメートルの場所です。石標には「淀川維持區域標」「京都府綴喜郡八幡町大字八幡荘」「昭和六年四月一日 内務省」と書かれていました。1918年から1930年に宇治川・木津川合流点の下流への移動、背割堤設置工事が行われたという記録があります。初代の御幸橋も1930年に開通したそうです。この石標に刻まれた昭和6年(1931年)というのは、それらの完成を待って設置されたことを示しています。管理境界の標石標の近くに、「河川管理境界」と書かれた標がありました。下流側は伏見出張所の管轄、上流側は木津川出張所の管轄を示しています。木津川鉄橋と農道対岸の山崎の山々を背景に、もう1枚。それにしても良い天気です。
2011年01月22日
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京阪の八幡市駅を出た列車は、左に大きくカーブして、木津川、宇治川を連続して渡っていきます。木津川鉄橋上は、御幸橋付近から木津川上流を写した写真です。長さ329メートルのトラス橋、木津川鉄橋(木津川橋梁)です。右手が八幡市駅側、左手は淀駅方向です。かつて木津川には「八幡水泳場」があったそうです。同上8000系30番台(旧3000系)の特急が渡っていきました。宇治川鉄橋カメラを左に振ると、京滋バイパスの高架橋の向こう側に宇治川鉄橋も見えています。木津川鉄橋同上同上
2011年01月19日
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京阪・八幡市駅の北側、御幸橋を通って木津川を渡った左側に、「背割堤(せわりづつみ)」と呼ばれる堤防があります。木津川と宇治川に挟まれており、全長1.4キロメートルほどあります。案内板入口の案内板には「背割堤(せわりてい)地区」と書かれていますが、地元では「せわりづつみ」と呼ぶことが多いようです。「背割堤(せわりてい)」とは土木用語で、2つの川の合流点を下流に移すことで2つの川の水位差の影響を軽減するための堤防のことだそうです。それがそのまま地名のようになったのでしょう。水質自動監視所入口脇には、水質自動監視所がありました。この下流には上水道の取水口がありますから、重要な施設ですね。駐車場と宇治川堤防の北側には駐車場があります。目の前を宇治川が流れています。背景の山は天王山の山麓です。背割堤下流に向かって堤防が続き、上部は遊歩道として整備されています。両側にはみごとな桜の木が並んでいます。春にはみごとな桜並木になります。木津川の石標ここから下流1キロのところに三川(木津川、宇治川、桂川)の合流点があるということです。写真の奥に見えているのは男山の西端から橋本地区の一帯です。堤防の先端部分合流点さらに下流まで歩くと、合流点の石標があります。とはいえ、河川敷はまだ先まで続き、水面を見ることはできませんでした。合流点付近背割堤の桜並木合流点付近から上流を眺めたのが上の写真です。桜のつぼみ氷点下の朝もある今日この頃ですが、桜の木は、春に備えてつぼみの準備を始めているようです。
2011年01月17日
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京阪・八幡市駅の北側には、北側から順に「桂川」「宇治川」「木津川」の3つの川が並んで流れています。1キロほど西寄り(橋本駅の近く)で合流して「淀川」になり、大阪湾へと向かいます。八幡市駅の北側に、「御幸橋(ごこうばし)」という橋があります。木津川と宇治川を渡る橋で、中間地点には信号機付の交差点がありますが、両方あわせて「御幸橋」というようです。御幸橋(木津川)上の写真は、木津川に架かる御幸橋です。正面の山が石清水八幡宮のある男山です。御幸橋同上上の写真は、八幡市駅側から見た御幸橋です。架け替えられた新しい橋で、古いほうは現在、クレーンを使って取り壊しの最中でした(写真、左側の橋)。同上工事の案内板撤去工事のようすところで、この「御幸橋」の名前は、朝廷から石清水八幡宮への使者が渡ったことに由来するそうです。現在は「府道13号(京都守口線)」ですが、かつてはここが国道1号(京阪国道)でした。いまでも「旧国道」とか、略して「旧国(きゅうこく)」などと呼ばれることがあります。
2011年01月16日
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京阪の八幡市駅の南東、歩いて8分ほどのところに、単伝庵があります。単伝庵の山門このお寺の別名は「らくがき寺」です。「らくがき寺」裏門大黒堂拝観料と祈願料を払うと、お堂の中の白壁にらくがき(お願い事)を書くことができます。神社で絵馬に願い事を書くようなものなのでしょうが、れっきとしたお寺の壁に「らくがき」するとは、ユニークですね。昭和32年(1957年)に大黒堂が建立されたとき以来、壁にお願いを書くようになったそうです。毎年、壁を塗り直すそうです。塗り直した直後の真っ白な壁に「らくがき」するのはちょっと勇気がいるかもしれませんね。
2011年01月15日
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さてさて、東急・世田谷線から戻って、再び八幡市駅周辺の散策を再開したいと思います。八幡市駅から東へ200メートルほどのところに「飛行神社」があります。飛行神社同上エンジンの展示入口を入ったところは、ガラス張りの大きなケースがありました。その中にはエンジンが展示されています。説明によると、航空自衛隊のF-104戦闘機に使われていたエンジンだということです。境内に入ってみました。ゼロ戦の機首部上の写真は「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)」の機首部で、昭和58年(1983年)、大阪湾で底引き網にひっかかったものだそうです。拝殿神社らしからぬ拝殿です。ちょっと見た目には、ギリシャの神殿のような柱が立っていますね。でもれっきとした神社です。顕彰碑「二宮忠八 1866-1936 妻 寿世 1873-1929 わが航空界の先駆者二宮忠八翁をたゝえる 航空幕僚長 空将 〇〇〇〇」と書かれています。二宮忠八は、伊予の国(現在の愛媛県)八幡浜の出身で、ゴム動力による「飛行器」を考案しました。当時、陸軍で上層部に研究継続を願い出ましたが却下されたということです。退役後、大阪の製薬会社に勤めながら資金を蓄えました。そして、故郷と同じ地名の八幡の地に移り住み、独力で飛行機研究に打ち込んだということです。しかし独自の資金で研究を続けるには限界があります。もし資金があって研究が進んでいたら、世界初の有人飛行はライト兄弟ではなく忠八だったかもしれません。志半ばでライト兄弟の成功を知ったのち、忠八は飛行機開発から離れますが、やがて飛行機事故で亡くなった人々の鎮魂のため、大正4年(1915年)、私財を投じて神社を創建しました。晩年には自ら神職についたといいます。昭和30年(1955年)、忠八の次男が神社の再興にあたり、現在に至っています。境内の鳥居は航空機によく用いられているジュラルミン製だそうです。
2011年01月13日
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世田谷線の終点、下高井戸駅に着きました。駅名標上の写真で、後ろに見えているのは京王線のホームです。到着する308編成世田谷線ホーム世田谷線のホームは2面1線で、三軒茶屋駅と同じく、一方が乗車専用(上の写真、左側)、もう一方が降車専用です。乗車専用ホームには改札がありますが、降車専用ホームには改札は無く自由通路となっています。降車用ホーム(自由通路)同上ラッシュ時専用踏切同上平土日の朝夕、休日の夕方のみ使用される踏切があります。それ以外は柵があって閉められているのですが、それでも列車が通るたびに警報機は鳴り、遮断機は降ります。駅舎京王線のほうは、橋上駅舎になっています。
2011年01月12日
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世田谷線の山下駅は、小田急小田原線の豪徳寺駅への乗換駅です。駅名は異なりますが、両駅の距離は50メートルほどです。世田谷線 山下駅山下駅付近上の写真は山下駅の南側の踏切です。右端に少し見えているのが小田急線の高架です。小田急 豪徳寺駅豪徳寺駅の名前の由来となった豪徳寺にちなみ、昨年(2010年)6月に招き猫が置かれました。豪徳寺駅前の招き猫改札に向かって手招きをしています。愛嬌のある顔ですね。
2011年01月11日
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世田谷線の宮の坂駅です。下高井戸方面行ホームに隣接して、世田谷区の宮坂区民センターがあります。宮の坂駅ホームに接するように置かれている緑色の車両には601の番号が残っています。旧・江ノ島電鉄600形同上この車両は、大正14年(1925年)に製造され、昭和44年(1969年)まで渋谷~二子玉川・下高井戸間(現在の東急新玉川線・世田谷線)を走っていました。昭和45年(1970年)、江ノ島鎌倉観光(現在の江ノ島電鉄)に譲渡され、車両番号が601となりました。平成2年(1990年)に廃車となり、車体は当時の世田谷線と同じ色に塗り替えられて静態保存されています。65年間にわたって現役だった車両です。製造当初は木製でしたが、昭和28年(1953年)に鋼製に改造され、譲渡先は狭軌なので台車が取り替えられたでしょうし、制動装置も変更されたようですので、製造当初から残っている部分はほとんどないかもしれませんね。
2011年01月09日
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世田谷線・上町駅の南に、ボロ市通りに面して世田谷代官屋敷があります。表門同上世田谷代官屋敷は、代官を務めてきた大場家の屋敷跡で、大場代官屋敷とも呼ばれています。寛永10年(1633年)、世田谷の15村(後に20村)が井伊家の領地になったのですが、そのときに代官に起用されたのが大場氏だそうです。大場氏は、戦国時代には小田原城主・吉良家の重臣でしたが、豊臣秀吉の小田原攻め(天正18年=1590年)により吉良家が没落したあとは、世田谷で帰農していたということです。元文4年(1739年)以降、明治4年(1871年)の廃藩置県まで、大場家は彦根藩世田谷領(2300石余)の代官職を世襲していました。主屋現存する屋敷は、元文2年(1737年)と宝暦3年(1753年)の2度の工事で完成したものです。 大名領の代官屋敷としては都内唯一の存在だそうです。昭和27年(1952年)には「都史跡」に指定されました。昭和53年(1978年)には、主家と表門が「重要文化財」に指定されています。白州跡白州通用門母屋の脇に、白州の跡が残っています。住居と職場を兼ねていたことがよく分かります。郷土資料館代官屋敷の敷地内には、世田谷区立郷土資料館があります。常設展示では原始・古代から現代までの世田谷の歴史を見ることができます。2010年12月11日から2011年1月30日まで、季節展「ボロ市の歴史」をやっています(休館日があります)。入館無料ですので、興味のあるかたはちょっと立ち寄ってみるのもいいですよ。
2011年01月08日
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世田谷の豪徳寺から西に歩けば、世田谷線の最寄駅、宮の坂駅です。しかし、進路を南に、上町(かみまち)駅まで歩きました。駅名標下高井戸方面のホーム同上ホームの嵩上げ跡もともと、世田谷線のホームは低いものでしたが、車両が300系に統一されたのを機に、一斉にホームを嵩上げしたそうです。Wikipediaには「全車両が300系に統一される前夜の2001年(平成13年)2月10日の終列車後に全駅で一斉に行われた」と書かれていますが、一夜でホームの嵩上げができるもんなんですね。すごい。車両基地左奥に見えているのが、三軒茶屋方面のホームです。
2011年01月07日
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みなさま、あけましておめでとうございます。今年の正月はいかがでしたか?もう4日になってしまって、仕事始めで出勤された方もいらっしゃるようですね。というか、商業施設は1日からバーゲン、なんて当たり前の世の中になってしまってますが、なんだかのんびりした正月がだんだん薄れていくようでちょっとさびしい気もします。私にとって、今年は忙しい正月でした。元旦に、寝屋川市にある成田山不動尊に初詣に行ってきました。ここは千葉県にある成田山新勝寺の大阪別院です。山門横にはたくさんの車が列を作っていました。ここは車ごと参拝しておはらいしてもらえるので、正月は車でいっぱいです。神社ではないので柏手は不要ですが、たまにパチパチと手をたたく音が聞こえます。おみくじは「大吉」でした(大吉さんに少し近づけた気がして嬉しい)。ここのおみくじは他と比べて「凶」が出る割合が高いと言われていますので、なおさら気分がいいですね。2日は実家に行く日。子どもが風邪気味で咳をしているので、とりあえず私だけ神戸の実家に行って両親に新年のあいさつ。親父と酒を飲むので、電車で出掛けました。予告では子どもを連れていくと言っていたので、たくさんのおせち料理の歓迎を受けてしまいました。頑張って食べましたあ。体重を量るのが怖い。3日の朝、水道の蛇口が壊れて水が止まらなくなってしまい、近所のホームセンターへ。蛇口のひねるところを丸ごと交換して修理完了です。そろそろリフォームしたほうがよいのですが、まだ使えるしねえ。明日から出勤ですが、年末に積み残した仕事があるので、私にとっては実質、今日が仕事始めです。今年も忙しくなること必至ですが、いまのペースでなんとか進んでいきたいと思っております。お付き合いいただければ幸いです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
2011年01月04日
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