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万里長城をまたぐ電線が風にうなり、霰交じりの雨、砂面をぬらし、城影これに映ず。 風雨の中、一握の砂に帰らざるべしと必死に絶えるが如くに覚ゆ。 姫路の城も、民、心安けと祈るが如く4月26日から来年の1月3日までの期間を耐え抜く決意を示しおりたり。 世界遺産アジア編と銘うった、砂の美術館。日本一の砂丘に大型バスがひしめき、九州は大分、近畿は姫路、大阪、中部は岐阜、そして山陰は、わが山陰号ほかあまた。 時は昼時。 かつては散寒としてた砂丘の食堂、立錐の余地なきまでの大入り満員、4重重ねの蒸篭の馳走、そのアイデア食に皆ご満悦。 感歎の声、堂に満つ。そは砂丘の海鳴りの如し。
2008年11月21日
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砂上の楼閣ははかないものの代名詞です。 砂の彫刻は、そのはかないもので出来てるからこそ、又その精巧さゆえに一抹の憐憫の情を感じました。 鳥取大砂丘砂で、中国、シンガポール、インド、イタリア、日本の世界砂像彫刻家たちがアジアの風にのってと銘うって作り上げた砂の美術館を見学しました。 兵馬俑 秦の始皇帝の陵墓を取り囲む兵馬俑 中国 アンコールトム アンコール王朝のバイヨン寺院遺跡 カンボジア バーミアン大仏と石窟 危機遺産に登録される巨大大仏 アフガニスタン エローラ石窟寺院 一つの岩から掘り出された石窟寺院 インド タージマハル イスラム様式の総代な白亜の霊廟 インド
2008年11月19日
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「吾に七難八苦を与え給え」 と三日月に主家尼子氏の再興を祈り、その雄図むなしく天正6年(1578)備中高梁で毛利の手により果てた山中鹿之助の墳墓が鳥取市の鹿野町幸盛寺にあります。 天をつく大公孫樹がそびえ、風が吹くと熟した銀杏の実が所かまわず落ちてきます。 足元に落葉と銀杏が一杯おちていました。 山中鹿之助は、当地には来てないようですが、ここの殿様の亀井茲矩公の舅であるため、高梁から遺骨を移し鹿野山幸盛寺として冥福を祈りました。 鹿野町の古城跡見学、昔をしのばせる町並みを散策しました。
2008年11月18日
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応仁の乱(1467)時、天下6分の1の勢力をもった西陣の総大将山名家の始祖山名時氏の墓です。延元2年(1337)伯耆の守護で当地に来ました。 横には600年ごろの古墳終末期の三明寺古墳があります。 大きな岩を組み内部は石を削った横穴式古墳で往時からここらは厳粛な所とみうけられます。 こちらもはるばる房総から慶長19年(1614)配流され、29の若さで世を終わった里見忠義氏の墓です。こちらは街中の大岳院にねむっています。 廻りに後おい自刃して果てた8賢士が一緒にならんでいます。 1番大きいのは、家老の墓でこれは殿さまが建ててやったそうで、殿様の時は資力がなかったから小さくなったとか。 滝沢馬琴の南総里見八犬伝のモデルとかですが、そのため、あまりにも悲しい人物にされていて関東の荒武者は不本意でしょう。
2008年11月17日
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おや驚きました。 文化祭で足湯、しかもユズ湯です。 老人会長さんが、檜材で2kの箱湯舟を2個作ってしかもテーブル付き、テーブルの上には檜の花台、裏庭に4トントラックに三朝温泉から汲んできたポリタンクの湯、そこからポンプで足湯にながれてきます。 花台の上には剥きたての柿が老人会美人によりサービスです。 小学校の生徒さんが喜んで次々にやってきます。 勿論、大人もキャッキャキャッキャの大盛況。 会長さんは建設業の社長さんで脳梗塞でたおれ、すこしの後遺症が残ってますが元気になりました。 生還お礼に昔取った杵柄、大工技術で皆さんの為にと発意しました。 あちらのイベント、こちらのイベントとひっぱりだこのようです。 相伴にあずかりました。 足だけでなく心から暖まりました。
2008年11月16日
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公民館の有志が集って、米造りの会をやっています。 今年から仲間に入れてもらい、田植えに参加しました。 9アールの田んぼで水田収支決算書まで報告がありました。 黒字報告でした。 その餅米で餅つきです。 裏方さんは、新米炊いて収穫祭宴会準備です。 お酒もご飯もとてもうまうございました。 来年も実行決定しました。
2008年11月16日
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病気を治す方法で、食養生がかなりの実績をあげてるようです。 がん治療でも治癒例をだしてるクリニックがかなりあるそうです。 ということは食そのものにバランスを欠いた生活が病気の原因をなしてることでしょう。 食育が大事なる事の主張も耳にするようになりました。 反面、食の違反事項がっめだって多くなりました。 産地偽装、残農薬の発覚が枚挙に暇ありません。 薄くなった頭をさげて謝ってる社長の情けない姿はみっともないものです。 内地での産地偽装はブランド思考にあやかって儲けようとの事ですが、残留農薬等で輸入品が敬遠されるので、国内産と偽って販売する儲け商売は悪質です。 所詮食糧自給率からみると、日本は40%しかないので、国内産、国内産とさわいでも60%は何かの形で輸入品にたよっています。 平成17年のカロリーベースの食糧自給率はオーストラリア237%、カナダ145%、アメリカ128%、ドイツ84%、イギリス70%、イタリア62%、スイス49%、韓国47%のうち日本は40%とたいへん低いようです。 金で買うという安易さが、外国産の質の劣化、バイオ燃料転換による減少等で先行き不安定をきざしています。 輸入の確保もいざと言う時は、先方も自国優先しますから危ないものです。 もっと自給率を上げておく必要があります。 遊休で草が生えた田んぼ、畑が多く目につきます。 ここに安全で頼りある食育材料を作れる体制を考えてほしいものです。 勿論農業で生計が充分たてられる仕組みを施政構築することが先決であることは論をまちません。
2008年11月13日
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筑紫哲也氏ががんで亡くなり、追悼番組があっていました。 人柄とそのセンスに絶賛しその死をおしんでいました。 本人もまだ若者へのメッセージを残すべく、新番組もたちあげそれも半ばで終えました。 初期の肺がんと宣言されておりましたが、500日で闘病は終わったようです。 知人の女性も肺がんで、手術し、翌年に又転移がみつかり、抗がん治療に専念しましたが、最後は緩和病棟で終焉を向かえました。 40年前に長崎大学病院で肺がんで父がなくなりました。 テレコバルトなる放射線照射で日に日に体力を無くして行くのをどうにもできませんでした。 挙句、最後は、酸素吸入のボンベがカラになり当直医師がボンベ室に取りに行きましたが、どのボンベもカラで急変した病人の所に駆けつけた医師はボンベ探しのスパナ片手の無様な恰好でした。 あれから設備も技術も進歩してるのでしょうが、でも発病から終焉まではあまり変わらないようです。 人生の意欲を燃やす段階で体不調になり活動を阻害され、後顧の憂いを残して去ることは忍びないものでしょう。 できることは普段の体調管理を充分に整えることが他山の石として私たちに必要でしょう。 植物は根から栄養、ミネラルを吸収します。 人は腸の繊毛がこの根の役目をしており、それを血の原料とするようです。 きれいな血にすることの条件造りが健康の秘訣であり、がん予防につながることです。 宿便などないきれいな環境の腸つくりと、きれいな食物を選ぶことです。 できることから始めましょう。 悔い無き人生を送るためにも。
2008年11月11日
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明日11月11日がやってきます。 出先で倒れ、救急車で病院に運びこまれてから5年目です。 家族の駆けつけ狼狽したまなざしの救急病室。 脳梗塞、糖尿病の診断で打ちのめされ人生の悲哀をこうむりました。 熱さは喉もとすぎれば忘るといいます。 しかし想いを巡らすと胸苦しい気分に襲われます。 当事の書き記したノートを持ち出して目を通しています。 細かい苦しい記憶は見事に忘れていて、忘却が楽楽人生に手助けしてなと思います。 奈落に落ちると評するようなエレベーターが一気に降下するようなめまいには往生しました。 ベッドの枠を掴んでも、担当医が、看護士がいても一定時間はどうにも出来ぬ独断場の迷走でした。 旅立ち時はこんなものだろうと良くおもいました。 「糖尿病を治します、先生治ったら一杯付き合ってください。」 若い、生真面目な担当医の先生は、希望を持たせる返事はしてくれませんでした。 一旦罹病したら治らない、無理しないで付き合っていくのが糖尿病だと友が何処からか聞いてきました。 でもどうしても治してやるがふつふつと湧く決心でした。 1ヶ月の入院を終えての散歩は1万歩目標と雪の日も雨の日も続いたものです。途中何回かめまいがおそいました。 ネットで野島博士を知り、電話で問診をうけ超ミネラル水を飲みはじめました。 食事は玄米食で、良く気が付くと言う位栄養バランスを計り、妻の裁量で量が決まります。 ご飯済ましたら腹が減る始末で参りました。 青い糖尿病手帳が要らなくなって久しくなります。 のど元過ぎて忘れるのは、食事の量の制限です。 妻の裁量制限はなくなりましたので自己管理で、オーバー気味です。 晩酌ほしいなと思う時がありますが、あの奈落の思いを浮かべると霧消してしまいます。 梗塞のほうも血流をよくする薬をつづけていますが、平常の生活をしています。山のぼりも元気にやっています。 さあ明日から6年目のスタート。 元気出してがんばりましょう。
2008年11月10日
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お見事。50のアクセス記録簿開けてびっくり。 ページ表示できませんばかりだ。 コメント欄にも親切な不倫勧誘の記事ばかり。 そんなに女の裸が気になるんか。 yes we can のオバマ氏の当選演説聞き、気迫に酔いしれてた気分が一遍に、心ない輩でくしゃんだ。 そろそろ大和男児の意気を出そうじゃないか。 yes you can
2008年11月06日
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高橋流紋岩を求めてさすらいました。 高橋流紋岩は、三朝町の一部落の名称をつけたもののようです。 特異な流離結晶を持ったブラウンカラーの何ともいえない岩石です。 天神川の勝宿禰神社前の千人波止と称される大水と格闘した堤防の上に、灯篭があります。文政6年の銘があります。 今は石河原で想像もつきませんが、このころ川船の通行がありその安全を祈り、照らしていたんでしょう。 この灯篭の台石が高橋流紋岩でした。 コケの間からそのきれいな流離模様がなにものか判定つかず、堆積岩か火山岩かもわかりませんでした。 貴重な文様を愛でて、塔建設時に価値あるものとして、提供されたことは想像に難くありません。 何処から持ってきた岩石か判じの時を過しました。 田中君が、その話をきき現場にいき「昔、地学研究会で現地研修した高橋流紋岩だ」と電話くれました。 さっそく彼が案内してくれて高橋地区にその路頭がありました。 見事な流紋の結晶が一定方向でなく乱流の形でありました。でも大岩の形でしかなく、あとは土砂に埋もれて関連がわかりません。 ネットで調べたら町誌で高橋流紋岩は町の宝とあります。 図書館に問い合わせたら、あの記事は町長の就任挨拶の一部と聞き、町長さんはすごいですと褒めました。 でもあまり人人には知られていないようです。 執筆担当者が後で詳しい連絡をするのでと連絡先を聞かれました。 忙しいのか4日めだけどまだ連絡ありません。
2008年11月06日
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