全9件 (9件中 1-9件目)
1
ピンクの流紋岩があると教えられたので、その場所の近くまできたので、林道にはいりました。 山の中腹に走ってる林道は舗装されており、くねくねと山肌に沿ってるので直線こそありませんがいい道です。 夏草がたれさがり、路頭がなかなか見当たらず、アクセルを踏み続けかなり車はすすみました。 見等地は過ぎたようですので、今日は中止にして帰ろうと思った時はツルベ落としの夕暮れ。 バックするか、まっすぐいけばこの林道は奥の部落までいけるが1時間はかかる。 その時車幅のわき道が下にむいてありました。 おりたら下には県道が通っています。10分もかからないでしょう。 コンクリートがしてありますが傾斜が急で、車は通った形跡はあまりないようです。 思い切って30メートルぐらい行ったら、土道になり草がやけにのびています。 車をおり道をたしかめると又さきにはセメントらしき舗装がみえます。 行くところまでいってみようとアクセルふみ、ガクンとするたびに、これではまったら終りだ。 しかも携帯でんわを持って来るのをわすれたんで最悪です。 藪が窓をうちます。 辺りがうすぐらくなりました。 前方に白く光る道路が見えた時のうれしさ、何ともいえぬ暖かさが脇の下から首のほうに上がってきました。 ルンルンで県道はしる車の頼もしさでした。
2008年10月29日
コメント(0)
赤い金魚2匹、黒い出目金2匹が我が家の玄関カウンターの上にいます。 夏休みに遊びにきた孫達が土曜夜市に行って、金魚すくいをしてもらって来たものです。 網が破れて掬えず、小さな金魚をおじさんにもらってきたものでした。 夏休みがすみ、孫達はかえりましたが金魚たちは残されました。 爺さんの金魚当番がはじまったわけです。 ホームセンターで餌を買ってきて与え、水が濁れば水変えをして結構手間のいるものです。 この前水変え中に1匹が飛び出し、気付いて水にもどしたときは仮死状態で底にしずみました。 掬って水に浮かばすと腹を上にして動きますがおよげません。 もう駄目かと観念して、塩水を造りその中にいれてみました。 少し動きがありました。 あまり塩水では可愛そうなので真水に移したらなんと泳ぎだしました。 小さな生命が消えずにもちました。 もう最初から2倍か2倍半ぐらいの大きさになって4匹が泳ぎまわっています。 心配させた赤い金魚は一番大きくなって我が物顔です。 どうせ金魚やさんでは、規格外の部類でしたでしょうが、我が家では世界一の金魚になりました。 来年、4年生、1年生、幼稚園となって夏休みにきたときに喜ぶでしょう。金魚も1歳年とって大きくなりましょう。 精出して可愛がります、金魚の小さな定めを全うさせるためにも。
2008年10月29日
コメント(2)
公民館の文化祭がありました。 展示ボードを部員さんである大工さんが肝いりで作ったというだけあって、見事な会場になっていました。 チョットなど名前が掛かってるからいい加減なもの作れないとの大工さんの無償奉仕作品だとか。 いつもより出品されてる写真、絵画、手芸は数が多く、そして皆一級品揃いです。 県の展覧会に出品するもの、個展を開催するような優秀作者もおり、多彩で心強いものです。 介護の仕事で忙しいFさんもお年寄りと一緒に作った可愛い毛糸のこねこをだしていました。 先日のシホッツアン登山のスナップ写真、クラブの稲刈り作業の写真も一角を陣取っていました。 1日で終わるのがもったいないと残念がる参観者もおおいようでした。 来年からボランティアを募集して、会場担当者をつのりせめて4,5日やろうと老人パワーが意気巻いていました。 いいことです。 大工さんの意気が充満したみたいです。
2008年10月26日
コメント(0)
君がため 浮沼(うきぬ)の池の菱摘むと 我が染めし袖濡れにしけるかも 万葉集 柿本人麻呂 今年は菱が大繁殖で、湖山池もその葉っぱが腐り悪臭をはなって住民が困ってるようです。 新聞が昔菱は貴重な食材で栗のようなほくほくした味が好まれたことを教え、現在は見向きもしないし食えることも知らないとありました。 もう一つ、竹の繁殖も同じで見渡す山が竹に凌駕されてる実態があります。 国産材が値段が安くなった事、人手がないこときつい仕事で、山の手入れがおろそかになったこともあります。 いずれにしても繁茂して困るとは贅沢です。 この繁茂を恩恵に変える工夫と努力が必要です。 菱は、天恵の自然食、農薬漬けの輸入食より安心です。 竹は竹の子から3年で成竹になります。竹の炭、竹酢を健康、土壌改良材、作物育成材として加工すれば、農薬まみれしなくとも農産物ができます。 再生資源が3年更新で出来るとは、万々歳の策です。 いずれも作業に従事して採算が取れるものでなくてはなりません。 高配当があれば、喜んで人は集まります。 山間農家は、土方仕事もなく現金収入に苦慮しています。 産業技術試験場などの優秀な技術者に、着眼させる機構と心構えを持たせればできましょう。 産官学協調の輪がめまぐるしく活躍することを望みます。 40%きった食の自給率。 金をだせば集まる宵夢は、石油高騰で代替燃料問題により吹き飛びました。 他所から入ってきた食には売らんかなの形優先で薬化粧で困惑させられました。 原点にかえって、自給自足の方程式をひもどく要があります。 冷え込んだという農村に訪れた逆転のチャンスの時期かも。
2008年10月25日
コメント(0)
拝啓と までは書いたが 続かない 新聞社主宰の柳檀で、年間最優秀賞が発表になりました。 全く我が意そのままなので、おもわずふきだしました。 90%台のブログの出稿率が、年を追い低下して今や70%代におちこみました。 証券界の不況は乱高下で今日も下げ記録のようです。 わたしのは高がない下に徹してるようです。 書こうと思ってもキイが続かないのです。 燈火親しむの季節、挽回をはからねばと鞭うつ始末です。 ふと見ると、作者は良く存知ある元中学校の国語の女先生です。 電話のダイヤルをまわしました。 「先生おめでとうございます。 よーく理解できます」 「恥ずかしいようなものです」 厳しいことで有名な先生におめでとうと褒めてよかったのかそっとしておくべきだったのか判断に迷いました。 まあ若かったきれいな昔の先生がそれは判断すべきことでしょう。
2008年10月24日
コメント(0)

「しほっつあん」と親しまれた高くも無く、低くもない山があります。 正確な名称が四王寺山といいます。 小春日のうららかな先日曜日にハイキングとしゃれこみました。 はずむ息、小春日のこもれ陽も過酷に感じ、汗がしたたります。 舗装された登山道は、最初からきつい爪先上がりで、薄暗い森の自然石の上におわす神社と山林の説明板が、これから登る山の神秘性をくすぐるようでした。 9世紀、(貞観9年876)新羅の海賊に備えて出雲、隠岐、石見、長門と同じく伯耆の当地に次ぎの四天王像が安置されました。 尊像を安置する仁祠の建立と賊心調伏のための修法とが、それぞれの国司に命じられました。 上右四天王多聞天、北方の守護神、下右四天王持国天、東方の守護下左増長天、南方の守護、上左広目天 西方の守護、 伯耆四王寺は日本海を見下ろす絶好の地である四王寺山山頂に設置され、その後海賊は消滅しまた。 その要因は四天王像が海を睨んだからと伝えられています。 しかし海賊は消滅しましたが、漁民は海がいつまでも荒れて困り果てました。 そこで寺を北側の日本海に向かず東に向きを変え今の位置としました。 これにより荒れた海は治まり、やがて商売が繁栄し(四天王の御利益)、四王寺山は「しほっつあん」と言われ「市」が開かれるようになり大いに賑わいました。 昭和6年(1936)2月に失火により全焼した経歴があり今はおられないようです。 社は其の後再建されたもののようです。 繁茂した境内の松は昨年まで緑でしたが、今年松くい虫にやられ、切り倒されていました。 酸性雨の為松が弱り、とうとう松食い虫の攻勢に果てたようです。 四天王の威勢をお借りしたい森林事情です。
2008年10月23日
コメント(2)
株の乱高下、輸入食の農薬問題、相撲の八百長裁判、国会の解散含みの駆け引き、なんと朝からテレビの忙しいこと。 まともに聞いてると、何たることかとせつなくなる。 虚業の限界と実業の真意を認識する時期にきてることかもしれない。 札束を煌かせ汗を軽んじた代償が農薬交じりの食品であり、八百長かもしれない。 かっての大横綱が証言台にたって釈明してる国技の相撲はみっともよくない。懸賞金がまぶりつく相撲界だから真剣勝負ばかりもとめても致し方あるまいのかもしれない。 本人がやっていないというのに大問題になるのもおかしなことだ。 話の出所が昔部屋の女将というから又厄介というもの。
2008年10月17日
コメント(0)

名刀工大原安綱ゆかりの地大原に、ひっそり、しかも重厚なお地蔵さんがいらっしゃいます。人柱地蔵さんです。 享保6年(1721)閏7月12日から降りはじめた雨は13,14日とことのほか大暴風となり15日には魔の河と変身し、河沿いの土手は決壊、濁流田畑に奔流、砂礫流入し河原と化す。 幾たびの被害の末の事、藩主数年の年貢免除とともに、より強くて頑丈な基礎工事を命じました。 しかし今までと同じ工法では何れ又決壊するであろうとのことで昔から生きてる人間を埋める「人柱」を立てると橋や城なども崩れないといわれるので誰言うとも無く「人柱」をたてることになりました。 さて誰をその犠牲にするかの人選になると誰とて言い出すものも無く結局、藩の役人に一任し誰に白羽がたつか戦線恐々だった。 役人は「かしわ蓑を着た旅人」と決めました。 かしわ蓑とは、草と藁で編んだ蓑ですが、それから3日後に山陽からの旅人が来ました。 事の次第を聞いて、観念し、不運を嘆きながらも犠牲になることを覚悟し、村人の心籠った食事をすませ、完成間じかの工事堤防の深い穴の中へ消え「南無阿弥陀仏」を唱ました。 やがてその声も消えていきました。 やがて工事は完成し、其の後は洪水で決壊することもなくなりました。 村人は人柱となった人の冥福をいのって地蔵さんを建て、地蔵さんの浄土は南方にあることから村の最南端に安置しました。 8月23日の地蔵盆には村人こぞってお祭りし、日ごろもお供え物は絶えません。 撮影中の珍事です。 参拝してたらいつの間にシャッターがきれていました。 画面でなんだろうと不思議に思ってみたら、手に持ったカメラが下から写していました。下の三角は地蔵さんの屋根です。
2008年10月06日
コメント(0)
継続は力也と心に念じてるつもりが体調不良の理由でブログの時間を省略してしまいます。 戻ってみて、得体の知れない書き込みに心悪くして、一握りの人間に世間を暗く感じさせられます。 特に最近のメールのなんと親切な歓楽世界へのいざないが多いことでしょう。幼い子供達にも間断なく飛び込んでいくのですが。 どこでアドレスが知れるのか横文字までがとびこむ始末。 ほっておくと大事なメールが埋もれてしまって大慌てです。 何事にも表裏があるが裏の面に少しうんざりしてるのが真実のようです。
2008年10月05日
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1


