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武者行列の北野神社参拝の案内が「町内会の回覧板」で回ってきました。里見忠義公が倉吉のお殿様の時に北野神社を再興されました。400年前のこと。菩提寺大岳院から、終焉のち関金堀まで里見忠義公の武者行列を行って、倉吉と関金が大同合併して倉吉市となった証をしようと計画された遠大なお祭りです。御承知、南総里見八犬伝のモデルといわれた里見忠義公、ここでも八つの珠に操られています。せめて、公が倉吉で真の里見忠義を語る処をと北野天神さん参りを考え、合併10周年を期して計画、今年で3回目です。はからずも、北野天神さん総代さんが、回覧板を作って、町内にしらしてくださいました。お礼にいったら、「神社の土台修理が間にあった」とおっしゃって案内してくださいました。がっちりと石組をした土台、鳥居、灯篭は形を変えてはいますが、広い神域、一隅で再建をゆっくりまっています。社殿の祭殿への階段はまだのようですが、神様はそんな物理てきなものがなくってもへっちゃらまだ待ってもらえます。予算の都合もあるようです。9月3日の里見祭りどうぞとおっしゃいました。神社の前の自動車屋さん、駐車場に提供約束していただきました。自動車学校の駐車場も理事長さんが許可いただきました。総代さんがご一緒くださいました。千葉の里見忠義公の里から、北野神社を指定して倉吉市に義援金をいただきました事の御礼申し上げます。
2017年08月29日
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9月3日。里見忠義公武者行列が行われます。昨年の参拝、お国の為に戦死なさった先輩の忠魂碑に参拝しました。昨年そのご10月21日の中部地震は、天神野をも震撼し碑も倒しました。参拝をおえ、観客にご挨拶をいたしました。あの時は、まだ鳥居も天に向かって威容を誇り、灯篭も、国旗掲揚台も、社殿の土台も健全でした。形あるものは、時として形を崩す。崩れたら、直せばよい。思えば、石の大きな鳥居をくぐり、里見忠義公一行が北野天神さまに入場しました。12時15分の行列をむかえるにあたり、1時間前から北野天神では、お祓いをうけた、打吹童子ばやしの若人の面々が、太鼓演奏を行ってくれました。 森閑とした、神社の森に勇壮な太鼓の音、乙女の躍動に、参拝の人人はよいしれました。まもなく武者行列到着、最後の乱舞で、陣型を変え、歓迎の入場の太鼓に変わりました。 さあ今年も参拝します。 童子ばやしさんも又太鼓演奏してくださいます。
2017年08月24日
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つい最近、近所の山にのぼり、ビックリしたのが、このナラ枯れです。ナラ枯れが鳥取の東部にはいってきてることは聞いていましたが、他所事のように思っていました。ふとなにげなく、色が変わった葉っぱだなと思ってよく見ると、なんと木全体が枯れています。枯れていることを意識して回りをみると、なんと至ところに雑木がかれています。 これがナラ枯れかと意識を持っていくのに手間はかかりませんでした。 道路から中に分け入り、枯れた木の根元にたどりつくと、大きなナラの木がもう生気はありません。粉をふき、死滅の気配です。 あらためて、あたりをみまわすと遥かかなたの山に点々と変色がみられます。 雑木というのは、伐っても切っても芽をだす、不屈の木だとおもっていました。 ところが、炭に切ってた事を止めたおおきな木に、カシノナガキクイムシが繁殖しナラ菌を持ち込み木をからすというから驚きです。 松くい虫に悩まされ、松の産地として面痛もなくなった今、又ナラがと悲痛になります。 健康な森林を維持することまで配慮せねばならぬ時代が来たことはただ事ではありません。微生物や昆虫の被害、気象条件などありましょうが、松が枯れ始めたのは昭和45年(1970)ごろからで、コナラ、ミズナラは昭和55(1980)から始まったそうで長いあいだ浸潤してたようです。松の被害は、建築材として経済価値が響いたので大騒ぎして民間も対策に関心をもったが、薪炭利用が無くなった今雑木としてほとんど経済対象にしていないので防除は手遅れになりそうです。枯死被害が大きい樹種は、ミズナラとコナラですが、そのほかブナ属を除く日本産ブナ科の全ての属で枯死が見られると総合研究所報告にあるのは恐ろしいことです。 コナラ属コナラ亜属 ウメバカシ節ウメバカシ クヌギ節 クヌギ アベマキ コナラ節 カシワ ミズナラ コナラ アカガシ亜属 イチイガシ アカガシ アラカシ ウラジロガシ シラカシ クリ属 クリ シイ属 スダジイ ツブラジイ アテバシイ属 マテバシイ これらの木が枯れる事は、山の動物が食べるドングリ、シイ、クリがなくなることで大事件です。これから先どんな進展になるのかわかりませんが、サルがミカン、キンカンを荒らすニュースがあったり、熊が人を傷つけたりする事は、無関係ではないようにかんじます。ナラ枯れの被害をどう減らすか - 森林総合研究所 - affrc「ナラ枯れ」が示唆するもの 健康な森と歩む未来へ ナラ枯れ(ナラ類の集団枯死) 神戸大学 森林資源学研究室 黒田慶子 ...
2017年08月19日
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上神、寺谷 から和田を抜けて北条川が上ってきています。昔は、甲府川と小鴨川が合流して、この北条川に通じて日本海に流れていました。 和田から上神の山合いをぬけドンドを越すと北条平野の中をユルユルと雄大に流れていきます。 右手に茶臼山がのぞみます。この北条川の向こうが日本海です。北条川の日本海への河口です。打ち寄せる波が砂を河口に打ち寄せて堰止めするので、重機で開析しなくてはならないようです。放水路整備で護岸工事をしていました。北条川の横に砂防林を利用して、オートキャンプ場があり、なかなか楽しいところで、山陰道も横を走り抜け便利なところです。キャンプ場の松林をぬけると日本海砂丘が望め、小鴨川から流れてきた砂鉄が波に打ち寄せられて、黒く比重で溜まってるのがみうけられます。 この中に磁石を入れると、砂鉄が生き物のようにくっついてきます。 小鴨川の上流は、中国山地花崗岩地帯で、風化した花崗岩の磁鉄鉱が砂鉄となり、昔日本の6-8割も鉄需要をまかなったことがあるようです。その花崗岩が関金・倉吉と続いているので、山を崩し、カンナ掛けをして、水に流して砂鉄をとり、炭で砂鉄を溶かしてたたらで鉄をつくっていました。それらの砂鉄が小鴨川にながれて北条の海に流れてきてるわけで、逆に北条で砂鉄を取って、関金で炭を作って、ミニたたらをつくり、鋼を取り出し、鍛冶で小刀を作ろうという計画がなされています。関金開湯1300年行事での企画だそうです。この地はむかしから、鉄に縁があり、刀、千歯など鉄を製品に作って栄えた地故意義がありましょう。
2017年08月14日
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先日、あるお寺の前を通っていた時、門前におおきなスチールの本棚3個ならべ、棚に杯や皿などの陶器類、本、額縁付き絵画、炊飯器、生活品などがならべられて、「震災で整理したものです、入用の方はお持ち帰りください。志でいいですから、仏様におねがいします。」というような看板があり、なかなか慈善てきなことと思いました。 ところが、今の時節、急ににわか雨がふりました。 本立ては門の外に立てたままですから、雨が直接かかっています。 陶器はまあ良いとしても、本は濡れます。みるとベートベンなどの伝記ものの文庫などです。厚いカバーがあるから中はいいのかな?。 額入りの絵画は、誰のかしりませんが、書いた人は、真剣に描いたはず、それが雨さらし。 買ったのか貰ったのか、その時は、大事な価値があったんではないのかな。 この本立てにビニールの雨除けでもかけてあるなら、本当の志感じますが、作者に失礼、だれが貰っていくのか、何の目的なのか、パズルのお寺でした。
2017年08月13日
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昨日は山の日、暑い日山の涼風?を求め大勢の人が集まりました。 ザンブラコは、井手を利用したゴムボートの川流しですが、冷たい水が心地よく大賑わいの盛況でした。 いじわるのゲリラ豪雨も涼の添加よろしく、終日にぎやかでした。 大阪から直接きたという家族、一番乗りで到着、はじまるまで2時間余。「此処コンビニは?」とケゲンな質問、ここ山のなか。ひとまわりしてきますと気楽なもの。ザンブラコして、鳥取砂丘に行く計画、何キロある?とおっしゃる。ネットで見てきたとは、世間はひろい。 800メートルの区間、終点からゴムボートを車につんで、途中空気が抜けたものに空気をいれて出発点に運ぶ理事長さん、自ら率先されれば、部下みんな一生懸命。お客さんも、ニコニコ。 孫の動きに爺さん婆さんおおよろこびでついて回って。竹でっぽう、金魚すくい、バルーンアート、走りまわる子供には、暑さという文字は消えてしまってます。 見つけたかき氷、僕も、私もとかき氷の周りに参集、ぎこちなくやっていたKさん、技術も商売人のように上達、おおにぎわりのもりあがり。 多めに用意した氷が底ついた。終りましたの看板書こうというが、喜ぶ姿思うならと、街までおりてコンビニから氷買ってこようと車とばしました。 余るだろうと思った買いものが、又底ついたのは、暑さのせいだったのと、氷やさんの腕前でした。 岡山の海辺からきましたとか、岐阜からですとか、遠くから家族できてる人もいました。 地元の人が当たり前の景色が、とても気に入り感銘してもらい、場の提供が人の幸福をもたらすことになると感じました。 参加することで、皆さんの山の行事の喜びの助けになったと満足しました。
2017年08月12日
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長崎に原爆がおとされた日8月9日。72年もすぎた。 分散学級のお寺の本堂で、11時過ぎ、辺りがミドリ色になり、ガタリと振動があり、皆一斉に庭に飛び降り、隅にほってある蛸壺(個人防空壕)に飛び込みました。しばらくして、壕からでて北の方を見ると大きな雲、あれが原爆雲でした。 家族の遺骨を二つ、三つと下げて帰る人人が多くなり、どこそこの人がだめだったとか、村の中で噂がでたものです。長崎にでてる家族が多くいるところなので、不安な空気でいっぱいでした。暗い、暗い、不安な空気の静寂でした。 それから間もなく、髪の気が抜ける人、歯茎から血が出る人が多く出た模様でした。 小学5年生でも、特殊爆弾のこわさは、わかりました。原子爆弾、プルトニューム爆弾、人類の実験はすみました。核を持ってる国、持ってない国、まだこんな悪魔の武器で脅そうとしてるバカがいる。きっと自分のもので自分が滅ぼされる日がきっとくるでしょう。
2017年08月10日
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里見祭りがやってきます。里見安房守忠義公が北野天満宮建設されました。幕府の命により、池田家が因幡、伯耆を領することになり、倉吉は家老伊木長門守忠貞公治し、忠義公は、治者の座から御預けの身になり下田中に居をかえました。それが今をさる400年前、1617の元和3年のことでした。里見祭りと里見武者行列は、倉吉と関金が合併して新しい都市として出発することを記念して計画された偉大な行事です。お祭りも10指を数える一昨年、北野天満宮に武者行列をたちより参詣して行こうと計画しました。宮司さんはじめ氏子さんは、殊の外喜び、大掃除をし、当日は総代さんが集まり、童子ばやしの太鼓連は、1時間前に社殿前に整列し太鼓の曲を奏でました。武者行列が神社到着時間前に、列を解き、態勢を歓迎陣形に変え、マーチ型の太鼓音頭に替え、演奏をしてくれました。 武者行列の方方は、前1時間の太鼓陣の演奏があったことは、知る由もありませんが、地元の歓喜は、此処に新しく芽生えさせる大きな貢献をしました。 地元の公民館の行事として、新しい渦が巻き起こる気配があります。3回目の今年、忠義公が任を解かれ400年を迎えた年、憐れむかの如く、祈念するかの如く中部地震が社殿周辺を襲いました。 鳥居は折れ、灯篭はたおれ、国旗掲揚台、屋根瓦はずれ、忠魂碑は飛び、形は無碍に変わり、補修未だしものの形ですが、不思議と参拝の心は穏やかなのに驚きです。先日朝6時から総出で大掃除しました。里見武者行列は今年も参拝します。9月3日です。形だけでなく倉吉と関金を貫く大きな大きな絆をつくるお祭りにしましょう。おじんもおばあも、議員もせんせーも みんなけーけーくらよしよいとこよくしよう
2017年08月08日
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8月6日は、広島に原爆が落とされた日です。 9日は長崎に原爆が落とされた日です。 72年の経過がありましたが、あの原爆の雲は脳裏からはなれません。 よきにつけあしきにつけ、生きてることがあったればこそ、人生の価値を語れます。 本当に、人生半ばにして命を落とされた方々は未完なのです。 方々の冥福をお祈りします。 戦争下の国民生活、負けの国民の暮らし、充分味わいました。 戦争はいけません。 戦争に持ち込む指導者は、罪悪です。 過ぎたるを恨みはしませんが、特にお国に為に若い命を特攻で投げ出した先輩のことだけは、忘れないようにせねばなりません。誰が好き好んで死にますか。 がんじがらめで、命の終末を、投げ出す意思に決せねば、他の選択もない特攻隊の方方の気持ちを無駄にしないように、これだけは、生かされた者が心に銘うちましょう。 平和な時代になりました。 それにしても、政治を担当する者の最近のはぐれ者が目立つのはなぜでしょう。敗戦時を思うと、多くの命を落とされた犠牲者に申しわけなくかんじます。 国民の総意を代弁するのが政治家です。特攻隊で死なしたのも、原爆を落とされたのも、政治なのです。 票が集めれば政治家に成れるんじゃないんです。 学歴があればいいんじゃないんです。 知識があればいいんじゃないんです。 論が喋ればいいんじゃないんです。 女権が叫ばれるのも、平等の世界。 だが、見識がせまい事件ばかりが最近仕出かすものが多くて嫌気がする。 ハゲと罵倒して、自分の事務所も管理できないものなど論評に値しない。 新幹線は公衆だ、ホテルの続きを手つなぎ夢みるざまなど写真公開は何。 戦争しないための組織で、聞いた、聞かないの初歩問題で辞任。武士は腹を切ったもの。 たまたま、女性がめだっただけ、病気の嫁をおいて、彼女の意向だと結婚式をあげ、写真を大衆に報道されるマヌケ精力旺盛議員、子供産む嫁のほか別の女性でとの男性議員もいました。 多くの代議員の政治家は、国会から地方の議員まで、なんとかこの国をよくしようと頑張ってくださっています。なかにこんな不心得な者がいるからこまるんです。 早く、欠格者は、自分から辞めてほしいものです。 選挙は、選ぶことと、不心得なものを除外する事の2つの事を考えねばなりません。 当地でも市会議員の選挙がありますが、不心得者がはばを利かすことのないように気をつけねばなりません。 8月15日は終戦の日。
2017年08月06日
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恒例の夏祭りとふれあいの夕べが、30日の日曜日にありました。今年は、防災訓練もかね、各班の避難所で点呼し、そのあと、全員ふれあい広場に集まり、炊き出しを準備し提供、訓話もありのマルチ行事でした。先回の被災の跡もまだ生々しいためか、300数人の参加があり、県の防災課からも訓話があるなど、炎天下大変な盛況でした。子供神輿は、街をねるあるき、会場では、避難訓練終了から、ごご5時ふれあいの演芸かいに展開し、なまビール、焼きそば、子供会の販売など大賑わいでした。 明石からはるばる来たという、歌手のかたの飛び入りもあってなかなか異種の夏の世でした。済んでからの、後片付けが大変。大騒ぎした酔っ払い連は、そうそうに消え失せ、ああこの人もと言う人たちもくらやみで提灯たたみやコードたぐりやっていました。 大広場はきれいに元の姿になり、今年の夏祭りもおわりました。
2017年08月01日
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