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平成17年も残り僅か…。世界にとっても、日本にとっても、得たものより失った(喪った)ものが多い1年でした。そして、私にとっても、満足できる1年ではありませんでした。来年こそは、実りある豊かで笑いある1年でありますよう、心魂から願っています。そんな次第で、今日はskywalkerさんが開催されいる『ブロガーによる”ブックオブ2005”』に、私が『2005年に「読んだ」本、「出版された」本からトップ3を投票』した中で、第一位に挙げた本を紹介して、この1年の〆にしたいと思います。この
2005年12月31日
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昨日で、ようやくアルバート・A・ノフィ著、諸岡良史訳『ワーテルロー戦役』(コイノニア社、2004年)の呪縛から逃れました。そこで、今日は昨日の日記で、取り付かれたように長々と書き綴り、また、人間生まれてから必ず一度は興味・関心・疑問等々、何か考えたり思う事があった道具、鉄砲について解説している本を紹介してみたいと思います。鉄砲、この言葉は日本史の教科書に「鉄砲伝来」として記述されているように、日本史を動かした武器として広く知られていると思います。しかし近年、日本史の教科書に書かれていた「鉄砲伝来」には多くの誤りがあったという事が研究により明らかになってきました。そんな鉄砲研究の第一人者が、国立歴史民族博物館(歴民博)の教授をされている宇田川武久先生です。著述の著者紹介に「中・近世水軍史、日本銃砲史専攻」と書かれる位のお方です。この宇田川先生の著書の中で何処でも簡単に手に入るものとしては『鉄炮伝来 兵器が語る近世の誕生』(中公新書、1990年)があります。この本では、鉄砲がポルトガル人ではなく倭寇(中国から朝鮮半島沿岸を襲った海賊集団。時には、100隻以上の船団を組み、内陸部まで襲撃した。初期倭寇は日本人が中心であったが、後期倭寇では中国人が中心となっていった。明国衰亡の原因の1つ(「北虜南倭(ほくりょなんわ)」、虜は北方からの騎馬民族タタール等の襲撃のこと。)ともなった。)がもたらしたものであることを、調査と新史料に基づき明かされています。(最近の教科書では、倭寇伝来説を採っているのかな?)これまでの研究では『鉄炮記』(先ほどから「鉄炮」とい言葉が出てきていますが、この当時、幕末ぐらいまで火器の「砲」は「炮」という漢字を使用していました。)という史料が使われてきたのですが、この史料、史料が伝えるところの鉄砲伝来時の天文12年(1543)より後の慶長11年(1606)に、種子島の領主、種子島久時が、鉄砲伝来時に島主であった祖父の時尭の功績を称えるために作らせたもので、史料に基づく伝来時より半世紀も後に作られています。このため、資料的価値はあまり高いものではなかったのですが、鉄砲伝来を記した唯一無二の史料であるため、重用されてきたのです。宇田川先生はあえてこの『鉄炮記』に拘らず、『朝鮮王朝実録』(NHKで放送中の『宮廷女官 チャングムの誓い』の基になった史料です。)と鉄砲の形式にから、鉄砲伝来が倭寇によるものと結論付けています。この『朝鮮王朝実録』では、『宮廷女官 チャングムの誓い』にも済州島での倭寇騒動がありましたが、倭寇の被害とその対策が細々と記載されています。例えば1544年の『中宗実録』には「漂着した唐船が火器を所持している」、「かつて日本には火砲が無かったのに今は大量に持っている」という記述があり、すでに鉄砲が日本に伝わっていた事を示唆しています。このような記録から、宇田川先生は東シナ海を中心に活動していた倭寇、とくに『鉄炮記』にも記述があるポルトガル人との通訳をした五峰(ごほう)という明人が、実は王直という倭寇の大頭目であったことを明らかにされ、倭寇が当時の戦国大名、大内氏や大友氏とも交易があった商人としての一面を持ち、そのような倭寇の手で鉄砲は火薬の原料、硝石・硫黄(当時の明国のご禁制品。)と共に商品として日本へ伝来したとされ、ポルトガル人よりむしろ倭寇が主役であったと結論付けています。また、この説は種子島に伝わったとされる初伝銃の形式がヨーロッパ式ではないことからも、明らかであるとされています。この鉄砲の形式については、佐々木稔著『火縄銃の伝来と技術』(吉川弘文館、2003年)をご覧になると良いでしょう。この本は、これまでの火縄銃に関する研究を一気にまとめ上げた代物です。この本では、種子島の初伝銃の形式は銃床(ヨーロッパ式は肩当式に対して、和銃は頬当式。)と点火装置などから東南アジア、マラッカで作られた鉄砲に類似している事を指摘されています。また、『鉄炮記』著述以後の宇田川先生の研究等に基づいて、鉄砲伝来を環シナ海交易の中に跡付けています。この、『火縄銃の伝来と技術』はこれまで、文献史学・鉄砲史の側面からしか議論されていなかった火縄銃の伝来を、材料工学研究者を交えた共同研究により「技術史」の側面から解明している点が新鮮に感じました。さらに、火縄銃がどのように作られたかが、当時の資料(江戸時代の砲術書に描かれたいたイラスト。)などを用いて解説されいることもお気に入りの理由の1つです。ただ、この本の値段が…。(7,500円〔税抜〕はちょっと!)あと、宇田川先生の著作としては、戦国時代には実戦的であった炮術が、太平世の江戸時代に入り武芸の一流となっていった様子を、当時の史料、新発見の文書や手紙・日記から読み解く『江戸の炮術 継承される武芸』(東洋書林、2000年)や、銃砲に関する基礎知識から戦国合戦に多大な影響を与えた鉄砲と鉄砲を扱う技術・武芸としての「砲術」とその専門家「砲術師」の活躍を紹介、解説し、日本人はなぜ、火縄式発火装置にこだわったかという疑問にも答えてくれる『鉄砲と戦国合戦』(吉川弘文館『歴史文化ライブラリー』、2002年)が、あります。また、ヨーロッパの戦争について火薬を使用した兵器・火器と、それを開発・生産方法、火薬の生産方法、そして火器が戦場で有効に利用される戦術の確立までの戦略・戦術、軍事組織と技術問題等々の問題点を詳細に解き明かし、火器が戦場のみならず社会全般にどのような影響を与えたのかまで、14世紀に欧州に火器が登場してから300年間の歴史を、詳細に研究された著作として私が一押しする本が、バート・S・ホール著、市場泰男訳『火器の誕生とヨーロッパの戦争』(平凡社、1999年)です。書店では手に入らないと思いますので、図書館で借りてみて下さい。高い本ですしね。(4,500円〔税抜き〕です。)あと、鉄砲に関する著述としては銃砲史家として著名な所荘吉氏のものがあるのですが…。この所氏の著書は、図書館か古書店へ行かないとまず、手に入らない代物なので、興味のある人は図書館へ行って「所荘吉」氏の書いた本を探しているのですが?と、カウンターの司書に言って、調べてもらってみて下さい。
2005年12月30日
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さて、下の日記からの続きです。チョッと書きすぎたかな~、と思っていたら、案の定「範囲内(半角 8~10000 文字)の長さの文字列を入力して下さい(現在: 半角 15704 文字)」というエラーが出たので、2分割します。日が昇る前に『ワーテルロー戦役』から逃れたもので…。この、『ワーテルロー戦役』には、最後に著者のノフィ博士がワーテルロー戦役について「さらに詳しく知りたい読者のために」と、丁寧に参考文献やシュミレーション・ゲーム、映画に古戦場めぐりが紹介されています。参考文献は残念ながら邦訳されているものがデイヴィッド・ジェフリー・チャンドラー著、君塚直隆訳『ナポレオン戦争―欧州大戦の近代と現代―』全5巻(信山出版、2003年)しか紹介されていません。(この本は1冊、1万円します!しかも、れっきとした学術専門書!それでも読みたいという知識と根性のある人は、お近くの公共図書館で取り寄せてもらって下さい。)しかありません。あとは、後世に作られたこの戦役の様子を叙述した作品として、ヴィクトル・マリー・ユゴー著、豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル(1)改版』(岩波書店、1987年)や、ナポレオン戦争に経理将校として従軍した、スタンダール著、生島遼一訳『パルムの僧院(上)改版』(岩波書店、1992年)、そしてアーサー・コナン・ドイル著(ドイルが、趣味丸出しで書いたと言う歴史小説。)『豪勇ジェラールの冒険』(ここで、紹介しているのは、楽天ダウンロードの商品です。図書は、旺文社から文庫で1984年に出版されています。)が紹介されています。次に映画ですが、これは私もNHKのBS2で放送していたもの見たことがありますが、セルゲイ・ボンダルチュク監督、イタリア・ソヴィエト合作の『ワーテルロー』(1971年)があります。この作品は、ナポレオンの騎兵がウェリントンの歩兵が敷いた方陣に突撃するも、なすすべが無い状況を見事に表現しています。また、「戦闘・戦術の再現に最新の注意が払われている」そうです。私的には、ソヴィエトの十八番、人海戦術(ソヴィエト軍が協力しているので!)で撮影された迫力だけで、脱帽モノです。また、ナポレオン戦争時代の軍隊に関心のある方は、以下の本を読んでみては如何でしょう。オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズより、マイケル・バーソープ著、堀和子訳『ウェリントンの将軍たち ナポレオン戦争の覇者』(新紀元社、2001年)エミール・ブカーリ著、佐藤俊之訳『ナポレオンの軽騎兵 華麗なるユサール』(新紀元社、2001年)エミール・ブカーリ著、小牧大介訳『ナポレオンの元帥たち フランス帝国の群雄伝』(新紀元社、2001年)さて、今日は疲れましたのでこのくらいで…。ワーテルロー戦役 最後に、今日紹介したナポレオン戦役時の、各国の軍隊がどのような小火器を採用・使用していたのかを簡単に紹介してみます。イギリス軍 ブラウン・べス・マスケット 採用1695年(実際には色々、改良されていますが。) 口径18.7mm(規格品として生産されたにも関わらず、手仕事であったため実際の口径はマチマチ。) 重量5kg 発射速度は1分間に3~6発 有効射程距離は70m(最大射程は140m。この距離では、敵の姿もぼやけて狙えない!)イギリス軍 ベーカー・ライフル 採用1800年 口径16.2mm 重量4.3kg 発射速度は1分間に1~2発 有効射程距離は140m(最大射程は275m。実際には、もっと至近距離で発砲したでしょう。)フランス軍 アンペリアル・マスケット 採用1805年 口径17.2mm 重量4.8kg 発射速度は1分間に2~4発 有効射程距離は70m(最大射程は140m。口径以外と発射速度以外はほとんど、ブラウン・ベスと変わりありません。最も、変りようがないのですが。当時の戦術や技術力は英仏とも同等、前装滑空銃の性能はこれ以上伸ばせず、銃の革命が起きるのは産業革命の最中、ミニエー式銃弾と雷管・金属薬莢の開発、ドライゼ銃やシャウスポー中などの後装式銃の開発まで待たなくてはなりません。)プロイセン軍 シュレジェン・ライフル 採用年不明 口径15mm 重量3.6kg 発射速度は1分間に0.5~1発 有効射程距離は140m(最大射程は275m。なぜ、イギリス軍の発射速度が各国と比較して高いかと言いますと、これは良質で発火に良い調合〔「危険と言える混合率」だそうです。その代わりに、銃腔内に燃えかすがたまらず、発砲した後も装填がスムーズに出来るという利点がありました。〕の火薬と、良質の火打石の支給によるものだそうです。)あ~ぁ、今日は風邪を引いて昼、しっかり爆睡したので、こんな夜中に目が覚めて日記を書いてしまいました。私って、ホンッと馬鹿だね~。
2005年12月29日
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今日も昨日に続いて、アルバート・A・ノフィ著、諸岡良史訳『ワーテルロー戦役』(コイノニア社、2004年)について、語りたいと思います。この『ワーテルロー戦役』は、昨日も書きましたが私のような戦争大好き人間(誤解があるといけませんから、一筆。学術的な側面からの興味・関心です。私は、学部・院と戦争に関する研究、悲しいかな、日本では軍事学をまともに学べる所が防衛大学校しかないので、かわりに歴史学の方面から軍事史をやっていました。その延長上での興味・関心&趣味の事です。)には、たまらない一冊です。当時のナポレオン戦争(フランス革命戦争とも言います。)時代の、フランス軍・プロイセン軍・イギリス軍とそのイギリス軍と連合軍を組んだオランダ・ベルギー両軍とハノファーやブランシュバイク等のドイツ諸邦軍の、歩・騎・砲兵各部隊の編成と所持する武器の詳細、戦略・戦術、ワーテルローにて部隊を指揮した将軍や高級将校、果ては輜重(補給部隊の事です。)やワーテルローの戦場の地形や当日の気象、とどめはその日兵士たちが何を食したか、という事まで事細かに調べ上げ、解説を加えて紹介している事です。ワーテルローの戦いが、ナポレオンに止めを刺した歴史に残る戦いであったため、戦場で指揮を取った両軍の将軍を始めとする高級将校から下級の中尉、さらには、多少教養のある下士官から兵士までが(読み書き出来ない者でも、後に新聞記者や親族等が当事者の記憶を元に書き残したものがあります。)日記や書簡、新聞記者のインタビュー(この当時から、従軍記者がいたのです!)等で、詳細に記録を残していたため事細かに戦場の様子が描写できたのでしょう。(また、時代的にも官僚機構がしっかりしていたため、部隊の編成、給料を支給するための部隊の人数を記録した名簿や、支給した武器などの記録、叙勲や顕彰を行うための理由や証拠が、記録されて今日まで現存している事も重要でしょう。)さて、昨日は部隊の編成について、本の内容をもとにしてクドクドと書きましたが、今日はその部隊、歩兵が所持していた私が愛する鉄砲について書いてみたいと思います。以前、『『クラウゼヴィッツ』とナポレオン戦争』にも書きましたが、この時代の鉄砲は、音と光で相手を威圧するという目的が無ければ、弓矢や石弓(弩)の方が遙かに命中率が良いという代物でした。なぜなら、この時代の鉄砲は、ヨーロッパではとくに命中率より発射速度が優先されたため、まず、発火装置に衝撃が強い火打石式(フリントロック)(火打石を鉄の打金に、強力なバネで叩きつけるため。)が採用され、また、弾が銃の口径より小さく作られ、弾道が不規則となったためです。(反対に日本の火縄銃は、銃の口径に弾がピッタリ合うように作られ、弾丸がぶれる事が無く、また火縄式の発火装置〔マッチロック〕のため衝撃が少なく、良好な命中率を保っていました。)そして、命中率を落としてまで発射速度を重視したにも関わらず、当時の鉄砲、前装式滑空銃身のマスケットは熟練した兵士で毎分6発撃てれば御の字でした。しかもこれは、平時の練兵場での話し。戦場では、せいぜい1分間に1・2発撃てれば良い方でした。これは、当時のマスケット銃が長くて(銃身の長さが1~1.5m)重たく(4.5~7kg)、弾を装填して発射するための手順(重さ、約40gの紙製の弾薬筒を歯で噛み切り、それをくわえたまま適量を火皿に注ぎ、残りの火薬を銃腔に詰めて、銃底を地面に1・2回軽く叩きつける。次に銃弾を込め、次に弾を固定するため弾薬筒の紙を詰め込め、込め矢で銃身の下部に弾丸をしっかりと突き込めます。そして、込め矢を銃身の下に収め、銃を持ち上げ肩に乗せ、フリントロックの撃鉄〔火打石〕を起こし、狙い〔気休め&大体・いい加減な。アサッテの方向へ飛んでかない程度の。〕を定めてズドン!)が面倒であったためです。また、戦場での重圧やパニックによって、これら複雑な発射手順は簡単にミスをしますし(何と、恐怖により、銃身に十発もの弾丸を装填していた兵士がいたそうです。)、火薬が湿気ていたり、火打石が磨り減っていても発火しません。(ウェリントンは、戦闘を開始する前、常に兵士に対して火打石を新品に換えよ、と命じていました。)このような、命中率どころか、発砲まで不安定なマスケットでしたので、当時の記録には「100m離れたところから敵に狙われて負傷したら、そいつは本当に運が悪かったのさ!」という将校の発言が残っています。実際、1790年にプロイセン軍が行った射撃テストでは(さすが、ドイツ人!)、目標を歩兵中隊の全面に見立てた、幅32m、高さ1.8mの木と布で出来た標的に向けて中隊前列の部隊が発射したところ、なんと200m先では25%、140mで40%、70mでようやく70%という、とんでもない数字が残っています。こんな代物ですから、近距離で且つ密集した部隊に対して発砲しない限り効果があるわけがありません。では、そんなことがあったのか?と言いますと、これがかなりあるのです。なぜなら、敵味方共に同じ事を考えて行動する訳ですから…、その結果は散々たるものであったでしょう。このように、当てにならいマスケットにたいして、正確な射撃ができる火器としてライフルがありました。当時、ライフルは銃腔内に彫られたらせん状の溝(これを、ライフルと言います。)に弾丸を密着させなければいけないので(弾丸に回転を与えて、弾道を安定させるため。)装填に手間が掛かり(油を塗った毛皮の端切れで、弾丸を巻いたり、木槌で銃腔内に無理やり押し込んだりしていました。)その結果発射速度も遅くなり、使用方法や銃の保持が難しく、厄介な火器でした。しかし、長距離から狙撃が可能な事、マスケットより軽量である事等の利点から、散兵戦術を取る軽歩兵を中心に使用され始めていました。とくに、イギリス軍ではアメリカ独立戦争の時に、アメリカ側の民兵たちのゲリラ・散兵戦術、とくにケンタッキー・ライフルの狙撃による損害の多さから戦訓を得て、大々的にライフルを採用していました。このライフルはベーカー・ライフルといって、歴史上最初に機械で大量生産された火器でした。小型軽量、メンテナンスも楽という優れもので、役立たずのブラウン・べス・マスケット(イギリス軍正式採用銃)を全て廃止して、この銃を正規軍全てに支給していれば面白い事になったでしょう。(しかし、若干の改良、騎兵の攻撃に備えるための方陣、槍衾をひくために銃の全長を長くする事が必要だったでしょう。騎兵に対抗するには、1.8m程度の長さが必要とされていました。)イギリス軍は、このベーカー・ライフルを装備した旅団を編成させ、連隊の将兵に特別あつらえの緑色の軍服を着せて(当時、イギリス兵は陸軍・海兵隊共に、ナショナルカラーである真っ赤な軍服〔バッキンガム宮殿の近衛兵の軍服です〕を着ていました。)、散兵として運用していました。このライフル旅団は、通常、大隊単位で分割されて運用されていましたが、ワーテルローの戦いでも拠点の守備に絶大な威力を発揮しました。他方、フランス軍ではナポレオンが不必要な経費が掛かるという理由で(ライフルは、銃身の製作に手間隙が掛かるため。)、ライフルは採用されていませんでした。砲兵出身のナポレオンは、小ざかしいライフルの狙撃より、6ポンド砲を引っ張って来て小癪な敵を、吹き飛ばした方が性に合ったのでしょう。という次第で、今日も熱くナポレオン戦争と鉄砲について語っていますが、まだ書き残した事がありますので、上の日記に続きます!!
2005年12月29日
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最近、日記の記入時間が深夜となっていますが、これはクソ忌々しいお正月なる年中行事の御蔭の為であります。私は、昔から正月が1年で一番嫌いな時期でして。(お年玉を貰っていた頃でも、嫌な時期でした!)と、いう前置きをしてから、今日は私のブログの盟友、本が好きさん!!!のご要望通り、アルバート・A・ノフィ著、(フリーの作家で、ウォーゲームのデザイナーだそうです。また、軍事史に関する権威であり、ルイジアナ州立大学の南北戦争研究会の準特別会員にして、多数の著作を記しています。残念ながら、邦訳はこれだけみたいですが。)諸岡良史訳『ワーテルロー戦役』(コイノニア社、2004年)を取り上げたいと思います。この本の主題ですが、私は原著の主題『The Waterloo Camppaign June 1815』の方がシックリきました。まず、この本の素晴しいところは、ビジュアルです。この『ワーテルロー戦役』では当時の戦争、ワーテルローの戦い等を描いた絵画を交えて、解説がされているところです。本文中に掲載されている絵画は残念ながら(というか、当然ながら。)モノクロですが、当時の戦場や軍隊の雰囲気、将兵の軍装等が手に取るようにわかります。また、当時活躍した英仏独、各国の将軍たちの肖像画もあります。現在、名所旧跡として保存されているワーテルロー古戦場の写真も載っていて、現存する戦跡、激戦となった拠点の様子が良く分かります。さらに、この本の素晴しいところは、表紙です。残念ながら、楽天では表紙画がありませんでしたが、この本の表紙にはナポレオンご自慢のフランス胸甲騎兵がサーベル片手に、イギリス歩兵の方陣(騎兵の攻撃に歩兵が備える陣形。歩兵を四角に並べ、前列の歩兵は銃剣を騎兵に向け突き出し、槍衾を敷いて騎兵の侵入を防ぎ、後列の歩兵が断続的に発砲して攻撃します。この陣形を敷かれると、騎兵は歩兵を蹂躙することが出来なくなります。)を攻撃している迫力の絵が描かれています。私は、この表紙を見て、衝動買いをしてしまいました。この本については、時間を追って詳細に戦況を解説している(さすが、ウォーゲームのデザイナー!)メインの部分も面白いのですが、私が興味を引かれたのは、戦況を追った本文よりも、その間に挟まれている人名・事項コラムです。さてこのコラム、どのようなモノがあるか例を挙げてみますと、まず「ワーテルロー戦役における軍隊」があります。これは、1815年当時、ワーテルロー戦役に参加したナポレオン指揮下のフランス軍、ブリュッヒュー元帥のプロイセン軍、そして、連合軍の各歩兵と騎兵の編成が事細かに解説されています。ところで、ここに連合軍という単語がでてきましたが、これは、イギリス軍が主体です。これにドイツの邦国の1つ、ブラウンシュヴァイク軍やオランダ・ベルギー軍、さらに、当時の英国はドイツ、ハノーファー周辺にも領地を持っていたので(これは、当時の英王室がドイツ、ハノーファー家出身の「ハノーファー朝」だったためです。)ハノーファー軍が加わったものが連合軍となるわけです。当然、指揮を執るのがウェリントン公爵サー・アーサー・ウェルズリー元帥です。戦史・軍事好きにとっては、このようなコラムは堪りません。例えば、上記の「ワーテルロー戦役における軍隊」で説明されている歩兵では、当時一口に歩兵といっても、軽歩兵(英・独)では、遊撃歩兵(仏)、猟歩兵(仏)、ライフル歩兵(英)、側面歩兵(仏)というまた別個の名称があり、任務等で区別されていました。また、重歩兵(戦列歩兵とも言います。)では擲弾歩兵(仏)(グラナディア、擲弾兵(英)のことです。「通」は第二次世界大戦のドイツ軍を思い出すでしょうが。)、狙撃歩兵(仏)といった名称があり、とくにフランス軍ではこのような重歩兵を皇帝近衛軍に集中させていました。ワーテルローの戦いで、フランス軍がウェリントンとブリュッヒャーの攻撃で崩壊しかけた時、最後まで戦場に踏みとどまったのが、皇帝近衛軍の重歩兵たちでした。彼ら、皇帝近衛軍の兵士たちは精鋭を誇示するために、熊毛皮製の高い帽子を被り、その帽子に赤い羽根飾りを付けていました。軍装の方へ話が逸れましたが、次に軍隊の編成で重要なのが、部隊の中身です。一口に歩兵連隊といっても、英独仏、各国とも編成される内容には大きな違いがあります。例えば、イギリス正規軍(これらの部隊は、英国人、イングランド兵・ウェールズ兵・精強で名高い、ダチョウの羽の帽子とキルトをはいたスコットランド兵・アイルランド兵と、国王直属ドイツ人部隊から編成されていました。)では、歩兵は連隊は形式的なもので、通常は連隊ではなく、大隊単位で行動していました。(これは、現在のイギリス軍でも同じで、特殊部隊等を除いて陸軍部隊は大隊単位で構成されます。そして、有事の際には大隊同士が旅団として司令部と支援部隊を加えて再編されて動員されます。)イギリス軍の大隊は戦列歩兵、軽歩兵、ライフル歩兵、そして近衛歩兵で編成されていました。大隊の中隊数は、正規軍で軽装備中隊1(112名)、重装備中隊1(112名)、中央隊8(各86名)で構成され、兵数は平均で952名だったそうですが、近衛歩兵大隊は兵員は定数以上の1000人以上抱えていたそうです。一方、国王直属ドイツ人部隊では、軽歩兵と戦列歩兵が同じ大隊(中央隊)を編成し、軽装備中隊1(112名)、重装備中隊(112名)、中央隊4(112名)という編成だったようです。このように、この本では、ナポレオン戦争の時代の戦争がどのような物であったかを、痒い所まで手が届くように、懇切丁寧に解説してくれている良書です。今年出会った軍事関係の本の中でベスト2になる本です。(ちなみに1位は、ロイ・アトキンズ『トラファルガル海戦物語(上)・(下)』(原書房、2005年)です。海軍万歳! でも、なーんだ、どっちもナポレオン戦争時代のものだ!)以上、本日は長々と濃い内容を書き綴りましたが、今日は、チョッと仕事納めのゴタゴタからストレス発散も兼ねて、気合を入れて書いてしましました。(しまった~、今何時だ~!)まだ、この『ワーテルロー戦役』について、語り切れていないので、明日もこのお話は続きます。ワーテルロー戦役
2005年12月28日
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昨日紹介した、ピーター・パレット著、白須英子訳『クラウゼヴィッツ 『戦争論』の誕生』(中公文庫、2005年)について、クラウゼヴィッツが名著『戦争論』を書き上げた当時の戦争について少し、私が読んだ中からですが、取り上げて解説してみようと思います。さて、クラウゼヴィッツが不倶戴天の敵、祖国プロイセンを蹂躙した悪魔として憎んだのが、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトでした。彼はフランスにとっては英雄でしょうが、イギリス・スペイン・ドイツ・オーストリア・ロシアにとっては「革命」という伝染病を撒き散らす独裁者にして、戦争屋・侵略者、文字通りの厄病神でしかありませんでした。このナポレオンが率いたのがフランスの「大陸軍」です。フランス革命により徴兵制が施行され、市民が政府に信頼を寄せ、政権を守るべく、様々な階級から軍隊へと入隊した人間が、旺盛な民主的精神と規律ある教育・訓練と、そこから生まれた自立心による将校への忠誠心(将校も、貴族中心の将校団が能力重視の試験で選ばれた士官に入れ替えられ、売官制度で士官の地位を買った貴族ではなく、真の戦争のプロである仕官へと変貌したことによる。)が形成されたことにより、強力な軍隊が誕生したのです。そして、この集団が縦隊の機動力(進軍する時の隊形。自衛隊の観兵式の行進の隊形を思い浮かべて下さい。)と横隊の火力(横数列に、薄く広く並ぶ隊形。当時の滑空式マスケット銃は命中率が悪く、さらに黒色火薬は無茶苦茶煙を出すので、戦場での視界がすぐ悪くなりました。そこで、当たらず敵も見えなくなるなら、兵隊が一列に並んで筒先を敵に向けて、水平にぶっ放し、文字通り「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」方式で一定の空間に弾丸を密集させてしまおう、という発想でこのような隊形を取ったのです。当時のヨーロッパの軍隊では、「狙え」という号令がなかったそうです。)を組み合わせ、さらに散兵戦術(横隊とは逆に、兵士個々人が散開して自分で目標を見つけ、狙撃するというもの。)を組み合わせた「オーダー・ミックス」(混合戦闘隊形)というドクトリンと、師団・大隊・中隊…と構成される今日の陸軍の同じ指揮・編成のもとで(ナポレオン戦争前に、初めて確立した制度です。)行動する軍隊が誕生したのです。このように、これまでの軍隊とは異なり桁違いの機動力と火力、そして融通の利く部隊と、有能な将校に愛国心に燃える兵士(どのくらいいたのか、甚だ疑問ですが…。当時の軍隊はどこでも、刑務所よりマシ、若しくはそれ以下の状態が普通な場所でしたから…。)を持ったナポレオンは、アレヨアレヨと言うままにヨーロッパを席捲します。この事に、一番プライドを傷つけられたのがクラウゼヴィッツのプロイセンです。(ちなみに、一番大損を喰ったのがイギリスです。)なぜなら、プロイセンはあのフリードリッヒ大王指揮する恐怖のプロイセン陸軍(金目当ての傭兵ですら、裸足で逃げ出すほど、軍律が厳しい事で有名でした。そのため、人も集まらず脱走も日常茶判事なため「強制徴募」といって、ほとんど誘拐や詐欺みたいな手段を使って兵隊をかき集めていました。さらに、普通、銃殺になるような罪を犯した兵士ですら「戦場で使えるから勿体無い」という理由で鞭打ちで済ませるような、とんでもなく非人道的な軍隊でした。)によって、オーストリア、ロシア、フランスと戦い、勝利を得、ヨーロッパの一流国に躍り出た国だったからです。それが、コルシカ島出身の田舎モノの指揮するナポレオンのフランス軍に蹴散らされ、国土が占領されたのですから堪ったもんではありません。誇り高きプロイセンの将校団は我慢が出来ようはずがなく、クラウゼヴィッツのように、占領下の祖国からロシアに移り、フランスに一矢報いようと活動したわけです。そうした動きの中で、昨日、紹介した、クラウゼヴィッツの師匠、シャルンホルストや上官、グナイゼウはフランス軍に対抗すべく、プロイセン軍の改革を行い、その成果がワーテルローの戦いに結実するわけです。(ワーテルローでは、ウェリントン指揮するイギリス軍の活躍が有名ですが、その前日にはフランス軍はプロイセン軍と一戦を交え、ワーテルローの戦いでも戦場での致命的な一撃を加えたのはプロイセン軍でした。ちなみに、この時のプロイセン軍の参謀長がグナイゼウです。)このように、当時の技術力からみて極めて完成された軍隊を運用して戦ったナポレオン戦争(若しくは、フランス革命戦争。)は、火器は18世紀のママの代物を使い、通信・輸送体制もお粗末なもので、作戦指揮体制もナポレオン側には情報・作戦将校がいないという状態でしたが、近代戦の嚆矢というべき要素を多分に含んだ戦争でした。また、軍隊を運用する政府も、旧態依然な絶対王政を敷くアンシャン・レジーム体制に対して、自由と平等を文字通り銃剣で突きつけるフランス革命政府との対決という、これまでの制限戦争(若しくは、限定戦争。特定の地域、目標を制圧して勝利を得る戦争。)から、文字通り相手を抹殺する無制限戦争(革命側は、生存意義かけて。旧体制側は、自らの生存のために相手に無条件降伏を迫ったのです。)を戦うことを余儀なくされました。このような、激動の時代の中を当事者としてフランスと戦った(軍政改革を邪魔する連中との戦いも)クラウゼヴィッツが書き記したのが、『戦争論』だったのです。え~、話が長くなったので今日はこれくらいにして、次回はワーテルローの戦いついて書いた本でも紹介してみたいと思います。(明日になるか、1周間後になるかは、分かりませんが…。気分次第です。)戦略戦術兵器事典(3(ヨーロッパ近代編))↑今日の日記を書くのに、参考にした本です。書店では、中々手に入り難いと思いますので、図書館で借りてみてください。イラストや写真も多く、掲載されている記事も、大学や元防研の先生、軍事史・海事史の研究家が書いていて、読み応え・見応えがありますよ。
2005年12月27日
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今日、仕事帰りに本屋に立ち寄ったら文庫本コーナーの新着に、平置きで『クラウゼヴィッツ』という言葉が。躊躇なく手にとってそのままレジに。そうしたら、レジにて「1500円です」。へぇ!?、と一瞬思って本を良く見てみれば、「中公文庫」の文字が…。やられた~、と思いつつ、どうせ必要なものだと自分を納得させつつ家路につきました。と言うわけで、本日は、ピーター・パレット著(この人はドイツ、ベルリン生まれ。アメリカの歴史学者で、専攻は国際関係史。プリンストン高等学術研究所の名誉教授、『戦争論』の英訳もされている、生粋のクラウゼヴィッツ研究者です。)白須英子訳『クラウゼヴィッツ 『戦争論』の誕生』(中公文庫、2005年〔1991年の改版、1988年に中央公論社から出版〕)を取り上げたいと思います。クラウゼヴィッツ、この人物を知らなかったら、戦争を語るな!!!と言うぐらいの人物、一部では神格化されているほどの現代軍事思想のバイブルと呼ばれる、大著『戦争論』を記した大戦略思想家です。カール・フォン・クラウゼヴィッツ(Carl von Clausewitz)。ドイツ、当時のプロイセン王国に1780年に生まれ、1972年にかのフリードリッヒ大王の末弟、フェルディナント親王が連隊長を務めるポツダムの第34連隊に入隊し、1801年にベルリンの一般士官学校に入学します。そこで、同じく当代を代表する戦略思想家のシャルンホルストに師事し、1803年にプロイセン軍のアウグスト親王の副官となり、6年間務めます。(出世コースです。)しかし、時代は革命の寵児、ナポレオンがフランス・大陸軍を指揮してヨーロッパを荒らし始めた時期です。不幸にも、クラウゼヴィッツは1806年、イエナ・アウエルシュテットの会戦にプロイセンが敗れた際に、部隊共々フランス軍の捕虜となります。しかし、1年後、講和条約が締結されるとクラウゼヴィッツはフランス占領下のベルリンに帰還します。その後、1809年には陸軍省勤務となり、翌年、少佐に昇進しますが、1812年にフランスと母国、プロイセンが軍事同盟を結ぶや、打倒!ナポレオン!!を目指すクラウゼヴィッツはロシアの参謀本部に中佐として奉職することなります。(この当時の軍人は、待遇、給料や階級が良い方へ平気で母国以外〔この定義も、この当時は難しいのですが…〕の別の国へ仕官します。)この時、クラウゼヴィッツは、タウロッゲン協約の締結に尽力します。(ナポレオン戦争は、各国とも戦争しては講和して、の繰り返しです。今から見れば、節操なしに見えますよ。)この後、1814年にクラウゼヴィッツは大佐としてプロイセン軍に復職し、第3軍団の参謀長に任命されます。その後、目出度くワーテルローでナポレオンが敗北した後、グナイゼウ(彼も、当代のプロイセンを代表する戦略思想家です。)1818年には、少将に昇進後に陸軍大学長の校長に就任し、『戦争論』の著述に取り掛かます。1830年には、第2砲兵監に任命されるのですが、7月革命の影響を受けてポーランドにて暴動が発生すると、革命の波及を恐れたプロイセン政府は動員を発令、グナイゼウが当方監視軍司令官に任命されると、クラウゼヴィッツは再び参謀長になったのですが、おりしも流行中だったコレラに罹患し、1831年に死去します。(当時の衛生状態は、今日から考えると劣悪でした。クラウゼヴィッツの師匠、シャルンホルストも、戦傷、左脛の銃創が原因で1813年に死去しています。)このように、ナポレオン戦争の激動の時代の中から生まれた、『戦争論』は「戦争とは政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない」という一節で有名です。これは、「用兵」の「政治決定」への従属を説いたものとして、「戦争行為」と「政治目標」密接不可分な結合を洞察した言葉として、クラウゼヴィッツを語る時には必ずと言って良いほど引用されます。このように、『戦争論』は「戦争という複雑な政治的・社会的現象を論理的に体系付け」(『戦略思想家事典』芙蓉書房出版、2003年)た、名著です。さて、私がこのクラウゼヴィッツについて書かれた本を躊躇なく手にした理由が、先ほど取り上げた『戦略思想家事典』に、クラウゼヴィッツの研究書誌として、クラウゼヴィッツの生涯についての基本文献として記載されていたからです。ちなみに私は当然、『戦争論』(中公文庫、2002年)も持っています。このレビューを読んで、戦争について長々と、とお思いの方もいらっしゃるかも知れませんが、日本人ほど戦争が何たるものか、と言う基本知識がない国民は世界広といえどもいません。そんな、国民とその国民に選ばれた政治家(屋)が国政を運営しているのですから、恐ろしい限りです。以前、防衛庁長官をされた中谷元氏が就任された時は、日本もココまで、と感慨深いものがありました。確かに、政治家や政治に影響を与えるポジションにいる方々も、戦争について勉強されていますが、肌で軍事組織の何たるか、を知っている人が国防の長(本当は首相ですが。)となるとは、と思いました。閑話休題。そして、その戦争というものは、人類が生み出し各種活動の中で、もっとも非生産的なものです。例えば、手間隙かけて作った弾丸なんて、弾は飛んでいったらそれでお仕舞い、火薬は煙と消えます。そして、皮肉なことに国家(若しくは、それに類する集団。)の利益を守るための行為のはずなのに、負けても勝っても国家に損害を与えてしまう行為が戦争です。(私も、勉強の途中なのであんまり詳しく、且つ上手に解説することが難しいです。と言うことで、今日はこのくらいで勘弁して下さい。)詳しくは、今日紹介した本を読んでみて、戦争とは何ぞやという事を、考えながら答えを見つけ出して下さい。また、『クラウゼヴィッツ』については、ゆっくりと読み込んでから書いてみたいと思います。
2005年12月26日
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遅ればせながら、Froh Weihnachten!(「フローエ・バイナハテン」〔発音、合っているかな?〕ドイツ語で「クリスマスおめでとう!」、という意味だそうです。)さて、今年は、ドイツとの友好年だったそうで、私も、11月ぐらいに名古屋の高島屋で開かれていた、ドイツの特産品を集めた、展覧会へ行って来て、散財をしてきました。東京リンデの黒パンに、ヘッセン公爵家のワイナリーのワインとワインジェリー等々。全て、胃の腑に収めました。ドイツはおいしかったです。なぜ、ここでドイツを取り上げたかというと、今年のクリスマスはヨーロッパ風のディスプレイや商品が流行ったような気がするので。名古屋に出張った時も、ドイツのクリスマスの玩具や食べ物、シュトゥーデンなんかが目立ったからでしょうか?なんか、脈絡がないですが、ただ、クリスマスなので何か書き込もうかな、と寝る前に思いついただけで書き込みました。(ただいま相当アルコールが頭に入っています!)今週は、土日連続で忘年会。昨日は旧友たちと地元で飲みとカラオケ。今日は、書道の関係で、名古屋にて夕方18時から23時まで、店を代えて飲みまくり…。疲れた…。では、みなさま、おやすみなさい。
2005年12月25日
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先ほど、余菱さんの日記にコメントを書き込んで、寝ようとしていたところ、サイレンの音と共にカーテンの隙間から赤ランプの光が…。 あわてて外を覗けば、パトカーが2台。それに、家の裏からは騒々しい音が。慌てて、外に出て見れば、家に前の道は集落の奥に入り込むため、狭くて車が入れず、パトカーは立ち往生。仕方がないので、家の車庫の前で転回してもらったのですが、その際、 「何事ですか?」 と質問してみれば、巡査が答えて曰く「包丁を持った男が付近をうろついている、との通報が2件ありまして」との事。「すでに現場には、人が行っていますので」と巡査が言ったので、「先ほど、家の裏を人が走っていった様なのですが」と言ったら、巡査答えて曰く、「うちの人間です」との答え。その後、パトカーは走り去ったのですが、師走の夜中。物騒だ、といっていても、まさか我が家の近くで包丁男とは…。今晩は、門灯と玄関、部屋の灯りを付けて寝ることにします。
2005年12月23日
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今日、映画館へ行って来ました。鑑賞したのは『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』。父親の会社の組合が、200円で見せてくれるというので、運転手として無理やり連れて行かれました。まぁ、こんなことが無ければ高い映画なんか見に行きません。最近、自分のお財布で見た映画は、『ハウルの動く城』と『マスター・アンド・コマンダー』ぐらいなものです。(しばらく我慢すれば、レンタルで見れますし、もうしばらく我慢すれば、WOW○Wで見れますしね。)さて、今日の御題「映画と学校図書館」ですが、本が映画化される時、学校図書館はここぞとばかりに一大キャンペーンを展開します。(というか、しなさい!!)この前のダイアナ・ウィン・ジョーンズ女史の『ハウルの動く城』や、J・K・ローリング女史の『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の上映の時は、一ヶ月前からテーマコーナーを展開して、生徒の読書意欲を煽りました。なぜなら、生徒全体の半数以上がスタジオ・ジブリ(宮崎駿監督と鈴木プロデューサー、万歳!!!)作成の映画と、ファンタジー系大作映画に強い感心を示すからです。子どもの読書離れが進む中、学校図書館としてはどんな手段を用いても、子どもを活字に向かわせなくてはいけません。というか、学校図書館の扉をくぐらせなくてはいけないのです。という意味で、今日は大変勉強になりました。映画本編でなく、始まる前のこれから公開される映画の宣伝ですが。何せ、来年は『ナルニア国物語』に『ブレイブ・ストーリー』、とどめがジブリ製作のル・グウィン著『ゲド戦記』と、ファンタジー&ジブリ作品が立て続けに公開されるからです。映画の宣伝では、『ナルニア国物語』と『ブレイブ・ストーリー』が上映されていました。『ナルニア国物語』は知っていましたが。宮部みゆきさんの『ブレイブ・ストーリー』がアニメーションで映画化されるとは。情報収集に穴があって、心魂から「不覚」と思いました。さて、その映画の宣伝。先ずはC・S・ルイスの『ナルニア国物語』。これは、第1巻目の『ライオンと魔女』から始まるのですが、正直、私は『ナルニア国物語』にあんまり期待はしていませんでした。というのは、『ナルニア国物語』には、あまりにも非人間的な登場人物(この表現が正しいの?)が多くて、このCG全盛の時代でも、果たしてキチンと映像として表現できるのだろうか?という不安があったためです。でも、宣伝の映像を見る限り、杞憂のようです。かなり期待が出来そうです。と、いうことを、コメントカードに書いて、棚に面出しするか、ミニコーナーを作って紹介するのです。次は、宮部みゆきさんの『ブレイブ・ストーリー』です。これは、宣伝の映像しか見ていませんが、何せ、アニメーションです。これだけで、生徒の一部は食いついてきます。これに関しては、もう少し、情報を収集しなくてはなりません。楽しみです。『ゲド戦記』は残念ながら宣伝は出てきませんでした。期待していたのですが、さすがに、12月にホームページが開いたばかりでは、早すぎますね。では、最後に簡単に映画の感想を。いつもながら、この『ハリー・ポッター』シリーズの映画は、すごいですね、発想とCGが。今回は、三大魔術学校の魔術競技大会ということで、ハリーのホグワーツ魔法魔術学校(イギリス・男女共学)とボーバトン魔法アカデミー(フランス・女子校)、最後はダームストラング学院(ロシア、というかスラブ系。男子校)の選ばれた選手、各校1名が3つの危険な競技を戦うというストーリーです。しかし、各校1名なのに、なぜかハリーも選手に選ばれて…。という展開で、映画が進むのですが、今回は登場人物がなんだか、インターナショナルでしたよ。まず、世界中から集まった魔術師の卵たちの多国籍なこと。ダームストラングのブルガリア出身のビクトール・クラム(演じる俳優さんも、ブルガリアの人。)に、ホグワーツのフラー・デラクール(フランスで、若手一番の女優さんだそうです。個人的にこの子の雰囲気が好きです。)、ホグワーツもインド人の双子の姉妹、バーバティ&パドマ・パチルに、中国系の(チャウ・チャン)と華やかです。とくに、ダンスパーティーが。(うーん、その時の衣装で判断している私って…。)さらに、個人的に気に入ったのが、ボーバトンの一行がホグワーツやって来るのに乗ってきた、羽のある天馬に引かせた『ヴェルサイユのバラ』に出てくるような馬車が良かったです。ちなみに、ダームストラングは、海に潜る帆船(ガレオン船を極端にデフォルメした代物。)でした。ともかく、面白かったな、と感じて、まぁまぁ楽しめた作品でした。しかし、3時間は長い!
2005年12月23日
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今日は、楽しい終業式。お仕事も、昼までに終わらせて…、と思ったら、また、雪です。帰路、図書館と書店に寄り道したのがまずかった。日曜日と同様、雪を掻き分けてのご帰宅と相成りました。さて最近、軽い本ばかり紹介しているので、今日は読み応えのある濃い本を選んでみました。スーザン・トラヴァース著、高橋佳奈子訳『外人部隊の女』(新潮社、2003年)です。出版当時、本屋さんで見かけて立ち読みしたことがあって、その後、トンと記憶の片隅におきぱなっししていたのですが、最近、図書館で再発見し読んだ本です。「外人部隊」。映画や小説の題材に良く取り上げらるこの「フランス外人部隊」。将校以外は、フランス人以外の多国籍の人間から編成されている「傭兵部隊」です。しかし、「傭兵部隊」でありながら「外人部隊」はフランス陸軍の正規部隊であり、且つ、フランス最強、世界でも屈指の精強な部隊です。最近では、このフランス外人部隊に入隊していた日本人、斎藤昭彦さんが、部隊除隊後にイラクで民間警備会社の一員として仕事中に、襲撃を受けて志望するという事件が、記憶に新しいと思います。そんな、フランス外人部隊の歴史上、唯一、ただ1人の女性隊員がこの『外人部隊の女』の著者、スーザン・トラヴァース女史です。彼女は、イギリスの良家の生まれのお嬢様です。第二次世界大戦勃発前は、自分の車を持って運転をし(当時としては珍しい!さらに、修理まで出来たと言います。)自由気儘にテニス(当時プロは無くアマチュアのみで、テニスさえ上手であれば、ヨーロッパ中の大会からお誘いを受けたそうです)をして、社交界で遊んでいたお嬢さんが、1940年、第二次世界大戦勃発と共に赤十字の看護婦に志願し、フィンランドへ向かいますが、フィンランドはソ連と休戦してしまいます。(ソ・芬戦争、冬戦争とも呼ばれる戦争です。小国、フィンランドがソ連軍相手に善戦し、「雪中の奇跡」と呼ばれた戦いです。)彼女はその後、イギリスに戻り、ド・ゴール将軍が指揮する自由フランス軍に看護婦として入隊し、外人部隊と共にアフリカへ向けてリバプールの港からアフリカに向けて出航します。彼女は、自由フランス軍の一員として外人部隊の第13準旅団と共に、アフリカ大陸を、フランスの植民地であるダカール、カメルーン、コンゴ、イタリアに占領されていた英領スーダンに、エチオピア帝国、伊領エリトリアと、従軍看護婦として転戦します。そんな彼女に転機が訪れたのが、中東、パレスチナでのことです。曹長に昇進し、外人部隊の荒くれ男たちからも、ニックネームで「La Miss(ラ・ミス)」と呼ばれるようになったトラヴァース嬢は、ここで、自由フランス軍の英雄、マリー・ピエール・ケーニング大佐の専属運転手に任命されます。彼女はケーニング大佐(妻持ち)と中東のパリ、ベイルートで「戦場の恋・ロマンス」「蜜月」を楽しむのですが、それも、長続きはせず、ケーニング大佐とトラヴァース嬢は自由フランス第1旅団と共に、エジプトへと向かいます。敵は、ドイツの名将、「砂漠の狐」エルヴィン・ロンメル将軍。彼の指揮するドイツ・アフリカ軍団は、破竹の勢いで英連邦軍を蹴散らし、カイロとスエズ運河へと迫っていました。そして、ケーニング大佐は自由フランス第1旅団を指揮して、エジプト・リビア国境付近にあるビル・ハケイム砦の守備に就きます。そして、戦闘が始まり、一旦後方に下がっていたトラヴァース嬢もビル・ハケイムにケーニング大佐を追ってやって来ます。しかし、その直後にドイツ軍の猛攻撃が始まってしまします。第二次世界大戦中、屈指の激戦となる「ビル・ハケイムの戦い」に、トラヴァース嬢は巻き込まれてしまった訳です。その後、4ヶ月の激戦末に、ケーニング大佐はビル・ハケイムの放棄を決定しますが、周囲はドイツ軍に包囲されていました。味方のいる後方に下がるためには敵中突破しかありません。この時、トラヴァース嬢はケーニング大佐の指揮車の運転手として、闇夜に地雷と砲火の只中を部隊の先頭に立って進むこととなります。愛する人と、共に戦った外人部隊の仲間を救うため、部隊の先頭を、集合地点へ向けてハンドルを握るトラヴァース嬢。彼女は無事に「地獄の釜」から脱出できるのでしょうか?結果は分かりきっているので、アレですが、この本は、スーザン・トラヴァース女史が2000年に書いた自叙伝です。この本の面白さは、彼女自身の持つ人間の魅力と、彼女と共に戦場を駆け巡った男性陣の魅力に尽きると思います。ケーニング大佐のほか、ソビエト革命のため亡命して外人部隊の入隊したダデアーニ王家の王子にして美形の白ロシア人、ディーミトリー・アミラクヴァリ少佐に、容器でやさしいガブリエル・ド・セリニェ大尉、後にフランス首相(ケーニング大佐は、戦後、ドゴールの下で国防相となります。)となる勇敢なピエール・メスメール少尉(ドイツの傀儡、ヴィシー政府に嫌気が差して、マルセイユから8200tのイタリア商船を奪い取って、自由フランス軍に馳せ参じた傑物。というか、ホントに第二次大戦の話かい!)など、確かにフランス外人部隊が映画や小説の題材に取り上げられるはずだわ…、と納得するような人物が、生き生きと描かれています。しかし、時は戦時、当然、昨日まで傍らで冗談を言っていた人物が戦死、ということも…。激動の時代に、戦争に飛び込み、まさに「地獄の釜」の中で自分を発見した稀代の女性、スーザン・トラヴァース女史の一生を読んでみては如何でしょうか?女性の目から見た戦場の現状とそこで戦う男たちの真実の姿を知ることができるという、異色の戦史ですよ。↑彼女は、十一個もの勲章を授与されています。フランス最高位の武勲賞、レジョン・ド・ヌール勲章に戦功十字章、戦功章等々。まさしく、歴戦の勇士です。ソ・芬戦争、冬戦争について詳しく知りたい方は、『雪中の奇跡』(表紙画がありません。)を。第二次世界大戦時の「砂漠の戦争」について知りたい方は、ドイツ側からはパウル・カレルの『砂漠のキツネ』、連合国側からはアラン・ムーアヘッドの『砂漠の戦争』(これも、表紙画がありません。)を読んでみてください。
2005年12月22日
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今日、出勤しましたら職員室の入り口横に、何やら曰くのありそうな箱が…。このような情景は、確か夏休み中にあったな~、と思っていたら、教頭先生からのひと言が。「地域の人からの寄贈です。処理、よろしく」と。師走のこの忙しい時期に出来るか~!と、心の奥の沼の底から(心中で)叫んで、準備室にほり込みました。そして、家に帰って夕飯前に編集ページを覗いてみたら、掲示板に海軍大将連合艦隊司令長官さんから寄贈本に関する質問が。あまりのタイミングに、今日のお題はコレしかないと、今日は学校図書館と寄贈に関するお話をします。前々から言っていますが、学校図書館の予算は図書費・備品購入費共に雀の涙です。実は今、私はブックエンドとテーマコーナーや新着本の紹介用にブックスタンドが欲しいのですが、備品購入費が非常に微妙な状況で、購入できないでいます。ブックスタンドは兎も角、ブックエンドは書架整理の問題で切実な状況なのですが。(とくに、冬休み前の貸出しで本が少なくなっている状況では!)このように、貧乏な学校図書館に寄贈本は恵みの雨!と、言いたいところですが、実際は非常に微妙な問題があるのです。まず、本の状態ですね。これは、古本屋さんと一緒です。とくに子どもは、本の状態、日焼けや表紙カバーが無いもの等、本の外面が手に取る際の基準となる場合が多いので、本の状態は重要です。日焼けのヒドイ本や色鉛筆で落書きされた絵本。ページが取れかかった本に紙魚にやられた本等々。もう、「勘弁して下さい」と、泣きたくなります。次は、学校図書館という図書館の機能や性質に関する問題です。私が院時代に知り合った方から聞いた話ですが、その人が勤めている学校図書館ではなぜか「釣り」に関する本が大量に寄贈されているそうです。これは、寄贈する人の趣味だそうですが、中学生が読める本、あるいは親しみの持てる本ならともかく、開高健先生の全集のような大人向きの本は、チョッと…、思います。(別に、開高先生の本が嫌いなわけではありません。私は父親が持っている『オーパオーパ』シリーズを読んだことがありますが、面白かったです。)このような例は、極端なものでしょうが、大人の趣味人が齧るような本を同じジャンルで大量に寄贈されても処理に困ります。また、これは私の所であったことなのですが、『東洋文庫』のインドの古典で、詳細を書くのも躊躇うような本が紛れ込んでいたこともあります。このような、性的・暴力的表現のある本もやめて頂きたいです。本当はこんな風に、地域の人の善意にアレコレと物申すことは本意ではありません。しかし、廃品回収等に出すが如く要らなくなった本をダンボールに詰めて持って来られる前に、少し、本の少しでいいですから考えてください。こんな本が図書館に配架されていて、手に取ろうと思いますか?という本がないか?ということを。学校は、地域の関係を重視されて、地域の方々の善意を無下に断るということは、まず行いません。なんでも、「ありがとうございます」と受け取ります。また、学校司書や読書活動に熱心な先生がいる場合を除いては、寄贈本の中身がどのようなモノなのかわからずに配架してしまうというケースもあります。この場合、最悪、本を借りていった生徒の保護者から「こんな本を、学校に置いてあるのか~!」とのクレームがくる可能性すらあります。(私も、朝読の際に生徒が図書室で借りた本の主題を先生が見て、「この本、大丈夫なの?」という質問を受けたことがあります。)このように、教育現場に付属する学校図書館には色々と気を配ることが多いのです。(あと、やめてもらいたいのは、宗教絡みの本です。)ただ、本を寄贈してくれる大半の人は、今まで愛読していた本を捨てるには忍びないと、寄贈してくれる方が大半だと思います。そのような方々には、心の底から御礼を申し上げ、この日記を読んで不愉快な思いをされたなら、謝罪を申し上げます。ただ、寄贈本を一つひとつ、内容を調べて確認して、登録して(自費出版やISBNが無い本は、非常に手間が掛かります。だって、MARCが無いんだもの。)装備(バーコードや分類ラベル、コーティングフィルムを貼る事です。これも手間です。オマケに私、これが下手です…。)することは、時間と手間が掛かる作業なのです。おまけに、学校図書館では作業をするのは、私ひとり…。何か、書き綴っていると虚しくなってきたので、この辺で筆を置きますが、本をこれから寄贈されようとする方は「公立図書館に寄贈頂く際は、事前にどういう本か電話連絡頂くと、せっかく重い本を段ボール一杯持って行ったのに、重い足取りでお帰り頂くという悲しいシチュエーションが減りますので、まずはご一報ください。」という、私がいつもお世話になっている余菱さんの、掲示板に書き込んでくれたアドバイスを紹介して終わりたいと思います。余菱さん、書き込み&御助言、ありがとうございました。
2005年12月21日
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最近、趣味と煩悩の趣くままに『エマ』やら『彩雲国物語』を書き綴っていたので、職場の様々な出来事を久方ぶりにぼやいて見ようと思います。実は近頃、趣味のアウトバーンをすっ飛ばしていた理由は、職場での欲求不満を発散させるためでした。今日、その仕事の1つが片付いたので、その話題でいきます。12月、師走、年末…。忙しいのどこも同じですが、学校図書館もそのご他聞に洩れません。なにせ、クリスマスがあって、お正月があるからです。なぜ、そんな世間一般の行事に振り回されるかって?その理由は、生徒の読書意欲を高めるために設置する、テーマコーナーにあります。公立図書館でも、1つのテーマ、例えば「ミステリー」とか「小野不由美」など、季節や本の特徴(「挿絵」とか「分厚い本」というので作ったこともあります。)、作者等々色々なテーマを考えて、小説等に偏らず様々なジャンルの本を展開し紹介するテーマコーナーは、皆さんご存知だと思います。私は大体、大きなテーマコーナー(10冊程度)を月に1回、小さなテーマコーナー(3冊程度)は月1、2回の割合で、設置しています。そして、テーマコーナーはただ本を並べて置くだけではなく、当然、コメントカードやディスプレイを作成して、生徒の関心を引くようにしなくてはいけないのですが…。これが、一苦労なのです。まず、テーマに沿って本を選ぶのは良しとしましょう。次は、選んだ本を生徒に手にとってもらうべく、どのようなコメントカードを作るか?という点にあります。大体、大人が子どもに読んで欲しいと思う本と、子どもが読みたい、または関心を持つ本との間には、それぞれ本のジャンルごとに幅、深さは違うとは言え、川が流れています。それを乗り越えて、生徒の関心を引くコメントカードを書かなくてはならないのです。しかも、大体50字から100字の間でまとめて…。大変です。さらに、画用紙を使ったり、ポスカで書いたりして、見場良く、素敵なコメントカードを作らなくてはなりません。ですので、コメントカードはよく作っていつも5枚までです。それ以上作ると、魂魄が身体から抜け出してしまいます。テーマコーナーだけなら気合を入れてやりますが、図書便りに、選書作業、図書の装備・登録に、レファレンスの調査等々、1人でこんだけやっていたら時間が足りません!続いて、テーマコーナーに必要なのが彩りです。誰だって、普通に机の上に本が並んでいて、コメントカードが置いてあるだけなら、「何、コレ」で素通りされてしまいます。「何かあるぞ~」と生徒の関心を引く小道具が、テーマコーナーには必要です。簡単なところでは、鉢植えを置いてみたり(夏休み中、日焼けに弱い植物だったらしく、枯らしてしまいました…。)花瓶に花を生けてみたり(水をこぼされないよう、神経を使うのと花がタダで手に入らなくなったので、現在、休止中。)していました。次は、画用紙や色紙使って紅葉やリスやペンギンなどを作ること。これは、型紙が載っているイラスト集があるので意外と作るのは楽ですが、時間が掛かります。秋の椛や銀杏の葉っぱを作った時は、いい加減ウンザリしました。で、今回はサンタクロースにトナカイという王道を作ったのですが、切り紙と言うのはセンスがいる事を、再確認した次第であります。まぁ、準備室の奥で埃を被っていた、玩具のツリーを発掘して飾りつけて誤魔化しましたが…(保健の先生、脱脂綿ありがとうございます。)こうして、苦労して作ったディスプレイやコメントカードも一月でお役御免です。(人気のある本を、書架に面出しして飾る時にコメントカードを使う時はありますが…。)とくに今月は、クリスマスを作ってすぐ正月ですから大変でした。そこで正月は手を抜いて、筆と和紙で特技を生かして何とか、今日、終わらせました。(でも、「お正月」というテーマは大変なんですよ。だって、宗教行事でしょう。なので、鳥居・しめ飾り等、宗教絡みはご法度なんですって。)という事で、今日は「テーマコーナー」について語ってみました。でも、図書室にとって最も重要で、大変なのは夏休み前の長期貸出し用のテーマコーナーと、秋の読書週間のテーマコーナーなんですがね。でも、何かクリスマスって派手なイメージがあるので、飾り立てないといけないかな~、という気分になってしまうのですよね~。そうして、要らぬ仕事を作ってしまった私って…。きっと昔、嬉々としてクリスマスツリーを飾っていた頃の習性が、頭にインプットされているのでしょうね。
2005年12月20日
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昨日、私、名古屋へ行って来ました。えぇ、今、ニュースで騒いでいる大雪の名古屋へですよ。昼まではなんともなかったのですが、2時ぐらいから牡丹雪が降り出し…。一面の白銀の世界が、魔界に見えました。電車は遅れるは、地下街から地上に上がれば、雪まみれ。ぶら下げて帰った白ワインをそのまま冷やさず飲めるほどの寒さでした。(寒さと疲れで頭が回らず、買い置き用に購入した物をやけくそで、空けてしまいました。)都会で大雪は、地獄絵図です。それでも、本はしっかりと購入し(ワインもね)、雪で濡れないようにしながら帰りました。さて、大雪の名古屋から運んできた本とは『彩雲国物語』の『彩雲国物語(想いは遙かなる茶都へ)』、『彩雲国物語(漆黒の月の宴)』に『彩雲国物語(朱にまじわれば紅)』、そして、今日紹介する『このマンガがすごい!(2006・オトコ版)』です。(『オンナ版』も欲しかったけど…。予算が…。)コレを購入した理由はただ1つ、この雑誌のアンケート調査で森薫さんの『エマ』が堂々と20位にランクインしたからです。万歳! 万歳!!万々歳!!! 、ウヒヒ、アハハ……、ウヒアハ ウヒアハ!(注:『11ぴきのねこふくろのなか』より引用。)喜びの発露はこれ位にして、内容です。まず、『エマ』以外に私が購入&図書室に配架したモノを紹介しましょう。私費購入品では、12位のあずまきよひこ先生の『よつばと! (よつばと!(1))』(双葉社)です。あずま先生は『あずまんが大王(あずまんが大王(1))』以来の大ファンです。総評でも「その会話、セリフ選びやテンポの良さは、空気が見えるような背景と柔らかな描線と相まって、とても心地良い。ふとしたときについ手にとって読み返したくなる、そんな居心地の良い作品である。」との高い評価です。他にも、「この表現力がすごい!」というコーナーでも取り上げられているほど、注目されている作品です。あとは、21位以下の江川達也さんの『日露戦争物語(日露戦争物語(第1巻))』(小学館)ですか。これも、当然の評価ですね。マンガで、ここまで「歴史」というものに面と向かって立ち向かっている作品は、ありませんもの。次は、図書室に配架したモノです。これは1作だけ、11位のこうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』です。正直、この作品は傑作です。それ以外に表現ができません。この『夕凪の街 桜の国』については、私の頭と心の中で整理が付いたら日記で取り上げたいのですが、取り合えずひと言だけ、ともかく、「日本」と「原爆」、「ヒロシマ」について読み手に「知りたい」というアクションを起こさせる作品は無いのではないでしょうか。では、本題の『エマ』に行きましょう。見事、20位に入った『エマ』ですが、その紹介が「メイドマンガという新境地を切り拓いた重要作」という題です。いつもながら思うのですが、最近、電波ナ監禁男や秋場系のメイド喫茶の御蔭で、 「メイド」という単語に偏見やら妙な色眼鏡で見られて…。そういう方々は、是非!この『召使いたちの大英帝国』や『路地裏の大英帝国』などを読んで(図書館で借りてでも)、勉強して下さい。私には、それだけしか言えません。閑話休題。『エマ』の書評ですが、エマやウィリアム、印度藩王(インドのマハラジャ)の息子、ハキム君やエマの主人、ケリーに、ケリーの死後、エマの新たな主人となるドイツ人のドロテア奥様、謎の夫人、ミセス・トロロープにウィリアムの婚約者で子爵令嬢、エレノア嬢等々(あと、アデーレさんやターシャ、エーリッヒ坊ちゃまにイルゼ嬢様、コリンちゃんにヴィヴィー、グレイス姉様も…。)「個性豊かなサブキャラクターたちも見所だが、作者のメイドへの思い入れが素晴しい。」とあります。全く以ってその通りです!さらに、「英文学者も感心したという時代考証に(『エマ ヴィクトリアンガイド』を読んで、後ろの参考文献を見てみなさい!ちょっとした論文並みの量ですぞ!)、念入りにもほどがあるぐらい細かく綺麗に描き込まれたメイド服&小道具の数々(歴史を齧っている人間として、これほど嬉しいことはありません。)」という、マンガの書評か?と言うぐらい、質の高い評価です。(他の作品のファンの人々、ごめんなさい〈平身低頭〉。)そして最後に、『単なる萌えマンガはとどまらない(その通りだ!!)、「メイドマンガ」という新境地を切り拓いた重要作だ』と結んでいます。私は、この最後のひと言でこの本を買ったようなものです。この他にも、「各界のマンガ読み総勢63人に聞いた」と言うコーナーでは、「激動の人間ドラマから目が離せない『エマ』も作者の時代へのマニアックな愛情が画面からも伝わってきます」とか、「貴族とメイドの許されない恋を題材にした作品で男性には間をおかれがちかも知れませんが、意外とあっさり読めるものだと思います。」、「ストーリーもさることながら、作品自身が醸し出す19世紀イギリスの雰囲気には誰もが魅了されるはずです(よく言った!!!)」、「『エマ』は作者の絵のこだわりがいい」という高評価です。このように、マンガに対して真正面から堂々と向き合っている『このマンガがすごい!(2006・オトコ版)』。どうでしょう、『オンナ版』と併せてみなさんの今読んでいたり、気に入っているマンガの評価や他に気になっているマンガについて、この本を利用して調べてみてはどうでしょうか?最後にひと言、なんで天野こずえさんの『ARIA(Aria(1))』(マッグガーデン )が入ってなかったのでしょう?いい作品なのにな~。でも、今年はレベルの高い作品が多かったそうなので…。
2005年12月19日
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昨日の続きで、森薫さんの『エマ』に関するお話を。昨日、「昨今では様々な雑誌にも紹介されて絶賛されている作品です」と紹介しましたので、今日は、『エマ』を紹介した雑誌で私が目を通したり、手元にある雑誌などを取り上げてみようと思います。まずは、知っている人はご存知の月刊誌『MOE(モエ)』。この白泉社から出ている児童書・ヤングアダルト関係の書籍に関する情報誌の今年2月に出た通号304号の特集、「巻頭大特集 大切なことはすべて少女マンガに教わった 永遠の少女マンガ100」にても『エマ』は取り上げられています。昨日書いた「作者が好きだから描いている」という記事はここから引用しました。(今日、図書館へ寄って確認しました。これは、いつも図書館で読んでいるので。)ついで、『Girlie(ガーリー)』の6月号。これも「特集 マンガ再生 2005」という特集の中で紹介されています。この特集の副題は「2005年版 今こそ読みたいマンガ200選」とうもので、二ノ宮知子さんの『のだめカンタービレ』や矢沢あいさんのご存知『NANA』、そして私も日記で紹介した『監督不行届』の安野モヨコさんの特集などの次、「今が旬!!読むならコレ!!」(と言っても、半年前ですが。)というコーナーの最初に『エマ』が紹介されています。このコーナーでは「現在絶賛連載中の人気マンガたち。ジャンルは問わず、クォリティー高き一流マンガが(中略)ともかくにも今、マンガが熱い!!」とあり、羽海野チカさんの『ハチミツとクローバー』とかと一緒に1ページの4分の1を割いて紹介されています。(残念ながら解説は、書評と言うよりストーリーの説明みたいなものです。ただ、カラーの表紙と共に、マンガの1シーンが1ページ分大きく載っています。)3冊目は『STUDIO VOICE(スタジオ・ボイス)』の6月号(通号354)です。これも「特集 INDISPENSABLE COMICS 2005 最終コミックリスト200」という特集の中で、「萌え」という枠の中で紹介されています。(う~ん、ちょっと違うような気が…)この枠の紹介は「“萌え”のドライヴを内側に取り込み、あるいは相対化しつつ、エンターテイメントを紡ぐ作品群」と定義してあずまきよひこさんの『よつばと!』や赤松健さんの『魔法先生ネギま!』(なんで、この作品群は、最後に感嘆符が付くのだろう?)と一緒に並べられています。さて、この雑誌では『エマ』は「徹底してカメラを意識した構成」と冠して、「人物がどのように配置され、そこをどう切り取れば、より物語的な効果が得られるのか。(中略)古典的ともいえる画面構成の見事さ。(ここが私が一番好きなところでもあります)物語をひとつひとつ自らの手で組み上げていく、漫画ならではのダイナミスムがここにある。」と紹介されています。次は久美沙織さんの『小説エマ』です。これは、「ライトノベル完全読本vol.3』の中の「2005年上半期 ライトノベル良書解説」のジャンル「恋愛・コメディ」にて「久美沙織らしい丁寧な心理描写が、原作とはまた違った魅力を作品に与えている」と解説されています。この解説、全く持ってその通りです。それに加えて、場面ごとの動作や傘などの小物(この動作や小物が、階級を表したりして、色々な意味を持つのです。)や時代考証などの細かな解説も見事です。最後に、『このライトノベルがすごい!2006』で締めましょう。ここでは、「今、おもしろいライトノベルはコレだ!ジャンル別ガイド&要素アイコンつき196作品」という特集で「ノベライズ」というジャンルで紹介されています。ここで『エマ』は「切ない」(その通り!)、「しみじみ」(ウンウン!)、「萌える」(う~ん?)という分類・傾向で示されています。そして解説では、「街並みや服装、家具など膨大な資料をもとに綿密に書き込まれたヴィクトリア朝文化そのままに、エマやウィリアムの心情が小説ならではの細やかさで描写されている」と素晴しい評価されている。そして、「初めてエマの世界に触れる人も原作ファン(私で~す。)も古き良き英国の風の中でくり広げられるふたりの恋物語の虜になるだろう」と言わしめています。と言うことで、『エマ』が紹介されている本&雑誌を紹介してみました。ここで、小噺を。本と雑誌の違いをご存知ですか?この違いは、ISBNがあるかないかで区別できます。ISBNは「国際標準図書番号(International Standard Book Number)」といいまして、本のタイトルを識別可能なようにコード化した10桁のアラビア数字のことで、本の奥付や表紙の裏のバーコードのところに記入されています。例えば、『Girlie(ガーリー)』の6月号は書籍扱いされているのでISBNが振られていて、ISBNの番号は「ISBN4-7572-114-X」となります。最初の4は国(この場合は日本。)を識別し、次は出版社のコード、その次が書名を表示し、末尾の一桁はチェック数字となります。ちなみに、雑誌には「国際標準逐次刊行物番号(ISSN)」という7桁のコード番号が振られています。楽天ブックスでは、雑誌がヒットしなかったのでこんな話をしてみました。ですので、下に表紙画があるのは書籍扱いのモノです。このように、各種雑誌で絶賛されている、森薫さんの『エマ』と久美沙織さんの『小説エマ』。そ~ら、読みたくなってきたでしょう。是非、読んでみてくださいね。ところで、自分が持っている本が「今年の人気のある作品」の中に入っているって気持ちが良いというか、自分の目は確かだというか、自分のセンスは良いとか、そういう気分&感じがしませんか?今日はそんな、自分の感情と煩悩の趣くままに『エマ』談議を書いてみました。如何でしたか? ↑これらは、職場(学校図書館)での選書作業の参考として買ったものなんですが…。生徒と先生方の間でまわし読みされて、だいぶと痛んでしまいました…。トホホ…。
2005年12月16日
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最近は『彩雲国物語』や『十二国記』について書き綴ってきましたので、今日は東洋から西洋へと趣向を変えまして、私の大好きな森薫さんの『エマ』とその小説版、久美沙織さんの『小説エマ』、そしてアニメ版『英國戀物語エマ』について書いてみたいと思います。この森薫さんの『エマ』、昨今では様々な雑誌にも紹介されて絶賛されている作品です。とある雑誌には、うろ覚えですが「作者がメイドさん&ヴィクトリア時代が好きだから描いているのでは?」というコメントが載っていましたが、私も全く以ってその通りだと思います。作品を読んでいったら、森さんの「私はコレが好きだから書いているの~!!」というオーラがそこかしこから漂ってきます。さて、そんな作品ですから歴史や服飾等の風俗、社会の状況等の設定は凝っています。とくに、原作はもちろんですが、アニメと小説はとくに顕著です。ですが、原作の『エマ』の方では若干の手落ちと言いますか、ちょっとした勘違いがあります。でも、コレは1巻目のお話。同人誌から、プロに上がった新人時代のことですからね。で、何でこの話を取り上げたかと言いますと、原作と小説版、そしてアニメ版とこの作品が如何に設定をしっかり調べて作り上げているかという事を、強調したかったからです。それは、『エマ(1)』と『小説エマ(1)』を読み比べてみれば分かります。例えば、『エマ(1)』の第一話「訪問」では、エマの主人ストウナー夫人がウィリアム君と会話していた時に電話が鳴り、ストウナー夫人が「電話だわ。ちょっと待ってて」と中座するシーンがあります。実は、このシーンは誤りなのですね~。『小説エマ(1)』ではこのシーンは、エマが訪問カードを持って来てストウナー夫人が受け取り「グレアムさんだわ。バザーの件ね」と言ってグレアムさんの愛犬が粗相をするので、庭で合うわ、と場を中座するシーンとなっています。また同じく第五話「写真」では、雨漏りで困ったストウナー夫人がバーでトランプ遊びに興じる友人のアルにバーの電話を使って呼びつけるというシーンがあります。これも小説版では、アルは「“ベイカー街イレギュラーズ”(小説版では、このように引用が上手なのですよ。)の一員のような小僧」に「ストウナー夫人から救難呼び出しだよ」と呼びつけられ、仲間に冷やかされながら、小僧に駄賃を渡して出かけていきます。このように、小説版では巧みに電話を使用するシーンが変更されたいます。実はこの当時、ヴィクトリア朝のイギリスではなぜか電話が普及しなかったのです。電話は皆さんご存知のアメリカ人ベルが発明したと思っているかもしれませんが、実はそれは嘘でそれ以前にヨーロッパで発明されていて、これもうろ覚えですが、確かドイツ人が最初に作ったと言う説が今は有力らしいです。閑話休題。一方、電話先進地のアメリカでは、合理主義に後押しされ都市部を中心にあっという間に普及したのですが、イギリスでは官公庁ですら電話の普及が遅れていました。その代わりに、電信と伝達史が配備されていたのですが。(20世紀初頭になっても、電信しか引かれていなかった警察署があったそうです。)この理由としては、イギリス人の手紙好きと電信網のがしっかりと全土に張り巡らせれていた(これは、鉄道の運行管理に絶対に飛鳥不可欠なものであった為です。)、という事情があったと思います。世界で一番最初に郵便制度を確立したのはイギリスです。しかし、郵便制度確立後も『エマ』にも描かれていますが、上級階級や金持ちたちは近所人と連絡する場合は、自分専用の紋章入りとかの封筒を使用人(制服を着せたメッセージボーイ等)とかに持たせて、先方に伝達したりしていました。また、当時は礼儀作法に超が付くほどうるさかったヴィクトリア朝時代。前述の「訪問カード」もその一例で、突然お宅を訪問するのは失礼に当たり、訪問前に手紙を送って確認をしてから、というのが常識。また、訪問の際は「訪問カード」を応対した使用人に渡してお伺いを立てるという習慣があり、手紙というものが非常に重んじられていた時代でもあったのです。また電信も、郵便と同様、制服を着た配達人が配達したので、対面を重んじる当時の世相にあったのでしょう。このように、 原作と小説を読み比べると新しい発見や原作、この場合はコミックで書ききれなかった細かい描写や心情の変化が分かって、非常に面白いです。これにアニメが加われば、動作や仕草、声が加味されて原作や小説版を読んだ時に、鮮やかに場面が頭の中にイメージすることができます。と言うことで(文章を書く時の癖だな、この遣いまわし…)、『エマ』&『小説エマ』&『英國戀物語エマ』考でした。最後に、このようなヴィクトリア朝の知識を簡単に調べられる本で、この日記を書く際に頭の引き出しから取り出して使用した本が『図説ヴィクトリア朝百貨事典』です。この本は、ヴィジュアルも充実していて(カラー写真が豊富!)読んでいても、見ているだけでも楽しい一冊です。近所の図書館にも置いてあると思いますので、是非、手にとって見て下さい。 ↑原作・コミックです。 ↑小説版です。 ↑DVDの通常版。 ↑参考文献です。
2005年12月15日
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NHKのBS2でアニメ化される事となった、『彩雲国物語』。今日は、昨日、書ききれなかった『十二国記』との登場人物の比較をやってみたいと思います。さて、登場人物の比較ですが、主人公について比較すると言う愚かな事を私は致しません。と言うことで、陽子や秀麗についての具体的なはできません。あしからず。では、誰からいきますかな。まずは、年長者を立てると言うことで『十二国記』の遠甫(えんほ)こと松伯と『彩雲国物語』の霄太師(しょうたいし)から。2人とも役職は、王を補佐する三師の太師です。そして、2人とも仙人、普た通の人とは異なる時間を生きてきています。しかし、性格は全く違います(笑)。遠甫は、どちらかと言うと「好々爺」といった雰囲気で、主人公の陽子や周囲の人間をさりげなく助けるといった人です。ところが、『彩雲国物語』の霄太師は秀麗の父、邵可(しょうか)曰く「くされじじい」「鬼畜」と罵られる様な、「腹黒じじい」(劉輝談)です。こちらも一見、飄々としたお爺さんのですが、腹の内は己の目的と制約のためには手段を選ばない人物です。さて、2人ともお眼鏡に適った人物に対する対応ですが、まず、遠甫は陽子や浩瀚(こうかん)といった「弟子」に対しては、慈愛の目を持って導き指導しています。次に、霄太師は期待をかけた人物に対して、重荷を背負わせ課題を出して鍛える、といったタイプです。次に、王と王に仕える側近ですが『十二国記』では延王尚隆(しょうりゅう)に仕える朱衡(しゅこう)、成笙(せいしゅう)、帷湍(いすい)、『彩雲国物語』では劉輝に仕える絳攸(こうゆう)と楸瑛(しゅうえい)がいます。双方の物語とも王様が普通ではないので、側近は苦労しっぱなしです(笑)。延王は治世500年を誇る大国を治める名君ですが、実は裏では、政務をほったらかして市井に下りて遊び歩いていますし、劉輝は最初は政務を放棄していましたし、その後は真面目に仕事をしているのですが、「素直すぎるのはアホといういい見本だな」(絳攸談)という若さまです。そんな、王様を補佐しているのが知能派文官は、朱衡と絳攸、武官では成笙・帷湍と楸瑛たちです。この文官、朱衡と絳攸はとてもよく似ています。頭が良くて自分の主君を敬愛しつつ、本音は漏らさず主君の尻を叩いて仕事をさせる能吏です。武官組では、『十二国記』側では苦労のしっ放しで、しかも平和な国ですので武官は王をふん捕まえて、執務机に縛り付けるのが仕事のようなものです。一方、『彩雲国物語』の楸瑛は武官として、王の補佐官として結構な活躍をしています。立ち回りも結構ありますしね。あと、ふっと思ったのですが何か、尚隆と楸瑛は似てるなあ~、ということです。2人とも剣の達人ですし、女たらしですし、雰囲気が似ているんですよね。あと、若いて挙げるなら顔繋がりで、範王さまと黄尚書ですかね。両方とも男性ながら美貌の持ち主。黄尚書などは「飛んでる鴉も気絶してバラバラ落ちてくるような顔」「何をするにも迫力」「兇器」といった美貌。範王さまも、元公主祥慶が複雑な顔をするぐらいの美貌と服飾等のセンスの良さ。そして、2人とも「奇行」を行う人物というわけです。ということで、人物の比較をやってみました。他にも個性的な面々が双方の物語で活躍しているのですが、それをやっていると貴重な灯油を消費し、朝日を拝むという破目に陥りそうなので、止めておきます。それにしても『十二国記』、OVAでも良いから続きをやってくれないかな~。森岡先生の『星界の戦旗3』はDVDの上下2巻で出たし。(短いよ!だいぶとエピソードはしょっているし…。やはり、WOWOWで1クール、13話分やって欲しかった…。)『図南の翼』だったら番外編としてOVAで作りやすいだろうし。でも、やっぱりNHKさん、視聴料しっかり納めているんだから1クール分、作って欲しいなぁ~。まぁ、『彩雲国物語』を放送してくれるのだから、しばらく我慢致しましょう。これで、『彩雲国物語』ネタのお話はひとまず終わり。我ながら、引っ張ったなぁ~。次は何するか(悩々)。『エマ』を久々にやるか、それとも『アリソン』と『リリアとトレイズ』、はたまた『海からの世界史』でも良いし、読み始めた『トラファルガル海戦物語』でも…。(お前は、どれだけの本を一遍に読んでいるんだ!という話ですよね。コレが私の濫読法です。) ↑望む!映像化!!
2005年12月14日
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この前から何度も言ってますが、NHKBS2にてアニメ化が決まった『彩雲国物語』。NHKでは、『十二国記』に続く中華風ファンタジーの誕生です。という訳で(何か、この言い回しを乱用しているな~、私。)、今日は私のお勧めする、否、一押しの小野不由美さんの『十二国記』と、最近再び手に取った雪乃紗衣さんの『彩雲国物語』の比較という暴挙をやってみようと思います。まず世界観ですが、これは双方とも中国を舞台にしています。で、問題となるのは何時の時代か、という事なのですが、時代的には『十二国記』の方が古く春秋戦国時代くらいから唐の時代の様々な要素を取り込んだもので、『彩雲国物語』は宋の時代を中心にしたのかな?と感じています。さて、その推論の根拠ですが、まず『十二国記』はすでにアニメ化しているので、原作だけではなく「画像」からも時代が読み解くことができます。そのため、目で見る方からは使用されている貨幣や漢字などで、後は役職や組織図などで推論しました。『彩雲国物語』の方は、全くの当てずっぽうです。ただ、物語の雰囲気と朝廷直轄の近衛軍が「羽林軍(うりんぐん)」という組織名であることが宋代かな~、と考えたわけです。『十二国記』では近衛軍は「禁軍(きんぐん)」で「左・右・中」の三軍ですが、「羽林軍」では「左・右」の二軍だけで、あとは「十六衛」という部隊があるのが、宋代と推論した理由です。(結局、軍事知識が判断材料かよ…。)次に、『十二国記』と『彩雲国物語』の最大の違いと言えば、『十二国記』が「神話の世界」、全くの異世界である事でしょう。ファンタジーですので、二つとも当然のことながら「異世界」を作り上げて、そこで物語が展開するのですが、『十二国記』は小野不由美さんの偉大なる想像力により、これまでの中華風ファンタジーとは全く毛色の違った作品に仕上がっています。(その他にも、理由は種々あるのですが、一旦置いておきます。)一方、『彩雲国物語』は『三国志』や『水滸伝』から連なる中国の「小説」や、バリー・ヒューガードさんが書くような『鳥姫伝』のような中国の民間伝承などを敲き台にしたものと同じ系統、もしくは発展させたものかな、と感じます。まぁ、双方とも中国に伝わる様々な伝承や昔話、歴史上の王朝の数々の組織・制度などの色々なところを利用して物語を組み立てていますがね。さて『十二国記』では、「仙」という「仙籍」という名簿に記載されると、歳を取らず、病や傷などではめったに死なない体となった人(昇仙といって、国に仕えるなどすると「仙籍」に入れます。)や、王に仕える麒麟という神獣(人の姿にも、獣の姿、キリンビールのラベルの麒麟の姿になれます。)が存在し、「天」が「天綱」や「天命」という見えない枷に縛られた世界です。また、人の姿と獣の姿がとれる人間「半獣」、「騎獣」という空を飛ぶ獣や、「妖魔」という人を襲う魔物が当然の如く存在し、人は「里木」という木に「卵果」として実るという、私たちの常識が全く通じない異世界であるのに対して、『彩雲国物語』は、私たちの世界の延長上で物事が考えられる世界です。『彩雲国物語』の世界では、人は人です。(約一名ほど、妖しいご老人がいますが。)人外の力により、人の世に制約がかかる事も無く、人は人が作り上げた理の中で生きている世界です。あぁ、『十二国記』には格別の思い入れがあるので、書くのが難しい!この『十二国記』シリーズは「読み物」として見てみても、ファンタジーに歴史が加味され、小野さんのお得意「妖」というか『黒祠の島』のような「怪奇」風の雰囲気が漂い且つ、推理小説というか謎解きが隠されていて、冒険&成長というライトノベル必須の要素が加わった何といいますかもう、「小野不由美ワールド」としか言えない作品がこの『十二国記』シリーズです。(ある意味、物語として設定・登場人物等々を事細かに作り上げてしまい、その中で物語を展開していくのに悩んでいるというか、物書きとして一種の達成感を得てしまったというか、疲れてしまったというか、ニッチもサッチもいかなくなったので、続巻がナカナカ出来ないのではないか、と、私は愚考しているのですが…。)一方、『彩雲国物語』は純粋に物語として楽しめる一品です。とくに私が気に入っているのは、主人公の秀麗と王様、劉輝との関係(やりとり)や周囲の人物、劉輝の側近、絳攸(こうゆう)や楸瑛(しゅうえい)、秀麗に仕える静蘭(せいらん)、秀麗の父、邵可(ていか)に霄太師(しょうたいし)といった秀麗を取り巻く、多彩で個性的な登場人物たちです。作風も、ライトノベルの王道をいくテンポの良い文章ですし。(と言っても、真剣に読んだのはまだ1巻目だけなんだよな~。今日の就寝前の読書から2巻目突入です。)こんな感じで、今日は『十二国記』と『彩雲国物語』の比較と言う暴挙に挑戦してみましたが、比較にもならず玉砕してしまったようです。今回は、物語の作風や時代設定などを比べてみたつもりですが、どうだったのでしょうか?(聞くな!訊ねるな!!ただ、自分の妄想を綴った結果なんだから…)さて、次回は登場人物について、懲りずに比べてみよッと! ↑シリーズの中で一番好きな『風の万里黎明の空』を。 ↑ようやく、2巻目突入です。
2005年12月13日
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土曜日にアニメ化の報に接し、喜びの余り書き込んだ雪乃紗衣さんの『彩雲国物語』。日曜日に三省堂名古屋テルミナ店にて、早速、キリの良い3巻目まで購入してきました。 という訳で、いつもの事ながら一気に3冊をさーッと読んでから、ただ今は1巻目の『彩雲国物語(はじまりの風は紅く)』をじっくりと味わいながら、読んでいます。 この『彩雲国物語』。物語の設定は「彩八仙」という藍・紅・碧・黄・白・黒・茶・紫(皆、音読みです。)という色を名を持つ仙人に助けられ、魑魅魍魎が跋扈する国土を治め、民に安寧をもたらした蒼玄なる人物が朝を開いた世界、「彩雲国」が舞台です。 そして、物語の主人公はその彩雲国名家、七家ある州侯の1つ紅家のお嬢様、紅秀麗(こうしゅうれい)です。この秀麗、名家のお嬢様なのですがなぜか毎日アルバイトに精を出し、麦飯を食す日々を送っています。つまり貧乏なわけです。その理由は、長男でありながら学者肌でおっとり屋の父、紅邵可(しょうか)。有能な弟に宗主の座を追われて(本人は喜んでいます…。)紫州の都で朝廷に仕えているのですが、役職は高官といえども府庫(図書室〈ずしょしつ〉)の管理というどうでもいい官(そうは思わないぞ!)で、僻職のため戸部(こぶ、財政を管理する役所)から禄(給料)を払うことすら忘れられる始末。(そのことを、本人は抗議すらしないという立派さ!)そんな訳で、秀麗の母の死後、使用人は財産を掠め取って次々と出奔し、今残っているのは、邵可が拾った孤児、紫静蘭(しせいらん。本当は「紫」は、草冠の下に、左に止、右はヒの紫、「シ」です。表示できないので…。コレのおかげでエライ目にあいました。機種対応の漢字を入力する時は気をつけましょう!HTMLのエラーが出ますよ。どこがおかしいか調べるのに、こんなに時間を取ってしまった…。睡眠時間が…。)のみという惨状です。 そんな「脱!麦飯生活!!」を目指してけなげに働く秀麗の元に朝廷の高官朝廷三師(王の教育係兼相談役、位階は王に次ぎます。)の1人である霄太師(しょうたいし)が訪ねて来ます。その用件とは、金五百両(一家五人が十年楽に暮らせる金額!)のお仕事の依頼!「脱!麦飯生活!!」しか頭にない秀麗は躊躇なくその話に飛びつくのですが…。そのお仕事とは「後宮に入って、王の妃になってもらい」とのお話でした。 こうして秀麗は「へっぽこ国王」紫劉輝(しりゅうき)の教育係兼性格去勢係として、後宮に紅貴妃として入ったのですが、そこは魑魅魍魎の跋扈する朝廷、秀麗は知らぬ間に政争の嵐の渦中へと巻き込まれていきます。 しかし、この作品、伏線の張り方が半端ではありません。1巻目では主要な登場人物では秀麗以外、皆、裏の顔があるか、(父、紅邵可や霄太師なんか。)過去に暗い影があるとか(紫劉輝や静蘭)、腹に一物持った人間ばかりです。また、登場人物が多くてしかも漢字ですので、人物を把握するのに若干の労力を要しますね。でも面白くて、読み応えがあります。ただ、最初に読み始める方は(とくに、本を読むぞー!という読書家さんは。)、私みたいに3巻目の『彩雲国物語(花は紫宮に咲く)』まで買って、一気に読むことをお勧めしますね。詳細は、また書きますが(笑)。 さて、私はどうも「戦う女性」の物語が好きなようです。それも、『不思議遊戯』みたいに周りの男どもと一緒にナンヤカンヤ、みたいなのでなく、『十二国記』のように自分の力で運命に立ち向かい、自分の道を切り開いていくという物語が大好きです。(ということで、先日紹介した『アリーテ姫の冒険』やタモラ・ピアス女史の『女騎士アランナ』シリーズ(1巻目の『冒険のはじまりしとき』)などが好きなのでしょうが。)『彩雲国物語』でも、秀麗は男子しかなれない官吏を目指して奮闘し(2巻目)、そして官吏私見に任用試験に合格した後も、男性官吏の虐めと侮蔑と戦い、これを見事打ち倒し任官します(3巻目)。まぁ、どれもハッピーエンドというのがミソなのですが。(私は『世にも不幸な物語』シリーズが嫌いな人間です。)という感じで今日は、『彩雲国物語』でした。
2005年12月12日
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昨日、仕事帰りに買った『ニュータイプ』を寝る前に目を通していたら、なんと!NHKのBSで雪乃紗衣さんの『彩雲国物語』(『彩雲国物語(はじまりの風は紅く)』)を来年春から放送するとの記事が!またまたやってくれたね!NHK!!『十二国記』に始まり、『マのつく』シリーズときて、『彩雲国物語』ですよ~。(でも、1巻を立ち読みしただけでなのですがね。気になってはいたのですが…)、何にも言うことがありません。さすがNHK。視聴料払っているかいがありました。昔からNHKの作る作品に駄作は無く、良作ばかりです。宮崎駿監督の『未来少年コナン』に始まり、庵野秀明監督の『不思議の海のナディア』、近年ではCLAMP『カードキャプターさくら』という具合ですので、『彩雲国物語』にも大いに期待が出来ます。しかし近頃、NHKはアニメ関係に力を入れてますね。教育ではCLAMPの『ツバサ・クロニクル』で、BSでは『絶対少年』、『学園アリス』と。でも、アニメ化は喜ばしいことなのですが『彩雲国物語』で心配なのは、まだシリーズが続いているという事です。一体、どのくらいまで作ってくれるのだろうかと。『十二国記』も結局、『東の海神(わだつみ)西の滄海』で終了して、私としては非常に欲求不満が溜まっています。せめて、『図南の翼』ぐらい放送してくれ~!と切に願っている次第なのですが…。そこへ、『彩雲国物語』ですからね~。大いに期待はしているのですが、あぁ『十二国記』…しかし最近、ライトノベルの作品化が多いですね、本当に。今、放送しているのでパッと思いつくものでは『灼眼のシャナ』(図書室で大人気です!)に『はっぴぃセブン』ですか。『トリニティ・ブラッド』もこの前までやっていましたし。あと、図書室で人気の『マリア様がみてる』(最新刊の『マリア様がみてる(薔薇のミルフィーユ)』を)も。私個人としても、学校図書館司書としても、いろいろな意味で嬉しいことです。まず、このような作品があるだけで図書室が和むということ。そして、このような本を借りに、図書室に生徒が来ることです。ライトノベルなんて買えば、と思う方。それは、間違いです。近くの本屋に置いてないとか、親がうるさいとか、教室で話題になっているのですぐ欲しい、等々、色々な理由が生徒の側にはあるのです。そして、それゆえにリクエストをしてくるのですが、ライトノベルは安いので購入しやすいのです。そして、生徒がリクエストした本が段々と増えてくると、生徒の関心が増して図書室の利用者が増えるという、循環が発生するのです。ということで、祝『彩雲国物語』アニメ化、ということでした。 ↑あぁ、『十二国記』…。
2005年12月10日
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水曜日の夜、偶然NHKのBSアニメ映画劇場でやっていた片渕須直さんが監督の『アリーテ姫』(主人公、アリーテ姫の声は、桑島法子さん!)を、終わりの方だけ見ました。そこで、今日はちょっと暇が出来たので、図書室で原作を探して(司書という商売は、こういう時に便利です。卒論・修論の時にも、ずいぶん楽しました。)読んでみました。原作は『アリーテ姫の冒険』(学陽書房、2001年)という題で、イギリス人のダイアナ・コールスさんという学校の先生が作った物語です。お話自体は短いもので、全体のページ数は71頁しかありません。ルビも大きく、挿絵もあって、手軽に読める1冊ですね。(残念ながら、私の図書室の本はカバーが無くて、さらに日焼けがヒドイです。赤だったので余計に…さらに、楽天では表紙画像が無かったし。)さて、愚痴は一先ず置いておいて、原作の内容ですが、これがナカナカ。短編ながら私のツボにしっかりと嵌ってくれました。舞台は、ヨーロッパ中世の世界を下敷きにしています。で、お姫様が出てくるとなると、パターンはディズニーみたく格好の良い騎士やら王子さまが出てくるという古典的なものでは、この作品はありません。この主人公、アリーテ姫は賢いお姫様です。今の時代、女性が賢く教養があることは当然であり、美徳ですらありますが、中世の時代、女性は例え教養があり知識があろうと、常に男性の影に隠れて、男性の庇護を受ける存在とみなされていたのです。つまり、女性は子どもの時から結婚した後も、1人の人間としての人格が認められていなかったのです。(といっても、伴侶が出征した場合や、病死・戦死など死亡した場合、男の子が成人するまでは領地経営の代行者や後見人として辣腕をふるった公爵&伯爵夫人もいたそうですが。)そんな賢いアリーテ姫の父君、王様は宝石が大好きな守銭奴です。王様は、アリーテ姫をお金持ちの王子様と結婚させて宝石をせしめようとするのですが、アリーテ姫が賢いとわかるやもう大騒動です。なぜなら、賢い王女様には「嫁のもらいてがない」からです。そして、あわてて婿探しをするのですが、アリーテ姫が賢く機知に富んでいることがわかると、王子様方はみんな逃げ帰ってしまうのです。そこへやって来たのが悪い魔法使い、ボックスです。彼は、王様に宝石が一杯詰まった宝石箱を渡して、アリーテ姫を娶ってしまうのですが、それには裏があって…。という、展開でこの後原作では、アリーテ姫はボックスの出す3つの試練に挑むのですが、映画では最初の「永遠に水がわきでる井戸」と「金色ワシの巣からルビーをとってくる」という2つが使われているだけです。「井戸」の方は、ボックスが持つ水を入れた容器に入れると水が湧き出てくる不思議な宝玉に、「金色ワシ」は、アリーテ姫がボックスと彼が支配する村を救った後に探しに行く、星の世界まで手が届く超科学文明が崩壊した後の世界の遺産として出てきます(ボックスは、その超科学文明時代の生き残り。魔法も超科学という設定になっているようです)。映画は少ししか見ていませんがどうやら、原作を元に自由に脚本したようです。それなので原作で描かれていた主題、「男性の望む理想の女性像=お姫様」、「男性の手を借りて幸せになる女性」という社会規範(今日でも残っていますね~)から自由になって、自らの意思と知識を使い、自分の運命を切り開いていくという展開に、映画ではどのような味付けがなされているのかが、気になるところです。週末にDVDを借りに行って確認できたら、と思います。まぁ、すぐ冬休みがくるので時間は出来るでしょうが。(ということは、私の一番嫌いな「お正月」がくる!昔はお年玉貰えるから我慢できたのに、今や配る方。今年は、10人以上候補者が。薄給なのにこれはキツイ!)ついでに書きますと、原作では食事、食べ物の描写が凄いです。映画にも出てくるボックスの世話をしているアンプルさん(この人、映画ではずいぶん異なった性格と役で出てきます。)が用意する料理とは、夕食にチキンパイとフルーツタルトに温かいココアとか、新鮮なトマトスープと魚料理、何種類もの野菜を添えた肉料理に、たっぷりのクリームをのせたイチゴ、という具合です。私の場合、これに良いワインと、食後の上等の紅茶があれば地下牢に監禁されても文句は言いません。一方、魔法使いのボックス氏は、わざとまずく作ったオートミールやらネズミを煮たもの、とどめはナメクジ入りの虫けらパイと、とんでもない物を食わされています。かわいいお姫さまを、軟禁して無理やり試練を与えているのですから、当然の報いですね。話が脱線しかけましたが、このお話は小さな女の子向けに書かれた、と紹介にありました。また、色々と書評の方も拝見しましたがどうも「フェミニズム」を強調し過ぎているようです。そんな風に出版当時は捕らえられていたのでしょうし、実際、私もそのような感じを受けました。しかし少し考えてみると、女性が自らの体験を元にして描けば当然、主人公は女の子になるでしょう。ですので、このお話は小難しい事を考えずに、社会全般にある「こうあるべき、そのようにすべき」という一見普遍的に見える規範(社会のありよう)に対する問いかけ程度にとらえた方が良いのではないかと思います。でも、本当に大切な事は手に取った本を楽しんで読む事(そして、何かしら自分で感じる事)なのですがね。(ちなみに私は、本を読んだ後にあれこれといらない事を考えたり、妄想したりする事が好きなのです。で、その結果の一部がこのブログなのですが…)
2005年12月09日
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まずいです。風邪をひいてしまった模様です。どうも、昼ぐらいから肩やら関節が痛み出し、帰る時には頭痛が始まり、家に辿り着いた時には食欲がなくなっていました。この後、鼻にきて、腹痛、熱とお定まりのパターンになる前に、葛根湯を飲みました。明日、1日我慢すれば休みですから、何とか持って欲しいものです。さて、風邪の菌やらインフルエンザにとって図書室は繁殖&媒介に最適な環境です。なぜなら、図書室は乾燥していますし、休み時間には学校中の生徒が(密集して)集まり、おしゃべりする場所です。管理責任者にとっては、悲鳴ものです。それを防ぐために、換気をするのですが、生徒に評判が悪いです。暖房で暖めた空気が逃げますからね。新聞なんかでは、インフルエンザ予防に湿度60%以上を保つように、なんて言っていますが、図書室ではそんな恐ろしいことが出来るはずがありません。湿気は、本の大敵です。まぁ、本も呼吸(湿気を吸ったり、乾燥したら湿気を放出する事です。)しますから、多少は湿気を出してくれているかも知れませんが…。それから、気管支に悪い埃!ホコリ!!本と言う代物は、凄いホコリを出します。朝、出勤して先ずする仕事が、窓を開けて、机と書架、カウンター等を雑巾で拭くことです。とくに机は、新陳代謝の激しい生徒が使用するために汚れが酷いので、朝と掃除の時間の2回、水拭きします(他にも、授業利用なんかがあると、机の上に消しゴムのカスなどが散らばり…)。また、掃除の時間には書架にはたきをかけます(本屋さんみたいね。このはたきがけ、生徒の間で取り合いとなるので…、困ったものです。)。また、埃はダニやらミョウチキリな虫を呼び寄せます。これも、アレルギーなどの事を考えると、きっちり対策を取らねばなりません。そのためにも、日々の掃除が大切なのですが、掃除の時間の半分を生徒への注意に使っている状態では…。夏休み中に1回、燻蒸をしたのですが、念のためもう1回やりましょうか?という話が出てきています。あれを前にした時、PCとプリンターを外に出して大騒動したのですが…(配線のつなぎ方がわからなくなって…。)。そんな訳で、今日は私自身の体調不良から、学校図書館に関する健康問題と掃除に関する小噺となってしまいました。これから、毎年恒例の大掃除があります。床にワックス掛けするので、椅子を机の上に上げて、床に敷いてあるカーペットを外さなくては…。その前に、クリスマスの飾りを外して、正月の飾りを作って、掲示しないと。そして来週までに、選書リストを書店に出さないと。師走だ~(先生じゃないけど…。)。
2005年12月08日
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昨日、紹介した宮崎正勝氏の『海からの世界史』(角川選書、2005年)を取り上げたついでに、日本周辺の「海」を守っている海上保安庁、今年ドラマ&映画でブレイクした佐藤秀峰さんの『海猿』(1巻目の『海猿(1)』)の舞台、関係の本を紹介してみようと思います。さて、ドラマ&映画で広く世間一般にその活動が知られた海上保安庁ですが、その活動は大体、以下の通りに分けられます。まず、日本の領海と200海里内の(公海へも行くことがありますが。)警備・救難活動です。『海猿』のコミックスやドラマ&映画でお馴染みですね。次が灯台の管理や航路の維持・管理、海図の作成などの、海洋に関する情報を管理する仕事です。これは、木下恵介監督の松竹映画『喜びも悲しみも幾年月』の燈台守を考えてもらうと良いでしょう。(と言っても、昨今では灯台もオートメーション化されて、燈台守がいる灯台はほとんど無いそうです。)このように、日本を囲む海洋の安全を守り続けてきた海上保安庁ですが、近年、その活動はあわただしくなってきています。その理由は、言わずと知れた不審船問題です。(ドラマでもやっていましたが。)もともと海上保安庁は、戦後GHQが日本近海の治安維持(当時、戦後の不安定な世相を背景に、密輸に密航、それに伴う感染症の上陸等が発生したので、)のため泥縄的に作ったのが始まりです。その後、朝鮮半島を巡る情勢、李承晩ラインの制定による日本漁船への韓国側の発砲・拿捕や、朝鮮戦争などへの対応、その後は北方4島周辺の警戒や、200海里問題への対応(救難活動と海洋調査が主でしたが。)、近いところでは、フランスからのプルトニウム輸送時の警備等々、今日に至るまで日本の領海(シーレーンも)、つまり国境を警備する役割を担い続けてきました。そんな海上保安庁の領海警備について書かれた本が、小川和久先生の『日本は国境を守れるか』(青春出版、2002年)です。国際政治や安全保障が御専門で、TV番組にもよく出演されている小川先生が、海洋国家日本の国境線についての見解と、国境線の意味、不審船問題から浮かび上がる海洋警備の問題点を鋭く指摘されています。また、海上警備における海上保安庁と海上自衛隊との関係を解説され、さらに国境警備に関する私見を述べられています。「国境警備」とは、日本人には耳慣れない言葉ですが、陸続きの大陸国家で当たり前の存在です。普通、陸続きの国境では、大体、国境に沿って緩衝地帯が双方数百メートルから数キロにわたって設置し(川の場合や、EUや隣国同士の関係が良好な場合は撤去されています。)、間違いから戦争が発生しないよう軍隊とは別に国境警備隊(それに属する武装機関、緊張状態の時は軍隊ですが。)が配置され、警戒に当たっています。ところが、日本は島国です。海岸線を見て、この先に国境線がある、と考える人はまずいないでしょう。この日本人の国境に関する認識の無さ、領土に関する無感覚については、江戸時代の寛政3年(1791)に刊行された林子平の『海国兵談』の1節、「海国なるゆへ何国の備えも、心に任せて船を寄せらるる事なれば、島国なりとて曽て油断は致されざる事也」、「細かに思へば、江戸日本橋より唐・阿蘭陀迄境なしの水路なり」の指摘からあまり変わっていないのかもしれません。(幕末から明治時代、そして終戦までは、国境や地域の権益には敏感だったでしょうが。戦後の平和な時代が長くて、かなり薄まってしまいました。)そんな人のために、山田吉彦さんの『日本の国境』(新潮新書、2005年)があります。今話題の、尖閣諸島問題(対、中国・台湾。)、竹島(対、韓国。)、北方四島(対、ロシア。)、そして沖ノ鳥島(対、中国?、と言うより、自然の猛威が問題かな。石原都知事が上陸して話題となりましたが。)、対馬に先島・八重山諸島に関する諸問題を取り上げ、考察をしています。この本でも、第2章「日本の国境を行く」では、石垣・根室の両海上保安部が、第3章の「領土紛争最前線から」でも、対馬海上保安部の活躍が掲載されています。とくに、対馬海上保安部の活動については「最前線基地」と題して、韓国の操業漁船との戦いについて取り上げ、海上保安庁が日々、領海と日本の漁業資源の警備に当たっているかを紹介しています。このように、昨日も書きましたが日本周辺の海は、物騒な状況になってきています。近海では、中国海軍の調査船や原子力潜水艦の領海侵犯、周辺諸国の不法操業漁船、密航に密輸などが頻発しています。また、国民生活を支える海上交易ルート、マラッカ海峡からシンガポール、バシー海峡、南シナ海、台湾近海を経由して日本に至る航路ですが、ここでも、海賊(昔話ではなく、本当に今暴れまわっています!)にテロリスト(こいつらも資金調達のため、海賊業をやっているのですが。)、さらに、大量破壊兵器(核・化学・生物兵器)拡散防止のためのPSIへの対応など、選り取り見どりで問題が出てきています。領海警備などは、海上保安庁の仕事ですが、PSIや対テロ対策は本来は海軍(海上自衛隊)のお仕事です。(公海上ではとくに。そもそも軍艦には国際法上、数々の特権があるので、色々と活動がしやすいはずなのですが。)しかし、憲法問題などで海上自衛隊の任務が限られているので、ここでも海上保安庁が前面に出て活動しています。そのように、幅広い活動を展開する海上保安庁については、海上保安庁編『海上保安レポート』(最新刊の『海上保安レポート(2005)』を。表紙画像が無い!格好良いのに!)があります。ドラマ&映画を見た人、コミックで呼んだ人も『海猿』の物語の背後にある諸問題に目を向けてみていかがでしょうか?物語の背景を読み解いた後に、もう一度読み直すとまた違った発見がありますよ!2006年春には映画『海猿』第2弾が公開予定ですしね。 そんな、海上保安庁のホームページへはこちらをクリック!『海猿』第2弾の情報もありますよ!!
2005年12月07日
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日曜日に購入した、宮崎正勝氏の『海からの世界史』(角川選書、2005年)を読み始めました。以前から吼えているように、私は海軍大好き!!(海上保安庁も好きですよ!)人間です。と、いうような人間なので、当然のことながら海軍が活躍する舞台、大海原に関する歴史にも関心があるわけでありまして、この本を手に取った次第であります。この本のはじめに宮崎先生は、「今までの世界の歴史は陸地を主要な舞台として叙述され、海は特定の時期にのみ姿を見せるにすぎるなかった」と書かれ、海が陸の世界の「辺境」として位置づけられてきた、と指摘されています。しかし、海は船という道具を使うことにより陸地を往くより、情報を速く、荷物を大量に運搬することが出来る交流と交易の舞台であったわけです。そこで、宮崎先生は『海の視点から「世界史」を描き出そう』と、四大文明の時代から21世紀までの海の世界の変化を、8つの時代に分けて解説をされています。まだ読み始めなので、内容云々は後日書くことにしますが(また長々と…)、この本を購入した理由は先の「海軍万歳」のほかに、自分の大好きな海洋小説、『マスター&コマンダー』シリーズ(最新刊の『ボストン沖、決死の脱出行(上)(下)』)、『ボライソー』シリーズ(同じく最新刊の『無法のカリブ海』を)等、のバックボーンを読み解くのに手元に置いておくのに手ごろな本かな、と思ったからです。例えば、第6章の「ロビンソン・クルーソーとガリヴァーの時代」はまさしく、ジャック・オーブリーやボライソーがフリゲート艦や戦列艦などの帆船を操り、大西洋・地中海・インド洋・太平洋と文字通り「七つの海」を駆け回った時代です。では、なぜロイヤル・ネイビーとH.M.S.(女王or国王陛下の軍艦)はそんな縦横無尽の大活躍ができたのか?その理由は、東インド会社とクック船長の探検に鍵があるのですが…。これは、もうちょっと読み込んでから書きましょう(あくまで予定ですが)。ということで、章の題についての小噺を。まず、ロビンソン・クルーソー(『ロビンソン・クルーソー』)ですが、彼は何と奴隷商人で、モデルとなったアレキサンダー・セルカークなる実在した人物は、私掠船(国家が戦時中、敵国の商船を襲うことを承認した証明書を持つ武装船、実質は海賊船!)の航海長で、実は仲間割れして置き去りの刑にされた時の経験談が、元ネタになっているそうです。それから、ガリヴァーでは「アジア海域をはるか彼方の空想の世界として」描いていて、「当時のヨーロッパとアジアの大きく隔たった距離感が」物語の前提となっているそうです。実際、当時イギリスからインドへ行くのには、1年も(帆船なので風任せ、ついでに幸運も…)かかることもあった時代ですから。未知の世界、日本付近を極東(東の果て)と言い表したのも当然ですね。ちなみにこの『ガリヴァー旅行記』では日本人が登場して、かなりの活躍をしていますよ(笑)。このように「海」を中心に据えて古代から現代まで歴史を叙述している本は、少ない(私は類書を見たことはありませんが)と思います。戦史や経済史関連などで、海戦や交通・流通の面からの研究は豊富にありますが、世界史というグローバルな視点から「海」自体、「海」を使って成長した文明・国家(地域)を取り上げた本書は、歴史の盲点を突いた良書だと思います。さて最近、魚釣島や竹島、沖ノ鳥島に北方四島、少し目を遠くにやれば東南アジアでは海賊が跋扈しているなど、日本を囲む海は不安定&緊張化しています。日本は皆さんご存知のように島国です。にもかかわらず、日本人は自分たちの生活を支えている海に対する興味・関心が低いと言わざる得ません。当然、日本がこれまでどのように海に生かされ、これから海をどのように活用していくかについて、大半の日本人が無関心のように思います。歴史好きな人はもちろん、これまで陸ばかり見てきた、または海に関心が薄かった方にも、是非読んで頂きたい一冊ですね。(選書ですので読みやすいですしね。)
2005年12月06日
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と(タイトルからの続き)、言うことで本日は昨日買ってきた『このライトノベルがすごい!(2006)』で書きます。学校図書館司書という立場上、各種&各ジャンルの本については一通りの知識が必要です。しかし人間、どうしても趣味・嗜好・感覚等々で、どうしても得手不得手が出てきます…。私の場合は、歴史モノやファンタジー、他は社会(中学の教科)関係や古典、文学関係等は強いのですが、スポーツや芸能、技術・工学関係は知識が乏しい、といった具合です。と言う訳で、利用者のために司書も日々勉強!という建前と、自分の趣味を折衷して購入したのが『このライトノベルがすごい!(2006)』です。先に、『ライトノベル完全読本(vol.3)』を紹介していますが、まぁ、出版社(日経と宝島)が違うし、切口も違うのでOKでしょう。さて、出版大国である日本。この1年間で出版されたライトノベルだけでも、膨大な量となります。で、膨大な書物の樹海の中で、なんでこのようにライトノベルを重視するかというと、理由は単純、周囲を説得するためであります。(自分の欲求を満足させるためにも。)常々申し上げてきましたとおり、ライトノベルやコミックス&漫画は教育現場の一角にある学校図書館では、これまで偏見の目で見られてきました。ライトノベルに関しては、田中茂樹・森岡浩之・水野良・栗本薫・吉田直等々、キラ星の如く並ぶ各大先生のご活躍(&この大先生の御著書を愛読した世代が、教員となったため。)のおかげもあり、学校図書館の書架に配架することができるようになりました。でも、ライトノベルを購入するときにはやっぱり普通の本(この区分が、私は大っ嫌いです!)とは異なり、若干の検討を必要とします。その理由は、先に挙げた「偏見」と共に、何度も強調している「性的描写と暴力的表現」、そして「図書費」という問題です。「偏見」は置いておくとして「性的描写と暴力的表現」は、ライトノベルについては「偏見」の類だと私は思います。(見る人のよっては、境界線上にある類のものはあるのでしょうが…。)図書費については、ライトノベル一冊自体の値段は安いのですが、これもシリーズものを買うと結構なお値段に…。それから、ジャンルが様々に分かれているので、リクエストを全て聞き届けてしまうと…。後、問題なのは置く場所です。普通の本と一緒に配架してしまうと、目立たなくなりますし、他の本の裏に紛れ込んでしまうという恐れが…。やはり、文庫本専用の書架が必要となるので、場所と書架を買うお金が…。(私の職場では、すでに文庫用の書架があったので、助かったのですが。)さて、鬱憤をぶちまけたところで、本の内容です。この『『このライトノベルがすごい!(2006)』では、今年のライトノベルを巡る状況について、読者による各種(作品・男女別キャラ別等)ランキングや、書店&専門店別売り上げランキング、それに各種状況分析に「心が震えた名セリフ」に、今年の注目作品をとして紹介する「目利きが選ぶ!注目の作家&作品」、とどめに時雨沢&壁井ユカコ先生方が語る「人気&注目の作家、35人聞きました!」と、ライトノベルに関心のある人々に必読の情報が盛り沢山の一冊です。という前書きの後に、細々とした詳細を書きたいところですが、あまり書いてしまうと問題がありそうなので、私が購入&配架した本に関する事を書きま~す。購入した中で、作品ランキングではまず、私自身が購入した中では、2位『キノの旅』(『キノの旅(9)』)と38位の『リリアとトレイズ』(『リリアとトレイズ(1))』)、50位の『七姫物語』(『七姫物語(第3章)』)だけでした。次いで図書室入れたものでは、『灼眼のシャナ』(『灼眼のシャナ(11)』)が15位で、同じく『マリア様がみてる』(『マリア様がみてる(薔薇のミルフィーユ)』)が18位、『マリア様がみてる(薔薇のミルフィーユ)』が28位、『キーリ』(『キーリ(7)』)が29位、『しにがみのバラッド。』が30位、『撲殺天使ドクロちゃん』(『撲殺天使ドクロちゃん(1)』)(これを入れてしまったのことは、今年最大の失敗だったかも…)。が32位でした。こうして見てみると、自分が読んでいる範囲がいかに狭いかと実感してしまいます。(実際、読め!と言われても困るのですが…。)ついで、このような本の定番。「今、おもしろいライトノベルはコレだ!」では、今年、私が購入したものだけ紹介すると、まず異世界ファンタジー部門の時雨沢先生の『キノの旅(9)』)と『『リリアとトレイズ(1))』。SF部門では、田中芳樹大先生&萩野目先生の『野望円舞曲(6)』。伝記&歴史部門では高野和先生の『七姫物語(第3章)』。ノベライズ部門ではやっぱり当然、森薫さんの『小説エマ(1)』(と『小説エマ(2)』)。部門としては珍しいジャンル、モダンクラシック部門では森岡浩之先生の『星海』(『星界の戦旗(4)』)シリーズ、とこのようになります。一方、キャラクターランキングでは女性部門で1位の「キノ」(総合1位)嬢と、5位の『灼眼のシャナ』の「シャナ」嬢(総合7位)ののみ。男性キャラ部門では、これも図書室に入れた『トリニティ・ブラッド』で「アベル・ナイトロード」師が8位(総合28位)です。番外では、総合15位で「エルメス」君がいるのが(笑)。と言うことで、ほかに時雨沢先生の「2005年で一番衝撃うけたこと」も知ることが出来る(他に、壁井ユカコさんや木村航さん、築地俊彦さん、今野緒雪先生に雪乃紗衣先生など35人が語っています。)この本。ライトノベルの真髄に近づこうとする方、ただライトノベル界の近況を知りたい方、自分の趣味・関心がどのように偏っているか知りたい方にも満足いただける一冊ですよ(笑)。
2005年12月05日
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え~、毎週土曜日は、書道のお稽古の準備や研究会(歴史&書道)があるので、中々書き込めないのですが、誕生日の記念&遅ればせながら開設一ヶ月記念ということで、簡単に一筆を。Alles Gute zum Geburtstag! (ドイツ語で「誕生日おめでとう!」という意味です。)
2005年12月03日
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今日、本屋さんが小栗佐多里さんの『ダーリンは外国人』(メディアファクトリー、2002年)と『ダーリンは外国人(2)』(メディアファクトリー、2004年)、そして『ダーリンの頭ン中』(メディアファクトリー、2005年)の3冊を持って来ました。そこで、今回は「学校図書館とコミックス&漫画」で語りたいと思います。みなさんの中には、教育現場である学校図書館にコミックスや漫画を置くなど!と思われる方がいらっしゃるかと思います。まぁ、一昔前までは、コバルトやホワイトハート、電撃、角川さんの出すライトノベルすら目の敵にされていたくらいですから、当然だと思います。しかし、現在では大抵の学校図書館には手塚治大先生の作品集、『火の鳥』や『手塚治漫画全集』、『ブラックジャック』、そして『はだしのゲン』等のハードカバーや横山光輝大先生の『三国志』等は、当然のごとく配架されていることだと思います。私の勤める学校図書館でも、手塚治大先生の作品では『ブラックジャック』(アニメ化されたので、4月5月は凄い人気でした。でも禁帯出で、閲覧のみでしたがね。)や『ブッダ』、『火の鳥』が。あと、横山光輝大先生の『三国志』と『水滸伝』、『項羽と劉邦』、そして定番の『はだしのゲン』があります。この辺は、もう古典扱いされているので別に騒ぎ立てることはないのですが、問題は最近出版されたり話題になっているコミックス&漫画です。例えば、今私の学校図書館にあるものでは、武田鉄矢さん原作で小山ゆうさんが描いた『おーい竜馬』や戸部けいこさんの『光とともに…』(しまった『光とともに…(9)』、今日頼むの忘れた!)、山本おさむ先生の『どんぐりの家』と『聖』、『わが指のオーケストラ』があります。まず『おーい竜馬』は昔、NHKでアニメ化されていますし、内容もしっかりしていますので、大丈夫でしょう。次に、『光とともに…』や『どんぐりの家』等は障害者教育の観点から検討すればこれも、学校図書館に置くのに意義は無いでしょう。さて、問題は生徒のリクエストです。(そして、私の欲求&欲望です。)前にも書きましたが、学校図書館で問題となるのは性的描写と暴力的表現です。さて、これに引っかからない人気のコミックス&漫画をいくつあげることが出来ますか?そして、子どもに見せても大丈夫という境界をどこに引きますか?議論百出、収集がつかなくなり、入れない方が無難、という結論が出てきますよね。性的表現は、これはもう読むなり見るなりすれば、一目瞭然なのでおいて置きますが、問題は暴力的表現です。一例をあげると、『バガボンド』の作者、井上雄彦さんの『スラムダンク』を一時期無茶苦茶リクエストがありました。でも、選書の際の相談で表現が過激であろう、ということで没になりました。毎度、こんな感じです。他にも、コミックス&漫画を軽々しく購入できない理由があります。それは、1つ購入してしまうと堤防の決壊のごとく歯止めが効かなくなるのではないかという問題です。コミックス&漫画は必ずシリーズものです。完結しているものなら良いのですが、連載中のものだと…。例えば『ギャラリーフェイク』これを全巻揃えたら…。(一冊、530円×32巻。)図書費が~。という事になるのです。ですので、生徒にもわかるように、しっかりとした説明が出来る作品でないといけないのです。(そして、そのような作品は大体、生徒に人気が無いのです。)また、コミックス&漫画は装丁が弱いくて、さらに、利用の率が高いのですぐボロボロになります。現に『おーい竜馬』や『はだしのゲン』などは補修テープで膨れ上がっています。さらに、亡失(盗難)という問題もあります。そんな訳で、コミックス&漫画を学校図書館に入れるのは大変なことです。いろんな意見がありますが、それでも、私はコミックス&漫画が置いてあっても良いのではないか、と考えています。その理由として、まず第一は客寄せ用です。コミックス&漫画は生徒を簡単に図書室に集めるのに最適の道具だからです。活字に拒絶反応を示す子どもに、図書室の敷居を跨がせるのには、凄い労力を使用します。その手間を、減らしてくれるアイテムとしてコミックス&漫画は抜群の効力を発揮します。また、最近の子どもの活字離れは深刻を通り越して目を覆いたくなる状態すらあるそうです。(幸い、私のところはそんなに酷くは無いのですが。)そんな子どものリハビリ用に使用できるのではないか、と考えるわけです。(これにも異論がありますが。)これも、コミックス&漫画を読ませるだけでなく、そこから別の本へと関心を持たせる読書指導へともっていくのが大前提ですがね。(学校司書がいないと、細かい指導はまぁ無理ですね。)次いで、これは私の考えなのですが、コミックス&漫画でないと伝えられないものがあるのではないか、というものです。最近は佐藤秀峰さんの『海猿』や『ブラックジャックによろしく』など、社会的問題などを取り上げた良書が数多く出てきました。また、芸術として見ても鑑賞に堪えれる作品もあります。そのような作品は、目で見て、視覚から具体的に作品の主張するモノ、メッセージを読書経験が少ない子でも、読み込んでいけるのではないか、と考えるわけです。(これも、想像力を高めるという観点からすると異論があるでしょう。でも、あくまでリハビリです。)これを、ステップにして(あるいは、自信にして。)次の段階へ持っていければ、と考える次第であります。公立図書館にも宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』やけらえいこさんの『あたしンち』等を置いてあるところもあるのです。束縛されない多様な「読書感」を育て上げるという観点から、コミックス&漫画を考えて見てはいかがでしょうか? (ちなみに、私は心の奥の沼の底から森薫さんの『エマ』を入れた~い、と思っております。これについては、『エマ』関連の日記を見てね。)最後に、これを読んでくれた関係者のみなさん。是非、こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』(双葉社、2005年)を、ご自分で購入&図書館で(コミックス&漫画がOKなところで)リクエストしてみて下さい。(立ち読みできれば、それでも結構です。)これは、ものすごくよい本です!お願いしま~す。
2005年12月02日
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今日は、昨日発売されたばかりの高瀬理恵さんの『公家侍秘録(5)』について書いてみようと思います。このお話は、江戸時代後期(大体、水野忠邦が行った「天保の改革」の頃です。)の京都が舞台です。ところでこれまで、江戸時代を舞台にしたものは江戸が中心で(例えば、原作が池波正太郎で劇画のさいとうたかお先生は描いている『鬼平犯科帳』。)、京都と言えば幕末、新撰組や坂本竜馬などが活躍する時期のものしかありませんでした。(和月伸宏 さんの『るろうに剣心』なんかがそうですね。)しかし、高瀬さんはこのシリーズの参巻の表紙にあるように「徳川期の京と公家を描く、本格派時代活劇―」という形で、江戸時代の普通の京都の日常を、これまで取り上げていない公家にスポットライトを当てて、描いています。ところで、公家と言えば「貴族」です。さぞかし、良い生活をしていたと思うでしょう。ところが、江戸時代は徳川幕府の時代、つまり武士の世です。その武士ですら、下の身分の者は時代が進むにつれ、経済が発展して商人が台頭するようになると、内職やらをしていた時代です。(それを改めて、幕府の財政を立て直そうしたの改革のひとつが「天保の改革」です。)当時、天皇家の領地はわずか1万石程度、小大名の一番下の収入しかなかったのです。ですので、下っ端の貴族の収入と言えば微々たる物、当然、内職に追われる日々を過ごすという事になります。この『公家侍秘録』は、そんな下級無役(公職についていないこと。)の貧乏公家、日野西家に仕える青侍(公家に仕える侍のことです。)、天野守武が主人公です。この守武が仕える日野西家、実は帝(天皇)から賜った宝刀、粟田口久国という家宝があり、守武はこの家宝を守る「守役」、「刀守り」だったのです。でも、この天下泰平の時代、そうそう「守役」としての仕事は無く、日野西家に仕えるただ1人の侍(兼家政夫)として日々の家事一般と内職に追われる日々を過ごしているのです。さて、この「守役」という役目。『公家侍秘録』の説明によると、室町時代末期の乱世に「公家衆が京に打つ続く戦乱から家宝の品々を守る為、武技に秀れた守役の者をこぞって抱えた」のが始まりだそうです。所謂、ガードマン的な存在だったわけです。ところが平和な徳川の世、そんな風習も何時しか忘れ去られ、廃れたいった時代、天保の頃がこの作品の舞台と言うわけです。そんな『公家侍秘録』に登場する人物は、まず守武の仕える日野西家には、当主で普通のおじさん、日野西晴季(はるすえ)さんとその娘、姫君(とてもそんな柄ではない、お転婆娘)の薫子さんの2人。ついで、薫子さんの幼馴染の千香さんとその旦那で元千香さんの家の青侍で、守武と同じ「守役」だった斎之助(いつきのすけ)。(この2人の馴れ初め話は、『公家侍秘録(1)』を読んで下さい。)また、同じく準レギュラーで歴史上実在した人物、千種有功(ありこと)卿が登場します。(この人についても壱巻を参照してね。)このように、『公家侍秘録』では所々に歴史上の実在の人物を登場させて、物語に深みを持たせています。また、作中のテーマも、京の町に住み生活するお公家さんから、京詰めの幕府や諸藩の武士、京の商人や職人など幅広い階級の人々を登場させてお話を展開させています。そして、それらの人々を介して当時の京の都のさまざま事象、公家や武家の政治的な問題やスキャンダル、商人と役人や公家の癒着や事件、職人の仕事に関わる謎などを作り出します。その事件に、守武と薫子さんが首を突っ込んだり、頼まれたりして事件に巻き込ませて、解決すると言うのが、高瀬さんのお話の大体のパターンです。そして毎回、京の都の違う側面を見せて、色々な方向に話が広がっていくのでとても面白いです。作中の衣装や言葉遣いも当時のものを使っています(とくに京言葉を使っているのは良いです。ここに私は嵌りました。)この本は、私たちが知らない京都の歴史の一面を教えてくれる良書だと思います。この『公家侍秘録』には、当時の京の都の雰囲気がよく出ています。また、京都の名所旧跡に関するお話やそれに関する説明・解説、さらに京都の風習や特産品、例えば和菓子や京焼きなどがテーマのお話などあります。このシリーズを読んでから(または、重くて嵩張るけど持って。)京都へ行くと、違った発見があるかもしれませんよ。ちなみに私は、大学受験のときに京都へ行ったきりです。奈良へは、良く行くのですが。(正倉院展を見にね。今年は行けなかったけど…。)↑これも、五巻の表紙画が無かったもので…。
2005年12月01日
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