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『エリザベス:ゴールデンエイジ』、観て来ました。今年はそこそこいいペースで劇場に足を運べているなぁ。忙しい方が時間が作れるのでしょうか。 短い時間の中で、なかなかに濃厚なストーリー。前作を観なくても十分楽しめる歴史大作と言えるでしょう。前作が、エリザベスが女王になるまでの孤独を、ロマンス風味も取り入れる中で緊張感たっぷりに描き出したにのに対し、今作は、エリザベスが女王になってからの孤独に焦点を当て、ロマンスよりもむしろ、歴史の大きなうねりの中の一人の女性の葛藤と決意を対置したような構成になっているような気がします。 ということで、今作の方が重厚感があるんですね。そこに、お気に入りの侍女・ベスや、フェロモン冒険王(?)ことクライヴ・オーウェン演じるウォルター・ローリー卿が闖入して来て、不動の心を持つエリザベスは人間としての幸せを祖国に捧げることの重大さ、苦しさと いう巨大な敵に立ち向かう。女性の嫉妬よりも、きっと女王の嫉妬の方がはるかに苦く、辛いに違いない…とまで感じさせる、ケイト・ブランシェットによる投げやり風だったり、自家中毒系だったりする不安定な女王像は、痛々しく実に切ないです。代理恋愛って…辛すぎないか? 国際情勢的には、プロテスタントを保護し、宗教的立場を独自かつ曖昧なものとするエリザベス女王に対して、カトリックの急先鋒スペインはフェリペ二世が、無敵艦隊・アルマダを引き連れて太陽の沈まぬ国から“聖戦”を仕掛けて来る。このフェリペ二世の、すこし憑かれたような、畏怖すべき静謐さがまたなんとも不気味に迫力があっていいんですけど、何と言ってもケイトのエリザベス役は素晴らしい。あの少しやつれた姿がいいんですね。疲れた人間エリザベスが、王冠と衣装を纏ったとき、まったく別の人物、いや神より選ばれ、民より敬愛される女王になる。 このギャップを実に上手く演じているし、高貴な佇まいなのに、不遜ではなく知的でチャーミングな女王像をよく造り上げています。クライヴ・オーウェンもいいですね。前作でエリザベスとロマンスを演じたジョセフ・ファインズの、ちょっと“遊び人風”ながら燃える目力を持つダドリー卿もよかったですが、彼とは正反対に、まっすぐで純粋、大らかな目を持つ男を堂々と演じています。 そうか。器と中身が合わないとき、違和感が生れます。長年名刺や肩書きで仕事をしてきた人が突然フリーになったり、風来坊が社長になる。違和感が生じますね。ところが、器と中身がぴったり合うと、今度は拘束着を身につけたような、身動きの取れない密着感が生じる場合もある。 この全編を覆う逼迫した感じは、ローリー卿の自由さと対極にあるエリザベスの閉塞感をあぶり出しているのかも。女王にふさわしい風格を持ったがゆえに、女王になって不自由になる。適材適所も良いことばかりではないんでしょうね。 ジェフリー・ラッシュ!!あなたはどこまで曲者なんだ!!前作最後でもエリザベス戴冠に暗躍しまくった知恵袋ウォルシンガムは今回も登場、またもジェフリーが枯れた演技で脇を固めます。この人、脇なのに主役級の味を出すから共演者もウカウカできない。今回は、術策権謀の人、という部分は前作より少しトーンダウンして、今風に言うなら、退職を間近に控える功臣という面も覗かせ、ウォルシンガムに新しい魅力を添えています。ま、策謀癖は相変わらずですけどね。 で、短い出番ながら圧倒させるのは、サマンサ・モートン演じる傀儡女王、メアリー・スチュアート。スペインのエリザベス攻撃の口実に利用されながら、旧教を支持する王位継承者として、一方ではエリザベスの座を狙うも、二重の罠にかかってあえなく斬首。陰謀が露見した瞬間の放心演技は、観ている方が愕然とし、後味が悪くなるほどの名演技。残首のシーンの、堂々たる姿も、件の放心シーンにはかすみます。 歴史映画というべきか。エンタテイメントと呼ぶべきか。超大作でもなく、また他にも話題作が居並ぶ中ではテーマとしては地味ではあるけれど、やはりこれは大作、歴史エンタテイメント大作と呼ぶにふさわしい、意外に硬派な一本でした。 欲を言えば、スペイン艦隊との決戦はちょっと大味だったかも。あとどうなのかなぁ。聖ジャンヌ・ダルク風演出はいらなかったかな(事実は事実としても)。なくてもエリザベスの迫力は十分に伝わったと思うのはへそ曲がりでしょうか。(了)映画「エリザベス ゴールデン・エイジ」オリジナル・サウンドトラックエリザベス(DVD)エリザベス1世(DVD) ◆20%OFF!(オスカー女優、ヘレン・ミレン主演バージョン) クィーン<スペシャルエディション> (ヘレン・ミレン主演、現女王を描いたオスカー受賞作)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/27
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見出し:茶碗なんて、ただの土塊じゃねぇか。谷松屋一玄庵戸田 鍾之助、戸田 博著『美を見抜く 眼の力 夢の美術館』(小学館) 贅沢な、実に贅沢な本である。これだけ栄養価の高い本を目にすると、眼球がメタボリック・シンドロームになりそうである。 本書は、私はこれまで読んだことがなかったが、雑誌『和樂』で2年間にわたって連載された記事を単行本化した『美を見抜く 眼の力』の「廉価版」である。 江戸時代から続く関西屈指の道具商、谷松屋戸田商店・11代目戸田鍾之助氏と博氏父子が対談形式で、茶道具の魅力を語った『美を見抜く 眼の力』は、どちらかといえば玄人向けのスノビッシュでディレッタントな本だった。出版社説明によれば、「著者が日本有数の目利きであること、本書が全国に3000はある骨董店にとってのバイブル的な存在になったことなどから、税込8190円と高価ながら売れ行き好調です。 ただ、やや高価なため、骨董や茶道関係者以外の人には、若干敷居が高い書籍でした」。 この「廉価版」は、『美を見抜く 眼の力』に新たな1章を加え、また戸田鍾之助氏が選ぶ「26の名茶器」などのコンセプトを一本通して、オールカラーで再編集したものである。重ねてコンセプトが一貫して素晴らしく、畳に置いた茶道具の写真の見せ方もまた秀逸で、本作りの丁寧さそのものもまた贅沢なのである。 戸田鍾之助・ 博父子が茶道具の名品を手にしながら、まるでオモチャを手にした子供のように語る対談形式も微笑ましい。感受性豊かでやんちゃな父に、クールでいて開明派の息子、といった感があるが、博氏が、鍾之助氏を、父としてのみならず、当代随一の目利きとして、個別に尊敬し、またそこから学ぼうとしている姿勢もまたまばゆい。くだけた、ざっくばらんな中に、美しい一線がある。 知識でなく、感覚のレベルで、あまりにすごいものを見ると人間逃げ出したくなる。本書は、頭でなく、眼で味わうもの。この“眼”には、高度な知識は当然、洗練された知性や感性が含まれている。それを信じて、その時点の自分で眺め味わう。目の前の名品が解らなければ、また自己研鑽して、縁があれば虚心坦懐相対峙すればいい。自己研鑽が偽りなく本物なら、成長した分、目の前の名物たちは新しい地平を見せてくれるだろう。 谷松屋戸田商店・11代目戸田鍾之助一代記も痛快。古今の、垂涎ものの茶道具の数々に触れ、近代の数奇者たちとの交流は、華やかに過ぎて目もくらむばかりだ。誰かををうらやむ、とは、ひねこびたことだ。たとえ筆を持たない一日はあっても、誰かをうらやむ刹那は断固ない私であるが、やはり、世の中には天に愛されている人がいるものだと、氏の生き様には驚嘆の念を禁じえないが、そこは本全体から滲み出る氏の豪放磊落さと、何より道具に対する並々ならぬ命がけの恋心とがじわりと出汁になって、嫌味がない。 あえて最後に付す。茶碗なんて、ただの土塊じゃないか。然り。棗も香合も茶杓も、同じようなものだ。だからこそ、能書きは要らない。今は、だまって眼に力を養い、最高級の肥やしを与えたい。「ただの土塊」と啖呵を切った私の真意が、本書を手に取らざるは一生の悔いであることを意味したアジテーションであることに、一人でも多くの人が気付いてくれることを祈るものだ。(了)眼の力夢の美術館眼の力■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/25
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週末、実家に帰った。少々風が強かったが、なんでも、近くの公園に来ている鴨が、やがて渡るというので祖父が挨拶に行くというのである。無論、これは祖父一流のユーモアであるが、この公園は地元でも有名な“鴨スポット”で、カメラ好きや子供たちで賑わう隠れた名所だという。 正直、少々億劫であったが、祖父に連れられて行って見ると、公園の敷地内の池では、午後の日差しを照り返す波紋の上で、鴨が出立の準備をしている。 海が近いせいか、カモメも飛来してくる。カモメは獰猛だし、滞空時間も長いので、祖父が集めていたパンの切れ端を投げると、池の上の鴨にいきわたる前に、カモメが空中でさらって行ってしまう。図々しいヤツめ。鳥の世界も人間の世界と変わらないな。厚顔無恥の輩がたくましく生きている。“い”、である。 なんぞと、せせら嗤いながら鴨の無事を祈り、またお越しくださいませ、という具合にしばしのさよならを告げた次第である。(了)▲うーん、写真を見る限りヒッチコックの世界だなぁ。■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/25
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今年も、実家の祖父母に預けた胡蝶蘭が見事に花をつけた。この胡蝶蘭の越冬報告もまた当ブログの恒例記事になってきたが、昨年に引き続き、今年も立派に清楚な花で愉しませてくれた。もう何度も書いているように、胡蝶蘭は大好きな花で、ただ本当にデリケート。花の命も比較的短いし、何より、同じ苗から毎年花を咲かせるのは至難の業。日本は、胡蝶蘭そのものの生育環境として適しているとはお世辞にも言いがたいし、育てるのがあまり難しいので、専門家に委託する、という人もいるくらい。 こうして、4年(初年は、すでに咲いていたものをいただいたので、その後3年越冬したことになる)にわたって花をつける快挙を成し遂げ、まさに花の命の輪廻に華を添えることができたのは、偏に、この報告を楽しみにしている私と、胡蝶蘭に対する、祖父母の一方ならぬ愛情のお陰と、心から感謝している。その潔白な花ぶりこそ、二人の生き方の写しそのものであり、「人間かくありたい」と、今一度心を洗われるのである。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/25
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見出し:茶道は、万能人による“日本のルネサンス”なり。桑田忠親著『茶道の歴史』(講談社学術文庫) 茶の湯を理解するのに、歴史的な知識が必ずしも必要だろうか。そこそこ極めるつもりなら必要だろうし、趣味として接するならば必要はないかも知れない。あるいは、本当の数奇者の彼方へと踏み込むならば、この程度の座学ではなく、実践の中で、あらゆる歴史や謂れに、人生全てをかけて知悉していなければならないだろう。しかし、一番大切なのは、やはりそこに「茶があるか=心と真髄が正しく在るか」であることには変わりはない。 ところで、かつて或る目標を持って数年間お茶の稽古をしたことがある。この時の目標は、まず茶の湯の世界に触れてみること。そして、限られた数年の中で、この世界に何が込められているか、凝縮されているのか、あるいは茶の湯にまつわる作法から点前、茶器にいたるまで、その機能美について自分なりの解答を得ることであった。果たして、それはかなったと思うが、茶の湯の世界に身を置く前提での稽古ではなかった。あくまで、別の上位目標があってのことだったのだ。 そこへきて最近、かつてのスタンスとは別に、茶の湯の世界にもう少しエッセンスを頂戴しに行きたくなった。個人的な美意識の面でのことに過ぎないが、前回とは別の角度から茶の湯に触れてみたいという思いがここ数年高まっていた。 冒頭の問いに戻るが、果たして今回私が茶の湯と接するスタンスというのは、実は知識の側面からなのである。それは、茶人として、あるいは数奇屋者や趣味人の感覚ではなく、純粋に茶の湯の世界をもう一度、一つの思索の対象分野として掘り下げたいという前提があるのだ。したがって、私はあえて、知識を茶の湯に求めなければならない。 本書ほど教科書的に、いや、講義風に、ストレートでいて、かつシンプルに茶道の歴史を振り返ることのできる文献も少ない。もともと少しスノビズムを伴う歴史を持つ茶の湯を、著者自身のいう“四民平等の茶の湯”のあり方への橋渡しとしてまとめらているのは、本書刊行当時の時代背景を考えればさもあろうというものだ。 基本的には、能阿弥~村田珠光、武野紹鴎~千利休、古田織部~小堀遠州、千宗旦~片桐石州、松平不昧~川上不白、そして明治維新から戦後へ、という具合に、茶道の黎明期から、それぞれ一時代を築いた大茶人の仕事(先駆者からの継承と破壊的創造、あるいは先人・師匠との比較)を区分し、それぞれの茶人がうまく時代と歴史をバトンタッチしていく、分かりやすいまとめ方がされている。また各茶人の茶歴、スタイル、好みなどもしっかり整理されている。時々挿入される時代ごとの社会的背景や、茶道具に関する逸話、あるいは茶人の人となりを偲ばせるエピソードなどは、著者ならではの語りの巧さによるものだが、同時に、若干漫談めいたトーンが、時に場違いな印象を与え、その意味では牧歌的な時代や条件の中で作られた本だな、という感は拭えない。 さて、茶人というものは「万能人」でなければならなかったことが本書からも良く知れる。茶の湯の興隆の歴史は、時代的にも、ヨーロッパのルネサンスと重なってくる部分もある。「ルネサンスそのものが育てた万能人」を通じてルネサンスの再生したことが、人文主義や自然主義哲学、人間礼賛だと仮に大雑把に括るなら、日本におけるルネサンスたる茶道(ちゃどう)の歩みは何を再生したのか。日本的感性であり、日本人らしさである“和の心”、和をもって尊しとなす精神。そう答えることは、あまりに安直と叱られるだろうか。(了)茶道の歴史■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/25
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『スウィーニー・トッド』、観てきました。ひとことで言えば、悪趣味。ただし、これは筋立てや画を追った場合の話。この映画にそもそも、全うな感想を述べることはナンセンスだと思うのです。だってこれ、ティム・バートンの作家主義を貫いたきわめてアーティスティックな映画で、娯楽映画ではないですもの。 だから、ストーリーや設定などを愉しむ映画ではなく、ティム・バートンの美意識を鑑賞する映画です。ジョニー・デップは、きっとティム・バートンのオファーじゃなければ出演しなかったでしょうね。いや、そもそもティムでなきゃ、こんなギリギリの作品作らないけれど。ジョニー・デップという役者は、ティム・バートンの分身。その世界観を正確に具現化できる技量と雰囲気、阿吽の呼吸がある。だからこの作品では、むしろティムのやりたいこと、ティムが身を置きたい世界に、ティムの代わりに入っていって、その伝達について誤解のない、あるいは過剰に勘違いされないだけの説得力で観客にプレゼンテーションする仕事を、ジョニーが代行しているような構図が濃厚なんですね(映画というのは大抵そういうものですが、特に)。 言うなれば、『コープス・ブライド』なんかで人形でやって許されたことを、実験は終わったとばかりに実写で試みたのがこの『スウィーニー・トッド』。結果的にエグかった。でも、ティムは満足でしょう。あの白黒メインのダークな街に、真っ赤な鮮血が飛び、流れ、伝う。そして、過度にメルヘンチック。結局、『シザーハンズ』や『ネイトメア・ビフォア・クリスマス』でやってきたことの進化型でしかないわけで、ことさらにショッキングに受け取ることもないのです、よく考えれば。筋を追うから、異常な感じがするだけ。 かといって、この作品、ブラックユーモアを描いたワケではないですから。ティムはそういう感覚というか、批判精神みたいな立ち位置の埒外にいるような作家だから。ティムが求める世界観の美の基準に、あれくらいのユーモアが必要だったというだけの話。事実、より正統派のゴシック・ホラー&ファンタジー作品『スリーピー・ホロウ』では、現にほとんどユーモアをシーケンスとして入れず、ただティムの分身=イカボッド・クレーン氏に扮するジョニーの演技に滲むユーモアだけで、ティム美学を観客目線にまでしっかり合わせてきていましたっけ。 あえてストーリーに触れれば、まずこれミュージカル仕立て(曲は、わざとらしいほどに古き良きミュージカル・ムービー風のオマージュ連発)。この手法にしても、ティムの世界観をお披露目するための仕掛けの一つのような気がします。個人的には、“食材選び”のシーンで、ヘレナ・ボナム・カーター演じるミス・ラヴェット(愛ある無慈悲!!)との掛け合いの歌が好きですね。歌詞曰く「役者はクドい」味だそうです。アサイラムに連れられた娘を、若造クンが奪い去ったあと、看守に群がる女性たち、あの画は明らかにゾンビ映画ですね。個人的に好きだったキャラクター、山師のピレリさん。いいなぁ。でも歴史的な考証からいって、ちゃんとしてる。舞台となった時代のロンドンは、ああしたペテン師や山師が、医者だの理髪師だのと言っては、仰々しく派手な立ち居振る舞いや来歴を披露して、街角でセコい商売をしていたんです。ジョニー・デップ主演の『リバティーン』で描かれた詩人・ローチェスター卿も、戯れと困窮のために、貴族の身でありながら、街角に立って見世物小屋風インチキ医学で小銭を稼いでいたワケですし。イタリア人と、経歴を偽るのが流行だったそうですが。英語名をイタリア風に読ませたりなんかした人も多々いたとか。 ともあれ、徹底的にティム・バートンのための映画。二度見るか、といえば見ないかも。でもティム・バートンやジョニーのファンなら、ともあれ必見でしょう。(了)ジョニー・デップ歌声披露!■送料無料■サウンド・トラック CD【スウィーニートッド フリート街の悪魔の理髪師】【NEW!予約商品★3月新入荷予定】US版NECA SWEENEY TODDスウィーニートッド 『レイザーPROPレプリカ in WOODBOX』【NEW!予約商品★3月新入荷予定】US版NECA SWEENEY TODDスウィーニートッド 『レイザーPROPレプリカ w/ポーチ』▲むしろ、このプロップに惹かれますねぇ。たまらなく。キラリ!!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/22
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スーパー・ナチュラル(2ndシーズン)祭もいよいよラストエピソード!!急展開の第22話『選ばれし者たち(後編)』、行きます!! ノッケから盛り上がりますよ、Kansasの“Carry On My Wayward Son”をテーマ曲に、これまでのあらすじがフラッシュバック!! さて、前回ラスト、ジェイクに刺されたサムは…暗い部屋で、ディーンに見つめられながら静かに横たわっている。生気はない。死んで冷たくなったサムに、ディーンはぽつりぽつりと話しかける。「お前を守ることが、俺の使命だった。俺の人生そのものだった。家族を守ることが…。父さんが死んで、サム、ついにお前まで…。これだけ代償を払ったのに、自分の使命を全うすることもできなかったし、誰も守ることができなかった」!! ディーンの暴走を危惧しつつ、息子を慰めるように諭すボビーを部屋から追い出したディーン。やり場のない哀しみを胸に、闇夜に愛車を走らせる。このシーン、なんか、『ロッキー4』で、アポロが死んだときのロッキーのイメージに似てるんだけど…分かるかなぁ…。 ディーンの悲痛な胸のうちには一つの覚悟があった。そう、あの交差点の女悪魔と禁断の契約を結んで、サムを生き返らせること。父・ジョンがサタンと契約して、自分を死から呼び戻したように。 果たして、現れた狡猾な女悪魔は、ディーンの弱みに付け込んで、なかなか首を縦に振らない。「10年で俺の命をアンタにやる。だからサムを生き返らせてくれ」。懇願するディーンをいたぶるように、“命の値引き交渉”を続ける女悪魔。5年、3年…「1年…なら、いいわ」。1年…!!短い。俺の命は、俺のやってきたことはその程度の値打ちか…。複雑な想いに駆られながらも、決断したディーンは、女悪魔と契約の熱い接吻を交わす。 部屋に戻ると、サムが目を覚ます。事情を詮索させる前に、休養を促すディーンだったが、取り逃がしたジェイクとサタンを追うと聞かないサムに押し切られて、ボビーの家へと向かう。 生き返ったサムを見て仰天するボビー。まさか…。薄々感じながらも、目の前の“最終戦争”を終結しなくてはいけない。そこに、消息不明のエレンが飛び込んでくる。焼かれた家、アッシュの死。悪魔の攻撃に打ちひしがれるも、ハンターの血は萎えてはいない。 エレンにボビーが、「念のため」とか言って聖水を飲ませるんですけど、ボビーに言われてもねぇ。説得力ない。とまぁ、相変わらず、ファーストシーズン最終話以来、ボビーが信用できない(笑)。 ボビーとエレンの情報、サムの悪夢の一夜をつき合わせてみれば、アメリカ合衆国の地図に、ある不思議な謎が。悪魔たちはワイオミング一帯を避けるように攻撃を仕掛けてきている。その事件のあった場所をつなぐと、そこには五芒星が浮かび上がる。 ワイオミングに敷かれた鉄道をつないで描く五芒星は、悪魔から何かを守り、封じ込めるための巨大な結界だったのだ!! そして、この鉄道はそう、あの唯一悪魔を殺せる銃、今は一発の弾を残して悪魔の手に渡ってしまった銃を作ったコルトによるものだった。 悪魔はそこに入れない。しかし、そこに入りたい理由がある。そのために、自身は入れない悪魔が、手先としてサムたちの中から手先を選んだのだ。 ということは、そこにジェイクが…。4人は、この巨大な結界を目指す。一方、サタンにそそのかされたジェイクは、この結界の中に、“ある扉”があって、何かが封じ込まれているので、その扉を開ける鍵であるコルト銃を渡される。一度はサタンを撃とうと思うジェイクも、簡単に心を操られ、扉を空けに霊廟に進む。 そこへ現れたサム、ディーン、エレン、ボビー。4人から銃を向けられるが、もはや悪魔の言いなりになったジェイクは、マインドコントロールの技も会得。エレンが標的にされてしまう。果たして、コルト銃で開けたのは、デモンズ・ゲートだった!!つまり、封じ込められ、地獄に閉じ込められた悪魔をこの世に解き放つ扉。 殺したはずのサムに驚くジェイクには隙があり、あっけなくただの手先以下のまま地獄に送られるが、そこにサタンがやってくる。ひとたび扉が開き、結界が解かれれば、もはやこの地はサタンにとって、“最終戦争の拠点”にも等しい聖地。 解き放たれたサタンのパワーにはなすすべもなく、あわや一巻の終わりか…と絶望したとき、デモンズ・ゲートから飛び出した、見覚えのある人影がサタンを押さえつける。今だ!! ディーンの右手のコルト銃から、悪魔封じの呪文の込められた弾丸が発射する!!ストップモーションです、ココ。 弾丸はサタンの左肩を貫き、まさに断末魔の声をあげて地獄へと封じ込められてしまう。サタンを押さえつけていた人影が振り返る。それは、父・ジョンの姿であった。息子たちのやり遂げたことを笑顔でねぎらうと、父は満足げに、いずこともなく消え失せたのだった。 戦いが終わって、一息つく間もない。「サタンは倒したけど、相当の数の悪魔たちがまた飛び出して言ったわ」。エレンが言う。 「ディーン。悪魔と契約したんだね。命はどれくらいなんだ」?察したサムに、「1年」と答えるディーン。「今度は逆だよ、ボクが兄さんを守る。たまには立場が逆転してもいいだろう?命に代えても、ボクは兄さんを守ってみせる」。覚悟を決めたサムに、「じゃ、早速続きをやろうぜ!!」とディーン。二人はまた、悪霊狩りの旅へと向かう。ディーンは余命1年を抱えて。サムは、ディーンを守る方法を見つけることを誓いながら。 これでセカンド・シーズンはお終い。いやぁ、今回も濃厚な内容でした。だけど、ファースト・シーズンと比べると、爽快な終わり方かも。セカンド・シーズンは、どちらかと言うとディーンの内面的な成長を追いかけるエピソードが多かったように思うのですが、次のシーズンからは、ディーンを守るサムの成長が見所になるのではないでしょうか。あぁ、待ち遠しい!!(了)追)余談ですが、サム、稲垣吾郎氏(ヘアスタイル)+福山雅治氏(表情)に似てるような。少し締まったからかな。で、暗がりだと、アミバ顔(北斗の拳)なんですけど。これ、分かるかなぁ…。追2)あの、このディスク一話しか入ってないんです。カップリングはなんと『OC』の第一話。うーん、マーケティング上手だなぁ。SUPERNATURALII スーパーナチュラル〈セカンド・シーズン〉コレクターズ・ボックス1(DVD) ◆20%OFF!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/21
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ご存知でしょうか。『花の慶次~雲のかなたに~』。『北斗の拳』世代の私としては、連載終了は甚だ寂しいものがありまして、その後、『サイバーブルー』なんて短い作品もありましたけど、なんか武論尊+原哲夫のあのインパクトには遠く及ばす、モヤモヤとしていたものです。 そんなとき、今度もまた弟が我が家に持ち込んだのが『花の慶次』。原作は隆慶一郎の『一夢庵風流記』という歴史小説。これに原哲夫先生が絵をつけたこの作品、もともと好きだった戦国時代ものということもあって、久しぶりに痛快な思いで弟からまわし読みさせてもらったものです。 で最近は、アレ、でしょね。アレ。アレで人気再燃しちゃった。いろいろ調べてみると、なんとテーマソングがあるそうで、しかも歌っているのが角田信朗氏。何と!! こういうことには行動力のある私は、まさかCDなぞでちゃいないかとチェックしてみたら、ありましたよ。で、早速購入、試聴。オビには、「歌唱・角田信朗」、とありました(笑)。凝ってるなぁ。 濃ゆい。濃い、じゃなくて、濃ゆい。もう、汗だく。男性ホルモン満タンで、聴くだけでカロリー消費しそうな勢い。うーん、スゴイ。 曲的にいうと、演歌と歌謡曲を足したアニメ主題歌、という感じで、別に違和感はないのですが、歌詞カードを見ますと、「女」を「ひと」と読ませたり、「漢」を「おとこ」と読ませたり、まんま北斗直系の男臭さ。角田氏は歌も上手なので、よく曲とあっていて、個人的には好きですね、こういう遊び心から生れた隠れた名曲。 先日弟が遊びに来たので、呆れる弟をよそ目に早速自宅のスピーカーで聴かせると、その濃さに圧倒され、なぜか原作コミックのマニアックなネタで盛り上がってしまいました。うーん、牧歌的な時代だったなぁ、お互いに。 興味のある方は、「歌唱・角田信朗」の『花の慶次』、一聴の価値アリです。(了)角田信朗/花の慶次 主題歌 傾奇者恋歌(CD)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/20
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久しぶりに道楽御免。少し前に、まとまった年数お茶の稽古をしていた時期があったのですが、そのときに得たかったこと、学びたかったことは、その期間できちんと自分なりに吸収し、咀嚼したと思っています(これは茶の湯をきわめた、などという大それた勘違いとは違います、念のため…笑)。それがまた、この半年ほど、かつてとは別の次元で茶の湯の世界に関心が芽生え、その方面になんとはなしにアンテナを伸ばしたり、引っ込めたりしてたワケですが、ちょっとまた考えたいこともあったので、道楽、してしまいました。 今回は相坂丸壷写茶入を落手。茶入が欲しいというのはもう前々から思っていたことだったのですが、どういう思い入れから、どういう縁で、どういう品を味わうか、ということには、長過ぎる逡巡と、手綱のない関心がなかなか決め手をくれないでいました。 今回は仕服(茶入を包む袋)にこだわってみようと考えていたので、この相坂金襴(おうさかきんらん)に包まれた丸壷写茶入を手にした次第。カルロ・ドルチの世界だなぁ、安直だけど。 これ丸壷写茶入というからには、勿論相坂丸壷茶入の写し(つまり、上等なレプリカですね)なのですが、小堀遠州に縁のある品だとか。下記に作品の情報を、サイトから抜粋して掲載させていただきます。(了)■作 者 木津喜栄作■作品名 相坂丸壷写茶入■解 説 本歌(原型):相坂丸壷茶入古瀬戸の中興名物。古今集の歌に因んで小堀遠州が命銘。その釉掛かりの様は、まるでくすんだ黄金のようであると形容される。仕服:相坂金襴(おうさかきんらん)名物裂の一つ。縹(はなだ)地に、文様は金糸で七曜文を散らし、丸竜紋と霊芝雲文を交互に配する。中興名物「相坂丸壺茶入」の仕覆として用いられていることからの名称といわれ、「逢坂金襴」とも書く。■寸 法 幅:65mm 高さ:53mm*抹茶&抹茶 ティーフォーユーより■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/16
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初・真冬の北海道、行って来ました。もうズバリ申し上げますが、これは寒いとか寒くないの問題ではないです。まったく経験したことのない世界。それも、文化ではなく、より身体性に関わる風土の面で、ここまで想像を絶する経験をしたことは、久しぶりの刺激でした。タクシー、軽く横滑りしてるし。 そんな、大げさな…と思われるかも知れませんが、例えば、北海道の方によく取材や仕事でお話しする機会があると、「東京で雪が3センチ積もって怪我してニュースになる、ということが信じられない」なんてことをうかがいます。雪との生活が当たり前になっている人にとって雪と共存できない我々が不可思議な存在であるように、氷点下を日常的に経験していない私にとってこの言葉にならない体の感覚は、まさに信じられない出来事。 五分歩いて手の感覚がまったくなくなり、地下鉄の構内に入っても吐く息が白い。うーん、すごい。寒いではなく、凍てつく…という感じです。そのまま、ピシッと音を立てて、一瞬で体が凍ってしまうのではないか、体のすべての機能が停止するのではないか。 といって、やはり札幌は道内でも暖かい場所にて…。それでも、折りも折り大寒波直撃。この日は東北地方の天候もかなり荒れたようですね。札幌も、一日中天候の変化が激しく、飛行機も欠便や遅延、機材繰り、と様々な表現でフライトが乱れていました。 余談ですが、残念ながら、「じゃがポックル購入」の夢はお預けでした…。それにしても、経営が変わったことはすでに周知のことながら、千歳空港はなぜあれほどまでに「白い恋人」PR推しなんだろう?やっぱり地元のブランド力とイコールにまでなっていた“国民的お土産”を再生することは一種の生命線なのでしょうね。(了)▲写真は、一吹雪き来る直前の札幌市内。じゃがポックル&生キャラメルセットじゃがポックル姉妹品 北海道限定 ほっとポテト■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/15
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明日は、先週の予報よりさらに寒さの増した札幌へ出張です。今年に入って立て続けに出張が重なり、ブログの方も更新で精一杯、ご無沙汰してしまっている方も多々いらっしゃるワケで、心苦しいのですが、こんなに短いまとまった期間の間に、何本も、しかも北から西まで毎回違う場所に、というのも滅多にないことで、とりあえず明日の札幌で出張ラッシュも一段落するので、少し先が見えて来た感じです。 さて札幌。なんでもマイナス8度とか、もっとだとか、まぁ予報は様々ですが、寒いんでしょうね。何分、今年は東京も順当に寒かった分だけ、困ります。 いや、体が慣れてるはずでは?とお思いでしょうが、そのまたまったく逆でして、気温に対応する寒さがある程度身体的な記憶として刻まれてしまっている今年だけに、今はまだ想像上でしかない北海道の氷点下の寒さが仮想体験されてしまって、どれほど寒いかおおよその悲観的検討がついてしまうだけに困るのです。 でも、仕事とは言え、これまで春や夏の北海道は見て来ましたが、所謂銀世界の北海道は未体験だったりするので、そこは札幌の寒さに身を引き締めてもらおうじゃないか、と。 実際、北海道フリークの間では、札幌は寒いうちに入らないんですと…。ガクっ。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/12
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さぁ、いよいよセカンドシーズン、追い込みです。スパナチュ祭、今日は20話『もう1つの世界』、21話『選ばれし者たち』を。 最初に申し上げますが、久しぶりにシリアス&おセンチの詰め合わせ。2話とも濃いです。さて、20話『もうひとつの世界』は、おなじみ魔法のランプから、呼ばれて飛び出て…のジンのお話。 命を代償に“夢”を見せてくれる魔神ジンに触れられたディーンは、文字通りもう一つの世界、パラレルワールドで目覚めるとそこは…。 まず、ディーンには、常日頃潜在的に望んでいたフツーの生活が。隣には美しい妻。家庭を持ち、修理工の仕事も続けているようだ…。そして、家に帰れば悪魔に殺されたはずの母が迎えてくれる。あまりの喜びに動揺を超えた甘く切ない感情を隠せないディーン。父は、亡くなっていたが、無論狩りではなく、病気で他界していた。サムは…?「やがて来るはずよ」と母。その夜は母の誕生日で、ロースクールに在籍するサムが、ジェシカを連れて帰郷することになっているという。 果たして、サムは、やはり悪魔に殺されたはずのジェシカを伴ってやってくるが、どうやらフツーの生活のあるパラレルワールドでは、案の定、兄弟の仲は良くないことが判明。そりゃそうだ…と思い直すディーン。狩りがなければ、兄弟の仲は修復されていなかったのだから。 母のパーティは和やかに進み、サムはジェシカとの婚約を発表して母へのプレゼントとする。互いに抱き合って、お開きとなると、ディーンはことの真相をより知ろうと、サムに皆で一杯飲りに行かないかと誘うが、冷え切った兄弟関係はつめたくそれを拒絶する。 この不可思議で、ぎこちない、けれどかつては望んだ安穏たる生活に居心地の良さを感じ始めた夜、夜勤に出る妻を送り出して一人ビール片手にテレビのニュースを見るディーンは、衝撃を受ける。「あの墜落事故は、俺たちが解決したはずだ」!!「あの少女も、プールで助けたのに、溺死がニュースになっている」…あれも、これも…。 そう、このもう一つの平和な世界では、狩りがないのだから、当然これまでディーンやサム、父・ジョンで命をかけて救ってきた人命も、解決した事件も、すべてが悲劇の結末を迎えてニュースや新聞の一面を飾っているのだ!! 時折ちらつく少女の亡霊は、ジンの支配からの解放を望む旨、ディーンに知らせにきていたのだ。彼女に導かれるようにして、この夢の世界との決別を、断腸の思いで覚悟したディーンは、夢の世界を支配するジンとの対決へと向かう。父の墓と一人向き合って、「なぜ俺たちが犠牲にならなくちゃならないんだ」「なぜ普通の幸せを求めちゃいけないんだ」「俺はスーパーヒーローなんかになりたくないよ」と慟哭するディーン。 生き返った大好きな母さん、望んだ道を歩むサム、幸せそうなジェシカ、あたたかい妻との家庭、平凡だけど気楽な日常…。そのすべてに後ろ髪を引かれながら。 いざ、“ハンターではないサム”をともなってジンとの対決に向かうが、本当の敵はもっと手ごわかった。それは、自分の心。この愛おしい人たちが幻想で、それに永遠に別れを告げる哀しみを引き受けるディーン自身の心だった…。いざ、夢から醒めようとするディーンを、その場に出現した幻想の母や妻、ジェシカやサムが揺さぶりをかける。人は、死に掛けたときに夢から醒める。そんなことを思い出したディーンは、未練を振り切るように、己の腹を突き刺すのだった…。 いやぁ、こうして見てみると、セカンドシーズンは、超能力があるわけでもない、この世に未練があるわけでもない、ただ父に従ってハンターとして生きることしか選択肢がなかったディーンが、人間として深化するプロセスの物語だったのかな、と考えさせられます。それほどまでに、共感をもって、ついつい肩入れしながら観てしまいました。 一方、サムだって人生の岐路に立っている、というのが第21話『選ばれし者たち』。相変わらずディーンの言いつけで夜食を頼まれたディーンが突如失踪する。店員の死体と、硫黄を残して。 目が覚めたサムは、自分がどこにいるか判らない。開拓時代風の景色の中を進むと、そこには、同じ超能力仲間のアンディが!!恋人を殺され悪魔に連れ去られたエヴァが!!さらには、触れた相手の命を奪うマーラと、怪力を持つ軍人ジェイクが。確かめるまでもなく、これは“悪魔の計画”の手先となる兵士、選ばれし者たちだ!! 事情を飲み込めない一行を、サムのリーダーシップでまとめると、とにかく悪魔に対抗する手立てを協力して見出そうと一行は行動を開始する。 ところが、自らの異変に心の傷を負い、なおかつ“悪魔の計画”など理解できないマーラは、サムの再三の注意にもかかわらず単独行動をとって、気がつけば首をくくられて死体で見つかる。 なぜ殺されたのか?邪魔だから殺されたのではない…逃げたから殺されたのだ。一体何から?そう、これは、世界中で悪魔の血を注がれた“悪魔の子”の中から、悪魔の最強の手先を選り抜くためのテストだったのだ。ということは、ここに集まった4人のお互いが、生き残りを賭けて闘わなくてはならない。 周到で狡猾なサタンは、それぞれを呼び出して、「軍隊は入らない。チームも要らない。有能なリーダーをお前たちの中から欲しいのだ」と甘い言葉を囁きかける。まんまとこれにたきつけられたのは、あろうことかエヴァ。アンディを易々と殺し、サムの説得にも応じない。それどころか、悪魔に選ばれることにモチベーションすら感じている。あるいはジェイクもまた、生き残りを賭けてサムに襲い掛かる。共同戦線で悪魔と戦う、というサムの決意は瞬く間に瓦解してしまった…。 ディーンはサムの居場所を突き止めるのにアッシュの力を借りる。見事居場所を突き止めたアッシュに呼ばれて、ディーンが向かったエレンの酒場で目にしたものは、先手を打った悪魔によってアッシュ(灰)にされてしまったお店とアッシュの死体。なす術を失い途方に暮れるディーンに、突如予知夢が…。 生前、サムに言われて、助力を請うためアンディはディーンへ念を送って居場所を伝えていた。アンディの念を受け取って、ボビーとともにディーンが駆けつけたその刹那、目の前でサムが、背後からジェイクに刺されてしまう。くず折れる生気のないサム。ジェイクは逃走してしまう。 サムを抱きしめ、最終戦争のときは近いと感じるディーン。「目を覚ませ、サム!!」、という、なんともイイところでこの話はおしまい。いけずです。 さて最後のディスク、どんな展開が待ち受けているのでしょう?否が応にも、先が気になる第21話でした。(了)SUPERNATURALII スーパーナチュラル〈セカンド・シーズン〉コレクターズ・ボックス1(DVD) ◆20%OFF!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/12
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見出し:高山右近、もう一つの武士道。加賀乙彦著『高山右近』(講談社文庫) 戦国末期のキリシタン武将、高山右近を採った歴史小説である。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三時代にまたがり、一人の武将としてのみならず、築城の名手、利休の愛弟子である高名な茶人、そして禁教の時代にあって異国の文化を進んで取り入れ理解を示し、何より信仰に忠実に生きた、流浪の人である。 その武将としての槍働きは勿論、文化人・教養人としての名声を欲しいままにし、望めば日の本に名高い名将の栄光を享受できる経歴を持ちながら、唯ゼス・キリシトのみを究めて、迫害と放浪に身を委ねて節を屈しないジュスト高山右近長房の生き様は、やがて戦なき時代―武士を必要としない、官僚制度と統治のシステムが高度に浸透していくーを迎えるもののふの最後の灯として、文字通り「もう一つの武士道」そのものと言えるだろう。 所謂葉隠的武士道が、観念的で、極度に美意識化し、思弁のうちにたゆたう哲学、それも武士の時代の終焉ののちに醸成されたものであるのに比して、高山右近の生き様は、やがては見向きもされなくなるであろう、黄昏れゆく武士の誇りを自らの内に仕舞う生き方であった。キリスト者として生きたが、その人生は立派な、正当な士道に相違ない。 本書がまた味わい深いところは、高山右近が刀を片手に戦場を駆け巡った若き日までを網羅した伝記に終始しているのではなく、むしろ戦場での役目を失い、また自ら放棄した老境に差し掛かってからの受難の日々を描いている点である。武器を棄てての回心は、まさに聖イグナチオ・デ・ロヨラと重なるし、騎士から聖人になった聖ガルガーノの伝説を思わせる。事実、そうした下敷きが、作品の中の右近の言葉や思いから滲み出て来る。 作中、右近は度重なる困難に臨んで、「私はあの方のようにあれるか」という自問自答を繰り返す。常に、主イエスを希望の松明として掲げながら、その炎に胸の裡を照らされて、逡巡することもある。信仰の人が、時折見せる弱気にこそ、真実があるように思えてならない。 高山右近の生き方を、希有にして崇高なものたらしめているのは、はたしてそのリアルな武士道のゆえなのか。あるいは、この実直なる男の人柄ゆえなのか。はたまた、信仰を持つ者ゆえなのか。 おそらく、どれも正解であろう。この三位一体こそが、高山右近を武士道の鑑たらしめているのだ(それが、邪教徒として追放された無念の人であっても、である)。「天にまします我等が御親、御名をとうとまれたまえ。御代きたりたまえ。天において御オンタアデのままなるごとく、地においてもあらせたまえ。我等が日々の御養いを今日あたえたびたまえ。我等より負いたる人に赦し申すごとく、我等を負い奉ることを赦したまえ。我等をテンタサンに放したもうことなかれ。我等を凶悪よりのがしたまえ。アメン。」 高山右近。前々から彼について読みたいと思ってきた。今は、その不器用なまでに貫き通した己の意地が点てる、神に仕えし男の茶を一服、所望してみたくなった。呂宋は、武士道は遠くなりにけり、である。(了)高山右近ラク■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/11
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スーパー・ナチュラル(2ndシーズン)祭。今回は18話『ハリウッドの亡霊』、19話『脱獄』の二話です。 さて第18話は、ちょっとハリウッドをおちょくった、これまた劇中劇のような話。というより、ホラー映画を作ってるセットで起こる怪事件に、ディーン&サム兄弟が悪霊退治に乗り込む話。 もう、設定からして、B路線イメージです。あんまーりウケそうにないホラー映画を撮影するハリウッドのとあるスタジオ。悲鳴演技の決まらないホラー女優(?)タラは、絶叫シーンをもうワンテイク撮ることに。 ワンブレイクおいて、撮影開始…となるはずが、そこはホラー映画のセットの中。鬱蒼と茂る森、不気味な小屋。立ち位置に戻って、一人台詞回しの最終チェックをしていると、突如天井が光り、そこには人影と血みどろの男の死体が!!キャァァァーーーッ。はい、いただき。その調子でやってくれ、なんて呑気な監督。 ハリウッドにディーンとサムがやってきたのは、傷心のサムの休暇のためだけど、狼女マディソンとの短いロマンスを忘れるには仕事が一番、といつになくサムが乗り気。お、マット・デイモンだ…なんて清掃スタッフを見て声を上げるディーンに、「ディーン、マットなわけないだろう」とサム。「バカ、芝居の役作りをしてるのさ」と、どうみてもはしゃぎ過ぎのディーン。 で、今度の事件の目撃者が、これまたディーンご贔屓の女優だったと聞いたら、俄然仕事モードに。PAに成り済ましてスタジオに入るや、ドキドキワクワク、聞きこみ開始。撮影中もうろうろする辛気くさいPA?の存在は目障りだけど。 慣れない“夢の世界”で慎重に振る舞うサムに先んじて、ディーンはなぜかすっかり現場のスタッフとして馴染んでる…。呆れるサムも、ディーンがうまいことコトを進めるからたしなめることもできない。首尾よくタラと接触したディーンとサムは、ことの真相を知る。「なるほどね」。 つまり、映画の話題が先行し、ネットやファンの間で関心が高まるように、俳優が死体を演じたとんだ茶番というわけ。呪われたホラー映画の無惨な犠牲者を“演じた”役者とも接触、拍子抜けする二人がセットに戻ると、撮影の最中に、今度はゴマすりスポンサーが、首を吊られてセットに降って来たからさぁ大変。このスタジオで非業の死を遂げた30年代の女優の霊が正体と突き止めた兄弟は、早速女優の墓を探し出し、お決まりの塩と焔で退治に成功。 ところが、間もなく今度は若手つぶしの傲慢プロデューサーが、風の効果を生み出すための大型ファンに引きずり込まれてミンチ(あぁ、このヘンがB級ホラー、意識してるのかなぁ、と)!!悪霊は一人じゃない!! 間髪入れずに、撮影延期を決定した監督が今度は餌食に…とそこへディーン&サム登場!!同じくスタジオで事故死した電気技師の霊と対峙。その背後には…辛気くさいPA…。 このヒト、なんと脚本家。というか、ホラーマニアなのかな。「俺が全身全霊をかけて書いたホンを、こいつらがメチャクチャにした!!」。ココ、ハリウッドのパワーハラスメントへの風刺ですね(笑)。 スタジオに棲みついた悪霊の仕業ではなく、悪霊をタリスマンで操ることまで知っていたこのホラーマニアックの仕業としったディーンとサムは、邪悪な力の行使を諌めるが、聞く耳を持たない男はまんまと悪霊の怒りを買ってデッド。解き放たれた悪霊達は、姿も見えず手強い。果たして、兄弟の取った作戦とは…。 で、その大した兄弟のアイディアが、映画に生かされて…という、商魂逞しいオチで終わる本エピソード。途中で話の中に出て来る撮影中の映画の予告編が流れたりして、製作陣、遊んでますね。ポスターなんかもさりげなく貼ってあったり、本当にある映画の話題が出たり虚々実々。ディーンが実は相当映画マニアであることも判明。あ、それとディーン、最後、オイシイです。さすが“夢の王国”。 製作陣の遊び心という意味では次も負けてません、第19話『脱獄』。父・ジョンの恩人に報いる目的で、怪事件の起こる刑務所に潜伏するためわざと窃盗を起こして捕まるディーン&サム。ここまではよかったのだけど、そこにあのねちっこいFBI登場。そりゃそうだ。シェイプシフターが殺人&強盗を犯した話以来、ディーンを犯人と決め込んで追いかけてるんだから、当然出てくる訳ですよ。で、ちょろい恩返しが思わぬ厄介な案件に様変わり。 いやぁ、これまた濃い話です。兄の無茶な計画に戸惑うサムに、「おい、お前、狙われてるぞ」と茶化すディーン。意味、分かりますよね?屈強そうな囚人達の飢えた目線がハートです(笑)。 どこで覚えたのか、ここでもまたちゃっかり順応してるディーン。相変わらず、ヘンだ。多分、映画なんかで見て覚えたってな設定でしょう。ちゃんとムショでのルール、わきまえてる。 原因と思しき古い監獄に、悪霊をこの世につなぎ止める怨念のこもったモノがあるはず。聞けば、悪霊の正体は、撲殺された男とのこと…。血…。血だ!! 持ち物が限られ、さらには一度は封印された呪われし監獄に、悪霊が怨念を託していたのは、殴られたときに大量に吹き出し、部屋にこびりついたままの血液に違いない。 一計を案じて、早速手はず通りに件の監獄へと向かい、悪霊祓いを済ましたサムは、予定通り経過鵜通りに監獄を後にする決心は揺るがないが、あろうことか、監獄で友情を感じてしまった男が別の悪霊に殺されたのを放っておけないディーンは、もう一匹片付けてから立ち去ると譲らない。 ただ、ヤバいんじゃない。監獄の外では、すでにFBIが爪を研いで待ってるんだぞ!!言い出したら聞かないディーンに、サムは協力するしかないワケで。すでにシャバではFBIと国選弁護士が縄張り争いをしている…。 突き止めれば、殺人の噂があり囚人達に恐れられていた看護士の霊が正体。彼女は、暴動の際に殺されてしまったのだった。このオソロシイ女幽霊を退治するには、やはり埋葬場所を清めるしかない。さてその埋葬場所とは!? この埋葬場所をめぐっては、弁護士に対して、ディーンが珍しく巧みなネゴシエーションを展開。イイ意味で、ちょっと肝が据わって来たなぁ。 こちらも、スティーヴ・マックイーン、クリント・イーストウッドへの言及は勿論、ジェームス・ガーナー(名優!!)まで会話に登場するマニアぶり。ホント、ディーンはマニアだ…。しかも…レトロ趣味? しかし、ディーンの男気に始まって、ディーンの頭脳戦(心理戦か)に終わる。ちょっとここのところ、ディーンがいいトコ取り、し過ぎてないか???サム、しっかりしろ!! さて、スパナチュ2ndシーズンもいよいよ佳境に。まさかまたボビーで終わったりしないだろうな(ボビー、かなり信頼失ってます)。(了)SUPERNATURALII スーパーナチュラル〈セカンド・シーズン〉コレクターズ・ボックス1(DVD) ◆20%OFF!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/11
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ずっと黙ってましたけどね…流石に怒りますよ。って、何の話。ケータイの話。今使っているケータイ、調子悪いんです。今まで何台もケータイ使って来ましたけど、使用中にシャットダウンというのは初めてです。それを騙し騙し使って来たのも、W54SA発売を待っていたから。 2007年の秋冬モデルとして紹介されてから、度重なる延期に次ぐ延期。今年に入って、すでに三回くらい延期してるんじゃないでしょうかね。 ま、そのヘンの事情はあまりチェックしていないのですが、ようやくここへ来て、auは正式にW54SAの全国順次発売を発表したワケでして、2月7日の沖縄を皮切りに順次発売となっており、関東は明日2月9日が発売日とされていました。で、一応予約なんぞしにショップに行きました(19:00現在)ら、「ちょうど今連絡が入りまして、また発売が延期になりました」!! 真っ白になりましたね。流石に。おいおい。で、その場ではスタッフの方は「価格が下りてこないため」という説明をされましたけど、今さらネットで調べてみると、どうもアプリケーションの不具合があったような…。 細かいことまでは調べていませんが、とにかくそんなこんなで12日以降に、再度発売日が発表されるとか。 うーん、こうなると、ちょっとメーカーさんのみならず、au本体に対しても、ちょっと疑問符を禁じ得ないですねぇ。ちょうど仕事が休みの土日でうまく乗り換えようと思っていたので、こうなると日常生活はともかく仕事にも影響出ますし…。なんとかして欲しいものです。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/08
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音楽好き。それも、ある特定のジャンルではプロの目として、いや耳として聴く身として、時に音楽への愛情が散漫になるときがあります。一種のマンネリズムというか、関心の狭窄に陥ってしまう。 さらに悪いことに、せめて批評的立場から聴く事が求められるジャンルに、肌に合う曲が見つからないとき、これはもう彷徨するしかないワケです。 と言って、これまで根無し草的にさまよっていたのではなく、ある曲からの強烈なインスピレーションを受けて、しばらく浮気な旅に出ることになったのであり、ある“根っこ”=インスピレーションの緒を手繰り寄せているうちに、ラテンポップス界、ヨーロッパポップス界へと足を延ばし、さらにクラシックにまで足を延ばして今日に至るわけですが、それでも、さらに今持っているフレームをはずす瞬間というのが欲しくなるときがあるのです。 東方神起。聴きました。目からウロコが落ちました。ムラはあっても、目引きにはきちんとクオリティの高い曲が持ってきてある。さらに歌唱力。前々から、所謂K-POPは、楽曲のツボ(時にそれらがパクりっぽいものが多いと揶揄されることがあっても)はきちんと押さえているし、それぞれアーティストとしての厚みがあるなぁ、とは思っていましたが、東方神起、これはアイドルグループではないですね。とにかく、アイドル的なアーティスト。アーティスティックなアイドルではないのです。日本で言えば、古くはチェッカーズ、今ならEXILEという感じなのでしょうか。あくまでポップス・マーケットにおける、という限定付きですが。ここ、重要。 それぞれが十分にリードを取れる5人組。やっぱり歌唱力はシンガーとしての説得力とイコールなので、これがないと、ただ消費されてゆく新商品のリリース攻勢をリスナーはただ受け流すしかないわけで。東方神起、シンガー基準、クリアです。 ダンスは踊れて当然の世の中、当然彼らのダンスも十分アイドル基準を超えています。 なんでしょうか。私がちょうどどっぷり音楽系の原稿を書いていた世の中は、R&B市場がポップシーンを席巻し、アメリカは勿論、日本ですら、もはや“主流化”し始めていたちょうど初期の頃だったのですが、当時「ウィか、ノンか」の議論をよそに、しっかりスターダムにのし上がったバックストリートボーイズ(以下BSB)を思い出します。 “White Men Can't Jump”じゃないですけど、あの手の歌って踊れるグループというのは、R&Bシーンのお家芸として、ある種逆差別にさらされていたBSBは、初期は白いR&B的カラーで売りながら、最後は何者にも属さないBSB印、言い換えれば、クロスオーバーしてスターになったマイケル・ジャクソンのような、今で言えばビヨンセやアッシャーのような、カテゴリを超越した存在になりました。 東方神起には、同じような可能性を感じてしまうのです。当然、この可能性の中には、言語的な側面から見ても、ワールドワイドに打って出ることも可能であろう、という世界市場への展開も含まれています。 もう一つ、“素顔の売り方”の妙も強い武器です。一般に彼らは最低三つの顔を持っています。CDやライヴ会場で見せる本気の顔が、アーティストとしての顔ならば、もう一つの商材となるオフのときの顔があります。プライベート写真や、舞台で見せない素顔、というのが、実は大きな商材になるわけです。そして、最後に本当の素顔がある。 彼らだけでなく、K-POPのシンガーたちの巧みなところ、言い換えればプロ意識の高さは、“二の顔どまり”なんですね。アーティストとして、セルフイメージの管理に非常に気を遣っている。それが彼らを“お茶の間までは騒がせても、お茶の間以下にはならない”存在にせしめている。 これは結構重要なことで、日本ではどうしても本来はアーティストやアイドルとして一流でも、“二の顔”の比重があまりに高くなりすぎて、ほとんど素顔の大安売りになってしまっていること。総バラエティ化していることにあると思われます。テレビでも素顔見て、写真集や付録DVDで素顔見て、あとはもう本当の素顔しか残らない。それを想像すると、結局やってることは“こちら側”つまりリスナーやユーザーとあんまり変わらないじゃないか、という話になってしまう。親近感を超えて、“隣のお兄さん・お姉さん指数”が一気に高くなるのです。あくまで“隣のお兄さん・お姉さん的”であることが、ある面では魅力なのであって、“的”でなくなったら、それはホントにただのご近所さんです。 とまぁ、いくつかの視点から東方神起、語ってきました(たくさんのコアなファンの前で僭越ですが)が、日本にも実力派や、すでに日本以外での活躍をしているアイドルやアーティストがいます。一リスナーである私にとってそうであるように、J-POPシーンにとっても、目からウロコの落ちる存在なのではないでしょうか、東方神起。(了)【送料無料】T [2CD+2DVD/ジャケットA] / 東方神起■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/08
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先日に続いてスパナチュ祭、今日は16話『死へのドライブ』、17話『狼男』を。今回も視聴者を飽きさせないカップリングになっておりますよ。。。 16話『死へのドライブ』は、何と言えばイイのでしょうか。“マトリョーシカ”なお話。入れ子構造と言うべきか…劇中劇ではないんですけど、“霊中霊”というべきか。聞けばカンタンな話なんですけど、ネタバレしないように書くのは難しい…。 ドライブ中の夫婦が、誰もいない道路に人影を見つけてハンドルを切り、林に転落して事故を起こすところから話はスタート。気がついた女は、車中から夫の姿が消えていることを発見、彼を捜し始めたところ、不気味な小屋にたどり着く。そこで、はらわたの飛び出した男に遭遇、彼女に襲いかかる。逃げ出した女はもと来た道路まで逃げ仰せることに成功、そこにディーン&サムの車が通りかかり、二人はあやうく彼女を轢きそうになる。 事情を聴いた二人は、折しもこの呪われた道路の謎を解き、悪霊を退治するために付近にやってきていたのだった。彼女の導きで小屋にたどり着く兄弟は、悪霊の正体を突き止めるが、二人にはもう一つ、気がかりなことが。それは夫を懸命に捜す女には話すことが出来ない…。 この箝口令、いつもなら、ハンターとしては囮を使うことも辞さないディーンの強引なやり口か?と思わせますが、実は今回はそうではなく、さる複雑な事情で話すことができないのでありマス。 「悪霊を倒すために、主人を捜す手助けをすると口先で約束して、私を利用したのね!!」。激昂する女に、ワケあって返す言葉もなく、淡々と仕事をこなす兄弟。やがて、妻への深すぎる愛情の故に悪霊と化した男の魂は、無事、この世に別れを告げさせることが出来た。いよいよ、兄弟は女に真実を明かす時が来る。「約束通り、君を愛する旦那さんに会わせてあげるよ」。ほど近い家。窓の向うには、彼女の夫が、幸せそうな家庭を築いている…「これって…これってどういうこと!?」…つまり、この道路には、この世に恨みや未練を残した犠牲者であり幽霊である存在が二人いるということ…。サムは優しく、彼女にことの次第を説明すると女は…。 なんとも、これは若い夫婦と、老夫婦。この二組の夫婦愛を通じて、強い愛が情念や怨念、あるいは未練への執着へと変わる、その不条理というか、愛の二つの側面を描き出しています。兄弟愛ばかりが続くこのドラマにあって、絆で結ばれる兄弟の目を通じて別の愛、夫婦愛への目線が垣間見えるエピソードです。うーん、“逆・ゴースト(あ、もちろん、アノ映画ですよ)”的とも言えるかなぁ。 一方17話『狼男』。またもオトナなスパナチュですよ。っていうか、最近サム、ガード甘くないか? ともあれ、満月も近いある晩。有能な弁護士が、スタッフを軽い気持ちでナンパして、失敗したんで後腐れなく、さわやかに(笑)立ち去ったものの、翌朝このナンパされた女性・マディソンは、オフィスで上司の八つ裂き死体を発見する。 安置所で聞き込みをするサムは、縦横に縫合された死体に対面、まるで獣に喰いちぎられたようであると説明を受け、納得。「ついでに、心臓もなかったんだろう?」と結ぶサムに、「なんで分かったの」? そりゃそうだ。これ狼男の仕業だ!!と喜び勇むのは兄・ディーン。「俺、ワクワクしちゃうよ。昔から狼男、退治してみたかったんだよねぇ…狼男を見るなんて、子供のときの映画以来だ」!!得意げに銀の銃弾を弟に見せるディーン、サムと連れ立って早速マディソンの元へ。 魅力的な女性マディソンは、思い当たる節はないけれど、別れたボーイフレンドにストーカー行為をされていたことを打ち明ける。「彼、上司と私の関係を疑っていたのかも?確かに、上司は女遊びはするけれど、悪い人じゃないわ」。 さぁてこのマディソンが鍵になるぞ、っと。んじゃ、どっちが彼女の“一晩中のボディガード”で、どっちが元カレの聞き込みかね?って、役割分担ジャンケンで決めてるよ、この兄弟(おいおい)。しかも、ディーン、一回負けて、「二回勝った方が勝ちだもんね」と再戦に持ち込むも、即負けてるし。サム、成長したなぁ…というか、キャラ、変わって来たなぁ。 渋々ディーンはストーカー捜査に。勝ったはいいけど、奔放な風もあるマディソンとの二人きりの夜に、ぎこちないサム(あ、やっぱ変わってないわ)。悪戯っぽい彼女の雰囲気にかえって打ち解けたサムは、狼男から彼女を守る一晩を、他愛のない、でもどこか心の通う会話で過ごす。「通り魔に逢って、人生変わったの」。強く生きる決心をした聡明な彼女にサムも、尊敬と、不可思議な感情の入り交じったシンパシーを感じ始める…。 一方貧乏クジひいたディーンは、元カレの部屋で収穫は得られないものの、第二の犠牲に立ち会う羽目に。「やっぱり、この傷…狼男に違いない」!! 満月は刻々と迫り、サムとマディソンの距離も近づいて行く…そして、今度は容疑者・元カレが餌食に!!ならば狼男の正体は一体??? 狼男に襲われた者は、同じく狼男になる。そんな法則があったワケでして。で、引っかかるのが、事件の中心いるマディソン、その彼女を狙っていたのでは?と疑われていた元カレの死、そして…彼女を変えた通り魔…。まさか、マディソン!! 襲われたときの傷を見て愕然とするサム。狼男はマディソンだ!!「解決の方法はあるはずだ。必ず彼女を呪いから解いてみせる。彼女を救ってみせる」!!必死のサムの気持ちを思って、しばらくはつき合うディーンも、やがて彼女を葬るよりほかに解決の手だてがないことを知る。弟が本気になった女性。だけど始末しなくてはならない…。苦悩するディーン、結論を悟るサム。その目には涙が…。「大丈夫だよ、ディーン。彼女は俺に殺らせてくれ」、涙ながらにも覚悟と決意をみなぎらせるサムに、ディーンはそっと銀の銃弾の入ったピストルを手渡す…。 とまぁ、一エピソードで、相当濃厚なおハナシになっちゃっています。狼男(というか、人狼譚、変身譚)には並々ならぬ愛情を抱く私、そんなことも忘れてアダルト&シリアスな展開に食い入ってしまいましたよ…。短い間に燃えた色恋の結末はあまりに残酷。サムも成長したなぁ(再)…とシミジミ。 って、あらまぁ、振り返ってみればこのディスク、2話そろって“おセンチ”なスパナチュでした。(了)SUPERNATURALII スーパーナチュラル〈セカンド・シーズン〉コレクターズ・ボックス1(DVD) ◆20%OFF!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/07
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少し記事の更新が滞っていました。去る土曜日に続いて、今週は月曜日は東京近辺で動き回り、昨日は日帰りで大阪出張でした。少々寒かったですが、天気もよく、風光明媚なOAPタワー近辺は、春の訪れを感じさせてくれました(と思ったら今日は東京、雪ですね)。 日帰り出張では珍しいことですが、この日は濃密な仕事のないようにも関わらず、ランチだけは余裕があり、久しぶりにご当地グルメを堪能。創業昭和24年、お好み焼きの千草さんで、定食を注文。やっぱり大阪では、お好み焼きは焼いて出てくるのですね。 それに、定食とは言え、なんとご飯にみそ汁がついて来た!!そうか…お好み焼きをおかずにしてご飯、食べるんだ。 朝が早かったのでかなり空腹で、その場では違和感なく、しっかり食べましたが、あとになって炭水化物に炭水化物…うぅ、結構ヘビーかも。なんて思いましたが、名物を食べることが出来たのは“忙中の幸い”というやつでしょうか。(了)▲写真は、源八橋からの眺め。実は、写真中部付近左寄に小ぃ~さぁ~く写っているのが、大阪城です!!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/06
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見出し:高山、大痙攣。ラビュリントスから無事帰還せよ。高山宏『終末のオルガノン』(作品社) “高山的知の回路”が、まさに螺旋を描くように終結し、ある高みの一点へと上り詰めて行く、終末的緊張感溢れる一冊である。ただし、注意書きが必要であろう。 本書はまず、専門的学術書に近いものである。つい軽妙な“高山節”につられてしまうが、1994年、21世紀を迎えるに10年を切った刊行当時の、文学研究を中心とした他の近接領域の学問分野とのシナプス構築への八面六臂の孤軍奮闘ぶりが随所に顔を出すが、然り、文学研究、哲学研究、社会学研究、の素地がないと、楽しく通読するのには少々厄介である。 またそのゆえに、著者が、学術界の目まぐるしい地勢変化に敏感で迅速なレスポンスを本書中で取るため、あれから14年も経ったいま、学術書として読むには少々時代錯誤的なズレを覚えずにはいられない(問いかけそのものの価値に変わりはないはないとしても)。果たして、これは、その筋の人間が、当然リアルタイムに読むべき本だったと推察するのである。 とはいえ、個人的な問題意識や関心から言えば、テーブルが、関係に権威や制度を持ち込む、つまり「構造」するという分析、レンズと屈折の視線が中世西欧の世界観を大きく拡げたという件、レンズ磨きをしていたスピノザがその“新・世界観”の影響を瑞々しく感じ取っていたのでないかという指摘は、同じく十年以上前からそんな感覚があった私としては共感を禁じ得なかった。ただ、スピノザが屋根裏でレンズを磨いていたということがあろうか? さらには「目の思想」。あるいは「バベルの塔」を俎に載せた、高さへの強迫観念や高さへ投影される人間の矛盾する自尊心を扱った章、迷宮譚ともいうべき考察らは実に味わい深い。 ふたたび、このはからずも普遍主義的かつ博物館的な、奥深く広大無辺な高山的躍動、いや大痙攣は、それなりに主体的に読まなければ、それこそラビュリントスに彷徨い永遠に幽閉されてしまうことになりかねない。あとがきを読んで、この落ち着きのなさが、著者自身の溢れ出しこぼれ落ちる膨大な仕事を一旦集約するための一冊であったことを知って合点が行った。考えまくった著者へのご褒美、著者本位の一冊があってもいいではないか。“そのつもり”でないと、ふたたび、楽しめないと重ねておかねばならない。相変わらず、図版は貴重でどれも贅沢で素晴らしい。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/03
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ご無沙汰失礼のスパナチュ祭、今日は14話『覚醒』と15話『呪われたキャンパス』をお送りします。 『覚醒』。タイトルからして不穏です。冒頭、記憶のないままに誰かの血にまみれるサムの姿が…。「もしかしてボクが…」戸惑う弟・サムに、兄・ディーンは、「もしや」と思いつつ疑念を払うようにして、「原因と犯人を突き止める。やったのはお前じゃない」と早速行動。 おぼろげな記憶をたぐりながら、事件に至るまでのサムの足跡を辿ると、確かにサムが事件に関与している証拠が次々と…。サムが無意識に手にかけたのは、どうやらハンターの一人のようだ。「シェイプしフターの仕業かもしれないし…」と言い張るディーンに、サムはもはや己の仕業、背負った運命の結末と決め込み、兄に父・ジョンとの約束を果たすように迫る。「兄さん、ボクを殺してくれ」!! 「お前を殺すくらいなら、殺された方がいい」。そう言って、躊躇うディーンに、豹変したサムが襲いかかる。サムはその足でジョーの元へと向かい、彼女を殺めようと企む。 すんでのところでジョーを救ったディーン。サムから聞かされた“事実の数々”に動揺するジョーの女心も、ディーンには伝わらず、サムの抱えるトラブルを解決するためまたも二人の気持ちはすれ違ってしまう。 どう考えてもサムらしくない。しかし、もしこれが“悪魔の計画”の覚醒だとしたら…受け入れざるを得ない。そんな葛藤の中、ディーンはサムを追う。サムは、次にボビーを狙っていた。 老練なボビーはサムの異変を察知し、聖水入りのビールをお見舞いし、まんまと魔法陣の部屋の下に縛り付けることに成功する。これは、サムの異変じゃない。サムに、悪魔が取り憑いただけだ!!サムの体から悪魔を追い出さなくては!! というのが、この第14話。父の遺言が頭にちらつきながらも、互いを思いあう兄弟愛。いざ現実に直面すると、弟に手をかけられないと知ったディーンの無力感。計画は書き換え可能だと信じるディーンの決意。そしてジョーとのすれ違い、となかなかにシリアスなストーリー。このエピソードでは、ワイルドなサムが見られます。ちょい、どころかかなりワルい。特にジョーとの件は、これが本性かと思わせる強引な口説きっぷり。サム、猫かぶってたのか!? あと笑えるのは、ボビーの存在。なかなか老練…ではあるけれど。ベテランのハンター…ではあるけれど。そして今回は活躍したけれど…。 アンタ、前にしてやられて、現在の不利な状況作り出した張本人ですよね…。ベテランらしい台詞に、思わず「よく言うよなぁ」とツッコミを入れずにはいられない…。 かわって第15話。これはちょっと面白いですよ。脚本も演出も、これまでにないパターン。とにかく最後になるまで話の筋が見えてこない。 ボビーまで担ぎだしたはイイけど、単なる兄弟喧嘩が延々と続いているようなもので、観ている方も、何が言いたいのか、息抜きエピソードか?などとミスリードしてしまう有様。まさかこのミスリードを誘うところまでストーリーの根幹が関わっていたとはつゆ知らず、まんまと乗せられましたよ、トリックスターさんよ。 ことの始まりは、奇妙な都市伝説に彩られたあるキャンパス。人気教授が窓から落ちて死んだところからスタート。幽霊の仕業とも、自殺とも…。その調査に赴くウィンチェスター兄弟…Zap…。互いにとった証言や、現場での話をめぐって兄弟喧嘩…Zap…。最初の事件の聞き込みに応じた学生が、“変態ET”に連れ去られて、あんなことやこんなことをされた挙げ句に最後はミラーボールの下でチークダンス…Zap…。兄弟喧嘩はエスカレートし、弟は大事なパソコンをいじられ、兄は愛車に悪質な悪戯をされる始末。互いに「お前がやったんだろ!!」…Zap…。とまぁ、話はいつまでも延々ととりとめもなく。 「まぁ、落ち着け。とにかくお前達が話してることは分かった。混乱が生じているのはな、つまりトリックスターのせいさ。悪魔とは言えないが、疫病神のような存在で、悪いことをした人を懲らしめたり、時分を邪魔する人間に混乱を与えて悪さをするんだ」。おお、ボビー。あなた、たまにはイイこと言います(まだボビーの信頼回復していない私)。トリックスター?じゃ、そいつは一体…“!”。 思い当たったディーンとサムは一計を案じて、トリックスターを逆に混乱の罠にかけて、ボビーと三人で退治する作戦に出たものの…。 というのがこの第15話。話の内容からすると、邦題よりも原題の“Tall Talk”の方が分かりやすいかも。とにかく、尾ひれのついた話、ホラ話、途方もない話、言った言わないの水掛け論、そんな混乱の中で、観る人も見事に混乱させてのエピソード、いつものスパナチュとは全然違った、シュールなシーケンス、おバカな振り回され方、とぼけた展開も必見です。(了)SUPERNATURALII スーパーナチュラル〈セカンド・シーズン〉コレクターズ・ボックス1(DVD) ◆20%OFF!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/03
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昨日は、久しぶりに日帰り出張に行っていました。場所は京都。こちらはもう、プライベートでも仕事でも何度も足を運んでいるのですが、やはり何度足を運んでも魅力の尽きない都で、今回は仕事オンリーでちょっと勿体ない気がしました。節分を祝うこの土日は、京は華やかだそうで…。 そう言えば、東京近県以外での出張は実に久しぶりのことで、最近はスタッフに任せることが多かったのですが、今月だけで、北は北海道から西は大坂まで、まだまだ続きます。 タクシーの窓からは、前に遊びにきた時に入った昔ながらの喫茶店。まだ頑張ってるんだ…。 運転手さんとは、骨董や掘り出し物の話でちょっと盛り上がり…。最近はネットでおおよその価格が分かるから、醍醐味もなくなってあの商売も面白くなくなったという人が増えたようだ、とのこと。なるほど。骨董などは、そこに込められたロマンにどれだけの幅を持たせて手に入れるか、に面白さがあればこそ。あるいは、その品に対しての知識や造詣の深さのかけひきに妙があればこそ。 さて今こうして窓の外の雪を見ていると、つくづく、仕事だけのための京都行きに雪が降らずにラッキーだったなぁ、なんて思います。勿論、遊びに行くなら雪見もまた愉し、ですが。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/03
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■突忍が、雑兵に囲まれて一群をなしている姿。子供たちに囲まれた“フドウの父さん”みたいで微笑ましいや。■真田幸村はいつも元気だな、敵に回すと。負け戦ばかりなのに。■二天一流云々以前に、武蔵は強いよな。味方の銃弾が乱れ飛ぶのに、まったく当たらないなんて、神業に近いな。@大阪城ステージ。■「信長様の弔い合戦じゃ」。秀吉@山崎。でも、信長でプレイしていると、秀吉の元気が痛い。信長、ここにいますから。生きてますから。■石川康勝、長宗我部盛親、登場。「推して参る」。家康の大筒、押してくれるわけじゃないんだ…。豊臣方だからなぁ。■前田慶次、選択@四国ステージ。護衛武将はやっぱりお約束で前田まつ、で二人して“道ならぬ恋”の戦道。敵本陣に突入したら、旦那さん登場、前田利家が「ケジメつける」って。当然だろう。 悪しからず。(了)【PS2】 戦国無双2 猛将伝 特典付き■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/02/01
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