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先日、弟夫婦の家に泊まりがけで遊びに行った時のこと。一番風呂を馳走になったのですが、洗面所に置いてあったのが、あら懐かしや、少年の頃よく食べていた「雪見だいふく」のパッケージが。「ん???」って、「雪見だいふく…入浴剤」!? どういう意味合いや関連があるのか、深く考えるのも野暮というものでしょうか。とにかく、雪見だいふくと同じ形&サイズの入浴剤は、フワフワではなかったですが、シュワシュワでした。香りはミルク。用途不明のマスコットが同梱されていました(笑)。 余談ですが、雪見だいふく。あのモチモチした薄い皮が美味しいんですよね。(了)【即納!】★税込★雪見だいふく入浴剤12個セット■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/01/27
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(34) 迷走する帝国(下)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************読み進めて行けば、この時代はつくづくモダンだ、と感じる。繰り広げられることは野蛮きわまりないが、帝政初期のクラシカルさと比べてモダンだと感じる。躊躇う、逡巡する、という、みっともない叡知が欠けているのだ。なにしろ、あらゆる蛮行はモダニゼーションから発しているこの皮肉が事実なのだ。さて、皇帝ヴァレリアヌス生きながらに捕縛の事件、権威失墜の動かぬ証拠。茫然自失に続いて、“残された者たちの分裂”を誘発、俗にいう「三十人皇帝」の時代へ。父を切り捨てたガリエヌス、健闘。なだれ込む外敵を防衛線の外へ撃退。皇帝ガリエヌスには、危機の打開を急ぐより、これ以上の悪化を防ぐことの方が重要と分かっていた。が、動揺した風紀はつまらぬ揉め事を多発させてしまう。ラインの防衛線で、蛮族から奪回した略奪品を巡った将軍二人の争いは、あろうことか武力衝突に発展。総督シルヴァヌスと側近を殺した一方のポストゥムス、殺した者の中に皇帝ガリエヌスの長男がいたことを知って、もはや未来なしと判断、治める一帯を擁して「ガリア帝国」を興して帝国離脱。独立、というよりは、ミニ・ローマ帝国として分離した「ガリア帝国」は、風雲の志や大望の下に興った国には非ず。帝国としても放置はできない。が、下手に手を出せば帝国中枢そのものが四面楚歌になる可能性もあり。当面は「ガリア帝国」を陽動させて、ドナウ河防衛、ペルシア王対策。ペルシアに抗する「シリア砂漠の真珠」パルミラのオデナトゥスと共闘作戦は前半好調も、ゴート族への勝利を祝う宴で、ガリエヌスの甥がこの帝国東方全域を任されるオデナトゥスとその子を私怨で斬って事態は暗転。夫と前妻の連れ子を斬られたゼノビア、我が子を擁して後見人になり、パルミラ王国を樹立。皇帝の弱みにつけこむ形で、カッパドキアからエジプトまでの勢力を我が手にした浅はかな野心の女ゼノビア。ここに、「ガリア帝国」「パルミラ王国」との三国時代がスタート。ところで、軍人は政治が理解でいなくても構わないが、政治家は軍事を理解しないではは政治は行えない、とは筆者。ローマ人の採った、軍務と政務の往来の自由が人材を育成したと。軍務と政務を分離=非ローマ化がさらに進むこの頃から、以降政治の分かる軍人、軍務の分かる政治家を、ローマは生まなくなる。元老院と軍を完全ぶり、ゼネラリストではなくスペシャリスト育成方式に変更したガリエヌスはまた、伝統的な重装歩兵主軸の軍団構成を、騎兵主体に変更した、つまりゲルマン的構成(軍の非ローマ化)にした皇帝。社会の安全度は社会の健全度を示す計器。一、人々の居住地域が防衛に適した高所でなく、平地に分散(土地の有効利用度を示す)。二、いつでも逃げられる牧畜でなく、定住前提の農耕が盛んであること。三、交通手段が整備され、移動中の安全が保障されていること。これこそまさに、300年間守られてきた「パクス・ロマーナ」。それが崩壊を示した時代でもあった。三世紀ローマ帝国を襲った平価切り下げに伴うインフレーションと、先行したデフレーションのダブルパンチで経済も苦境に。折も折り、ガリエヌス、軍部のクーデターにより殺される。これは、いわば軍事面での信頼を失った皇帝に突きつけられた不信任に等しい。皇帝に就いたクラウディウスによってゴートは退けられる。クラウディウス、ゴティクスを名乗る。が、軍部の支持を集めたクラウディウスもまた、疫病により没す。下克上が当たり前になった今、実力こそが正義。軍人皇帝の時代とはそういう時代。アウレリアヌス、皇帝即位。「常に剣に手をかけている」と綽名されたアウレリアヌス、軍規の立て直しならば筋金入り。厳罰も辞さず。物事の優先順位を明確につけ、時間を無駄にしなかったアウレリアヌス、三分された帝国に対峙し、決然と反攻開始。が、蛮族対応に失策あったアウレリアヌス、元老院に足元をすくわれる形に。これ、いわば軍務から締め出された元老院による軍人皇帝への屈折した態度の顕れ。皇帝の、帝国の敵は帝国内にいた。元老院による執拗な皇帝批判の中、皇帝・元老院間の関係は硬直、アウグストゥス以来の伝統である、元老院による通貨の発行権を皇帝権限に移して、いよいよ元老院の不満は頂点に。それも気付かず、パルミラ問題、ドナウ河防衛線の再度の確立に向う皇帝、ゼノビアを追いつめる。パルミラも、包囲されたゼノビアに対して、援軍もよこさぬ始末。ペルシアの助力を宛てにするゼノビア、なおも抵抗。開戦。もはやアンティオキアも助けず、皇帝入城を受け入れ。第二戦では息子のヴァラバラトゥス王も戦死。ゼノビア、パルミラに敗走。商いが滞ることの方を怖れたパルミラの住民にも疎まれ、ペルシアのシャプール王の救援も期待を裏切られ、ゼノビア打つ手なし。憧れのクレオパトラにはなれず。パルミラ開門。問題解決と事後処理終えてエジプトでの統治権回復に向うアウレリアヌスの耳には、寛大な処置を読み違えて駐屯兵を殺し独立宣言したパルミラ人のニュースが。ローマ伝統の信義を踏みにじったパルミラ人たちは、ゼノビアですら受けなかったほどの、徹底した暴行と略奪を受け、パルミラの繁栄は永久に消滅した。「速攻のアウレリアヌス」、勝利に酔う間もなく、今度はガリア再復に軍を動かす。巧みに会談に持ち込み、なし崩し的に離脱せざるを得なかった足腰弱いガリアを説き伏せて無血にて「ガリア帝国」壊滅、ガリア地方を取戻して凱旋式。次の課題、ササン朝ペルシアが五月蝿い。ペルシア戦役に率いる軍勢準備の最中、自分にも厳しいアウレリアヌス、手違った秘書エロスを叱責、生命の危険を感じた秘書は、奸計により将官を動かし、皇帝の寝首を掻かせる。4年九ヶ月の治世、呆気ない最期。ここに、はじめて、惨めに過ぎる事件に皇帝空位期間が生じる。元老院いとっては主導権奪回の好機。五ヶ月の空白の後、高名なる歴史家タキトゥスの血を引く75歳のタキトゥス皇帝誕生。教養人で、理性もあった高齢皇帝、引き受けたからには真面目に皇帝を勤め上げるつもりも、間もなく自然死。皇帝の自然死がこんなにも新鮮だなんて!!元老院すかさずタキトゥスの実弟フロリアヌスを皇帝に指名するも、タキトゥスで懲りていたシリア&エジプトの軍団は総司令官プロブスを支持。元老院ノーを突きつけられ動揺、内戦回避のためとはいえ、下策に出てフロリアヌスを殺す。対抗馬を立てないことが回答だった。皇帝プロブスは、ユリウス・カエサル以来の「敗者同化政策」への回帰を掲げ、「勝って譲る」を踏襲宣言も、各地で起こる反乱や帝国の綻びに振り回される。兵士が一級の土木技師であったのがローマの伝統でもあったが、スペシャリストになってしまった兵士に工事用具はもはや持てない。故郷シルミウムの工事の進捗を見ようと、組まれた塔に登るプロブス、工事を嫌った生粋のエリート兵士たちにより塔を倒され殺される。苦労だけの6年の治世、最期には、もはやローマのは跡形なく消えたことを示すのみ。が、不信任ではなかったこの皇帝殺しは支持を得ず、実行犯は皆殺し。ケルンの軍で訓練係を努めるカルスが皇帝に。先帝準備中のペルシア戦役を引き継ぐ。長男カリヌス、次男ヌメリアヌスを共同皇帝にしてシャプールに臨む。砂漠の雷は、何より怖い。ただ一点を目指した落雷、カルスを直撃。皇帝死去。我を失った次男ヌメリアヌスに希望なしと見た兵士たちにより、引き返したローマで馬車から姿を現した共同皇帝は死体で登場。ヌメリアヌス殺しの容疑は状況証拠からヌメリアヌスの義父アプルスに向けられ、裁判もなく身辺警護の隊長ディオクレスにより一刀両断。最前線で変事を目の当たりにした臨戦態勢のローマ軍は、もはや指導者を選択するより他になし。カリヌスではなく、ディオクレスを選んだローマ軍団は、西方で控える現皇帝カリヌス討伐に兵を向ける。内戦覚悟も、カリヌス部下に裏切られて殺され、ディオクレス一人、皇帝を名乗ることに。ローマ風に名を改め、ディオクレティアヌス帝誕生。近年の他の皇帝とは違い、21年の治世をもらったディオクレティアヌスの政治は、ローマ帝国を新たなフェイズに誘う。この巻末には、「ローマ帝国とキリスト教」について、まとまった論考があり復読に価する。(了)ローマ人の物語(34)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/01/26
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久しぶりに再開です、スパナチュ祭り!!いやぁ、このタイトルも、サード・シーズンに入るんですねぇ。感無量です。シーズン2の最後はもう、トンでもないことラッシュで(笑)。悪魔の計画を阻止し、サムの特殊能力に目をつけて来た怨敵サタンを倒すも、デビルズ・ゲートが開き、悪魔は世界へ散らばる有様。オマケに、サタンの試練に巻き込まれて死んだサムを生き返らせるために、悪魔と“命の一年契約”を結ぶウィンチェスター兄弟、兄・ディーン。クヨクヨしても始まらない。とにかく、片端から悪魔を退治するしかない!! ってなワケで突入したシーズン。第1話は『七つの大罪』。えぇ、もう明らかに、キリスト教モチーフです。大罪すなわち、傲慢、嫉妬、暴食、色欲、怠惰、貪欲、憤怒。この罪が形を伴って、人間社会を脅かしていると知ったウィンチェスター兄弟&父親代わりのベテランハンター・ボビー。そこに、夫婦(めおと)ハンターのアイザック&タマラ(アシュフォード&シンプソンばり?のおしどり夫婦)と鉢合わせ。いわく、デビルス・ゲートを開ける原因を作ったウィンチェスター兄弟は、ハンター稼業では不評とか。いざこざあって、その晩。故あってか功を急いだ夫婦ハンター、うっかり悪魔の巣窟に足を踏み入れ、愛するアイザックが餌食に。タマラをなだめてリターン・マッチに臨む。ここでね、悪魔に体を乗っ取られたアイザックが、恨み言いいながらタマラの元にやってくるシーンがあるんですよ。いやぁ、切ないです。タマラがただの女性ならともかく、彼女もハンター。だから、うかつに飛び出して行くような馬鹿な真似はしないんです。だから、夫に巣くう悪魔と知って、ドア越しに泣きながら、引きつけておいて飛び出し杭で仕留める。これが切ない。いきなり重たい話です。人間の方がよっぽど悪魔的じゃないか、と悪魔に軽く嘲られるシーンもあり。いやぁ、反論できないです。一行の台詞に真実がありますね。 さて我らがウィンチェスター兄弟は???と言えば、悪魔との契約を知られて、たしなめられるも愛する弟のため。割り切って今を愉しみながら、昨日と変わらぬディーン。一方で、何とか兄を助けたいサム、悩んでます。迷いがあったか、大罪の姿をした悪魔に囲まれるピンチ。そこに現れサムを救う謎のブロンド美女。何しろ、羨ましいくらいに強力な、悪魔を切るナイフなんて持っていまして、強いんです。「あんな武器があったとは…」サムの本音です。 さて第1話。七つの大罪をテーマにした映画や文学、美術、芸術その他もろもろ、もう数多あり過ぎて、少なくともスパナチュの中ではうまくまぶせていない感じがしました。そうそう、七つの大罪モノでは、映画『セブン』という名作がある。ってんで、早速ディーンが第1話の中でも『セブン』に絡み付いてましたけど。ブラピ、とか言っちゃって(会話の中のカメオ出演、ですか?)。 続いて第2話『恐るべき子供たち』。ホラー+子供。もうそれだけで、ヤバいです。相変わらず寿命も意に介さないディーン、悪魔との契約を反故にするためまじない師に会いに行こうと提案するサムを振り切って、「8年前の彼女ンとこ行きたい」。で、二人して訪れたのがのどかな住宅街。いやぁ、デスパレートな妻たちが一杯いますよ、この街。かつての恋人サラにも無事再会。が!!サラには8歳になる男の子・ベンが。もしや???なディーン。さりげにチェックすると、これがディーンそっくり。「イエー、AC/DCだ」とか言っちゃって、ロック小僧。オマケに、車は好きだわ、女の子好きだわ。ジャンクフードの食べっぷりと言ったら。ま、なんだか気脈が通じちゃったりして。「ベンってまさか…」の一言が出ない。そんなディーンが戸惑うこの街、実はこの限られたエリアで怪事件が頻発。残虐な事件の陰に子供の姿あり…。リサの女友達・ケイティもまた、姿はそのままなのに、すっかり雰囲気が変わり果てて異様になった娘に怯えるように。「ママ、遊ぼう」。第2話はチェンジ・リングの話です。子供をさらってその姿に成り代わり、何食わぬ顔で家に帰って母親の首筋から髄を吸う、という…。事件になった被害者たちは、そのグルメの邪魔になる人たちだったというわけ。お目当ては、飽くまで髄ですから(苦笑)。再びサムの前に現れるブロンド美女。気になる。だって…●●なんだもんなぁ。で、サムに興味があって、サポートしたい?なんじゃそりゃ??? 第2話もまた切ない箇所二シーン。自分の娘の変わりように恐怖を覚え、神経も衰弱して来たケイティが、たまりかねて夜中娘(実は怪物)を載せて湖にドライブ。自分は降りて、そのまま車を湖に沈めるシーンがあるんですけど、事情は分からない。オマケに、姿は自分の娘ですからね。恨めしそうな目で見つめられながら、無力に車を自動運転させて沈めるシーンは、もう辛いですよ(ま、その後はもっとショッキングなんですけど)。 もう一つは、ベンとディーンの交流。危うくベンも怪物の毒牙にかかりかけるわけですが、それを救ってリサに一言。「ベンって、俺の子…じゃないよな?ベンのような息子が欲しかったよ」とこぼすディーン。遺伝子を遺したい。これが、弟のために一年の命を悪魔に宣告された男の言葉、さらに、それまでは家族への奉仕を強いられたことに不満を抱き続け、以来無頼に走った男の言葉だから、沁みますねぇ。ディーン、オトナになったなぁ、と。 なかなかディープなテーマから滑り出した新シーズン。目が離せません。ところで、ワタシこのドラマ、あえて吹き替えで観てるんですけど、次長課長・井上氏&成宮氏、吹き替え変わってしまったんですね。実は残念。特にディーンは、あの軽さというか、ヘンに飄々としたテンポがあったから、シリアスな台詞とのギャップに「熱さ」が滲み出ていたんですが、新しいシーズンのディーンは、ワイルド&アダルトな渋声で、ノーテンキ・シーンではちょっと重いカンジが…。慣れるまで時間がかかりそうです。アレはアレで、好きだったんだけどなぁ。あと、どうでもいいですが、過去に“悪魔に乗っ取られ経験アリ”&大失策アリなので、シーズンが二つも変わっても、いまだにボビーが信用できないワタシです(なんか、沈着冷静に作戦を立てたり、兄弟をたしなめても「つうか、お前、悪魔に乗っ取られてポカやらかしたじゃんかぁ」とか思ってしまうのデス)。失敗を赦せ。これが、悪魔と闘う上での教えなんでしょうかね。(了)SUPERNATURAL III スーパーナチュラル〈サード・シーズン〉コレクターズ・ボックス1(DVD) ◆20%OFF!!■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/01/22
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(33) 迷走する帝国(中)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************長期的展望のない政治的指導者のめまぐるしい変化は、政体そのものを衰弱させる。あるいは、衰弱ゆえのすげ替えなのか。マクシミヌス・トラクス(トラキア人)皇帝即位。羊飼いをルーツに持つ、言わばカウボーイ皇帝。若い頃から武勇伝(軍団兵相手に力比べ、16人抜き)には事欠かないこの男、強要はなかったが、怪力と素朴さで、たちまち兵士たちの人気者に。時の皇帝セヴェルスの目にとまらないはずがなく、以来セヴェルス一家への忠誠誓う。ゆえに、ヘラガバルスの時代には冷や飯を食うも、孟祖母ユリアの進言で、その武勇を買われて大隊長に。御代変わってアレクサンデル/セヴェルスの時代、軍団で訓練係の長に大抜擢。ここでもそのビリー隊長ばりの熱血指導で人気者。アレクサンデルの後に、兵士たちによって担がれるのも当然のなりゆき。ゲルマン相手の戦争を引き継ぐや連戦連勝。が、元老院はこの品格なき皇帝の戦勝報告に不機嫌。一方で、アフリカ属州で、徴税をめぐって財務官殺害事件起こる。さらには公権力への蜂起へと発展するかに見えた矢先、配慮の総督ゴルディアヌス、農園主らより皇帝への即位を持ちかけられ、暗雲。家柄も良く、財力もあったゴルディアヌス、「トラキア男」を嫌悪していた元老院の不満爆発の力にも推されて、皇帝に。現職皇帝マクシミヌス、寝耳に水。あれよという間に「国家の敵」に。帝国の安全を取戻すに功ありと自認するマクシミヌス、失意の深酒。猛る兵士を煽って、首都ローマへ進軍開始。内乱突入。こうして、帝国は「一年間に5人の皇帝」の時代へ。皇帝マクシミヌスの意気軒昂、皇帝ゴルディアヌスを自死に追い込む。元老院、パニック。慌てて皇帝二人(パピエヌス、バルビヌス。二人とも元老院議員)を立てるも、結局ゴルディアヌスの孫・三世、13歳の次期皇帝を押えて、元老院のメンツを優先しようと画策。戦では負けなしのマクシミヌス、動揺をつけこまれた兵士の手によって、天幕に討たれる。が、帝国に平和は来ない。今度はパピエヌスとバルビヌスが仲違い。人望の人・パピエヌスと、高貴なる趣味人・バルビヌス、要は元老院のコントロール力不足による反目。皇帝二人の益なき争いに、当の兵士たちがマキスミヌスを殺したことを悔いて、パペエヌス、バルビヌス、抵抗の暇なく殺される。元老院も、遺体を目にして初めて返事に気付く有様。ハドリアヌス言、いつも分裂しているが、自分たちに危害が及ぶと一致団結する。それが元老院。ゴルディアヌス三世の治世スタートは、功臣ティメジウスを得てまずまずの滑り出し。事実上の政務担当者、内政にも業績あり。ティメジウス、治世三年目には近衛軍団長官に。ササン朝ペルシア二代目、シャプール起つ。ティメジウス、これを危機と察知し、早々に対応。ペルシア戦役準備に実務家の面目躍如。ローマ軍復活の狼煙。北部メソポタミアで、ローマ優勢のうちに勝負決すると誰もが疑わなかった矢先、ティメジウス突然死。病み上がりと呼べたローマ軍、その場で再び瓦解。事態収拾に協力しない近衛軍団長官フィリップス、買収した兵士を使ってゴルディアヌス三世を殺害。知らぬ顔で皇帝に即位。アラブ人の皇帝誕生。皇帝フィリップウス・アラブス、元老院をおだてた政策も元老院には好評。シャプールと講和に持ち込み戦役決着。再復したメソポタミア、早々に放棄。三世紀のローマ帝国の特徴、それは政略面での継続性を失った点。この皇帝の御代に、ローマ建国一千年祭が開催される。元老院にはウケたが、前線には顔を出さない皇帝、兵士には不評。兵士に信頼厚いデキウス、密かに皇帝擁立の打診を受けるが、これは危険と皇帝に注進。が、フィリップス自身がデキウスを疑い、デキウス討伐を決意。が、この軽挙に着いてきた者はゼロ。自下の兵士にまで見捨てられ、デキウス軍と戦う前に自死。あっさりと記録抹殺刑に処される。結果的に、嘘から出た真、デキウス皇帝に。ローマ社会のリペアがデキウスのポリシー。元祖踏み絵である「リベルス」(棄教宣言により発行される証明書)キリスト教徒を迫害した皇帝として名を残すことに。この世の帝国を悪の帝国とみなし、あの世の王国への道を説くキリスト教は、当時の情勢から見て放置できるものではなかったのだ。一方で、デキウス、遠くない属州モエシアまで寄せて来たゲルマンの撃退に着手。全体的には優勢な展開の中で、息子エトゥルスクス落馬を突かれて戦死、これに怒り、復讐の徒と化したデキウスもまた湿地帯に分け入り、足を取られてゴート族の刃に散る。遠モエシア属州(モエシア・インフェリオール)総督にして蛮族相手の戦にも参加していた元老院議員トレボニアヌスが、急遽推挙されて帝位に。算を乱した状況下で急ぐべきは、蛮族との講和。首都に残るデキウスの息子、時の共同皇帝オスティリアヌス、疫病で死去。早くもトレボニアヌス、孤独な皇帝に。内側にも講和への理解者なく、外には弱みにつけ込む蛮族、ゴート族にアレマンノ族。30万人のゲルマン民族、ついに地中海に進出。リメス(防衛線)のみならず、海上のパクス(平和)を破られたローマ帝国、愕然。帝国の不満は、皇帝に向う。共和制時代から続く名門ヴァレリアヌス、皇帝に推挙されてトレボニアヌスと向かい合うも、支持を得られないトレボニアヌスに負けは見えていた。が、この皇帝ヴァレリアヌスもまた、帝国を慄然とさせる前代未聞の呼び水に。まずは手始めにデキウス由来の治安維持法復活。つまりキリスト教弾圧。帝国の危機に、協力を断固拒絶するキリスト教徒への不満は高かった。この頃の一神教徒であるキリスト教が誤解していたのは、ローマ皇帝を神と捉えたこと。が、ローマ皇帝は神ではなく、神格化されても死後のこと。またこの神格化も、多神教的な神への昇格に過ぎず、本来的には宗教色は薄い。このあたりの誤解が、弾圧されるほどに台頭しはじめていたキリスト教会との軋轢を助長。帝国失速により、それでもキリスト教は皇帝ディオクレティアヌスの登場までの半世紀近くを比較的平和に過ごす。そして、ローマ帝国史上最大の恥辱へ。フィリップス・アラブスの講和に足元を見た思いのペルシャ王シャプール、大ペルシア再興に向けて大軍編成。これに立ち向かう高齢なるヴァレリアヌスおよび1万のローマ軍兵士、ペルシア王の捕虜となる。現職の皇帝が敵の手に落ちるのは帝国初。この知らせにローマ帝国全体が茫然自失となった。共同皇帝だったヴァレリアヌスの息子ガリエヌスの採った策は、無常にも、仕方なく、父・ヴァレリアヌスを見捨て、皇帝としての存在を抹消すること。皇帝を人質に取られることほど、政治的な劣勢を強いられることもないのだから、ガリエヌスの非情な決断は帝国崩壊の最後の歯止めとも言えたのだ。(了)ローマ人の物語(33)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/01/20
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昨夜、祖父の卒寿を家族一同で祝った。祖父の米寿を祝ったのが、ついこの間のことのようだが、そのあっという間の二年の間にも、様々な出来事―たとえば、新しい家族が増えたり、家族のそれぞれの身辺に変化など―があり、それら一つ一つの出来事と伴走しながら、つつがなく、病気一つせず、祖父が元気にまた二つ歳を重ねられたことは何よりのことだ。 当日は、孫4人までが勢ぞろい(一人は海外からの帰国がかなわなかったのだが)し、皆でデジタル・フォトフレームを贈り、セッティングをしてきた。スライド式に表示される家族の写真を眺め、一枚一枚に嬉しそうな表情を見せる祖父に、贈った我々も大満足だった。 夜は一族11名で食事会。その席で祖父は、祖母や家族への感謝を述べ、卒寿を迎えられたことを「奇跡」であり、「夢見心地」と表現した。私は、この「夢見心地」という言葉が、おそらく祖父本人の気持ちを一番端的に表現しているのではないかと察した。 戦地では九死に一生を得、復員してから祖母と、“二人”からスタートして今の家族を作り上げてきた祖父は、ひたすらに、ひたむきに生き、働き、戦後日本の高度成長を支える現役のサラリーマンとして70歳まで勤め上げた。そこからさらに20年の第二、第三の人生があったことも、すでにして奇跡のような気持ちであろうかと思うが、おそらく、我武者羅に生きるだけではたどり着けない、健康で、家族に囲まれながら、なおも未来を想像できる心身で90歳を迎えるということは、もはや余人では思いも及ばぬ桃源郷の世界、まさに「夢見心地」なのかもしれない。健康の秘訣や、長生きのために続けてきたこと。そういうことも祖父にはいくらかはあるが、実際には、まるで奇跡のように、本人も信じられない状況の中で到達しうる境地こそ「夢見心地の幸福感」なのではないだろうか。 「継続は力なり」を体現してきた祖父。何事も諦めず、投げ出さず、泣き言ひとつ言わないで継続してきた祖父。この祖父ならば、その境地に達して当然と、孫の私ならば思う。だが、それに加えて、自分でも気が付かない・意識できないほどの無念・無想・無私・無欲があってこその「夢見心地」だとすれば、これに達した祖父は奇跡の人であるが、「夢見心地」の世界は我々すべてに開かれているとは到底思えない。ハードルは高そうだ。この難事を成し遂げた祖父の卒寿を、憧れとともにあらためて祝いたい。(了)LG F8400NPN/WNデジタルフォトフレーム【贈り物に最適!ギフトメッセージ機能付き!】(ブラック/ホワイト)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/01/19
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(32) 迷走する帝国(上)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************アントニヌス、通称カラカラ、ガリアの長袖の衣類の事。生来自己顕示欲強く好戦的。母の前で弟ゲタを殺して帝位に。マズいことには、ヤル気満々での即位。最初にやった政策が、「誰もがローマ市民」宣言=「アントニヌス勅令」。一見人道的なこの政策、つまりは、ユリウス・カエサル以来、ローマ市民権を敗者同化路線の要、つまりはパクス・ロマーナの肝にしてきたのが、とうとうご褒美の大安売りという結果に。なぜなら、単に人道的見地に立てば、これまでの賢帝がすでにうやっていてもおかしくない法。それをしなかったのには、ローマ市民権取得こそが、深謀遠慮の末に生み出されたカードとして完璧に機能していたから。誰でも簡単に手に入る権利に、人は感謝もしないし興味も持たない。自助努力も、帝国への協力も怠って当然。多民族多文化多宗教国家の基盤がここに崩れる。「取得権」の「既得権」化とは、そのようなものだ。現代の投票権を筆者は例に挙げている。ローマ帝国を支えて来た「市民権」なるブランドは死んだ。安全保障という点では責任感強いカラカラ、外敵に打って出るのも積極的。戦場が恋しいカラカラ、和戦両面にて、見事ドナウ河防衛線の堅固化に成功。軍事面ではなかなかの器量ではあったカラカラ、パルティアと対峙。以降のローマ軍団の主力を努めることになる機動部隊も新設して、軍勢再編成も果たす。オリエント行の途中でアレクサンドリアの若者といざこざ、体育館に集めて虐殺。これがまた、元老院の眉をひそめさせた。結局、パルティア王ヴォレゲセス5世の王弟による王位簒奪や、王の娘との結婚話破談で、矛をおさめる理由もなくなったカラカラ、パルティアとの戦闘再開にやる気十分。が。陣営で不祥事を起こした兵士を叱ったカラカラ、恨まれることに。この兵士、上官マクリヌスに訴え、「あなたがその気なら」とまで囁く。悪魔は勝ったのか。神殿で祈るカラカラ、兵士により殺害さる。そして、マクリヌス即位。この不審に誰も声をあげなかったのは、今まさにそこにパルティア軍が迫っていたから。戦時に最高司令官を空席にすることはできない。といって、ムーア人で元老院出身でもないマクリヌス、突然皇帝として戦役を任されることになるも、すでに足元は見られていた。パルティア、先人の努力の賜物である北部メソポタミア放棄を迫る慇懃な講和条件に、安直に飛びつく。ローマ属州メソポタミア、40年ぶりに手を離れる。無念。首都では、カラカラの叔母ユリア・メサ(姉ユリア・ドムナは息子カラカラの死後自殺)が、突然落ちぶれた己の身分に我慢ならず。成長した孫二人を擁立して富・権力の奪回を志す。二人の孫の年長ヘラガバルスを立て、セヴェルスゆかりの将官たちに「この子の父親は、実はカラカラ」と嘘をつく。が、前線の兵士には人望あった生粋の戦士カラカラの子であれば嬉しい、と希望的解釈をする兵士らはあっさり嘘を信じ込む。「ならば、皇帝の席にあるマクリヌスを討つべし」。血気上げる兵士たちから変装までして逃げるマクリヌス、嫌悪に駆られた兵士たちに突きまくられ死亡。とうとう皇帝として首都入りすることもかなわなかった。神速にて皇位奪回、ユリア・メサ。14歳のヘラガバルス即位。オリエントの神官として育てられたこの不思議な少年は、皇帝への適正は皆無。ゆっくりもったいぶって、が信条ならば、シリアで立って、ローマ到着まで一年5ヶ月もかけている。やってきた輿には黒い石ころ=ご神体、公衆の面前で堂々と同性と愛を育む姿に市民は唖然。オリエント式にアレンジを加えない様は受け入れられなかった。聡いユリア・メサ、ヘラガバルスの年若い従兄弟、アレクサンデルを後継者に。が、ヘラガバルス後悔、今やアレクサンデル殺害で頭が一杯。一目も憚らずアレクサンデル殺害を命じたその矢先、逆に自分が殺害される。4年の治世。ここに、皇帝アレクサンデル・セヴェルス、即位。ユリア・メサ、今度は失敗すまじと綿密に傀儡化を推進。といって、この幼く経験も少ない少年の右腕に、法学者ウルピアヌスを据えたのは流石。ウルピアヌスあればこそ、アレクサンデルの治世は少しずつ信頼を得始めて来た。性格も地味、スポーツと読書を愛し、きわめてノーマルなアレクサンデル。真面目過ぎたのが玉に瑕。偉大なる先人ほどの実績も積まぬうちから、そうあろうと努め過ぎた。ユリア・メサ、死去。かわって実母ユリア・マメア。メサと違って、悪いが賢くはなかった。まずはウルピアヌスが、ユリア・メサの覚えめでたいと目をつけられ、ユリア・マメアに煽動された兵士により殺される。ところで、なぜパルティアがいつもしつこく立ちはだかるのか。アレクサンダー大王に敗れたペルシア王国を大王死後に継いだ将軍たちは、地中海に近いエリアにしか関心を示さなかったため、遊牧民族であるパルティア人たちは、肥沃なるメソポタミアに進出し、以後着々と農耕と通商で底力を強化してきた歴史があったからなのだ。折しも、ペルシア再興の機運高まる。賢くつき合うパルティアとは違い、ローマとは決着をつける気概のペルシア、後のササン朝ペルシアの創始者アルダシルを戴冠させて意気軒昂。北からは、同盟国アルメニアを敗ったペルシアの大軍、リメスを突破しカッパドキア侵入。西からの軍は属州シリアを壊滅。アレクサンデル・セヴェルス、皇帝として初めて、“インペラトール”の称号にふさわしいかの試練に臨む。つまり、ペルシア戦役に出陣である。一兵卒たちと苦労を同じくしながら真面目に真面目に軍を進めてきたアレクサンデル、もはや“栄光の時代”は過去の事と知る事に。なんと、アンティオキアで皇帝を出迎えた軍団がストを起こす。これには、カエサルの事例にならって対処するも役者が違ったか、結果は裏目に。とはいえ、戦果は上々。元老院への報告したほどには実際には立派ではなかったが、少なくとも、ペルシアの主戦力を巧みに撃退し、以後20年間戦意を失わせた功はあったのだ。が、この久々の勝利と、予想外にも結構頑張ったアレクサンデルへの期待が結局はアレクサンデルを潰してしまう。軍を率いれば勝つ、とまで持ち上げられ、引くに引けなくなったアレクサンデル、防衛線を脅かす、ライン河の向うの“蛮族征伐”に出発。アレクサンデルが採ったのは、期待された武力による制圧ではなく、経済援助を提案しての問題解決であった。これが、蛮族とのせめぎ合いに命をかけてきた兵士たちの不満に火を点ける。緊張するマインツで、誰ともなく、反皇帝一斉蜂起。天幕にいたアレクサンデル、なだれ込む兵士に殺される。享年27歳、13年の統治。アレクサンデルから右腕を奪った悪母ユリア・マメアも殺害される。「セヴェルス朝」潰え、以後50年間を人は、軍団に担ぎ上げられた司令官が、元老院の承認なしに皇帝になることから軍人皇帝の時代と呼ぶ。この意味では、セプティミウス・セヴェルスなど、厳密には軍人皇帝などではなかったのだ。軍人皇帝の輩出は、三世紀という時代の要請に応えた現象に過ぎないとは筆者のクールな分析。(了)ローマ人の物語(32)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/01/15
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(31) 終わりの始まり(下)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************実力主義の時代。それはつまり、限られたポストを巡って、我こそはと思う者が、他人を踏み台にしてのし上がろうとする時代。コモドゥス殺害の後、事態の混乱を回避するべく近衛軍団長官レトーの計らいにより、元奴隷の子であり、着実にキャリアを重ねたたたきあげのペルナティクスが即位を決意。かつての上官にしてマルクス・アウレリウスの静かなる右腕ポンペイアヌスにも、共同統治を持ちかけるが、老将はより若い者を立てるよう断る。ペルナティクス即位の報は帝国を駆け巡る。一見スムースな政権交代に見えたが、すでに群雄割拠の時代は始まっていた。ペルナティクスを皇帝にしたその人、レトーがまず動いた。見返りに、私腹を肥やすに最高の“おいしい役職”、皇帝領エジプト長官を期待したレトー、まずは己の正統性確立に頭が一杯のペルナティクスのリアクションの遅さに痺れを切らし、皇宮に押し掛けペルナティクス殺害。87日間の治世。返す刀でレトーが次に推したのがディディウス・ユリアヌス。近衛軍団主導で頭のすげ替えが続く中、元老院も黙認するより手だてなく。ディディウス・ユリアヌス皇帝即位。ペルナティクス即位の際には、ある程度我慢できた将軍たちが、ユリアヌスには我慢がならなかった。パンノニアの守護神セプティミウス・セヴェルスが動いた。皇帝に名乗り。ブリタニカの総督クロディウス・アルビヌス、失笑を買ったもう一人の無名のたたきあげペシェンニウス・ニゲルが続いて皇帝に名乗りを上げる。皇帝ユリアヌスに三人が襲いかかる。王手をかけたのは無論、最有力のセヴェルス。本国で防戦に訴えるもセヴェルスはそこまで肉薄。皇帝自らセヴェルスに共同統治を持ちかけるも一蹴される羽目に。セヴェルスの行軍に、近衛兵もはやこれまでとユリアヌスを殺害。64日間の治世。恐怖の将軍はものものしく武装した兵団を従えて登場。勝負は決まった。ルキウス・セプティミウス・セヴェルス、皇帝即位。ちなみに、史上初の“大学出”の皇帝誕生。属州でも、北アフリカ出身の皇帝誕生。実ある施策を携えての恐怖政治ギリギリの緊張感は、政権交代に飽き飽きし、不安を抱えていた市民にはかえって好評。アルビヌス、ニゲルらの処遇を残すのみ。ニゲルとはイッソス平原で激突。万事につけ後手のニゲル、敗北。これまた遅れをとったアルビヌス、激戦の果てに死亡。内戦とは、自傷行為であり、体力を激しく損なう行為に他ならない。3年がかりでライバルを倒し、治世スタート。いきなり、元老院に対してコモドゥスの記録抹殺刑撤回を要請。強大な武力をバックにした元老院軽視の発議に、はやくも恐怖政治の匂いが。また、早々に息子カラカラを「インペラトール・ディシニャートゥス(皇帝の参与)」に指名。明らかに、セヴェルスの否応ないムードは過去の皇帝たちの雰囲気とは違った。軍人皇帝と呼ばれるにふさわしく、前代未聞の兵士の優遇措置を徹底断行。これがローマ帝国の軍事政権化のきっかけに。戦場を離れた兵士たちに、第二の人生を贈るカエサルの百年の計はここで終焉。ミリタリーとシビリアンは、もはや相互に行き交う中で無くなった。ベトナム戦争帰還兵の例を見よ。オリエントの太陽信仰の神官の娘、教養人、良妻ユルア・ドムナと皇帝の仲は良好なれど、息子たちには悩まされるし、義妹の娘つまり姪たちには掻き回される。哲人皇帝と同じく、軍人皇帝の彼もまた家庭内不和の犠牲に。まずは手始めに、手の付けられない暴れん坊将軍・長男カラカラが近衛軍団長官と不仲に。いさかいの末、次期皇帝ともあろうカラカラ、父の目の前で側近に切りつける。あるいは、元老院に対しては謀反人への正当防衛と発言。ストレス溜まった皇帝、痛風をおしてブリタニア遠征を決意。が、もはや馬車で動く事もままならないかつての武闘派の牙城。ついには遠征先のヨークにて、64歳の生涯を終える、セヴェルスの治世は18年。息子二人の不仲を憂いつつ。そして、憂いは現実に。父の死を待ってカラカラ、パラティーノの丘の皇宮にて、母を前に、弟ゲタを殺害。この後ローマは、所謂「三世紀の危機」に突入。男がピカピカのキザでいられた時代、今は昔。(了)ローマ人の物語(31)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/01/14
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(30) 終わりの始まり(中)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************立派な人物が、仕事面でも立派な業績をあげるとは限らないところに、哀しみがあるとは筆者の言。マルクス・アウレリウスの時代とはそういう時代。ローマ式を受け容れるならば民族の差異は不問、の伝統を受け継ぐマルクスの治世に、ロンゴバルド、ゴート、ヴァンダルらの滅亡の喇叭が吹き荒れる。陣頭指揮を執ったゲルマニア戦役も、本来が思索的なマルクスの戦争、円柱に模様が残るも、トライアヌスの円柱とは天地の差。リアルであるよりパセティックなマルクスの円柱は、過剰なパトスによる、政治、軍事、芸術における失点と。ドナウ河ではエジプトでの暴動の報。属州総督アヴィディウス・カシウス、三年後には、終わりの始まりの決定的な火種となる男、見事これを平定。一方で、記録少ないゲルマニア戦役では、『グラディエーター』“マクシムス”ことヴァレリウス・マクシミアヌスが大活躍で、皇帝直々に軍功を褒め称えた、と。公平を期すことを最優先した完璧主義の治世は頑健ではないマルクスの健康を消耗させた。侍医ガレヌスは、高名なる秘薬「テリアク」=「オピオン(アヘン)」入り特別調合薬を服用するまでに。ユリウス・カエサル『ガリア戦記』の持つ明るさが、“悲壮漢”マルクスには欠けていたのだ。そして、アヴィディウス・カシウスが皇帝を名乗って謀叛を起こす。それも、マルクス死すの誤報を受けて、幼いコモドゥスよりは、との念からの勇み足で。誤報と知っても後には引けないアヴィディウス、かつてのマルクスの学問上の後輩であり、実力でキャリアを重ねた才気溢れる男、ブリリアントな人間に耐えられないのは平凡な出来の人間に使われること、“上司”ポンペイアヌスとの明るい未来が描けなったからか、四十路、男盛り。これには迅速に動いたマルクス、憂国の武人マルティウス・ヴェルスの処置で被害最少にて謀叛鎮圧。争い好まぬマルクス、さらなる内乱の可能性を回避したく、世襲を決意。息子コモドゥスを、事実上の共同皇帝に。内憂を抑えていよいよゲルマニア戦役に終止符を。第二次ゲルマニア戦役開始。ここでもヴァレリウス・マクシミアヌス鬼神の働き、活動範囲はドナウの北120キロと大奮闘。が、戦役二年目、まさに雌雄を決そうとしていた矢先、皇帝マルクス病に倒れ、返らぬ人に。皇帝コモドゥスを守り立て、ゲルマニア戦役を早く終結せよと遺して。享年59歳、19年の治世。戦争嫌いの皇帝の19年は戦争に終始した皮肉。しかし、コモドゥスの治世こそ歴史家カシウス・ディオが言うように「帝国にとっての災難」。そして謎は、なぜ哲人賢帝は悪帝を後継者に選んだのか、に尽きた。いや、それしか選択肢がなかったのだ。不出来だからこそ、実力主義の可能性を残せば内乱になる。早速、当のコモドゥスがゲルマニア戦役終結を宣言。父の悲願は長期的視野の欠如した安直な講和により幕を閉じる。結果論ではあるが、実はこの判断が、はからずも、少なくともドナウ河での60年に及ぶ平和をもたらすことにはなるのだが。剣闘士との実戦好きな凡人皇帝コモドゥスを豹変させたのは帝位に就いて2年、コモドゥスが慕う実の姉ルチッラ、コモドゥスの妃クリスピーナ懐妊の報に、自らの存在意義の希薄化を疑って皇帝暗殺を計画。かつて、皇帝の娘として皇后陛下の尊称を受けたルチッラ、今では司令官ポンペイアヌスの妻でしかなければ、元老院出身でしかないクリスピーナの部下の妻に格下げされることに我慢ならず。杜撰な陰謀は失敗。だが、コモドゥスには消えない傷を心に植えつけた。父が息子に残した優秀な人材はコモドゥスの猜疑の眼を免れず、粛清はまた元老院の反発を買う。閉じこもった皇帝に代わって近衛軍団長官ペレンニスが帝国を取りしきる。もともと元老院に成り上がり扱いされてきたペレンニス、その仕返しか、5年にわたる実質的統治は元老院軽視主義。これゆえの元老院の反ペレンニス感情を利用して「ペレンニスに叛意あり」と解放奴隷クレアンドロスに吹き込まれた皇帝、ペレンニスを殺害。以後、クレアンドロスが側近政治。クレアンドロスの操り糸は、二度目の皇帝暗殺発覚をお膳立て、これによりマルクス・アウレリウスの有能なる娘婿たちが一斉に粛清される。家庭内の悲劇。皇帝の暴走にチェック機能が働かないほどに元老院も弱っていた。果ては皇帝の陰で私腹を肥やすクレアンドロスに「元老院の父」なる称号を贈る始末。それでも機能はし続けたローマ帝国、その礎がいかに磐石であったか。が、4年の泰平も民衆のデモによりクレアンドロスは殺害される。逃げるように剣闘試合に熱を上げる孤独な皇帝、ついに暗殺さる。理由も動機も謎。31歳の生涯も、治世は12年に及んだ。史上三人目の記録抹殺刑。正統性(レジティマシー)ならば備えていたコモドゥスの死により、実力主義、帝位をめぐっての群雄割拠、つまりは将軍たちの時代へと推移した。(了)ローマ人の物語(30)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/01/13
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(29) 終わりの始まり(上)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************五賢帝最後を飾るは哲人皇帝マルクス・アウレリウス。『自省録』の著者。「慈悲深き」アントニヌスの23年の治世は史上最も幸福な時代。皇帝の養子になったマルクスは、若年より政治の要職を歴任(身内贔屓な特例の数々に元老院が目を瞑ったのも、アントニヌスの賢帝ぶりゆえだったのだ)するが、平和な時代に前線での過酷な軍務経験などは積むチャンスがなかった。義父もまた、この子を傍に置いて離さなかったのだ。学問好き、誠実、強い責任感、素直、家庭第一、模範たろうとする自覚、恩人への深い敬愛、人を押しのけ陥れてまでのし上がろうとするタイプでは断じてないこの貴公子の、欠点と言えばハドリアヌス的な危機意識との乖離。ともにアントニヌスの養子となったアエリウス・カエサルの子、弟・ルキウスへの公平な振る舞いは、アントニヌスの死によって皇帝即位した際には、兄弟して二人の皇帝という史上例のない形で発現。これは、先を見越したハドリアヌスも、リリーフをしたつもりのアントニヌスも草葉の陰で予想外。理想主義の皇帝の理想は、やや起動を逸れる。最低限の強要とキャリアは持ち、おまけに性格もいい。ルックスとなるとこれまた上々の独身皇帝ルキウス、三十路にして日陰の身から日の当たる場所へ、羽根も伸ばした。輝かしくスタートした仲良きことは良きことかな、兄弟皇帝の治世も、飢饉・テヴェレ河氾濫による洪水の洗礼。未決のうちに、オリエントが不穏。パルティア軍がシリア属州アルメニアに侵攻。一個軍団壊滅、「防衛線」に異常あり。マルクス、皇帝ルキウスを出陣させる。マルクスと同じく属州経験も軍務経験もないルキウス、事の重大さに今ひとつ鈍感。港、港で歓待を受けながら、皇帝になってよかった…と思ったかどうか、目的地アンティオキアにたどり着くのに1年以上。以後、パルティア戦役は5年におよぶ。ルキウスの偉かった点は、前線のベテラン将軍たちの戦術戦略に口出ししなかったことのみ。戦役第2、第3フェイズは、クラウディウス・フロント、アヴィディウス・カシウスら名将の活躍でクローズ。揺らぎかけたオリエントの諸王らの心は、ふたたびローマへの服従に落ち着いた。しかし、パルティアの置き土産、ペスティレンティア=ペストの被害は痛かった。ラインとドナウの防衛線を襲うこの黒い病に、防衛力減退、北方の蛮族が牙を剥く。一方では、重苦しいムード一掃のための皇帝主催の祭儀への参加を拒否した、ローマ人のいう「ア・テオ(無信仰者、後に無神論者)」たるキリスト教徒への反発感情が高まる。北方問題解決のため、今度はマルクス、ルキウス両皇帝がゲルマニクス戦役へと出陣。せめては属州民と同じ立場になりたい蛮族の首長たちに対して、「帝国に益なき人々は受け入れない」アントニヌス・ピウス治世最後の年のスタンスが、いわば時代の変化の予兆だった。当時断られた北方の首長、あるいはキリスト教徒。帝国もまた変わっていたのだ。が、皇帝二人の出陣に怖れをなした蛮族、手出しができない。その間、マルクスはドナウの防衛線を視察し、はじめて生の前線を肌身に感じる。一方、首都に戻る予定のルキウス、ローマから100キロの地点で脳溢血、39歳でこの世を去る。二人の皇帝による共同統治の夢は、ルキウスの無協力のまま、成果なく8年で閉幕。ルキウスの未亡人、マルクスの娘・ルチッラの再婚相手、誠実無比なる武人・ポンペイアヌスは、身分違いに苦しんだものの、後にマルクスの軍務経験不足を補う大活躍。あるいは、相談相手として。ところでマルクス、23年の結婚生活で14人の子を成したが、妻・ファウスティーナもまた良妻だった。が、賢母ではなかった。つまり子・コモドゥスの悪評のゆえに。独ぼっちの皇帝マルクス、ドナウを越えたダキアの地での判断ミスで歴戦の強者、クラウディウス・フロントを失う。その隙を突いて、ゲルマン二部族、リメス(防衛線であり安全保障関係そのもの)を270年ぶりに破る。安全と信じたおよそ300年、帝国内は不安に陥る。ここにきて、ハドリアヌス以来半世紀ぶりに、ドナウ河の防衛体制が強化されることに。(了)ローマ人の物語(29)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/01/09
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(27)(28) すべての道はローマに通ず(上)(下)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************この二冊(巻としては一巻)は、筆者が冒頭で何度も断りを記すように、テーマとしては明らかに単体としての扱い。古代ローマにおけるハード、ソフト両面のインフラストラクチャーに特化して記述した巻。ハードなインフラストラクチャーとは、ローマ帝国800年の歴史を文字通り足元から支えたインフラストラクチャー、つまり道路と水道。時の財務官、アッピウス・クラウディウスの、政を執り行う者としての責務として始められた公共事業が、まさか帝政を準備し支え、また100年どころか天下800年の計の礎になろうとは本人も想像だにしなかったことであろう。そもインフラ・ストゥルクトゥーラなる言葉は古代には存在せず。それは「モーレス・ネチェサーリエ」つまり「必要なる大事業」であった。「インフラ=下部」の「ストゥルクトゥーラ=構造」作業、社会資本の充実、後の造語は「人間らしい生活に必要な事業」が本来的な意味だった。全線舗装の街道は紀元前五世紀に、すでにペルシャに存在したが、ネットワーク化までを視野に入れた街道網の発明をした点にローマのオリジナリティがあった。舗装にあたっては、「岩は味方だが水は敵」がモットー。ローマ時代のマイルとは、文字通り「千歩」の意。=1.5キロごとに、マイル塚を設置するなど、旅人にも便利。二千年後のイタリアの国道は、古代ローマの道筋をほぼ流用しアスファルトにした程度。実用性においても、ローマ街道を進む速度を人類が越えたのは、19世紀半ばの鉄道発明と20世紀の自動車普及を俟つというのだから、最速の移動方法は永年ローマ街道の利用だったのだ。ネットワークが劣化していない証左。帝国全域に広がる血管網たる全線舗装の街道は、幹線だけでも375本、全長8万キロ。一方、ローマ人が「街道の弟」と呼ぶところの橋であるが、姉である街道と姉弟仲良く助け合うのが耐久性(フィリミタス)、機能性(ウティリタス)、美観(ヴェヌスタス)を備えた理想。したがって、橋もまた石造り、街道と高さが同じ=水平で街道の延長状、そして舗装、が鉄則。軍団勤務のエンジニア以外には、兵士たちが自ら熟練工夫となったのが、進軍を続けながら治めていくローマ軍団の特徴。インフラを整備し存分に活用しながら進むローマ軍団にとっての兵站=ロジスティクスとは、つまり兵士たちの力が最高に発揮できる環境作りのことであった。軍団の司令官にも、旅人にも地図(イティネラリウム)は情報の集積。当時、「言葉で示した地図(字コンテ)」「図で示した地図(絵コンテ)」の両方が存在。変わり種の旅行用コップ、表面には、宿、馬の交換所や馬車の修理場、飲食施設、それらが存在する都市名とそれらの間の距離が記録。コップ・ナビ、便利そう。なお、絵地図の方でも、筆者曰く“ミシュランの古代版”というべき「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」なるものが存在、実用情報のみならず、「ここはモーゼが十戒を授けられたところ」など史跡情報もあったとか。記号やイラスト風に情報があしらわれていた点もユニーク。440年にわたって水汲みに頼っていたローマ人たちに、水道をもたらしたのもまたアッピウス・クラウディウス。アッピア街道とアッピア水道が同じ財務官によって着手された紀元前312年はまさにインフラ元年。安定的に、清潔な水を豊富に利用できるようになっただけでなく、水害は回避され、湿度がもたらす疫病の類いも遠ざけられた、一石で何羽もの鳥を落とすのが、ローマ式合理主義。帝政時代になってさえも、文化の上ではローマより上を自認していたギリシャ人ですら、ローマ人による街道と上下水道の完備には兜を脱いだ。ヒポクラテスの故郷も、衛生面ではローマに譲った。水道法などが定められたあたりもまた法の民・ローマらしく。紀元6世紀まで現役だった水道は、坑道の抜け道としての利用を恐れたビザンチン帝国の将軍によりレンガとセメントで塞がれ、終焉。怖れや疑念が文明を殺した。ソフトなインフラとは、すなわち医療と教育。衛生管理は水道の賜物、特徴的なのは死の迎え方。人間を死すべきものと捉え、遺灰埋葬、地獄の概念もない古代ローマ人は、死と生は共生していた。紀元4世紀、死生観と医療制度は、キリスト教の勝利により変貌する。他の神々を認めない一神教は、病の快癒を司る神々の祠から人々の足を遠ざけるために、医療費無料の診療所を設けるも、名実共に備わった公立病院は4世紀末を待たねばならない。現代では「公」の担当とされる医療も、「私」の領域と考えたカエサルの時代とはコンセプトが違う。「慈愛」「人権」台頭により、医療は「公」中心へと移行した。教育もまた。子弟の教育は家庭教師、「ムセイオン」と「アカデメイア」の精神=「疑いを抱くこと」からスタートする学問も、教育制度が公営化されるキリスト教時代には、信じること以外が禁じられてゆく。とまれ、古代ローマのインフラストラクチャーは、かように徹底した合理主義に基づく緻密にして遠大なものであったので、古今東西を問わず、インフラストラクチャーの何たるかを一考するにあたっては、この巻のみをつまみ読みしても十分に価値がある。また、『ローマ人の物語』のダイジェストを織り交ぜながらの記述なので、他の巻を読まなくても、筆者が器具も杞憂に終わるほど十分に面白く読めるだろう。ただ、やはりそれまでの巻を読んではじめて、この独立した巻の面白さが“完全”に満喫できるようなニクい仕掛けも皆無でないあたり、長い長い物語に付き合ってきた読者への配慮も忘れない。(了)ローマ人の物語(27)ローマ人の物語(28)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/01/07
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(26) 賢帝の世紀(下)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************旅人皇帝ハドリアヌス、最初の大巡業が帝国の西方視察ならば、二度目は東方への旅。長期巡業を予測して、長年固辞してきた「国家の父」の称号を得ていざ出発。ユーフラテス河付近の小都市で、不意打ちの外交に成功。ただ、一帯の王侯全員を招待。ローマ皇帝の不意の号令のもと、一堂に会する中東の王侯の間で、平和が再確認される。ライン河、ドナウ河、ブリタニア、北アフリカ、黒海から紅海を結ぶユーフラテス河防衛線、すべて視察、再構築完了。このローマ軍団を、ユダヤ人、フラヴィウス・ヨセフスは「敵ながら天晴れ、これだけ訓練され、組織化されたローマ軍相手ゆえに、戦う前に冷静になれ」と『ユダヤ戦記』で説くも、ユダヤ人の間では不評。割礼禁止(ばかりか、犯罪者への刑罰に割礼を施す、という侮蔑まで)にシナゴーグの破壊、とユダヤ民族には寛容でなかったハドリアヌス皇帝へのマグマは、ヨセフス・フラヴィウスの忠告に耳を貸す冷静さを失わせるのか。しばしば、扱いにくい指導者、複雑な性格の持ち主と評されるハドリアヌス、「一貫しないことでは一貫していた」と。ただし、筆者は書く。「自らに忠実に振舞ったことでは一貫していた」。自らに忠実な皇帝は、愛情表現もまた自らに忠実。旅また旅の人生で、妻との間は不仲だったが、愛した美少年はいた。そのアンティノー、ナイル川で溺死。本当か。乙女心のアンティノーなら、ハドリアヌスの愛をつなぎとめておくために自死を選んだのではないか、と筆者。アンティノーの死に、ハドリアヌス悲嘆に溺れる。事故の起きた対岸に「アンティノポリス」なる都を作り、各地でアンティノーの像を大量生産する。そして、皇帝をユダヤのマグマが襲う。ユダヤ反乱。もっとも、洞察力の人・ハドリアヌスのこと、割礼禁止など、無神経にするはずはない。アウグストゥス以来、決して破られることのなかった共生路線を頑なに拒絶し、ローマ帝国からの恩恵と譲歩だけは手にしながら、「普遍」への融和を避けて「特殊」をひた走るユダヤ民族との関係に一石投じるための挑発だったのでは。ユダヤ側は指導者二人、「我こそがユダヤの王であり、救世主である!!」。が、過激に走れば不純へ不寛容になる。指導者の一人バール・コクバには、禁令を受け容れた穏健派のユダヤ教徒が許せない(割礼の代わりが水かぶり、つまり洗礼)。ユダヤ反乱指導者により、洗礼をほどこすキリスト教への弾圧も開始。この衝突が、2000年にわたる敵対意識の源流とさえ。ローマ帝国の網は、64年前と同じく、イェルサレムの陥落でユダヤの反乱に幕を引く。結果として、「種子の散布」を語源とするディアスポラは、ほかでもないユダヤ人たち自身の融和への拒絶にキレたハドリアヌスの手によってもたられたこの皮肉(自主的な離散はディアスポラでなく、強制された離散のみがディアスポラなのである)。そして、このハドリアヌスのユダヤ教徒への態度が、キリスト教の台頭に結果として加担したとする研究者も。イェルサレム陥落後は、ハドリアヌスの余生となる。ローマ帰国。加齢と病、それに一種の燃え尽き症候群からくる自制心の緩みから、元来自己中心的だったハドリアヌスの頑迷さや複雑さに拍車。二度と殺さぬと誓ったハドリアヌス、陰謀の咎で義兄とその孫を処刑。なにせ後継者は皇帝の頭にはもうあったのだ。アエリウス・カエサル。美男、優雅、洗練。しかし健康にはすぐれなかった。文句なしの後継者にしたいハドリアヌス、アエリウス・カエサルに無理を強いて、結局アエリウス・カエサル、後継者指名を受けての皇帝への感謝の演説の直前に吐血して死去。その廟は、いまでは「カステル・ザンタンジェロ」。ハドリアヌス、次のカードは、後のマルクス・アウレリウス。当時はマルクス・アンニウス・ヴェルス、哲学好きな「真実大好きっ子アンニウス」、16歳。まだ若い。つなぎが必要と判断した皇帝、旅の留守を任せた元老院議員のアントニヌスを、ヴェルスをその養子にすることを条件に養子に迎え、後継者とする。仕事をすべて終えたハドリアヌス死去、21年の治世、享年62歳。アントニヌス、皇帝即位。人々は彼の時代を幸福な時代と呼ぶ。ハドリアヌスに好意を持たぬ元老院、死後の神格化に反対するも、このアントニヌスの涙ながらの嘆願により、カリグラやネロの轍を回避。人はこの新皇帝をアントニヌス・“慈悲深き”=ピウスと呼ぶ。ニュースなき時代を治めるもまた賢帝の力量なれば、慈悲と質素倹約、黒字国庫でもリストラを恐れず、先帝が整備した帝国の平和を維持することに徹する。美男、長身、一級の教養人。虚栄心なく、晴れやかで穏やかな。広く意見を求め、周囲の意見によく耳を傾けた人格者。天災以外には恵まれた治世。アントニヌス・ピウスのヴィルトゥとは「徳」だったのだ。息子マルクス・アウレリウスは『自省録』に書く。「父は“汗まで管理する”熟慮に基づく人。老いて健康と持続力が衰えれば、穏健さと落ち着きでそれを補う術を知っていた清廉で不屈の精神の持ち主」。父親冥利。23年の治世、75歳で慈悲の皇帝も静かに逝く。最期に「葬式は派手にしないように」と言い遺して。駆けつけたのは養子である皇位継承者二人。40歳のマルクス・アウレリウス29歳のルキウス・ヴェルス。帝国の民は、理想的な「国家の父」の死を惜しんだ。この尊称を一種の名誉と捉えた皇帝たちは、一様に「国家の父」と呼ばれることにデリケートになったが、即位後すぐに尊称を受けたアントニヌス・ピウスは、文字通り「国家の父」であろうと心底から疑いなく思っていたからこそ、神経質にならなかったのだ、と。(了)ローマ人の物語(26)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/01/07
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(25) 賢帝の世紀(中)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************野心と旅の皇帝ハドリアヌスの治世。トライアヌスとは対照的に、この人はポジションからして、皇位は十分な射程距離。あとは準備万端整えるのみ。幼き日より、同郷(つまり、ハドリアヌスも属州出身)のトライアヌス、さらにはトライアヌスの近衛軍団長官のアティアヌスの両名を後見人(代父)に持ったのだから、スタートからいい位置にいたワケで。順調に「名誉あるコース」でキャリアを重ねるが、辛酸も舐める。ギリシャ贔屓で狩が好きな、ちょっと危うさも持つハドリアヌスはだが、苦境にも輝きを失わぬ男。皇帝であり父同然である皇后プロティナにも愛される。なお、年上の女性に愛される条件。「美」、年齢に関係ないフレッシュさ、頭脳の明晰さ、センシティヴであること、とてつもなく大きな野心、以上五点とは筆者の弁。よき皇帝でありよき夫でもあったトライアヌスの妻へのハドリアヌスの愛は、プラトニックゆえに長く生き続けた。37歳から41歳までが、いわば陽の当たらぬ雌伏の時期。心中や如何に。そして、トライアヌスの病。後継者をハドリアヌスに指名して逝く。本当に、そこに指名があったのか疑惑はあった。トライアヌスの最期を看取った唯一の第三者である侍医が数日後に原因不明の死を迎えたから。そこにプロティナの強権があったのか。先帝の死後二日経って、ハドリアヌス即位。肌合いの違いに一歩後継者指名に踏み出せなかったトライアヌス、まさに「イン・エクストレミス(in extremis)」つまり、ギリギリでの決断。ハドリアヌスの治世は、問題山積の中でスタート。ユダヤ問題、ブリタニアでの原住民の反乱、北アフリカはマウリタニア問題、ドナウ北岸のサルマティア族の再起。ドナウ前線滞在中、先帝の重臣四人による陰謀ありとの報に接す。トライアヌス時代とは一変したハドリアヌスのパクス・ロマーナに反発が予想されないはずはなく、ハドリアヌスもすぐに動いた。が、もっと早く動いた、代父の一人、アティアヌス。近衛軍団は、この四人を裁判無しで殺害。もちろんヒステリックに反応したのが元老院。またも国家反逆罪を掲げた恐怖政治の到来か、と。作家マルグリット・ユルナス(仏)『ハドリアヌス帝の回想』における、ハドリアヌスと老長官のやりとりは筆者も絶賛。治世のスタートから元老院に睨まれ、後世に悪名を残す所業を指示したと咎められるような勇み足をよくも…。アティアヌス、長官解任。親子の如き両者の間にどのような思いが交錯したのか。善政への熱意と実践で、こわばった元老院もローマ市民も気分を変え始める。ハドリアヌスの治世のスローガンは、「寛容」、「融和」、「公正」、「平和」。そして、旅が始まる。視察と帝国の整備のためだけにこれだけの大旅行をしたのはハドリアヌスを措いてほかになく、その範囲であれば転戦しながら移動したユリウス・カエサルのみが唯一匹敵した。21年間の治世で、本国にいたのはわずか三回、合計7年。13年間を旅に費やす。「疲れ知らずの働き者」の面目躍如。ライン河視察では「リメス・ゲルマニクス」の補強。防衛の質の刷新ならば、ローマ軍主戦力である軍団兵の入隊・資格マニュアルを作成、以後旅の先々でこれを自ら普及しローマ軍の水準の統一を図る。ブリタニアでは、名高き「ハドリアヌスの防壁」を建設、ブリタニアでの安全保障を約す。といっても、着工するや皇帝は旅の途上、結局、存命中にハドリアヌスはこの防壁の完成を目にすることはなかった。故郷スペイン滞在中では、一人で散策中だったハドリアヌスが狂人に襲撃される事件も。47歳の皇帝、自ら襲撃者を取り押さえるも、狂人は罪に問わず。翌年には、少年時代からの憧れの土地、ギリシャ入り。なんせハドリアヌス、ネロのちょろ髭を除けば、ローマ史上初めて、ギリシャ風に豊かなあごひげをたくわえた皇帝。運命の人、ビティニア生まれの美少年・アンティノーをそばに置いてのギリシャ行にさぞご満悦。アテネ人の傲慢さゆえに衰退したアテネに胸痛め、ここではアテネ再興事業着手。この皇帝、旅先で「私、いまここにいて、こんな仕事しました」的メッセージを刻印した貨幣を都度鋳造して帝国の民にアピールした人。「我らが皇帝は、アテネにて彼の地の再興を成し遂げたのか!!」と硬貨を手にした人々が思いを馳せる頃には、ハドリアヌスは北アフリカにいたりして。この後、首都に戻った旅人皇帝、一年半はジッとしていた。「ローマ法大全」の大事業にいそしむ。ユスティニアヌスに先駆けること400年、法の民・ローマ人の法律観のルーツとなる。放縦を嫌ったハドリアヌスの数ある偉業の中でもキラリと光る「ローマ法大全」、セクハラ禁止も盛り込まれていた。なお、以後公衆浴場でのローマ式湯浴み=男女混浴は、永久に姿を消す。芸術愛好家でもあったハドリアヌス、古代ローマ時代のままで現代に遺る唯一の建造物、パンテオンの事実上の前面リニューアル。建築と音楽が似るように、法と建築もまた。(了)ローマ人の物語(25)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/01/05
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清新な日本晴れで迎えた2009年、皆様明けましておめでとうございます。例年になく、すっかり“食い正月”になっておりますが、まぁ、こうして和やかに、穏やかに、自若として新春を迎えられるということは、「普通の美」があり、誠にめでたいことです。 昨年末もまた、錦卵やきんとんの裏漉しやら、掃除という名の模様替え(掃除よりも模様替えがすきなのです…)をしながら、「変えなくてもよいこと、変えたくないことが変わらないこと」のありがたさを深く、よく味わいながら、新年を迎えました。 今年は、従兄弟らが海外の実家でお正月を迎えたり、時節柄忙しかったり、ということで参加がかなわず、最小単位の家族(とはいえ、少しずつ成員は増えているのですが)でのお正月となりましたが、今月90歳になる祖父を筆頭に、屠蘇をいただき、お節をつまみながら、家族の2008年をニュースで振り返りつつ、2009年の健康を祝し合いながら百人一首に我を忘れたりなぞしていました(笑)。 さて今年のテーマ。「柔軟性ある持続力」。ん?矛盾にしてる???いえいえ、これは私の初心であり持ち味。つまり原点回帰です。初心に返って、目の前のことに誠実に向き合いながら、昨年のテーマである「自分にとって最優先で大切にすべきものを守る」をさらに次のステップへと磨き上げていきたいと心新たにしたのであります。 2009年も、どうぞよろしくお付き合い下さい。(了)▲写真は今年のお節作りの手伝いの成果の一部です。写真手前の方だけですが(笑)。■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/01/02
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