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見出し:アーサー王伝説を解く、“アヴァロンへの渡し舟”。 デイヴィッド・デイ著、山本史郎訳『図説 アーサー王伝説物語』(原書房) 二世紀・ローマのアルトゥリウスという一指揮官が、王となり、キリスト教国の三偉人の一人となり、やがてイギリス王室の正当性の根拠とされ、何より、無限の世界観を持つ伝説中の人へと、いかにして変容して行ったかを解き明かすのが本書である。本書の原題を直訳すると、まさにアーサー王伝説への探求(いざない)ということになり、この壮大な伝説への手引書・入門書となっている。 しかし実際には、軽く表現すれば“イコール、ネタ本”でもあるから、イマジネーションの世界に漂っていたい読者は、逆に入門書としてではなく、一通り幻想世界を堪能した後に手に取った方が、順序としては適切かもしれない。 それほどまでに、細かく丁寧に、伝説と伝説その人、および彼を取り巻く多彩な登場人物の生成の過程を、歴史や伝説から辿っている。 本書の構成は、物語を形成するテーマを複数選び出し、それらの記述を柱に全体を作り上げる形となっており、テーマの選定、それらのボリュームおよび配置も、よく練られかつ手際よくまとめられている。そして図説というタイトルどおり、ヴィジュアル・イメージがふんだんに使用され、絢爛で、どこかファンタジックな彩りを本書に与えている。 ただ一点だけ、一指揮官が、さまざまな民話や伝説を吸収しつつ西洋世界のファンタジーの理想的人物、アーキタイプへと育ちながら(=脚色されながら)拡散―拡大してきたのとは逆に、著者は、この物語のエッセンスを限られたエレメントへと集約していこうというベクトルで本書を牽引していく。シンプリファイすることで、物語のルーツへと正確に回帰していこうという試みに違いないのだが、もしこの物語を事実からではなく、やはりファンタジーの世界から眺めていたいという向きにとって、このアーサー王伝説を芳醇なものとしているのは、王と王を囲む円卓の騎士たちの存在である。英雄たちの群像。それが物語の精髄であるという点で、これをピカレスクへと転換した場合に於ける『水滸伝』のそれと同じ感覚があるのではないだろうか。 出番が多い人物も、少ない人物も、それぞれにかけがえのない役割が公平にあり、それがまるで糸のように織られて巨大なタピストリーを作り上げる。本書には、あまりに英雄が不在なのだ。その点、不足や喰い足りなさが残るのが実に惜しい。絞り込まれ、選び残されたテーマである人物たち、特にマーリンについての考察は濃い。(了)図説アーサー王伝説物語■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/30
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久しぶりに『トロイ』と『キング・アーサー』をDVDで観ました。どちらも劇場で観た映画(過去記事にリアルタイムの鑑賞日記があります)ですが、改めて観直すと、それぞれ見せ場やテーマが個性的で、迫力があって面白かったです。 そもそも、最近「自分は一体何に仕えているのか?」というのがもっぱら思索のテーマでして、そんなことを日がなボンヤリ考えながら過ごしているわけですが、そういう文脈の中で、「戦士たちは、何のために戦ったのか=何に仕えていたのか」が分かる映画でも観ると、端的にヒントになるかなと思ってライブラリーから引っ張り出してきたのです。 結局、それは国家であったり、愛や理想、哲学であったり、彼らが戦った理由=命を賭けて仕えたもの、というのは様々なワケですが、個人的には『トロイ』の中のヘクトル(エリック・バナ)のキャラクター性が、今の自分にはしっくり来ました。 両作品には、さまざまな“守るべきもの”や“仕えるべきテーマ”を持った登場人物が出てきますけれど、どれも抽象的に過ぎたり、逆に即物的だったりする中で、唯一ヘクトルだけがバランス感覚のある現実的目標の中で戦っていたような気が、今の自分にはしました。 といって、結局ヘクトルの人物像から、「自分は一体何に仕えているのか」という自問の答えが引き出せたわけではないので、もう少しボンヤリを続けようと思っています。(了)ブラッド・ピット/『トロイ』ディレクターズ・カット版クライヴ・オーウェン/『キング・アーサー』ディレクターズ・カット版■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/29
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『崖の上のポニョ』の歌、気になりますねぇ。気になって気になって仕方がない。しかも、公開前から藤岡藤巻と大橋のぞみ、PRでテレビにもスポットで出演されていまして。あ、振り付けもあるんだ、と。 実はジブリ作品、あんまり縁がないんですよ。まともに見たのはトトロくらいで。別になにか主義主張があって、とか、アニメが苦手、とかそういう原因があるわけでなく、ただただなんとなく縁がない。でも、なぜかトトロを一人で部屋で見て号泣したという(笑)。 そんな、心の中の子供時代みたいなトコを刺激するのかなぁ、ポニョ。で、もうぽ~にょぽにょぽにょ、が耳に付いて離れないので、思い切ってCD買いました(どんな思い切りだ)。「これで、いつでも聴ける」、と思えば少しは頭から離れるかな、と思いまして。でも、結局iPodにまで入れて聴いてしまうという…。恐るべし、ポニョ。 ところで、男声のパートを入れたのは、お風呂でお父さんと子供が一緒に歌っているような&歌えるような、そんな曲をイメージしたからだそうで、なるほど、バスルームで歌ったら、絶妙なエコーがかかって、ほっこりいい気持ちになりそうです。(了)ステッカー付■藤原藤巻と大橋のぞみ/CD『崖の上のポニョ』■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/28
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不覚を取りました。ちょっと目を放した隙に、PCのキーボードの上に水が。なんか、室外機の調子が悪いのか、エアコンから水が滴ってきていまして。 何も知らずにキーボードに向かう私。浸水してました(涙)。キー押すと、ヘンな反応するのは理解できるとして、水が撥ねる。これが理解でいない!! その後、分解→乾燥を試みるも、一部機能は回復せず、あえなくキーボード購入。Macユーザーの私、最新型の純正キーボードのタッチはイマイチ好きになれず、サードパーティ製品を買うも、もともと選択肢の幅が狭いMacサプライ品、見事にキー周りが使いづらく、重ねて涙です。 まぁ、何が気に入らないといって、とにかくパスワード認証設定にしていますから、キーボードが打てないとログインできない。自分のパソコンなのに。マウスは動くのに。カーソルは動かせるのに!! ということで、しばらく更新が滞っていますが、書評2本に、DVD鑑賞3本、おいおいアップしていきます。 よく考えれば、この暑さの中、水が垂れてくるようじゃエアコンも使えない…ってことですよね。エコ…なのかな。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/24
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なんか、この手の記事書くの久しぶりだなぁ。さて、何かと無機質になりがちなキッチン。というよりも、ついつい清潔感を意識しすぎて、メタリックやホワイト系で統一しがちなんです、私。そこへ来て、ジャスミン茶を沸かす頻度高まるこの季節、長年使ったステンレスのケトルではちょっと寂しい。 そろそろ買い替え時だとは思っていましたが、探してみると、なかなかイメージに合ったものがなかったり。帯に長かったり、タスキに短かったり、と。 ようやくいくつかの候補から選んだのが、OXO(オクソー)のアップリフトケトル。ホーロー製なので、熱伝導&保温性も良いし、何よりカラー豊富なのがイイです。思い切って買いましたよ、オレンジ。いやぁ、キッチンがポップになった(笑)。 個人的には、笛を吹く(!)のがまたイイですね。ま、笛が鳴ったときにはもう吹き零れ寸前なんですけど、鳴らないのと鳴るのだったら、そりゃ鳴る方が楽しい。 特徴的なハンドルも握りやすいし、アップリフトだけに、ちょっとハンドルを持ち上げると注ぎ口がオープン。おおっ。 ハンドルが握りやすい代わりに大きめで、水を入れづらいのが難点だけど、キッチンが明るくなるOXOのケトルで、今日もせっせとお茶沸かしてます。(了)【送料無料】OXOアップリフトケトル(オクソー)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/15
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先日、畏友でありピアニストの下森佳津美氏からリサイタルの案内が届きました。畏友、なんて生意気なこと言ってますが、ひょんなきっかけからご縁をいただいて、以来もう10年近くなるのかな、とにかくお付き合いをいただいているのですが、“クラシック音痴”の私に、オススメなどを教えていただいたり、演奏会に足を運んだり、そんな間柄です。 その下森氏が、ソロ・アルバム発売に合わせて、ピアノ・リサイタルを開きます。う~ん、ちょうど残暑の厳しい時期。涼を誘う調べに、残暑を吹き飛ばしてもらうかと、今から楽しみにしているのであります。(了)■下森佳津美 ピアノリサイタル日時:2008年8月29日(金) 開演:19:00(18:30開場)場所:ティアラこうとう小ホールアクセス:都営新宿線、東京メトロ半蔵門線「住吉駅」A4出口徒歩4分チケット:3000円(全席自由) 6月20日前売開始お問い合わせ:アーテム 03-5283-3209演目:樅の木 エディット・ピアフへのオマージュ パガニーニの主題による狂詩曲より第18変奏 ほか■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/15
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個人的には、iPhoneよりコッチの方が驚いた。街中を行けば、なんとなく今『花の慶次』が熱いのは知っていましたが。よもやこんなモノが出るなんて。 少年ジャンプ『北斗の拳』以降、原哲夫作品にいまいち『北斗』ほどのパンチが見られなかったあの頃。そりゃそうだ、あんなすごい作品描いちゃったんだから、もうそれ以上の作品がなくても責められないでしょ…と思っていた矢先、新し物好きの弟が「これ面白いよ」と薦めてくれたのが『花の慶次~雲のかなたに』。弟はすっかりハマってしまって、滅多にないことですが、原作(もちろん隆慶一郎先生『一夢庵風流記』です)まで速攻で読んでましたから。ストーリーも面白かったですけど、私は、あの超絶美麗&細かい鎧兜や甲冑の描き込みに、ふたたび神技に触れた思いでした。 そんな『花の慶次』ですが、すでにたくさんの関連商品が出まくっている『北斗の拳』とは違って、これまでそのようなものはまったくなかったはず。なので、今更のように慶次のフィギュアが出る、っていうんでもうただただ驚くばかり。遅咲きでしたね…。忘れた頃の一騎駆け。花は花でも狂い咲き…でしょうか。(了)アオシマ ハイスタンダード・スタチュー 花の慶次 慶次と松風【9月予約】『花の慶次』主題歌 「傾奇者恋歌」角田信朗▲これがまた濃いんだ。前にも記事書きましたけど。■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/11
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iPodTouchに続いてiPhone。まさか本気で日本上陸するとは…。とにかくニュースは、いち早くiPhoneを手に入れるための行列の話。まるでアメリカみたいです。ひと昔前の日本だったらあり得ない光景。それに、行列ものでこんなにニュースになるのって、Windows95か、Xbox、いや、かつてのスーパーファミコンやドラクエの熱狂を彷彿とさせますが、まぁ、iPhoneは殆どが大人だからなぁ、並んでるの。潜行していた所謂デジモノ好きが、意外に多かった、ということでしょうか。 でも私、少なくとも日本においてはiPhoneへの熱狂というのは、物珍しさ以外の点では、ちょっとナンセンスかな、なんて思っています。携帯電話が伸びて、iPodが出て、音楽コンテンツのデジタル配信が本格化して、これまでは「ケータイ→音楽ケータイ=携帯電話の音楽再生端末化」へ、という流れが出来ました。のみならず携帯電話は、様々な生活支援ツールや機能を盛り込まれ、「家電化」したわけですが、iPhoneの登場というのは、話題性やエンタテイメント性を除くと、「音楽再生端末→音楽ケータイ」へ、という流れで、結局「ケータイ→音楽ケータイ」への流れの逆を行っただけなのではないか、と。 これが双方向の流れを作ったことで、端末それぞれのメリットも相殺され、棲み分けもなくなりました。あとに残るのは、機能や端末そのものがもつ意味(記号的意味も含めて)による使い分けではなく、単に同じような特徴を持つ端末のどれを選ぶか、という話。 携帯電話各社のサービスが、激しい価格競争や顧客の抱え込みの結果、相互にほとんど差異がなくなり、契約年数でしか顧客を繋ぎ止めることが出来なくなったしまった昨今、携帯電話を魅力的にしていた市場特性というものは頭打ちになってしまったと思います。「これからはもう、電話会社やメーカーで選ぶ時代ではない。端末で選ぶ時代だ」と言われるようになってしまった携帯電話の世界。これに拍車をかけるだけのiPhone。ますますユーザー目線に立ったサービス競争というものが上滑りしていくのではないか、という気がしてなりません。 ただ一方では、iPhoneは、相変わらずメインキャリアにはなり得ない、というのが正直な感想で、やはり日本における携帯電話の生活との密着度、というのは世界的に見ても非常に稀かつ特殊なケースなので、果たしてマンネリズムにまで到達してしまった(=相当に極められてしまった)市場で、通信機器市場の一角を、本質的な意味で担うことができるのか、これはちょっと怪しそうなのです。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/11
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見出し:ダーク王子、登場。ローズマリ・サトクリフ著、山本史郎訳『アーサー王最後の戦い―サトクリフ・オリジナル〈3〉』(原書房) 三巻シリーズものも、二巻まで読んだら最後まで読まずにはいられないからか。それとも、やはり作品の魅力のゆえか。ローズマリ・サトクリフによるアーサー王物語シリーズ最終巻を読み終えた。 今回は、まさに宴の終焉、栄華の衰退、おとぎ話、そして夢のような時代の閉幕を綴った、文字通りサー・トマス・マロリー『アーサー王の死』をなぞるような内容である。 アーサー王若かりし日に、その栄光と輝かしい円卓の騎士たちの集結の約束とともに、やがてアーサー王その人の罪科のゆえに、そのすべてを失うと予言したマーリン。いわば、その残酷な予言の成就をこの物語で追っていくことになる。 そして、その悪夢の牽引者として、ダークナイト、モルドレッドが登場する。モルドレッドこそ、黒い妖術にかけられてしまったアーサーその人の実姉モルゴースとの不義の子である。 悲しいかな、いや、むしろ悲しい運命の子であるがゆえに、このモルドレッドの描写が美しいのが、サトクリフ版の特徴である。本当に、怜悧で徹底した邪悪さはかくも美しいのだと感じ入った。それは、ミルトンにおけるルシファーの描写に近い感覚がある。 対して、栄光はすっかり過去のものとなった騎士たちや、偉大なるアーサー王は、この“皆既日食の遣い”と較べて、あまりに弱く、惨めで見苦しい。成功体験にしがみついて離れられないアーサー王その人が、招くべくして招いた破局に、ロマンティックな憐憫は抱いても同情は出来ない。私をしてそこまで思わせるほどに、それほどしつこい描写や登場があるわけでもないにかかわらず、モルドレッドの、無垢な残虐さが際立ってしまうから、著者のストーリーテリングの素晴らしさには脱帽である。 この比較が妥当かは別として、しかし、やはりアーサー王が戦った“最後の戦い”そのものいついては、やはりマロリー版の迫力、リアリズムには到底及ばず、むしろあっさりと編集されてしまったような感がある(サトクリフ版の素晴らしさは、ポエティックな描写やテンポのいい映像を見せられるようなドラマティックな展開の作り方とは別に、まさに、壮大な物語のカット&ペースト、つまり編集の巧みさにも魅力があるのだが)。 あえて言うならば、サトクリフ版は、アーサー王の葛藤、“内面における最後の戦い”に重きを置いたような形ではないだろうか。 これは悲話なのだ。地上の名誉を一身に浴びた者が、やがて絶えて滅する話なのだ。そうは分かっていても、円卓の騎士たちの目線に立って考えると、こんなに口惜しい物語もあるまい。おねだり女王と裸の王様。傾国、と言えば聞こえはいいのだろうか?吟遊詩人のように、それを激しい純愛と素直に耳を傾けるべきなのだろうか?いずれにせよ、グィネヴィアのしたたかさやあつかましさは、モルゴースらの妖姫ぶりとさして変わらない。最高の騎士にしてはガードの甘い(!)ランスロット卿が、巻き込まれたようで、逆に憐れに思えてしまった。 そう、訳者も同じことをあとがきに書いているが、サトクリフ版のアーサー王物語で読者が追いかけ、その人間的な弱さに共感したり、華やかさに嘆息したり、成長したり懺悔したりする。その対象は、アーサー王ではなくむしろ、世に最高の騎士と呼ばれた男「湖のランスロット卿」その人なのかもしれない。 騎士道精神とキリスト者としての信仰、そして等身大の男性、というそれぞれの立場と、それが作り出すパーソナリティに挟まれ、あるいは三つ巴の葛藤を、時に剛毅に、時に感傷的に立ち向かうランスロット卿の目を通じて、我々はこの類稀なる王と騎士たち、そして時代を眺めていることに気付かされるのである。(了)アーサー王最後の戦い■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/09
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ところで、肝心のインディことハリソン・フォードはどうなのよ?ケイト・ブランシェット@イリーナ・スパルコはどうなのよ? ハリソン・フォードから言えば、まず、年取りましたねぇ。ヒーローの老い、というものをシーケンスの一つとして盛り込んであるとは言え、19年前とは体の線が違い過ぎます。もともとマッチョな俳優じゃないし、アクションのみをウリにしてもいませんでしたが、でもあ の弾けるバネのようなイメージがなく…。だから考古学者という設定は素晴らしいですね。知識でカバーしちゃうから。元兵士とかボクサー、というと、もうこれはカバーできないので、別の意味で感動を呼ぶしかない(それはそれで、私は好きですけど)。経験と知恵で肉体の衰えをカバーし、派手なところはマットにお任せ。でもちゃかり、おいしい見せ場ではムチの一振り。やっぱりヒーローはいつまでもヒーローです。 ケイト・ブランシェット演じるサイキックな敵役、イリーナ。これはですね、飽くまでハリソン・フォードの映画なんです。ドゥルー・ストゥルーザンのポスターに、インディのアップがあって、後は聞いたこともない俳優がポロポロと周辺に描かれていても、観に行かない人はいない。そういう映画。いわば看板俳優がいて、看板キャラがいて、それだけで十分成立している映画。 これまでインディ・シリーズでは、敵役にせよ何にせよ、後にも先にも、製作陣のこだわり(および願望)の結晶として引っ張り出された大物俳優はショーン・コネリーだけです。それも、インディの父という、主人公のキャラクターの造形に関して相当に重要でデリケートな役を演じました。 ショーン・コネリーを除いて、インディを取り巻く人物は、どちらかというと演技派、技巧派、などの名バイプレイヤー(実際、どなたもスゴい名優さんなんですが)で、お茶の間の認知度の低い人が演じる“いかがわしさ”が、物語に意外性やトリッキーなインパクトを与えて来たように思うのです。 しかし、ケイト。いくらシリーズの締めくくりとは言え、こんな大物、持って来ますかね?インディ映画に、ハリウッド大作で主役を張れる俳優さん二人はいらないでしょう(何気にシャイアだって売れっ子なんだし)???スパルコ、「ケイトですが、何か?」的なキャラクターなんだ、これがまた。 ということで、米ソの対決は、ハリソンVSケイト、になってしまうワケで、やっぱりインディ・ジョーンズシリーズに、二人の大物はかえって野暮かも…。なんて思ったり。 でも、ウクライナ訛り(でしたっけ)の英語、巧みなサーベルさばき、超常現象(というか、未知なる威力)に目がないちょっとアブないキャラクターを、キビキビと、飄々と、楽しんで演じている感じでした(冒頭、米軍の倉庫で謎のミイラをナイフでこじ開ける姿が、鮭のホイル焼きを食べようとしているように見えて笑ってしまった…)。 インディ・ジョーンズシリーズには、特別な思い入れのあるファンも多いことでしょう。私にとっては、『スター・ウォーズ』が哲学的な、あるいは伝説的なインスピレーションを適度に与えてくれる映画の代表の一つだとすれば、『インディ・ジョーンズ』は、何も考えず、スコーンと楽しめる冒険娯楽映画のお手本的代表です。 古代の遺跡から飛び立つ“何か”を見上げるインディ自身と同じように、去り行く眩い閃光に手をかざしながら静かに、ここに一つのピリオドを迎えたことへ、深い感慨とともに、手を振る。そんな心境でした。(了)【Aポイント+メール便送料無料】ジョン・ウィリアムズ Soundtrack / インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国 オリジナル・サウンドトラック (日本盤CD) ARTFXシアター インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 簡易組立キット [コトブキヤ]【09月予約】 25%OFF!【予約】【20%OFF】【送料無料】インディ・ジョーンズARTFXシアター レイダース失われたア-ク《聖櫃》/コトブキヤ追)予告編で流れたバットマン最新作、『ダークナイト』。ダーク過ぎて、今から楽しみです。ヒース・レジャーのジョーカー、かなり怖いです…。インディ・ジョーンズ PansonWorks インディ・ジョーンズ 完成品 コトブキヤ版《予約商品06月発売》 インディ・ジョーンズ PansonWorks ヘンリー・ジョーンズ 完成品 コトブキヤ版《予約商品06月発売》 レイダース 失われたアーク インディ・ジョーンズ 簡易組立キット コトブキヤ版【05月予約】 25%OFF! インディ・ジョーンズ 最後の聖戦 ヘンリー・ジョーンズ 簡易組立キット コトブキヤ版【05月予約】 25%OFF!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/08
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アップが遅れましたが、観てきましたよ、『インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国』。開演前から劇場に流れるあのマーチbyジョン・ウィリアムズ。やっぱりあの音楽にやられますね。否が上にも盛り上がる。スピルバーグが、あのマーチを「インディ・ジョーンズの魂」と呼ぶだけのことはあります。『スーパーマン』『スター・ウォーズ』といったジョン・ウィリアムズによる作品もそうですし、“ジェームス・ボンド”シリーズにしても、“ミッション・インポッシブル”シリーズにしても、印象深くて、映画のの世界観を多言していて、かつエバーグリーンなテーマ曲って、すごいなぁ。イントロだけで、その映画に入り込めますもんね。 インディ映画冒頭お約束のパラマウントのシンボルマーク、今回はどうなるかと思ったら、そうですか。フランク・マーシャル、今回はロケハンしなかったのかなぁ。というか、セルフパロディでしょうか。とまぁ、のっけからセルフパロディ(風オマージュ、と呼ぶべきか)というシーンが暗示するように、19年ぶりのインディ・ジョーンズ最新作は、過去三作およびそれらへの出演者、そしてファンたちへのサービス精神溢れるアイディアのオンパレード。 お約束のカーチェイス、不利な自然環境でのアクション、所謂バグ(今回は、人肉喰らう軍隊アリ!!)、逆転に次ぐ逆転…。人間模様も賑やかです。 いやぁ、カレン・アレン@マリオンの登場は嬉しかったですね。過去三作に登場したヒロインでは、個人的には一番好きなキャラクターでしたし、こんな形、こんな重大な役回りで再登場、というのは嬉しかったです。よくよく振り返ってみても、インディシリーズにおける女性キャラクターの役割というのは、非常にアナクロなところがあって、ボンドガールの域を出なかったんですね。ですが、なぜか一番古い作品で登場したマリオンは、その後の二作におけるケイト・キャプショー@ウィリー・スコット、アリソン・ドゥーディ@エルザ・シュナイダーとはちょっと違っていました。そう考えれば、最新作でカレン・アレンが再起用されることには必然性があるような気もします。 いまさらネタバレってこともないでしょうけど、シャイア・ラブーフ演じる謎(笑)の青年・マット、正面はそうでもないですけど、横顔がハリソン・フォードに似てるんですよね。あとは、ちょっと引きつったような、ニヒルな表情とか。ま、それくらいにしておきましょうか。 いろんな方々も再登場。インディ教授の机上には、故マーカス・ブロディ(名優デンホルム・エリオット!!この方が生きてたら、銅像シーンはハナ肇氏の銅像コントみたいになってたのかな…)、そして亡父ヘンリー。って、ヘンリーの写真ですけど、これどう見てもヘンリー・ジョーンズ博士、というよりショーン・コネリーの決め決めスチール写真じゃないですか!!こんなポーズ&スマイル&アングル要求する大学教授はあんまりいないはずだ…。 それにしても、今回の“お宝”(マクガフィンってヤツです)、賛否両論だろうなぁ。未知との遭遇?E.T.?っていうか、U.T.だ、カップ麺の(笑)。 ただ、確かに宇宙戦争構想は、第二次世界大戦中および後には、かなり現実的に米ソ両国によって議論されてきた話だし、いわゆるサイキック兵器や超常現象を利用した兵器、超人兵士、といったようなことがきわめてマジメに研究されていたりするわけで、そうした時代背景、時代考証を考えると、まぁ許されるのかな、とも思います。それに、インディ・ジョーンズという映画自体、その着想やコンセプトは、パルプマガジンやパルプヒーローのテイストだったワケで、厳密に見て行けば、我らがインディアナ・ジョーンズがウィル・スミスとは違うものを相手にしていることが分かるはずです(苦しい、といえば苦しいんですけど)。あえて狙ったB路線でもA級作品として成立するのは立脚点の違いでしょうか。(つづく)【Aポイント+メール便送料無料】ジョン・ウィリアムズ Soundtrack / インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国 オリジナル・サウンドトラック (日本盤CD) ARTFXシアター インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 簡易組立キット [コトブキヤ]【09月予約】 25%OFF!【予約】【20%OFF】【送料無料】インディ・ジョーンズARTFXシアター レイダース失われたア-ク《聖櫃》/コトブキヤインディ・ジョーンズ PansonWorks インディ・ジョーンズ 完成品 コトブキヤ版《予約商品06月発売》 インディ・ジョーンズ PansonWorks ヘンリー・ジョーンズ 完成品 コトブキヤ版《予約商品06月発売》 レイダース 失われたアーク インディ・ジョーンズ 簡易組立キット コトブキヤ版【05月予約】 25%OFF! インディ・ジョーンズ 最後の聖戦 ヘンリー・ジョーンズ 簡易組立キット コトブキヤ版【05月予約】 25%OFF! ■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/06
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見出し:選ばれし騎士よ、その手で聖杯を返却せよ。ローズマリ・サトクリフ著、山本史郎訳『アーサー王と聖杯の物語―サトクリフ・オリジナル〈2〉』(原書房) ものごとにはすべて器、というものがある。その器が据わるにふさわしい場所がある。そして、器にはふさわしい中身がある。 器は、それに釣り合わぬ中身を拒絶するし、似つかわしくない場所ではその役割を果たそうとしない。 聖杯という特別な器と、それにふさわしい中身であるガラハッド卿(それに、パーシヴァル卿とボールス卿)が、これを然るべき“場(物理的にも、象徴的にも)”へと返却する冒険、それが数あるアーサー王伝説の中でも、ブライトサイドとしてのピークであり、栄華の終焉への折り返し地点となっている、この聖杯探求のエピソードである。 アーサー王の物語は、確かにキリスト教における神の騎士たちの物語として語られてはいるが、この聖杯探求ほど信仰を意識した物語はほかにはない。もし、アーサー王が、キリスト教国の偉大な王の一人であるならば、聖杯探求の冒険に、愛する騎士たちを駆り立てたというのは当然の成り行きであり、また逆に言えば、この聖杯探求の物語から遡って、キリスト教国の偉大なる王・アーサーという像が後の世において造形されていったと言えるかも知れない。 というのも、ここで探求される聖杯とは、聖書にいう最後の晩餐の際にイエス・キリストが使徒たちと血であるワインを分かち合った杯であり、またイエスが磔刑によって全人類の罪を背負って贖った際、ロンギヌスの槍によって突かれたわき腹より流れ出た血を、アリマテヤのヨセフが受けた杯といわれている。このアリマテヤのヨセフが、聖遺物である聖杯をブリテン島(アヴァロン)に持って迫害から落ち延びた…というもので、聖杯を求める後世の冒険の数々についてはここで触れるまでもないものと思う。 訳者も指摘しているように、確かに17世紀イギリスの作家ジョン・バニヤン『天路歴程』にあるキリスト者としての信仰を試す試練との遭遇の物語を底に敷いてはいるが、ローズマリ・サトクリフによる聖杯探求の物語は、さらに、ケルト神話や伝説の母型である“探求の物語”のテイストを多分に盛り込んでいる。つまり、信仰を通じて神を知る探求だけではなく、一種の“儀式的な自分探し”(つまり、前者の神に対して後者はパーソナルな世界だ)を組み合わせることで、アーサー王伝説におけるハイライトを魅力的な物語、身近な物語へと巧みに昇華しているのである。 先に私はサー・トマス・マロリー『アーサー王の死』のリアリズムへの評価を強調するばかりに、マロリー版で聖杯探求のエピソードが割愛されたことを好意的に取ったが、ローズマリ・サトクリフ自身によれば、サー・トマス・マロリーの聖杯探求の物語は魅力的だという。先達に対しての謙遜ではないか。そう思わせるほどに、本書は、サトクリフ・オリジナルと銘打つだけあって、斬新で神秘的な語り口でもって聖杯探求の騎士たちを活写している。 やはり、ロマンティックな器、いや逸話は、それにふさわしい語り手で読むべきなのかもしれない。(了)アーサー王と聖杯の物語■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/04
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見出し:無頼騎士による、リアリズムを究めた“騎士道の聖典”。 サー・トマス・マロリー著、ウィリアム・キャクストン編、厨川圭子訳『アーサー王の死』(筑摩書房) 西洋世界各地、古今に散らばるアーサー王伝説を、一つの物語としてまとめたものが、サー・トマス・マロリーによる『アーサー王の死』であり、本書はその抄訳にあたる。時は15世紀、およそ騎士道とは無縁な放蕩無頼の騎士・トマス・マロリーは、数々の罪を犯し、逃亡して捕らえられ、獄中で本書を書いたとも言われているが、実際この一世一代の大仕事を成し遂げた人物の正確な情報は伝わっていない。 本書は、壮大な、そして大陸横断的な広がりを持つこの5世紀・ブリテンの偉人を取り巻く伝説と物語を、巧みに編集したキャクストン版の抄訳であるが、本書のトーンや趣旨に従っているため、一般的にロマンティシズムの観点から有名なエピソードの幾つかが大胆に省略されており、その点については不満を抱かれる読者も少なくないだろう。 たとえば、聖杯探索の物語や、トリスタン卿の悲恋などは丸ごと割愛されているが、そもそも、本書にそのようなエピソードは適さないかもしれない(重ねて言うように、リアリズムこそがトマス版の素晴らしさなのだ)。議事録のように進むドライな文体の向こうに、刃が鋼の鎧を打ち、火花の飛び散る様が目に浮かぶようである。 しかし、この無粋な騎士が記述したこの物語、生々しさこそ真髄なれば、お伽の中に、強烈なリアリズムを醸し出すのに成功している。そのトマスの筆致を壊すことなく、淡々として簡潔な名訳が作者の思惑をうまくなぞっている。本書には―もしそのような物騒なものがあるとすれば、だが―ある種の戦記に見られるロマンが漂っている。 そして我々にはローズマリ・サトクリフがいる。胸躍る冒険ロマンで描かれる方がよい箇所(つまりは、本書でカットされている箇所の幾つか)は、サトクリフ版三部作で補えば十分ではないだろうか。あたかも、それが正しい読み方であるかのように、こうした相補関係を起動することはあながち間違っていないと確信している。 歴史的な目線で見れば、当時の騎士道とはどのようなものだったのか、さらには、当時の騎士たちがどのような戦い方をしていたか(これを知れば、後にそれがどのような変化を遂げて、やがて槍や剣を銃器に持ち替えるにいたったか、を想像で埋め合わせることが可能だ。そしてその想像は相当精度が高いはずだ)。 それにしても、いつも不当な扱いを受けてきた“沼のエクトル卿”の息子にしてアーサー王その人の乳兄弟、国務長官ケイ卿は、言うなれば聖書に言うイエス・キリストの先触れたる洗礼者ヨハネの役回りであるし、またある意味では後の中世貴族社会における騎士道のメンタリティ、つまりはモードやマナーとしての騎士道、ヒロイズムと無縁の、文化的精神としての騎士道をただひとり先取りして体現していたことは指摘して評価しておくべきではないか。前時代的な騎士道精神の中で、ひとり先駆的にクールでヒップだったのは、実はケイ卿ではなかったろうか。 ところでアーサー王の物語というのは結局、突き詰めれば、マッチョ(父権的・男性中心主義的)な王と迷惑な間男(これが最高の騎士の姿だとは!!)、不貞な王妃による三文オペラなのか、と侘しい気持ちにもなってしまった。高度なリアリズムは、時に残酷である。(了)アーサー王の死■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/07/02
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