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8月の半ば、暑い日だった。『ダークナイト』を見に行った際に、『おくりびと』を予告編で知った。テーマからして、このような珍しい話、どう考えても青木新門先生の『納棺夫日記』が原作に違いない。青木新門先生とのご縁は、昨年の12月、私が共著(近藤裕氏)『何のために生き、死ぬの?ー意味を探る旅』(地湧社)を上梓して半年、出版パーティを催した際に、記念講演をいただくゲストとしてお招きしたのがきっかけである。私たちの共著は、現代的なテーマ、普遍的なテーマを扱いながらも、その底流にあるのは、まさにタイトルの通り「生き、死ぬこと」。つまり、現代社会において、あるいは高度化した高齢化社会、医療問題を抱える未来において、いや、古今を問わず死生観を持って生きることが、人生にどのような方向性をもたらしてくれるかについて取り組み問いかけた嚆矢とも言える一冊であったと考えている。その点、青木先生は、まさに生死の境目に立ち会う仕事を経、その中で、そこに境目はなく、連続した光の中で、人間が輝く姿を見出した人物であり、パーティのゲストにふさわしい方であった。 講演をいただき、その後青木先生を交えて著者二人の三名での意見交換がなされ、死生観を意識しながらの生について、共通の想いを確認し合ったのである。 ところで、その後はお便りやメールでのおつきあいをいただいてきたが、件の予告編を見てしばらくして後、青木先生に直接その原作ないしは元ネタか否かの真偽を問うてみた。たまたま高野山におられた由、詳しい回答は後に延期となったのだが、ミーハーな感覚だけでそう結びつけられることが多いことにムズ痒さを感じていたことであろう、と察した。もちろん、青木先生は、両者が自然、本来的な意味で結びついていることそのものについてはうれしく思われたことであろう。 結果的に、実際には、『おくりびと』という映画のインスピレーションになった、というのが正確であろう。巷間指摘される二者の密接な関係も、あながち的外れではないし、また主演の本木雅弘氏は、昔からの青木新門ファンであることも、メディアを通じて公にされている。友人は、ラジオで本木氏が、『納棺夫日記』をベースにしたストーリーの映画化を熱望した、という話しているのを聴いて、すぐにそんな情報も寄せてくれた。 設定やディティールは当然のこと、最終的に伝えようとしているメッセージというか、主旨のようなものも『おくりびと』と『納棺夫日記』とでは、伝え手レベルでは違うようであるが、単に納棺および納棺夫という職業の特殊さを安易に取り上げた映画でもなく、また時代の雰囲気におもねったワケでもない。『おくりびと』は『おくりびと』そのものとして、質が高いがゆえに世界的な評価を受け続けているのだし、関連はあっても原作ではないからと言って、青木先生の『納棺夫日記』が、『おくりびと』と別の世界を歩いているのではなく、その先触れであり、また『おくりびと』の登場によって、ますます青木先生が感覚した人間という存在への想いは、より正確に、精緻に現代を生きる人々へと伝わって行くに違いない。 単に、ショッキングな、あるいは斬新なテーマを、孤独な高齢化社会に扱った、と評価するのは、『納棺夫日記』や『おくりびと』に対して、あまりにコマーシャルで失礼な物言いだろう。古今を問わず、人は生き、死ぬ。それは普遍的である。人の最期を愛するということは、最期までのプロセス、つまり生まれ、生きている間をも慈しむものである。 「生か死か」ではなく、死後の旅を見送るという瞬間を通じて、「人間全体」をまるごと愛するという目線―これは『納棺夫日記』にも『おくりびと』にも共通しているはずだ―こそ、現代と言わず、読む人・観る人全てに伝わって欲しい思想であり、哲学であり、アートであり、何より真心なのではないだろうか。(了)■出版パーティの様子はコチラ。■『納棺夫日記』書評はコチラ。何のために生き、死ぬの?■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/30
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もう一度出会う映画、それも、できれば、偶然に出会う映画、というのがあるのでしょうか。『ベティ・ブルー』をはじめて観たのは、学生の頃で、当時、やけに構えて観たような記憶がうっすらとあります。昔観た時は、あまりに激しいベティの愛ばかりが印象に残って、衝撃的というか、ショッキングというか、まるで突風に遭って目の前のものをすべて吹き飛ばされたような後味しか残らなかった気がします(ベティことベアトリス・ダル、最近なんか妙な映画に出てなかったか???)。 たまたま街で、久し振りにタイトルが目に付いて、思わず手にとってそのままレジへ。 久し振りに観た本作品。この二回の鑑賞の間には随分と時間が流れ、そして私も変わったなぁ、としみじみ。昔は、「可笑しくて、やがて哀しい」…そんな映画としか思えなかったんですが、今回観たらその逆で、「哀しくて、やがて可笑しい」映画だなという気がして。確かに強く激しいがゆえに哀しい愛の物語なんですけど、何も悲劇に向かって一直線なワケじゃない。ラストに至るまでには、色んなプロセスがあって、ラストシーンではじめて、ベティとゾルグ(ジャン=ユーグ・アングラード)が歩んだ時間が可笑しい=愛おしいものだと、もっと余裕というか、深い部分で観られるようになった様な気がします。嗤えるおかしさはたくさんあるけれど、可愛らしい滋味、という意味での可笑しさ。悲喜交々の人生の彩りみたいなものが見えてきたんです(と言いつつ、今回の発見としては、こんなに吹き出してしまうようなシーンの多い映画だったっけ???という発見。そういう余白を愉しめるようになったのも変化のゆえでしょうか)。 ということは、今にしてはじめて、ゾルグの視点から『ベティ・ブルー』を観る事ができた、ということでしょう。かつては、ゾルグのつもりでいながら、無自覚に、周囲に対してベティであった自分が、ようやくベティが求めた平安であるゾルグとしてこの映画を観られるようになった。「ゾルグは女性にとって理想的な男性」。ありのままを受け入れる包容力と愛を指して女性がそう言う。その意味が、あの頃解るには私はあまりに幼く鈍感でしたが、もう遅かったけれど、今になってようやく理解できたような気がしました。 蛇足ながら、ユニークでユーモラスな登場人物たちが見せる惚けた人情には…なぜかスパイク・リーの『クルックリン』を思い出してしまったんです。自分勝手な連鎖ですけど。(了)DVD ベティ・ブルー インテグラル リニューアル完全版 【CINE STYLE @ SONY PICTURES ラブ・ストーリー・セレクション】期間限定■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/29
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麻生内閣スタートから、早くも問題続出だ。といって、麻生内閣スタート前夜から、激しい権力争いで見るも堪えないニュースばかりであった。 一連の騒動や今まさに世間を議論に巻き込んでいる事態に何か物申すつもりはない。ただ、いつも私は思うのだが、民主主義の誇りはどこに行ってしまったのか、ということだ。 常に国民の視線に晒され、足し算ではなく引き算でしか評価されない政治の世界を、かつて私は「国政そのものが“神経症”になってしまっても仕方がない。気の毒だ」と書いた。また、北京オりンピックの総括では、「スポーツにおける国際的な舞台もパワー・ポリティックスの場だ」と書き、「オリンピックで日本を応援するように、それ以外のことにも応援の気持ちを忘れたくないものだ」と書いた。無論、日本の政治についての言及だ。 仮に、平成になってからの20年を振り返っても、日本の国政の行方を握るトップはめまぐるしいほどに変わった。これでは、クーデターの頻発による政権交代の激しい政情不安定な国家と、国際政治の舞台で見なされても誰も文句が言えない。 日本において、政権交代は、より良い国政・国の舵取りのために、正常な政治意識がなさしめた理想的な民主主義の発露だと言いたげな人もいるかもしれない。事実は、器量の狭い権力闘争に過ぎないのだが、ではそれに対して国民のすることと言えば、頭ごなしに、吟味もしないでただ“新参者の指導者”を叩く新人いじめ。お茶の間的なレベルでの感情的で偏見に満ちた揶揄や、拙い正義感から出た批判ばかり。 政治的ポリシーに基づいたものならともかく、玉石混交の情報に左右された流言蜚語への追従でしかない。 政治家同士の争いは論外で、取り澄ましてはいても結局は野心と野望、権力への渇望でしかなく、責めるものと責められるもののどこに違いがあるのか判然としない。本当に、最初に石を投げられる政治家がいたものだろうか。 民主主義の夢は、いまや「民主主義なき衆愚政治」の様相を呈している。民主主義を堕落させたのは、ひとり政治家のみのせいでなど断じてない。 民主主義を貫くならば、新しく生まれた政権を、しばらくは静観することも必要だ。そして、国民の理解で国政そのもの、国家そのものを育てていくという発想を取り戻さねばならない。それが民主主義の世界に住む我々の誇りであり、その余裕こそが民主主義を掲げる人の矜持となるべきではないだろうか。(了)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/29
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(8) ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************借金だらけ、女たらし、出世コースからは程遠い道を、非力な名門貴族の期待の星・カエサル驀進。目指すは、動脈硬化し現実への対応力を個人に委ねるしかなくなっていた、皮肉な“元老院制”の解体と、帝政の実現。一つの目的のために行動しない男。すべからく、カエサルの私益は公益に向けられていることを、同じ時代を生きた人たちは知らない。一日の計が、百年の計を決めることを。だとしても、あまりに平凡、あまりに絵にならない三十年。この男は、四十にしてようやく起つのだから、民衆も読者も我慢を強いられる。青年期には、権力とは無縁の職を歴任するが、単に空席を狙ったのではない。大事の前の布石として、むしろ空隙を狙ったといえる。キケロ、大ブレイク。振り返れば、今の世の中は、小キケロや小小カトーが多すぎる。トーガの独りよがりが国政を左右している。どうも昔からキケロは肌に合わない…と学生時代を思い出す。カエサルの金と女。週刊誌のタイトルみたいだ。カエサルは、「強い債務者」となって債権者さえも動かした、と。やって良いことと悪いことがある、と思うのは凡人だからか。お盛ん・カエサル、モテモテの秘密は、「関係したどの女性にも恨まれなかったこと」。参考になるのかどうか。ところで、幼児における母親の愛情が、バランス感覚とゆるぎない絶対の自信を育むと著者はいう。なるほど、母の愛なくして本物の大器は育たないということか。虚仮おどしの張子の虎の過信には、母の愛が不足している。いよいよ、内なる巨大・猛獣ポンペイウス、帰国間近。(了)ローマ人の物語(8)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/26
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今度はスパルタ人の側面からローマ史を。ということで、観ました『スリー・ハンドレッド』。予告編で知って、面白そうだな、とは思ったけれど、なんかマッチョ過ぎて結局敬遠、見送りした作品。 グラフィック・ノベルの雄にして詩人とも呼べそうなフランク・ミラーのコミックが原作。コミックの映画化、歴史映画ではなく、飽くまで“フランク・ミラーのファンによる、フランク・ミラー・ワールドの映画化”というのがコンセプトだそうで、もう全編フランク・ミラー。要するに、いや勿論、『シン・シティ』と同じ路線です。 そういう前提があるため、映像における表現の部分はかなり個性的で、インパクトもあり、美しいです。はっきり言って“血みどろな映画”で、個人的には気分のイイものではないんですけど、それでも美しいと思わせるのは、やはり原作者フランク・ミラーの徹底した美意識と、それを忠実に再現した結果なのでしょう。でも、正直画的にはエグい描写が多いですよ。ショッキング、というか…。 帝国主義のために、巨大な兵力と意外な戦力(象やサイ、それに“不死の軍団”???だっけな)で勢力拡大を目論むペルシャの王クセルクセスの要求に対して、名誉をまもるため気高き300人の精強なるスパルタ兵が挑む!!300人を率いるは、歴戦の勇者にして不屈の王・レオニダス。厳密に史実を描いた映画ではないようですが、ストーリーは一応、紀元前480年に起こったテルモピュライの戦いに沿っています。 さて。特に起伏のあるストーリー展開があるでもなく、熾烈な激闘の、まさに瞬間を描いているだけなのですが、なかなか魅せますねぇ。映像は、綺麗だけどちょっと重たいかな、と思えた私ですが、ストーリーテリングの点ではむしろ叙情たっぷり詩情たっぷり。そんな気がしたんですが。ギュスターヴ・ドレのイラストのように、生々しいのにどこか醒めている。そんな気がしたのは、極端に感傷を削り、余計な台詞は一切話さないハードボイルド・タッチの造りの中で、テンポというか、間の取り方がなんとも巧いからなんです。言うなれば、コミックで読むような味わい方を、一方的に発信される映像のフォーマットで実現してしまった、というイメージでしょうか。あるいは、コミックの持つテンポの良い所を映像にうまく置換した、というか。そこになんとも間や空白が生む、独特の余韻を感じるんです。 しかしまぁ、冒頭はスパルタ兵の製品案内ですよ。屈強にして勇敢な誇り高きスパルタ兵はこうして作られます。ってな。こうやて鍛えるから、どんな条件下でも大丈夫。うーん、スパルタ人に生まれなくて良かった。私には向いていないと思う…。 しかし、戦いの申し子、ヘラクレスの末裔とまで称するスパルタの、さらに選り抜きの300人。これを率いるんだから、演じるジェラルド・バトラー、ナイーヴな仮面なぞつけていられません(笑)。ファントムから一転して、筋肉ムキムキのレオニダス王に変身。何でも、「英国俳優はカラダが良くない」と言われて奮起した上での役作りですから、そりゃぁもう(よくないカラダって…オビ・ワンさんとかジュードさんのコトかなぁ。ファンだけど)。というか、出てくる人みんな腹筋の権化(笑)。 なんて言うのかなぁ、プチプチ枝豆(ってご存知ですか)とか、ガチガチに凍った保冷材みたい。ちょっとコワいかも。リアルではあるけど、肉感的でない映像のタッチなのに、もう全編肉弾戦。弾ける肉、肉、肉。 そうそう、公開当時、クセルクスに扮したロドリゴ・サントロがブラジル出身っていうんで、ちょっと興味湧いたの思い出しました。この映画では怪しい&妖しい役回り。 ところで、こちらの映画の映像特典は必見ですよ。こういうのがホントの特典ですよ。監督がワーナーに映画化を決定させるために作ったサンプル6プレゼン用風ショートムービーが収録されているんですけど、貴重です。見せ、説得する材料とはこうあるべきか!!と。この映像特典、メニュー画面で「隠しボタン」で見られることになっているんですが、ボタンが全然隠れていない…。 『スリー・ハンドレッド』。インパクトある一本でした。インパクト…とともに、デジャヴュが…。あ、なんかこの映画、子供の頃海外のテレビで観たハリーハウゼンものっぽいかも。質感が…。(了)<WARNER COLLECTION 今だけ \1,500 2008 Summer>[DVDソフト] 300 <スリーハンドレッド> (期間限定生産)スリーハンドレッドアートブックスリーハンドレッド原作コミック∞エダマメ 豆しばVer.(2008年9月下旬発売予定)▲これこれ、ぷちぷち枝豆。あ、∞エダマメって言うのか…。珍種発見!?∞エダマメ(珍種! 紅芋エダマメ)珍種発見!?∞エダマメ(珍種! レモンエダマメ)珍種発見!?∞エダマメ(珍種! ミントエダマメ)▲って、こんなに色バリあったとは!!■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/24
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気が付けば、今日は当ブログ開設1300日目だとか。いやぁ、本当によく続いたなぁ。一応、記入率もギリギリ維持してるし…。けれど、ここ最近のブログを自分で見ていて、なんだか野暮な感じがしてなりません。まぁ、原因は塩野七生著『ローマ人の物語』にあるのですが。 というのも、書評記事が多い当ブログにとって、私らしい本の読み方・選び方、というのが、一種の彩というか、バラエティになっていたワケですが、のめり込むとよそ見・わき道がなくなるのが私の癖で、とにかく30巻オーバーの『ローマ人の物語』を読み始めたら、全巻読破するまで一直線なんですよ。集中しないと読んだ気がしないというか…。そんなわけで、ここ7回ほどの書評は、全部『ローマ人の物語』絡み。だからなんか、記事というかブログのトーンにメリハリがないような気が、自分でしてしまうのでしょう。 そんなこんなでヤボブロになってしまってますが、しばらくはこんな調子が続きそうです。どうぞ愛想尽かさずお付き合いくださいませ。。。(了)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/24
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(7) 勝者の混迷(下)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************“役者”の時代、ガイウス・マリウスVS.ルキウス・コルネリウス・スッラ二幕目は、一枚上手の千両役者・スッラに軍配。共和制強化のためには共和国史上初のクーデターも辞さなかった男。保守のための過激。マリウス派粛清→マリウス派の仁義なきリベンジ→マリウス撃退、“民衆派”沈黙時代=ユリウス・カエサル揺籃期へ。「味方にとっては、スッラ以上に良きことをした者はなく、敵にとっては、スッラ以上に悪しきことをした者はなし」。フェリックス(幸運者)、スッラの墓碑。スッラの幸運は、死後は続かず。スッラが奪回した共和制の礎石いわゆる“スッラ体制”は、スッラ門下によってほころび始める皮肉。異例、特例の乱発。その先導者こそ、鼻持ちならぬ“偉大なる”ポンペイウス。英雄は、英雄の偉業を引き継ぐことより覆し乗り越えることをしたがるのか。混迷の種、「同盟者戦役」終結も、ポントス王ミトリダテスのちょっかいに端を発する「ミトリダテス戦役」、「セルトゥリウス戦役」、剣闘士たちによる奴隷の蜂起「スパルタクスの乱」が疼き続ける。当世の実力者クラッススと、旭日の勢いのポンペイウスの睨み合い。スッラ門下の反スッラ両名、背中で握手、期待された元老院の既得権益確保は一層遠ざかることに。ローマの混迷を救った英雄が、結局“古いローマ”の新たな脅威となる。自らの手で難局を乗り越えられない者は、常に言いなり。まだまだ牧歌的にロマンティックだったローマに、実力主義と弱肉強食という実利思考が忍び込んだ瞬間。戦闘に勝っても戦争に勝てない常勝将軍・ルクルス、コミュニケーション不得手。ミトリダテスを追い詰めながら戦争を終結できなかったルクルスの、「自分について来い!!」という自信が、兵士に我慢を強い、また兵士らの積極的な参加意識=「心の通い合い」を喚起できなかった、と。でもグルメ。中世的貴族主義のハシリか。ルクルスから大権を取り上げたポンペイウス、不遜なる才能によって、見事「ミトリダテス戦役」に幕を引く。有限実行には手も足も出ない。(了)ローマ人の物語(7)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/22
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いまさら、と言うべきか、いや今だからこそ、『アレキサンダー』観ました。だって、気になるでしょ、毎日古代ローマ人の話し読んでたら。ユリウス・カエサルが脾肉の嘆を投げかけたアイコンでもあるアレキサンダー大王。 実は食わず嫌いとチャンスを逸したことが重なって、今日までこの作品と縁がなかったのです。 『トロイ』か、『アレキサンダー』か。本来はほぼ時期を同じくして公開されたこの二作を比較するのが本流なのでしょうけど、私はなぜかどちらかを観ればイイと思い込んでしまっていて。なにしろどちらの話も、当時の私にとってはあまりに“古いテーマ”だったので…。 そして『アレキサンダー』を『トロイ』の亜流(というか、ブームに乗った二番煎じ)のように受け取ってたんですね、あの頃。それと、昔ほどオリバー・ストーン監督が好きでなくなっていた(飽きていた)というのもありました。で、ま、時間があれば…と思っているうちに、忙しさにかまけて結局公開中を逃し、その後DVD化されても何か食指が動かなかった。 ホント、ごめんなさい。結果的には面白かったです。あの時なぁ、前評判もイマイチだったんだよなぁ。アレキサンダーにコリン・ファレル?なんつって。でも、なかなか似合ってました。それに前評判の悪さの原因もなんとなく、これまたいまさら見えたというか。 要は、やっぱりオリバー・ストーン流が強すぎるんですよね。彼の主義とかテイストというのは、テーマ選びから着眼点、解釈から映像まで随所にわたって顔を出すわけですが、どうしても映画だから映像におけるストーン流ばかりが強く印象に残ってしまう。それが結果的に、テーマ自体の深みを後方に押しやる形になり、ストーリーとしてなんとなく物足りなさが残ってしまうんです。同じことがこの作品にも言えるわけで、深遠なテーマ、壮大なスケールをスタート地点からして有しているこの作品が、物量に任せたようなタッチになってしまっている。もしかしたら、狙って、かもしれませんけど。いずれにしても、物量で押すだけではもったいない話なんですよ、コレ。 キャスティングの妙といいますか、瓢箪から独楽、とでも言いますか。ところが、この大味な作りに、コリン・ファレルのアレキサンダーが上手く噛みあって、大遠征という偉業をシンプルに際立たせることに成功してしまっている。アレキサンダー大王にまつわる伝説や細々としたエピソード、陰謀や秘話など、本来この映画で知りたいことが案外伝わってこない代わりに、「誰もが知ってるアレキサンダー大王」のブランド力はかえって一層強くなったような、そんな感じです。 そうして、別にそれでいいじゃないか、と思えたら、この映画が面白くなってしまったのです。 私の父は、幼少時は日本の軍記者などと一緒に、ギリシャ・ローマ神話を読んで育った人で、誰よりもアレキサンダー大王を尊敬し、彼に憧れてきた人です。だからこそ、文武両道であることを目指し、学問のみならず、あらゆるスポーツに通じ、ルネッサンス芸術を通じて古代復興へと傾倒して絵画や彫塑まで嗜み、いまなお弛まず肉体を鍛えることを怠らない。ちょっと単純だけど、ひたむきな父らしい一面。そんな父が幼い頃から知っていた、シンプルに偉大な英雄。それが、結果的にこの映画で描かれたアレキサンダー大王なのかな、と。それでいいのだ!! でも肝心の父の評。もちろん父は公開時に観たワケですが、実は感想はイマイチ。なるほど、ナイーヴなアレキサンダー大王はお好みでなかった様子。アレキサンダー大王の苦悩は、この作品にはいらなかったのかな、父にとって。私は先ほど大掴みで「シンプルに偉大な英雄。それが、結果的にこの映画で描かれたアレキサンダー大王」と書きましたが、ナイーヴなアレキサンダーを描きたかったのはストーン監督の想いであって、それが伝わってこなかった(伝わるけど、不十分だった)のは私の見方によるのでしょうけれど、少なくとも父はこの作品には、シンプルではなく、ナイーヴなアレキサンダーを見出してしまい、逆に私は、父向けのシンプルなアレキサンダー像を見ていたという…。ホント、主観ってアテにならないですね。 今じゃ、「主人公のパーソナリティを描けなきゃ、映画としては古い」みたいな、“パーソナリティ幻想”ってありますけど、私はあんまりこだわらないですね。昔の活劇なんか、キャラクター造形はあっても、苦悩とか葛藤とか、そういうの全然ないけど、それはそれでちゃんと面白いですもん。そういう意味では、この映画は『バラバ』とか『サムソンとデリラ』とか、『十戒』などの古き佳きハリウッドのスペクタクル映画の系譜だったのかなぁ。 出演者に関して。アンジェリーナ・ジョリー、怖すぎる。「私のアキレス」って台詞、言っちゃってるもんなぁ、人の作品で。えぇ、アキレス=ブラピですけど。ヴァル・キルマー…も怖い。けど巧いなぁ、やっぱり。イマイチいい作品にめぐり合えないのが惜しい方です。ファンでありますジョナサン・リース=マイヤーズ、ちょい役。あの酷薄な雰囲気がイインだよなぁ。こちらもファンのロザリオ姐さん、今作では十分に弾けてないなぁ。残念。 ベテラン組ではアンソニー・ホプキンスが目玉なんでしょうけど、私はクリストファー・プラマーが良かったな。渋いね。よ、アリストテレス!!アンソニーさんも、一歩間違うとアンソニイズムで映画のバランスを崩してしまうほどのオーラを持ってますから。それでも使うストーン流。案外この人たち、似てるのかもなぁ。 しかし一番驚いたのは、やっぱりジャレッド・レトでしょう。大抜擢ですよ。もう一つブレイクし切らないジャレッドにとって、今のところ最高の当たり役かも。少なくとも、出番&役割は大きかったぞ。 ストーン流と言えば、それがもちろん作品に魅力を与えている部分も多々あるのでして。例えば、アレキサンダーが巨大な兵力を抱えるペルシア王を四万の兵で破る戦闘シーンは素晴らしかった。“暴力描写賛美”はどうかと思いますけど、テクニックやスキルとして捉えた場合はピカイチですね。『トロイ』よりも迫力があるし、リアルタイムに刻々と移り変わる戦況を緻密過ぎるほどに追う件は、若きアレキサンダーの指揮官としての能力の高さをうまくイメージさせるのに成功してます。結構長いシーンなんですが、まったく冗漫さを感じさせない。結果の知れた合戦なのに手に汗握ってしまいます。観る者の気持ちを、傍観者ではなく、その場に居合わせている兵士のようにしてしまう。こういうのを本当の臨場感と呼ぶべきでしょう。 長い長い特典ディスク、普段はあまり観ないのに、うっかり観てしまった…。オリバー・ストーンのご子息によるストーン流美学を追ったドキュメンタリー。メイキングとしては物足りないし、何でこんな家族の記録映画みたいなモノが???と思いつつ、微笑ましかったりもする。ちょっと作為的な感じもしますけどね(笑)。(了) 【DVD】『アレキサンダー』[初回限定プレミアム・エディション]<2枚組>■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/22
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(6) 勝者の混迷(上)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************勝者の混迷。いいタイトルだ。然り、平和や安定が手に入ると、最も厄介で恐ろしい敵は内側に出てくる。内側の敵は、まさに上を下へのカオス、混迷を引き起こす。ローマ社会に、社会不安。富の格差が生まれる。富める者がますます富んだ末の二極化。失業対策が次々に講じられる。古代ローマの人々にとって、失業は、経済基盤を失う以上の意味を持った。いわば、存在理由、人間としての尊厳を剥奪されるに等しかった。職=プライドを失業者に取り戻す為の改革は、“悲劇の兄弟”ティベリウス&ガイウス・グラックス兄弟によって推進される。命がけの抜本的改革は難航。英雄の時代は終焉。やがて、時代は“役者”の時代に。方や、老獪にして百選練磨の役者、ガイウス・マリウス 。方や、威風堂々たる千両役者、ルキウス・コルネリウス・スッラ。方法は正反対なれど、ローマのために身命を捧げる二人の熱演が、やがてローマ史上初の血塗られた抗争へ発展するとは、この時は誰も知らない。歴史家モムゼンが「ローマが生んだ唯一の天才」と評したガイウス・ユリウス・カエサル、ジュリアス・シーザーが誕生する。(了)ローマ人の物語(6)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/16
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ジョン・ブアマン監督の『エクスカリバー』、ようやく観ました。もうずっと手元にあったのですが、なんかもう一つ手が出なくて。 一応アーサー王伝説をモチーフにした映画の中では、広く流布しているイメージに忠実(サー・トマス・マロリー『アーサー王の死』に基づく、と銘打っているだけあって)ということになっています。 確かに、アーサー誕生から聖杯探求、そしてアーサーの死まで、長い長いお話を丁寧に網羅しようという試みには脱帽。でも、いかんせん無理があるんだろうなぁ、やっぱり。しかも、確かに忠実で正統派な作りなんですが、後半いきなりちょっとシュールというかキッチュになる。なんなんだろう、この落差。ダイジェスト的に見えてしまうのも、基本的にはアーサー王の物語を知っている人向けに作っている感があって説明を割愛している箇所が多いからでしょうか。 ともあれ、大泉洋似のアーサーに、なで肩のランスロット卿、円卓の騎士で字幕に名前が挙がるのが、これにパーシヴァル卿くらいで、ガウェイン卿なんか会話の中で名前が出るものの、なぜか円卓の騎士解体の火付け役になる汚れ役に。ムムム???逆に、大概名前すら出てこない“意地悪・ケイ卿”が、なぜか最後までいいヤツに描かれている&結構出番多い、という点では珍しい作品かも。 もちろん、アーサーを破滅させるモルドレッド卿も出てきます。これがクールでダークなハンサムボーイ…なんだけど、なんで古代ローマのグラディエーター風甲冑よ!?しかも、黄金の変な甲冑(笑)。 不良中年風マーリンもなかなかイイ味出してましたね。一般的なマーリンのイメージって、多分この作品のマーリンが近いのではないかと。あぁ、そうか。アーサー王伝説に、おとぎ話のように馴染んでいる文化圏の人々にとっては、アーサー王とランスロット卿の関係より、アーサー王とマーリンの関係の方がメジャーな軸なんだなぁ、とこの作品からも痛感。ランスロット卿に、物語上必要な程度以上の思い入れを抱くのは、きっと西欧世界ではマイノリティなんだろうなぁ。ある種“萌え”の文化。 本作品、一点個性的なのは、聖杯の解釈。聖杯の意味、力、そしてその仕えるところは何か。この映画ではガラハッド卿ではなくパーシヴァル卿が聖杯探求に成功するのですが、聖杯に対する彼の答え=監督、およびアーサー王の用意した正解、というのがユニークでした。順当に考えれば納得なのですが、ついキリスト教的な解釈に馴染んでしまっていると、ちょっと出てこない答え。つまり、教化主義的でも哲学的でもない。思弁的でもなく、とても個人的なこと。聖杯の謎を、パーソナルな心的空白、虚無感や疎外感で説いたのはかなり果敢な試みではないかと思います。(了)(DVD)エクスカリバ-■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/16
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(5) ハンニバル戦記(下)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************第二次ポエニ戦役、事実上の決戦はザマの会戦で。歴史のダイナミズムのインパクトは、紀元前であろうが関係ない。年号は数字でしかない。古代ローマ人の常ならぬ所行をば書き綴ると著者は謳った(そう、常ならぬ所行の結果である歴史というものを、栄枯盛衰・盛者必衰などという運命論的な形ではなく、「興隆にも衰退にも理由がある」いう理知的な詰め方をするところが好ましい)が、人の行いというものは新旧の別なく壮絶である。優れた師弟同士は互いを試しあう為に相対峙する。結果については恨みっこなし、がフェアだろう。少なくとも古人はそうだったようだ。スキピオの存在そのものが革命であったこの時期、「異例」というのはハードルが高かったろう。年齢が人を頑固にするのではなく成功が人を頑固にすると。成功体験をはずすのは難しいだろうが、頑固さはオルタナティヴを選択する邪魔になる。統合された第三の道は、頑固者には塞がれているのだと。なるほど、抜本的改革は、過去の成功に加担しなかった新世代の特権らしい。優れたリーダーの条件。ただ優秀な才能で統率する者に非ず。率いられていく人たちに、自分たちがいなければ、と思わせることができる人物であれ。ハンニバル、スキピオさらば。両雄勝敗の要因を、日本語で考えてみる。破裂音の勝利と濁音の敗北。ハンニパルVS.スキビオなら、ハンニパルの勝利だったか?重厚だが深刻さを伴う濁音・ハンニバルは、破裂音含むスキピオの明朗さに敗れたのだ。本当の鍵は地中海世界最強のヌミディア騎兵也。第三次ポエニ戦役は、戦争機械と化したローマの独壇場へ。そのかわり、英雄も名将も、システムだけを置き土産に失意の中舞台を失う。カルタゴ、滅亡。お灸はきつかった。余談ながら、あくまで著者によれば、処女作が後の全作品の基盤を作るそうだ。ならば、まんざらでもない。(了)ローマ人の物語(5)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/11
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しばらくブログを留守にしていましたが、忙中合間を縫って国内の旅に出ていました。ここまで完全オフ、という旅は久しぶりで、短い旅程ながらも、天候にも恵まれ良いリフレッシュになりました。 思えば、この場所は、様々なスタートの詰まった場所。魂が欲した原点回帰、のようなものだったのかもしれません。過剰に感傷的になるでもなく、じんわりと良い思い出ばかりが甦り、過去と現在を統合しながら、また新たなスタートを切る。ひときわ思い出深い場所で、そんな贅沢な時間を過ごせたことは何よりでした。 基本のんびり。何もせず。どちらかと言えば、土地の料理をたらふく味わい、土地の言葉、土地の風、土地の波音に身を預けながら、まさしくこの地が「癒しの地」と呼ばれるにふさわしい再生体験を得る旅行となりました。(了)ザ・ブセナテラス■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/11
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はからずも、自分で25万3000アクセスを踏んでしまいました。そこそこ桁数が増えてきたので、それに応じてキリ番や丸い数字が珍しくなってきまして、たまにアクセス数見ると、いつもデコボコの数字。それが、今日は比較的きれいな数字だったので、目に付いてしまった。。。 本当に、ボチボチ。あまり手の込んだことはしていないのにここまで閲覧していただけたことに、素直に感謝。と同時に、まだ続いている、いつもの自分らしからぬ継続力に驚き。いや驚愕。これも読者あってのことです。(了)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/05
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塩野七海著『ローマ人の物語』シリーズ、読み始めました。ってな記事を先日アップしまして、まぁ、通常の書評とは違う形で採り上げていこう、と。 で、数冊トライしたところで、はたと気が付きました。文庫で31冊あるわけで、このまま書評カテゴリと一緒にしてしまったら、後で読み返す&検索するときに不便かな、と思い当たりまして、急遽専用カテゴリ「変則書評:ローマ人の物語」を増設することにしました。 今後、『ローマ人の物語』の変則書評は、上記カテゴリにアップしていきます。(了)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/02
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(4) ハンニバル戦記(中)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************ハンニバル大暴れ。一般的には象を従えて…というイメージだが、実際には象を戦力として定常的に機能させるのは大変だったんだなぁ。士官学校では誰しも学ぶと本書にある、名高きカンネの会戦。決め手は中央が膨らんだ弓形。そしてゴールは包囲。やがて、より大きな包囲網が、今度は明朗なるスキピオの手によって、ハンニバルを囲っていくことに。一人の人間の頭脳が四個軍団に匹敵。シラクサ攻略はアルキメデスの発明した兵器に一年以上にわたって悩まされたローマ軍。されど、戦術を駆使(敵軍の風習を利用)してシラクサ攻略。数学の研究に没頭していて逃げることも忘れ、そのままシラクサを落としたローマ軍に殺されたアルキメデス、学究者の鑑なり。殺したローマ軍も惜しがったとか…。(了)ローマ人の物語(4)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/09/01
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