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見出し:胡座をかいた認識を揺さぶる不敵な反復。アラン ロブ=グリエ著、平岡 篤頼訳『反復』(白水社) 刺激を求めていない時に、挑発的な本を読むべきではないのかもしれない。ヌーヴォー・ロマン(アンチ・ロマン)の代表的作家、アラン・ロブ=グリエ『迷路のなかで』を読んだとき、そうつくづく思ったものだった。文学的実験につき合わされるような、読んでいて読み進まない、いつまでも出口の見えぬ迷路に放置されたようなあの後味が忘れられない(ロブ=グリエの迷路は、初心な読者である私を見事にハメたのだ!!)。なに、私は文学にもフランス文学にも明るいわけではないから、はっきり言おう。面白さが解らなかった。いや、退屈だったのだ。そう告白して、別に恥ずかしいことなど私にはない。 が、ロブ=グリエが読める、などと賢しげな顔をして平気で言えれば、ちょっと格好いいだろう。失礼承知で、その程度の一冊だったのだ。だが、晦渋なものを欲しくなるとき、必ずしもそうとも言えない。本作『反復』は、作者20年ぶりの新作だそうで、特別ファンでもなかった私は待望していたわけでもなく、ましてもう新刊で世に出てから5年も経っているのだが、ふと、後味の悪そうな本が読みたくなって、気まぐれに手に取ったのだ。 果たして、幾分は速度を感じる時間軸と展開を備える本作は、推理小説的な要素が強いせいか“ロブ=グリエなのに読み進む”という不思議で新鮮な感覚を得つつも、やはりどこか、コラージュを突きつけられる凸凹な読み応えは変わらない。事実と連続しながら、断片的記憶=証拠が反復するうちに、虚実が曖昧で不確かになってゆく様は、胡座をかいた認識が揺すぶられてスリリングであり、どこかシュルレアリスムへ共犯を持ちかける歩み寄りを思わずにいられない。ただし、シュルレアリスム文学が多分に思想に端を発しているのに対し、こちらはむしろ、シュルレアリスムを文学的な技巧として逆手に取って二次利用することで、唯一無二を創り出そうという大胆さとニヒルさをスタンスとしている。フロイト心理学、とりわけオイディプス神話をみえみえにモチーフにするベタ感に、あざといまでの不敵さをも垣間見る思いである。 あらゆる文学上のフォーマットを、自身の手法で料理しようとする執念と手腕には脱帽するしかないにしても、それが、ある種の美へと結実しているのかそれは、またも主観的にロブ=グリエを読む私には今回も解らずじまいだった。 しかし、『迷路のなかで』よりはお手柔らか(ふたたびそれは、本作が、実験的側面よりも、“偽装されたエンタテインメント”色の打ち出しに軸足を置いているからであろうけれど)なせいか、逆に“ロブ=グリエの面白さ”が、少しだけ解ってしまうという、皮肉なオマケを賜ることになった。そんな仕掛けまでもが、作者の神経質な遊び心による必然ではないかと疑うことも出来なくはないが、ここは素直に受け入れたい。(了)迷路のなかで反復■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/04/27
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おそらく、チェーザレ・ボルジアを描いた数少ない映画ではないかと思うのですが、『Los Borgia』、観ました。なんでも、コリン・ファレル主演でチェーザレ・ボルジアのハリウッド映画が動いているとかいないとか。ともあれ、塩野七生『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』、そして最近では惣領冬実のコミック『チェーザレ』で、結構マイナーなこの人物、日本では熱狂的なファンがたくさんいるようで、政治思想や哲学、歴史からこの人物を知った私からすると、不思議な気もしたりします。でも、やっぱり何か惹きつけて止まないからこそ、私もチェーザレ・ファンですし、関連映画を観たくなるわけで。 『Los Borgia』(2006)は、日本未公開の映画で、チェーザレの父・ロドリーゴがローマ法王アレクサンデル6世として即位するところから、チェーザレの枢機卿時代を経て、血生臭い政争や、強固だった同族との争いに手を染め、やがて法王の剣となって、イタリアをボルジアの旗の元に、容赦ない武力と知略で平定しようとする様が描かれます。と言って、肝心の戦争はほとんどシーケンス的に挿し込まれる程度。暗殺や抗争のシーンも、ハイライトを除けばバックグランド的に使うこの手法、明らかに“中世版ゴッド・ファーザー”狙い。やっぱりボルジア家の物語が、『ゴッド・ファーザー』に重なってしまう心理は、洋の東西を問わず、なのでしょうか。勿論、不穏なファム・ファタール、チェーザレの実妹・ルクレツィアとの愛憎も盛り込まれています。 ならばキャスティング。これ、気になりますよね。で、どうしても塩野&惣領ラインで、美男美女オンパレードのイメージになってしまうんですけど、そう期待されたら微妙…かも。大事なのはマッチング。でも、仮に主要キャストだけを見た場合でも、美し過ぎる愚弟・フアン、キャラ弱め末弟・ホフレあたりは、なかなか見事なキャスティング。イイねぇ。 ルクレツィア。これがまたドンピシャ。というか、演じるMar?a Valverdeという女優。不肖ワタクシ、マジ惚れしてしまいました。ヤバイ。 怪物ロドリーゴ(Llu?s Homar)、これも凄いや。もう、オーラが…。見事な体格、迫力のある低音美声、猜疑心溢れる賢しらな眼差しと家族に見せる包容力とのギャップ、息子に劣らぬ親父フェロモンな野獣パワー。うーん、まさにロドリーゴその人だ。チェーザレたちの母であるヴァノッツァ、ちょっと枯れすぎ。この映画のロドリーゴなら、あんまり惚れないじゃないかなぁ(困)。主要キャストじゃないけど、『carmen.』のPaz Vegaが女傑カテリーナ・スフォルツァ役で出演してます。ちょっと女傑っぽさがないなぁ。ヘンにしおらしい。 で、肝心のチェーザレ。どーん。なんで、こんなん?って思う日本人は絶対に多いはず。怜悧で、抜き身の剣のようにスラリとした感じとは程遠い、ほぼ四頭身、やたらにマッチョで、濃い男。馬から下りる姿も、おたおたしててユーモラス。何故???残念なキャスティング…なのか??? そこが解らない。スペイン的美男子って、こんな人多いもんなぁ。ハビエル・バルデムにしても、アントニオ・バンデラスにしても、実はずんぐりむっくり。でも、セクシーなんだよなぁ。で、このチェーザレ(Sergio Peris-Mencheta)さんも、案外なかなかイイんですよ。ニヒルな笑みも様になり、知性を感じさせる眼差しもまた。目で殺す、むせかえるようなムンムン・フェロモン。映画が終わるころには、結構いい役者さんだなぁ、と思えてしまったんですけど、とにかく姿が…。頼むから殺陣やるなぁ、バストアップだけの演技にしてくれ~と懇願したくなってしまう…。個人的には推しですが、絶対に塩野&惣領ラインにはかすらないこと太鼓判。ま、遺っているチェーザレの肖像って、結構マチマチなんで、一概に今様美男子だったと断言も出来ないんですけどね。ルックスだけが美男子の条件に非ず、ですし。 そうならそうで、じゃ、今チェーザレ演るなら誰だろう…。いわゆる超若手の美男スターや、ブロンド系でもないでしょう。適度に憂いと屈折がある、意地悪顔の実力派…と考えたとき、なぜか頭に浮かんだのはジョナサン・リース=マイヤース。海外TVドラマ『チューダー』メージが強いのかな。でも、彼なら日本のファンでも納得しそうな感じがするのです。あ、チェーザレがダメなら、ミケーレ役でもいけそうだな、なんて。 さて。劇中、家族の絆を祝って乾杯するパーティのシーンがあるのですが、その象徴的なシーンが物語るように、この映画はチェーザレの生涯というよりも、ボルジア家という家族の一代限りの興隆と衰亡を、ロドリゴとチェーザレの二大竜巻を軸に描いたファミリー・ムービーと見るべき。そんな『Los Borgia』ですが、さまざまな視点から鑑賞できる数少ない資料として、チェーザレ・ファンには一見の価値アリ、の一作でした。(了)チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷チェーザレ(1)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/04/27
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『レッドクリフpart2』、盛り上がってますね。part1の鑑賞日記は過去に書きましたけど、やっぱり完結まで観ないとダメでしょう。公開から順調に観客動員数も伸ばしているようで、メディアもバンバン追い風煽ってますけど。 先日テレビでpart1を観直しながら、なんとなく思ったこと。『レッドクリフ』にしても、やっぱり“純然たる三国志映画”とは呼べず、かつ古今未だ、その名にふさわしい映画というのは実は作られていないなぁ、と。結局、『レッドクリフ』で描かれるのは、三国志の中の飽くまでハイライトの一つでしかなく、それこそ一族三代くらいにまでまたがる長い歴史の大きな渦の中に、風雲を巻き起こし、翻弄され、暴れ、舞う群像劇を描くのは、到底雲をもつかむような話でして。さらには、三国志という作品は、どの国の視点に立つかによって史観も大きく変わるでしょうから、最低でも三種類作らないと公平な描き方にはならないのかもしれません(三国志演義の映画化ならばそこまでは必要ないですけれど)。 そしてやはり、少なくともわが国の三国志のイメージは、きわめてエンタテインメント的センスが高く、単純に映画化を考えた場合、本国の添えrを上回るのではないかと勝手に思い込んでいるのです。それが万国にウケるかは別として、少なくとも日本人の三国志への審美眼を抜いて“三国志映画”を作り上げることは難しいのではないか、と。 そこで勝手に提案。タイトル、『三国志』。原作、横山光輝。美術、川本喜八郎。監修、KOEI。キャストは、アジア圏のイケメンからいぶし銀の名優まで総動員。言語は中国語。肝心の部分が故人ですけど、やっぱり功績は大きすぎる。KOEIもはずせないのでは(笑)。 とまぁ、くだらない妄想を膨らませたりしますけど、もしそのような作品を作っても、予算とキャストの総動員ばかりが目立つ、大作という名の冗漫な駄作が生まれる余計な心配もあるわけで。かように、三国志とは、中国が生んだ“迂闊に食えない一大モンスター”なのであります。(了)即納!■10%OFF+送料無料■初回盤・キャストフォトカード集(11枚)他■V.A. DVD【レッドクリフ Part I コレクターズ・エディション】09/3/11発売レッドクリフ Part II -未来への最終決戦-(赤壁 決戰天下)香港版Blu-ray【お取寄せ商品】■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/04/25
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最近知人から、『ウルトラマン』と『帰ってきたウルトラマン』のDVDボックスセットを借りたんですけど、まぁ全部は観る時間がないわけで。なんとなく、大人になった自分なりに感覚できたらそれでお腹一杯なんですけど、やっぱり日本の特撮技術の黎明期、モノ作りにこだわった人たちの執念はすごいですね。面白くて当たり前。子供が熱狂して当たり前。そして、時代を超えて愛されるのも当然、と脱帽してしまいました。 個人的には、実は『ウルトラマン』シリーズと自分のリアルタイムな接点って、あんまり記憶がないんです。幼少時ブラジルにいたこともあって、日本文化との間にホールがあるような感じですし(余談ですけど、当時ブラジルでも『ウルトラマン』放映してたんですけど、なぜか『スペクトルマン』もやっていて。でも向こうに人には違いが分からないんです。『ウルトラマン』と『スペクトルマン』には関係がないことを説明するのが、子供心にも大変だった記憶があります)。 なので、私と『ウルトラマン』シリーズの接点って、イコール「テープで覚えた主題歌を母によく歌ってもらった記憶」なんです。寝る前にも、偉人の伝記や物語の読み聞かせに飽きると、ウルトラマンの主題歌を片っ端から歌ってくれました。だから、実際にはテレビで観たことのないウルトラ兄弟たちの活躍も、なぜか親近感を伴って記憶に残っているのです。 そうぼんやり思い返しながらDVDを流していると、やっぱり『ウルトラマン』にしても『帰ってきたウルトラマン』にしても、テーマソングが秀逸なんですよね。その曲が、対応するウルトラ兄弟のイメージやキャラクターを抜群に表現しているし、物語の底に流れている主題もちゃんと盛り込まれている(タイアップはいいけど、あんまり連動を感じさせない安易な主題歌も最近は多くなりましたけど)。もちろん音も最高にクール。 イントロのホーンからリズム隊が絡んでくるあたりで、もうピークを予感させてしまうほどに強力な訴求力は、『ウルトラマン』『帰ってきたウルトラマン』どちらも共通ですけど、よりシンボリックでイメージ戦略に寄った感があり、当時流行の“あの”リズムをベースにしながらマーチ色の強い『ウルトラマン』のテーマに較べて、すでに人気を背負った形でマンネリズムに陥らない新しさを打ち出す必要のあったであろう『帰ってきたウルトラマン』は、すぎやまこういち氏の曲も都会的なのにどこかファンキーで、曲の展開もドラマティック。歌詞にも適度に憂いがあって一本調子でなく耳に残り、思わず口ずさんでしまうんですね。 結局、『ウルトラマン』シリーズというのは、映像もキャラクターもテーマ曲も、すべてに抜けがなく、どの入り口からファーストコンタクトを取っても、その世界観や魅力が伝わるように創られた、稀有な一大エンタテインメント(レオ以降には私は疑問を抱いてはいますけど)だったんだなぁ、と、“テーマ曲から入った”派の私も得心したのでした。 あ、そういえば。私『スペクトルマン』も大好きだったんですけど、よく考えるとテーマ曲、弱かったなぁ。名前の連呼に終始するサビだけがかろうじて断片的に思い出せるだけだ…。(了)月間SALE商品◇新品DVD◇『帰ってきたウルトラマン コレクターズBOX』コロムビアミュージックエンタテインメント 『ウルトラマン/ウルトラマンシリーズ生誕40周年記念 ウルトラマン 主題歌大全集』【送料無料選択可!】DVD『スペクトルマン カスタム・コンポジット・ボックス』『スペクトルマン DVD-BOX』<4000セット完全初回限定生産>■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/04/22
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久しぶりにブログ放置、してしまいました。今年に入って、意識的にペースを抑えてきたのは事実ですが、ここまで放置はアクシデントです(笑)。 というのも、たまたま今年の頭くらいから、いつも一緒にお仕事をさせていただいている「仲間」の中で、ちょっと遊び心のあるパラレルワールドが欲しいね、という話になり、それが酒の席での盛り上がりから発展して、とうとうプロジェクトチームとして現実化することとなり、それに向けたコンセプトやストーリーの考案、イメージややりたい内容の詰めで頭も体も一杯になっておりました。 基本的に、最初は仕事の延長ベースで走りながら、将来的にはこれまで手掛けてこなかった分野やプロダクトも発信していく(&可能性を感じさせる)という前提で考えた場合、詰め込みたいことばかりが膨らんでしまって大変でしたが、逆にそれを削ぎ落としていく作業は推敲の快感に似て実に愉しく・・・。 スタートまでもう少し時間はかかりそうですが、前準備やらネーミングやらコンセプトは固まったので、これからこのプロジェクトチームが産声を上げるまでが、何気に楽しみだったりします。 仕事は、不本意ながらも割り切りを要求される場面も少なくはありません。長く続けていれば、自分自身の中でも澱が溜まります。しかし、好きなことを仕事に出来ていて、なおかつこうして、ちょっと空想じみたことを形にしていくチャンスが到来して愉しい気分で熱くなれるとき、一日の中で大きな時間的割合を占める仕事の中に、しあわせな気持ちを見出したりします。(了)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/04/22
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四月は上野の季節です。今度は吉岡徳仁氏ディレクションによるカルティエ『Story of ...』展、観てきました。 百貨店や宝飾店、ブティックでしか宝飾品を見ないと、そういうディスプレイに馴れてしまうもの。そして、たとえそこが美術館や博物館でも、“そういう目”に自分の体が合わせてしまう生体的な癖がつきます。 しかし、このコンセプチュアルな展覧会でのディスプレイは、時に演出過剰とも感じられるけれど、話題になっただけあって、この特別なストーリーを宿した品々の展示を、やはり特別なものにしているなという印象。 見てまわるとまず、カルティエの作品には“モダニズム”の変遷があります。さらには、かつて王侯貴族のための「身に着ける美術品」が、近代的セレブリティ、つまり富や名声を成した一般人にも門戸が開かれる分岐点を発見することができます。 その門戸開放を、カルティエはモダニズムとし、世の中は消費のステージと捉えてこれを余すところなく享受してゆくわけですが、「宝石商の王ゆえに、王の宝石商」と呼ばれる栄誉と伝説、そして魂は、爾来何も変わっていないのだということもよく理解できることでしょう。 時代と顧客が変わっても、スタンスを変えずに生き残り続けられるのは、やはりカルティエ自身が、王の宝石商から、消えていった貴人の代理として、本物の、そして無二の“王”そのものになってノーブルのなんたるかを継承していったからではないか、と思ったり…。 さて展示のタイトルにあるように、カルティエの魅力は、ガチガチの縛りが生む硬質の美ではなく、完成された技術と工程管理を背景にした、ユーモアや義侠心、友情、ときに子供のようなアイディアが、ストーリーとしてモチーフになっている点。カルティエの美は、人間的で、キャラクターがあり、血流の温かさを感じさせるドラマにあることを、もう一度念を押すように知らされる“貴重な空間”体験でした。(了)カルティエ時計物語【送料無料】吉岡徳仁デザイン【TO/ティー・オー】レザーバンドモデル(シルバーミラー×ヌメ革)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/04/13
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見出し:理ある復讐劇。リアルな復讐劇。 ジュール・ヴェルヌ著、金子博訳『アドリア海の復讐』(上・下)(集英社文庫) 私は復讐譚が好きだ。世の中には、私と同じような復讐譚(vendettaもの)が好きな向きも多いかと確信している。過日、ジュール・ヴェルヌの作品群を読み直した件について、まとめて書評を書いたが、この作品については別項目で扱おうと、前の評からは除外していた。すでに知られているように、本作はジュール・ヴェルヌの主要作品の中でも異色の物語であり、大デュマの『モンテ・クリスト伯』を下敷きにした、いわばオマージュ的作品である。事実、書簡にて、小デュマより、「文学的にいえば、彼(大デュマ)の息子はわたしよりもむしろあなたなのです」とさえ評されている点、ヴェルヌの試みは成功裏に終わったということであろう。 19世紀オーストリア。その支配から逃れんとするハンガリー独立を画策する愛国の志士三人が、嫌らしい密告により革命前夜に頓挫。首謀者は逮捕されるが、それが裏切りによる失敗と知るや、一度は覚悟した正義の前の従容たる死を固辞し、脱獄して復讐することを誓う。途上仲間は次々と官憲の手に落ち非業の死を遂げるが、リーダー格であったマーチャーシュ・サンドルフ伯爵は辛くも追っ手を退け、どす黒い海に消える。 15年の歳月が流れる。ふたたび物語に現れたのは、怒りの焔を胸に、高名なる謎の医師・アンテキルト博士の名を借りて復讐の刃を研ぐマーチャーシュ・サンドルフそのひと、世間では死人とみなされてきたあの伯爵であった。 これだけのあらすじを読まれても、おそらくこの手の物語が好きな読者なら食指をそそられること町がない。事実、この長編には、冒険譚が備えるべき要素が余すことなく盛り込まれている。お決まりの、海を舞台として諸世界を股にかける冒険は、オリエンタリズム、異国情緒溢れる筆力に支えられた描写によって、主人公たちとの旅を共にするような感覚を得るだろう。 あるいは、ハンガリーの独立への思いやそこに至る歴史的経緯など知らなくても、またそれほど史実に忠実でなくとも、そうと思い込ませ、信じ込ませてこの作品世界に引きずり込む説得性のある設定を、ヴェルヌは周到に用意している。このあたりの丁寧さは、同じく少々ヴェルヌ作品としては異例な異国風奇譚『カルパチアの城』の幼稚さからは程遠い。 とはいえ、この訳本の解説にもあるように、作品全体のクオリティに比して、そのディティールの乱暴な点がないわけではない。その粗さは、特に下巻、つまり復讐の徒として再登場したアンテキルト博士ことマーチャーシュ・サンドルフが、己が運命を狂わせた破廉恥漢を徐々に追い詰めるまでのプロセス、とりわけ方法論について、時に安直であったり、素直に読み下せない偶然を支配下に置くような展開を多用しすぎている点に散見されるものだ。上巻、つまりマーチャーシュ・サンドルフ伯爵が独立運動に挫折し、目の前の死から逃れんとすべてを賭して逃亡する物語においては、クラシカルで重厚、息詰まるほどに隙のないストーリー・テリングを見せてくれたヴェルヌも、下巻では、不可能なことが非合理的な要素で簡単に可能となってしまう。成就までの過程に障害があるほど、復讐の美しさはいや増すというものなのだが、その点少々物足りない。 時代性と、持ち前の科学知識や科学的可能性を宛てにしすぎた、といえば酷だろうか。心理学とオカルティズムが混在し同居していた当時だからこそ、磁気催眠術などという、今にしてみれば荒唐無稽な科学が、大手を振って物語の重要ポイントで過剰に機能してしまったりするのは、なんとも惜しいことだ。ただし、復讐に決着をもたらす海戦の件は、船好きのヴェルヌが、まさに頭の中でシミュレートしてみたかった場面であることをうかがわせる迫力ある山場となっていいる。 こうした、作品全体を俯瞰してみたときに感じられるムラは、ヴェルヌ作品は脇役(「とんがりぺスカード」や「大山マティフー」の名コンビぶり、気骨ある漁師親子や悪役のキャラクターの立ちっぷりも見事だ)に味あり、との期待に見事に応える悲喜劇役者たち、義侠の士たちの胸のすく活躍ぶりでうまく相殺されているのは流石である。そう、本作は、ヴェルヌ作品の中でも特に、キャラクター造形と登場人物同士の立場や心情の綾が、絶妙なバランスで配置されている点、注目すべきであろう。 特に、シーケンスの面から言えば、マーチャーシュ・サンドルフ伯爵の運命に巻き添えを食い、それぞれ復讐に駆り立てられることとなった登場人物同士の奇縁の成り立ち(この復讐劇が、親子の二代にまたがって成し遂げられる点も記憶しておきたい)に、決して互いの 復讐心の利害や目的がぶつからないよう、うまく配慮調整されている。なにしろ、復讐の円卓の杯は、完全に一つに向かう復讐心で充たされていなくてはならぬ。そうでなければ、復讐行為そのものが持つエネルギー自体が低下してしまう。さらには、「理ある復讐=リアルな復讐」が、読者への説得力を持って成立しなくなり、吝嗇な私怨の小爆発の集積に堕してしまうからである。復讐というものが持つ力や重さ、温度までを、徹底的に品質管理した点。そこにこそこの作品におけるヴェルヌの才気が最高度に注ぎ込まれているのだ。 15年の歳月を要した復讐に、しかし一体何が残るだろう?もちろん、この物語には至極めでたい大団円が用意されている。復讐のために充填されたエネルギーは、別のベクトルへ向かって一気に爆発する。はけ口がない復讐譚は、後味が重たくなるだけだ。我々の人生において、復讐は何も残さない。目的は達成されても、それが新たな価値を創造することは考えにくい。仮にそれがあっても、復讐に要するエネルギーの採算は取れないだろう。おそらく、激しい消耗と空虚な心身が、復讐成就とともに残されるに過ぎない。 してみれば、爽快感ある復讐が許されるのは物語の世界の中だけ。だからこそ、私たちは復讐譚を愛して止まない―それに己の復讐心を重ね合わせるかは別として―のだ。(了)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/04/09
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またも上野です。第37回写実画壇展に知人が出品していることもあり、先日仕事の合間を縫って駆けつけた次第。この間も同じようなことを書きましたけど、毎年この時期、上野付いてる気がする・・・。お花見なんかはしないのですけど。 同展が催された上野の森美術館は、それこそ当日は桜満開、まさにお花見日より、散策日和。当日は、画家の知人を慕う友人たちが各地から馳せ参じ、つかの間旧交を温めました。実にさわやかでいい一日でした。(了)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/04/08
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『天地人』、観てますよ。同時に、やっぱりキャスティングが気になるんだなぁ。なので、公式HPも結構チェックしていたり。あんまり大河観なかったクチですけど、新潟は縁のある土地でもあるし、キャスティングもなかなか豪華。最近では、松方弘樹氏(徳川家康役)や城田優氏(真田幸村役)もアップされて、ますます賑やかになりました。 で、前田慶次役ですよ。一部では、必然的に直江兼続と切り離せない前田慶次でストーリーを引っ張るのでは?と噂されていますが、まぁそうなっても仕方がない。で、そのキャスティングについては、様々な人気俳優が予測で上がってきていますが、最近は高橋克典氏説が濃厚のようですね。信憑性はともかく、アリだなぁ、と個人的には思ってしまった。 前田慶次が直江兼続らと絡むあたりの年齢というと、40代くらいなのかな。いくらコミックスの影響が大きいからと言って、20代のイケメン人気俳優を持ってくるわけにはいかないでしょう。放映前には大本命とも噂された阿部寛氏は、早々に上杉謙信役として大役を果たしましたしね。 やっぱりある程度オトナの俳優。あとは、マッチョに過ぎないバランスのいい男臭さがあって、華やかさのある人。繊細さを安易に見せないけど、情があり、豪快な印象も必要でしょう。高橋氏の場合、あの笑顔が、戦国一の傾奇者でありながら武士としての意地をつらぬく離れ業を深刻に感じさせない突き抜けた、柔らかさを感じさせて、まさにドンピシャではないかな、などと思ったり。結構似合うと思うのですが。 高橋克実氏説はいまのところありませんが、剃髪後の前田慶次役ならあり得る・・・かなぁ。ともあれ、決定情報を楽しみに待ちたいところです。(了)正子公也氏原画デザインブロンズ風フィギュアガラスケース入り【武将フィギュア】天下一の傾奇者前田慶次郎のフィギュア■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/04/08
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突然春本番が舞い込んできたような日和、皆様いかがお過ごしでしょう。本当に、ちょっと歩いても汗ばむような春の陽気。一瞬遅れを見せた桜の開花も、ここに来て、まさに今が見頃真っ只中。 薄いピンクの桜の花びらに陽光が射して透けて、町中は柔らかい光に溢れています。ホント、桜のランプを一斉点灯したみたい(ま、昼行灯ですけれどね)。仕事で歩いた道も、見事な桜と桜吹雪のアーチで、なんとも心躍ります。 しかし、日本人って桜、好きだよなぁ。老若男女、すべてカバーする、生きた国民的モニュメントだ・・・。なにせ、ここ10年くらいの間でも、「桜」の入った歌がたくさん生まれました。そしてヒットした。作る側も若ければ、聴く側も若い。でも、桜は琴線に触れる。う~ん。長いこと梅派だった私も、今年は桜の見直しです。 ところで、最近久しぶりにライブラリを整理していて、SAKURAのデビューシングル『soul mate』聴き直しちゃったんですけど、和製R&Bシンガー&アーティストが雨後のタケノコのように登場した90年代後半~2000年初頭のラッシュの中で、あの緻密で粘っこいサウンドに乗っかる独特な声。やっぱりSAKURAの存在はインパクトあったなぁ(カップリング曲“mercy”の方が好きだったんですけどね、切なくて)。桜の季節に、SAKURA考。天晴。(了)Lover Light/SAKURA[CD]▲“soul mate”“mercy”収録、1stアルバムは伝説の名盤。■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/04/07
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私も使ってます、3サイクル ダストボックス。それぞれの容量はそんなに大きくないですけど、分別には便利なんです。使いやすい&カチリという、なんとも閉まり感がイイもので、やってしまうんです、つい。バタンっ、と。それが、かれこれ6、7年。ほぼ365日。 で、ついに。最上段のフタの留め具が壊れまして。常にパターンっとフタ全開状態。もともと、形状的にも、使ってきた年数的にも、家の中に非常にニッチなレギュラー・ポジションを獲得しているこのゴミ箱。そういうわけで、それほど大きくはないこのフタが全開しているだけで、結構邪魔(苦)。開き戸や引き出しのストッパーになってしまったり…。 三個セットはいいけど、バラ売りはないとなると…。おいおい、じゃゴミ箱ごと全取替えか?それにしても、ゴミ分別→ひいてはリサイクル→エコ、的なイメージも見え隠れするコンセプト商品が、パーツ一個破損で即破棄はあり得んだろう!!と熱くなりかけたところで、ありましたよ、探してみれば。問題箇所を、ドライバー一本で簡単取替。専用パーツ、一個105円也。 早速購入、秒速でパーツ交換。フタもパターンっ、からいつものカチリに。いやぁ、コストパフォーマンス高っ!! いくらコンセプトやイメージがしっかりした製品やサービスでも、自分でリペアしたりメンテしたりして持続的・継続的に利用することができなければ、気持ちの上でも長く付き合うことは出来ないよなぁ、とつくづく考えさせてくれた105円、新年度スタートの春。(了)3サイクルトラッシュカン&ダブルセパレートカン ダストボックス用ストッパー【本日ポイント2倍】分別ゴミ箱(ごみ箱)分別ダストボックス3サイクル・トラッシュボックス・ブラック・ベージュ■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/04/04
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