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この時期、毎年上野で美術館のハシゴをしているような気がします。だからかな、一足早いのですが、上野の桜、まだ開花直前ですが、辺りではお花見用の場所取りのテープが凌ぎを削り、「立ち入り禁止区域」との鍔迫り合い。花見そのものより、こんな情景につくづく春が来たなぁ、と感じますね。 先日、東京都美術館に『生活と芸術-アーツ&クラフツ展 ウィリアム・モリスから民芸まで』と『東京二紀展』を観に行って来ました。時代的にもそうなのでしょうけど、私にとっても、ウィリアム・モリスはまさに“気分”だったので、束の間忙しさを忘れて、濃密な時間が過ごせました。 私は、美と実用の接点を考える時、“機能美”に勝るものはない、と考えていました。お茶の道具にしてもそうですし、特にバイク関連の道具やグッズなどは機能美の究極、みたいなモノに事欠かないですね。シンプルでなければ成立しない実用の“場”を前にしたとき、美は機能を備えてはじめて際立ち、また美を備えて機能美は使い勝手を超越するのだと思うのです。 しかし、今回『生活と芸術-アーツ&クラフツ展 ウィリアム・モリスから民芸まで』を観て、どうも、中には“機能美”をさらに超えた、もう少し余白のある美と実用の関係があるような気が、漠然としました。今はそれを咀嚼中で、それが何なのか一言で言い表す事はできないのですが、少しずつ自分の中に落とし込んで行こうかと考えています。それにしても、ウィリアム・モリスらの提唱したデザインはたまらなく有機的(一種のゴシック・リバイバルだから当然ですが)だし、モダンで可愛らしいし、機能を邪魔しない。いや、むしろデザインが機能を担っているのに、そのことを声高に主張しない。そんな牧歌的なゆとりが、当時最先端と呼ばれたデザイン運動の“宣戦布告”とは、これまた風流な。柳宗悦「三国荘」の再現も見所。確かに、我が家にそのまま欲しい。ただ、周囲とのディスプレイの関係上、ちょっと“御開陳”感がなく、郷土博物館チックになってしまって野暮だったような気も。惜しい。あとは、貴重な装幀や、エドワード・バーン=ジョーンズの仕事が観られたのが収穫でした。 『東京二紀展』は、恩師が80号を出品、というので、是非にと駆けつけました。テーマは一環して、ナガサキの原爆。今回の作品では、きわめて現代的な地図デザインをシーケンスに挿し込んだ、示唆的・暗示的・記号的な作品。ただ、心なしか、恩師とテーマの距離が、静かながらも激しく鋭かったものが、より醸成されて、“沈思黙考的”になっているようなニュアンスを受けたのです(断じて、歴史的事実との和解ではないのですが)。そのあたりは、当日はお目にかかれなかったご本人に、後日うかがってみたいところです。(了)ウィリアム・モリスの世界雨の日がハッピーに♪カラフルなレインコレクションタマラヘンリケレインブーツ[ウィリアムモリス]【 William Morris】ウィリアムモリス Keswick Trays - 丸トレイ(グリーンウィロー)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/03/30
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自宅で三ツ星レストランのディナーを。いやぁ、おいしかったですよ。なんて。ご覧の通り、これはよく出来た食玩のフィギュアを並べたもの。 実は、新学期が始まる前にと、親戚の子供が東京に遊びに来ています。東京ははじめて、ということで、東京タワーやら浅草やら、ディズニーランドやら、と、まぁ見物したい名所は多々あるようですが、先週末、ショッピングに行った際、この少年、トイショップでオマケを山ほど買うんです。「お小遣いもらってきたんだ」。って、それ、ディズニーランドや東京タワーで使うんじゃないの???と思っていたら、この少年、「ぼく、シェフになりたいんだ。おいしい食べ物に興味があるの」、と。 それで、料理や食器のフィギュアを買い、満足げな様子。帰宅後はそれらを並べて、一人で三ツ星レストランごっこ。これがなかなか、ディティールまで再現した一人芝居で、マニアックなのです。 せっかくなので、携帯電話とは別に、ライティングなどして仕事用のカメラで撮影会をし、プリントしてあげました。「ほら、これで絵日記のネタもできただろぉ?」と、オトナの悪知恵まで仕込んだりして(笑)。 いまどき、夢のない子供が多い、なんて声をよく聞きますけど、これって、要は“押し付けたい大人が作った「前提」”のケースが多いのではないか、と(あるいは逆に、夢見がちに過ぎる子供の場合は“子供を多芸にしたい大人の押し付け”を受けているのかもしれません)。ともあれ、子供たちは、結構自由な夢を持っているもんだな、と再認識した、三ツ星の夕べでした。(了)一流フレンチ!フランス三ツ星レストラン 豪華フルコース料理 ぷちサンプル 食玩 リーメント(全8種フルコンプセット)ぷちサンプルシリーズ フランス三ツ星レストラン BOX[リーメント食玩]■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/03/30
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大人になって読み返さない方が良い作品、というものがある。ということは、その対象はほとんど児童文学にも採り上げられている作品、ということになろう。時は2005年、折しも私はフランスはパリにいた。市内の博物館では、ジュル・ヴェルヌ没後100年の記念展が催されていた。そのポスターに描かれた“ノーチラス号”のレトロ・フューチャーなイラストに触発され、いつか時間が出来たら、ジュール・ヴェルヌをもう一度読み直してみようと決意した。 今回、ようやくその気になって、ジュール・ヴェルヌ作品との驚嘆すべき旅に出かけた。『八十日間世界一周』から手を付けたのも、この旅をなにか特別なものにしたかったからだ。 ところで、同じような気紛れで読み直したモーリス・ルブランのアルセーヌ・リュパンシリーズに比べて、ヴェルヌの作品は、どれを読み進めても、何か、期待したようなわくわく感をくすぐられないまま、ページは進むのである。この違いは何であろう?リュパン・シリーズの面白さは、子供心にも決して、推理小説的な展開に惹かれるようなミス・リードはしなかったように思う。明らかに、あの快男児、天下の大泥棒の男気、茶目っ気、溢れるバイタリティと、縦横無尽な知力に対する、抗い難い憧れが、この心を鷲掴みにしたのである。少年の日の私は、ルブランの作品世界でなく、アルセーヌ・リュパンその人に惚れてしまったのである(ルブランの懊悩、いかばかりか…)。つまり、登場人物のパーソナリティ、主人公のキャラクターというものに魅力を感じた私がやがて成長し、児童文学版でないリュパンに出会った時、子供の頃には分からなかった、人間の心の機微や、複雑な、あるいは単純な人間心理というもの、人物造形の妙というものが洞察できるようになって、ルブランの作品への関心は、かえって増進したのである。いささかは衰えたであろう想像力のかわりに得た「何か」によって、作品群の面白さを自身の中でぶらすことなく、もう一度楽しめたのである。 しかし、ヴェウヌの場合はどうだろう。彼の作品にかじりついていた少年時代の私は、作品を通じて旅することや、未知なるものや未踏の異世界との出会い、そして、それを可能にする奇天烈な科学技術に、ただただため息を吐くばかりであったのだろう。そうだ。絶対に不可能に思われる旅も、ヴェルヌの作品の中では、絶対に可能な説得力を持って迫って来た。だからこそ、漂流したらなら自分はどうしたらいいだろう、地底に行くならこんな準備を抜かってはいけない、などと、少年の頭の中は、愉快に読み違えたリアル(のはず)な妄想や計画で無限に膨張していったのだ。おそらく私は、ヴェルヌの作品について言えば、作品世界の設定やシチュエーションに魅力を感じていたに違いない。人物か、シチュエーションか。そこが、ルブラン対ヴェルヌの構図における、一つの分岐点だったのだ。 今ならば、ジュール・ヴェルヌの作品は、単に大衆文学の枠を超えたSF小説の先駆、あるいは、来る科学技術の未来を予測した慧眼、圧倒的な知識の正確さに裏打ちされた空想科学技術小説、などなど、賢い評価はいくらでもつけることができる。だが、もっと原初的な観点からヴェルヌの作品を、今読み返した私は、やはり「大人になって読み返すべきでなかった」という感想を述べざるを得ない。これは、あくまで私の、感傷混じりの主観でしかないが、そういう思いを抱きながら、読み進んだのは事実だ。『海底二万里』に感じた“落差”は説明のしようがない(嗚呼、驚嘆をもって読者に説明される海底の神秘の案内が、退屈な標本紹介にしか受け取れないとは!!)。 ヴェルヌの作品に登場する、あの魅惑的な旅先の数々は、すでに現実世界で踏破された場所である。主人公たちが駆使した技術や科学のほとんどは、そのまま現実化したか、あるいは事欠かない発見の数々の中で修正を加えられて実現した。哀しいかな、進歩し過ぎた科学技術によって、ヴェルヌの空想実験のいくつかは、あり得ない事と証明されたりもしただろう。しかし、数々の評者や学者が言うように、ヴェルヌはもう通用しないー今だからこそ読み直そう、とまで言うべきかは措くとしてー、というのは誤りだ。ヴェルヌの作品は科学論文ではない。だからそれでも、やっぱり本来面白い。それらが色褪せ、もはや魅力を失ったのではなく、それらに驚きを感じる暇を与えてはくれないこの科学技術万能主義の社会に身を置いている我々の、喪失と思えば哀しむべきは我が身なのではないだろうか。ヴェルヌ後期の作品は精彩を欠くとい言われる。確かに、底抜けな明るさはなく、ダークな色合いが強いが、これもまた、要は初期作品より後期の出版された時代の方が、読者や社会の体質として科学技術に醒めてしまった、というだけではないだろうか。 ところで、『カルパチアの城』『動く人工島』『悪魔の発明』など、子供の頃には読まなかった作品を読むきっかけにはなったが、これらとてそれほどの魅力を惹起しなかった。不思議な事だが、このたびの再読で、質は多少異なれど、やはり面白いと思えた作品は『八十日間世界一周』と『地底旅行』の二作品であった。この両作品は、ヴェルヌの作品においても、主人公の個性が際立っている点(フィリアス・フォッグ氏とリデンブロック教授)、さらにストーリー展開はスピーディーだが仕掛けはシンプル、という共通点を有しているように思えるが、その点。アルセーヌ・リュパンシリーズと相通ずるものがあるように思えるのは、もちろん偶然の類似ではないだろう。(了)世界のコレクショントランプの販売トランプで7つの海を冒険だ!ジュール・ヴェルヌ 『80日間世界一周』八十日間世界一周地底旅行■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/03/24
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定額給付金。イイじゃないですか。誰ですか、「これっぽっちで何が出来る」「たった数万もらって口封じみたいなコトするな」「何の足しにもなりゃしない」。ヒドいもんだなぁ。 額の問題じゃない、と思います。そりゃ、上を見たらキリがない、下を見ればこれまたキリがない。じゃ、いくら欲しいの?って、言ったってもらえないです。 結局、定額給付金で支給される額を目にして、「え?それだけ?」と思う日本人がいたということは、それだけ日本人が経済的に豊かになって、心が貧しくなったという事です。仮に、それだけのお金を稼ごうと思えば、どれだけの労働時間になるのか。それは人それぞれでも、結構重みがあると思いませんか? あるいは。贈られてケチをつける。野暮ですね。もてなしの心を美徳とし、贈り、贈られ合う心や気持ちの方を愛でてきた日本の心、何処へやら。警告文がないとなればこれ幸いと、何でもかんでもクレームつけちゃうなんてお行儀の悪いトコ、真似しなくていいの!! それが何の足しになろうと、どう使われようと、多かろうと少なかろうと、有り難い、という気持ちをもって受け取る。この給付金はきっと、日本人が豊かさについて、さらには、これからますます変質していく豊かさの未来のあり方について考え直し、自分なりの羅針盤を持つきっかけに費やすのが、一番実り多い使い方なのではないでしょうか。(了)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/03/19
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見出し:即興のいのちの奥義を求めて地球を吹く、“ジャズ山伏”の旅路。近藤等則著『いのちは即興だ』(地湧社) 近藤等則氏に思いを馳せるとき、否応なく中学生時代の記憶に戻らざるを得ない。あの頃の私といえば、耳に飛び込んで来る音楽のどれもこれもが新鮮で、同時に、音楽の良し悪しではなく「好き嫌い」の基準を育んでいた最初の時期だったような気がする。文章を仕事とするきっかけになったR&Bに出会い傾倒したのもこの時期であるし、それと同じくらいの関心を持っていたのがジャズだった(結局、あの頃ジャズにのめり込めず、その反動でR&Bにどんどん傾いていったのではあったが)。音楽といえば、洋楽。そんな思い込みはあった。だからこそ、「日本人離れ」したセンスや実力を持つ日本人のミュージシャンには、過剰な贔屓でもって応援したものだった(「国際舞台で活躍する」というスマートな枕言葉で意味が通じる今の時代、「日本人離れ」などという言葉はもはや死語だ。しかし、それはたった20年前にはまだ生きていたし、おそらく、「日本人離れ」という言葉を真の意味で使用していたのは私たちが最後の世代だったに違いない)。近藤氏ももちろん、そんな「日本人離れ」したアーティストの一人であり、世界で通用するジャズ・トランペッターで、ブリリアントでワイルドな日野皓正氏の対極にあって、どこか垢抜けた、モダンというよりアーバンな感じ。少し前衛芸術のニヒルなインテリジェンスを持ちながら、それを簡単にうかがわせないような、確信犯的なポップ感があって、格好よかった。 そんな、“垢抜けジャズ”のイメージのまま、いつしか縁遠くなっていた近藤氏が本を出した。表紙の写真の迫力にまず驚かされるのである。DCブランドのカチッとしたクールなスーツで身を固め、ポマードで光った80年代の都会的なヘアスタイルでトランペットを吹くあの甘いルックスからは程遠い、どこかの山伏のような風貌。そう、ルックスではなく風貌、なのだ。しかしそこには、すすんで荒行に臨んだ、不敵だが澄み渡った力のようなものも感じる。いったい、何が起こったんだ!? 本書では、近藤氏が体現していたアーバンなイメージとその実情、やがて当時の近藤氏自身が感じた「気持ちよくないヴァイブ」からの建設的逃避が導いたその後の音楽的旅路も詳らかに語られる。本書は、近藤等則氏の、必然に導かれた変容の記録でもある。 近藤氏が、それこそ商業主義的な音楽ビジネスの世界を早々に脱し、自らの、あるいは存在の彼方からの声に導かれて独自の音楽活動に没入し、その一部が『地球を吹く』という活動に結実していたことを、実は私は知らなかった。それほどまでに、私と近藤氏は縁遠くなっていたのだろう。しかし、こうしてまた出逢った。 今回本書を読んで感じたのは、実は、私にも共著があるが、そこで考えていたことと、近藤氏が辿られた道のり、そして私よりははるかに先にあるだろうとは言え、感覚として向かっている方向には似通っているような気がした。それは、逆説的にいえば、立ち居地、基準としているポジションや、対象とのスタンスの取り方、というのが似通っている、ということなのかもしれない。 感覚的な部分だけでなく、おそらくは論理的な部分でも一致していると思われる点が事実ある。それは、たとえば、本書でももちろん語られ、拙著でもテーマとなった、スピリチュアリティや「いのち」というものへの距離感である。先に結論を言えば、これらメタな世界に身をゆだねつつ、感覚のみに溺れてしまうことは理知的に避けようという心構えが先にある、という点である。 スピリチュアリティに言及しながら、オカルティズムの罠を回避する。これは、実はスピリチュアリティや、いのちの即興性などという、メタな話を考える上では、相当に重要ではないかと私は考えている。特殊な体験は、スピリチュアルであっても、普遍には至らず、特別な体験、異体験で終わってしまう。エンタテイメントとしては結構だが、それが真意でない場合は、その誤解を軌道修正するのは楽ではない。だから、スピリチュアリティの海原に飛び込むには、さまざまな合理的・非合理的な要素をよく咀嚼したり、それらにぶつかりながら得た、自分なりの理解を携えておかねばならない。 とはいえ、確かに霊的スピリチュアリティは特殊に傾くが、生物=生命由来のスピリチュアリティは、本来的には十分普遍になりうるのだということに改めて注目しておきたいし、本書を通じてさらに確信を深めたことを述べておきたい。そも、すべて人は生物だから、体験に根ざし、命に根ざし、生きることの中に顕れるスピリチュアリティは、すでに意識的・無意識的にかかわらず普遍なのだ。スピリチュアリティが、特殊でなく普通であること。いや、特殊の中に種を拾おうと無駄な努力をしなくとも、日々の生命の中に、この“普通のスピリチュアリティ”は宿っているのだ。普通とは、普遍を流通させるスタンスであり知恵に等しい。 本書の中で、次第に「心地よいヴァイブ」との距離を詰めていく近藤氏は、時に壮大なる地球という(あるいは宇宙をも含めた)楽器の一パーツとなっているようだったり、あるいは、銀河のセッションに参加する人類代表のトランペッターであったり、はたまたあるいは本人が、全人的意味において楽器そのもの(人間の体が楽器であること。リードやマウスピースと同じ、響きあう媒体であることを改めて思い出させてくれる)であったり、あるいそのいずれでもなく、生命そのものが音楽を奏でているのであって、人も地球も宇宙すらも、マクロなオーケストレーションの一部に過ぎないのだと諭すようであったり…。 はたして、“いのちの即興性”とは何であろう。私は、拙著の中でそれを「しなやかさ」と捉えた。これを、柔軟性と呼ぶ人もあろうし、行き当たりばったりと解する人もあるだろう。脱マニュアルの生き方、という表現が、それ自体マニュアル化している。 いつか聞いた、仏師の話。木片に耳を傾け、その声に従って彫刻刀を握ると、現れるべくして現れる仏像の姿。仏師の仕事とは、仏の声を聞いて木屑を払うだけに過ぎないのだと。仏は、すでにしてそこにおられるのだと。 根源的なウ゛ァイブに身を置くと否応なく、自然とそう生きてしまう生き方。生きるべくして生きざるを得ない生き方。それこそ“即興のいのち”。木片に隠れた仏と同じく、神代から存在して来た、いのちの本来のあり方なのだろうか。そうして、様々な音の探り合いの中で、「今欲しかったの、まさにその音!!」とぴしゃりと出会う、必然的なパズルのピースとの邂逅を連続してゆくことこそ、いのちが即興であることの面白さ、いのちの無限性を旅する道標を見出すことなのかも知れない。(了)いのちは即興だ■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/03/15
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『ドゥ・ザ・ライト・シング』。なんだか、青~い香りがしてきます。ナツカシ。むろん、映画監督スパイク・リーの名を世に知らしめ、その“ブルックリン愛”をして、“アフリカン・アメリカン版ウディ・アレン”なんぞと呼ばれるきっかけとなり、90年代以降のブラック・ムービー熱再燃の嚆矢となった金字塔的作品。 といって、ワタシは当時、内容的にはあまりインパクトを感じなかったんです。なんか、淡々と、ブルックリンの地味~な一日が描かれる、どうということはない作品。サントラには痺れましたけど、その分ストーリーの方は、過剰に文学的過ぎて退屈に感じた記憶があります。 ですが。登場人物のインパクト、という点ではなかなか秀逸でしたよ。スパイク作品常連組みのジャンカルロ・エスポジトも良かったけど、そうです、あの巨体に巨大なブラスター(ラジカセ)を担いで登場するビル・ナン演じるレイディオ・ラヒーム!!これぞ、象徴化されたオールド・スクールHip Hop!!このキャラ、変な登場の仕方したり、ポイントとしては重要な役だったり。でも、やっぱりあのブラスター抱えた姿のインパクトが値千金でしょう。 そんなブラスターが、いまやiPodのドックとしてひそかにアツい、っていうんだから、時代の流れを感じます。懐古趣味の対象なのか。。。しかも、カセット入れるところにiPod挿すなんて…っていうか、このブラスターに入れたら、iPodのポータブル性能全面否定じゃんかよ!! でも、いいのです。そういう時代だったのです。デカイいことがイイことだ。軽薄短小よりも、効率や合理性優先よりも、不必要にかさばっても、それが粋だという時代が、確かにあったのです。それはそれで、煌びやかな時代ではあったのです。(了)超話題のLASONICがSPECIAL PRICEで最終再入荷です!!LASONIC/iPOD GHETTO BLASTERDSQUARED2(ディースクエアード)【BOOM BOX GHETTO BLASTER】ゴールドバックル細幅ベルト▲ここまでアツかったか…(笑)。【送料無料選択可!】『ドゥ・ザ・ライト・シング』[初回限定生産/廉価版]■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/03/13
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世の中には本当に数寄物ってのがいるんですねぇ(数寄者大歓迎&熱烈応援)。最近たのみこむさんでは、漫画『北斗の拳』の悪役キャラ、ジャギのライフサイズ(つまり1/1です)のヘルメットを制作していることを知りました。あ、もともとジャギはあんまり好きじゃなかったのでマークが甘かったんですけど、リペイント版ってことは、過去にはノーマル版も作ってたんだな…。 一応このヘルメット、公道では使用できないようですが。写真で見る限りでは、なかなか雰囲気ありますけど、これ、被る人のボディがしっかりしていないと、マッチ棒みたいになっちゃうんじゃないかなぁ(あと地顔の迫力も必要でしょうか)。え?被らない?置き物で十分?いや、多分これを購入する人は、絶対一回は被っちゃうと思うんですよねぇ。(了)タチバナ:センターラインモデル ジェット ヘルメット GT-1▲ちなみにワタシがかつて愛用していたヘルメットはこちら。少しデザイン変わってるなぁ。【北斗の拳 】海洋堂リボルテック北斗の拳レボリューション No.004ジャギ(即納可能です!)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/03/12
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のっけから、テンション上がりました。クレジット見て、Wao!!だって、ゲストにビリー・ドラゴ登場ですよ。まぁ、内容に進む前に、大体どんな役か想像ついてしまいましたけど。だって、この方クセのある役しかしないもん。有名な所では、映画『アンタッチャブル』で、ケビン・コスナーらを執拗に追い回す、ちょっと気障ったらしい痩せぎすの暗殺者役。最後、ビルから落ちて自動車の屋根に刺さります(汗)。さてスパナチュ、サード・シーズン、とうとう大詰めです。第15話『永遠の命』。ディーンの命は残り三週間。悪魔の契約は反故にはできそうにないし…。あぁ、ゴースト・フェイサーズにかまってる場合じゃないよ、ホント。 さて、冒頭いきなり襲われる医師。ゾンビの仕業???いや、その傷跡は外科手術の跡。んじゃ、殺人医師?あ、昔ジョニー・デップ主演の“切り裂きジャック”ネタ映画『フロム・ヘル』なんてのがありましたね。あの匂いが…ぷんぷん。賢いサム、その傷跡や父・ジョンが残した記録(かつてジョンは、この殺人医師と対決したそうですが)から、それが、自分の体の一部を、イキのいいのと取り替えながら、19世紀から生き延び続けている迷惑ドクター、ベントンの仕業と知る。サム、血迷った(苦笑)。「兄貴を死なせやしない、こいつに永遠の命を生きる方法を教えてもらえば、兄貴は地獄に堕ちないで済む!!」。いやぁ、それはイヤだろー。さすがに。もちろん、ディーン、キレる。「俺は化け物になって生き延びたいとは思わない!!」。結局、陽気でニヤけた若者風のディーンですが、実は、根っこはすごい保守的。曲がった事が大嫌い。しかも、ディーンの「曲がった事」の基準というのは、かなり保守&古風(=WASP)的なんですよね。やっぱり、人間は永遠に生きちゃダメだろう、って。 ここで、“ヤバ医師”の協力を取り付けたいサムと、契約を握る悪魔を殺す方が賢明と判断し、悪魔を殺すコルトを盗んで消えたベラを探すディーンで、バラけます。意見は食い違ったけど、想いは一つ。互いに掛け合う「気をつけろよ」の言葉には、もはやそれ以上の言葉はいらない、ってトコでしょうか。 そしてベラですよ、本名アビー。やっぱ、ワケありだったんだ。彼女の秘密を握る元ハンターからディーンが聞き出したベラの過去と、今の生き方の動機は、なんとも痛ましいもので。でも、コルトを渡すワケにはいかない。そっか、ベラ、指紋消してたんだ。でも耳の形は指紋に匹敵する個人情報でして…。さて、ベラを捕まえたディーン。果たして…コルトはもう手元になく。怒るけど、殺さないんだ。何故(ここからはネタバレですからご注意)???それは、殺さなくてもベラは今晩死ぬから。そう、暴力を加えた彼女の両親を、ベラは殺した。それも、自分の手ではなく、悪魔、それもリリスとの契約によって。そして、契約の期限は今晩と迫っていたのだ!!サムを殺せば契約は解消するとの約束をリリスと結んでいたけれど、タイムアップ。そして、ディーンの契約を握る悪魔こそ、リリスであることも知る。無論、すべてを語ったベラ、0時きっかりに、地獄の番犬に連れて行かれました。うーん、業の深い女性だなぁ。 サムの方は…ざっくり言って失敗しました。何しろ、『時計仕掛けのオレンジ』かよ!!ってな具合に目ん玉ひんむかれて拘束されちゃって。えぇ、ベントン医師に。目玉を取り替えるぞ~ってなところでディーン登場。やっぱ、こんなグロで生き延びたくねぇ、と。 結局、直接対決しかない!!ってんで、第16話が『決戦の時』。正直、またやられた~ってなラストですよ。いつもこんなんじゃんか!!だから続き見ちゃう&期待しちゃうんですけど(苦笑)。そして、Kansas“Carry On My Wayward Son”が煽る、煽る!! いよいよ、リリスと対決。サムの眠れる指導力&パワーは、ディーンへの思いから再び覚醒するのか?あるいは、ディーンもまたタイムアップなのか?あぁ、やっぱゴースト・フェイサーズとの悶着の時間が惜しまれるわぁ(笑)。もう、悪夢の見過ぎで、ディーン、かなり目がくぼんでます。 契約を握る悪魔の名前が分かれば居場所を突き止めるのはカンタン、さすがボビー。魔法を使った“古代版GPS”でビンゴ!!リリスの居場所を発見。覚悟を決めて、いざウィンチェスター兄弟、発進。ってところに「水くせえじゃねぇか。俺も家族同然だぞ」とボビーが加勢。「トイレ休憩ならいらんぞ」と息巻くけど、ボビーと最終話っての、相性悪いんだよなぁ。とまたも疑ってみたり。おいおい大将、こんどは大丈夫だろうなぁ??? コルトがないなら、ルビーのナイフ(ルビーの指環、みたいだな)をゲットするしかない。どうも反りの合わないルビーとディーン。ルビーは、最後のチャンスとばかり、サムを利用すればリリスは倒せるなんて言うけど、ディーンは信じない。取っ組み合って、まんまと魔法陣の中におびき寄せ、おまけにちゃっかりナイフはいただき。なかなか知恵者だね、ディーン。 肝心のリリスの休暇中の居場所はインディアナ州のニュー・ハーモニーなる街。いやぁ、ニュー・ハーモニーで、カコフォニーをもたらす悪魔がバカンス中とは、なかなかやりますなぁ、脚本家。で、リリスのバカンスとは…もう、これが怖すぎる!!ハッキリ言って、どんなエピソードよりも、どんな怪物や悪魔よりも、本気で怖い。なんたって、少女の体に乗り移って、やりたい放題。悪魔の乗り移った子供ってのが、一番怖いです、私。事実この少女=リリスのやることといったら、書く事がはばかれるくらいに、ご無体。ダメです、書けません。無邪気な残酷さってのは、冷や汗ものですよ。 まぁリリス・クラスの悪魔ですから。当然“決戦の時”来る、は感じているワケで。そこんとこ、ディーンやサムも覚悟の上。リリスの取り憑いた少女の住む家に乗り込もうと思えば、その周囲に多数の手下を配置しているのは当然。さぁ、決戦開始!! いやぁ、驚いた。ボビーも意外と軍師です。まさか、聖水×スプリンクラー、なんて方法があったとは。脱帽。 家に侵入したサム、ディーン、ルビーら一行は悪魔少女を目指すも、ここでどんでん返し。悪魔、少女からお引っ越しです。誰に???なんとルビーに!!んじゃ、知らないでリリス引き連れてまわってたんだぁ、やられた。オマケに、一室に一緒に閉じこもっちゃったよ。自分が檻の中なんだわ。ガチンコ直接対決スタート…になるかと思いきや、サムがああなって、リリスがこうなって、次にサムがこうしたときには、リリスの口からああなって。ふと目をやれば、そこには地獄の番犬に、裂かれ地獄に引きずり降ろされたディーンの残骸が。ディーン、死す!! ここでサード・シーズンはおしまい。うーん。またも、こんな最後か。って冒頭にも書きましたけど、それしか言えませんね。 ともあれ、最後の瞬間を迎えるまでの、兄弟の何気ない、淡白なやり取りの中に、なんだか深いものを感じました。最後に一緒にラジオで聴いたボン・ジョヴィ。「悪い連鎖をどこかで断ち切らねば。兄弟仲が弱点になるんだ」とのディーンの言葉に涙。そして、「親父の教えを守れ。俺の教えたこと、覚えてるか」と短く、テキパキ最低限確認しておくディーンに、涙を浮かべながら気丈に頷くサムの覚悟。本当は怖くても、ことさら明るくドライに振る舞うディーンと、なんとかディーンを助けたいと思いながら、一人でも意志を継ぎ貫く覚悟を自らに課すサムの成長に、やられますね。本国では、新シーズンも放映中。はやく続きが観たい!!(了)スーパー・ナチュラル(3rdシーズン)祭。( 話)SUPERNATURAL III スーパーナチュラル〈サード・シーズン〉コレクターズ・ボックス1(DVD) ◆20%OFF!!■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/03/10
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最近じっくり音楽聴いてないなぁ。いや、聴いていないというワケじゃないんですが、ちょっとした合間に、時間を埋めるように聴いているような気がするのです。いま、個人的に音楽は「じっくり」。これが希望&キーワード。そういえば、最近チャートを賑わす音楽よりも、長く聴けそうな音楽を選んでいるような気がします。これって、やっぱり今「じっくり」聴けないから、結果として賞味期限の長い音楽を自然と選んでいるのでしょうか。人間の感覚やセンス(器官もそうですけど)って、環境や状況に応じて、発達したり退化したりしますので、今はチャート・アクションへの感度がやや鈍っているとしても、ライフサイクルの長い音楽を選ぶ感覚は鋭敏になっていると思います。 ところで。「ケータイで音楽」ってのもトライしたし、Bluetoothもやってみた。あとは、自宅でワイヤレス・ヘッドフォンデビューかな、などと思ったりもしましたけど、もともとそんなに音質にはこだわらない派のワタシが手を出すのは時期尚早かな、とも思ってみたり。 じゃ、やっぱり、再生環境はどうあれ、少なくとも気分的には「じっくり」なムードになれる、即席感のないツールで聴くことの方が、「じっくり」追求への初手じゃないか、と思い直しまして。有線でもいい。昔よくやっていたように、イヤフォンじゃなくヘッドフォンで、限られた時間の中で浸る…というのはどうか??? で、いろいろ検討した結果、NIXON(ニクソン)のヘッドフォン【NOMADIC】に辿り着きました。カラー・バリエーションばかりが取り上げられますけど、なんともいい感じに力の抜けたマテリアル感や、ホールド感やヘッドフォン自体で音量調節が出来たり、折り畳み可能&ケースで携行性が高かったり、とスペック的にもハイエンド。 ワタシはブラウンを購入しましたが、明るく抜けた色味なので、季節を問わず、屋内外を問わず、「じっくり」な気分にマッチしているかな、なんて思っています。(了) 【送料無料】NIXON ヘッドフォン THE NOMADIC NH005400-00 ブラウン■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/03/09
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先日、岩手県は遠野市に仕事で行ってまいりました。しばらく東京も雨や曇天続き。出張当日は東京も比較的暖かかったようですが、朝一番の電車で降り立った新花巻駅の空は、雲ひとつない、透明感のあるブルー。岩木山から時折吹き降ろす冷たい風もヒンヤリ心地よく、身の引き締まる思い。 この新花巻駅から遠野までは、10センチほど積もった雪を掻いた跡に現れる単線で、小一時間かけての旅となるワケですが、無人駅のホームに立つと、透き通って青い空、清新な空気、雄大な山々の稜線が、忙しい日常の中で、束の間思い切り心にノビをさせてくれるようです。(了)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/03/09
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忘れられないキャラクターが再登場。トホホの中のトホホ、勘違いオカルト・オタクのエドとハリー(ファースト・シーズンに登場)が、新たな仲間を加えて、4年に一度、最高に激アツな心霊スポットになる恐怖の館に闖入。ドキュメンタリー番組を作って一山当てようと、懲りないご様子。さてスーパー・ナチュラル サード・シーズン、第13話『恐怖の館』は、いわば劇中劇のような作り。「地獄の番犬ドット・コム」を閉鎖したエドとハリーは、ゴースト・フェイサーズなる幽霊退治チームを組んで、またもやらかしてくれます。なんたって、ゴースト・フェイサーズ、前のめりなのに脱力しっぱなしのテーマ曲まであるんですから。で、その心霊スポット、モートンハウス。ここで何が起こるのか?当然そこで、ディーンとサム兄弟と鉢合わせになり、本気モードのゴースト・フェイサーズは“釈迦に説法”状態。ウザいなぁ、ホントに(苦笑)。 「遊びじゃないんだ、早くここを出て行け」と忠告するも、“獲物”を逃したくないエドたちが、ベースキャンプまで設置して見たものは…昇天できないループ幽霊たちだった。「待てよ。幽霊たちがこの世に未練を残す場合、ヤツらは死んだ場所に現れる。でも、この霊たちは“この家の中”では死んではいない…なぜ???」そうこうするうちに、エドに気があったナイスで純なゲイ・見習いコルベットが幽霊にさらわれる。続いてサムも!!この家の最後の持ち主は元病院の用務員、軍用の食料を買い込んだ剥製趣味の男。机には「原子爆弾から生き延びる方法」なる本が。その男の放置されたままの遺品の中に、三人の遺体の記録を発見するディーン。そうか!!「冷戦下、核戦争勃発を恐れてシェルターを作った男が幽霊の正体。そして男は、死体をかっさらってきてこの家のシェルターで、死体とお楽しみってわけか!!」さらわれてきた死体だから、死んだ場所でなく遺体のあるこの家に幽霊が登場、というワケ。 シェルターの向こうでは、コルベットとサムがグロな晩餐にご招待。サムの目の前で、変態幽霊に殺されるコルベット。やがて、その魔の手がサムに伸びようというとき、ディーンがシェルターを破って現れるが、相手は強力。一方、塩のサークルで“待機”させられていた、エドら一行の目の前にコルベットの霊が現れ、何度も死の瞬間をループし続ける。いたたまれぬエドとハリー。「エド、コルベットを受け止めてやれ!!コルベットはお前に気があったんだ!!エド、コルベットを昇天させてやれ」おいおい、ハリー、お前はエドの妹(養女だそうです)とイイ感じになって、必死の説得がそれかよ(汗)。でも、勇気を振り絞り、本気でコルベットに歩み寄るエドに気が付いたコルベットの霊は、想いを遂げ、死体を招いてパーティしてた、恐怖の寂しがり幽霊を道連れにして消えていく。 闘い終わって。そこはちゃっかり、コルベットの雄姿と献身をクライマックスに、番組は作っちゃってたエド、舌の根も乾かぬうちに、得意げにディーンとサムにパイロット版を試写する有様。ご苦労さん。付き合いきれんと、去るウィンチェスター兄弟。むろん、映像データ削除の仕掛けを残して。 というのがこのエピソード。とにかく、チープ。ホントにお粗末。それがゴースト・フェイサーズ。迷惑なヤツらです。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のパロディ(この今さら感もトホホです)よろしく、手ブレしまくるハンディカム、わけもなく荒い息づかい。とにかく、この二人には眼を覚ましてもらいたいですね。 シリアスなのが第14話『地獄からの電話』。死んだ人からかかる電話。内容は一様に「こっちへおいで」。イコール、死ね。いやぁ、コワい。銀行員は、自殺した浮気相手の執拗な「おいでコール」(?)に気がおかしくなり、銃で自殺。ディーンの悪魔との取引解消も放っておけないサムだが、ディーン、ルビーと直接話しちゃったこと隠してたんだわ。「俺は助からない」。途方に暮れるサムを連れて、ディーンはこの怪事件を追う。 死んだ銀行員の電話の着信履歴には“SHA33”のナンバーが。これって…100年前の番号だ!!電話会社に聞き込みをかけると、これまたいかにも~な怪しい男が管理ルームに。といって、この男も、就業規則には違反(えっと…会社のPCでポルノサイト、ダウンロードしてました)しても、悪の根源ではないわけで。そこでわかったことは、同地域に、同じ“SHA33”の番号の発信先が多数ある事実、さっそくサムはそのうちの一軒を訪ねる。そこで出会った少女から、「死んだママからメッセージが来るの」と打ち明けられる。他方ディーンには、なんと自分の命と引き換えにディーンを救った父・ジョンから電話がかかる。不安に怯え、日に日に地獄へ落ちることの恐ろしさをかみ締めてきたディーンは、電話の向こうのジョンの教えるまま、悪魔との契約解消の方法を実行しようとする。「それは罠だ」と諭すサムにも、ディーンは耳を貸さない。とかくジョンとの関係については、ディーンは一層ガンコになりますなぁ。 サムのもとに件の少女から連絡が入る。とうとう「おいでコール」があったのだ!!この「おいで」コールの犯人、死人の声真似をして餌食を呼び集め魂を吸い取る悪霊・クロコッタ。ディーンはサムと切り離され、まんまと罠にダイヴ!!クロコッタ演じるジョンに操られるディーンを救うため、怪しかった電話会社に戻るサム。そこでクロコッタの正体は予想外の男、不意を打たれるも辛勝する…。 100年前の番号、このエピソードの舞台がエジソンの生誕地だったりして、エジソン博物館を疑ったりするシーケンスもなかなか思わせぶり(&実際は空振り…ですけど)で面白かったし、ジョン(の声)再登場、さらには、ディーンの動揺など、以降のエピソードをさらに楽しめるような複線が盛り込まれた一話でした。しかし、遺族の心の傷を利用するなんて、クロコッタってのは嫌らしい悪霊です、まったく。(了)SUPERNATURAL III スーパーナチュラル〈サード・シーズン〉コレクターズ・ボックス1(DVD) ◆20%OFF!!■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/03/06
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『天地人』、観てますよ。いや、一週遅れで、観溜めした、ってトコロです。謙信、散る。無念。上杉謙信@阿部寛氏の登場回数を増やして欲しい、などという視聴者の声、あったんでしょうね。おそらく。かつての『利家とまつ』における織田信長@反町隆史氏のごとし。 さて、“泣き虫与六”も、ここへ来て一気に己の宿命に覚醒したようです。「愛」に生きる。それが、謙信が「義」について“人が人であることの美しさ”と定義したのに対し、「愛」でもって捉えかえしていく。その覚悟のゆえか、妻夫木聡氏がいい。もっと言えば、美しい。 この方、例えば、あくまで私の尺度でしかないのですが、所謂姿の美しいタイプの俳優さんではない気がします。古代ローマで言えば、アントニヌス・ピウス(会ってことはないですけど…)のような、手足長く、少しユラユラとしたような流れるようなシェイプを持った、手足の少し過剰に長いタイプではないですね。だから、立ち姿、立ち居振舞い、一見して独特の美しさを放つスタイル(お面相はまた別ですが)ではないのですが、あった!!妻夫木氏の姿の美しさ。 それは、正座したときの背筋のピンとした正さ。このアタリが、妻夫木氏自身のキャラクターと、誠実を旨とする直江兼続のイメージに重なって、いよいよ“泣き虫与六”は、天下人・秀吉も欲しがる名宰相への道を駆け上がっていく生き様を予感させます。 もう一点、演技の上でそうしているのでしょうか、ともかく、日本語、特に語尾がきれいですね。ハキハキとしていて、日本語が持つ美しさや清々しさ、潔さみたいなものが滲み出ています。 さて、いよいよ越後は風雲急を告ぐ様相。笑わぬ殿様・景勝とともに、戦国時代に上杉家の盤石を築く道のりのはじまりはじまり。(了)NHK大河ドラマ「天地人」で話題!直江兼続公の鎧を熟練甲冑師が現代に再現した五月人形鎧飾り雄山作:1/4直江兼続公具足 二曲屏風飾りセット【送料無料】■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2009/03/02
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