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さて。果たしてこの旅は何だったのでしょう。もともと、母の家系はすごく霊感が強く、それは私に遺伝した(自分が感じると言うよりも、よりそうした力の強い方から指摘される側)ようで、昔から不思議な話には事欠かないのですが、沖縄に滞在していた時も、宮古島では、男性には滅多に使われることがないという「生まれ高い人」(霊的な能力の強い人)と呼ばれたりもしました。 私は常々、スピリチュアリティというのは人間にとって絶対不可欠な要素であると考えていますが、それはある種、神代から受け継がれて来た人間自身の知恵や哲学に類するもの、先人を敬い愛する心や、生き方の美しさに関わるもので、楽しく生きる、成功するなどといった利益につながる道具でもなければ、オカルティズムでもない、と考えて来ました。 所謂場の力の強いスポットに、惹かれ、召し出されるようにして趣いたこの旅。不思議なことが起こったかと言えば、そういうことを考えること自体がいささか不謹慎なことなのかもしれませんが、実は、内宮に足を踏み入れるまでは、ミスティな空間で、ただただ心地よく、心が鎮まり、包まれるような感覚に、やはり心身が疲れていたのだな、来てよかったな、という思いを強めるに止まっていました。事実それで十分だったのです。 ところが、内宮に至り、やがて正宮に近づくと、なにか、重力が働かないような感覚に包まれ、それこそ、地面のないところに立たされているような状態に陥ったのですが、しばらくするとその状態に慣れて来て、逆にその浮揚感というか、無重力を泳いでいるような感覚の方が心地よく正常のような感じになりました。一日中玉砂利を踏みしめたその足が、アスファルトを異様と察知するのと同じように、今度は体でなく、心が正常と異常を感知し、選り分けたのかも知れません。 そのことが、どうだ、というのはまた別の話。ただ、あの感覚は忘れられない体験となりました。しかし何より、この旅で素晴らしかったことは、一日にこれだけ、頭を垂れる、ということの意味を味わったことかもしれません。日常、俗世の垢が身に付けば付く程に、素直に、謙虚に頭を下げるということから縁遠くなって行くものです。それが、傲慢というものです。 しかし、こうして、神社で、鳥居で、何度も何度も頭を垂れ、礼をしていると、忘れてはならない謙虚さ、謙譲の美しさというものが、身に沁みてくるのです。そういうことに気づかされてまた、家族や友人、知人の協力、応援のもとに日々があることを思い出し、不足しがちだった心の準備を補って、心から感謝をすることができたのです。なるほど、伊勢神宮を巡るということは、心身の浄化から始まって、各所で頭を垂れさせ、高慢な心を素直に変えて、内宮に導く。そんな、あたかも神々のプログラム、心のリセット装置のようにして神聖なる社は配されているのではないか、とまで考えてしまいました。 短い時間ながら濃密な刻を過ごしたこの経験は、まさに糧としてこれからの生き方に清涼な風を送ってくれるのではないでしょうか。(了)
2010/03/29
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当日の行程は下記の通り。6:20の新幹線、10:00に伊勢市駅着。月夜見宮(心鎮め、心身を浄化)↓外宮へ(豊受大神宮)表参道北御門参道別宮1:御正宮2:多賀宮3:土宮4:風宮↓バスで猿田彦神社へ↓猿田彦神社↓13:00宇治橋五十鈴川(残念ながら工事のため水が濁り、お清めは出来ず)1:正宮(皇大神宮へ)2:荒祭宮3:風日祈宮4:御饌をあげる↓16:00バスで15分月読宮↓倭姫宮↓伊勢市駅から名古屋へ。(17:30見当) 実際には予定時刻よりも一時間近く圧してしまいました。外宮、内宮を擁する伊勢神宮は、地図から想像していたよりもはるかに広く、土地勘がない分、足で稼げるところがあまりなく、交通機関を効率よく使っても、相当な時間がかかりました。旅慣れていても、観光目的でなく半日で巡ると、これくらいが限界ではないかと思います。 翌日は、名古屋で散策とも思いましたが、実はそう言うほどに時間がなく、宿泊のためだけの名古屋訪問という形に近いものがあったため、限り時間を使って、思い切って熱田神宮まで行ってきました。 伊勢神宮が、全体的に静謐でピーンとしているのに対して、熱田神宮は、どこか大らかでのびのびしていて、男らしいというか、そういう気が感じられ、神社によっても様々な“気の個性”があるのだ な、と思った次第。 どうも子供の頃から信心深い質なので、観光目的でない今回は、せっかくのお伊勢さん詣りでも、全然写真を撮りませんでした。ただただ、場の空気に身を預け、自分を空の器にして、そこにいただけるもの、集まるものを感じる旅となったのです。(つづく)
2010/03/29
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思い立ったが吉日、というのはまさにこういう時のためにある言葉なのでしょうか。ずっと周囲からも勧められながら、なかなか自分の中で心の準備が出来ていなかったといいますか、ピンとくるものがありながら、体が前に進まないような感覚があったのが、この春、いきなりムズムズと六感が疼き出していてもたってもいられなくなり、伊勢神宮にお詣りに行って来ました。あまりに、“パワースポット”という言葉が一人歩きし過ぎていたせいもあるのかもしれません。 当日まで準備の時間がなく、物理的にも精神的にも慌ただしい状態で出発を迎えたのですが、それでも体が前に進んだのは、やはり何かのご縁があったからなのでしょうか。 こうした決断も、多くの人に打ち明けるといいと聞きますが、今回も、決意してから行動までに時間がなかったにも関わらず、気になる方々には「伊勢神宮に行く」と伝えたところ、様々な情報を寄せていただき、そのお陰でかろうじて準備が整ったのでした。 雨天もまた良し、といいますが、伊勢神宮参詣当日は雲一つない快晴。心にかかる雲も晴れ渡るような、清冽な空気の中、駆け足ながら、心を込めて、気の集まる広大なエリアを歩き回って来ました。 折しも桜も種類によってはいい具合、ちょうど今週末あたりは満開になるのではないでしょうか。花見には一歩早いけれど、賑わいも適度に、落ち着いて心を鎮め、神恩感謝することができました。(つづく)
2010/03/29
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見出し:いいえ。フリーメイソンは、あなたの傍にいます。ダン・ブラウン著、越前敏弥訳『ロスト・シンボル』(上・下)(角川書店) 世界中で読まれ愛される大ベストセラー、ロバート・ラングドンシリーズの最新作である。前作『ダ・ヴィンチ・コード』の品切れ続出の教訓か、最新作は予約分も含めて、書店流通分も比較的余裕があったように思われるが、そこが“ヒット”前後の違いなのかも知れない。 さて、今回の舞台はアメリカはワシントンD.C.。ヨーロッパ人よりもヨーロッパを知る(まさに、新作中における“ラングドンの学生”だ)日本人にも楽しめた過去二作と違い、『ロスト・シンボル』は、アメリカ人こそがいちばん楽しめる、いささかパトリオティックな作品となっている。世界を股にかける人気作家のダン・ブラウンも、やはり愛国心から逃れられなかったか。しかも、このタイミングで…。 そしてやはり、パトリオティックなテーマを持つからか、過去二作に較べて、メッセージ性が強く、ギミックでない重さ―それを深遠と呼ぶのは早計にしても―を感じる。 象徴学者、アメリカ、ワシントンD.C.と来れば、当然モチーフとなるのはフリーメイソン。数多の陰謀説や伝説に彩られ、注目される程その正体を闇に包んできた秘密結社。あまりに多くテーマや話題、論点にされてきたフリーメイソンだけに、あえてこの手垢にまみれた団体をモチーフに選ぶあたり、作家の自信と意気込みが感じられる。といって、それこそ読者の多くがおそらくフリーメイソン通なのだから、よほどの切り口でないと驚きもしない。 そこで作家がとった手法とは、フリーメイソンをオカルティズムから引き離し、社会的に名声も地位もある、開かれたエリート集団としてオープンに設定し、これを目くらましにしておきながら、その暗部に仕掛けを施して行くやり方だ。このあまりに大胆かつ、安直なテクニックを良しとするか否かは読み手が決めるだろう。 そしてさらに今作では、時空を超えたメッセージ、謎解きの面白さもさることながら、地上に顔を出す表面部分はよく目にし、あるいは知る合衆国議会議事堂ほか有名にして国家の政をはかる建造物の内部を、迷路を往くがごとくに主人公らとともに走り回る、いわば“閉じた広域”を見学的に味わう楽しみがある。無論、教授にとって“閉じた”は禁物であるが。映画化された暁には、ニコラス・ケイジ主演『ナショナル・トレジャー』との比較も面白いが、御本家がこの首都を舞台にした以上、『ナショナル・トレジャー』はハシゴを外された形になって、少々気の毒でもある。 映画と言えば、はじめてダン・ブラウンの作品が映画化されたのが『ダ・ヴィンチ・コード』であり、同じラングドン・シリーズ『天使と悪魔』は、原作は第一作でありながら映画化されたのは、シリーズ第2弾の原作『ダ・ヴィンチ・コード』およびその映画『ダ・ヴィンチ・コード』のヒットを受けて、前後した形で実現したわけだが、この『ロスト・シンボル』は、いうなれば初めて、「作家が、トム・ハンクスがロバート・ラングドンを演じる」ということを知っていて書き上げた作品という点が重要だ。 というのも作中、ラングドン教授の人物描写について、過去二作ではあまり感じられなかった“トム・ハンクス臭”がやけに目立つからだ(あの“目をくるりとさせる仕草”の多用よ!!)。明らかに、文字の上のラングドンは、トム・ハンクスにトランスフォームしている。想像力を侵されたのは残念だ。そう、読者もまた、トム・ハンクスを思い浮かべることから回避できなくなっている。 肝心の悪役はどうだろう。上記のような状態で、作中、文章による描写だけでキャラクターが立っていたのが、まさにこの“悪役”(とCIA保安局局長サトウ)であろうか。といって、これまた映画化されれば、誰が演じ、どのようにその威容を見せつけてくれるか…などと創造してしまったりする。 これまでもネタバレには気をつけながら記述しているが、さらに続ける。読後、いくつか複雑な思いに駆られる。 一つは、「またも父親殺し」か、という呆れた思い。いつまでオイディプスの亡霊から、人は、想像力は逃れられないのだろう。ダース・ベイダーをチラつかせ、確信犯的に「父親殺し」でゴリ押しする古典的な手法には、あまり新鮮さを感じなかった。何か、特に20-21世紀のアメリカニズムの限界を感じてしまう(本作の主題がパトリオティックであることも無関係でないだろう)。 あるいは、いくらフリーメイソンを持ってきたところで、私怨から国家を揺るがすというオチには、互いの落差の大きさを感じる。確かに、すべての悪意の原点に立ち返れば、それは政治的であるよりは個人的であるというのが、真理かも知れない。しかし、フィクションなのだからこそ、もう少し飛躍が欲しかった。 そして、そうしたシーケンスの弱さを埋め合わせするように持ち出してきたのが、臨死体験や、お得意の虚々実々の最先端科学であるというのは拍子抜けする。何より重たいのは、それらを、あろうことかお楽しみであるべき謎解きの大部分に持ち込むことで、物語のクライマックスを、抹香臭い長広舌にしてしまっている点、なにか読者を無視したような展開に疲れてしまう。どこか、ラングドンを通じて、ダン・ブラウン自身の思想を聞かされるようであまり好きになれない。 このように、過去二作と比べて、簡潔にただ「面白い」と言える作品ではないが、少なくとも、作中ではiPhoneやブラックベリーが大活躍するにも関わらず、表紙を開いたその瞬間から、私自身はiPhoneを使うのを忘れていたのは確かだ。当代随一のページターナーぶりには流石と言わざるを得ない。そして、ロバート・ラングドンという「「ハリス・ツイードのハリソン・フォード」と描かれた希有で個性的なヒーローが現れ、それをトム・ハンクスが演じたことで、実は当のハリソン・フォード演じたインディ・ジョーンズは、UFOとともに去って(?)ヒーローの座を明け渡したような気がする。ラングドンの映像化と、インディ・ジョーンズの退場が、ほぼ同時期に重なったことは、あながち偶然でないだろう。(了)ロスト・シンボル(上)ロスト・シンボル(下)『ロスト・シンボル』の謎フリーメーソンの正体
2010/03/26
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久しぶりに劇場で映画鑑賞。『シャーロック・ホームズ』、観て来ました。私はシャーロキアンというよりは…ルピニスト(っていうのかな)なので、あまり深く考えず、とにかく“世界一有名な名探偵”の新たな描かれ方を楽しみに足を運んだのですが、とにかく面白い。 ロマン・デュリスがタイトルロールを演じて、新たなルパン像を作り上げるも、熱烈なファンからは、主に脚本面で評価が分かれた『ルパン』。これと比して観ずにはいられないワケですが、やはりオリジナル・ストーリーということで、原作にはないエピソードを作品にした『シャーロック・ホームズ』の方は、シャーロキアン達の厳しい審美眼にも概ねかなったようで、あまり悪い評価は知りません。 が。やっぱり面食らいます。このホームズ。前評判通りの格闘シーン&アクション、二枚目ワトソンの登場、といったことだけでなく、やけに体温のある描写が、とにかく、シャーロック・ホームズという人物にかつてないほどの血肉を与えているのです。もともと文字だけでも十分楽しめる作品であり、ある意味映画化などなくても鮮度を落とさず確実に後世に残るだろう傑作“シャーロック・ホームズ”。これを敢えて映画化したことは吉と出たのではないでしょうか。TV版はともかく(というのも、TV版は、他意なく、文学作品と共犯関係にあると筆者は思うからなのですが)、イメージだけで楽しめていたホームズ像に、新しくて強烈な具体像を提示したこの作品の意義は案外深いのではないでしょうか。 世界的にも好意的に受け入れられたこの挑戦。それは、主演したロバート・ダウニー・ジュニアの功績もあるのではないかと勝手に思っています。今でこそ勢いがありますけど、技巧派の新生と期待されながら、なかなか悪習と手を切れず、キャリアを遠回りしていたロバートですが、あの飄々たる生き様は、難しい役柄に独特の説得力を与えています。別の俳優だったら、もしかしたら批判的な意見もたくさん出たのではないかな…。 といって、とにかくロバートのホームズは、もう全然既成のイメージとは違いますから。やっぱり「え?」っと思う人も沢山いるはずで、でも、これはこれ、と割り切らせてしまうカリスマがあります。 もともと、鳥打帽にインヴァネスコート、というイメージが、初期の挿し絵が伝播して定着したもの(よって、実際には「これがホームズ」という具体的なヴィジュアルは存在しない)だということくらいは知っていましたが、ここまで未知のホームズと遭遇することになるとは…。しかも、心地イイ。いや、ガイ・リッチー監督も完全復活ですよ。ロバート・ダウニー・ジュニアの復活にシンクロしましたね、見事に。 ワトソン、おお、ワトソンよ。貴方も素晴らしい!!ガイ・リッチー監督は、ジュード・ロウのワトソンを見たら、ほかは考えられなくなる、とコメントしておりましたが、まさにその通り。完璧な英国紳士が、天下の奇才ホームズと肩を並べて立ってこそ、スタイリッシュなんだよなぁ。そう、ジュード=ワトソンと、ロバート=ホームズのツーショットこそが、ホームズとワトソンの新しい定番ヴィジュアルになる。それくらい格好いいのです。昨今流行の“相棒モノ”の古典としては、ここまでキメてくれないと、やっぱり萌えない(笑)。 そも、バットマンでおなじみのDCコミックって、ディテクティヴ=探偵のことですから、独自に探偵モノ・ジャンルをエンタテインメントとして持っていなかったアメリカが、探偵モノのニューヒーローの一環として生み出したバットマンは、ロビンとのコンビネーションでウケたのですが、そこには、マッチョなバットマンと、すぐに捕まって身悶えしてしまう少年ロビンとの、BL的な関係が、演出として間接的に盛り込まれており、それがまた人気に火を点けた要素でもあったのですが、当然その原型は、“相棒モノ”スタイルにあるわけで、今回のホームズの映画化にあたっては、二人の二枚目オトナ俳優起用に「BL的描写はダメ!!」と事前にストップがかかったそうです。結果は…男同士の友情となっていますが、演じている二人は、そういうニュアンスも分かった上で咀嚼して、飽くまで遊び心の範囲、ユーモアとして盛り込んじゃってるような気がしてならないのですが。 ヴィクトリア時代のロンドンの、ドロッとした喧噪と壮麗さ、慇懃無礼な街の佇まいもまた、ハンス・ジマーの音楽とマッチして、素敵でした。 理知の子ホームズの映画なのに、理屈抜きで楽しめる。そんな『シャーロック・ホームズ』に感化されて、児童書でしか読まなかったシャーロック・ホームズ、もう一回読み直そうかな…とまで思ってしまいました。おっと、また自分に仕事を増やそうとしている…危ない、危ない。(了)送料無料 CD/サントラ/「シャーロック・ホームズ」オリジナル・サウンドトラック/SICP-2596★ジュード・ロウ版★[初版・映画ポスター] シャーロック・ホームズ (SHERLOCK HOLMES) [Jude Law ADV-DS]
2010/03/24
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仕事柄、著名人、有名人と呼ばれる方にはご縁をいただく機会がある方ですが、タレント、芸能人の方となると、意外と街中で見かけることが多いです。「なにごとも、見え過ぎないくらいが丁度イイ」をモットーとする私。近眼なのに、コンタクトレンズも使用せず、眼鏡は必要な時だけかける主義であるにも関わらず、なぜかふと目線の先に有名人がいらしたり、隣にいらしたり。それも、ロケなどでなく、おそらくプライベートでしょうから、私もことさら騒がない(笑)。で、後で一緒にいた友人などに「さっき●●さん、いたよ」と話すと、「何で教えないんだよ!!」と軽くケリを喰らいますけど(苦笑)。引寄せるなんて力はないワケですが、人と比べると「圧倒的に多い」そうなんです。では早速ざざっと、思いつく方々、行ってみましょうか。■石塚英彦さん:間違いなく、旅番組の移動中■勝俣州和さん:一緒の飛行機…。■松崎しげるさん:自動ドアですれ違いご挨拶。■佐田真由美さん:空港ですれ違う。■矢田亜希子さん:喫茶店で隣に。移動前の空港かな。■片桐はいりさん:渋谷で行き交う。■田口浩正さん:ドトール・コーヒーで。■阿南健治さん:事務所の前を走り去った…。■山下智久さん:デビュー直前頃、電車で。強烈なキラキラオーラが…。■堀内健さん:は、ロケかな。銀座伊東屋前で(笑)。■田中美奈子さん:旅先で。■ナインティナインさん:これもロケ。校門出たらいた(笑)。■ラモス瑠偉さん:六本木交差点で。■安達祐実さん:二度お見かけしています。。。■上原多香子さん:この方も空港だったと思います。■真木蔵人さん:ドライブ中に。格好よかったっす。■米倉利紀さん:ライブでお隣。などなど…。 って、キリがないなぁ。それにアーティスト系は駄目だ。もう、本当にキリがないです。米倉さんだけにしておこう(汗)。なんせ思い出そうとすると、いくらでも出て来そうで。そうそう、街で見かけたわけじゃないですけど、いよいよ試写会間近の松井久子監督第三作映画『レオニー』のエキストラに参加したときのこと。セットの隣室、窓越しの中村獅童さん。生意気にも、出番の待ち、ご一緒してしまいました(うわぁ)。その姿の奇麗なことには、流石だなぁ、と魅入ってしまいましたね。 当ブログは芸能ネタは珍しいので、結構楽しみながら書いてしまいました。(了)
2010/03/24
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テクノロジーって、コワイですね。なんせ、生活習慣というか、身体感覚までも変えてしまうのですから。 先日PASMOを忘れて外出。ま、ちょっと近場へのお出かけだから、財布あるしいいか…とそのまま出かけて駅まで行ったところ、券売機で、あの硬貨投入口にお金がうまく入らない!!指先が緊張してぎこちないというか…(涙)。なんと、カードでピッと入ることに慣れ切ってしまったせいか、かつてはなんでもなかったあの投入口に硬貨を入れるのが下手になってるではないですか!! 投入口が、“ラクダを通す針の穴”のように、ことさらに狭く小さく見えたのは何故でしょう???手先の慣れというのは、特に恐ろしいものです(あ、そういえば楽器も、一日触らないと、もう手が付いていかないですしね)。(了)ICカードなどをスマートに収納!smrt case SMT-PH-000001 Glide for iPhone 3G/3GS Midnight
2010/03/24
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春ですから。やっぱり、芽が出たり、桜が咲いたり、動物さんが動き出す季節ですから。いわば、生命のスタート。胎動から活動へ。 ということで、今年は伊勢神宮に行ってまいります。もう何年も前から一度は…と思っていながら、あまりのエネルギーの強さに、こちらが負けてしまうのではないかという「畏れ」があり、二の足を分居ました。 思い立ったが吉日。そういうのって、お参りにも当てはまるのかどうかさておき、なぜか、心のアンテナが、「今しかない」「今こそ、そのとき」とゴーサインを出したので、思い切って、本格的な活動シーズンを前にして、心を清めに行って来ます。さてさて、無事、日常の中で落ちたスピリチュアリティをチャージし、俗世の垢を落としてくることができるか、今から当日まで、“ありのままの自分”をキープできるよう、心の構えをしておりマス。(了)伊勢神宮
2010/03/24
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大手電機メーカーが、白熱電球の生産を中止したり、まぁ日本はとにかくエコ・省エネに向かっています。大企業が率先垂範すると、影響力ありますから、こういう建設的で生産的な活動に取り組んでくれると、まだまだ大企業・一流企業は、それなりに誇りを失っちゃいないのだな、と応援したくなるわけです。胡座かいてちゃ駄目駄目。 というわけで、日々仕事道具やガジェットに、何かと電力を消費する仕事にある私としても、身の回りのことからエコ・省エネに着手しなければ、と思い、ようやく電池はエネループの使用にほぼ切り替えしました。 で、ここ数ヶ月使ってみて便利なのが、eneloop スティックブースター。一見、なんだかよく分からないヘンな形状ですが(苦笑)。これ、中に単三型電池2本を入れて、USBケーブルでつなげば、適合する製品の充電器(もしくは一時的なバッテリー)として使用できてしまうと言う優れもの。 当然、中は単三型エネループ2本。通常使用なら、これ一本持ち歩けば、十分に用が足ります(充電容量はiPhone 3GSで70%程度だそう)。勿論、iPhone以外の機器も、USBアダプタなどを介在させて電源を取れるものなら充電可能です。 これでお値段2000円アンダー。最近ますますiPhone依存が高くなっている私としては、“愛情一本”(古っ)な必携アイテムです。(了) 【次回4月以降入荷】サンヨー(SANYO)USB出力付 ハンディ電源 KBC-D1AS【KBCD1AS】【eneloop stick booster エネループスティックブースター】単3形eneloop2個付SANYO eneloop tones(単3形限定8色カラーパック) HR-3UTGA-8TN
2010/03/24
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ここ数年では最大規模の“美術展ハシゴ”、してきました。なんせ『没後400年長谷川等伯特別展』が入ってますから。それに『ボルゲーゼ美術館展』と『春期二紀展』。お腹一杯です。 『長谷川等伯展』は、もともと会期も短い上に、終了間近(今月22日まで)ということもあって、なんと80分待ち。ディズニーランドの人気アトラクション並みです。それでも、国宝3件、重要文化財30件を含む最大の回顧展、これには人が集まるはずです。 よく知られている幽玄の世界、まさに天下人の絵師となる以前の初期の作品から順を追って展示された作品は、51歳にして境地に到達した絵師の試行錯誤や苦難の道のりと重なり、さながら“道行き”の赴き。巨大な涅槃図は、時もほぼ重なるようにして、あたかも大聖堂の西洋宗教画と不思議なリンク。やがて、暗転した室内に、浮き上がるようにしておぼろに現れる「松林屏風」をはじめとする、霧立ちこめる山水の世界。いろいろあって、ここに辿り着きました。そう言わんばかりの、徹底的に無駄を排した作品のどれも、実はこれまであまりなかったことですが、こうして近くで本物をみることで、その筆致が意外に力強くエッジィだということに気がつきます。メリハリ、グラデーション、そして、“無色の有色”。それらの絶妙なモチーフ配置により生み出された“間”、この仕掛けに、観る者、そこに身を置く者はまんまと等伯の仕掛け、舞台装置に幻惑されてしまうのです。 国内に存在するほぼすべての作品を一挙公開する空前絶後の機会という表現に偽りなし。いやはや、大層なことです。ただし…あまりに多くの来場者、頭・頭・頭!!!時には作品の上半分しか見えないことも。これじゃ200年回顧展に半減してしまいます(苦笑)。 『ボルゲーゼ美術館展』。これは年始からスタートしていまして、4月頭まで開催している訳ですが、ラファエッロ・ファンの私としては絶対に外せない展覧会。こちらは、ルネサンス期に枢機卿を輩出した名門貴族ボルゲーゼ家の私的なコレクションとうだけあって、全体に“好み”が統一され、シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿のパトロンとしての趣味の良さが窺われます。闇雲な集め方じゃないところが、成金趣味じゃなくていいです。また、コレクションであるため、比較的小品が並ぶわけですが、この小振りなカンジも、等伯の後にはすっきりとした“喉濾し”。瀟洒な別荘で個人蔵の作品をゆっくりと拝見する赴きです。目玉であるラファエッロの「一角獣を抱く貴婦人華やかでよかったですが、この展覧会ではカラヴァッジョに注目が集まったみたいですね。私、カラヴァッジョ、苦手なんだぁ(苦笑)。で、今回もやっぱり…。「洗礼者ヨハネ」…。なんか、昭和のグロ劇画みたいな、あのザラついたカンジが…やっぱりダメ。あ、ちなみにカラヴァジョも、没後ほぼ400年です。 なお、会場である東京都美術館は、この展覧会を最後に2年にわたる大改修工事に入ります。改修前の最後の展覧会。派手すぎず、しかしきわめて趣味のよい催し物を持ってきました。 『春期二紀展』は恩師の作品も出展されるということで、駆けつけた次第。毎年二紀展に足を運ぶと、“トレンド”が見えてくるような気がします。また、新たな才能・未来の才能に触れるのも楽しみの一つ。テーマのバラエティと表現手法の多様さを一望することで、日本美術界の一角の空気感を味わうことができる、私にとって非常に貴重な機会。羅針盤を覗き込むような場なのです。 今回、美術展をハシゴするのも、実はこの三者を同時に見られるタイミングを待っていたのですが、ワンチャンス、予定通り無事、目と心に栄養注入できて実によい一日となりました。(了)長谷川等伯筆 国宝「松林図」木版画
2010/03/17
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こんなに、たった数時間、我を忘れて手先のことに没頭したのはいつ以来でしょうか。好天に恵まれた昨日3月14日(日)、茶会スタイリスト・岡田和弘さん主催の【マイ茶杓づくりワークショップ】に参加して、お茶杓を削って来ました。 もともと岡田さんとは旧知の仲。その後もずっと縁は続いていましたが、ワークショプに参加したのはこれでたったの通算二度目。なかなかこちらの都合が付かず、【マイ茶杓づくりワークショップ】も昨年の第1回は泣く泣く見送ったのですが、今年は時間をやりくりして、ようやく足を運ぶことが出来ました。 もう随分前にお稽古をしていた頃は、自分なりにひと区切りつけたつもりでしたが、彼の「誘惑」で、やっぱり根っこに聊かなりとも残っていた数寄魂がくすぐられまして、ついにふたたび足を踏み入れてしまいました。 お稽古をしていた時から、茶道具の中でも、茶器の類を除けば、もう圧倒的に茶杓フェチだった私。機能美に魅せられ、その深奥について考えていた時期でもあったので、バイク用品の機能美を讃えるのと同じ目線で、まったく異なる佇まいに位置する機能美の西の横綱(?)“お茶杓”と接していたのでした。 しかし、その後お茶から離れている時間が重なり、またある時期には竹の専門家に取材させていただく機会があってまた燠火がくすぶったり…と繰り返しているうちに月日は経ち。 こうして、今回縁あって、そして私自身の強い意志もあって、ふたたび茶の湯の世界に束の間浸った次第。それも、マイ茶杓というんだから、これは巧妙な罠です(笑)。 小刀も十分に扱えない身ながら、近所の老舗の刃物屋さんに立ち寄ってちょっとレクチャーをいただいたりしつつ(これもこれでハマりそう…)当日を迎えまして。国産の奈良竹の中から、素人であるにも関わらず白竹でなく煤竹にチャレンジ。小刀の扱いには比較的早く手が馴染んでも、竹との肌がなかなか合わない。竹って、なかなか跳ねっ返りです(苦笑)。 削っては眺め、眺めては削りを繰り返し、時には「あ!」。えぇ、ちょっと削り過ぎちゃう訳です、しばしば。なんてやりながら、2時間はあっという間に過ぎ。 最後は、なんとマイ茶杓を使って、自分に薄茶を点てました。茶筅を振るのは、それこそ十数年ぶり。いやぁ、勝手に一人で緊張したり、盛り上がったりしていましたが、まだまだ完成にはほど遠いけれど自分で削ったお茶杓を使ってお茶を点てる、というのはとても気持ちのいいものでした。この初めての一本を、時には一服点てながら使い心地や手馴染みを確認しつつ、時間をかけてお気に入りの一本に完成させていくのも、またこれからの楽しみ。 で。まんまと、今日も、自分と家族にマイ茶杓で一服。はっ、また茶の湯の世界に戻ってる!!こりゃイカン、また道楽が一つ増えてしまう…なんて。 「お茶杓には、削った人のエネルギーが込められています。」そうお教え下さった松本宗紅先生と、このような機会を与えてくれた岡田さん、春を感じる創造性豊かなお菓子をご用意下さったwagashi asobiさん(茶杓づくりでは偶然、煤竹組になりました)そして、あまりゆっくりお話はできませんでしたが、同じ時間を共有した皆さん(そう、お茶杓を削ると、無口になります…笑)との出逢いに感謝したいと思います。(了)
2010/03/15
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今日は天気が良かったですね。午前中から春の陽気ってんで、自宅からもほど近い浅草へ散歩に。 大概東京に遊びに来た友達を連れて浅草に行く時は、駆け足だったりするので、雷門で写真だけパチリと撮って…という流れ。なので、実は何度も雷門まで来ていながら、仲見世はおろか、浅草寺まで上がったのは…二十年ぶりくらいか??? いや、やっぱり東京名所。アガりますね、テンション。午前中はまだお店もあまり開いていないので、人も少なく。でも、混雑を避けたい観光客や修学旅行生はすでにスタンバイ。みんなケータイ電話で記念撮影。なんだよ、これじゃ“電門”だ(苦笑)。 目下浅草寺は外装工事か改装中なのかな。足場と覆いで隠されていましたけど、正午を迎える頃には、仲見世通りはまっすぐ歩けないほどの混雑。 天気がイイので、300メートル越えしたスカイツリーをバックに、人力車も元気一杯呼び込み。「大人のベビーカーどうですか?」と声かけられた時には本職の私も唸りましたね。なんていいコピーなんだ(笑)。乗りませんでしたけど、ハートはガツンとやられました。(了)
2010/03/13
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昔フランス土産で自分用に買ってきた、愛用の携帯灰皿“ケオルさん”が、長年の使用による劣化と、雑念と思考によるうっかり落下のため、破損してしまいました。 形状といいカラーリングといい、とても思い出深い一品で大切にしていたので、ちょっと凹みました。その後日本の輸入雑貨屋さんなどでも見かけるようになり、今では日本で普通に入手できますが、やはりちょっと寂しかったり。 使い慣れてもいますし、あの丸みを帯びたフォルム、手に馴染む質感、ポケットでの収まり具合・・・。やはりほかの携帯灰皿は考えられない!!ということで、再注文しました。唯一の違いは、カラー。 ちょうど季節的にも春(気温は冬並みですが・・・)なので、今回は明るい色をチョイス。でも、やはりこのブルーが捨てがたかったことと、意外にちょっとした小物入れにもなるので、ブルーも一緒に買ってしまいましたけど。。。二代目“ケオルさん”との二人三脚のスタートです。(了)▲写真は、長年愛用してきた初代“ケオル”さん。KEOL(ケオル) ポケットアッシュトレイ(携帯灰皿
2010/03/08
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去る3月3日、アメコミ&トイ好きの聖地、ブリスターが、BLISTER comics(ブリスター・コミックス)になって日本橋・浜町にオープンしました(ブログはコチラ)。ほぼ毎日、新しいストアの前を通っていましたから、オープン直前には夜遅くまで蛍光灯がともっていたりすると、新天地での新たな活動の準備に余念がないことだろう…と心密かにエールを送っていました。 あの印象的なオレンジで彩られたショップは、無事始動。早くもウインドウ越しの店内が気になって仕方がありません。それほど広くないはずの店内なのに、スペースのキャパを感じさせない豊かなディスプレイ。もちろん、目には毒、アゴからは涎・・・な品揃え。これからは、寄り道と数寄道に十分警戒しなくて(苦笑)!!(了)
2010/03/08
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