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地震で休園、一部開園後の偕楽園を散策した。崖の下に建造された吐玉線や噴水の玉龍泉は、断水せずに昏々と清水を迸っている。地震直後立ち入り禁止にしても、その柵を超えて水を汲みに来て、水道断水を凌いだ住民がいたらしい。吐玉線は、偕楽園創設時に知者を集めて改善整備し、噴水は、丘の水源を利用して3メートルの高さに噴水する仕掛けを創設したものであるが、170年経過しても水の勢いは変わらない。*片や、明治以降、偕楽園内に設置した各種神社の敷地内は、5メートルにも達する石灯篭などが崩れ、瓦礫の山ができていた。神社敷地以外には巨大灯篭は一基も見当たらないことからすると、創園者は、地震国における灯篭の危険性を予知していたのであろう。事実、石灯篭の笠、火袋、中台、基礎の間にコンクリートを薄く塗り、何トンもの重さの石を重ねてあるだけの危険極まりない建造物。元旦祭、記念祭などで、その危険物の間をぞろぞろと列を組んで通行したのかと思うと身の毛がよだつ。斉昭公は、不特定多数を招く園は、何よりも安全第一を心掛け、その種の危険物を設置しなかったのではないかなぁと思うと、あらためてその偉大さに感服した。
2011.04.30
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地震で休園していた偕楽園に行き、真っ先に霧島の花を見た。地震とは無関係なのであろうが、老醜あらわで見るも無残な姿であった。花は端正そのものでも、幹は斬られ病も蔓延っていて往時の樹勢は見る影もない。発芽してから200年近くの歳月、杉のように天に聳えることもできず、3メートル程度の小振りのまま生き続けてきたのであるからいたしかたない。*偕楽園創園の二十数年後、梅の花は咲き果実も豊富に生産できた頃、斉昭公のブレーンであった藤田東湖が安政大地震で圧死した。斉昭公は憔悴し、その後の藩政は乱脈を極め幕政との関係も悪化し、桜田門外事件等のテロ藩士を生み、弓折れ矢尽きて永久蟄居の中で逝った。生きとし生けるもの栄枯盛衰は否定できないし、その予兆は厳然としてその身近に孕んでいる。片や、石は不動のものと考えていたが、5メートル近くもある灯篭などがバタバタと倒れている姿を見ると、人間の浅知恵を断罪されているとしか思えなかった。--
2011.04.30
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6弁花や4弁花の霧島の花を見つけては、感激しながら観察する。仲間はみな5弁なのにと卑屈になることもなく、むしろ堂々と咲き誇り、周囲も変わりものと蔑視することもない。植物の世界は多様な品種を日々発生させ、さらに、風媒、鳥媒等によって分散化を図ってそれぞれが切磋琢磨している。画一化、一極集中化等は、種の劣勢化を招来させると熟知している。この巨大地震の反省点は、人間社会、特に日本人の画一化、寡占化、一極集中化が被害を何倍にも拡散し、その最たるものは原発事故であった。*地震直後、地域に根差した小規模の販売店、ガソリンスタンドなどは、品薄化もなく、並ばなくても平常通りに買うことができ、商品も配達してくれた。余震対策で各種の工事をしたが、近隣の独り親方や中小会社の応援で、平常通りにスムーズに工事を完了することができ、昨晩は、一人親方夫妻と仕事の完成を祝して乾杯した。巨大地震後は、画一化、マンモス化、一極集中化の傾向に、敗戦時の様な法的歯止めをかけて社会制度を見直すと同時に、自らの消費行動も、日頃、自分の生活を守る各種業者を大切にして懇ろに付き合うことが大切と思い知らされた。
2011.04.27
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庭の下草の中に桜草が花を覗かせている。その右端に蟻が万年青の葉を這い上がっている。もう4月も終盤、蟻が出るのは当然なのであるが、余震に脅えて地中から出てきたかと勝手に考えた。*余震が収まりつつあると安心していると、突如としてやってくる。今後の発生傾向を掴もうとテレビのスイッチを押しても、最近は、震度4以下は無視されている。天災は、忘れたころにやって来る。余震の程度、発生地点、津波の有無は、的確に放映していただきたい。
2011.04.26
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庭の片隅で白山吹が咲き始めた。白い清楚な花。太田道灌がこの花を翳されたら此処で雨宿りをし、遂には長逗留したに違いない。でも、自作自演の詩らしいから実が付く白山吹はお呼びでなかった。*白山吹は、花弁、蘂などから山吹とは別属だという。また、山吹のように地下茎が暴れないから管理しやすい。その上、一花に4粒の実をつけるから小鳥の非常食になる。それよりも、真白い福与かな花を、生俯き加減に咲いて何かを囁いている仕草は実に優美である。
2011.04.26
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山躑躅が咲き始めた。庭師さんの仲間では、「やま」で通じことさら珍重される。庭師さんは、植生の歴史を知っているからかなぁ。*かつて、度重なる冷害、飢饉、かれん誅求に耐えがたく山深く逃れ、生き延びた農民がいた。そこで見たものは、山躑躅の美しさではなかったろうか。派手な色ではなく、さりとてガイドマークが鮮明な花、自分の主張を代弁してくれ、生きる勇気を授けられたと実感したに違いない。そう考えると、山躑躅を珍重する訳がわかりそうな気がする。
2011.04.25
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庭先の一初が咲き始めた。菖蒲類でいち早く咲くと云うので一初の名前になったという。かつて、一初は、火災、強風の予防の呪いで、茅葺き屋根に植えたらしい。拡大図は、火消の纏いのようにも見える。それほどにご利益があるなら、巨大地震でブルーシートの屋根が点在する中、何としても、強風、ゲリラ豪雨を防止してほしい。*ある会館---の屋根は、ブルーシートが2か所被っているが、その中で催事が開かれ、職員が常態的に出入りし、その入口近くに、最近落下した瓦の粉砕が散らばっていた。其れを跨いで館長が鳩に餌をやるため出てきた。震度4や5の地震に慣れてしまい、屋根から落ちる瓦片も、自分だけには当らないと思っているのであろう。危機管理能力だけで生きている鳩は、瓦の落下を予測するが、安住生活に浸かりきった人間は運を天に任せるほかない。
2011.04.24
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八十八夜もあと10日ばかり。茶葉のこの程度(1センチ)の伸びで新茶摘みに間に合うのであろうか。それとも、春先の冷え込みがたたって新芽の伸びが遅れ、新茶の出回りも悪いのかもしれない。これ、2年前に袋田の自生茶の花の盆栽を地植えしたもの。*栽培茶よりも葉がかなり小さく、正に年配の店主の説明のとおりだと思った。黄門さんは自藩の寒村経営に乗り出した際、生産性が低く不味い自生の茶の木を一掃し、有名産地の苗木を取り寄せ普及した。そのあおりで、山中密かに息づいていた茶の木があったことを、黄門さんも忘れっちまったに違いない。小さい命にも、歴史があり、ルーツがあり、物語がある。
2011.04.22
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これ、さくらんぼ「高砂」の花。高砂と名付け、天下泰平を希った気持ちが痛々しいほど伝わる。天災は忘れたころにやってくる。*1780年代の天明飢饉時には、7年間に全国で140万人の人口減が生じたほど悲惨なものであったという。打ち続く飢饉の対策で、知者は、柿、棗、桑、栗を植えることを啓蒙し、かつてこの地方にもその古木が点在していた。その頃のさくらんぼは、もっと小粒であったろうが、この清楚な花を愛で、実の完熟を待ち焦がれる子供の姿を自分と重ね合わせる。
2011.04.22
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霧島が咲き始めた。花言葉は、「燃え上がる愛」というが、愛の色は緋色ということか。巨大地震の被害で休園していた偕楽園が、29日に一部開園する予定という。樹齢200年近い古木の霧島を見るのが、今年ほど待たれる年はない。*早世した父も霧島をこよなく愛した様子が、庭に生き続ける各種の樹木からうかがえる。自分で植えた霧島なら許されるから、手折って食卓に挿してもらおう。そして、朝餉の話題にしよう。何よりも、結婚したての頃、霧島に洗濯竿を掛けたことが、一番の笑い話になる。
2011.04.21
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時ならぬ冷たい雨の中、シャガの花が咲いている。喉ちんこをあらわにし、見目を潤ませ何かを訴えているようだ。でも、その正体は、侵略者の何物でもない。*剣の様な葉を翳し、しつこい根茎を伸ばしフロンテア精神で新地開拓に精を出している。そして一旦侵攻した土地には、他の植生を寄せ付けない排他的性格を持っている。でも、三倍体で種子ができずに根茎のみで繁殖するしかできないという悲しさがあり、それを嘆いて潤んでいるのであろうか。
2011.04.20
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写真は、庭先で冬超えしたチェリーセージ。今年初めての開花で一寸拙速ではあるが、真赤な色合いが懐かしい。これから初冬まで絶え間なく開花し、色と香りと薬効で惜しみなく元気を呉れる。人差し指を掲げ、元気のもとはここにありと誇示しているかのようだ。*セージは、古くから薬用として高い効用が認められ珍重された。中世のイギリスの諺に「長生きしたけりゃ五月にハーブを食べよ。」とある。日本の「土用鰻」と同じ。あの頃も、洋の東西を問わず、健康志向で日が暮れた。
2011.04.19
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昨日、庭の草引きをしていると、ムラサキケマン草(別名マンダラゲ)の花に出会った。今まで忌み嫌っていた花であるが、マクロで撮ると一味違う花と見直した。子供のころ蛇が住む場所に咲く花と教えられ、なんとなく親しみがもてず見つけ次第引き抜いていた。繁殖力旺盛で庭のあちこち隠れたところに咲いている。*幼時に特殊なイメージを抱かせたのは、その草が有毒であるからなのであろう。全草にアルカロイドを含み、誤って口にすると心臓麻痺まで引き起こしかねないという。そのような話を聞かなければ、人参のような柔らかく美味しそうな葉で、古人はつい口にして苦い体験をしたのかもしれない。ウスバシロチョウの食草であるが、その 蝶も毒性があると云うから、類は友を呼ぶとは自然界にも当てはまる。
2011.04.18
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糸蜻蛉が飛んでいたのでカメラを向けると金蛇が入ってきた。糸蜻蛉は金蛇をちっとも警戒していない。金蛇も糸蜻蛉に攻撃しようとする姿勢を取らない。万物が余震に怯え身構えている。
2011.04.16
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昨日は、大きめの余震が発生せず、これで収束すればいいと願っている。でも、テレビは、一年間のうちに巨大地震と同じ揺れがあると脅かす。確定的な根拠があれば喧伝してもいいが、当てにならないことを専門家を気取って報道する姿勢に問題がある。被災者の気持ちを弄ぶ何物でもなく、余震よりも始末が悪い。*庭先にコゴミが萌えてきたが、地震のメカニズムと同じ歪みエネルギーとそっくりである。コゴミはひずみを利用して一気に春日を独占しよう目論んでいる。コゴミの天麩羅は、そのひずみのエネルギーを食する楽しみの一つ。地震エネルギーを食べ尽くす気持ちで、コゴミを摘んでやろう。
2011.04.16
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一昨年植え付けたチューリップの花が咲いた。色とりどり植えたのだが、黄と白色だけが生き残っている。中には、5弁の花弁の花があり、よく見ると雄蕊も5本であった。6弁花が普通と思っても、世の中、「一定」、「不変」ということはあり得ないことなのだろう。「不変」と思われた地殻が、ずれたり、跳ねたりしているのだからーーー。*だから、5弁化を発見したからといって天災地変の前触れと懸念するには及ばないが、それにしても、余震、誘発震は、もう御免蒙りたい。此処まで事態が悪化しては、黄色の5弁花チューリップが巨大地震を誘発させ、原発加熱にイエローカードを突き付けたと思いたい。事実、チューリップは、ヨーロッパ経済を恐慌の渦で震撼させて人間の一方的な加熱を冷やしてくれことがあった。同様に、原発、オール電化等のフィーバーを再考し、反省するきっかけを与えてくれたのだとプラス思考で考え、多大な犠牲を払って得た千載一遇のチャンスを必ずや有意義なものにしたい。
2011.04.14
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何時のころに誰が植えたかはっきりしない花が毎年、桜の時期に咲く。図鑑で調べても名前もわからない。巌に寄りかかって枯れそうで枯れずに長生きしている。類を呼ぼうともせず、実をつけて家族を増やそうともしない不思議な花、余計に愛着がわく。*4.5百年に一度の巨大地震を体験したが、これで収まるはずがないとテレビは煽っている。1707年の巨大地震は、その49日目に富士山の大噴火を誘発し未曾有の被害をもたらした。此処に居場所を定め、此処を終の棲家とした以上、此処でどんな被災に遭っても本望だ。決して逃げやぁしないぜ。独り寂しく微笑んでいる紫の花、一蓮托生だ。今日は、枯れないように補強し根元をきれいにしてあげようか。
2011.04.14
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晩生の梅花を鑑賞する好機に巨大地震が発生し、偕楽園が立ち入り禁止になった。あれから、1カ月が経過し、梅の子房が膨らみ大豆大の幼果となった。雄蕊は役目を終了して子離れの準備をし、花弁は、子房の膨らみを喜び有終の美を飾っている。*雄蕊、花弁の子離れも、果実を実らせるプロセスで、そこにこそ家族愛がにじみ出ている。連発する余震も、地球の息吹のプロセスで、そこに生息できる喜びを胸にじっと堪えなければならない。同時に、全知全能を働かせて身の回りの安全を自らの手で護ること、地球に生息する生きとし生けるものの務めであろう。梅の幼果に刺激され、今日は、家の内外をチェックし、家具類を補強する予定にした。
2011.04.13
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昨日、夕刻になって地震が連発し、雷鳴も共演した。この春ほど緊張した春はなかったように感ずる。庭先の枝垂れ桜も、ピーンと神経を研ぎ澄ましていた。でも、巨大地震に耐えた住処を信頼し、何があっても、此処にいれば安心と信じて微動だにしなかった。大自然のなすことに一喜一憂するに及ばないと早めに就寝した。
2011.04.12
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巨大地震の被災は地盤が埋立地に特に多かった。 壊滅寸前のある商店の花壇に水仙が咲いていた。下を俯き、此処が湖底の底であることを今に知ったと嘆いていた。同時に、生きていることの幸せを噛みしめているーーと観た。
2011.04.02
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