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偕楽園もみじ谷に生えたアカマンマが、湧水の流れに静かに映っている。水嵩が上がれば、アカマンマは、茎をピーンと張り流されないように根をしっかりと張っている。さながら、草全体が流れに枕をして伏しているように見える。「漱石枕流」にあやかっているわけではないが、湧水近くのアカマンマの自然の姿である。*水嵩が下がれば、寝た状態の姿勢を元通りにしようすするが、習性がたたって横に伏した姿になる。アカマンマは、イヌタデの異名。農村地帯では、「おこわ(赤飯)草」「こめ(米)くさ」とも言われた。米は今でこそ日本人の主食ではあるが、明治の世になっても、地域によっては、特別の来客、催しごと以外には白米、赤飯は口にすることができなかった。当時の子供達は、「ままごと」遊びの中で、イヌタデの花を用いてお祭りや祝い事の特別料理を作りご馳走を連想した。それらの言葉には、飽食時代には想像もつかない哀しい歴史が秘められている。
2011.10.30
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木斛が完熟して赤い種を露わにし、秋の空に映えている。この木にはよくアオジが啄ばんでいた。しかし、アオジなど野鳥の姿がプッツリと消えた。人と縁の深い烏、雀、鳩などは依然として目に留るが、人間と住み分けを画してきた野鳥は、大地震以来数が減りアオジなどは全く姿を見せない。当地だけの傾向なら良いんだがーー。*木斛の様な実は風に飛んでも、さほど遠くへは飛べず根元近くに落ちる程度である。それでは、発芽しても親木のかくしゃくたる間は樹として生育できない。人間も、成人になって親と同居していると、婚期を逸してしまうと囁かれ、少子高齢化時代の改善点と目されている。野鳥が少なくなったとすれば、それに代わる何らかの策を講じなければならないと木斛も悶々としている。は
2011.10.29
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今の偕楽園、観梅に向けて回復工事が急ピッチで進められている。梅の葉も落ちてきて野鳥の姿がはっきり見られるようになったが、如何せん数が少ない。柿の大木には完熟した実が生っていても、野鳥の群はない。震災後、何かが変わった。いや、現に変わらなければならない事態が起こったーー。*野鳥については、大地震は人間の虐めによってもたらされたという情報が飛び交い、人間不信、警戒心の高まりから姿を見せなくなったのではないかと疑っている。野鳥の飛び立つ姿を見れば一目瞭然である。東海原発の対応も、村長は、脱原発に急転した。しかし、「原発のお陰で発展した村が脱原発を言うのは先人を愚弄している。」と理不尽な理由を付して村長を非難している輩がいる。村議会特別委員会で、7人発言して6人が村長の転向に噛みついていたらしい。未曾有の恐怖、自らの命も子孫も古里も喪失しかねない事態を体験しても、原発マネーの睨みは利くのであろうか。
2011.10.29
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庭の片隅に、去年生った金柑がまだ付いていて一層完熟度を増している。青いものは冬を待って更に膨らみ黄色を帯びてくる。筑波山麓は金柑の特産地で、今では地域振興の一助を担っている。してみると、万葉の頃から金柑か柑子らしいものが自生していて、歌垣に参加した人たちが採って食したり、櫛飾りにしたのではないかと想像する。*当地を縦断する岩間街道は、岩間、柿岡を経て筑波に至る当時の主要道路であり、筑波の歌垣開催時には行列をくんで通行したのではないかと思う。そして、踊りの場でカップルが生まれると生家へ帰らず、途中で定着する者も居たような説話があちこちに残っている。その限りではよき時代で、金柑の枝を簪にして踊り狂う男女の光景が瞼に浮かぶようだ。
2011.10.27
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もみじ谷に木瓜の花が咲いている。これから春先までどこかの株にそれぞれの花で咲いて、ウォーキングの足を休ませてくれる。必ずしも返り咲きでなくして、植樹者が意識的に継続して花が見られるように植えたのかも知れない。*以前、植木市に木瓜だけを扱うコーナーが出店していた。そこで実の生る木を選んで貰って植えたら的確に結実した。今はそのような専門店が消え、すべての分野で百科店化して仕舞い、品質共に特異性がなくなってしまった。TPPを怖がるわけは、マーケットシェアの拡大に目が眩んだ大企業に従属することで満足して、日本独特の中小企業形態を崩壊させた自らの責任に帰すると木瓜の花が囁いている。
2011.10.27
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偕楽園好文亭の入口の広場の片隅に、椎の大木が3本立っているが、その周辺に水溜まりができている。大鏡のように周辺の木漏れ陽を写して、何となく幽玄な雰囲気を醸している。古人は「根の国」を想像したが、このような鏡も設えたのであろうか。 * 椎の根が、水が漏れないように地表に受け皿を作ったもの。多分、地下は岩盤で根の張る隙間がないため根が地表に現れ、地下での保水力を補うべく根が密着して水溜まりを作ったのかも知れない。オタマジャクシが泳いでいても不思議でなく、だとしたら、そのオタマジャクシは神の子だ。
2011.10.26
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昨日、暦に霜降と表示してあった。早朝、庭を散策すると朝顔が一輪咲いていた。遅れて芽を出し木陰で残暑を凌ぎ、明るい場所に蔓を伸ばしたその先端に咲いた挽花である。*空気中の気温は寒暖の差が激しいので、地面すれすれの母なる大地の空気にぬくぬくと浸っているように見える。が、此処も直ぐに霜柱が立つから最後の花となるのであろうか。それ以上に、この福与かな大地を削り取って捨てなければならない地方があることを考えると、朝顔一輪に一喜一憂している場合ではない。
2011.10.24
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昨日、「もみじ谷」から入って偕楽園周辺を散策した。秋真っ盛りで、「がまずみ」、「うめもどき」、「かまつか」などが赤い実をほころばせていた。これらの木は、徒長が激しいので庭には植えられずに、里山におかれて必要の都度採取して生活の身近なところで利活用された。*特に、「かまつか」は、鎌などの柄に用いられ、また、「牛殺し」と異名されたように役牛の鼻管に用いられた。これらが、「もみじ谷」に集められたということは、人間生活に貢献してくれた木々の有難味を忘れるなという、創園者の隠された意図が読みとれる。此処を通りながら、人間の冷酷と強欲を垣間見ると同時に、大自然を背にした繁栄がいつまで続くのかと杞憂する。
2011.10.24
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昨日、夜来の雨が音を立てて降り続いていたが、昼飯に帰る頃にはすっかり止んでいた。各種の枯れ葉が玄関先や通路に散っていたので、前日に買ってきてくれた竹箒を手にした。高齢者向きを買ってきたと言ったとおり軽くできている。*思い切り振り回していると日頃使わない筋肉に効いて結構な運動になる。80歳を越えた近所の女性が、竹箒でコンクリート路面を掃くと穂先が直ぐ駄目になってしまうと愚痴っていた。それほどまでに箒を使うことが、健康の秘訣なのかと会話を交わしたことがあったが、その観察眼こそが長生きの原動力なのだとふと思った。
2011.10.22
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この花魁草が咲き始めたのは、7月2日とブログに記録されてある。その後、咲き終わっては剪り戻され、それを何度でも繰り返して、霜降の時期だというのに未だに咲いている。かつては、周囲を白粉の香りを漂わせ、蜂、蝶、蛾、蟻などが所狭しと群がっていた。しかし、今では、芳香は殆ど伝わってこず、蝶なども寄りつかない。*花魁草は、花を付けていざ実を拵えようとするときに、花首をカットされるから、結実を実現するため何度でも新芽を伸ばし開花する。花よりも、実を付けることが天命と一途に思いこんで再挑戦する。側には、剪り戻されず実を付けてはいるが枯れ上がった無様な茎がある。見ようによっては、花は枯れ茎を見ながら、死するまで美しく己を飾り立てていた方がいいと満足しているようにも映る。
2011.10.22
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各種のミカンが色付いている。当地は、フクレミカンや、キンカンしか結実せず、甘くて美味しい温州ミカン類は夢のまた夢であった。童謡の「ミカンの花咲く丘」は夢の中にあり、自給自足経済の農家の食卓には、蜜柑は珍品そのものであった。かくして、半ば衝動的に各種の柑橘類を植え、狭い庭では本数が限られても、種類は十指に余る。*商品流通が円滑化して各種のミカンが出回っても、完熟したミカンが枝もたわわになる姿を見ると幼児時代の郷愁を感じる。温暖化現象は、いろいろな地域に悪影響をもたらすが、大自然の流れを止められないのなら、その現象をそれぞれの地域で利活用するほかない。フェイジョアーも今の気候条件で栽培できると考えたが、異品種を植えなかったために失敗した。が、来年はぜひ結実させ、居ながらにして南洋の味を楽しみ、同時に幼児の想いを庭の中で具現化したい。
2011.10.20
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陰樹に咲いた山紫陽花は、未だに朽ちない。装飾花は色を褪せているもののパッチリと咲いている。両生花は種子を蓄え正に爆ぜようとしている。タイでは半世紀ぶりの大洪水に見舞われ、我が国をはじめ世界各国、今年ほど災害の発生した年はなかったようだ。*かつては、天変地異ごとに新たな生物が創造されると唱えられたが、それほどの変化はないにしても、動植物の様相に何らかの変化の兆しがあるように見た。それは、天変地異を何かの暗示に結びつけようとする癖かも知れない。いずれにしても、山椒、椿、擬宝珠そのほかの植生も、平常よりも多く結実しており、野鳥は人家に寄りつかなくなった。多分、天変地異現象を体験して危機感を募らせ、子孫を残す必要性に駆られて、それぞれ目的を果たすために真剣に活動しているからかも知れない。
2011.10.19
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無花果が収穫の時期を迎えている。フックラとした膨らみ、淡い色使い、葉腋にたった1個しかつかないお淑やかさ、ただただ自然の造形に魅入るばかり。この程度のものを採って1日室内へ置いて生食するのがいいのかなぁ。そうすれば、店頭で販売しているようなブヨブヨの柔らかすぎるものと一味ちがうものを口にできる。*この無花果の味は、人工的にも他に類を見ない風味である。花より団子、庭の木を整理してスペースを見つけ次第増やしたい。水郷あたりで栽培農家が増えたようなので栽培技術を教わったり、新品種を仕入れたりしよう。
2011.10.19
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玄関先の擬宝珠の実が黒光りしている。擬宝珠は天女が投げ落した簪の近くに咲いた花だという。今は、花の美しさよりも、葉の優美さで人目を惹く。*オォーキング通り道のもみじ谷湧水の土手に擬宝珠の群れがあり、実をつけているものもあった。このことから、この種は湿度等の条件を満たせば容易に発芽するに違いない。今は可憐な葉をつけていても、僅かの霜で溶けてなくなるが、来年は、間違いなく芽を出す頼もしさがある。
2011.10.18
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道端の日溜まりにカタバミの黄色い花が彩りを添えていた。そこへシジミチョウがやってきて羽を休めていた。シジミチョウの幼虫はカタバミが好物と聞いていたが、成虫も同じなのか。*それとも、幼虫が直ぐに食にありつけるようにカタバミの葉に産卵しようとしているのか。シジミチョウも、我が幼虫の将来をいろいろと思い描いて行動し、計画を練っている。片や人間は、自分と我が子だけは危険区域外へ隔離して、原発を今までと同じようにいじっていたい、他人の児など眼中にないと思っているのか。
2011.10.17
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この紫陽花、在来の品種ではあるが、株の根本で葉に隠れて夏を耐えた花。今年は、例年にない炎暑のせいでこれ一本しか見られなかった。その猛暑もさることながら、人災、天災とりどり、災害発生も記録的であった。災害は、安穏な世から覚醒させ警世させる、見えざる手に操られて起こるものとしか言いようがない。*確かに昭和後半から平成の世にかけて、我が国ばかりがと考えるほど安穏であり、繁栄を謳歌した。しかし、考えればその平和は、アメリカ青年の血で護られたものであり、安全神話で糊塗された原発マネーによる仮初の繁栄でしかなかった。この償いはオール電化を享受した誰もでしなければならない。と同時に、誰もがひとしく安眠から覚醒し子孫を想う眼差しを取り戻さなければならない。
2011.10.16
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菊祭りの情報が寄せられつつある。当方の庭先の菊は、残暑が続いたせいか一寸遅れ気味である。が、玄関先には一足先に中輪が活けられてある。季節はずれの菊は黄泉路を思い出すが、今日の菊は正真正銘の菊である。*鴨長明さんの方丈の庵にも、薬草の園がしつらえてあったという。もともと菊は薬草として移入されたもので、当時の高位高官であり菊大夫と称された鴨さんは、菊についてことのほか蘊蓄を傾けていたのであろう。野に下る際に庵の薬草園に植えさせ、方丈記には登場させなかったが、そのことは行間にうすうす残っている感じ。あるいは、改良されたばかりの大輪であったかも知れない。
2011.10.15
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外出に際しスーツを着用したが、特に重たくは感じなかった。秋を実感。同時に、地震、原発被災者の着替えはどうなっているかがよぎった。帰宅して自宅の庭先を見るとツワブキが開花しているのに気づいた。ありきたりの花であっても、定点観察の目的にブログを書く以上、開花したツワブキに触れずにはいられない。*今年最初の花であるため半開きで下手な咲き方ではあるが、蕾を沢山従えその頂点に位するものから順次開花する姿も乙なものである。特に、今の時期の花茎は短く、葉のすぐ上部で咲くから、このままの姿勢の方が見応えがある。子役の時に可愛くて人気があっても、成人するに従って人気が落ち落伍人生を余儀なくされる役者崩れが散見されるが、ツワブキもそれと同じだと感じた。嘘で固めた情報で原発を美化し、オール電化などと宣伝して電力を浪費させて必要以上の原発を設置し、実際は、かけがえのない地球を破滅する魔物であると白状した原発推進者ーー。その被害で藻掻いている人を見て見ぬ振りをしながら未だに原発をいじくり回そうとしている輩とどこか似通っているようないないような。
2011.10.13
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ホトトギスがいよいよ咲き始めた。ホトトギス(鳥)の腹部の斑紋が似ているとされて命名された。そのホトトギスは、冥土を往来する鳥とも言われ、魂迎鳥とも呼ばれている。蜘蛛の糸が付いた重厚且つダークなイメージに咲く花を見ていると、冥土へ向かう際の置き土産かと想像し、その中身は、「原発は諸悪の根元」のメッセージだと理解した。*重厚、ダークは現代では嫌われ、大臣でさえも、セシウムを「付けるぞ」と笑いで誤魔化そうとして失脚した。政治家は、先憂後楽をモットーにすべしの故事が分かっておらずに、笑い芸人の猿まねで受けようとした。しかし、東海村長は、政府へ東海原発の廃炉を強く詰め寄った。偉かった。が、これを「先走っている」と非難する村議員、「政府の対応を見てからものを言うべきだ」と揶揄する県知事の姿が放映された。いずれも、原発マネーにドップリ浸かって汚れにまみれた姿に映った。特に知事は、地域住民の不安を先憂して政府に対して働きかける事が職務なのに、全く逆の態度では、県民として実に恥ずかしく、信頼がた落ちである。
2011.10.12
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オオスカシバ「大透羽」がやってきた。蛾の仲間らしいが、特に悪さをしないからカメラ遊びにはもってこい。チェリーセージが好物なのか秋日向、花から花へと忙しく飛び回っている。*触覚は平べったく縞模様。丸々と太っちょの背中は羽毛に覆われインコのよう。金魚の目のように大きく、尻っぽはふさふさとしていて魚の尾鰭のよう。総じて、空中を泳ぐサカナ君だ。
2011.10.12
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昨日、野っ原をウォーキングしていると返り咲きのタンポポに出会った。既に土蜂が来ていて、一つの花に2匹も集っているものもあった。さぞや重たかろうと思いながら撮ったが、映像化している中でタンポポの花茎がいかに頑丈にできているかを知った。*多分、この間のゲリラ的豪雨で一帯が冠水し、土地が膿み、根腐れしてしまうかと心配して、自分だけはと使命感に燃えて咲いたのであろう。その使命のためには、脆弱な茎ではだめだと悟り頑丈なものにしつらえたのではないかなぁ。だから、メタボの蜂が2匹来ても、微動だにしなかったのだ。
2011.10.11
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この蝶、タテハ蝶、「ツマグロヒョウモン」というらしい。温暖化で北関東にも姿を見せ始め、次第にお馴染みになると思われる。漢字で書けば、「褄黒豹紋」というのかなぁ。*でも、和服が珍しくなると「褄」がどの部分かわからなくなってしまいそう。「褄」は端、縁の意らしいが、どうして「妻」が端っこに居なければならないのか。俺んちは、「妻」はいつも真ん中に陣取っている。
2011.10.09
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久しぶりに偕楽園の萩の広場へ行った。殆どの萩株は花が終わり、既に幹が茶色に枯れかかっているものもある。ついこの間は、萩の花を愛でる人の波が絶えなかったのであろう。綺麗どころの野点風景も色を添えたであろう。今は、晩生の萩も花の終わりを迎えて、せせり蝶が逆さになって完熟した蜜をあさっている。*晩生の方が旨いのかも知れない。米は早生より晩生だというからーーー。道理で、晩生の萩の旨味を味わおうとして、いろいろな昆虫が群がっている。しかし、人間界では、天才児を躍起になって求め、早期教育が加熱し、天才教育と早教育の混同すら垣間見られる。人生1世紀の時代を目前にして、大器晩成も見直されつつあるがーーー。
2011.10.08
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庭先にルリタテハ蝶がやってきた。食草はホトトギスであるというから、前から生息していたのに気づかなかったのかも知れない。もっとホトトギスを増やそう。じっと飛ぶ姿を眺めて居ると次第に興味を示して近寄ってきた。シャッターの音に蝶の警戒心を解く何かがあるのかも知れない。*開いた羽に秋の陽光が差すと確かに瑠璃色になる。反面、羽の裏はグロテスクである。黒褐色で樹皮に似た模様で、一瞬、姿を見失ってしまう。意識的に保護色を演じているのであろうか。さながら隠れん坊をしているようだ。
2011.10.07
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今年は、梔子の実が豊作。日に日に膨らんできて、パンパンだ。黄色い葉っぱが増えている。今が葉っぱの新旧交代かと知った。*平地の紅葉はまだまだの先の今、この黄色の葉の色づきは貴重である。外形の整った実も色づいてきた。葉っぱの黄変に負けじと一生懸命。行きずりの滴も涙を溜めて見守っている。
2011.10.07
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蜘蛛は本来、蠅や蚊を補食する益虫である。また、天上の釈迦の下僕で、その糸は地獄から地上に這い出すことも可能なリンクの役割をしているという。だから、やたらに嫌悪するには及ばず、蜘蛛を見れば頑張っているねと激励してやる。でも、普通、雄が雌よりも極度に小さくて、巣の隅に待機していて居るのに、このように睦まじくしている蜘蛛は見たことがない。上の方には、虎視眈々と雌の愛を奪おうとしている一匹の蜘蛛がいる。*蜘蛛の生殖活動は、雄の触肢に入れた精子を雌の生殖孔に受け渡してする。それも、給餌中などの雌の隙を見て行うらしい。蜘蛛は肉食であるため、体の小さい雄が不用意に雌に接近すると雌の餌食になってしまうからだ。そのため、雄は、一定の距離を置いてライバルから雌を見守り続けているのであろうが、秋で子作りのシーズンとなり急に睦まじくなって、補食される心配がなくなったのかも知れない。秋が終わる頃には、卵を抱く女郎蜘蛛を観察することができそうだ。
2011.10.05
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めっきり秋めいてきて、薄ら寒いので暖房を使い始めた。蜻蛉がラズベリーの葉に留まっている。外から見ると長閑なようでも、冬の準備を急かされ、ラズベリーは落葉して冬の眠りを強いられる。1000年に一度という巨大地震を体験したが、蜻蛉も葉っぱも何事もなかったように静まりかえっている。
2011.10.05
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此処は桜山の東崖下にある「玉龍泉」という噴水のある小さな溜め池である。真夏でも涼風が降り、小さな噴水があって小鳥、昆虫、野草が観察できる。訪ねる人もない泉で、手入れもされず台風で落とされた木々の枝葉が、水の流れや風で自然に片づいてきた様子がうかがえる。*1840年代、徳川斉昭公が偕楽園創設時に、当時の科学技術の粋を駆使して5メートルも吹き上がる噴水を完成させ、今はもう忘れられた存在ではあるが、未だに鬱積する憂国の情を吐き出している。せせり蝶が花に敬遠されたような、放り出されたような格好で飛んでいる。永久蟄居の身。御三家といえども一介の侍にすぎないことをおもいしらされて帰郷したときのように。
2011.10.03
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かの強烈な台風15号は、木々のはっ葉にも打撃を加えた。風向きによっては、殆ど葉をもぎ取られてしまった木もある。木蓮も、葉を落とされて冬芽が芽めくってくる様子を露わにしている。*だから、今年の紅葉は期待はずれであろうと囁かれている。春から秋口に掛けて荒れ狂った年もあと僅かとなった。千年に一回という災難を体験し、しっかりと記録し検証し伝承しなければならない。
2011.10.03
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花が少なくなったチェリーセージに紋白蝶が止まった。近寄ると直ぐ飛び立った。暫く飛ぶ様子を眺めていると元の場所に戻ってきた。多分、敵か味方かを観察するために飛び立って上から観察していたのであろう。*その観察する時間は秋になるとごく短くなるように思える。目の届く範囲で旋回して戻ってくる。夏の頃は、一旦上空に飛び立つとその飛翔力を見せつけるかのように隣家まで飛んでいき、何時戻るかも分からなくなるのにーー。人に懐いたのか、それとも、先の短いことを悟って達観しているためかーーー。
2011.10.01
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朝日に山椒の実が紅々と映えている。小枝を剪って渡すと食卓へ飾ってくれた。青い実のときは「青山椒」と呼ぶのだから、これは「紅山椒」と呼んでも良さそうである。午後になると、朔果が裂開して黒光りしている実が果皮に載っている。「ハジカミ」の「ハジ」は実がはじけることだと言うが、なるほどと納得した。*黒い実を曳いて調理に使うのかと思ったら果皮を使うらしい。果皮が粉末になって鰻の友になるのであろうが、目的は臭みを消すために使う。夕刻、息子が倒木した木を片づけてくれたお礼と鰻を届けてくれた。山椒は鰻の臭みを消す働きと同時に、鰻を呼び寄せる働きもするようだ。
2011.10.01
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