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ブルーベリーの中手の収穫が最盛期。いつもの年は、鵯がブルーベリーをやたらに啄んで内心目くじらを立てていた。今年は、この庭で4匹も雛が育ったのだから、食料ぐらいは協力しようと奥まったところにあるブルーベリーは摘まないでおいた。しかし、鵯は啄もうとしないため、ブルーベリーは完熟して落ちている。もったいないことだ。*鵯は、今年に限ってどうしてブルーベリーを啄まないのであろうか。今年は昆虫多発で餌に事欠かず、しかも、動物性タンパク質の摂取は効果的発育を促すから、親鳥が昆虫の摂取を躾ているのだという人もいる。自分は、毎朝、バードバスの水を取り替えている俺の姿を電線から観察して、あの爺さんが大切にしているブルーベリーだけは荒らさないように、雛鳥に躾ているのかなぁと考えたがーーー。
2011.07.31
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大暑から5日間を腐草為蛍と言うらしい。暑さ真っ直中、蛍飛び交うと、昔の中国では炎暑も慈しんだ。その暑さ真っ直中で初々しく紫苑が咲いた。*映像を処理していると、花に黒いものがついているのでよく見ると蟻ではないか。高さ50センチの茎の頂に咲いた花を目敏く認知し、蜜を求める行動力に圧倒される。地下の涼しいところで炎暑をやり過ごせばいいのに、どんな指令で誰に働かされているのだろうか。
2011.07.31
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昨日の朝、「芙蓉が咲いた」と歓喜していたので一輪剪ってあげた。もったいないと言っていたが、一日花で直ぐに萎えてしまうからいいのだと弁解した。雌しべは柱頭がエビのように曲がっていて艶っぽい。*が、夕刻近くになると真っ直ぐに伸びきり、それを包むように福与かな花弁がそっと包む。その包まれた姿は、花そのものの美しさを凌駕する。人間は、萎えたと評して哀れんでいるが、芙蓉自体は、夏のゲリラ的風雨で子宝が痛めつけられないように懐深く覆っているのだと言っているに違いない。目先の豪奢な生活のためには、子孫の身体を蝕んでも悔いない人間とは違うと、萎えた花に敬意を表した。
2011.07.29
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鉄線の萼の上に幼い蟷螂が1匹ひざまずいている。尻をあげ両膝を萼につけてかがんで居る。「ひざまずく」の言葉にぴったりの仕草である。*蟷螂は、花の蜜を吸うのであろうか。花に寄ってくる虫をゲットしようと待っているのであろうか。それとも、鉄線の花を宝珠頭と見まがって深い敬意と敬服の意を示しているのであろうか。
2011.07.28
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節電であちこちに糸瓜やゴーヤなどが窓際に植えられている。が、それらの葉がガラス窓に到達するまでが炎暑なのに、プランターの中では成長がおぼつかないものが散見される。一日1回の給水ではプランターの中の植生の暑気払いができず、枝葉が期待通りに伸びられないでいる。*躑躅の叢生に寄生している鉄線が、2度目の花を咲かせている。そして、ちょうど日傘のように躑躅の枝葉を直射日光から護っている。躑躅類は、夏の直射日光には弱いことを知っていて共助協演して庭に彩りを添えており、植物の世界は奥が深い。。
2011.07.28
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アプローチの薊に蝶がきていた。シャッターチャンスとカメラを取り出してきたら、飛び去った後であった。が、直ぐに舞い戻った。*春の薊と違い、小降りで色あせ品も落ち香りもないが、蝶は他の花々に見向きもせずに薊に惚れ込んでいる。なぜかと考えていたが、蝶に聴かなきゃ分からない。蓼食う虫も好きずきとはこのことかもしれない。
2011.07.27
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昨日夕刻、打ち水をして涼を求めた。背の低い百合が一本咲いているのに気づいた。アメリカ芙蓉の大きな葉に隠れていたため気づくのが遅れた。*多年草で植えたのを忘れた頃に咲く花に一層の哀愁を感じる。このような意外性の花、可憐な花が狭い庭に似合う。打ち水と花の美しさで庭先の清涼感が倍加した。
2011.07.26
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爽快な朝、鵯の雛を追いかけ、ふと、足元を見た。酸漿が黄色になっていた。まだ大暑になったばかりなのに早いなぁと感じた。*が、季節の移ろいにも、魁、兆候というものがあるのだと納得した。熱中症、酷暑と言っても、凌ぐ期間は短いものだと説諭された朝であった。魁にならんとする意欲は、俺にも多少は残っているのかなぁ。
2011.07.25
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梔子の実が膨らんできた。完熟の姿と形格好が同じになり、しっかりと口をつぐんでいる。大暑のエネルギーを目一杯吸収して、それを閉じ込めようとしている。*大暑は、夏期休暇が制度化され、熱中症を避けてペットボトル持参が流行り、歩行中も堂々と立ち飲みしている。俺の学齢時代は、片道5キロを一滴の水も飲めずに通学し、水筒持参は遠足のときだけであった。人間がこのように夏に弱くなったのは、何時の頃からなのかと、ふと思い返した。
2011.07.24
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朝、鵯が電線に止まっていた。かなりの間隔をあけて2羽がいて、鳴いたりせず押し黙っていた。きっと、雛たちの安全を見守っているに違いない。巣があったと思われる木の下をわざと歩いてみた。*すると、電線の鳥が鳴き始めた。色々な声で鳴いているところからすると、「全員集合」の合図をしているのであろう。頭上の黐の木の茂みから、4羽が飛び立って電線に集合し、暫くして寺院の森へ飛んでいった。
2011.07.23
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今朝、四十雀の声が聞こえた。「チチチチ」という耳慣れない声もした。その樹に近寄ると急に鵯の興奮した声がした。鵯の雛がいたのだ。*飛ぶのに慣れておらず、唇もでっかくて幼い感じ。今朝巣立ったのだろう。今まで鵯の声が聞こえなかったのは、天敵烏に気づかれないよう警戒して声を発しなかった。四十雀の鳴き声がしたのは、雛の声をカムフラージュするためのヒヨドリの声帯模写だったのに違いない。
2011.07.21
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台風6号は、ゲリラ的な降雨で各地に心配の種を振りまいている。もみじ谷の湿地帯も冠水して写真の蒲は葉を乱しているが、頑丈な茎に支えられている穂はびくともしないに違いない。因幡の白ウサギでお馴染みの蒲は、生活の細部に関わってきたが、現代生活ではとんとお呼びでなくなった。*それでも、明日の土用の丑の日には蒲焼きで口の端に上る。蒲焼きは、鰻などを割かずに丸のまま串に挿した名残かと想うと味が落ちるような気がする。が、先人の知恵で改良に改良を重ねたプロセスにすぎず、それを忘れて色、味、香りを堪能したい。
2011.07.19
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偕楽園のはずれの一角、「もみじ谷」は散歩コースの始点。楓の実はすでに固まり、2枚の翼も大きさや角度を決めて熟成を待つばかりとなっている。翅は長短の違う2枚であるが、長い翅側には大きめの実が付いている。*これでバランスを取り、風を受けて竹とんぼのようにくるくると回り、目指す地点へ着地するのであろう。翼果は薄緑色の今が美しい。新天地を目指す意欲があふれていて、見ている側も希望をお裾分けしてもらえそうな気がする。
2011.07.18
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昨日、炎天を避けてばかり居ても、運動不足になると考え、近くの「もみじ谷」へ散歩に出かけた。鶯の鳴き方も上手になって、それぞれ得意の歌を聴かせている。鶯の姿をカメラに捕らえられないかと頑張ったが、果たせなかった。にいにい蝉の声も聞こえるが、やはり姿を見せない。*草木の実もあらかた形作られて、完熟の秋を待つばかりである。ヨウシュヤマゴボウは、強い毒性があって鳥も啄まないのに日に日に青い実を膨らませ、蜘蛛の糸で秋をたぐり寄せようとしている。この実は、感覚的に毒であると認知しているが、いつ頃、誰に教えて貰ったのか思い出せない。人間も、動物的拒否反応を先天的に持ち合わせているのかなぁ。
2011.07.17
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日中は、灼熱の暑さであっても、早朝は清々しい。特に、庭先に百合と花魁草の香りが立ちこめている。ハーブの茂みに近づけば、各種のハーブの合唱となる。さながら、「香合」をしているような雰囲気である。*プランターなどへ給水すれば、湿度の関係からか、一層香りが立つような気がする。禁煙傾向にあり誰もが嗅覚に敏感になっているから、香道が普及するかもしれない。庭に香を放つ草花を集めて、香りの路を造り「香道」と名付けるのも面白い。
2011.07.17
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百合の花。一本の百合は淋しさが漂う。が、10本もまとまれば庭の一隅を豪華絢爛たるものに変える。千利休さんだったら陰樹に咲く山百合1本だけを残して、全部切り落としてしまったかもしれない。凡人の俺は、散るまで見入っている。
2011.07.16
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一重の桔梗の株に花弁が7枚のものがある。その花をよく見ると、花弁の出来損いが2枚と、萼の近くに外巻きになって仕方なく花弁の色をしたものが1枚ある。この3枚が立派な花弁になれば八重咲きの完成である。*これが八重咲きの生まれるプロセスなのかもしれない。桔梗も桔梗なりに自己改革に向け日夜努力しているのだ。指折り数えるだけの余命と万事諦めの人生であるが、何か触発されそうな気がする。
2011.07.15
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花魁草が盛りを迎えている。子供の頃、夕刻になると大小様々な蝶がやってきて、花魁草を舞うように取り囲んでいた。しかし、今は、滅多に蝶はやってこず、まして複数の揚羽蝶が飛来することは全くない。また、蝶が舞うと云うよりも、小鳥のように飛ぶというイメージが強く、なかなかカメラでキャッチすることができなくなりつつある。昆虫の個体の数が少なくなったと同時に、質的変化をもたらしているのかもしれない。
2011.07.13
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昨日、袋田をドライブした。月居山の登山道の土手に白萩が咲いていた。渇水時の滝の水よりも白く、かつ細い。夏草の中の白萩の美しさーー、今日の一つ目の感激と心躍らせたひとときであった。*それにしても、梅雨明けしたばかりなのに萩の開花は早いのではないかと頭を傾げた。まさか四季咲きの花ではあるまい。滝周辺は、夏中、秋の陽気で萩が咲き続けるのであろうか。
2011.07.13
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朝四時を回ると庭に小鳥の声が五月蠅いほど聞こえる。各種の木の実を啄んでいるに違いない。しかし、5時になると、追い払われたように忽然と姿を消す。 *本日啄む果実はこれまでと決めたのか、それとも人間にもお裾分けをしてあげようとする温情が働くのか。その後、山桃の木の下に地べたに落ちた実やそれに群がる昆虫を漁る小鳥が来る。いわゆる棲み分けのルールを守って我欲を押さえているのであろうか、人間にはできない芸当ではある。
2011.07.12
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百合の花が咲いた。柱頭が朝日に煌めき妖艶さを誇示している。この美しさ、正に、言語に絶する。
2011.07.10
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昨日の朝、今年初めてブラックベリーが黒く完熟した。すでに赤く色づいた実が沢山なっていて、今年は豊作の兆し。約20日間、毎朝の収穫が楽しみだ。*実は長さ3センチ、径2センチの大きさで、ラズベリーに比較すると数倍の大きさである。その上、花床が外れないで完熟するから、安心して収穫できる。ラズベリーのように脂肪燃焼効果の成分を含有するか不明であるか、抗酸化作用の働きをすることは確かなようで、すでに昆虫が先客していた。
2011.07.09
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桔梗の蕾は花より美しい。5角の風船、今にも空に舞い上がりそうだ。イギリスでは、バルーンフラワーと呼ぶという。バルーンが裂けるのは、夕方らしい。「朝顔は朝露負ひて咲くといえど夕影にこそ咲きまさりけれ」(万葉集-そのころ、桔梗は朝顔といわれたという。)昔の人は植物との付き合いが深くよく観察していた。
2011.07.09
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庭のあちこちに露草がはびこり花をつけている。アップするとそのときそのときで美しさ、雰囲気が変わる。何かの精か化身かと思わせる。さながら、月の嫦娥が追われて堕落し、露草に乗り移った様に映る。*でも、現実にかえれば、露草ほど始末の悪い雑草はない。僅かの根、茎の細切れでも発芽して直ぐに大きくなる。拾うようにして集めゴミ袋に入れて朝食前のウォーキングとした。
2011.07.08
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ラベンダーが咲いていた。1センチにも達しない唇形花。アップするとふくよかな厚みのある唇で吸い込まれそう。*中世のヨーロッパでペストが流行った際、ラベンダー畑で働いていた人たちは感染せずに生き残ったらしい。香りの女王と云われるが、その女王が抗菌作用でペスト菌を撃退したのであろうか。それならば、放射線も撃退して庭を浄化してくれないか。
2011.07.07
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庭先の山桃が色づいてきた。完熟までに2日ほどかかるが、この程度の酸が強い果実が見た目にいい。完熟すると野鳥に落とされて周りを赤く汚し、また、果実の中に虫が棲み始めると考えるとつい敬遠したくなる。*900年代に編纂された「本草和名」にも載っている薬草らしいが、当地には自生せず公園などに植えられている。平安京周辺には、どこの里にも自生していて、夏を乗り切るための酸味が程良くあると好まれたのであろう。敢えて植えた庭の山桃は、徒長が激しく手入れに難儀をするが、遠祖の生活を想う縁となる。
2011.07.05
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庭先の山桃が明るんできた。「暗紅紫色」だという。が、この色こそ自分にとっては赤色の何者でもない。高い枝葉の間から垣間見る小核果は、自然神の産物であるという孤高な姿に映る。もはや人間だけの独占物ではなく、リスも、猿も、鵯も自由に採集してしかるべきものである。**このように考え始めたのはつい最近のこと。山桃採取時に銃撃されたショッキングなニュースを聴いてからの被害妄想的思考による。あの時の、山深く、巨木の枝葉に赤熟した山桃の映像は、今でも脳裏にはっきりと残っている。だから、鵯も大手を振って啄むといい。
2011.07.04
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庭先の花魁草が咲き始めた。花魁草には誰にもそれぞれの思い出がある。話たがらなかったことも齢がその口火を切り、酒が饒舌にする。*花魁草は種がないのに、どうして色々な色の花が普及したのかとふと疑問になった。白粉のような艶やかな芳香で、どうして数多の蝶を呼ぶ必要性があるのか。徒花とはこのことではないか。今日の宿題となった。
2011.07.02
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蹲の近くの擬宝珠が咲き始めた。蹲が鵯の専用のバスとなっているため、その水飛沫がどの擬宝珠よりも早く開花する結果となったようだ。鵯は、自分が散水したから早く咲かせたとは考えないだろうなぁ。でも、鵯も、野生で他の生き物と接していく中で善因善果、因果関係は理解しているような気がする。*蹲の周りに糞をしたためそれを清掃する姿を見せつけ、それから2,3日は給水を中止したところ、粗相をしなくなった。また、早朝にラズベリーや早稲ブルーベリーを採取している姿を観察しているせいか、給水してくれる人に悪戯をしてはならないという気持ちが起きたのか、決してそれらを荒らさなくなった。勝手に思いこんでいるのかもしれないが、蹲への毎朝の給水作業が、鵯の行動の変化をもたらしていると考えると愉快である。
2011.07.02
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