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■ゆれる何か。体のなかで、心のなかでなにかがゆれている。それは、何かを選ぶとかのゆれではなく。ただ、ゆれている。どうしてゆれるんだろうか?揺さぶられるという強いときもあれば、さざなみのような心地いい時もある。ゆれているとき、なにかにとどまることはない。なにかに強くこだわることや、強い恐怖なんかがなくなる。ゆれているからなのか。多少、風邪が吹いていたほうが心地いい。ゆれもおなじだろうか?優柔不断や、いいかげんさではないのか。観ている、何かを見ている。何かから見られている。自分は知っている。自分もしらない。真実と虚像。幻想と妄想。現実と虚無。いろいろゆれているのかもしれない。磁石のプラスとマイナスみたいに、なにかが発生するときに必ず反対の何かが発生するかのようにゆれる。Aだけでは存在せず、Bだけでは生きられない。あっちのこっちの中間にあるものなのか。ゆれる、ゆれる、ゆれる。
2006年05月30日
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■感じつくす。よく言われることだし、そうしてきたとおもってました。本当に、感じつくす、浸るっておもっていたのと違いました。これをするためには、少しそういったことがわかる人が必要かもしれません。■困るとおもっていることや、苦しいと感じるものの大半はイメージで苦しんでいます。そのものが持つイメージ、自分で意味つけしたイメージ、それらのイメージがその感情を大きくふくらまし、また、別の見えない恐怖のようなものとして感じさせます。でも、その実体は感情なので感じつくせば流れていきます。あとに残るのは静けさです。■これはおもったより難しいものです。恐怖と対峙するのは勝つも負けるもありません。ただ、受け入れるとも違います。そこに思考はなく、意味付けや価値観はありません。ただ、感じつくすことです。
2006年05月29日
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■開放というもの。開放は自由を意味する。本当の自由とは己の価値観からの解放。価値観に左右されない、自由な発想や行動。それは物質的な制限にも左右されない。己の価値観からの開放、それは可能性が花開く瞬間。そこには可能性しかない。すべての可能性が存在する。そこにはもはや物質的な制限は意味をなさない。この開放はなにか、具体的な制限からの開放ではない。ある他人からの抑圧やコントロールからの解放でもない。ただ、己の価値観からの解放。できないことはなくなる。そのには真の意味の責任が存在し、可能性の選択がある。己の価値観からの解放は自由を意味する。どんな、言葉も、解釈も意味をなさない。ただ、心の声が存在するだけ。そこには時間も経験も関係ない、本当の自由が存在する。自由とは他からの開放ではない。自由とは己の概念=価値観からの解放である。
2006年05月25日
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■自然と秩序自然はそれだけで秩序をもっている。どんな変化にも対応していき、循環、正常化、適正化のシステムをもっている。人も同じで、自然な状態になっていけば必然秩序が生まれてくる。この秩序には無理が無く、また、恣意的なものも存在しない。ただ、バランスの取れている状態。その人が自然に行うこと、自然に起こる欲求、自然な状態。たぶんこれを突き詰めていくと、自然な秩序ができあがる。秩序は決まりも持たず、コントロールもせず、ただ、変化に対して適正化していく。このバランスはすべての上でバランスが取れている。その人の中でも完結し、地域でも完結し、国でも完結し、そして地球全体においてすら完結するシステム。しかも、どんな変化にも対応する。自然の秩序ってのはすごいですね~。少しの無駄のない仕組み、完璧です。人がこれほど環境を壊しても、まだ維持してますから相当すごい仕組みです。でも、それを人が壊し続けている。なぜだろうか?自然とともに生きる、みたいな説教くさいことはどうでもいいとして、なぜ、完璧な仕組みを壊そうとするんだろうか?すでに完璧なのに、、。そういった意味で、今の科学、経済の延長には地球的な共生はない。なぜなら、すでに完璧な仕組みがあるのにそれを変化させ壊しているからだ。完璧なものを変えて、不完全に変えているんだから、今の延長に完璧な共生なんてありえない。なんででしょうね。だからって、いきなり文明の恩恵から離れるってのもナンセンス。だれかに文句いいながら、これがいい!なんて物を売っているのもなんかずれてる。でもわかっているのは、今の延長には絶対に答えはない。すでに完璧なシステムがあるのに、それをいじって壊している時点で、完全にバランスのとれるポイントはありえない。微妙にバランスを崩したバランスならできても、長くは続かない。なんだろう末法思想とか、否定的な感じになってしまうな~。でも、昔の人たちもこのまま行くとただ破壊しかないことがわかっていたのか、、。まあ、生きている間にはないだろうからいいか、くらいの勢いか。う~ん、いいたいことがうまく文章にならないなー。虫や動物は基本的に自分のことしか考えていない。でも、自然といっしょ、その循環システムに乗っかってる。人は、自分のこと以外にも、他人や地域、地球環境についても考えているのに自然といっしょにはいられない。なぜ?本当の意味で無駄が多すぎるのかも。大量につくり、大量に消費して、限りなく求める。だからか?だからって、便利さから離れていきるのもとっても難しい。今、考えられるとするとギリギリの循環システムまで落とせばいいのか?自己循環のシステムが相互にかみ合えばすべてのバランスが取れる。その一番最初に完結、循環しないといけないのが、自分自身って感じか。そうしないと限りなく求め、すべてを破壊していく。それは自己をも破壊することなのかもな~。これらのことで他に気づく必要のあるものはありますか?ここにいるとき、何が不自然か気づきます。いまのあなたにとってなにが不自然なのかに気づきます。それは、匂いなのか、見た目なのか、感覚なのか様々だとおもいます。ですが、あなたは違和感を覚えるのです。それがチャンスです。あなたが、その不自然さを認められれば自然に秩序をとりもどす力が働きます。その力は強力でそしてやさしくあなたを変化させていきます。どうですか?なにか不安がありますか?どんなことに不安や不満がありますか?なぜ、それを不安や不満とおもうのですか?あとは、変えたいとおもうだけです。それだけで、すべてが自然の秩序の元、適正化されていきます。どんなことも、です。途中にしていることはありませんか?途中で止めてしまっているものです。あなたの内面に途中にしてしまっているものを探しましょう。そして、流しきるのです。あなたが変化するタイミングにきているのです。
2006年05月24日
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■答えとリアル他人から教えられることと、自分から割り出した答えには大きな違いがある。それはリアリティ。自分から割り出した答えには答え以上の価値がある。そこには、そのことをより多角的に、本質的に理解したというリアルがある。教わること自体にわるいことは無い。ただ、リアルではない。なぜ、1足す1は2なのか?分数の割り算とはなんなのか?なぜ、そんなものが必要なのか?そんなことが実際にあるのか?教わっただけでは、その答えにリアリティはない。暗記しているだけでは、そこにリアリティはない。では、リアルはなぜいいのか?それは、その瞬間にあり、価値観や先入観に左右されないその瞬間の自己が存在するから。
2006年05月23日
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■量をこなすとは良をこなす。ただ、いっぱいやればいいってもんでもない。できるだけ良をたくさんこなす必要がある。良いをたくさんこなすことで、良いがパターンが生まれる。良いパターンが、さらに良いパターンを有む。これがついてるってことの原理かもな~。良っていってもラクってわけではない。これは、なにが良になるかで大きくかわってくる。なにかの競技で試合に勝つことが良なら、困難やピンチがあっても乗り越えられる忍耐や精神力をつけることも良になる。これはいっけん辛いことだから、逃げ出したくなる。スポーツなどの基礎の反復練習とかがそれかな。良い型を徹底的に叩き込む。すると無意識に良い形が出てくるので、そのひとのレベルがあがる。でも、良はその人によって違ったり、立場が代わると逆転してしまうかもしれない。良ってのは意図ともにているのかも。何を意図するかとは、なにを良しとするのかということなのかな~。
2006年05月22日
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■お金の流れお金には流れがある。どんな流かというと、使う人のところに集まってくる流れ、稼ぐ人のところに集まってくる流れ、欲望という流れ、どうすれば、お金の流れに身を浸すことができるか。それは、ある意味ケチではいけない。お金持ちの大半はケチだが、お金の流れるところにはケチではない。では、お金の流れるところってなんだろう。それは、ほかのお金持ちたちが関心を寄せるところだ。お金は、人類に格差を生みだし、今も続いている。ということは、もともとすごいお金持ちとそうでない人が存在する。お金持ちは投資額も大きいので、この投資的なものに非常に多くのお金をつかう。それが、その人たちをより安定してお金持ちにするからにほかならない。では、お金持ちの心理、またはお金を使う人の心理が理解できれば、効率よくケチになれる。ここには、裏側がでないような人徳も必要だ。この世は結果社会。勝ったものが正義になる。つまり、おもっても行動しなければやる気がないのと同様。たとえ結果がでていなくとも、実際の行動によって大きく評価が分かれる。つまり人徳もその人の考えややる気ではなく、行動で立証される。人徳があるという行動をおこせていて、その行動が恒久的で、言動とも矛盾がなければ、かなりの人格者、道徳人としてあつかわれることになる。その人が頭の中で他のことを考えていても関係ない。行動、しいては結果がすべてだからだ。思考がすべてという考え方がある。思考が行動に及ぼす影響力が非常に大きいからだ。長い眼でみれば、行動よりも思考的なものが実現されるからだ。お金については、運の要素が大きい。お金持ちになれるかどうかは、ほとんど運にかかってくる。その運というのも行動によって引き寄せ、その人の人格によって磨かれる。運というのは、全人類平等なんだろうか?運のいいひと、運の悪い人はいる。一時的にみれば、塞翁が馬なんだろうけど、実際は、運のいいひとはどんどん運がついていくように思える。どんな人が運が良いのだろうか?前向きな人、諦めない人、などなど。本当に人がいい人ってのは大体、社会から喰いものにされている。成功者の人徳ってのはきっと、あなたま中で考えていることと実際の行動や言動を違える人かもしれない。ほとんどの人には、自己の矛盾に苦しみはじめてやめる。でも、それを諦めずにやり切れる人が、成功的人格者なのかも。ある種、バランスのいい人なのかもしれない。本音と建前があろうとも、外側に一切本音を出さなければ結局、本音と建前がないのと同じになる。でも、違和感はあるだろうけど。まあ、非常にストイックな感じです。こう感じたり考えるのは間違いで、こう決めたからこうするんだ!みたいなもんだからな~。あ~ゆえに意図が大切なんだな~。お金儲けのことばかり考えている連中より、仕事が大好きでしょうがない人間の方が成功するのだ。(ユダヤ人大富豪の教えより)ってな考えもある。ここで難しいのが、仕事=お金をもうけることという図式は確実なので、仕事が好きでしょうがない人は、結局、お金儲けが好きで仕方ないということと、あまりかわらないかもしれない。逆に、好きなことを仕事にしていて、それがお金になるということもある。でも好きとは感情なので、うつろい、流れ行く。苦しみや、悲しみも同様で咲いては枯れていく花のようだ。同じ感情をずっと感じていることはありえない。どんなに快適でも、それが日常になったら慣れて普通になってしまうからだ。つまり好きなことを仕事するということは、同じことを続けることではない。自分の興味の方向に気づいてそれに対して方向修正する勇気が必要になってくる。だいたい、こういうときはうまくいっていることを手放すときだから大変。うまくいくってことは継続的にお金が入ってくるシステムってことが多い。そりゃー手放しずらい。会社勤めってのはまさにここにはまってる感じ。まあ、仕事に関して好きっていってもなにかの職業や職種というよりたんに方向性のようなものかな~。
2006年05月19日
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■日記を開設して、もうすぐ1000日になる。といってもあと50日くらいありますが。最近は、毎日更新できているわけではないですが、よく続いたな~としみじみ。続けていること自体に意味はないですが、これも一つの結果なのかな~とおもいました。■続けてみて。文章を書くということを多く体験することになるので、言葉での表現力があがる。(プロはすごいな~と感じます。余計なものもたくさん見えてきますが)振り返ってみてみると、いろいろおもしろい。日常的になにかについて考える時間が作られる。いろいろな視点でもって、物事をとられてみる。文章や考えのオリジナル性について考えてみる。まあまあそんな感じで、たいしたものはないですが、きっとやり始めたころに比べればいろいろ変わっているんだろうな~とおもいます。同時期に日記を始めた仲間で、ほぼというか完璧に毎日更新している猛者がいます(^^ツイてるファシリテーターさん100%の更新率と1000日の期間には脱帽です。内容もわかりやすく、いろいろな発見があるとおもいます。オススメです(^^
2006年05月18日
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■静かな時間静かな時間を最近とるようにしています。そうしているとおもうことですが、とにかく雑念というか、考え事がなかなか終わらないことですね。ついいろいろ連想して、話が脱線していってしまいます。それはそれでいいのかもしれませんが、雑音がおおくて、大切な音を聞けない感じです。大体60分くらいは雑念の波にさらわれます(^^そこで最近やっているのが、90分間静かにしておくことさすがに60分間くらいひたすら考え事をしていたらなくなってきます。いろいろ考える気力も落ちてきます。そのときがチャンスです。純粋になにかについて、ゆったり考えるにはこのチャンスを活かすといいです。おもったことを紙に殴り書きしていきます。もちろん最初の60分のときでもいいのですが、とくに最後30分くらいがいいものが出てきます。人の集中力からして90分くらいが限度でこれ以上やっても疲労するだけだとおもいます。でも60分ではちょうど乗ってきたくらいのときに終わってしまうのでもったいないです。雑念!?が多い人にはオススメです。
2006年05月16日
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■分離のない世界。分離感がこの世の諸悪の根源になっているという。本当にそうなのか?分離感がなくなることはあるのか?分離感はいったいどこからきて、僕をどうするんだ?それは防げるものなのか、それともどうしようもないのか?分離感とはあなた自体をあなたでなくすもの。あなたでないものになるときあなたは、分離を感じます。あなたとはなんですか?それはすべてです。あなたはすべてです。あなたはすべてなのに、あなたはすべてでないと感じるとき。それが分離です。では、全体性をとりもどせばいいのですか?どうすればいいんですか?それは、あなたの分離している様をみていくしかありません。あなたの分離している様をつぶさに観察することで、あなたはその分離を超えていけます。その分離を超えていくことで、あなたは平安と静けさを手に入れていきます。どうなっても大丈夫とおもう気持ちかもしれません。あなたという肉体よりも大切なものかもしれません。分離がおこったとき、あなたは狼狽し、疲労し、困惑します。そんなはずはないと考えているからです。自分は完璧で、完全であると考えているのに、そうでないことが起こるからです。これを葛藤と呼んでいます。あなたは、その葛藤を超えることで、自分というものを再認識することになります。葛藤を超えるためには、知性以外のちからも必要です。考えているだけでは、理論だけでは葛藤は越えられません。葛藤を超えるための一番の方法は、ながれに身をまかせ、ながれを捕らえ、ながれに生きることです。そこには流れてきた過去も、これから流れていく場所も存在しません。ただ、今があるので葛藤を越えられるのです。葛藤は今を生きるための要素です。でも今をいきるために葛藤が必要なわけではありません。あなたがそれを忘れたとき、また、そうしたいと願っているとき、葛藤を通して、そうできていないものを観ることがでいるのです。たくましいですね。大変なことをやっていることを自覚してください。そしてそれは大変、貴重なことなのです。感じ、考え、行動し、乗り越えていく。乗り越えていくことで、もうその現象は起こらなくなります。あなたの人生で繰り返されていることはありませんか?どんなことですか?それを超えていくことが出来ないと考えていませんか?それはあなたしだいです。あなたがすべてです。
2006年05月12日
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■幽体離脱?なんだろう、そんなことを経験した。初めてだったな~。はっきりしているわけでも、証拠があるわけでもないので、きわめて個人的な感想になるんですが。■夜、寝ているときにふと気がつくと、どんどん自分の体が浮いていくことに気づいた。そりゃーもう、すごい感じです(^^特に動くことはできないんですが、グンッ って感じで浮いていきます。1mくらい浮いたところで、90度回転して立つようになったら、今度はすごいスピードで窓の方に突っ込んでいきます。ぶつかる!っとおもったらスッと壁をすり抜けて次の壁に向かっていって、次の壁をすり抜けたところで終わり。それを何度か、体験しました。■体験してみて一番感じるのが、、恐怖です。怖いんです。驚きですね。眠ろうとすると、また変な感じに意識がなろうするんですが、断固として拒絶してしまいます。単純に怖いからです。なんだか、持っていかれる気がすんです。抜けてしまうと、かえってこれないような。それこそ死神にいざなわれているような感じが一番近いです。もう少し、冷静に興味をもってその体験を楽しめたらよかったんですが、無理でした。■寝ぼけていたからなのか、本当に幽体離脱したのかはさだかではありませんが、興味深い体験でした。
2006年05月10日
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■約束生まれてくる前に約束しているものがあると言う。なんだろうそれは、本当にあるんだろうか?そもそもその約束にそくした生き方をしないといけないのか?そう生きるとなにがどうなるのか?常に満たされない気持ちを持っている。どうして、みたされないんだろうか?みたされることはあるんだろうか?満たされることは何を意味するんだろうか?あなたがそう考えるのはもっともです。あなたは一部分になっているので、そう感じるのです。もともと全体だったことを覚えているので、それを思い出すのです。どうして、そうしたいのですか?もともとあなたは全体で、完全です。そのことは紛れも無い事実です。でも、感じるんですね、これが望んだことじゃないと、、。本当にそうですか?それを望んでないというのは本当ですか?そうしたいと願ったことはないですか?プログラムはもっともあなたが効率よく成長できるように組まれています。あなたは生きている間中、成長することを約束してきています。だから、それが起こるのです。その約束を覚えていませんか?なにか、自分を越えて生きたい、どんどんよくなっていきたい感覚を覚えていませんか?まるで、それは赤ん坊のようです。すべてを吸収して、すべてを手放していきます。のこるのはつながりです。人のつながり、ものとのつながり、自然とのつながり。すべてをつなげては、それ以外のものを手放していきます。あなたが行いたいことはなんですか?本当にそうおもいますか?それが約束です。
2006年05月09日
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■GWもおわりましたね。みなさんいかがお過ごしだったでしょうか?仕事がいっそうだるく感じるときですが、どうでしょうか?■流れ。流れに乗ることって大切です。でもそれってなんのこと?流れに乗らずに自分を確保しようとするととっても大変。でも、それが必要なときもあったりする。流れに乗らずに自分を確保しようとするっていうのは、無理して休もうとしていたり、考え事なんかを先送りしている様。とにかく早く寝るとか、睡眠時間を多く確保してみたり、自分ひとりでいようとしたりすること。こうなると、自分だけの時間がとられ始めるかわりに、まわりの時間の流れとかみ合わなくなってくる。あとでゆっくりかんがえようなんて時はほとんどそれ。(あとでちゃんと考えるなら話は別ですが、、)まわりからの刺激を出来るだけとりたいと願っているので、まわりからの刺激=流れを拒絶している。自分の反応をできるだけ抑えたいときなので、何か起こるのを極端に嫌ってしまう。でも、まわりは流れているから、その流に逆らってとどまっているようなもんだから、基本的に苦しくなってくる。また、チャンスなんかの流も拒絶してしまうので人生が膠着してしまう。あまりにも流されている人は、多少とまったほうがいいんだろうけど。■ぎゃくもある。流に乗るのでなく、ざるのようにすべてを流しきっている様。一緒に流れているんじゃなくて、ただただ流している。なにかいざこざがあっても、あとになるとハッピーみたいにすこしネジがゆるんでる感じ。なにかつらいことや、大変なことがおこっても、自分の内側の変化を見ないですむので、比較的らくなようにみえるけど、なんにもなってないのが欠点。流に逆らっても大変だし、流しすぎると自分の変化が無くなってしまうし、なんだか、流れってのもバランスしかないんだな~とおもった今日この頃。
2006年05月08日
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■GWGWですね~。みなさんどうおすごしでしょうか?なんだか地震の多いGWですね~。よくゆれてます。行楽地へお出かけのみなさんは気をつけてください。今日という日はかくもながく、かくも短い。たまによしとするべきものは、あたわずその力を得ず。たまに量としても違えるものは、形あるものとなる。感情と知識の間にあるものはその知恵を身につける。ともにあらんことを知るものは、ともに感じることをあたわず。経力と万時なるものとの境はその中にいるというものではなく。ただ、未知なるものへの逃避ならざるもの。形と知識と学びのまんなかに信頼と価値を置く。ともすればいたずらになり行く、この時間と、小路を。真ん中にあろうとすべき万遍無い。知るともすれば息ともなく。たまにあるいはともにあるべし。さあ、なんでしょう、まっいっか。みなさんよい休日を~。
2006年05月02日
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