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■繊細で細かい感じ。最近、そんなものを感じる。繊細で細かい。そんな表現がぴったり。敏感だけど、強いかんじ。敏感すぎて弱い感じがすることが普通だが、なぜか強い。神聖さというものに似ているのかもしれない。でも、繊細で細かいというほうがぴったりくる。自然に一生懸命になるのに必要な要素なきがした。
2006年06月29日
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■最近、整体やマッサージにいってみている。なかなか良いもんですね。背中が温かくなると、なんだかそうとうラクです。背中って大切なんですね~。こっているかどうかってあんまり自分ではわからなかったりします。だけれども、マッサージとかでもんでもらうと、どこがどのくらい固いか良くわかりますね。これは個人的な感覚なんですが、整体は骨は直してくれますが、こまかい筋肉のコリは難しいみたいです。マッサージは筋肉のコリや、柔らかくはなりますが、それを保つのが難しいみたいです。骨と、筋肉を正常にすると効果が倍増する気がします。得意不得意の分野をミックスさせるといいな~とおもいました。最近はクーポンランドなどの割引チケットを使うと半額なんてのも珍しくないので、いい世の中になったな~と。
2006年06月28日
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■知ると安心する。知るとなぜか安心する。だから、一部分だけでも特徴をとらえて判断したい。知っているものに分類できるとなぜか安心する。よくわからない生き物もひれがあるから魚だとわかると、安心する。人をみて、こういう分類の人だとわかると安心する。■面白いは少し変なところがおかしい。少しへんだからおかしい、まったくふつうだったらおもったらなにも面白くない。それは、いろんな価値観があってそこからちょっとはずれたりするのでへんでおかしい。でも価値観はみんなちがう。だから、みんなが共通で面白いとおもうことはけっこうレア。でも、なんかメディアの影響なのかどうかはわからないけど、面白いということも一つの価値観で、こうすれば笑う、こうすれば悲しくなるみたいなものを感じる。10人いたら、1人、プッて笑うのがとっても面白いのかもしれない。10人いたら、1人、ホロって泣くのがとっても悲しいのかもしれない。それぞれの人生の体験があって、それぞれ違うことをおもって生きている。少しずつ変わっていて、少しずつへんな人たちでこの世はできている。だから、おもしろいのかもしれない。
2006年06月27日
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■人のせいにしない。人のせいにすると起こる一番よくないことは、ぐだぐだ理由を考えてしまうこと。自分を正当化するために、あんなこと、こんなことを考える。さらに正当化する自分が矛盾無く正しくあるために、いろいろ行動にまで現れてしまう。人のせいにしない一番の方法は、受け入れること。でも、普通に受け入れるとはちょっとちがう。たとえば、なにか受け入れがたいことがおこって、でも受け入れないといけないな~となんとなく気づいているとき。ここで、受け入れるべきところは起こった現象をうけいれるんでなくて、受け入れがたいな~とおもっている自分を受け入れればいいんですね。起こったことを無理やり受け入れようとすることで、ストレスがたまったり、ぎゃくに楽観的になりすぎてあんまり感じないようになってしまうのが問題。受け入れられないもんは、それはそれでしょうがない。でも、それを受け入れがたいんだな~とおもっている自分は受け入れないといけない。でもそれを受け入れられないと、言い訳や、自己の正当化、人のせいに走るか自虐的になる。たとえばなぜ、それを受け入れないといけないと考えているのか?とかのほうが重要。ようは、なにかパターン化している思考に気づくことのほうが大切なんだけど、それを観るほうがめんどくさい上に大変なんで、だいたい、言い訳=正当化するか、麻痺=考えないようになってしまう。自分の状態に気づき、さらにそれを受け入れること。そんなことしてたら、あんまり人を責めたり、言い訳したりしないですみます。
2006年06月23日
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■最近あまり筆がすすまない。日記を更新しているのはどうしてだろうか?とも考えてみた。基本は言いたいことをいうため。最近、言いたいことが言えるようになってきているのかな?文章にする必要性をあまり感じなくなってきている。人生の変化としては大きな時期にあるので、日常的な変化ははなはな激しいけれども、なんていうか、こだわりがなくなってきている。いいのか、悪いのかはわからないけど、そんなことを感じる。少し思考からはなれているのかもしれない。最近、過去のことがすごい昔に感じる。もはや遠い思い出というか、違う人が体験したかのような感じもある。人生の転機ってのは、自分の人生に対して無理にでも観るようになる。このままでいいのか?他の選択はないのか?よりいい方法はなんなのか?なんにせよイメージというか想像で考えることが多い。すると、可能性なので悪いことも良いことも考え付く。考えるのに疲れると、なにもしないのが一番いいんじゃないかとおもったりすることもある。でも、過去した自分の決定や、決断が現在にきいてくるので、物質的な流れはうまれている。廻りも変化していく、自分も変化していく。どうしたって未来はわからない。(量子論的にもそうなる)だったら、やりたいことやるしかないんだな~ともおもう。何をやる、という具体的なものより、どういう方向に行きたいくらいなら決められる。その方向のなかで見えてくるものを捕らえるのがいいのかな~ともおもう。なんにせよこだわりがなくなってきてるな~と感じる今日この頃。でもシンプルだな~。
2006年06月21日
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■静かなる意識。自立した精神には、静かさがやどる。独立していて他からの影響力がすくないからなのか?否。自分を否定できる強さをもっているからだ。自分を否定するのは怖い。自信というものを揺るがされるし、気分も悪くなる。そうだと信じたことを曲げるのは大変だ、だからといってなにも主義主張をもたないと、自分がわからなくなってくる。主義主張というか言いたいことというくらいの感じかな。言いたいことが無さ過ぎると、自分を否定する要素はなくなる代わりに他人の意見に左右されすぎる傾向がうまれる。これの最大の欠点は他人の責任にしがちになること。今の自分の状況を他人のせいだとしてしまえば楽だわな。自己の主張に気づきながら、過去行った主張にもとらわれない勇気。都合がいいだけのような感じもするけど、過去の自分も認める度量の広さが必要。だれの味方でもなく、自分の味方で在り続ける。廻りとの軋轢という恐怖が今度はやってくる。その影響かにありながら、静かであること。頼るものを必要としない強さ。だからこそ静けさがある。そして、今という瞬間に最大の力を出せるということでもある。その人には困るということがあまりない。大変だな~とおもう程度だ。静けさを手に入れた代償といってもいいかもしれない。つねに自分に敏感であるために、自分を偽ったり割り切ったりすることが難しくなる。仕事は割り切ればうまくいくことが多い。自分はもう売り上げとかどうでもよくなっているのに、立場上それを言い続けることは本人に非常にストレスをあたえることになる。素直になればいいのかもしれない。素直なのは自分の状態と他人の意見にも素直になるということ。そうなれば、自然と動きがでてきる。不自然な力が働かないので、流れているような感じにも思えるかもしれない。たくましくあることが自然なのかもしれない。おそらくそういう本人は別にたくましいともおもってないだろうけど。
2006年06月13日
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■量子論パソコンとか、テレビ、携帯電話とかの実用化ができたのはこの量子論のおかげ。量子論以前の科学と、その後の科学が分けられるほどすごいもの。(相対性理論もふくめ、量子論以前の科学は古典科学と呼ばれている)どういったものかというと、未来はさっぱりわかりませんということ(^^たとえば、サイコロの出る目を予測するとして、サイコロを投げた瞬間の状態を正確に把握することができれば、その後の運動(動き)を予測することができるので、投げた瞬間に、結果が決まると。そんな感じで、世の中のすべての物理現象と法則を詳細に把握できる存在がいるとすれば、未来は決まっていると考えることができる。ってことで考えていたのが古典科学。そんなの無理ですって証明したのが量子論。■量子論で特に重要なのが、原子の構造。原子の構造ってのは、中学くらいの理科でならう。原子核(陽子と中性子)と電子で出来ている。私たちがならった、原子のモデルは太陽と惑星のように、原子核の周囲を回転するように回る電子。って感じだとおもう。正確にはちょっと変わっていて、原子核の周りを電子の雲が取り巻いているイメージの方が正確だってのが量子論的。電子の動きは、円ではなく、紐をつなげたような形。ここでまた重要なところが、運動方向を特定しようとすると位置がわからなくなり、位置を特定しようとすると運動の方向がわからなくなる。という特性をミクロの世界では持ち合わせている。これは、光は波であり、粒でもあるってこととも似ている。電子や原子、分子も波と粒の両方の性質をもっていることがわかっている。■これでは良くわからない?でも、わかっていることは、世の中を構成するもののほとんどは波と粒の両方の性質を併せ持つというもの。これは、そのものの本質ではなく、そのものの1側面をみているということ。ドラマをみて、俳優の性格が役の性格と判断するようなもの、1側面だけではよくわからん。つまり、原子や光の全体像を想像することはできても、その本質を理解することが難しいということ。だってイメージできないでしょ、波と粒の性質をもって観測するまでは特定されることのない、つまり同時にたくさんの可能性を含めた存在って言われても。(言葉そのものを信じるとしても、その存在を正確にイメージするのは難しい)■どうして未来はわからないのか?それは、観測者の意図によって、物質があったりなかったりするから、、。正確には、可能性しかわからないということ。可能性なんだから、どんなことにもなりうる可能性がある。あとはその可能性が高いか低いかの違い。世の中そんないい加減なものと証明したのが量子論。でもどうして観察者の意図によって変化するのかはさっぱりわかっていない。これは意識したものの情報がたくさん入ってくるとかとは違う。まあ、そんな感じで量子論が存在して、それと相対性理論の二つを掛け合わせたような統合理論ってやつを世界中の人が探している。そんなものが見つかるといいな~とおもった今日この頃。
2006年06月09日
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■意味物の意味とは、その物を通した行為によって現れることである。たとえば、ただの棒切れも、杖にもなれば、ものを引き寄せるものに使えたり、闘いや、家を建てるときに使えたりと、その木自体には意味はなくとも、使用しかたによって様々な意味が生まれる。人というものを物と考えた場合、その意味や価値は存在しない。しかし、その人が仕事をしたり、誰かのためになっていたりすると、そこに他人が意味を作り出します。その他人の作り出した、その人の意味を私たちは探しているのかもしれない。自分自身で自分の意味を見出すなら、何をやってもいいという点である。他人が何を言おうと、何をされようと、自分でつけた自分の意味を貫く自由がある。他人のつけた意味は、その人の価値が他人にとってどれほど利用できるか?というものになる。自分の意味探しをしても無駄である。そのままで、意味をなす(私たちが意味という概念で捕らえているもの)ことはありえない。何かの行為を通してしか、意味は立ち現れない。だから、てっとり速いのは意味を求めなければいい。意味なんて探しても、かりそめの意味しか見出せないのだから。誰かのやくに立っている自分に意味がある。誰かを助けている自分がいとおしい。それもいい。でも、行き着く先は分離しかない。役にたつなといっているのではなく、意味などないということ。たとえば、誰かを助けているとおもっているのは自分の一方的な勘違いかもしれないし、単に価値観を押し付けているだけの可能性もある。他人に要素を求めれば求めるほど、その価値は希薄にそして脆弱になっていく。気に入られるためになんでもするか、それとも価値観を無理に押し付けるか。それもいい。だが、ほかの方法もある。これは個人の自由だが、そっちのほうがいいのかなとおもった。
2006年06月08日
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■相対性理論なんだか、博物館でうっていた本を買ってきてしっかり理解しようとしてみました。相対性理論は難しいというよりも、想像しにくい、というものなんですね。あまりにとっぴで、実生活とかけ離れているので想像しにくいのです。たとえば、私たちは地球に落ち続けているといわれてもよくわかりません。しかも、もし落ち続ければ地球の違う場所にいても地球の中心でぶつかります。つまり、空間がゆがんでいるのですっていわれてもね。ここの問題点は、決して3次元にいる私たちに正確に空間のゆがみを想像することは不可能な点にあります。空間がゆがむとして、それがどんなことを意味していて、本当はどんなことなのか?映画やアニメで視覚的にそれをあらわしたりしているものはありますが、本当はどうなのかはだれにもわかりません。そういった意味で、死後の世界に似ているのかもしれませんね。生きている間には、決してそれを完全に理解することは不可能です。想像したり、予想することはできても、決して本当かどうかを確かめることができないもの。そんな感じです。でも、それに挑んで、しかもみんなが納得いくように説明して、さらに原子力なんかにも応用したんだから、アインシュタインはすごい!!■相対性でもっとも重要なのが光の存在。光は物質界での最高速度、秒速約30万Km。これは普遍で、決してかわることのないもの。ゆえに空間や時間が固定したものでなく、やわらかい変化するものと考えられる。でも、その当事者にとっては時間や空間に変化はなく、違う相手から観察すると変化しているように見えるっていうのが相対性。また、エネルギーと質量は同じものと考えた。これが、もっとも有名な式E=mc^2となる。どういうことかというとキャッチボールなんかで、速い球をとると手がいたい。でも、スピードの遅い重い球をキャッチしても同じくらい手がいたい。みたいな感じで、速度が増すと同じものでも破壊力が増す、みたいなもの。もっというと、何も無い空間でもエネルギーがあれば、実体化(質量)するということ。重さ(m)がジュール(E)(1Kgのものを1m動かすエネルギー)と比例関係にあるってのが味噌。これはいろんなものに応用されていて、もっとも有名なのが核分裂、核融合。原子力発電や、核爆弾はこの理論からできている。重さのある物質が、どれだけ加速しても光の速度には達しないのも面白いところ。速さが増せば増すほど、質量も増していってしまい、最終的には質量が無限大になってしまうので、光の速度に達することができないってことになる。光は秒速約30万Kmだから、もし質量をもっていたらすさまじい破壊力になる。でも、私たちは普通に光を浴びている。ということは光には質量が無いことになる。ってなかんじで、光を完全に理解することは私たちにはできないってことでもある。(その特性の一部を理解することはできるが、本質的にどんなものなのかはわからない)縦、横、奥行き以外にの違う尺度がなければ決して理解できないものが多いんだな~と感じた。それは、時間でも空間でもない、なんかよくわからないけど4次元とよばれるもの。同様の理由で宇宙を完全に理解することもできない。3次元にいる私たちは、2次元も、1次元も理解できるが、どうしたって4次元は理解できない。想像したり、予想はできるが理解はできない。そして、それを完全に確かめることもできない。なんかいきついちゃったんだなーとおもいます。これ以上は、完全に進化しないとわからない。進化という言葉がいいかどうかともかく、4次元を経験しないとわからい。ってのが相対性理論から感じた結果。また、量子論を含めて考察してみよう。
2006年06月07日
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■ナスカ展上野の国立博物館でやってるのにいってきました。ナスカいえば地上絵、、という感じですが他にもいろいろあります。非常に保存状態のいいミイラ。脳外科手術をしたあとのある頭蓋骨。いろとりどりの土器。■特に土器が特徴的ですね。なんか愛嬌があるんです。シュールなんですが、愛嬌のある絵が面白いです。なんだか、NHKの教育番組か、宮崎アニメを思い出すような感じです。DNA鑑定をすると、ナスカの人たちと日本人は似ているそうです。どうも祖先を同じにする種族のようです。太平洋に沈んだとされるムーとかの末裔だったりするのかもしれませんね(^^地上絵はなぜ描かれたのか?こういった古代のロマンはいろいろ仮説があっておもしろいですね。どれもが正解である可能性があり、どれもが間違っている可能性もある。どの説にも、それなりの説得力があり、それなりの矛盾点を抱えています。実際にそれを確実に確かめる方法はなくて、なにを信じるかは自由です。ゆえにロマンなんですかね。■博物館のなかはさながら夏休みのように少年少女たちが走り回ってました。ほとんど遊び場ですね。
2006年06月06日
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■脳科学未来科学館でやってた脳の展示会にいってきました。目玉の展示は、様々な生き物の実際の脳が展示されていることです。昆虫や虫のようなものから、魚、爬虫類、鳥などさまざまなです。意外なことがちらほら。霊長類=サルの脳が展示しているんですが、小さくて、つるつるです(^^脳の大きさとしわ=頭のよさなら、おもった以上に頭が悪そうにみえます(^^チンパンジーやオラウータンをみても、ちいさいな~という印象です。対しておどろくのが、イルカや鯨の脳のしわの多さです。鯨は単純にでかいですが、イルカの脳のしわしわさはすごいです。海の哺乳類おそるべし。チンパンジーよりも知能が発達しているのかもしれませんね。■また、総じて草食動物の脳は小さく。肉食でも平原に住んでいる動物(ライオン)と、森に住んでいる動物(トラ)では、森に住んでいる(トラ)のほうが複雑な脳をしています。平原の狩りの方が単純なんでしょうか?■チンパンジーと人のDNAの違いは、長さが1%、空白部分が68000箇所、塩基の置き換えが1.44%、塩基配列は3330万くらいですから、人とチンパンジーとの違いは3%ないくらいの違いなんですね~。(実験方法や個体差があるんで確定ではないですが)■ほかにもいろいろと面白いものがありました。実際に見るといろいろわかることがありますね~。ただ、一番驚いたのが、ニンテンドーDSの脳トレがたくさんおいてあったことです。展示会の一部がゲームコーナーになってました(^^
2006年06月02日
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■真理とはなにか?真理とは、決してかわることのないもの。この世のなかで決して変わることのないものって存在するでしょうか?決っしてかわることの無いものが真理です。一つではないかもしれませんが、おそらく唯一無二の真理は『変わらないものはない』というものです。どれだけ疑っても、疑っても決っして変わらないもの。すなわち真理です。■最近よく聞く言葉に、ステップアップだとか、成長だとかあるとおもいます。個人的にはあまりすきな言葉ではありません。どうしてか?ステップアップや成長というと、同じ分野で出来ることが増えるとか、より複雑なことができるようになるとか、とにかく延長上に存在する言葉です。でも、実際は変化しています。その人が今までのその人でないくらいに変わってしまうことがあります。成長を放棄することで変化することもあります。良くなっている変化という意味で『進化』という言葉があります。これは成長した結果ではなく、変化した結果です。成長というと、成長しなければいけないという感覚もあります。つねにある部分でよくなり続ける、、というのも大変ですね。変わってもいいんだよ、というくらいのアバウトなほうがしょうにあいます(^^言葉のニュアンスですが、こっちの言葉のほうが好きです。良くなる変化=進化
2006年06月01日
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