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今日も大雨が降った。昼過ぎになって、お日様に誘われて外に出た。2時間もしないうちに雷が鳴り出した。最初は暴走族のバイクの音だと思ったほど、急に空が暗くなった。バイクに乗っていてずぶぬれになり、寒気がした。最近家にいる時間が長いので体重が増えた。脂肪が蓄えられると寒さを感じにくいというが、何%増えたらそう思うのだろうか? 天気は、低気圧が発達し悪くなる方向だということは知っていた。しかしあの空を見たら、ありえないと思っていた。しかし結局雨は2時間ぐらいでやんで、夕方買い物に出かけた。桜が、なぜ開かないのか不思議なくらい色づいていた。お彼岸が近いんだなあ・・天候が不安定だし。いよいよ春が来たんだなと実感した。今年も桜が見れるんだなと妙にウキウキした。今年の冬は寒くて、鉢植えがかなりダメージを受けた。しかし死んだわけではない。枝の腋から新しい目が出てきていた。かわいらしいというよりも、力強さを感じた雨上がりだった。
2006年03月19日
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骨髄移植を受けて、短い時間をもらった紀りんさんが亡くなった。私がブログを始めたころ、彼は化学治療を受け、骨髄移植を受ける前だった。病気の種類は違っても血液疾患であることで近況を伝え合っていたのに。ブログの更新が半年もなくて、心配していたが、もっともいやな幕引きだった。3ヶ月ぐらい前に1回、「心配するから少しでも書き込みしてください」と書き込んでいた。私も自分のことしか見れずに、彼のことをしばらく忘れていた。なんか、やりきれないな、ブログで知り合った移植仲間が少なくなって病院で一緒に移植したり、抗がん剤受けて過ごした仲間も連絡取れなくなったし。今回は、紀りんさんの友人から知らせてもらってよかった。彼の生き方をたたえ、冥福を祈りたい。http://plaza.rakuten.co.jp/kyrin/ 1月もたたないうちに、連絡付かなくなるなんて、考えられることが限られる。否定するために私は、もう昔のことを振り帰らなくなったのかなと思うようにしている。そうでなければやりきれない。旅立つ準備は必要だと思う。家族は辛いだろうから友人に「力尽きたら連絡をしてくれ」と頼んでほしい。 仲間と「2年後の生存率は25%もある」と笑った頃が懐かしい。私が生き残っていても20%もないじゃないか。【お願い】 実名で悪いけど美奈子さん、アドレス2つとも戻ってきたよ。メールを送るをクリックして名前だけでも送ってください。調子悪いって言いっぱなしはなしだからよろしくね。
2006年03月13日
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暖かくなってよく寝れるようになった。22時を過ぎるとまぶたがおもくなる。朝7時になると完全に明るいので起きてしまう。しかしなんか疲れやすい気がする。たまにおなかがチクッとするとなんか気にはなる。白いワイシャツをきる機会が増え、のどがやけど見たいに見える。それよりのどのまわりがなんかぷにゅぷにゅとして、多少浮腫らしくたるんでみっともない。まあ恰幅の良い人に比べたらたいした事ないけれど。 仕事が決まった。面接で履歴書を見ながらフリーランスで働いていた事にしていた。本当はどうしたんですかと結構しつこく聞かれたので、今回もだめかなと思って正直に答えた。そうしたら「わかりました。大変でしたね、今は大丈夫なんですよね。聞かなかった事にしますので、がんばってください」と言ってもらえた。何度も大丈夫ですよねって聞かれたけど、先の事はみんなわからないでしょう。確かに悪くなる確率は高いけど・・・ この先どうしようかと思って心配していたが、生きていくことについては、あと2年問題なければ、20年は大丈夫そうな気がしてきたので、この仕事を大事にしていこうと思う。
2006年03月12日
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運転免許の更新に行き、安全講習を受けてきた。前回は、長期入院する前日に行ったので、治療開始から丸3年たった事になる。早いというべきか、まる3年間仕事してないで生活させてもらっている。 違反の記録は5年前までさかのぼるそうで、しっかり映画を見てきた。寝ようと思ったのだが、里見浩太郎が出るし、とても作りが丁寧で見入ってしまった。タイトル「破滅への道」ストーリーは、仕事熱心な働き盛りの電気屋さんが友人と飲んでいた時、お客さんから冷蔵庫が壊れたと電話が入る。酔いを醒ましてから出発する。雨が降ってきて見通しが悪く、幼い姉弟をはねてしまう。助けずに逃げて弟は死に、姉は下半身不随に。良心の呵責に耐えかね自首をして残された家族は苦労する。奥さんは働き続け、子供はぐれてしまう。ついに奥さんは電車に飛び込んでしまう。加害者も不幸。被害者も不幸。加害者は独房の中で悶絶する。一瞬の気の緩みが、多くの人間を不幸にした。被害者の家庭も悲しさが癒える事がない。飲んだら乗るなと言いたかったのだろう。動機は家族のため。お客さんのため、しかし後悔しても取り返しはつかない。人間越えられない試練は与えられないと言うが、こんな不幸は与えないでよと思った。 最後の落ちにはびっくりした。「罪を償ってしっかり社会復帰してほしい」だって! いくら時間が風化させようとも、そんな事が出来るのか?とても耐え切れないだろう。生きて何が出来るのかってすごく考えるはずだし、私なら15年も考えたら、気がふれてしまうと思う。 ひき逃げ過失致死だと刑事罰は15年と言っていた。私の自由な3年間なんか5分の1。悩みなんか誰も同情してくれない程度だよと言われたようで、ずいぶん複雑な思いで帰ってきた。
2006年03月07日
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1ヶ月以上も更新せずにいると、もしかして死んでしまったのかと心配されてしまうので最近のことを少し振り返ります。就職活動してます。しかし実際、年齢制限や経験が必要であったり現実は厳しい。そのまえに募集があっても能力がなくハードルが高い。面接してくれればいいが…、別に人格を否定されているわけではないことは、よくわかっているが、自分は社会に必要のない人間じゃないかと思って落ち込んでいた。みんなそうなんだよ・・・と他人ごとのように思う自分と、自分は前向きだと思い込む自分が、余計に自分の殻に篭もらせてしまっていた。 2月いっぱいは、外に出るのもイヤだったが、最近はいつまでも引きこもっていられないから、人に会うようにしている。元気を装い明るくしているから、予想以上につかれるので家に帰ると放心状態になる。最初のころは、履歴書の空白期間を病気と正直に答えていたが、最近は、前向きにフリーランスとして仕事していたと言う事にしている。 去年まではリハビリの期間と考えていて、こんなに元気になれるとは正直思っていなかった。もしかしたら20年くらい大丈夫かもって思ったら、仕事しなくちゃと真剣に思うようになった。 しばらくこのまま元気にいけそうなので、仕事しなくちゃ生活にハリがなくなるからな。どうにかなると思うけど、今やっている事が将来につながるのとか考えると、手をつけても中途半端になってしまう。またそれが嫌になってさらに気分は落ち込む、悪循環の思考回路に入り込んでしまっている。 病気をうらんだり、いままでのことを後悔したり人生までを否定してしまうことはないけれど、今後こうしたいっていうギラギラした気持ちをもてない。そんな自分はまだまだ病人だなと情けなく思った2006年の晩冬でした。
2006年03月07日
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