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風疹の予防接種に行ってきた。生ワクチンの注射は4週間あけなければならず、前回の肺炎球菌の注射から1ヶ月がたった。予防接種をすると安静にしていなければならないらしく、帰宅後すぐにプールに行って1時間泳いでから病院に行った。病院はすいていて、楽しみにしていた女性自身も読めないうちに名前を呼ばれた。30分待たされるといやだけど、3分で呼ばれるのも好きじゃないな。乾燥弱毒生風しんワクチン(タケダ製)の併用禁忌にプレドニゾロン(副腎皮質ステロイド剤)等、シクロスポリン(免疫抑制剤)等があった。免疫機能抑制下で接種するとワクチンウィルスの増強あるいは感染を持続させる可能性があるそうだ。移植患者は確かにお世話になる薬品なので、そんな状態の時に打ったら大変なことになると直感でわかる。ワクチン代は4000円、診察料が820円で合計4820円、1万円にならなくてよかった。今後の予定として4週後の生ワクチンのほかに11月にインフルエンザの予防接種もたのんだ。その他歯の痛む間隔も短くなったので、これから真剣に歯医者を探さなければならない。身体のメンテナンスにもお金がかかる。(実感)
2006年09月29日
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先週から2週続けて丹沢山塊の東側を歩いてきた。山はもう秋の冷たい風が吹き、大山の山頂では富士山や丹沢、湘南地方から江ノ島まではっきり見えた。さわやかな秋晴れの下気持ち良い時間を過ごせた。24日の日曜日に蓑毛からヤビツ峠を経て大山へ、そして下社から尾根伝いに高取山、弘法山を経て秦野駅までのコースだ。総歩行距離は約14.2キロ、標高差は1,120m、時間は6時間だった。先週に比べ距離が約4キロも短いのに時間は同じくらいかかってしまった。前回も今回も上りは参考タイムより早いのだが、下りは木の根や階段など、歩きにくいことこの上ない。走って降りられず、時間がかせげなかった。弘法山は弘法大師ゆかりの山である。山頂の井戸から白い水が出ていて、夜人に見られないようご利益をもらおうと母親が参拝したらしい。乳の出がよくなっそうだ。確かに山の形も乳のようにやさしい山容だった。山頂に井戸を作るとはさすがお大師様。丹沢にはお大師さまの足跡が多く刻まれており、ここにはお大師様の石像がある。巡礼次第を持ってたので一通り唱えた。これからはお数珠も持ち歩かなくっちゃいけないな。山から帰ると猛烈な食欲で体重が増えた。カレーライスなどご飯がたくさん食べられるようなものが無性に食べたくなる。水分もたくさん摂るしやせるわけがない。ウエストのサイズは変わっていない。ももと腕が太くなって下着が小さくなったように感じる。運動始めてから体重は右肩あがりになっている。先週は木曜日くらいまで5日間はしっかり筋肉痛だった。ふくらはぎはいつまでも痛かった。しかし今回は無理して早く降りなかったし、先週の慣れもあって帰ってから筋肉痛がなかった。現在も筋肉痛になりそうな感じはない。こうでなければ1泊2日とか、何泊もかけて縦走できないもんな。山に行っていた頃の感覚を少しづつ思い出してきた。
2006年09月25日
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この夏から加速して身体を鍛えていた。呼吸器官も衰えていたが、それ以上に筋力がなくなっていた。呼吸が苦しくなるまえに身体がやめてくれという。トレーニングを積むと、身体の前に呼吸が苦しくなった。確かに身体に筋肉がついたと思う。見かけと体重計も正確にあらわしていた。1ヶ月ほどトレーニングしたので、実際に山に行って見ることにした。最初の山は、学生時代から身体が鈍ると何度も通った丹沢にした。少し長く歩きたかったので今回は少しズルして、ヤビツ峠までバスで行き標高差を少なくして、時間をかければいいかなと思った。長く歩くことが山に戻っていく一歩になればと思った。自宅前のバス停から伊勢原駅へ、そして秦野駅からバスで向かった。ヤビツ峠行きのバスは休日で今日しか天気が良くないからか、はみ出すほど人が乗っていた。汗臭い人がいて、臭いに弱い私はバスによったのか気持ち悪くなった。歩き出して3時間ぐらいそのまま気持ち悪かった。たくさん降りたのでこの人々と歩くのは嫌だったので、回り道になるが岳ノ台経由で塔ノ岳に行くことにした。岳ノ台では人に会わなかったが、菩提峠から塔ノ岳までは、おじさんおばさん達を20人以上追い越したと思う。抜かれたのは1人だけだった。自分の体力は弱いと思っていたが、それほどでもなかったのだと少し驚いた。確かに学生時代は、重い荷物を持っても誰よりも早かった。もちろん前に歩く人が見えたときは、すぐに追い抜くものだと思っていた。風は秋の気配がして寒いくらいだったが天気は良かった。塔ノ岳の山頂でおにぎりとお茶で昼食をとり、ゆっくり相模湾を見渡す。丹沢の土砂が相模川や酒匂川によって運ばれ今の地形を作ったんだなと感心して眺めた。そのまま大蔵尾根を下っても良かったのだが、足が少し大丈夫そうなので鍋割山経由で大倉に下りることにした。急登なのは知っていたが、足はもつだろうと思った。実際に階段よりもタチが悪く後ろ向きに降りなければならない程きつかった。最後の方はすでに筋肉痛になっていた。平坦な林道を90分ほど歩いてバス停に着いた。洗い場で顔を洗い汗だくのTシャツを着替えスッキリした。中年になるとその日に筋肉痛がこないというのはまったくのうそ!足はガクガクで家に帰り片付け、洗濯をしながらぬるい風呂につかる。麦茶をガブ飲みして、ハヤシライスでお米をたくさん食べた。こんな気持ちの良い、健康的な1日は4年ぶりくらいなんだな。あせらずに1年分くらい取り戻そうと思った。
2006年09月16日
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今日は採血と腹部の超音波検査を受けてきた。前日の便を預けて、採尿カップを待っていたのに・・、採尿はなし。せっかく小便を我慢してセンター行ったのに・・採血室で私を見つめるマスクをした大きな看護婦さん。『えっ何んでがんつけられるの?』って視線を感じていたら、私の番号が呼ばれた。「お久しぶりです」って・・声に聞き覚えがある。なんだ13BのOHさんじゃん。「OHさん名前変わったの・・結婚したんだよかったね」「なんて元気な人なんだろうって思いました」って誰かわかんなかったろう。「放射線の所であったのが最後でしたね」って、あなたの記憶も正確だね。いろんな患者さんを見ているはずなのに、すごい記憶力だと思う。採血中、私は近況報告「元気に仕事しているとか・週に3回は5キロ以上走っている等とおかげさま」っていう所をアピールした。ついでに、「走った後のお風呂と生ビールは最高!!」っと言うと「言いつけますからね」と言いながら、当時のやさしい視線で喜んでくれていた。OHさんは、ルーチンの採血上手だなって思っていたけど、今日もまったく痛くないし、血も脱脂綿にほとんど滲んでいない。採血室って3ヶ月と同じ人がいないみたいだけど、彼女にあたったら採血が嫌じゃなくなるはずだ。おかげさまと心から言える人と会えるのはうれしい。超音波検査はビリルビンが高く、以前あった胆管炎を恐れてのことだと思っていた。しかし検査の指示書を見たら、肝臓、リンパ節、腎臓、etc.・・・って見れるところ全部じゃん。どうりで丁寧に見ると思った。超音波の検査は、以前はお医者さんだったが今日は技師さんがやってくれた。その場で病巣を診察しようとする医者よりは、指定された部位を丁寧にやさしく見てくれるやさしい目をした技師さんの方がはるかに上手で気持ちが良い。最近腹筋を鍛えている私を察したか、「腹筋があると見え難いんですよね」なんておだてられた。手間取っていたようだけど、30分がアッという間で楽しかった。今日の結果は1ヵ月後の診察のときに教えてもらえる。現在の不都合として、はやり目の右目も今だに目やにが出るし、まだまだ本調子ではない。今度は虫歯も時々痛み、そろそろ地元の歯医者さんを決めなければならない。いろんな人に聞いたけど、人それぞれで最近はどこでもいいかもって思うようになった。耳の下の骨付近も痛くて、唾液腺が復活しはじめたのかとも思う。このまま痛みが続けば腫瘍だけど。まあ次から次へと、病院よねー
2006年09月14日
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青木会とは、砲丸投げ元日本記録保持者の青木正純先生にお世話になった、越ヶ谷高校陸上競技部の昭和45年から昭和60年までの卒業生の会である。このたび青木先生の定年退職を祝うためにOBOGが集まった。来賓としてそれ以前に卒業され越ヶ谷クラブで活躍された先輩方をお招きして、総勢80名が集まり盛大に行われた。私は59年度卒業で若い年代である。会場には見知らぬ先輩方がほとんどで、そういえば一緒に練習したなと覚えていた先輩も数人みえていた。お互いに年はとっているわけで、しばらくしてから思い出した先輩もいた。また当時コーチしてもらった方は、お元気そうで逆にお若く見えた。越ヶ谷高校は第3種公認の陸上競技場をもっていた。こんなに恵まれた県立高校はなく、円盤投げ元日本記録保持者の八木下さんなど昭和42年の埼玉国体の頃は、越ヶ谷クラブは日本のトップクラスの選手が所属していた。そんな伝統を持つ越ヶ谷高校陸上部は私の3代上くらいには完全に衰退していた。私達は関東大会に行ったりしていたので、成績としてはまあまあだったと思う。亡くなった方は133会員中2名で、一つ上の先輩は、9.11ニューヨークで亡くなった。先生はそのことも知っておられた。私達が挨拶にいくと、一人ひとりに当時の事をお話になり、来てない同級生はどうしていると聞かれていた。先生はあまり指導することはなく放任主義みたいな態度と思っていたが、よく見て考えてくれていたのだと思った。久しぶりに校歌を歌い、みんなで肩を組みエールで気合を入れた。すっかり忘れていたが練習のあと毎日やっていたのを思い出した。高校時代に戻った感じで本当によい会であった。2次会では先輩や後輩から私の悪行について話がたくさん出た。私は覚えてないか、なんとなく覚えている程度でかなり迷惑をかけていたらしい。後輩は、入部してすぐに川に投げ込まれたのでなんて人だとびびったらしい。私はまったく覚えていない。走りに行って自分で川に飛び込んで泳いだのは覚えている。まあ力はあったからね。今ならいじめになるとみんなは覚えていた。またいたずらも度を越えていたらしい。合宿の時の話は作り話かと思うようなことで驚いた。逆に女子のお風呂を堂々と覗きに行ったのは、今でもしっかり覚えている。私は注意を受けた覚えはなかったが、それもそのはず、全部部長に話がいってあやまっていたという。自分はやさしく人に接していたのだが、そうでもなかったらしい。いまさらいろいろ言われてても本当なのって感じだけど・・・学生時代の昔話は楽しかったな。
2006年09月02日
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