全1548件 (1548件中 1-50件目)
昨日、オープンして、今日。今までの日記サイトとずいぶん違うなあと。ほとんどがアフィリエイト目的。やっぱり、「向こう側」の人の数が圧倒的に多いせいだろうなあ。僕もずいぶんネットで買い物をする、というか、外食とか交通費以外はほとんどネットかも・・・。購買機会が圧倒的に増えた。以前は「ご当地もの」で諦めていたもの、次に旅行に行った時にでも、と先に延ばして、そのうち忘れてしまうもの、そもそもどこに行ったら手に入るかわからないものが簡単に手に入る。また、価格比較も簡単だし、店頭で値切る必要もない。重いもののまとめ買いもできる・・・改めてすごいなと思う。僕がマックで本格的にネットの世界に入ったのは1994年。そのころ、日本のサイトなんて数えるくらいしかなかった。自分のパソコンを持っている人も少なかった。メールでやりとりしている人もほとんどいないし、ましてや携帯メールなんて、僕がぷちぷちやっていると、「ゲーム?」って聞いてくる人がほとんどだった。その頃、5年、10年たったらすごいことになる、と頭では思っていても、はるかにその想像を超えた世界。むしろ自分が後追いになっている。さて、日経の朝刊で、面白いランキングが載っていた。『来年こそ改めたいこと』読んで、自分はつくづくマジョリティだ、と思った。マジョリティっていうか、「平均的」かな?ただ、2は、違うかも。「続ける」ことだけがとりえ。さあ、部屋の整理整頓をしよう。1.整理整頓や部屋の片付けができない2.ダイヘットや運動など、飽きっぽくて長続きしない3.やるべきことを先送りする4.一日の時間の使い方が下手5.物が捨てられない6.自分に甘く、まあいいやと思ってしまう6.過ぎたことをくよくよと気にし続ける8.短気ですぐにかっとしてしまう、怒鳴る9.心配性、小心者10.衝動買いや消費癖11.感情が顔に出てしまう12.ネット検索などでつい夜更かししてしまう13.字が汚いまま14.人付き合いを避けてしまう15.思ったことをそのまま口にしていまう
2020年08月08日
コメント(0)
もともと日記はよく書いていたけれど、今年は1月から4月の中旬まで「ずばり日記」で非公開日記というか、まあ、自分だけの古典的な日記を書いて、その後は書かず。その前は、あるアットホームな公開日記サイトのライターだった。初めての公開日記。私的日記と全然違って、思い切り「読者」を意識して書いた。最初は読み手を想像しながら・・・そのうち、「オフ会」に参加して、それからは、もはや日記でなく、メーリングリストのようなもの。でも、一方で、知らない読み手も存在するわけで・・・妙な世界だ。そのさらに前は、手書き日記。大学時代にたくさん書いた。思春期日記。これはその日にあったことを書くというより、頭の中にあるものを吐き出した感じ。日記というものは、全てが満たされている時には書かないものかもしれない。公開日記ライターの時は、そうでもなかったけれど。ある種、自己主張?何かを不特定多数の人に発信して、何かを感じさせたいのかな?昔と違って、ストレスの吐き出しとは違うのは確か。2008年に入る前に、少し早めのスタート。続くかなあ?
2020年08月03日
コメント(0)
昨日の朝は、「会社に行かなきゃ!」とその直後、「あー、今日は休みだった!良かった!」というかなりぼけぼけの頭で大いなる勘違いをし、その直後、頭がはっきりし、8時からの会議に間に合わないことを認識し、1時間の遅刻。今日は、土曜日。昨夜は23時過ぎに帰り、食事をして、すぐにバタンと寝ての朝。9時過ぎまでゆっくり寝る。以前は、朝寝といえば、昼近くまで寝たものだけれど、最近は、10時まで寝てしまうと大後悔になるので。午前中に、今日のtodoをグーグルに入力。仕事のtodoとプライベートtodoと。仕事todoは3つ書いたけれど、1つ完了。明日の仕事todoは3つだったけれど、5つになった。いつもだいたいこんなものだ。。。夕方、ジムへ。最近は、週3回ペース。まあまあといえばそうだけれど、初年度は5回ペースだった。体重も、体脂肪もなかなか減らない。夜は、1週間早い、誕生日の食事とケーキ。さて、赤ワインを飲もうか、飲むまいか・・・
2020年07月25日
コメント(0)
大学の頃、日記はノートに万年筆で書いていたが、ノートを開き、万年筆を持つと、落ち着いた気持ちになった。そして、書き始めると、色々な思いが溢れ、なかなか筆が止まらなくなった。本を読んでいても、刺激を受けると、すぐにノートを開いた。家族は居ても、会話が全く無かった。大学へ行って、同級生と会話をしても、大学の単位の話、就職の話、理想の女性の話ばかり。。。少しも興味がわかず。かといって、日記に、高尚な事を書いていたわけでもなく、将来が見えない不安をぶつける相手もなく、それをノートに吐き出していただけであるが。公開日記を書き始めたころは、オフ会もあったので、読み手をすごく意識した。エッセイ風になったと思う。自分の胸のうちにしまっておく事柄も増えた。公開日記で、オフ会がなく、読み手知らずの時も、検索によって書き手がわかってしまうこともあり得るので、やはり、しまっておくべき事は蓋をしていた。実際に、何人かが、書き手が自分であることを発見していたようだ。その頃、読み手知らずではあるが、時々コメントの書き込みはあり、その読み手を意識した書いた。今は、それもない。よって公開ではあるが、ほとんどひとりごとである。読み手になんの影響も与えないと思う。じゃあ、公開にする意味はないのかというと、いつか、自分がこの世を去った時、誰か身内が発見するかもしれないと思うから。自分の心の中の真実は書いている。でも、現実世界が満たされていると、日記に書かずにはいられない動機は弱くなるのは確かだ。今は、満たされているんだろうなあ。
2020年07月22日
コメント(0)
よくみる切ない夢ではなく、全く見知らぬ女性だけれど、すごくしっくりきて、癒やされる感じの人と過ごす夢。顔貌はよく思い出せないが、ほっそりして色黒だったような。定かではないが。会話も思い出せないが、親密なやりとりだった。夢は、目覚める直前にみるというか、目覚めで中断された。その目覚めの瞬間は、心が満たされ、心地よい余韻が残っていた。ただ、幼い頃に受けた母性愛的なものではない。もっと成熟した愛情だったと思う。同じ夢は二度とみることができないけれど、似たような夢は時々みることがある。ただ、何年もしてからだ。思うに、大学を卒業するまでは、空想や自分の心を探る時間が非常に長かった。目や耳からの刺激がなくても、長い時間退屈することなく過ごすことができた。今は、隙間なく、なんらかの刺激を求め、朝起きてから、夜寝る直前まで、そして電車内でも何かを見ている。見て、考える。時々、電車ないで、みることをやめ、あえてぼーっと考えようとするが、わずかな時間である。夢とは関係ないようではあるが、寝ているときは、見ていないので、夢想ではないが、似たような状態かもしれない。瞑想まではいかなくても、目と耳の刺激を避ける時間があってもいいなあと思い始めた。
2020年07月21日
コメント(0)
2年くらい前に買ったTUMIのパスケース。 入れているカードはビックカメラ・スイカ、クレジット機能つき、新幹線EXカード、スタバプリペイ、ポイントカードは、楽天、JRE, マツモトキヨシ、ローソン・ポンタそして、ジムの会員カードが2枚。新幹線のコーヒーチケット、クオカードこれを、過去2度落とした。1度目は、東京の自由が丘で、ジム帰りのウォーキング中。なくしたのにジムから出て5分後くらいに気づき、まずはジムに戻って確認。なくて、近くの交番に届け出。その後、別の交番に拾った方が届けてくれたと連絡。「運良く、拾ってくれた人が女性で、謝礼も要求されていません」と。女性だと運がいいんだ。。。以前、スマホを電車内で落とした時は、酔っ払いの男性で、警察も関与してくれず、電話でさんざん脅され、片手を要求された。せめて、渡すのを交番前でと、警察官に電話でお願いし、遠くの交番まで出向いたが、警察官は、約束の時間に不在。ボランティアの私服の男性が居ただけ。謝礼は、1000円札5枚、しっかり封をして、交番前で渡し、引き換え証みたいなのをもらってそくさと立ち去り、後日、証書を持って、警察署へ。データはロックしてあるし、機種変更すればよいから、警察に処分して欲しいとも言ったが、それはだめだと言われる。関与せず、示談でとか、捨てるのもだめとか。。。まあ、今回は、パスケースの話だった。2度目も、ジム帰りのウォーキング中。自由が丘から武蔵小杉までの経路中の交番を探し、多摩川駅近くの交番へ向かう途中、ふと、多摩川駅前のトイレに立ち寄ったことを思い出し、ひょっとしてと、駅の改札の駅員さんに、届けられていないか確認したら、あった! これも1度目以上にラッキー!でも、2度とも、クレジットカードの紛失届けをした後で、カードは再発行することにはなったけれど。。。3度目は、昨日。同じくジム帰りのウォーキングあとの、電車の中。これは、前の2度と状況は違い、武蔵小杉から、茅ヶ崎までグリーン車にのり、サバスプロテインヨーグルトと、ローソンのどらもっちをトレーニングとウォーキングの後で、充実感とともに、食し、茅ヶ崎駅で、降りるとき、ダッシュボックスにこれらを投げ込んで、電車を降り、ポケットに手を突っ込んだら、パスケースがない!車内では確かにあったので、発車間際の電車にまた飛び乗った。席周りや、通路を探したけれど、ない!ダッシュボックスを一度は見た。でもそのときはなかった。電車はもちろん小田原に向かっている。再度、ダッシュボックスから大きなビニール袋を取り出してみたら、発見! 周りに誰も居なくて良かった。。。3度目は、親切な人にも助けようがなく、焼却の運命だったなと。。。不国府津でUターンして、過去の2度以上に幸運に感謝した。何度も再発防止策lを考えるのだけれど、性格というか、落とすのは、避けられず、せめて、被害が少なくなるよう、工夫はしないといけない。
2020年07月15日
コメント(0)
2015年の起業時は、ニーズとシーズのマッチングモデルを考えていた。ビジネスにおけるマッチングは、当時日本ではあまりなかったと思う。単なる紹介業では面白くないし、将来、差別化も難しいと思い、ニーズの分析、掘り下げを行い、そのニーズや期待を満たすシーズを紹介しようとした。ニーズの分析、掘り下げに自分の経験、ノウハウが活かせ、またシーズについては産業界、学界の人脈が活かせると思った。起業当初の契約先は、すべてシーズ側だったので、まずはニーズの分析・掘り下げを期待する顧客と新規に契約する必要があった。しかし、現実は、シーズ側は、「営業」期待が多く、ニーズ側は、自分が営業して回る必要があり、ここで苦戦した。ニーズ側見込み顧客は、講演やセミナー活動で把握していったが、中々契約までたどりつけなかった。講演やセミナーの聴講者は、実務担当者が多く、内容に共感して頂き、持ち帰って検討します、となるのだが、社内での承認、決裁でだいたいは頓挫してしまうのが実態だった。最初に契約できたのは、中国の武漢にある会社。契約に至るまでに、何度も白紙になり、2年近くかかって、ようやく契約。ニーズ分析の仕事は成立。しかし、マッチングは、5年たっても成立せず、そのうち、コロナ騒ぎで完全に消えた。中国の長安にある会社は、ここも2年がかりで、契約成立。ここは、マッチングも成立し、自分自身実務も行った。けれど、顧客満足度はあまり高くなく、ここも、検収時期にコロナ禍で、2,3ヶ月入金を待たされた。国内は、2件。1件は、ニーズ分析、提案までできたが、マッチングは保留。もう1件は、4月開始の予定が、これもコロナ禍により延期。これでも、うまくいっている方かもしれない。中々、いいモデルだとは思うが、宣伝、営業不足かも。さてさてと。
2020年07月13日
コメント(0)
起業前後の浮かれた自分は記憶から消し去りたいと思うこともある。今の感覚とあのころの感覚は、二重人格ではないかとすら思う。だから、いつまた形を変えて現れるかもしれない。消し去りたい自分に変わるスイッチが何か?ほぼわかっている。自信過剰。その自信過剰は、自分の意識ではなく、周りが作る。からにこもって、人との接触を避けていた頃は、自己嫌悪の塊だった。そして、少し外界と接し始めたら、いろいろ人から称された。「変人」「天才」「アイデアマン」「すごい人」そこを自覚したら、だめと自分に言い聞かせ、「どこが?」とは聞かなかったけれど、人慣れしてきたら、だんだん自信に変わり、人まえで、平気で講演やスピーチができるようになって、自信は、傲慢に変わり始めたように思う。起業前後がその状況。そして、5年目。うちのめされ、何日も、不眠が続いた。不眠は、生涯、初めての経験。過去の経験ではもうやっていけない。東海道53次を18日間歩きながら、ずっと新しいやり方を考えてた。歩き終わって冷静になったとき、歩きながらの考えは夢想に過ぎなかったが。。。ただ、新しい分野の勉強をし、先生業を始めた。講演も増えた。中国との契約も成立し、経費削減も思い切ってして、なんとか、税抜きのぎりぎり黒になった。けれど、まだ根本的な構造改革はできていない。気配はあるが、不安定。そこを今、考えている。
2020年07月09日
コメント(0)
自分の在籍した会社では起業は非常に稀だった。2015年当時は、所属した部署では初めてだったかもしれない。みな興味をもち、部長、役員まで色々聞かれた。まるですごい偉業を成し遂げたような言われ方だったけれど、ある条件さえ整っていれば、リスクは非常に少ないと思う。ある条件(新規事業でない場合)とは、1.管理職ではなく、専門職で、専門分野を持っていること2.社外人脈が豊富なこと(人脈にも色々あるが・・・)3.起業後、協力してくれる会社が多くあること4.プレゼン資料作成力5.ビジネスモデルをもっていること以上は、起業当初に考えていたことで、実際には、起業1年ほど前から、起業後に契約を約束してくれた会社が5社ほどあったので、全く不安はなかった。1から3は、賞味期限があるが、当初、3年から5年で会社はたたむつもりでいたので、それも問題ないと考えた。それで、思惑どおり、3年は、大きな黒字が続いた。本当は、間違っているが、先輩社長のとんでもない社長業教育で教わったことを信じ、経費を使いまくった。固定資産は、残り、退職金積立(保険)は残ったが、現金は、ほとんど残らず。4年目は、節税対策をし過ぎて赤字。そして、5年目に賞味期限が次々に切れ、4社から契約を打ち切られた。うち1社は、とんでもない社長の会社が経営が成り立たなくなり、大きな負債を抱えたまま事業売却したためである。他は、在職した会社との橋渡しができなくなったため。米国では、在籍した会社と強い関係をもったまま起業するパターンも多いと聞いていたが、少なくとも自分が在籍した会社は、むしろ、情報のセキリュティーの問題もあり、委託はほとんどしてくれないし、契約した会社を通しての関係も、しだいにシャットアウトされるようになる。5年目にして、自分が在籍していた会社とは縁を切るくらいの覚悟は必要だったと痛感。その会社が「すごい会社」だけに、なかなか踏ん切りがつかないし、今でも、その会社とのコネクション、紹介を期待して声をかけてくる新規の会社はある。しかし、縁は切った。それで、今のビジネスモデルは。。。
2020年07月09日
コメント(0)
株式会社を立ち上げたのは2015年6月。「はてなブログ」への引っ越しは、2012年4月26日。引っ越し先では、2013年5月11日に書いたのを最後に、どこにも書いてなかった。だから、完全ブランクの2013年5月から、2020年6月9日までは「エクセル日記」のみ。だから、起業前後は心境などは残っていない。けれど、エクセル日記は、イベントを毎日書いていたので、起業前後のばたばたぶりは振り返ることができる。2013年5月から、起業までの間、仕事以外のこと。母の逝去大事な人のガン騒ぎ(限りなく黒と言われた。。。)自分自身も内視鏡検査でガン騒ぎ実家跡に新居建築、引っ越しバンドのライブ新車購入博士課程入学、週末の学校通い夜のはしご酒仕事は、講演に海外出張その合間に起業の準備をしていた。準備で最大のことは、起業後の契約を決める面談。事務的手続きは、エクセルでチェックシートを作り、知り合いの公認会計士にも相談し、こつこつと進めることはできた。契約面談は、今から思うと、順調すぎて、それで調子に乗りすぎていた。それで起業4年目に痛い目にあって、猛反省。起業直前の5月に日記を書こうと決心したが、全く書かず。 今のうちに、エクセル日記で思い出しながら、書き残そうと思う。反省と、再発防止のために。。。
2020年07月07日
コメント(0)
大学時代は、将来のことを考えると、気が滅入った、というより、苦しいとすら思った。で、三島由紀夫の影響も受け、45まで生きることを目標にした。そうしたら、気が楽になった。なにかを成し遂げる、というわけではなく、生きることが目標。でも、自堕落ではなく、当時からストイックだった。本を読み、考え、書き、体を鍛えていた。45まで生きて、そこでの到達点は、あくまで、自分のイメージであり、具体的に何かを手にするものではなかった。で、自分史で45の時を見ると。。。生き続けていたが、大きな転機だったんだ。公開日記を始めていた。節目休暇をもらい、奈良の柳生街道や、都のあったところ、大化の改新の舞台をぐるぐる歩き、そして、富士の裾野あたりを100キロ歩き、そして横浜、鎌倉も、目的もなく歩いた。歩きながら、生まれ変わったような新鮮な気持ちが、振り返った時の切なさに勝っているのを感じた。で、今、とことん生きたいと思っている。でも、まずは10年先の自分がなっていたい姿を描く。いつものように、「健康・体力」「お金」「人間関係」そして、「品格・徳」最後のが、どうしても、イメージできないが。。。「品格・徳」は人間関係があってのものだから、関係する人たちから、「あなたは品格がある、徳がある」って言われることだろうか?と、書きながら、せいぜい1ヶ月先のスケジュールを埋めているだけだ。。。
2020年07月07日
コメント(0)
決断の振幅が大きく、そして頻度、すなわち周波数が高い。簡単に言えば、優柔不断で、しかも、選択肢が白黒はっきりしている。食事や、服や、もっと高価な家電や、さらにもっと高価な買い物に対して、周囲が呆れるほど決断が早いと思う。あとで、しまった!と思うこともあるけれど、あまり多くない。あるいは2択を迫られた時は両方買ってしまうこともある。しかし、ビジネスや人間関係については、決断の振幅が大きく、そして、周波数は、一日に何度も振れることもある。ビジネスでも、頼まれ仕事は、決断は早いが、自分が選択しなければならないときは大いに揺れる。もっと、揺れるのが人間関係。自励振動ではなく、思い切り外力の影響を受ける。昔からセールスに弱いのは、相手の出方で、すぐに心が動いてしまうからだろう。特に大学時代、人の誘いを断ることができなかった。「先延ばしをしない技術」を始め、いろいろな本で、人の誘いを断ることについて書かれている。「先延ばし」の中では、「断れないのは、目標が見えていない証拠」とある。それは。。。・愛されたいという欲求と、拒否されることへの恐れが強い・自分を重要な人物だと信じたいという傾向が強い・優柔不断で目標を持たずに生きている可能性が高いまあ、これは、飲み会とか、遊びの誘いに対するものだろう。今の場合は、答えは、本にはなく、自分で判断すべきだろう。自分の判断であれば、後悔しないように思うから。
2020年07月04日
コメント(0)
いろいろなことを先延ばしにせず、目標や夢に向かって、日々すべきことを最優先し、助走しないこと。だけれど、どうしても、朝の始動が遅い。目標や夢が曖昧だから、と先延ばしをしない習慣を身につけた人は言うだろう。「健康」「お金」「人間関係」については、ある程度、具体的な目標があるが、人徳とか、品格とか、達観とか、仏教ではないけれど、ある境地に達したいということを漠然と考えた時、俗的な目標と相容れないかもしれないと思う。やはり、どう死ぬかではなく、どう今を生きるかだと思う。とすると、達観、とかではなく、せめて品格は磨きたいと思うが、目標であるからには、お手本か、関係のある人からの反応が必要だ。 品格本は多く出ていて、国家の品格とか、会社の品格まで一時期は流行ったけれど、少なくとも、男の品格、女の品格の著者は本当に品格があるのか?と思うようではお手本にならない。歴史上の人物は美化されているかもしれないが、でも、実際にその人物が残した実績は事実なのだから、マイナスの部分もあるかもしれないが、差し引きプラスであれば、お手本にできるかもしれない。僕自身は、小学生の頃、親戚のおばさん達から、「あなたは人徳がある」と言われていた。母親も僕を過大評価していたと思う。人徳や人格は、自分で作っていくものだと思っているから、小学生に人徳があるというのはおかしいし、低学年からけっこうませせて、悪さもしていたように思う。まあ、世間一般的な悪さと比べると、かわいいものだけれど。じゃあ、戦国の英傑で、人気がトップクラスの人物は人徳があるかといえば、ないだろう。鬼と言われるような人物が人気がある。まあ、こんなことを考えてもしかたない。。。が、「健康」「お金」「人間関係」だけでなく、なんというか、「いい人」ではなく、「品格のある人」をやっぱり目指したい。
2020年07月02日
コメント(0)
以前にも書いたが、もっとも就きたくない職業だった、「先生」。理由1は、人前で話すのが苦手。理由2は教え方がわからない。先生といっても、中学、高校、大学、進学塾、そしてビジネステーマのセミナーによって2つの理由の中身はかなり違うとは思うけれど。今は、ビジネステーマのセミナーを生業の一つとしていて、理由1は完全に克服。理由2も、長年の経験で得意分野になっていることを教えるわけだから、これも、まあ克服。大学での講義は2,30名の大学生を相手に一度だけした。また、新卒の新入社員教育も一度した。20代の男女の若者を前にした講義はやはりやりにくかった。人前緊張はないけれど、反応が多様で、理解しているのかしていないのか、伝わってこない。で、指名して質問してみるのだが、ほとんど正答が返ってこない。話していることが難しすぎるのか、自分が興味あること、話したいことを言いがちなのか。でも、学生、新入社員でなく、多様なビジネスマン相手の講演、セミナーでも、アンケートや、講演後の懇親会で、「共感できました!」って言われ、それがたとえ数人でも、理解して頂いたと、自己満足にひたり、いい気になっていたが、案外それは数%で、ほとんどは共感できていないのかもしれない。確かに、知人の聴講者に、「難しすぎる」とか、「話が飛躍していて理解できない」と率直な意見を言われたことがある。でも、聴講者も、学生、新入社員も、多様だから、全ての人が理解できるような話にすると、聞き手も面白くないと思ってしまうし、こちら話し手も話す気力、モチベーションが下がってしまう。テキストやプレゼン資料を作っていても面白くない。今回のテキストは、自分が納得がいくように、一般論ではなく、経験や、自分の考えを全面的に入れた。作成中は、かなり集中して、楽しく書いていた。講義は、2日後。相手は、20代の男女3名。話すテーマについては未経験者。Webではないので、反応はわかりやすいが、どうだろう?入り口でつまづくのも嫌だから、最初の10分は、専門的な話ではなく、経験談的なお話しをするよう、急遽追加。明日、一日、また色々、修正するだろうなあ。。。特に夜に書いたテキストは、朝みると、直したくなる。前日、徹夜にちかく書き上げたテキストは、直しようなないので、さぞかし、酷いだろうなあ。これは、激しく反省しないといけない。
2020年06月28日
コメント(0)
日記のタイトルを書き始めたその瞬間、大きなマイナスからプラスに揺れた。仕事をしてても、ジムでトレーニングをしてても、その移動の電車の中でも、揺れてる。自分が取るべき態度について。駆け引きとは全く違ってる。とことん相手を信じて、相手の立場で考えると自分に誓ったけれど、相手の立場というか、相手にとってプラスかマイナスかを考えた時、揺れる。 自分にとってのプラス・マイナスを無視したとしても。相手に対して思いやりの気持ちを持つことは当然。それと、相手の期待通りの言動をすることと両立しない。そこが揺れの最大の原因。もし、相手にとっての幸せとか、期待、希望について勘違いしていたとしたら。。。どれほど長く付き合っていたとしても、いまだ勘違いしていないとは限らない。自分にとってあまい勘違いをしているかもしれない。同じ人間なのに、どうして相手のことはわからないのだろう? 男と女の違い?夏目漱石や、宮本輝、五木寛之、渡辺淳一、村上春樹それ以上に司馬遼太郎、吉川英治を読んだ。必ず、男女が登場するが、みな男の立場だ。女流作家は。。。江國香織を2,3冊読んだが、難解だった。。。ちなみに、恋の領域ではなく、愛の領域。相手に幸せになって欲しい、生きててよかったと思ってくれること。なんだけど。。。
2020年06月27日
コメント(0)

読書メモの量がかなり多い著作。「先延ばし」にしない技術をほとんど実践してなく、「先延ばし」にしがちな理由、心の持ち方、習慣になるほど!とうなづくことが多い。習慣本は、試行的にせよ、実践してみて、よければ習慣にするのが鉄則だということも理解できる。で、自分が先延ばしにしていることをざっと書き出したら、9項目あった。書き出したのは、1,2ヶ月前。で、現在、今だに延ばしている項目は、7項目。78%!「先延ばし」にしない技術を実践していない、ということだ。。。「先延ばし」にしがちな理由も、この本にはちゃんと書かれている。最大の理由は、「将来の目標が明確でない」ということだ。明確にした上で、毎朝、それを思い起こし、今日そのためになすべきことを最優先で実施し、「助走」のための他ごとをしない、とある。読み終わったあとも、「助走」が実に多い。自覚はあるが、少しくらいとか、朝は、血圧が高く、アイドリングが必要だとか、色々自分に言い訳をして、すべきことの着手が、遅い。でも、たしかに着手をすれば、集中できるのである。まず、始めてしまう!というのは、正しいと思う。それはさておき、昨夜、3時過ぎまで寝付けず、朝のテンションは非常に低かった。しかし、今日は、新規の契約ができるかどうかの重要な顧客との会議があった。きっと、疲れた顔を悟られ、会議中のテンションもお互いに下がると心配していた。けれど、会議が始まったら、スイッチは入った。いつも自分には、聞き手に回り、自説を主張することは、抑えなければと言い聞かせているのであるが、今日は、その心配もないと思っていたけれど、抑えているつもりではあったけれど、相手に、「相変わらずパワフルですね」と言われた。以前は、「マシンガントーク」と言われていたので、それよりはマシであるが。でも、結果としては、新規の契約はできそうである。スポット契約ではなく、定額、年契約。売り側にとって、これほどありがたい契約はない。起業したてのころは、定額、年契約は5件あった。それが、昨年春、起業5年目で、一時期、1件で、あとは、海外のスポット契約。先が見えない不安で、眠れない日が続いたけれど、今日ので、4件にまで戻った。戻ったのが、7月なので、持続化給付金は、満額受け取ることができた、これも、大変幸運だ。あと、家賃補助の方も、昨年の5月から12月までの売上に対し、今年、総額で50%減、もしくは、3ヶ月連続30%減の場合、給付される。後者の方の可能性はあるかも。。。今、給付金を投資に回す事業主がいると聞くが、投資先が、コロナバブルにはじけてる先だとすると、なんだか、おかしい気はするが、プロの投資家は、にわか投資家の動きで混乱させているというから、まあ、おかしくもないかもしれない。タイトルと、日記の内容が変わってしまった。。。
2020年06月25日
コメント(0)

特に目的地を目指すわけではなく、方角と、片道時間を決めて歩き始める。今日は、北方向、1時間と決めた。車でよく走る道であるが、目に留めたこともないお宮を発見。☆のマーク。神社ではなさそうだ。少し中に入ってみたが、鳥居らしきものと、社があった。 社の近くにはロープが張ってあって、入れず、すぐに出た。一応、マスクを持参して歩いたが、一度も使わず。「マスク着用はメリハリをつけて」と、TVで誰かが言っていた。マスクについては、あまりにいろんな意見があり、混乱するが、電車内と、買い物の時はするようにしている。以前は歩く時もしていたが、まあ、必要ないと判断。10キロのウォーキングは短いが、もし、毎日歩くとしたら、2時間、1.5万歩なので、日常的にはこれくらいがいいかも。今日は、スピッツを聴きながら歩いた。去年の春の東海道53次は、スピッツをよく聴いた。スピッツの初期の頃のものは、最初聴いた時は、今ひとつで、「君が思い出になる前に♪」くらいから、スピッツらしい、美しく、ちょっと切ないメロディーラインになる、って感じたけれど、何度も聴くうち、初期の頃のヒバリのこころ、夏の魔物、裸のままで、魔女旅に出る、惑星のかけらあたりも、なかなかいいなあと。東海道の18日間の一人旅と、周りの風景、心の中と結びついて郷愁とは違うけれど、懐かしい感覚なのかも。特に、今年の春は東海道を歩けなかったので、なおさらだ。来年の春。 まだ10ヶ月近くあるけれど。歩きたいと切に思う。いつも一人歩きだけれど、なぜか、寂しくない。来年は、寂しくないかと、少し心配してる。
2020年06月24日
コメント(0)
「先延ばし」にしない技術、という本を昔、といっても、1,2ヶ月前に読んだ。自己啓発本は、読みながらマーキングした部分をEvenoteに書き出している。以前は、エクセル日記に、「読書メモ」のシートを作り、読んだ本とリンクしていた。けれど、Evernoteは、パッドでも、スマホでもすぐにチェックできるので、今のベストな方法。 どの習慣本にも書かれているけれど、本を読んで、それを自分で実際にやってみないと意味がない。今日は、それを書きたかったのではなくて、「先延ばし」にしない技術の中に書かれている、「成功するためには、未来から逆算して、現在の行動を選択する習慣をもつこと」「重要でないことに気持ちがとらわれてしまう3つの理由 ①目標がはっきりしない、②簡単で楽しい、③理由(一生懸命)を提供してくれる」について、人間関係(友情にしても、恋心にしても)に心が囚われているとき、過去に何度もあったけれど、先延ばしにしてはいけないことができない。①の目標が非常にはっきりしていて、強く達成したいと思えば、現在すべき行動ができるのだろうか?過去、心が囚われたのは、3度ばかり。昔は、勉強が手につかない。少し昔は、仕事が手につかない。その期間は、長くて半年。こうなるような人間関係は、気配を感じた時に断つべきかもしれない。自分の目標に向けてプラスになる関係を選択しなさい、って事だろう。しかし、元々は、プラスになると思って築いた関係も、変化することだってある。こういうとき、マイナスに転じると感じた時に断てるのだろうか? また、プラスに戻すよう、話し合うべきだろうか?けれど、人間関係だから、相手がいる話。相手にとって、自分がプラスか、マイナスかって、考えることも必要だろう。じゃあ、自分にとっては、プラス、相手にとってはマイナス。自分にとってはマイナス、相手にとってはプラスという場合はどうする?自分が選択するのか、相手が選択するのか。。。こんなことを考え始めたきっかけは、些細なことだけれど、きっと、急ではなくて、表には出ていないけれど、ゆっくりと進行していたかもしれない。それに自分は気づいていないとしたら、相手の思いやりや、がまんが大きかったのだろう。いずれにしても、堪える。けれど、先延ばしにしていない、大事な仕事がある。仕事はあるけれど、「目標」って。。。まずは10年先の目標は立てているけれど、本当にこれらが実現したら、その時、幸せだと感じるのだろうか?将来ではなく、数ヶ月前、本当に幸福感に満ちていたのだけれど。。。
2020年06月23日
コメント(0)
昔、といっても、2008年から10年頃、この日記に小学校、中学校の時の日記を見つけて読み返したことを書いていた。自分のことながら、面白い。おかしい、というのではなく、興味深いというか。。そこに、幼稚園時代や幼稚園前の事も、カテゴリーに追加して、いつかは書こうと宣言していた。 けれど、今まで書いてなかった。日記じたい、2012年から中断していたのであるが。。。で、幼稚園時代。もちろん日記は書いてなくて、記憶のみ。2,3の出来事を覚えている。一つは、幼稚園の先生のこと。好きだった。やさしくて、きれいだった。それで、大学生になって、アルバイトで、世論調査かなにかで、なぜ、わかったか、全く記憶にないが、その先生のお宅を訪問した。相変わらず、若々しく、きれいだった。そして、僕の事をしっかり覚えていてくれた。しかし、どうして、住まいがわかったんだろう?先生の名字すら、今は、覚えていない。もう一つは、学芸会?のこと。狼と七匹のこやぎの劇で、自分は時計に隠れるこやぎの役だった。最後に助かった時に、母ヤギの前で喜んでぴょんぴょん跳ねる様子が本当に真に迫っていて、良かったと幼稚園の先生やらに褒められたこと。さらにもう一つは、これも学芸会だったかと思うけれど、先生に「ピアノが弾ける人は?」と言われて、威勢よく、「はい!」と手を上げたこと。先生に褒められようと、一生懸命練習した。全て、先生がらみだ。。。今はもう、顔も全く浮かばない。。。
2020年06月22日
コメント(0)
自分のブログで、カテゴリー「夢」を読み返してみた。読み返すといっても、10年近く前の夢の事で、書いたことすら覚えていないが。奇妙な夢を見た時に書き残したと思うのだけれど、あまり尋常な夢ではない。ブログには書き残していないけれど、一時期、切ない夢をよく見た。最近は、夢じたい、あまり見ないが、奇妙な夢も、切ない夢もみない。現実的な夢だと思う。で、切ない夢は、いつもパターンが決まっている。誰かはよくわからないが、付き合っていた女性と長らく連絡を取ってなくて、はっきりと別れたわけではないけれど、いつの間にか、疎遠になっている。それをふと思い出して、それも、大きな後悔を伴って、「あの人は今どうしているんだろう?」って胸が締め付けられる思いになる。いつの間にか疎遠というところが、自分のせいらしい。そこがはっきりしないのだけれど、夢だから、寝てるまに距離ができてしまったような感覚。全く同じ夢ではないが、3,4度は見た。昔、フロイトの夢診断が流行ったけれど、自分の脳内で起こっていることなので、なにかを示唆しているんだろうなあ。心底、幸せな夢を見ないのはなぜだろう?
2020年06月21日
コメント(0)
学時代と、会社に入って25年目までは、自分が「先生」として人に教える立場になることは全く考えもしなかった。 というか、もっともやりたくない職業の一つだった。「教える」ということと、大勢の「生徒」の前でしゃべる、ことと、2つの要素があるが、特に後者は、絶対に向いていないと思っていた。なので、教員資格を取得しておこうとかも、全く考えず。それでも、相手が一人である家庭教師は、貧乏学生で、しかたなくというのと、人とのコミュニケーションに慣れるため、修行的な意味合いでした。しかし、家庭教師の成果としては、今ひとつ。自分自身、塾の経験がなく、我流で受験勉強をしてきたのと、その受験勉強も、理系の大学に絞っていたけれど、興味は、世界史や国語で、数学や物理の勉強はほとんどせず。高校受験までは、特に数学は、勉強は学校で授業を聞くだけで十分だと思ってた。大学受験の時は、数学や物理の勉強もしなきゃと思ったけれど、「定理」や「公式」の意味を考え出して、深入りし、塾で教えてくれるであろう受験のための勉強法はまったくせず。前置きが長くなったが、「受験」が目的で家庭教師を雇うのだろうけれど、その目的での教師としては、まったく資格がなかったのである。教え子もそこを悟ったのか、受験勉強は独学や塾でして、家庭教師の僕に求めるのは、「雑談」というか、受験と関係のないこと。それでも、数学の問題集くらいは解かせた。でも、教え子が解けない時、例えば図形の問題で、補助線をどこに引くかがポイントだけれど、それをどう教えたらいいのか?「直感」で引くのだけれど、「直感」の説明ができない。どんどん話がそれるが、「教える」と「大勢を相手にしゃべる」のどちらも適性なしと強く思っていた。それが、今では「先生業」が本業に近い。ただ、その先生業が、「大勢相手」ではなく、「カメラ1台」に代わってしまっている。今日は、180人がWebセミナーに参加。質疑は、Q&Aに書き込んで、それをあとでまとめて回答。よって、90分×2テーマ中、一方的にしゃべり、相手の反応もわからず。「大勢相手」が苦手というか、不可能だった頃は、逆にありがたいと思ったかもしれない。今は、相手が数100人でも、悪い意味での緊張はしなくなり、カメラ相手ではやりにくいと想像していたが、意外にもやりやすかった。聴講者を前にすると、熱心にメモをしたり、うなづいている人も見えるが、寝ている人も見えてしまう。きっと、Webセミナーだと、相手側にカメラもマイクも殺しているので、全くこちらから見えないがゆえに、きっと、半分寝ている人も居るに違いない。主催者からは講演料を頂くが、聴講者は無料なので。。。ということで、想定に反して、初回のセミナーはまあまあやりやすかった180分。次回からは、人数を2,30人に絞って、同じ内容で。6時間のセミナーを9回。これはさすがに間に質疑をいれないと、聞く側がたまったものではないと思う。先生業として、Webは、いろいろ試行錯誤して、自分なりにいい形を作っていくんだろうなあ。
2020年06月20日
コメント(0)
大学時代、一時期、精神安定剤を飲んでいた。21か22の頃だったと思う。青春真っ只中。自分には兄がいたが、「思春期はなかった」と言い放っていた。一方、弟の僕は、モラトリアムあり、春を思う気持ちはあるけれど、行動はせず、自分の勉強部屋の外に植えてあった沈丁花や、誕生月に植えてもらったさつきを眺めて、空想の世界に飛んでいた。大学の授業は、本当につまらなかった。1時間以上、席でじっとしているのが耐えられず。そのうち、大学の授業もほとんど出なくなったが、出ているときも、一人で、誰とも話さず、一人で弁当を食べていた。安定剤を飲み始めたのは、15歳の少女との淡い、プラトニックな関係が終わってからではなく、その最中。 お互い、何も経験がなく、いろいろ起こってくる感情に対処できず、何気ない一言で傷ついたり、傷つけたり。大学の授業に意味を見いだせなく、もっと何かすべきことがあるのでは、と悶々とし、閉じこもっていった。精神安定剤を思い切ってやめた時にわかったのだけれど、薬は、鋭敏すぎる感覚を鈍らせていた。鈍るから、対人的にすごく楽になっていた。人と話をするときに、落ち着いていられるから、自分からあいさつをしたり、人と関わることが苦でなくなり、饒舌になった。親からは、「僕らしくない、おかしい」と言われつつ、楽だったから、薬を飲み続けた。けれど、少女の言葉によって、傷つき、精神安定剤を大量に飲んで、ガス栓を開けたこともあった。電話がかかってきて、起きて、電話に出て、ガス栓を閉めた。先生には、たいそう怒られたが、それ以上の何もアドバイスはなく、その後、異動で新しい先生を紹介されることもなく、自分で新しい病院へ行った。そこでも、「自分で判断して病院に来た野ですか?」と聞かれ、「そうです」と答えたら、「じゃあ、大丈夫ですね」と。その病院も自分の意思で行くのをやめた。そして、薬をやめた。そのときの感覚は今でも覚えている。すごく鋭敏で、感じやすい感覚になった。それは、人と接する時は、辛かったけれど、外の風景や、音や、すべてのものが新鮮で、鮮やかに感じられた。自分らしさが戻った気がした。対人的な恐怖感は、時間がかかっても、なんとか、自分で直していこうと決心した。
2020年06月19日
コメント(0)
自分史は、毎年、1年を通しての最大のイベントを、そして、毎月のイベントは、2010年頃から書き始めたけれど、ここ数年は、それが非常に充実して、月に10イベントくらい書き残している。イベントは、内容によって、分類し、色分けしている。そして、年の終わりに全体を総括し、年の初めに1年の計画を立てる。1年の計画の前に、10年先の目標を設定し、それに向けて、1年の計を立てる。これらはエクセルに残しているけれど、突然、世を去るかもしれないし、認知症で、なにもわからなくなってしまうかもしれない。その時は、消滅してしまっても、いいというか、逆に消滅させた方がいいかも。 でも、読み手知らずの公開ブログにそのままではないけれど、残しておきたいような気持ちも起こってきた。決して波瀾万丈ではないけれど、振り返ってみると、あまり普通でもないように思う、大学の頃だったか、普通は嫌だと強く思っていた時期がある。普通の人、常識的な人を見ると、なんだか、嫌悪に近い気持ちが起こった。ひどい話ではあるが。。。けれど、普通の道を外れようとすると、親、特に母親が引き戻した。自分も、反抗しつつも、大学の途中までは、普通の道に戻っていた。両親は、自分を理解していないことはよくわかったけれど、家を飛び出すことはせず、せいぜい、家から通える大学だったけれど、下宿するくらいだった。離れた大学へ行って開放されよう、とは、なぜか、そこで親の気持ちを考えてしまった。。。親は、むしろ、子供を突き放すくらいのことはあってもよかったかもしれない。話がそれた。今、自分史の2003年元旦の「変化点」を振り返った。17年半である。 17年。。。48歳だった。一通のメールがきっかけで、その後17年の普通でない人生が始まった。そして、今、17年半前に戻るのか? 決して戻らない。その時、思った、というか、言い聞かせていたのが、「何もしなかった後悔より、行動した後にする後悔の 方がずっといいはず」ということ。今思うに、そのとおりだ。ずっといい後悔ではなく、後悔は全くない。但し、自分のことだけを考えれば、である。巻き込んだ人のことを考えると。。。でも、結局、自分なのだ。喪失感を味わう時に思うのが、「もともと何もなかったのだ」ということ。そう、17年半前、さらに、20歳のころは、何もなかったのだ。20歳で、ゼロってのは、いかにも寂しい青春だけれど、ほんと、何もなかった。自己嫌悪のかたまりで、なんとか45歳までは生きようと思って、終わりがあるから、ほっとしているようなところがあった。20歳までは戻らないけれど、17年半までは戻れるのか?戻れないだろうな。けれど、もともと何もなかったのだ、という気持ちには戻したい。
2020年06月18日
コメント(0)
筋トレは大学時代から。家トレと、大学の研究室トレ。研究室トレは、下宿が四畳半一間で、風呂もシャワーもなく、トレーニング後に銭湯に行くのもおっくうで、大学の研究室の会議机の上にマットを敷いてそこでしてた。終わったら、大学の古びて、誰も使ってそうにないシャワー室でさっぱりして、深夜に下宿に帰る日々だった。会社に入ってからは、基本、家トレ。大体30分。当時、ジムはなかったような。で、55を過ぎた頃、会社帰りにジム通い。通いはじめは、仕事は22時頃終わるので、それから行ってた。多くて週6,少ない時でも3回。体重はぐんぐん落ちたが、体脂肪というか、おなか周りに不満。それで、食生活も変えねばと、FINCを始める。当時、ライザップも開業してたけれど、サラリーマンにはちょっと、無理。今から振り返ると、FINCは、トレーニングは、契約したジム任せ。そのうち、オンラインというか、ビデオを見て、家トレ。食事も、完全な糖質オフではなく、3:2:1でタンパク質、脂質、炭水化物を摂取するので、白米とか、パンも、そこそこ食べてた。ここも、「結果にコミット」だったけれど、体重だけで、体脂肪は、大樹刑の精度が悪いからと、記録すら取らず。あと、酵素と、スムージーと、野菜ジュースの朝食が満点! 野菜ジュースは、糖質高いのに。。。結局、体重は、目標クリアしたけれど、体脂肪というか、おなか周りはすっきりせず、やめたらリバウンド。 筋トレ不足で、筋肉も育たず。そして、退職後、会社員時代の愛知のジムと、武蔵小杉のジムと、それから、自由が丘のライザップ。ライザップは、3年目。自主トレや、FINCとはやはり違う。マンツーマントレーナーの能力と、自身が素直であることに依るだろうけれど、確実に効果が出ている。厳しい糖質制限期もあるかえれど、今は、1ヶ月間。増量期になると、昼は何でも食べられるので、期間限定我慢なので、なんとか続いている。ライザップも、先行き不安だけれど、ノウハウはしっかり吸収せねば。でも、同じベンチとダンベルを使った家トレをしても、トレーナー指導のもとでするのと、筋肉の疲れがまるで違う。高いけれど、また更新するかな。。。
2020年06月16日
コメント(0)
スーパーのレジでのやりとりは会話に入らないとして、今日は誰とも会話せず。だからといって、声に出しての独り言も言ってない。食事の時、録画は見た。大学の頃、山ごもりしたときは、TVもラジオもなかったから、本を読むか、日記というより、書き物をするかだけ。読むより書く時間の方が、だんだん長くなり、ついには書いてばかりになった。今日は、Webセミナーのテキストを書いていた。講演やセミナーは、聴講者の顔を見ながらするから、時には、寝てたり、無関心そうな顔を見つけると逆効果だけれど、うなづいたり、メモしたりする反応を見るとやる気は出る。Webはどうなんだろう?聞き手には一度なったことがあるけれど、話し手は初めて。でも、その後、年内は、講演も含め、すべてWeb開催。 主催者は、Webならではの会にしたいとは言われるけれど、いろいろ経験して、Webならではを見つけていきたいけれど、すでに先生方のいろんな感想がアップされているだろうなあ。「チャットをうまく使う」とかもあるけれど、講演中にチャットを見る余裕なんてあるだろうか?それより、2台、モニターがあって、1台は、プレゼン資料で、もう1台は、聴講者の顔とか。。。しかし、受講者が200人も居たら、どうなんだろ?休憩を入れるとしても、2時間くらいが限度ではないだろうかって思う。まあ、聴講者は、画面から離れてても、寝てても、わからないから、適当にお付き合いしてるかもだけど。そういう人が大半として、長時間の講師って、モチベーション保てるかなあ?
2020年06月14日
コメント(0)
日めくりが、書斎とトイレに一つづつ。書斎のは、「日記の日」、トレレのは「恋人の日」と。6月12日。 どちらも語呂合わせのようでもないけれど。今日は金曜日。 自分自身には曜日はあまり関係ないけれど、やはり、世の中が平日と休日で動きが違うので、関係ないともいえない。今日、特別なことといえば、6月1日に自粛営業が解除された、東京のジムと、神奈川のリラクに1ヶ月ぶり以上に行ったこと。ジムは、入場時の検温と、部屋は個室だけれど、開放、そして極力マスク。これはリラクも同じ。ジムでは一瞬だけれど、記憶が飛んだ。トレーナーによると、普通に体は動いていたと言うけれど、記憶がない。初めての経験。リラクでは、150分の疲労撃退コース、プラス、ハンドマッサージだったけれど、2時間くらいは、話続けたけれど、その後、寝た。こちらは、記憶ではなく、普通に寝てしまった。一瞬の記憶喪失は、ちょっと気になるけれど、そのときはマスクを外していたし、ラットプルダウンの最中。不思議な感覚。。。今日は、ハイボールを飲んでない。これから風呂に入って、そのあとに、録画でも見ながら飲もうかな。
2020年06月12日
コメント(0)
ハイボールといえば、ちょっと贅沢だけれど、白州や山崎の12年を外では飲んだ。家飲みは、一時期、サントリーの角。時々、バランタイン。海外出張土産に木箱入りのバランタイン30年とか、奮発。今日はバランタイン12年。 「味なんて、区別着かないでしょ?」とよく言われたが、いや、ウィスキーの味はわかる。と、お酒の話ではない。 今日は、約10日ぶりに茅ヶ崎の家に来た。だいたい1週間おきに愛知と神奈川を行ったり来たり。仕事の関係とはいえ、先月は、県外移動自粛で、少なくとも仕事の出張での移動はなかった。茅ヶ崎の前は、武蔵小杉だった。タワーマンションの50階から、多摩川や、新幹線、東海道線、東横線が見渡せた。国内外の移動の拠点としてもすごく便利だった。今は、茅ヶ崎駅まで徒歩15分の閑静な住宅街で、海岸までも歩いて15分ほど。戸外にシャワーがあり、土間まである、サーファー仕様の戸建て。湘南の風を計算して、小窓が多く、季節によっては風が快適。武蔵小杉を出ようと決めて、鎌倉、辻堂、逗子、大船と現地を歩きまわったが、マンションは避け、戸建てか、テラスハウスを探し、そして、ここに一目惚れ。まだ建築中であったが、契約した。 去年の11月。同じ、2LDKの新築であるが、武蔵小杉の半額。駐車場つき。そこに10日ぶりに戻って、寝酒をきめこんだ。天涯孤独ではない。けれど、独りの時間はかなり好きで、自分には必須だと思う。社会との関わりはしっかりあるからだろう。社会との関わりは、真の信頼関係があるとは言えないけれど、まあ、それくらいの距離があっても、大丈夫。 と思ってはいるが、天涯孤独まではいかなくても、外の世界と遮断されたら、1ヶ月はもたない。 というのは、大学時代に実験済み。昨今は、オンラインでつながるから、当時とは事情が違うかもだけれど。読み手が見えないブログも、まあまあ「救い」になってる。1週間ぶりのお酒で、1杯目で酔いが回ってきた。そしたら、なんていうか、心地よい寂しさというか、このままある人と、永遠の別れになるかもしれないとふと思うと、決して心地よいわけはないのだけれど、相手はどうなんだろう?って 相手も心地よい開放感を感じていれば、まだ救われるかも。どちらが引き金を引いたことになるのか、今のところわからない。。。
2020年06月11日
コメント(0)
去年の秋頃から、神社巡りを始め、神棚もまつり、寝る前に一日の無事を感謝、そして、朝には一日の無事をお願いする。神社の方は、今年は、新年に伊勢神宮の外宮と内宮を2日がかりで、全ての神様に感謝とお願いをした。でも、基本、神社は感謝につきる。僕の神様は、小学生の頃から、僕の中に居る。高校くらいから、しばらくご不在であったが、数年前より、毎晩寝る前に、感謝と、誓いと、そして最後にお願い。小学生の時のお願いは、2つ。もし、叶えてくれたら、毎晩、お礼を言いますと誓った。毎晩は、中学生のころのどこかで、中断してしまったし、今の感謝は、全く別のこと。で、2つのお願いは。。。「リレーで転びませんように」と、「授業中にトイレに行きたくなりませんように」だった。2つとも、叶えてくれた。大人は、小学生の気持ちって、あまり理解していないのではないかと思った。たとえ母親であろうと。父親は、全くわかっていないことが小学生でもわかった。母親ですら、理解してくれていないと思っても、言葉では伝えなかった。リレーやトイレで悩んでいた事はもちろん、例えば、ズボンの補強で、お尻のところに白く丸い縫い目がくっきりだったこと。これが嫌でたまらなかったけれど、言えなかった。あとは、痩せていたけれど、やせほせだと言われたこと。これもかなり傷ついたけれど、言えなかった。これらが、蓄積し、突然、呼吸できなくなることも。口を開けて、空気を吸おうとしても吸えず、パニックになった。母親に訴えても、大丈夫!を繰り返されるだけだったけど。一方、僕は小学生のころが、人生で最もませていたと思う。社交的で、気に入った女の子の隣に座りたいと主張し、一番前の席で、いちゃついてた。小学1年生。三編みの子が好きだった。ピアノを弾いて聞かせてあげた。人前でしゃべるのもへっちゃらで、弁論大会にも出場した。生徒会長にも立候補した。しかし、中学の頃、そして、高校になって、対人的には真逆になった。で、社会人になって、20年くらいして、小学生返りしたような。。。しかし、社交的ではあるけれど、ふと内向的になるところも小学生と同じだ。。。僕の神様がいてくれないと、心の平静さを保てないような気がする。
2020年06月11日
コメント(0)
独り言は、過去にさかのぼったり、今日のことであったり。頭の中のことであったり、出来事であったり。一日の始まりは、「アウトプット大全」特典でダウンロードした「究極のTO DOリスト」に手書きで書き入れるところから。でも、その前に、ベッドを出て、カーテンを開け、EAA-SHOTを一口二口飲んで、トイレに行って、体重計にのる。6月1日より、1ヶ月の減量期に入ったが、順調に減っている。ただ、寝起きは水分が抜けているのか、体脂肪率は高い。この体脂肪率は、体重計によって全く違うし、体水分量によっても違うから、あまりあてにならない。そして、糖質制限の朝食をとり、一日の活動の始まり。コーヒーを飲んだり、ちょっと、ipadで遊んだりするから、開始までに1時間はかかる。ベッドから出るのも遅いし、活動開始までも遅いし。会社勤めのころは、ベッドから出て30分後には家を出ていたのであるが。。。「朝活」手帳を買って、朝活を試みたこともあったが、3日も続かず。また、1.5の倍数睡眠時間で、長くて6時間睡眠だったけれど、最近は、短くて7時間。締め切りに追われていないときは。だから、一日のうち、食事とトレーニングと、ジム往復の時間を除いた活動時間は非常に少ない。今日なんかは、3時間くらいしか、仕事をしていない。。。その時間は、6月下旬にする講習会の資料作成。よく講習会の前日に徹夜に近い準備をしていて、これは精神的ダメージが大きく、受講者に講師の疲れ切った顔をさらすのも悪いし。。なんとか、この先延ばしの生活を直さねばと、悪い習慣を断ち切ろうとはしているのだが。やはり、朝の立ち上がりの早さと、すぐにやるべきことに着手することが必須なんだろうな。それには、まず早寝が必要。会社通いのころは、ベッドに入った直後にバタンと寝ていたが、最近は、寝付きが悪い。。。「睡眠戦略」の本も色々読んだが、守れていない。これも先延ばしの一つ。寝る前、風呂も含めて2時間の「リラックスタイム」そしてその前、2時間の「勉強時間」としたけれど、本当は「リラックスタイム」は読書や、日記ではなくて、音楽を聴くのがよいだろうな。しかし、先延ばし。。。もう、先延ばしができる年齢ではないのだ!
2020年06月10日
コメント(0)
結局、ここに戻ってみた。書き始めは2007年12月28日、2012年4月26日に引っ越し、2017年7月21日にふと立ち寄った。そして今日は2020年6月9日になったところ。きっと、どこかで書いたと思うけれど、日記を書いたのは、大学生の頃。大学ノートに万年筆でほぼ毎日、いや、一日に何度もノートに向かうこともあったように記憶している。典型的なモラトリアム時代。おそらく誤診で運動禁止とされ、大学のバトミントンクラブを退部し、引きこもった。もっとも、その前から、引きこもりがちで、対人、対女性恐怖症だった。恐怖症は、関心が大きすぎることの裏返しだったと今は思う。その頃、向かったのは人ではなく、大学ノート。それでも、なんとか8年かけて大学を卒業し、社会人となり、学生時代は「変人」だったのが、「少し変わっている」くらいに進歩した。対人恐怖症で、セールス実習ができるのかと、周囲はみな心配していたようであるが、大変な好成績を残した。それは、全く理由がわからないが、セールス実習前の社内教育中のロールプレーイングのあと、教師が、「あなたは非常にセールスに向いている。きっと売れる」と暗示をかけられたせいだと思う。 ロールプレーイングは客観的にみても、惨憺たるもので、自己嫌悪に陥っていた時である。きっと、惨憺たる姿をみて、暗示をかけてくれたのだと思う。でも、実際、売れた。お客様は、「セールスらしくない」とか、「信用できそう」とか、言ってくださった。家にあげてくれて、コーヒーや、ケーキを振る舞ってくれた方も結構いた。そして、夏のセールス実習が終わるころ、日にも焼け、表情もめっきり明るくなったように思った。そして、結婚。日記はもはや無用になった。それが、2000年に復活。今度は、えいっと公開日記を始めた。まだ、「ブログ」という言葉もなかった。そして「オフ会」なるものが誕生した頃。この2000年の前の1年ちょっとは、全くの非日常、非常識な生活だった。その生活に入ったきっかけは、会社の変革ごっこのメンバーのリーダーになってしまったこと。自分は、なんとか、日常と非日常をいったりきたりしていたが、ごっこメンバーの多くは、メンタルで休職したり、会社を辞めたり、離婚して、消息しれずになったりした。公開日記のメンバーとのオフ会から始まったつきあいも、非日常。しかし、いったりきたりできる世界ではあった。その後、また「事件」が起こり、公開日記から抜ける。そして、ここに来たのが2007年。この時も、非日常世界はあって、やはり行ったり来たり。それが長く続き、2015年に会社を定年退職して、同時に起業した。ふと、ここに立ち寄った2017年は、起業後2年の時。会社の立ち上がりは非常に順調というか、順調すぎて、また、日々が非日常の世界になってしまった。退職金と、会社の売り上げて、実力もないのに、宝くじに当たってしまったような感覚。退職金は、自分の努力で得たもののはずであるが、それ以上の売上で、おかしくなった。おかしくなって、顧客の信用もなくし、2019年には会社が大ピンチに。赤字である。今から1年ちょっと前。日々、大反省しつつ、しかし、まだ神頼みというか、「チーズはどこに消えた?」の、悪いパターンが続いた。車を売り、タワーマンションを出た。神社を巡った。そして、2020年になり、過去の柵ではなく、新規の顧客をつかみ、復活の兆し。不安定ではあるが、春を迎えた。そして、コロナ禍。持続化給付金も満額頂き、生活苦には至っていない。でも。。。こうして、日記に戻っている。昨夜も3時まで寝付けなかった。それで、日記のプロフィールに長々と書いていたが、文字数オーバーでコピペも失敗し、消滅。今書いていることとは全く別の二十歳の頃の出来事を書いていた。さてさて。今日も、睡魔がやってこないが、生活のリズムを壊さないためにもそろそろ寝ようか。
2020年06月09日
コメント(0)
2012年4月以来? 本日、2017年7月21日。深夜だけれど、大魔王を飲みながら、夜更かし中。5年が過ぎ、一般的に、というか、普通からすると、大きく生活は変化した。一言でいえば、いい変化。毎年、想定外のことがおこっているように思うが、意思の方向、範囲ないでのできごと。健康、金、友、徳に関する信条に対し、「徳」はまだまだであるが、他は、自分の期待以上。今日はひとまずここまで。最近、睡眠時間は、昔と比べて長い。といっても6時間。今ねると、8時半起床? 最近、Fibitをせずに、睡眠管理をしてないけれど、まあ、いいか。仕事は午後から。電車に30分ほど乗って、歩いて、2時間あまり会議して、そのあと、鉄板焼きとワインで接待。見返りを期待しない、というかするな、の接待。もと後輩の、今は部長と、室長。期待しないぞ。
2017年07月21日
コメント(0)
「3月16日から書いてないですね」と言われる。ああ、こちらを見ていたんだな、と。年の初めころから引越しを計画し、というか、ずっと2つのサイトに同じブログを載せていたのだけれど、楽天でない方に16日から一本化。ここに書いた昔のブログも思いついた時に「はてな」へコピー。コピーが完了したら、完全に引越します・・・・
2012年04月26日
コメント(1)
僕は赤だった、あるいは青だった、というのは誤解釈。ある人は、赤と青が仲が悪く、それを調停する者が現れ、丸くおさめた・・・で、僕は赤か、青だ、と言ったのだけれど、赤と青とでは全く違うし、赤と青は仲良しなのだ。。。調停役などいない。「人間」が会社の他の人たちとすると、赤は、会社のマジョリティーと仲良くしたいと思っている。しかしできない。そこで、心やさしい青鬼が現れる。。。僕が赤とすると、必要なのは調停役ではなく、青鬼だ!、
2012年03月16日
コメント(0)
僕は、赤か青だったんだ・・・周囲の見方だけれど・・・赤と青を仲直りさせる役にはなれないということ。赤の立場で、青を説得するのとは違う。赤でも青でもない立場。確かにそういう立場ではなかったし、そうなりたいという気持ちもあまりない。どちらかというと強い赤か青になって、勝ちたい、という気持ちが強いかも。実にうまいたとえをしたもんだ。自分が少し理解できた。
2012年03月15日
コメント(0)
ライブまでちょうどあと1週間。で、練習はこの1週間のうちの4日×2時間!趣味にしては、相当な力の入れようである。そのうちの1日目。細かな部分のチェック、修正と、あとはタメ。よく、ドラムに合わせるように、と言われるが、聞いてから合わせたら遅れるから、結局、みなが同じテンポをイメージしていないとだめだと思うけど。でも、テンポはやりながら修正できるから、やっぱりドラムがリードする?みんな合わせているんだろうか?試しに速度を変えてみて、みながついてくるか試してみようかなと。。。バンドも追い込みだけれど、おりしも決算期。予算だけでなく、いろいろ重なる大変な月。3月が終わって、4月に入ると、またまた大変なんだけど。時間が少し遅く進んでほしい。コメントを書く
2012年03月10日
コメント(0)
山口県、長州とは少し離れているけれど、「維新」を目指す4人衆が広島に集まって、熱い議論をした。5時間の議論のあとは、美味しい魚を食べながら、飲みながら、また議論。最後は、カラオケ。これ、何年ぶりか・・・本当は楽器を奏でながら歌いたいのだけれど。もっとも「維新」と言いながら、覚悟のほどが大変弱い。やっぱり現代の世で、命を張るってことは、ほぼ遠い。命を張らないまでも、「脱藩」覚悟くらいはあってもいいと思うけれど、それもなさそう。オールジャパン、というけれど、結局改革ごっこかも・・・
2012年03月05日
コメント(0)
ザ・コレクターズ。名古屋クアトロは満員だった。どんどん増えていく。そしてたいへん盛り上がった。コレクターズのメンバーも手ごたえを感じて、感じ入っていた様子。このバンドの拠点は渋谷クアトロだけれど、名古屋のライブも増えるかな?前の方だったので、耳が・・・難聴がひどくなっていく。ちょっとこちらは由々しい事態かも。
2012年03月04日
コメント(0)
沈丁花の開花はまだだ。けれど、今日の昼間は18℃まで上昇。日差しもあり、こういう時は歩きたいと思った。別に歩こうと思えば、歩けるのだけれど、「あれもせねば、これもせねば」という気持ちが先立ってしまう。なんなんだろう?何かに縛られているような・・・ワーカホリック?1日や2日、仕事を全くしなくても、何が起こるわけでもないのだ。じゃあ、仕事をしたかというと、1日を振り返ってみて、全くしているわけではない。生き方がヘタだ。
2012年03月03日
コメント(0)
人にどう見られているか?誰がなんと言おうとわが道を行く。「誰が何と言おうと」の部分は、少々あやしいが、かなりこれに近い。ほっておいてほしいが、なぜか、いろいろ周囲に言われる。会社の中の話。まず、なぜ、いろいろ周囲に言われるかひ人と違うことをするから?人と違う意見を持っているから?人ひとりのすることだから、発言したり一人で行動する分には他者にさほど影響を与えていないはずだけれど、それでもいろいろ言われるのは?何かを変えようとしているから、その影響が及ぶ心配をしているのだろうか?変化をさせまいとする抵抗勢力は必ずある。その抵抗なんだろうか?それとも自分の違う行動バターンをとる人物に対し、自分が正しいと信じて、自分を正当化するために相手にとやかく言いたくなる?いずれにしても、そういう周囲を気にせず、自分を信じて行動したい。自分を信じるには、私欲を捨てないといけない。本当に私欲を捨てているだろうか?いや、まだまだだ・・・全然かも・・・
2012年03月02日
コメント(0)
3月のこえを聞くと、気温が低くても、暖かく感じたりする。でも、実際、暖かかった。今年の春は低温が続く、との長期予報だったけれど。。。でも、沈丁花はまだ咲かない。早い年は3月に入ると香り始めるけれど。。。新年の抱負をまとめきらないうちに3月。今年も時間の過ぎるのが早い!
2012年03月01日
コメント(0)
「朝活手帳」では活動状況によって点数をつけるようになっている。「朝活」はしているけれど、「朝活手帳」は最近、全く活用していない。朝に限らず、活動に点をつけるとすると、起床時間、就寝時間、歩数、ジムに行ったかどうか、ドラムの練習をしたかどうか・・・などなど、仕事以外の活動での点数はつけられそうだ。実際、エクセル表にはこれらの活動に対して時間や数字を記入しているから、同じようなものだけれど・・・あと、体重や体脂肪率なども含めて。だからどう、ということはないけれど、ささやかなモチベーションにはなる。今日は、起床時間は低得点。他は満点かな?
2012年02月29日
コメント(0)
異業種も刺激を受けるけれど、同業種で違う立場の人たちと話をすると、もっと具体的な?刺激を受ける。海外の同業種の場合もそう。「言葉」が通じるし。社内の違った職種の人たちよりも海外の同業種の方が通じたりする。同業種の刺激は、びっくりの刺激というより、立場が違っても同じ考え方なんだ・・・という安心と、同じ方向でも、進度が違ったりするので、「遅れてる、なんとかせねば」の刺激。今日も、いい刺激を受けた。
2012年02月28日
コメント(0)
11時就寝、4時起床が原則。今日は5時。だんだん5時に定着しそう・・・そして、朝の普通の準備をして、7時出社して・・なので、早く会社に行っているだけ、って感じ。本来の「朝活」の狙いと違うなあと。寝る時間も、だんだん遅くなって、睡眠時間が削られているだけ。それでも、「朝活」はやっぱりいい!少なくとも会社生活に対しては。早起きはほぼ習慣づいたので、次は、活動、活用だな。できれば、自分のために使いたい。
2012年02月27日
コメント(0)
去年の同時期のレベルまで戻したかったけれど、1月に登録してから、わずか0.2キロ減のみ。。。欧州出張でも、運動こそしなかったけれど、なるべく質、量とも気をつけたのになあ・・・去年より3キロ弱多い。よく脂肪1キロの模型みたいなのがあるけれど、3キロはぞっとする。若いころと違って、運動や食事の効果が即効ではなくなってきた。
2012年02月26日
コメント(0)
服とか、本でななく、郵便物や、メールや、パソコンの中。複雑の極み。「仕事」の片付けもしたかったけれど、そして、2012年の公私の計画も立てたかったけれど、まもなく3月なのに、まだできていない。でも、まあ、少し前進。ノーブルノートを追加発注。アイデアをまとめるノートと、瞑想的に考えたことを綴るノート。万年筆で書くと、実に気持ちいい。なんだか懐かしい気持ちにもなる。書いている内容は、学生時代とずいぶん違うけれど・・・
2012年02月25日
コメント(0)
さほどひどくはなかったけれど、体調すぐれず、会社を休む。体、というより気持ちかな?夕方、しっかりジムで汗を流したし、夜には心身ともに元気になり、久しぶりの夜更し。美味しかった「ユボー」2005年をあけた。また買わねば。ちょっと高めだけれど・・・もっとも高いといっても、4000円はしない。昔、よく知らないころは、5000円しないワインは安物で美味しくない、という思い込みがあった。できれば、2000円台で美味しいワインを探し当てるのがいいけれど、なかなか難しい。フランス、フルボデーで、2005年ものが、一つ覚えだったけれど、なかなか最近は見つからない。店のコメントで判断したりするけれど、あまりあてにならないし・・・これだけ飲むのだから、もう少しは「通」にならないと・・・
2012年02月24日
コメント(0)
富士の裾野は暖かで、春の気配。往路は、雨、事故渋滞。帰路は風でバスが揺れた。富士で4つの会議。そのうちのひとつが大いに盛り上がったけれど、疲れる議論だった。バスも疲れたけれど。仕事の面でも、人の面でも色々考えさせられた。
2012年02月23日
コメント(0)
それは、12年前、たった3行くらいのヤフーメールで始まった。詳しくは覚えていないけれど、「久しぶり」「自分を雇ってほしい」・・・昔、ベンダー勤めで、開発を委託したことがあった。数度会っただけ、そして、台湾国籍で当時はアメリカの競合する会社に勤めていた。最初は本気にしなかった。すると、しばらくすると、またメールが届く。「その後、何か動いてくれたか?」みたいな。国籍も違うし、雇ってくれと言われて、自分は人事でもなく、どう動いていいかもわからず、また放置した。三度目のメールで、一応、動くだけは動いてみようと、上司に相談したけれど、相手にされず。相手も簡単に引き下がらず、とうとう、自分も本腰をいれて動いた。当然、色々な障壁があったけれど、約2年の奮戦の後、日本での雇用はできなかったけれど、(日本語が話せない、という理由で)米国オフィスで採用。その後、その友達、さらに人は毎年増え、今は、20人規模の組織に成長した。今日は、ヤフーメールで採用した、Yの友人のTの勤続10年のお祝い。上に書いたようなことをスピーチし、自分で感無量になった・・・相手も粘り強かったけれど、自分も我ながら粘ったなと・・・その後も、いつも壁にぶち当たるような仕事の仕方をしてきて、ふと折れそうになるけれど、折れたら、自分らしくなくなる。でも、息抜きはほしい・・・・・
2012年02月22日
コメント(0)
欧州より帰国後、空白の日々・・・欧州で、時差利用の朝活を、帰国後も、まあまあ継続。でも、早寝ができていないので、結局、睡眠時間を削っての朝活・・・けれど、思ったよりは眠くない。つまらない会議の時は、辛いので、そういう会議はキャンセル。「議論」が必要な会議のみ出席。でも、こういう会議はタフだ。眠くはならない代わりに、疲れる。体力を必要とする。ツボにはまってはいけない、と自重しながらも、ついはまって、まくしたててしまう・・・口には出さないけれど、「どうして理解できないのか?」と心の中で強く思う。それを抑えて疲れる。今日は、タフだった。
2012年02月21日
コメント(0)
欧州出張中は4時起きが続いたけれど、帰国後は5時とか、遅い時は7時。でも、ほぼ7時出勤を継続中。早朝出勤は、実に気持ちがいい。気持ちだけでなく、午前の頭の回転も違う気がする。夕方になると、睡魔が襲うけれど・・早寝ができていないからだ・・自分が変わるには、やっぱり早起き、朝活だったとあらためて思う。きっかけには明らかになる。
2012年02月20日
コメント(0)
全1548件 (1548件中 1-50件目)