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年末の大掃除をしていたら、1989年にアナハイムスタジアムでアナハイムエンゼルス(現ロスアンゼルスエンジェルス オブ アナハイム)の試合を見た時のパンフレットなどが出てきました。この試合の先発はエンゼルスの隻腕投手、ジム・アボット。グローブを小脇にはさみ、いかにも重そうな速球を投げ込んでいました。容赦のないピッチャーライナーを軽くさばく身のこなしに、夜の肌寒さも忘れて感心しまくっていたことなどなど、つらつらと思い出していました。毎年のことですが、このような懐かしいものが出てくると、しばし掃除はストップして思い出に浸ってしまいます。後々、画像などを載せられたらと思います。私が大リーグの試合を観た球場はロスアンゼルスのドジャースタジアムとアナハイムのアナハイムスタジアム(現エジソンフィールド)の二つだけですが、どちらも本当に素晴らしい球場でした。日本の球場にあのような雰囲気がないのはなぜなのか、と度々考えています。日本は湿度が高いからクリアで鮮やかな色合いが出せないのかな、というのが今のところ私の中では有力な説なのですが…また、大リーグの球場に行きたいです。来年はもっと野球に関われますように!皆様、良いお年をお迎えください。
December 31, 2006
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今年、一度だけ、我を忘れて叫びまくった瞬間がありました。フェルナンデス選手、感動を本当にありがとうございました。5月20日の巨人戦での逆転サヨナラ3ランホームランをスタンドから観た興奮は、今も昨日のことのように思い出します。私の隣には巨人の小久保選手のレプリカユニフォームを着た男性が一人で静かに観戦していて、東京から来ていたようにも見受けられたので、試合が終わったら球場の感想でも聞いてみようか、などと思っていたのですが、フェルナンデス選手の打球音が聞こえた瞬間、彼は出口に向かってダッシュしてしまいました。それほど打った瞬間ソレとわかるホームランでした。フェルナンデス選手がベースを一周する間、私は両手のコブシを突き上げて「うォォォォォ!!!」と叫び続けていました。ビクトリーランで球場を一周する間中、両手を大きく振り続けていました。すっかり気前も良くなってショップで子どもに楽天グッズを買ってあげてしまいました。来年の益々の活躍を期待しています。
December 30, 2006
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先日のファン感謝祭で、銀次選手のサインボールをキャッチできました。子どもは、それはもう大感激でした。ホコリがつかないように、書棚に飾って毎日ガラス越しに眺めています。銀次選手、本当にありがとうございました。一家そろって銀次選手を応援するぞ、と固く誓い合っています。今年のドラフトで、ますますライバルが増えていますが、来年の活躍を期待しています。
December 29, 2006
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ずーっと昔、現役だった南海の野村選手を見たことがあります。おぼろげな記憶ですが、私が小さな子どもだった頃、父に連れられて初めて野球場で観たプロ野球がロッテ-南海のナイトゲームでした。 既に試合が始まってから球場に到着。球場の上をタバコの煙が覆っていて、紫色の煙が照明に照らされているのを「きれいだなぁ」と思った記憶があります。 タバコの煙に見とれていたくらいですから、入場口から階段を上りきって、照明に浮かぶグラウンドが目に入った時の感激は涙が出んばかりのものがありました。 選手の身体の大きさ、観客のどよめき、そして野次、アイスクリーム売りのだみ声…どれもが新鮮で、やたらキョロキョロしまくっていました。 その試合の後半、野村克也選手は左中間にホームランを打ちました。隣に座っていたOL二人連れが「そろそろ帰る?」「野村さんだけ観ていこうよ」などと話しているのを聞いて「フーン、野村ってすごいんだ」と思っていたら、低いライナーがフェンスを越えていきました。 以来、楽天が誕生するまで、私は南海とダイエーを応援していました。 藤原、桜井、片平、門田… 当時の選手の名前が今、久しぶりによみがえりました。懐かしいです。
December 26, 2006
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今年の夏の甲子園までは、ハンカチ王子の引き立て役、プロレスに例えればヒール(悪役)を演じていたとも言える田中投手が、楽天に入団してくれました。パリーグの最下位球団の指名にも嫌な顔ひとつ見せず、将来の夢をしっかりと語った田中投手。おそらく、チームの好みよりもっと先にあるもの、投手としての自分の将来の姿を、目標としてきっちり描けているのでしょう。その目標に向かって、回り道せずに真っ直ぐ行くぞ!という意気込みを、言葉の端々に感じました。一場投手にも言える事ですが、フルスタを踏み台にして、やがて世界に羽ばたいていってほしいと思います。昨日に続いてサッカーの話になりますが、かつて京都パープルサンガで活躍していた韓国人MFのパク・チソン選手のプレーを仙台スタジアムで見たときの感激はまだ忘れられません。ソフトなボールタッチや見事な突破力はベガルタ仙台を応援している観客をも思い切り魅了していました。その後、2002年ワールドカップでの活躍を経て、英国プレミアリーグ マンチェスターユナイテッドでの活躍を見る度に、あの時、間近でみたパク選手のプレーがよみがえります。田中投手にも、パク選手のような別次元の実力を仙台のファンに見せ付けてもらいたいです。プロでの田中投手の活躍を、心から楽しみにしています。
December 25, 2006
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予約していたクリスマスケーキを受け取りに、仙台ロイヤルパークホテルに行きました。この写真はホテルの中にあったお菓子の家です。サッカーの2002年ワールドカップでイタリア代表がおよそ1ヶ月間泊まった仙台市郊外にあるリゾートホテルです。今年のワールドカップでは見事に優勝したイタリア代表ですが、2002年の日韓大会では疑惑の判定などもあって韓国に敗れ、ベスト16に終わってしまいました。イタリアにとっては思い出したくもない大会なのでしょうが、仙台滞在は選手にとって良い思い出になったそうです。ひとえに受け入れにあたった関係者のお陰だと思いますが、中でも仙台ロイヤルパークホテルの存在とスタッフの努力の賜物だと思っています。周辺の環境とあわせて、とても快適な時間が過ごせるホテルです。Merry Christmas
December 24, 2006
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契約更改交渉で保留したと伝えられている楽天の山崎武司選手。中日時代に強烈な印象を残したベテランスラッガーです。山崎選手を見ていると、軽く当てただけでボールがスタンドまで飛んでいくように見えます。比較しては失礼ですが、私の場合、例え会心の当たりでもボールがスタンドまで届くことはめったにありませんでした。だから私の打順はいつも下位でしたね。外野手でありながら…補欠の頃は、クリーンアップを打つバッターと自分の打ち方はどこが違うのだろうか、といつも考えていました。やがて気付いたのはフォロースルーの違い。自分のチームの4番打者と較べると私の打ち方は明らかに「払い打ち」でした。来たボールを慌ててサッと払うような打ち方なので、私の打球は外野の頭を越すことはほとんどありませんでした。日夜、身近なお手本を真似しながらフォームの修正に取り組んで、結構伸びる打球が飛ばせるようになった結果、試合にも出してもらえるようになったのですが、その時の私なりの打撃理論は次のようなものでした。感覚的な言い方をすると、(1)ボールがホームプレートに来るまでジーッと待つ。(どんなにボールが早くてもこのイメージは必要。)(2)そしてホームプレート上でバットの芯をボールに合わせる。(3)そのままバットにボールを乗せてバックスクリーンに運ぶ感覚で振りぬく。(この部分がうまくできると遠くへ飛ばせる。)そのとき私が体得した感覚はこんなところでしょうか。指導者はしきりに「顔を投手にまっすぐ向けろ」と言っていましたが、私はどちらかというと、いつも意識をホームベース上に置いていました。だって、ストライクのボール、つまり打つべきボールは「必ず」ホームベース上を通るんですから。ピッチャーがどんな投げ方をしようと、投げたボールがカーブだろうとフォークだろうと「ベース上に来たボールを叩くだけ」、そんな割り切り方で打席に立っていました。結局のところ、試合に出るための処世術として私のキャラは最後まで「当て逃げ」で打率を稼ぐようなタイプでしたが、自分なりの理論ができたことで、落ち着いて打席に立てるようになった記憶があります。ムチャクチャ話がそれましたが、山崎選手の打点はホームベースよりもかなり前で、バッドの重さをうまく使ってボールを飛ばしているように見えます。相当パワーがないとできない打ち方ではないかと思います。来年もフルスタの外野フェンスを軽々と超える山崎選手のホームランを見せて欲しいと願っています。
December 23, 2006
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楽天の本拠地、フルキャストスタジアムですっかり人気が定着したMr.カラスコ。シーズン中にバイクで転んで鎖骨を骨折したときも、あのNHKニュースをして「手羽元を骨折したとのことです」と言わしめるほど、その存在感は報道のルールすら乗り越えてしまっています。あの時は我が耳を疑いました、ホントに。笑い話ですが、これを見ると私の心が自動的にズキズキと痛みだすという、Mr.カラスコのパフォーマンスがあります。それは… フィールドをバイクで走るカラスコの雄姿…です。日が暮れた後、疲れた体を引きずるようにしてグラウンドをならしていた学生時代の記憶が、無条件に蘇ってくるのです。きっと心の傷なのでしょう。もしあの時、あのグラウンドにカラスコが現れて、外野をバイクで走り回ったら、そりゃあもう、 皆で追いかけ廻してつかまえて袋叩きにして身ぐるみ剥いで外野フェンスから外へ放り投げてバイクは没収!!!このくらいのことは当たり前のようにやったことでしょう。という訳で、人工芝だとわかっていても、勝手に胸を痛めている私でした。来年もご活躍を。楽天の勝利に向かって共に頑張りましょう。
December 22, 2006
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「硫黄島からの手紙」を観て来ました。映画館は混んでました。妻と子どもが「おいでよ動物の森」を観ている間に、パパだけ、比較的年配のお客さんに混ざって「硫黄島…」を観ました。米国サイドから硫黄島の戦いを描いた「父親たちの星条旗」は残念ながら見逃してしまいました。まだ上映している映画館がどこかにないでしょうか?西郷役は「嵐」の二宮和也くんだったのですね。素晴らしい演技でした。「パールハーバー」に行ったとき感覚が、「硫黄島…」を観て、悲しく蘇りました。どちらの国の兵隊さんも、その多くはルールも知らないボクサーが突然リングに投げ込まれたような状態で…やられないためだけに、メチャクチャこぶしを振り回していたような状態だった…きっとそんな感じだったのではないか、と、改めて思いました。戒めとして良く使われている「戦争に勝者はいない」という言葉。「硫黄島…」からは「戦場に勝者はいない」とのメッセージを感じました。でも、そんなありふれた動機だけだったのだろうか…クリントイーストウッドがなぜこの映画を作ったのか。もっと知りたいと思いました。 今回のキーワード: 「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/
December 17, 2006
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大学のOB戦で撮った写真です。守っているのが現役チーム。打っているのがOBチームです。野球のグラウンドに立つことも、ベンチに入ることも久しぶりでしたが、プレイヤーと同じ目線で、そしてフェンスの内側から野球を観るのは、本当に気持ちの良いものでした。打席にも立たせてもらいましたが、これは…、それこそ赤子の手をひねるように、まんまと内野ゴロ→ダブルプレーに討ち取られてしまいました。ただ、バッターボックスから見た現役チームが守るグラウンドの風景は素晴らしいものでした。頭の中だけはその瞬間、現役時代に戻って燃え上がっていました。この頭(夢)と身体(現実)とのギャップが中年世代の大ケガの原因なのでしょうが、頭の中だけでもこの感覚が蘇ったことは、うれしい経験でした。試合のあとは現役を交えてのOB会が開かれ、神宮大会に出たOBの経験談やら、現役を引退する4年生の挨拶などがありました。4年生は皆、どこに出しても立派にやっていけそうな好青年たちでしたが、まだまだ就職状況は厳しいようでした。次第に酔いが回ってきて、騒がしい会場の中で、自分が卒業した前後のことをぼんやりと考えたりしていました。はっきり言って学生時代は“勝者は勝者、敗者は敗者”の世界だったなぁ、と。でも社会に出てみたら「負けたのはお前らのせいだ!」と言い張りながら無為徒食をしている奴らがウジャウジャいて、吐き気もんだったなぁ、と。それが世の中だって思い込もうともしたけど、やっぱりまちがっているよなぁ、などと思いながら、酔っ払っていました。
December 12, 2006
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自分が野球をやっていたから、子どもにも球技の楽しさを知ってほしいなぁと、小学生の子どもが赤子のころから期待していたところ、今年の夏、突然「テニスがしたい」と言い出したので、すかさず近くのテニススクールに申し込みました。ボールに対する感覚はまだまだこれから、という感じですが、週に1回、必死にボールを追いかけているだけでも、徐々に動きに無駄がなくなってきているような気がします(親ばかでしょうか)。自分が子どもの頃、テニススクールに通うなんて考えられなかったし、クラスメートにもいなかったと思うのですが、外で遊ぶ機会が減ったせいか(変質者激増の影響もあるのでしょうか)、ジュニアのレッスンはいつもにぎわっています。子どもたちの歓声と、コーチの声が響き渡るコートに身をおいている週末のひと時は、なかなか気分が良いものです。
December 10, 2006
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今も真珠湾に沈む戦艦アリゾナの上に作られた記念館からの写真です。記念館にはフェリーで渡るのですが、順番を待つ間、真珠湾攻撃に関する映画を30分くらい観る事になっていました。日本人の私としては、ある程度の覚悟を決めて観始めたのですが、驚くほど、日本=悪という構図は感じられない映画でした。どちらかというと冷静に、米軍側の幹部の判断ミスや組織としての油断を指摘していたように感じました。当時、日本とアメリカのどちらが悪かったのか、などということは当時の国際関係の空気を知らない私には何とも言えませんが、いずれにしても、この記念館の下に、今もアメリカの若き兵隊さんがたくさん眠っていることを知り、気持ちはかなり凹みました。一方でアリゾナを沈めた日本軍のことを考えても、終戦までに結局、何人くらいの兵隊さんが生き延びて、再び日本に帰れたのでしょうか。アメリカと日本のそれぞれの国で、どれだけ多くの家族が息子との再会を待ちわび、そして叶わなかったのか。そのことを思い、さらに凹みました。人間は不完全な生き物だから刀(武力)は必要悪として許容しなければならない。だけど権力者は、その刀を決して抜いてはならない。そんなことを改めて、強く感じた一日でした。
December 8, 2006
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米国カリフォルニアのサンディエゴの近くにある広大な放し飼いの動物園で撮った写真です。最初にトラムに乗ってガイド兼ドライバーさんの話を聞きながら、1時間くらいでグルッと見て回ったのですが、動物を探すのが大変なくらいの広さでした。まぶしい日差しと、日常では見ることのない景色の中で、心からのんびりすることができました。一方でガイドさんが「動物虐待はしていませんよ!」的な説明を言葉を替えて繰り返していたのが別な意味で印象に残りました。おそらく、自然そのまんまに見えるこの動物園でも、いろいろな愛護団体から攻撃されたりしているのだろうな、と勝手に感じたのでした。楽しかったです。
December 7, 2006
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札幌ドームに較べると見劣りがすることは確かですが、老朽化した県営宮城球場が楽天の力で見事にプロ野球仕様の球場に生まれ変わりました。2年前に楽天が仙台を本拠地にしたことも、元はと言えば、言いだしっぺのライブドアのおかげ、という見方もありますが、いずれにしても仙台の野球ファンにとって楽天ゴールデンイーグルスの誕生は天の恵みとも言えるビッグニュースでした。プロ野球を年間60試合以上も観戦できる幸せと、地元チームを精一杯応援できる幸せを、仙台の野球ファンは今、じっくりと噛み締めています。もうひとつ、この球場にはフードショップもたくさん出ているので、試合を観ながらおいしいものを食べられる幸せも味わっています。写真は今年5月の楽天・巨人戦ですが、スタンドを埋める楽天ファンの7~8割はきっと3年前までは巨人を応援していたのだろうと思うと(東北には巨人ファンが多いのです)感慨深いものがありました。しかも試合はフェルナンデスの3ランで逆転サヨナラ勝ち!巨人から楽天への「改宗」を決定付ける熱狂的な夜でした。来年こそは最下位脱出を!
December 6, 2006
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私が小さいころに住んでいた、羊が丘にある札幌ドームの写真です。工事中に羊が丘に行った時は、広大な農業試験場の風景が台無しになるのでは?と心配したのですが、完成してから見ると、まあまあ周囲とも馴染んでいました。とにかく立派なドーム球場なのですが、観戦しやすさが何よりの魅力だと思いました。座席が円形に配置されていて、どこに座ってもマウンドとバッターボックスが見やすい。それから観客席の傾斜が適度で前の座席のお客さんがあまり邪魔にならない。そんな感じがしました。他球場では内野自由席に座ると、普通に見えるのは目の前の外野手一人、バッターを見るためにはほとんど真横に首をねじらなければいけない、なんてことがある中で、球場の進化を感じさせる経験でした。サッカー場としての観やすさはどうなんでしょうか?今度、コンサドーレの試合があるときに行ってみたいと思います。ちなみにこの写真の日は、延長12回まで続いたのですが、全然疲れずに観戦できました。また行きたいです。(日ハム優勝おめでとうございます!)
December 5, 2006
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赤道直下の国、シンガポールのショッピングセンター「タングリン・モール」で、見かけたクリスマスデコレーションです。(昨年末の写真です)雪のように見えるのは、近寄ると洗剤のような泡でした。常夏のシンガポールの子どもたちにとって、雪はまだ見たことのないあこがれなのかもしれません。お母さんがたが「早く帰るよ!」と呼んでいるのも聞かず、「雪」の中でいつまでも、いつまでも遊んでいました。子どもたちの姿がとても微笑ましかったこと、そして、にせものの雪の中で、こんなに喜んでいる姿をみて、なぜか少し悲しい気持ちになったことを、本格的な冬に突入した感じの今朝、ふと思い出しました。
December 4, 2006
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