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小さい頃で、よく覚えて無いのですが、家族で出かけて、レンゲ畑に 行ったのです。何となく、本当の目的は違った様に、思うのですが、 私自身は、レンゲ畑で、冠やら、指輪やら、作って、結構、満足して いました。 レンゲ畑は、普段は水田になってるようで、回りには、水路(?)が 流れていたのです。 その水路で、何と、父は、タニシをいっぱい捕まえていたのです。 勿論、タニシ捕りも、偶然の成り行きだったのですが、父も、結構、 満足したに、違いありません。 家に帰った父は、タニシを(醤油味かなぁ?)煮て、酒の肴にいっぱい やるのでした。 私も、子どものせいか、平気で、食べましたねぇ。今、思えば、ちょっと、 気持ち悪いかも・・・ タニシにあたって亡くなった有名人が、居た気がするんですけど・・・
2007年10月28日

高校入学したころ、遅刻の電車の中で、偶然に、クラスメートと いっしょになったのです。その子は私に、「いっしょにソフト ボール部に入らないか」と、誘うのです。それまでは、そんなに 親しくもなかったのですが、何だか仲良くなって、部活にまで、 入ってしまったのです。 その子は、抜群のスポーツマンでした。私はと言えば、運動の”う”の 字も知らない様な人間でした。しかし、何故だか、体育会系な性質が あるのですよ、どうも・・・ ニ年生の頃でしょうか、下級生の入部もなく、先輩も部活動を卒業した、 ある、部活の日・・・ 大雨が降ってる中、部室に集まった私たちは、何故か、雨の中、練習を する事にしたのです! 雨の中の特訓って、感じで、熱く!熱く!私たちは青春を楽しんだの でした!!(私は、スポ根ものも、好きなのです。) 次の日、いつもの様に、部活に出たのです。 体操着は新しく乾いた物を、持って来ていたのでいいのですが、問題は 靴でした。昨日の今日なので、びしょびしょです。 皆、「いいよ、いいよ!」で、びしょ濡れの靴で、部活をやり終えて、 家路につきました。 足の裏が、何か変だなぁ~と、思ったのは、私だけだった様です。が、 なっ、なんとっ! 足の裏の皮が、結構厚めに(一枚とか言う程、薄くなかったので、あえて 書きたい)、かかとから土踏まずの先まで、ベロ~~~~ンと、一皮、 剥けたのです!ギョギョ~~!! おかげさまで、水虫にもならず、その後、もとに戻りました。 青春だなぁ~!!
2007年10月27日

私が、高校生の頃、やはり、インコが飛んで来たのです。 インコの声に敏感になっていた私は、家の中でも、その声を察知して、 玄関を飛び出したのです。思った通り、向かいの塀の向こう側の木の 上に、青いインコが止まっていたのです。 チッチッチッチッっと、口まねすると、”人が来たなぁ~”って、感じで、 でも、木の上なので、”絶対、安全!”って、思っている様でした。 鳥の目って、すごく視力がいい様で、目が合うんですよねぇ・・・ ちゃ~んと、見ていて、感心してしまうんですけど・・・ こいつ、絶対おなか空いているに違い無い、と、私は、家の中から餌を 器に入れて来て、それをインコに、見せてやったのです。 その時、この絵の瞬間です! インコは、目の色を変えて、餌に注目したのです。 その後、餌を揺らしながら「おいで、おいで・・・」と呼ぶと、なんと、 餌の入れ物まで、飛んで来たのです。 「うちで暮らすかい・・・」なんて、言いながら、玄関に入ろうとした 時、お隣の奥さんが、私の怪しい行動を見ていたので、一言二言、この インコについて、説明すると、「本当に~!」と、驚いていました。 このインコを最後に、鳥が逃げて飛んで来る事もなくなりました。 ビルが建ったり、飼っていた、ジュウシマツが減ったりしたせいかも 知れません。 このインコの名前も、覚えてないんですけど・・・
2007年10月24日

鳥を飼っていると、逃げた鳥が迷って、飛んで来る事が、よくありました。 アオちゃんは羽根も良くなって、飛べる様にもなっていたと、思います。 そんなある日、白いセキセイインコが飛んで来たのです。そのインコは、まだ、 少し若かった様です。名前をシロちゃんとつけました。(結構、安易!) シロちゃんは、昼間はアオちゃんの事を、つっついたりして、”新参者のくせに、 なんで、そんなことするの~!!”って、思っていました。でも、アオちゃんは、 どんなにつつかれても、反撃しないのです。 夜には二羽とも籠に入れて、上から、風呂敷をかけて寝かせていたのです。が、 朝、風呂敷をはいでみて、驚きました! 二羽でぴったりくっ付いて、どちらかと言うと、アオちゃんが、シロちゃんを、 あたためている感じなのです。 アオちゃんは、”親”に、なっていたのだなぁ・・・と、分かりました。 何年か後、アオちゃんはどこかへ逃げて行ってしまいました。サラバッ!!
2007年10月22日

小学生の頃、となりのお宅から、ジュウシマツのつがいを頂きました。 ジュウシマツはどんどん増えて、カゴは大きくなるし、数は増えるし、 なんだか、鳥のブリーダー(って、言うのかなぁ?)みたい・・・ その声のせいでしょうか、どこからか、逃げて来た鳥が、よ~く、うちに やって来ていたのでした。 一番はじめにやって来たのは、みどり色のセキセイインコだったのです。 インコは、どの様に捕まえられたか覚えてないのですが、このインコは、 羽根がちょっと故障していたようで、飛べなかったのです。 そのインコをアオと名付けて、家の中に、放し飼いにしていたのです。 アオは夜、寝るまで、家の中を、テケテケテケテケって、感じに、歩き 回っていたのです。 ある日、私はうつ伏せに寝転んで、本か何かを読んでいたのです。 ここからが、忌まわしい事件の始まりなのです。 ふくらはぎに、アオが乗ったのです。正確に言えば、アオが乗った、と、 思ったのです。 何の気無しに、ふくらはぎを見て、びっくりっ!! ぶっ飛んでしまいました! カサカサした爪の感じが、なんと、ゴキどんの、爪だったのです! ウオ~~!!
2007年10月21日
いつも、ご訪問ありがとうございます。 珍しく、仕事が忙しくなり、落ち着くまで、ブログは更新できないと 思います。家庭の経済には、うれしいことですが・・・ さぁ~てっ!がんばらにゃ!!(ちょっと、気合いを入れてみました。)
2007年10月15日

洪水の次の日の朝、台風一過でしょうか・・・いい天気でした。 道路も、すっかり水が引いて、水たまりはあるものの、歩くのには困らない 状態になっていました。 父と私は、近所の山の公園に出かけたのです。 何だか、全体的には、世の中がボロくなった、感じでした。 そんな中、おじさん達が、ちょっと深く残った水たまりなんかに入り込んで、 なにやらやっているのです。実は、魚を捕っていたのです。 確かに、川の側に何匹も、結構、大きな魚が打ち上げられていました。 おじさん同士で話などしているうちに、父も、魚捕りに参加して、あっ、と 言う間に魚を、捕って戻って来ました。 新聞紙を貰ったのだか、魚を新聞紙に包んで、家に持って帰りました。 その魚はタライに入れられ、夕方ぐらいまで、観賞魚として、その後は、多分 ”いけす”の魚に、変化したのだと思います。 きっと、その夜の、父の酒の肴になったに違いありません。
2007年10月13日

幼い頃のある日、夜に目が覚めた。 親はまだ起きていたところをみると、まだ、早い時間だったのでしょう。 私はトイレに行き、ついでに窓から外を、覗いて見たのです。台風が、 来ていた事は知っていたので、気になったのだと思います。 既に、雨は少なくなっていましたが、風はブォ~っと、吹いていました。 台風はそんなものでしょうが、驚いたことに、家の前が、川になって いたのです。街灯に照らされて、川が流れていたのです。 ”こっ、これが洪水だ~。”っと、納得しました。 ちょっと高い所に家が建っていたので、床下浸水もせずに済みましたが、 高くなっているコンクリートぎりぎりまで、水は増していました。 子どもながら、”ぎりぎりだ~。”っと、ハラハラした事を、覚えています。 次の日、その川は無くなっていました。
2007年10月12日

プラモデルが好き!な方、結構、いらっしゃいますよねぇ。(ねぇ~、 げこるさ~ん?) 兄がいた為、家には結構、プラモデルがありました。町のおもちゃ屋さん にも、プラモデルが並んでいましたよねぇ。 私は、特にプラモ好きな訳ではなかったので、数えるくらいしか、作った 事はありませんでした。そして、ある日・・・ 当時、可愛らしいメモ用紙だの、折り紙だの、女の子は、取り替えっこを、 しながらコレクション(?)するのが、はやってました。私も、そんな物 を買う為に、行きつけの小さなお店があったのです。 文房具屋なのか、おもちゃ屋なのか、駄菓子は売ってなかったですが・・・ そのお店で、扇風機のプラモデルを、発見したのです! 本物ぽっくって、すごく、良く出来ていました。いたく気に入って、早速、 買って帰りました。 生活物って、ところが、女の子には、惹かれるところだったかも。 作って、スイッチ入れると、本当に、動くんですよ~! 机の上に置いて、時々、風を浴びてたっけ・・・
2007年10月11日

小学校に入学した頃、学校の近所に”ち○切り魔”が出る!と、うわさが流れ ました。 血の付いた紙袋と包丁(あるいは、ハサミ)を持って、追っかけて来る、 らしいです。特別、子どもを狙う訳ではないが、追っかけられた子もいる、 と、言う話もありました。 女説もありました。(アベサダの印象かなぁ・・・) 今とは違って、変な事件も無いし、のんきだったのでしょう。 子ども達はパニックにもならず、どこかで、”で・ま・か・も?”って、 思っていたようです。 ちょっと前で言うところの、”口裂け女”に、似ている現象かも知れません。 真夏の日差しの中、こんなおじさんを想像して、恐怖したのでした。
2007年10月10日

子どもの頃から、水木しげるのファンなのです。 ファンと言っても、何でも知ってる訳じゃないので、モグリなのか なぁ・・・ 子どもの頃に、少年漫画雑誌で、妖怪を紹介する特集のページがあった のです。そこに、豆腐小僧が載っていました。 内容は・・・ 霧雨の中、竹やぶに、おぼんに豆腐をのせた小僧が立っているのです。 その豆腐を買って食べると、カビがはえて死んでしまうと言うのです。 その、記事の挿絵が、上記の下側の様な感じだった、気がするのです。 もうちょっと、道がのびて奥行きがあった様な気もするのですが・・・ しかし、今、豆腐小僧を調べてみても、だいたい上記の上側の様な、 挿絵が載っているのです。 あの、霧雨の中の豆腐小僧の挿絵は、水木さんのじゃないのかなぁ? 竹やぶの側を通る時、やっぱり、豆腐小僧をちょっと期待してしまう のは、あの、挿絵のせいなのです。
2007年10月09日

小学生の頃、家の裏の垣根で、オニグモを、発見しました。 大きなオニグモは、きちんと張られた、クモの巣の中央に、じっとして 動きませんでした。 兄と私は相談して、余りに大きいそのクモを、裏の畑に吹っ飛ばそうと 考えました。 兄は、竹ぼうきの柄の部分で、オニグモを畑の方に、引っ叩きました。 クモは垣根を越えて、畑の方に、飛んで行きました。 それから・・・1・2って、数えたくらいでしょうか?! 兄と私は、ひえ~~!!と、恐怖におののいたのです。 オニグモはきれいな放物線を描いて、私たちの頭上を越えて反対側へ、 飛んで行ったのです。 その後を、ふたりで追いかけて行って、兄は、果敢にも、ちょっかいを 出していたのです。 その時、「いて~!」っと、オニグモに?まれた兄は飛び退きました。 私たちは、すごすごと、その場を立ち去ったのでした。 覚えておこう・・・クモって、飛ぶんだ~!っと。
2007年10月08日

例の雹(?)が降って来た小学校の校門の側の花壇に、巨大なパイナッ プルが植わっていたのです。 子ども達は、そのパイナップルモドキを、”スパイナップル”と呼んでい ました。 ひょっとすると、そんな名前の看板があったかも?! 皆から愛されるスパイナップルは、いったい、何の木なのでしょうか? どうやら、ヤシや、ソテツなどの仲間の様ですが・・・ 太い!太すぎる!! 巨大なスパイナップルの側に、もうひとつ小振りのスパイナップルも ありました。が、ふたつとも、今でも、枯れずに残っているのでしょ うか? 花梨さんの息子さんのパイナップルや、にととらさんのソテツの話を 読む時、あの、巨大なスパイナップルが、思い出されるのです。 勿論、パイナップルを食べる時も・・・
2007年10月07日

兄が、3才の頃、階段から転がり落ちた事がありました。 母が見に行くと、”兄は笑っていた”と、度々、家族のお笑いぐさになって、 いたのです。 兄は、その時の事を、本当に景色もコロコロって感じで、でも、痛くは なかった、と、語るのです。 多分その時だと思うのですが、ハイハイの私は、「あっ」と思って、階段 のふちまで、見に行ったのを覚えています。下には、兄が座っていました。 そう言う記憶って、度々、聞いたり、話したりしてると、かなり小さな子 どもでも、残っていくんじゃないかなぁ、なんて、思うのです。
2007年10月06日

トトは拾われっ子の猫です。 子猫の頃から、頭をなぜていたのです。 私の側で、ちょんっ、と、おすわりしているので、通り際に、頭をなぜるの です。 相手は猫なので、喉側をなぜるのは、無条件に嬉しい様です。でも、分かっ ちゃいるけど、「犬として生きろ!」なんて、冗談言いながら、頭をなぜ続 けたのです。 すると、何やら頭なぜの信頼関係が生まれたのです。 例えば、誰かの布団に粗そうをした時、私は、プンプン言いながらシーツ なんかを取り替えて、洗濯機に持って行くのです。すると、トトはちょっと すまなそうに、ちょんっ、と座って、私の方を見ているのです。 習慣とは恐ろしいもので、頭にはきているのですが、ついついトトの頭を、 なぜてしまうのです。 なぜられたトトは、”いつものお母さんになったのね!”ってなもので、安心 して、去って行くのです。 私と言えば、なぜてるうちに、”こいつ、かわいいじゃん!”なんて、思っ ちゃうのです。 これって、すごく単純だけど、子育てに、イイ~!と、思ったのです。 何か、安心できる約束ごとがあると、お互い気分転換ができて、いいかも! トト、しっぽが短いので、猫又にはなれないでしょうが、長生きしてね。
2007年10月05日

私が幼稚園の頃、兄の通う小学校が、自宅から、目と鼻の先にありました。 歩いて、1分かかるかなぁ、と、思うくらい近かったのです。 ある夏の日、お昼からどしゃ降りの雨になりました。あんまり小学校が近い ので、私が兄に、傘を届けてあげる事になり(何故か、かって出たのですが ・・・)、どしゃ降りの中、いき揚々と、出かけたのでした。 小学校までは、なにせ近いので、楽に辿り着けたのですが、何と、兄のクラ スが、わかりませ~ん!! 仕方がないので、一回、家に帰ろうと、昇降口に立って外を見ると、そりゃ もう、バケツをひっくり返したっ、て言いますが、バケツどころじゃ無い! 風呂桶ひっくり返したみたいな、雨~!! そこら辺にいた人達も、ど~するかなぁって、感じで、立っていました。 私も同じく、ぼ~と、外をみつめていたのです。 その時!(歴史は動きませんが・・・) でっかいガラス窓の様な物が、降ってきたのです!!大きさが、ちょうど、 学校の窓ぐらいなのです。でも、窓枠などは無いのです。バリ~ンと割れた 後、少し小振りの、形のくずれた物も、幾つか、降って来たのです。 これって、氷?えっ、雹って、こんなに大きい?目を見張るばかりでした。 大きな雹は、降る事があるそうですが・・・ 何十年経っても、不思議だなぁ・・・と、思うのは、本当に、窓ガラスの様 に、四角かった事です。 兄の傘は、母があらためて届けに行きました、とさ。
2007年10月04日

描き溜まっていた漫画も、ほとんど、無くなりましたので、これからは、 な~にを載せればいいかなぁ?!なんて、ちょっと、考えています。 ぼちぼち、続けて行ければなぁ~、って、思ってますので、今後とも、 宜しくお願いしま~す!!
2007年10月03日

沖縄戦での、集団自決を日本軍が命令した、と言う高校の教科書の記述が、 もとに戻りそうです。本当に、よかったと思います。 やってしまった事を、忘れちゃいけません。すぐ、忘れちゃうんですから。 教科書の記述を無くそうとしたのも、国の意向でしょ・・・ いかにも、教科書出版社のせい、みたいな言い草は、しないでほしいです!
2007年10月02日

UFOのテレビ番組って、少なくなってますよねぇ。
2007年10月01日
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