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女に、恋愛を謳歌されることになってしまったらかなりヒク。恋愛を謳歌したとか、したい、という気持ちになったことは一度もない。付き合った女のことで覚えているのは、好きになってしまったときの苦しい状態だとか、付き合い始めて女が鬱陶しくてたまらないと思ったこととか、あるいは外でしたセックスだとかそういった強烈なストレスや刺激をともなった場面しか記憶には残っていない。付き合い始めたとして例えば、どこそこの遊園地でジェットコースターに乗った話だとか、とびきりの夜景が見られる新宿のスカイラウンジへ行ったこととか、狭い部屋のベッドから2メールしか離れていないキッチンで料理を作ってもらった記憶などはは完全になくなっている。記憶が完全になくなるということはまずありえないが、思い出さないということは思い出さなくてもいいことでもあるわけで、つまり女とのそういった「楽しい」とされる、全くストレスのない状態の記憶は、あまり重要なことではないということだ。自分が誰かを好きになって気持ちが一方的に恋愛状態になることはたまにあるけれども、恋愛状態というのは動悸したり精神状態が不安定になったりして苦しいだけだから早く抜け出したいとまず思う。抜け出すには相手の気持ちがこちら側に向いて、自分の好きな気持ちと相手の好きな気持ちのつまり収支のバランスがとれることが必要だけれども、いざ本当に向かれてしまうと男側の恋愛状態は解消されて急速にクールダウンしてしまう。恋愛という「契約」が成立した時点で、男の仕事は終わりなのだ。しかし女の仕事はどうやら、男女の契約が成立した時から始まるらしい。恋愛という契約が成立した後は、一緒にジェットコースターに乗りたいのも、一緒に映画を見に行きたいのもどちらかというと女のほうだし、おいしい料理を楽しみたのもコ洒落たバーも、旅行も買い物も夕飯もセックスも、レクを楽しみたがるのは全て女だ。つまりこれら恋愛を謳歌させるのは、女の仕事だということだ。契約後に映画に誘ったり、遊びに出かけたといったアプローチをする男もいるけれども、それはまだ完全に契約が成立していないか、巧妙な手口で女に、誘導されているかのどちらかか、あるいはストレスを感じない鈍い男なのかもしれない。自分の気持ちに忠実で、役割分担をきちんと把握してる男は決して、恋愛を謳歌しようとは思わない。男は、好きな女のリクエストに可能な限り応える、という借款の通り、契約を遂行するだけでよい。
2003.09.30
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疲れた男がセクシーかどうかという話をしているときに、疲れの象徴ともいえる無精ひげは女にとってどう見えるか、あるいは、わざとひげを生やしている男はどうなのか、というような話にもなった。オレが普段ひげを生やしていないがそのことに特別な理由はない。ひげ面で仕事をしても何も咎められないし、リーダーも生やしているから剃らなければならないプレッシャーは全くないが、仕事へ行くときは必ず剃るようにしている。たぶん、スーツに無精ひげは似合わないと思っているからだろう。「男の人のひげって、好きですね」おねいちゃんのその言葉を聞いてオレはすぐに、じゃあオレも来週から生やしてこようかな、ということを言った。「わーステキステキ、みたーい」とそのおねいちゃんが言ったかどうかはもう忘れたが、金曜から週末へと突入し、その間オレは一度もひげを剃らなかったわけだが、その状態で今日月曜、会社へ出かけた。オレとしては散髪したてのような気持ちで出社したのだが、誰にも注目されなかった。もっとも、散髪したてでも誰かに注目されるということはめったにない。木曜に「男の人のひげって、好きです」と言った彼女もオレのほうを見てくれなかった。いくつかの事務的な書類を提出し、いくつかの問題について打ち合わせをした後に、客先へ出かけた。客先には、キュートが銀行員がいる。彼女なら何か言ってくれるに違いなかった。「中村さん今日はお疲れですか?」オレが客先での作業を始めて2時間ぐらい経ったころキュートな銀行員はオレに向かってそういった。そんなに疲れた顔してますか?「はい、なんとなく、、」それよりも紺野さん、オレになにか、いいわすれてません?キュートな銀行員と話すときはオレはいつも敬語を使う。彼女は客だが友人としてもう敬語を使う必要のない関係であるともいえるが必ず敬語で話す。なれなれしく話したとしてたとえ本人が気にならないとしても、周囲が不快になるケースがある。客なのに敬語で話さないのはなにごとだ、ということになる。自分を貫いても何一ついいことがない場合に、自分を押し殺すという技術も少しは心得ている。「ひげのことですか?だからお疲れですね、ってものすごく遠巻きにいったんですけど、どうしてひげなんですか?」オレのひげの長さは今日月曜の時点でまだ1ミリもない。もともと濃いほうではないから、4日剃らなくても、無精ひげ程度にしか見えない。わずかに生えたひげは、疲れたような印象を他人に与えるようだ。キュートな銀行員は、疲れた男をセクシーだと思うのだろうか。「どうしてひげなんですか?おしえてください!」木曜に飲んだときに、ひげの男がステキかどうかという話になって、オレが試しに生やしてくることになったいきさつを話した。のきなみ評判は悪くないですよ。「わたしダメなんですヒゲ、キャ!」ダメだったらしい。しかしその後、「中村さんなら似合うかもです」というようなフォローを受けて嬉しくなったオレは、今週いっぱいは剃らないことを誓ったのだった。
2003.09.29
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MSブラスターというコンピューターウイルスが世間を騒がせたのは8月中頃。プロバイダ「としまネット」はこのウイルスの影響をもろに受け丸5日間接続が出来ない状態に陥りオレは激怒し「金返せ」という電話をしたが回答は未だこない。しかもこのとしまネット、自社HP障害報告の欄からあのトラブルに関する記述を全て削除している。全て無かったことにしようというわけだ。そうきたか。並行してオレは新しいプロバイダとしてYahooBBを選び、3ヶ月無料キャンペーン中を狙って契約していた。NTTによるADSLの工事が終了したのが先々週。Yahooのモデムが届いたのは先週。オレが重い腰を上げセットアップ作業にかかったのが今日。配置や接続や設定や動作確認を行ってようやく、快適な新しいインターネットサービスを受けられることになった。開梱や配置や接続といった作業も面倒だからあまり好きではないが、一番嫌いなのはソフト的なセットアップだ。テレビや電話機は買ってきて開梱して接続すれば繋がるし、ほどんどノータッチでもなんのトラブルも起こらない。ところがパソコンはというと必ずソフトのインストールや設定の作業が必要だ。うまく繋がらないのは設定の仕方が悪いとか、最悪の場合ハード同士の相性が悪いという理由で片付けられてしまう。サービスが行き届いていないということだし、製品としてまだ熟成していない証拠でもある。繋げただけで繋がるようになってほしい。とはいえ、最近の接続トラブルや無線LAN導入でオレはすっかりLANハカセになってしまっていて、有線のモデムに非公認の無線ルーターを接続するといったわけのわからない作業を1時間程度でこなしてしまった。なんとなくスキルアップしている。池袋のビックカメラでシャープのMURAMASAというパソコンを買ったときのポイントが14000円ぐらい残っていて何か買おうと思ったときに浮かんだのがCDプレイヤーだった。CDラジカセはカセット部分が必要ない。ラジオは既に持っている、とすればCDだけ聴ける機能があればいい。ところがビックカメラに並んでいるオーディオ製品は、ポータブルCDプレイヤーよりもCDラジカセや、ラジオ付CDプレイヤーのほうが安かった。機能が限定されれば安くなるというわけではないらしい。しかしオレが必要なのは、小型なCDプレイヤーだけだった。結局選んだのは取り外してCDウォークマンとして持ち歩ける機能も備わっている機種。今のところ音楽を外に持ち出す予定は全くない。ただのCDプレイヤーとしてしか使うつもりはないが、持ち運べる可能性も同時に買った。MURAMASAと、コンセプトは一緒である。あと欲しいと思っているのが、電話機。親機がコードレスで、子機がないタイプのやつだ。留守電もFAX機能も必要なくて、ただあのぐるぐる巻きの電話機と受話器を繋ぐ線だけがない、携帯電話のような家の電話だ。製品情報求む。
2003.09.28
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ひとこといわせてもらってもいいだろうか。オレの余計な一言が災いしてトラブルに発展したりすることがごくたまにあるけれども、言いたいことを言わずに済ますということが出来ない体質なので仕方がない。知的障害者だからとはいえ電車の中でスキップしたり、大きく前後に揺れたりする行為は迷惑だ。しかし他の乗客たちはわけのわかならない歌を歌いながら揺れたり跳ねたりしている知的障害者を完全に無視する。オレは相手が障害者だろうが友人だろうが恋人だろうが誰だろうが、思ったことを言葉や表情や態度で伝えられる人になりたいと思っている。ひとこといわせてもらってもいいだろうか。この「何々してもらってもいい?」という言葉が嫌いだ。この言葉には一応、要求を断れる選択肢も用意されているが、へりくだった保身的な言い方で、「NO」の選択を出来ないようにしてしまっている。断ったら、断ったほうが悪人になってしまう。命令する側は、命令することで生ずる関係の不和とかそういったリスクを放棄していることになる。言いたいことがあるなら自分の言葉から発生するかもしれない誤解やトラブルといった全てのリスクを請け負うべきだと思っている。下手な前置きはただ醜いだけだ。ひとこといわせてもらってもいいだろうか。今度のコラボ日記のテーマが「恋愛謳歌」に決まったが、しかし「謳歌」て。謳歌て、あの、ダサくないすか。仕方がないからオレも「恋愛謳歌」というタイトルの日記を10/1に書くけれども、最近あまり聞かない「謳歌」という言葉の意味をインフォシークの辞書で調べてみたところ、【(1)多くの人が声をそろえてほめたたえること。喜びなどを言動にはっきり表すこと。 「青春を―する」】というようなことが書いてあった。つまり喜びを表現しなければならない。ちなみにオレの好きな映画の中に「男たちの挽歌」があるけれども、挽歌の意味は「人の死を悼む詩歌。挽詩。哀悼(あいとう)歌。」といった意味があるらしい。【恋愛】男女が恋い慕うこと。また、その感情。ラブ。〔love の訳語〕昨日の夜、久しぶりにフランスとチャットしたんだけれどもその時に彼が「風俗あがりのアムウェイ女と温泉いったくせに!!」ということをオレに言った。「庭の湯」というタイトルの日記を読んでそのことを言っているのだとオレはすぐにわかった。あの日記に関して突っ込まれたのは初めてだった。書いた当初はかなりな反響を期待していたのだけれども、書いたことも忘れてしまうぐらいの時間が経ったころに、ようやくというか案の定というかフランスから突っ込まれた。「あの話はな、ウソなんだよ。」オレは言った。フランスは一瞬戸惑ったような気がした。してやったり。オレはそう思った。「庭の湯」という日記で書いたことは確かにウソだ。その温泉に行ったのは事実だが一緒に行ったのは嫁だ。ただ、嫁と温泉に行ったという話を書いても面白くもなんともないから、アレンジしてみたくなった。ウソを、書いてみたくなった。ただ、オレがウソを書きたい気持ちだったことと、あの日記で書いたシーンがアタマの中にあったということ、これは事実だ。
2003.09.27
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このところ仕事が忙しくなっていて、「中村さん最近お疲れですね」なんてことを言われて喜んでいる。先週ぐらいから気温が急に下がってすっかり秋らしい気候になってきたこともあり、夏の間は少しカジュアル気味だった仕事着は、ダークな色の背広に変わった。「シャツ、白いですね」と言われて、照れくさそうに「そう?まぶしい?」などと返して悪い気はしない。普段白くないシャツばかり着ているとよく「どうしたの今日はシャツ白いじゃない」というようなことをよく言われるが、カラーシャツしか着ないように見せておいてたまに白を入れることに、「白」という色を際立たせるという効果があるということをオレは知っているからつまり作戦通りということだ。「サイトウさんが徹夜明けで無精ひげ生やして疲れた顔でしょぼしょぼの目になってるとき、好きかも」という女がいる。この場合サイトウさんが誰であるのかということはどうでもよくて、疲れたサイトウさんのことが好きなこの女もどうでもいい。疲れた中村さんが好きだと言ってくれるならどうでもよくないが、他の男を好きだとオレの目の前でいう女にオレはあまり興味がない。この女のこのセリフで最も重要なのところは、一般的に女は、例えば「仕事で疲れた男」がセクシーだと思うかどうかという点だが、オレは男だから永遠にその回答はわからないままだろう。スピードを必要とし、極度の緊張や集中を繰り返すような仕事をして、中途半端に疲れた日、今日の疲れを癒したいという気持ちにはまずならない。酒を飲んで大騒ぎしてもっと疲れたい。最終的に女を抱いて射精して、視界が白くなるのと同時に眠りに就きたいと思うがそう巧くはいかない。疲れた男ほど射精したがるその動機は、種の保存という本能的なところにある。明日また危険な狩猟に出かけなくてはならない。いつ死ぬともわからない。だが男にとっては、自身の安全確保よりも、血族の未来のほうが重要だ。だから命を賭けて家族のための食料を捕獲しに出かけ、疲労して帰ってくる。極度の疲労によって「死」のイメージが明確になる。このまま眠ったら死んでしまうかもしれない。この世に生を受けた証を残しておきたい。血は脈々と受け継がれる。射精したい。大昔から女は、そういった疲れた男の欲情を受け止めてきたのかも知れない。「仕事で疲れた男」が好きだという女の気持ちは、案外そういうところから来ているのかもしれない。
2003.09.26
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社内にいるのと客先にいるのとでは、ものすごくスピード感が違う。今日は客先で仕事をするフェーズだった。キュートな銀行員には新しい彼氏ができてしまい、週末飲みに誘ってもつれない返事が返ってくるだけになってしまったが、たとえキュートな女がいなくても、客先だと仕事がはかどる。キュートな彼女は今日は名古屋で研修があっていなかった。昨夜8時半の新幹線に乗って研修だか遊びだかのために出かけたあとに、「なんとか間に合って、お茶とおべんとうは買えました。でもおやつはかえませんでした、初めてののぞみ号、わくわくです」というようなメールが来た。そのときオレはちょうどシステムのトラブルに対応していて、キュートな女にメールの返事を書くことよりも、トラブルを解決することを最優先にしていた。つまりオレは、キュートな女がいなくても、はりきって仕事をしているというということを証明したわけだった。客と同じフロアにいるというほどよい緊張感が仕事をはかどらせる原因かもしれかなった。確かに自社にいるとすぐにコーヒーを飲みたくなるし、誰かが帰り出すともう仕事をしていたくなくなる。ところが客先のフロアは午後8時を過ぎても半数以上は残って仕事をしているから帰ろうという気はあまりおこらない。ただ、いい時間に仕事を切り上げて、少しだけ酒を飲んで帰りたいという欲求は普段の3倍ぐらいになる。今日はおねいちゃん2人連れて飲んで帰ってきた。男がオレひとりで、おねいちゃんが2人だから、一見モテモテな構図ではあるが実はそれほど嬉しくはない。1対1のデートならうんと距離感は狭まるし、男女比6対4ぐらいの大人数だとしてもピンポイントを把握すればごく近しい輪の中でこみいった話もできる。ところが3人ぐらいだと非常に微妙だ。どちらかにかたよらないように気を使い、常に3人としての調和をはからなければならない。女のコの一人が、警察官になりたかった、むしろ今もそういう夢を捨てきれていない、という話をしはじめた。毎年試験を受けていて、ことごとく落ちているらしいがそれは、女性警官の雇用があまりにも少ないからだという。婦警さんなんかいっぱいみるけどね、というとどちらかの女が「今は婦警っていっちゃいけないらしいんだよね」といった。そこから最近のフェミニズムの理想と現実の話になったところでオレは「看護婦っていってもいけないらしいよね、でも看護婦でいいじゃん、オレ男の看護婦なんてやだよ」といった。「看護婦っていっちゃいけなくなってるのは、女性蔑視とかそういうのもあるかもしれないけど、男の人がそういった職業に就きたい場合に、女性だけの呼称しかない職場だといけないから、女性的な呼び方をやめようってことになったって話もあるんだよね」冗談じゃない。少なくともオレには男の看護婦は必要ないし、客室乗務員も必ず女であるべきだ。保育園児は保育士ではなく保母さんに育てられるべきだし、ヤクルトを運ぶのはヤクルトのおばさんでなくてはならない。酒を飲みながらそういったことを力説していたが、「イメクラの話じゃなくてね」と軌道修正されてしまった。女の人に男が憧れる気持ちを語っていたのかそうじゃなかったのかよくわからなくなって、オレはイメージの中で2人の女にそれぞれ婦警と女子高生の服を着せて酒を飲んだ。
2003.09.25
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ピンポンがテレビで放映されると知って非常に楽しみにしたが反面、ちょっと早すぎるんじゃないか、とも思った。レンタルビデオを借りて初めて観て感激し、ビデオを返すついでにDVDを買ってきてしまった。DVDでは特典映像を見ただけだから本編は一度も見ていない。だから今般テレビで放送されるのを見ると通算2回目の鑑賞となるが「ピンポン」は、オレが最も好きな映画の一つといっていい。好きな映画はいくつかあるけれども、オレは好きな映画だからといって何度も何度も見たりはしない。好きな映画は、1度見ただけでアタマの中にいつまでも残るから、それほど何度も見なくていい。何度も見ることで逆に色褪せてしまうような気がする。だからピンポンがテレビで流されると知っても、あまり見たいとは思わなかった。オレのアタマの中にある映像をトレースするだけの時間が、もったいないからだ。ところが「火曜特別ロードショー」として始まったピンポンにオレは釘付けになってしまった。ストーリーを追う必要のない2回目のピンポンはものすごくリラックスして見ることができた。どういうわけか3回ぐらい涙をこらえなければならなかった。最初に見たときには、それほど感動しなかったシーンでも、なぜか2回目なのに、2回目のほうがより感動できたりした。今年の冬あたり、レンタルで借りて見たピンポンを絶賛するコメントをオレはどこかの掲示板に掲載したが、オレのコメントを見たコビックがいうには、それほど面白くなかったらしい。確かにそういう意見もあるだろう。かたやmimiはというと、「今まで見た中で一番好きな映画かも」とまで絶賛した。今までどんな映画をmimiが見てきたのかは知らないけれども、数はこなしているmimiがそこまで絶賛する理由が、オレもこのテレビ放映版を見てわかったような気がする。しかしmimiは原作のマンガを知らないという。それほど好きなら、一度は読むべきだと薦めたことがあるけれども、果たして読んだかどうかはわからない。松本大洋は、オレが一番好きなマンガ家かもしれない。
2003.09.24
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月曜仕事を休んで4連休にしたのにあまり充実した休日ではなかった。「充実した休日」というのは一般的に、家族で旅行へ出かけてみたり、仲間とキャンプを楽しんでみたり、何かのイベントに参加したりすることをいうが、それはメディアに刷り込まれた幻想であって、楽しいことは本当はどんなことかを自分で考えられないような人間がただ与えられた情報を頼りに出かけてみて、疲れて帰ってきてなんとなく充実した気になっているのが「充実した休日」の定義で、その定義にのっとってオレは、雲取山という東京都で一番高い山に登ろうかそれとも、秩父の低山をトレッキングしようかどうしようか悩んで、山小屋やコテージを探していたのだけれども、どういうわけか台風が来るといった情報もキャッチし、この週末に山は危険だという結論に達し、やむを得ずどこにも行かないことに決めた。どこにも行かないとはいえ、どこにも出かけたくないというわけでもなく、かといって池袋のデパートの人ごみの一人つまりゴミとしてゴミの中にはまぎれたくなくて、そういえばなぜごみはゴミとカタカナで書くのだろうという日本語研究の授業を受けているmimiのことを思い出したがメールしてもしばらく返信がなかったことなどから、近場の公園にでも出かけて散歩することに決めた23日の朝だった。オレはとかく休日の朝から酒を飲んでいると思われそうな人種だが実際はそうではない。朝まだ胃の具合が整わないのは昨日の酒が残っているからであり、胃の中で暴れている昨日の酒は朝食を摂ることで鎮まるけれども、血の巡りの悪さから感じる昨日の酒は、デイライトを浴びたり運動したりして体温を上昇させないことには体から蒸発していってはくれない。昨日の酒をうまく蒸発させてからカラカラに体をしておくと今日のビールが非常に美味い。つまり今日のビールのために昨日の酒を抜き、昨日の酒を抜くために、外にでかける。石神井公園へいってきた。井の頭公園でも上野公園でもなんでもよかったが、たまたま近くにあるのが石神井公園だった。大泉学園駅には大泉学園という学校は存在しないが、石神井公園駅の近くには、ちゃんと石神井公園という名の公園があった。都立石神井公園には鎌倉時代、石神井城という城があったらしい。関東の豪族、豊島氏の居城だったそうだ。144X年、太田道灌か誰かから攻め落とされて豊島氏は滅亡したらしい。豊島区の豊島は、この豊島氏からきている。石神井公園が豊島氏の居城だったということと、濁った池でボートを漕いだ以外は特に珍しいものはなかったといえる。ただ、汚い年寄りが集まって、広場で30人ぐらいで、酒を飲みながら将棋を楽しんでるのを見てものすごくうらやましくなった。この汚い年寄り達は、時間を一切気にしてないように思えた。オレもこんなような汚い年寄りになりたいと思った。
2003.09.23
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「ちょっと見てなにこれひどくない?」ジャグジーの強力なジェット噴射にあたりながら、円形のプールの端のところでぷかぷかと水に浮いているとミカが現れた。彼女が「酷くない?」といってオレに見せたものはレンタルの水着だった。紺のワンピーススーツのような形をしたレンタル水着は足の部分が膝の上まであって太ももを全部覆ってしまっていた。レスリング部って感じだね。「ね、こんなの着せられるぐらいなら水着持ってくるんだった」紺色のボディスーツから生えているミカの胸元や肩や細い腕は少し陽に焼けていて、メイクを落とした顔の口唇の色は地肌と同じぐらいだった。寒そうにしながら階段と手すりを使ってプールの中に入ってきたミカはオレの隣にならぶようにしてジャグジーのジェット噴射にあたり始めた。思ってたより狭いね。「そうだね、でも内湯のほうにもサウナとかいろいろあったよ、あ、あそこになんか面白そうなお風呂あるよ、いってみようか」他の客はほとんどが水着を持参してきていたが、若くて派手でグラマラスなおねいちゃんは一人もおらず、視覚的にそれほど楽しくはなかった。ミストサウナは全く暑くならず、死海と同じ塩分濃度の浴槽は確かに浮遊感を味わえたが、傷口に塩がしみて5分も浸かっていられなかった。プール中央に小さい円形の浴槽のぬるま湯の風呂に戻ってきてしばらく浸かっているとさすがに飽きてきて、そろそろ上がりたい旨を告げると、「中村さんてさ、仕事なにしてるんだっけ?」とミカは言った。彼女の中で、ようやく本題を話すタイミングになったらしかった。コンピュータ関係の。前も言わなかったっけ?「きいたかも。今の仕事は気に入ってる?」気に入ってるってわけじゃないけど、仕事だからね、気に入る気に入らないとかじゃなくて、生活するために仕事してるわけでね。「あのね、横浜にある会社の社長さんと仲良くしてるんだけど、今彼の下で働いててね、あとで名刺も見せてあげるね、で、その社長っていう人がね、とてもいい人なの、仕事も出来るしね、社長なんだから当然か、彼の会社いまものすごく軌道に乗っててね、この不景気の中よ?すごくない?そんでね、もっと人が欲しいわけなの、もう全然人が足りない状態?それも、ただのバイト君とかじゃダメなわけ、だから中村さんに声かけてみたの、中村さんなら信頼できると思ったの、すごいでしょ、だからね、一緒にどうかな、と思って、どう中村さん」そういった仕事がらみの話になることは薄々気がついていたし、誘われて嫌な気持ちも起こらないけれども、この手の話には一切興味がなかった。こういった誘い方をされて、先物商品を買わせられそうになったこともあるし、ネットワークビジネスと称したねずみ講まがいの仕事を紹介するセミナーに参加させられたこともある。それにこれがたとえまともな仕事だったとしても、オレがどんな仕事を今しているのか知らない女に、オレの信頼性が計れるわけがない。しかしオレはミカに、へえ面白そうだねどんな仕事?と話の先を促すようなことをいってしまった。疎遠になっていたミカから急に連絡がきて会うことになった。2人きりで会うのは初めてのことかもしれなかった。ミカとセックスできるかもしれないと思った。仕事へ誘うミカの話し方は非常にいかがわしく、オレは警戒したが、ミカとセックスできるかもしれないという希望は捨てきれずにいた。ここでミカの話を全て断ることで、希望が閉ざされるかもしれないと思った。ミカは裸同然の姿でオレの隣にいる。自前の水着を着てもっと肌を露出させたいとも彼女は言っていた。ミカの話に興味があるような振りをして、どんな仕事?とは言ったが、オレが興味があるのはつまらない仕事の話ではなく、ミカの体だった。「お店がもうすぐ終わるからさ、そしたら飲みにいこうよ」神楽坂のグリーングラスという名前のキャバクラで遊んでいて深夜になったとき、店の中にはオレとオレの同僚とミカの3人ぐらいしかいなくなっていた。ミカに連れられて御徒町のホストクラブへ行った。サラリーマンのような格好をしているオレとオレの同僚は居心地悪そうにホストと、景気不況や経済の先行き不透明感について笑いながら話した。カウンターにはミカと同じ店で働いているリョウがいてすでに泥酔していた。オレと同僚とミカは閉店間際に店を出てラブホテルで寝ることにした。1.5倍の料金を徴収したラブホテルの受付のおばちゃんはニヤニヤしながら「ごゆっくり」といった。同僚が先にシャワーを浴びている間に、オレは服を着たままミカとセックスした。酔っていたが、かなり急いだため、同僚がシャワーから出てくるのに間に合った。「ねえ木戸さんも誘ってみようと思うんだど」プールから出て内湯に浸かった後、パジャマのような浴衣に着替えて2階ラウンジでビールを飲んでいたとき、ミカが濡れた髪のままで現れてオレにそういった。御徒町のラブホテルでミカと3人で泊まったときの同僚が木戸だった。ミカが「木戸さんも」といったということは、オレはミカの中ではすでにミカの傘下に組み布かれているということだ。早く逃れる手段を考えないと、面倒なことになるかもしれない。しかしまだミカの体を諦めきれていない。オレは複雑そうな顔をしてミカの話を聞くふりをしていながら、そのほとんどをスルーした。最初から受けるつもりのない話を聞きながら、ちょっと今の話だと無理、などといって、残念ながら条件が合わないような苦い顔をしてみせたりした。それでもミカはオレを執拗に勧誘した。オレはもうこの場を立ち去りたくなってきていた。これからどうするの?聞いた。「ちょっと5時からまたね、人と会う約束があるの」潮時だった。5時まであと3時間以上あるとはいえ、もうこの女と一緒にいるのはうんざりだった。考えてみるよ、とかそんなようなことを言ってミカと別れた。
2003.09.22
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首から吊るした長いストラップの先にぶら下がっているオレンジ色の携帯電話で誰かと話しながら近づいてきた女はオレのすぐ近くまで来ても電話を止めようとはしなかった。土曜から振り続いている雨は日曜になっても止まず、仕方なくオレは傘を指して日曜の朝のわりと早い時間に池袋へ着いて彼女が来るのを待っていた。「なにその帽子アヤシイよ」ミカはケータイを折りたたんで、オレが被っていた黒い帽子を指して笑った。黒っぽいジーンズと複雑な網目のスニーカーを履き、白いナイロン地のスポーティーな服を着ていたのは、雨が降っていたからだろうとオレは思った。「今日時間だいじょうぶ?」ああまあ大丈夫といえば大丈夫。曖昧な返事をするとミカは、「じゃあさ、ちょっと温泉いこうよ」といってオレを驚かせた。どこの温泉?「最近新しく出来てるじゃない、しらないの?お台場にもあるし、後楽園とか、としま園にもあるよ、どこがいい?」お台場じゃなきゃどこでもいいよ。「じゃあとしま園にしよう、わたしその近くに住んでるんだけど、まだ行ったことないのよね」新宿の風俗店で知り合ったときミカはルナという名前だった。当時19だといっていたから、それが歳が本当だったとしたら今彼女は23とか4とかになっているはずだ。彼女が勤務していた風俗店でオレは一度しか遊んだことはない。カーテンで仕切られた暗い部屋の緑色のソファに座って文庫本を読みながら女の子が来るのを待っていたが少しも緊張しなかった。酒に酔っていたからだ。やがてカーテンが開いて現れた女の子はバスタオルを巻いただけのような短い丈のワンピースを着ていて、水割りか何かが入っている小さなグラスをテーブルに置いた。「こんばんは、あれ、本読んでるんだ、暗いけど大丈夫?なに読んでるの?」表紙を一枚めくり、タイトルを女の子に見せた。「愛と幻想のファシズム?へえなんか難しそうだね、わたしバカだからさ、本とか全然読まないんだ、バカっぽそうでしょう?」そんなことないよ?「いやホントに、あ、でね、コスプレできるんだけど、なにがいい?セーラー服とかナースとか、OLなんかもあるし、なんでもいって、着替えてくるから。」いや別にそのままでもいいよ。「ほんとラッキー!あと、オプションでいろんなコースあるんだけど、どれにしようか」プレイが終わった後に交換した携帯番号がきっかけでオレはミカと繋がりを持つようになった。繋がりを持つといっても店の外で会ってタダでプレイさせてもらうとかそういうことではなかった。例えばミカはある程度の金を貯めて新宿の風俗店を辞めたが、その後すぐに神楽坂のキャバクラに勤め始めた。オレはミカからの電話を受けて、ミカの客として店に呼ばた。ミカは射精をともなわないサービスをオレにし、ミカの指名料やミカの飲み物や食事の代金をオレが支払った。そういった関係だった。半年だか何ヶ月だかしないうちにミカが勤めていたキャバクラはつぶれてしまった。その後、ある会社の、信頼できる社長に気に入られた、という話を、ケータイメールのアドレス変更の知らせと同時に聞いたきりになっていた。西武池袋線豊島園駅は雨でグレイがかっていた。朝の10時とか11時とかそれぐらいの時間であるにもかかわらず、夕方のようなせつない色をしていた。長いストラップをじゃらじゃらさせたミカは先を急ぎオレを先導するようにして「庭の湯」へ向かっていった。なにか話あるんじゃなかったのかよ。電車の中でオレがそういったことを聞いてもミカは、「まあいいじゃない、お風呂つかりながらゆっくりはなそうよ」といって本題を話そうとはしなかった。1週間ほど前にミカから電話で、ちょっと仕事のことで相談したいから会えないか、という話を受けた。彼女は今、前に気に入られたという社長の元で仕事をしているらしかった。電話の感じでは、なんとなく多くの人材を確保したがっているという感じをオレは彼女から受けた。「庭の湯」は、水着が必要な混浴スペースと、男女別の内風呂に分かれている。水着を借りてロッカーキーを貰いうけ、更衣室の手前でミカは、「じゃとりあえずここで待ち合わせということで」といって女性用の更衣室へ向かっていった。フロントのあるロビーからは、円形の混浴スペースが一望できるようになっていて、午前中だったためか客はまばらだった。オレもタオルや水着や部屋着などが入った手提げ袋を持って男性用の更衣室へ入って水着に着替え、プールのように巨大な浴槽がある円形のスペースに入った。円の北側半分はフロントがあるエントランスホールに面していて、エントランスの2階のレストランからもこのプールが一望できるような造りになっていた。反対の南側には新緑の人工的な庭園があり、周辺からの視界は閉ざされていた。2時と8時の方向にはライフセーバーが男女一人ずつ配置されており、安全対策には余念がなかった。水着を着けているとはいえ裸になっているオレは、他の客やライフセーバーなどにじろじろ見られているような気になって恥ずかしくなり、プールの中へ入りこんで、泡風呂になっている場所でしばらくじっとしていた。
2003.09.21
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確かに今2003年だけれども、これが2004年でも別にかまわないし、たとえ今が2017年ぐらいだといわれても特に驚かない。199何年とかの表示を見るともう大昔のような感じがするし、2000年にミレニアムだとして騒いでいたことも、2001年が21世紀の始まりの年であったことを口にするのはもうダサいことだし、2002年に開かれて大盛り上がりしたあの日韓共催W杯を語ることさえ、なんとなく恥ずかしい。確かに今2003年だれけれども、2005年とかになったらこの2003年に起こった出来事なんかきっと色あせてしまっているに違いない。とはいえ、時の経つのは速いものだなんて、しみじみ思っているかというとそうでもない。起きていたいという気があまりしない。夜も12時を過ぎたぐらいになるともう眠くなって、起きていようとすると落ち着かなくなり、感じるストレスに耐え切れなくなり、まよわずベッドの中に入ろうとする。そのかわり朝の目覚めはよい。午前中の遅い時間まで寝ようとする欲求はあるにはあるが、怠惰とか不摂生とかいう罪の意識も同時にあって、なんとなく起きてみようかということになる。体内時計が正常に機能している。この時計、膝の裏側にあるらしい。金曜まで暑い日が続いていたかと思ったら、土曜からいきなり雨が降り始めて気温が下がった。テレビを点けてみたら台風が迫っているらしかった。どうしても買い物をしなければならなかったため出かけることにしたが、傘を指して歩いて駅まで行って、電車を乗り継ぐことを想像したらとても嫌な気持ちになった。なぜ雨が降ったら傘を指さなきゃいけないのかよくわからない。濡れてもいいじゃないかと思い、それなら徒歩より自転車のほうが効率的だからということで、雨の中自転車で出かけた。買い物を済ませて店を出ると、雨はものすごい勢いになっていて、半そでに短パンだったため、濡れた身体は芯まで冷えてしまった。仕方がなくコンビニでカッパを買い、ユニクロで帽子を買った。それでも、ずぶぬれになってしまった。つなみ嬢と電話で話した。なんだか彼氏とトラブっているらしい。オレは適切なアドバイスを下していったが、彼女は全く聞いていなかった。アドバイスを求めるためにオレに電話してきたわけではなかったようだった。ただ彼女の話をきいているだけでは芸がないので、女はファッションで性格がわかる、というような他愛のない話をした。そういった話の流れで、翌日がつなみ嬢の誕生日だという情報をキャッチした。贈り物は、今夜中には届くだろうか。カラコとこすりつけと練りからしがいるところに呼ばれて、4人でチャットをした後にこれを書いている。他の3人は1時半とか2時とかにもう寝てしまった。「Catch me If you can」というタイトルの映画の邦題を考えたりしていた。今はもう3時になろうとしている。もちろん深夜だ。今気分はものすごくニュートラルで、日記に書くことはもう無くなってきた、ということを彼らに告げた。気分がニュートラルというのは、怒りとか感激とかがあまりなく、誰かに何かを伝えたいという意欲も、欲求やストレスを解消するために書き殴りたいという勢いもないということだ。ただしこの状態がずっと続くというわけではなく、今がたまたまそういった時期だということだ。自分のために書いているのだから、こういった説明は必要はないのだけれども、気持ちの推移を記録しておくのも重要だ。温泉へ行った。としまえんの隣にある「庭の湯」という日帰りのスパリゾートだ。温泉に浸かって、なんとなくリフレッシュしたような気持ちになって帰ってきた。としまえんは、豊島区ではなく練馬区にある。
2003.09.20
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戦国時代の話が好きだ。なんとかの合戦で何万もの軍勢が激突したとかいう戦闘シーンや、あの合戦で我が軍が勝利できたは何某という部将がいたからだなどといった英雄伝説が好きだ。最近はマンガで「三国志」を読んでいる。でもオレは中国人ではなく日本人だから、中国の文化や中国人の思想はよくわからない。マンガの三国志を読んで思うのは、やっぱりどこの国にも英雄伝説はあって、娯楽として機能しているんだろうな、というようなことだけだ。三国志では、チョウヒがたった一騎で100万の曹操軍を蹴散らしたなんてことが描かれているが、そんなわけがない。関ヶ原では、総勢20万の軍勢が激突し東軍が勝利を収めたわけだけれども、物語で描かれているのは、部隊の指揮司令官である戦国部将だけだ。こういった歴史戦国娯楽作品を読んでいつも思うのは、戦闘に何度もかりだされては、最終的に「何万もの死体」として数えられる運命しか持たない一般の兵士の気持ちだ。今読んでる三国志は、誰かが一閃したナギナタで、3~5名の一般兵士が死ぬ。顔や身体が2つに裂けて死ぬ。しかも英雄たちは、いつも軍団の先頭で戦場に現れる。それなのに英雄は死なない。そんなわけがない。なんだか話がそれたけれども、とにかく戦国物語では、何万もの兵士がころころと死んでゆくし、その死はほとんど描写されず、「大谷勢数千は小早川勢の猛攻により壊滅した」のように、1行で千人単位で殺されるケースが多い。とはいえ歴史的に死んでいった戦場の兵士を可愛そうだと思う気持ちはあまりなく、ただ好奇心というか、どんな気持ちで軍隊に参加し、どんな気持ちで戦って、そして散っていったのか、そういったことにものすごく興味がある。そしてそういった例えば「非業の死」を兵士たちが遂げていたとして、それらをひたかくしにして描かれる英雄伝説が語りたい本意とか、それを読んで大喜びしているオレはどうしたものかとか、そんなようなことを思って少しセンチメンタルになっている秋の夜長、みなさまはいかがおすごしか。
2003.09.19
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暑い日が続いている。体調は割といいほうだ。しかしなんとなく、気が晴れない。もやもやもやもやした感じが、3日ぐらい前から続いている。多分京都の日記を書き終えた日から、気持ちに張りがなくなった。華やかなりし京都の祭りのことを書いている間中、アタマの中は京都一色だった。普段通りの生活を送っていても、想像によってオレはまだ京都にいることになっていた。想像と現実の境目があいまいなうちにオレは実は東京にいることになっていて、それに気づいたのがつい3日ほど前のことだったというわけだ。仲間は皆それぞれ独自の道を歩いている。オレだけ取り残されているみたいでかなり寂しい。寂しいが、月曜仕事を休むことにして、この飛び石を4連休にした。果たしてこの休みで、リフレッシュできるかどうか。先週の土日は、近所で夏祭りが行われていた。祭囃子で目が覚めて、出かけると、御輿担ぎの行列で道をふさがれた。公園でははっぴやらハチマキやらの祭り装束の男女がビニールシートに座って酒を飲んだりしていた。駅前通りには屋台がいくつも並んでいて、どこから湧いてくるのか通りは人で埋め尽くされていた。毎年この祭りには、呼ばれていないが出かけることにしている。そしてビールを飲みながら輪投げや金魚すくいなどを楽しんで、ヤキソバやお好み焼きなどを買って帰る。祭りが楽しいわけでも、屋台のヤキソバを食べたいというわけでもなく、ただ祭りの雰囲気を味わうために、300円払って金魚すくいをしたり、亀すくいをしたりする。今年獲得した2匹の金魚は、鉢に移し替えて2時間もしないうちに死んでしまった。調べてみると、空気ポンプがないと金魚はすぐに死ぬらしい。少し悲しくなった。その祭りへ出かける途中、YahooBBのキャンペーンをやっていて、申し込んだ。としまネットとのトラブルがあって以来、新しいプロバイダを探していたが、3ヶ月無料で使えるらしいから即座に決めた。オレを接客したおにいちゃんは、明和電気に似ていた。ファミコンは、パックマンとゼビウス以外、ほとんどやっていない。ファミコンは、2人以上でなければ面白くないということに気づいた。子どものころは、弟や友達と得点を競いあっていた。大人になってから、ファミコンを競う相手を探すのはなかなか難しい。なんだか寂しい。楽天に、オフ企画はないのかな。コラボ企画の次はやっぱり、オフが来るべきなんじゃないのかな。
2003.09.18
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先週の土曜にリビングに置く新しい棚が届いた。するとオレのノートパソコンを置くための自作のラックを置く場所がなくなった。そのため、軽量でコンパクトな新しいノートパソコンを早急に買わなければならなかった。本来先月に買う予定でいたのだが急きょ、京都に旅行することになったため購入を先送りしていたのだった。時を同じくして、オレの財布に新しい画期的なシステムが導入された。かねてより申し込んでおいた「クレジットカード」が、厳正な審査を経てようやく手元に届いたのだ。銀行のキャッシュカードに、クレジット機能がついた2ウェイ方式のカードである。左から挿すとキャッシュカード、右から挿すとクレジットカードになる。扇風機に時計がついてるとか、照明にラジオが付いてるとかいった、一つで二役こなせるような商品が好きだ。もともとクレジットカードは持っていなかった。借金して買い物するのが嫌だったのと、見えないところで自分の金が流通するのがなんとなく信用できなかったからだ。しかし最近インターネットショッピングの合理性や、クリックひとつで居ながらにして商品が届くシステムの利便性に、今ごろになって気付いた。ところがインターネットショッピングの決算方法は多くの場合、クレジットカードでなければならない。クレジットカードへの抵抗感が、インターネットショッピングの合理性に打ち消されたカタチになった。やがてオレの手元には、1枚のカードが届いた。ビックカメラへ向かった。パソコンなどの大きな買い物をする場合、商品を見ずに買うことの抵抗はまだあって、通販ではなく店頭へいって、現物を見定めてから買いたいと思っていた。目当ての富士通BIBLOは品切れだったため、シャープのMebiusへ急きょ変更した。世界最軽量とうわたわれているB5サイズの小さいノートがなんと12万程度だった。レジで、「クレジットカード、分割で」というとき少し緊張した。「何回払いでございますか?」 「さ、3回で。」 「3回でございますね」サインを求められたこと以外、なにも怪しまれることなく、なにも滞ることなく清算が完了した。10万以上の借金をするというのに、手続きはいたって迅速だったし、後ろめたい気持ちにも全くならなかった。こんなに便利なシステムを、なぜオレは今まで使ってこなかったのだろう。ともあれ、晴れて新しいノートパソコンを購入したのは9月13日のことである。週刊誌2冊分ぐらいの重さしなかいシャープMebiusは限りなくモバイルだが当面外へ持ち運ぶ予定はない。外で使わなければ、小型のノートは必要ないという向きもあるがオレはそうは思わない。今Mebiusには、マウスもLANケーブルも、電源の線もない。無線LANは内臓されているからカードのでっぱりもない。CDもFDもついていない。このカタチを求めていたのだ。
2003.09.17
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当初立てた1週間を少しオーバーしてようやく昨日の夜、京都旅行の日記を書き終えた。記憶が新しいうちに書いてしまってこの呪縛から逃れ、早く普段通りの生活に戻りたいという気持ちと、起こったことや思ったことをできるだけ正確に伝えたいという欲求があって、両者の折り合いをはかりながら書いた。これでオレは普段通りの生活に戻れることになるが、不思議と解放感のようなものはなく、一つ仕事が終わったような感じしか今は残っていない。フランスやカラコやmimiも同じテーマで今日記を書いているがあと半月もかかりそうで少し気の毒な気もするけれどもでも楽しみにしている。ともあれ、このレポートに登場した人たちや、これを最後まで読んでくれた人たちに感謝する。どうもありがとう。インターネットを使って見えない誰かと交流するのが目的であるべきではないとオレは思っていて、新しい出会いが最終的になければこういった道具は何の意味ももっていない。しかしオレにはなんとなく「こわい、あやしい」なようなイメージがつきまとっていて、それは書かれる日々の作文がオレをそう印象付けているのだろうけれども、スムーズに他人と関わっていくことが出来ないような体質になっていったのは、オレが希薄なコミュニケーションを軽蔑していて、そのことも合わせて表現したがっていたからだとも思っている。そこでオレは以前から、こすりつけやフランスなどの他人を媒介にして自己表現をしてきた。個性際立つ彼らや彼らとの交流を描くことで自分の存在をアピールしてきたし、それは想定していた以上の効果を生んだとオレは自覚もしている。今回はmimiを媒介にすることで、ネットを通じた新しい出会いを表現してみたが、うまく伝わったかどうかわからない。ともあれ今回の旅行は非常に刺激的だった。オレが京都で再会した友人たちや、今回始めて会って友人になった彼らに共通していえることは、全員が自分を何らかの形で表現したがっていたということだ。彼らはあまりレスを欲しがっておらず、どちらかというと自分の話だけを聞いてもらえばいいような人間ばかりだった。つまり全員の意識がちゃんと外へ外へと向かっていた。確かにうるさかったし、一緒にいて消耗もしたけれども、全員が非常に魅力的な人間だった。そしてこれを読んでくれた誰かが、彼らに興味を持ってくれたらいいなとも思っている。阪神タイガースが優勝したこと以外はあまり目立ったニュースはなかった。数日後にはきっとまた、「コラボ日記」が行われるだろう。「コブラ日記」として誰かも出展するかもしれない。そういえばマンガだけれども「三国志」を読み直している。中国に行きたくなるかもしれない。天気のいい日が続いている。くれぐれもお体には気をつけて。そしてカラコとこすりつけよ、お幸せに。
2003.09.16
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「結婚する前ってさ、やっぱり同棲とかしといたほうがいいよね、同棲でお互いのことをちゃんと判ってからじゃないとさ、結婚ってできなくない?」いや結婚を前提にした同棲なんかしないほうがいいと思うよ。だって結婚する楽しみがなくなるじゃん、男は女に、まっぱエプロンとかさせたいから結婚するんであってさ、同棲で刺激なくなっちゃったらさ、結婚する理由なくなるだろ?「ふうんそうなんだ、じゃあさ、同性と同棲したことある?なんちゃって」あるよ、それほど楽しいもんじゃなかったけどね。「なんで楽しくないの?」だっていろいろ気を使ったり面倒なこと多いじゃん。「わたし今すっごい仲のいい友だちがいて、そのコと明日も会う約束してるんだけど、会って何すると思う?ファミレスでただ喋ってるだけ、それもドリンクだけで12時間とかいるの、きっと店員も早く帰ってくれって思ってるよ、でね、そのコとね、一緒に暮らす話して盛り上がってんの、でも一緒だとなかなか自分の時間とれないからね、同じマンションの隣同士の部屋なんていいかな、なんて思ってるわけさ、これどうよ?」こだま417号は定刻通り京都駅を出発した。1列5席の通路を挟んで2人がけの席の窓側にmimiを座らせてオレは通路側の席のリクライニングを最大限に倒して深く沈みこんでタバコを1本吸った後mimiに、少し寝てもいいか聞いた。アンニュイな顔と枯れた声で疲労度をアピールしたがmimiは「ホントに寝るの信じらんない」というふうにオレに休息を与えようとしなかった。30分だけ寝かせてくれたら復活するからといいなだめてようやく短い睡眠を摂ることが出来ることになった。喋りたがっていたmimiは不承不承ながらもといった感じでオレの隣で仕方なく静かにしていて、やがて眠ってしまったようだった。車掌とか車内販売員とかがやってきて周囲が騒がしくなって目が覚めてタバコとかジュースとかそういったものを探そうとして体勢を変えたりしているとmimiもゆっくり身体を起こして目をこすったり首の関節をほぐし出したりした。ピンク色の手提げ袋からペットボトルのアクエリアスを取り出したmimiは少しだけのんで伸びをして「あーすっきりした、かなり復活したよわたし、じゃんじゃんいける」といって、そのまま話し続けたのだった。「わたしの中ではもう終わったことだから全然話せるけどね」その男と食事をするときに金を払っていたのはいつも私だったわ。それに男を立てるために会計の前になるとこっそりお金を渡してしたのよ。最低な男でしょ?私も私だけどね。そうそうこんなこともあったわ。ネットでうつ病の男と知り合ってしまい、しばらくメールを交換してたりしたの。そしたら向こうがエスカレートしてきちゃって、それで私も面倒になってきて、しばらく連絡とらなかったの、そしたらだんだんメールの内容が酷いことになってきてね、おれが死んだらおまえのせいだとか、メールがこなくなったら死んだと思ってくれとかね、もう最低でしょ?結局メールはこなくなったんだけどさ、どうしてんのかな、死んじゃったのかな。結論からいうとわたしは、どうしようもない男が好きなのよね、男運ないってよく言われる、ああいい男いないかしら。オレになにかアドバイスを求めるとかそういった口調では全くなくて、どちらかというと誰かに話して聞かせたい、そして自らが他人へ影響を与えたい、というような強い意志がベースに流れているような喋り方をmimiはした。オレは火サスでも見ているような深刻な態度でmimiの話に耳をかたむけていた。緊張感もそれほどなくなっていたし、寝ていた時間を省いたとしても3時間以上は彼女と話しながら車中を過ごしていたが、苦痛では全くなく、むしろキャバクラにでもいるような楽しい気持ちになってきていて、東京に到着するまでの時間は短く感じられた。ネットでいつでも繋がっているような気にオレはなっていて、まるで会ってない気がしておらず、そしてそのことを信じていてここにも、スローガンのように掲げている。しかしオレはこの日、とんだ間違いを1年もの間、していたことに気づいた。オレが1年間、朝起きて飯を食って仕事をして酒を飲んでまた寝ていたりしていた間中、彼らとの接点はパソコンの中か、オレのイメージの中にしかなかった。1年ぶりに再会することになったとき、1年前と変わらない彼らを想像して大喜びした。ところが1年ぶりに再会した彼らの顔つきはあきらかに変わっていたし、オレや他の仲間との相互の関係や距離感や信頼度とかそういったもの全てが、1年前とは全く違っていた。mimiやとんぼりも、初対面とはいえネットで知り合って観察するにしたがって、相手の全てをわかっていたような気にオレはなっていた。しかし本当の彼らは、ネットではではうかがい知ることのできないような豊富な情報量やネットワークを持っていた。会っていないような気がしておらず、会ってないのに会っている気になっていたのはオレだけだった。彼らはみんな独自のスピードで、好きなことをして、会いたい人に会い、何かを目指して進化し続けていたのだった。オレはmimiの話をもっと聞きたくなってきていた。喉が乾いたね、ちょっと酒でも飲んでから帰ろうか。「大丈夫?疲れてるようなこと言ってたじゃない」平気だよ、といって行き先を告げずに暗い酒場を目指して歩いた。彼女はただ黙って不安そうにトコトコとオレの後ろに従った。地下へ降りて照明の暗いラヂオホールという名前のショットバーへ入って、もう少しキミと一緒にいたいんだ、というようなことをいうと彼女はまた得意そうな顔になった。「でっしょう?」~おしまい~
2003.09.15
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二条城から京都御所まで移動するためにタクシーに乗った。丸太町通りと烏丸通りの交差点で彼らと待ち合わせていた。地図上で見たこの2点はごく近い距離に存在していて、1ブロックほど歩けば到着するような距離だったが、クルマを使ったのは、距離感を掴みかねていたということや、実績がなく不安だったことなどが主な理由だった。目的の交差点でカラコとこすりつけが現れた。小さい女の子はカラコに抱かれていて、幼い男の子はこすりつけの周りを飛び跳ねていた。信号が変わり彼ら一行が我々に接近してくるにつれ、小さい子供たちの顔にはにわかに緊張の色が宿っていった。こすりつけが子供たちに我々への挨拶を促したが、女の子の方はカラコに抱かれたまま不審そうにオレの顔を見つめ警戒したままになっていて、男の子のほうはこすりつけの後ろに隠れてちらちらとこちらを覗き見ているだけだった。オレが目や顔つきで、とりわけ男の子のほうに関心を向けると、彼は最初恐怖をにじませ、やがて大きく顔を崩し泣き出してしまった。女の子はカラコの腕から解放されてアスファルトに足を接地し、駆け出したり跳躍したり、大人の腕にぶらさがったりして派手な立ち振る舞いを見せてくれた。オレへの警戒心が最初になくなったのは女の子のほうで、オレがポケットに指していた扇子の柄の部分を目ざとく見つけた彼女は、その扇子を奪い大喜びで遊びはじめた。男の子の興味も扇子に向けられたらしく、いつしか泣き止み、妹が持っている長細い形状のものを奪おうという動作をした。それを見たカラコは、「順番、順番」といって男の子を制し、2人に秩序や規律を与えていた。これが2キッズとの、初対面の様子だ。十二段家というお茶漬け屋は子ども2名を含む6人を受け入れてくれそうなたたずまいはしておらず、かわりにガストへ我々は入った。オレが二条城で記念に買った青い扇子はこのとき2キッズいずれかの手中にあった。子どもにとっては取り扱いが複雑な扇子を持つ2キッズに対して、こすりつけは壊さないようにと厳重に指導していた。カラコは「おにいちゃんに返しなさい」とこの扇子が誰のものであるかを示した。カラコの命令により扇子は再びオレの元へ帰ってきたが、間もなく奪われた。扇子をめぐるそういったやりとりによって、オレはこの2キッズとの交流を深めていった。ガストの店内を子供たちは縦横無尽に賭け回っていたが、彼らは意外にバランス感覚に長けていて、オレは安心して食事をすることが出来た。この日最初のビールを飲みながら子供たちの所為を眺めているとふいに、「ナカムラさんは、子ども好き?」とカラコに聞かれた。オレは返答に窮した。オレは果たして無条件に子どもが好きだといえるだろうか、というようなことを考えてしまい、「好きというか、、」と真剣に答えようとしてうやむやになってしまった。親としての義務や責任や、子どもの未熟さや無知なところを省略して考えた場合、子どもといえども一つの人格を持った独立した人間である以上、ペットをかわいがるような無責任な態度で無条件に好きとは言えない、というようなことを伝えたかったが、昼間からしかもファミレスでこんなことを話しても仕方がないから言うのを止めた。しかし、カラコとこすりつけという優れた親に育てられ成長するこの2キッズに関しては、無条件に愛すべき人間になるとオレは確信している。2キッズがお子様ランチを全て平らげて、ご褒美のメダルを獲得し我々の昼食は終わった。レストランを出て6人が京都御所へと向かう間中ずっと女の子はカラコにだっこをせがんでいて、カラコはずっと拒絶の意思を貫いていた。オレもカラコに抱っこしてもらいたいとその時一瞬思ったが、なんとなくシュールなので「オレも抱っこ」言うセリフをかみ殺した。京都御所の敷地には入られたものの、砂利が敷き詰められている直線的で広すぎる道と、建物を覆い隠すパールホワイトの壁があるだけで、門は厳重に閉ざされていたし、観光客もほとんどおらず、つまり見るべきところは何一つなかったのだけれども、オレはそれでも十分だと思った。京都の街の中心部、かつては日本の中心部として華やかなファッションの王侯貴族が居住していたという場所に立つことだけが目的だったのだ。動物園に行くという彼らと京都御所で別れた。子供たちは何度も何度もオレとmimiに手を振って別れの挨拶をしていたため、我々は何度も振り向かなければならなかった。男の子に、「ナカムラさーん」と遠くから大きな声で呼ばれたとき、オレのハンドルネームが「こすりつけ」や「スケベ椅子」などではなくて本当に良かったと思った。我々は何度も振りかえりながら、彼ら親子と別れた。広くて長い砂利道を歩き御所を出、タクシーに乗って本能寺を目指した。信長の遺品が祭られているという現在の本能寺に向かうために乗ったタクシーの運転手は、とんぼりとかmimiとかと同じぐらいかそれ以上によく喋った。この運転手からの情報によると、「本能寺」の「能」という漢字は、「ヒ」を縦に2つ並べた部分を「去」として書くのが正しいということがわかった。何度も火災に見まわれている本能寺は「火」つまり「ヒ」を嫌い、「ヒ」よ「去れ」という願いが込められて、当て字で書かれるようになったらしい。信長の位牌や刀や鎧は、現在の本能寺の敷地内の管理施設内に飾られていた。ガラスケースの中に整然と陳列された信長の遺品を見ても、本能寺址に立ったときのような痛烈な感慨は襲ってこなかった。ただ人間の意思とは無関係に流れ続ける「時」のスピードを感じただけだった。東京へ帰る新幹線の出発を気にしなければならない時刻になっていた。京都駅へ向かった。
2003.09.14
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旅行用のバッグをコインロッカーに預けるために京都駅構内へ入った。ピンクの着物を着こなした女が同じコインロッカーから出てきてどこへ行くのか気になった。mimiにロッカー用のコインを渡そうとすると頑なに拒まれて、彼女は悠々と両替機に向かっていった。コビックやとんぼりと待ち合わせることになっていて、京都劇場やホテルグランビアは濃いグレイ色をしていてとても近代的だった。10時きっかりにコビックに電話した。現れたコビックは、河原で寝ていたとは思えないほどのこざっぱりとした顔をしていた。「おう、どこで寝てたの」「PCBが知っとるゆうサウナ泊まっとった。起きたらPCBおらんしやな、仕方がないからわしサウナ入ってん、おかげで肌つるつるしとる」昨日起こった出来事は酒の席でのことであり、お互いにもう忘れているということを示すために、お互いが普段通りの態度と会話するように努めていた。普段通りといっても通算3回しか会ったことがないから、何をもって普段通りとするのかまだよくわからない関係なのかもしれないが、少なくとも四条河原で1年ぶりに再会したときの気持ちにはなっていた。ただし昨日起こったことを本当に忘れていたわけではお互いなく、気持ちの中の照れくささや気まずさをかき消そうとして、少し無理をして平静を装って話したような感じだった。男女が初めてセックスした翌朝の距離感によく似ていたかもしれない。3回ほど電話してようやくとんぼりと合流した。クルマを探すためメーンストリートに向かったり、見つけられそうにもなかったからまた引き返したり、mimiとコビックを引きずりまわしてしまうことに結局なった。用件は1回の電話で済ませて欲しいとオレは思った。ひとしきり挨拶を交わすとコビック(4690)は「ほなら、ここで」といって京都駅へ向かって去っていった。彼が一度も振り向かなかったかどうかは、最後まで我々が見送っていたわけではないからよくわからない。ルノーだかプジョーだかそういったクルマによく似た左ハンドルのとんぼりのクルマにオレとmimiは乗せられた。徳川政権樹立と同じタイミングで建設され、250年後の徳川政権崩壊をも経験した二条城をまず見たかった。地図を眺めると近くには京都御所があり、やや離れて本能寺があった。いずれも歴史的に重要な拠点だった。恐らく見に行っても視覚的にはそれほど楽しくないことは予測していたが、歴史的重要拠点に立つことがオレにとっては最も重要だった。歴史を時系列でなぞるように、本能寺・二条城・京都御所の順で見て周りたいということをとんぼりに伝えた。京都御所を最後に設定したのは、戦国武将が争って目指した「上洛」にちなんでのことだった。しかしとんぼりには、「二条城に京都御所か、ゆうてもそんなおもしろいとこちゃうで」と全てを否定された。「まずは祇園のあたりいこか、そこなら京都らしい感じがようでとるで」とんぼりは勝手に行き先を決めてしまった。祇園の場外馬券売り場の正面の駐車場にクルマを停めて、古い街並みを我々3人は歩き出した。古い家のひとつひとつは「茶屋」と呼ばれていて、ここに舞妓や芸者を呼び、仕出し料理を運ばせてする「お座敷遊び」のシステムや料金についての説明や、舞妓生活裏事情や夜の舞妓副業スポットに至るまで、聞いてもいない詳細なガイドをとんぼりはした。とんぼりの口から自動的に流れ出てくる音声ガイダンスを聞きながらオレとmimiは祇園の全てを知ったような気になった。八坂神社を巡りクルマに戻ってきて、ルノーだかプジョーだかそういったクルマに乗りこんだ。「なんやったっけ本能寺行きたいゆうとったな今の本能寺と昔の本能寺とどっちやまあ両方見とくのもそれはそれでええと思うでしかし昔の本能寺は何もあらへんで前は小学校あったけれども少子化が進んでやな取り壊されてて今度老人ホームが建てられるらしいねん子どもが減ってお年よりが増えてちょうどええことやほなら今の本能寺は通るだけにしとくかほんで昔の本能寺にちょっと寄ってから二条城送ったるわそしたらそこで別れよかそうしよ」ととんぼりは一気にまくしたて、クルマを発進させた。織田信長が家臣明知光秀に襲撃され死んだ本能寺は、現代の地図に示されている本能寺とは別の場所に存在するということをオレはこのとき初めて知った。これはとんぼりに言われなければ知ることのなかったはずの情報だった。繁華街の一角に「現在」の本能寺はあった。大通りを走るクルマの中から一瞬だけ見えた本堂は非常に近代的な建築様式で、あまりオレの中の歴史的なイメージとは結びつかなかった。やがてルノーだかプジョーだかとんぼりのクルマは市街地から細い路地へと進入した。狭い区画に民家が立ち並び、角から自転車や子どもが飛び出してきそうな密度の濃い閑静な街並みの一角の、ブロック塀のその上をさらに白塗りのトタンで厳重に覆われた敷地の横の通りにとんぼりのクルマは停車した。「ここがあれや、昔の本願寺の跡地や、ちっさい石碑がぽつんとあるだけやけどな、ちょっと降りてみるか」高い塀に覆われた四角い敷地の外の角のところに、小さな石碑が建てられていてそこには「此付近 本能寺址」と深く刻まれていた。その文字を読んだ瞬間オレのアタマの中に、燃えさかる1582年本能寺と、何千もの取り囲む軍勢と、死に装束の信長の姿が浮かんできた。天下統一を目前にした信長の死によりその後の歴史は大きく変わった。独裁者が目指した理想郷の世界は今を生きる我々の生活や精神にも多大に影響を与えていただろう。ブロック塀ごしに歩いて正門へと回った。本能寺の正門というわけではなく、本能小学校跡としての正門には、金網のフェンス張られていた。フェンス越しに中を覗くと全ての建物は取り壊されていて、地面に浮かぶブルドーザーやショベルカーのキャタピラの生々しい工事跡だけがあるだけで、瓦礫も資材も何も置かれていなかった。オレは本能寺の変をイメージし、信長の死を悔やみ、黙祷を捧げた。二条城まで送らせたところでとんぼりと別れた。馬券でも買いに行くついでだったような顔をしてとんぼりは去っていった。オレはmimiと2人で二条城へ入ることになって、チケットを買ってタバコを消して、照りつける陽射しのために流れ出てくる汗をぬぐい、大手門をくぐった。日傘を指す女性が目に付いて、隣にいるmimiに、日焼け対策は万全かどうか聞いたとき、もうすでに焼けしまっているから気にしてない、というようなことを彼女は言った。確かこれの3日ほど前までmimiは南国に旅行をしにいっていた。いくら若くて旅行が好きな体質とはいえ、スケジュール的にハード過ぎるのではないか体調や精神状態のことを心配はしていた。そもそも彼女がこの二条城に来たがっていたとは到底思えなかった。彼女が楽しそうにしているかどうか測りかねたままオレは順路に従い、外国人などの他の観光客について城内へと入っていったが、mimiはいつもトコトコと黙ってオレの後ろに付き従っていてくれていた。オレがmimiに二条城へ行きたいということを告げたときに彼女は、「二条城って、うぐいすバリが有名だよね」としきりにいっていて、オレはその「うぐいすバリ」と二条城をうまく結び付けられなかった。違う所と勘違いしてんじゃねえの?とmimiからの情報を素直に受け入れようとしていなかったのだったが、前の廊下を歩いている外国人観光客の足音が「キュ、キュ、」という音を出していたためオレは自分の間違いに気づいた。そしてこのうぐいすバリという仕掛けにオレは大喜びしてキュッキュキュッキュさせていたが、mimiは意外と冷静にしていた。二の丸御殿の大広間などには狩野探幽や彼の一派が描いた国宝級の絵画が壁や襖絵として生で飾られていたがオレはそれほど感動はしなかった。オレの目的は歴史的なイベントが行われていた場所に戦国武将のような気持ちで立つことで、歴史小説の主人公たちと同じ廊下を歩くことのほうが、国宝級の絵画や彫刻を見ることより重要だった。mimiはというと、「わたしも家の壁に絵とか書いてみようかな、だって後々どんな評価されるかわかんないでしょ、何百年とか経って家が国宝に指定されたらどうする?」といったような独自の視点で二条城を見つめていた。さらにmimiは「わたしもこういうところに住みたい」とか、「将軍になんかなりたくないよね」とか「若年寄って、若いの?それとも年寄りなの?」といった名調子を炸裂させて笑わせてくれた。オレが土産物屋で徳川十五代将軍全員の名前が書かれているキーホルダーを買って、mimiに「これで全員の名前覚えられるね」といわれたとき、我々は恋人同士として限りなくコンプリートだと思った。完全に恋人同士として機能していたオレとmimiが二条城を後にして京都御所方面へと向かったのが正午を少し回った時刻。こちらへ向かっているというカラコとこすりつけと、そして2キッズと一緒に、そろそろランチを食いたくなっていたそんな時間だった。
2003.09.13
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暗がりの中で目が覚めて枕元のはめ込式のデジタル時計を見ると8時を少し回っていた。シャワーを浴びてから今日着る服に着替えて、切れていたタバコを買いに1階のロビーへ降りた。昨日あれほど飲んだ割には体調はすこぶるよく、胃はすでに朝食を要求していた。部屋に戻りタバコに火を点け、テレビのスイッチを入れてまもなくして電話が鳴った。ケータイの液晶パネルには「コビック」と書かれていて、朝からどんな用事があるのか見当もできないままオレは受話ボタンを押した。「おう、わしや」「おう、どうした?」「PCBあのボケわし置いて一人で帰りよんねん。」「いまどこ?」「んー、ようわからん。おまえらこれからどないすんの」まだ何の予定も決めていなかった。昨日時間がなくて見られなかった二条城にはなんとなく行くつもりでいたが、それまでやそれ以降のタイムテーブルはまだアタマの中に展開されていない状態だった。「飯食って、とりあえず10時には京都駅にいるかな」「あ?なんて?10時に京都駅な、挨拶だけしにいくわ」電話が切れた。時刻は9時になろうとしていて、そろそろ朝食を摂らないと時間的に間に合わなかったから、隣のmimiの部屋をノックした。mimiもすでに今日着る服になっていた。少し落ち着いた色のシャツを着ていた。「もう?」「いける?」「まだ、あと10分」というようなエロティックな会話を経て、朝食を摂るためにロビーの隣の小さなコーヒーラウンジへ降りた。関西に住む友人たちに会うためにオレは東京から京都へ遊びにきている。昨日は昼から飲んでその友人たちと大騒ぎした。消耗し疲労したが、浄化されたような気持ちにもなっている。ネットで知り合い、昨日初めて会った女mimiと、同じホテルに泊まった。今日はなんとなくこの女と観光をして、夕方新幹線で東京へ帰る。「コビックから電話あって、彼ら帰れなくてこの辺に泊まったらしく、朝になったらPCBにおいていかれてたんだってよ」朝食のメニューはトーストとサラダとゆで卵とコーヒー。この朝食も、ツアーのサービスに組み込まれている。「えー大丈夫かな、どこに泊まったの?」「わかんない、きっと河原あたりで寝てたんじゃないの?」「ああ、あの人たちなら河原とかで寝ても平気そう」朝食は少し足りない気がした。コーヒーをもう一杯飲みたかったが、カウンターに従業員の姿はなかった。最初の予定が、コビックと京都駅に10時ということだけは決まった。とんぼりから昨日、明日はどないすんねん、というようなことを聞かれたとき、なんとなく観光しようと思ってる、と伝えると、おれ午前中なら空いてるから案内したろか、と言われていたことを思い出した。話はなんとなくうやむやになっていたし、また付き合わせるのも申し訳ないとも思っていたが、昨夜は挨拶もろくにしないまま別れたし、京都駅でコビックと挨拶だけするのもなんとなく照れくさかったから、とんぼりに電話して、来る意思があるのかどうか聞いてみることにした。「おつかれ」「おーおつかれー」「今日はどう?」「あかんねん」「そうか残念、じゃまた今度な」「悪いのう、ものすごー残念やわ、ほなら、また。」とんぼりが来られない、ということをmimiに伝えているときにケータイが鳴った。またしてもとんぼりだった。「おう、どうした?」「あのな、午前中だけならええで」とんぼりは前言を翻し、観光案内をしてくれるといった。コビックとの約束に合わせて、10時に京都駅で待ち合わせることにした。一旦断ったものの思いなおして付き合ってくれるととんぼりがいったのは、昨日の口約束を果たさないのは男らしくないと思ったのか、あるいは、オレに好印象を植えつけて、この日記に自分だけいい男として書かれたいと思ったからなのか、この時点ではよくわからなかった。こすりつけに電話をしても出なかったが、そのかわりカラコから電話が来た。2日目の予定について「明日どうすんの?」とカラコに打診したとき、「うるさいのも一緒でいい?」ということを話していた。オレも2キッズに会いたいと思っていたし、「もちろん」といって歓迎の意思表示をしていた。ただこの時点でこすりつけが来るかどうかはわからなかった。少し心配だったのは、昨日の宴会でときこすりつけはいつもより酔っていないような気がしたことだ。酔うといつもこすりつけは、ジョッキに毒ジュースをなみなみと吐き出してみたり、壇上で尻を出したり、Tシャツを引きちぎったり、氷点下の外にシャツ1枚で出てみたりと、誰も予測できない奇行を繰り広げては、そのたびにジャージや杖レなどにフォローされているのだったが、今回に限っては彼の口数は少なく、危ういパフォーマンスは一つも見られなかった。我々といることに飽きてしまったのかそれとも、守るべきものができて攻撃性が失われたのかどうなのかはわからない。フランスに電話をしたが出なかったから10回目のコールで切った。ホテルを出てタクシーに乗り込んだ。今日は昨日よりも気温が高そうで、クルマの窓から日差しが差し込み左腕が焼けそうだ。mimiは目深に帽子を被っていて、クルマは京都駅に向かっている。
2003.09.12
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友人たちに会うために京都へやってきて京都タワーや四条河原で食事をして酒を飲んで、京都の風情を味わい友人との再会を密かに喜んだ。宴の次に連れてこられたカラオケ屋の内装は京都の古い街並みとは無関係な無機的なデザインをしていて、今自分がどこにいるのかよくわからなくなっている。mimiはとんぼりに肩を抱かれながら紙で出来た阪神タイガースの帽子をかぶり歌を歌っている。コビックはカラコとこすりつけがホールドし室外でクールダウンさせられている。オレがコビックのところへいって話をすることはまだ許してもらえない。PCBは陽気な顔で具合悪そうにしていて、ジャージは船を漕ぎそうだ。mimiが歌を歌い終わって音楽が止むと、広いボックスの中に静寂が宿った。賑やかな3人が外へ出てしまっているからだった。最初に口を開いたのはこの静寂に耐えられそうにもない体質のとんぼりで、彼は非常に興味深いことを口にした。「あれやな、コビックは意外と、上下関係を気にするやつかもしれん。」確かに、コビックの標的になっていたPCBやこすりつけやジャージは彼よりも年齢が下だった。反対に最年長者であるとんぼりには一切手を触れなかったし、たとえコビックと同年齢のフランスがここにいたとしても攻撃はされなかっただろう。しかしどういうわけか、コビックより年が下なはずのオレも、彼の攻撃を免れていた。なにか隔たりがあるのかもしれなかった。年齢による上下関係をオレは全く気にしない、というか対外的に気にしていないように見せている。それは友人や恋人や仲間との関係をいつもフェアにしておきたいと思っていることの意思表示だ。例えば年上には気を使わないし、年下でも対等なスタンスを保つように心がけている。そのほうが合理的に理想的なコミュニケーションができると信じている。確かにビジネスでは客や上司や先輩格を無条件に敬うような態度をすることはあるが、それはスムーズに仕事を進めるための一つの手段であって、尊敬しているからというわけでは必ずしもない。ビジネス上のそういったコミュニケーションの形態も、ある意味では合理的だと思うし、コビックが本当に上下関係に厳格な体質だったとしても、一つの考え方として尊重するべきだとは思っている。フェアでありたいというスタイルを通すオレを、上下関係を重んじるコビックはもしかしたらよく思っていないのかもしれなかった。暴力にたいする拒絶の意志をオレがコビックに向けたときに、おそらく彼のピンは外れたが、背景にはそういった信条の対立があるのかも知れなかった。コビックと話をする必要があった。ボックスを出た先のエントランスホールにコビックはいて、両サイドをこすりつけとカラコに包囲されていた。近づき、もう大丈夫だからということでカラコとこすりつけからコビックを解放した。お互いに、まともに話ができないほど酔っ払っていたが、オレはとにかく口を動かしてなにか言葉を吐き続けた。コビックの視点はまだ宙をさまよっていておそらくどんな話をしているのか判らないような状態だったと思うが、オレも何を喋っているのか自分でもわからなくなってきていたから丁度よかった。この獰猛な白熊の野性を鎮めるためと、コビックとしての本意を聞き出すために、コビックにうまく絡めなかったり結果的に無視するような形にweb掲示板などでなっているのは、対等に渡り合うスキルがオレにないからということと、中村不思議としてのスタイルを気にするところから来るものであって、決して嫌っているといわけではなくむしろ尊敬している、ということなどを伝えた。非常に照れくさい内容の会話をオレとコビックは交わしたが、酔っているから仕方がなかった。そのとき、鼻を鳴らしながら「おーう」という図太く通る声の男がやってきた。コビックと同じぐらいの大きさのフランスだった。通路で向かい合って話しているオレとコビックの間を通るときフランスは、「なんや、またケンカしとんのか、好っきやのうがははははは」と陽気にいった。それでなんだか深刻そうに話をしていることが急にバカバカしくなってきて、フランスに連れられるようにしてボックスへ戻った。これにて一件落着、かどうはよくわからない。フランス登場によりボックス内は大いに沸いた。モニターの正面の一番奥まった全体の中心部の席に迷うことなく座したフランスはまず食事とビールを所望した。フランスの登場を祝う乾杯が行われるとボックス内は何事もなかったような元の姿に戻った。コビックは相変わらずころころとPCBやジャージと打撃系の攻防を繰り広げたりしていたがオレはもう気にならなくなっていた。カラコはこすりつけをリクライニングシートにしてもたれながら奇妙な動作を繰り返していたがそれももう見慣れた。ただとんぼりがことある毎にmimiの露出された肩を抱いていて、mimiはまんざらでもないような顔になっていたからそれだけは許されなかった。フランスがミックスピザを丸ごと平らげてジョッキのビールを飲み干した瞬間、計妙なリズムの普遍的なリフレインが流れ出した。「踊ろうよボディスペシャル!1」「Oh!Yeah!」を全員で掛け合った。京都の祭りには、何度も何度も山場があった。「ナカムラさん、つなみ」といってカラコがオレに携帯を差し出した。そういえばつなみ嬢が電話をかけてくるといっていた。mimiは新幹線の中でそのことを何度も言っていて非常に楽しみにしているようだった。オレは過去に何度か彼女とは電話で話したことがあった。久しぶりに話すことになるが彼女とは久しぶりという気がしないし、会ったことがないのになぜか、会っていないような気もしない。「不思議?楽しんでる?」ああ、楽しいよ。「今カラコと話したしね、mimiの声も聞けたよ」つなみ嬢の声が聞けてうれしいよ、久しぶりだね。「ホントだね、あまり飲み過ぎないようにね」というような会話をしたかどうかはわからない。どういった状況からつなみ嬢が電話をかけているのかは定かではなかったが、我々の熱気に対抗するように、少しボリュームを大きくして話をしてくれた。艶やかな声の波長は非常に心地よい音としてオレの耳に届き、彼女の優しく幸せそうな気持ちが伝わってきて共振した。つなみ嬢とは、必ずどこかで会えるような気がしている。オレがサザンのなんとかという曲を歌っているときにフランスが隣から、「プロとシロウトとの違いを証明したるわがははは」といってオレのマイクを奪った。やがて圧倒的なボリュームで原曲に近い抑揚の歌声が鳴りひびいて周囲はまた大きく湧いたから、オレの立場は台無しになった。「どやこれがプロとアマの違いやわかったか」といわれながら再びマイクを戻されてオレはフランスの続きを歌うことになったが、もう途中で止めてしまいたかった。腹が減ってフランスのカルボナーラを奪って喰らっているあたりで、こすりつけとカラコが帰りの電車の時間を気にしだした。ということは22時とか23時とかそういった時間になっているはずだったが、時間の感覚も方向の感覚も全く無くなっていた。ただ身体はもうアルコールを受け付けないような状態になっていて、横になればすぐにでも眠れるような疲労感に包まれていたから、そろそろホテルへ戻らなければならないという意識だけはわずかに残っていた。会計も別れの挨拶もした記憶の無いままいつのまにかオレはどこだかわからない路上を歩いていた。どうすればいいかわからないまま周辺を眺めるとコビックととんぼりだけを発見したからその後に続こうとした。ところがとんぼりは「こいつら送ったらおれももう帰るから、その辺でタクシー拾ったほうが賢いかもしれん」と突き放すように言って、おそらく駅までの道を急いだ。周囲を見渡しても誰もおらず、心細くなって視線を落とした。ふと、犬のように従順な目をしたmimiが、オレの足元で心配そうにたたずんでいた。そうだmimiがいた。心細い気持ちはいつの間にか消えていた。彼女の手をしっかりと握った。タクシーを停めた。「アーバンホテル」25階のデラックススウィートに、生ハムとメロンとシャンパンが用意されているはずだ。「みんな面白い人ばっかりだったね、なんだっけとんぼりだっけ?あのよく喋る人。」ああ、そうとんぼり。初対面なのによく喋ったな。タクシーは京都の街を抜け、川沿いに南へと進んでいる。地図をアタマに叩きこんでおいたが、実際のところは酔っていて、タクシーがどこをどう走っているのか、よくわからない。「あと、コビックだっけ?あの人酔うといつもあんなになっちゃうの?」そう、いつもあんな感じかもしれない。あんまり会ってないからよくわからないけど、多分いつもそうなんじゃん?mimiはシートに深く沈みこみ、けだるそうにしてはいたが、喋らなくなるということはなかった。「あんなに酔う人初めて見たよ、あとフランスは歌うまかったね、びっくりした」そうだね、mimiもうまかったけど、そんなに歌ってなかったろ。「酔うとね、ダメ、おとなしくなっちゃうんだアタシ」肩を抱いた。腕や手の甲にかかるmimiの髪の毛の感触が心地よかった。飲めないっていってた割にはよく飲んでたね。「そう、カラコと2人で、アンズのお酒?1本空けたもんね」手を握った。mimiの口が、少しの間止まった。酔ってる?「うーんちょっとね、でも大丈夫。それにしてもカラコキレイだったね。こすりつけはちょっとイメージ違ったけど、でも会っていくうちに、やっぱりこすりつけだ、って思うようになってきた。」君もキレイだよ、かわいいよ。mimiのほうに向き直って言った。mimiは得意そうに、「んー?でっしょう?」といった。ちゅ。そうして夜は更け、祭りは終わった。
2003.09.11
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PCBが酔いつぶれていたから、彼の自転車を誰が運ぶかということが話題に上ったあたりで、永遠に続くかと思われた四条河原の宴は終わった。空はすっかり暗くなっていて、いつのまにか照明が焚かれていた。昼間から飲み始めて内蔵を酷使していたが疲労をそれほど感じなかったのは、旅先にいる緊張感と友人やアルコールがもたらしてくれる高揚感で神経が麻痺していたからだ。河原に面したビアガーデンはとても居心地がよく、全く気を使う必要が全くない友人たちと永遠に中身の無い話を繰り広げていたかったが、皆とんぼりの合図で一斉に席を立ち、店の外へ出る支度を始めたからオレもそれに従った。コンパクトにまとめられた自転車が納まったPCBの袋は、ジャージが持つことになった。どんなタイプの店へ行くのか知らされないまま8人は四条通りを西に向かった。狭い歩道を歩く人の群れの中を我々は蛇行しながら進んだ。自転車という大荷物を持ったジャージは通行の妨げになっていた。やがて全員がエレベータに乗せられ、扉が開いた先はカラオケ屋だった。「フランスがおらへんからずっと喋っとるっちゅうことになるんとちゃうやろか」四条河原でさんざん喋っていたとんぼりはまだ喋り足りないようだった。彼が主に話題として選んだのは、この楽天日記リバースで書かれているオレの日記の内容に関することであったり、リバースのテーマや目的や存在意義を問うような質問が多かった。彼はオレの作文を詳細に揚げて言葉の裏に潜ませておいた2次的な意味などについて持論を展開しだした。酔っ払っていたためオレは話の半分はスルーさせていて、「結構読んでるんだな、おまえ実は密かにオレのファンだろ?」と冷やかした。彼は「いやファンというわけやあらへん」と一旦は否定したものの、執拗に冷やかしたことで最終的には、中村不思議ファンであることを認めざるを得なくなった。さすが中村ファンを自称するだけのことはあって、彼が展開した持論の分析や洞察は非常に優秀なものだった。どんな分析かは忘れたが、8割がたは正解だったといえる。ぽつぽつとカラオケの曲が鳴りはじめ、ほぼ全員にマイクが渡ったころになると、コビック(4690)の凶暴さは急速に勢いを増すようになっていった。彼はものすごい勢いで誰かの肩や背中を叩き喜びを表現した。PCBはトイレに閉じこもっていてボックス内にはおらず、コビックの標的はこすりつけやジャージに切り替わった。2人とも偶然クイーンが好きだったということがカラコの日記に書かれていたことを思い出した誰かが、クルマの中で大声で歌っていたという「ボヘミアンラプソディー」を選曲してこすりつけとカラコにマイクを渡したが、カラコはこすりつけに絡みついたまま歌わずこすりつけはマイクを持ったまま画面をじっと睨んでいるだけだったから、バラード部分やオペラ部分が延々と流れている間じゅう、とんぼりの喋り声だけがボックス内に響き渡った。ロック部分でようやくこすりつけの歌が始まってもとんぼりは鳴り止まなかった。かなり長い時間トイレを占拠して寝ていたPCBが戻ってきてオレの隣に座った。普通なら病的な青白い顔をしているはずの状況にもかかわらず、PCBはもともと南国系の陽気な顔だちで日焼けしていたから青白さや具合の悪さを周囲にアピールすることが出来ずにいた。コビック(4690)は、戻ってきたPCBにものすごい勢いで襲いかかっていた。襲い掛かるといっても彼にしてみればじゃれ合う程度の蹴りや殴打で、PCBにはそれを受け入れられるコビックとの関係があった。つまり全て調和の中で行われている暴力であり、そのことはオレも含めた周囲の誰もが知っているはずだった。しかし今日のPCBの体調が、体重の乗った重いコビックのボディーブローに耐えられるかどうか心配だった。「なにやってんだよいい加減にしろよ」2人の関係性とか調和とかそういったものを一切無視してオレは、隣で繰り広げられている暴力に対して怒りを感じ、一番ストレートな言い方で制止させようとした。するとコビックはオレの二の腕を掴み、「あ?なんて?もいっぺんいってみい、あ?中村」といって暴力の方向をオレに向けた。「わしとやるゆうんか中村、あ?ええ度胸しとるやないけ」酔ったコビック(4690)は完全に逆上していた。ピンが外れて今にも爆発しそうだった。凶暴な力で掴まれていた二の腕を伝わって残酷なシグナルを受信した。これまでの関係を一切否定したような残忍な暴力を振るわれるかもしれないという危機感を抱いた。そこまで残酷になれる覚悟がお前にはあるのか、そういった言葉で挑発されているような気がした。そんな覚悟があるはずはなかったが引き下がるわけにはいかなかった。なにやってんだよいい加減にしろよ、というような言葉を口にしてしまった以上、意見は貫かなければならない。覚悟を決めて立ち上がった。するとカラコがオレとコビックの間にすばやく立ちふさがった。こすりつけがコビックの身体を固くホールドした。ふたりとも落ち着け、というような言葉をとんぼりが言った。コビックが外へ連れて行かれたことで我々は引き離された。こんなことをオレは毎年やっているような気がする。
2003.09.10
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仲間を裏切った伊賀忍者・風間五平が、盗賊石川五右衛門として捕らえられ処刑された場所は四条河原だった。司馬遼太郎原作の「梟の城」の中のエピソードだ。四条河原は多くの歴史小説や時代劇で見世物や芸能が盛んな地として描かれている。出雲の阿国が初めて歌舞伎を演じた所としても有名だし、舞踊や音楽や大道芸や、格闘技イベントとしての剣豪対決や、犯罪者のさらし首にいたるまで、ありとあらゆるエンターテイメントがこの河原で繰り広げられていたのだ。四条大橋のたもとの東華菜館という中華料理店の、河原に面した2階バルコニーに設置されたビアガーデンが今回の宴の主戦場である。オレはネット仲間から派生して仲良くなった関西の友人たちに会うため、特にその仲間の中の、一組の男女を祝福するために京都へ来た。高い位置から見下ろす2003年の四条河原には、昔の賑わいを思わせるたたずまいはなく、散歩者や浮浪者や蜻蛉がまばらにいるだけだったがオレは一人、400年をさかのぼったイメージで河原を見つめ、一直線に延びた河原に色とりどりの大道芸人を配置し感慨にひたっていた。おおフランスを象徴して作られたサイクルジャージ、通称フラジャーを着て現われたPCBは、乗ってきた自転車の車輪を器用に外しコンパクトにまとめて、すばやく袋にしまった。それを見たmimiは、「すごいなんか本格的、タイヤって外れるんだ」と手品でも見たときのような感想をもらした。ふとジーンズに白い簡単なシャツを羽織った細い男が現われた。見たことのない男だったが、我々の方に視線を向けながら顔をほころばせて向かってきたからこの男が「とんぼり人情」であることはすぐにわかった。昼にフランスとこすりつけが「ちょと待てちょっと待て」などのようなセリフを吐くとんぼりのモノマネをして見せて、本人を知らない我々を笑わせたりしていた。もっとコミカルな外観のとぼけた男の映像を刷り込まれていたのだったが、実物は少し違っていて、なんというか色欲を隠し切れないねっとりとした目をしたヤサ男、というような印象をオレは受けた。二言三言の会話をした後に簡単な自己紹介を交わしたが、そんな必要は無かったかもしれないと思ったのは、初めて会ったような気がしない、という意見が一致したからだった。四条大橋を渡る観光客や買い物客を眺めながらまだ日が高いうちから飲み始められるという優越感と、川の音や蝉の音からききとれる解放感が融和して恍惚となっていたとき、遠くから、リュックを背負ってやってくる大きな男を認識した。オレは再会のしるしとして左手を挙げた。オレの左手に呼応したのかどうかわからないがコビック(4690)は、照れくさそうに身をくねらせながらサングラスを外した。コビックの額には玉のような汗がいくつも浮かんでいて、誰かがその汗のことを心配そうに、どうしたの?というとコビックは鼻息を荒くして「京都駅から歩いてきた」と答えた。オレがこの男と会うのは確かこれで3度目になるが、3度しか会っていないような気は全くしない。前回会った京都オフから約1年が経過しているにもかかわらず、つい1ヶ月ぐらい前にも会っているような感覚がオレを包囲している。それほど強烈な印象をコビックはオレに与えているが、かといってものすごく仲がいいというわけでもない。いつのまにか、仕事を辞めて1ヶ月間北海道で野宿をしながら山登りをして帰ってきたという誰よりも痩せた男が一番端の席に座っていた。こすりつけの幼馴染であるジャージだった。彼のビールが運ばれてきた時点で全員が揃ったことになった。登場順にオレ、mimi、こすりつけ、とんぼり、カラコ、PCB、コビック、ジャージ、全部で8名である。フランスは優雅に芝居などを見に行っていてここにはいない。2キッズもこすりつけ宅で留守番をしていてここにはいない。反逆と色情狂の精神をスローガンに掲げた黄色いジャージを着ている我々の8人のグループは、他のどの客よりも騒がしく、目立っていた。--目の前にこすりつけが座っていて隣にはPCBが来てしまった。はす向かいにはとんぼりがいて、このとんぼりは新幹線の中のmimiと肩を並べるとかあるいはそれ以上にしゃべりっぱなしで、なおかつグループ全体を操舵しようとしていたから手に負えなかった。四条河原のたたずまいと京都の残暑を味わいながら、今日に限っては口数の少ないこすりつけと話をしようとするととんぼりは、中村飲みがたらんのとちゃうかー、などと割り込んできたりしてとにかく全体を巻き込んで一つの渦にしないと気が済まないようなタイプの人間だった。とんぼりやこすりつけやPCBなどの暑苦しい顔に取り囲まれるためにオレは京都へ来たわけではなかった。カラコとこすりつけが結びついたことを祝福するために、オレはわざわざ東京から京都まで下ってきたわけだけれども、こすりつけよりも、どちらかというとカラコに会いたいから来たといったほうが正しい。2002年の京都オフでオレはカラコと知り合った。以降チャットやメールで話すたびにオレはカラコを口説いていたが、逢うには遠すぎたこともあってオレはカラコに対して、「言うだけなら簡単よね」な男に成り下がっていた。たしかに言うだけなら簡単だった。カラコの欲求とか苛立ちとか環境とかテーマとかそういったもの全てを受け入れる覚悟のないまま、安っぽい言葉を並べ立てて、パソコンの前にいる彼女の時間をただ快楽的にオレは浪費させていただけだった。カラコの、アウター側へ向かいたいという欲求の切実さに気づいたのは、「ナカムラさーん、わたし今大阪にいる」というメールを受信したときだった。カラコは、全てのキャッシュフローや、快楽と苦悩のバランスシートを検証しつくし勝算を見出したからこそ、新しい土地で暮らそうと思ったのだろうとオレは感じ取った。そのとき「大阪」ときいてオレがまっさきにこすりつけの顔が思い浮かんだのは、京都でも兵庫でもなく、大阪だったからだった。カラコとこすりつけと、コビックとオレと、そしてフランスでもって、よくプライベートな会話をしていた。そこではなぜかお互いのことを、ハンドルネームではなく、本当の名前で呼び合っていた。実際のところ照れくさくて仕方がなかったが、そういった暗黙のルールが出来るほど、盛り上がっていたということの象徴だとして受け止めていた。それは1ヶ月とか2ヶ月とか、そういった短いクールで終わってしまったけれども、我々はそこで「仲間」から「友人」になっていった。たった一人の女であるカラコを、我々全員は愛してはいたが、カラコの全てを受け止められる男はそこに、一人しかいなかったのだった。オレはカラコと話をしようとして、むさ苦しい男どもを端によけてカラコとmimiがぽつんといる席に移動した。こすりつけで本当にいいわけ?とか、後悔してない?とかカラコに何をきいても、「うん、いまいい感じで落ち着いてる」とか「だいじょうぶ、暴力はふるわれてない」だとか、つけいる隙のないコメントをカラコはした。カラコへのインタビューを隣でこすりつけも聞いていて、オレはいつこの黄色いサイクルジャージを破られるか気が気ではなかったが、めずらしくこの丸くてかてかとした頭の男は押し黙っていて、暗黙裡に女を守るような態度を示していた。この男のこんな態度を見るのはオレは初めてだったから、少し戸惑った。コビック(4690)は小熊のように縦横無尽に暴れていて、PCBは2階から川に向かって全てのものを吐き出していた。とんぼりとmimiは肩を抱き合って写真に写り、写っている間中も二人はしゃべり続けていた。ジャージは船を漕ぎ始め、カラコとこすりつけは乳繰り合っていた。オレは誰の話だかわからない話をききながら、自我を失いかけていた。どれが誰のジョッキか全くわからない状況に我々のグループ全体はなっていた。ジャージは船を漕いでいた。笑っていない人間はひとりもいなかった。四条河原の陽はすっかり暮れていた。
2003.09.09
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「こすりつけとかカラコってさ、あたしにとってはお話の中の登場人物、なわけじゃない?不思議が書いたやつあるじゃん?あれ読んでてさ、この2人がこうなったんだ、っていうあたしはその結果を見に行く?みたいなさ、なんかこうさ、ね、感動しない?」各駅停車の東海道新幹線でmimiは4時間ずっとしゃべりっぱなしだった。静岡とか掛川のあたりで時計を見たとき到着まであと2時間半だったときには気が狂いそうになるかと思ったが、名古屋あたりではmimiの話に対する受け答えにもだいぶ精神が慣れてきたし、岐阜を通過するときに見た「関ヶ原」という看板を見て興奮したこともあって、京都までは割と短く感じられた。12時2分、こだま407号は京都駅に到着した。「モザート」とかいう喫茶店でこすりつけたちを待つことにした。待ち合わせの時刻が迫り携帯が鳴ったとき、「モザートっていう喫茶店にいる」という説明をしたがこすりつけは、「は?モザートてなんや?モーツアルトやろ」と落ち着いた口調で読み間違いを訂正した。ドイツ語はよくわからない。丸くてかてか光った頭の男が現れた。去年の9月、同じこの京都で待ち合わせていたときは笑みの一つも見せてくれなかったこすりつけだったが、今回は微妙に顔を弛緩させながら登場した。オレは軽く手を上げて合図したがこすりつけは小刻みに顔を震わせて応えただけだった。すぐ後から縦長の店内にってきた背の高い女はカラコだった。髪の毛をタイトにまとめてアップにした長い首筋には淡い紫色の布きれが巻かれていて、暑くないのかどうか心配になった。フランスのクルマが来るまでの間、我々はビールを頼んで乾杯したが、特に再会や初対面を喜んだようなセリフを言うわけでもなく、カラコ少し背が伸びたんじゃない?などの冗談を言ってオレは照れくささを紛らわせたりしていた。「アホボケ外から合図しとんのになんで気づかへんねんおまえら最悪やな」といいながらフランスが登場した。どうやら店の外から我々を発見しておどけたような顔を作って笑わせようとしていたらしいが、誰一人としてフランスの存在に気づかなかったどころか、隣の客だけに気づかれて彼は恥ずかしい思いをしていたらしい。「わし忙しいんじゃ、はよ飲め」とフランスにせかされてビールを飲み干して、オレとmimiとカラコとこすりつけにフランスを合わせた5名は京都タワーをめざした。京都タワーへ向かう途中のスクランブルでカラコの後ろに立ったとき、カラコの背が去年よりも伸びているかもしれないと真剣に思ったがそんなはずはないからよくよく考えてみると、となりにこすりつけがいるからカラコの背が高く見えてしまったのだと思った。一瞬トムクルーズとニコールキッドマンを思い出してそのことを伝えようとしたが、あの2人は離婚しているから縁起でもないし、こすりつけがトムクルーズにこれっぽっちも似ているわけがないから言うのをやめた。京都タワービルの内部はかなり古ぼけていた。1階こそ土産物屋で空しく賑わってはいたものの、2階は静かな本屋がテナントとして入っているだけで、これからいよいよ展望台に上るという意欲は全くかきたてられなかった。京都駅八条口の喫茶モーツアルトではドリンクだけのオーダーだったため我々はものすごく腹を空かせていた。時刻は午後1時を指そうとしていた。展望レストランがビルの最上階、つまり京都タワーの始点の部分に設置されていて、オレは京都の街並みを悠然と眺めながら食事が出来ると思い喜んで全員を誘導したが、内部はレストランの様相ではなく、ただの明るい食堂だったから、少し悲しくなってしまった。京都タワーの塔にそって円形になっている「展望レストラン」は、中央の部分が厨房になっていた。客もまばらにしかおらず、食器を洗うカチャカチャした音などが聞こえてきてなんだか心細くなってきてしまった。昭和40年台から使われてきたであろう古ぼけたパイプ椅子に座り、ハンバーグステーキと枝豆を並べてビールを飲んだ。最後に食べようと思って残しておいたハンバーグのひとかけらを、「これ、もらっていい?」といってこすりつけが食った。断る隙もなくこすりつけの箸がオレのハンバーグの破片にかかって、そのままこすりつけの口におさまった。オレが言葉を失っていると今度はフランスが、「はよ飲め、時間なくなるぞボケ」といって先を急がせた。どちらかというと遅刻してきたのはフランスのほうで、けなされるほどオレに非があるとは到底思えなかったが、言われるままビールを飲み干して先を急ぐことにしたのは、本当に時間が無かったからだった。京都タワーの展望室は想像していた以上に狭かった。ただ、窓に書かれている名所を記す文字が例えば、「伏見桃山城」であったり、「豊国廟」であったり「高台寺」などであることからオレは異常なほど興奮してしまった。歴史小説などで実際にヒーローたちが活躍した場所を生で見ていることが非常に感動的だった。京都タワーを出たのが2時半とかそういった時刻で、宴会は4時から始まるから、二条城を見てまわる時間はもうないという結論に達した。フランスのクルマで伏見のホテルまで行き、チェックインの手続きを済ませた。フランスのクルマの中ではずっとブルーハーツの音楽が流れていた。若いミュージシャンがカバーした曲を集めたトリビュートアルバムだということを説明された。坂本竜馬ゆかりの寺田屋を周辺から眺め、中津駅から四条大橋へ向かうことにしてフランスと別れた。見知らぬ土地で電車に乗るのはものすごく不安だったが、こすりつけがいたから安心した。「国盗り物語」や「竜馬が行く」などの著作で有名な司馬遼太郎の作品が好きでよく読むが、なぜ好きなのかということを考えてみると、権力や体制に反発する側がよく主人公として描かれているからかもしれない。権力に押しつぶされて散ってゆく男の話は美しいし、かきたてられるものがある。オレとmimiはこすりつけとカラコに従い、今回のメインイベントである四条大橋に面したところにあるビアガーデンに、戦場に赴く賊軍の兵士のような気持ちで向かっていった。かどうかはわからない。
2003.09.08
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ネット上の繋がりがきっかけで交流が始まり、何度か会って飲んだり遊んだりしている仲間が関西にいて、この日は関東に住むオレが関西の友人らに会うために京都へ行くことになっていた。ネット上がオンラインだとして、ネットの外で実際に会うことをよく「オフ会」と呼んだりするが、オンラインでそれほど頻繁に繋がる必要が無くなった仲間たちのとのこの集まりのことをオレは「オフ会」だとは思わなくなっている。オレにとってこれはオフ会でもなんでもないただの旅行だが、しかし外部的に説明する場合は「オフ会」と呼ぶほうが一番しっくりくる。実際mimiはこれのことを「京都オフ」と呼んではばからなかった。だがオレもわざわざ「オフというわけじゃない」というような無粋な説明はしなかった。楽天の日記リンクをきっかけにして通信が始まったmimiは、自分で独自に、例えばフランスやコビック(4690)といったリバースに来る仲間たちと親密になっていったが、そういった全く違うジャンルの人間同士が結びつく契機のようなものを作ることはオレの、このサイトを開設した当初の目的の一つでもあった。世界中どこへでも繋げられるとはいえ、共同体として閉塞しがちなインターネットのいわゆる「村社会」的な性質にオレは嫌気がさしていて、なんとか外へ向かって拡散してゆける方向性というか可能性を示したいと思っていた。その一つの形態としてこの楽天日記という方式をオレは採用した。複数の拠点からいくつかの外に向かうベクトル同士が自由に結合すれば、またそこに新しいエネルギーが生まれてなにかきっと楽しいことが起こるに違いないと思っていて、外部的な繋がりを促進するような仕事をオレは暗黙裡に行っていたのだった。そういった意味ではmimiはまんまとオレの策略に嵌った。mimiは、フランスやカラコやこすりつけやコビックなどと、ここリバースとは全く無関係なところで結びつき、独立した電力源を生成した。これは一つの理想的なモデルケースといってもよかった。mimiがそういった仲間たちとの交流を始めてから半年とかそれぐらいの時間が経過していたが、彼女はまだ誰とも実際に会ったことはなかった。この連中に会いたくなってきた、という欲求がmimiの中に芽生えたことをオレは見逃さなかった。偶然オレが彼らに会う機会があることをmimiに伝え、なかば強引に、会ったことの無い女を京都旅行へ誘ってしまった。まさか本当に「行きたい」と言うとは予測しておらず、内心少し慌てたが同時に、貴重な実験のサンプルを逃す手はないとも思った。理想的なモデルケースの被験者であるmimiは、想像以上の潜在能力を発揮しようとしていた。とはいえ、若いということだけが売りのバカな女が来ることになったらどうしていいかわからなかった。実際日記の文面や顔文字などで判断するとその危険性は充分にあったが、チャットや電話をしてゆくにつれてそういった不安は少しずつ解消されていった。待ち合わせ場所に時間きっかりに登場したオレは、先行して到着していたmimiを発見した。初対面のはずだったが、すぐにmimiだとわかったのは、写真で顔を知っていたこともあったが、まだ幼いといっていいほどの垢抜けないファッションセンスが、mimiのサイトのデザインと微妙にシンクロしたからだった。つま先やサンダルや胸元や二の腕から、若さが溢れ出ているようだった。化粧っ気のない顔には幼さやあどけなさが残っていたが、目だけはしっかりと落ち着いた輝きを放っていた。見るべきところを知っている、そんな目をmimiはしていた。「あれ、そう?」「え?」「mimi?」「うんそう」「へー若いねえ」「でっしょう?」他人同士の男と女が2人でいるときの最も理想的なカタチは「恋人」だ。必要以上に気を使わず、信頼し尊敬し合い、たまにエッチするかもしれない関係が「恋人」の前提だが、はからずも丸2日間行動を共にすることになってしまったこのうら若き初対面の女とオレがスムーズなコミュニケーションをはかるために必要で合理的な方法は、恋人同士になることだとオレは思った。「腹減った、もうメシ食ってきた?」「早起きしておにぎり作ってきた」「何個?」「2個ずつ」「やるねえ」「でっしょう?」悪くない。最初の会話はまるで恋人同士のようだった。相手がどう思っているかとかそういうこととは無関係にオレはmimiの恋人を演じることにした。池袋から地下鉄丸の内線で東京駅まで16分。丸の内から八重洲まで徒歩10分。新幹線の出発時刻は8時12分。まだまだ時間には余裕がある。mimiが作ってきてくれたおにぎりは少し小さい気がした。4時間後には京都にいることになっている。我々は恋人同士にしか見えない。プラットホームにはアナウンスやベルが鳴りひびいていてうまく話を聞き取れない。顔を近づけて話をした。空腹が解消されて眠くなってきた。新幹線の中で、少し眠れるかもしれない。東海道新幹線こだま407号は各駅に停車します。お乗り遅れのないようご乗車になりましてお待ちください。
2003.09.07
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京都旅行から帰ってきて荷物を片付けてシャワーを浴びて、パソコンとビールの栓を開けメールなどをひとしきりチェックしたあとこれを書き始めている。9月7日、時刻は8日の午前0時を指そうとしている。これから約1週間ほどかけてオレはこの京都旅行のレポートを書くことになるがその前に何処へいって誰と会ってとかいうような簡単なあらすじだけまとめておこうと思う。カラコとこすりつけを祝福するために京都へ行くことになっていたがオレはそれに付加価値をつけたくて行程に京都観光を盛り込んだ。本当に2人を祝福するためだけに京都くんだりまで赴いてしまったという実績を残すのがなんとなく照れくさく、好きな歴史小説の多くの舞台になっている京都の旧跡をめぐるついでに祝うというカタチにしたいと思ったのだが、ココロから祝福していないというわけではない。祝う側としてオレはこの今回の集まりに出席したが、観光とか食事とか宴会で、多くの人の時間や気持ちを使わせてしまうことになった。ご迷惑をおかけして申し訳なかったとか、とても楽しませていただいたどうもありがとうだとか、そういったことを言うべき立場では本来ない。げんに京都あたりで関東から来た我々を出迎えてくれた奴らは、たとえばオレのそういう謝辞を受け取りたい雰囲気はまるでなかった。京都観光したい、というオレのわがままに、7人とか8人とかそれぐらいの人数を付き合わせてしまったが、迷惑そうな顔をしたのはフランスただ一人だけだった。それが彼独特の愛情表現なのかは全くもってわからないけれども、とにかく全員が示し合わせたように「粋なはからい」のようなものをこころがけていて、少し格好よすぎて笑いたくなった。この仲間たちに会うためにオレは三度京都へ行って、今回ようやく念願の史跡めぐりを果たせた。京都の街並みも非常にスタイリッシュだったが、関西あたりに住む連中の精神もスタイリッシュだ。こういったことを書くとまたとんぼりあたりに「中村は最近媚びてきている」とかいわれそうなのでもう書かないが、素直な気持ちであることも確かで、たまにそういったことも伝えておきたい。新幹線で京都往復+ホテル付で2万という格安チケット情報を入手していた。各駅停車のこだまで京都まで片道4時間かかる便。安さと時間を秤にかけて、この場合安さを選択した。初対面のmimiと合流した。4時間の新幹線の中でmimiはずっとしゃべりっぱなしだった。おかげで4時間は短く感じられたかもしれない。京都駅。こすりつけとカラコとフランスと合流した。当初の計画通り京都タワーへ登ったがそこで予想以上に時間を使ってしまい、二条城は翌日に延期するとこになった。フランスのクルマで坂本竜馬ゆかりの寺田屋へ行った。フランスは芝居を見に行く予定があり皆と別れ、あとの4人は宴会場である四条大橋のビアガーデンへ向かった。河原沿いの建物の2階のベランダでまだ陽が高いうちから飲み始めた。こすりつけ、カラコ、mimi、オレの次にPCB、とんぼりとそろってゆき、コビック、ジャージが来て全員が揃った。2次会はカラオケ屋。どこをどう歩いたかわからないまま、京都の街並みとは無関係なカラオケボックスへ入った。PCBはトイレに閉じこもっていた。オレはコビックと一触即発の状態になった。何時かわからないまま解散した。23時とかそういった時間だったがオレは信じられないほど酔っ払っていた。ホテルへ戻って、寝た。二日目の朝、コビックからの電話。「PCBあのボケわし置いて帰りよんねん」。10時に京都駅に出る旨を告げた。カラコやこすりつけやとんぼりやフランスに電話をした。観光に付き合わせるためだ。電話に出なかったのは、フランスだけだった。10時きっかりに京都駅でコビックと合流しやがてとんぼりも現れた。コビックは挨拶するだけが目的だったらしく、すぐに姫路へ帰ってしまった。とんぼりのクルマで京都観光をした。とんぼりは勝手に進路を決め、頼んでもいないのにガイドをした。祇園、八坂神社、本能寺址を巡った。二条城でとんぼりと別れた。本能寺址に立ったときに、オレは少し涙ぐんだ。京都御所で、こすりつけやカラコや2キッズと合流した。2キッズはなんというかものすごく感受性が豊かだった。現在の本能寺に、信長の遺品が展示されているという情報を入手しこすりつけたちと別れた後に向かった。午後4時の新幹線に乗り、午後8時に東京へ着いた。コ洒落たバーでmimiと少し飲んだ。mimiは「伊達鶏の温泉玉子サラダ」という料理を気に入り、2回同じものを注文していた。やがて解散し、オレの京都旅行が終わった。とりいそぎ報告として全体のあらすじだけ書いた。これから1週間ぐらいかけて詳細を記してゆくが、結論として非常に楽しかったということだけ、先に伝えておきたかった。また会おう。
2003.09.06
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京都旅行が明日に迫っていて、少し緊張してそわそわしている。具体的には、心臓とかそのあたりの内臓がいつもより活発に動いていて、高圧で押し出される血液がものすごいスピードで体内を循環しているような感じになっている。つまり血の巡りが非常にいい状態なわけだが、これが健康かというとそうでもない。流れ込む血液の量は血管の容量を超えていて氾濫しそうだ。急激な血流の水位変動は多くの場合、脳への信号に変換される。血液が体内に影響して起こるざわざわした感じ、背筋に衝撃が走る感じ、腰骨のあたりがずしんと重くなる感じは、不安とか感動とか恐怖を伝えるためのメッセージだ。京都旅行を明日に控えてるオレが感じるこの体内の変化にはどういう意味があるのだろう。不安や恐怖でもないとするとおそらく、自我の崩壊を抑止するために、身体がアレルギー反応を起こしているのだろう。ざわついた感じがしたすぐあとに、無性に暴れたくなる衝動がこみ上げてきたりする。あるいは身体が、京都モードへとすでに切り替わっているのかもしれない。いつもは宴会前になるとかならずどこかの掲示板で盛り上がったりして自動的に気分が高まっていくのだが今回に限ってはそういったことがない。仕方がないからオレがひとりでこういうことを書いて盛り上げていくしかない。いや正確にはひとりで盛り上がっている気持ちをどこかに発散するためにこうして書いているといったほうが正しいかもしれない。オレがお祝いに駆けつけたい旨を彼らに伝えて、いつにする?いつがいい?というやり取りを2,3度して日付が決まったきり、ほとんど何の連絡もしていない。たまに「6日4時に四条河原」とかいうメールが入ったぐらいで、例えば誰が来るとか翌日はどうするとか、こまごまとした計画のための相談やアナウンスはまるでなかった。本当に京都へ行っていいものなのかどうなのか不安なままmimiを便乗させチケットを手配した。彼らは地元だから慌てる必要もないだろうが我々は旅行者だ。主役ではないとはいえ、もう少し気の利いたプランを提示されてもいいのではなかったかと思っている。とはいえ、暴れだしたくなりそうなぐらいに楽しみにしていることは確かだ。よく寝て、気合充分の体勢で臨む。オレとmimiとカラコとこすりつけの他に、フランス、ジャージ、コビック(4690)、PCB、とんぼり人情といった連中が参加するらしい。とんぼりとは初対面になるから非常に楽しみだ。我々は正午過ぎに京都駅に到着する。出迎え、楽しみにしている。そういえばmimiとも初対面となるが、初対面という気はあまりしていない。他の誰にとってもmimiは初対面となるからいい刺激になってくれるだろう。調和したグループの中にmimiのような刺激剤を投入して、和を乱したり、集団としてのバランスを失わせるような仕事をするのは結構楽しい。予測できないことが起こるに違いない。
2003.09.05
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嫁の母親の母親が亡くなった。オレにとっては義理の祖母にあたる人だが、一度も会ったことはない。風邪をこじらせて肺炎を併発したらしいが、死因は寿命ということだろう。ちょうど100歳だった。黒い服を着て通夜に出席した。駅からタクシーで葬儀場へ向かう途中、急に空が暗くなり閃光や雷鳴がとどろいて不安な気持ちをかきたてた。やがて降りだした雨は猛り狂ったように勢いを増した。タクシーから建物の中に入るわずか2秒の間で我々はずぶ濡れになった。ハンカチやタオルで雨に濡れた服を拭いていると、黒い服を着た知らない誰かが近寄ってきて嫁と親しげに話し始めた。オレの見知った顔は1人もおらず心細くなった。嫁は古ぼけた親戚筋から、おおきくなったねとか、かわったねとか言われて楽しそうにしていた。香典を置いてホールに案内されたとき、まずどの座席に座るか気を使った。やや後ろよりの端の方に腰を落ち着けようと決めたすぐあとに、司会者がつつましやかに葬儀を進行し始めた。教会でいうところの中央のバージンロードから、花嫁と父親ではなく2人の坊主が現われた。坊主を迎えるのは花婿ではなく仏さまだ。坊主が経を読み始めた。意味のある言葉というよりも、なにかうめき声に近い経だったが、坊主の声には威厳や貫禄が備わっていて周囲の空気を揺るがしていたから、坊主が仏に伝えたいことがなんとなく聞き取れたような気がした。葬儀場のスタッフが祭壇の前に焼香のための台を設置した。坊主の読経はまだ続いていて、経の音をBGMに焼香が行われる。2名ないしは3名が一組となって前に出、焼香台の前で客席へ向かって一礼し、焼香台へ向き直って合掌する。香の粉をつまんで眉間に掲げ、香炉へ払うという手順を2,3度繰り返す。この動作にどんな意味が込められているのかよくわからない。焼香とお経がほぼ同時に終了した。坊主の説教を少し聞かされたのち、通夜式はしめやかに終了した。別室に清めの席が設けられていた。仏さまがまつられているホールの静けさとはうらはらに、清め会場は喧騒と笑い声に包まれていた。100歳で亡くなったおばあさんの子どもたち、子どもたちといっても60とか70とかそういった歳のじいさまばあさまたちが、兄弟との再会を喜んだり懐かしんだりしていた。どこそこの家の娘の旦那、という風にオレは紹介されながら、清めの盃を受けていた。嫁の親戚に顔を見せるためにオレはこの葬儀に呼ばれた。ただひたすら、ごぶさたしております、とか、お元気そうでなにより、とかそういったセリフを言うことがオレのこの日の仕事だった。葬式には、死者を弔う儀式のほかにも、家族や兄弟や親戚のつながりを確認するという機能もある。酒でもって死の悲しみを和らげ、家族的なつながりが生きる苦しみを和らげる機能を持つ葬式は、非常に合理的なイベントかもしれない。嵐のように降り続けていた雨は止んだが、電車はのきなみ止まっていた。黒いタイを外し、ポケットに入れて歩き出した。
2003.09.04
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9月に入って気温が急に上昇している。足りなかった分の夏の暑さが遅れてやってきている感じだ。今日は自転車ではなく電車で通勤してきたが、暑さに負けたからというわけでない。親戚の通夜があるため黒い服を着てきた。なんとこの暑い中、上着まで着てこなければならなかった。黒いタイをぶらさげて、100歳越えの大往生を遂げた親戚を弔いにいってくる。この暑さのせいというわけでないが、この頃よく苛立つ。自転車に乗っているときは後ろからクラクションが鳴らされるたびに苛立ち反発しようとするし、道を歩いているときに向こうからサラリーマンの集団が横並び3列ぐらいでやってきてもむかつく。奴らは決まってニヤニヤニヤニヤ笑いながら話していて隣に夢中だ。対面からすれ違うにオレの間合いのレッドゾーンを越えた中に入り込んでくるから、耐えがたい攻撃衝動を抑えるのにかなり苦労する。茶髪のサラリーマンを見るのも不愉快だ。本人は軽くしているつもりだろうが、スーツに茶髪はかえって逆に暑苦しくて迷惑だ。それにすこぶるアタマが悪そうに見える。というよりも仕事が出来そうにまったく見えない。それと、毛先に変化をつけている男も蹴飛ばしたくなる。ちょっと長めの髪を梳いて先を細くしてわざとぼさぼさにする新しい技術なのかもしれないが、どうみても自分で散髪して失敗したようにしかみえない。自分が芸能人と同じ容姿ではないということに、気付いていないのだろうか?後ろの席の若いスズキ君はガンダムオタクだ。デスクの周辺にはギャンとかドムとかグフとかザクとかが、たくさん飾られている。それは許す。許せないが許してやる。そのスズキ君が今度結婚するらしいのだが、昼休みになるといつも1こ上の女の同僚のところにいって、結婚式のアドバイスを受けたり、ブーケは何色がいいとか、料理を出すタイミングが少し遅いから文句をいったとか、親族紹介の時間が短すぎるとかなんとかそういった話を延々としていてオレの耳にも入ってくる。苛立ちを抑えるのに必死で昼寝ができない。あといつも髪の毛を触りながらケータイをパコパコやってるフジイくんもどうにかしてほしい。こないだなんかトイレで両手フリーの状態で左手で髪の毛をいじり右手でケータイをいじりながら用を足すといった離れ技をやっていた。混雑したトイレの個室から、たまにあのパコパコケータイのボタンを押す音が聞こえると上からホースで水をかけたくなる。クソかメールかはっきりしてくれ。暑い夏はまだまだ続きそうだ。
2003.09.03
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今週の土曜、9月6日に京都へ行って遊ぶことになっていて、そういえば去年も9月に京都へ行ったな、なんてなことを思い出した。当時2ちゃんねるの自転車板というところを主戦場としていたオレはそこで深めた交流でもってフランス主宰による京都オフに参加した。フランスが企画するオフはいつも、温泉宿で会席膳をならべて、浴衣を着てビンゴをしたり、飛び跳ねながらカラオケを歌ったりするようなベタベタな宴会だった。去年の9月に行われた京都オフの模様をオレはレポートとして、2ちゃんねるに書き記していた。当然、煽られたり荒らされたりして大変だったけれども、なんとか最後まで書くことができた。その原稿をパソコンの中から見つけたのでなんとなく載せてみることにした。人様に見せられるような技術のものではけしてないけれども、我々の仲間の記録としては使えるものだと思うので、例えば3年後とか10年後とかに見たときに、ああこんなこともあったななどと思うきっかけにでもなってくれたらいいなという意味を含めて、残しておきたくなった。時を前後していくつかのイベントが同じ2ちゃんねる自転車板から派生した仲間で行われた。パソコンの中から見つけた順にページに載せた。時系列でたどると、「関西オフラインレーシング2001→浜松オフ2002→京都オフ2002→乗鞍スノボ2003」という順になる。ごく内向的というか、仲間内のために書いたレポートである。たとえば「春風」という登場人物は、名前だけで暗黙的に通じるところがあり、説明がいらないから説明を省略していたりする。そういった意味でこのレポートは万人に向けられたものではない。しかし今のオレがあるのは、こういったイベントを含めた全ての過去のおかげだし、これらに関与した全ての仲間が、なにかしらの影響をオレに与えていることは確かだ。もし、ものすごくヒマだったら読んでみてください。「京都オフ2002」 2002年9月 おおフランス主宰による。京都嵐山ホテルで宴会。 太秦映画村では時代劇の扮装を楽しんだ。コビック、こすりつけ、 カラコ等。「乗鞍スノボ2003」 2003年2月 自転車乗りの聖地、乗鞍でスキースノボを楽しむ。 当初スキースノボ板とのコラボとして銘打ったが結局、自転車板 のみが集まった。ねりわさび、春風、ジャージ等。「関西オフラインレーシング2001」 2001年12月 フランスに会おう、という名目で開催された。 大阪の3人は多くの伝説を残し、我々は運命的な出会いを遂げた。 杖レ、まきうん、Arai等。「浜松オフ2002」 2002年5月 フランスオフ第1弾。自転車、スノボ板から併せて総勢 50名ほどが集まった。伝説は、ここからはじまった。2ちゃんねるのイベントに参加するとオレは必ずレポートを書いた。なぜこんなだらだらと長いのを書こうと思ったのかというと、それは例えば写真のように記録しておきたいということもあったし、映像をトレースすることで2次的な盛り上がりを作りたかったということもあったが、本当のところはというと、「こんなに楽しいこともあるんだよ」ということを、2ちゃんねらーたちに伝えたかったのだと思う。オレはつい最近まで2ちゃんねるにいたが、自分を2ちゃんねらーだと思ったことは一度もない。2ちゃんねらーは、我々をよく攻撃した。ただ単純に、楽しんでいるだけのところを我々は攻撃された。嫉妬しているに違いなかった。そんな彼らを憎んでいたオレは、さらに挑発してやりたくなった。そういったことが、これらのレポートを書く原動力になっていたといえる。そしてこれらのレポートに登場する愛すべき仲間たちに共通していることはたぶん、どんな理屈よりもまず「快楽」を求めて集まってきたということだ。みんな自分の欲望だけに忠実な連中ばかりだった。快楽を目の前にしたら、政治感覚とか経済感覚とか、そんなものは全く関係なくなっているおまえら、最高だ。
2003.09.02
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秀吉の死後豊臣政権は、武闘派と官僚の対立構造が顕著になった。武闘派をとりまとめた徳川家康率いる東軍と、官僚のリーダー石田三成が率いる西軍が、天下分け目の決戦を行った。1600年、関ヶ原の戦いである。関ヶ原の戦いに勝利し実質の政権を奪取した家康は翌年、豊臣恩顧の諸大名に二条城の築城を命じた。徳川政権が樹立した1603年、江戸幕府開府とともに二条城は完成した。二条城は京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営された。1868年、落日の徳川幕府十五代将軍慶喜が250余年続いた政権の終止符となる大政奉還の儀が行われたのも、二条城である。歴史の趨勢と桃山文化のきらびやかさを今に伝える二条城に以前から興味があった。京都四条河原で今週末宴会が開かれる。昼頃到着予定だから宴会が始まる夕方までの間、少し観光してこようと思う。オレが勝手に決めたコースは、「京都タワー→二条城」である。カラコとこすりつけも出迎えついでにオレの京都観光に付き合ってくれるという。フランスも誘ったが「アホ、行くかボケ」とかなんとかいわれてしまった。でもきっと来るはずだ。宴会の名目は何度も言ったがカラコとこすりつけのお祝いだ。しかし名目にはそれほどこだわってはおらず、なんとなく会いたくなったから会いに行くと言ったほうが正確かもしれない。とはいえカラコが大阪に来ていなければ、この時期にオレが京都の宴会に行くことはなかっただろうから、やっぱり名目通りの理由でオレは京都へ行くのかもしれない。手土産をなににしようかと考えたときに、2人にものすごくぴったりな贈り物を思いついた。思いついたまま衝動的に買いに行き、キレイに包装してもらい、のしまでつけてもらった。もちろん当日まで内緒にしておくつもりで買ったのだったが、包装されたその贈り物を見ているうちに、なんだかそわそわしてきてしまった。やがて耐えきれなくなり、カラコに連絡し、贈り物の内容を打ち明けてしまった。カラコはその連絡を聞いて喜んでくれている様子だったが同時に、秘密にしておけないオレの体質をあざ笑うかのような口調で、「隠し事できないよね」といった。まったくもっておっしゃる通りだった。しかしこのそわそわした感じがあと1週間も続くと思うとどうしても耐えられなかったこともあって、秘密にしておいて当日に驚いた顔を見ることと、今の精神状態を較べて、打ち明けなければ非常に苦しい状態になることが判っていたから打ち明けたのだった。だからこのことは、打ち明けられるべくして打ち明けられたのだ。こすりつけにも、「内緒にしておけなかったおまえに乾杯」と嘲笑われた。オレは苦笑いした。仕方がない、こういう体質だ。
2003.09.01
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