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「犬、有りマス」という掲示板を開設したのは2001年の9月か10月。記録を探れば正確な日時は出てくるが、何年何月に開設したかということはあまり重要ではないから探す気にはなれない。開設前夜のことはよく覚えている。自転車板で、メールアドレスを公開した。当時の2ちゃんねるは非常に殺伐とした空気が流れていて、目立つ個人はものすごい勢いで叩かれたし、誹謗中傷の量も質も半端じゃなかった。そういった中で公開するということは、悪質ないたずらや嫌がらせを受けるなどのリスクがあった。つまり非常に危険だった。タブーだった、といっていい。不特定多数のいやがらせなどのリスクをあえて無視しこのとき、アドレスを公開しようと思ったのはきっと、なにか可能性を感じたからだ。この日、何通かメールが来た。しかしいやがらせは皆無だった。このときのメールの中に、こすりつけ最高からのものと、もう一人、「マキ」という名の女からのものがあった。とりわけこの2人とのメールのやり取りが楽しく、しばらくの間、3人だから組み合わせ的に6方向の、メールの送受信をしていた。ところが途中で、メールを3人でやり取りするこの形態の効率の悪さに気付いた。例えばマキから、「こすりつけさんてどんなひと?」というメールが来たときに、オレはこすりつけに、「マキが『こすりつけさんってどんな人?』っていってるぞ」と伝言し、こすりつけから「どうもこうもあらへん、『剛脚や』ゆうとけ」という返事を貰い受け、そのままオレは、こすりつけがこう言ってたぞ、と付け加えて、こすりつけの文言をそのままマキに伝えたり、といったような面倒な仕事もこなさなければならなかった。その3者によるメール交換の効率化を考えたときに思い浮かんだのが、「web掲示板」だった。ハードはよくわからいし、スクリプトは書きたくないから、レンタル掲示板を探した。レンタル掲示板を選ぶときに一つだけ注意した点は、「限りなくシンプル」だった。ブレインストーミングのために必要なのは、意思と表現したいという気持ちだ。そして文体で、性格を現せばいい。感情を装飾して表すために、記号や顔文字を使うのも自由だ。つまり文字や記号だけで、ほとんどの意思疎通はまかなえる。派手な文字や背景の色、あるいは壁紙や強調表示も一切必要ない。そういった無駄な装飾は一切排除したいと思っていて、それを実践した。当初、「秘密あります」という名前でスタートした掲示板はすぐに、「犬、有りマス」という名前にした。あまりにも直接的でダサいと思ったのかもしれない。白地だった背景色が少しグレーになったのは、そうした方が目に優しいと思ったからだった。つまり装飾に関して、変わったのはその2点だけだということだ。ともあれ「犬、有りマス」は、3人による情報交換の効率化を図るための手段にすぎなかったが、3人で使うにはweb掲示板という場所は、あまりにも広すぎた。3人は異常なまでに盛り上がっていたし、互いの情報にも餓えていたから、些細な言葉にも反応したが、もっとも怖れていたのは、「沈黙」だった。「次誰呼ぶ?」犬、有りマスが始まってすぐ、そういう話題になった。表面的に、公開してもいい情報は全て公開していたし、親密になるほど、お互いの警戒は解かれていなかった。「フランス呼んだら盛り上がりそうだけど、きっとこないだろうな」オレとこすりつけは、「おおフランスを呼びたい」という意見で一致した。マキは、「だいじょうぶかしら?荒らされたり、ここをさらされたりしないかしら。」と躊躇の姿勢を示したが、賛成派二人の説得に折れて、やがて承諾した。当時「おおフランス」はまるで十字放射のごとく自転車板を荒らしまわっていて、その脅威を誇示し暴君として君臨していたし、誰の脅迫にも懐柔も屈しなかった。オレは、「反逆者」としてフランスをウォッチしていたが、こすりつけはフランスの「耐久力」に興味を持っていたようだった。それぞれ視点は違っても、フランスは非常に魅力的な存在だったということに変わりはなかった。専制君主たるフランスは、いつも取り巻きや軍師をそばに置いていた。このときのフランス軍参謀は、初代の「麻生澪」ではなく、「コビック」だった。犬有りマスを開設した2日後、オレは横柄な口調で自転車板のフランスに話しかけた。メールアドレスを教えたが、「こいつにメールすると馬鹿が移りそうだからな!!」といわれて拒絶された。そのときフランスは、コビックに、「馬鹿不思議がメール欲しがってるみたいだから、キミが送ってみたまえ!!」とかいう命令を出していた。翌日オレのところには、本当にコビックからのメールがきた。まずコビックに、犬有りマス掲示板の存在を伝えた。コビックはすぐに犬を気に入ってくれた。そして、フランスを連れてきてもいいかと、打診してきた。そうして暴君「おおフランス」は、犬有りマスにやってきたのだった。この時点で犬は5人。人数は少ないが、最高に盛り上がった。たぶんオレは、こんな濃くて面白いやつらを、掲示板という檻の中で「飼う」ということが刺激になっていたと思うし、でも彼らには「飼われている」、という自覚はなかっただろうから、なるべくオレも彼らとフェアな立場であろうと努めた。しかしオレは、この盛り上がりが一時的なものであることもわかっていたし、みんなが飽きてしまい、やがて書き込まなくなるということもイメージしていた。同じ刺激を繰り返して与えられると人は刺激を刺激と思わなくなる。それが、飽きるということだ。例えばオーナーとして、客を飽きさせないためには、常に新しい刺激の導入が必要だけれども、日々クリエイティブなトークを交わすには精神力が必要だし、精神力を使うということは、消耗するということでもある。少ないメンバーが消耗しながらお互いに刺激を与えつづけられるのは、陶酔して、どこかが麻痺していたからだったと思う。宴会の気持ちよさは、そう長くは続かないということは、誰でも知っている。だからオレは、あるルールを発令した。「1週間以内に、誰かが新しい人を連れてくること。 その約束を果たせなかったら、掲示板は閉鎖。」オーナーとしてみれば、客に依存しきったルールだった。「1週間以内に誰か連れてこられなかったら、おまえらのせいだ」ということだ。とてもわがままなルールだ。これは、ギャンブルだった。まずこのルールが、誰にも見向きされなかった場合、オレの信頼はなくなる。そして、1週間以内に誰か連れてくるというルールが守られなかった場合にも、オレはこの盛り上がっている場所を、閉鎖というカタチで、放棄しなければならない。しかしギャンブルには、リスクはつきものだ。そして新しい刺激には、新しい人が必要だった。オレはこのときの4人の客に、1枚ずつベットしたが、オレ自身にもベットした。つまりオレも、プレイヤーの一人としてギャンブルを楽しんだ。「犬」という言葉は、惨めな、とか、落ちぶれた、などを意味する形容によく使われる。しかし我々のギャンブルは、ことごとく成功した。そうして、犬は始まった。ギャンブルというよりもむしろ、投資だったかもしれない。
2003.04.30
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何も予定のない休日をどう過ごすか悩む。正確には、ブランチ(朝昼食兼用の優雅な食事)から、午後5時以降にビールを飲み始めるまでの数時間に、何をするかときどき迷う。ブランチは、納豆と目玉焼きと味噌汁。白米に、発芽玄米を少々入れる。目覚めたとき、腹がすいていることが多い。特に健康的な生活をしているから、というわけではなく、酒を飲むため夜あまり、炭水化物を食わないからだろう。だから朝は、猛烈に米のメシが食いたい。休日だと、茶碗2杯のメシを食う。平日の朝食は、時間がないからおにぎり1個だけだが、休日なら、たっぷり朝食に時間をかけられるし、食いすぎて苦しくなっても、余裕で寝っころがっていられる。つまり休日には、朝飯を食いすぎてしまう。朝食を食いすぎると、ビールが入らない。さすがに起きてすぐにビールは飲まないが、午後3時ぐらいになると、飲んでもいいかな、という気持ちになる。ところが朝飯を食いすぎてしまっているため、ビールが入らない。無理矢理飲むこともできるが、やはり酒は空腹時のほうがおいしい。ビールを飲み始める時間は、午後5時に設定している。なんとなく、昼から酒を飲むことの背徳感がなくなる時刻だからかもしれない。ブランチを食い終えて一息つくのが午後1時だとして、ビールを飲み始める午後5時までの4時間、雨でなければたいがい街に出る。街へ出ても大して面白いことが待っているわけでない。近隣の街といえば池袋だが、街自体が面白くない造りになっていないわけではなく、目的や欲望によっては非常に充実した、面白い街なんだろうとは思う。しかしこの場合、オレは目的もこれといった欲望もなく街へ出ているわけだから、街の快楽とか欲望とかいう機能の多くは、不必要だ。そして目的のないオレは、街にとっても不必要な存在だ。だが、街がオレを不必要としていることを、オレ自身が認めてしまうと、非常にヘコむことがある。だから何らかのカタチで街を関与したいという欲求を呼び起こす。街に関与できないオレは、尾崎豊風にいうと、とてもちっぽけな存在だからだ。だから、ちっぽけな存在かもしれない、という焦燥感とか危機感のようなものを打ち消すために、何をしたいかあるいは、何が欲しいか、とかいうようなことを考えた。新しいジャケットを買った。
2003.04.29
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これを書いているのは火曜の午前0時を回ったころで、オレは2本目のビールを飲んでいる。いつもこの時間には泥酔している。なぜ2本目なのかというと今まで仕事をしていたからだ。テレビではイタリア語講座がながれていてボンジョルノとかグラッツェとかカプチーノとか聞こえてくる。イタリア語の響きは耳に心地いい。NHK教育テレビのノリも心地いい。最近テレビ自体あまり見ないが、テレビをつけると選んでいるチャンネルはNHKだ。もちろん受信料は払っていない。NHKの受信料で思い出したが、先日、ずっと払っていなかった国民年金を、まとめて払った。という話を会社の同僚にしたら、その同僚の友人にも、国民年金を一度も払ったことの無いやつが2人いたらしい。その払ってないやつの職業は歯科医と弁護士。確かにそういった職種なら、払う必要はない。イタリアで思い出したけれども、オレは自分で変態ではないかと思うほど、女に目が行く。歩いていても電車でもクルマでも仕事中でも、いい女が通るたび、女を見てしまう。いや、女が通るたびに、いい女かどうか確認するために見る、といったほうが正確かもしれない。周りを見ても、あまり女をじっと見ている男はいない。オレも、女を見ていることをあまりさとられたくないから、悟られないようにはしているが、たまに目が合って、気まずい思いをしたりすることもある。あまりにも女に目が行ってしまうから、オレは実は変態なんじゃないかと思っていたが、それもどうも違うらしい。例えばイタリア。バスに乗っていて、道に一人の女が現われると、バスの中の男は一斉に、女のほうを向くらしい。若いのも中年も年寄りも、一斉に女のほうを向いて、ずっと見るらしい。ということはオレの、女に目が行くクセは決して変態だからというわけではなく、いわば国民性の違いということになる。ということはオレはむしろイタリア人に近い。なんだかよくわからないけれども、つまり今日は仕事がうまくゆかなかった。今日中に終わるはずの仕事をこんな遅くまでかかってやってなおかつ中途半端なまま休みになる。仕事は水曜に持ち越される。なんとなくすっきりしない感じ。
2003.04.28
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昨日BSで、尾崎豊リクエスト特集みたいな番組をやっていた。夜の8時から深夜0時まで4時間にわたって延々と、尾崎豊が流れていた。懐かしくて結局、最初から最後まで見てしまったが、とても疲れた。尾崎豊がデビューしたのはオレは小学生の時で、なんとなく衝撃的だった。確かにオレは15のとき、盗んだバイクで走りだしたが、ちゃんと元に戻した。100円玉で買えるぬくもりの、熱い缶コーヒーを握り締めたとき、「それ握ったまま10秒振りつづけられたら1000円あげる」と女の子に言われ、挑戦したが熱くなって無理だった。彼にのめり込めなかった原因の一つが、彼のファンの倒錯ぶりだった。ファンはいつも尾崎豊のことをオザキと呼んで、教祖のように崇拝していた。ファンは哲学的で文学的な言葉を使って、彼の発した言葉を自分の思いとして摩り替えていたりした。昨日のテレビでもそうだった。番組は、「ファンとともに歩むオザキ」みたいなノリを出そうとしていて、多数寄せられた熱いメッセージをドラマティックに紹介しながらリクエストに応えていくというつくりになっていたが、どれも同じようなファンによるメッセージにはうんざりだった。ときどき尾崎豊本人が、カメラに向かって哲学的なセリフを吐いてたりしていたけれども、それも見ていて非常にこっぱずかしかった。歌だけ聞かせてくれたらよかった。そうすれば番組は、2時間で終わったはずだ。尾崎豊で思い出したというわけではないが、オレは子どものころから、家を出たいと思っていた。尾崎豊風にいえばむしろ、家を飛び出したかった。15の時に父親にその旨を伝えたが却下された。19でようやくその夢は叶い、以来親とは2年に1度ぐらいのペースでしか会っていない。家を飛び出したかったのも、今それほど会っていないのも、親や家族が嫌いだからというわけでも、トラウマがあったから、というわけでもなく、ただ単に、一人で暮らしたほうがカッコいいから、と思っていただけだったような気がする。ところが最近、両親や、オレが生まれ育った家の夢をよく見る。昨日は、タイムスリップする夢だった。過去ではなく未来へ行き、未来に行ったにも関わらず両親や祖父母は若返っていた。なぜ若返っているのかというと、未来では若返りのクスリが開発されていて、みんなそれを飲んでいるから、ということだったと思う。オレはふうん、といった感じで、勝手知ったる家の食器棚やテーブルを見て安心していたが、「おまえその指、どうした?」と父親に言われて、左手を見た。そしたらオレの左手の薬指が、第二関節から切れてなくなっていた。痛みもなく傷口もふさがれていたが、指が1本なくなっていたから慌てた。そういえばタイムスリップの衝撃で、身体の一部が抜け落ちることもあるかもしれないといわれていたことを思い出した。欠けた体の一部を元に戻すには、もう一度タイムスリップすればいいはずだった。両親には、また戻ってくることを告げて再度タイムスリップした。またもとの実家の、台所に戻ってきた。今度は左手の、小指と薬指と中指が、欠けてなくなってしまっていた。また行かなきゃ、とかそういうことを言って出かけようとしたところで目が覚めた。今日は、「凶気の桜」という映画を見た。話的には全然つまららなかったけど、クボヅカくんが出ていたのと、セリフや映像がなんとなくスタイリッシュだったから、結構楽しめた。クボヅカくんの映画には、ハズレはない。だから「魔界転生」も、非常に楽しみ。これから、「Dolls」を見る。
2003.04.27
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また選挙だ。今度は区議会議員選挙だというから、演説するクルマの数も半端じゃない。昨日の夜、(これを書いているのは日曜の朝だから、土曜の夜)家の周りではおそらく10台ぐらいのクルマがスピーカーで、候補者の名前を連呼していてとても不愉快だった。ある女の候補者は、なぜか感極まって涙声になりながら「ありがとうございます」を繰り返していてタチが悪かった。3階から生卵を投げつけてやりたくなった。これは誰かが言ったことかも知れないが、もしマイナス分に一票投じられる選挙制度になっていたら、オレは喜んで投票所に足を運ぶかもしれない。先週はなにかと忙しくしていた。忙しくても、毎日日記を書くということも果たさなければならない。誰かに約束したから、というわけではなく、自分でそう決めたから書いている。毎日、何を書くかということを考えることがオレにとって、重要なことになっている。昨日、仲間が集まる掲示板サイトに、ここの宣伝をしてみた。アクセス数は驚異的な延びを示し、開設以来最高を記録したが、残念ながら、掲示板への書き込みは1件も無かった。お寒い限りである。このシリアスな感じが人を遠ざけてしまうのだろうか。もう少しおちゃらけた感じを出そうか。いや無理。
2003.04.26
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仲間が出走する次のレースまで1時間近くあった。最終節、Sクラスに「こすりつけ最高」。Aクラスには「へだま」が出る。こすりつけ最高は、2年前にネットで知り合った友人だ。通算して10回も会っていないが、それほど会っていない気がしないし、会わなくても特に困らない。ただ会う機会があればオレは、時間も金も体力も惜しまない。へだまは、昨日初めて会った。頬がこけた、精悍な顔つきだったし、体型も非常にシェイプアップされていて、細いが力強い印象を受けた。ただ、話し方や動作や姿勢がなんというかコミカルで、まるで威圧感がなかったから、オレはすんなり会話することが出来た。レースが始まるまでの時間を利用して、レストランで食事をすることにした。レースを終えた仲間や観戦者の多くが一つしかないレストランに入ったが、このレストランにいるのは、我々の仲間しかいなかった。何百人もの選手が今日のレースに参加していて、レストランはもっと混雑してもいいと思ったのがガラガラだった。他の選手たちは、持参したサプリメントや栄養価を計算された弁当を持参しているのかもしれなかった。オレは冷えた弁当や湿ったパンより、温かいスパゲッティのほうがおいしいと思うから、ナポリタンを注文した。「中村、ビールは?」と勧められたが、「いや、運転があるから」と断わった。本当は運転があるから断わったのではなく、雨に打たれて濡れた身体が死ぬほど冷えていたから、ビールを飲む気にはなれなかっただけだった。スタート5分前になり、ピットには選手が続々と集まってきていた。Sクラスに出走するほとんどの選手は無言のまま真剣な表情で、集中して意欲を高めようとしたり、筋肉をリラックスさせようとしてストレッチの運動を繰り返していたりした。ところがこすりつけ最高だけは、仲間に囲まれてヘラヘラとした笑顔を浮かべたまま談笑していた。顔も身体も弛緩しきっていて、これからトップクラスのレースに出場する選手とは到底思えなかった。スタート予定時刻を過ぎても、選手たちがピットにいたままになっていたのは、まだコースに前のレースの選手が残っていたからだった。やがてコースの準備が終わり、選手達は、「スタートラインに行きなさーい。選手は、急ぎなさーい。」という命令口調でスタートラインへ誘導された。あの命令口調に腹を立てたのは、オレ以外に50人はいたに違いない。我々も駆け足でスタートラインへ向かい、エセカメラマンであるオレは、唯一レーサーが静止している最も撮影しやすい写真を撮りたかったが、カメラを構えたのと同時に号砲が鳴って、オレは仲間の姿を確認できないままスタートを見送った。雨は止み、代わりに霧や靄があたりを支配し、視界はほとんどゼロだった。コースの端を伝って歩き、観戦ポイントである登り坂のヘアピンに着いたときオレは少し身体を震わせてしまった。雨で冷えたからということもあったが、この坂を、色とりどりのレーサーたちがものすごいスピードで駆け上がって来るシーンを想像してしまったからでもあった。残念ながら霧で見通しが悪く、カメラのオートフォーカスもうまく機能してくれず、ファインダーの中は白一色だった。それでもオレはこの霧の向こうから、先導のオートバイをライトに続き、例えばこすりつけ最高が先頭をきって集団を引き連れて現われてくるイメージが何度もアタマの中に浮かんできたりして、オレは非常に緊張した。Sクラスの先頭集団が、白い霧の中から浮かびあがってきた。オレのカメラのフォーカスは、まだ選手の姿を捕捉できない。ヘアピンの内側にいるギャラリーから大きな歓声が起こった。ヘアピンの内側にいるのはほとんど我々の仲間だった。歓声の原因をつきとめるべく集団にカメラを向けた。ファインダーの中を先頭が通過しようとしたとき、こすりつけ最高が現われた。Sクラスの先頭集団を上り坂で、こすりつけ最高が引いている。オレは慌ててシャッターを切った。何枚も切ったが、1枚でもその背中を捉えたかどうか。Aクラスの「へだま」はいつも先頭から2番手や3番手のあたりにいた。遅れても中段よりやや上にいて、常にレースをコントロールしていた。赤と白の派手なジャージに身を包み、流線型のヘルメットをかぶり、シャープな形のサングラスをして集団をコントロールするへだまの姿から、昨夜の宴会のコミカルな印象は全く消えていた。だからオレはAクラスがやってくるたび、へだまを探すのを苦労した。オレがヘアピンの内側でカメラを構えていたとき集団は、インコーナーギリギリを、遠慮なしに攻め立てていて、そのなかで一番鋭く自転車を倒れ込ませてきたのが「へだま」だった。オレのカメラのレンズの先と、へだまの顔がわずか20センチになったとき、シャッターを切った。動くモデルを撮影するオレのスキルも、あがってきている。Sクラスでは、先頭集団から2人が大きく逃げ、後続との差は1分近くになっていた。つまりこすりつけ最高には、優勝する見込みがなくなった。オレはがっかりした。最終周回。こすりつけは我々の目の前を通過するとき、中段よりやや後方に下がっていた。なんだよ下がってんじゃん。オレはイライラした。「スプリントのために、足貯めてるのかもしれん」オレの耳元で、小粋な帽子をかぶったPCBがいった。「もう3位ねらいやから、おたがいに牽制してるのかもしれん。 こういう場合、先に前に出た奴が、たいがい不利になる」PCBのその言葉を聞いたオレは、こすりつけの3位を確信した。だからSクラスの先頭に照準を合わせて、じっとカメラを構えていた。やがて先頭がやってきて、オレはトップの選手に向けてシャッターを切った。何度も何度も切った。こすりつけ最高が写っているかどうかに関しては、確信は持てなかった。でもそんなことは、あまり気にならなくなっていた。このレースに関与したみんなが、最高だったからだ。
2003.04.25
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Bクラスのレースを終えた連中がチノやジーンズに着替えて戻ってきた。顔も身なりも清潔になって、レースから少し時間が経って精気をとりもどしていた。「いい坂があるんだよ」レースを体験してコースを知った仲間が、観戦ポイントを教えてくれた。仲間は一列になってコースの端を歩き始めた。400メートルもあるいただろうか。前を歩いていたカップルがあずまやを見つけた。「うちらはここで」といってカップルの男のほうは、あずまやの中に入ってタバコをくわえだした。彼の肩にはコルセットが巻かれている。自転車レースで転んでホネを折った。オレと、オレのカメラに傘を差しつづけてくれていた予備校生もそれに追従した。先導のオートバイや先頭集団が通過しても春風やねりわさびの姿はなかった。少し心配になったが、しばらくして最初にねりわさび、やがて春風とやってきた。このXクラスは、先頭集団から後方までが、他のどのクラスと較べ、ものすごく縦長だったし、先頭集団もあまり、集団として機能していないように見えた。自転車レースは、集団において行かれたら最悪だ。一人で走ることは孤独だから、レースに参加しているという自覚を失う。遅れたら一人で先頭集団に追いつくことは奇跡に近いから、勝つ可能性を失う。だからできるるだけ集団に追いつこうとするが、オーバーペースになり体力を失う。集団から乖離することは自転車レースにとってマイナスの要素しかない。そういった意味で、集団から離れて孤立するということは、最悪だといった。オレはオレ自身が、社会的な部分でもって、「集団」とどうかかわっていくかをいつも考えている。オレは誰にも頼るとこなく独立した個人として生きたいと思っているし、集団の一員として機能することも、集団に溶け込むこともあまり得意ではない。だが生きていく上で、集団と関わっていくことは非常に重要なことだ。集団の中にいるのが苦手だとしても、集団の中でうまく立ち振る舞えるスキルは磨かなければならない。オレの自我は、他人や世間からの評価で成り立っている。オレはオレ自身の、他者からの評価をあげるために自分を磨こうとしているから、集団は嫌いでも、決して集団はおろそかにはできない。ジオスはたまに、先頭集団のトップになってオレの前に現われたりした。オレがカメラを構えると、顔はぐしゃぐしゃなのに笑ってVサインをくれたり、「がんばれ」とかいう非常に曖昧な声援を送ると、「がんばれね~」などと叫んで我々を笑わせ、余裕をみせた。春風やねりわさびはそれぞれ単独で走っていた。彼らの間隔はいつも20秒とか30秒だったけれども、彼ら2人は最後まで協力し合おうとはしなかった。やがてXクラスやDクラスのゴールを迎えた。Dクラスのジオスは終始、先頭集団をコントロールできる位置にいた。ゴール前、果敢なゴールスプリントにもかかわらずジオスは、集団の中に埋没した。入賞はしたが、優勝ではない。「入賞おめでとう」といっていいかよくわからない。Xクラスの春風とねりわさびは、中ぐらいの順位だった。「よくがんばった」といっていいのかどうかわからない。自転車レースは、「集団」が大切だということを教えすぎている。ギャラリーにとって必要なのは、集団から抜け出す個性であり、スキルであり才能だ。部品やメカやサプリや洋服のデザインなどの分野で強くても、あまり魅力的ではない。
2003.04.24
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レースを終えて戻ってきた仲間にカメラを向けたが、誰一人として笑顔を繕って撮影に協力してくれた選手はいなかった。皆肩で呼吸しながらも、シリアスな視線を義務的にカメラに送ったのは、それしきの余裕は残っているということを、誰かにアピールしておきたかったからなのかもしれないとオレは思った。どの選手も、泥にまみれ、雨でふやけ、寒さで青白い顔になっていた。勇敢に戦った彼らの汚れた顔を、オレは少し羨ましく思った。と同時に、オレは観戦者で良かったと、心の底から思った。オレも何度かレースに出たことはあるが、それほど楽しいとは思わなかった。苦しいだけだったし、それほど速くは走れなかった。ということは、才能がないということだ。少しでも才能があるかな、と思ったら、才能を延ばすために努力も出来る。しかし才能そのものが無ければ、努力してもなにも延ばせない。レースに出るより、観戦してるほうが楽しい、とこのとき思った。レースを終えた仲間はどこかへ消えてしまった。おそらく濡れたレーサーパンツを脱いで、乾いた綿のパンツに履き替え、ジーンズやチノやシャツやスニーカー姿になるために、クルマに戻るのだろう。オレは一人になった。一人なのは寂しいが、仲間と群れるのもあまり好きではない。ある日、一人なことが寂しいのは、対外的に孤独と思われることが嫌なだけだと気付いた。オレは個人として独立しているべきだから、他人と群がらなくてもいいとも思っている。しかし暖かそうなレストランの中に、知り合いのカップルが入っていった。それを見たオレは「邪魔していい?」といいながら無遠慮にカッパと帽子を脱いで、コーヒーを頼んだのが10時過ぎ。カップルはそれぞれ魚介のスパゲティーとリゾットを注文して、オレはとてもおいしそうだなと思ったが、昨日飲みすぎたし、まだ腹は減っていなかった。レストランに、カップルの仲間とおぼしきレーサーが入ってきて初対面だったが、すんなり話せた。次のレースに出場する選手だった。スタート時刻は10時半だという。あと15分しかない。カップルがオーダーした魚介のスパとリゾットは、まだ半分以上残っている。オレはコーヒーを飲み干し、カッパを着て帽子をかぶった。雨は降り続いている。例えば「野球が好き」には二通りある。プロ野球選手になりたくてトレーニングして才能を磨く人と、トレーニングによって磨かれた選手を見る人。たぶんサッカーや格闘技にも二通りの「好き」がある。サッカーそのものが好きな人と、サッカー選手が好きな人。それと同じように自転車にも、二通りいてもいいと思う。競技自体地味だが、これほど肉体や精神に忠実なスポーツはない。それに優勝するのはほとんど奇跡に近いから、もしひいきの選手がゴール前にトップで現われたならオレは、腰骨のあたりがずしーんと重くなるくらい緊張してしまうかもしれない。やっぱりオレは仲間の優勝争いが見たい。「春風」と「ねりわさび」はXクラス。初出走、ランクの無いレース。競馬でいうところの、新馬・未勝利戦。春風にカメラを向けると、こちらを向いてポーズをつくる。エセカメラマンとしては、非常に迷惑な行為だが、緊張をほぐしているのかもしれない。そういう意味では、オレはよく機能している。ねりわさびは、終始固まっている。緊張が伝わってくる。スタートした。Xクラスの後発3分後。Dクラススタート2列目の「ジオス」とは、レストランで初めて会った。白地に青や紫で文字が書かれたサイクルジャージを着ている。とぼけた、濃い、人なつっこい顔をしている。Dクラスは、過少申告らしい。ということは、トップを狙えるのだろうか。なんだか人の名前を、ハンドルネームで伝えるのがバカバカしくなってきた。なんだろうこのハンドルネームって。いい大人がデタラメな名前付けて、なにが面白いんだろう。
2003.04.23
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Bクラス。速い順に、S、A、B、C、D、Eと分かれている。他に、初回参加はX。シニアクラスはO。女子はW。このBクラスには、仲間が最も多く出走する。選手もギャラリーも、誰が一番速いのか気になっている。重たいギアをものすごい脚力でゆっくりと廻すのはアライ。ゲッツに似ているともっぱらの評判。サプリメントによる肉体改造に余念がないスケベ椅子は半年で30kg減。理論武装を実践し、肉体武装に成功した。一目置かれている存在。大阪から来たPCB。実戦経験と体毛は、誰よりも多い。本来なら二重丸だが、昨日からの遊びすぎは、体調にどう影響するか。初レース参加のリンボウは、長髪を後ろで束ねてちょんまげにしている。補助輪つきという若い男も出ているらしいが、オレは彼の顔を知らない。このクラス、例えるなら一流と二流の狭間。もちろんアマチュアの中での話。表面的には仲間を装い、笑顔や謙遜の態度を示してはいるが、誰もが「こいつには負けたくない」などと思っているに違いない。しかしそういった思惑も、レースが始まってしまえば忘れてしまう。スタートしたら、まず誰かと戦う以前に、自分自身と戦わなければならない。脚力や心肺機能と対話しながら、集団から振り落とされないようにするだけで精一杯だろう。仲間同士で協力しながら、集団をコントロールするような技術は見られない。それが、アマチュアがアマチュアたるゆえんかもしれない。霧のかなたからオートバイのヘッドライトが見えた。誰かがライトを目視し、「あ、きたきた!」と声を上げた。オートバイに先導されて先頭集団が戻ってきたのだ。オレはカメラを構えた。エンジン音を鳴らしながら過ぎ去るオートバイに一度カメラを向け、フォーカスを固定する。すぐ後から、音も立てずに先頭集団がやってくる。派手な色のジャージがファインダーの中を通り過ぎてゆく。慌ててシャッターを切った。仲間の見分けが、全くつかない。集団になる最大のメリットは、空気抵抗を減らし、気流の中に位置すること。つまりは体力を温存することだ。取り残されたり、先頭になったままだと、余計な体力を消耗する。だから集団から離れないように食らいつく。あるいは先頭に立ちすぎないように牽制する。1人だけがんばっても、なかなか集団からは抜けられない。逃げ疲れて、いずれ馬群に沈んでしまうリスクがある。「PCB先頭」「スケベ椅子は中段からやや後ろのほう」「アライ見えた?」「リンボウいなかった」他の観戦者の実況により、はじめて展開のイメージが明確になる。撮影と応援を同時にこなすのは、非常に困難だった。過ぎ去ってからようやく肉眼で、選手の背中だけ確認する。撮影者に徹しよう。仲間の1人が、集団から取り残されたようだ。数人で協力しあって逃げるという技術もある。1人で逃げをうつより、リスクが少ない。誰かが集団から飛び出して逃げたら、集団はその逃げにあわせてスピードを上げなければならない。遠く引き離されて、追いつけなくなったら最悪だからだ。すると、逃げを追うために上がった集団のスピードについていけない選手がでてくる。1人、2人と集団から引き離されてゆく。それが、ふるいにかけるという技術。Bクラスには、最も多くの仲間が出走していた。しかしあくまでもそれぞれは個人であり、仲間ではあるがチームではない。ただ、ギャラリーとして見たいのは、仲間同士のチームプレー。5人なら5人の仲間が抜け出し、その中で最終的に1位を争うようなレース展開。たまらなく興奮しそうだが、レースでは、何十人もの他人同士がトップを狙っている。作戦をごり押し出来るのは、実力と、運も兼ね備えたたった1人の選手だけだ。Bクラス最終周回の鐘が鳴った。ラップごとにオレはカメラを構えたが、誰が誰だかよくわからなかった。デタラメに切ったシャッターに、果たして仲間は写っているだろうか。ゴール前のスプリント。オレは先頭をきってやってくる選手を仲間だと信じて、カメラを構えた。Bクラスに出走した仲間の順位は、アライ11位、補助輪16位、スケベ椅子17位。PCBとリンボウは、残念ながら失格。
2003.04.22
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「乗せてってくれるなら応援しにいってやってもいい」そんな傲慢な口調で大阪の友人に、レースの応援に行きたい旨を伝えたが、「かまへん。でも帰りは東京通らへんから、自分で足、見つけて帰ってくれ」という条件付きだった。彼らは群馬から、長野、岐阜を通る直線的なコースで帰る予定だという。帰りだけ誰かのクルマに便乗するのもなんとなく貧乏くさいし、それならばということで、最初から1人で気ままに行くことにした。他の誰かから、「一緒にいかないか」という誘いもあったが丁重に断った。クルマに乗るのは、あまり好きではない。渋滞や信号や他のクルマに、イライラしてしまうからだ。運転してても助手席でも、同じように神経を使う。どちらかというと助手席より運転してるほうが、操作がある分、気が紛れる。午前4時に起きた。コーヒーを飲んでもシャワーを浴びてもなお、昨日の酒が抜けきらない。そんな状態のまま、歩いて5分のレンタカー屋へ向かった。24時間営業だから、近くに駐車場があるのとあまり変わらない。一日借りる料金は決して安くはないが、それでもクルマを維持するコストに較べたら格段に安く済む。今日のクルマは、ホンダの「ロゴ」。小さい乗用車だ。午前5時半。関越自動車道練馬インターは空いていた。この調子なら、予定より速く着きすぎる。ちょうど腹が減ってきたから、飯でも食おう。昨日飲み過ぎて胃が荒れているから、うどんにしよう。高坂SA。東京を出るときは晴れていたし、気温もそこそこ高かったから、短パンに半そでのシャツという軽装で来てしまった。これは大きなミスだった。少し肌寒い。雲行きも怪しくなってきている。傘を忘れた。上着も、持ってきていない。果たしてどこかで買えるだろうか。腹がくちたら眠くなった。雨で視界は遮られている。高速道路の運転は単調だ。ワイパーがオレに催眠導入を促している。ラジオのボリューム。タバコ。1人だから、それしか他にすることがない。いよいよ睡魔に耐え切れなくなったころ、月夜野IC。思ったより遠かった。7時半。朝、レース会場までの道を調べた。地図をプリントアウトしたが忘れてきてしまった。セブンイレブンで、仲間の1人に会った。「急いでるから」といって先に行ってしまった。彼らは、9時スタートのレースに出る。傘はなく、カッパを買ったらもう彼らのクルマはなかった。記憶だけをたよりに、群馬サイクルスポーツセンターを目指す。雨脚は、強くなるばかりだ。細長い山道を10キロ走り、レース会場に着いた。群馬サイクルスポーツセンター。未舗装の駐車場は、雨により泥と化した土で、ぬかるんでいる。ワンボックスにタープを張って、ローラー台を廻している選手がいる。雨の山道を、ウォーミングアップのために走っている選手もいる。まぎれもなく、レース会場だ。選手たちは、ライバルの練習風景を見て昂ぶるだろう。オレの今日の仕事はカメラマン。仲間の姿を探した。派手な模様のサイクルジャージ。仲間に向けて、カメラを構えるオレ。雨に濡れるカメラ。肌寒い。8時半。9時のレースに出場する仲間の顔から笑顔が消えた。スタート位置。居並ぶ選手。雨。傘を差した観戦者。スタートライン最前列の仲間。白い息。アナウンス。30秒前。午前9時。号砲。雨と、カチャッ、カチャッという音だけさせて、選手たちがスタートした。ファインダー越しに、選手の姿を追った。集団の先へ先へと行きたがってる思惑が混ざったような呼吸音がいくつも聞こえた。自転車も選手の足取りもまだ安定しておらず、見ていて不安になった。足をペダルに固定し終えた選手はサドルから腰を浮かせて前傾になって、いちはやくトップスピードへ到達するための加速姿勢になっている。極彩色に彩られた自転車や選手のユニフォーム。赤や青や黄色のあざやかな集団は、縦や横に大きく広がりながらスピードを上げてゆき、やがて霧に隠れて見えなくなってしまった。
2003.04.21
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4月19日。この日のためにオレが用意した凧は全部で7つ。ゲイラカイトやら、スポーツカイトもどきやら、全部安物。カイトを入れるためのケースはショートスキー用。どの凧よりも、ケースのほうが高い。朝8時に待ち合わせていた。指定の場所へ行って車の窓ガラスをノックした。眠たそうな顔が現れた。こすりつけ最高と、PCB。ネットで知り合ったから、ハンドルネームで呼ぶ。この2人に会うのは3ヶ月ぶりだが、あまり久しぶりという感じはない。ねりわさびと、練りからしが、同じ時刻に合流した。似た名前のこの2人は、恋人同士。かたや30代なかばのおっさんで、かたや大学生。この年齢差は、ほとんど犯罪。それから、やんぐ・ちゃーはん。彼は大阪から来るクルマを迎えに、自転車で厚木まで行ったらしい。オレは彼のことをいつも古いハンドルネームで呼んでいたが、みんながあまりにも「やんぐ・ちゃーはん」と呼ぶものだから、オレもこの日から、そう呼ぶことにした。コンビニで食料を買って、荒川の河川敷へ向かった。土手に上って朝食を食った。ものすごく天気がいい。見晴らしもいい。風も、吹いている。凧揚げ日和。サッカー用のグラウンドに下りて、凧用ケースをひろげた。それぞれが好きな凧を手にして、組み立てた。オレが先週凧を買ったときに、買ったばかりのたこを、自転車に引っ掛けて転んだ。いくつか開封してみると、そのときの衝撃で折れていたのがいくつかあった。悔やんでも始まらないから、まともな凧を探し出して、組んだ。9時半。人が集まってきた。全部で15人は集まったかもしれない。これほど多くの人が集まったのは、凧揚げが目的というよりも、大阪からの客を迎えるためだろう。ひとつ、ふたつ、と次々に凧は揚がっていった。思ったより風は強く、走ったり、糸をひいたりして揚力を与えなくても、凧は上空に浮いてなお安定した。80メートル級の、長い凧糸も用意しておいた。それを2つつなぎ合わせて、160メートルにしたやつもいて、見えなくなるほどはるか上空へ上がったままの凧もあった。だれもが、凧揚げなんて何年ぶりだろうな、という言葉を連発した。このあとバレーボールに興じ、午後は、まだ日が高いうちから飲み始めた。大阪からやってきたこすりつけとPCBは、昨日からほとんど寝ていない。彼らは翌日、自転車レースに出走する。しかし2人とも、狂ったように遊んでいる。オレや他の仲間の歓迎に応えるために、寝ないで遊んでいる。もてなされたのはむしろ、我々のほうだった。
2003.04.20
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知り合って2年になるこの友人とは今、ほとんど連絡をとっていない。その友人から久しぶりにチャットでメッセージが届いたのは火曜か水曜。「よう、なんだ?」「まずは、ただいま」「おう、おかえり」「おまえも、おかえり」「うむ、ただいま」毎日のように話していた時期があって、これはそのころに交わしていた最初のあいさつだ。特に意味はない。「で、どうした?」オレは再度聞き返した。こいつとは今さら今日の出来事を交換しあう必要もない。わざわざチャットで話しかけてくるということは、何か用事があるはずだ。「次の土曜は、凧揚げするのか?」オレが今、凧揚げにハマっているという情報はこいつにも伝わっている。「もちろんだ。」オレは、そう応えた。「ヒマなのか?」奴はいった。「ヒマじゃなかったら凧揚げなんかしていない。」「揚げるなら、朝か夕方にしろ」奴はなかなか用件を言わなかった。オレはこいつが何をいいたいのかわかっていたが、「何をいいたい?」と問うた。こいつの名前は「こすりつけ最高」。大阪に住んでいる。自転車乗りであり、やつが4/20に群馬のレースに出走するという情報は、オレもつかんでいた。大阪から群馬に行くということは、東京を通る。4/20は日曜だから、4/19の土曜を遊びにあて、その一環として、凧揚げをやりたい、とそういうわけだと思った。オレはこの週末、こいつ遊んでやることに決めた。だから群馬のレースにも行くことした。凧揚げ遊びのために、凧と人を集めた。4/19土曜の朝早く、こすりつけは大阪から夜通し運転して、東京へやってきた。凧揚げとこすりつけのために、河川敷の土手には、10人以上、来ることになっている。(つづく)
2003.04.19
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音をたててガムを噛み続ける人間が電車に乗ってきて気分が悪かった。「くちゃっ、くちゃっ、ぴちゃっ、くちゃっ、くちゃっ、くちゃっ、ぴちゃっ、くちゃっ」エイトビートのようにリズミカルな唾液の音が静かな車内に響いた。半径2メートルの範囲内にいる10名ほどの乗客には必ず聞こえていたはずだが、そのガム男にたいして不快を示す視線を送ったのは、そいつの前にいたオレと、隣のおねいちゃんだけだった。あと5分、同じ音を聞かせられていたらオレは半狂乱状態になっただろう。メシを、くちゃくちゃ音を立てて食うやつがいる。ラーメン屋や定食屋や社員食堂でそいつの隣に座ってしまったら最低だ。「くちゃっ、くちゃっ、ぴちゃっ、ちーっ、くちゃっ、くちゃっ、ぴちゃっ、くちゃっ」歯の隙間にはさまったかけらを吸引する音がシンコペーションになる。この不愉快な音を聞きながらする食事は、料理がどんなにおいしくても最悪だ。他人なら、視線に不快感を込めて送ることで苛立ちを表現することができる。しかし音を立てている本人はほとんど無自覚だから、なぜオレに睨まれなければならないのか、よくわかっていない。やっかいなのは、知り合いにくちゃくちゃやられたときだ。いくら知り合いでも、不愉快なものは不愉快だ。「鼻毛が出てるよ」とは注意できても、「くちゃくちゃうるせえよ」とはいえない。なにか、人格というか本質というか、今ままで育ってきたプロセスというか、というか全てを否定しまうような、残酷さがあるような気がするからだ。彼らはほとんど無自覚だから、「くちゃくちゃうるせえ」ともしオレが言ってしまった場合、彼らに「くちゃくちゃするのは迷惑なことなんだ」という新しい倫理観をオレは植えつけてしまうことになる。そいつの今後の人生にオレは、多大な影響を与えることになるのだ。恐れ多くてオレにはできない。たのむから、口を閉じてくれ。この一言がいえない。
2003.04.18
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後ろの席のA氏は、たまにしか会社に来ない。無断欠勤が続いて一時期問題になった。しかしA氏はうつ病だった。だから、もう少し様子を見ようということになっていた。様子を見るというのは、会社を辞めてもらうかどうするかということだろう。先日宴会があり、A氏も参加した。A氏は、狂ったような陽気さだった。一次会が終わったときA氏は店の外で、しきりに「朝まで飲もう」と他のメンバーを誘っていたが、ことごとく断られていた。A氏のしつこさに皆、辟易としていた。オレの近くにもやって来たA氏は、他のみんなにしていたとのと同じように、腕にしがみついて、「朝まで飲みましょうよう、おねがい!」といって、くねくねとオレを誘った。「今日はどうしてそんなに元気なんですか?」「おとといぐらいまではね、鬱な状態がずうっと続いてたの。 でも今日は、みんなとたあくさん、お話ししたい日なの。 だから元気なの。で、朝までつきあってくれる?」普段、話しているときのA氏はいたってノーマルだが、たまに目つきや物腰や言葉の端々が、ゲイに見える。朝まで飲むような高揚感もなかったし、A氏の暴走により、すでに座の調和は崩壊していた。オレを含む多くのメンバーは、二次会が終了した時点で帰った。それが、金曜の夜。月曜、A氏は出社しなかった。火曜、A氏は普段通り出社した。ごく普通に仕事をしているように見えたし、オレも二言三言、会話を交わした。そして水曜。昨日もA氏は会社にこなかった。会社の、電話が鳴った。A氏が、睡眠薬を21錠飲んだ、という情報が伝わった。A氏は過量の睡眠薬を飲んで会社に電話した。その電話を、プロジェクトの若いメンバーがとった。A氏は電話で、30分以上意味不明な話をし続けた。やがてA氏の呂律があやしくなり、ついに応答がなくなった。若いメンバーはあわてた。上司の指示を仰いだ。営業がA氏の自宅へ向かった。意識は残っていた。救急車で運ばれた。A氏はそのまま入院した。ということがあった。今朝から、A氏の話はタブーになっている。誰かがそう決めたとかそういうわけではなく、そういう空気になっていて誰も打ち破れない。会社は、何事もなかったかのように営業している。全て、なかったことになるだろう。A氏の内面は誰にもわからないが、A氏が昨日、身体をはって対外的に発したメッセージは全て、かき消されてしまうことになるだろう。
2003.04.17
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知恵の輪が流行っている。まろ茶120のオマケとしてついてる知恵の輪をきっかけに、会社でちょっとした旋風が巻き起こった。家にもひとつ、知恵の輪があったことを思い出した。針金を曲げたようなやつじゃなく、ベルトのバックルのようなゴツい知恵の輪。難易度はダイスで表されているから6段階。オレが持ってるのは、鹿の角をあしらったリングを外すタイプで、難易度6。会社に持っていったら最初、誰も外せなかった。1人だけ外し方を知ってるオレは優越感にひたった。みんなかちゃかちゃやってる中、オレは退社した。雨が降っていた。今日会社に来たら、オレの知恵の輪が、外れた状態で机の上に置かれていた。誰かが、外したらしい。聞くと、隣のY氏は、終電間際までずっとかちゃかちゃやっていたそうだ。ある人は、客先に行く予定をキャンセルしてまで遊んでいたらしい。確かに、解けるまで仕事が手につかなくなる。東急ハンズへ行って、なんとなく新しい知恵の輪を探してみた。面白そうな知恵の輪はなかったがそのかわり、なつかしいおもちゃを発見した。ルービックキューブ。ピンポンの、スマイルが持っていたことを思い出した。今まで6面そろえた事はないし、今後そろえられる気もしない。でもそろえたら、羨望のまなざしを受けるだろうな。となりに、簡単そうなルービックキューブが置いてあった。普通のは3×3だが、簡単そうなのは、2×2だった。これならすぐ出来そうだ。家に帰ってさっそくバラし、そして、そろえようとした。ところが、うまくそろわない。3×3と同じく、そろえられる気がしない。攻略法の紙がついていた。いろいろ、手順があるらしい。手順を、覚える必要がある。6面は、まだ遠い。夜、気付くとかちゃかちゃやっている。
2003.04.16
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我々の一族は、何百年も前から、戦闘集団として数多くの争いに関与してきた。抗争や殺戮、暗殺や警護のために、体制や反体制、あるいは第三の権力に雇われながら、その戦闘技術を供給し、報酬を得ていた。暗黒の時代が終結するとともに、争いはなくなり、世に平和がおとずれていった。結果、我々の一族は、社会にとって必要ではなくなった。卓越した戦闘技術だけは血族に代々受け継がれていった。しかし収入源がなくなり、貧窮に耐え切れない仲間は、次々に離反していった。オレを含むわずかな残党は、暗殺技術や戦術のノウハウとともに、かつて行われていた戦闘の背景にある権力に関する情報も、引き継いでいた。ある日、我々の居住区が襲撃された。マンションのエントランスホールの窓ガラスが、爆音とともに割れ落ちた。同時に、黒い戦闘服姿が何人もなだれ込み、自動小銃を乱射した。黒い戦闘服の集団はよく訓練されており、無駄のない動作で組織的な破壊活動をこなした。ところが彼らは、個人の技能は熟練していなかった。我々一族は少数ながらもナイフやハンドガンを駆使して善戦し、ついにはこの黒い襲撃者を壊滅せしめたのだった。しかしこの戦闘で、一族にも多くの犠牲者が出てしまった。襲撃者の死体が残した遺留品により、彼らの身元が判明した。かつて我々を雇用し抗争に荷担させやがて勝利し、今では権力の中枢に地位を置くある支配者の私兵集団だった。もはや必要のなくなった我々の戦闘能力を、過去の汚点とともに消し去ろうという目論見であることは、容易に推測できた。しかしもはや我々には、権力に立ち向かう組織的な行動力はなくなっていた。つまり地下に隠れて襲撃を回避するしか、生き延びる方法はなかった。ババアがアタマから血を流しながら、アジトへ駆け込んできた。オレとオレの弟を、小さい頃から面倒をみてくれていた老婆は、オレらが大人になっても老婆のままだった。オレは部族に伝わる戦闘技術のほとんどを、この老婆に教わった。遠い親戚かもしれないということはわかっていた。ただ直系の祖母ではないことだけは確かだった。オレはこの老婆のことをいつも「ババア」と呼ぶが、名前を知らないわけではなかった。ババアの名前は「マリコ」といった。どう見てもマリコという名の女には見えないから、一族のほとんどは、ババアとしか呼ばない。「おまえら、速く裏から逃げな。」そんなような意味の言葉を叫びながら、オレと弟を外へ逃がしババアは、扉の影に隠れた。追っ手の襲撃に対抗するためババアはオートマチックのハンドガン構え、アゴで裏口を指し示し、早く逃げろと促した。それが、ババアとの最期の別れになった。裏口には、根津甚八がいた。根津は、我々の戦闘を現場で取り仕切る司令官だ。「長老の家に行く」根津はそれだけ言って、我々を走らせた。背後で、爆音と爆風が起こった。ババアが自爆したのかもしれない。しかしオレは、振り向ずに走った。長老の屋敷は、巨大な日本家屋といった造りだったが今では、襲撃により半壊している。庭先で無防備にディレクターズチェアに腰掛けている仲代達也が、長老だ。長い白髭を垂らし、白装束の着物を着て青白い顔をしている。我々は家の一番奥の座敷に集まった。仲代達也はまだ庭で芋を焼いている。「ここの敵をおびき寄せた後、壊滅作戦をおこなう」根津甚八が言った。止まない襲撃を打開するための、大掛かりが戦闘が必要だったが、打って出る時期は、余りにも遅すぎた。オレと弟と根津甚八以外には、椎名桔平しかいない。すると、原田枝美子が入ってきた。原田枝美子は、長老の妻だ。無造作に運んできた黒いボストンバッグから、自分はショットガンを取り出して弾丸を装填した。スライドの金属音が座敷に鳴り響いた。それぞれがボストンバッグの中から好きな武器を取り出して手にした。オレが手にした武器はハンドガン。ルガーだかワルサーだかの、銃身の短いオートマチック。ステンレスで口径が大きく衝撃が強いため、長距離の射撃には向かないが、連射しやすいため、接近戦に威力を発揮するタイプだ。予備のマガジンは分散してポケットに入れた。根津甚八が自動小銃、椎名桔平が日本刀を手にしたところで、ふすまの向こうにおびただしい人の気配を感じた。根津も同じ気配を感じたらしく、手にしたばかりのM16をふすまに向けて乱射した。椎名桔平の日本刀で割られたふすまの向こうには、例の黒い戦闘服が20数人倒れていた。乱射をまぬがれたわずかな戦闘員に向けて、原田枝美子がショットガンを放った。これでふすまの向こうは、全滅した。ふすまに対して右側が障子になっていて、その向こうに縁側がある。そこにも気配を感じていた我々は、一瞬の合図とともに、障子戸を蹴倒した。そこには50人単位の黒い戦闘員が配置されていた。しかし縁側と庭の間には、防弾ガラスが仕組まれているから、直接的な標的は縁側の中に入り込んだ15,6名だけだった。倒れた障子戸に頭をぶつけた戦闘員の1人にオレは銃口を向けた。敵と我々はごく近い距離で銃口を向け合い対峙している。オレは人質を盾にして、その他の敵に向かって「下がれ」と命じた。縁側まで入り込んでいる兵士15,6名は当初躊躇したが、やがて銃を下ろし後退しはじめた。ところが1人だけ、その場に固まって動かない兵士がいた。オレは人質にしていた兵士の頭を打ち抜き、すぐにその動かない兵士に銃口を向けた。黒いニットの目出し帽を剥ぎ取ると、無精ひげの生えた顔に、脂汗をたっぷり滲ませていて、怯えた表情でしきりに、後ろ側に視線を送っていた。アタマの後ろに、一本のワイヤーが見えた。とっさに、敵の仕掛けたトラップだと思った。そしてこのマヌケな無精ひげは、自軍が仕掛けた罠のためのワイヤーにひっかかってしまい、動けずにいるのだった。そのとき、アタマを打ち抜いた一人目の人質が、今になってようやくバランスを崩し、後ろに倒れこんだ。二人目が必死になって押さえていたワイヤーが、倒れこんだ拍子に引っ張られ、何かのピンが抜けた。白い閃光が、オレの視界を覆った。そして爆風を感じたところで、目が覚めた。そんな、夢を見た。
2003.04.15
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ふと凧揚げをしたくなったのが確か2週間前。週末に凧揚げすると宣言していたから、ちゃんと揚げてきてそれを報告しなきゃいけないな、とは思っていた。しかし土曜はあいにく雨。雨でなくても二日酔だったからあまり出かけたくなくて、かえってちょうど良かった。ところが今日、日曜は底抜けに晴天でこの春一番の暖かさ。東京都知事選でもあるがオレは選挙にはいかない。なぜなら今まで一度も行ったことがないから。この陽気に選挙にもいかず凧揚げもせず、は少しバツが悪いから、という理由で無理矢理自分を納得なせ、昼に起きたからだらだらして午後2時、荒川の土手へ出かけることにした。自転車に乗るのは久しぶりだ。3月は仕事で忙しく、4月は雨が続いていて、自転車通勤もろくにしていなかった。ただ近所に買物に行くときは乗っていたから、埃にまみれていたわけではない。要町から戸田橋まで約10キロ。自転車だと30分程度。これしきの距離と時間を乗るのも億劫なぐらいになっていた。自転車用の洋服を着て、気分を高めてゆく。短パンと、ヤッケ。いつのまにか、短パンでも寒くない季節になっていた。ヤッケを着たら、少し汗ばんだ。気温が高い。急いでも、ゆっくり行ってもあまり時間は変わらない。だからゆっくり行く。戸田橋。いつもより人が多い。午後2時半。河川敷のグラウンドは、どの面も草野球で埋まっている。サイクリングロードを走るサイクリストたちは、車止めの柵があるせいか、あまりスピードを上げていない。凧揚げのためのポイントを探す。オレは一人で凧を揚げる。注目されるような気がする。なるべく人のいない場所を探す。万が一凧が飛ばなかったときのためのリスクヘッジ。仲間がいれば、飛ばなくても、笑ってすまされるが、一人だと、そうはいかない。戸田橋から上流へ向かって1キロのところの陸上トラック。芝生のフィールドが空いている。あそこがいいかもしれない。自転車を停めて、一服。タバコの煙が、左になびいている。風向きに対して凧を向かわせるような位置取りが必要だ。2本目のタバコを消し、350円で買った凧を組み立てた。黄色と赤と白に、黒い目玉。フランスジャージみたいだ。凧を地面に置いて、糸を延ばした。手元の糸を思いっきり引っぱると、凧はふわっと、浮いた。反射的に走った。このまま浮力を与えたら、上がってくれるような気がした。しかし凧は、てっぺんのとがった部分を地面にこすりながら、バサバサと虚しい音をたてて這っただけだった。オレは一人だったから、苦笑いをこらえた。何度目かに、糸のテンションを張ったとき、凧がふわりと上昇した。風に凧を向かわせるようにして何度も糸を引いたら、うまく上昇気流が生まれたらしく、凧はどんどん上昇していった。後ずさりながら、糸を延ばしていった。ようやく凧が揚がった。上まで上がりきったらあとは、糸が緩まないような位置取りをしつつ、風向きを考慮しコントロールしていれば、かなり長い時間、滞空した。色気を出してしまい、回転させようとしたりして奇妙な糸の動かし方をすると、たちまち凧は落下するのだった。慌てて引っぱって、また上昇気流に乗せては落ち、乗せては落ち、を繰り返して凧は落ちていった。なにしろ微風。じっとしていると、どっちから風が吹いているのかわからない。全く止んでいる状態もある。オレはタバコの煙で風向きをキャッチしている。何度やっても、離陸がうまくならない。風が凪いでいることもあるが、どうもオレの凧は、逆を向きたがっている。つまり三角形の尖った部分を下にして風を受けようとする。ふと、自転車に立てかけて離陸させることを思いついた。立たせることで、風を受けやすくする。前輪に立てて、糸を延ばし、離れた。テンション。容易く、上昇した。近くを通りかかった中学生の集団がオレの凧に注目した。歓声こそなかったが、オレの凧に注がれた彼らの視線だけで、オレはほぼ満足した。周囲では、子どもや父親の声で「タコ・タコ」と何度も聞こえてくる。この場合、タコタコいわれるのは非常に気持ちいい。当初、30分も遊んだら飽きると思っていたが、気付いたら1時間半も経っていた。だいぶ動いたし、Tシャツの中はしっとりと汗ばんでいた。見ると、凧はもうすでにボロボロになっていて、先の方は、ビラビラと破けていた。草の地面を何度も這いずり回ったし、何度もアタマから、叩きつけられたからだ。安物だから、仕方がない。でも350円にしては、かなり遊べた。新しいのを買いに行こう、と思った。そう思って買ってしまった凧は全部で4つ!だっていろんな凧を飛ばしてみたいんだもーん。まだ続きがある。新しいカイトを買いに東急ハンズへ行ったときのことを書き忘れていた。カイトはごく狭いコーナーに3種類ぐらいしか置かれてなかった。高いのは5千~1万とかしていて、確かに本格的だったけど、まだその時期じゃないなと思い、千円程度の比較的安いやつを選んだ。もっといろんなタイプのカイトを見たいと思い、サンシャインシティーのトイザラスへ行った。そしたら東急ハンズで買ったやつと同じ商品が、2割引になって売られていた。失敗した。トイザラスには、安いカイトがいくつかあった。割り引かれていたこともあり、3つも買ってしまった。畳んだ状態でもタコは意外と大きく、持ち運びに苦労した。オレは自転車で来ていて、荷台に着けて持ち帰ればいいやと漠然と思っていたが、どうにもこうにも座りが悪くなるから、諦めた。前かごは浅くてこれもだめだし、結局、ハンドルのところにぶら下げて持ち帰ることにした。池袋ジュンク堂の裏手を走っていたとき、急に「ばりばりばりばり」という音がして前輪がひっかかった。買ったばかりのカイトが引っかかったのだ。前輪はそのままロックされ固まった。自転車は前へ進もうとしていて急には止まれなかった。前輪がロックされた状態で、前進のベクトルはどこへ向かうかと言うと、斜め前方向だ。後輪が浮き上がった。前輪の中心部分を軸にして自転車はきれいな虹のような弧を描いた。オレは前に投げ出されて、目前にアスファルトが迫った。とっさに無意識で右手をついたから頭部へのダメージは免れた。オレは転んだ衝撃や精神的ショックよりも、買ったばかりのカイトへのダメージの方が気になった。ものすごい音をたててしかも、前輪をロックするほど負荷のかかった凧が無事であるとは思えなかった。周囲はすでに暗かったから、とりあえず家へ帰ってみることにした。転んだときの衝撃で、ポケットの中のタバコが全部折れていた。包装を開けて、凧を一つずつチェックした。一体だけ、少し破れていたが、それほどたいした傷ではなかった。安心した。来週また、凧を飛ばしに土手へいってくる。
2003.04.14
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今日は選挙らしい。統一地方選挙というのだろうか。なにやら「統一」が流行っている。このあたりは、東京都知事選挙が行われている。立候補者は、石原慎太郎・樋口(おばちゃん)・共産党員・ドクター中松。きっと石原慎太郎が勝つのだろうが、大穴でドクター中松というのも、ありえない話ではない。石原がいなければ、ドクター中松が当選しているだろうが、発明の才能があっても政治の才能があるとは限らない。オレは、選挙権を持ってから、一度も投票に行ったことがない。貴重な休日の時間を割いて投票所へ出かけるのがなんとなく面倒だった、というのが一番大きな理由だが、システムに関与したくないという気持ちもあるし、たった1票投票しなかったところで、体制に影響があるとも思えない。政治思想を持たない有権者の票をまとめて、「浮動票」といわれているが、オレが何万もの「浮動票」の中の一員でしかないことは認めたくはない。オレは何万人の中の一人ではなく、あくまでもオレ個人と、その周囲の何万人であるはずだ。投票箱に入れた紙切れは、何万もの紙切れの中に埋もれてしまう。そんな気がするから、投票所には行かないのかもしれない。とかいう言い訳を考えてる前に行けよという話だけれども、面倒なので、嫌。さて今日は少し自転車にでも乗って汗をかいてこようか。
2003.04.13
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「この週末に天下統一する」ということを周囲に宣言した。別に地元暴走族の覇王として君臨したいわけではない。戦国武将がのし上がって日本中の武家を服従させるゲーム、「太閤立志伝」がいよいよ大詰めを迎えていて、そのゲームクリアの条件が、「天下統一」だ。金曜の宴会のときに、「男の人って、くだらないゲームはまるよね」といわれてもオレは、バーチャルな天下統一を目前に控えて高揚していたから、くだらないとは一つも思っていない。豊臣家に刃向かう勢力はほとんど、武力制圧により弱体化させた。手付かずのままの九州地区を統治する島津家を討伐するため、軍団を中国・四国に集結し配置し、物語はいよいよクライマックスを迎えていた。自軍の武力集結計画と同時に、朝廷への献金も怠らなかった。ゲームを史実通り進行させるためには、天下統一と同時に秀吉は、「関白」の称号を天子より賜らなければならない。このゲームにおける秀吉の官位は、中納言→大納言→内大臣→右大臣というように進行していった。日本全土を掌握する過程で自動的に任命されるというわけではなく、今のお金にして100億単位の献金をつぎ込んで漸く取得できる。ようするに賄賂を贈って重要なポストが得られるというのは、今の政治体制への、ゲーム製作者側の皮肉だろうか。この上は、左大臣→太政大臣→関白→征夷大将軍となるわけだが、左大臣になったところでなぜか、いつも賄賂の窓口としてしか機能していなかった公家に、こう打診された。「そろそろ関白になる気はないでおじゃるか? よが根回ししといておじゃるから、あとからくるでおじゃれ?」中国の毛利家壊滅への計画は着々と進行していた。しかし天下統一までは、あと20時間は必要だった。ふと公家に、「あとからくるでおじゃれ?」といわれていたことを思い出し、公家宅へ行った。そしていつも通り賄賂を渡し、天皇に拝謁した。公家の根回しは成功していたらしく、すんなり「関白」の官位を与えられた。ところがそこから、急に場面が変わり、「天下は豊臣家のものになった」というメッセージが現われた。どういうことだ、まだオレは天下を統一していない。しかしゲームは、主人公が「関白」になった時点で、世の中の全ての武家が服従したと判断していた。なんだそれは。突然襲ってきたゲームクリアの合図に、オレはしばし呆然とした。つまるところ数々の戦闘の多くは無駄だったということであり、ただ金をしこたま貯めておけば良かったというオチだった。泣けてきたから、関白になる前から再開した。日本全土武力制圧により支配するというラストへ向けて作戦は進行中だが、モチベーションは、かなり下がっている。
2003.04.12
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ここ数年、紺色のスーツを着た新入社員を、街で見かけなくなった。かわりに、何色というのだろうか、ダークグレイにゴマ塩をかけたような、安っぽい生地のスーツをよく見かける。どの新人も、同じ生地の同じ色のスーツを着ている。単独でみたらそれなりに似合っているのだが、この同じスーツが集団になると、オレの目にはなんというか、街にとっての異物としてしか写らない。昨日電車の中で、同じスーツを着たおそらくどこかの新入社員が、同期同士で飲んで帰るところに遭遇した。男2人女2人計4人の集団は混雑した車内でかたまって、比較的大声で話していた。オレは、いやな車両に乗ってしまったな、と思った。「あんさーあんさー、仕事めちゃくちゃラクじゃね?仕事」黒髪をベッカムのようにした男は、学生のような、感じの悪い話し方で、同期の女2人に向かって強気な発言をした。「うんめちゃめちゃラクー。あんな仕事でお金もらえてラッキーだよ。 しかもさ、給料チョーよくない?」強気な発言とアタマの悪そうな話し方なら、女の方も負けていなかった。しかもこの女、「我々は簡単な仕事で高い給料をもらえるエリートである」ということを、周囲へことさらに発表している。酔っているとはいえ、優越感への到達方法が、まだまだ若いと思われる。つり革につかまって本を読むふりをしていたオレは、彼らの会話に、さらに耳を向けた。耳を向けなくてもオレ耳はもともと、この手の若者の、こういった鼻につく会話を無視できない構造になっていて、聞くにつけ軽い殺人衝動がこみ上げてきたりするが、それは脳へのスパイスとして、ほどよい刺激になっているから、それはそれでよい。「総務局行ってみた?総務局。な?な?」このアホ男は、同じ言葉を2度繰り返すのが話すときのクセらしい。会話の当事者じゃないオレには、非常に耳障りに聞こえる。それにしても「総務局」。部署を「局」という呼称で表すのは官公庁ぐらいなのではないか。だとしたら、国かあるいは都かわからないが、こんなバカどもに、税金から捻出した金を与えるのはやめていただきたい。しかし周囲の冷ややかな視線を感じとったのかどうか分からないが女が、「でも1年後はさ、みんな忙しくなってるんだろうね」といった。それを受けた男が、「そりゃそうだろ。だってみんな外出て会社になんかいねーべ」と答えた。外へ出るというのは営業のためだろうか。公務員が何の営業をするのだろう、とオレは思った。男は、おそらく同期の1人のことをいっているのだろう、「田中あいつさ、日商岩井担当だって。あそこ今チョー忙しいらしいよ」と続けた。公務員だとしても、検察局とかそういった司法関係の方面だろうか。しかしどうも公務員という訳でもなさそうだった。とすれば銀行だろうか。あるいは証券会社だろうか。それもイヤだ。このバカどもに日本経済の中枢を担ってほしくはない。というようなことを思っているうちに、下車駅に着いた。それにしても、同じ新入社員というだけで、何人ものおねいちゃんと無条件に知り合えてしまうというのは、非常にずるい。いや、うらやましい。これは、そういったひがみの感情がこもった、呪いのメッセージである。つまり、新人の男は、同期のおねいちゃんといちゃいちゃするな、ということをいいたい。
2003.04.11
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昨日の朝、吐いた。というとなにか壮絶な生きざまみたいだが、そうでもない。毎朝、歯を磨いた後に気持ち悪くなる。いつも吐きそうになるが、胃の中に吐き出すものが入ってないからなにも出てこない。酒の飲みすぎとも、タバコの吸いすぎともよく言われるが、それだけが原因だとは思わない。ストレスとか緊張とか自律神経とか、なにか精神的なことが関係している気もする。例えば、「仕事に行きたくないよ」という拒絶のあらわれが、嘔吐反射なのかもしれない。外界に出て行くことを、カラダが拒んでいる。というほど、大げさなものかはよくわからない。とにかく毎朝1分ほど、嘔吐反射に耐えてから家を出る。登校拒否の子どもも、こんな苦しみを味わっているのだろうか。オレは10代のころから、この歯磨きの後の嘔吐反射に苦しんできたが、それでも学校へは行っていた。家にいても、たいして面白いこともなかったからだ。おとといの夜に油っこいものを食いすぎたことを思い出した。このところ胃の調子があまりよくなく、それでも普段通りの食事や酒量をキープしていた。胃の調子が悪いとはいえ、腹は減るし、酒も飲みたい。おとといは、少し食いすぎだったかなと反省するぐらい食ってしまった。翌朝目覚めたとき、胃に不快感を覚えた。歯磨きの後、いつもどおりの嘔吐反射が襲ってきたが、この日はすぐに収まらなかった。少し、胃の中のものを吐き出した。吐いても、すっきりはしない。身体にダメージを負ったまま、仕事へ向かった。昨日、昼食の後にまた胃がもたれた。このとき生まれてはじめて、液体の胃腸薬を飲んだ。液キャベだ。コンビニで液キャベは、栄養ドリンクと同じ棚に並べられていた。オレはまだ、栄養ドリンクを飲んだことがない。胃がもたれたのは、おととい食いすぎた油もののせいもあったろうが、酒の飲みすぎかもしれないと思い、周囲に、「一日禁酒」を宣言した。ただ自分に誓うだけだと、誘惑に負けて絶対に守れないだろうということは、自分でよく知っている。周囲に宣言することで、「守れなかったときの非難」というリスクが自分に課せられる。宣言した以上オレは報告する義務があるから、もし達成できなかった場合、オレの評価は下がる。そうした監視機関を設定してから行動に移ると、意欲が高まる。夕方になったらまた調子がよくなった。「やっぱり今日の禁酒宣言撤回」とかなんとか言って。飲むことに決めた。健康と快楽を秤にかけたときオレの場合、どうしても快楽を選んでしまうようだ。いつもの焼鳥屋へ行って、焼鳥3本と、ハタハタ焼きをつまみに、生ビール3杯飲んだ。秋田名物のハタハタ焼きは、本日のおすすめ。本を読みながら、飲む。今読んでいるのは「関ヶ原」。下巻なかばにきて、ようやく戦場に家康が着陣した。あわてる西軍の士気を上げるために、三成の家臣・島左近が抗瀬川の前哨戦に勝利するシーンだ。まだ合戦は始まっていないが、すでに家康率いる東軍の勝利は確実だ。家康はその知略謀略の限りをつくしていてぬかりがない。家に着いたのが9時。禁酒すると言ってしまった手前、これからまた冷蔵庫のビールを飲むのはなんとなく気がひけた。焼鳥屋で生ビール3杯飲んだとはいえ、まだ酔ってはいない。酔うところまで飲まないと、飲んだうちには入らない、と思っているから、今から禁酒すれば「禁酒宣言」に間に合うと判断した。「プチ禁酒」開始である。酒を飲まない夜は長い。秀吉が天下統一を目指すゲーム「太閤立志伝」はすでに終盤へさしかかっている。史実どおり、小田原城を秀吉得意の水攻めにより、落城させ北条氏を壊滅せしめた。関東から甲信越を経て近畿までの中原を完全に制圧し、残るは東北・中国・四国・九州となった。ボルビックの1.5ペットボトルを傍らに置き、ビールを飲むのと同じペースで飲んでいたら、1.5はあっという間になくなった。寝ようと思って0時過ぎにはベッドに入ったが、やっぱり眠れなかった。オレのアタマの中では、鎧武者の戦国部将が駆け巡っている。酒を飲むのは、一つは快楽を追求するためでもあるが、もう一つは、スムーズに睡眠に入れるようにするためでもある。夜眠れないことがよくある。体調にもよるが、ごく浅い眠りになったときに、急に動悸し意識が呼び戻されたりすることがある。そういうときは大概2時間3時間眠れず、明け方近くまで寝返りを打ち続けていることになる。それがオレにとってちょっとした恐怖として刷り込まれている。急速な睡眠導入のための手段として有効なのが「泥酔」であり、オレは眠れない夜の恐怖を解消するために、酒を飲んでいるといっていい。体感的に、1時間も布団を被ってじっとしていただろうか。どうやらいつのまにか眠っていたようだ。泥酔しないで、1時間で眠りに着けたのは、オレにしてみれば上出来だった。気持ち摂生したからかどうかわからないが、今朝はとても気持ちよく起きられた。
2003.04.10
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去年の6月、友人の結婚式でサボテンをもらった。小さなサボテンだ。大人になってから、植物を育てるということがなかったから、少し嬉しかった。その結婚式には嫁も呼ばれていて、サボテンは1人に1つずつ配られた。つまり家には、2つのサボテンが飾られた。サボテンの栽培方法を、ウェブサイトで調べた。水は週に1度程度やるだけでよい。と書かれていたから、その通りにした。しばらく経ち、水をやる間隔が開いていった。1ヶ月に1度ほどしか水をやらなくなった去年の12月、オレのサボテンは干からびて枯れてしまった。しかし嫁のサボテンは、今も青々としていて、当初のたたずまいをキープしている。水は、ほとんどやっていない。もしこの2つのサボテンの栽培方法に違いがあったとしたら、酔ったときに、栄養があるかと思って水の代わりにビールをかけたことぐらいだろうか。水の代わりにビールをやってはいけない、とは、どこにも書いてなかったから、間違ったことをしたわけではないだろう。「あのときのサボテンまだ生きてる?」というメールが、同じ結婚式に出席した友人から来て、ふと枯れてしまったことを思い出した。その友人のサボテンもだんだん枯れはじめてきているらしい。サボテンにとって、どういう育て方が一番いいのか、よくわからない。世のサボテンが普通、どれだけ生きているのかも、よくわからない。よくわからないのは少し悔しいから、今週末にでも、新しいサボテンを買ってこようかと思う。
2003.04.09
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帝京大病院スポーツ外科の竹田氏によると、「痛み」とは、カラダが脳へ向けて送る警告だという。別にオレがその竹田氏と昵懇でも、あらたまって取材したというわけでもなく、膝を怪我して診察を受けたときに、たまたま聞いた話だ。-何か普段の生活で気をつけとくこととか、ありますかね?「要するに痛いことはしないということですね。 動かしたり触ったりして、痛い、ということは、よくないということを、 身体が脳に、教えてくれてるわけですからね。 たとえば熱いやかんに触ったら、熱い、と感じるでしょう? それは、触ったら火傷したりして危険だということを、 暗に教えてくれてるわけですよ。 だから痛かったら、動かしたり、触ったりしちゃダメです。」今まで捻挫や打撲は何度もしたことがあるが、例えば手首を捻挫したときオレはよく、痛くてもリハビリだと思って、動かない所以上に動かそうとしていた。また、治りが早くなりそうな気がして、よく揉んだりもしていた。それらは実は、あまりよくないことらしい。医師のいう通りに痛いと感じることをしないでいたら、確かにいつもより治りが早かった。「痛み」に関しての対処方法としては、警告通りに、痛いことはやらないほうがいいだろうということが、よくわかった。それでは、「辛い」ときにはどうしたらいいのだろうか。例えば寝不足やハードワークによる疲労で「辛い」と感じた場合、これはカラダが、睡眠や休息が必要だと警告しているのだろう。だが休憩したいときにできないことはよくあるし、寝る暇もないほど忙しいときに、あまり睡魔は襲ってこない。それにこれしきの辛さは、ガマンすべきだとも思う。そういった疲労とはまた別の辛さ、例えば、誰かに恋していてこう、胸がきゅーんとしめつけられてつらい、とか、あるいは精神的にダウンしているとか、ショックによるダメージで辛いという状態というのもある。果たしてこれが何かの警告だとしたら、この警告に対してどう対処したらいいのか、よく悩む。先日、香港の人気俳優、レスリーチャンが自殺した。男たちの挽歌に出演していたこともあり、彼に注目していたオレは、結構ショックだった。どこかの医師が「有名人の自殺」というタイトルで、以下のような所見を発表していた。「有名になるほど虚無感を感じ、精神的エネルギーを発散するほどもっと多くのエネルギーがあふれるため、エネルギーを解消するもう一つの対象が必要になる」これを一般人にあてはめて解釈するならば、虚無感を感じて鬱になるのは、うまく自分の中のエネルギーを発散できていないからだ、ということになるのではないだろうか、と勝手に思ってみた。確かにこれで、リストラされた中高年が自殺する動機が説明できる。忙しく仕事に追われていていながらも、それで常にエネルギーを発散させていた。ところがリストラで仕事を失い、つまりエネルギーを発散させる場所がなくなった。虚無感にとらわれて、自殺してしまう。つまり、恋や鬱によって「辛い」と感じることは、自分の中にエネルギーがありあまっていて、飽和しているという状態であるともいえる。そしてそれを解消するためにはどうすればいいかというと、他にエネルギーを発散できる対象を見つけたらいい、ということになる。恋に陥っている場合、対象は概ね1人だ。たった1人のことを想って辛くなった場合、対象を2人か3人にすればそれほど辛くないということかもしれない鬱に陥っている場合、概ね塞ぎこみがちだ。塞ぎこんでいてもエネルギーは溜まるばかりだから、どこかで発散させればよい。さて、どこで発散させたらいいか。その結論は、未だ出ていない。
2003.04.08
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先週末オレは「プチひきこもり」状態だった。今回のは、ひきこもろうと思ってわざとそうしたわけではなく、なんというか必然性に駆られて引きこもった、という感じだった。木曜の時点で、胃の調子が悪かったせいもあって、その日はベッドにずっと横になっていた。本を読み出してハマると、何時間でも読みつづけていられる。次の日に起きたら、なんとなくカラダがだるかった。ダメージが残っていたのかもしれない。金曜は、どこへも出かけたくないという気がした。ただ人並みに腹は減るし、ビールのストックがなくなったら不安だ。近所の酒屋へ買い物に行くぐらいはする。このとき、どこへ行くのも同じ格好だった。ナイロン地のジャージ。きっちり上下そろっていて、しかも紺色で、ラインが入っている。ファミレスへ行くにも、酒屋やコンビニへ行くにも、寝るときと同じジャージ。夜は少し寒かったが、上着を羽織る気にもならない。それでも出かけるときには少し身だしなみを整える。整えるといっても、変な染みがついてないか確認して、もしついてたら軽くはらう程度。なんとなく、気持ちが荒んでいた。だから同じジャージでずっと過ごしていたが、荒んでいたことにはおそらく、理由はない。登校拒否児童の気持ちが少しわかった気がした。もしオレのこの週末の精神状態と同じ状態をずっと引きずってる子どもがいたら、確かに学校へは行きたくないだろうと思う。オレもこの状態で働くのは無理だ。多分オレのこの鬱な精神状態は先週月曜から続いていた。なんとか週末の代休を餌になんとか気力を保ち、酒で紛らわせてきた。それで今度はいよいよカラダがおかしくなって、胃腸にきたというわけだろう。人間カラダに無理を強いることも必要だと思うし、少しぐらい無理を重ねてもそれはトレーニングの一環だと思ってる。が、無理なときは無理。月曜から復活できるか不安だったが、なんとか体調は戻っているようだ。このごろやたら腹が減る。今朝も、腹が減って起きた。朝食べて行く時間がないから、会社に着いたらパンかおにぎりを食うが、今日は両方食った。最近、朝飯を抜くのが無理な体質になってきている。起きてからなにか口にするまでの1時間程度、ものすごく腹が減る。減りすぎて気持ち悪くなるほどだ。腹が減っている状態はオレにとって非常に絶望的だ。3度のメシより酒が好き、とはオレにもいえるかもしれない格言だが、やっぱり酒が無いのとメシが無いのとでは、メシが無いほうがつらい。なんの話だったっけ。とにかく今日から復活した。食欲はある。
2003.04.07
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確か先週か、あるいは先々週だったか、デパートへ行ったと書いた。マイナスイオンドライヤー以外、あまり買うものもないと思っていたが、ヘルスメーターとスニーカーを買った。そのときにデパートの屋上へ茶を喫したが、風に吹かれたオレはふと、凧を揚げてみたくなった。スポーツカイトを買った。キムタクがスマスマで何かの罰ゲームのときに富士山に登らされ、頂上でカイトを飛ばしていたのを見てから、オレも山のてっぺんで、いつかカイトを上げてみたいと思っていた。今週の土曜あたり、晴れたら土手へ行って、上げるつもりでいた。でも雨だった。じゃあ日曜に行けよ、という話だけれども、引きこもり癖がついてしまい、腰が重くなり出かけられなかった。来週こそは、凧あげをしたい。凧あげパートナー募集中。
2003.04.06
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この連休中一体オレは何をしていたかというと、ずっと引きこもっていた。胃の調子が悪くて動けずにいたとき、本を読んだ。司馬遼太郎の「関ヶ原」。かの天下分け目の合戦を描いた壮大な歴史小説で、上中下巻3冊セットだ。この関ヶ原の中心人物は2人いて、それは徳川家康と石田三成だけれども、オレはこのどちらにも人間的な魅力を感じられず、今まであまり読む気にはなれなかったが、読んでみたらハマってしまった。謀略の限りを尽くし天下を手中に収めるべく、史上最大の戦いを開戦に導いた家康率いる東軍と、それにまんまとハメられた形で兵隊を集めた三成率いる西軍の戦いである関ヶ原は、それまでに繰り広げられた果てしない裏工作やキャスティングによりすでに決着はついている、というような解釈の展開だった。ようやく下巻にたどり着いたものの、冒頭50ページぐらいしか進んでおらず、しかもまだ戦闘は始まっていない。そこまで読んでオレは、戦国武将な気分にもっとひたりたくて、ちょっと前に途中までやってそのままにしておいたゲームを引っ張り出して、久しぶりにゲームをしたくなった。「太閤立志伝」。戦闘や外交や内政などによって領土を広げてゆき、多分最終的に天下統一すればクリア、というシステムは「信長の野望」によく似ているが、変わっているのは、合戦がカードで行われるということだ。カードを3枚選び、強い方が攻撃できる。また特殊カードで、いろんな罠を仕掛けられたりもする。戦闘のための能力や、外交に有利な技術も全てカードで表されていて、すなわちカードを多く集めると、自分自身もだんだん強くなっていく。なかなか斬新なゲームシステムだ。オレは秀吉でプレイしていて、足軽からだいぶ出世していた。昨日ようやく、明智光秀による本能寺の変が起こり、死んだ信長の後を受け継ぐカタチで大名になった。天下統一は目前だ。歴史小説を読んだり、戦国大名ゲームをやったりするとふと思うことがあって、それは、戦闘のために集められる兵士が1回で何千人という単位で死んでゆくということだ。ゲームでは、どちらかが全滅するまで戦うから、最低でも戦闘参加者の半分以上は死ぬことになる。ゲームだから実際には、兵士の数は数値だけで表されるが、それでも1回の攻撃で何百もの数値が減るということは、それだけの数の人が死ぬということだから、なんとなく罪悪感がないこともない。戦国時代には、こうやってコロコロと人が死んでいたのかな、と思うと、逆にコロコロ死ねる兵士の精神構造をもっと知りたくなったりする。小説で、兵士を統率する立場の部将のことは書かれていても、兵士の気持ちを書いた小説はあまりない気がする。
2003.04.05
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木曜の午後と金曜に休みをとったから、この週末は3.5連休だ。金曜はまるっきりリフレッシュ休暇だが、木曜の午後は病院へ行くためだった。2月に怪我した膝の診断。もう生活には何の支障もなくなってるが、念のため、ということと、MRIで膝の裏に偶然写った、直径5センチ大の水の塊、これが悪性じゃないかどうかの結果を知るため。結局、膝も「やっぱり問題ないよね」といわれただけだったし、水の塊も「放置しといても問題ないでしょう」ということで、つまりオレは何のために病院へ行ったのかよくわからなかった。たったこれしきの診断を受けるためにオレは3時間もの時間を使い、それに対して払った診断料は、たったの230円だけだった。悔しいから金を使ってしまえ、と思い、タクシーで家まで帰った。それにしてもこの日は、朝からなんだか体調が悪く吐きそうだった。家の近くまで着いて、昼飯食ってないことに気付き、コンビニでサンドイッチを買った。何か腹に入れて、あとはぐっすり休めば気持ち悪いのも治ってくれるだろうと思った。寝酒として缶ビールを飲みながらサンドイッチで腹を満たして、寝て起きたら8時近くになっていて、オレは3時間以上寝たことになった。少し気分もよくなり、すると空腹だということに気付いた。ファミレスへ出かけた。メニューには油っこい料理の写真が並んでいて、体調の良し悪しに関わらず、目が欲しがった。ハンバーグとチキンの竜田揚げグリル洋風セット。そして生ビール。食い終わったら、また吐きそうになった。なんとか必死に家までたどり着いて、ベッドに横になった。ホットにしたウーロン茶で中外胃腸薬を飲み、本を読み始めた。なんだかこのままずっと、ひきこもっていたい気持ちになった。が、午前3時、チカラ尽きて眠ってしまった。その夜、酒気帯び運転で捕まる夢をみた。
2003.04.04
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知り合いの会社がドームの年間シートを持っていて、社内の抽選に当たると巨人戦のチケットが手に入る。だから年に1度か2度オレもチケットをめぐんでもらって、巨人戦を観ることができる。席はいつも3塁側、つまりビジターチーム側の内野席で、今回は最前列から7列目と、グランドからほど近い所だった。朝から小雨が降り続いていて、夕方に雨脚は強くなった。会社が飯田橋にあり、後楽園には徒歩15分でいける。オレは午後5時35分に、「プレイボール6時なんで、」とだけ言い残し、退社した。ドームはすでに9割がた客で埋め尽くされていた。オレはビールと枝豆を買い、一人席についた。連れは、あとからくる。2番打者の二岡がヒットを打つと、歓声でドームが揺れた。二岡は進塁し、4番高橋の犠打で巨人は1点先制した。巨人の先発は高橋尚。初回こそ不安定だったものの、2回以降は危なげないピッチング。投手の投げる球のスピードは、テレビで見るより速くて迫力がある。セカンドの仁志がヒット性の打球をアクロバティックに捕球し、そしてすばやくくるっとカラダをひねって1塁へ送球し、アウトをとった。そのときも、ドーム中がどよめきと歓声と拍手につつまれた。テレビのような実況や解説は必要ない。いいプレイかそうじゃないかは、客自身が判断している。横浜の村田がホームランを打って1対1。ペタジーニの2ランで3対1。古木のソロで3対2。ゲームは、一進一退。巨人には、あまりヒットが出ない。もっと乱打戦を見たいと思っているが、地味な試合展開だ。8回の表。投手は先発高橋から、クローザー岡島へスイッチ。オレはこの岡島があまり好きではない。気弱そうな顔をしていて、見ていて不安になるからだ。案の定、岡島は打たれた。敬遠満塁策からの犠打で横浜が1点追加し、3対3の同点。オレが観戦した試合で、巨人はまだ負けたことがない。神話は、今日で崩れるか。「絶対巨人勝つから、」と豪語してきてしまった。負けるわけにはいかない。いや勝ってもらわないと、困る。8回の裏、1アウト2,3塁で4番高橋。外野フライで1点追加の場面で高橋は凡退。「4番失格」と声に出していった。ペタジーニ敬遠で満塁後、元木凡退。万事休すか。9回、仁志が打った球の弾道を見た瞬間、オレはガッツポーズをしてしまった。スタンドに入れば、サヨナラホームラン。ドームがまた、どよめいた。ところが、野手がフェンスに張り付いている。落ち着いている。フェンスぎりぎりのところで、捕球。間違えてガッツポーズした手を下ろし、崩れ落ちるオレ。場内にはため息。9番、代打後藤。オレはこの後藤と清水の区別がつかない。同じ顔をしている。仁志の惜しい当たりのあとに、後藤もホームラン性の打球を飛ばすということは考えにくい。同じことがそう立て続けには起こらないだろうし、敵もサヨナラホームランを警戒しているにきまってる。しかし、軌跡は起こった。内角の甘いコースへ入ってきたカーブを後藤は思い切りひっぱった。自信満々にバットを放り投げた後藤の視線の先の、低い弾道の打球はほぼ一直線にライトスタンドへ向かっていった。オレは一瞬見を乗り出した。手は自動的にガッツポーズの形になっていたが、打球があまりにも低かったため、これがホームランになるとはにわかに信じられなかった。スタンド中がサヨナラホームランを確信して沸きあがったとき、1塁をまわった後藤がガッツポーズした。オレは立ち上がり、後藤のホームランと、巨人のサヨナラ勝ちを祝福した。極上のカタルシスだった。最高に、気持ちよかった。
2003.04.03
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ちなみに今週は、全く仕事にチカラが入らない。ぽやーんとしている。一つ仕上げ終えたからかも知れないし、ウコン茶のせいかもしれない。急に暇になった。いつもは暇でも、何か他にやる。でも今回は、他のこともあまりやる気にならない。レスリーチャンが死んだのは結構ショックだった。「男たちの挽歌」のキット役としても有名だが、オレは「楽園の瑕(きず)」という映画に出てた彼が一番好きだ。今週はじめには、古尾谷雅人が自殺したニュースが流れた。このニュースにも衝撃を受けた。このごろ急に暖かくなって、なにかが弛緩する時期なのかもしれない。気を引き締めていかなきゃならないのだろうが、とにかく今週は、何もやる気がおこらない。まあ、たまにはこんな週もあってもいいだろう。オレはこの、「まあ」だとか「うーん」だとか言ってから何かを述べるという、ネット特有の言い回しが嫌いだ。「まあ」には、「本当はわたしはどうでもいいと思ってるけど、あえて言うなら」という意味が含まれていると思うし、「うーん」には、「本当は意見なんてないんだけど、ちょっといわせてもらうよ」のようなニュアンスがある。この2つの言葉に共通していえることは、一歩引いた場所からものを言っているということと、自分はすぐに言葉の責任から逃れられる立場であることを、意思表示しているといことだ。うーん、オレは極力、使わないように気をつけているけど、まあ、非常にずるい前置きともいえる。あとよくいるのが、「ちなみに」といって本題を話すやつ。最初に「ちなみに」といって話し始めるやつもいる。「ちなみに」は本来、ついでに何か言いたいときに使う。会話の輪の中で、さりげなく自分の意見を発表し、でも決してその意見を会話の中心にはしたくなく、片隅でぼそり、といったような消極的な発言をしたいときによく使われる、非常に安直な言葉だ。この日記の冒頭にも、「ちなみに」を付け加えてみたが使い勝手は非常にいい。ちなみにオレは、この「ちなみに」という言葉が嫌いだ。昨日は、会社の部署のまとまりの花見が、盛大にとりおこなわれた。市ヶ谷の外堀に沿った土手の桜は満開だった。見物客は青いビニールシートを敷いて酒を飲み、夜桜を楽しんだ。おとといの夜は暖かかく、昨日の朝もぽかぽかしているような気がしたからコートを持っていくのをやめた。毎年「寒い」を連発しているから、今年は必ずコートを持っていこうと決めていたのだが、今夜も暖かいだろうと踏み、置いてきてしまった。失敗だった。冷たい風にあたり、身をすくめて歩いた。ビニールシートに座ると、尻から冷たい土の温度が伝わってきて、底冷えした。桜は満開だった。ひとひらふたひらと花びらが散っていて風流だった。新人に、ごみ袋を買ってきてもらった。下と両脇に穴を開けて、かぶった。ごみ袋は、少し寒さを防いでくれた。ビールばっかり飲んでいると、トイレが近くなった。しかしトイレは100メートル先にしかなく、すなわち往復で200メートル歩かなければならなかった。途中、ブランコを180度の高さまで漕いでいる若いOLもいたし、ジャングルジムのてっぺんに1人座り、ワンカップを飲んでるOLもいた。酔っ払いを見るのは楽しかったが、200メートルを何往復もするのは非常に面倒だったから、ビールをやめて焼酎にした。いいちこは、とてもアルコール臭かったが、ガマンして飲んだ。寒さが限界に達した頃、一本締めにて今年の花見は終了した。少し、悪酔いしたかもしれない。今朝、昨日の酒が残っていた。焼酎は、カラダに合わない。東京には、雨が降っている。桜はこの雨でもう、散り始めるだろう。
2003.04.02
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オフィスがやたら騒がしくなってると思ったら、今日は4月1日だった。新しいスタッフや、客先での常駐が修了したチームやらの、見慣れない顔がそこかしこにいたりする。4月の1日ということはつまり、2003年度の始まりだ。学校も会社も銀行も行政もプロ野球も、4月を起点としている。1月には新年をことほぎ、みんなが決意を新たにするのに対して、あまりこの4月の、年度の始まりにそういったことはしない。なんとなくどこかで、入社式が行われているのだろう。これからしばらく街中には、真新しいチャコールグレイのスーツを着た若者が群れを形成して溢れ出すだろう。きっと新人研修では、何組かのカップルが出来て、同期では誰と誰がくっついているとか、誰が好きで嫌いかとかいう話で盛り上がるのだろう。うらやましい。オレも新人になりたい。最近ウコン茶を飲んでいる。ウンコではない。ウコンだ。肝臓にいいらしい。毎日酒を飲むから、少し肝臓を労わろうと思った。ところがあまり、体調がよくない。血糖値が、低くなってる気がする。ウコンはオレに、合わないのかもしれない。カラダによかれと思って、禁酒したときも体調が悪くなった。カラダに悪いことをしているぐらいが、オレにとってはいいのかもしれない。今日は花見だ。去年の新人が、お堀の土手で、場所とりをしている。毎年、「寒い」を連発しながら酒を飲む。今年は、いつもより暖かそうだ。昨日は、夜に窓を開けていなくても寒くはなかった。今日も、同じような気温だ。寒くならないうちに、帰ろう。年度始まりの抱負としては、「パチンコをやめる」これにしよう。スロットがいいのかというと、ダメ。
2003.04.01
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