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昨日病院からのお達しがあった。「水曜日に退院してもらいます」 と せめて土曜までおいて欲しいと私は哀願してみたが だめであった。「大勢の方が入院を待っています」 と言われるといた仕方ない。何しろこちらは割り込んで手術してもらったのだから…。そもそも外泊許可が下りたところで トラブルがなければ即退院と言う段取りだったのだ。介護できる準備をして来いと言うから多少の余裕があるのかと思ったが…。早く退院したい主人は 「如何でした?」 と言う問いかけに一人で立つことも出来ないのに 「何とかなりました」 と答えるのだから…。(人の気も知らないで…)さて今日は「分刻み」 とまではいかないが 段取り良く準備に向けて動かなくては。上手く日常生活が回転していくまでには 少し無理がありそうだがここはひとつ踏ん張らなくては…。
2009.03.31
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一昨日 一泊の外泊許可を得て病院から帰って来た主人 息子に抱えられて入ってくるなり「オオ!咲いてる咲いてる!」 と嬉しそうに胡蝶蘭を見る。2月末 入院するとき 育てていた胡蝶蘭の第一陣の幾鉢かは 中ごろまで咲いていた。それらは咲き終わって その時小さな蕾だった 少し遅れている第二陣が咲き始めたところだ。(この処昼間病院行きで暖房を消しているので なお遅れているため) 白い胡蝶蘭に 少し小ぶりの口紅の赤いのが…。何より気になっていたのだろう。早速息子を手伝わせ花の手入れだ。私がやきもきし 午後から来客があることを告げると そのためだと言う。シンピジュームの花を切り テーブルに飾る。私は 掃除はしたがそこまで気が回らなかった。(いつもそうだが…)今年一番立派に咲いた赤い大きな胡蝶蘭は すでに咲き終わって切ってしまったので 撮っておいた写真(下)を見せる。
2009.03.30
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昨日は一泊の外泊を試みる。ケアマネージャーと工務店と 風呂場や便所の改造の話が纏まるが二週間はかかるとのこと。もう少し回復しないと このまま退院したのでは無理なことが 当人も分かったようだ。あす病院側ともう少し阪大に置いてもらえるか 近くへ転院するか相談することとなった。気の早い息子は 「出所祝いに…」 と浜で海老を買って来てくれた。上の写真 右から草履海老 せみ海老(通称クツ海老) 伊勢海老となんと三種類のエビを…。先ずは写真をと大皿にそっと盛り パチパチやる。小さな草履海老 可愛い顔をしている。(甘くて一番おいしかった。)一斉にピョンとはねて皿から飛び出る。私もびっくり飛び上る。息子が 大きいせみ海老を刺身にしてくれた。小さい二つはボイルして久しぶりに三人で盛り上がる。
2009.03.29
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今日は朝 息子が和歌山から病院へ直行して 主人を連れて帰ってくる。一か月と少し 留守をした我が家へ…私は早く起きて主人の部屋の掃除をしなければ…。 この前 皆さんのブログにパノラマ写真が載っていた。パノラマ写真が撮れるカメラがあると聞いているが…。私のは出来ないのでエレメンツで作ってみた。病院の眼下に見える万博公園である。先日カメラを持っていた日に だいぶ汚れている窓ガラス越しに写したものをであるが。この風景を眺めるのもあと数日か…。
2009.03.28
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主人の病院でのリハビリ上手くいき 何とか歩行器を使って歩けるようになった。そこでこの週末に 外泊許可が下りたが さてどうなりますやら…。主人はルンルン 私はヒヤヒヤ…。 庭のボケの木 昔は白に赤の斑入りの美しい花を付けていた。ところが近年 赤い花と白い花とを咲き分けるようになり それも赤い枝が多くなってきた。今年斑入りは一つもない。主人は赤い花が咲いた枝に印をつけ 選定の時にこれを多く切るょうにしているのだがと言う。息子は 「親父の頭もボケて 反対切ったのと違うか?」 とまぜかえす。
2009.03.27
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一昨年デジカメ一眼レフを手にして以来 ハーテックアカデミーにて写真の手ほどきを受けている。デジカメ先生のもと お蔭で沢山の作品が出来た。これらを纏めて アルバムとしてのホームページを作りたく 昨年末より(や)先生に教わり 挑戦していた。何とかまとまり いざアップしようとしたところで主人の入院騒ぎで中断。それも何とか近々退院のめどもたったので 昨日(や)先生のお手を煩わせアップすることが出来た 感謝。皆さんに見て頂きたく 「Mie のアルバム」 としてヤフーのHPで掲載した。御批評(メールで)賜りたく ここにお願いいたします。(上の「Mie のアルバム」とあるところをクリックしてください。リンクしています。)
2009.03.26
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昨日 病院側から転院の話が出た。主人は入院生活は 難行苦行だという。出来れば家に帰りたいと…そして近くの病院へ リハビリに通うという。介護保険を利用出来る手続きをし 家に手すりを付けたり いろいろの介護器具を準備したりする方向へ向かうことにした。 カメラを手に出かけた日 道草をした。伊丹空港のバス停前にはずらりと花壇が並んでいる。空港建物の裏側なのだが 私が通る時間帯にはちょうど朝日が当たっている。カメラがあったらなァー と何時も眺めていたので この時とばかりモノレールを一台見送って 写してきた。あせびと クリスマスローズとを…。
2009.03.25
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昨日 朝目が覚めると 「今日は日本画の稽古日 病院行きは休み」 と決めていたので なんとなくウキウキ…(主人には悪いが)。そのせいか早速 朝のゴミ出しを忘れる。忘れると言えば 私の頭も少々いかれてきたのか この一か月に二日もエアコンつけっぱなしで出かけたり (主人には内緒にしときたいが) 勝手口が開けっぱなしの夜もあったり…(パソコンで頭の体操しているつもり?なのに…) あぶないあぶない!。日本画のお稽古では 背景にたまむし色の銀箔をちぎって張り その上に桜を描いていた。まだまだ手を加えないと…と思っていたが あっさりと仕上がった。いや先生に仕上げてもらった と言った方が正しい。F10号 額に入れリビングに飾り 丁度季節 主人が帰ってきたら花見が出来る…嬉しい。
2009.03.24
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毎日長時間乗物に居眠りをしながら乗っているのは勿体ないと バス停横の地下の本屋へ飛び込んでみた。軽い文庫本で面白い読み物を探しに…。田辺聖子の「人生、だまし、だまし」 これならばと眼を付けて買ってくる。同年代故よく分かる。なんだか私の心を見透かされているようでくすぐったい。 「女の涙はたいてい、自己憐憫に味付けされており、甘く、美味しいものである。だが、本当に辛いときは涙は出ない。その代わり、わが身を削ってしまう…(中略) と言いたいがこれまた、大阪女であると,八岐の大蛇のごとく、あたまは八つぐらいある。一つは涙も出ず辛がっているが、一つのあたまは、自己憐憫のオイシイ涙に陶酔し、一つは今夜の夜食は何にしよう、…(中略)と考え一つはこんなに泣くと明日、顔が腫れ…(中略)ええい、いっそ気分直しに駅前の焼鳥屋へ…なんて思いめぐらせ、かくて八岐の大蛇はバランスをとりつつ、生きていくのである。」 と また「人生でいちばんいい言葉は、 <ほな> である。・・・・・・ 接続詞で<ほんなら>ということ。(中略)人は逝くときも、<ほな> と人生に別れを告げて逝くのがよろしく、原稿の退きぎわも<ほな>で切り上げるのがよろしかろう。」 と面白い本である。
2009.03.23
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毎日モノレールで万博記念公園の傍を通る。「公園前」を過ぎた頃「太陽の塔」の正面を通過する。この塔の向こうに阪大病院が見える。15階建てで屋上にはヘリコプターが常駐している。(時々出動する音が聞こえる)このツーショットを撮りたく思い切ってカメラを提げて出た。少々気恥かしかったがこの列車はすいている。車窓から写して見た。上は午前 行きに写したもの下は午後 帰りに写したものである。周りには桜の木が植わっている。きっと4月には美しい写真が撮れるだろう。 一週間のリハビリを終えなんとかつかまってそろりそろりと歩くことが出来るようになった。病院側からは家の近くのリハビリ病院への転院の打診があった。主人は家に帰りたいと言う さてどうしたものか…。何れにせよこの道を通うのもあと僅か。
2009.03.22
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私の年齢になると一人暮らし方が多い。そうした方々には申し訳ないが一人の食事は味気ない。料理は嫌いではないが「美味い」 といって食べてくれる人がいるから作れるのだ。主人が入院して思った。朝はなんとか干物を焼いて残り物の惣菜で食べ 昼は病院でうどんか弁当を買って食べるが 夜がいけない。バスの待ち時間に出来あいの惣菜を買って帰る。(あまり美味くない)どうしても自分の好きなものだけになる。 昔友達の話していたことを思い出した。父親が亡くなり母親だけになった。お茶の先生をしていた母親は一人で悠々と暮らしていたので彼女は安心していた。ところがある日警察から電話でこの母親が倒れたとか…。病院に駆け付けて医師から告げられた病名は何と 「栄養失調」「今時恥ずかしいったら…」 とこぼしていた。面倒なので好きなものだけ食べていたらしい。私も似たようなことになりかねないと反省し 栄養を考えなるべく手作りを心がける様にしているが…。
2009.03.21
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昨日は月二回の家で稽古(午後から)の日。第一週目はよんどころなくお休みにした。朝からこの処開けない雨戸も開け きれいに掃除をし 気になっていた台所のマットも洗濯した。陽が射してきたので 庭のゆすら梅の花の写真も撮った。この処の暖かさで一気に満開となる。レンギョウもボケも…。夜ゆっくりパソコンを…と思っていたのに病院通いよりくたびれて パタンキュ。
2009.03.20
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主人は今までずうっと十時と三時のおやつが欠かせなかった。胃袋がないので一度には食べられないせいもあって…。入院するときもちゃんと自分で愛用のかんかんに飴とビスケットを詰めて持っていった。私も柑橘類の皮をむいたりして何かしら毎日運んだ。と言っても沢山ではないほんの少しあればよいのだ。ところがである。血液検査で血糖値が高いとか…。(血液が固まりにくいのだそうな)「オイヤシはいけません! 奥さんおやつは持って帰って下さい!」 と相成った。しかし毎食前の検査の結果インシュリンの注射をしたのは二日ほどで 今度は下がり過ぎて 「アメちゃん持っていたらなめてもいいよ!」 となった。手術前には内科の医者も来て 「糖尿の心配もなくなりましたので…」 ときた。 術後早速お八つを持っていく。看護師も見て見ぬふりをしてくれて…。昨日もリハビリの後丁度三時 帰ろうとすると「コーヒー買ってきてくれや 持ってきたクッキー一つ貰うわ」 となりまたもや帰りが遅くなる。息子や娘の 「おふくろ甘いからなァー!」 「いい加減にしときよ!」 と言う声が聞こえてきそうだ。
2009.03.19
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昨日のリハビリは2時からだったので見て帰る。手すりにつかまりなんとか歩く?。家に帰ると主人より電話 「背中のホッチギス はずしてもろた…」 と公衆電話から…嬉しかったのだろう。背中の「ホッチギスを外す」 とは手術の後の抜糸のことである。脊髄腫瘍の摘出は背中から切る。主人の場合 背中首筋から下に10センチほど開いたようだ。丁度ゲジゲジが貼りついたように7~8ミリ間隔でホッチギスで止めてあるのが見えていた。医学も進んで今では切開した後をホッチギスで止め 上から幅5センチぐらいの透明の絆創膏(?)がびったりと張り付けられ傷口が見えるのだ。昔(50年ほど前) 私は骨盤が狭く二人の子供を帝王切開で生んでいる。また7年前 胆のうと大腸がんの摘出の時もお腹を上から下まで開いている。前回は解ける糸で 後はホッチギスであった。しかし透明の絆創膏はなかった。毎日ガーゼ交換と消毒が抜糸まで欠かせなかった。黴菌が入ると大変だと慎重だった。今回背中だからしばらくは上向けに寝られないのでは?…と思っていたら術後すぐから上向けに寝かされていた。傷口はどうなっているのかと思っていたら絆創膏(?)だ。しかも抜糸まで消毒することも外れることもなく 皮膚の一部のようにぴたりとくっついて見えていた。医学は日進月歩なんだと改めて感じた。
2009.03.18
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入院している主人 昨日からリハビリに入った。3時からだったので 私は帰りが遅くなるが気になるので見ていた。療法士の診断のあと 柵のない椅子に座ることが出来るか調べる。両腕で支えて傾いてはいるがなんとか…本人 顔をしかめながら「前に倒れそうで怖い」 と。(下半身不随とはこう言うことなのだ)手すりにつかまって立つことが出来るか調べる。腕の力でこれもなんとかやっと立つ が 足は前に出ない。自分の意思が伝わらないのか…思ったところに足が出ないらしい。「先ずは1週間かけてどこまでできるかやってみましょう」 とのことであった。それにしても昨年暮れに補聴器を買って付けていて良かった。「家中スピーカーか?」 と外から入って来た息子が 顔をしかめるぐらい大きな音でテレビを見ていた主人 両耳補聴器を付けてまともな会話が出来るようになっていた。今年の正月は孫たちの話も聞き返さなくても聞けたし 今回も先生方の説明がはっきり聞こえ理解できたらしい。様々の機械類の検査でも最後に補聴器を外し看護師に預けすんなりいった。あれが聞き取りにくくよく理解できていなかったら さぞや不安だったことだろう。眼鏡同様 年をとって聞こえにくくなったら文明の利器を借りるのが一番と知った。
2009.03.17
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雨が上がり日差しが戻って来て鶯の声が…。今年も春がやって来た。いつの間にかラッパ水仙が7~8本皆咲きそろった。ボケの花ももうすぐ開くことだろう。そのうちレンギョウとユスラウメも…。やっと落ち着いて庭の花を眺めることが出来た。
2009.03.16
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初めのうちは戸惑いと気づかれで 肝心の処で居眠りが出 人のざわめきで目が覚め飛び降りたら 一つ手前の駅だったりして…ますます時間が掛り がっかりする悪循環であった。それも少し慣れて 主人の回復と共にスムースに通えるようになった。昨日は義兄夫婦が訪ねてくれ 広間で車いすに乗せてもらって 二人並んで大きな声で語り合っていた。主人 「兄貴は丈夫なのに何でわしだけこんな病気ばっかりするんやろ ワリが合わんのう…」 と義兄を困らせていたが 嬉しそうであった。私一人 義兄夫婦と車で帰る やはり楽チン。帰りつくと差し入れの 「ゆず茶」で心癒され 夕食には「うなぎ丼」で体力を回復する。感謝!感謝!。
2009.03.15
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入院して3週間がたとうとしている。この部屋では一番の古顔となった。賑やかだった老人の後へは主人の1日後に手術し 回復室でも隣のベットで 「昨夜は痛い!痛い!と言いどうしで こっちは痛い!と言う暇なかった」 と主人が言っていたご仁らしい。時折うめき声と溜息が聞こえる。斜め向かいの窓際には20代の青年が「お世話になります」と入って来た。来週手術らしい ぼんやり窓の外を眺めていた。先週と打って変わって陰気くさい部屋となった。(これが普通であろうが)昨日は箕面への出稽古の日であった。皆にお会いするのが久しぶりのような気がし 変な言い方だが娑婆へ帰ったような気がした。皆さんの心づかいが有り難かった。帰り病院へ送ってもらう。夕方の病院は昼間とまた違った様相をしている。白衣の人達に代わって家族や見舞客が多い。この病院は完全看護であるが家族・見舞客の出入りは自由らしい。毎晩様子を電話で尋ねてくる息子が 「おふくろさんもくたびれたやろ もうそろそろ毎日行かんでもええのと違うか?」 と言っていたので そっと「明日は休もうかな?」 と言って見た。「なんでや! ちょっとでもええ覗いて欲しいなァー」 と返って来た。これには弱い 今日も新聞配達と行くか…。
2009.03.14
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主人の入院しているこの病室は寝たきりの手のかかる病人ばかりの部屋らしい。住人は目まぐるしく変わる。先日紹介したご老人も昨日転院していった。娘さんたちが迎えにきた。「ジッチャン!今日退院やデ!」 と「家へ帰れるのか?」 とそれはそれは嬉しそうな声。「イヤ!〇〇苑へ帰るのヤ 皆まったはるデ!」 と老人がっかりしたのか声がない。何処かの施設から入院し また帰っていくらしい。時々しか見舞いに来ない家族の 何時も 「今度羊羹持ってきたるからナ」 とか 「ちゃんと看護婦さんの言うこと聞くのやデェ ケーキセット食べに連れて行ってやるからナァ」 と(馬に人参じゃあるまいし…) 主人は 「人間 年を取ると子供に帰り やがて土に帰る。しかたないのじゃないか?」 と達観しているが 私は背筋に冷たいものが走るのを禁じえなかった。向かいの住人は主人より3日ほど先に手術であったが 60代とお見受けする恰幅の良い方だ。(カーテン開けっぱなしで見えてしまう)ご家族は手術の日 ご婦人が一人見えただけだ。昼間尋ねる方もない。この狭い部屋の中にも様々の人生模様がある。
2009.03.13
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主は居らずとも春は確実に近付いている庭にはラッパ水仙や遅咲きの水仙が…。昨日の主人は 回復室(ナースステーションからの監視付きの部屋) から今までいた部屋のベットに移っていた。体中に付いていた管も外されすっきりしていた。手術後一息ついた主人は我々に 「自分の体を物体だと思えば少しは楽になった」 と息子がこれに 「物体なら重力が掛ってしんどいやろ?…」 と言う。「いや 観念的なものやから…」 と 何やら怪しげな珍問答が…。しかし確実に前向きに自分をとらえていることだけは分かった。来週からリハビリとか…どこまで回復するか…応援する。今まで私の容姿について一言も言ったことがない主人が 毎日顔を見ているせいか 「散髪して来いよ」 と言う。ひどい髪形をしているためか…。今朝は私も一息ついて 美容院へ行ってから病院へ行くとしょう。
2009.03.12
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私は5つ年下の妹と二人姉妹である。一人子の方には申し訳ないが兄弟姉妹はいいものだ。若いころはさほど思わないが年を取るとなおさらだ。今回も隣の義兄も非常に心配してくれ有り難い。22年前の胃がんの9時間半にわたる大手術の時 病院には息子も娘もこれなかった。息子の結婚式を済ませ入院したためでもあるが…娘も丁度産み月であったりして。一人病室で胃が痛くなるほど心配しながら待っていると妹が入って来た。朝一番の飛行機で横浜から駆け付けてくれたのだ。思いもよらなかったので嬉しかった。昔のことゆえ医者からの詳しい説明もなく 何時間かかるとも聞かされず 心細く思い切り落ち込んでいる時に話し相手が来てくれたのだ。長い長い一日を取りとめもない話で過ごすことができ 私の心は迷子にならずに済んだ。今回も前日から来てくれて 昨日病人の顔を見て帰って行った。有り難かった。昨今 「肉親の血は他人よりも薄い」 とか…殺伐とした事件が起る為か。しかし私はこれらの事件は 濃いい為の人の悲しい性のなせる業のように思うが如何であろう。
2009.03.11
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奇跡を祈りつつ 三度の大きい手術に臨んだ主人 皆様のご声援のおかげで何とか乗りきれそうだ。有り難いことだと感謝する。(ここでお礼を…。)家の南側の窓辺には植木鉢がずらりと並んでいた。主人が丹念に世話をしていたが 今私一人では水やりもままならない。とわ言えこうなったら一鉢も枯らしたくない。そこで主人は毎年花を付けたら自慢がてら あちこちに貸し鉢をしていたので先日来 行きつけの散髪屋さんや 義兄の家に預けることにした。少し減らして今では毎朝 二部屋だけ雨戸をあけ世話をしている。見事に咲いた胡蝶蘭 主の帰りを待ちわびる。
2009.03.10
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昨日より私を気遣って横浜から来てくれた妹と6時に家を出る。朝8時に手術室へ 10時間ぐらいと聞いていたのに2時頃 「手術は済みましたがしばらくこちらでお待ち下さい」 と看護師。早すぎる!もしや!と頭をよぎる。ややあって執刀主治医から 「思ったより簡単に取れました。 袋状の良性の腫瘍で何処にもくっ付いていませんでしたから…」 と…ほっとする。麻酔が覚めて回復室へ 手を消毒しマスクを掛けて入ってみる。酸素マスクをつけ傷をいたがっていたが痛み止めの点滴をし 180あった血圧も下がり始めた頃 人心ついたようだ。夕方息子が駆け付けた頃には 「やっと自分に戻ったようだ…」 と喜びの笑みであふれた。感覚のなかった左足も 触ると分かると言う。両足で立てるようになれば…と欲が出る。なにはともあれ一安心。
2009.03.09
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本日の先のブログを見た息子にたしなめられた。「明日は我が身かも知れぬ認知症 もう少し配慮あるかきかたを…」 と確かに申し訳ないことを…ここに隣の御仁に陳謝します。明日朝は早いのでブログは夜に…。
2009.03.08
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何日か病院に通ううち 同じような洗濯物の荷物を持つ人たちに気づき ついていくと病棟への近道を知った。入退院窓口の傍を通る。なんと毎日ここを利用する人の多いことか。隣のベットにもすぐさま新しい人が入って来た。脳血栓を緊急手術したご老人だ。歩けるようになったと大喜び だが少々おつむはいかれている。30分おきぐらいに「おしっこ!」 とナースコールをする。昼前には「ご飯はまだですか?」 とひっきりなしにコールする。食事がすんでまた30分ぐらいしたら 「夕食はまだか?」 ときた。家族が来て看護師に 「飴玉を上げるから…」と言うと何でも聞くからと…と話していた。一級建築士で〇〇病院も どことかの学校も現場監督をしたのだと威張っていたご仁が 哀れ 看護師に 「後でアメちゃんあげるから さあ歩きましょう。」 とか「アメちゃんあげるから 少しナースステーションに座ってて…」 と連れ出されていく。家族ともども大きな声で騒々しい住人だ。この病院に緊急に入院したから今頃知ったのだが 個室もある。色々ランクはあるが我々でも何とか支払える部屋もありそうだ。主人にそっと手術後そちらを頼もうかと聞いてみた。「壁と天井を睨んでいるだけの生活 人気のある方がいい。結構隣には悪いが面白いよ。」 と言う。「夜でもコールしっぱなしで 看護婦が手を焼いているヮ」 と笑う。寂しくなくてよいのかもしれない。
2009.03.08
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やっと周りを見る余裕が出た。主人は緊急手術入院をしたためか ナースステーションのすぐ前の4人部屋 手前左手のベットだ。窓の下には万博公園が見下ろせる見晴らしの良いところだが 残念なことに窓際ではない。隣窓辺のベットの住人は 主人と同じく寝た切りだ。おまけに声も出ないらしい。付き添いの奥さんはまだ50代と見受ける。長く入院しているのか看護師とのやり取りもなれなれしく賑やかな人だ。カーテンの向こうでは奥さんがひげをそってあげているらしいモーターの音 そこへ来た看護師が 「変わったひげそりですね」 とすかさず奥さん 「これドイツへ赴任していた時買ったものですのョ」 とさぞかしパリパリの企業戦士だったことだろう。私は勝手に想像する 交通事故かな? まだ若いのに大変だなァーと。点滴の管を触ろうとするのか時々奥さんの 「パパ!ダメでしょ!触ったら!」 とか「お薬ちゃんとごっくんして!」 とか大きなきつい声がしていたのに 一昨日自宅近くの病院へ転院していった。この病院は治療だけ。大勢の入院患者が待っているのだろう。リハビリは近くの病院で…と言うことらしい。なんだか我々の少し先を見たような暗い気持になる。
2009.03.07
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息子も駆けつけ三人で主治医の話を聞く。病状の説明があり結論として 「糖尿はインシュリンで抑え心臓はなんとか手術に耐えられそうだから 月曜朝一番にスタッフ一同万全を期して手術に踏み切る」 とのこと。「これ以上ほっておくと一番上の胸椎のところ故 次は手に麻痺が来る」 とのこと 私の恐れていたとおりだった。先ずはほっとする。しかし 「後の回復はご本人のリハビリにかける意欲だけだ」 とのことだが今の下半身不随の状況の回復は望み薄だとか…。主人は 「この状態で生きながらえても…」 と手術への期待が大きかったのか少々悲観的だ。息子は 「医者は最悪の話をするから…22年前の胃がんの手術の時も 後5年の生存率は5%と言う状態だったのに今まで生きたやないか。 今度も大丈夫やて…。」 と慰める。三者三様の受け止め方で沢山の同意書にサインする。手術は一日掛るそうだ。どこの手術も同じであろうが脳神経外科はことさらの注意が大変だろうと察する。なにはともあれ手術の成功を祈る。
2009.03.06
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「今日は ペットの検査です!」 と看護師さん「わたし(看護師さんには) ペットとちゃうけどな…」 と小さな声で主人少し何時もの調子が戻ってきていたのに…昨日 「明日4時頃ご家族の方お越し下さい」 と主治医からのお達しがあった。検査の結果今後の治療方針が話されるのだろう。思いは悪い方へ悪い方へと傾いていき 眠れない夜をすごした。
2009.03.05
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一昨日病院の検査室の前の待合で 久しぶりにテレビを見た。しかも看護師が 「奥さんはここでお待ち下さい 2時間はかかります。」 と言ったのでゆっくり見た。丁度朝ドラ「だんだん」に出ている藤村志保さんの 「老いを語らう」 と言う対談であった。彼女は70歳 凛として見える。その彼女が60代の時はまだまだ元気だったが70になったとたんに老いを感じたそうだ。「セリフは覚えられないし 動作は鈍いし…」 とこのたびは以前とは違い大変だったと。そして仕事を続けるには 「70代の覚悟が要ります」 と言われた。私は80の方に近い 毎日おたおた暮らしている。そうなんだ 私には己の年に対する覚悟が足りなかったのだ。出来なくなった事を嘆くのでは無く しっかりと老いを受け止め 今の自分なりの生き方を模索し 「老い」を見据えていかなければならないのだと悟った。
2009.03.04
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今年は私のお雛様 出してブログで見てもらおうとつい先日まで考えていたのにそれどころではない。唯一玄関に姑が残してくれた手作りの刺繍の色紙が掛けてある。先月早めに出してよかった。(昨年ここに紹介したと記憶する)昨日も2時間かけて何やら難しいCTの検査。今朝は内科の診察とか。さすがの主人も心細いのか今朝は「出来るだけ早く来てくれ」 と言う。肝硬変に心筋梗塞・糖尿のけあり…ともなれば手術に踏み切れない医者の気持ちも分かるが 患者の側からすれば 取り除けばこれ以上悪化しないと分かっているものを…其処をなんとか…と思う気持ちも分かってほしい。奇跡を願うより仕方ないのか…。
2009.03.03
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息子が突然 「入院費は大丈夫か?」 と問うてくれる。「なんとかなる」 と答えたが嬉しかった。昨今「おれおれ詐欺」が騒がれている。私は内心孫たちの名が語られても笑い飛ばすだけの確信はあった。それぞれにしっかり育てられている 私に泣きついてくるような子はいないと。しかし息子だけは自信がなかった。(私の育てようが悪いのだが…) 「もしや!」と思ってしまうかも…と。 でももう大丈夫 親の経済状態まで心配してくれる年になっていた。「足りなくなったら助けてね」 と頼んでおく。庭には何時の間にか たった一本フキノトウが咲いていた。
2009.03.02
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昨日見つけた 最短時間で阪大病院まで行ける時間帯を…但し伊丹空港で少々ダッシュしなければならないが。これだと1時間半かからないでいける。帰りもあった この30分は毎日のことゆえ大きい。さて今日から3月…今日はデジカメ撮影会の日。何時もなら喜び勇んで出かけるのだが…。今月はお休みしょう 火曜日のエンジョイ教室も…。主人に話せばきっと「行ってこい」 と言ってくれるであろうが私自身気がかりで行けない。私の「お楽しみ」はもう少し様子を見てからにする。今までにハーテックから頂いたものは十分私の糧となっている。こうして朝パソコンに向かいブログで頭の整理をし一日が始まる。そして夜皆さんから力を頂く。昨夜はエレメンツで少し遊び癒された。今有ることを感謝しなければならない。嫁が電話で「土日ならお手伝いに行けますが…」 と言ってくれた。来週は来てもらおう。妹も来てくれるという。有り難いことだ。皆の力を借りて乗り切りたい。
2009.03.01
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