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旅先からは日記を書かない予定だったのですが、つないじゃいました。今、プリンストンにいます。30日まで滞在予定です。とっても良いお天気で散歩日和です。詳細は帰国後に書きます。では!
2006年04月28日
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次に日記を書くのは5月2日になります。しばらく、管理できない状態になるので、コメントもトラックバックも一時的に受け入れない設定にしました。よろしくお願いいたします。
2006年04月24日
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ここ数日分の日記をまとめ書きし、昨日の「自分ブランド発掘セミナー」の宿題をやっていました。結局、朝から晩まで、思いをひたすら綴っていました。普段ブログには書かないようなことも芋づる式にどんどん引き出され、今までずっと引きずってきた思いまで出てきてしまいました。自分が分析と感覚を織り交ぜて判断して、決めていくことは、やはりたいていそのタイミングですることが必然なことばかりだと思ったのでした。
2006年04月23日
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「コーチング・セミナー」と「自分ブランド発掘セミナー」に参加してきました。今回の参加は、「直感にしたがって流れに乗って自然に決まったもの」という印象です。最初に参加したいと思ったのは、「自分ブランド発掘セミナー」の方。『ブランディング・コーチングで、あなた!がブランド☆』で、案内を見て、「なんとなく気になった」からでした。「気になる」というのは、案内文のどこかにキーがあって、それが自分のアンテナにかかったからだと思うのだけど、私にしてはめずらしく、今回はそれが「キーワード」ではありませんでした。「なりたい自分にはなれません」本当の自分を発掘していきましょう。に反応して今回の参加を決めたメンバーが多かったようなのですが、私はどうかというと、もっと案内文の全体の印象だったような気がします。このセミナーは私のためにあるんじゃないか、私宛の案内文でしょう!みたいな勝手な思い込み(笑)。でも、最近、土日でも、仕事の予定がはいることがあり、第1期の日程はかなり微妙だったのです。ところが、自分は何を言ったわけでもなく、その他の要因で予定の調整が行われていたにもかかわらず、セミナーの3日間がすっとあいたのでした。まずは行かなければ始まらないだろうという第1回の日が開いていることが確定しました。2回目の日も、忙しくなるのは、その次の週だとわかり、3回目の日も、忙しくなるのは、その次の月だとわかりました。これはなんなんだろう!?行くことが決まっているというか、席が用意された気がしました。さらに、高畠さんから朝のセミナーのご案内メールもいただきました。最近は、休みの日の朝は、撃沈していることがほとんどで、目がはっきり覚めるのは、昼過ぎなのです(恥)。1週間、何か特別なイベントがあったわけではなくても、最近の私の週末はそんなことばかりで、なんでこんなに眠いかなぁ・・・と、自分にがっかりしていたのです。でも、高畠さんに別件でメールを書いているうちに、なんだか朝も行きたいなという気持ちに自然となってきました。それは、朝に銀座に行くためには何時に起きて、家を出てという計算をする前に起こった気持ちでした。行きますといってから検索して、あらら、仕事している日と同じに起きなきゃダメなのか・・・と気づいても、行こうという気持ちは変わりませんでした。午前と午後の連続参加を決めたのは、前の日だったのです。***コーチングセミナーへの参加は、2004年7月以来。なんと、1年9ヶ月ぶりでした。「知識を学ぶセミナー」なら、1回聴けばリピートしなくても自分で勉強していける。私は、本読み派なので、そういう考えでいます。現場として出て行くところは、日々変化があり、行かなければわからない何かがある場所です。高畠さんのセミナーは、「現場」なんですよね。やまねこは、「視覚」、「音声」、「内的会話」、「身体感覚」でいうと、「内的会話」と「音声」のタイプだと思っています。ひとりで道を歩いているときは、周りを観察するでなしに、ずっと頭の中で考えていることをまわしているようなタイプ。(アブナイ人!?)観察しようとすると、言葉をずっと追いかけて聴いて、ずっとメモを取っちゃうメモ魔。しかも、ひっかかりのあるワードが出てくるとそこで聴くのが止ってしまい、あとは自分との内的会話になっちゃうこともしばしば。講義形式はそうやってマイペースで聴くので、聴いているようで聴いていなかったり、寝てしまったりすることも。だから、一緒に過ごした人の顔や服装はなかなか覚えられないし、表情の変化はあまり気づかないし、意識しないとあまり体は動かさないから、体感して何かを記憶していることはほとんどないみたいな。そんな自分のことは「もじもじワールド」に生きていると思うし、職場の周りのメンバーも、私の意識が話されている内容からパソコンの中の文章や内的会話の世界に行っちゃうと「もじもじワールドに入っちゃったよ」と笑っている、みたいな。そんなキャラを認めてもらえていると思う。人前で話すのは苦手なのに、ブログに書くのは好きなのは、苦手な感覚を意識せずに、内的会話で思っていることをそのまま書いているだからじゃないかという気さえするこの頃。そんな私なので、高畠さんのセミナーは、ちょっと負荷を与えながら、普段使っていない感覚を使う、いわば、ストレッチ運動のような心地よさがある。講義形式ではなく、体感する時間なので、内的会話ワールドや睡眠ワールドに行ってしまうことはない。自分の頭が自分勝手に走り出す時間がない体感ワールドなのです。机の上に置かれたるは電波時計!「なぜか地震の前にだけ狂う」という持ち主に似た敏感な時計で、ワークの時間は、正確に図られます。時間が正確に図られるからこそ、日頃から私たちは、「体感で時間を図っているのだ」と「体感する」のです。同じ2分で、さっきと今とでなんで感じ方が違うの!?さっきは、あんなに時間が余って、なんで今度は同じネタ話して足りなくなるかな!そして、明らかにいつもよりも短いと感じる2時間があっという間に過ぎていきます。ロールプレイをしていると、自分がそのときに一番気にかけていることが分かります。そして、それは納得感があります。やっぱりそうだったと。私は1年9ヶ月前の自分と今の自分の変わったところと変わっていないところを確認したいと思っていました。それは、同じ体感セミナーをリピートしたからわかるのです。1年9ヶ月前に苦手だなと思ったことができるようになっていました。例えば、はじめた会った相手を6個以上誉めること。前回は、見た目でいろいろ言うのはいけないんじゃないかと思って、ちょっとしか話していないのに、一生懸命内面を見ようとして、時間内で6個も見つけることができなかった。でも、今回は、中身でも、見た目でも、さりげなくフィードバックできたらカッコイイと思えていたので、両方バランスよく言えたと思う。「視覚」が文字しか読んでいないんじゃないかと思うほど、ほとんど寝ている状態の私にとっては、相手のネックレスと指輪が同じ色だと気づけるのはかなりの進歩だと思った。体感セミナーのおもしろいところは、そのときは内的会話モードに突っ込んでいかないところ。だから、落ち込む暇がないのだ。何々はできなかったとか、できないとか、考えこむ暇がない。自分の持っているこだわりで自分を評価するのはあとで行う作業になる。色眼鏡なしのフィードバックを、その瞬間は自分にも相手にもできる。どんどん、ワークをこなしていき、さっきと今は違うと体で感じていく。私は、やっぱり、あとから分析しちゃう派ではあるのだけど、それでも、体感で過ごして、頭でこね回す前にアウトプットしていくスピード感のある時間は、なかなか楽しい。あれ、普段は、こんなこといったらばかっぽくないかとかいろいろ考えて、カッコつけて、なかなか質問や発言が出ないことが悩みだったんじゃ!?いやいや、質問できない理由がわかったのは、今この瞬間で前まではその場で意見が言える人をうらやましいと思っていただけだった。が、昨日の高畠さんのセミナーでは、1回も発言しなかった人はひとりもいなかった。指されても、自然に話せたし、言葉につまらなかったし、指されなくても、みんな自然に語っていた。なんだろう? 話したいという雰囲気を出している人を高畠さんは空気から読んで、自然に指していたのかな。その場では、その人が話すのが自然で、そこからそうなると流れが決まっていたかのように時間が流れていた。でも、それは予定調和的なわざとらしさはなかった。・・・という感じで、思い出すと、なんか、すごいことが起こっていたんじゃないかと、どんどん思ってしまう。つまり、昨日は行って正解で、そこはやっぱり私の行くべき「現場」だったんじゃないかと思う。***「自分ブランド発掘セミナー」でも、自然と不思議なことが起こっていた。まず、午前中のセミナーに参加して、急遽午後も参加を決めた人がいて、参加人数が8人(偶数)、高畠さんを入れて9人になった。もちろん、セミナー受講者が奇数でも困ることはないのだけど、よりバランスが良くなった気がした。ワークは2人で組んでやるのだけど、それがまた、絶妙な組み合わせなのだ。たまたま座った隣同士で語るから、計算は全くなかったはずなのだけど、見事なまでに、本質が似ている人同士になる。一見、正反対のことを語っているけど、何か似たものを持っている人同士で組んでしまう。ワークで組んだ相手は、いろいろな意味で、その人の鏡なのだ。そして、集まった全員、似たような経験をもっていたりもする。一度思い切り落ちたり、これでいいのかと悩んだりして、やっぱり自分本来の良さを見つけたいと切実に思うのだ。ひとりで悩んでいると、自分に自信がないという根本のところで悩んでいるのは自分だけじゃないかと思ってしまう。そんな根本が揺らいでいるなんで、なんてダメなヤツなんだと。でも、自分のことはわからないくせに、周りのみんなが自信がないとか前まで落ち込んでいたと言っているのを聞くと「えっ!? うそでしょ」と思う。憧れの人を語るのを聞くと、みんなそんな遠くを見ているわけではなくて、その憧れの人とその人はどっか似てるとちゃんとわかる。私の周りに8つの鏡がある。そこには、同じ私、違う私が映っている。そして、私も他の8人にとっての鏡の1枚だ。セミナーは3回シリーズ。8つの鏡に映しながらやるワークと家に持ち帰ってするワーク。「みんな」と「ひとり」を交互に繰り返すのは、非常に効果的だ。宿題は3つもあるのだけど、今、それをやりたくてやりたくてたまらない状態になっている。昨日、朝からセミナーに参加したことは、今日のスタートによい影響を与えてくれた。どこにも出かけない休日なのに、午前中からすっきり目が覚めているのだから。
2006年04月22日
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今週は、おもしろいことがたくさんありすぎて書くのが追いついていません。来週も、おもしろいことがたくさんある予定でPCの前にはほとんどいないと思われます。今、書きたいのだけど、寝不足すぎて目の大きさが半分になっています。明日、書ける分だけ書くという感じで・・・。たまっているネタとしては・・・・19日に行った映画の感想・21日に参加したとどろき塾の感想・22日のコーチングセミナーと自己開発ブランドセミナーの感想 そういえば、ちゃんと書きたいのに書いていない本の感想もあったな。。。
2006年04月22日
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大門久美子さんの出版記念トークライブ(4月とどろき塾)に行ってきました。大門さんとはブログやSNSでお話したことはありましたが、ご本人にお会いするのははじめてでした。お話をうかがって、彼女の言葉に一本貫かれているものを感じました。それは、『ミーコのおしゃべりEnglish』、そして、『1000人が選んだ一番よく使う旅の英語72フレーズ』にも通っているもの。私は、以前、「代表システム」あるいは「リード・システム」について書いた日記で、「単語同士の関係をイラストや図にしてノートに書き込んでいったり、マンガを使って言葉のニュアンスを語らせるのは、視覚タイプの学習法」という表現を使いました。言葉をただ音だけではなくて、その図や絵から言葉を関係性やイメージや情景でも記憶しておけると言う意味で。でも、これだけでは、この本の本質を語ったことにはなりません。もともとは、『ミーコのおしゃべりEnglish』は大門さんの「オリジナル・サブ・ノート」からできていることがポイントです。そして、『1000人が選んだ一番よく使う旅の英語72フレーズ』は海外旅行に出たときに使えていればよかったなぁと言う声からできた本です。彼女のメッセージの中で印象的だったのは、「とことん落ちるところまで、落ち込まないとダメで、甘くもないけれど、気負わなくてもいい」ということ。「英語(言語)はコミュニケーションの手段」なのに、「ずっと努力して勉強を続けなければ上達しないこと」、「比較的短時間でモノにできるセンスやノウハウがあったり、それがなければ英語に時間を割ける人しかできないこと」なのにそれができないことがずっとコンプレックスになっている理不尽さが今までとてもイヤでしかたがなかったのです。恥ずかしいことはいっぱいあったし、もう落ちまくっているはずなのに、努力が続けられない自分もイヤでした。でも、大門さんの方法は、「英語(言語)はコミュニケーションの手段」ということが根底にあって、だからこそ続けられそうな方法なのです。たぶん、急に上達はしないので、これからも恥をいっぱいかくでしょう。でも、それでも、いいかなと思えてきました。そもそも、どんな言葉を使っていたって、コミュニケーションがいつもいつもうまくいっていたわけではないのです。そこでコミュニケーションをやめるかやめないかがあるだけですよね。私の伝えたいことを、まずは、探しに行ってみよう。そうだよ、自分探しは趣味じゃないか。
2006年04月21日
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『佐賀のがばいばあちゃん』は、島田洋七のおばあちゃんと彼が子供の頃の物語。「がばい」は佐賀方言の「すごい」という意味だ。字は大きめで、セリフが多いから1ページの文字数が少なく、通勤時間中などにカラっと読める、「明るい貧乏」の物語だ。映画化されることになり、ホームページもある。映像化には向いている作品だと思う。おさのばあちゃん語録はスカッとする。思い切り笑いながら、でも読後には何か温かいものが残る、そんな1冊だ。
2006年04月20日
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友人の「これは映画館で観るべき作品」という 紹介に惹かれ、 観にいってきました、"Touch the Sound" !パーカッショニストのエヴリン・グレニーは、そこにあるものなんでも楽器にして演奏する。そのものの表面をたたくのではなくて、その本質を捉えて、それが内面に持っている音を引き出しているように見える。"Hear a sound"じゃなくて"Touch the sound"そのTouchも、ただ表面をさわるんじゃなくて、そのものを丸ごと感じで核をつかみとって引っ張り出している感じ。彼女は、「聴覚障害者」で「音が聞こえにくい」のだそうだ。楽器を演奏する様子、語っている様子からはそれはほとんどわからない。中途失聴で音の記憶があるから流暢に話していてそう見えるということだけではないように思う。音を音として捉える以外の何かがある人に見えるから、不自由しているとか障害があるというイメージにならなかったのだ。街を歩いていて、音の洪水に見舞われて立ち尽くすようなシーンがあって、それはおそらく、必要な音を他から取り出して処理をするのがうまく行かなくなるのかな・・・といった感じなのだけど。音って、「聴く」だけのものではないんですね。彼女の世界を撮ろうと決めた監督は、「音を見せよう」としていたのではないかとも感じました。彼女が「音にふれる人」ならば、監督のトーマス・リーデルシェイマーは「音を見る人」です。カメラは、音を出している対象をアップで撮っています。この映画は、音の世界を描いているけれど、何にも映像がなくて音だけだったら、全然おもしろくないだろうなと。音を発している対象が見えているからこそ、今まで自分の周りにあるモノたちがこんな音を出していたのだと気づくのです。音を発していないものなんてないし、どれ一つとして同じ音がするものはないんだなと。エヴリンは言います。"We are the sound."「わたしたちこそ音なの」と。みんな違って、みんないいのであって、自分という音を最高に鳴らすため、自分が最も共鳴する何かを見つけるために生まれてきたのではないでしょうか。
2006年04月19日
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友人の「これは映画館で観るべき作品」という 紹介に惹かれ、 "Touch the Sound" を 観にいってくることにしました。 "Touch the Sound"公式サイトのCMを見る(聞くといった方がいいのかも!?)だけでも、ワクワクしてきます。ここのところミニシアター系の映画は、なかなか観にいけていなかったので、とても楽しみ♪***次に観たいと思っている作品は、『イン・ハー・シューズ (DVD)』です。先日、たまたまテレビで、『キャメロン・ディアス靴箱風DVD-BOX』の宣伝をしているのを見たのですが、その中で紹介されていたのが『イン・ハー・シューズ』だったんですね。ヒロインの姉妹どちらも、対人関係や社会生活をうまくやっていくのが苦手です。姉は弁護士だけれども、仕事人間で、自分の容姿に自信がなくて、対人関係を結ぶのが苦手。妹は容姿には自信があるけれど、仕事はどれひとつとして長続きしない。姉妹は、靴のサイズだけがいっしょで他は正反対・・・という設定です。さらに、妹は読み書き障害があるんですね。自分にピッタリの靴を探すように、自分の居場所を見つけるのはむずかしいという意味でこのタイトルがついているのだとか。 原作本の翻訳が出ていて、それが500ページを超える大作らしいのです。『イン・ハー・シューズ』これは、ぜひとも、「読んで」、「観なくて」は!(観るのが先かも。)
2006年04月18日
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社大時代の恩師である佐藤先生から新刊が送られてきました。『障害者福祉の世界第3版』この本は、6年間で2回改訂しています。それだけ「障害者福祉の世界」がめまぐるしく変化しているということですね。今回の改訂では、障害者自立支援法、2004年の障害者基本法の改正などが加筆されているのが特徴です。この本は、制度に触れるだけではなく、その底にある「障害者観」、「障害の構造的理解」、「障害者福祉に影響を与えた思想」などを核にして書かれています。改訂本が贈られてきたことを機会に、最初から再読してみようと思いました。制度について語るとき、そこには、本人の考えが静かに投影される。印象的だったのは、障害者自立支援法について触れた次の箇所です。===ここから引用===この法律のねらいとして第3番目に政府が掲げているのは「もっと働ける社会に」ということである。「働けるはずの障害者が授産施設で何年もくすぶっている」、「入所施設が終の棲家になっている。もっと能力を生かして自立を追求しなければ」という批判が政府関係者からしばしば聞かれる。これらの指摘は当たっている面もあり、大幅な改革が必要とされるのは事実であろう。しかし効果的な訓練で本人の能力を高め、自己の力と責任で自立を、とする「自立支援型システム」への転換が改革理念とされることは疑問である。グループホームなども訓練の場にする意向も伺われる。これでは「更生」(補助具と授産訓練で就業)を「自立」に書き換えただけになる。過去50年、日本の障害者福祉は「本人の力の強化」(能力向上)中心から「能力向上プラス不足する能力をサービス・環境でサポート」へと発展してきた。リハビリテーションとノーマライゼーションを車の両輪とすることが審議会などで確認されてきた。訓練主義の志向はこの歴史を逆戻りさせることになりかねない。(p.166-167)===引用ここまで===障害者構造論、障害者福祉の制度・歴史を見つめてきた著者の言葉は重みがあります。介護予防が前面に出てきている高齢者福祉にも同じにおいを感じますね。要介護者にならないように、自己管理すべしというような・・・。「能力向上プラス不足する能力をサービス・環境でサポート」ということを忘れないようにしたいものです。
2006年04月16日
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母は本を読むと3秒で寝る・・・と思っていたのですが、結構、おもしろい本がたくさん☆これらは、読むというより実践するための本ですね。彼女のベースがこの中にあったのです。
2006年04月15日
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ぜんせいれん・浦河大会の公式ページができたようです。ウェブはシンプルで読みやすいですね。紙媒体のパンフレットも届きましたが、ウェブにも載っているイラストが表紙になったとても味のあるパンフレットです。紙媒体の案内がほしい方はぜんれいれん・浦河大会の事務局に問い合わせてみてくださいね。今年は、ぜんせいれん・浦河大会の直後に、「べてる祭」だそうです。浦河大会事務局は、参加を700名を見込んでいるらしいのですが、べてるの家は、通常の講演会で余裕で500名を集めてしまうので、もしかして、もっと集まるんじゃないかと思います。9月下旬の浦河町は、お祭り状態になりそうです。
2006年04月14日
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「リアルワールド」と「ブログワールド」。今まで私にとってこの2つは別でしたが、その2つがうまく結びついてくれそうです。先日はじめて、リアルの知り合いに「ブログをはじめてみたいんだけど」と言われました。日記を書きながら自然に覚えていったことを言語化してわかりやすくどう伝えるかがテーマになってきました。ブログミニ講習会を開く時間もなかなかないので、まずは、手持ちの本を紹介することにしました。今ネットで起こっていることを理解するなら、『ウェブ進化論』*『ウェブ進化論』についてのヒトコトレビューブログで何ができるのかを基本から学ぶなら、『ブログ成功バイブル』*『ブログ成功バイブル』のレビューブログを戦略的に使うなら、『最強ブログ営業術』*『最強ブログ営業術』のレビューだと思います。あとは、習うより慣れろでまずははじめてみて、ブログ友達を作っちゃうことですよね☆
2006年04月14日
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「ブランドネーム」と「自己病名」。この2つは表裏一体だと思う。「ブランドネーム」は、高畠真由美さんが「自分ブランド発掘セミナー」で提案している「自分の特長を一言で表現出来る」名前。「自己病名」は、浦河べてるの家のメンバーが自己紹介するときに名乗っている自分でつけた病名で、「統合失調症ナルシスト型」や「逃亡失踪症」など、その人らしい名前ばかりだ。私がつけたら、バセドウ病になったことも、結婚生活がうまくいかなかったことも、説明できるようなその理由をスパンと突き抜けるようなものになるだろう。最近、清濁併せ呑むような気持ちが強い。うまくいかなかったこと、マイナスだと思うことをなかったことにしてしまうのではなく、それがあったからこその自分というものを見つめられるようになってきた。『幸せの流れにのる方法』にもあったけれど、自分の欠点と思うの部分を消そう消そうとすると、そうすればするほど、かえってそれが暴れてうまくいかなくなるそうだ。どちらも自分として受け入れると案外うまくいくらしい。これは、べてるの「幻聴さんとの付き合い方」ともつながる。ムリに全部治して、消そうとするのではなく、「幻聴さん」に丁寧に話しかけて今はいてもらうと困るときは帰っていただく・・・という方法もあるらしい。「幻聴さん」と仲良くして、楽しい替え歌ができたりもする。「自分発掘セミナー」も、「本来の自分の良さ」を見つけるところからはじめるセミナーだそうだ。それはおそらく、「自分とはかけ離れたところにある欠点のない理想の自分」ではなくて、「地に足がついた清濁併せ呑んだところにある自分」の「良さ」を見るのだと思う。自分が欠点と思って、思い悩んでいるところが、案外いいところにつながっているのかもしれない。この春は、「ブランド名」と「自己病名」、両方をつけてみようと思っている。
2006年04月13日
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2004年11月5日に東京大学で行なわれたシンポジウム『べてるに学ぶ ―― 《おりていく》生き方』の報告論集を読みました。短い60ページの中は、キーワードの宝庫でした。当事者のことを説明する語彙は、圧倒的に当事者にはかないません。『ビューティフル・マインド-天才数学者の絶望と奇跡』のジョン・ナッシュにも当てはまる言葉をこの報告論集の中で見つけました。これ以上の言葉は、見つからないので、詳細レビューを書くときに使わせてもらうことに決めました。それから、このシンポジウムのタイトルにも引用されている『降りていく生き方』を読んでみようと思いました。一冊読むと自ずと次に読む本が決まっていきます。それが一本の線だけではなくて、マインドマップのように真ん中から四方に広がっていく感じです。
2006年04月13日
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おもしろいことに、一冊読んでいると、その中にキーワードが入っていて、次に読むべき本がわかりますね。本屋でも類書の中でどれが一番自分向きかわかるようになってきました。一応、目次を見たり、パラパラめくって決めるのだけど、最後は感覚だったりします。自分にあった本を見つける方法として言語化されている一般的な選び方というのがあるのだけど、なにかそれだけでは全部言い切っていないような。結局、自分の選択には、大きく感情が影響しているのだけど、それを悪くないことだと受け止められるようになってきました。仕事についても、無理しなくてもいい流れになってきました。もちろん、仕事は「日々ストレッチ」のようなもの。負荷をかけていかないと仕事は勤まらないのだけど、その負荷が心地よく感じられます。*本当は、出勤中にケータイからアップしたんですが、なぜか12日ではなく11日の日付のところに入ってしまったので、あとでPCから修正しました。出勤中の読書に感じた臨場感で書いていたのだけど、PCから書こうとすると少し冷静になって、修正をかけてしまいますね。PCだと文章の全体が読み直しやすいという理由もあります。
2006年04月12日
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その本は、ずっと前から家にあった。母が読んでずっと台所に置いていたので、カバーが少しぼこぼこしている。健康な生活にこだわりをもって生きてきた母は、この本に書いてあるようなことを、毎日毎日、私に教えてくれた。でも、私は、素直にそれを聞くことができないでいた。200ページあまりのその本は読めばすぐに読み終わりそうな厚さだったのだけど、なんとなく読む気になれないでいた。でも、昨日、ふと、読もうという気になった。往復の通勤時間であっさり読み切った。健康本に自分が付箋をつけながら読むなんて、今までならありえなかったと思う。この本の中には著者の経験に裏打ちされた生きた言葉があった。母が私に毎日毎日伝えようとしていた、この本に書かれているような健康の知識と著者が伝えようとしているその核にあるメッセージがわかって、健康本を読んで不覚にも泣きそうになった。本に書いてあったのは考え方で、より具体的な知識を展開しているのが著者のウェブ(Dr.shinya.com)だと思った。「病は私そのもの」と言った次に読む本が『病気にならない生き方』だなんてつながっているような、いないような、矛盾しているようなだと思う。それでもみんなつながっているということをどんな言葉で伝えたらいいのか探しているところである。ここ数日で読んだ本や今読んでいる本、過去に読んだ本、頭の中にある関連しそうな言葉がクモの糸のようにつながろうとしている。近々まとめて一遍のレビューになって落ちてくる予定。
2006年04月12日
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AXISの4月号の特集が「災害対策とデザイン」だということは、デザインを専門にしている知り合いから教えてもらっていたのです。教えてもらったのは3月の中旬頃だったと記憶しています。雑誌ですから、発売日から時が経てば経つほど、店頭にある可能性は少なくなっていきます。ウェブの「取り扱い主要書店」には近所や通勤経路の書店は入っておらず、若干遠回りが必要でした。もしかして、もう店頭から消えているかもしれないから早く買いに行きたいと思うのだけど、残業続きでやっと今日「遠回り」が実現したのです。その書店にはたまに行くぐらいで、しかも、はじめて買う雑誌なのでそれがどこに置いてあるのか、前もって知っていたわけではありません。でも、今日はなぜか迷わずすっと目的の場所に行けたのです。この辺りかなと思うところに、目的の雑誌が1冊だけ、ありました。なんだか、私を待ってくれていたような気がしました。
2006年04月11日
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最近、つぶやいてばかりで、まとまったレビューが書けてないんですが、これもまた、熟成作業ということで、気長にお待ちください。『ビューティフル・マインド-天才数学者の絶望と奇跡』のレビューは、本気で書こうとすると1日書いていそうな気もします。その1日がなかなか取れないんですよね。でも、書き留めないと読了したときの気持ちを忘れてしまいます。レビューは感想ではないけれど、そのときの感情も切り離すことはできないわけですから、しばらくその関連で書いておきたいと思います。思うところはたくさんあるのだけれど、今日書いておこうと思うのは、「病は私そのもの」だということ。できたら、病気にはなりたくないとみんな思っているのだけれど、病気はその人に必要だからなるのだなと。これが読了して感じた1つの思い。病はその人のテーマと密接につながっていて、ジョン・ナッシュにとっては、統合失調症になることが彼が今生でのテーマと向かい合う上で必要だったのだということ。これだけだと、わかりにくいかな。日々少しずつメモを書いていき、長文レビューにするときに行間を説明するつもりです。前に読んだ本で言うと『スピリチュアル・ディヴォース』を読んだときに感じたことに近いです。どんなマイナスと思えることでも、その人に必要なことなのです。以前の日記にも書きましたが、私はバセドウ病になりました。実は、寛解と言われる前に病院に行くのをやめてしまったのですが、今のところ全く普通の生活をしています。一時期、再発したかも??と思ったこともあったのですが、仕事で忙しくしているうちに、それらしい症状が全く出なくなりました。この病から得る課題は終わって、他の課題に取り組むことになったのかなと自分では思っています。当時は、薬を飲んだら全身蕁麻疹が出たり、欝っぽくなって、全然研究が進まなくなって、大学院修士を3年かけたりして大変でしたが、何かバセドウ病が自分らしい病と思えてなりません。このあたりのことは、そのものズバリ『バセドウ病』というタイトルの本のレビューを書いたときに触れました。2005年11月20日にレビューを書いていますね。このときもこの病は自分的だということを自己免疫疾患というところにも触れながら書いていますね。何が自分的かというと、なかなか、"I'm ok!" といえない性格なところと自己免疫疾患というところがつながったんですね。結果がなかなか出ていないから、自分にOKが出せなくてがんばるのだけど、そのがんばっているところが、ちょっとズレている。だから、足りないところは足りないまま、がんばっているところは多すぎてしまうということに・・・。最近、その病の症状が出ないのは、多少肉体的にはハードに働いていても、どれも自分のやりたいこと、目指す方向につながっていると信じられるようになってきたからかもしれません。その人のテーマって、それがテーマであり続けるかぎりは、必ずどこにいても追いかけてくるものですね。自分自身に関しても、周りを見ていても、そう思います。楽しいテーマも、ちょっとつらいテーマもあるけれど、しっかり向き合いたいものですね。
2006年04月10日
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『ビューティフル・マインド』の原作本、『ビューティフル・マインド-天才数学者の絶望と奇跡』を読み終わりました。595ページを約1週間で読みました。レビューは少し寝かせてから書きたいと思います。原作は、映画を見て想像したものよりも、百倍以上の大作でした。タイトルの『ビューティフル・マインド』の意味は、通読した今だからこそ、わかります。
2006年04月09日
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毎日たくさんのメールが来ます。仕事関係のメールがほとんどです。それから、自己啓発のために読んでいるメールマガジン。あとは、ブログやSNSをやっている関係で届くメッセージ。などなど・・・。これらは「メール」であって、「手紙」ではないんだなと。「私」に宛てた「メッセージ」をもらって、はっきり気づいたのでした。私個人を見ていてくれたんだなと感じるメッセージ。それが頭文についているといないでは、全然違うのですね。イベントの宣伝やお誘いさえも私個人への呼びかけになります。「大勢に宛てたメッセージ」と「ひとりに宛てるメッセージ」は違うのですね。それを意識したコミュニケーションがとれる人になりたいなと思った。そんな一日でした。
2006年04月08日
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今日は、なぜか一日中眠気が取れませんでした。睡眠時間が少ない日が数日続くと疲れが蓄積されてしまい、取れないのですね。これから、泥のように眠ることにします。本当に、泥のようにという言葉がぴったりです。ふとんと同化するくらいに、ぐっすりねれば、明日またすっきりと仕事ができるはずところで、日記作成画面がまた変わりましたね。改行(<br>)を挿入するには、[Shift]と[Enter]を同時に押して、[Enter]のみでは、段落(<p>)が挿入されるというのは、EasePublisher(DAISY図書を製作するソフト)のHTML作成画面と同じです。そのうち、この日記もDAISY形式で書けるようになったら、おもしろいな。。。
2006年04月06日
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ある仕事を今日から手伝ったら、「今日というタイミングで気づいておかなければならなかったこと」を偶然見つけて、その対処を手伝うことができた。(これじゃ意味不明だろうけど、説明が難しいので・・・。)おかげで帰りは遅くなったけど、やっぱり今日中にどうにかしていないとあとあと大変なことになっていたと思うから、よかったのだ。何事もタイミングというのはあるもので、それがすっと通ったことに、ある種の感動を覚えたのでした。
2006年04月05日
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『ビューティフル・マインド』を映画館で見たときは、その強調されている夫婦愛が、かなり痛く感じられるほど精神的に疲れていた。と思えるのも、今だから。久しぶりにDVDを見たら、だいぶ違う視点で見られるようになっていて、ちょっとほっとした。原作本の『ビューティフル・マインド-天才数学者の絶望と奇跡』も読み始めている。映画とは違ったテイストで、おもしろい。595ページあるのだけど、すぐにのめりこんで読み終わってしまいそうだ。
2006年04月03日
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英語の本を読んで、泣きました。この『オバケの英語』は、ゴマやちくわやプチトマトや魚の小骨を使って、英語の基本的な子音や母音の発音をカラダで覚えていく本なんですね。そもそも、日本語と英語の本質的な違いまでも食べ物を使って説明していたのですが、それも納得できるものでした。オバケのリッキーが、ニューヨークに半年住んでいるけれど英語がからきしダメな30手前男「ハナタロウ」(とリッキーが勝手に名付けた。)に対して行う英語レッスンがおもしろい。宿題として出されるショートストーリーもオバケのリッキーが作った書き下ろしなのです。(これも伏線です☆)リッキーのレッスンは、言葉を学ぶことの本質、コミュニケーションの本質を射抜きます。「聞こえないから話せない」のではなく、「話せないから聞こえない」のですね。だからこそ、まず発音だという考えがこの本を貫く主張です。それ以外にも、リッキーの教えは、とても深い。それが私の師匠が言っていることともつながっていて、驚きました。「外国語を習得したいときは、必ずそれと平行して、言葉を離れた表現をもつことだ。」(p.85)一芸を持ちなさいということですね。それがコミュニケーションを磨くということなのです。ハナタロウの言葉は、英語に苦しむ日本人の言葉を代弁しています。そして、30手前の(これは30代手前に限らないですが。)自分は語学を学ぶにはもう若くないのではないかと悩む人みんなを代弁しています。そして、この本全体を貫くストーリー。なぜリッキーはオバケになってしまったのか?なぜリッキーは英語を教える相手として日本人を選び、「ハナタロウ」と名付けたのか?それが最終章で明かされるのです。英語を学ぶのは日本人にとってはたやすいことではないです。でも、なぜ日本人の自分が英語を学ばなければならないのかがストンと腑に落ちます。「日本人はまず日本語をきちんとやるべきだ」といっている『国家の品格』、「英語を学ぶにはまずちゃんと発音できることだ」といっている『オバケの英語』の発信するメッセージとが自分の中でつながりました。一見、ちがうようで、ちゃんとつながっているのです。同じ時期にこの2冊に出会って幸せだと思いました。
2006年04月02日
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出張で乗った飛行機の音声番組で"Walking in the Air"を聴いてハマってしまい、衝動買いしてしまいました。『ケルティック・ウーマン』(日本盤)CDなんども、なんども、エンドレスで流しているところです。特に、"Walking in the Air"はお気に入りで、この1曲は、なりきりで、歌えるようになりたいなぁ、なんて思っています。
2006年04月01日
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