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5月30日:31日の朝から始まるLiFTの会議の為モントリオールへ。夫は仕事でしょっちゅうここへ来ていたが、私は二回目である。30日の夜は、カナダの歴史の中で初期の時代にケベック市と並んでパリそっくりに作られたオールド・モントリオールへ食事に出かけた。ウィーク・デイの為か人通りは少なかったが、天まで届けと夜の空に伸びて浮かぶノートルダム寺院の灯りは、青く荘厳な雰囲気を醸し出して幻想的であった。丁度この夕べはミサが行われていたらしく、ろうそくを売っていたり、昔乍らの衣装を着た位の高いらしい人なども居て異国の情緒と歴史を楽しめて良い気分。
2002年05月30日
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5月24日:いよいよ久しぶりのカナダである。私はモントリオールで31日と6月1日のLiFTインストラクター会議があるので出て来たのだが、夫は「俺もカナダに帰る。」と言って付いて来た。実はこの会議出席の話が昨年の秋に有った時、「出た方がエエで。」と出席を熱心に勧めたのは夫である。本音は自分がカナダへ来たかったのだ。だから、会社の時間を気にしなくて良くなった夫が飛行機の手配をしてくれたのだが、二週間余の期間をこの旅に当てている。娘に「何でお父さんまで行かんといかんのん?」と言われたが、「行くんじゃない、帰るんじゃ。」と聞かず、娘に「ま、いいか。お土産をいっぱい頼めるから。」と変な納得をされて二人で出かけてきた。しかし、丁度この期間に、夫の方も以前から話のあるアメリカの会社の為に働く話をそこの社長とすることになり、夫も仕事の為、という大義名分は出来たのだけれど…。夫が「天気予報ではカナダも温かいと言っていたから、オーバーはオーバーじゃ。」と言う駄洒落に乗せられて、「でも、カナダのこの時期は寒かったけどな…。」と言いつつも軽いジャケットしか持ってこなかったのだが、着いた日は寒かった。「やっぱり!」と文句を言ってももう遅い。震えながらレンタカーを借りに行った。車に乗ったらもう大丈夫。久しぶりのカナダの空は、青く広く、午後の8時過ぎでも未だ明るく、太陽は漸く夕焼け前の準備に赤い光を放っている。そして日没は9時直前だが、それでも未だ明るい。私達が住んでいた家には今息子が住んでいるが、今は丁度ドクター(音楽)のデグリーを終える為のテストやリサーチがあるからと、インディアナへ行っていて留守である。内の息子は一体何時学生を抜け出せるのかな-。今回は前回に比べて、一人暮しにしては片付いていて掃除もある程度している様だ。それでも広い家なので一人でのメンテは大変なのだろう。最初は例によって、あちこちを掃除しなくてはならない。夫曰く「やっぱり時々メンテナンスに来んといかんね。」と。出来るだけここに来られる好い口実が出来たらしい。
2002年05月24日
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5月17日~21日:良い針灸の治療院に巡り合えたお陰で、腰の方も腰椎ベルトをしながらだと何とか正常に動ける様になった。夫が良く動いてくれたお陰で、私達のベッドが未だ無いことを除いては、何とか引越し荷物の方も落ち着き(細かいものは残っているがボツボツやることにする)日常生活にも落ち着きが出てきた。そこで24日から行くことになっているカナダへの旅の前にいよいよオフィス探しをすることにした。西船橋と船橋を中心にインターネットで目星を付けておいた物件を見に出かけた。女性一人だといい加減にあしらわれ兼ねないとの危惧があったので、夫にも付き合って貰った。この四日間で4件の私のオフィス向きの物件があったが、うち西船橋から徒歩1分の物件と船橋から徒歩3分の物件の二件が私の興味を引いた。だが、西船橋の方は7月中旬から入居可能で7月始め迄中を見られないのだと言う。又、船橋の方は丁度私がカナダへ出発する日迄、管理会社が休みだとかでやはり中を見られなかった。だから、結局帰国を待ってオフィス探しの第二段階がスタートすることになった。
2002年05月21日
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本当に長いこと、この日記の更新を休んでしまった。今日は実は6月7日、いやもう8日か。前回の日記から早一月近くが経とうとしている。今私はカナダのブランプトン(トロント近郊)でこの日記を書いている。本当に光陰矢のごとしであるが、前回の日記から後に起こった出来事を例によって時計の針を戻して溜め書きと行こう。5月11日:ぎっくり腰を騙しながら夫と二人で義母を町屋の老健ホームまで迎えに行った。そして彼女を四階の彼女の部屋まで連れて行ったのだが、玄関の段差が歩ける私達から見たら本当に僅かなのに、彼女の車椅子ではなかなか越えられない。中は全てバリアフリーになっているので安心していたのだが、障害者の立場で動いてみないと分からないということなのだな、と思ったことである。それまでは、夕食を食べに彼女に自分で一階まで降りて来て貰おうと思っていたが、それは無理だと分かった。私達も1時間半のタクシー乗車で腰の調子が悪かったので、やっとの思いで義母と彼女の荷物を部屋まで入れたが、私達の腰の状態を考えた時、毎日彼女を送り迎えして私達の部屋へ来て貰うより、私達が彼女の分の食事を運ぶ方が良いという事になった。この日から、朝・昼食の用意や彼女の家事はヘルパーさんにお任せし、お互いの用事が在る時は私達が四階に行き、ヘルパーさんに頼めない夕食の用意やゴミ出し、銀行の用などは私達が行うという所謂「スープの冷めない距離」での二世帯の関係が始まった。この距離が以外に快適でる。最初はあの荷物が無いこの荷物が無いとか、自分の物なのに長い間使わないでいた物が出てきたら自分の物ではないとかくどくど言われて(これは老人特有の物忘れだろうが)困ったが、その内私の方も、彼女のくどくどが始まると長居をせずに一階へ退去するコツ(?)を覚えた。また、私達が食べる前に出来立ての食事を運ぶので、自分達も食べる為に直ぐ退去するから、彼女も食事に対する文句も言う暇が無いし、自分で冷凍・冷蔵庫や電子レンジを使って、自由に好きな物を足して食べる事が出来る。前にマンションでは彼女が自由にそれを出来るスペイスが無かった。又、私達が二人(娘が居るときは夫の代わりに彼女がお盆を持ってくれる)掛りでわざわざ食事を持って行く事に対して「ありがとう。」とも言える様になった。最初からこの住み方が出来れば、今までの無用の摩擦は避けられただろうが、これも摩擦を経験したからこそ近居を考え、それが出来る所を探すことが出来たのだから、必要な経験だったのかもしれない。
2002年05月11日
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な、なんと、一月振りの日記更新。スマイル・ケイ復活(!)…と行きたいところだが、そうは身体が許さない。3月末からの引越し三昧(荒川から鎌ヶ谷へ、そして広島県の三原市から鎌ヶ谷へと二箇所からの引越し)に加えて、三原の自宅の補修工事まで入ったものだから、この一月半の間は東京、千葉そして広島を行ったり来たりしての二軒分の引越しと家の改修業者との打ち合わせ、様々な移動に伴う届けや姑の介護問題を解決する為の市の福祉課やケア・マネさんとの打ち合わせ…等などでてんてこ舞い。姑を迎えるまでにゆっくり日数をとって温泉にでも行っておく積もりだったが、その目論みは見事外れた。夫が散々手伝ってくれたにも拘らず身体はくたくたの様で、前回書いた「肋骨の軟骨傷害問題」が済んだと思ったら、今度は腰痛ときた。そして、最後のダメだしが、子供の日に襲ったぎっくり腰!トイレで軽い物を移動して整理しようと腰を曲げたら、ウー、ギク!正に魔女の一撃である。それでも、自己暗示を入れて何とか動ける状態にして、駅近くの看板を見て名前を覚えていた鍼灸院へ行った。鎌ヶ谷で良い治療院を探していたのだが、今回(3軒目)は何とか当りの治療院だった様で、3ッ日目には、何とか仕事が出来る様になった。だが、次ぎの日(昨日)は「昨日は動いたでしょう。折角良くなって来たのに、安静にしないと良くなりませんよ。」と叱られた。今日は雨が降ったので、寝転んで暗示を入れたり、自宅の小型電気鍼で痛いところを治療したり、足に灸をしたりしながら安静にしていた。お陰で大分調子が良い。だが、今度は夫が「腰が痛い。」と言い出した。明日は、姑を荒川の老健ホームまで迎えに行かなければならない。調子が下がり気味の夫一人に行ってもらう訳にいかないので、二人で行こうと思うけど、その後身体が持つかな…と、さすがのスマイル・ケイも少しマイナス思考。ま、どうにかなるだろう。腰が少々痛くても、命に関わる事でもないし、今の状態を認識した上で、そろりそろりと自分の身体に相談しながら参りましょう。ちょっと長時間座り過ぎたから、また電気鍼をして(夫にもしてあげて)早く寝ようっと。と、言う訳で、また、少しこの日記をお休みするかも。次回は「元気復活!」の日記が掛ける様にしよう。
2002年05月10日
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